盛和塾 読後感想文 第七十五号

会計は現代経営の中枢 

企業を長期的に発展させるためには、企業活動の実態が正確に把握されなければならない。真剣に経営に取り組もうとするなら、経営に関する数字はすべて、いかなる操作も加えられない、経営の実態をあらわす唯一の真実を示すものでなければならない。損益計算書や賃借対照表のすべての科目とその明細表は、誰から見ても、ひとつの間違いもない完璧なもの、会社の実態を100パーセント正しく表すものでなければならない。会計の資料は、経営者を目標まで正しく到達させるための指標なのです。 

その為に会計の基本的な原則が必要なのです。

  1. 迅速性の原則 - 直ちに会計処理をする
  2. 一対一対応の原則
  3. ダブルチェックの原則
  4. 筋肉質の経営原則
  5. 採算向上の原則
  6. 現金主義の原則
  7. 保守主義の原則
  8. ガラス張り経営の原則
  9. 当座買いの原則-必要なものを必要な時に

このような会計原則を実践していくことにより、正しい経営・長期的に企業を成長・発展させることが可能になります。こうした会計原則は、企業の経営思想の表われとも考えられるものですから、社長自ら理解し、社員に伝え、実践していくことが大事です。 

完璧主義の原則 

完璧主義とは、あいまいさや妥協を許すことなく、あらゆる仕事を細部にわたって完璧に仕上げることを目指すものであり、経営においてとるべき基本的な態度です。 

マクロとミクロ リーダは常にパーフェクトな決断を求められます。社長の経営判断は、その会社の運命を左右します。社長は従業員とその家族、顧客、株主、協力会社に対し、重大な責任を負っているのです。 

その責任を果たすため、経営者たるものは会社全体のマクロな仕事と同時に部下のやっているミクロの仕事も十分わかっていなければ、完璧な仕事はできないのです。 

創業者は、現場の細かいことから会社全体のことまでよくわかっています。二代目、三代目の社長は、現場のことをあまり知らないことが多いようです。創業者からマクロの帝王学は教わっていても、ミクロの現場のことはわかっていない。その為、経営者として本当の意味で会社を動かせないのです。会社のトップとして本当に自分の思う通りに経営をしていこうとするならば、足繫く現場へ出て、現場のふんいき、従業員の仕事の内容を知らなければなりません。マクロだけでなく、ミクロもわかっていなければ、経営者は自由自在に会社を経営することはできません。 

二代目社長は現場に出向け

創業者である塾長は、会社を始めた当初は末端の仕事にも携(たずさ)わりました。門の前の店が汚れていれば、自分で箒を持って掃除をしましたし、便所が汚れていれば、その掃除もしなければなりませんでした。そういう末端の仕事も行っていましたから、作業現場に誰がいて、そこでどのような仕事をしているかということまでわかっていました。 

従業員数が一万人近くになっても、塾長は足繫(あししげ)く現場に周りに、その理解に努めていました。アメーバ別の月次時間当り採算表を見ますと、責任者や従業員の顔まで思い出すことができたそうです。 

二代目、三代目経営者の方々のほとんどは、こうした叩(たた)き上げの経験がないまま、常務・専務などの役員に据(す)えられます。叩き上げの幹部連中に囲まれて、現場に疎(うと)い息子があとを継いで経営していくことになります。 

小さなことが見える人には大きなことが見えず、大きなことが見える人には小さなことが見えないのが普通です。しかし、中小零細企業といえでおも、経営していく以上は、現場で行われる小さなことも、会社方針決定といった大きなことも、同時に見ていく能力が要るのです。 

二代目、三代目は、従業員よりも早く出社して末端の仕事をする、常務・専務としての仕事をする時間を抑えて、大半の時間は現場に出向き、汗みどろになって現場の人たちと一緒に働く、そうすることにより、マクロとミクロの両方の能力を身につけ、りっぱな経営者が誕生するのです。 

100%達成でなければ

昨今の製造業では“不良品がゼロ”というのが当たり前というほど、品質に対する要求は厳しくなってきています。それはすべてのプロセスにおいて完璧な仕事ができていない限り、実現することは出来ない品質レベルです。とくに研究開発や製造では、わずかなミスさえ許されず、常に完璧な仕事が求められているのです。 

  1. ほんのわずかな不良品が会社を危うくする

新しい製品開発研究の場合、いくつかの薬品を混ぜることがありますが、どの物質の量とどの物質のどの量と混ぜ合わせるのか、混ぜる時間、温度、等を厳密に決め、それを目を離さずに観察して、工程が予定通りに進んでいるか、反応は思った通りになっているか、大変な労力と時間を要します。実際、開始から一週間、一か月経って、最終的にこういう薬品を加えて、ようやく新しい物質ができます。 

こうした作業の中で、もし最後の段階で量を少しでも間違えば、一か月かけて99%まで完成しかけていても一瞬にして灰に帰してしまいます。 

ソニーのリチウム電池の事件ですが、ノートパソコンの中で発熱・発火するという問題が起こりました。原因は製造工程で金属粉が混入したためにショートしたそうです。ソニーは不良品の回収をしたわけです。お客様が使っているパソコンのバッテリーを換えるだけのことですが、ソニーは回収に500億ほどの見込みを立てているそうです。しかし、この500億のロスだけではなく、お客様からの信用もなくしてしまったのです。 

このように不良品は、企業の存亡を左右するような大問題になってしまうのです。 

  1. 日米間の品質管理の考え方の差

アメリカでは航空宇宙分野では、最先端の技術を要する製品を作っています。大変厳しい品質を要求されます。AQL(Acceptable Quality Level、合格品質基準)という、この製品にはこうしたレベルの品質を最低保障しなさい、という基準がありました。人間が作る以上、100%はありえない。“千個のうち2個の不良品以下ならば、認めてあげましょう”と決めてあるのです。もちろん製品によってAQLの要求は異なります。最初から完璧になどできないと買う側が認めていて、不良品を見込んで買ってくれる。不良品が出た時には、お客様から苦情が出ます。しかし我社の製品はAQLをクリアしていますと主張しますと、“その通りだ”と認めてくれるのです。 

アメリカの製品の品質は不安定だといわれるようになりました。日本製品は故障が少なく、信頼性が高いといわれるようになりました。あらゆる分野で日本製品が優勢となって来ました。アメリカもパーフェクトを目指して品質管理の方法を導入するようになって来ています。 

ところが経理など事務職では、間違えば“すみません、すぐ直します”消しゴムで消して “はい、訂正しました” とするわけです。間違えば、消しゴムで訂正すればよいという感覚で仕事をしている人には、完璧な仕事は決してできないのです。 

少々の間違いぐらいは仕方がないと思う人がほとんどです。投資計画、採算管理にしろ、基礎となる数字に少しでも誤りがあれば、結局経営判断を誤ってしまうのです。 

完璧主義をまっとうするのは難しいことですが、その完璧主義を守ろうとする姿勢があるからこそ、ミスが起こりにくくなるのです。パーフェクトを目指してもミスがゼロになるわけではないかもしれない。しかし、だからといって99パーセント正しければよいということにはなりません。99パーセントで結構なら今度は90パーセントでも仕方がないということになる。いや、80パーセントでもいいじゃないかということになってしまうのです。そうすると会社の経営はどんどん甘くなっていき、社内の規律も絡んで、会社の業績も悪化していくのです。 

100パーセントは100パーセントなのです。売上や利益の計画にしても “100パーセントに達しなかったが、90パーセント出来たからよいではないか” とは受け入れられません。製造や営業の経営目標に対する実績についても、開発スケジュールや管理の仕事の正確さについても、完璧主義を貫くべきです。 

  1. 鉛筆で書く数字ひとつも完璧に

アメーバ経営の時間当り採算表を説明する時に、採算表の数字に誤りがあることが判明しました。経理部長は “あっ、そうでした”と言って消しゴムを持ってきて数字を直す。そして悪びれもせず、“はい、訂正しました” と採算表を直してくるのです。 

今訂正したのは2万円だ。製造現場では一円単位のコスト削減に苦慮しているのだから、一円の書き間違いさえも許せない。もし製造現場でそういうミスをすれば、全部が不良品になってしまいます。すなわち経理部長の作成した時間当り採算表は不良品です。不良品によって同僚に間違った情報を提出し、同僚の時間を無駄にして、判断を誤らせてしまうかもしれないのです。経理部長は、自分の作成した不良製品がどういう影響を及ぼすか考えて見ることが大事です。 

鉛筆でひとつ書くにも真剣でなければならないのです。 

厳しいチェックでパーフェクトを目ざす

経営において責任ある立場の人々が、自ら完璧主義を貫くよう肝に銘じていれば、資料の中のつじつまの合わない部分や数字のバランスが崩れているところに敏感に注意がいくようになります。そうしますと、資料をつくる側も自然に完璧主義が身につくようになります。会社全体に完璧主義を浸透させようとするのであれば、それが習い性となるまで数字をつくる側とチェックする側が努力していくことが必要不可欠なのです。 

  1. 完璧主義を習い性とせよ

経理部長は、経理社員が作成した損益計算書、賃借対照表を、数字の一つひとつについて、細心の注意を払うことが習い性になっていなければなりません。また、提出される資料が完璧にそろっているか、もれがないかもチェックすることが必要です。 

損益計算書             -        目次 本年度/昨年度対比

                              -        本年度通算(Year to Date) 本年度/昨年度対比

賃借対照表             -        月次 本年度/昨年度対比

                              -        期定明細表 本年度/昨年度対比

                              -        銀行勘定調整表

                              -        売掛金年令調査表

                              -        棚卸明細 製品グループ、原材料グループ

                              -        固定資産台帖

                              -        買掛金年令調査表

                              -        借入金明細表 

経営者や従業員が必要とする正確な資料が、完全に作成されていることが大事です。数字の正確性及び全部の資料が、タイミングよく作成されなければなりません。 

  1. 有意注意の日常を送る

何をするにしても対象物に対して集中して意を注ぐ、経営者はマクロとミクロをわからなければならないのですが、とくにミクロを理解するためには、経営者は、どんな些細なことにも全神経を集中して注意するということを習い性としなければなりません。 

大きな経営判断を迅速にしなければならないことがあります。常日頃からどんな些細なことにも注意を払うという習慣がついていますと、いざというときに、素早い正しい判断ができるのです。 

有意注意の日常を送っている経営者は、研ぎ澄まされた感覚をもっていますから、すばらしい判断ができるのです。大きな問題の前触れとなる小さなほころびを見抜く力、そこまで見抜けるようになるために、有意注意を習い性として、数字をひとつ書くにしても緊張感を持つようにしなければなりません。 

  1. たとえ難しくても100%を追求し続けよ

サッカーの練習の中で、ゴールへのシュート、練習も大変な努力が必要です。相手のゴールキーパーのちょっとしたスキをついて、コーナーにボールを蹴り込んでいかなければなりません。試合では、練習以上にゴールにシュートし、得点するのは、その成功率は、恐らく50%以下だと思います。 

100%ゴールに蹴り込むことは難しいかもしれません。難しいけれども100%でありたいと思って、選手が練習に励む、コーチもその気持ちで指導に当たる。100%を追求することが大事です。“100%を要求しても無理だ。要求することがおかしい” と思って指導しておれば、80%、やがて70%に妥協するようになってしまいます。 

ダブルチェックの原則 

ダブルチェックとは、経営のみならず、あらゆる分野で人と組織の健全性を守る保護メカニズムです。仕事が公明正大にガラス張りの中で進められるということは、その仕事に従事する人を不測の事態から守ることになります。その結果、事務そのものの信頼性と会社の組織の健全性を守ることになります。

人に罪を作らせない

塾長は“人の心をベースに経営する”を根幹として京セラの経営にあたって来ました。“人の心”を一番大切にする。ところが、“人の心” はうつろいやすく、不確かなものでもあります。しかし、一旦心が通い合いだしますと、これほど頼りになるものは他にはありません。 

このように人の心は一番頼りにできるのですが、ふとしたはずみで過ちを犯してしまうという弱い面もあります。人の心をベースとして経営するとするなら、“人の心” が持つ弱さから社員を守るという思いも必要です。ダブルチェックの原則はここからスタートしました。人間不信や性悪説を背景としたものではなく、むしろ従業員に対する愛情であり、人に間違いを犯させてはならないという考え方なのです。 

よしんば出来心が起こったとしても、それができないような仕組みを作っておけば、1人の人間を罪に追い込まなくても済むのです。ダブルチェックの原則は、従業員が人間として正しく仕事に従事することができる為の、保護システムなわけです。 

  1. ダブルチェックで従業員に罪を犯させない

経理を任され、金庫を預かっている人が、家庭の事情で出費がかさんで二万円ほど足りなくなった。とりあえず今日二万円だけお借りしよう、三日後に主人の給与が入ってくるから、その時に返せばよい、と思って金庫から二万円を出してしまう。しかしこういう人は、お金の使い方が良く分かっていないため。二万円の返済もできず、また金庫から借りてしまう。盗もうとしたのではないのです。 

出来心で盗んでしまうこともあります。自分が記帳から出納まですべて一手にまかされている、誰もチェックはしない。十万円くらいくすねてもわからないだろう。そんなに大それた悪いことではないだろうと、出来心がふっと湧いて来る。 

ダブルチェックを行い、出納を勝手に扱えないようにしてあげれば、出来心が起こっても不正を働けなくなります。 

  1. 経営者はシステムの一貫性を厳守せよ

社員に罪を作らせないように、ダブルチェックのシステムを作るのはいいのですが、その際には会社のすべての業務に一貫性がなければならないのです。モノを買うにしてもカネを払うにしても、すべての業務において一貫してダブルチェックが行われなければなりません。 

製造部から依頼された部品の購入があったとします。購買部は検品した後、検収表、請求書、注文書を添付した支払い依頼を経理部に提出します。経理部は一連の書類を確認した後、支払います。このようにダブルチェックシステムは機能します。 

経理課長は今日は忙しい、支払い伝票は後で作成するから、とりあえず払っておくように、と指示してしまうことがあります。ダブルチェックせずに支払いをしてはならないと決まっているのに、そのルールを破ってしまう。 

よくあるケースは、社長が一貫性を破ってしまうケースです。“出張するのに現金十万円用意してくれ。後で出張申請書を作成するから” と言って伝票もないまま経理からお金を持っていく。社長は出張から帰ってきたらきちんと精算するので問題はない、と思うのです。しかし、課長や社長がダブルチェックのシステムを破ってしまうのを見た従業員は、“課長や社長も特例を設けたのだから” とルールを破ってしまうのです。 

こうしますと、ダブルチェックのシステムは崩壊してしまうのです。自分が導入したダブルチェックのシステムを社長自ら破壊してしまっては、経営はできません。 

ダブルチェックの原則を間違いの発見・防止のためのテクニックと考える人もいます。しかし、本当の目的・考えは人を大切にする職場を作るために、全社員が守るべきルールなのです。お互いにチェックし合い、お互いの間違いをなくしていこうとする緊張感のある職場づくりが目的なのです。 

具体的なシステムの構築は経営者の仕事

入出金の取り扱い

入出金の管理においては、お金を出し入れする人と入金伝票を作成する人を必ず分けることが原則です。 

小口現金の場合

例えば、毎月月初めに$500の現金があったとします。出納係は他の部署から支払い伝票や領収書を受け取り、現金を支払います。その時、残りの現金と領収書の金額の合計はいつも$500になっています。 

現金出納記帳担当者は、支払い伝票/領収書をベースに入出金-現金出納帳を作成していきます。 

こうして現金出納者と記帳者は別々の人が担当します。 

“その会社の経理がしっかりしているのか、だらしないのかを知るには、現金出納帳を見るのが一番だ。少額の現金出納もばかにしてはいけない、すべてに影響するのだ” 

資材の支払いの場合

支払い担当者は、伝票が正しく発行されたものかどうかをチェックして支払うのですが、伝票に基づいてであって、自分の意思や判断によるものではありません。支払いが必要な部署の職員は、支払い伝票を正確に記載し、証拠書類を用意して支払い担当者(経理部)に支払いを依頼しなければなりません。購買担当者は発注書/検収伝票/納品書/請求書を確認します。 

入金処理の場合

振り込みがあった場合は、その入金に関わる売掛金担当部署に連絡し、入金内容を明確にした伝票を起票してもらい、入金処理をします。お金を扱う担当者は入金伝票を発行してはならないのです。 

入金を確認した経理担当者は、得意先の売掛金を消し込みします。このようにして、入金はダブルチェックのシステムに沿って処理されなければなりません。 

会社印鑑の取り扱い

印鑑の管理について、塾長は、忙しくて時間がない為、自分なりのシステムを考えました。印箱は二重にして、外箱は手提げ金庫、内箱は小型の印鑑箱とする。そして内側の鍵の管理者である捺印者(経理部長)と外箱の鍵の管理者(経理課長)とを必ず別の者によって管理し、相互にチェックできる様にしたのでした。 

内箱は必ず外箱の中に保管します。捺印する時だけ内箱は外箱から出します。内箱を閉める時はあるべき鍵が収納されていることを別の人(経理課長)に確認してもらって施錠してもらいます。内箱/外箱は耐火金庫の中に保管されています。耐火金庫の開閉はまた別の者(経理係長)が行います。 

耐火金庫を開ける人、外箱を開ける人、内箱を開ける人/捺印する人、というように分けておくのです。 

金庫の管理

耐火金庫がシリンダー錠とダイヤル錠とを備えている場合は、必ず両方を施錠し、印鑑箱と同じように別々の者が開錠するのです。金庫は営業時間内でも施錠し、必要があって開ける時は、必ず立会人を置いて、複数の人間で金庫からの出し入れを行うようにします。 

購入手続

例えば製造部が物品やサービスの購入をする時は、購買部に購入依頼伝票を発行します。購買部から発注してもらいます。製造部が仕入業者に直接電話したり、値段や納期の交渉をすることは禁じるべきです。 

製造担当者は物を作るプロであって、物を買うプロではありません。今ではその製品が市場に溢れていて、値段が暴落していることを知らず、以前に買った高い値段のままで発注してしまう、ということにもなりかねません。購買部に任せれば、十分にマーケットの値段を調べた上で、一番適切な値段で買ってくれます。製造部が勝手に発注・購入したことにより、結局は高いものを買ってしまって損をすることになります。 

ダブルチェックは、業者に対する確実な支払いを保証することにもなります。製造部が業者に直接連絡して、すぐに部品を納入してくれ、発注伝票は後で発行するから、と業者に依頼します。業者は発注書も納品書もなしで部品を届けてくれました。業者から、“何ヶ月経っても、あの時の支払いがありません” と購買部に連絡が入りました。購買部が調べましたが、発注伝票がないのです。製造部の担当者に問い正しても、“どうだったかな、そうだったかな” という返事が返って来ました。結局、業者の方に大変な迷惑をかけてしまいました。 

この例からもわかりますが、ダブルチェックのシステムの則(のっと)り、購買部門を通してモノを買うことが必要なのです。 

反対に京セラでは、ある会社の研究部門の人から “すぐ持って来い、急ぐんだ” と電話が入り、夜中、部品を納入しました。その人に品物を渡し、受注伝票も渡しました。しかし受領票をもらっていなかったのです。京セラでは売上となっています。お客様の研究部門では、買ったことになっていませんでした。 

売掛金・買掛金の管理

営業は通常の営業活動はもちろん、売掛金の入金まで責任を持つというのが原則です。売掛金の管理は、営業管理部が行い、残高の明細を営業に報告して、契約通りの入金をうながすとともに、滞留しているものについて、その原因と対策を明確にして、早急に解決するよう指示します。営業担当者は営業管理部が発行する領収書を持って、客先に集金しに行きます。小切手、手形はすぐに本社経理部に送られ、入金処理がなされます。営業管理部は売掛金の消し込みをし、売掛金管理をします。同時に本社経理部も売掛金管理をし、営業管理部の売掛金と毎月照合します。客先から振り込まれた入金も本社経理部の管理下にある銀行口座に入金処理され、営業管理部に入金報告をし、売掛金元帳の消し込みをします。 

売掛金については営業に責任があります。各営業所営業経理と本社経理はそれぞれ売掛金入金、残高を管理します。 

買掛金については、購買管理部は検収にともなう買掛金計上、買掛金残高を担当し、買掛金支払は本社経理部が担当して集中管理します。買掛管理部からの請求書支払いの依頼があった場合、経理部はその請求書の承認を確認し、支払いをします。 

このように売掛金・買掛金の管理についてもダブルチェックを徹底します。このダブルチェックのシステムが会社で機能しているか確認するのは、社長の重要な仕事なのです。部下がやっているからいいじゃないか、ではいけません。 

作業屑の処理

作業屑を業者に売却することがあります。この時、担当者1名に任せ、業者に作業屑を売却していることがあります。業者の不正確な秤量(ひょうりょう)が見過ごされることがよくあります。担当の従業員が業者と結託して、リベートをもらう不正が起こって来ます。社長は従業員が罪を犯さないようにしなければなりません。担当者を2名にして、秤量の確認や売値の検討をして、業者に売却するようにすべきです。 

もとから悪い人間であったためではなく、ダブルチェックを受けず、業者にそそのかされ、ついつい出来心で罪を犯してしまった。屑処理といえどもダブルチェックをして社員に罪を作らせない様にしなければなりません。 

自動販売機、公衆電話の現金回収

自動販売機が社内に設置されている場合があります。総務担当者の1人に任せているケースがあります。小さなことですが、お互いにチェックできるように必ず2人で金額を確認し、毎回、経理部担当者に報告すべきです。金額の大小とは関係なく必ずダブルチェックの原則は守ることが大事です。 

一見当たり前のことですが、当たり前のことを確実に守らせていくことこそが、実際には難しいのです。ただし、これを指示するだけでは徹底されないのです。トップ自らが、本当にダブルチェックの原則が守られているか、現場に出向き、時々チェックすることが必要です。繰り返し確認していくことで、制度は社内に定着していきます。

盛和塾 読後感想文 第七十四号

アメーバ経営には、フィロソフィーが欠かせない 

アメーバ経営はフィロソフィーの共有からはじまる

  1. 自ら考え方、哲学を構築し、従業員と共有せよ

経営にとって一番大事なのは、経営者と従業員の考え方を同じくすることがアメーバ経営を行うことの最初のステップです。企業内で経営者と従業員が同じ考え方、哲学を共有することが経営にとって一番大事なことです。

その為には、社長が立派な考え方、哲学を自分自身で構築していく必要があります。“人生・仕事の結果 = 考え方 x 熱意 x 能力”という方式を塾長は説いています。絶えず、フィロソフィーを勉強していき、自分の信念にまで高めていくことが必要です。

自分の信念にまで高めたフィロソフィーを、機会あるごとに、熱っぽく語ることで、全従業員が共鳴し受け入れてくれるようにするのです。朝礼や会議、社内報、コンパを通じて従業員に考え方を共有してもらおうと努力することが大事です。

  1. 使う者” “使われる者の関係から家族的な関係へ

社長として会社を率いていかなければならない経営者と従業員とは、置かれている立場に大きな違いがあります。経営者はその責任を自覚すればするほど、緊張感と責任感に押しつぶされるような思いで頑張っています。 

この緊張感、責任感を誰かに分担したいと思うのですが、担ってくれる人はなかなかいません。従業員に語りかけ、みんなを自分と同じような考え方にしていこうとしても、なかなか、そうはなってくれません。中には、全く無視するもの、不平不満をぶつけてくる者、ついには辞めてしまう者もおります。残った従業員はあまり頼りにならない。 

経営者は労働者を搾取している。経営者・資本家の言うことを聞いても、結局搾取されることには変わりないと考える従業員もいるでしょう。 

大企業の中でも、経営者と従業員が共通した考え方を持っているような例は少ないと思われます。共有しようという努力をしていないところでは、経営者と従業員の間では、考え方が大きく乖離しているのが普通です。 

そうではなく、経営者と従業員が家族のような関係であればよいと塾長は考えました。単に“使う者”と“使われる者”という関係ではなく、親が子を思い、子も親を思うように、経営者と従業員が互いに相手のことを優しく思いやる、家族のような関係を会社の中に作ればよいと考えます。“大家族主義”という考えを会社の中に導入し、共有してもらうようにするのです。所詮は赤の他人ですから、簡単に従業員が分かってくれるわけではありません。 

経営者はどのような考え方のもとで会社を経営していくのか、考え方・哲学を確立し、その共有を図ることで、仲間意識を持てるようにします。勉強会、“気づき”ノート、朝礼、コンパ、社員旅行等を通じて、アメーバ経営の話をする中で、“大家族主義”の浸透を図るのです。 

ところが、“考え方は自由じゃないか”人がどんな考え方で会社に勤めるか、どんな考え方で人生を歩くのか、個々人の自由ではないかと考えるのが通常だと思います。“大家族主義”の考え方に同意・共感してくれるようになるのには、時間も労力も費やさなければできないことです。確かにどのような考え方をしようとも自由ですが、うちの会社で一緒にみなとやっていくと思うのなら、是非理解してもらいたい。理解してもらえない、逆に反発する人は、この会社にいてもらう必要はないとまで、言わざるを得ないこともあります。 

  1. フィロソフィーを共有し、成功を収めている塾生企業

京セラフィロソフィーでもって、考え方、哲学を経営者が勉強し、社員と共有するようにすることが大切です。そうすれば、社員との間に一体感、連帯感が生まれ、運命共同体として、会社の団結力が強まっていくのです。 

アメーバ経営はこうして、考え方、哲学を社員と共有することから始まります。まずは経営者自身がフィロソフィーを確立し、それに従って日々の経営判断、行動ができるまで高めていくことが大切です。 

平和堂の夏原さん、マルゴイの澤田さんは盛和塾でのフィロソフィーを勉強され、それを従業員と共有することができ、会社を大きく発展させることが出来ました。創業者や先代が成し得なかったような高みに企業を押し上げることができたのです。 

  1. アメーバ経営は経営のパートナーを育成する

経営者と従業員がお互いの気持ちを理解でき、お互いがお互いの為に尽してあげようと思う心が社内にできれば、さらに経営者に欲が出てきます。自分と同じように経営責任を担ってくれる人、パートナーがほしいと思うのです。

経営意識を持つ人材の育成

どんな会社でも、経営者とは孤独なものです。トップとして最終的に決断をし、責任を負わなければならないので、つねに心細さがつきまといます。自分と苦楽をともにし、共同経営者としての責任を感じてくれる社員が心の底から欲しいと思います。

会社が小さいときには、たとえ忙しくても、経営者が会社全体をひとりで見ることができます。しかし会社が大きくなるに従い、製造、営業、開発、会社のすべてをひとりで見ていくことは次第に困難になります。製造はA君、営業はB君、開発はC君、総務経理はD君と各部門ごとに責任者を任命していくことが必要になってきます。営業部だけでも、会社が大きくなりますと、東部、西部、中西部、南部というように組織を分けていくことになります。製造部門でも、採算を細かく見ていこうとしますと、製造部の責任者がひとりで管理していくことは不可能になります。製品品種別、工場別に責任者を配置することが必要になってきます。

会社が大きくなったとしても、組織を小さなユニットオペレーションに分けて、独立採算にしておけば、そのリーダーが自分のユニットの状況を正しく把握できるようになります。小さなオペレーションを任されたリーダーも、少人数の組織であるが故に、日々の仕事の進捗状況や工程管理などの組織運営を容易に行うことができ、特別な経験や能力や専門知識がなくても、自部門の運営が的確に行われます。

それだけではなく、小さなユニットであっても、そのリーダーは経営を任せられますと“自分も経営者のひとりだ”と意識を持つようになります。そうしますと、リーダーに経営者としての責任感が生まれてきます。と同時に業績をよくしようと努力をします。従業員として“してもらう”立場から、リーダーとして“してあげる”立場になります。この立場の変化こそ、経営者意識の始まりです。

そうしますと、“一定時間を働けば、一定の報酬がもらえる“という立場から180度変わって、今度はメンバーの報酬を払うために自らが稼ぐ立場になります。こうして経営責任をともに負ってくれる共同経営者がリーダーの中から次々と誕生してきます。

これがアメーバ経営を行う目的の、二番目の目的です。アメーバ経営の目的のひとつは、一般の従業員を経営者意識をもった共同経営者に育成していくことにあります。

会社を小さなユニットに分割し、その経営を社員に任せることにより、今までは“してもらう側”にいた人が、リーダーとしてひとつの部門の管理運営をしなければならなくなります。その管理責任をしなければならなくなる瞬間から、今度は“してあげる側”として考え方が180度変わり、経営者としての自覚を持つようになるのです。

ベテランの人をリーダーとして配置していきます。しかしその時点ではまだ経営者としての力量は分かりませんから“このくらいのオペレーションであればこの人は経営できるだろう”と考え、その人に見合ったユニットの運営を任せていきました。このように ON THE JOB TRAINING、まさに現場での実践を通じて育てていきます。

会社組織を分割し、“あなたはこの部門の経営責任を持つのですよ”といわれても、その人たちは経営を知りません。損益計算書が理解できなければ、小さな組織も経営することは出来ないのです。会計の素養のないユニットリーダーに経営者としての一翼を担ってもらうために社長は誰にでもわかるような損益計算書を作る必要があるのです。一言で言えば、時間当たりの採算表を作り、誰が見てもすぐに経営状態がわかるようにするのです。

  1. 組織分割の条件は独立採算ができる単位

アメーバ経営では、会社の組織をそれぞれ独立して採算を見ることが出来る単位に分割します。明確な収入が存在し、その収入を得る為に要した費用も明確に算出できるような単位でしか分割をしてはならないのです。 

製造業の場合、会社は営業と製造に分けられるとします。製造部が大きくなりますと、製造Ⅰ、製造Ⅱ、製造Ⅲというふうに分け、営業部は支店A、支店B、支店Cというふうに分けていきます。こうして組織を分割して、それぞれの組織に経営を担ってもらう責任者を任命していきます(図参照)。

f:id:smuso:20190102060927p:plain

ラーメン屋展開で3店舗のラーメン屋を経営しているとします。ラーメン屋は麺がいります。麺は自分で作った方が、買うよりも量も多いので、自分のところで作る場合もあります。自社で麺をつくったときの原価と、外部から仕入れたときの価格と比べてみて、自社で作ったほうが安いとなれば、自社で作る部門を設けることになります。スープも自社でつくることもあります。面もスープも自社でつくることになりますと、各店舗の店長は支給された麺とスープを使って、店舗ごとの独立採算で経営をしていくことになります。 

f:id:smuso:20190102061810p:plain

製麺部も独立採算です。小麦粉を仕入れて麺を作り、外部の製麺業者の作る麺よりも安く店舗に供給します。安く供給しても製麺部門に利益が出るように、部門長に経営を任せます。スープもなるべく安くておいしいものを独自に作って各店舗に供給します。スープ部門も独立採算で運営していきます。 

製造部の製麺部とスープ部は、それぞれの売上がいくら、経費がいくらかを算出して、各部の損益を算出します。製造部全体としては、この2つの部門の売上と経費の合計が損益となります。同時に営業部はA店、B店、C店それぞれ売上・経費を合計し、損益を算出します。それらを合計すれば営業部全体の損益を算出することができます。この製造部・営業部の売り上げ、経費、利益が合算され、この会社全体の業績になります。

アメーバ経営と採算表

  1. 素人経営者にもわかるように勘定科目を細かく分けていく

会社の部門別に採算管理をする、どこが儲かっているのか、儲かっていないのか、はっきり分かるように、部門別に採算管理していくことが非常に大事です。売上や経費の中味については、細かく細分化して誰にでも内容が理解できるようにしておきます。 

アメーバ間の利害対立を融和させるのはフィロソフィー

  1. 製造部門と販売部門の利害は対立する

組織を分割していくときに、部門間の利害の対立という問題が発生します。製造部は少しでも高く売りたい、営業部門はなるべく安く買いたい、と利害が対立します。 

会社という同じ船に乗っているのに、協力し合わなければならないにも関わらず、製造と販売の間で利害が対立してもめてしまいます。 

  1. 利害対立を抑えるため、利益配分を工夫する

商品を販売する場合であれば、営業部はコミッションを得るようにして営業部内の採算をあわせようとします。例えばコミッション10%は営業部の収入です。営業部は、在庫負担や広告宣伝費を負担する場合はコミッションは15%~20%等に調整する必要があるかも知れません。 

受注品の場合は、営業部は在庫負担、広告宣伝費用はありません。その場合は、コミッション10%で営業部は採算を合わせるようになります。営業部には営業マン、社内には受注担当者、買掛金担当者、会計担当者の給与、レント代、公共料金、電話料金等、経費が発生します。コミッション収入と上記の経費を引き、採算を見ることになります。 

営業が高いマージンを取りますと、製造部は“だから利益がでないのだ”と言い、逆になりますと営業部へのマージンを再考せざるを得ないことも発生します。 

  1. マージンの設置のみでは利害対立は解消できない

合理的にマージンを設定しても、営業担当と製造担当がそれぞれ自分たちの取り分を増やしてくれと主張し、社内に対立関係ができてしまいます。この利害をスムーズにするために、経営哲学、フィロソフィーが必要になるのです。相手のことを思いやる、利他の心など、フィロソフィーが必要になってきます。相手の事情も聞き、自分の事情も話していき、その中で妥当な線を見つけ、納得のいく一致点を見出す。幹部も、従業員がフィロソフィーを理解し、体得し、それを全員で共有する必要があるのです。 

  • まず経営者は社員とフィロソフィーを共有する。共有する為に絶えず勉強会、コンパ等を通じて、また仕事の中でフィロソフィーを実践していく努力をします。
  • 共同経営者を育てていくためには、会社組織を小さなユニットに分割し、それを任せていく。
  • 任せていく為には、素人でもわかる損益計算書をつくる。

こうした条件を考えながら、共同経営者育成を目指すアメーバ経営を実践していきます。

  1. 無責任な標準原価方式

営業部と製造部の間で、お客様とメーカーという形で激しい値段交渉が行われますと、社内の調和が乱れて会社が立ちいかなくなってしまうことがあります。一般に社内の組織同士を独立採算で運営しないのは、社内での売買交渉が大変難しくなるからです。 

日本の大手メーカーではよく標準原価計算方式をとっていることがあります。売上目標があり、それに基づき製造原価を決めていきます。その製造原価で本当に製造できるかも検討します。営業部の方からも、来年のマーケット情報を予測して、製造部に、この製造原価で製造してくれるよう依頼があります。こうして標準原価が決まります。製造部の目標は、この標準原価となるわけです。この標準原価で製造できれば、製造部の業績はよしとするわけです。 

しかし、競争が激しく、想定していたマーケットプライスよりも下がってしまい、製造部から引き取った標準原価以下で売らなければならないこともあります。不良在庫にするよりは、原価割れの方がましだからと売ってしまいます。利益が大巾に減少、又は赤字になったとか決算の下方修正が起きます。 

この場合、利益を減らし、赤字をつくった責任は誰にもないということになります。製造部は営業から依頼された原価 = 標準原価で作ったのです。営業部にすれば、競争が激化して誰にも予想ができなかった価格になってしまい、当初の値段では売れなかっただけで、営業の責任でもないのです。製造部の責任でもありません。責任は外部のマーケットということになってしまいます。 

  1. 時間当り採算表

各アメーバ部門ごとに損益を見ている方法として、時間当り採算表を使います。この時間当り採算表は、素人にでもわかる損益計算書に相当するものです。付加価値(労働1時間当りどれだけの価値を生み出したか、その価値をドルで表現したものです)計算書とも呼べるものです。  

f:id:smuso:20190102062322p:plain
総出荷額から総生産額までが売上についての項目で、総生産が製造部の売上高です。控除額が生産に必要な経費項目です。

控除項目を細かくわけていきますと、経費の中味がよく理解できます。自分の部門で利益が少ないのは、控除額のこの項目がかさんでいるからだと、すぐにわかります。このようにして何にお金を使ったのか、すぐにわかるような勘定科目でなければならないのです。

上の例ですと、製造部の純生産額は$100,000、控除額$30,000、差引売上高(付加価値)は$70,000、当月時間当り(総労働時間)1400時間、時間当り生産高は$50となっています。人件費(給料、給与税、健康保険、年金等)が1時間当り$35としますと、製造部は1人当り$15/時の利益をあげていることになります。

経営は飛行機の操縦と同じです。パイロットはコックピットを見て飛行機を操縦します。経営者は採算表を見てアメーバ経営をしていきます。

  1. 採算表は全員で見る

採算表はアメーバの経営を任されたリーダー、経営責任を分担してくれるパートナーだけがみるのではありません。 

各アメーバで月初に予定表を作成します。自分達の部門はいくらの売上をあげようと予定を作り、その為に原材料、電力、水道料金、等を予測します。自分のアメーバの従業員は、もちろんパートの人までも入れて全員で予測していきます。 

月末には、採算の結果が出ます。アメーバのリーダーが自分ひとりで採算表を見るのではなく、部下全員とみていきます。部下の意見も入れて、知恵を出し合いながら、アメーバ経営の採算向上を図ります。 

  1. 社会の調和を保つために、時間当りの付加価値で評価する

採算表を見ますと、総生産(売上)から、経費項目が並んだ控除額(経費)を差し引いた残りである差引売上高があります。これが付加価値です。アメーバに所属する全員がその月には垂らした総労働時間を算出します。この付加価値をこの総労働時間で割れば、その月は1時間当りいくらの付加価値を生み出したのかがわかります。これをアメーバ経営では“当月時間当り”と呼びます。 

アメーバの業績は、利益の絶対額ではかるのではなく、1時間当りいくらの付加価値を生み出したのかで評価されます。採算を利益の絶対額で評価しますと、アメーバ間に利益の差が出ます。そうしますと、利益が多く出ているアメーバは“うちは利益を多くしているのだから、うちのアメーバの人たちの賃金を上げてもよいのではないか”と考えてしまいます。そこでアメーバ経営では、時間あたりの付加価値で評価することになっています。 

総労務費を総労働時間で割り。時間当り労務費と時間当り付加価値を比べると、黒字か赤字か判断できます。こうしますと、パートの人でも自分の部門がどういう採算になっているか分かるわけです。全員参加の経営がアメーバ経営の目的の一つなのです。

盛和塾 読後感想文 第七十三号

高収益企業の作り方 

強い願望を持つことで、企業を高収益体質に導くことができます。塾生の中では、自分の会社も高収益企業にならねばならないと心から思い、その結果、営業利益率10%を超える企業が続出しています。株式公開や上場に至った会社は100を超えています。 

経営者が、我社は高収益企業になるのだ、と心から願い、誰にも負けない努力をすれば、いかなる業種においても高収益は実現できるのです、と塾長は述べています。 

筋肉質経営に徹する 

なぜ筋肉質経営が必要か

企業の体質は筋肉質でなければなりません。人間の体と同じくぶくぶくと太りすぎていたのでは健康によくありません。 

企業は永遠に発展し続けなければならない。その為には、企業を人間の体に例えながら、身体の隅々まで血が通い、つねに活性化されている引き締まった肉体を持つものにしなければならない。経営者は贅肉のない筋肉質の企業を目指すべきなのです。 

上場企業になりますと、どうしても会社をよく見られたいという意識が出てくる。高い株価を維持したい為に、利益をはじめ、すべてのものをよく見せたいと思うようになるのである。しかし見栄をはれば、贅肉ばかりがつき、不要な負担が増すばかりとなります。経営者が自分や企業を実力以上によく見せよういう誘惑に打ち克つ強い意志を持たなければなりません。 

企業の体質を表わす賃借対照表

賃借対照表は企業の資産・負債・資本をまとめたものです。 

f:id:smuso:20181226130831p:plain

資産合計が多い企業は、沢山の資産を持っているだけに立派な会社であるかのように見えます。会社が少し大きくなりますと、りっぱな本社社屋をつくろうという誘惑にかられます。土地を買い、立派な外観の建物を作ります。そうしますと、資産合計金額は膨らみます。 

ではどうして、その資産を調達したのでしょうか。もし銀行から借り入れをして立派な本社をつくったとしますと、土地・建物の代金と同じ金額が短期借入金、又は長期借入金に計上されます。資産を増やしていきますと、負債・資本合計も増えていきます。 

スリムで筋肉質の経営とは、資産を少なくして、なるべく増やさないようにする経営です。資産を小さくしますと、負債・資本も少なくなります。小さい資産の会社だから弱い企業ではありません。 

企業の損益を表すものが損益計算書です。 

f:id:smuso:20181226131313p:plain
売上高が多く、売上原価、一般管理販売費が少ない、利益が大きい。 賃借対照表では資産が少ない、負債が少ない、そういう会社が良いのです。

逆に売り上げの伸びもなく、経費も沢山使っている、利益もほんのわずか、資産の額は大きい、負債も多い、という企業は、逆に、よい会社とは言えません。健全とは言えないのです。

新品でなく中古品で我慢する

オフィス用の机、椅子、会議室のテーブル等、企業は事務用器具・家具が沢山必要です。その時は新品ではなく、新品の半額以下の中古品を購入するのです。大企業が不要になった什器備品が沢山、中古市場に出回っています。 

製造設備を購入する場合も、どうしても現場の技術者は新品の機械を買いたがるが、性能が優れた機械があっても、安易に買わず、中古品で我慢します。現在手許にある機械をいかに使いこなすかを徹底的に考え、創意工夫をこらすようにします。 

次のような分析をしてみるのも、一つのアイデアです。

f:id:smuso:20181226132939p:plain

中古機械の方がコストははるかに少なくなっています。受注量が新品機械を年間通じて100%稼働させることが出来るのならば、新品機械購入は正しい経営判断と言えます。しかし生産性向上は新品機械導入により可能ですが、実際はそれがそのまま経営効率の向上につながるとは限らないのです。 

  1. 有形固定資産の導入時には損益計算書に留意せよ

新しい機械を見ますと、誰もが手に入れたいと考えます。しかし中古機械の価格の何倍もします。一方では生産効率が中古機械と比べますと、数倍も優れています。どうすべきか大変迷うと思います。 

新しい機械を購入しますと、賃借対照表の資産の部に計上されます。会社に現金預金が充分にある場合は、現金預金が減り、機械設備として固定資産が増加します。現金預金がその分だけ減少することになります。つまり資産合計は増えません。 

ところが充分な現金預金がない場合は、銀行から借り入れをして機械設備を導入します。負債の部に長期借入金が計上されます。資産の部に機械設備、負債の部に長期借入金と膨れ上がります。 

長期借入金には金利がかかってきます。機械を5年で償却しますと、減価償却費も取得価額の1/5となります。 

一方、少額の設備を購入した場合は、その設備を買うための借入金も少なく、金利も少ないし、減価償却費も少なくて済みます。 

とはいっても中古機械の生産性は、新しい機械のスピードの半分以下です。また、中古機械の場合は人件費も多くかかるはずです。減価償却費、金利、生産性、人件費等、損益も同時に考えることが必要なのです。 

本社ビルの建設も同じことです。業績がいいと、本社ビルを建てたいという見栄心が発生し、土地を購入し、本社建物を建設します。土地・建物、資産は増え銀行借入金も増えてしまうことがよくあります。こうした大きな投資は会社の損益に長期にわたり影響を及ぼすのです。 

  1. 減損会計導入で、より顕著になった筋肉質経営の優位勢

取得原価主義の会計が原則です、すなわち取得した時の価格が賃借対照表に計上されます。ところがバブルの時期に購入した土地は値下がりが激しく、市場評価額で査定し直すことになったのです。減損会計が導入されたのです。時価が原価より低い場合は、現在の価値に引き下げ損益計算書に損失を計上することになったのです。 

三洋電機も減損会計により一千億円の損失を計上しなければならなかったのです。 

資産の部は減損会計で減少しますが、借入金は不変です。資本の部の利益余剰金が損失の為に大巾に減少し、最悪の場合は繰越欠損が増えることになります。減損会計による損失の減損計上は利益余剰金、資本余剰金、資本金の合計より大きくなることもありました。債務超過といいます。

減損会計を先送りしている企業もあり、含み損がどんどん大きくなってしまうことがあります。ブクブクと膨れ上がった脂肪を取り除くことになった途端に、たちまち体力がもたなくなり、危機的状況になってしまうのです。 

  1. 経営体質の違いで明暗が分かれたイトーヨーカ堂とダイエー

イトーヨーカ堂の伊藤雅俊さんは、スーパーを全国展開していく時、自分で土地を買って建物を作り、店を出していくというやり方をとられませんでした。イトーヨーカ堂は賃貸方式で出店していきました。 

ダイエーの中内功さんは賃貸方式では家賃が発生する。自分には信用があるから、銀行借入により土地を入手し、建物を建設するというやり方をしたのでした。賃借対照表上の土地建物は10年後には値上がりも期待できる。しかもリースと違い、レント代も支払う必要がないと考えたのです。 

一目しますと、ダイエーの中内功さんの方がイトーヨーカ堂の伊藤雅俊さんよりはるかに賢いように見えます。 

イトーヨーカ堂に賃貸する会社は、土地を買い、建物を建設し、銀行借り入れをし、利息を支払っても利益が出るから賃貸しているのです。イトーヨーカ堂は賃貸会社の減価償却、金利等の経費と、賃貸会社の利益 = レント代を支払っているのです。この利益はイトーヨーカ堂の手元には残らないのです。 

ダイエーは資産が肥大化し、借入金も増え、負債も肥大化していったのです。金利負担が重くのしかかり、デフレになり、土地・建物の価値が下がります。ダイエーの業務は大変悪化したのです。 

賃借対照表を見て、筋肉質の経営をしていくことの大切さは歴然としています。 

健全会計に徹する“セラミック石ころ”論

京セラのセラミック部品は、受注生産品です。テレビ用の絶縁部品にこういう計上の絶縁部品が欲しいと言われて、客先の要望に応じてセラミック部品を作ります。客先がテレビ用の絶縁部品を作ることを依頼して来た時、そのセラミック部品は売却され、価値があるのです。もうほかのタイプのものに手直しすることはできない、お客様使用の部品なのです。 

客先から2千個のセラミック部品の発注があった。しかしひょっとしたら追加があるかも知れない。追加で500個くらいは作って、在庫として保存していこうということになった。しかし、この500個は通常単価100円ですが、発注がお客様から来ないかも知れません。捨てるにしてはもったいない。評価はゼロにしようとします。しかし税務署は、評価ゼロとするのであるならば、捨てなくてはならない。捨てない500個分は、製造原価で評価すべしと主張します。 

経営上、資産とは価値を生み出すことのできるものなのです。上記500個分が売れるかどうか分からない場合は、保守主義の考え方から、評価はゼロとすべきなのです。 

こうした資産が工場の倉庫の中に蓄積していくことが多々あります。これがタブタブの、ぜい肉のついた賃借対照表となってしまうのです。ですから、経営者は棚卸を人にまかさず、自分の目で見て、自分の手で触れて行うべきものなのです。自分も一緒になって検品をし、こまめに見て回るようにすべきものです。 

  1. 確固たる経営哲学がなければ、賃借対照表のスリム化はできない

資産の部にある流動資産、固定資産が減れば、減った分だけ資本の部の利益余剰金が減ってしまいます。 

長期滞留の材料があったり、不良品があったり、それらが棚卸資産として計上されていることがよくあります。これらの不良在庫は将来利益をもたらすことはありません。すなわち資産としては、賃借対照表に計上してはならないものです。これらの不良在庫を帳簿から落としてしまえば、利益はその分だけ減ります。 

筋肉質の経営というのは、棚卸資産も徹底的に落とし、資産合計を少なくする経営です。経営者の中には、会社は銀行借入があるので、損失を今期計上するわけにはいかない、棚卸資産の評価減は、今年はやめておこう、利益が大きく出た時に損金に落とせばよい、と考えてしまうのです。こういうことが何年も続き、ますます業績が悪化していきます。 

株式公開している会社では、株主に会社を立派に見せたり、自分の経営者としての手腕をよくみせたいという気持ちがどうしてもあります。 

賃借対照表をスリムにしていく為には、こうした外部からの圧力・見栄で経営するのではなく、確固たる経営哲学を持っていなければ出来ないのです。 

固定費の増加を警戒する

固定費は売上や製造量の規模にかかわらず変動せず、時の経過と共に発生するものです。一方変動費は売上や製造数量に応じて変動するものです。固定費の主なものは固定資産に関わる減価償却費、人件費も大きな項目です。設備投資が増えれば減価償却費は増えます。人数も増えれば人件費も増えます。間接部門での人員はいつのまにか増えているということになりやすいのです。 

筋肉質の経営には、原材料等の操業費に連動する変動費を下げるだけではなく、固定費も一定ぐあい下げていくことにより、利益を高めていくということが大切です。 

会社の経営が損益分岐点(売上 – 売上原価 - 一般管理販売費 = ゼロ)となる売上高をできるだけ下げていく、その結果として利益を増加していくことが筋肉質の目標です。

f:id:smuso:20181226133800p:plain
新しい機械設備を購入しますと、固定費(減価償却費 + 利子)が増えます。生産性は向上しますが、しかし生産性を向上する為には、大幅な売上拡大が必要なのです。確かに大量の受注を受けても新しい機械設備を使えば短期間に生産が達成されます。製品一個当りの製造時間が短縮され、このメリットは売上増があるという前提なのです。 

固定費が増加しますと、損益分岐点はどんどん高くなり、ますます売上増が要求されます。固定費が一定ですと、売上増と変動費増の差額が利益増となります。 

固定費を低くして、変動費もできるだけおさえていきますと、売上増は直ちに利益増に結びつきます。 

こうした経理の基本は経理担当者は理解しておられます。問題は社長が理解していないことがよくあるのです。積極経営でどんどん設備投資をしようとする社長には、上記のように固定費の増加が利益を圧迫していくのだということを頭で理解していても、競争相手のやっていることや、景気動向をもとに、新しい機械設備を購入したり、本社社屋を建設したりすることがあるのです。 

投機は行わない 額に汗した利益が大切

投資とは、自らの額に汗を流して働いて利益を得ることであって、苦労せずに利益を収めようとすることではない。事業経営はバクチではありません。 

都銀の行員が“不動産が値上がりしています。みなさん土地を買って転売して儲けておられます。御社は利益が上がった分、当行に預金をしていただいて、それはありがたいことです。世間では金を借りてでも土地を買っておられます。御社にはいくらでもお貸しします。値上り確実な不動産もたくさんありますので、是非紹介させていただきたいのですが”塾長に言ったそうです。この話は“自分で汗を流して稼いだものしか利益ではない”とお伝えして終りにしたと塾長は述べています。 

世の中の動きにあおり立てられると、それに逆って自分の意思を貫くということは難しいことかも知れません。多くの社員に対して責任を負う経営者は、他人を見てその真似をするのではなく、あくまでも自分の中にある原理原則や行動の規範に従うべきである。時勢に付和雷同し、流されてはいけません。 

西郷南洲は遺訓二十五.で語っています。 人を相手にしないで、常に天を相手にするよう心がけよ。天を相手にして自分の誠を尽し、決して人の非をとがめるようなことをせず、自分の真心の足らないことを反省せよ。 

バブル景気の機、投機に走った人達が、バブルがはじけて大損をしました。その時、当事者は投機をすすめた人達を非難しました。自分の中にある原理原則や行動の規範を大切にすべきだったのですが、他人の意見や世の中の動きにつられて、間違った行動を執ってしまったのです。

投機的利益というのは、自分の本業とは関係のないところであげる利益です。損益計算書でいいますと、営業外利益のことです。 

予算制度は合理的か 当座買いの精神

来年度の事業計画を立てる場合、例えば売上20%増しにしよう。そうしますと人員も20%増し、経費も20%増しといった事業予算が作られることがあります。

しかし、実際には、売上は20%も増加しません。肝心の売上が計画通りに増えないことが多いからです。売上が増えないかと尋ねると“頑張っているのですが、今は不況でなかなかうまくいきません。現状を挽回するためには、さらに思い切って人員を増やす必要があります”と経費が先行していくことが多いのです。売上だけが計画通りに増えないということを肝に命じておく必要があります。 

使うほうの予算だけは順守され、入ってくる方の売上は期待通りには増えない。これが予算制度の実態です。 

従って、予算制度に基づいて経費を使うのではなく、原材料の購買について、毎月必要なものは毎月必要な分だけ購入する。お酒でいうなら一斗ではなく一升だけ買う。自分が今日飲む分だけ購入する。一斗買えば、一生買うよりも安いですが、余分なものは買わない。身軽になっておくのです。 

使う分だけを当座買いするから、高く買ったように見えるが、社員はあるものを大切に使うようになる。余分にないから倉庫も要らない。倉庫が要らないから在庫管理も要らないし、在庫金利もかからない。これらのTotal Cost(全部原価)を計算すると、その方がはるかに経済的なのです。 

  1. 人間の心理にかなった“当座買い”

“一升買い”は、もともとお金がないものだから、お酒でも醤油でも一升しか買えない貧乏人の生活態度を表わしたものです。 

例えば、お寿司屋さんでお刺身を食べる時、白人のお客様は、さしみ醤油皿に満杯にお醤油を入れて、刺身を泳がせて食べているのを良く見ます。テーブルにお醤油の小瓶が置いてあるものですから、余ろうがどうか全く感知しませんし、又、お醤油はタダです。人間の心理とはおかしなものです。つまり無駄遣いをしているのです。 

“多く買えば安くなるものを必要な分だけしか買うなといって、わざわざ高い値で少しだけ買う。なんでそんなバカなことをいうのですか”と反論する人もあると思います。

しかし、先述のように、Total Cost(全部原価)を考える、仕事の全体の流れを考えますと、目の前にある原材料の単価を比較するだけでは充分ではないのです。 

  1. 材料仕入から製品出荷までのよどみない美しい流れを

材料を使った場合には、その分製品となって出て行くというスムーズな流れにしますと、経営状態が即座にわかります。使った材料はすべて経費に落とす。そうして製品は同時に出荷され、売上に計上される。滞留在庫は少なく、すべての製品が出荷され、売上に計上されるというシステムですと、製品棚卸残も少なくなるのです。 

  1. 当座買いは棚卸資産を圧縮する

使う分だけしか買わないですから、賃借対照表の資産の部にある棚卸資産も抑えることができます。当座買いをしますと、原材料在庫も少なくて済みますから、棚卸資産も少なくて済みます。それだけではなく、不良在庫とか長期滞留の原材料も少ないか、又は一切発生しないのです。 

“当座買いの原則”は筋肉質の経営を実現するために大事な原則です。

盛和塾 読後感想文 第七十二号

善に見る習慣をつける 

正しい判断を行うためには、状況に対する正しい認識ができなければなりません 事実は一つしかあり ませんが、認識は観察者の視点によって左右されてしまいます。観察者の心のフィルターによて現象 は見られますから、同じ事実が善(よきこと)にも悪(あしきこと)にも解釈されます。事実というものは観察者の心のフィルターによって “漉(こ)しとられるもの” なのです。 

このフィルターは観察者の心ですから、観察者に都合のよいものは善(よきこと)、都合の悪いこと(あしきこと)となるのが通常です。正しいフィルターを持つ身には、“人間として何が正しいのか” という判断基準を絶えず保持する為、毎日の努力が必要なのです。 

例えば毎日朝から晩まで、休みなく仕事に打ち込んでいる人がいるとします。一生懸命に生きようと しているまじめな人なのです。その働きぶりは善(よきこと)と言えます。しかし、家族や奥さんの目から見ると、家族のことを少しも考えない夫と見られるかも知れません。 

この家族の場合、働きづくめの夫、と妻は、この機会に家族全員で話し合うという機会を持つことが 出来、家族会議を通じて、家族のきずなが強くなると思います。働きづくめの夫のことを肯定的に捉 えることによって、良き結果が生まれるのです。 

どちらも正しいと思うのですが、世の中には簡単に、これは善(よきこと)、これは悪(あしきこと)と判断できることばかりではないのです。しかし、そうであるならば、その人の持っている善意を信じ、ものごとを善に見ていく習慣をつけるべきだと、塾長は述べています。 

否定的なものの見方は、人を成長させることもなく、問題の解決ももたらしません。しかし肯定的な 見方に基づく認識や判断は、良き結果をもたらすのです。 

天を相手にせよ 自分の心の中の誠、真心を尽す 

“西郷南洲翁遺訓”

強いリーダーシップと謙虚さを矛盾なく発揮せよ

 遺訓十九 昔から主君と臣下が自分は完全だと思って政治を行うような世は、うまく治まった時代はない 自分は完全でないと考えるところから、はじめて下々の言うことも聞き入れるも のである。自分が完全だと思っているとき、人が自分の欠点を言い当てると、すぐに怒るから 、賢人や君子というようなりっぱな人は、おごりたかぶっている者に対しては決してこれを補 佐しないのである。

1.自信過剰剰を排し、謙虚であれ

いろいろな人から意見を聞き、自分の考えをまとめていく謙虚さが必要です。中小企業で従業員を抱える企業のトップであれば、強いリーダーシップを発揮する必要があります。 

その際、自信過剰に陥ってはならないのです。先代から働いてこられた番頭さん、ベテラン営業職員、工場長、先輩の方々の意見を十分に聞き入れて、間違いのない経営をしていかなければなりません。 

しかし、りっぱな経営ができればできるほど、それが長く続けば続くほど、経営者は自信を強め、やがて自信過剰になり、暴走することが往々にしてあります。 

経営で苦労しているとき、つまり逆境のときには、こうしたことは起きないのですが、経営が順調で発展し続けているときに、企業の大小に関係なく経営者の暴走が起こってしまうのです。 

歴史ある大企業の場合ですが、サラリーマン社長が長期にわたって権力を握り続ける場合には、ときには自信過剰に陥り、暴走することがあります。特に中興の祖と言われるよう な人ほど、そういう傾向があります。中興の祖が自信過剰になって暴走し、独裁者とまで 言われるようになり、晩節を汚すケースが多くあります。 

創業者の場合、徒手空拳(としゅくうけん)で会社をつくり、会社経営に成功しますとどうしても自信過剰に陥る可能性があるのです。

2.両極端の性格を併せ持て

“謙虚にして驕らず” という考え方を守り、周囲の人たちの意見を聞いて経営をしていけばよいのかというと、それだけでは不充分です。 

経営の原点十二ヶ条、3. 強烈な願望を抱く. 4. 誰にも負けない努力をする. 7. 経営は強い意 志で決まる. 8. 燃える闘魂、とあるように、トップには、一度決めたことを成し遂げるため、強引なまでに部下を引っ張っていく、岩をもうがつ強い意志力が必要です。 

経営者には、強烈なリーダーシップを持つと同時に、謙虚さを兼ね備えていなければならないのです。“独裁と協調” “強さと弱さ” “非常と温情” という相矛盾する両面を持っていなければならないのです。強いリーダーシップだけでは、独裁者に陥ってしまい、暴走してしまいます。一方では謙虚にみんなの意見、助言を得ながら、自分のやり方を変えていくことも必要なのです。 

しかし、企業集団をダイナミックに引っ張っていくためには、謙虚さだけで、迫力が足りないのです。強いリーダーシップと謙虚さ、この両方が経営には必要なのです。 

この両極端のジレンマは、経営だけに限ったことではないのです。“欲張って自分だけよくなろうという利己主義ではいけません。人生にも利他の心が要ります” 

しかし、家族を養うためにも、従業員を守るためにも、お金が要ります。博愛主義で周囲 の人たちみんなを幸せにしてあげようと、自分の会社の利益をないがしろにしていては、 自分の家族や会社の従業員を守っていくことはできないのです。 

自分の家族や従業員の生活を守っていく為には、利己が必要なのです。しかし、利己が過剰になってはいけないのです。“足るを知る” ということが大切なのです。 

互いに矛盾する利己と利他を自らの心の中で調和させていき、どう実行していくのか。経営でも人生でも、自らに課された課題なのです。 

リーダーはある局面で、どんな困難に直面してもひるまず、“我に続け” と自信を持って集団を引っ張っていく強いリーダーシップを発揮し、別の局面では、暴走しかねない性格を抑え、慎重にみんなの意見を聞き、撤退することも辞さない勇気もいるのです。こうした矛盾する二つの性格を使い分けることのできる人が、りっぱなリーダーなのです。 

商売をするにも慈愛が必要

遺訓二十四 道というのはこの天地のおのずからなるものであり、人はこれにのっとって行う べきものであるから、何よりもまず天を敬うことを目的とすべきである。天は他人も自分も平 等に愛したもうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である。 

道とは天道(てんとう)ともいい、道理に従ったもの 原理原則に従った道ということだと思 います。子供の頃よく聞かされた “誰にもばれないだろうと思って悪さをしたつもりでは。だけど、お天道さまが見ておられるのよ” 

西郷南洲は“畏(おそ)れ敬(うやま)うべき天は、公平無私(こうへいむし)なもので、全てを愛し給(たま)うはずだ。だから自分を愛する心を持って他人を愛さねばならない” と言っ ています。 

江戸時代の学者、石田梅岩(ばいがん)は“商(あきな)いは自分だけがうまくいけばよいとい うものではなく、天も立ち我も立つことを思うものだ”と言っています。自分が儲(もう)けよ うと思って行うのが商売だが、相手も儲かるようにするのが鉄則だと言っているのです。 

自分の心の中の誠を相手にせよ

遺訓二十五  人を相手にしないで、常に天を相手にするよう心がけよ。天を相手にして自分の 誠をつくし、決して人の非をとがめるようなことはせず、自分の真心の足らないことを反省せ よ。

1.天を相手にせず、人を相手にして起こったバブル

天を相手にせよ、とは(天=誠、真心のこと)、誠、自分の心の中にある真心を相手にし て商談にのぞむようにすることです。人を相手にするのではなく自分の誠、真心を基礎と して何事もなすべきだということです。 

バブル経済の時代には、不動産業者、銀行は、日本中の企業に不動産投資・投機を薦めました。日本中のみなが浮ついた儲け話にのり、投機に走ったのです。その結果、1億円もするゴルフ会員権を買ったのですが、バブル崩壊後には50万円になっていたのです。 

儲け話があった時、天の道、道理を踏まえているかどうかを考えなかったのです。みなが 天ではなく、人の話を相手に投機に走ったのです。額に汗もせず、右から左へとお金をまわしていくだけでボロ儲けができるとみな信じたのです。 

バブルがはじけましたら、投機をした人々は “銀行、不動産業者が金も用意するからと薦め たので、買いたくもなかった不動産を買ってしまった” と他人を咎めだしたのです。西郷 南洲は“点を相手にして己れを尽し、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし” と言っています。自分の誠が足らなかったから失敗したのだと考えるべきなのです。

2.人を相手にしては、真実は見抜けない

バブル以外にも、M資金という信じられないような話がありました。“第二次大戦後、米軍 が日本に莫大な資金を残した” “戦時中、日本政府軍部は、国民から集めた金、ダイヤモン ドを日銀の地下に保管した。それを換金した莫大な資金が国民に知らされず保管されてい る” M資金と呼ばれていました。このM資金は日本復興の為の資金で、りっぱな企業経営者 に使っていただくことになっている、とまことしやかに語られていました。 

“あなたのようなりっぱな経営者には無利子です。手続きをしますので振込手数料がいります。振込手数料は貸付金の数%です。この分だけ先に払って下さい” 

信じられない話なのですが、一部大手の企業がこの手口にひっかかったのです。 

人を相手にせず、天を相手にしていれば、だまされなかったはずです。“それは本当だろうか。ありえないのではないか” と自分の誠に照らしていく。人を相手にせず自分の中の判断基準である道理、原理原則に沿って判断していくようにすべきです。    

感性的な悩みをしない

遺訓二十七 過ちを改めるにあたっては、自分からあやまったと思いついたら、それでよし。 そのことをさっぱり思いすてて、すぐ一歩前進することだ。過去のあやまちを悔しく思い、あ れこれと取りつくろうと心配するのは、例えば茶碗を割ってそのかけらを集めてみるのも同様 で、何の役にも立たぬことである。 

ほとんどの人は、自らの過ちを認めることを嫌い、取り繕おうとします。そもそも過ちを認め ようとしないのです。 

自分が過ちを犯したと気づいたのなら、クヨクヨ思い悩む必要はない。今度は失敗しなように 、次の一歩を踏み出していけばよい。クヨクヨといつまでも悔やみ続けると身体を壊してしまいます。 

道を行うことで困難に直面しても 業が消えると思えばよい  

遺訓二十九 道を行うものはどうしても困難な苦しいことにあいますが どんな難しい場面に立っても、そのことが成功するか失敗するかということや、自分が生きるか死ぬかということに少しもこだわってはならない。事をなすには上手下手があり、物によってはよくできる人やよくできない人もあるので、自然と道を行うことに疑いをもって動揺する人もあろうが、人は道を行わねばならぬものだから、道を踏むという点では上手下手もなく、できない人もいない 。だから一生懸命、道を行い、道を楽しみ、もし困難なことにあってこれを乗り切ろうと思うならば、いよいよ道を楽しむような境地にならなければならぬ。自分は若い時代から困難という困難にあって来たので、今はどんな事に出会っても、心が動揺するようなことはないだろう 。それだけは実にしあわせだ。

1.艱難辛苦(かんなんしんく)がつくりあげた西郷の動かざる心

道理を行うということは、誠を尽し、道理にしたがってことを進めていくことです。原理 原則を守って行動する。筋を通して行動することです。そうしますと、必ず困難に遭遇するものと西郷南洲は言っています。 

西郷は薩摩の下級武士の生まれで、たいへん貧しい中で育ちました。その後、三度の島流 しにあい、茅葺屋根(かやぶきやね)の吹きさらしの牢に入れられ、辛酸(しんさん)を なめてきました。この逆境の中で、立派な志をさらに固いものとして人間性を高め続けた のです。 

 西郷は筆舌(ひつぜつ)に尽くし難い経験をして来ただけに “また大変な困難に遭って来た から、たとえどんなことがあろうとも心が動揺することはない。これはたいへん幸せなことだ” と言っています。 

2.道を踏み行えば困難に遭う

商売をしていく中で、先輩や友人に “おまえのような四角四面で原理原則だの道理だのと言っていては、堅苦しくて近所付き合いもできないだろう。ビジネスをするには、もっとく だけた、もっと世慣れた考え方で妥協しなければならない。商売をする場合には、もう少 し融通を利かせなさい” と言われます。 

盛和塾で言われている “人間として正しいことをしなければならない。それでは商売ができるわけがない。そこはもうちょっと融通を利かせてほしい” と考える人もいます。 

四角四面で筋を通せば通すほど、世の中は窮屈(きゅうくつ)になり、人から疎(うと) んじられ、いろいろな困難に遭遇していく。過ちを犯して招いた困難ではなく、筋を通したために招いた困難です。 

例えば、業界の中で筋を通した為に、村八分にされて、必ず談合を迫られます。業界の中 ではリーダーがいて、そのリーダーを中心に話し合いですべて決まってしまうのです。“談 合は不正だ。談合はしません” といえば、業界からアウトローとして排斥され、たちまち注 文もなくなって干上がってしまいます。

3.困難に遭えば過去の業が消える

京セラが遭遇した困難がありました。京セラは人口股関節を研究開発しました。厚生省の認可も受けて売り出しました。たいへん性能が良く、有名な大学病院等で使われ始めまし た。 

その病院の一つから人工膝関節(ひざかんせつ)の依頼がありました。厚生省の認可が必要でした。しかし病院側からの強い依頼に負けて、厚生省の認可を受けずに人口ひざ関節 の販売をしてしまいました。このことが後日、国会で問題になりました。 

悪徳商売をする京セラと新聞、雑誌に書かれ、世間に顔向けできないことになってしまっ たのです。その時に西村擔雪(たんせつ)老師(臨済宗妙心寺派管長)を訪ねました。“新聞等で御存知かと思いますが、大変なことに遭遇してしまい、困惑しております。やまし いことはしていないつもりです” と話しました。 

 “生きているからそういう困難に遭遇するのです。死んだらそんな困難に遭遇しません。生きている証拠ですよ。前世か現世か知らないが、それは過去にあなたが積んできた業(カ ルマ)が縁に触れて今結果となって出て来たものです” と擔雪老師が言われました。 

“たしかに今は災難に遭われ、たいへんかもしれません。しかしあなたが作った業が結果となってきたということは、その業が消えたことになります。考えようによっては、嬉しいことではありませんか” 

どれほど悪く書かれても、やましいことはしていないのだから、業が消えたと喜ばしいと考えなければならない、と塾長は語っています。 

“困難は過去の業が消える時なのだ” と思うようにする。   

自然界に存在する普遍の法則と人生

1.考え方のベースには善意が求められる

人生は心に何を思うかによってすべてが決まる。心に抱く思いがその人の人生を決めてい きます と塾長は述べています。 

思いが人生を決めるのですが、その思いはすべて善意に基づいたものでなければならない 。“優しい思いやり” がベースにならなければならない。 

一般的に企業経営の場合、同業他社を出し抜いたり、騙したり、裏切ることは戦略・戦術 のひとつと思われています。しかし、人生と同じく、企業経営の場合も、戦略・戦術を立 てる場合、あくまで善意で考えていかなければなりません。そうすることにより、その企 業は長期的に成長・発展していくのです。

2.勇気を持ち、誰にも負けない努力をする

自然界を見ればわかりますように、強くなければ生きられないようになっています。人間 も、生きていく為には強くなくてはなりません。この強さとは、相手を倒す為の強さでは なく、自分が生きていくために必要な強さです。自分自身に対して“何くそ”と努力するので す。逆境から立ち直っていく際には、勇気がいるのです。 

勇気を持つことで、我々は生き抜いていくことができるのですが、努力も必要なのです。“ それも、誰にも負けない努力” をしなければならないのです。 

自然界の中でも、必死に努力をしなければ、生きることはできません。地球上に生きてい る動植物すべてが、必死に生きる努力を払うことで、生きていくことが出来るのです。 

経営戦略・戦術を組むときに、不正なこと、人間としてやってはいけないことをベースに した場合には、一時的にうまくいったように見えても、長い目で見た時は決してうまくいきません。素晴しい優しい思いやりをベースに戦略・戦術を組めば、成功を長く持続する ことができるのです。

3.才覚と知恵だけでは真の成功につながらない

戦後の日本では宗教が軽んじられてしまい、逆に無宗教であることがインテリの象徴のようになってしまいました。学校の成績、一流大学卒といった形に見えるものさしで、リーダーを決めるようになってしまったのです。その結果、人間として正しいことを貫いていこうという考えが希薄化してしまいました。才覚や知恵をもって策略を巡らし、うまく世の中を渡っていく人の方があたかも知恵者のようにいわれてきました。こうした才覚や知恵をベースとした成功は一時的なもので、決して長続きはしません。素晴しい評価を受けていた会社が、策略を巡らして、手練手管に走り、結果として倒産していくことがよく見られます、と塾長は語っています。

4.善意で物事を解決していけば素晴らしい人生がひらける

善い思いは人間の健康にも良い影響を与えます。優しい思いやりは顔に表われます。優し い思いやりの心を持っていますと、暗い顔にはなりません。優しい思いやりの心でいます と、例え病魔に襲われても、体によいといわれています。善なるもの、優しい思いやりの ベースにした思いを自分の心の中に描き、生きていけば、人生は必ずうまくいくはずです 。財産よりも名誉よりも、何よりも常に善き思いを心に抱くことが一番大事なことなのです。 

Ralph Waldo Trine (ラルフ ウォルド トライン) の著 “人生の扉を開く “万能の鍵 ” の書いた 本の中に以下の文があります。 

“あなたが抱くどの考えも力となって出ていき、どの考えも同じ考えを引き連れて戻って来 ます。これは不変の原則です。あなたが抱くどの考えも、身体に直接に影響を及ぼす。愛 や優しい感情は自然で正常であり、宇宙の永遠の秩序に則っている。神とは愛なのだから、愛や美しい感情は生命を分かち与え、身体を健やかにするうえに、あなたのたたずまい を美しくし、声を豊かにし、あらゆる意味であなたをますます魅力的にする。さらにまた、すべてに対して愛を抱く度合いに応じて愛が戻ってくるから、それがあなたの心に直接 に影響を及ぼすから、あなたには外からも大生命力が与えられる。そうなれば、精神的な 生活も物質的な生活もつねに生き生きとして人生が豊かになる” 

愛は人に与えるものですが、同時にその愛は与えた度合いに応じて、自分に返ってきて、 自分を幸せにしてくれるのです。それは不変の原則と Ralph Waldo Trine (ラルフ ウォルド トライン) は述べています。

5.三つの煩悩を抑えていく

人は優しい思いやりのある心を常に抱くようにすべきなのですが、人間は誰でもそのようには出来ないのです。では、どうしてですか、どうしていつも優しい思いやりのある心を持ち続けることができないのでしょうか。何故なら人間にはみな本能があるからです。優しい思いやりのある心とは異なり、邪悪な心に類するものが本能なのです。お釈迦様は “煩悩”といっておられます。我々が生きていくためには、どうしても自分の肉体を維持してい かなければなりません。肉体を維持していこうとすると、自分が物を独占しようという利 己的な思い、行為が、つまり “欲” が必要なのです。また自分に危害を及ぼすものに対して抵抗しようとする “怒り” が、又、自分の欲望が満たされない為に “愚痴(ぐち)”つまり “怨(うら)み” “恨(つら)み”  というネガティブな思いを心の中に抱いてしまうのです。“貪欲” “怒 り” “愚痴” の三毒が煩悩となって心の中に巣(す)くうのです。 

これらの三毒が過剰になった場合、身を滅ぼしていくことになるとお釈迦様はおっしゃっ ています。煩悩を抑えていかなければ、美しい思いやりの心は出て来ません。欲、怒り、愚痴は人間が生きていく為に神様が与えてくれたものですが、重要なことは、過剰になら ないように抑えることです。 

世のため、人のため、優しい思いやりの心をもたなければならないと、自分の理性に訴え、自 分自身を正していかなければなりません。毎日毎日繰り返し、自分を正していかなければ それが心に定着することはないのです。放っておくと、悪しき煩悩が心の中に渦巻くので す。人間の心の中には常に煩悩が出て来ますから、それを繰り返し抑えていくことが大事 ですと、塾長は述べています。 

6.優しい思いやりの心が周囲も幸せにする

自分の貪欲、怒り、愚痴を少しでも抑える、世のため人のために何かしてあげようという 優しい思いやりの心を育てるように、自分に繰り返し言い聞かせることが大切です。優し い思いやりのある心が少しでも定着していきますと、それが心の中に占める比率がだんだ んと大きくなっていき、その人の日常の行動として現われて来ます。非情も優しい思いや りのある心になってくるのです。煩悩がまさっている人が周りにおられても、思いやりの ある人の心、気持ちに惹かれて、すべての人がなごやかな気持ちに変わっていくと思いま す。 

いつもブツブツ文句を言っている人、正義感から出た抗議かも知れません。しかし常に愚 痴、不平不満をもらし、不愉快な思いで生きている、勝ち負けにこだわったり、損得にこ だわったり等、否定的な思いを心の中に抱いていますと、その人を幸せにはしません。周 囲の人にも悪影響を及ぼします。 

優しい思いやりに満ちた戦略・戦術を立て、自分自身が苦労し一生懸命努力する。たとえ 逆境にあっても、どんな不幸に見舞われようとも、愚痴をこぼさず、それにめげずに明る い未来を想像し、勇気をもって努力を重ねる。そういう生き方をしておれば、人生は必ず 素晴らしい方向へ変わっていくのだと思うと、塾長は述べています。 

7.逆境が成長を促す自然界の法則

剪定(せんてい)した庭木がものすごい勢いで伸びます。自然に生えている木に比べて、 剪定した庭木のほうが早く伸びていきます。剪定しなかった木はそんなに大きく伸びることはありません。剪定するというのは木を傷めつけるわけです。傷めつけられた木はその傷みをバネにしてすごい勢いで成長します。 

経営でも、苦しんだり、健康を害して病気で苦しんだりします。しかしそのような逆境は 我々を強くし、立派にしていくために自然が与えてくれた試練と考えることができます。 

その他にも例があります。麦は 冬の間に麦踏をしてか弱い芽を踏みつけて折ってしまいま す。ところが春になれば、麦は大きく育ってくるのです。 

自然界の法則と同じく、我々人間も苦しい逆境や病気は自分をもっと強くする為に天がく れた試練と考えられると思います。 

8.心の底を耕し、雑草の種を除く

ジェームズ・アレン著の “原因と結果の法則” (A MAN THINKS)の本に出てくる一節です。 

 “人間の心は庭のようなものです。それは知的に耕されることもあれば野放しにされること もありますが、どちらの場合も何かが生えてきます。もしあなたが自分の庭に美しい草花 の種を蒔かなかったら、そこには雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い茂ることに なります。 

優れた園芸家は庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育(はぐく)みつづけます。同様に私達も、もし素晴らしい人生を生きたいのならば、自分の心の庭を掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、そのあとに清らかな正しい思いを植え付け、それを育みつづけなくてはなりません“ 

心というものは庭のように手入れをしなければなりません。手入れをしないと雑草が生い 茂ることになります。煩悩の中でも、貪欲、怒り、愚痴、このような思いが出ないように 手入れをしないと、すぐに悪しき心が雑草のように茫々と生えてきます。そのような雑草 をひっこ抜き、あなたの心の庭を耕し、優しい思いやりに満ちた草花の種を植えなさい。 そうすればあなたの人生を素晴しいものにする美しい花が咲きます。咲いた花は必ず実を つけ、あなたに潤いのある人生を与えてくれるでしょう。 

常に自分の心の手入れをして善き思いを心に抱くような生き方をするということが、大変 大切なのです。この宇宙は愛によってできています。愛とは美しい思いやりの心です。し たがって、あなたの美しい思いやりのある心、気高く純粋な心というのは宇宙の流れに合 致する非常に力強い力を持っているのです。

9.気高く純粋な心が第二電電(KDDI)を成功に導いた

気高く、純粋な心に臨んだビジネスは必ず成功を収めるのです。第二電電(KDDI) は一般 大衆のために通信料金を安くしてあげたいという純粋な思いのみでスタートしました。気 高く純粋な気持ちだけで頑張っていくうちに、第二電電はいつの間にか 新規参入した会社 の中で先頭を走りだしたのです。 

世のため人のために何か本当に善いことをしてあげたいといった気高い、純粋な思いを抱 き、誰にも負けない努力を重ねていくことが、人生においても経営においても素晴らしい 結果をもたらしてくれるのです。

盛和塾 読後感想文 第七十一号

エネルギーを部下に注入する 

リーダーが自分ひとりで達成することが難しいような仕事には、部下の協力が必要です。たとえリーダーが情熱に燃えていても、部下が同じような熱意を持たないことにはそのプロジェクトを成功させることは難しいことです。 

最高の経営資源 - 資金、技術、資産を与えられたとしても、部下が情熱をもっていなければ、プロジェクトは成功しません。 

しかし、物的資源が不充分でも、リーダーが情熱を込めて部下にプロジェクトの意味や目標について話し、彼らの士気を自分と同じレベルにまで高めることができれば、成功させることは可能になります。自分のエネルギーを部下に注ぎ込むのです、と塾長は述べています。 

いずれにしても、部下がどのくらいプロジェクトに対し情熱を持っているかを知り、部下が情熱で燃え上がるまで自分のエネルギーを注ぎ込むことがリーダーの最も重要な任務です。 

リーダーの持つエネルギーの源泉が大事です。事業の目的・意義を明確にし、事業計画をしっかりと立て、目標を部下に明示できることが重要です。リーダーが明確な目標について確信を持ち、部下にそのエネルギーを注ぎ込むことが大切です。リーダーがその目標について、確信を持って従業員に話すことが出来なければならない。 

正道を踏み、勇気をもって行う 

西郷南洲の財政論と企業経営 遺訓十三、十四、十五

遺訓十三. 税金は正しく堂々と払うべき

税金を少なくして、国民生活を豊かにすることこそ国力を養うことになる。だから、国にいろいろと事柄が多く、財政の不足で苦しむようなことがあっても、税金の定まった制度をしっかり守り、上流階級が損を我慢して下層階級の人たちをしいたりしてはならない。昔からの歴史をよく考えてみるがよい。道理の明らに行われない世の中にあって、財政の不足で苦しいときは、必ず片寄ったこざかしい考えの小役人を用いて、悪どい手段で税金を取り立て、一時の不足を逃れることを財政に長じた、りっぱな官吏とほめそやす。そうおいう小役人は手段を択ばず、むごく国民を虐待するから、人々は苦しみに耐えかねて税の不当な取り立てからのがれようと、自然にうそいつわりを申し立て、また人間が悪賢くなって上層下層の者がお互いにだましあい、官吏と一般国民が敵対して、しまいには国が分裂、崩壊するようになっているではないか。 

日本の財政が破たんしかけている現在、西郷南洲の遺訓十三は大切なことです。財政の不足を補うために、消費税を引き上げる、増収を図ることが検討されています。 

財政が逼迫(ひっぱく)した時、増税によって立て直しをしようとする。西郷南洲は“租税の定制を確守し”と言って、国と地方自治体を維持するために必要な費用から算出して定めた租税制度を、財政不足で苦しむようなことがあったとしても、変えたりするものではないと説いています。財政不足となり小賢い小役人が取り立てをすれば、国民はまともに税金を払うまいという気持ちになり、国民と国との間に不信感が増します。 

財政不足の場合は増税ではなく、国や地方自治体の経費を削減すべきなのです。無駄遣いを減らし、公務員給与のカット等、経費削減を公務員が力をあわせ、実行することです。 

公認会計士や税理士が“税務署員が調べに来た時は、手ぶらで帰らせるわけにはいきません。何かお土産がいります”などということがあります。税務調査に来た役人に功績を作ってやるという、浅はかなことをすることが良くあります。 

国家公務員試験を受けて、財務省に入った30才前後のキャリア組が税務署長として赴任します。実際の税務調査の仕事はノンキャリアの職員が担当します。とくにキャリア組の役人は、民間がどれだけの辛酸をなめて利益を出してきたのか知ろうともしません。 

こうしたことを目にしますと、税金を真面目に払うことがばかばかしくなってしまうと思います。にもかかわらず、塾長は “税金から逃れようという根性では会社はよくならない。堂々と税金を払いなさい” と言っています。 

しかし正確な税金を払う、その資料もよく整理整頓されており、税務調査にいつ来られても対応できるようにすると、いろいろな意味で会社の役に立つのです。 

・社会の為、国の為に税金を支払うことによって、会社は社会貢献をしています。

・社内の内部統制システムが良くなります。効率のよい経営、不正が発生しにくい会社

 の組織が構築されます。

・税務調査に対応する職員の時間が節約される

・銀行融資申請の際、銀行からの信頼が得られ、融資を受けやすくなります。 

ブラジルの盛和塾生の話があります。

塾長が正しい経営をせよと言われるので、私も正しい決算、正しい申告をして、税金を払うようにしました。ブラジルでは、そのようなことをすれば、もっとあるのではないかと税務署員がたかりに来ます。ですから、バカ正直では経営はできないと言われています。正しく税金を払い始め、銀行にも正しい決算書を持って行くうちに、銀行が“あなたの会社は大変すばらしい。事業拡大するときは、喜んでお金をお貸しします”といってくれるようになりました。借入をする計画はありませんが。 

  1. 切羽詰まる前に手を打て

景気が悪くなると、リストラを行う企業が増えます。リストラは希望退職者を募集するとか、賃金カットをするとか、人件費削減を中心に行われます。リストラによりその場をしのぐのです。これは小役人が、税金を取り立てて、民衆を苦しめるのと同じと思います。 

リストラの段階まで、手を打たないのではなく、何とかリストラをしない方法を考えるべきなのです。事前に手を打って経営を安定させていくことが必要なのです。経営不振の時に、急にリストラを実行すれば、従業員と経営者を離反させてしまいます。民衆と国の関係と同じく、企業の場合でも従業員と経営者の間に不信感が募ってくれば、会社はうまくいかなくなります。 

  1. 危機的状況の日本の国家財政

日銀が、量的金融緩和を解除すると発表しましたが、そうしますと、市場のカネが詰まり、金利上昇が起きます。金利が1%でも上昇すれば、借金が1千兆円としますと、国の金利負担は、年間10兆円も増えます。この負担を国債発行でしのごうとします。ますます借入が増えていきます。 

こうして国債費が上昇して来ますと、歳入不足に落ち入り、政府は増税に走ります。増税をすれば、国民の負担が増えて、景気が後退します。増税は卵ですが、国民であるニワトリは卵を産む力が弱まるのです。国の景気が下降しますと、国民の所得(個人も企業も)が減ります。そうしますと、税収も減るのです。 

国民の持っている、富を増やすことになり、そこから得られる税金が国の財政を潤すのです。国民を虐げ、そこから富を搾取し、国を運営していくことは自殺行為だと塾長は述べています。 

  1. インフレ率を上げることに危惧

インフレ率は年2%が必要だと日銀は目標数値を掲げています。インフレが2倍に進行しますと、名目所得は2倍に増え、税収も2倍に増えます。そうしますと以前に発行した国債 - 借入金は目減りして、半分になるわけです。そうしますと、国債を買った人の投資価値は半減してしまうのです。インフレの進行は投資した国民の富を減少させてしまうことにもなりかねません。 

国民の預貯金も金融緩和でほとんど利息収入はありません。インフレが進みますと、預貯金の実質価値は、名目的には変わらないですが、確実に目減りするのです。 

遺訓十四. 会計を総理する者が行うべきこと

国の会計出納(金の出し入れ)の仕事はすべての制度の基本であり、あらゆる事業はこれによって成り立ち、国を治める上でもっともかなめになることであるから、慎重にしなければならない。そのおおよその方法を申し述べるならば、収入をはかって支出をおさえるという以外に手段はない。一年の収入でもってすべての事業の制限を定めるものであって、会計を管理する者が、一身をかけて決まりを守り、定められた予算を超過させてはならない。制限を緩慢にし、支出を優先して考え、それに合わせて収入をはかるようなことをすれば、結局、国民に重税を課するほか方法はなくなるであろう。もしそうなれば、たとえ事業は一時的に進むように見えても、国が衰え傾いて、ついには救い難いことになるであろう。 

経営哲学・思想は、頭の中でそらんじているだけでは意味がありません。現場の経営に落とし込んでいかなければなりません。すなわち数値にまで落とし込んでいくことが必要なのです。 

経営というものは、会計、経理がわかっていなければ、できません。売上については売上明細(顧客別、製品別、事業所別等)が必要です。経費も細分化して具体的に節減していく方法が見つかるようにしなければなりません。 

経理を担当者たちにすべて任せていてはいけません。どのように記帳されているのかということまで経営者がみるべきなのです。 

西郷南洲は “入るを量りて出ずるを制するの外更に他の術なし” と言っています。“経営とは売上を最大に経費を最小にすることに尽きる” と塾長も同じことを述べています。 

売上最大、経費最小を目指す為には、細分化した資料が必要です。それから、具体的な行動に結びつけることが必要です。どうすれば売上が増えるのか、顧客のベース、製品、サービスの内容・種類等、経費であれば、どこを減らしていくのか検討できるような会計経理資料が必要なのです。 

西郷は “会計を総理する者” と述べています。総理する者は社長のことです。社長が身をもって制(ルール、規則、予算)を守り、これを超えてはならない。われわれの会社では今月これだけの経費予算があったとしますと、社長もこれを守らなければなりません。 

西郷は “否(しか)らずして時勢に制せられ、制限を慢(みだり)にし、出ずるを見て、入るを計るなば、民の膏血(こうけつ)を絞るの外ある間敷(まじ)く也(なり)” と述べ、“支出が多くなったために、それに合わせて収入を増やさなければならないと考えるならば、税金を国民から取り立てることになり、国が傾くことになる” と説いています。 

企業経営でも同じことがあります。“新規事業をやれば、出費が増えてしまうだろうけれど、この新規事業が立ち上がれば、必ず来年、収入が大きく増えるはずだ” と考えてしまいがちです。売上よりも経費が先行して出費が大きくなっていきます、と塾長は述べられています。京セラでは来期の収入を見込んで、今期の赤字を許容したことはありません。設備投資や、新規事業展開の鉄則は、赤字にならないように体力に応じて経営することです。一時的に赤字になっても来期に取り戻せばよいと考えてはなりません。 

例えば、不要不急の本社建設にも言えます。会社が立派になるにつれて、新しい本社ビルを建てるようなことがあります。しかし、本社は多少でもビクともしないくらいの余裕ができてから建設を考えるべきなのです。 

遺訓十五. 身の丈にあった設備投資を行う

常備する兵数、すなわち国防の戦力ということであっても、また会計の制限の中で処理すべきで、決して軍備を拡張して、からいばりしてはならない。兵士の気力を奮い立たせて優れた軍隊をつくりあげるならば、たとえ兵の数は少なくとも、外国との折衝にあたっても、また、あなどりを防ぐにも事欠くことはないであろう。 

明治維新の時、政府は新しい近代国家を造ったのですが、大変な財政難でした。周辺には、ロシアが南下、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、欧米列強も近代的な軍艦を引き連れ、協力な武力をもって日本に開国、通称を迫っていました。こうした中で、国内では軍備増強を、国防をはかるべきという意見が噴出(ふんしゅつ)したのでした。しかし西郷は財政の許す範囲でしか、軍備を拡張してはならないと言っています。 

たとえ少い戦力でも、精鋭に育て上げれば、世界の強国から悔りを受けることは決してないはずだ。だから虚勢を張って軍備を拡張し、国家を財政破綻させてはならないと西郷は戒めています。 

塾長三十歳の際、ファインセラミックの視察でニュージャージーにあるセラミックの会社を訪問しました。その会社は最新のドイツ製の機械を何十台も備えて生産していました。ドイツ製の機械は値段は中古の京セラの機械5台分合計よりも高いものでした。その機械は人手もかからなく、京セラの機械生産能力の5倍でした。しかし設備費用としては、はるかに高価なものでした。そうしますと、京セラの機械で生産した方が一個当たりの原価は低いことに気がつかれました。塾長は、京セラはこのドイツ製の機械は買えないが、京セラ中古機械のほうが安く生産できますから、設備投資はしませんでした。京セラでは1人が2~3台の中古機械を見るようにしたのでした。その後、そのセラミック会社は倒産し、その当時の社長は京セラグループの会社に勤めることになったそうです。 

設備投資も自分たちができる範囲内でしなければならない。身の丈に合った設備投資をしていくことが大事なのです。 

西郷南洲の外交論と企業経営 遺訓十七、十八 

遺訓十七. 交渉の要諦は正道を踏むこと

正しい道を踏み、国を賭して倒れてもやるという精神がないと外国との交際はこれを全うすることはできない。外国の強大なことに恐れちぢこまり、ただ円滑にことを収めることを主眼にして自国の真意をまげてまで、外国の言うままに従うことはあなどりを受け、親しい交わりがかえって破れ、しまいにはがいこくに制圧されるに至るであろう。 

“国を以て、斃(たお)るるの精神” とは、国が敗れてもよいというほどの勇気を持つこと、つまり外交交渉は正道を踏んで、勇気をもって行わなければならないと西郷は説いています。 

筋を通していこうとすれば、場合によっては戦争となり、国が倒れるかも知れない、それでも構わないから正道を踏み、勇気をもってやっていかなければならない。 

京セラはフェアチャイルド社、半導体メーカーにセラミックスを納入していました。フェアチャイルド社は他のアメリカの会社から低融点(ていゆうてん)の特殊ガラスを買い、セラミックスの板2枚に半導体を挟み、半導体にコーティングしていました。2~3年後、フェアチャイルド社は京セラにコーティングの仕事を依頼して来ました。京セラは低融点の特殊ガラスをアメリカの会社から購入しようとしたのですが、反対にその会社は京セラからセラミックスを購入し、自分達でコーティングしてフェアチャイルド社に売却すると言ってきたのです。つまり、この特殊ガラスのメーカーは京セラのビジネスを自分のものにしようとしたのでした。 

京セラにとってフェアチャイルド社は最大のお客様で、売上の50%を閉める大顧客でした。

塾長はフェアチャイルド社に “ビジネスの道理にもとるような仕打ちを受け、私は大変憤っている” と伝えました。フェアチャイルド社の幹部にお願いしました。“フェアチャイルド社は従来通り特殊ガラスを買って頂き、それを京セラに売却してください” と依頼しました。フェアチャイルド社は京セラの依頼を受け入れてくれました。 

特殊ガラスの製造メーカーは、セラミックスの工場を立ち上げたそうです。しかし数年後、京セラに工場を買ってくれないかと連絡があったそうです。過剰投資をしたため、売却せざるを得なかったそうです。答えは “要らない” でした。 

自分が正道を踏んでいる、正しいと思っているならば、相手に気圧されることなく国が斃(たお)るるともいう気概でもって交渉に臨むことが必要なのです。 

遺訓十八 正道を踏む勇気を持て

我が国の事に及んだとき、たいへん嘆いて言われるには、国が外国からはずかしめを受けるようなことがあったら、たとえ国全体がかかってたおれようとも正しい道を踏んで、道義を尽くすのは政府のつとめである。しかるにかねて金銭や穀物や財政のことを議論するのを聞いていると、なんという英雄豪傑かと思われるようであるが、血の出ることに臨むと頭を一ところに集め、ただ目の前の気休めだけをはかるばかりである。戦の一字を恐れ、政府本来の任務をおとすようなことがあったら、商法支配所、すなわち商いのもとじめというようなもので、一国の政府ではないというべきである。 

西郷は朝鮮政府と国交を求めた機、他の政府官僚が “軍隊を派遣して開国させる” と主張した時、“それはだめだ。普通の小さな船で、私ひとりが丸腰で行き、正道を踏んで、朝鮮に自らの非をわからしめるように諭す。そうすれば開国してくれるはずだ” と述べました。しかし、“あんな無礼な朝鮮だから、いくらあなたが正論を言っても殺されるに決まっています。やはり軍隊を率いて堂々と外交交渉に行くべきです” と他の官僚が言っていたそうです。西郷は答えました。“殺されても本望だ。もし、私を殺すような非礼なことをするならば、そのときこそ戦えばよい。最初から喧嘩腰では戦争になるに決まっている” 

経営者も、小さな会社であっても、自分で引っ張っていこうと思うならば、燃える闘魂が必要です。中小企業の場合はとくに闘魂、勇気がどうしても必要なのです。 

心の学びと会計 

  1. 決算書が読めなければ経営にはならない

稲盛経営哲学は、経営哲学そのものを学ぶだけではなく、経営には経理、会計があり、決算書があり、決算書が読めなければ、経営にはなりません。 

決算書は経営者の考え、意思決定が反映されたものなのです。ですから決算書は経営者の成績表であり、反省し、改善する為の道具だと思います。 

  1. 会計への理解があってフィロソフィーが生きる

盛和塾で学ぶ経営の原点12ヶ条にしても、すべて会計に直結しているのです。こういう哲学で会計処理をしなければならない、会社経営をしなければならないというのが経営哲学なのです。 

経営哲学を学んだら、それを具体的に経営の現場に落とし込んでいく作業が必要です。経営哲学を憶えるだけではなく、それを具体的に現場に落とし込んでいく。それは経理の部門にも落とし込んでいくということです。 

“売上を最大に経費を最小に” は、経営の原点12ヶ条の一つです。この原点は直接経理に反映されるのです。このように経営哲学は観念論ではなく、経営の具体的なことを述べているのです。決算書を見ることにより、過去にどういう経営をしたのかがわかり、それを反省することにより、将来の経営に役立てることができるのです。 

  1. 盛和塾で学ぶ意義

盛和塾のメンバーの中には、どうしても会社を大きくするということを目標にしている経営者が多いと思います。ただし、業種も異なりますから、必ずしも企業規模を大きくすることが目的ではないのです。成長させることだけが目的ではなく、素晴しい高収益の会社にするのを目指すのです。高収益の会社とは、安定経営を行う企業です。財政的にも安定した経営をし、不況時にもびくともしない会社にするのです。従業員の雇用を守り、安心して勤めてもらうようにする為に、高収益で強い財務体質の会社をつくるのです。 

フィロソフィーと会計 

  1. 哲学が真に身につけば性格・人格が変わる

哲学や思想は、毎日自分の頭の中で繰り返し学び、日常の判断や行動になって表れるまで身についていなければ使えないものです。身につくとは、人格が変わるということです。思想や哲学が見識となり、身についてくれば、当然それは自分の人となりになってきますから、性格も、それに見合ってくると思われます。 

親戚、妻から、“お父さんは最近変わったね” と言われることがあります。それは性格が変わったからなのです。 

お坊さんは皆、お釈迦様の教えを学んでいます。若い頃から修業をしていますから、お坊さんは皆、徐々に性格や人格が似かよった風になるはずです。ところが、全然そうなっていないお坊さんが多いわけです。 

“哲学” が一人歩きしていて、勉強だけしているだけで、実際に使っていない人が多いと思います。“わかっている”  “知っている” ということだけになる。同じ本を読んでも、話を聞いても、“前に読んだ”  “前に聞いた” としてすませてしまうのです。そうではなく、その同じ話を繰り返し学び、血肉として自分の中に落とし込んで、身につけてしまうのです。“欲張り” になるのです。立派な素晴らしい本を良く選び、何度も繰り返し空んじてしまうぐらい読み込みますと、また自分の手に要点を書き留めることにより、頭の中に叩き込み、身につく様にするのも良い方法と思います。そうするうちに、哲学や思想が習い性になって、実際に自分の口で言えるようになってきます。そうすることによって、経営の現場に使えるようになります。 

  1. 運命はその人の人格に宿る

我々はそれぞれ運命を持っています。しかし運命というものは変わらないものではないのです。善きことを思えば、よい結果に運命が変わる、悪い事を思い悪い事をすれば、悪い運命に変わっていきます。塾長は述べています。善いことを思い善いことをする。悪いことを思い悪いことをする。日常、それをしているわけですから、性格そのものが変わっていくのです。善いことをしなければならないと、よいほうに運命を変えなければならないと思い。そういうように実行し始めれば、今までの卑劣な人間の性格が優しく良い方向に変わっていくはずだと塾長は述べています。 

正しい思想哲学を身につけて、日常の経営で実践すれば、その人の性格が変わると同時に、その人の経営している会社全体も変わっていくのです。正しい思想、哲学に基づいて、善きことを思う、善き会計処理をしていきますと、会計システムや処理の方法の中に、正しいフィロソフィーが取り込まれていくのです。 

  1. 孤独な経営者と経営者同士の真の語らい

どなたも経営者は悩みがあります。悩んでいることを自分の妻に話してもわかってくれませんし、解決にもならないでしょう。会社に相談しても “それは経営者が決めることでしょう” と答えが返ってきます。ところが、盛和塾では経営を同時に学ぶのと同時に、真の友人と語らう場がつくれます。 

孤独に耐えられず、自分の部下である副社長、専務、常務、部長に愚痴をこぼす、悩みを相談する経営者もいます。軽々しく “アイツを首にしたい” というようなことを言いますと、社内に広がってしまい、もうそれだけで人心がうわつき、会社の中に不協和音が発生します。よしんば、心の中で思っていても、部下にしゃべるわけにはいきません。 

  1. フィロソフィーを語る二つの目的

孤独な経営者は、自分と同じように考えてくれる部下はいないものかと考えます。そして一緒に協力していけば、会社はどんどん成長発展していくに相異ない。経営者の夢です。そんなものは、この世には望めないのが現実です。 

京セラでは、塾長と苦労を共にし、会社の将来の心配をしてくれる人というのは、稲盛哲学を理解し、それを身につけた人であってほしいと思いました。その為に、塾長は膨大な時間とお金を使い続けたのでした。京セラフィロソフィー、経営哲学を絶えずコンパなどを通じて話していて、それが本当にわかる、実行できる人を幹部に昇進させたと塾長は語っています。 

人材を育成するのは、大変な仕事です。立派な経営者を育てていくには、部下の育成に努力を重ねなければいけません。どうせ理解されないから育てられないからといって、諦めるわけにはいかないのです。 

死んだ父母の供養の為に、子供が石を積み上げ塔を作ると鬼がそれを壊すが、地蔵様に救われて墓石を積む、“賽の河原” といいますが、石を積み重ねる作業は、従業員の一人ひとり立派に育てていく作業と同じだと塾長は述べています。 

社内の同僚の気持ちをわかってくれ、本当に気持ちを一つにしてやってくれる人を育てていくために、社内でフィロソフィーを話していきます。自分と同じレベルの幹部社員を育てるのです。 

我々経営者は “あせらず”  “あわてず”  “あてにせず”  “あきらめず”  “あたまにこず” と、辛抱強く部下を育てなければならないのです。これがリーダーの大きな大切な仕事なのです。

フィロソフィーの勉強は結論として、以下の2つの目的があるのです。

・自分と同じような幹部を育てていく。

・従業員全員に、うちの会社はこういう思想、哲学で経営することを浸透させること。

  1. アメーバ経営のルート

協働経営者育成がほしいと考えた、又、全員経営参加を考えた塾長は、その為にフィロソフィーを説いていくと同時に、アメーバ経営というものを始めました。 

アメーバ経営では、幹部社員にフィロソフィーを注入していき、一部門を一幹部社員に任せ、責任を持って採算を全部見て、黒字経営をしなさいと任命します。特定の幹部社員を集めてコンパをし、フィロソフィーを教えていきます。考え方が浸透した時点で、部門の責任者に幹部社員を任命するようにするのです。 

これが部門別の小集団における管理会計(アメーバ経営)の始まりです。 

フィロソフィーと人材育成 組織論・会計学で高収益体制へ 

一般の製造メーカーでは、製造部は標準原価(予定に基づいた材料費、労務費、製造間接費の合計)で目標原価を決めています。営業部はその標準原価に目標売上総利益率(例えば45%)と加えて販売価格を決定しています。 

しかし売る方は、目標価格(標準原価+売上総利益)で売るわけではなく、市場価格でしか売ることができません。製造部門は標準原価で製品を製造しておれば、責任は果たしていることになります。

 製造部長に、会社はどれくらい利益がありましたかと質問しても、知らないのです。いくら儲かっているかには責任はないのです。 

営業は、お客様にはいくら目標価格で売ろうとしても、市場価格がありますから、お客様は目標価格は高すぎると言って、実際の売値は目標価格よりも低くなってしまいます。ひどい時は売価は標準原価以下になることもあります。 

こうして会社全体で赤字になってしまうのです。誰の責任でもないのです。経営者は言い訳をします。市況が悪く、値下がりが続き、赤字になったのです、と。 

こうした標準原価方式ではなく、営業部は営業部収益として10%のコミッションを取る。市場価格が下がる時には(市場価格 – 10%コミッション - 売上総利益)で、目標製造原価を考えてくれる様に要請します。製造部は、原材料仕入価格、効率的な作業、光熱費・経費削減等、製造原価削減の努力をするのです。そして、製造部門も市場の情報に適応していくように、会社をあげて経費削減に努力するのです。 

毎月、月次決算、損益計算書、製造原価計算書等を公表して、検討会をやります。 

このようにして、フィロソフィーの浸透を図り、人材の育成を図り、全員参加を促し、組織論・会計システムに落とし込んで行って、アメーバ経営が成り立つのです。 

経営哲学フィロソフィーは経営者の分身を作るツール 

経営哲学のフィロソフィーを社員に解ってもらうとは、経営者意識をもった人材を育てる、その人達に組織の経営者組織を任せたいという目的があるのです。 

  1. ともに経営して欲しい人にフィロソフィーを伝授

中小企業の場合、いっしょに仕事をして、フィロソフィーの勉強をして、人を育てていこうとするのですが、ちょっとわかって来てくれたなと思ったら、ポッとやめていってしまいます。 

どうしても頼りになる部下が欲しいと思ったら、フィロソフィーを教えなければならないのです。ですから、その人がどのくらいフィロソフィーを理解しているかが大切です。 

フィロソフィーを社員に話して会社全体に浸透させていけば、会社の雰囲気がよくなって来ます。会社全体のベクトルも揃っていきます。いちばん大事なことは、自分と同じレベルの経営者を育てることが目的だということです。 

  1. 部門長が採算を見られるようにする

経営者はあなたです、責任者はあなたです、独立採算であなたが社長として、この部門の採算を見てほしいのです。 

部門長は原材料、労務費、製造間接費についても精通して、自部門の人をまとめて、利益を出していくという責任があるのです。 

経理、会計の知識がない場合は、経理部から部門別の損益計算書を入手し、指導を受けることが必要です。そして、部門別採算というものを自分でつくらせるようにするのです。 

会社の組織をどのように部門を分けていくか。これは一般に独立採算で、採算が見られる最小の組織に分けるのです。 

  1. 任せるのではなく責任を持たせること

責任を持たせれば、思い切って任せなければならないので、任せきらないで部下を叱ったり、口を出すことは考えなければならないと考える経営者がいるかと思います。権限の委譲ということで、任せっぱなしにしておくのは下の下なのです。任すのではなく、部門の採算について責任を持ってもらうということです。 

責任を持ってもらうとすれば、自分自身、社長はその上の責任者ですから、うまくいかなければ、手助けをし、ああしろ、こうしろとするのは当り前です。それを一度任せたのですから、いっさい何も言わないというのではいけません。 

若手の登用も含めて、思い切って任せることにしたとしても、任せるのではなく、責任を持ってもらうのです。責任を持ってもらうのにはどうするかを考えることが、社長の仕事です。フィロソフィーの浸透と独立採算制度、アメーバ経営管理の導入を考え実行していく組織作りが、社長の役割です。 

 

盛和塾 読後感想文 第七十号

愛こそはすべて 

広中平祐京都大学教授は語ります。京都の清水寺で発表された恒例の今年の漢字に “愛” ということばが選ばれました。広中先生はその時、以前に読んだバイブル “キリストの教え” を思い出された。それまではコリント第13章はキリスト教形式の結婚式に招待される度に “愛の賛歌” として聞かされ、祝宴の喜びを分かち合うという認識でした。ところが、コリント第13章を呼んだ時、その内容の厳しさに愕然とされました。 

“もし愛がなかったら、知恵者の言葉も天使のささやきも、ドラやシンバルの喧しい騒音でしかない” “仮に私が預言者の知力をもち、全ての神秘を解明でき、全ての知識を会得していたとしても、もし愛のない人間であれば私は無に等しい” “仮に私が、自分の資財を全部与え、自分の肉体まで犠牲に捧げたとしても、もし愛がなければ何の酬いも得られない” とありました。  

ハーバード大学に勤務していた時、主だった同僚と話をしたことが思い出された。“組織の長たるものに必要な資質とは何だろう” と話した時、その時の結論は、“第一番は組織とその職員に対する愛情” と決まりました。 

稲盛塾長の “敬天愛人” の人を愛する精神が名誉会長自身の心の中でいかに強いものか、盛和塾の若者たちも肝に銘じておくべきだと広中教授は結んでいます。 

己をつくる 

成功した中小企業の経営者の方々は、勝気で闘志むき出しの方が多いようですが、そのような方は商機を見る目があり、気が利き、非凡な才覚を持つ、商才に溢れています。才覚と商才があれば、事業はうまくいきます。ただしそれだけでは破滅する可能性があります。 

才覚と商才にまかせて、次から次へと新しいことに手を打っていくからです。“才に溺れてしまう”のです。自分の魂がなく才覚や商才に使われてしまうのです。自分の才覚や商才に溺れてしまい、自分の本来の事業から大きく逸脱してしまうのです。 

高潔な人格を備え、徳を身につけた“己”が才覚や商才をコントロールすることが必要なのです。事業が一生涯の業であるならば、“徳”を高めて“己れ”をつくっていくことが必要です、と塾長は述べています。 

リーダーのあるべき姿 正道を貫く生き方 

リーダーにとって大切なものは人格

ワシントンにある戦略国際問題研究所(CSIS)の副理事長であるデイビッド・アブシャイア氏が塾長に協力を求めて来ました。リーダーのあり方がいまほど問われていない時はないという認識をされておられました。 

  1. ワシントンが人格者だからアメリカは発展した

デイビッド・アブシャイア氏のスピーチは、アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンについてでした。世界各地でアメリカがイギリスから独立した時代、独立運動が各地で興りました。しかし、世界各地にあった植民地のなかで、独立後、アメリカのように順調な発展を遂げていった例はあまりありません。アフリカ諸国の例を見ますと、独立を果たしたものの、独裁政権に陥り、内乱に明け暮れ、国民が四分五裂してしまいました。アメリカ合衆国だけが独立後も素晴らしい発展を遂げて来ました。 

それは初代大統領、ジョージ・ワシントンが素晴らしい人格者だったからです。 

アメリカが独立した時、合衆国議会は大統領に強大な権限を与えたのでした。アブシャイア氏は、リーダーとして一番大切なことは、その人が持つ人格なのだということをジョージ・ワシントンを例に挙げて話されたのです。 

  1. 深沈厚重(しんちんこうじゅう)なるは、これ第一等の資質

塾長は、アブシャイア氏の後をうけて “一国はひとりをもって興り、ひとりをもって亡ぶ”という中国の古典の一節を引用して、スピーチをされました。この中で呂新吾(中国・明代の官僚、政治家)の著した “呻吟語” の中で、リーダーの資質を三つ挙げ、その序列をつけて表現しています。 

“深沈厚重なるは、これ第一等の資質。磊落豪雄(らいらくこうゆう)なるは、これ第二等の資質。聡明才弁なるは、これ第三等の資質。” 

私共は、ともすれば、才能のある、戦略的な思考ができ、専門知識にも長け、弁もたつ人、聡明弁才なる者をリーダーに登用しがちです。例えば、官界においては、難関の上級国家公務員試験を受け、狭き門を突破する、いわゆる秀才型の人を行政のリーダーにしています。 

呂新吾がいいますのは、聡明で弁がたつという能力は第三等の資質だと言うわけです。そのような資質は一介の官吏としては必要にして充分です。集団を導いていくリーダーとしては、それだけでは足りません。困難な局面にあたっても集団を正しく導いていけるだけの勇気が必要です。 

呂新吾は勇気をもっているリーダーだけでは、“磊落豪雄なるはこれ第二等の資質”といっているように、不充分であると述べています。 

リーダーとして最も重要なことは“深沈厚重なるは、これ第一等の資質”と呂新吾が説いているように、浮わついたところがなく、考えが深く、信頼するに足る重厚な性格を持っていることです。人格者であるということです。能力、勇気、人格の三つを兼ね備えているのは最も理想的なリーダーです。その中で一番大切なのは、人格だと呂新吾は言っているのです。 

  1. 国に求められる品格

国にも同じように品格というものが求められます。塾長は2004年に中国の共産党中央党校で講演しました。 

中国は、素晴しい経済発展を遂げておられます。今後もおそらく成長・発展して、近い将来、世界有数の経済大国になることは確実だろうと思います。同時に軍事大国にもなっていかれるだろうと思います。強大な国となった将来の中国がとるべき道はどういう道でしょうか。 

孫文の演説を引用しました。辛亥革命(しんがいかくめい)によって清朝が倒れたあと、新しい中華民国の臨時大総統となりました。1924年、神戸に立ち寄った時、神戸市民の求めに応じて、五千人を前に演説をしました。 

“あなた方日本民族は、欧米の覇道(はどう)の文化を取り込むと同時に、アジアの王道の文化の本質も持っておられる。その日本が今後、西洋の覇道の番犬となるのか、東洋の王道の干城(かんじょう)(盾と城)となるのか、あなた方日本国民はよく考え、慎重に選んでほしい” 

残念ながら、日本はこの孫文の忠告に耳を貸さず、覇道をまっしぐらに突き進み、1945年の敗戦という破局を迎えました。中国にはぜひ王道による国家運営を行ってほしいのです。1924年に孫文が日本国民に忠告してくれた言葉を、中国共産党のリーダーであるみなさんにお返しします” 

リーダーにとって最も大切なことは人格だと思いますが、国にとっても最も大切なことは品格だと思っています。国家も品格を備え、王道を歩むべきなのです。 

を備えよ 

  1. 徳とは何か

人格や品格をつくる中核は、徳だと言われています。徳を備えた人が人格者であり、徳を備えた国が品格のある国だと思います。 

徳とは “仁” “義” と中国の古典では言われています。それでは解かりません。一体、具体的にどうすれば素晴らしい人格を手にすることが出来るのか、どうしたら身につけることができるのか、ということが大事です。 

  1. 徳を備えた人とは人間として正しいことを実践できる人

塾長は27才で会社を作っていただいたのですが、年輩の従業員の方にも仕事をお願いすることもありましたし、また、毎日、経営判断をしなければなりませんでした。その時、判断基準をどこにおくのか、悩みました。 

そして、昔教わった善悪の基準、“人間としてやってよいこと、人間としてやってはいけないこと”をもとに判断しました。“会社にとって正しいか正しくないか”ではなく、また “私にとって正しいか正しくないか” でもなく、“人間として正しいか正しくないか” その一点で判断し、経営していくことにしました。 

このように子どもの頃に教わったプリミティブな倫理観、道徳観を経営企業の根幹に置いたわけです。人間として正しくないことを言った時には、その誤りを指摘してほしいと塾長は従業員に頼みました。 

徳を備えるためには、人間として正しいことをして、やってはいけないことをしないという単純なことなのです。徳をさらに簡単に言えば、正直である、誠実である、努力家である、常に感謝の心を忘れない、他を思いやる、やさしさを持っている、勇気を持っている、ウソを言わない、騙(だま)さない、欲張らない、威張らない、人の悪口を言わない、不平不満を言わない、欲張らない、足るを知る、むやみに怒らない、日々反省する、という単純ですが、これを身につけるように努力する、日常生活のなかで実践している人、そういう人が “徳を備えた人” なのです。 

  1. 徳のない人をリーダーに据えることが不祥事を招く

呂新吾は “聡明弁才なるは第三等の資質” と申しましたが、その才能を使うのは人格なのです。人格が歪(ゆがみ)である場合には、その人に才能があればあるほど、それは凶器となってしまいます。才能を正しくコントロールするためにも人格を高め、徳を持った人間性を身につける必要があるのです。 

素晴らしい包丁があったとします。しかし、その素晴らしい包丁を使うのは料理人です。素晴しい料理人でなければ、その素晴らしい包丁を使いこなすことはできないのです。 

日本では、経済界でも政界官界でも、才能・弁才のある者を登用し、その人をリーダーに据えてきました。才能だけを優先して、その人の人格を厳しく問うたことはないように思われます。 

米国での不祥事、エンロン、ワールドコム、巨大企業が一瞬にして崩壊してしまいました。二度と不祥事が起こらないようにと、コーポレートガバナンスは、コンプライアンスはどうすべきかを検討し、その結果、膨大なルールが作られ、それで企業を管理しようとしています。 

しかし、いかに精微なルールがあってもリーダーが人格者でなければその裏をかいたような問題が必ず発生するのです。 

  1. 西郷にみるプリミティブな教えの大切さ

西郷南洲は明治維新を起こす前、薩摩藩主島津久光公の逆鱗(げきりん)に触れ、2度島流しの刑に処せられました。沖永良部島という離れ小島へ流され、広さ二畳ほどの吹きさらしの牢に数ヶ月入れられたそうです。西郷は沢山の書物を持ち込み、勉強しました。と同時に、島の子供達にも学問を教えました。 

“おまえたち、一家が仲睦まじくしていくためには、どうすればよいと思うか”と問いました。西郷から陽明学を学んでいましたから、利発な子が答えました。“はい、君には忠義を、親には孝行を、兄弟は仲良く、夫婦はむつまじくしていくことです” 

“うむ、それは正しい。しかし、そうは言っても実行するにはどうしたらよいか。それは簡単なことだよ。家族のみんながそれぞれ少しずつ自分の欲を抑えればよい。そうすれば仲睦まじくしていける” 

美味しいものがあれば、家族のみんなで分けて食べる。楽しいことがあれば、みんなで楽しむ。悲しいことがあればみんなで悲しむ。これは近所の人達とでも同じです。自分の欲を少し抑えるだけで、仲睦まじくしていくことができるのです。 

学校の先生、両親から教わったプリミティブな教えの中に、すばらしい考えがあり、それを身につけることによって人格を高める、徳を備えることができるのだと塾長は説いています。そして身につけるため、その努力を続けることが大事なのです。 

働くことで魂を磨く 

自分を徳の高い人間にしていく、自分の魂を磨き続けることが人生だと思います。

人生の中では、誰もが苦労に面し、辛酸(しんさん)をなめることがあります。魂を磨くために一番大事なことは、苦労を重ね、辛酸をなめることです。苦労することは魂を磨くために必要不可欠なことです。それは、自分の魂を磨くために自然が与えてくれた試練、磨き砂だと受けとめるべきです。働くことは魂を磨くことができるからです。働くことは、辛苦が伴なうことであり、そのつらさに耐え、克服していくことは、魂を磨くことになるのです。 

無私の人、西郷南洲の教え 

遺訓一.無私こそリーダーの資格

政府にあって国の政をするということは、天地自然の道を行うことであるから、たとえわずかであっても私心をさしはさんではならない。

だから、どんなことがあっても心を公平に堅く持ち、正しい道を踏み、広く賢明な人を選んで、その職務に忠実にたえることのできる人に政権をとらせることこそ天意、すなわち神の心にかなうものである。

だから本当に賢明で適任だと認める人がいたら、すぐにでも自分の職を譲るくらいでなくてはいけない。従ってどんなに国に功績があっても、その職務に不適切な人に官職を与えてほめるのはよくないことの第一である。官職というものは、その人をよく選んで授けるべきで、功績のある人には俸給を与えて賞し、これを愛しおくのがよいと翁が申される。

西郷南洲は辛酸をなめつくした素晴らしい人間性をもった無私の人です。少なくともリーダーとなる人は無私でありたいと思っている人でなければなりません。自分を犠牲にしてでも集団のために尽すという無私の心がある人こそリーダーの資格があるのです。 

遺訓五. 辛酸の日々が堅い志をつくる

ある時、“人の志というものは、幾度も幾度もつらいことや苦しい目に遭ってのち、はじめて固く定まるものである。真の男子たる者、玉となって砕けることを本懐とし、志をまげて瓦となっていたずらに生き長らえることを恥じとする。それについて自分が我が家に残しおくべき訓としていることがあるが、世間の人はそれを知っているであろうか。それは子孫のために良い田を買わない。すなわち財産をのこさないということだ” という七言絶句の漢詩を示されて、もしこの言葉に違うようなことがあったら、西郷は言うことと実行することと反していると言って見限りたまえと言われた。 

“自分は幾度も辛酸をなめてきた。そのために私ははじめて堅い志を持つに至った。また私は子孫の為に美田を買わない、つまり子孫たちへの遺産を増やすようなことはしない”

自分の子孫に美田を買ってやりたいという人間として当然の欲を抑えるほど無私で潔白だったのです。 

遺訓七、遺訓三十四. 策略、策謀を使わず正道を踏んで物事を進める

遺訓七. どんなに大きい事でも、またどんなに小さいことでも、いつも正しい道を踏み、真心を尽くし、決していつわりのはかりごとを用いてはならない。人は多くの場合、あることにさしつかえができると、何か計略を使って一度そのさしつかえを押し通せば、あとは時に応じて何とかいい工夫ができるかのように思うが、計略したために心配事がきっと出てきて、その事は必ず失敗するにきまっている。正しい道を踏んで行うことは、目の前では回り道をしているようだが、先に行けばかえって成功は早いものである。 

遺訓三十四. はかりごと(かけひき)はかねては用いない方がよい。はかりごとをもってやったことは、その結果を見ればよくないことがはっきりしていて、必ず後悔するものである。 

西郷は策略や策謀を戒め、正道を踏んで物事を進めていくようにと説いています。 

企業経営者は利益を生み出していかなければならない。ですから、利益を得るためにいろいろな策略を使って事業をしてもかまわないと考えます。しかし策を弄したビジネスは、一旦は成功したかに見えますが、必ず破れることがはっきりしています。どんなことであろうとも、正々堂々と、人間として正しい道を踏んでいくべきです。それが一番の近道なのです。一番確実な道なのです。

盛和塾 読後感想文 第六十九号

謙虚なリーダーになる 

リーダーは、常に謙虚でなければなりません。権力や支配力を持つと、一時的に成功しますと、往々にして人間のモラルは低下し、傲岸不遜になってしまいます。このようなリーダーの下では、集団はたとえ一時的に成功したとしても、長い間にわたって成長・発展していくことは困難となり、集団の団結もなくなり、相互の協力も得られなくなってしまいます。 

リーダーは部下がいてはじめて自分がリーダーとして存在するという謙虚な姿勢が大事です。謙虚なリーダーだけが協調性のある集団を築き、その集団を調和のとれた永続する成功に導くことができると塾長は述べています。 

西郷南洲に学ぶ克己心 

この項は西郷南洲翁遺訓の中から、自分を治める克己心について学びます。 

人材の登用と使い方

遺訓六。人材を採用するにあたって、人材を採用するにあたって、君子(徳行の備わった人)と小人(人格の低いつまらない人)との区別を厳しくし過ぎるときはかえって災いを引き起こすものである。その理由は天地がはじまって以来、世の中で10人のうち7,8人までは小人であるから、よくこのような小人の心情、思いをはかってその長所をとり、これを下役に使い、その才能や技芸を十分発揮させるのが良い。 

藤田東湖先生はこう申されている。“小人は才能や技芸があって用いるに便利なものであるからぜひ用いて仕事をさせなければならないものである。だからといってこれを上役にすえ、重要な職務につかせると、必ず国をくつがえすような事にもなりかねないから、決して上役に立ててはならないものだ” と。 

人を登用する場合、才能よりもその人物を見て登用すべきです。この遺訓六の中に、“君子小人の弁酷に過ぐる時は害を引き起こすもの也” と述べられています。君子とはすばらしい徳を持ち、人から信望を受けられる人のことをいいます。“あの人は人間が出来ている” “あの人は徳をもっている” “あの人は信頼できる” というように、人柄もよく、人から信頼されるに値する人間性を持っているという意味で、君子と西郷南洲は表現していると塾長は述べています。 

  1. 小人を活用しなければ、大きな仕事はできない

小人とは才能の面では大変優れているが、人間的な修練の未熟な人、人間が未だにできていない人です。よく会社ではこうした小人がトップに選ばれたり、また勤続年数によって地位が上がる年功序列により、トップが決められたりすることがよくあります。人物本位では抜擢されないことがあります。 

本当は小人が人格を高めて地位があがっていくのが望ましいわけです。小人も人間性を磨いていく努力をすることができます。

素晴らしい徳を備え、人望のある人を重要視しなければならない。これは経営の要諦です。しかしそればかりを求めたのでは経営は成り立ちません。“そういう君子は非常に少なく、人間の出来ていない小人が大半なのです” と西郷南洲は述べているのです。小人を使わなければ、仕事はできません。人間的にはあまりよくないが、才能のある、能力のある人は沢山おります。そういう人には、そういう人なりに、組織の中で充分その才能、能力を発揮できる場を与えて、働いてもらうようにするのです。 

人物が出来ていない人の欠点を見抜いた上で、その人が持っている長所、才能、能力を組織内でどう活用するのかを考えることも、トップの人の大切な仕事だと思います。 

人間は、短期間で評価できない様に思います。採用して一年くらい一緒に仕事をして、少しその人物の人柄、人格がわかるぐらいだと思います。たとえ小人だったとしても人間性向上の為の機会を組織の中で経営者はつくることが肝要と思います。 

  1. 第二電電成功の要因

塾長は電気通信事業の経験はもっていませんでしたが、第二電電(現KDDI)を創業しました。 

当時は電電公社(現NTT)の一社独占の状態であった為、日本の電話料金は世界の相場、特に欧米に比べてたいへん高いものでした。塾長は国民の為に安い電信電話サービスを提供したいと考えました。 

お金は京セラで蓄積した預金一千億円を用意しました。しかし電気通信事業の経営経験もなく、技術もなく、人材もなく、電電公社の若い技術陣数十名にお願いし、第二電電に来ていただきました。十数名の技術者は、どの人も素晴らしい技術、能力をお持ちでした。その能力を重視し、その人たちを中心にして、たいへん不利な状況、厳しい環境の中で、第二電電がスタートしました。 

その時、日本テレコム(国鉄)、日本高速通信(トヨタ/建設省)と強大な競争相手が出現しました。こうした中で、素晴しい才能をもった人達で構成した第二電電は、競争に負けず、大きく成長しました。 

塾長が第二電電の社長に選んだのは、電電公社から集まった才能のある技術者の中で、あまり目立たない人を任命しました。一部の人は、第二電電を辞めていきました。トップとして、徳を備えているかいないか、社内の人々から信頼、信望を得られるかどうかが大事と考えた塾長は、素晴しい才能があり、第二電電の発展に貢献してくれた人であっても、後継者には選ばなかったのです。しかし、第二電電(KDDI)を辞めた人たちも、KDDI株式上場により、大株主となって、たいへんな資産家となったのです。 

世の中には、能力もあり、才能もある小人がたくさんいます。君子ばかりを選ぶのではなく、その人たちの能力、才能を使わなければ、企業経営はできないのです。しかし、能力があり、仕事ができるからといって小人をトップに据えたのでは、その会社は潰れてしまいます。 

能力のある人は、人物で若干できていなくても、十分に役立ちます。その役立ちに報いるのには報酬しかありません。俸禄、つまりお金でもって報いるべきであって、役職で報いることはしてはならないのです。 

人はそれぞれ特徴を持って生まれ育って、世の中に出て来ます。人は同じではありません。人間すべて君子である必要はないですし、すべて小人である必要はありません。君子、小人があり、それぞれ異なった分野で才能や能力を発揮し、協力し合い、助け合うことが大切だと思います。 

  1. リーダーには心が伴なっていなければならない

徳や信望がある立派な人間性を身につけた人を官職に、つまり重要な役職につけなければなりませんが、しかし、同時に大切なことがあります。 

経営を伸ばすための経営の原点12ヶ条の中に、4.誰にも負けない努力をする、5.売上を最大に経費を最小に、8.燃える闘魂、と厳しいことが述べられています。“10%の経常利益が出ないようでは、企業経営をやっている意味がない” と塾長は盛和塾塾生に厳しい注文をつけています。しかしこれらの厳しい注文には前提があります。1.事業の目的・意義を明確にする。何の為に事業をするのかをはっきりとしなければならないと塾長は述べています。また利益を追求するにあたっては人間としての何が正しいかを基準にすべきだと述べています。利他の心の必要性を説いているのです。 

経費を削減する為に偽装する、検査データをねつ造する、経営トップは知っていながら従業員にコストダウンを強要し、建築基準法を守らなかったということではなかったのです。そういうことを遂行するリーダーには、人間としての何が正しいかという判断基準、根本的な経営者としての心が伴なっていなかったのです。 

会計事務所のお客様への請求は、費やした時間をベースに計算されることがあります。事務所長はスタッフに言いました。“できるだけ長くお客様と電話で話しなさい”。とんでもないことです。自利をむき出しにした、心のない指示です。 

策課策略をめぐらせたものは必ず失敗する

遺訓七。どんな大きい事でも、またどんなに小さい事でも、いつも正しい道をふみ、真心を尽くし、決していつわりのはかりごとを用いてはならない。人は多くの場合、あることにさしつかえができると、何か計略を使って一度そのさしつかえをおし潰せば、あとは時に応じて何とかいい工夫ができるかのように思うが、計略したための心配事がきっと出てきて、その事は失敗するに決まっている。正しい道を踏んで行うことは、目の前では回り道をしているようだが、先に行けばかえって成功は早いものである。 

  1. 正しい道を踏み、誠を尽くして仕事をする

“策謀を用うべからず” と西郷南洲は述べています。策謀、策略、謀(はかりごと)を用いたのでは、一時はうまくいくかも知れないが、それは、決して長続きはしませんし、必ず失敗します。物事は必ず正しい道を踏み、誠を尽くして進めなければならないと言っています。 

目的達成のためには手段は選ばす、ということがあります。西郷南洲は “策謀を巡らせて目的を達成してはならない。手段は選ばなければならない。真正直に誠を尽くしてやっていかなければならない” と言っています。 

塾長は述べています。我々人間というものは仕事でも何でも行き詰った時に、良心では決して良いとは思ってはいないことでであっても、このくらいはいいだろうと考えてついつい悪いことをしてしまいます。極端な場合 “結果良ければすべてよし” と自分を納得させようとします。行き詰った時、内心ではよくないと思っているのに屁理屈をつけて実行してしまうことは決してよくありません。 

行き詰ったからとか、事の大小で判断するのではなく、正しい道を踏み、誠を尽くして仕事をしていかなければなりません。 

  1. わずかな策略の始まりが企業の崩壊を招く

名門企業のカネボウは、繊維事業、医薬品、化粧品、食品、住宅環境の事業にも進出していました。 

しかし、やがて行き詰った時に、業績悪化を表面化させない為、ちょっとではないかと、公認会計士にも無理矢理に認めさせ、粉飾決算に走り始めました。そして、カネボウは企業再生機構に経営を委ねることになってしまいました。 

当時の社長以下、幹部の人たちの関与も確認されました。名門企業としての体面を取り繕うために、ほんの少しの策略を用いた。次第にエスカレートして、監査法人をも巻き込んだ大不祥事になってしまったのです。 

誰も最初から大きな策略は行いません。小さな、わずかなものがスタートです。ところが、それがだんだんと大きくなってしまうのです。 

至誠の人を要所に配して、はじめて制度は機能する

遺訓二十. どんなに制度や方法を論議しても、それを説く人が立派な人でなければうまく行かないだろう。立派な人があってはじめて色々な方法は行われるものだから。人こそ第一の宝であって、自分がそういう立派な人物になるように心がけるのが、何よりも大事なことである。 

  1. 理念や制度をつくっただけでは実行されない

西郷南洲は、次のように言っています。  “何程、制度方法を論ずる共、其人に非ざれば行われ難し”

いろいろな機会を把えて、理念や制度について従業員に話していますが、もし企業の幹部社員が立派な人物でなかったら、意味がありません。部長や課長、指導する人が、立派な人物ではなく、理念、制度、ルールを少しも実践できていない人であった場合には、いくら経営者が会社の理念、制度、ルールを守ろうと従業員に説明しても、社員が守るわけがないのです。つまり、中堅幹部の人たちが立派な人物でなければ、その理念、制度、ルールは実行されないのです。 

従って中堅幹部の人たちに経営者は充分に説明し、社員の模範となってもらう必要があるのです。こうした中堅幹部は誠を持っている人、至誠の人、裏表がなく誠実な人となり、要所要所に配置されれば、理念、制度、ルールであれ、社員一人ひとりが実行し、組織全体に浸透していくと塾長は述べています。 

  1. ルールではなく、人の心に焦点を当てる

アメリカのエンロンというエネルギー会社やアメリカ通信業の大手ワールドコムは、不正経理、粉飾決算で一瞬にして倒産しました。アメリカの証券取引委員会を中心に、法律家達がいくつものルールを作りました。アメリカ証券取引委員会は、上場企業をがんじがらめに縛るようなルールを課したのでした。各社は企業内にルールを作り、又、それが実行されているかをチェックすることを迫られています。これには膨大な時間とお金がかかるのです。 

物、制度、ルールしか信じないアメリカ資本主義社会では、企業が不正を出来ないようにしようとしています。しかし、これでは根本的な解決にはならないのです。一番大切なことは、西郷南洲の述べているように、“何程、制度方法を論ずる共、其人に非ざれば行われ難し” なのです。 

塾長は語っています。ルールをつくり、いくらそれを守らせようとしても、決して不正行為はなくならないと思います。ルールではなく、人の心に焦点を当て、立派な人物像を要所要所に配置、経営トップにも徳のある立派な人格者を選ぶべきなのです。 

本来ならば、法律から免れること自体が人の道からいえば恥ずかしいことだと考えなければならないにも関わらず、“オレは賢いから法律の逃げ道を考えることができるのだ” と恥じるところがない。 

論語: 道之以政 齊之以刑、民免而無恥

         これを導くに政をもってし、これをととのふるに刑をもってすれば、民免れて恥なし。

法律を作り、もしその法律を犯せば厳罰に処するという罰則規定を設ければ、事は済むと思っているが、国民は恥じることなく、その法律、刑罰から逃れることを考え、行うようになる。 

経営者は自分に打ち克たなければならない 

遺訓二十一. 道というものは、この天地のおのずからなる道理であるから、学問を究めるには敬天愛人(道理をつつしみ、守るのが敬天である)を目的とし、自分の修養には己に克つということをいつも心がけねばならない。己に克つということの真の目標は論語にある「意なし、必なし、固なし、我なし(当て推量をしない。無理押しをしない。固執しない。我を通さない)ということだ。 

すべて人間は己に克つことによって成功し、己を愛することにより失敗するものだ。よく昔からの歴史上の人物を見るがよい。事業を始める人は、その事業の七、八割まではたいていよくできるが、残りの二、三割を終わりまで成し遂げる人が少ないのは、はじめはよく己を慎んでことを慎重にするから成功もし、名も現われてくる。ところが、成功して有名になるにしたがって、いつの間にか自分を愛する心が起こり、畏れつつしむという精神がゆるんでおごりたかぶる気分が多くなり、その仕事をなしえたのでなんでもできるという過信のもとに、まずい仕事をするようになり、ついに失敗するものである。これらはすべて自分が招いた結果である。だから常に自分にうち克って、人が見ていない時も聞いていない時も、自分を慎み戒めることが大事なことだ。 

  1. 成功すればするほど難しくなる自分の律し方

会社がうまくいき、成功していれば、経営者は油断します。最初は一生懸命に慎んで仕事に取り組んでいるのでうまくいきます。だんだんと成功していき、有名になり、他人から褒められるようになると、ついつい過信して自分を見失ってしまうことがあります。 

戦後、焦土と化した日本、その荒廃した日本経済の発展の立役者となった、成功した人で、その栄誉を保ったまま亡くなった方は数名しかいないそうです。多くの成功した経営者は、周囲からおだてられ、自分を失い、没落していきました。 

人間というものは、いくら自分自身を戒めて、自分を見失わないようにしていても、周囲が、環境がそれを許さないのです。成功すれば成功するほど自分を律するのは難しく、大変な努力が必要ですと、塾長は警告しています。 

  1. 自らの意思力で煩悩を抑える

中国の古典の “中庸” の中に “誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり” とあります。誠実、誠を尽くすことが、天の道です。天の道を誠にするのが人の道ということです。 誠とは “中庸” では “善を択んでこれを固く執る者なり” といっています。人間として善きことを選び、固くこれを自分のものにしていくことを誠だと言っています。 

西郷南洲の言う “道は天地自然の道” というのは、人が生きていく正しいあり方のことです。

講学とは学問に努めるということです。学問に努める目的は “敬天愛人” を学ぶことです。敬天とは天を敬うこと、愛人とは天が分け隔てなく人を愛し育んでくれているように人を愛することを言います。 

敬天愛人を実践する為には、自分自身の心を修養しなければならない。自分の身を修めるには、克己-自分に克つ-自分自身の煩悩を抑えつける-をもって終止する。 

人間は自分を律しなければ、心の中に欲望や邪念が沸き起こってきます。肉体を持っている人間が生きていく為には、欲望や邪念(煩悩)が必要なのです。欲望、怒り、愚痴の三つは煩悩の中で一番強いもので、三毒と言われています。放っておけば、我々人間の心の中には煩悩が湧き上がって来ます。 

この煩悩を自分の意思で抑えることが克己なのです。 

  1. 自らを愛する心の芽生えが成功を失敗へと変える

西郷南洲は言います。“総じて人は己に克つを以って成り” 己とは欲望や邪念のことです。それに克つことにより、仕事でもなんでもうまくいく。すべて自分自身と葛藤し、自分自身に克つことができるかが、その仕事ができるかできないかの決めてになると、西郷南洲は語っています。  

人は事業を始め、十の内七、八まで一生懸命に頑張り、成功させることができます。しかしあとの二つ三つを仕上げることのできる人は少ないのです。はじめの頃は慎み深いし、謙虚さも失ってはいませんし、誠の道を歩こうと努力をします。しかし成功し、有名になりますと、だんだんと謙虚さを失い、虚飾に走ってしまうのです。 

いつしか自らを愛する心が起こり、恐れ慎む心、恐櫂戒慎の心が緩み、驕りたかぶる驕矜の気持ちが長じてきて、自分の成功した事業を自慢するようになり、さらには自分のことしか考えられなくなってしまいます。いままでは “会社は従業員の為、世のため、人のため” と言っていたのが “会社は自分のため、自分の家族のためにあるのだ” と考えはじめてしまうのです。それが仕事に影響を与え、失敗していくこととなります。 

克己心をもつ、つまり自分を甘やかしてはなりません。 

常日頃からの心構えがなければ己に克つことはできない 

遺訓二十二. 己に打ち克つにすべてのことをその時その場あたりに克とうとするから、なかなかうまくいかないのである。かねて精神を奮いおこして、自分に克つ修行をしなくてはいけない。 

“身を治めるためには、自分の欲望や邪念を克服することから始めなければならない” と言われると、ほとんどの人は “よし、わかった。そのような問題が起こった場合は、そういうことを心がけるようにしていこう” と言います。しかし、そう簡単に自分を抑えることは出来ないのです。身を治めるためにはかねてからそういうことを心がけていなければなりません。急にその状況になって自分自身の欲望を抑えることなどできません、と塾長は語っています。 

西郷南洲は “己に克つにはかねて気象をもって克ちおれ” と言っています。自分を抑えるということは、頭でわかっているだけではなく、常日頃どんなことに対しても己の欲望や邪念を抑える訓練、心構えをしておかなければならないのです。“気象” とは性格のことです。自分の意思で欲望や邪念を抑えることが自分の性格にまでなっていなければならないのです。あの人は克己心の強い気象(性格)の人だと言われるぐらいでなければならないのです。 

  1. 真理を学び続けることの大切さ

塾長の話の中では、何回も同じことが出て来ます。“ああ、これは前に聞いて知っている” と思う人が多いと思います。 

“自分に打ち克たなければ成功しても必ず敗れるのだな。そのような時は、オレならば欲望を抑えることができるはずだ” と思う人がほとんどだと思います。知識でわかっているから欲望を抑えることができると思ってしまうかも知れませんが、それが気象(性格)にまでなっていなければ、使うことはできないのです。克己心について、繰り返し繰り返し自分に言い聞かせ、学び、体得していかなければ、使えるものにはならないのです。 

塾長の述べられた内容で何回か同じ事があります。しかし読み方の深さ、自分の会社の状況変化、経済状況の悪化等により、その理解の度合いが違い、同じ内容ですが、新しく知ったということが多々あります。 

例えば、ちょっとした形容詞の言葉で、塾長のきめ細かい配慮が感じられることが山ほどあります。何度も何度もよい本は読んで、見る価値があります。沢山の本を読むのではなく、よい本を繰り返し読む方が、理解が深まると思います。 

克己心が気象にまでなっている人は、もう失敗はしないと思います。