盛和塾 読後感想文 第137号

利他行としての経営 

経営者の生き様を見せる場に

第一回全国大会での稲盛塾長の講話をまとめたものです。利他の心が人生や会社(社風)にどうして良い影響を与えるのかということを説いておられます。“利他の心とは、それを持つことにより周囲の尊敬を得て会社を発展に導く、国や業種を問わない普遍的な真理である”と述べられています。“経営とは利他行である“=盛和塾の原点です。 

今回の大会には、奥さん同伴の方もいますが、来年もぜひ奥さんと一緒に来ていただきたいと稲盛塾長は述べておられました。奥さんを教育するのが一番難しいのです。奥さんを盛和塾大会にお連れして、男の生き様というものを見ていただき、理解を深めていただく、良い機会なのです。 

日本の経営が大切にしてきた利他の心

トップマネジメントに必要なのは強烈なリーダーシップと優れた人間性と言われています。その人間性の中身を決めるのは、心の中にある“利己”と“利他”です。 

我々は日常、“利己”をベースにして生きています。損得勘定で生きています。多くの人が、その対極にある“利他”という心に気づきません。心がエゴで満たされて、欲望のままに生きているために、何らかの努力をしない限りは、利他の心の存在すら意識できないのです。 

利己、つまりエゴは、肉体を維持するために神様から与えられたものです。“自分だけが良ければいい”というエゴは、我々が肉体を維持するために必要なのです。しかし“自分だけが良ければいい”というエゴが過剰になり、相手の人、周囲の人の犠牲を伴うようになりますと、必ず他人と摩擦を起こしてしまいます。 

利他を見つけるには心の奥底にある本当の自分というものを追求しなければなりません。利他の心は、世のため、人のために尽くす心です。周囲から感謝され、我々を生き生きとさせてくれるものです。本当の自分とは何か。仏教の世界では、どのような人にも“仏の心”仏性が備わっていると言われています。天然自然あらゆるものに仏が宿ると言われています。 

仏の心、利他の心は、利己を抑えることによって、我々の心に湧き出てきます。この利他が企業経営に最も大事です。企業経営は、自分の企業が儲からなくてはいけませんから、利己的な人でなければできないように見えます。ですが本当は、利他が必要なのです。自分の企業が儲かるためには、仕入れ先も、得意先も、従業員も、皆が、自分の企業の製品、サービスによって助けられ、彼等も生き延びていくことが必要です。彼らからの協力がなければ、自分の企業も生き延び続けることができないのです。 

哲学者梅原猛先生は“儲けたいと言う人で企業人は頑張っている、と思われがちです。しかし日本の企業人は社員の雇用など会社全体のことを考え“利他行”をしています。” 

と言っています。日本の企業経営者は社員の為を思い経営しています。例えば業績を伸ばし、利益を上げようとするとき、その目的は経営者である自分の金儲けよりも、社員の幸福のためであると企業経営者は言います。不況の時でも、各社社内に潜在的な失業者がいるにもかかわらず、首を切ることもせず、雇用を守っています。これが経営において利他行していることなのです。 

経営においては“ヒト・モノ・カネが大事だ”と言われます。不景気になれば、レイオフ、逆に好況で忙しくなれば人を採用すると、人をモノのように扱うことがあります。 

日本では社員をモノのように扱う事は少ないと思います。これも“他人のために良かれかし”という利他的な考え方が、いくらか含まれています。 

たとえ一人でも二人でも、社員を養うのは大変立派なことであり、立派な利他行です。企業経営者は我利我利亡者だと思っている人がいますが、経営者は口舌の徒である学者よりはるかに尊いことをしているのです。企業経営者は社員を養っており、その社員には必ず家族がいます。そのように多くの人たちを養うのは、大変立派なことです。 

社員の考え方次第で社風が大きく変わる

人生・仕事の結果=考え方x熱意x能力ということを述べてこられました。利他の心は+100まで、利己の心は−100まであります。考え方が人生を決めていくものなのです。 

一個人の場合は考え方が人生を決めるわけです。会社の場合は、社員の考え方が社風を、会社の成長発展を決めます。良い考え方をする社員がいる場合には、素晴らしい社風になっていき、逆に悪い考え方をする社員がいる場合は、すさんだ社風になっています。 

経営者は、待遇や福利厚生施設が充実しているかといった条件で、社風が決まると考えがちです。そういう物理的条件によって確かに社員の気持ちや生活の安定は左右されるでしょうから、それで社風が決まるようにも考えられます。しかし大半は、社員の“心の持ち方”によって決まるのです。もちろん社員の待遇が極端に悪く、生活ができないような状況では“心の持ち方”に大きな悪い影響及ぼします。 

しかし給料が高くないにもかかわらず、素晴らしい社風を誇る企業もあります。給料以外にも決して条件が良くないのに、素晴らしい社風を保っている企業もあります。常識外れに条件が悪いのでは、そういう社風は作れません。高給を出しているから立派な社風ができるというわけではありません。 

つまり社風は、社員の考え方で決まるのです。社員が持っている思い、考え方によって企業の状態が決まります。“なんと素晴らしい社風なのだろう”と感銘を受ける企業があり、また一方では“なんとも凄まじい荒れた社風”と驚嘆させられる企業があると言うように、大きな違いが出てきます。 

禅宗が教える考え方の大切さ

禅宗では地獄と極楽は物理的に全く違いがなく、中に住む人の心、考え方が違うだけだと説いています。 

禅宗では、食べ物が粗食なので、うどんがご馳走だそうです。囲炉裏に大きな釜を置いてゆがき、つけ汁で食べる釜揚げうどんは、大変なご馳走です。地獄でも極楽でも釜揚げうどんを、1メートル以上もあるような長い箸で食べます。地獄では釜が湯気を立て、うどんが茹で上がっています。餓鬼道に落ちた地獄の住人たちは、その箸で、我先にとうどんを食べようとします。うどんを挟んでも口までもっていくことができません。お腹が空いているので、気持ちは焦ります。しかし口に持っていこうとしても、うどんはつるつると滑り落ち、釜の周囲に飛び散るばかりです。そこでふと向かい側を見ますと、人の箸先にはまだうどんがある。その人も食べようとしてもがいているのです。それを横取りしようと住人同士で取り合いになっています。その結果、結局誰もうどんを食べられなくなってしまいます。これが地獄なのです。 

一方極楽でも、釜茹でうどんを茹でています。うどんが茹で上がりますと“ありがたいことです。今からいただきましょう”と言って向かい側にあるつけ汁につけ、向かい側の人の口に入れてあげます。向かい側の人も“美味しゅうございました。先にいただいて申し訳ありません”と言ってやはり長箸で人に食べさせています。こうして皆満足し、互いに感謝しあうことになります。 

極楽の住人たちは、互いに利他行をしており、それが利己に通じています。相手を先に立てることで、自分も潤うことができるのです。 

地獄では互いに競い合う、凄まじい阿鼻叫喚で、誰もうどんを食べられず満たされる事はありません。ところが極楽では、みんなでおいしいうどんを食べることができ、感謝の念に満たされています。物理的には全く同じであっても、中に住む人の心によって、状態が変わるのは、このようなことなのです。 

人の心を大事にすることが経営の始まり

中小零細企業の時、潤沢な資金があるわけではなく、技術力もありません。優秀な人材もいません。中小企業では、望むような人材が来ません。来てくれた人が宝です。経営者自身に見合う人しか来ません。ですから、会社に今いる人、また来てくれた人を大事にするしかないのです。 

決して最初から資金力、技術力、人材が揃っている事はありません。あるのは“人の心”だけです。経営とは、人の心を素晴らしい状態に導くことから始まります。 

すでに百億円、五百億円というように、会社が大変で立派になっている企業もあります。ぜひ素晴らしい心の持ち主が集まるような会社にしていて下さい。立派な心の人たちが集まりさえすれば、必ず会社は伸びていきます。 

資金もなければ技術もなく、人材も決して豊富でもなくとも、素晴らしい心の持ち主が集まる会社にするのが、リーダーの大事な役割です。 

小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり

“利他”は単に人に優しくするということではありません。人に対して思いやりの心がある社風でなければなりません。ですが、厳しさも伴っての“思いやりの心”が大切です。 

子供を大事にするあまり溺愛し、甘やかす事は決して本人のためになりません。それは“小善”でしかありません。子供を立派に育てようと思えば、より大きな本当の意味での愛がなければなりません。“可愛い子には旅をさせよ”という言葉があるように、一見厳しいものに見えるかもしれません。厳しく、非情に見える本当の愛、それが“大善”なのです。 

例えば仕入れ先があったとします。仕入れ価格は一個千円ですが、市場の価格は九百円だったとします。

経営者としては仕入先に一個千円を支払うことができません。その時、仕入業者の方々にも厳しくコスト削減の努力を求めることが必要です。そうすることによって仕入れ業者は一層の努力をする、経営改善に努力をする機会を与えられたことになり、その経験は仕入業者の成長発展のために役立つはずです。可能であれば自社の技術者を仕入業者に派遣し、指導することも考えるべきです。こうした両者の協力は両社にとってもメリットのあることです。これが“大善”であり“利他の心”なのです。 

盛和塾 読後感想文 第136号

盛和塾でいかに学ぶか-フィロソフィーを血肉化する- 

盛和塾で学ぶ目的とは 

  1. 学びを経営に生かせているか

稲盛塾長が盛和塾を始めたのは、徒手空拳で創業した京セラを成長発展させていく中で、京セラの経営の要諦をぜひ教えて欲しいという京都の若手経営者からの声に少しでも応えようとされたことが始まりでした。 

盛和塾生の中には、

“もし盛和塾に入塾していなかったならば私の会社は潰れていたかもしれません。盛和塾で学んで目から鱗が落ちました。学んだ経営の要諦を実践することで、経営がうまくいくようになり、会社を作ることができ、従業員を路頭に迷わせることがありませんでした。”

とフィロソフィーを血肉化してこられた経営者がおられます。 

ところが、中には何のために盛和塾に入ったのかわからない方もいます。せっかく盛和塾に入り、5年も在籍しながら、経営の要諦も何も掴むことができないまま、また盛和塾で学んだことを自分自身の経営に役立たせることができないまま、入塾した意味がないと思って去っていかれた方もいます。 

様々な経営者仲間とお付き合いができるからという漠然とした目的で入っている方もおられます。心が通い合う盛和塾の会合に出るのが楽しいから入ったのだという人もいます。 

  1. 会社の業績が伸びなければ、学ぶ意味がない

盛和塾は唯単に和気あいあいと意気投合した人たちが仲良く集まることが盛和塾の目的であってはなりません。あくまでも盛和塾に入った塾生企業が成長発展し、“盛和塾に入って本当に良かった”と思えるようになるべきなのです。実際に業績を伸ばすという実績が伴わなければ、盛和塾で学ぶ意味がないのです。 

  1. 公明正大で大義名分のある経営

何のために業績を伸ばし、会社を立派にしなければならないのか。それは決して経営者個人の為であってはなりません。“従業員を幸せにしてあげたい” “従業員が生活の不安を抱くことなく、安心して会社に勤められると同時に、仕事に誇りと喜びを感じられるようにしたい。” “さらに利益を上げ、税金を納めることを通じて、社会に貢献していきたい”というような公の目的のためでなければなりません。 

盛和塾では、自分の財産を増やしたい、だから会社を良くしたいということを経営の目的にはしていません。“会社を立派にしたい”という願望を抱いていたとしても、われわれは、自分が儲けたいがために、あるいは自分だけが良ければいいという利己的な目的ではなく、あくまで世のため人のためという利他的な目的のために盛和塾があるのです。 

しかしたとえ全従業員の物心両面の幸福を追求していきたい、人類、社会の進歩発展に貢献していきたいと思っても、業績が伴っておらず、利益を十分に確保することができなければ、とても高邁な経営の目的を達成することは出来ません。 

盛和塾に入塾して業績をぐんぐん伸ばしたという実績がなければ、入塾した意味がないのです。 

フィロソフィーを血肉化する 

  1. 会社を成長させる経営の要諦

業績を伸ばすのに必要な経営の要諦はただ1つ、経営者自身がフィロソフィーを繰り返し学び、血肉化し、実践すると同時に社員と共有するという事以外はありません。社員とともにフィロソフィーを血肉化すれば、経営は画期的に改善し、業績は必ず伸びます。 

企業を経営していくには戦略、戦術の立案、営業や物流の体制、管理会計や経理システム、具体的な経営の手法、手段の整備ということも当然必要なことです。 

しかしフィロソフィーが血肉化していないと、いかにそうした手法、手段を整備したところで、砂上の楼閣となります。経営の要諦とそのフィロソフィーには、そうした手法、手段を正しく運用するための哲学が含まれていますから、フィロソフィーを真に実践しさえすれば、経営にまつわる全てをカバーすることができるのです。 

日本航空の再生が、そのことを示しています。日本航空の再建にあたり、稲盛塾長が導入したのは、1.フィロソフィー、2.アメーバ経営の2つでした。 

初年度には、千八百億円の利益が出ました。その利益の大半は、フィロソフィーによる意識改革によって心が一変した日本航空社員たちが、地道な経費削減に努め、またサービス向上に向けた献身的な努力の賜物です。機長、副操縦士、キャビンアテンダント、整備の技術者、手荷物等を飛行機に積み下ろしするグラウンドハンドリングの人々、彼らが持ち場持ち場で“もっと経費を削減する方法はないか”“どうすれば、お客様により良いサービスが提供できるのか”と自主的に創意工夫を重ねてくれた結果が、素晴らしい業績回復につながったのです。フィロソフィーが社員一人ひとりの意識を変え、企業の体制をガラッと変えたのです。 

  1. 自分の肉体に染み込ませ、経営に生かす

フィロソフィーを血肉化するとは、どういうことなのか。それはフィロソフィーをただ単に知識として知っているのではなく、自分の肉体に染み込ませ、いついかなる場面でもフィロソフィーに沿った行動が取れるということです。 

日々の経営に悩み、必死になってフィロソフィーを学べば、何回同じような話を聞いても、そのたびに新しい気づき、発見があるはずです。そうではなく“ああ、その話は前に聞きした。もうわかっています”という程度の聞き方をしている方は、フィロソフィーを本当の意味でわかっていないし、血肉化もできていません。いくら言葉だけ学んでも、実践できなければ意味はありません。 

鹿児島の戦国時代の武将島津忠良が師弟のために作った“日新公いろは歌”その一節“いにしえの、道を聞いても唱えても、我が行いにせずば甲斐なし”があります。いくら先人の立派な教えを読んでも聞いても、また口に出して唱えても、自分が実行しなければ意味はないということです。 

  1. 素直に認める

実際フィロソフィーを血肉化し、実践しようとしても、なかなかできるものではありません。しかし“人間としてこういう生き方をすべきだ”“経営者としてこういうリーダーになるべきだ”ということを理解し、少しでもそれに近づこうと、生きている人と、そう思わずにただ漫然と生きている人とでは、人生や経営の結果は全く違ってくるのです。体得しているかどうかではなく、折に触れて反省し、体得しようと努力を続けることが大切なのです。 

フィロソフィーを完全実行できる人はいないのです。ですから、経営者としては、社員にも素直に、自分自身もフィロソフィーを完全には実行できていないと認めることが大切です。 

“社員のみなさんに私がフィロソフィーを学べと偉そうに言っていますが、社長である私も実行できているわけでは無いのです。いまだかつてフィロソフィーのすべてを実行できたためしがありません。これから一生涯かけて、実行できるように努力をしていくつもりです” 

“しかし、自分ができていないからといって、フィロソフィーのことを教えなくても良いというものでは無いのです。“こうあるべき”という事だけは言わなければなりません。そうすることで社員のみなさんが成長し、会社をさらに発展に導くだけでなく、社員皆さんの人生にも役立つと思います。” 

フィロソフィーを全て完璧に実行できる人はいません。自分はできていないけれど、何とか自分のものにしようと努力を続ける、その行為そのものが尊いのです。 

  1. 会社経営の実態に合わせて実践する

経営十二ヶ条として、フィロソフィーが凝縮した形で表現されています。この経営の要諦はあらゆる企業の経営に応用できる普遍的な経営哲学です。 

しかしこれらの項目を実践するにあたっては、個々の経営状況、経営のステップに応じて、その活用の方法が異なってくるはずです。ただフィロソフィーの項目を念仏のように唱えているだけでは、経営に生かすことができないのです。 

経営の状況に応じて/経営のステージに応じて、経営十二ヶ条の実践は異なるのです。 

第一のステップ 必死に一生懸命働く 

  1. 誰にも負けない努力をする

余計な事は考えず、ただ“必死に一生懸命働く”ということ。“誰にも負けない努力をする”。

例えば大学卒業後、父親の会社に入って経営者になるケースがあります。会社を継いでみると、父親が一生懸命に経営していたおかげで、しっかりした従業員もおり、売り上げも順調、得意先もあり、利益も出ています。今日から専務です、社長ですと言って経営者になります。訳もわからないまま、一生懸命働くしかありません。 

経営がうまくいっていますと、“商工会議所、青年会議所に入ってください”と周囲からおだてられる。しかし実際には、会社の舵取りをどうするか、経験もないわけです。このような段階では、盛和塾で学んだ“アメーバ経営”を導入することができません。従業員がついてくるはずがありません。 

この段階では、トップが率先垂範、従業員の誰よりも必死で働き、後ろ姿でその経営の姿勢を示さなければならないのです。 

  1. 本田宗一郎の教え

稲盛塾長は、京セラ創業時、本当に夜も寝ない位に必死で仕事をしました。経営者になった恐怖感から逃れようと、夜を日に継いで必死で働きました。 

この時、経営セミナーの案内があり、高額な受講料八万円を払い、本田宗一郎の講演を聞きに有馬温泉に行きました。本田技研工業の創業者です。 

その時に講師として現れた本田宗一郎さんは、作業服を着たままで出てきました。そして第一声、“大体高いお金を払って、温泉に入って、浴衣を着て、あぐらをかいて話を聞こうと言う根性がなっとらん。こんなところで話を聞いて何になる。とっとと帰ってすぐに仕事をしろ。仕事が一番だ。” 

本田宗一郎が言うのには、“とにかく脇目もふらずに必死に頑張るとう事なんだな”と稲盛塾長は帰ってからまたひたむきに懸命に働いたそうです。 

“余計なことは考えるな。必死で働くんだ。誰にも負けない努力をするんだ”と経営のわからない人には教えればよいのです。 

第二のステップ社員を説得し惚れさせる 

  1. 一人ひとりを社長のファンにする

経営者自身が率先垂範必死で働くことを学び、実践できたら、社員を説得し、惚れさせる言葉を学ぶことです。 

社員一人ひとりを説得し、社長のファン、社長の信者に仕立てていかなければ、集団の力を結集した頃はできません。“給料を払うから働け”と言えば、社員は働きます。しかし本当の意味で全力では働いてはくれません。社長に惚れ込み、社長を尊敬してくれるようにならなければ、社員の力が分散し、会社もベクトルを合わせることができません。 

中小企業の場合、従業員十数名、社員一人一人との心の絆でしか頼れるものはありません。10数名が社長と一体となり、気持ちを合わせてくれるかどうかで、会社の命運が決まるのです。社員一人ひとりに“うちの社長は素晴らしい人だ。あの社長のために頑張ろう”とするのが目標です。 

  1. 相手になるほどと思わせる

京セラ創業時には、稲盛塾長27歳、自分よりも一回り上の人や父親ほど年齢の離れた人を説得したり、ときには厳しく叱ったりしなければなりませんでした。 

相手に“なるほど”と思わせることが重要です。その当時は、みんなが感心するような表現をする教養もありませんでした。 

稲盛塾長は経営者として、社員を説得する術を学ばなければなりませんでした。格言や中国古典を引用しながら、その局面局面に合った言葉を選んで、叱ったり、諭したりしていきました。 

  1. 先人の教えを繰り返し学ぶ

説得するために学んだ格言や中国古典だけでは社員を説得できません。人間として尊敬されるよう自分を磨くために、懸命に哲学書や宗教書を読むようになりました。そして自らの心を高めると同時に、哲学書や宗教書から得た先人の言葉を使って、精魂込めて社員に語りかけるようにしました。 

稲盛塾長は枕元に常に10冊ほどの本を置き、毎晩読みました。常に繰り返し繰り返し学び続けなければ、自分の言葉にして語ることはできないのです。 

読みやすい本だからと、サラサラと読んでも決して身に付きません。何回も読み返し、熟読、精読し、感動し、先に進められなくなるほどの読み方をしなければ、書かれている言葉を常日頃から使えるようにはならないのです。 

  1. 最初は受け売りでも精魂込めて語る

会社発展に全面的に協力してほしいと従業員を説得しようとしても、どういう風に説いたら良いかわからないかもしれません。社員に離反されることを恐れて厳しく叱ることができない時もあります。その時“小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり”という言葉を思い出し、自信を持って社員を叱る。 

書籍を読んだり、CDを聴いたり、盛和塾で学んだことを自分のものにしていきます。そしてそれに従って、経営者本人の心の高まり、従業員から褒められるような素晴らしい人格を備えるようになっていくはずです。 

3ステップ フィロソフィーを数字に落とし込む 

  1. 損益計算書を使いこなす

フィロソフィーと損益計算書は別のものと考えている経営者がいます。そうでは無いのです。フィロソフィー、経営十二ヶ条を実践すると、その結果として損益計算書が作成されます。また逆に損益計算の数字を見て、こういう考え方で経営をしていこうと、損益計算書を経営管理に役立てることができます。フィロソフィーを本気で実践しようと思えば、損益計算書に落とし込んで、数字に置き換えなければなりません。 

企業経営は飛行機の操縦と同じです。経営者=パイロット、コックピットの計器盤は損益計算書です。パイロットはコックピットの計器盤を見ながら、今この飛行機はどういう高度で、どのぐらいの速度で、どちらの方向に飛んでいるのか把握しながら、飛行機を操縦します。損益計算書を使いこなせないと、会社の舵取りはできないのです。 

  1. 損益計算書をにらみ、現場へ向かう

例えば売上が十億円であったのが七億円に落ち込んだとします。そうしますと、七億円の売上に見合った経費を減らしていく努力をしなければなりません。損益計算書の細かい勘定科目を1つずつ見ていきながら、減らせるものがないか徹底的に探していくのです。 

売上が七億円に下がったら、七億円に見合った経費を使う経営に転換するのです。 

一方では売上を伸ばすために、営業はどうするのか、今までの製品では売上が伸びないのであれば、新しい製品はどうか、新しい製品の販売ルートはどこか。そして創意工夫をしながら売上を伸ばす努力が必要です。また十五億円にするにはどうしたら良いか考えていきます。 

損益計算書の勘定科目と朝から晩までにらめっこして、現場へ飛び、経費削減の指示を与えては、またその結果を損益計算書でチェックし、さらに現場に行き、売上拡大のための新しい指示を与えていきます。“売上最大、経費最小”の実践であり“日々採算を作る”ということなのです。 

  1. 数字が語るドラマが見えるまで読み込む

1ヵ月間、売上最大、経費最小に努めた結果がどうであったか、月末に締めてすぐに損益計算書が出来上がらなければ、次の対策を打つことができません。2ヶ月も3ヶ月も前の数字を見て、売上増減、経費増減、黒字だった赤字だったということがわかっても、何の意味もありません。月次決算は翌月、1週間以内に入手できるようにすべきです。そうでなければ損益計算書を生かすことができないのです。 

多くの経営者は、現場の実態が反映された数字を真剣に見ていません。経営数字に対して、ちょっと見ただけで、経営数字に対して何の反省もなければ、改善の手も打たれないことになります。

盛和塾 読後感想文 第135号

自利と利他

事業は“自利利他”の両方を満足させるようにしなければなりません。“自利”とは、自分の利益、“利他”とは他人の利益です。自利利他とは自分が利益を得たいと思ってとる行動や行為は、同時に相手側の利益につながっていなければならないということです。 

自利、利他の精神がないと、たとえ短期的には成功することがあっても、長続きはしないのです。必ず軋轢が起こってうまくいかなくなるのです。 

お客様も取引先も自分も喜ぶ事業が必要なのです。しかし現実には、そうはいかないことが多くあります。この前提には、三者が鋭意努力して、工夫してコストを下げるという強い意志が必要だと思います。お互いに仲良しで仲間だからという関係の上では、かえって三者にとってためにはならないと思うのです。 

常に相手にも利益が得られるように考えること、コスト削減する、新しい製品開発をする等、一生懸命努力をする。その上で利他の心、思いやりの心を持って事業を行うことが必要だと思います。 

利己のためではなく、社会のために利潤を追求するという姿勢が必要

利己的な利潤の追求は社会を荒廃させる

敗戦で廃墟と化した日本は、戦後の企業努力で世界有数の工業国に変身しました。しかし、利潤のみを追求するという日本企業の姿勢をエスカレートし、何の努力もせずに自分の資産を膨らませたいと言う貧相な精神がバブル景気を生み出しました。そのような風潮が蔓延する中で、多くのスキャンダルや汚職が起こり、名経営者と呼ばれた人々や政治家が失脚していきました。バブル景気は当然のごとく崩壊し、日本経済は未曾有の不況に襲われ、立ち直りの手立てを見つけることができず、社会全体が荒廃しています。 

それは日本だけではなく、先進国全体の問題なのです。初期資本主義の担い手は敬虔なプロテスタントであり、労働で得た利潤は社会の発展のために役立てるという社会的規範がありました。ところが現在は、利益を社会のために役立てるという考え方が希薄となり、利己的な利潤の追求が中心となった結果、先進資本主義の社会は荒廃しつつあるのです。 

確固とした経営哲学が京セラの今日の発展をもたらした

京セラが創業以来素晴らしい発展を続けているのを見て、多くの経営者が“どうして京セラは成長し続けるのか”と尋ねます。私はいつも“しっかりした経営哲学があり、それを社員と共有しているからです”と答えています。 

京セラには技術があるから、時流に乗ったからだとかと言う人がおられますが、そうでは無いのです。正しい経営哲学を持ち、社員がそれを自分のものにして理解し、全従業員が誰にも負けない努力をし、成功しても謙虚さを失わないでいるからです。 

京セラフィロソフィーの原点

稲盛塾長は27歳で京セラを27名の従業員とともに創業しました。それまで事業経営には何の経験もありませんでした。しかし、すぐに決裁をしなければいけないことが次々と出てきました。経営について何の知識も経験もない稲盛塾長は、経営者としての判断を下さないといけません。もし判断を間違えれば、たちまち会社は傾いてしまうのではないかと心配で、眠れない日々が続いたのでした。 

そこで、何を基準にして経営していけば良いのか、悩んだそうです。自分は経営を知らないのだから、原点に戻って“人間として何が正しいのか”という根本的な判断基準に従おうと思ったそうです。子供の頃に、両親や学校の先生に教わった基本的な倫理観をベースにしたことが、現在の成功をもたらしたと考えられました。 

フィロソフィーを社内で共有する

“われわれは物事に対処するに、誠意、正義、勇気、愛情、謙虚な心を持たなければならない”。“努力には際限がない。限度のない努力は本人が驚くような偉大なことを達成させるものである”というフィロソフィーがあります。 

京セラが成功できたのは、このような経営哲学を明確にし、経営陣、従業員が実践し続けたからだと思われます。経営者に明確な経営哲学はなく、ただ単に利益の増大を目指す合理性や効率性を追求する経営をしていくとすると、何をしてでも儲かれば良いという風潮が生まれてしまいます。結果として少しくらい不正なことをしても儲けようとする社員も出てくるでしょう。 

会社に明確な経営哲学がなく、社員と共有できる判断基準がなければ、企業は一時的に成功したとしても、決して長続きはしません。 

人生方程式

稲盛塾長は、多くの人を雇用する経営者は高い倫理観に裏打ちされた経営哲学を持って自らを戒めると同時に、社員と共有できるようにすべきだと考えました。そのために考えたのが“人生方程式”です。 

人生・仕事の結果=考え方x熱意x能力という方程式を考え、従業員に説明しました。 

能力とは商才や才能のことです。これは先天的なものですから、変えようがありません。0点から100点まであります。

熱意はこうありたいという思いです。自分の心の持ちようで変えることができます。一生懸命努力をすることができるわけです。ですから自分の能力を過信する人よりも、大した能力もないと思って情熱を燃やしながら努力した人の方が、はるかに素晴らしい結果を残すことができます。これは0点から100点まであります。 

考え方には、怒り、嫉妬、恨み、不平不満といった否定的な思いがあります。これは0点からマイナス100点まであります。一方、明るく前向きな思い、相手を思いやる優しい想いを持つ心は、0点からプラス100点まであります。 

つまり、いくら能力に優れ、熱意があっても、少しでもマイナスの考え方があると、その人の人生、仕事の結果はマイナスになってしまうのです。 

経営の原点十二ヶ条を実践する

実際のビジネスの世界では、権謀術策(けんぼうじゅっさく)に長けた者が成功するのであり“経営の原点十二ヶ条”“六つの精進”このような単純な原理原則だけでは、うまくいくはずがないと思われるかもしれません。 

しかし第二電電創業時に“動機善なりや、私心なかりしか”と自らに問い続け、純粋な“世のため人のために尽くそう”という気持ちが会社にあり、社員が共鳴し、誰にも負けない努力をし続けたために、第二電電は成功したのです。 

経営の原点十二ヶ条

  1. 事業の目的、意義を明確にする

 公明正大で大義名分の高い目的を立てる

  1. 具体的な目標を立てる

 立てた目標は常に社員と共有する

  1. 強烈な願望を心に抱く

 目標達成のためには潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を持つこと

  1. 誰にも負けない努力をする

 地道な仕事を一歩一歩、堅実に弛まぬ努力を

  1. 売上を最大限に、経費は最小限に
  2. 値決めは経営

 値決めはトップの仕事、お客も喜び自分も儲かるポイントは一点である

  1. 経営は強い意思で決まる

 経営には岩をも穿つ強い意志が必要

  1. 燃える闘魂

 経営にはいかなる格闘技にも勝る激しい闘争心が必要

  1. 勇気を持って事に当たる

 卑屈な振る舞いがあってはならない

  1. 常に創造的な仕事を行う

 今日より明日、明日より明後日と、
 常に改良改善を絶え間なく続ける。創意工夫を重ねる

  1. 思いやりの心で誠実に
  2. 常に明るく前向きで、夢と希望を抱いて素直な心で経営する 

六つの精進

  1. 誰にも負けない努力をする
  2. 謙虚にして奢らず
  3. 反省ある日々を送る
  4. 生きていることに感謝する
  5. 善行、利他行を積む
  6. 感性的な悩みをしない

 人生とは何かという観点で会社経営に取り組んでいただきたい 

事業を成功に導くひたむきな努力

会社が立派になるという事は、それだけ多くの人を雇用し、税金を納められるという事ですから、社会的に大変意義のあることです。会社を経営する才能を持っているというのは、神様がそのような任を与えたということで、せっかくの才能を無駄にせず、社会のために尽くすことが大切です。 

農民であった二宮尊徳は、なんとしても立派な人物になりたいと思い、仕事をする時にも歩きながら勉強して、陽明学を極めた人です。その尊徳が大事にしていたこと“至誠の感ずるところ天地もこれがために動く。”“至誠の感ずるところ、鬼神もこれを避く”ということでした。一生懸命なひたむきさがあれば、天地も神様も助けてくれるという意味です。 

事業を成功させるために最も大切な事は、たとえどんなに地味な仕事であっても、ひたむきに働くということに尽きます。ひたむきな努力、それも“経営の原点十二ヶ条”にあるように“誰にも負けない努力”をする、さらに動機が“善”であれば事業は成長発展し、成功するはずです。 

ひたむきな努力が作り上げた京都の先端企業

京都企業の利益率の高さは、評判になっています。稲盛塾長は面白いことに気がつきました。京都企業の経営者は、皆その事業分野の素人なのです。もともと、幅広い技術や豊富な商品知識など持っておらず、単品生産からの創業でした。 

そのような京都企業が世界的な企業に成長したのは、1つの製品を必死に育てあげたからなのです。優れた技術やノウハウは決して持っていない。しかし素人であるから古い慣習を知らず、既成概念にとらわれない、自由な発想をすることができたのです。そうした素人の経営者が“動機の善なること”を信じ、ひたむきにがんばり、成功したのです。 

ところが彼らは、単品生産だけではいつか会社が立ち行かなくなるという危機感と、従業員を食べさせていくにはこのくらいの売り上げではどうしようもないという危機感から、技術導入と創意工夫という努力を連綿と続ける中で、中小企業から中堅企業へと成長していきました。 

京セラの場合は、創業時の製品はテレビのブラウン管に用いるセラミック製品の絶縁材料だけでした。その注文がいつなくなってしまうかもしれないという危機感がありました。実際に、2〜3年後には、その製品はなくなりました。競合会社がガラス製のより性能の良い製品を開発したためでした。そのガラスは特殊なガラスでしたが、京セラでも何とか製造することができるようになりました。 

ブラウン管だけでは将来性は知れているので、もっとセラミックスの用途市場を広げたいと懸命に走り回り、真空管の絶縁材料という用途を開発しました。耐摩耗性というセラミックスの特性を生かし、産業機械の部品、紡績機械、自動車部品、人工骨、人工宝石など用途は広範に広がっています。 

このように京セラでは、市場の創造、需要の創造、商品の創造、技術の創造の4つの創造を繰り返しながら今日に至っています。 

人生とは何かという観点から目標設定する

零細企業が危機感と飢餓感から必死に技術開発や商品開発をして事業を拡大する。そして中堅企業に成長します。中堅企業では、会社の事業目的は何するかということが重要になります。事業の目的を、経営者の欲望を満たすことにしたり、金銭的な目標にすると、その企業は中小企業のまま成長が止まります。目標に達すると、危機感や飢餓感が消え、満足してしまう為です。 

大企業を目指したいと思った時点から、利益追求、数字だけを目標とするだけでなく、この自然、社会における使命感、生きがいを目標にすべきです。 

経営者にとって大切な事は、経営の目的を経営数字だけではなく、まさに“人生とは何か”ということにおくのです。経営者として頑張るのは、自分に経営者としての才能があるならば、それを生かして、世のため人のために尽くすことに生きがいを感じるからです。一生懸命に働いて、会社を発展させ、皆が喜んでくれる。そこに楽しみ、生きがいを感じる人生は素晴らしいことです。 

経営者の考え方が変われば、零細企業でも、中京企業、さらには大企業へと発展を続けることができます。

盛和塾 読後感想文 第134号

エネルギーをほとばしらせる 

大事を成すにあたっては“狂であれ”と、すべての情熱を燃やし尽くすことが必要です。 

情熱というのは、克服困難と見えるような障害を乗り越えようとする、果敢にチャレンジするために必要なエネルギーとなるのです。燃えるような熱意、強烈な意志力、強い決意や執念などが、バリアを打ち破るエネルギーの源となるのです。困難を克服するには、このエネルギーが必要であり、“狂である“という事は、凄まじいほどのエネルギーに満ちた状態です。 

困難に打ち克つには、エネルギーを集中させ、人間の潜在能力を引き出さなくてはなりません。それが人々を成功へと推し進めていくのです。 

情熱を燃やし、強力な意志力、強い意志力を集中させるのには、多くのことを一瞬に成し遂げようとする事はできないのです。一点集中することにより、エネルギーのレベルが高くなり、成功の道を切り開いていくのです。 

友人の1人にハンディマンがいます。彼はハンディマンの仕事一筋に30年を費やし、周囲に多くの友人を作り、使用目的に応じたトラック3台、そのトラックには完全な道具を備えて、仕事に向かうそうです。人の為、お客様の為、世のために“自分は尽くす“と、それが“楽しい”と言うのです。30年間情熱を燃やし続けるのは、並大抵のことではないと思います。 

人の上に立つ人の心 

人材は群生する

江戸時代末期、明治維新という一大革命を起こした原動力は、鹿児島県の西郷隆盛以下、加治集団一角で生まれた人々でした。水戸、土佐、長州、今の山口県の人々も大きな貢献をしました。 

つまり、人材は共生し合って群生する。人材というのは、お互いに切磋琢磨しながら、育っていくのです。 

鹿児島の経営者皆に可能性があります。貧しい鹿児島県の稲盛和夫を京都の方々は信用してくれて、一千三百万円というお金を出資してくださり、それをもとに京都セラミックという会社が創業したのです。 

その京セラが会社設立後23年目になりました。自己資本は千四百億円になっています。千三百万円が、千四百億円になったのです。一万倍になったのです。 

北は北海道から南は鹿児島まで、工場が11カ所、約九千名近い従業員がいます。アメリカには6つの工場があり、約千名のアメリカ人が就業しています。

またヨーロッパ、東南アジアにも工場をたくさん持っています。 

塾長は決して頭が良くて、秀才であったわけでは無いのです。高校受験にも、大学受験にも失敗したという経験があります。しかし、鹿児島大学に入学してからは、勉強もよくし、成績も優秀な方になったそうです。 

上記のように、稲盛塾長が京セラを成功に導いたことを見ますと、“自分もやればできる”と思えるようになります。 

成功する人の考え方 

  1. 未来を明るく、楽観的に捉える

稲盛家には7人兄弟、貧乏人の子沢山でした。普通、貧乏になると人間は歪みやすいものです。しかし稲盛塾長は音が明るく、いくら貧乏していても世の中の矛盾を感じたりせず、未来に対して素晴らしい夢を持っていたそうです。 

稲盛塾長には、2歳年下の妹がいました。家が貧しいため、高校中退して“兄ちゃんは頭がいいから、勉強して、私は頭が悪いから、働きに出て、家計を助けるから”と言って働いてくれたそうです。 

“今に兄ちゃんが大学を出て偉くなって、10倍にして返すから、500円貸してくれ”と稲盛塾長が言うと、妹さんは“いつもホラばかり。でも500円あげよう”と500円くれました。 

成功している人のパターンを見ても、自分の未来に対して大変明るく楽天的な人であるというのが第一条件です。陰気で深刻に考える性格ではいけません。 

新しい困難な研究に取り組む時は“今後はこういう研究を始めたいと思う”と議論する会議を開きます。この際、一流大学を出た技術者がいますが、常日頃から青白い、難しそうな顔した技術者は最初集めません。彼らはよく勉強していますから、すぐに問題点を指摘します。こういう人たちが研究プロジェクトは不可能ですと結論する傾向があるのです。 

したがって、販売部の付和雷同するような人を集めて話をします。“社長それはできますよ“といいます。最初は楽観的な、前向きの人を集めて取り組ませるのです。“困難を乗り越えて、それでもやれる”という楽天的な人の意見を取り入れます。 

  1. 悲観的に計画する

事業をするには賢い人が要ります。頭の良い人は“社長は何もわかっていない。どうしてこうした人が社長なのだ”と思うのです。これではいけません。“この社長の為ならば”と一生懸命努力、仕事をしてくれるタイプに変わってもらわなければなりません。 

頭が良い人間は早い段階から溝が見えているため、“そちらに行ってはダメ”“そこは川があるからダメ”“向こうには山があるからダメ”というように、結局はこのプロジェクトはダメとなるのです。何もしない方が良いという結論に達するのです。ですからこういうタイプの人集めてはいけないのです。 

楽天的な人は、多少川があろうが、山があろうが、行こうとします。先に障害があると注意してやる必要があります。しかし、楽天的に、自分の人生を考えて、何が何でもやり抜こうとすることが大切です。 

もちろん計画の段階では、悲観的に物事を見つめる。どうして難しいのか、それでも“工夫さえすれば達成できるはずだ”と自分で思い込むのです。 

  1. 大事な事は思い込むこと

最初は難しい事は考えないほうがいいのです。“全て簡単に実現できそうだ”と自分自身が思い込む。自分の部下にもそう思い込ませる。1番重要な事は、自分自身の可能性を信じることです。“あいつが成功したのだから、それを一生懸命取り組めばできるはずだ。” 

できると自分に信じ込ませるのです。同時に、自分だけではなく部下にも“君も能力があり、やり方によってはできる”と同じように信じ込ませるのです。繰り返し自分に言い聞かせ、奮い立たせるのです。 

人間は、自分自身を信じられないと行動できません。セルフモチベーション“自らを励まし、奮い立たせる”。リーダーは色々な圧迫や悪条件に向き合うので、自分を自分で励ます必要があるのです。 

同業者がいるとか、ネガティブな条件があります。こうしたネガティブな問題点を克服して、一つ一つ解決する方法を考えていきます。目標決めたならば、それを曲げず、どういう行動とればいいかという具体的な作戦を必死に練る必要があります。 

たかだか一日考えるだけでは良い策は出てきません。“これは売れるはずだ、何とか工夫して売らなければならない”と来る日も来る日も考えるのです。 

  1. 京セラの経営における実践

京セラの役員会で新しい経営計画を発表しました。京セラが一千四百億円から、売上二千億円に成長発展していくために、どういう手を打つべきか、という次の手です。1ヵ月半ほどかけて考えたものです。 

考え続けていくうちに、役員に“こういう展開をしていきたい”と吹きこぼれそうな考えを話したのです。自分が思い込んだら次に部下にも思い込ませる。 

次に実行を念頭に置いて、さらに考えを深めると、悪条件がたくさん出てくるため、全部書き出し、どのように解決していくかを考えます。毎日考えていれば、ある瞬間にパッとひらめきます。一生懸命に考えると、そのうち良い方法が思いつくのですが、まだ実行はしません。次に頭の中でシュミレーションします。 

考えがまとまり、この計画でこうすれば利益が出るとはっきりした絵が浮かびます。その時、初めて実行に移すのです。 

しかし、頭で考えただけの事は、実際はうまくいかないのです。最初はやれると信じ、五ヶ月ほどの損失は覚悟し、お金も準備して始めた。ところがたちまちのうちに資金は底をつく、という苦労が始まります。“このままでは借金を背負いこむ。手を打ったがうまくいかない。”皆やめます。 

うまくいくと信じて始めても、“にっちもさっちもいかない”と思ったところで、普通の人はやめてしまいます。実はその時が始まりです。“もうダメだけだからやめよう。これ以上継続すれば借金が大変なことになる。”という時に止めるから、不成功者、失敗者になるのです。そこまでの準備期間です。“もうダメだという時が仕事の始まり”なのです。それを知らないから準備期間につぎ込んだ資金が全て無駄になってしまうのです。

ただしそれは、綿密に計画を立て、考えに考え抜いて“やれる”と信じ込み、始めた人の話です。思いつきで借金を作り、“もうダメだ”と後悔しても大失敗に終わるだけです。 

考えに考え、綿密に計画を立てる。それさえすれば、物事は100%成功します。 

  1. 心に描く観念が宇宙を創る

京セラでは、過去二十三年六ヶ月間、京セラ研究開発プロジェクトで、失敗はたった1つです。京セラでは、十のテーマに取り組めば、十のテーマを全て成功させます。成功しないのは、途中で諦めてしまうからです。“成功しないだろう”と思う心が成功させないのです。京セラでは5年でも10年でも研究を続けます。宗教家もよく“この世が地獄になるのも極楽になるのも、あなたの心に描くままです”といいます。“ものが存在するのは、そう思うあなたの心の反映です。“ある”ように見えるのは、存在すると思うからです。“無い”と思えば存在しないのです。”とも言います。これが、“心に描く観念が宇宙を作る”ということなのです。 

成功するための条件とは、心の動きです。成功すると思うと成功するし、失敗すると思うと失敗する。まさに心に描く通りに現象が起き、成就していきます。 

今日の京セラの会社を作ったのも、この心の動きなのです。京セラ創業時一千三百万円の資本金が二十三年六ヶ月後には一千四百億の自己資本の会社になっています。 

“さぞかし、凄まじい努力、苦労をされ、京セラを成長発展させて来られたでしょう”と新聞記者が京セラに取材に来ました。しかし“いや何も苦労はしていません”と答えますと、“いや,何かあるでしょう”と一生懸命聞き出そうとします。 

外国の新聞記者が“あなたは科学者、技術屋としても世界有数の人物で、素晴らしい頭脳を持っている。なぜ、そのような素晴らしい展開ができるのですか”と言って賞賛してくれました。しかしこれは自分の頭脳でできたのでは無いのです。一番の原動力は、やはり“心”なのです。まず、心の中で思い込む。これが物事をなすのに一番大事なことです。このことを信じなければならないのです。 

盛和塾 読後感想文 第133号

あきらめずやり通せば成功しかありえない 

新しいことを成し遂げられる人は、自分の可能性をまっすぐに信じることができる人です。

可能性とは、“未来の能力”。現在の能力でできるできないを判断してしまっては、新しいことや困難な事はいつまでたってもやり遂げられません。 

自分の可能性を信じて、現在の能力水準よりも高いハードルを自分に課し、その目標を未来の一点で達成すべく全力を傾ける。その時に必要なのは、常に“思い”の火を絶やさずに燃やし続けるということ。それが成功や成就につながり、また私たちの能力というのは伸びていくものなのです。 

新しいことに挑戦する時、私たちは、自分たちが持っているもの、お金、能力、経験、人材等をすぐに頭に描き、それを判断に進むべきかどうかを決めていくことが多いと思います。その時、自分の“思い”がどれほど強固なものか、まだ一時も忘れずに思い続けることなのかが、進むべきかどうかを決めるのです。強い“思い”が成功への道なのです。 

一旦“思い”の強さに自分を納得させた後は、一つ一つ課題をクリアしていきます。その目的のためには、自分を支えてくれる人を説得して、協力を得ることがキーポイントになります。そしてそれを素早く行動に移していきます。目標に向けてあきらめず、ただひたすら進むことが、成功への近道なのです。 

我々が本来持っている利他の心で経営というものを考えよう 

四十年サイクルで訪れる日本の危機 

日本で、最近社会的不祥事が多発しています。ここ十年位の間に次から次へと起きた社会的スキャンダルを見ても、リクルート事件、金融証券の不祥事、闇献金事件、脱税、ゼネコン汚職事件、政財官を巻き込んでいます。これは日本の社会が病んでいるからです。日本の社会に住んでいる我々の心が病んでいるからです。 

日本は明治維新で近代国家になって以来、その四十年後には日露戦争でロシアを破りました。それまで欧米に追いつき追い越せと頑張ってきた日本は有頂天となり、その四十年後には太平洋戦争の敗戦という奈落の底を経験しました。しかしその廃墟から必死に努力して経済復興を果たし、終戦から四十年後の1985年にはプラザ合意による円高を経験し、以来、様々なジャパンパッシングを受けています。 

豊かさの中で日本人が失った利他の心 

日本は戦後の廃墟から復興を遂げ、経済的に豊かな国を築き上げてきました。国民を豊かにしたいという願望、努力の成果は十二分に出ています。にもかかわらず、もっと豊かになりたい、さらなる“生活者大国を目指す”と欲望の肥大化が際限なく続いています。それは利己的欲望の肥大化に過ぎません。以前、日本は軍備の拡張で滅びましたが、このままでは“欲望の肥大化“で滅ぶことになってしまいます。 

豊かな国を築く過程で、我々日本人が“利他の心”を失い、“我が我が”と利己の心で暴走してきているのです。 

人は心の奥底に愛と調和に満ちた素晴らしい心を持っています。キリストの“愛”という言葉、仏教の“利他の心”という言葉、他を思いやる、他を利する心です。

戦後の廃墟から今日に至るまでの四十年間に、本来持っている“利他の心”をどこかに置き忘れて、まず欲望を満たそうということで頑張ってきました。社会のあらゆる不正な現象は、自分さえよければ良いという、利己的な欲望のままに動くしか判断基準を持たない人たちが起こしている現象なのです。 

私たちの心の奥底に持っている“利他の心”、真我、優しい思いやりの心を取り戻さなければ、現在のような不祥事はずっと続くでしょう。選挙制度がどう変わろうと、政治改革が行われようと、不祥事はなくなりません。すると世の中がますます乱れ、人々は強力な政治家を求め、独裁につながり、いつか来た破壊の道を歩むことになるのです。そうなる前に、国民が心を自浄する必要性を認識すべきなのです。 

純粋な心が成功もたらす 

今こそ日本のリーダーたちは、失った本当の自分の良心、心の奥底の良心を取り戻す時なのです。日本の国民が愛と誠と調和に満ちた、優しい思いやりに満ちた自分を見つけ出さないといけないのです。 

サンスクリットのことわざ“偉大な人物の行動の成功は、行動の手段によるよりも、その心の純粋さによる”とあります。いかに純粋な心を持っているかによって成功が決まることを教えています。成功もたらすものは外見ではなく、その人自身の心なのです。 

自分の良心を常に取り戻し、純粋性を維持するのは、なかなか難しいことです。私たちは勝った負けた、得だ損だの世界で生きていますから、美しい優しい思いやり、純粋性を維持するというわけにはいかないと思います。しかし、利己的であったときには見えなかったものが、純粋性を持とうと努力しますと、見えてくるのです。 

現場に出て語ろう!人間として、経営者としての思いを-経営者にとってなぜ哲学が必要か 

潜在意識に透徹するほど一生懸命に学ぶ 

経営についての知識は、あくまで知識であり、それ以外の何者でもありません。知性で理解しているだけでは、何の役にも立ちません。困難に遭遇し、のっぴきならない状況に追い込まれたときに、初めて自分のものとして体得することができます。 

本を読む時にでも有意注意、意識して意を注ぐ、意識をそれに向ける、一生懸命に考えることが必要なのです。従業員に教育をする場合でも、一度話したくらいではいけません。何度も繰り返し繰り返し、従業員に話しかけることが必要なのです。 

何をするにしても、有意注意、考える、意識して物事を見たり考えたりすれば、必ず潜在意識に入っていくのです。 

人間として何が正しいのかを判断基準とする 

人間として何が正しいかという判断基準がないと、経営は技術や知性を使って次々と戦略を組み、展開していくだけのものになってしまいます。合理性や効率性が中心的な考え方の会社は、不正行為などのトラブルが起きがちです。 

リーダーや従業員が明確な判断基準を持たないために、モラルが欠落し、公平な人事や公正な企業経営が行われにくくなってしまいます。 

効率性や合理性を追求すると、人間の能力は、金銭的な報酬として報われて当然という考えになります。こうして報酬以外に価値を見出せなくなりますと、お金が全てと考えるようになり、自分の報酬に対して不満が講じるようになります。そこには人間性を支える哲学がありませんから、悪い考えを持つようになります。経営者がそうなってしまうと、幹部社員も見習うようになり、会社のモラルは急速に低下していくのです。 

人間として何が正しいのかという判断基準が赤字会社を変えた 

京セラはヤシカというカメラメーカーを合併した時、東京にある光学レンズの研磨会社が傘下に入りました。戦後ずっと経営が苦しく、合併時も赤字という会社で、強い労働組合があり、活発に労働運動をしていました。 

この会社の再建には、京セラの叩き上げのセラミックの研磨部門の責任者になった人を派遣しました。期待はしていなかったのですが、3年経った時に、月次決算で黒字が出たと報告に来たのです。 

この時はバブルが崩壊し、景気は下り坂でした。赤字に再度転落すると思いました。ところが、景気が悪く、受注が減っているのに、月次の黒字が定着して赤字にならないのです。 

最近この会社で新工場の竣工式がありました。合併した十数年前は、敵愾心(てきがいしん)の塊のような目で見ていた従業員の人たちが、にこっと笑って会釈をしてくれたのです。古い工場もゴミ1つ落ちておらず、きれいに整理整頓されていました。 

この会社に古くからいる幹部社員に話を聞きますと、この派遣された責任者が、稲盛塾長が書かれた著書“心を高める、経営を伸ばす”を引っ提げ、現場で誰彼となく捉えては“人間として何が正しいか”ということを話し合って回ったそうです。周りの人は、この責任者はいつか音を上げて、あきらめると思ったそうです。彼は意に介さず、訥々(とつとつ)と議論して回ったそうです。いつしか周りの従業員も少しずつ変わっていったようなのです。 

ある日、この責任者に1通の手紙が届きました。

“主人は家ではぐうたらで、子供にも馬鹿にされていました。ところが、あなたが来てから主人の眼の色が変わりました。朝早くから夜遅くまで仕事をするようになったし、言うことも変わった。それを見た子供が主人を尊敬するようになり、家庭が生き生きとしてきた。なんとお礼を言ったらいいかわかりません。” 

この責任者は、自分の方向は間違っていないと確信を深め、突き進みました。その結果が黒字化と素晴らしい雰囲気の工場と、従業員だったのです。 

経営という仕事を好きになる 

“会長、こんな素晴らしい仕事をさせていただいて、なんとお礼を申し上げたら良いのかわかりません。経営が、こんなに面白いものかと初めて知りました。人生には仕事以外に面白いことがたくさんあると思いますが、今は経営を考えていることが楽しいのです。楽しくて仕方がありません”とその責任者は稲盛塾長に言ったそうです。 

経営というものは本来、楽しくなくてはいけないのです。名経営者になる条件は、経営という仕事を好きになることが全てなのです。

盛和塾 読後感想文 第132号

住む世界を変える

同じ業界の中で、黒字と赤字会社、対照的な会社があります。両社に経営努力や従業員の働きの点で、大きな違いがあるわけではありません。いずれの企業でも、懸命に努力はしています。しかし赤字会社が黒字会社と同じ努力を続けていては、いつまでも現状打破することはできません。 

赤字企業は一気呵成(いっきかせい)に大変な努力を払う必要があるのです。例えば黒字会社の何倍ものコストダウンに集中的に取り組むことで、黒字化を果たし、一気に現状打破を図ることを“住む世界を変える”というのです。 

例えば、いくつかの事業部がある場合、少ない資金、人材を集中的に将来性のある事業に投入し、一気に赤字を解消する。その際、たとえ長年やってきた事業でも、将来性がないと思ったら、大胆に閉鎖することが必要なのです。 

なぜ企業は高収益でなければならないのか

企業経営の目的である従業員の物心両面の幸福を追求するにあたり、収益を確保するという事は必須条件であり、そのことに改めて思いを馳せるという事は、経営者としての使命を再確認することにつながります。 

京セラの高収益経営の原点

京セラ創業時には、宮木電気の役員の方々の支援を受けて、船出しました。特に専務の西枝一江さんを中心に支援をしてくださる方々に相談しながら、稲盛塾長が設立に向けて準備を進めていきました。           

宮木電気の方々がそれぞれ個人出資をして頂き、合計三百万円の資本金を集めることができました。しかし若い稲盛塾長には資金はほとんどなかったのです。ところが支援してくださる方々が“技術出資”という形にして稲盛塾長に株を分けてくれたのでした。 

しかし、セラミックスを加工するには、相当の設備投資がかかることがわかったのです。ところが宮木電気の西枝さんが、ご自身の家屋敷を担保にして、京都銀行から一千万円を借りてくださいました。 

西枝さんは以下のように言われました。“もともと事業というのは万に一つの可能性というくらい、成功するのは難しいもんや。特にあんたがやろうとしていることは、新しい焼き物を作るというような、今までにない独創的なもので、高度な技術を必要として、それでいて限られたマーケットしかないような製造業の事業を成功させるのは至難の業や。” 

“もし稲盛君がそんなに難しい会社経営に失敗すれば、私は家屋敷を京都銀行に担保に入れているから、取り上げられてしまうんや” 

当時27歳の稲盛塾長は、本当に背筋が寒くなるような思いをしたのでした。 

稲盛塾長の父は、印刷会社を経営しておりました。父親はもともと資本力がなく、印刷機械はすべて問屋さんから貸していただいたものでした。父親は貧乏に育ったせいか、お金を借りることに極端な恐怖心を持っていました。その血を受け継いだせいか、稲盛塾長は借金をするという事が不安でなりませんでした。 

西枝さんが銀行からお金を借りてくださり、それを京セラに提供していただいた。“もし私が失敗し、西枝さんの家屋敷が銀行にとられてしまうことになれば、大変なことになる。なんとしても早く借金を返さなければならない。”と強く思いました。 

一生懸命に働いたこともあり、京セラは初年度決算では売り上げ二千六百万円、税引き前利益三百万円、税引き前利益率11.5%という好業績を上げることができました。三百万円の利益で儲かったのだから、3年もすれば一千万円の借入金は返済することができると思ったのでした。西枝さんに報告に行きました。 

西枝さんは“お前さん、何を言うとる。何もわかってないんやな。利益が三百万円出れば、半分は税金に取られるんや。残るのは百五十万円で、その中の五十万円位は、資本金を出してくださった人々への礼金、また役員賞与などに使ってなくなってしまう。返済に使えるお金は百万円位だろう。”とおっしゃられました。 

それでは一千万円の借入金を返しを得るのには10年もかかってしまう。10年も経営が安定して、毎年一千万円の返済ができる保証はありません。利益を全て借金返済に注ぎ込んでいってしまうと会社は発展するための投資すらできません。 

西枝さんは“何を心配しとる。売り上げの10%の利益が出るような事業は非常に期待ができる、将来性のある事業やないか。お金は返さんでええんや。利益が出て、そして将来も発展していくという目途があれば、金利だけを払い、元金は慌てて返す必要はないんや。” 

“発展性のある素晴らしい高収益の事業であれば、担保がなくてもその事業を種に融資してもらえる。そういう資金を活かしてどんどん事業を拡大していくのが事業家なんや”と言われるのでした。 

“しかし借金を早く返さなければならない”と強く思っていました。とにかく借金をすることだけはどうしても避けたいと思いました。 

そこではっと気がつきました。“税引き前利益三百万円と聞いたから三年で返せると思ったが、それは税引き前の利益であり、半分以上が税金や配当等で取られてしまうから、借金をいつ返せるかわからないと嘆いていた。しかし、税引後で三百万円を残せばやはり3年で借入金は返せるのではないか。という事は初年度の売り上げ高利益率が10%だったけれどそれを20%にすれば何の問題もないはずだ” 

こうして京セラを高収益の会社にしなければならないと思った原点になったのです。利益率が20%が可能だとか不可能だとかという問題ではありません。借金返済のためには、高収益がどうしても必要だからそう強く思ったのです。 

“国というのは時代劇に出てくる悪代官みたいなもので、我々庶民を痛めつけて、税金をむしり取る”と憤(おこ)っていました。世の経営者の中には、税金を取られるのはもったいないから脱税しようと考える人もいるでしょう。あるいは税金を払いたくないばかりに利益を減らそうと考える人もいます。 

“汗水たらして頑張ったのに、何の手伝いもしてくれなかった国に税金を取られるくらいなら、自分たちで使ってしまった方が良い。設備をもっと買おう、交際費をもっと使おう、従業員に臨時ボーナスを出そう。” と利益を減らすことを考える人もいます。しかし期せずして、利益を減らすことになり、結果的に経営者自身が低収益を望むことになってしまうのです。その経営者のメンタリティーが低収益をもたらすことになってしまうのです。 

創意工夫に努めることで高収益体質を作る

京セラの場合、他人があまり作っていない新しい絶縁材料、セラミック材料を開発し、それをあまり競争のない、新しいエレクトロニクスの分野で販売してきました。日本の大手のエレクトロニクスメーカーの研究部門が主なお客様でした。“新製品を作るから、こういう絶縁材料で、こういう性能のものが欲しい”と言われ、“それなら京セラで作れます”と、それを供給していたのです。 

お客様の指値で値段は決まりますが、セラミックスはいろいろな金属酸化物を使い加工して作っていくので、いろいろな方法で原価を安くして作ることができるのです。材料費を安くする、製造プロセスそのもので安くする方法もあります。働く従業員たちの労働力、人手を少なくして人件費を抑えることもできます。 

製造業としての創意工夫をすることができます。創意工夫で、材料費を少しでも安くして、工程もなるべく短くし、従業員の数も少なくして作っていく。高収益にしていこうと思えばそのように原価を安くしていけば良いので、そのための方法はいくらでもあります。 

このような京セラの経営を通じ、企業系は高収益でなければならないと確信するようになったのです。 

高収益でなければならない6つの理由 

  1. 財務体質を強化する

創業時の京セラには、まだ十分な内部留保がありませんでした。受注が急速に拡大し、新たな設備投資が必要となり、別の銀行融資を受けることがありました。 

その時、各借入毎に、返済計画を立てていきました。新しい設備投資として受けた融資は、別途こういうように返済していく。さらに後に発生した設備投資の融資は、このような計画で返済していく、というように、一案件ごとに借金の返済という一連の動きを結びつけて、借入金返済計画を立てました。 

京セラは高収益を続けていくうちに、10年後には無借金経営を実現することができました。京セラの成長は、売り上げとともに借金も膨れ上がっていくような不健全なものではなく、無借金のまま、内部留保を年々蓄え、豊かな財務体質をさらに豊かにしながら成長を遂げていきました。 

高収益が借入金返済を可能にし、無借金経営を実現していく。また高収益により、内部留保を増やし、自己資本率を高めていく。さらには高収益により、キャッシュフローが高まり、設備等への投資資金を豊かなものにしていく。つまり高収益が企業の財務体質を強化し、企業の安定した成長発展を可能とするのです。 

  1. 近未来の経営を安定させる

日本経済が高度成長の時の話です。人件費は一年で10%くらい上昇するのが当たり前でした。日本の大企業の平均的な税引き前利益率は、3%ないし4%位です。当時製造業の場合、人件費は売り上げのおよそ30%位でした。例えば、そのような会社が人件費を10%上げたとしますと、人件費率も売上高に対して30%から33%に上昇します。通常ですと、税引前利益率は0ないし1%に下がるはずです。ところが、赤字転落かと思って見てみますと、税引き前利益率3%から4%を維持しているのです。翌年、今年も10%賃上げをしたあの会社は、さすがに赤字だろうと思って見ていますと、やはり税引き前利益率3%から4%を維持しているのです。不思議です。人間はお尻に火がつくと、必死に頑張るのです。これらの企業は必死に努力をし、目標の税引き前利益率を確保するのです。火事場の馬鹿力です。 

これらの企業経営者の潜在意識には“どんなことがあっても3%の利益を出さなければならない”というものがありますから、それ以下になってもそれ以上になっても、居心地が悪くなるのです。 

高収益というのは、将来上昇してくる人件費、つまり近未来のコスト上昇に対して保証ができるということです。例えば、15%の税引き前利益率の会社ですと、毎年人件費が3%ずつ上がっていきますと、向こう5年間は賃金上昇に耐えられるのです。利益率は近未来の経費負担増に耐えられる度合いを示すものです。 

企業経営において、近未来に起こってくるコスト負担に耐えていけるだけの余力、つまり耐久力を示すバロメーター、それが利益率です。高収益とは、まさに近未来の負担に対する余力の大きさを示しているのです。 

景気変動によって売り上げが減少した場合、当然減益になってきます。高収益であった場合はそのような景気変動に対する耐久力を備えることにもなります。若干の景気変動があっても、簡単に赤字転落をしない。そのためにも高収益が必要なのです。 

  1. 高配当で株主に報いる

高収益の企業では設備投資や借入金の返済がありますが、自己資本比率が高まっておりますから、その余剰資金を株主配当に振り分けることができます。高収益の企業の株式を買えば、良い配当利回りを得ることができます。 

  1. 株価を上げて株主に報いる

毎期高収益を上げるなど好業績を続けていけば、株価の上昇を通じても株主に報いることができます。好業績が続くことで、その企業のパフォーマンス、安定性、そして将来性が株式市場で高く評価されれば、その評価は必ず企業のバロメーターとして株価に現れてきます。 

株価が上昇すれば、株式を売却しようとする株主にとってもメリットがありますし、また株式を保有し続ける株主にとっても含み益となり、プラスになります。 

  1. 事業展開の選択肢を広げる

高収益を実現すれば、税金を払っても十分な利益が残ります。そうして生じた余剰資金を生かし、多角化が展開しやすくなるのです。 

京セラはファインセラミックスの事業だけでは、会社の将来に限界があると考えて、1970年代初頭から、切削工具、再結晶宝石、人工歯根、太陽電池といった異分野、異業種への進出を続々と展開してきました。このような多角化を可能にしたのは、高収益の賜物です。 

太陽電池のように30年も長きにわたり赤字が続いていたとしても、赤字に耐え、投資を続けられたのは、ひとえに京セラに高収益を通じて得た潤沢な資金、豊かな財務体質があったからです。 

企業を長期的に成長発展させていくためには、どうしても新規事業に乗り出していかなければならないのです。しかし本業が高収益であればこそ、新規事業という茨の道に踏み出すことができ、またその茨の道を歩み続けることができるのです。 

  1. 企業買収によって事業の多角化を図る

高収益を長年に渡り続けていきますと、内部留保も蓄え、京セラでは現預金が六千億円以上もあるほどに手許流動性が高まってきます。その潤沢な余裕資金を使うことによって、企業買収や事業買収を行いやすくなります。

ある会社、ある事業を買収したいと思った時、蓄えた自己資金があれば、銀行から借金することもないわけですから、手を打ちやすくなります。また買収の成果が上がるのに多大な時間を要します。そのような場合、借金をし、買収を図ったのでは、金利を含め大きなリスクを負うことになります。 

そのような実例が第二電電への進出、KDDIの創業です。“高度情報化社会が迫っている。その時に高止まりをしている通信料金を競争原理を導入することで、出来る限り安価なものにし、国民の負担を減らさなければならない。” 

実際に参入の手を上げる前には、“動機善なりや、私心なかりしか”と自問を六カ月間にわたりしたのです。一般の国民のためになることだと確信して、電気通信事業に乗り出すことを決意したのでした。 

役員会議で“一千億円くらいの負担までは認めて欲しい。もし仮に限界の一千億円まで使っても軌道に乗らなかったら、その時には潔く事業を放棄し撤退する。”と稲盛塾長は話しました。 

第二電電が事業に失敗すれば、一千億円の赤字が京セラに発生します。たとえ本業で二百億円の利益が出たとしても、差し引いて、八百億円の膨大な赤字を計上してしまいます。 

京セラには当時、一千五百億円の内部留保がありました。そのような過去に貯めたお金から、一千億円がなくなるだけです。京セラが潰れるようなことにはなりません。 

京セラが低収益で、過去何十年間もかけて一千五百億円を貯めたのではありません。もしそういった場合、一千億円が消えてしまえば、それは一時的な損失の問題にとどまりません。後々までをひいて、本体そのものまで危うくしてしまうことになりかねません。そういう低収益企業であったならば、京セラは第二電電の通信事業に参入する事はなかったのです。 

稲盛塾長は“土俵の真ん中で相撲を取る”と述べています。“土俵際に追い込まれてからうっちゃりをするような危なっかしい形ではなく、いかなる時も土俵の真ん中に身を置くような安全を期して、確実に勝利を収めることを目指すべき”と至るところで述べておられます。 

京セラ本体は20%くらいの税引き前利益を上げていますから、持っている現預金から一千億円を新規事業に使うだけの事ですから、京セラ本体に致命的な損傷を与える事は絶対にありません。 

当時京セラの投資したお金が、現在はKDDIの株式として時価評価で六千八百億円になっており、半期毎に、百三十億円の配当を京セラは受け取っています。 

高収益であればこそ、M&Aや第二電電への進出といった大胆な事業ができるのです。 

高収益の世界へ“住む世界”を変える

盛和塾では“業種に関係なく、事業を営む以上は最低でも10%以上の利益率を上げられないようでは、企業経営のうちには入りません”というのが常識になっています。深層心理で“、パーセントの利益を上げなければならない”常に思っていると、利益率が10%を下回ると無意識のうちに10%に近づけようと努力するようになります。それほど、人間の心理というのは経営に大きな影響を与えているのです。 

自分で“10%の利益率は無理だ。できるわけがない。”と思っていたら、それはできないのです。10%の利益は当たり前に出せるはずだと思い始めたら、毎年状況が変わっていくのです。 

心に何かを描くかで、利益率に影響などするわけがないと思われるかもしれません。そうではないのです。“3%、4%の利益があれば充分だ”と思っている経営者と“10%の利益を上げなければならない”と思っている経営者とでは“住む世界”が違うのです。 

一度“10%の利益を上げなければならない”と深層心理で思うようになると、10%を下回る世界では“居心地”が悪くなるのです。それまでは3%、4%の利益の世界にいても“居心地”が良かったのですが、ひとたびそうした世界から抜け出て“10%の利益を上げなければならない“と意識するようになると、もはや3%、4%の利益の世界は居心地が悪くなり、戻りたくなくなるのです。 

繰り返し繰り返し、心に“10%以上の利益を出さなければならない”と思っただけでも、その経営者が“住む世界”が知らず知らずのうちに変わっていくのです。 

ましてや、“強烈な思い”を抱き、岩をも穿つような強い意志で一気呵成(いっきかせい)に高収益を目指そうと努力するならば、より劇的に“住む世界”を変えることができます。一旦“住む世界”が変われば、後は通常の努力で、その世界に居続けることができるようになります。

盛和塾 読後感想文 第131号

仕事を考え尽くす

新しい事業を展開するときに、不安や心配を抱いてしてはなりません。新規事業展開は平坦な道ばかりではありません。一歩進めば壁に当たり、その壁を一つ一つクリアしていくという事の連続です。しかし、一抹の不安も抱いてはなりません。それには、その事業が成功するということ、そしてその成功へ至るプロセスをはっきりと見えるまで考え尽くしているからです。 

うまくいく仕事は最終ゴールまで見通しがきき始める前から自信めいたものがあり、“いつか来た道”を歩いているようなイメージが湧くものでなくてはならないのです。 

そのためには、常にテーマを考え続ける必要があります。疑問が一点もない、残らないくらい考え抜くのです。頭の中でシュミレーションを積極的にやり抜くのです。そうすると、ビジュアルな映像として頭にテーマが定着していきます。それはカラーで見えるほど鮮明でなければならないのです。 

この見えるということが、成功に至る確信と、人として行動をせしめる強い意志力を生み、成功へと導くのです。 

経営者意識を持つ 

たとえ社長一人が優れた能力を持ち、リーダーシップを発揮したとしても、現場を支える社員たちが経営者の視点で自主的に考え、行動しなければ、会社が成長発展し続けることはできないのです。 

経営者意識を持って戦略を組む 

この話はA営業部長が相談に来たときの話です。 

社員の方々は、各部門でいろいろな種類の製品を担当して、お客様に売りに行き、よく売れたものやあまり売れなかったもの、毎月の目標を立てています。A部長は現在の産業機械の状況を製品ごとに説明してくれました。稲盛塾長は、A部長の話を聞いていて、非常に重要な点が抜けていることに気がつかれました。 

営業の長にしても、製造の長にしても、非常に勤勉で真面目なのは良いのですが、それだけなのです。営業の例としていますと、誠実な売り子のレベルなのです。 

その原因は稲盛塾長が作っているのではないかと考えたのです。部下が営業がよくわかっていないのは、社長である自分自身の指導に問題があったのではないかと考えたのです。従業員をただ真面目に仕事するだけに育つようにしてしまったのです。 

  1. 社長の立場に立って相手を見極めろ

A部長は途中入社です。中途入社した営業担当の社員は最初から“技術の事は自分にはわからない”と思ってしまっています。ですから、技術については製造の人間に少し聞いただけでの中途半端な理解で、製品を売りに行っているのです。 

会社が成長発展するのには、幹部社員が素晴らしい経営者になるかどうかによって決まります。ですから、経営者とは何かということがわかっていないといけないのです。 

経営者とは何かと理解するためには、 A部長は産業機械門の営業の長ですから、自分が産業機械に使われるセラミックスを扱う商事会社の社長だと仮定することが大切です。商社なのです。いずれにしても、商事会社は、いずれもメーカーとの代理店契約を結んでいます。引き合いがあったとしても、自分が売り込みに行くにしても、まずメーカーの人間と相談します。例えば、良い製品があることを知っていて、“これは良い製品ですね。これをぜひ売らせてください。私の会社は、東南アジアに強いですよ。その代わり、我々のをマージンを高くしてください”と要求するとします。相手のメーカーが売ろうとしている製品のことを知らなければ、どこにも売りにいけませんので、徹底的に聞いていきます。 

それと同時に、向こうの従業員や経営者の態度もよく観察するのです。“どうもこの人は調子のいいことを言っているな”と感じる人からは、いい加減な製品を持たされるかもしれません。売った後に客先からクレームがついて、その対応で東南アジアを駆けずり回らないといけないということになれば、旅費ばかりがかかってしまいます。 

‘今はどこに向けて売っていますか”とメーカーの人に聞いたとします。その時メーカーの担当者が“このようなところで使われています。うちはどこへでも売っていきますよ”と自信を持って答えてくれる。そうしたメーカーは、実際にこちらの期待に応えてくれるものです。商事会社の社長、A部長は、メーカーをしっかりと理解して、メーカーの担当者との信頼関係を築いていくのです。 

多くの営業担当者は“これを売ろう”という自信の部分が弱いのです。売れるものに注力することが求められるのです。扱う製品が複数の製品であれば、相手によって臨機応変に行動するのです。 

また、いくら技術がわからないからといって、メーカーの担当の人と簡単な質疑応答で何の疑いも持たずに、自分の製品を売る人はいないと思います。もし、社長の立場で売ってクレームがつけば、自分の信用を失い、お金も回収できず、大きな損害を被ることになります。技術側の人間では無いのですが、技術がわからないなりに色々と聞いてみることが大切なのです。分からなければ、わからないなり、と真剣に相手の人物を見抜き、相手が本物かどうかがわかればいいのです。 

営業部は商事会社、製造部はメーカーです。商事会社として多くの従業員を抱えて、多くの事業を営んでいます。製造側の事業部、メーカーは、メーカーサイドの社長として経営することになります。 

我々が今売ろうとしている製品としてヒーターがあったとします。ヒーターについてメーカー側に聞きますと、いろいろなことがわかってきます。“これはいけそうだな”と思うなら、マーケットをど真剣に調べます。どこに行ってどう売るのか、常にシュミレーションするのです。その結果、“これは本当にいける”とわかれば、自信が湧いてきます。“この性能であれば、こうすれば売れるはずだ”という思いが強くなり、ヒーターをいくら売るかという目標が定まってきます。“見えてくるまで考え抜く”のです。後は一気呵成(いっきかせい)に行動に移して売っていくことになります。 

商事会社の社長として、“私の担当している京都セラミックというメーカーです。先日発表されたビジネスウィークでは、世界で技術で進んだ会社の十指に入っています。21世紀の会社と言われております。この会社のヒーターは、数年前から大量にアメリカに輸出されております。御社は今までのニクロム線を使っておられるそうですが、ぜひ、京セラの人ヒーターをお使いになるべきではないでしょうか”と誰に対しても言葉巧みに取り込めるはずです。 

営業の人が、“このヒーターは、ホンダさんに使ってもらっているから、日産や三菱自動車にも売れないか”と簡単に考えて、日産や三菱自動車に行きますと、“いや、うちはホンダさんとは違います”と言われて、“やっぱりだめでした”と言って帰ってくるのです。 

精魂込めて作った製品の性能に自信があれば、そのようなことではへこたれません。“なんとしても売ってみせる”という気持ちになります。“しまったオートチョークでは売れなかった。”しかし他に方法があるはずだと粘り強く頑張ることができます。 

  1. 製品を売るための戦略を組む

経営をしていく上で、作ってよし、売ってよしという両刀使いが必要なのです。それには、戦略が必要なのです。“売ってこい”と指示しても、成果が出ずに帰ってくる営業の社員に対して、“もう一度行ってこい“と言って指示します。妥協しないのです。製品を作る場合も同様です。 

商事会社の社長として“わが社はメーカーの代理店として、メーカーの製品を売って伸びていくのだ。”という意識を持って、代理、契約をしたメーカーの一連の製品をベースとして売り上げを伸ばしていく戦略が出てくるはずです。

ところが、部下に客先を回らせて、“だめでした。空振りでした。”と言われても営業を続けさせ、引っかかってきたお客からの注文を売り上げとする。これでは戦略ではありません。ただ客先を回って、見込みがありそうなものを売っていくだけでは、会社を大きくして一千億円の売り上げを目指すことはできません。 

“このくらいは売りたいなぁ”というような願望があるだけで、“このようにしているからこれだけの売り上げが立つ”という考えは無いのです。“この製品ならこの会社にも売れるはずだ。いろいろな会社に売っていけば半年先、一年先にはこれだけの売り上げになるはずだ”というシュミレーションが誰にもできていません。 

  1. 戦略があったからこそ工具事業は伸びた

京セラには他者に匹敵するような製品がありました。ところが最初は全然売れませんでした。戦略を持っていない人が工具の事業部長担当しているとしますと“これはあまり売れません。日本特殊陶業の者には勝てません。よその会社にも日本特殊陶業と同じような製品がありますし、うちがつけ入る隙なんてありません”と言ってせいぜい毎月五百万円位の売り上げしかありません。“売れないとおかしいのですが、やはり売れません。国内には大手3社があり、隙がないと思います。社長、今から参入したところで勝てる見込みがありません。”と言い訳をして終わっていたはずです。 

稲盛塾長が工具は絶対に売れると確信していました。配属された営業社員は“これを売ってこい”と言われて、“売れないわけがない。売れるのだ。売れないのはお前が悪い”と頭ごなしに言われて追い返されました。 

するとしばらくして、やっと一億円の利益が出せるようになりました。研究を続け、工具という分野において何とか一角を占めるまでになってきました。 

  1. 本気で“売ろう”と思わなければ戦略は組めない

京セラの産業機械は、創立以来歴史のある事業部ですが、いろいろな製品を多く扱っているのに売り上げが月五百万円程度なのです。工具はひとつの種類しか売っていないのに、月一億円の売り上げがあるのです。産業機械は潜在的に十億円程度の売り上げが見込める製品を多く抱えているのに、それだけのポテンシャルがあるという認識を持っていない。ですから戦力も組めないのです。 

営業社員でも、技術屋では無いのですが、自分が使っている製品を詳しく調べてその上でマーケットを観測するのです。マーケットをずっと見ていますと、売れるかどうか、売れるとすればどのあたりまで持っていけるかが分かってきます。目標に持っていけないときは、自分の展開の仕方がおかしいと考えて戦略を組んでいけば、もっと売り上げを伸ばせるはずです。 

営業部のA部長にこう言いました。

“お前のところはいろいろなお菓子を並べた駄菓子屋だ。いろいろなお菓子や飴を並べておいて“何でもあるからここから選んで買いなさい”と言っているだけで、“このお菓子は、この飴は、こういうふうに他と違い、美味しく栄養もあり体にとってもいいよ”と子供に呼びかけもしていないのです。 

例えばグリコはグリコーゲンを入れた飴を作り食べる“一粒三百メートル”として事業拡大してきました。グリコはあれほど大きな会社に成長しました。グリコには戦略があったのです。 

京セラの場合も営業部長が製品に惚れ込むほど調べて“これはアメリカでも売れるはずだ”という思いが湧いてきます。売れないのは自分のやり方や部下の使い方がおかしいのだと思うでなければおかしいのです。 

  1. 叱られる人ほどよく伸びる

工具のB君にはよく騙されました。“これは売れます”と嘘ばっかり言って人ばかり先に取られるので“今度嘘を言ったら承知せんぞ”と言ってよく叱っていました。B君は勝気だけはありました。“なんとしてもやらなければならない”と思っていますから、闘争心が旺盛でした。次から次へと提案が出てきます。 

商事会社を担当しているD君は、今1番伸びています。Dくんは稲盛塾長に1年中徹底的に叱られていました。B君のように勝手なことをするので叱られていたのです。叱られる理由はポジティブなものです。叱られない人はそれは向いていないからです。何もしなければ問題にならないので叱られないのです。 

ところで、何かの戦力を考えて実行しようとしますと、最初のうちは当然失敗しますから叱られます。D君は1年中叱られていました。D君は仕事の席ではない時に稲盛塾長に聞いてきました。“社長にとって、私はよっぽどの叱りやすいタイプですか”“あほ、趣味で叱っているのとは違うわい”と答えました。こういうことが社長に言えるのは、素晴らしいことなのです。社長を信頼しているからこそこんなことを社長に聞けるのです。親父に文句を言っているみたいなのです。 

他の人はあまり叱っていません。“良い子”はたくさんおります。しかし“良い子”はポジティブな事は何もしておらず、稲盛塾長に言われたことに素直なだけです。それでは、集団の長は務まりません。 

  1. 戦略を組むには、主体性が必要

バイオセラムの歯科用インプラントは某大学教授が“セラミックスでつくったらいいのではないか”というヒントを持って来たので、作ってみました。バイオセラムを売ると決めたのは稲盛塾長ですから、どうやって評価を上げていくか考えました。担当しているE君も逃げられません。E君は部長に何かにつけて言われないと、金を使っても失敗する。経営というのは必ずリスクと隣り合わせなのですが、その代わり心血を注いで成功した場合は大変大きな成果があります。 

最初は結果が良くなくても“これはいけるのだ”と強く思い、先を見通すのが戦略であり、戦略を正しく組むのが経営者の役割です。 

製品に惚れ込んで“これはいけるぞ”と思っています。相手の医者を説得するためには戦力を組めていますか。製品にも惚れ込んでもいないし、戦力も全然決めていません。経営者としての意識を持ってきますと、営業だけを考えるという感覚はありません。全てを見なければならないからです。 

経営者としての見方をして、主体性を持って自分で戦略組出したら、営業の製造も貿易も、事業所全体が大きく変わるのです。 

  1. 強い個性と人格を併せ持ち、過信を拝する

戦略をシュミレーションする上で大事なのは主体性です。主体性を持ってシュミレーションをしなければなりません。何もしない人は悪さもしませんが、個性もありません。主体性がある人には個性があります。個性が強い人は、我が強く、アグレッシブです。非常に強い個性が成功へと引っ張っていくのです。 

しかし成功したと思ったら、急に失速していきます。成功して登りつめたところで、急降下することが多いのです。成功の原因も個性であれば、没落の原因も同じ個性なのです。個性があるだけではなく、人格、人間性というものを併せ持つ必要があるのです。 

客観的に見れば見るほど、周りは売れないと言っているので、できないと思ってしまう。それを過信で進む人がいます。そのような人は大風呂敷を広げてもろくも失敗してしまうのです。戦略は出たけれど、その戦略が過信に基づくものだからです。 

  1. 強い思いが粘りの営業につながる

京セラのヒーターの例を取ります。京セラのヒーターが車のキャブレターに入っているか、別の会社では使われていないことを誰も少しもおかしいと思っていませんでした。“うちは本田さんとは違います”と言われたら、それまでで売るのが簡単なところにしか振り込みに行っていないのです。“他にはどこに入れるのか”と聞きますと“やってはいますがなかなか上手くいきません”といいます。絶対に売れると思って売るのか、売れればいいと思ってやっているのか。それによって結果が全然違います。 

製品が一つ売れれば、お客様からつぶさにその結果を聞いてみます。その結果が良好なものであれば、自信となって、営業の人間に“お前はこれを売れ、あそこが買ってくれているのだから売れるはずだ”と言えます。 

稲盛塾長はアメリカへ行って、アメリカの会社を回っていましたが、全然売れませんでした。それでもめげず、同じところを何度も尋ねて、ようやく抵抗芯体がTI(テキストインストルメント)に売れました。TI試験のレポートを読み込み“これはいける”と思い自信にして他の会社にも売ってきました。優秀な製品を持って一点突破するのは、工具やバイオセラムの場合も同じでした。一点突破して、風穴を開けて、お客様、その業界に乗り込み、他の製品の販売に道を作っていくのです。 

一度売れなくても“売れませんでした”と逃げ帰ってくるのではなく、“私の売り方がおかしいから売れないのだ”と考えて粘って売続けるのです。自分がおかしいのではなく、買ってくれない相手がおかしいと思っているのです。相手に何か事情があるように思っているのです。お客様サイドに何か問題があると納得して“売れませんでした”と言って引き下がる。それを納得せずに“これは安くて便利で品質の良いものですから、うちの製品を試してみるべきです”と粘るのです。 

来年も再来年も、その次も、経営者は事業で利益を得て、従業員を養っていかなければなりません。昇給もして、ボーナスも払って、全従業員に喜んでもらうためには“行きましたが売れませんでした”ではどうにもなりません。そういう思いがありますと、徹底的に粘る行動ができるのです。 

  1. 戦力に基づいたメーカーの買収

急成長をとげた電卓メーカーであるトライデント社については、電卓のブームが去った後に救いを求められました。京セラの役員会で支援について話したところ、“うちが今頃になってテコ入れするのはあまりにもクレイジーです。電卓メーカーはどこも潰れている中で、支援するなんて、どのような考えがあってのことですか”と誰もが言いました。 

ブームの最中に群雄割拠しているうちは、もののはずみで誰でもある程度は成功します。そのかわり、ブームが去った後は、悲惨な目に合うはずです。企業というのはどん底まで行ってしまったときに本当の経営力が問われます。 

“このような展開をすれば、いける。今は厳しい状態にあるが、その先を見て欲しい。うちが救済して再建させてみようではないか”と役員会で言って役員を納得させました。あえて危険を犯して戦略を組んだのです。常に事業の多角化を考えているので、偶然に入ってきた情報が、ちゃんとしっかり噛み合えば、逃してはいけません。これも最も素晴らしい経営方法なのです。 

このように戦略を組み、次の事業展開を進めてきたのですが、気がついてみますと、稲盛塾長一人がそのようなことを考えるようになっていて、後は誰もが真面目な忠実な社員になっていたのです。丁稚(でっち)になっていたのです。これは丁稚でよろしいという教育をしてきた稲盛塾長の責任であったと反省していました。 

企業の営業部長であれば、少なくとも自分は中堅企業の社長であるという考え方を持たなければならないのです。そう考えれば、自分で戦略を組んでいけるのです。 

企業が永遠に発展し続けるために 

  1. 現状に満足せず、次の展開を考える

経営者意識を持ち、主体的に戦略を立てられる人々が増えてこない限りは、企業が今後発展していく事はありません。 

現在扱っている製品の中で、もっと伸びるものがいくらでもあるはずです。工具でも、フライスに使う、金型に使う、工作機械に使うなど、いろいろな用途があります。新しいものを伸ばすためには、それをどうやって売っていくのかという戦略が見えていなければなりません。自分の中で鮮明な映像が描けていないために、どう手を打てばいいかという対応ができていないのです。ただ単に人をもらって、その範囲で役割を決めて、できるだけの対応するというようでは、経営者ではありません。 

例えば珈琲店の場合ですと、蝶ネクタイのマスター、かわいいウェイトレス、チラシも近所に配ります。また“うちは手製のコーヒーですから、新鮮でおいしいですよ”と言って、お客様を増やしていく。これだけでは、その店は良いのですが、企業として成長発展するための戦略が全くないのです。 

例えば、今度は缶のコーヒーを作って全国の自動販売機に並べて売ろう。またこの店は女の子に任せて、次のコーヒー店を開こう。どこに店を今後展開していこうかと、発展する為の戦略を考えるのです。 

京セラの人間全員が変身していけば、京セラは飛躍的に伸びるのです。自分は何を売るのか、マーケットの予測は、一生懸命考えてみると見えてくるのです。それが営業計画であり、事業計画となるのです。計画の中にある数字は単なる希望的な数字ではなく、一生懸命考えた末に見えて来た数字であるはずです。具体的にこうやっていきますという戦略があれば、数字はその後についてきます。 

自動車を攻めますといった場合、自社の特徴のある製品を武器にして一点突破するのです。“これが成功したら次はこれを攻めよう”と次から次へと挑戦していくのです。 

  1. 新規事業への挑戦

会社は永遠に成長発展していかなければなりません。そのためには、次から次へと新しい事業を手掛けていかなければなりません。 

エネルギーを大量に消費する社会になり、エネルギーが多様化していき、分散されたエネルギー源を求めなければならなくなってきています。太陽熱、原子力、地熱、風力、波浪など、いろいろな試みが行われています。エネルギーの多様化を求めていかない限り、全体のエネルギーをまかないきれないのです。 

この問題に何の対応もしない経営者と、こうした多様化していくエネルギーの中で、少なくともどれか一つのエネルギーを開発していった経営者とでは、会社の業績に大変な差がつくことになります。 

この様に大きなスケールでとらえ、遠い将来を見据えて、その時々の企業規模を考える人材が必要になっています。京セラは早くから太陽光電池の開発に着手しています。太陽熱温水器の事業化を始めます。また、ソーラーシステム事業部も立ち上げます。 

新幹線に乗っている三時間の間に、戦略を一生懸命考えました。熱媒体の使用、太陽電池を使った直流モーター、配管、貯湯槽等、をずっと考え続けました。 

そして近い将来、日立製作所に追いつきたい、少なくとも三洋電機、シャープと肩を並べるまでになりたいと考えています。 

  1. 経営や事業はトップの器で決まる

企業や事業というのはトップの器量、つまりスケール分しか大きくならないのです。器量というのは何かと言いますと、まさに先述したように、自分が扱っている製品を調べ抜いた上で持つ自信と愛着です。そのような自信と愛着を土台として、なんとしても売ろうとシュミレーションを重ねるのです。 

太陽光発電の場合ですと、試作のみならず、販売の流通まで見えています。シュミレーションを繰り返していき、いよいよ実行に移しますと“この道は頭の中で一度通ったことがある”“こっちにいったらあかん。こっちや”と頭の中で徹底的に考えていますと、潜在意識が働いてくるのです。シュミレーションを重ねて現実にひとつひとつ成功するたびに、器量というのは大きくなるのです。 

戦略と実行を繰り返していく過程で、器量が大きくなっていくのです。器量が大きくなるにつれて、会社の業績も伸びていきます。