盛和塾 読後感想文 第115号

人と企業を成長発展に導くもの-日本航空再建の要因と日本経済の再生について- 

日本航空再建の真の要因

  1. 再建を後押ししてくれた“JAL応援団”

2009年末、稲盛塾長は日本政府と企業再生支援機構から強い要請を幾度も受けていました。 

最終的に再建の任に当たることを承諾した理由は、

日本航空の従業員を救う

日本経済再生

国民の利便性

のためでした。 

再建を引き受けると言っても、日本航空の再建について、稲盛塾長に自信や勝算があったわけでは決してありません。日本航空が破綻した当初は、報道関係者をはじめ、誰もがこの会社が長年抱え、なかなか解決がつかなかった様々な課題から“決して再建はうまくいかないだろう、二次破綻は必至であろう”と考えていました。 

航空運輸業の経験のない塾長は、京セラの2人の役員と“京セラフィロソフィー”と経営管理システム“アメーバ経営”だけを携えて向かっていきました。 

初めて訪れた日本航空は、想像をはるかに超え、企業としての体を成していませんでした。稲盛塾長も疲労困憊(ひろうこんぱい)していました。稲盛塾長が日本航空の再建に携わると聞いた当時すでに五千五百人の盛和塾生の皆さんがひとり百人の仲間を集め、合計五十五万人で日本航空を応援しようと動いてくれました。 

“JAL応援団”という名刺を作り、塾生、その友人に“日本航空に乗ってあげよう”と無理してでも日本航空を使ってくれました。また搭乗の都度、日本航空の社員たちを励ましてくれました。日本航空のマーク、千羽鶴を折ってくれたり、贈り物も送ってくれました。 

このようなことは、破綻で傷ついた日本航空従業員たちの心の支えとなったばかりか、採算面でも大きく貢献し、日本航空再建に向けた最初の一歩を盛和塾生の方々が後押ししてくれたのです。盛和塾生の応援は“利他”の心の反映です。利他の心の発露そのものでした。 

稲盛塾長は過去三十年“経営とはいかにあるべきか”ということを話されてきました。塾生の皆さんは“今まで塾長にお世話になったのだから、今こそ恩返しをしよう”という思いで動いてくれたのです。稲盛塾長は無償の愛で、塾生に経営に何らかの貢献をした、それに対してのお返しをしてくれたのです。

  1. 盛和塾生による“利他の心”の実践

稲盛塾長が三十年近く、多忙なスケジュールの合間を縫って、懸命に塾生の経営のお手伝いをしてくださいました。今度は塾生が、日本航空再建に懸命に携わる塾長の背中を押すようにして、お返しをしてくれました。 

このように相手を思いやる、やさしい心と心が呼応し合い、それが日本航空再建ということに結実したのです。 

西日本、東日本塾長例会で“心を浄化する手段、盛和塾で何を学ぶか”と題して塾生が自分の心を浄化していくことが、塾生自身の企業を良くしていき、社会を立派にしていくということだと塾長は述べられました。このことを塾生がよく理解し、それが“JAL応援団”となったのです。 

盛和塾では“利他の心”という言葉が良く使われています。盛和塾では“利他”という言葉が日常会話で交わされる、これは塾生が“人によかれかし”ということが人生や経営で大事であることだと理解し、実践している証拠ではないかと思われるのです。 

日本航空を応援してくれる塾生は、恐らく従業員に対してはもちろんのこと、会社をとりまく人々のため、さらには世のため人のため、日頃から尽力している証拠なのです。 

稲盛塾長は京セラの社長を務めていた時に第二電電を創業し、稲盛財団を設立し、京都賞を開始しようとしていた時、多忙を極めていたときに盛和塾を設立しました。およそ三十年の盛和塾での活動に粉骨砕身(ふんこつさいしん)努めてきたことは、決して無駄ではなかったのです。盛和塾の塾生が“利他の心”を持って、日航再建のあとおしをしてくれたことは、稲盛塾長が三十数年手がけてきた苦労が報われた証拠なのです。 

  1. なぜ日本航空再建は順調に進んだのか

昨年三月に終了した日本航空の再建初年度は、千八百億円を超える営業利益をあげることができました。“倒産した会社がどうしてわずか一年で、業界ナンバーワンの高収益企業に生まれ変わったのか”と世間が驚き、奇跡が起こったとまで賞賛されました。 

東日本大震災による、大幅な旅客数の減少にも関わらず、再建初年度を超える二千億円以上の営業利益を出すことができました。再建三年目に当る今期も予想を上回る業績をあげており、この秋には東京証券取引所第一部に再上場を果し、日本航空再建をほぼ終了する予定です。 

稲盛塾長は、再建二年後には会長職を辞し、代表権のない名誉会長となりました。今後は名誉会長として新しく誕生した会長、社長をはじめ若手幹部で真の経営者に育てるべく、その育成に努め、来年決算後には日本航空を退(しりぞ)こうと考えられています。 

しかし、この二年余りの短期間に日本航空再建に一応めどをつけることがどうしてできたのか、稲盛塾長は考えていました。“なぜ、ここまで来ることができたのか。” 

長年様々な経営課題が絡み合い、誰も解くことができなかった伏魔殿(ふくまでん)のような企業、小説で揶揄(やゆ)されるくらい評判が地に落ちた企業、誰もが二次破綻(はたん)必至と考えていた倒産企業の再建が、これほど順調に進んだのはなぜか、と稲盛塾長は考えました。 

  1. フィロソフィーによる意識改革

日本航空のような会社再建を果たす為には、まず全従業員の考え方を変えてもらう必要があるのです。その為、京セラ五十年の歴史の中で生み出された、実践に裏打ちされた京セラフィロソフィー、日本航空の幹部に熱く、語りかけました。 

その意識改革を図るべく、まずは最高経営者幹部数十名を集め、一ヶ月間にわたり、フィロソフィーに基づき、集中的に、徹底的にリーダー教育を実施しました。 

“売上最大、経営最小”具体的な経営の要諦とともに、リーダーは部下から尊敬されるようなりっぱな人間性を持たなければならない、その為には日頃から心を高めつづけていかなくてはならない。人間としての生き方に至るまで、集中的に学んでもらったそうです。 

稲盛塾長も直接講義をし、日本航空幹部の人達と一緒に膝(ひざ)を突き合わせ、酒を酌み交わし、ときには厳しく叱責(しっせき)も行い、徹底的に考え方のベクトルを合わせるようにしました。回を重ねるごとに、違和感を覚えていた日本航空の幹部たちも、“フィロソフィー”への理解を深めていきました。 

一般社員への教育も行いました。最前線でお客様に接する社員の意識が変わらなければ、航空会社は決して良くならないのです。稲盛塾長は現場に出かけ、直接社員に語りかけるようにしました。 

受付カウンターの人、キャビンアテンダント、機長、副操縦士、整備の人達、手荷物係の人たち、日本航空の社員達が働く現場を回り、どういう考え方を持ち、どういうように仕事をするのか、等、直接話しかけたのでした。 

意識改革に目覚めた幹部、リーダー、社員の意識改革が進むにつれて、業績も飛躍的に伸びていったのです。           

  1. アメーバ経営による組織改革

航空会社の経営を安定的なものにする為には、路線別、または路便別に採算がわかるような仕組み、いわゆる“管理会計システム”の構築に努めました。今までは日本航空の全ての路線、路便ごとに翌日には採算がわかるという世界の航空会社には類を見ない精緻(せいち)な管理会計システムを構築しています。 

アメーバ管理会計システムを活用して、実際の経営実態に基づいて、自分達で創意工夫をしながら経営を行うような体制に組織改革を実施したのです。 

経営者は自分の会社のどの部門がどのくらいの売上をあげ、どのくらいの経費を使っているのかをできるだけ迅速に詳細に見えるようにしなければなりません。それはあたかもパイロットが各種の計器を見ながら、飛行機を操縦しているのと同じなのです。 

プロフィットセンターの各部門で路線別、路便別の採算がわかるようにした他、たくさんの子会社でも部門別の採算ができるようにしています。また、管理部門などのコストセンターである非採算部門でも、経費実績が明確にわかるようにし、できるだけコスト削減に努めることができるようにシステムを構築しました。 

それらの各部門の数字は毎月の経営会議で三日間にわたって発表されることになります。この発表に対して、稲盛塾長(会長)は、“あなたの部門はこうすべきだ。リーダーであるあなたはこうすべきだ”と経営指導をされました。 

このようにして“フィロソフィー”による意識改革、また“アメーバ経営”による組織改革により、日本航空は見事に再生していきました。 

  1. “神の助け”が日本航空の奇跡的な回復をもたらしてくれた

稲盛塾長は自分が生まれ、育まれ、今ここにあることに感謝する、そんな思いをベースにして、人生や経営において、世のため人のために様々なことに取り組んできました。 

盛和塾活動もそうです。稲盛財団の京都賞などの活動も、世のため、人のための活動なのです。日本航空再建も、そのような思いで取り組んできました。日本航空再建の際、稲盛塾長は八十歳を迎えても、そういう心を持って、給料も含め一切の見返りも求めず、ただ必死になって難しい日本航空再建に取り組んでこられました。 

その健気な姿を見て、神さまが、天が、自然が応援してくれたとしか考えられないのです。日本航空の再建は、稲盛個人がやったものではなく、この世の絶対的存在、神様が稲盛塾長にやらせたとしか考えられないのです。そうでなければ、あのような奇跡的な回復ができるはずがないのです。人の力ではなく、何か偉大なものが、大きな存在が応援し、後押しをして再建を可能にしたとしか考えられないのです。 

自分の力ではなく、この世を統(す)べる偉大な存在が応援してくれるような、あるいは宇宙の意志と同調するような経営や生き方を、塾生の皆さんも目指してほしいと稲盛塾長は語っています。美しいピュアで正しい心で経営にあたり、人生を生きていけば、必ず神の助け、いわゆる天祐(てんゆう)があるのです。

盛和塾 読後感想文 第114号

リーダーに求められる“情”と“理”

明治維新の指導者には西郷隆盛と大久保利通の2人がおります。西郷隆盛は“情”に生き、義を貫いて死ぬことを選びました。大久保利通はまさに“理”の人でした。“理”詰めの人であったからこそ、混乱した状況の中にあって、新政府の中心にあって、誕生したばかりの国家の制度や体制などを構築することができたと思われます。 

人を魅了してやまない素晴らしい心根を持った西郷の“情”、合理的で緻密(ちみつ)に物事を詰めていく大久保利通の“理”、あるときは情愛に満ち溢れた優しさ、あるいは泣いて馬謖(ばしょく)を斬(き)る厳しさ、両極端を兼ね備えることこそが、リーダーに求められる条件ではないでしょうか、と塾長は語っています。 

リーダーの資質 

幌馬車(ほろばしゃ)隊が示すリーダーの五つの要件

稲盛塾長は、経営における哲学の重要性、経営の原理原則、経営管理の考え方と仕組みについて、以前に語っています。しかし高邁(こうまい)な経営哲学を掲げ、精緻(せいち)な経営システムを構築したとしても、それが正しく運営されるかどうかは、ひとえにリーダーにかかってきます。 

アメリカ開拓時代の幌馬車(ほろばしゃ)隊の運命を握っていたのがリーダーである隊長でありました。卓越したリーダーシップを発揮した隊長に率いられた幌馬車隊のみが、目的地である西部へ到達することができたのです。 

幌馬車隊の隊長が示したリーダーシップとは、次の五つに集約できるのではないかと稲盛塾長は考えられました。 

第一に 使命感を持つ

第二に 目標を明確に描き、実現する

第三に 新しいことに挑戦する

第四に 信頼と尊敬を集める

第五に 思いやりの心を持つ。 

  1. 使命感を持つ

強烈な願望を持つ幌馬車隊の隊長は、強い使命感を持ち、襲い来る様々な艱難辛苦(かんなんしんく)を克服して西部を目指したのです。 

当初、北アメリカ大陸の東海岸に上陸した移民たちの大半は、もともとはイギリスをはじめ欧州において、恵まれた生活を送っていなかった貧しい人々でした。貧しい彼等は、豊かな生活を実現してくれるであろう新天地を求め、リスクを覚悟して、大西洋を西へ西へと渡っていったのです。 

米国の西部開拓には、元々その根底に、豊かになりたいという願望があり、そのような強烈な願望の頂点に、幌馬車隊の隊長は位置していました。 

  • 集団の幸福を実現するという大義名分

現代のビジネスの世界においても、企業経営者をはじめ、集団のリーダーとは幌馬車隊の隊長のように強烈な願望を持った人々です。その時大切なことは、これらのリーダーが唯、単に私利私欲に満ちた強い願望の持ち主であったとすればどうなったかということです。 

私利私欲に満ちた隊長は、おそらく、人々の協力が得られず、また集団が四分五裂し、新天地に到着することはできなかったと思われます。 

集団を導いていくには、まず強烈な願望が必要ですが、同時に大義名分が必要なのです。“自分達はこの崇高な目的のために働く”という大義名分が、“使命”がなければ、多くの人々の力を集結して、その持てる力を最大限に発揮させることはできないのです。 

京セラでは“全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献する”という、全社員が共有する経営理念があります。 

京セラの従業員たちも、会社の目的に心から共鳴してくれ、一致団結して会社発展に身を粉にして尽してくれるようになりました。また、そのような公明正大な目的・使命があるからこそ、稲盛塾長もリーダーとしてなんら掣肘(せいちゅう)されることなく、自らを奮い立たせ、また部下を叱咤激励(しったげきれい)し、事業に邁進(まいしん)することができたのでした。 

誰もが心から納得し、共有できるような目的を掲げることで、集団の全員が一致団結して“このすばらしい理念をともに実現していこう”と懸命に働くことができるのです。 

幌馬車隊の隊長も、自分が豊かになりたい、という自分自身の願望だけでなく、それを集団の願望にも拡大し、自らが率いる集団一人ひとりを無事に西部の新天地に送り届けることで、豊かになりたい、幸福になりたい願望を何としても実現するという強い使命感をもって隊を率いていったと思われるのです。 

使命感を持つこと、またそれを集団で共有すること、それがリーダーにとって最も基本的な要件となります。 

  1. 目標を描き、実現する
  • 具体的な目標を全員で共有する

幌馬車隊は広大な米国西部の大地にそれぞれ目標を定め、東部を出発しました。隊長にはその地まで全員を安全に導くことが求められていました。しかし地図もない未踏の地であり、過酷な自然が立ちはだかっていました。先住民のインディアンとの戦いもあったはずです。 

そのような困難に直面しても、目標を失うことなく、メンバーを叱咤激励(しったげきれい)し、集団を目的地へと導いていくことが、幌馬車隊の隊長には求められたのです。 

まず求められるのは、どのような目標を設定するか。幌馬車隊の隊長は西部のどの地域に向けて進むのか、具体的に毎月、毎週、毎日どこを目指してどれくらいの距離を進むのか、どこでキャンプするのか、食料手当はどうするのか、等を考えたに違いありません。それらをメンバーの人々と共有して、西部へ進んだに違いありません。 

企業経営の場合は、目標は全員が納得できる範囲の中で、最高となる具体的な数字を見出し、それを目標とすべきです。そして、その次にその目標をブレークダウンして、集団の全員が自分の目標として共有できるものにすべきです。 

その為には、目標を全体の漠(ばく)とした数字ではなく、組織ごとにブレークダウンしたものにしていかなければなりません。組織の最小単位にいたるまで、明確な目標数字があり、一人ひとりの社員にとっても明確な指針となる具体的な目標とするべきです。 

一人ひとりのメンバーが“自分の目標はこうであり、自分は今、その目標に対してどの程度進捗している”ということがわかるようになり、自発的にキャッチアップすることが可能になるはずです。 

  • エネルギーを移転する

リーダーは目標を指し示すだけではなく、その目標は達成できる、いや達成しなければならないと皆に思わせ、さらにどうやって達成するのかという具体的な方法について指し示す必要があります。 

目指すべき目標が決まったら、その数字が意味することはもちろん、目標を達成することの意義や、そのためにはどうすればいいのかという方法論について徹底して部下に伝えることが必要なのです。 

自らの事業に対する考え、目標達成に向けた思いを、情熱を込めて語り、職場の一人ひとりが燃え上ってくれるようになるまで、心を込めて話し続けなければなりません。 

“いくら話をしても、部下は誰もわかってくれない、どうしようもない者たちだ”と考えるリーダーが多いようです。そのような人は“自分は相手が納得してくれるほど、よく考えて話をしていたのか、相手が解かるように相手の考え方に沿って話したのか、どのくらい情熱を込めて相手に伝えたのか”今一度、自問自答してみる必要があるのです。 

高く掲げた目標はリーダー1人では達成できないのです。リーダーが情熱を込めて部下に事業の意義や進め方について話し、自分と同じレベルにまで部下の志気を高めることができて、はじめて全員の力を結集することができ、どのような困難な目標であろうとも、それを達成し、成功を手にすることが可能となるのです。 

  • 強い意志で目標を達成する

ビジネスでは予期せぬ課題や障害が次々と発生してきます。強い意志を持っていなければ、少しの環境の変化を口実に、容易に目標の達成を断念してしまうことになります。 

集団のリーダーとは、いかなる障害があろうとも、目標に向けて強い意志、一切の妥協もせず、ひたすらに邁進していかなければなりません。経営者の中には目標を達成できないとすぐに言い訳をしたり、目標を下方修正したり、なかには目標そのものを撤回してしまったりする人がいます。 

立案した経営計画は、本来は従業員や株主、また社会への約束です。それなのに、予期せぬ経済環境や市場動向の変動を理由に、目標の撤回や下方修正をすることをためらわない人がいます。こうした状況変動型の経営者、リーダーはすぐにでも交代しなければなりません。 

リーダーは目標達成のため、本当に強い意志を部下に伝えるだけではなく、態度で示していくことが重要です。“われわれのリーダーがあんなに必死に努力しているのだから、。何とか自分が助けてあげたい”と部下から思われるくらい、リーダー自身が“誰にも負けない努力”を払っているのかということが問われているのです。 

  1. 新しいことに挑戦する
  • 常に変革を志す

常に未開の土地を目指し、困難に挑み続けた米国の西部開拓史は我々に挑戦することの大切さを教えてくれます。 

経済環境が激変し、技術革新が急速に進む現在では、リーダーはクリエイティブやチャレンジな考え方、姿勢を持ち、それを集団に感化していくということがなければ、集団は時代から取り残され、ダイナソーになってしまいます。 

リーダーが変化を恐れ、挑戦するマインドを失ってしまっては、その集団はやがて衰退の道を歩み始めることになります。リーダーが現状に満足することなく、常に変革と創造を行うことができるかどうかが、集団の運命を左右するのです。 

我々自身が、また歴史ある大企業の中で、職場のリーダーが旧来のやり方にとらわれたり、新しいことに挑戦する気概を失っていないか、今一度確認してみる必要があります。 

様々な形式的な手続きに手間取り、意思決定が遅くなっていないか、若い力を活かすことなく、職場から活力が失われていないか、上司の顔色をうかがい保身をはかることに汲々(きゅうきゅう)としていないか、また自分の部署のことしか考えていないナショナリズムがはびこっていないか。 

  • 能力を未来進行形でとらえる

“人間の無限の可能性を信じる”という考え方が大切です。自分の持つ能力を現時点でとらえるのではなく、今から磨き上げることによって、それは限りなく進歩するものであると信じるのです。 

現在の自分の能力を持って“できる”“できない”を判断しているのでは、新しいことは何もできません。たとえ今はとてもできないと思われるような高い目標であっても、未来のある一点で達成すると決めてしまい、それを実現する為に現在の自分の能力を高める努力を日々続けていく。

京セラ創業時はなかなか注文をいただけませんでした。生まれたばかりの小さな会社に注文を出してくれるお客様はなかなかありません。引き合いを頂けるのは他社ではできないと断られた注文、技術的に難しいもの、あるいは採算のあわないものばかりでした。そういうものを“われわれならできます”と言って受注し、設備も技術も人材もない、まさに“ないないづくし”の状態から全員で苦心惨憺(くしんさんたん)して製品をつくりあげ、納品していったそうです。

  • 楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する

誰しもが不可能と思えるような。新しいことへの挑戦を単なる無謀なチャレンジで終わらせないようにするためには、その進め方が大切になってきます。 

“楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する”というプロセスで創造的な領域での仕事を京セラでは進めてきました。 

お客様のニーズに応じて、新製品開発や新市場開拓などを考えて、常に新しいテーマを稲盛塾長は考えていました。ある程度考えがまとまると、会社幹部と会議をします。 

目を輝かせてうなずいてくれる人、いくら話をしても冷ややかに聞いている人もおります。冷ややかな人は有名大学出身の優秀な人です。一生懸命に語りかけていきますが、冷徹な人が、稲盛塾長の構想がいかに無謀であるかと言い出すことがよくあったそうです。その為、もしかしたら大きく花開いたかもしれないビジネスの種が芽を出す前に終わってしまうのです。

優秀な人はなまじ豊富な知識がある為に、新しいテーマであっても現在の常識の範囲内で判断して、いつも否定的なことばかり考えてしまうのです。 

ところが、こうした優秀な人ではなく、すぐに情熱を燃やしてくれる人に新しいテーマを話しますと、新しい構想がますます夢あふれるものになっていくのです。構想段階では夢と希望を抱き“やれる”と信じることができなければ、挑戦しようという気にはならないのです。

ただし、そのまま楽観的に仕事を進めていっては必ず失敗します。具体的に計画を練る段階では、悲観的にあらゆる条件を徹底的に考えつくします。ここで知識豊かな、冷徹で優秀な人に登場してもらいます。

構想を話しますと、次から次へとネガティブな条件を並べてきます。このマイナス要因をすべて列挙させ、ひとつずつその解決法を考えていきます。こうして改めて計画を綿密に練り直し、実現の可能性を高めていきます。

問題点をすべて洗い出し、シュミレーションを繰り返し、計画を完全なものにした後、実行段階ではまた楽観的な人に交代し、計画を推進します。

  1. 信頼と尊敬を集める
  • 深く物事を考える重厚な性格をもつ

幌馬車隊の隊長はいくつものグループや家族からなる集団をひとつにまとめ、目的地まで導いていく求心力が要求されます。 

旅の途上、隊長は大勢の人々の食糧や水の確保、その分配、ときに発生する争いごとの仲裁、病人や怪我人の世話、道中に幌馬車隊で起こるあらゆる出来事を、誰もが納得できるような形で解決していくことが求められたと思われます。 

その為には、常に公平で公正な判断を下すことができるなど、隊長は人々の信頼と尊敬を集められるだけの立派な資質の持ち主でなければならなかったはずです。そのような隊長だけが幌馬車隊を統率し、安全に目的地まで導くことができたのではないかと思われます。 

  • リーダーは公正でなければならない

集団の運命を左右するような重大な判断を行う立場にあるリーダーには、何よりも公正であることが求められます。公正さを阻害するものは、自分の都合を最初に考える利己心、あるいは私心です。私心が入ることで、判断が曇り、デシジョンは間違った方向へ行ってしまいます。 

明治維新という革命の立役者、西郷隆盛はこの私心がもたらす弊害について、次のように述べています。 

“自分を愛すること、すなわち自分さえよければ人はどうでもいいというような心は最もよくないことである。修行ができないのも、事業が成功しないのも、過ちを改めることが出来ないのも、自分の功績を誇り高ぶるのも、皆自分を愛することから生ずることであり、決して利己的なことをしてはならない” 

  • リーダーには勇気がなければならない

人は往々にして成功を収めると、それが自分の能力によるものだと過信して、傲慢(ごうまん)になっていくものです。そして周囲に感謝することを忘れ、努力を怠ることになってしまうものです。 

京セラでは“謙虚にして驕(おご)らず、更に努力を”を経営スローガンとして何度も従業員に伝えています。京セラが飛躍的に成長発展し、稲盛塾長も社会から高い評価を受けるようになった頃のことでした。そのような好調時にこそ、謙虚さを忘れ、驕り高ぶり、努力することを怠ってはならないと考えたのでした。 

  • リーダーはポジティブでなければならない

夢と希望にあふれ、常に明るく前向きに集団内に明るい雰囲気を醸成するということもリーダーの重要な役割です。 

経営に携(たずさ)わっていると、次から次へと難題に遭遇します。しかしそのように苦しければ苦しい局面ほど、夢と希望を失ってはなりません。 

今はどんな逆境にあろうとも、自分の将来をポジティブに見ること、これがリーダーにとって必要な要件であるばかりか、人生の鉄則であり、人間として生きていく要諦でもあります。 

  1. 思いやりの心を持つ

大きく深い愛をベースとするキリストの“愛”、仏様の“慈悲”に例えられるような相手に対する愛情に満ちた、優しい心をリーダーは持っていなければなりません。 

部下やその家族がすばらしい人生を送ることを願い、また取引先やお客様、さらには地域社会に至るまで、自分をとりまく全ての人が幸福であることを願う、そのような深い愛をベースに持ち、仕事や事業に当るなら、周囲の人々の協力を経て、さらには天の力をも得て、必ずビジネスはうまく進行していくはずです。 

  • 思いやりの心と強いリーダーシップをあわせもつ

リーダーが集団のメンバーの意向ばかりを尊重し、個々人に楽な方向や、安易な姿勢を許容していくなら、その集団は規律を失い、やがて機能不全に陥ることになります。 

リーダーは目標達成のために、強いリーダーシップを発揮していかなければなりません。ただし、そこに留まるのではなく、温かい思いやりの心をもって、集団を構成する人々の考え方や思いを確認しつつ、そのベクトルを合わせることにも懸命に努めていく、そのようにして集団を目的とするところへと導いていくことが、リーダーに要求されるのです。

盛和塾 読後感想文 第113号

闘争心を燃やす

仕事は真剣勝負の世界であり、その勝負には常に勝ちという姿勢でのぞまなければなりません。しかし勝利を勝ち取ろうとすればするほど、様々な多くの困難や圧力がかかってきます。私達はこのようなとき、ひるんでしまい、当初抱いていた信念を曲げてしまうような妥協をしがちです。 

このような困難や圧力をはねのけていくエネルギーのもとは、その人のもつ不屈の闘争心です。どんなにつらく苦しくとも、"絶対に負けない、必ずやり遂げて見せる“という激しい闘争心を燃やさなければなりません。 

日本の経済社会の再生と国家のあり方

長引く日本経済の低迷につき、稲盛塾長は提言しています。 

米国をはじめ、中国、ロシア、フランス、韓国など世界のGDP(Gross Domestic Products)の40%を占める主要国の指導者の交代が進んでいます。先行きが読めない要因の一つとなっています。世界経済が混沌とした中で、日本経済社会が今後、どう再生していくことができるのか、政府、国民が直面している課題です。 

呻吟(しんぎん)する日本経済の進むべき道

日本経済に目を転じてみますと、長く続く低迷の中で、円高、東日本大震災、タイの大洪水被害等による打撃を受け、エレクトロニクス分野を中心に、日本の代表する大企業が赤字を計上するなど、日本の産業界は不況の中にあります。 

その中で、円高拡大、貿易収支の改善を通じて、日本経済は短期的には回復基調に向かうものと考えられています。しかし、長期的な観点から見ますと、少子高齢化社会の進行、それに伴う人口減少により、日本経済の規模はこれ以上大きくなることは困難と思われます。このような中で、日本経済はどのような道を取っていくのかを考えなければならなくなっています。 

我々は日本経済社会の再生にあたり、旧来の考え方と方法がもはや通用しないということも理解しています。経済界をはじめ、国民の間に動揺と不安が広がりはじめています。日本が目指すべき、新しい方向を見出さなければならないのです。 

明治政府が打ち出した"富国強兵“が国づくりの規範として殖産興業(しょくさんこうぎょう)と軍備拡張によって近代国家を目指してきました。第二次大戦の敗戦を迎え、今度は"富国”に国策が変更され、日本経済社会は米国につぐ世界第2位の経済になりました。それも諸外国からの圧力のもと、日本政府は内需拡大を図る為、積極的な財政金融政策をとり、バブル経済の原因の一つを生み出してしまいました。1985年のバブル経済の破綻により、日本経済は低迷して今日に至っています。 

現在にいたる二十年は“失われた二十年”と言われるように、長期にわたり、経済は低迷を続けているのです。国債残高がすでにGDPの二倍を超えています。まさに国家として破綻寸前と言っても過言ではありません。 

亡国の事態を回避するために

日本の国債発行残高は2025年には千五百兆円を超えるという予測があります。そして2025年には、国民の金融資産残高と拮抗(きっこう)するようになり、もはや国債を国内で消化することも出来なくなります。 

また、少子高齢化が進み、出生率と死亡率の低下により、世界でも例を見ない速度で高齢化が進行している日本では、65歳以上の高齢者が人口の30%ほどを占めるという予測があります。国民2人でお年寄り一人を養うという社会が到来するのは確実です。 

日本の総人口も既に現象を開始しています。2025年には1億2千万人を割り込んでくることが確実です。 

少子高齢化が進み、社会保障費が拡大する中で、労働人口が減少し、GDPが伸び悩み減少する中で、膨大な財政赤字を背負い、もはや赤字国債の引き受け先もないという事態になれば、日本は国家としての破綻を迎えることになります。 

現在のうちに行政改革を通じて小さな政府づくりに取り組むとともに、早急に財政再建に取り組み、歳出の全面的な見直しや税制の抜本的な改革を通じた歳入の検討に取り組まなければなりません。 

発想の転換-“高付加価値”の追求へ

私たちは今こそ価値観の転換を図らなければなりません。エコノミック・アニマルとさげすまれた日本経済・自国の利益を優先して他国の立場を理解しようとしなかった / 量的拡大をひたすら図ってきた / お金がすべてと考えて来た価値観は捨てて新しい“富国”の道が必要なのです。 

新しい考え方とは量的拡大を追求するのではなく、質的追求、付加価値の高い製品、サービスを提供する、あるいはより細かいお客様の要望する製品、サービスを提供する“高付加価値”の獲得を目指した経済のあり方です。 

たとえば京都の有名な漬物屋で、一日に二樽の漬物樽しか開けない老舗のお店があります。しかしそのお店の前には開店前からお客様が列をつくっておられます。そしてその一日の売る量が尽きてしまいますと、お客様がまだ並んでおられても、その日の商いはおしまいで、“お求めになりたい方はまた明日お越しください”と言われるそうです。 

漬物は、大量に作れば味が変わってしまうのです。その伝統の味、高い品質を維持するために、生産量、販売量を自己規制しているのです。京都にはたくさんのお漬物屋があります。その店のお漬物には独特の味があり、その味を慕う方が多いのです。それ故、生産量、価格も維持し、利益を確保し、伝統の暖簾(のれん)を守り続けているのです。 

高付加価値の“ものづくり”を支える日本人の精神性

“ものづくり”においても、すでに製造現場の多くは、中国、タイ、ベトナム、インドネシアなど、アジア諸国に移っています。いわゆる大量生産型の工場が、豊富で低廉(ていれん)な労働を有する発展途上国に移っています。 

しかし日本には古来、緻密で精密な、まさに芸術品とも見まがうばかりのすばらしい製品を作ってきた“ものづくり”の伝統があります。“日本刀”、“仏壇”、“からくり人形”、これらの製品は日本人の“精神性”“宗教心”が生み出したものと言えます。 

伝統工芸の制作に当っては、匠たちは仕事の前に身を浄(きよ)め、ときには白装束に身を固めます。これはものを作るということは神聖な行為であり、それに対しては自らの身を浄(きよ)め、魂を浄化する必要があると考えてきたからなのです。つくるものに魂を入れなければならないと考えてきたからだと思います。 

日本の製造現場では、一日の始まりは朝礼で始まります。これは、ものづくりの前に作り手の心をつくっているのだと言えます。 

つまりこのように、日本人の精神性を生かし、知恵を集結することによって、もはや日本が関わるべきでないと考えられている分野においても高付加価値のものづくりを実現し、存続を果すことができるどころか、高収益のビジネスとすることができると考えられます。 

農産物のブランド化戦略

高付加価値の商品を作ることが大切なことは、工業製品のみならず、農産物においても同様です。最近では高級農産物の需要が急速に高まっています。 

青森県や長野県で栽培している“ふじ”という銘柄のリンゴは、国際的な標準価格の数倍もの値段がする、高級果物として欧米や東南アジアに相当の量が輸出されているそうです。 

我々日本人は心を込め、丹念に育成に努め、安全で高品質の農作物を作ります。そのように丹精に育まれた日本の農作物を豊かになった各国の人々は、たとえ高額でもいいから買いたいと考えているようです。 

欧米でもフランスの高級ワインは安物のワインとは比べ物にならないくらいの値段がいたします。それは大変な手間をかけて作り上げるとともに、そのブランド化を図ることで、付加価値を高めていった結果なのです。 

日本産の高品質で安全な牛肉、米、果物などの農畜産物を食べてもらうということに国家をあげて戦略的に取り組めば、日本の農業に新たな活路が開かれるのではないでしょうか。また、国内の消費者の方々も、よりよい安全な食品を求めています。高品質の日本の新鮮な農作物が手近に入手できれば、と願っていると思われます。 

日本人の意識を、内向きの意識だけではなく、外向きの開かれた意識にも広げていくことが必要なのです。日本人がもっと海外の動向に関心を持ち、広い視野で事業展開を考えることが必要です。 

新しい経済社会に求められる“燃える闘魂”と“徳”

日本経済社会の再生を図るためには、経済モデルの見直し、いわば方法論の改革のみならず、国民の意識転換、新しい経済社会にふさわしい精神性を日本人が身につけることも必要と思われます。 

その第一は“絶対に負けるものか”という“闘魂”を持つということです。 

日本は1980年代までは順調に経済発展を続けてきましたが、バブル経済崩壊後に長く景気が低迷するうちに、現状維持、新しいことに対する挑戦が少なくなり、現状に満足し、成長発展に関心が少なくなってきたように思います。 

経営者も同様です。中国や韓国の企業経営者と比べれば、多くの経営者が、もはや果てしない目標に挑戦したり、困難に立ち向かったりする勇気を失ってしまったかのように見えます。 

日本の大手メーカーは、世界に誇るすばらしい技術を持っています。そのような企業に闘魂に満ち、バイタリティにあふれたリーダーが存在すれば、巨額の赤字を出すこともなく、すばらしい業績を上げられます。過去の成功体験に寄った、官僚的なリーダーたちが経営する大企業ではなく、現状を何としても再生するという闘志にあふれた経営者が率いる大企業に日本の再生を期待したいと考えます。 

企業の“大同団結”による国際競争力の強化

“燃える闘魂”と共に日本の大企業にはそれぞれの業界において“小異を捨てて大同につく”という精神のもとに、“合従連衡(がっしょうれんこう)”を図ることも求められています。 

現在の熾烈(しれつ)な、グローバルな企業間競争を戦い、勝ち抜いていこうと思えば、それに対抗できるだけの企業規模、経営資源の優位性が不可欠だと思われます。 

事業の統合を積極的に進め、ついには企業同士の合併統合も推進し、グローバル競争に臨み、勝利できるような世界に冠たる日本企業をつくっていく必要があります。その為には、個別の企業がそれぞれの立場を乗り越え、日本の産業を国際的競争力を持つものにしていこうという価値観を持つように産業界の意識も変革していかなければなりません。 

同時に政府の指導も必要です。“大同団結”の動きが、各産業界で燎原(りょうげん)の火のごとく進んでいくような方向性を示唆し、側面支援を行うことも必要です。仕切り役、仲裁役としての政府の役割も必要なのです。 

日本経済を再生する為には、官民一体となり、大胆で思い切った政策をとることが、長期低迷する日本経済社会を再生する為に不可欠なのです。 

日本経済を背負って立つ中小企業

日本企業の99%は中小企業です。労働人口の大半は中小企業に勤めている人達です。そのことを考えますと、中小企業こそが日本経済を背負って立つ存在であるべきです。 

低迷している日本経済の中で、今こそ中小企業が成長発展する、絶好の機会です。足りないのは“闘魂”です。強い“思い”を抱きさえすれば、戦後間もないときと同じように、必ずや頭角を現していけるはずです。そのような中小企業が輩出すれば、日本経済の復活は確実になるはずです。 

“徳”をベースとした国づくり

“燃える闘魂”を持って経済的に強くなっていくとしても、その闘魂とは、優しく、思いやりに満ちた、美しい心を兼ね備えたものでなければなりません。それは人間としての“徳”なのです。“燃える闘魂”で相手を蹴散らし、自分の利益だけを追求していったのでは日本はグローバル社会の中でつまはじきになってしまいます。江戸時代の商人に道徳を説いた石田梅岩が“商いは先も立ち、我も立つものなり”と唱えたように、ビジネスの世界にあっても相手を思いやる心、“利他”の心が必要なのです。長期的な成長発展を望むならば、社会の一環として社会に役立つ企業として社会から受け入れられるようでなければなりません。 

そのような人間としての優しい思いやりに満ちた心、あるいは“愛と誠と調和”という言葉で表される人間としての善き心、いわば“徳”に基づいた活動こそが大切です。 

“情けは人のためならず”、相手に善き事をもたらすのみならず、日本にも長期的な成功をもたらしてくれると思われます。日本人は、すばらしい“徳”を古来育んできた民族です。 

昨年三月十一日に発生した東日本大震災は、東北地方を中心に未曾有の被害をもたらし、日本人の心に深い傷を残しました。その悲惨な状況の中にあって東北の方々が示された、秩序ある行動、また全国からの支援に対して世界中から驚きの声があがりました。日本人に対する尊敬と信頼の念を大いにかきたてました。 

愛する家族を亡くし、家屋や財産のすべてを失った人達が、略奪行為に走ることなく、生前と支援物資を分け合い、また不幸のどん底にありながらも他の人々への思いやり、助け合う姿は、本当に崇高なものでした。 

我々日本人は、人間の“徳”を大切にしてきた民族です。日本とはまさに道徳規模、いわば人間の“徳”を基礎に建国された国なのです。 

日本は“富国有徳”の国家たるべきなのです。国を富ますためには、まずは“燃える闘魂”が必要であり、同時に“徳”も備えていなければ、決して長期的な繁栄をもたらすことはできないのです。

盛和塾 読後感想文 第112号

人間として何が正しいのか

京セラフィロソフィーの原点は“人間として何が正しいのか”ということを判断基準にしています。経営経験のなかった稲盛塾長は子供の頃、両親や学校の先生に教えられたことをベースとせざるを得ませんでした。 

“人間として正しいことなのか、正しくないことなのか”“善いことなのか、悪いことなのか”を基準に判断することにしました。 

矛盾が会ったり、理屈に合わなかったり、また一般に持っている倫理観やモラル、そういうものに反するような経営では決してうまくいかないと考えられました。 

正、不正や善悪などは最も基本的な道徳律であり、子供の頃から両親や学校の先生に教えてもらっていたので、稲盛塾長はよくわかっていたのです。 

こうして“人間として何が正しいのか”という最も基本的なこと、“原理原則”を判断基準として経営を始められました。 

京都銀行創立七十周年に寄せて-成功する経営者の条件

稲盛塾長は、京都銀行創立七十周年記念式典講演を依頼されました。 

京セラは京都銀行との長い取引を通じて、多くの京セラファンを作ってきました。枚挙にいとまがないほど、多くの京都銀行の行員の方々とビジネスを続けておられました。 

京都銀行の七十年にわたる歴史を、金字塔、いわゆる到達点としてとらえるのではなく、さらなる発展のための一里塚、つまり通過地点ととらえるということであろうと稲盛塾長は語っています。それは未来志向で、京都銀行の成長・発展を願っている故です。 

京セラ創業時を振り返って

昭和三十四年四月一日に京セラは創業開始しました。京都の宮木電機という会社の専務をされておられた西枝一江(にしえだかずえ)さんが中心となり、三百万円の資本金が集まりました。しかしそれでは資金が足りません。その時西枝一江さんは、自宅を担保にして、京都銀行から一千万円を借り入れ、融資(ゆうし)して頂いたのです。 

京セラ創立以来、事業は順調で、利益率は二桁数字でした。創業三年目、更に事業を拡大するために、滋賀県に自前の新しい工場をつくりたいと考えました。その為、京都銀行に融資の相談に伺いました。融資担当の方はたいへん厳しい反応でした。しかしその方は“中小企業金融公庫”の京都支店に行って交渉されてはどうかと言われました。 

中小企業金融公庫京都支店長は“我々は中小企業育成のために設立された国の金融機関で、中小企業を育てるために是非融資をしてあげたいとは思いますが、担保がないのであれば貸し出すことはできません”と無下に断られました。 

稲盛塾長は勇気を出して支店長に言いました。“担保がないから貸さないと言われるなら、親の代から金持ちで立派な不動産を最初から持っている、ええとこのボンみたいな人でなければ、融資はできないということですね。そうであるならば、私みたいな徒手空拳のものが新しい事業を興すといったって、できるわけがないではありませんか。そもそも担保に供する資産を持っているのであれば、何もお金を借りなくてもいいはずです。中小企業金融公庫は、中小企業の育成が目的なのでしょうが、そんなことで日本の中小企業の育成ができますか” 

京都支店長は“あんたはええことを言うな”と言われ、しばらく考えられた上で“わかりました、担保がなくても貸せるように、なんとか工夫しましょう”と言われました。無担保融資が成ったのでした。 

歴代の中小企業金融公庫の京都支店長から直接“稲盛さん、昔こんなことがあったそうですね。ウチの中ではたいへん有名な話になっていて、担保無しでも、人をよく見定め信用していくことが本当の銀行マンの努めであるということが教訓のように語り継がれています”と聞いたことがあるそうです。 

中小企業金融公庫の無担保融資の件を京都銀行の当の融資担当者に報告しましたところ、“それなら京都銀行も融資します”“ああいう国の金融機関が課してくれるということは、十分な調査をして確実な見込みがあると判断したのでしょうから、それならウチも貸します” 

京都銀行は京セラの大株主でもあります。中小企業を生み、育てることが、地方銀行の大きな役割であり、そのような企業育成が、ひるがえって地方銀行自身の成長発展に直結しています。これは日本再生・復興の最大のエンジンになります。 

現在、日本復興、日本経済の再興が叫ばれています。政府によってさまざまな経済施策も講じられています。しかし、最も大事なことは、中小企業が元気になることです。日本企業の99%が中小企業です。会社員の69%が中小企業で働いています。まさに日本の経済産業を下支えているのは、地方の中小企業です。 

その中小企業を側面から、また後方から支援していくのが地方銀行の役割であり、それが、日本経済を活性化し、日本最大の推進力になっていくのです。 

成功する経営者を見抜くこと

中小企業、ベンチャー企業では、ある固有の技術を持った人が、今いる大企業の現状に満足できず、飛び出して会社を作るというケースが一般的のようです。そうした人には当然資金力がありません。担保になるべき資産を何も持ち合わせていません。するとベンチャー企業には経営者としての人間のみが財産となるわけです。担保に変わるべきものは経営者個人のみです。従って、あくまでも経営者の人物、資質を見てお金を貸すかどうかを決めなければなりません。 

新しい企業の場合ですと、物的担保がないものですから、経営者の人物評価をしてそれで判断するしかないのですが、問題は、人物評価を行うに適した人が評価しているのかということです。 

評価するということは、評価をする側が評価される側よりも遥(はる)かに優(すぐ)れていなければその本質を見抜くことはできません。銀行でも担当にビジネス経験が豊富であり、さらにその人物や生き方について深い洞察力を備えた人でなければ、どうしても見当違いが起きてしまいます。 

融資が失敗に終わるか、成功するかはそれはあくまでも経営者の人物次第であり、それを見抜くためには、相手の経営者よりもはるかに優れた人物があたらなければならないはずです。融資の可否を判断する人には、一定の判断基準が必要になります。 

どういう資質を備えた経営者ならば、たとえ担保がなくても融資を行うことができるのか。その為には成功する経営者はどういう条件を満たしているのかということを知り、充分その条件を理解していなければなりません。 

成功する経営者の条件

稲盛塾長は、京都銀行七十周年記念講演の中で、成功する経営者とはどういう条件を満たしているのかを述べられました。

1. 高い専門的知識を持っている経営者でなければなりません。ある特定分野では、大企業と競合しても勝てるぐらいの高度な専門技術を持っているかどうかが問われることになります。 

その時、時間係数というものを抜きにしては、技術力の評価をしてはならないのです。日進月歩で進化している私達のビジネス社会では、新しいテクノロジーを短時間に咀嚼(そしゃく)して理解し、体得できる能力が必要不可欠です。二十年かかってようやく、ある専門技術、専門知識を身につけるというようなことでは、現在の烈しいビジネスの展開の中では使い物にならないのです。 

優れた専門技術と知識を備えていると同時に、その高い能力をどのくらい短時間に手に入れたかということも、その経営者、企業の技術力の高さを推し量る一つの尺度になっているのです。

2. 夢を持ちチャレンジする心を持ち続けていること

経営者は常に新しいことにチャレンジをしていなければなりません。決して停滞や安定を望まず、またいかなる障害があろうとも、常に新しいものに挑戦している人でなければなりません。 

更に大切なことは、成功する経営者は、その自分の夢を自分だけのものとせず、集団の夢と夢の実現に至るプロセスを、ことあるごとに社内で熱く語りかけています。 

社員のエネルギーが経営者と同じくらいに高まってくるまで、経営者が社内で語り続け、経営者の夢と情熱、そしてその具体的な経営目標が、企業内で共有されているような企業であれば、事業は成功するのです。

3. 潜在意識に透徹する強烈な思いを持ち続けていること

経営者の思いが強ければ強いほど、また深ければ深いほど、事業成功の確立が高くなってくるはずです。経営者が持つ思いで最も深いのは、二十四時間寝ても覚めても、その事業を思っているような状態です。決められた時間内で、何かいい商売はないかなあ、何とかうまいもうけ話はないかなあというようなことでは、新しい事業は絶対に成功しません。 

二十四時間考えていますと、ふとした瞬間にすばらしいアイデアを思いつくことがあるのです。 

人間の潜在意識は、我々が使っている顕在意識に比べ、はるかに大容量だそうです。成功する経営者は、潜在意識に透徹するほどの強い願望を持つことで、その助けを得て、独創的な研究開発や事業展開を行い、また困難な障害を克服し、経営目標を確実に達成していく人なのです。

4. 事業の意義、目的を明確にすること

経営者は、事業の意義、目的を明確にしていることが求められています。その経営者が“経営の目的”をどこに置いているのか、つまり新しい事業を始めたいと思ったとき、なぜその仕事をしたいのか、はっきりさせる必要があるのです。 

社会的地位やお金持ちになりたいと、私利私欲に端を発したものであるような人もおられます。経営者は、それぞれ目的がありますが、どういうところにその人が目的をおいているかということが、経営ではたいへん大事になっています。次元の高い目的意識を持っている経営者の方が成功しやすく、その成功が長続きし、会社が成長発展し続けることができるようになるからです。

5. 人間として正しい判断を下すこと

経営者は心の中に規範を持ち“原理原則に則した判断ができることが必要です。立派な会社経営をするためには、自分の都合や利益だけを考えて勝手きままに行動して良いというものではいけません。集団を正常に機能させるためには、まず経営者自身が自らの行動を律する厳しいモラル、心の中に規範を持たなければなりません。 

心の中に基準又は規範となるべき、確固たる考え方を持っていない場合には、人は本能に突き動かされて、物事を判断し、行動していくことになります。本能とは、煩悩です。煩悩とは、欲、怒り、愚痴(不平不満)です。心の中に規範となるべき考え方、哲学を持っていない場合、反射的にその本能、煩悩が頭をもたげ、“それは自分に不利だからやりたくない。それは自分にとって面白くないから嫌だ”となってしまうのです。 

これは、教養のある人、社会的に地位のある人、大企業の社長でも同じなのです。心の中に、基準となるべき考え方、哲学、フィロソフィーが無く、本能、煩悩で判断しているため、反射的にそのような反応をしてしまうのです。不正を起こした経営者が、特別に悪いことばかりをする人ではないのですが、心の中に持つべき規範を知識として持っていたかもしれませんが、本当に自分のものとしていなかった、血肉化していなかったからなのです。 

企業経営において、正しい判断を行うためには、やはり心の中に確固たる規範を持ち、それを実践するよう、日々努めていかなければなりません。 

新しいテーマに挑戦した時、過去の応用だけでは解決できない問題に遭遇します。そんな新しい事柄に遭遇するたびに、往々にしてうろたえるようなことになるのですが、かねてから物事の本質を捉えた判断をしていれば決して迷うことはありません。 

原理原則に基づく判断を習い性とした経営者は、どんな前人未踏の新しい局面に遭遇しても、また未知の世界に飛び込んでも、正しい判断を行い、見事に成功を収めることができるのです。 

この五つの条件を満たすような人物、経営者にこそ、融資をするべきであり、そういう人であれば、たとえ物的担保がなくても、融資をしてあげれば成功する確立は高いはずです。

盛和塾 読後感想文 第111号

運命は自分の心次第

浮き沈みの激しい人生を送り、自分の運命は自分の手で切り開いてきた人でも、その山や谷、幸不幸はみんな自分の心のありようが呼び寄せたものです。自分に訪れる出来事の種を蒔いているのはみんな自分なのです。 

運命というものは私たちの生のうちに厳然として存在します。しかしそれは人間の力ではどうにも抗(あらが)いがたい“宿命”なのではなく、心のありようによっていかようにも変えていけるものです。運命を変えていくものは、ただ一つ私たちの心であり、人生は自分でつくるものです。これを“立命”といいます。 

今日ある人生は私達の心が招いたもの。誰かがもたらしたものではない。交通事故に2019年9月9日(月)に遭いました。これは居眠り運転の結果です。その前日、日曜日9月8日は眠れない夜でした。眠れない夜は大きな悩み事が私にはありました。悩み事は私自身が作ったものでした。 

心を浄化する集団-盛和塾で何を学ぶか- 

美しき心と心が醸(かも)し出すもの

  1. 中国、四国地区塾長例会懇親会(こんしんかい)の清らかな合唱の響き

盛和塾山陰の総勢三十~四十人ほどの方々が舞台に上がって合唱をして下さりました。塾長の好きな“故郷(ふるさと)”や懐かしい童謡も入っていました。 

“故郷”の三番の歌詞を思い出しました。

“志を果たして、いつの日にか帰らぬ、山は青し故郷、水は清し故郷” 

盛和塾の皆さんが誰でも知っておられる“故郷”は、盛和塾の歌のようです。その選曲の良さ、高音、低音まで分かれたパートがえもいわれぬすばらしいハーモニーを奏(かな)でていました。七~八か月ほどの猛練習を続けられたようです。だからこそ心を洗われるような、感動的な合唱になったのだと思います。 

皆さんが心が浄化された方々なのです。合唱の技術もさることながら、そのハートの純粋さが伝わるからこそ、聴く者が感銘を受けるのです。 

この盛和塾という集団も同じです。盛和塾に集まった皆さんは、生まれも育ちも全く違う人たちです。経営する業種も千差万別です。皆さんともにたいへん忙しい毎日を送っておられます。そういう人達がひととき集まるだけで、どうしてかくも純粋な心に共鳴し合うのでしょうか。 

  1. 純化と感化の連鎖が心を昇華させる

盛和塾では、“心を高める、経営を伸ばす”と学んできました。“人生と経営にとって心を高めることがどのくらい大切か、心が高まるにつれて、必ず人生や経営も良くなってくる。だからそのためにフィロソフィーを学び、実践することが必要なのだ”と塾長は繰り返し繰り返し、塾生に語ってきました。 

少しぐらい勉強して頭だけで理解するのではなく、実践を通じて血肉化して自分の判断基準にしていかなければなりません。 

盛和塾という集団に身を置き、その磁場に接するだけで、すぐに人々の心が純化され、浄化されていくというさまを目の当たりにして、改めて盛和塾という集団のすばらしさを私達は体験しました。 

“類は友を呼ぶ”“朱に交われば赤くなる”、盛和塾に集まられた方々はもともと純粋なものに惹(ひ)かれていた方々です。ですから入塾すると無意識のうちに感化され、さらにその心が清らかな美しいものへと浄化されていくのです。 

七千名にも及ぶ塾生が、それぞれ心を浄化し、素晴しい人間性をつくっていこうと懸命に努めています。そのような人たちが集う盛和塾という集団が醸(かも)し出すものが人々を感化し、その心を浄化し続けてきているのです。 

単に小さな企業を興し、存続させて自己満足するのではなく、もっと立派な企業に成長させて、もっと多くの従業員を幸福にして、社会の発展にさらなる貢献をしていく努力が大切です。

盛和塾 読後感想文 第110号

独立採算制の導入とアメーバの組織

アメーバ経営は京セラの経営理念とそのフィロソフィーの実践を抜きにしては決して正常に機能することはありません。アメーバ経営は各事業単位の付加価値計算を算出して、市場の動きを全社に反映させ、経営リーダーを育て、全員で会社経営に参画していこうとするものです。 

京セラの経営理念、“全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に人類・社会の進歩発展に貢献すること”は京セラトップのものだけではなく、そこに働く従業員みんなのものなのです。 

会社の経理が秘密のベールの中に隠されているようであれば、いくらアメーバ経営を採用しても誰も一生懸命に働くことはありません。京セラでは、経営内容をすべてオープンにした透明性の高い経営が行われています。 

また経営理念と一体となっている京セラフィロソフィーでは“人間として常に正しいことを追求する”こと、“思いやりの心を持つ”ことなどが繰り返し述べられています。 

アメーバ経営では、各アメーバ(各事業部)が徹底した独立採算で経営を行い、必死になって採算を追求します。しかしそれが極端に追求する余り、“自分達のアメーバさえよければよい”というような利己的な意識が芽生えると、たちまちアメーバ間の利害が対立し、アメーバ同士の足の引っ張り合いが始まり、会社がバラバラになってしまいます。ですから、社員全員が京セラフィロソフィーを絶えず学び、日頃からよく理解していなければならないのです。 

このようにアメーバ経営とは、京セラフィロソフィーを理解したすばらしい人間性を備えたリーダーやメンバーによって運営され、正々堂々と競い合うことによって、また不正や不明朗なことが行われることのない公明正大な“ガラス張り経営”がなされていることによってはじめて、本来の機能を発揮できるのです、と稲盛塾長は語っています。 

アメーバ経営が持続的な企業成長をもたらす

稲盛和夫(北京)管理顧問有限公司が共催する“2011年 稲盛和夫経営哲学広州報告会”での講演でした。会場を埋める中国の経営者の皆さんがひと言も聞き漏らすまいと、真剣に耳を傾ける姿を拝見して、感動した稲盛塾長でした。 

稲盛塾長は半世紀にわたる経営を通じて体得した、自らの経営の考え方と方法を系統的に述べられています。説得力のある、実践的な経営の考え方や方法を、経営者が分かるように講演しています。分かりやすく説明することができるのは、自らが苦労して実行して来た故に可能なのです。アメーバ経営を実際に実行して来られたことをベースにして、アメーバ経営の解説がなされています。 

アメーバ経営とは経営者が経営を行うための管理会計システム

京セラが成長発展していくなかで、少しでも無駄のない経営を図るために、組織を細分化し、その組織ごとに月々の売上と経費の明細が迅速にかつ明確に分かるようなシステムが構築されました。“アメーバ経営”とはこうした管理会計システムなのです。 

管理会計とは、経営情報を株主や債権者に開示するための財務会計や、納税のために行う税務会計とは異なり、経営者が経営実態を把握し、その意思決定や業務管理に活用するための会計手法です。“アメーバ経営”は経営の実践の中から生み出された、経営者が経営を行うための管理会計システムです。 

経営者の強い思い、あふれるような情熱、誰にも負けない努力、と絶えざる創意工夫があれば企業は成長・発展していきます。 

企業が成長・発展してその繁栄を長く持続していくには、確固たる管理会計システムを確立し、それぞれの部門ごとに経営実態をリアルタイムで把握し、必要な手を迅速に打つことが絶対に必要になってきます。 

アメーバ経営の三つの目的 

  1. マーケット(市場)に直結した部門別採算制度の確立

アメーバ経営の目的とは次の三つです。

  • マーケット(市場)に直結した部門別採算制度の確立
  • 経営者意識を持つ人材の育成
  • 経営者哲学をベースとした全員参加経営の実現 

マーケット(市場)に直結した部門別採算制度の確立という目的を考え出した経緯があります。 

稲盛塾長は京セラ創業時には経理については全く知識も、経理の経験もなかったのです。会社創業に携わった、松風工業では上司にあたる方に、経理の仕事を見ていただきました。その方は精緻(せいち)な原価計算を行い、数ヶ月くらい経ってから“あの時の原価はこうなっている”と報告をしてくれていました。 

稲盛塾長は開発、製造、営業と日々走り回っていますから、そんな過去の数字を見ている暇はありません。“私は申し訳ないですが、そういう過去の原価計算は現在の経営には役に立ちません。” 

“私は経営者として、今日これだけの利益を出そうと思って毎日手を打っているのであって、三か月前の原価がこうだから利益が出たと三か月後に言われても、もはや手を打ちようがありません。ましてや、常に値段が変わる、品種が変わるという状況では、三か月前の製品の原価を聞いたところで、まったく無駄なのです。” 

エレクトロニックスの関連部品の市場価格は、劇的に値段が下がるのです。先月いただいた注文の製品が、今月注文を受ける時には“一割値下げをしてほしい”とお客様から要請を受けるような状況なのです。そういう刻々と変化する売値に対して対応していかなければならないのに、三か月前の原価を理解したとしても何の意味もないのです。大幅なディスカウントが横行する昨今のビジネス環境も、同様だと思います。 

工業製品はいくつかの製造工程を経て製品が出来上がります。その何段階にもわたる製造工程を経過する間に、原材料費、人件費、減価償却費、光熱費、雑費等の製造間接費が加わり、製品の原価はそれらの工程でかかった費用の合計となります。 

一方、製品を販売するときの値段は、そんな積み上げ原価とは全く関係なく、市場原理で決まっていきます。つまり、お客様が買って頂く値段で販売せざるをえず、それで利益を出そうとするなら市場価格より安い原価で製品を作るしかないわけです。また市場価格も日々変動します。もし製品の値段が刻々と下がっている中で先手を打つことができず、また打つ手を誤れば、経営者が目標とする利益を出すどころか、すぐに赤字になってしまいます。 

後追いで計算した原価などには全く意味がなく、それは経営者にとって数ヶ月前にどう経営の舵(かじ)を切ったのか、その結果を示す記録でしかありません。経営者が必要なのは、今企業がどのような経営状態にあり、どういう手を打てばいいのかを教えてくれる“生きた数字”でなければならないのです。 

原理原則に基づいた部門別採算制度

京セラはその後、経験豊かな経理の専門家に経理業務を見てもらうようになりました。その経理担当者に“今月の決算はどうなっているのか”と尋ねました。稲盛塾長は経理担当者の説明を理解できず、質問を繰り返した挙句、“分かった。手っ取り早く言えば、経営というのは売上を最大に、経費を最小にすればいいんだな。そうすれば、利益は自ずから増えるわけだな。”その時、“売上最大・経費最小”ということが経営の原則であることに気づいたのでした。それ以降、この経営の原則に従い、ただひたすらに売上を最大にする努力をする一方、全ての経費を徹底的に減らすように努めてきました。 

経営のトップとして会社の売上、また経費を把握し、“売上最大・経費最小”という原則に則(のっと)り経営をすることができますが、社員の大半を占める製造部門では、工程ごとの売上が分からず、経費を削減していくことに努めることができても、売上を増やすことには関心を持つことは難しいと同時に、関心も持ちようがないのです。 

“売上最大・経費最小”という経営の原則からすれば、各製造工程においても経費を最小にすると同時に売上を最大にする努力、または売上に協力してもらう必要があるのです。その為には各製造工程のリーダーがその工場の売上がいくらであり、それがどのように発生するのかを実感できるようにしなければなりません。 

そこで工程全体を小さな事業単位に分割し、その工程ごとに決算を明確にしていけるような管理体制を考えました。例えばセラミックスの製造部門であれば、原料工程、成形工程、焼成工程、加工工程と四つの事業単位に分割し、その事業単位間で社内売買をすることにしました。 

原料部門は原料を仕入れ、成形部門に原料を売ります。各工程の仕上品を次の工程に社内売買する形にすれば、各事業単位に売上が生じ、それぞれの組織をまるでひとつの中小企業のように独立した採算単位とすることが可能となります。こうすれば“売上最大・経費最小”という経営原則をどのような事業単位でも実践することができるようになります。このように経営原則をシステムにまで落とし込んでいく作業が大切です。

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この事業単位は固定的なものではなく、事業展開に従って分割したり、増殖したりするようにすればいいと考え、京セラではその事業単位を“アメーバ”と名付けています。 

“売上最大・経費最小”という原則に則り、アメーバごとの採算を誰てもわかるような形にしたものが“時間当り採算表”です。時間当り採算表では、売上と経費だけではなく、“時間当り”という労働時間一時間当りの労働付加価値を計算することで、そのアメーバの生産性が明確に分かるようにしています。 

時間当り採算表では予定と実績が対比され、各アメーバが売上、経費の予定計画に対して現在どういう遂行状況にあるのかをそのアメーバのリーダーはリアルタイムに把握することができ、すぐさま必要な手を打てるようにしています。 

多くの製造業では経理部が事後処理として会計処理を行い、原価などのデータが後追いで出て来ます。しかし市場価格は常に変化しているため、過去の原価をベースにしていたのでは経営の実態と乖離(かいり)し、適切な手を打つことができません。その為、複雑で大きな全体の事業を必要に応じてアメーバという小さな組織に分割し、そのアメーバごとに売上や経費などの経営実績がリアルタイムに把握できるような経営管理システムが必要になるのです。 

アメーバ経営とは、マーケットのダイナミズムを社内のアメーバに直接に伝え、そのマーケットの変化に会社全体がリアルタイムに対応することができる、市場に直結した経営管理システムです。 

会社経営の原則“売上最大・経費最小”を徹底して実践するために、組織を小さな事業単位に分け、市場の動きに即座に対応できるように、部門別の採算管理を行う、これがアメーバ経営を行う第一の目的なのです。 

  1. 経営者意識を持つ人材の育成-共同経営者としての仲間がほしい

稲盛塾長は京セラ創業時、開発、製造、営業、管理など全ての部門を直接見ていました。製造に問題があれば、すぐに現場に走っていかなければなりませんし、注文を取るために客先まわりもしなければなりません。同時に客先からのクレームにも陣頭指揮をとって対応しなければなりません。同時に1人何役もこなさなければならないほど、多忙を極めていました。 

できるなら自分の分身をつくり、“営業はお前がやれ”“製造は問題が起きているからお前がやれ”と命令できれば、どれほど助かるかと思いました。また同時に、自分と同じように経営に責任を持ち、経営者としての自覚を持った人が欲しいと強く感じていたそうです。それも1人でも多く、そのような人材を育てたいと考えておられました。 

経営者は孤独です。トップとして自分ひとりで最終的な決断をしなければなりません。稲盛塾長の場合、会社経営の経験もなければ、経営の知識もなかったわけですから、なおさら自分と苦楽を共にし、一緒に経営の責任を担ってくれる、いわゆる仲間としての共同経営者を心から欲していました。 

会社が大きくなるに従い、会社全体をトップ1人で見て行くことが難しくなってきた場合、営業と製造を分離して“営業だけでも責任をもって見てくれ。製造は自分が面倒を見る”と分担するのが一般的です。 

事業が更に成長・発展して来ますと、営業部門は東部、西部と地域を分けることになります。更に業績が拡大しますと、東部地域、西部地域の中をA地区、B地区、C地区と組織を細かく分けて管理していきます。 

また製造部門でも、製造の責任者1人で工程全体を管理していくことが不可能になれば、製造を小さな単位に分けて、その小さな事業単位のリーダーにそれぞれの経営責任をもってもらい、きめ細かく採算を見ていくようにしていかなければなりません。 

このような小さな組織単位にすれば、それぞれの組織ごとの管理は、易しくなります。企業を小さな事業単位に分割することで、特別に高い能力を持っていない人でも経営ができるようになります。 

会社の組織を小さな事業単位に分け、あたかも独立した中小企業のような形にすることで、リーダーが中小企業の経営者のような意識を持つようになり、その結果、経営責任をともに担ってくれる仲間、いわゆる共同経営者が育っていくことになります。 

  1. 経営哲学をベースとした全員参加経営の実現-経営理念と情報の共有化が従業員の経営者意識を高める 

京セラ創業時は、日本では労使対立が激しくなっていました。労使間の対立が生じるのは、労働者が自分達だけの権利を主張し、経営者の苦しみ、悩みを理解しようとしないのです。また経営者も労働者の苦しみを理解し、その権利を守ってあげようとしないからです。 

つまるところ、労使双方が自分のエゴをむき出しにし、自分の利益の追求だけに執着し、相手のことを思いやる気持ちがないということが最も大きな要因だと稲盛塾長は考えました。 

労使の対立を解消するためには、経営者が労働者の立場をよく理解し、その権利を尊重すると同時に、労働者の意識を経営者と同じレベルにまで高めていかなければならないはずです。そのようにして経営者と労働者が同じ考え方、意識を共有することができるならば、労使間の対立は消えてなくなるに違いありません。 

その為にはどうすればよいのか。稲盛塾長は“大家族主義”という考え方を思いつきました。もし社員全員が経営者という会社であれば、そんな会社がいちばん強いはずです。 

会社がまるでひとつの大きな家族であるような経営ができれば、労使の対立は氷解するし、経営は必ずうまくいくのではないか。全従業員が家族の如く、お互いに助け合って、対立のない経営を行っていくという“大家族主義”を京セラの経営哲学の骨格に据えました。 

そのためにアメーバリーダーに小さな事業単位を任せることで、経営者意識を持った人をひとりでも多く育てていくことが必要なのです。 

京セラでは労使の対立を越えて、経営者と従業員が一致団結するために、全ての従業員が納得し共感してくれる事業の目的、経営理念の共有に努めたのです。 

京セラの経営理念は“全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に人類・社会の進歩発展に貢献すること”です。京セラは全ての従業員の物質的、また精神的な幸福を追求することを第一義としてその上で“世のため人のために”貢献を果たすということを会社の大義名分としました。 

大義名分を共有することで、経営者のエゴ、労働者のエゴという対立構図を超えて“全員参加の経営”を行う、これがアメーバ経営を行う第三の目的です。

盛和塾 読後感想文 第109号

原理原則を基準とする

常に原理原則を基準として判断し、行動しなければなりません。とにかく陥りやすい常識や慣例などを例に引いた判断行動があってはならないのです。常識や経験だけでは新しいことに遭遇した場合、どうしても解決がつかず、そのたびにうろたえることになるからです。 

かねてから原理原則に基づいた判断をしていれば、どんな局面でも迷うことはありません。 

原理原則とは、人間社会の道徳、倫理と言われるものを基準として判断し、人として正しい判断をする、実行していくということです。人として正しいことを正しいままに実行していこうというものです。どの世界でも通用する、時を超え、時代を超え、人類を超え、国を超え、人々が受け入れるものです。

原理原則を判断基準としている人は、未知の世界でもうろたえず、正しい判断が可能なのです。 

新しい分野を切り開き、発展していくのは、豊富な経験を持っているからではありません。常識を備えているからでもありません。人間として、事の本質を見極め、原理原則に基づいた判断をしているからです。 

正しい判断をする

京セラ、KDDI、JALの経営では、様々な難しい経営判断を迫られる中で、“正しい判断をする”ということが非常に大切と考えています、と稲盛塾長は語っています。“正しい判断”はつづけていくことが必要なのです。正しい判断をすることは困難なのですが、と同時にその正しい判断を経営を行っている間中ずっと続けていく必要があるのです。今までは正しい判断をしてきたが、ある時に間違った判断をしてしまえば、会社を駄目にしてしまいます。正しい判断をするということは、ずっとそれを継続して、常に正しい判断が出来るようにするということであり、最も大切なことです。 

心の中に規範を持つ

経営者自身が“心の中に規範を持つ”ということが大切です。立派な会社を経営するためには、自分の都合や利益だけを考え、勝手気ままに行動してもよいというのではありません。集団を一つにまとめて機能させる為には、自分自身の中に自らの行動を律する厳しいモラル、つまり心の中に規範を持つことが必要です。 

その規範とは、公正、公平、正義、努力、勇気、博愛、謙虚、誠実などの言葉で表現されるもの、あるいは両親や学生の先生から教わった道徳などがこの規範にあたります。これらの規範を持ち、それに従い判断し、行動する勇気が大切です。私達が身につけるべき、その心の中に持つべき規範が“フィロソフィー”なのです。 

公正、公平、正義、努力という短い言葉だけですと、具体性に欠け、実践しにくいのですが、京セラフィロソフィーでは各項目を実践的に事例付きで説明しています。 

心の中に規範がない者は本能で判断する

心に規範となるべき“フィロソフィー”を持っていない場合にはどうなるのでしょうか。盛和塾ではフィロソフィーを学び“人間として正しい考え方”を理解しています。また“フィロソフィーを知識として知っているだけでは意味がない。それを血肉化して自分のものにしていかなければならない”と常に実践に努めています。“フィロソフィー”とは、まさにそのような姿勢で身につけていかなくてはならないのです。また、実践していかなければならないものです。 

しかし、もしそのような姿勢もなく心の中に基準、また規範となるべき確固たる考え方を持っていなかったならば、人は本能に突き動かされて物事を判断し、行動していくことになります。 

本能とは煩悩です。欲望、怒り、愚痴と呼ばれる三毒です。フィロソフィーを持っていない場合は反射的に自分の本能、または煩悩が頭をもたげ、“それは自分に不利だからやりたくない、それは自分にとって面白くないからいやだ”となってしまいます。何かあれば、むかっ腹を立てたり、不平不満が口をついて出てきます。 

それは理性的に見える人、あるいは社会的地位もあり、教養のあるような人でも同様です。大企業の社長でも煩悩を言葉に出してしまうのです。 

心の中に、基準となるべき考え方、哲学、つまりフィロソフィーがなく、本能、煩悩で判断をしていますから、反射的にそのような反応をしてしまうのです。規範、基準になるべきものがないために、煩悩の中の欲、怒り、愚痴、不平不満に突き動かされた言動をとるようになり、それをもとに判断をすることになるのです。 

心の中に規範となるべきフィロソフィーを持っていない経営者は、やがて経営もうまくいかなくなってしまうものです。極端な場合は粉飾決算といった不正にまで簡単に手を染めてしまうのです。 

不正を犯した経営者や経営幹部たちが、特別に悪いことばかりをする人たちであったわけではないのです。心の中に規範としてのフィロソフィーを知識としては持っていたのでしょうが、本当に自分のものとしていなかったからなのです。フィロソフィーを血肉化して自分の行動を批判し、規制するような段階にまで達成していなかったために、不祥事を起こしたのです。

 企業経営において正しい判断をするためには、やはり心の中に確固たる規範を持ち、それを実践するよう日々努めていかなければなりません。

フィロソフィーとは“人間として何が正しいのか”ということですが、こうしたフィロソフィーから下された判断は、物事の本質を真正面から射抜くものであり、まさに世の原理原則に通ずるものであり、“正しい判断”を導くものです。

経営者はたとえ本能や煩悩に惑(まど)わされなくても、とかく世間の常識や世の中の慣例を引いて判断したり、行動したりしますが、新しいことに挑戦していかなければならない経営者は、この物事の本質を据え、正しく判断する習慣を身につけていかなければなりません。

とくに新しいテーマに挑戦した時に、過去の応用だけでは解決できない問題に遭遇することがよくあるからです。そんな新しい事柄に遭遇するたびに、往々にしてうろたえるようなことになるものですが、かねてから物事の本質を捉えた判断をしていれば、決して迷うことはないと思われます。

原理原則に基づく判断を習い性とした人は、どんな前人未踏の新しい局面に遭遇しても、また未知の世界に飛び込んでも、正しい判断を行い、見事に成功を収めることができるはずです。

すさまじい集中力を持つ

正しい判断をするためには“すさまじい集中力を持つ”ことが大切です。仕事をするときには、次から次へと問題を迅速に判断し、解決していかなければなりません。問題に遭遇したときに、一瞬で問題の核心を捉え、判断できなければ、問題は先送りにされ、仕事が進まなくなってしまいます。

問題に対しては、意識を研ぎ澄ませ、凄まじい集中力で、全神経を集中させる必要があります。それは日常、集中して考えることが習慣化されていなければ決してできないことなのです。日頃からどんな些細なことに対しても、有意注意を心がけ、すさまじい集中力を注いで、真剣にものを考える習慣を身につけることが大切ですと稲盛塾長は語っています。

例えば、実験途中のプロセスにおいても、実験後にデータの整理をするにしても、すさまじい集中力がなければ、どこか大切なデータを見落としてしまう、また観察がいいかげんなものとなり、本当に信頼できるよいデータが出て来ないことになり、結局データ全体が使えないものとなってしまうのです。 

アモルファスシリコンドラムの開発

京セラミタの複写機、プリンターが高性能なのは、そのアモルファスシリコンの薄膜を付着させた長寿命の感光ドラムがあるからです。 

アモルファスシリコン太陽電池の開発をしているうちに、アモルファスシリコンが感光体としてもすばらしい性質を持っていることがわかりました。 

すぐに完成すると思っていたのですが、アモルファスシリコンがなかなかうまくドラムに付着しないのです。そして何十回も何百回も実験をやっているうちにようやく、“やっと一本よいものができました”という報告が上がってきました。“よかったではないか、これから生産体制に入れる”と言ったところ、“しかしなぜできたか、よくわかりません”と言うのです。 

しかし、一本でもできたのであれば、それを再現すればいいと思ったのでした。“その時に君はどうしていたのか。とにかく一本でもできたのなら、その通りにすればいいはずだ。よい性能が出た時の状態を寸分違(たが)わず、徹底的に再現してみなさい”と伝えたのでした。“再現できないのは、君がどのくらいいい加減な実験をしているかということだ。集中もせず、ボーッとして実験をしているからできないのだ。” 

“技術者として、千回やって一回でもできたのなら、それでもうできた”と言うのであれば、それを再現することができなくてはならない。そうでないならば、技術者として“できた”とは言えない。言うべきではないのです。 

その後、再現できましたという報告が上がってこないのです。そこで稲盛塾長は鹿児島出張した機(おり)、実験室のある工場を訪ねました。すると放電をしている装置の前で、担当者が居眠りをしているのでした。 

“どういうふうにグロー放電して、どういう風にミランガスが分解し、どのようにドラムに付着(デポジット)していくのか、目を大きく開き、起こる現象を全て見ておけ”と言ってありますから、たしかに装置の前に坐ってはいます。しかし夜中のことでもあり、居眠りをしていたのです。もしかすると装置から製品を取り出して“今日も駄目でした”と報告していたのかもしれません。 

翌朝、研究陣を集めてエネルギーを注入しようと一生懸命に話しても、彼等の心のレベルが上がってこないのです。“彼等ではもう限界だ”と思い、装置をすべて滋賀県の工場へ送り、メンバーを構成し直して再度実験を始めました。すると10年もかかってできなかったことが、半年もたたないうちに開発に成功し、今日のアモルファスシリコンドラムができたのです。 

アモルファスシリコンドラムの開発の例のように“すさまじい集中力”が必要なのです。実験というのは観察力が鍵となります。実験を通じてものをよく見て、そこからものの本質、心理を見抜いていくのです。確信を抽出できるような凄まじい集中力で仕事を進めているから自身が生まれ、自信があるからこそ物事の解決ができるのです。 

ど真剣に一生懸命集中して仕事に当っている人は、自分に自信がありますから、一つ成功すれば“あっこれでもう全部できる”と思うのです。たまたまできたのですが、ど真剣にすさまじく集中して見ているものですから、そのプロセスを再現することができ、成功させることができるわけです。 

有意注意を習慣にして判断力を磨く

すさまじい集中力が不可欠なのですが、その集中力を身につけるには、かねてから集中して物事に打ち込んでいる必要があるのです。 

“有意注意”が必要です。意識を持って神経を集中させていかなければなりません。意識もせず、ただ音がした方向に注意を向けるといった無意注意ではなく、意識的にある物事に神経を注いでいくような有意注意の日々でなければならないのです。有意注意が習慣になっていなければならないのです。 

経営幹部になったからといって、急によい判断ができるのではありません。今日までどういう生き方をしてきたのか、毎日をどれくらい真剣にやってきたのかということが問われているのです。時には、すべてのものを横に置き、会社を左右するような問題一点に考えを集中することが必要なときがあります。 

マクロとミクロを両立させる

正しい判断をするためには“マクロとミクロを両立させる”ことが大切です。 

とくに中小企業の経営者は会社全体のマクロな仕事と同時に部下のやっているミクロの仕事を十分に把握していなければ、完璧な仕事はできません。 

経営戦略を立案し、様々な経営環境の変化に対応できる体制を作り上げる一方、部下が休んだ時、自ら代わって仕事ができる、足繫く現場へ出て職場の雰囲気、現場の細かなことまで知っておくことが必要です。 

リーダーには戦略立案と現場指揮の二つの能力が求められる

物事を解決していくには、自分の会社の全体像が見えず、重箱の隅をつつくような細かいことで社員に注意し、叱るということばかりしているようではだめです。 

また逆にマクロの事だけを考えていて、重箱の隅にたくさんゴミがたまっている、つまりミクロのことが分かっていないというのも困ります。 

マクロとミクロの両方を掛け持ちながら、両方を見ていくような、すさまじい努力をしなければ、経営者として自分の会社を守っていくことはできません。 

長期計画を作ってただ“この計画を達成せよ”というのではなく、この経営計画を達成していくには、どの職場のどこが問題でどこにエネルギーを注入しなければならないかとミクロの点まで精通していなければ、とても経営計画を達成できるはずがありません。 

誤った時には原点に返る

正しい判断をするための最後の要諦は“迷った時には原点に返る”ということですと稲盛塾長は語っています。“人間として正しいことを貫く”という原理原則に基づいた確固たる判断基準を持っていたとしても、時と場合によっては明確な判断をすることが困難な場合がある、また誤った判断を下してしまうことがあります。 

その時には自分では正しい判断をしたと考えているのですが、結果として誤った判断をしたことにより、当初の目標から大きく逸脱してしまうことがあります。 

登山に例えれば、霧で道が分からなくなった時に、分岐点ごとに確信が持てないままに間違った判断を下してしまっては、頂上に到達できず、遭難してしまう恐れがあります。“迷ったら元の分岐点に戻る”が登山の原則だそうです。不安に思ったら勇気を持って原点に返り、正しく判断し直すことが大切です。 

物事を判断する時、すさまじい集中力で自分を鍛えぬいていれば、すばらしい判断力を発揮できると思います。しかし物事によっては白黒がはっきりしないこともあります。そして判断に迷うケースがあります。しかしそれでも判断をしなければならないのです。

 “こっちだと決めてやってみた。ところがどうもおかしい。やはりそっちだ”ということにもなります。正しいと思って判断したけれども、進んでいるうちに“どうもおかしい”と思えば、最初に判断した地点に帰って“あの時は右と判断したけれども、よく考えてみたら左が正しい。だから左へ進んでみよう”と判断をし直す。仕事を正しく進めるためにはそのように原点に返ってもう一度考え直すことが非常に大切です。 

人生において“迷った時に原点に返る”ということの意味は“人間として正しいことを貫く”という原点に返って考え直しなさいということです。“これは良い”“これはやめなさい”と判断を重ねていきますが、最初の判断の時点に戻り、考え直すということです。