盛和塾 読後感想文 第152号

中小零細企業が大企業に発展するためには 

事業を成功に導くには努力の積み重ねしかない

会社が立派になるということは、お金持ちになるとか、経営者が良くなるとかではなく、それだけより多くの人を雇用する、養うことになる。それだけでも社会的に大きな意義があります。 

能力のある人が仕事を大きくして、そこで多くの方々を採用し雇用する事は、職を与えるという点からも大変立派なことです。また立派な会社経営をすることにより、その会社が素晴らしい事業を展開し、そして利益を上げて税金を納めるようになることも、社会的に立派なことです。 

自分のために会社を大きくするのではなく、世のため人のため、社会のため、自然のため、宇宙のために尽くすという観点から会社を立派にしていきたいものです。 

二宮尊徳の生き様と誰にも負けない努力

事業を成功させる大きな礎になっているのは、地味な仕事なのです。その地味な仕事を下向きに継続していく、そのことに尽きます。事業がうまくいかないのは、自分の仕事を、本当に誰にも負けないくらいの努力を払ってやっていないからではないでしょうか。 

内村鑑三の書いた“代表的日本人”の小冊子に、二宮尊徳の章があります。二宮尊徳は大変律儀で、道徳観念が強く、そして非常に生真面目で素直な人だったようです。 

尊徳は両親と死に分かれて、おじさんのところに里子に出されます。そしておじさんの家で食べさせてもらいながら一生懸命働きます。彼は学問がありませんでした。なんとしても立派な人になりたいと思っていました。そのため働きながら陽明学、孔子、孟子の教えを中国の書籍に則って学ぼうと、夜、油をつけた小さな灯りで本を読みます。それがおじさんに見つけられて、叱られます。 

“農民が勉強する必要は無い。勉強なんかしたって無意味だ。油がもったいないだろう”と叱られてしまいました。“なるほど、そうだ”と思った尊徳は、誰も手をつけない村の共同沼地に菜種を植えます。そこで収穫した菜種を村の油問屋に話をして、油に変えてもらいます。自分が休みの時に作った菜種から取った油で尊徳は勉強するのですが、これもおじさんに叱られます。 

“お前が暇を見つけて作ったという菜種すらも私のものだ。お前は私のために若干働いてあげていると思っているかもしれないが、私の家に居候し、私の家で飯を食っているお前がやっていることは、全て私のものだ。”と叱られます。“なるほど”。自分で作った油であっても、夜勉強することをやめます。そして仕事をしているときに歩きながら本を読むようになります。 

尊徳は陽明学を究めていきます。その中で孔子が説いた、地の利、天道を知ります。また道徳律ー人間として守らなければならない道徳というものを知ります。 

誠実でひたむきな働きぶり、その誠実さと誠意に天も地も感動して、それがために動く、天地が味方してくれると信じるようになります。一生懸命でひたむきであれば、天地も助けてくれるだろう、神様が助けてくれるだろう。そういうことを尊徳は信念にまで高めていきました。 

誰よりも先に畑に出て、他の人たちが家に帰るまで畑に留まりました。尊徳は貧しい村を、村民を励ましながら裕福な村へと変えていったそうです。 

二宮尊徳が鍬一本鋤一本で、荒廃した村を数年で肥沃で豊かな村に変えていく様を見て、諸藩の大名たちは驚きます。そして“自藩の荒廃した村を立て直してほしい”と尊徳に頼むようになりました。 

誠を尽くして誰にも負けない努力をすれば、神様も助けざるを得ないという信念を持つと同時に“動機の真実なること”が大切だとも言っています。動機が悪かったのでは、たとえどんなに良いことをしても認めませんでした。物事を行うのに動機が真実であることを大事にしました。 

二宮尊徳は鍬と鋤を一本持てば、たちまちに、荒廃したみすぼらしい村を素晴らしい富める村に変えていきました。それは夜明け前から畑に出て、夜はとっぷりと暮れ、畑が見えなくなるまで働いたからできたことなのです。そして倹約に倹約を重ねて頑張ったからなのです。それを数年も続ければ、たちまち成功するに決まっているのです。 

“親から引き継いだ会社は時流に合わなくて、あまり良くない事業でして”などと言っている暇があるくらいなら、寝ずに働かなければならないと思います。 

経営十二ヶ条の第四条、“誰にも負けない努力をする”があります。これはただ努力をしなさいと言っているのではなく、誰にも負けない努力をするということなのです。 

素人が作り上げた京都の先端産業

先日朝日新聞に、好調を支える“一芸戦略”と題した記事の中で、京セラ、村田製作所、ロームについて書かれていました。京都のこれらの企業の利益率は、一部上場企業の平均を大幅に上回っており、なぜ京都にそのような高い利益率を誇る企業が群生するのかという特集でした。 

アメリカの格付け会社が出しているグローバル企業一千社のランキングにも、京都の企業が顔を出しています。経営利益率のランキングで世界上位二十八社に日系企業は五社入っているのですが、そのうち四社が京都の企業でした。 

京都に高収益企業が群生したのかと考えてみますと、そこには共通点があります。 

ロームという会社は、半導体を作っている素晴らしい企業です。ロームの社長が立命館大学に在学中、炭素皮膜抵抗器という、電子部品では最も簡単な抵抗を量産する技術を考えられ、特許出願されました。その技術を持ってロームを創業されました。 

村田製作所の社長は第二次世界大戦前に清水焼のお茶碗などを作っておられました。中小零細企業でした。その当時欧米では、電子機器産業が発達し始めます。その電子機器の中に、セラミックコンデンサーが使われていることを知った日本の軍部は、同じようなセラミックコンデンサーを作るようにと各大学に指令を出します。京都大学の教授が酸化チタンを焼き固めるとコンデンサーができるということを知っていましたから、“やってみないか”と村田社長を誘ったのです。素人ですがやってみましょうとなり、村田製作所が始まりました。 

これらの京都企業の社長は皆素人です。そして必ずしも立派な技術、豊富な経験を持ってはいないのです。ただものが一つ作れただけなのです。つまり皆が素人で、単品生産からスタートしているわけです。 

危機感と飢餓感がもたらした創意工夫

京都企業は素人なるが故に、大変自由な発想する人たちです。そして既成概念や慣習、慣例というものにとらわれない人たちです。とらわれないから自由な発想ができますし、常に物事に対して疑問を持っています。 

京都は千二百年も続いた非常に古い保守的な街であると同時に、京都大学などを中心にした街でしたから、革新的、反権力、反中央という考え方を持っていた面もあります。街の雰囲気そのものが革新的で、革命的であるわけです。 

こういう京都の土壌の中で、技術を持たない素人が単品生産の業を興(おこ)す。そして“至誠の感ずるところ天地もこれが動く”と二宮尊徳が言うように、一生懸命に頑張る、同時に動機の真実なること、動機の善なることを信じてひたむきに頑張って成功する。 

ところがこの人たちは一生懸命に頑張ると同時に、心配をしています。いつ何時自分の単品が売れなくなるかもしれない。“単品生産は危険だ。もしこの単品が時代の変化とともに不要になれば、会社は潰れてしまう”という危機感を常に持っているわけです。 

そして飢餓感もあります。“このくらいの商売ではどうにもならない。従業員を食わせていくことができない”という飢餓感を常に持っているのです。“何か副業をやらなければならないのではないだろうか”素人ゆえに創造性が豊かになるのです。その創造性を育んでいく場になるのが、危機感と飢餓感です。それらが創意工夫と研究開発を生んでいくのです。 

危機感、飢餓感をバネにして、創意工夫を重ね、単品生産ではどうにもならないからと新製品開発、新技術開発する努力を次から次へと間断なく続け、拡大発展していく。それが中堅企業になっていく過程です。 

半導体産業のニッチ分野を狙ったローム

ロームは炭素皮膜抵抗器を作っていました。安く作ったものですから、たちまちにこれが市場に受け入れられます。他にも有名な会社がある中で、ローマ成功していくわけです。“やはり単品だけではだめだ”と思われ、炭素皮膜抵抗器というプリミティブなものから、金属皮膜抵抗器、さらには角型チップ抵抗器へと次から次へと新商品を開発していきました。ロームの社長は立命館大学の電気学科を卒業しておられますが、金属皮膜抵抗器や角型チップ抵抗器というものを詳しく知っておられるわけではありません。しかし、次から次へと展開されて、今では日本で最もニッチな分野の半導体を作って、素晴らしい高収益の半導体メーカーになっています。 

単品生産で創業した京都セラミックの不安

稲盛塾長は大学卒業後、焼き物の会社松風工業に入社します。そこでは研究部門に配属されます。そこでは新しいセラミックス、ファインセラミックスを作る任務を与えられます。 

一年後に研究が実り、日本ではじめての高周波絶縁材料の開発ができました。通信機や弱電の電気を絶縁するために、性能の良い焼き物を作り上げたのです。しかしどこにどうして売ったらよいかわかりません。“こういう物性の焼き物ができましたが、何か使ってくれませんか”と日本の電機メーカー訪問して回りました。松下がオランダのフィリップ社と技術提携して初めてブラウン管を作る工場を京都で始めました。また早急に大阪の高槻にブラウン管の大きな量産工場を作ることになりました。そのブラウン管の絶縁部品に、松風工業で稲盛塾長が開発したファインセラミックスが使われることになりました。 

開発したファインセラミックスを使った部品が、松下のテレビのブラウン管に採用されることになりました。松下の資材、技術の人たちと打ち合わせをしました。スペックも全部決めました。そして百人近い部下を使って、材料の量産の担当になりました。次の新製品がこれからという時に、上司の技術部長と意見が合わなくなり、退職します。 

その時、上司の人も含め、八人が辞め、一緒に京セラを作ったのです。稲盛塾長が辞めることを聞いた人たちが集まり“稲盛くんの技術がもったいないから”と出資して京セラを作ってくれます。稲盛塾長は研究にも売ることにも自信がありました。その時にあったのは、松下に売れるブラウン管の絶縁材料たった一品でした。単品であったため、それがいつか時代とともに変化していらなくなるかもしれないという危機感は常にありました。そのため、一生懸命に何とか次の新しい製品を開発しようとしていました。 

その当時、フィリップ社はセラミックスとガラスのコンバインしたブラウン管の絶縁部品を作っており、それを京セラは国内生産していたのです。ところがアメリカのRCAという会社がガラスだけで絶縁ができる安くて良い製品を作り、それが日本にも出回り始めたのです。 

東芝、日立、三菱がRCAのガラス絶縁部品を使い始めました。京セラの作っていたものは、わずか数年で風前の灯となりました。そして実際に、二、三年もすると、その製品は使われなくなりました。 

生き延びたい一心で新市場、新製品を開発し続ける

稲盛塾長はガラスの専門家ではありません。大阪の場末にある中小のガラス製造会社を何軒も叩いて回りました。“こういう組成のガラスを作ってくれませんか”とお願いして回りましたが、普通のガラス家では手に生えないホウ珪酸ガラスという、ガラス業界では硬いガラスという特別なもので、“そんなガラスは溶かしたこともないし、できません”と断られ続けました。 

ガラスの組成を調合した粉末を持っていても“できない”と言われたものですから、ガラスのるつぼを自分で買って“せめておたくの釜だけは使わせてください”と頼み込みました。 

ガラス加工の経験がありませんから、特殊なるつぼでなければ、ホウ珪酸ガラスは溶けないという事は知りませんでした。実際にホウ珪酸ガラスを溶かしてみると、その瞬間るつぼが侵食されて底が抜け、釜自体を全部壊してしまったこともありました。 

こうした努力の後、やっとホウ珪酸ガラスを作り上げて、最初の単品(ブラウン管の絶縁部品)の注文がなくなる直前にガラスを完成しました。その時に作ったものが今でも、日本、中国、東南アジアで製造されているテレビのブラウン管に使われています。 

ガラスの絶縁材料を一生懸命に開発していくと同時に、その用途も開発していきました。松下のブラウン管で使われたのだから、当然真空管の中の絶縁材料にも使えます。NHKなどのラジオ放送局には送信菅用のとても大きな真空管がありました。その真空管の絶縁材料として使ってもらおうと、東芝、日立など、大手メーカーを訪ねて歩きました。松下のブラウン管用の部品だけではやっていけないので、もっと新しい市場を開拓しようとしたわけです。市場を新しく作り出そうとしました。“市場の創造”です。 

しばらくしますと、真空管の代わりにトランジスタが使われるようになりました。今まで築き上げたマーケットが全て崩壊してしまいます。その時、トランジスタの入れ物となるパッケージを同じ材料を使って工夫して作り上げました。それがトランジスタから現在の半導体までつながっていきます。 

会社を大きく発展させた四つの創造

セラミックスは高温で焼き固めて作り、摩耗しないという強さがありますから、その特徴を生かして産業機械の磨耗部品にも使ってもらえるように考えました。金属では磨耗して駄目になってしまうところにセラミックスを使ってもらう。特に産業機械の摺動(しょうどう)(滑らせて動かす)部品にセラミックを使ってもらおうと考え、機械メーカーを回って用途開発をしていきました。 

実際にセラミックスがどこに使われるのかわからないのですが、“セラミックスはこのような物性を持っています。金属では摩耗するので困っているところはありませんか”と言って回って歩くわけです。例えば繊維機械で、糸がすっと滑るところに使えるのではないか。織機はものすごいスピードで生地を織っていきますから、糸が通る糸道の摩耗が激しいのです。今は全部セラミックが使われています。このようにして市場を開拓していきました。 

ポンプでも摩耗するだろうということで、耐摩耗性を生かした市場開拓を進めていきました。車のラジエーターで、冷却した水をエンジンに回してエンジンを冷やします。このためにはポンプが入ります。そのポンプは外からベルトで回ります。ポンプが回る所にはオイルシールというゴムのシールがはまっています。長い間ポンプが回っていますと、それが摩耗して水が漏れてくる。そしてエンジンが焼けてしまう。 

弾性があって、なるべく摩耗しない良質のゴムを使ったのですが、それでもエンジンが焼けてしまう。そこにセラミックスを使えないかということで、セラミックスとカーボンで作ったオイルシールが欧米で作られました。“うちのセラミックスを使ったらうまくいきますよ”と言って歩きました。そして車が壊れない限り、一切漏れないセラミックシールが使われるようになりました。 

その他、セラミック施盤、超精密なエアスライダー、多軸のボール盤の軸受け等にセラミックスが使われるようになりました。 

また発電用のセラミックエンジンが、開発途中です。将来的には小型、分散型の発電につながっていきます。 

他には、バイオセラムという人工骨を作ったり、結晶技術を使ったフレサンベールという宝石を作るなど、いろいろな応用を次から次へと考えていきました。 

市場の創造、需要の創造、新商品の創造、新技術の創造という四つの創造を繰り返し繰り返しやってきて、今日の京セラになっています。 

目標の置き方で会社の将来像が決まる

事業を始める時、会社は技術も経験もない時点からスタートします。素人が単品生産を始める、単品生産であるため、いつ何時、その単品が時代の流れの中で廃れていくかもしれない。このままでは会社が潰れてしまうと、危機感と飢餓感をバネにして創意工夫を重ねて、技術開発、商品開発を連綿と続けることで、会社を拡大してきた。そして中堅企業に成長してきました。そこから先に行くには、会社の目的がどう設定されているかということが大事になってきます。 

例えば、“売上百億円の会社にしたい”と欲望をベースに目標決めたとしますと、一旦その目標百億円を達成しますと、飢餓感、危機感が消えて満足感が出てきます。そこで打ち止めになってしまいます。中堅企業のまま横ばいを続けてしまいます。欲望を目的にしたり、金銭や数字といった目標になっている場合には、中堅企業になったときにその成長が止まってしまいます。中堅企業からさらに大企業にまで成長させていく人の場合、そこからさらに考え方が変わっていくのです。つまり目標とか目的というものが数字ではなくなっていくのです。それは企業の使命感です。経営者の使命感です。 

“謙虚にして驕らず、さらに努力を”“私は常にそう言って自分を戒めています”。その考え方のもとになっているのが“己の才能を私物化してはならない”ということです。そのような考え方が、思いが、謙虚さを維持することになっています。 

“才能を私物化してはならない”のはなぜか。それは、この宇宙は、才能の異なるいろいろな人たち、多様な人たちを育んできました。またそういう異なった人間を生かせることによって、宇宙、自然は、発展してきました。自然界は多様性が共生し、多様な人たちが住んでいる社会です。自然界の中には、多様な自然が要るのです。 

人間の場合、社会を構成する中には能力の異なるいろいろな人がいます。もし経営者として能力の優れた人だけで社会が構成されていますと、実際の作業をする人がいなく、これではどうにもなりません。いろいろな異なった才能、能力を持った人たちがあって初めて、我々人間社会は成り立ってきています。 

ですから京セラの社長は、稲盛和夫でなくても良いのです。他の人でも良いのです。社会にとって宇宙にとって、京セラのような社会的意義がある会社を作り上げて経営できる人が一人おれば良いのです。宇宙は、社会はたまたまその経営者に稲盛和夫を選んだに過ぎないのです。他の人でも良かったのです。社会が一人の経営者に使命を預けたのです。預けられた一人の経営者は、そうした社会からの要請に応えるべき使命が与えられたのです。 

才能は世のため人のために使うべきもの

自分の持っている才能は自分のものではない。それは神様が“社会のために使え、世の中のために使え”と言って、このたった一度しかない人生にたまたま預かってきたものであって、それ以外の何物でもないのです。だから驕ってはならないのです。

自分の才能を自分のものにし“俺は偉いのだ”と思うから、つい傲慢になってしまいます。 

会社を立派にし、さらに発展させることに生きがいを感じ、それに楽しみを感じ、それが楽しければ人はがんばります。そうなりますと、目的が単なる数字に表される目標ではなく、まさに人生の目的とは何なのか、そういうものに変えていく必要があるのです。 

そして経営者の価値観が変わっていくことで、中堅企業から脱皮していきます。そして大企業まで発展し始めるのです。トップが持つ目的意識が変わっていきますと、会社は大企業になるまで突き抜けて行きます。 

経営者として“世のため人のために尽くす”と言っている中で、自分はいつまでやるのだ、次の世代に席を譲り渡す時が来ます。そして、自分の学んだ人生の目的を語り、その人生観、世界観を共有する。勉強していくことに人生の最後とすることになるのではないかと思います。 

盛和塾 読後感想文 第151号

人格を高め、維持する

一般には、人間のあるべき姿、人生哲学、考え方は、一度学べば充分だと思い、なかなか繰り返し学ぼうとしないものです。知識として知っておれば、もう良いと思いがちです。

しかし、スポーツマンが毎日肉体の鍛錬をしなければ、その素晴らしい肉体を維持することができないように、心の手入れを怠りますと、あっという間に学んだことを忘れ、大きな間違いに陥ってしまいます。“人格”も常に高めようと努力し続けなければ、すぐに元に戻ってしまいます。ですから、あるべき人間の姿を示した素晴らしい“哲学”を常に自分の理性に注入し、“人格”のレベルを高く維持するように努力することが大切なのです。 

そのためには、自分の言動を日々振り返り、反省することが大切です。学んできた人間のあるべき姿に反したことを行っていないかどうか、自分に厳しく問い、日々反省をしていく。そうすることによって素晴らしい“人格”を維持することができるようになります。 

確固たる哲学を血肉化して人格を高める 

学びは自ら求める人にしか身に付かない

稲盛塾長は盛和塾(富山)の開塾式で講演されました。富山塾の方々が自ら進んで勉強したいという方々ばかりでしたので、本当に富山に来て良かったと思われました。 

盛和塾は京都の経営者の方々からの要請で始まりました。そのうちに“暇ができたら”と言っていたのですが、粘り強く“勉強したい”と言われ、お引き受けして盛和塾が始まりました。あくまでもボランティアで教えてあげようということでした。 

紹介された時に、大変大きな会社を経営していると紹介していただいたのですが、稲盛塾長自身どのように今日のようになったのか、自分でもよくわからないと言っておられました。青少年時代を思い返してみましても、どこにでもいそうなありふれた少年でした。 

そんな人が、京セラという会社で事業をやっているものですから、稲盛塾長の経験を伝えることによって人生が大きく変わる方がおられるのではないか、また稲盛塾長の経験を教えることが、世の中に対する恩返しになるのではないか。そして京都で、盛和塾の母体である盛反会が発足したのでした。 

皆さんのお話を聞いて嬉しく思ったのは、出席していただいておられる方々が、内なるものが燃え上がり、真剣な気持ちで経営を教わろうという気持ちの方ばかり集まっていただいたからです。 

いくら良い話をしても、いくらいいことを言ってあげても、それは自ら求める人にしか身につかないのです。馬が飲みたがらなかったら飲まないわけです。人生には貴重な学びを得るチャンスがいくらでもあるのですが、それをチャンスにできない人が大半なのです。 

人間として何が正しいのかを論じるのが盛和塾

盛和塾を通じて何かをしてあげたいと考えるようになったのは、どこにでもいそうな少年、青年が、偉大なことをなし得るには、その人が持つ哲学が大変大事であるということを知っていただきたいのです。 

盛和塾では経営のノウハウ、経営のハウツーといったものを教える場ではありません。リーダーが持つべき哲学、人生観、価値観というものを皆さんに教え、また皆さんがそれに共鳴し、賛同し、共有しようという心境になれば、皆さんの人生は変わっていくのではないか。それはつまり“人間として何が正しいか”という哲学を、バックボーンとして持っていただきたいのです。 

事業でも人生でも素晴らしい展開をしていくためには、今からさらに大きく躍進していこうと思われる方にとっては、人間性が変わることが必要なのです。生まれつき現在まで、こういう性格、性質を持った人だと言われていた人が、持っている人格そのものが変わってしまうということです。 

普通に生きていたら、人間が変わるなどという事はありえないのです。だから運命も変わらないのです。ところがその人が持っている人格が変わることが起こり得る場合があります。 

それは衝撃的な出来事に遭遇した場合、罪を犯して拘置所に入れられる、その後に裁判が続く、気の弱い人であったら、自殺でもしかねない。周囲からの冷たい視線に刺される。家族は離散する。すさまじいばかりの衝撃を受ける。そうすると人間が変わります。大病を患うこともあります。がんの宣告を受けて死と向き合うことになれば、人間は変わります。命と引き換えになるほどの衝撃を受けて、初めて人間は変わります。 

盛和塾で学ぼうとする哲学は、塾生の方々の人格を変えようとするものです。それを衝撃的に受け止める人、魂を揺さぶられるくらいの受け止め方をする人であれば、人格が変わるのです。 

哲学を学ぶのにたくさんの本を読む必要はありません。良書に当たったとき、それを熟読玩味(じゅくどくがんみ)することです。良書にある言葉を衝撃的に受け止め、自分の血となり肉となっていた時、初めて人格が変わっていくのです。 

自分の哲学を再構築することができるのです。自分の哲学を変えると今まで持っていた価値観も変わります。それは理性で自分を少しずつ、毎日の努力により修正していくという作業になるのです。自分自身が持って生まれた性格、人生観、価値観に素晴らしい哲学が入ってくる時は、まず知識として知として入ってきます。そのままではただ単に説明できるというレベルであり、血肉化まではできていないのです。 

哲学を血肉化するとは、一般知識として受け止めておいた哲学を魂に入れるということです。そのためには、自分が生来持っている哲学と、新たに入れた哲学とが、自分の中で葛藤しなければなりません。そして新たに入れた哲学が、生来自分が持っていた哲学に打ち克(か)っていくときに、初めて人格が変わっていくのです。 

稲盛塾長も、もっともっと真剣に考えて、塾生の方々によく伝わる話をしてあげれば、中には魂を揺さぶるような衝撃的な受け取り方をして、変わっていく人があるのではないか。 

盛和塾は“人間として何が正しいか”という哲学を論じていく場です。それくらい哲学は一番大事なものなのです。それが個人としての人生を大きく変えていきますし、経営者として行っている事業を大きく変えていきます。 

なぜ哲学が最も大事なのか

哲学を語るだけでは経営はうまくいくとは考えられません。技術開発の話題についても、OA、通信、工学の専門技術者とブレインストーミングをして、ある種の情報を元にどんな創造的なことが可能なのか、連鎖反応的に自分の仕事と関連させて議論をしたりします。新しい半導体メモリが開発されたのですが、それがOA通信工学の世界にどういうインパクトを与えるのか。 

このように哲学だけを語っているのではなく、技術的な問題も細かなことも議論しています。しかしその中で最も大事なのは哲学だと思います。塾生の方々は中小企業を経営しておられますが、まず“学ぼう”という気概を持っておられます。“学ぼう”という事は人格の中でも一番大きくものをいう、“素直さ”なのです。“素直さ”は学ぼうという気概であります。進歩するための絶対条件なのです。 

一芸に秀でたものは万般(ばんぱん)に通ずる

京セラを作っていただいた頃は、稲盛塾長は一介の技術部長としてスタートしました。けれども製造も技術も営業も、実質的な経営は全責任を負っていました。実際に経営を始めてトップに立ってみると、いろいろな苦労に直面しました。その中で、哲学が非常に大事なことだと気が付きました。 

前にいた松風工業では、寝食を忘れて研究に打ち込んでいた時にも、うまく研究が進むために必要な人としての心構えを少し会得していました。給料が遅配、ボーナスは出ません。稲盛塾長が外に行くところもなく研究に打ち込むしかなかったのでした。こうした逆境の中でまことにすばらしい発明、発見をするためには、どういう心理状態がいるのか、少し分かったのでした。それをメモ書きにして残したものが、現在の京セラフィロソフィーの一端を成しています。 

ですから“一芸に秀でるものは万般に通ずる”と信じています。それには“極める”ということが大事です。極めるという事はとことんそれをやり遂げる。それも辛酸をなめる苦労して物事を極めると万般に通ずることができると悟ったのでした。 

“私はしがない仕事をしていますが、もっと大きな仕事をしたい”“偉大な経営者に素晴らしい話を聞かせてもらった。勉強になった。”という方も多く見られます。そうではなく、自分が今やっている事業に全身全霊を捧げて、精魂込めてやり遂げれば、諸事万端見えてくるのです。 

多角化をする場合でも、同じことがいえます。つまり自分の事業を極めれば、多角化の道が開けてきます。京セラの場合は、ファインセラミックスを極めていく中で、現在素晴らしい多角化を実現しています。多角化は難しいのです。しかし一芸に秀でる、物事を極める事は、諸事万端に通じますから、それが多角化をする上で一番大事なのです。 

アイデアについても同様です。一つの物事に打ち込んで極めていきますと、そこから新しいアイデアが出てきます。“何かいい商売はないだろうか”“良いネタはないだろうか”という発想では浮ついたアイディアしか出てきません。自分の事業を究める、それも深く究めていく。その深さに触発されるような情報を目の前にしたときに、新しいアイデアが生まれてきます。 

未知の分野に乗り出すための道標がフィロソフィー

松風工業で一生懸命研究に打ち込んでいた時に、稲盛塾長は人生観というものが固まってきました。 

中学の時、不治の病とされた結核を患い、一九四四年の秋から寝込んでしまい、一九四五年八月が敗戦ですから、食糧難で栄養が取れなくて死ぬだろうと思ったそうです。 

その頃、隣の近所の奥さんが、生長の家の“生命の実相”という本を貸してくれました。“かわいそうに、十二、三歳位であの子も死ぬだろう。せめて心が和むように”と思って本を貸してくれました。稲盛塾長はそれを貪るように読んだのでした。 

そうしたことがあって、稲盛塾長は宗教的な知識がバックグラウンドにあったのです。そのことが、研究に打ち込んで物事を究めていくときに、人生観を構築する上で、大変役立ったのです。 

京セラという会社を創っていただき、経営の全責任を背負いこんだ稲盛塾長は、その重圧から“どのような生き方をすべきか”ということを自分自身に問いかけました。 

その時に吉田源三さんが言った言葉の意味が、フィロソフィーという言葉が迫ってきて、その後の自分の哲学、人生観、信念、または理念、あるいは価値観、そういったものを形作っていきました。それは自分の中へと肉体化していく過程でもあったのです。 

肉体化とは、考えていることや言っている事と行動が一致しなければならないということです。哲学として頭で構築しただけですと、人の前では立派なことをしゃべりはするけれども、実際にやっていることがちぐはぐなのです。これを知識として知っているだけで行動が伴っていないのです。それを徹底的に行動に落とし込んでいく、それが京セラを作っていったのです。 

例えば“一芸を極めれば万般に通ずる”という信念が、ファインセラミックスの研究に没頭し、究めることを通じて生まれ、肉体化していきました。フレザンベールという再結晶宝石とバイオセラムという人工骨、人工歯根、セラチップという切削(せっさく)工具、太陽電池を京セラは商売としています。こうした新しい分野を始めて、多角化をしていこうという時、一つの物事を究めた経験や考え方が生かせるはずだという信念が稲盛塾長にはありました。全く未知の分野に乗り出していくときに道標となるのが“京セラフィロソフィー”なのです。哲学がしっかりしてさえいれば、未知の分野でも通用するはずだということで、上の四つの事業を始めたのでした。十五年の歳月をかけて、苦労に苦労を重ねて、年商三百億円にまでなりました。 

この四つの事業はファインセラミックスと技術がベースとなり、始まったものです。 

そして次に来るのは第二電電でした。技術的にも全く縁のない情報通信事業にフィロソフィー一つだけで挑戦してみようというものでした。いかにフィロソフィーが大事であるかということを証明するために、それを企業の理由の一つとして、第二電電の事業化をやったわけです。会社を作って六年目ですが、売上高は千五百億円、経営利益が三百億円という業績を見込んでいます。 

先見性があれば思いつきさえも実現していく

第二電電の事業では、セルラー会社七社を作りました。第二電電という会社を作った後、セルラー事業を開始するためでした。そのために郵政省にセルラー事業、自動車電話、携帯電話の会社を作らせてほしいと頼みに行きました。 

ところが第二電電は、セルラー事業に全重役が反対でした。なぜならNTTの自動車電話事業も大赤字でしたし、アメリカ、ヨーロッパの自動車電話事業も赤字で難しいと言われていたからです。“第二電電がまだ始まったばかりなのに、大赤字の難しい事業に手を出しては大変なことになります”と全員が反対しました。 

稲盛塾長は“いや、それでもやるのだ。全役員反対で結構だ。お前たちなんかとはやらん。“と言い放ったのでした。その中で当時は一介の部長だったもので、郵政省から来た若い社員が“私は会長が言われる通りだと思います。絶対にこれは伸びると思います”と言ったので“お前と二人でやろう”と言って始めたのです。 

その時稲盛塾長は“自動車電話はこういう風に事業をしていく。”“契約料はいくら、月々の基本料金はいくら、通話料金はいくら”という想定をしていました。“このように契約すれば、それならば何とか今の日本の経済状態の中で、お客さんがつくはずだ。だから経営もうまくいくはずだ。”ということを話しました。そのうちの一人がこの話を日誌にメモしていたのです。 

郵政省認可料金を提出する必要がありました。しかし、設備投資がいくらかかるのか、全く何もわかっていませんでした。郵政省に提出を要求される減価償却費もわかりませんでした。 

ところが六年後に郵政省に認可申請をするときに、実際に総括原価方式で計算してみますと、稲盛塾長が六年前に言っていた数字と同じになっているではありませんか。契約料金も、月極め料金も、通話料金も、ほぼ同じだったのです。六年前に日誌にメモしていたセルラー事業の今の本部長が、六年前のメモを出してみたら、認可申請するときの料金と、稲盛塾長が言った金額が一致しており、大変驚いていました。 

七つのセルラー会社の資本金の金額についても、同じようなことがありました。関西セルラーの資本金は二十億円、九州セルラーは十億円、北陸セルラーは七億五千万円と決めました。セルラー会社が始まってみますと、累積赤字が資本金と同額近くなっているのです。その後収入が入ってくるのです。このように資本金が商売を始めるまでの損を埋め合わせるだけの額に重なってくるのです。 

哲学を深めて心を高めていきますと、自分の人生が変わるだけではなく、先見性も備わってくるのです。本人にとっては思いつきなのですが、それは思いつきに終わらず、現実になっていくのです。先見性がある人の思いつきは、未来に起こる事実と遭遇して、現実化していくのです。 

前向きで一生懸命な苦労が運命を変えていく

稲盛塾長の少年時代、大学時代は、病気、受験失敗、就職採用にも失敗と、後ろ向きなことが多々ありました。“世の中が間違っている”と悲憤慷慨(ひふんこうがい)していました。 

松風工業に就職し、どこに行くこともできなかったため、セラミックス研究に没頭せざるをえませんでした。貧乏会社で設備もなく、頼りない経営陣、労働組合争議が頻繁に起こるような職場、給与遅配と、少なくとも前向きの条件がない中で、ファインセラミックスの研究に打ち込む日々の中で、吉田源三さんからフィロソフィーという言葉を耳にして、自分の哲学を構築していきました。自分の哲学を構築していく中で、運命が好転し、京セラの歴史が始まりました。 

稲盛塾長は朝から晩まで仕事をしているのですが、少しも苦労したという感じがしていないのです。朝から晩まで誰よりも仕事をすることを、本人は好きでやっているのですから、それは苦労では無いのです。 

今日支払うお金がない、手形を落とすお金がないといって金策に走りまわる事は、一度もありません。京セラは赤字決算をしたことがないのです。ボケッと遊んでいるから、金策に詰まったりします。 

前向きで一生懸命な、自分の中での苦労というものはありますが、そんなくらいになると運命まで変わっていきます。 

人格を高めるための哲学を身に付ける

前向きで一生懸命な努力は、自分の哲学を構築し、哲学を血肉化する最短のものです。もし血肉化することができれば、人生観もガラッと変わります。“学びたい”という思いがあれば、哲学というのは自分自身の第二の人格、性格を作っていくものであり、魂が震えるほどの感動を持ってそれを受け止めることができるようになります。そして自分自身に素晴らしい哲学を身に付ければ、その人の人格が変わります。運命も変わっていくのです。 

盛和塾 読後感想文 第150号

すべては思うことから始まる

先賢の高邁(こうまい)な知識を学んでも、経営論や技術論をいくら習っても、道を究(きわ)めようという強い信念、高い志、勇気を持って挑まなければ、身に心に深く刻み込む事はありません。いざ実践しようという時に役に立たないのです。 

目標までの長い道のりを前にして、唖然として立ち尽くし、“自分にはとても無理だ”と諦めて前進を止めてしまうのは甘えであり、逃げであり、卑怯者のすることだと西郷隆盛は言っています。ほとんどの人々は、“自分にはとても無理だ”その理由は、人材がいない、経験がない、お金がない、技術もない、ない理由を考え、自分自身を説得して、あきらめさせると思います。 

どんなことでも、まず強く“思う”ことから全てが始まるのです。“そうありたい”“こうなりたい”という目標を高く掲げて強く思う。それも潜在意識に浸透するほどの強く持続した願望でなければなりません。寝ても覚めても途切れることのないくらい強いものであって、初めて先人の教えを実践の場で生かすことができるのです。 

その“思い”の目標・目的は、遠く、茨の道かもしれません。苦しいことの連続に違いありません。こんなに辛い目に遭ってまで、どうして“高み”を目指さなければならないのかと思い、迷い、悩むかもしれません。 

しかし、固い志に拠(よ)って立つ人は、目標へと続く道路が眼前から消え去ることはありません。たとえ途中でつまずいてもくじけても、また立ち上がって前へ前へと進むことができます。逆に志なき人の前には、いかなる道も開かれる事はありません。 

そして、その“思い”は、純粋な心から発生したものであることが必要なのです。強く持続した思いであるならば、普遍的な、誰もが同意してくれる、世のため人のためのものであればなおさら、強力で持続した思いとなります。どちらにしても強く思う心がなければ事は始まらないのです。 

経営者はどうしてもこうありたいという強い願望を持て 

トップとナンバーツーの絶対的な

盛和塾の機関紙に掲載するための座談会がありました。そこで話が出たのですが、我々経営者というのは、自分というものは何なのか、自分の人生は何なのかということを真剣に考える人であるべきだと稲盛塾長は言われました。なぜ生まれてきたのか、なぜ自分はこういう職業に就いているのか、なぜだろうと真剣に考える必要があるのです。 

“塾生は、そういうことに疑問を持って、真剣に学びたいという人でなければならない。ただ単に漠然と人生を進みたいという程度の考えでは困る。” 

社長をしている人と、常務、専務をしている人では全く心持ちが違うのです。常務、専務も“自分だって社長と同じような仕事をしているのだ。”と考えておられると思いますが、実は、その責任に雲泥の差があるのです。“社長になってから心配で心配で眠れなかった”というくらい、両者は全く違うのです。社長とは想像以上にきつい仕事で、常務、専務とは全く違うのです。常務でも専務でも、後を継がれる方でも、今社長をやっている方でも、自分の人生、社長業を全うするからには、もっと真剣に学びたいという人であるべきです。 

二代目社長の方々の中には、学校を出て“よそさんの飯を食ってこい”と修行に行かされた方もおります。また中には、親の後を継ぎたくない、頭もちょっとばかり良く、他の道をずっと歩き続けて、年がいってから、やはり親の後を継ごうということで、盛和塾で学ぼうと、塾生になった方もいます。若い時に“父親の仕事なんかする気は無い”と言うので、横道を歩いてきた人もいます。遊んできたという意味では無いのですが、外で学ぶ以上に、父親の会社の方がもっと真剣に学び、実践的な大変な苦労を経験できたというわけです。そういう意味でもったいないと言っているのです。 

子供の頃は、親がやっている商売というものは決して魅力的には見えません。親の仕事はあまりしたくないというのが本音ではないでしょうか。本当なら、出来る限り最初から後を継がせるようにすべきだと思います。 

存在の意義を真剣に考える

なぜ自分はここにいるのかと真剣に考えてみる必要があります。今自分がいることの必然性に理屈をつけて、必然性を求めて自分の人生を意義あるものとして、自分で自分に思い込ませることが重要なのです。 

今はアパートの事業をしているが、金儲けのために始めたのですが、アパートの経営をしている間に、低所得者の人々が、レント代の高騰に困っているのに気がついた。そうだ、できるだけ安く良いアパートを作ろう。経費のかからない工夫をして、レント代の高騰に挑戦してみよう、低所得者の人たちに良くて安いアパートを提供していこう。これが私の目的で、ここに私の人生の意味を見つけよう、と考えて良いのです。 

そういうように考えますと、自分の人生、生活に張り合いが出てきます。 

盛和塾に関わる人たちを幸せにしたい

稲盛塾長は普段から、自分の存在意義を考えています。稲盛塾長は二十七歳で会社を作っていただいて、今では国内に一万五千人の従業員がおり、海外にも一万五千人、国内外合わせて三万人の従業員がいます。その従業員には三~四人の家族がいるとしますと、その三倍から四倍の人が京セラに関わっています。第二電電には二千人の従業員がいます。ここまで順調に来ており、大変多くの従業員や家族を養っています。 

その時、自分の存在はどういう意義があったのだろうかと考えてみますと、自分が生まれてきたことによって成し遂げた良いことに、自分の存在価値を見つけることができます。 

しかし、こうした仕事の中で、こんなこともあった、あんなこともあった。あんなこともした、こんなことも真剣に取り組んできた。周囲の人たちも導いてきた。そうだ厳しいことも要求した。私は仕事には大変真剣でした。いい加減さは許さなかった。稲盛塾長は大変真剣に仕事をしてきています。だから周囲にも大変厳しい態度を求めます。自分も厳しい生き方をして、他人にも厳しい生き方を要求していますが、その分、自分の周囲には多くの人たちを幸せにすることができたと考えております。 

稲盛塾長の周囲の人たち、身内、親戚の人たちも皆、稲盛塾長が存在していることを大変喜んでおられます。海外にも一万五千人の従業員がいるわけです。そう考えていますと、稲盛和夫がいなかったら、こんなこともなかった、あんなこともなかった。今命が消えようとするお袋から生まれた一人の男が、世のため、人のためになることをしてきたのだ。 

そうだ、どうせここまで来たのだから、今取り組んでいる盛和塾で、まだお目にかかっていない人たちも幸せにできるのではないか。盛和塾の塾生の中には、小さな会社で、十人や十五人の従業員はいるだろう。また何百人も従業員を抱える会社の社長もいます。その人にはたくさんの従業員がおられるのだから、自分はその全員を幸せにしてあげることができるのではないか。 

盛和塾が五千人になりますと、社員は一社百人としますと、五十万人になります。日本最大級の集団となります。こうした人たちを幸せにしていくことができるのではないか。自分の存在意義もここにあるのではないか、と稲盛塾長は考えられました。 

自分の存在意義使命を自覚する

創業者であろうと、二代目、三代目であろうと“なぜ自分はこういうことをしているのだろう”と自分で考えることが大切です。自問自答していくのです。確かに、どこにも行くところがないために、父親の後を継いだかもしれません。それだけではあまりにも惨めすぎます。そうではなく、“自分が父親の後を継ぐのは、必然性があったのだ。それを世のため人のために良かれかしとして、神様が決めてくれたのだ”と決めてしまうのです。 

そして現在の自分自身の存在意義、位置を現実的に考えていきますと、いい加減には生きられません。 

人間は、今生きていることを漠然と受け止めてしまいがちです。自分たちがこの世に生を享(さず)けられたのは、そこに何か目的があり、そのような使命を帯びているからなのです。神様が私たちをこの世に出したのは、そのためなのです。 

中小企業でも社長の息子であったため、経済的に恵まれていたかもしれません。世の中を甘く見て育ててきたのかもしれません。そんな人でも自分が好むと好まざるにかかわらず、自分のおじいさん、お父さんが作った会社を早く立派にしなければならない、義務、責任があるのです。

そのように自分の存在意義を考えますと、毎日毎日いい加減に生きてはいられない、と真剣な、生真面目なものが要ることに気がつきます。それが仕事のベースになると思います。 

未経験ゆえの心配性が経営に生きる

稲盛塾長は、松風工業で三年間勤め、二十七歳で京セラを作っていただいたものですから、経営のことに関してはほとんど経験はありませんでした。ですから、慎重な稲盛塾長は、大変怖がりで、もう一寸先が真っ暗闇という感じがして、必死で努力をせざるをえませんでした。そういう怖さ、恐怖感を真剣に捉えることによって、自分を駆り立てる力となったのでした。恐怖感がドライビングフォースとなって、やっても安心できない、自信がない。そこで必死にがんばりました。もちろん夜も昼もありません。朝早くから夜中まで仕事に取り組みました。 

京セラの古い営業担当の社員が言っていました。稲盛さんは私たち営業の社員が会社に戻るまで待っていてくれました。市電で夜八時頃に戻りますと、会社の門の前で社員が帰社するのを待っているのです。そして“御苦労さん、御苦労さん”と言って肩を叩いて、“注文は取れたか”といい、“どうやったか”と聞いていたそうです。いくら遅くなっても、稲盛塾長が門の前に立っていることが想像できるものですから、営業の社員はどんなに遅くなっても会社に帰ってきたそうです。 

このように怖くて心配ばかりしていたものですから、一生懸命やっても安心できません。稲盛塾長が夜中まで仕事をしていましたから、従業員も残らなければならない。すると皆フラフラになってしまい、健康にも影響が出てきました。今度は従業員の不満が爆発して、大問題が起こるのではないかという不安が出てきました。

そのうち幹部が“こんな無茶をするのだったらみんな体を壊してしまって続きません。もっとこうしましょうよ”と言ってきました。“そうかな”とは返事をするのですが、“じゃあ何時に帰って早く休もう”とは言えないのです。“そうやな、そうしよう”と言うのですが、やはり、“早く帰ろう”とは言えないのでした。 

それには、次のような考えがあったからでした。 

四十二・一九五キロを百メートルダッシュの勢いで

“経営とは一生を通じてするマラソンです。気の長いマラソンです。京セラは一九五九年にスタートしました。マラソンレースだから、四十二・一九五キロを完走できるような走り方をしようやないか。だけど四十二・一九五キロはどのぐらいのペースで走ったら良いのかわからない。”

朝八時から夕方五時まで働いたらちょうどいいペースなのか、六時までくらいがいいペースなのか、七時まではいいペースなのか、誰もわかりません。マラソンを走った人ならばペース配分はこのぐらいで行かなければ保たないと知っています。しかし京セラは何も知らない、そのマラソンレースに参加してしまったのです。 

一九四五年の敗戦で十四年が経っていました。一年を一キロメートルと仮定しました。敗戦時にスタートしておれば、京セラ創業時一九五九年には先頭集団は十四キロ先を走っているのに、ずいぶん遅れてマラソンレースに京セラは参加しました。 

京セラは四十二・一九五キロを一生かけて走らなければならない。ペース配分も何もわかっていない、一流の出でもない選手。千メートル、五千メートル、一万メートルでも走ったことがない。何もわからない田舎の青年が走り出したのだから、もうどうしようもない。だからがむしゃらに走らなければならない。まさに百メートルダッシュみたいに。 

しかし、京セラの百メートルダッシュ、つまり夜を日に継いで寝ないでがんばっても、実はそれが一流のマラソンランナーのスピードなのかもしれない。自分は勝負にならないことをしているのではないかと恐れました。日本の他の企業は十四キロ先を走っているのです。こうなったら百メートルダッシュでやみくもに走るしかないではないか。 

“百メートルダッシュ”は“続かんと思う”と言う。だが続かんでもいい。このレースは五キロ保つのか、十キロ保つのかわからない。そこまで行ってダメなら、それで良いではないか。勝負にならないことでウロチョロするよりは、そのほうがましだ。 

必死になって走っている間は、確かに走りすぎていると言えるかもしれないし、どんどん人を負い抜けていけば、走りすぎと言えるかもしれない。その時は初めてペースダウンしてもよいのではないか。 

“能力もない経験もない自分が他人様と同じようなことをやっていたのでは、どうにもならない。人の何倍もやろう”と考えたのでした。

面白いことに、ガムシャラに頑張ることが習い性になってきますと、何も苦ではなくなるのです。 

稲盛塾長の一日は、夜の十一時、十二時に帰宅。夕食を食べて十二時半か、一時前。朝は七時に朝食を食べて出社でした。京セラの社員もそうでした。そんなことをしたら体を壊してしまうのではないかと言われます。しかし全然問題はありませんでした。体を壊すと思うと体を壊すのです。がむしゃら生活が習い性になり、それが当たり前になっていました。 

住む世界を変えるために

ロケットは地球の引力を振り切って宇宙空間に飛び立って行きます。ものすごいスピードを上げていくのです。そして宇宙空間で、周回軌道を回り始めると、時速にして何万キロというものすごいスピードで回っています。ところが地球から打ち出したときには、G(重力)に逆らって行きますから、宇宙飛行士にはものすごい重力がかかります。彼らはそれに耐えられるようにトレーニングをしているわけです。相対的にはものすごいスピードになるのですが、一旦宇宙空間に出れば、宇宙遊泳をしています。地上で静止しているものを宇宙空間に飛ばすためには、ものすごいスピードで飛ばす必要がありますが、いざ宇宙に出ますと、それが平常のレベルになり、静止しているのと変わらない状態になります。 

ボロ会社で経営をしていますと、この業界の利益率はこれぐらいです、と皆規制概念があり、それが当然と思っています。長年続くとそこにハマってしまい、動くことができないのです。 

素晴らしい経営をしているところは、ボロ会社の状態を離脱して宇宙空間の世界-高収益企業の仲間入りをしているのです。高収益企業の従業員は、大変苦労をしていると他のボロ会社の従業員は思っているのですが、実は高収益企業の従業員にとっては何の苦労もしていないのです。 

宇宙への脱出-高収益企業の変身は、ものすごくガムシャラな努力をして、ボロ会社の世界から脱皮しようとして頑張ったのです。しかもその頑張りは習い性になっており、少しも苦労とは思っていないのです。このボロ会社から高収益企業への変身にはものすごいエネルギーがいるのです。それには経営者も従業員も意識を変えるのです。自分たちは変わらなければならないのです。次元を変えるということです。 

“うちの会社はまあまあだけど、あそこの会社はもっと良い業績を上げているな。自分だって本気を出せばあいつよりもっと業績を上げることができる”世の中には勉強せずとも頭の良い賢い人がたくさんいます。そのため、要領が良くてあまり勉強・努力をしません。 

しかしそれは“すれば”という仮定なのです。その“すれば”ができていない時点が、それが実力なのです。“そのそれがお前にはできないではないか。それがお前の実力なのだ”と考えるべきなのです。そこへたどり着くためには、そのように変わるためには、大きいエネルギーギャップがあるのです。そこへたどり着くのは簡単に見えるのです。そこにはものすごいギャップがあるのです。 

成功しても変節しないことの重要性

大阪証券取引所二部に上場したときのことです。稲盛塾長は滋賀県にある工場のグラウンドに従業員を集めて話しました。従業員には自社株を持ってもらっていました。

“先頭集団は十四キロ先を走っている。京セラでは全員が力を合わせて頑張って、まるで短距離ランナーのような“今に潰れるだろう”“今にぶっ倒れるだろう”という走り方をしていたら、あれはあれよという間に第二集団をとらえた。そして第二集団の中に入った。さらに先の先の方をトップ集団が走っているのだから、第二集団、二部上場を抜けて、できればトップ集団に行こう”

そして言った通り、第二集団を通り抜けて、トップ集団である一部上場を果たしました。 

二部上場しても、一部上場しても、稲盛塾長は、天狗にはならなかったのです。つまり変節しなかったのです。志を高く持ち、その志が変わらなかったことが良かったのです。人間誰しもちょっとうまくいっただけでも慢心するのです。傲慢不遜になります。京セラという会社がここまでの規模になっても変わる事はありません。 

自分の人生というものを真剣に考えられるような仕事をしなければならないと、自身に意義付けをしなければなりません。生真面目にするという事は一生懸命にやることです。 

強烈な願望を心に抱く

大事な事は、自分の会社はどうあるべきかという目標設定を明確にすることが第一番です。 

特に目標設定をする場合、簡単に達成できる目標ではなく、相当高い目標を掲げるべきです。 

例えば、今五億円の売り上げ、税引き前利益五千万円だったとします。その五億円を十倍の五十億円の会社にしたい、税引前利益も五億円にしたい。現在の自分に比べても相当高いレベル、そういう目標を立てます。 

五十億円の売上、五億円の税引前利益を上げる会社にしたいという“強烈な願望を心に抱く”ことです。願望とは“どうしてもこうありたい”というものでなければなりません。“どうしても五十億円にしたい。何が何でも五十億円にしたい”というものです。そのスパンは五年なら五年、十年なら十年と言い切れるようにしなければなりません。 

ただ一時だけ思うのではなく、考え付いたらのべつくまなしに“そうしたい”と思い続けるのです。のべつくまなくとは、二十四時間、馬鹿みたいに考え続けるのです。今日考えるのではありません。目が覚めている間中、“五十億円で五億にしたい五十億円で五億にしたい”と考え続けるのです。 

どうすれば五十億円を達成するか、今までの事業のやり方では伸びそうに無い、新しい事業への進出も考えてみよう。関連事業分野に進出してみよう。お金も、技術もない。どうして新しい分野に進出するか、と考えます。そして次から次へと発想が湧いてきて、具体的なプロセスが出てきます。 

今度はそれを実行するための方法論が考えられます。頭の中でシュミレーションとなって、頭の中で考えすぎるほど考えるようになります。 

潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を持つ

そして考えていきますと、目標やその関連分野の事業、その方法論が潜在意識に入っていくのです。普通にものを考えている領域は、顕在意識です。潜在意識には、繰り返し繰り返しそう思っていることが入ってくるのです。潜在意識には思ったこと、経験したことが全部入るのです。潜在意識に蓄えられた考えや思いは、顕在意識になって現れるのです。潜在意識に入ったもので、顕在意識のレベルまで持ってこれるもの、それは、1.繰り返し繰り返し考えたもの、2.ものすごい衝撃的な体験をする、この二つのものからしか潜在意識から顕在意識には持って来れないのです。 

車の運転の場合も、慣れてきますと、考えなくても手足が車を運転してくれます。いちいち頭で考えて、手足を動かす事はありません。全く運転のことを考えずに他のことを考えながら運転していることにハッと気がつくようになります。 

同じように、五十億、五十億と毎日考えていたら、潜在意識に入ってきます。何かの拍子に、例えば飲んでいる時、“アッ、そうや、あれやったらいいんだ”と出てくるのです。 

潜在意識の中に自分の目標設定が入っていたから、一生懸命考えたことで触発されて出てくるのです。ボケッとして“できれば五十億になりたいもんやな”と言うのでは話になりません。 

盛和塾 読後感想文 第149号

経営の使命と人間の本質

経営者の共通の悩み

盛和塾に入られる塾生の中には、経営の使命について悩んでいる方がおられます。 

  1. 会社の使命について。会社の使命は何なのか悩んでいます。本業で利益をきちんと出すことこそが社会貢献だと思っています。
  2. 大手企業の出身ですが、現在の会社に溶け込んでいません。今後、実績を積み、社員の心をいかにつかんでいくかということが課題です。
  3. 二代目、三代目で家業を継いでいますが、どのように従業員に接すれば良いのか、人を育てていけば良いのか、社員が自分のことをどう見ているのか、どう考えているのか自信が持てない。 

こうした悩みは、とりもなおさず自分が部下から尊敬されるような人物ではないと気づいている証拠なのです。このままでは仕事がうまくいかないのではないかと思っているからです。 

いい大学を卒業して、大企業のサラリーマンを経験して、相当な経験を積んできました。二代目、三代目として経営者になった。父親の会社を継いでも“なんだこんなのは小さな仕事だ”と思ってやってみた。ところが実際は考えたよりも難しく、うまくいかない。 

親から“帰ってこい”と言われて、“帰ってきてやった”と思っています。ところが父親の代からいる従業員は誰も尊敬してくれない。指示をしたり、命令すると、露骨に反抗する人もいる。聞いているふりをして心の中では決して納得しているわけではない。そのために仕事がうまくいかない。仕事も人間関係もギクシャクしてしまう。 

塾生の方々はこうした共通の悩みを解決するには“自分の心を高める”しかないのだと自分自身で気が付きました。 

大金を投じて参加した経営セミナー

稲盛塾長は二十七歳の時に京セラという会社を作っていただきました。自分が開発したファインセラミックスの研究をずっと続けて、自分が開発した技術をベースにして、開業にこぎつけました。しかし経営のやり方が全くわからないのでした。そこで、わからないなりにも“少しはマシな経営をしたい。立派な経営者とはどのような人なのか。いちど見てみたい”と考えられました。

そこに経営セミナーの案内が入ってきました。二泊三日の経営セミナーでした。ダイレクトメールには“講師本田宗一郎”と書いてありました。本田宗一郎さんは、稲盛塾長が憧れていた人でした。これはぜひ参加したいと思われましたが、参加費用は三、四万円のセミナーでした。当時の京セラにとっては大金でした。それでも行きたいと思い、京セラを作っていただいた西枝一江(にしえだかずえ)さんに相談に行きました。 

西枝さんは宮木電機の専務をされておられました。宮電機は京都ではトップ数社の中にある会社でした。“そんなものは聞きに行く必要はありませんよ。私が教えてあげます”“いや、西枝さんとは違うんです。この本田宗一郎さんという人はすごい経営者です。この人の話を聞きたいのです”“どうせいい加減な話しかしません。私が教えてあげます““いやどうしても行きたい”。結局は西枝さんにお金を出してもらい、大金を投じてセミナーに行かれました。 

会場について温泉に入り、浴衣に着替えて大広間に行きますと、小さな机を置いてあります。その前に座布団を敷いてあり、浴衣を着た参加者が何百人もあぐらをかいています。 

本田技研工業は、ドリーム号という素晴らしいオートバイを販売していました。世界の本田技研工業になっていく最中でした。 

本田宗一郎さんが出てこられました。

“あなた方は何をしにここにきているんだ。経営の勉強に来てるって?大体こういうところに大金を払ってきているから、会社がうまくいかないのだ。私だったら帰ります。こんなところであぐらかいて勉強するぐらいなら、会社に帰って仕事をします。そのほうがましです” 

本田宗一郎を突き動かしたもの

本田技研工業が戦後あれだけ伸びていった原動力になったもの、彼をモチベートしていたテーマは何だったかといいますと、堂々と“私はお金が欲しいので”と言っておられました。なぜお金が欲しいかといいますと、遊びたいからだということでした。“私は遊びたいからお金が欲しい。そのために働くんだ。だからうちの従業員にも言っている。悔しかったら俺と同じように働いてみろ。俺と同じくらい金が欲しいなら、いつでも払ってやる。そのかわり、俺と同じくらい働いてみろ。俺と同じくらい頭を使ってみろ。これがうちの会社のモチベーションなんだ” 

“私はよくお金を使います。浜松の芸者を時々総揚げしています。私はお金を貯めるためにお金が欲しいのではありません。お金を使いたいから稼ぎたいのです”

“なるほど、すごい人だ。そういう生き方で人を引っ張っていく方法もあるのか”と稲盛塾長は思いました。 

一九八四年、スウェーデンの王立アカデミーの招待で、ソニーの井深大(いぶかまさる)さん、本田宗一郎さんと稲盛塾長は、ボルボ、エリクソンという通信機メーカーやスウェーデンの大手企業を見て回りました。その時、初めて本田宗一郎さんと一緒に車に乗り、一緒にご飯をいただいたりしました。本田さんも稲盛塾長のことをよく知っておられたそうです。本田宗一郎さんはガラッと変わっておられました。素晴らしい人間性を秘めた魅力ある方になっておられました。“私は稲盛さんを尊敬しております”と言われました。本田さんは引き際も清々しいものでした。副社長の藤澤さんと一緒に、“うちの息子には継がさない”と言って、非常にフェアに後継者を決められました。稲盛塾長が若い頃にセミナーで見た本田宗一郎さんとは全く違い、円熟した素晴らしい心を持った経営者になっておられました。 

あの時は、若い連中を励ますために、遊びざかりの若い連中を引っ張っていくために、極端なことを言われたのだと稲盛塾長は思われました。 

名経営者を目標にする

企業経営をしていく中で、人をまとめていくのは大変難しいことです。“従業員が自分のいうことを素直に聞いて、その通りに動いてくれればもっと仕事がしやすいのに”と考えているのが企業経営者です。 

そのためにはどうすれば良いのか。組合がある、また強い従業員がいるところでは、叱ったら返って反抗されてうまくいきません。だからといって腫れ物に触るように、ただ単にご機嫌をとっていたのでは仕事になりません。 

それでは社員をどのように引っ張っていけばいいのか。“私が言ったのでは人がついてこない。立派な人が言った話だと、なるほどなと聞いてくれる。私は同じことを言っているのに、私の信用がないために、あまり聞いてくれない。”そこで盛和塾で学んだことを利用します。“私の尊敬する稲盛さんはこういうことを言っておられる。私も同意見です” 

自分が“こうだ”と言っただけでは、部下が信用してくれない。そこで稲盛さんがこう言うておる。そうすれば従業員も、一も二もなく聞くようになるのです。 

本田宗一郎さんが“ここで勉強しているくらいなら帰って自分の会社で仕事をしたほうがましです”と言われ、“空理空論ではなく、自分が実践する、会社で一生懸命仕事をすることが大事なんだ”と思われました。と同時に稲盛塾長は“なんだ、会ってみたらこの程度のおじさんで、あの本田技研を作れるやないか。それなら俺はもっとやれるかもしれない”とも思ったそうです。このことが非常に大事なのです。 

“稲盛和夫はたいした男だ。あのたいした男と同じ位になってやろう”と思う人、“たいした男じゃないな。それぐらいなら俺もできる”と思う人もいるでしょう。“五年後には稲盛和夫から全部吸収して、同じくらいのレベルになってやろう。そうすればもっと大きな仕事ができる”と思うことが大事です。 

高卒新入社員の反乱

経営者として共通の悩みとして、社員と価値観を共有することができていないという話がありました。これはなぜ自分はこの会社を経営するのか、その意義、使命をはっきりとつかんでいないことによって起こることなのです。“自分の会社をどうしたいのかという使命感が、まず大事です。これを早く確立すべきです。ただこの使命感は自分だけのものであっては意味がありません。従業員と共有できる価値観に裏打ちされたものであるべきです。従業員も納得してくれる価値観でなければなりません。 

京セラは、“稲盛和夫の開発した技術を世に問う場”ということを使命としていました。そのために京セラは存在すると位置づけていたのです。稲盛和夫が開発したファインセラミックスの技術を問うために京セラを設立されたのです。京セラという自由に活動できる会社を作り、稲盛和夫が開発したセラミックスの技術を世間に問う、それが世間に通用するか、どのくらいの評価を受けるか、それを試す場として会社が存在するとして、これを京セラの使命としました。 

ところが創業から二年目に、高卒の人たちを採用して一年が経った時でした。当時、技術部長であった稲盛塾長に、新入社員の彼らが“本年ボーナスはいくらくれるんだ。来年の春は何%昇給してくれるのか。来年の夏のボーナスはいくらくれるのか。この会社に入ってみたが、聞けば去年できたばかりで、いつ潰れるかもわからない。取締役技術部長のあなたが、“いつ潰れるかもわからないから頑張れ”と言っている。不安でたまらないので、将来どうしてくれるのか保証してくれ。でなければわれわれは辞めたい。”と言いにきたのです。 

そして三日三晩、彼らと話しました。“そんな要求は飲めない。そんな約束ができるわけがないじゃないか。会社は一昨年できたばかりで、必死に頑張って今何とかやっているだけだ。来年や再来年の事なんて約束できるわけがない。もし約束できるふりをして“約束する”と言えば、君たちはついてきてくれるのか。約束ができないから、正直に“約束できない”と言っているのだ。約束はできないけれど、必死になって命がけで努力をして、会社を立派にして、君たちの期待に応えたい。ただ一寸先も見えない今の現実の中で、将来を約束することはできない。” 

それでも彼らは分かってくれませんでした。稲盛塾長は三日三晩、説得を続けました。 

“私を信じてくれ。信じられないと言うのなら、騙される勇気はないか。一年ほど騙されてみないか。私が本当に騙す男かどうか、一年ほど試してみたらどうだ。そのくらいの時間的な余裕はあるだろう。” 

そうしているうちに、十人ほどの若者たちが泣きながら“じゃあしょうがない、残る”となったのです。 

これらは稲盛塾長との団体交渉に際して、血判を押してきました。稲盛塾長が言うことを聞かなかったら、みんなで辞める。そうなれば会社も困るだろう。と言うのです。これは大変な脅迫です。それでも“できないものはできない”と頑張ったのでした。 

シンプルかつプリミティブな経営理念

その時、京セラを作っていただいた事は大変な失敗で、とんでもないことをしてしまったと思いました。 

一九六一年と言えば、敗戦から十五年しか経っていません。実家の印刷業は空襲で壊滅的な打撃を受けて、全部焼けてしまいました。そして戦後は路頭に迷うような貧乏生活になっていました。兄弟七人、両親、そこに両親を亡くした従兄弟が入ってきて、合計十人を超える大世帯で、戦後の食糧難を切り抜けてきたのです。 

毎月、鹿児島にいる家族を経済的に援助しなければならない立場にありました。毎月実家に仕送りをしていました。それは会社を作ってもらってやっと今からうまくいくと思った矢先に、先程の要求をされ、稲盛塾長は愕然(がくせん)としました。 

親兄弟の経済的な面倒を見なければならないのに、昨年の四月に入社したどこの誰とも知れない者から、一生の面倒を保証せよと迫られた。それに対して“保証せよと言われても、会社ができたばかりでできるわけがない。決して騙しはしない。君たちが幸せになるために、私は必死に頑張る。世間並み以上の給料や賞与が出せるような会社にきっとしていく。それを信じてついてきて欲しい。” 

雇用した赤の他人の面倒を一生涯見ると約束してしまった。“私を信用してくれ。君たちが喜んでくれることを私はするつもりだ。”と言ってしまった。そうすると稲盛和夫の開発したファインセラミックスの技術を世間に問う場として、会社を位置付けした事はどうなるのか。ところが、“京セラという会社は、その中の従業員の生活を守るためにあると私は約束してしまったではないか。私が開発した技術を世間に問うという、技術屋としてのロマンは、もう金輪際忘れてしまわざるを得ないではないか。” 

そして悩んだ末に、会社を作っていただいた当初の“稲盛和夫の開発した技術を世間に問う場”という位置づけをやめたのです。そして“全従業員の物心両面の幸福を追求する”と位置づけたのです。それだけでは少し虚しいと思い“人類社会の進歩発展に貢献すること”と続けました。 

全従業員を大事にし、立派にしていくと同時に、人類社会の進歩発展にも大きく貢献していきたい。従業員をただ守っていくだけではない。文章をつくりました。それだけを会社の使命として仕事をしてきました。 

客先や従業員から尊敬されよ

稲盛塾長はものすごく真剣に仕事をします。どんな些細(しさい)な事でもいい加減にはしません。真剣に考えますから、部下のいい加減な仕事はどうしても許せず、大変厳しい追及をします。それは自分自身がどんな些細な事でもおろそかにしないからです。 

中村天風さん、“ヨガの達人”の哲学に“有意注意”というものがあります。心を用いて物事に意を注ぐ、という意味です。注意というのは意を注ぐという意味です。

神経を研ぎすませて対象にフォーカスする、つまり集中して物事を考えることです。従って仕事に対しても大変厳しくなるのです。 

仕事をする上で、部下に厳しくすれば、反発を受けてしまう。その厳しさが通じるどころか反発を生んでしまい、人間関係が壊れてしまう。善かれかしと思って注意したのにそれがうまくいかない。そのために部下から恨まれてしまう。“なんだあいつは。親の威光を笠に着て、偉そうにして。一流大学を出たか何かは知らないが、何を言っているのだ。”といろいろな反発を受けてしまう。自分に対して尊敬しているかどうか、部下の顔を見ればわかります。大半が尊敬などしていないのです。 

でも尊敬されるまでになれば、もうしめたものです。尊敬される事は社内でも大切ですが、同時にお客様からも尊敬されれば、放っておいてもビジネスは滞りなく進めることが可能です。尊敬されていますと、値段の比較など誰もしません。“尊敬するあの人が勧めたのだから、これに決めよう”となります。 

商売は信用が第一だと言われます。“儲け”という字は、信者と書きます。つまり信者を作れば儲かるのです。 

信者よりもよいものは尊敬なのです。尊敬されていますと無条件でお客様が大事にしてくれます。従業員も大切にしてくれる。そのために尊敬されることが必要なのです。 

みんなの会社だからこそ頑張れる

稲盛塾長は、現場で大変厳しい追及をします。そうするのは“全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類社会の進歩発展に貢献する”という使命があるからです。 

“うちは“全従業員の物心両面の幸福を追求する”会社だ。もし君がミスをして、あちこちでミスが発生したら、うちの会社はダメになってしまう。もし君がミスをしていたら、私が怒らなかったらどうなる。そうすれば、全従業員の幸福なんて追求できるわけがない。私はみんなのために、君みたいないい加減な仕事をしている者は許せないんだ。” 

そういうのは使命があるからです。経営者が怒ると、二代目社長が怒っていることになってしまうことがあります。会社の社是をしっかり作って、これで経営をしますと決めたら、それからは二代目経営者のための“私の会社”ではなくなります。“みんなの会社”になるのです。 

“この会社は、全従業員を幸せにするために作ったのですから、あなたみたいにデタラメに仕事をしてもらっては困ります。あなたは営業でしょう。そのあなたは、今朝どこに行ったのですか。五軒、十軒お客様回りをしてきましたか。あなたは先月の実績も上がっていないし、先々月の実績も上がっていないじゃないか。” 

この会社は全従業員の幸福を目的にしてるんだ。それは君も私も一緒だ。社長、技術部長、重役も朝から晩までやっているんじゃないか。私は夕べも十一時に帰った。二日前も、十時まで夜遅くまでやっていた。それは私のためじゃない。皆さんを幸せにしてあげたいと思うからなんだ。君もそのくらいのことをわかってくれるだろう。何回もこうした事は言い続けられてきているではないか” 

このように、“全従業員の物心両面の幸せを追求する”という使命を作って、“こういう価値観で経営をします”といいますと、理屈なしで、その価値観を共有できるのです。 

従業員の心に響く言葉を選ぶ

一般的に、ボロ会社には賢い人が来ません。経営者が立派でないのに、立派な部下、社員が来るわけがありません。 

経営者が生半可に大学を出ていますと、やはり優秀な人材が要ると思うのです。そして分不相応に優秀な人を入れてしまうのです。頭のいい人は、自分の意見を持っていますので、中小企業の家族経営に対して、いろいろな反対意見を持ち、去っていくことが多いようです。企業には、そこに見合った人材しか来ないのです。経営者も従業員と一緒になって、みんなで寄り添って勉強していけばいいのです。 

勉強する時、本を読みます。ただ、すうすうと読んではいけません。内容理解して読むことが大切です。目で、見、声に出して読む、まとめてみる等をして、自分の頭の中に理解したその内容を染み込ませていくのです。そして自分の言葉で、内容を説明できるようにするのです。 

従業員に向かっても、格言を使ったりしてその内容を自分の言葉で説くのです。こうして従業員の心に響く言葉を伝えることによって、部下は考えます。“うちの専務は、最近変わってきた。勉強して知性も磨いて、顔つきまで変わって、いい顔になったな” 

中小企業には、もともと才能のない人しか集まらないのです。全員で寄り集まって勉強する。これが会社の宝なのです。 

人材が伸びれば会社も伸びる

京セラを作っていただいた当初のメンバーは八名でした。その当時採用したのは中卒二十名でした。次の年は高卒十一名。その頃は大卒を採用してもそれこそ三流大学卒しかきません。聞いてもたちまちに愛想つかしてやめていく。稲盛塾長が“やめろ”と言わなければならないくらい、いい加減な人しか居付かなかったのです。 

“これではいかんのじゃないか。どうにもならないような頭のものばかりでは、うちの会社はダメになっていくのではないか。もっと良い人材を採らなければ”と思ったりしていました。

今も世間では、経営者たちは良い人材を採ろうと考えています。そのためには、制度も変えなければいけませんし、会社のシステムも作ろうというので、格好だけ繕おうとします。また、分不相応に給料を上げてみたりする。どっちが人を使っているのか分からないようなおべんちゃらばかり社員に言うのです。 

バブル最盛期には、一流大学の学生を採用して、内定の時にハワイに連れて行き、一流のホテルに泊めたりしていました。人事担当がついて回って、下にもおかないおもてなしをするという。そして入社した人間に、部下を叱ることができるはずがありません。 

どうせ良い人材が来ないのです。いやこなくていいのです。今いる人たちが自己研鑽に努め、もともと大したことのないものが、どう脱皮して成長していくか、そこに会社の命運がかかっているのです。外部からいい人材を連れてきたからといって、会社を立派にすることはできません。会社を立派にするのは、今いる人が立派になってくれる以外にないのです。 

一流大学を出ていなくても、素晴らしい人材でなくても、みんなで寄り集まって研鑽に努めていく。その結果、会社が伸びるからその人が伸びる。その人が伸びたから会社が伸びたのか、どちらが先に伸びたのか分からなくなる。それが正常な伸びなのです。 

従業員を大事にするとは、いわゆる従業員とともに伸びていくことなのです。そして会社が伸び、世のため人のために役立つ企業になるよう全力を傾けることが、会社の使命、経営者としての使命なのです。

盛和塾 読後感想文 第148号

心の修練を積む

経営者は多くの難しい問題について判断を迫られます。判断の連続が経営者の日常といっていいでしょう。 

右を取るか、左を取るか、判断の難しい事は、有名な経営者であっても考えあぐねて迷います。しかし、経営者である限り、日常茶飯、判断を重ねていかざるを得ません。この判断を左右するのが、経営者の心や人生観なのです。 

自己本位の人であれば、判断の基準は損得です。心優しい人であれば、情にほだされて、ビジネスの一線を踏み外すかもしれません。 

戦時中、重責を担った将官クラスは、中国の古典に傾倒する人が多かったといいます。人知を超えたところで判断を迫られ、進むべきか退くべきか、切羽詰まった状況で命令を下さなければならず、人間の道について中国の古典に教えを仰ぎ、心を修練したそうです。 

敬天愛人を生きる 

敬天愛人との出会い

稲盛塾長は鹿児島に生まれ育ち、鹿児島大学工学部を卒業し、京都にある松風工業に入社しました。ところが松風工業に入ってみると、終戦後ずっと赤字続きで、最初の給料日にも給料が出ないような会社でした。その後、同期入社の五人の同僚は、いつも愚痴をいい合って次から次へと辞めていき、残ったのは稲盛塾長一人となったのでした。 

自衛隊の幹部候補生学校にも合格したのですが、二つ年上の兄の反対で、自衛隊に行くことができませんでした。仕方がないので、松風工業に残ることとなりました。 

松風工業では、ファインセラミックスの研究に寝食を忘れて没頭していったのです。その結果、日本で初めてといわれるフォルステライトの合成に成功し、ファインセラミックスという新しい材料を発表することができ、その後多くの成果を上げることができたのでした。 

松風工業ではフォルステライトを使った新しいセラミックス材料を合成し、松下電子工業にブラウン管の電子銃の絶縁部品を製造して納入を始めていました。日立からもフォルステライトを使った真空管を作りたいという要望がありました。一生懸命それを作ろうとしましたが、なかなかうまくいきませんでした。 

その時上司が“君にはそれは無理だよ。京大出身の連中が何人もいるから、彼らにやらせるから、君は手を引け”と言われました。稲盛塾長は松風工業を退社しました。 

この話を聞いた前の上司、青山政次さんが中心となり、“もったいない。稲盛くんの技術を何とかしてあげたい”ということから、京セラという会社を作っていただくことになりました。資本金三百万円が集まりました。その中の一人である西枝一江(いちえ)さんが自宅を担保にして一千万円の銀行借り入れまでしてくださいました。 

創業して間もない頃です。株主の一人である宮木さんがある日、出張から帰ってこられ“良いものを買ってきてあげたよ。あなたの郷土の大先輩である西郷南洲のものだ”一幅(いっぷく)の書を持ってこられました。それが“敬天愛人”でした。この“敬天愛人”は稲盛塾長が幼い頃によく見たものでした。 

郷土の偉人、西郷南洲の“敬天愛人”を表装し、京セラの執務室に掲げました。毎日会社に行きますと、その書を眺めております。 

天が指し示す正道をゆく

京セラ設立後、稲盛塾長は様々な経営判断を迫られました。様々な課題に対して、“これはやっても良い”“これはダメ”だと判断を下すことが、トップの責務なのだということを学びました。ところがその当時、稲盛塾長は、判断するために必要な基準を持ち合わせていませんでした。 

稲盛塾長が一つ間違えば、せっかく作っていただいた会社が潰れてしまうかもしれない。リーダーである稲盛塾長の一挙手一投足が、会社の命運や従業員の一生を決めてしまうのだと思えば思うほど、心配はますます募っていきました。 

さらに、京セラのために資本金を出してくださった方々、とりわけ家屋敷を担保にしてまで銀行から一千万円を借り入れてくださった西枝一江(いちえ)さんに、会社が倒産すれば大変なご迷惑をかけてしまいます。 

何を基準にして判断すれば良いのか、よくわからなかった稲盛塾長は、子供の頃に両親先生から教わった“やっていいこと悪いこと”を判断の基準にしました。幼稚な道徳観、倫理観の持ち合わせしかなかったのでした。 

社員に対しては“これから会社経営の判断基準を、人間として何が正しいかという一点に絞る。皆さんから見れば、それはあまりにも幼稚でプリミティブな判断基準だと思うかもしれないが、そもそも物事の根本というのは単純にして明快に違いない。人間として正しいことを正しいままに貫いていくということで進めていきたい”と伝えました。 

“敬天愛人”。西郷南洲の言う“敬天”は、稲盛塾長の言う“人間として正しいことを貫く”と同じ意味だと稲盛塾長は気が付きました。 

“人間として正しいこと”とは、西郷の言う“天”のことであり、西郷は“敬天”という言葉を通じて、“天”が指し示す正しい道を実践していくことの大切さを説いていました。 

京セラグループは今、一兆五千億円の売上を誇るメーカーに成長しました。世界中に多くの工場を持ち、七万人を超える従業員を抱える規模になっていますが、創業当時に決めた“人間として正しいことを貫く”ということ、西郷が言う“天道”を踏みつつ経営するという方針は一切変わっていないそうです。 

現在、世界中に展開する京セラの事業所すべてに社是として“敬天愛人”という言葉が掲げられています。京セラ経営の中心に西郷南洲の思想が存在しているのです。 

一般には経営には経営戦略、戦術が必要だと言われています。しかし京セラでは“人間として正しいことを貫く”というシンプルな経営姿勢を守り続けてきました。 

昨今の産業界における不祥事の続発を見ますと、“人間として正しいことを貫く”という原理原則の大切さを改めて思います。経営の手練手管や策に溺れたリーダーが経営に当たっているために、今なお多くの不祥事が起こっています。 

問題が起きるたびに、日本においても、米国その他の海外おいても、法律や制度の整備を進めることによって不祥事を防止しようという議論が起こっています。そうした取り組みも必要ですが、いくらそのようなことに努めても、リーダーが自分の利益を増大させるためには何をしても構わないという思いを少しでも持っている限り、不祥事は根絶されません。 

天に恥じない経営をするという点を徹底していくことでしか、不祥事を未然に防ぐことができないのです。“敬天の思想が必要なのです。 

従業員の幸福を追求する経営理念

“敬天愛人の“愛人”、つまり多くの人々を愛するということは、経営にとって大切なことです。 

京セラ創業三年目の時でした。前年に採用した十一名の高卒の社員たちが突然やってきて、“将来が不安だから昇給や賞与等、将来にわたる待遇を保証してくれ”と迫ってきました。 

“京セラできたばかりの会社だから、みんなで力を合わせて立派な会社にしていこうと話したではないか”といくら話しても納得してくれません。 

“将来を保証してくれなければ、今日限りでみんなで辞める”と一点張りです。 

稲盛塾長は、自宅である市営住宅に彼らを連れて帰り、三日三晩にわたり話し続けました。 

“ボーナスはこうする、昇給はこうするという約束は私にはできない。私自身にも会社の将来がわからないのだから、約束すること自体が嘘になる。しかし私は、誰よりも必死になってこの会社を守るために頑張っていこうと思う。きっと立派な会社にして、君たちの生活がうまくいくようにしてあげたいと強く願っている。その私の誠意を信じて欲しい。もし私が信頼を踏みにじるようなことがあったら、その時は私を殺してもいい。” 

このように話した結果、一人、また一人と少しずつ受け入れてくれるものが増えていき、最後に全員が納得してくれました。ホットしたものの、経営とはこんなにばかばかしいものかと思いました。 

稲盛家は、空襲で家も印刷業の機械設備も全てをなくしていたのです。七人の子供を抱えて、両親は自分の着物売り、七人の子供を食べさせてくれました。家族の支援をしなければならないのに、縁もゆかりもない人たちの生活の面倒を、生涯にわたり見ることになってしまったのです。自分の家族の面倒も見られないのに、社員の将来にわたっての面倒を見る約束をしなければならないことに“経営とはなんと過酷なことよ”と思いました。 

京セラは“稲盛和夫の技術を世に問う”ために作っていただいた会社です。以前勤めていた松風工業では、稲盛塾長の研究や技術を十分認めてくれませんでした。新しい会社では誰に遠慮することなく、稲盛塾長の技術を世に問うことができると思っていたのです。こうした技術者としての私的な願望が京セラ設立の目的だったのです。 

ところが、社員の反乱で、こうした私的な目的は一瞬にして吹っ飛んでしまいました。技術者としての理想を掲げた会社の目的がついえ去り、社員の生活を守るという目的に変貌してしまいました。“会社というものはその中に住む従業員に喜んでもらうことが真の目的であり、もっとも大切な事なのだ”ということを心から理解することができたのでした。 

翌日、“全従業員の物心両面の幸福を追求する。人類、社会の進歩発展に貢献する”という経営理念が生まれました。 

“敬天愛人”の“愛人”とは、こういうことなのかと理解することができたのでした。 

トップに欠かせない自己犠牲の精神

京セラが上場してから、しばらく経った時でした。庄内藩であった山形県酒田市在住の方が、鹿児島出身の青年が京都で会社を起こし、立派な会社に育てあげたということを伝え聞いて、訪ねてこられました。 

“山形県の庄内地方では、今も多くの人が西郷南洲を敬愛しています。西郷南洲の思想をまとめた“南洲翁遺訓(おういくん)集”を編纂したのは薩摩の人たちではなく、庄内藩の人たちです。その遺訓集をあなたに差し上げたいと思い、山形から出てきました” 

明治維新の時に西郷南洲が庄内地方に行った時に、庄内藩の侍たちに、いろいろなことを教えたのです。庄内藩の方々は西郷を敬愛し、多くの庄内藩の若い侍たちが薩摩藩まで来てくれて、直に西郷南洲の思想哲学に触れていったのです。 

南洲翁遺訓集の中には“リーダーのあるべき姿”が見事に語り尽くされています。“政府にあって国の政(まつりごと)をするという事は、天地自然の道を行うことであるから、たとえわずかであっても私心を差し挟んではならない。だからどんなことがあっても心を公平に堅く持ち、正しい道を踏み、広く賢明な人を選んで、その職務に忠実に耐えることのできる人に政権を取らせることこそ天意、すなわち神の心にかなうものである”と述べられています。 

トップに立つものは、天道を踏み行うものであって、少しでも私心を挟んではならない。利己または自分を大切にする思いを挟んではならない、と西郷南洲は述べています。 

当時の京セラは、成長発展を重ね、少し立派になってきていました。しかし稲盛塾長は不安で、いつ何時倒産の危機に瀕(ひん)するかもしれない、従業員を路頭に迷わせることがあってはならない、と思い、必死に仕事に励んでいました。 

100%会社経営に没頭していました。“個人の時間は一切無い”と思っていました。 

会社であれ、どんな団体でも、組織があります。その組織は、本来、意志も意識も持っていない無生物です。しかし組織のトップに立つ人間がその無生物である組織に意識を、いわば生命を吹き込みますと、その無生物である組織は、生物のように活動を始めます。 

組織のトップが四六時中、組織のことを考えている間は、その組織は意識を持っています。しかしトップが個人に返ってしまう時、組織の意識はなくなり、無生物となってしまいます。 

個人に返る時がなければ、人間は生きてはいけません。そこでなるべく私個人としての自分になる時間、個人になる時間を少なくし、トップとしての意識を働かされている時間を多くとるようにする。自分自身のことを犠牲にしてでも会社のことに集中する。それがトップの義務なのです。常に組織に思いを馳せることができる人、自己犠牲をいとわない人でなければ、トップになってはならないのです。 

リーダーはすべての損を引き受ける勇気を持て

いつどんな弾みで会社が潰れるかもしれない。そうした危機感がわき目もふらずに一生懸命、誰にも負けない努力を重ねる原動力となり、京セラはだんだんと大きくなっていきました。 

しかし一旦会社が成長発展して、周囲からも賞賛されるようになりますと、いつ何時倒産するかもしれないという危機感が薄れ、経営者は油断をしてしまい、往々にして会社をダメにしてしまいます。 

京セラは一九七一年に、大阪証券取引所に上場したときに、額面五十円の株券に五百九十円の初値が付きました。上場にあたっては、創業者が自分の持つ株式を売り出し、キャピタルゲインを得ることが一般的でした。しかし稲盛塾長は一株たりとも自分の株を市場に売る事はしませんでした。ですから京セラの株式を売り出して得たキャピタルゲインは、すべて会社に入りました。京セラは資本金が増え、財務的に豊かになりました。その資金をもとにさらに投資を行い、事業をさらに発展させていくことができました。 

会社がうまくいけば、多くの経営者はすぐに有頂天になります。自分の力で成功したのだと驕(おご)るようになり、やがて没落していきます。成功を遂げた時こそ、“謙虚にして驕らず”ということが大切なのです。 

西郷南洲は遺訓集の中で説いています。

“自分を愛すること、すなわち自分さえよければ人はどうでもいいというような心は、最も良くないことである。修行のできないのも、事業に成功しないのも、過ちを改めることができないのも、自分の功績を誇り高ぶるのも、自分を愛することから生ずることであり、決してそういう利己的なことをしてはならない。” 

“自分が一生懸命に頑張って、また自分の才覚によって会社を発展させた。全ては自分の才覚の賜物だ。だからその報酬は自分が受けて当然だ。”そのように経営者が自分の才を誇るようになってしまうと、会社がダメになっていきます。“謙虚にして驕らず”というように、自分自身を戒めることが大切です。 

中国の古典に“謙のみ福を受く”という言葉があります。謙虚でなければ、長く幸福を獲得することはできないのです。 

西郷南洲の思想には“無私”という考え方が一貫して流れています。公平に心を操り、自分自身をなくす。 

一般的に、上に立てば立つほど人は自分を大事にしてしまいます。大勢の人と協力し、苦労を重ね成功を収めたものの、出世していくにつれ保身に走り、自分を優先するようになってしまうことが往々にしてあります。 

人が偉くなればなるほど、率先して自己犠牲を払わなければなりません。自分のことはさておき、自分が損を引き受けるというような勇気がなければ、上に立ってはならない。上に立つ資格がないと思います。自己犠牲を払う勇気のある人が上に立てば、その下に住む人たちは幸せになります。 

混迷する世相を救うリーダー像

西郷南洲遺訓集の三十番目に、私心をなくすことがリーダーにとって最も重要な要諦だと説いています。 

“命もいらぬ、名もいらぬ、官位もいらぬ、金もいらぬ、というような人は処理に困るものである。このような手に負えない大人物でなければ、国難を一緒に分かち合い、国家の大きな仕事を大成することはできない。” 

現代社会の混迷の原因は、“命もいらず、名もいらず、官位も金もいらず、という始末に困る人”そうしたトップが各界におり、それを実践している人がなかなか見当たらないことにあると思われます。 

立派な人格、立派な人間性を持った人、つまり自分というものを捨ててでも、世のため人のために尽くせるような人がリーダーとして求められています。 

無私の精神を持って挑んだ電気通信事業

無私の心、純粋な心を持ったリーダーは、目の前の利害得失で物事を判断したり、一時的な目的を遂げるために策略を用いたりする事は決してありません。

西郷南洲は説いています。

“どんなに大きい事でも、またどんなに小さい事でも、真心を尽くし、決して偽りの謀(はかりごと)を用いてはならない。人は多くの場合、あることに差し支えることができますと、何か計略を使って一度その差し支えを押し通せば、後は時に応じて何とかいい工夫ができるかのように思うが、計略したために心配事がきっと出てきて、そのことは失敗するに決まっている。正しい道を踏んで行う事は、目の前では回り道をしているようではあるが、先に行けばかえって成功は早いものである。” 

策を弄(ろう)することを西郷は厳しく戒めているのです。 

第二電電設立の時のことです。

明治以来、電電公社が独占していた日本の通信料金は、世界各国に比べて、大変高いものでした。情報化社会が到来すると言われながら、世界一高い通信料金がその妨げになっていると考えられ、電電公社を民営化し、電気通信事業への新規参入を可能にする方向へと、政府の方針が変わりました。 

官業として運営されてきた電電公社(民営化したNTT)はあまりに強大で、どの大企業も一向に名乗りを上げようとしません。このままでは独占体制は続き、通信料金は一向に安くなりません。 

京セラは一中堅企業に過ぎませんが、またまったくの素人ですが、第二電電を立ち上げることを決めました。この名乗りを上げる前六ヶ月間、毎晩自問自答を繰り返しました。

“その動機は善なのか。そこに私心はないか。お前がいい格好をしたいがために、また金儲けをしたいがために、第二電電という会社を始めようとしているのではないか。” 

“動機善なりや、私心なかりしか”と自問自答を六ヶ月間したのでした。その結果、稲盛塾長は“一切の私心がない。動機も不純なものではない。日本が情報化時代を迎えるにあたり、通信料金を安くしてあげたい、ただその一点だけだ。”と確認してから、稲盛塾長は第二電電の名乗りを上げました。 

国鉄を中心とした日本テレコムは、すでに鉄道通信という組織があり、東京-名古屋-大阪の長距離通信幹線の整備も、新幹線の側溝沿いに光ファイバーを敷きさえすれば簡単にできます。 

建設省と道路公団を中心としたグループは、東京-名古屋-大阪の高速道路沿いに光ファイバーを敷きさえすれば、簡単に長距離通信のインフラができます。 

ところが第二電電は何のインフラも持っていません。ただ単純な気持ちだけで手を上げたに過ぎません。 

第二電電はやむなく無線によるネットワーク構築を決意しました。他の二社が新幹線沿いに、また高速道路沿いに光ファイバーを簡単に敷いているときに、第二電電は山の頂上に大きなパラボラアンテナを設置するため、夏はヤブ蚊に悩まされ、冬は降りしきる雪の中を悪戦苦闘しながら、幹線網を立ち上げていきました。 

東京から大阪まで、山の峰から峰へ鉄塔を立てて、その先に大きなパラボラアンテナを立てて、無線で中継するようにしたのですが、それは大変な作業でした。 

その新電電で生き残っているのは第二電電だけです。売上高五兆円に迫る通信会社KDDIとして隆々と栄えています。 

あまりにも難しい事業だと皆が足踏みし、逡巡します。その時に“世のため人のために”という純粋な思いを信念に高め、ただ懸命に努力を重ねた企業だけが成功したのです。 

純粋で美しい思いが勝利を導く

優秀な人材を多数揃えた大企業が難しいと逡巡している事業に、何の備えもない京セラのような中堅企業が信念だけで乗り出し、失敗するだろうと言われる中、スイスイと成功を収めてしまった。 

純粋で気高い思いには、素晴らしいパワーが秘められていると言うことです。二十世紀にイギリスで活躍した思想家、ジェームス・アレンが、その著書“原因と結果の法則”で次のように言っています。 

“汚れた人間が敗北を恐れて踏み込もうとしない場所にも、清らかな人間は平気で足を踏み入れ、いとも簡単に勝利を手にしてしまうことが少なくありません。” 

十九世紀に活躍した西郷南洲は、“策を弄してはならない、正道を踏んでいくことは一見迂遠(うえん)であるかのように見えるけれども、それは成功するための近道なのだ”と説いています。 

第二電電が上場を果たそうとしたときのことです。創業時から稲盛塾長と一緒に歩んできた人たちみんなに、第二電電の株式を持ってもらいました。創業者、稲盛塾長は一株も第二電電の株式を持ちませんでした。 

公認会計士、宮村久治先生から“あなたは“動機善なりや、私心なかりしか”と自らに問うて創業したはずです。つまり、動機が善であり、私心がないということが、創業の精神なはずです。第二電電の株は一株も持たない方がいいと思います”と言われました。 

日本航空再建の時も同様です。日本航空はフィロソフィーによる意識改革、アメーバ経営による組織改革によって、それまでの官僚的な企業文化が一変しました。 

一人ひとりの従業員が自主的に自分の会社を少しでも良くしようと、懸命の努力を重ねてくれるようになったことが、再建を果たすことができた大きな要因でした。 

再建に当たった稲盛塾長の無私の姿勢も、大きな再建成功の要因だと思われます。八十歳を前にした老人が、我々のために無給で懸命に働いてくれている。それならば社員は、それ以上に全力を尽くさなくてはならない。 

日本航空再建の大義がありました。

  1. 日本経済再生
  2. 社員の雇用を守る
  3. 飛行機を利用する国民の利便性を図る

このような大義があったからこそ、日本航空再建の仕事を稲盛塾長が引き受けたのでした。 

こうした無私の姿勢で再建に取り組まれたのは、“世のため人のために役立つことが人間として最高の行為である”という確固とした人生観を持たれているからです。 

自分の生き方を魂に染み込ませる

物事を知っているだけでは意味がありません。“知っていること”と“実行できること”は全く違います。知識として得たものは、それが魂の叫びにまで高まっていなければ、決して実践することはできません。 

“自分はこういう生き方をしたいのだ”と自分自身の魂に繰り返し繰り返し訴え、自らの想いを魂に染み込ませていくことは、私たち凡人にも可能なはずです。

盛和塾 読後感想文 第147号

社会との共生

文明段階以前の祖先は、利己的な考え方、自分だけが良ければいいという考え方をしていくと、結局は何世代か後にはみんなが餓死をしなければならない、滅びなければならないということをよく知っていました。森と共に生きていこう、共生していこうという視点を持ち、その結果、森も生きていけるし、自分たちも生きていけるという原理原則を体得していました。 

企業は小さな森です。経営者は企業の森に住んでいる従業員をどう生かしていくのか、それを考えなければならない。小さな森の住人である従業員が栄えなければ、自分も栄えることはできない。従業員も含め、共に働くすべての人たちを幸せにして、企業という小さな森を立派にしていきたいという志が大切です。 

社会は、さらに大きな森です。そこには資本を提供してくれる株主があり、部品や資材を提供してくれる会社があり、製品を買ってくれる顧客がある。このうちのどれが欠けても、会社は成り立ってはいけません。企業にとって社会は一種の循環系であり、かつ企業の存在基盤なのです。社会の森の循環系の中で、従業員、株主、消費者、取引先といった社会の構成員に利潤を還流(かんりゅう)させ、この循環系を維持することが企業自らの存続条件になります。 

企業は社会の中で他の企業と競争しつつ、共生している。経営者は、この循環の原理を知り、会社をその循環の一つの要素として働かせ、経済の循環の中で共に生きる知恵を育てていかなければなりません。 

共に生きる 

心が純粋で必死に頑張れば事業は成功する

私たちは自分で勝手にこの世に生まれてきたわけではありません。何かの縁や必然性で、世のため人のためになるように、我々は生を受けたのだと思います。経営者の方々は、特に自分のためだけの人生ではありません。少なくとも数人でも従業員を雇用されていれば、彼らのためにも疲れたり、投げやりになってしまっては困るのです。“従業員やその家族のためになんとしてもがんばらなくてはならない”と自分に言い聞かせ、その人生をポジティブに生きることが、周囲の人から求められていると思います。 

“心を高める、経営を伸ばす”という本の中で、心を高めるとなぜ経営がうまくいくのかが述べられています。“経営者の器の大きさまでにしか、経営というのは大きくなりません。自分の経営を伸ばそうと思えば、自分という器を、自分という人物を、人間を高める必要があります。” 

“動機善なりや、私心なかりしか”という本の中でも、“今やろうとしている事業の動機は、善きことですか、善き動機からその事業を始められたのですか”と問われています。また“私心なかりしか”は自分勝手で自分だけ儲かれば良い、と考えているのではないかと問うているのです。 

絶えず争いが起き、弱肉強食の経済社会、国際社会で生きていくためには、“共生”という共に生きるという考えが大変大事になってきています。自然界では、生きとし生けるもの全てが循環しています。その循環の輪を断ち切るようなことがあってはなりません。森羅万象、生きとし生けるもの全てが共に生きられるような社会がこの自然界です。皆が調和して生きているこの自然界の中で、自分だけが良ければいいという考え方では、必ず周囲との摩擦が起きてしまいます。動機が不純で、自分だけ良ければいいという私心だけの人がいたのでは、この自然界の中では生きていけないのです。 

そこでは“足るを知る”ことが大切です。他を思いやる優しい美しい心を持つということです。限られた食物を自分だけ取ろうとするのではなく、他の人とも一緒に分け合っていただこうとする心です。 

うまくいくはずだった事業がそうならないのは、その事業をする人の心の中に不純なものがあるからです。自分が企画し、寝る間も惜しんで無心に一生懸命頑張れば、事業というものは全てうまくいきます。にもかかわらずうまくいかないのは、心の中に不純さがあり、動機が善ではなくて、私心があまりにもありすぎるからです。 

自然界に見る共生

共に生きるためには、利他の心がいります。“自分だけが良ければいいという利己の心だけではうまくいきません。利他の心がいるのです”といいますと、“そういった博愛主義みたいなもので経営をしていけるのか”という人もいます。自分の周囲には、たくさんの同業者がいて、少しでも優しい顔をすれば、たちまち自分の市場をとられて、やっつけられてしまう。だからそんな共生という優しい思いやりの心で実際に経営はできるのだろうか。これは近視眼的な優しさや思いやりのことです。確かに今日の食物が確保できないような場合は、他人のことなどかまっておられないだろうと思います。 

私共、二十数年支えてきたタイのストリートの子供たちを救う会“カルナーの会”では、今起きている新型コロナウイルスの災害の中で、仕事をなくし、お金もない子供たちが、食べ物がない中、お米をお粥にして分け合って生活しているのです。さらに驚くべきことに、この子供たちが街に行き、少しの食べ物を生活に困っている人たちに配っているそうです。 

これほどまでに人間は自分が困っていても、人のために尽くそうという優しい思いやりのある行動をとることができるのです。 

自然界を見てみますと、この暑い日差しの中、蟻は営々と食物を運んでいます。昆虫の死骸や、犬が食べ残したものを一生懸命に引っ張って、自分の生のために、延々と黒い帯になって、小さな蟻が働いています。 

あらゆる自然界を見ても、みんなと一緒になって生きなければという思いだけで、楽をして生きている生物は一つもありません。みんな自分自身が生きるのに必死です。趣味やら何やらというものには目もくれず、必死で生きています。 

自然界では、他の人をつぶしてまで、他人を踏みつけてまで、自分だけ生きようとはしていません。もちろん自然界では他の生き物、植物を利用して生きようとしている生物も多くあります。例えば道路の横には、太陽の光を全身に浴びて、炭酸同化作用して、夏のうちに栄養補給をしようとする植物群が生きようとしています。その上をつたやかずらのような植物が這い上がってきて、上のほうに自分の葉をつけて、下の木の上に乗ったまま、自分だけ栄耀栄華(えいようえいが)を極めようとする植物もあります。それでも下の大きい木は、それを押し分けて、炭酸同化作用ができるように必死に生きています。 

“共生”とは生物が必死で生きていくことをいうのです。必死で生きているその中にこそ調和があるのです。ただ単におすそ分けをしたり、談合をして棲み分けをしたりするという意味ではありません。ましてや相手をつぶしたり、やっつけたりして皆殺しにして、自分だけ生き残ろうというものでは無いのです。 

下請けにより鍛えられた京セラ

京セラの最初の仕事は、松下電子工業の下請けでした。白黒テレビがスタートした時期でした。テレビはエレクトロンといって電子が飛び出して映像を映し出す仕組みになっています。像を描くブラウン管の中で、電子が飛び出すところを陰極、カソードといいます。カソードには素晴らしい性能を持った絶縁材料がいります。飛び出した電子に高電圧をかけて加速させるとすごいスピードになるのですが、それがテレビ画面の裏側の蛍光体にぶつかって映像が映し出されるのです。その高電圧で取り出した原子を加速させるところを電子銃、エレクトロン・ガンといいます。高電圧がかかりますから、その部分をしっかりと絶縁するために部品が必要なのです。つまりカソードという陰極、電子が飛び出すところ、そして出てきた電子を加速する電子銃のところにも、素晴らしい性能の絶縁材料が必要なのです。 

松下電子工業は当時、オランダのフィリップス社と合弁会社を始めておられました。当時はオランダに素晴らしい絶縁材料があったのですが、日本にはなかったのです。そこで京セラの絶縁材料が採用されました。松下電子工業はその材料を使ってテレビの開発に成功し、以後、京セラが独占的に絶縁材料を提供することになりました。今日、京セラが素晴らしい会社になっていった最初の礎(いしずえ)は、松下電子工業の下請けだったのです。 

松下電器産業、松下電子工業の発展とともに多くの下請工場ができていきました。下請協力企業の経営者たちが年に一度集まる機会もできてきたのですが、その中には今までお世話になってきた松下電器産業を含め、松下グループに対して、恨みつらみをいう人たちが増えてきました。 

稲盛塾長は一九五九年から松下さんの下請けを始めました。そこから毎年値切られてきました。当時セラミックは一個十数円でした。今でも京セラで作っています。それが今では一円いくらかになっています。この三十年間で毎年値切られて、十分の一の値段になったわけです。どんなに下げろと言われても、一銭しか下がりませんという年が数年ありました。 

松下さんの値切る方法は以下の通りです。

  1. 一年たったら、合理化もできたに違いない。
  2. 発注量が増えた。生産効率が上がっているはずだ。
  3. 決算書を提出しろ。下請けのくせに8%も利益が出ているではないか。
  4. 利益が出ていないのであれば、京セラは危ない。他の会社に発注したほうが安全だ。 

一九七〇年頃になると、松下さんの下請け企業の社長が集まれば、半分以上、中には七割以上が松下の悪口を言い始めるのです。 

“松下さんは下請けをとことん値切り倒して、我々の生き血を吸って大きくなった。それで去年もあの下請けが潰れた。あそこの下請けも潰れた。けしからんではないか” 

京セラはそう考えなかったのです。松下さんに値切られて、厳しく鍛えられて京セラは逞(たくま)しくなった。 

厳しさの中で磨かれながら共に生きる

一九七〇年代には京セラはすでに海外輸出を始めていました。それは半導体のパッケージですが、今ではアメリカだけではなく、全世界でシェアは七割ほどを占めるまでになっています。 

アメリカではシリコンバレーでトランジスターが始まった時代から取引を行ってきました。あのすさまじいばかりの松下さんの厳しさに鍛えられて、京セラは短期間で世界に通用するセラミック屋になれたのです。京セラは松下に足を向けて寝られません。今日の素晴らしい力強い京セラにしてくれたのは、松下さんの厳しさだったと稲盛塾長は思ったそうです。“松下さんに感謝こそすれ、恨みつらみは無い”と言ったそうです。 

この話はあらゆる事業の役に立ちます。お客様に甘えてはいけない。厳しい条件を突きつけられたとしても、この課題をどう解決するかと考え、努力、創意工夫をする機会を与えられたと考えるべきなのです。お客様からお金をいただきながら、創意工夫するのです。 

何か新しいことを自分で考えて、何か新しいことをするときには、自分の時間を使い、自分のお金を使います。誰もお金を払ってくれないということを考えなくてはなりません。 

したがって、与えられたお客様からの課題は、喜んで挑戦すべきと思います。 

生きるということは厳しいものです。様々な重圧がかかり、障害があり、厳しい環境に追い込まれます。その中でそれをポジティブに明るく受け止めて、その厳しさが今日の私を作ってくれたと感謝する、そういう生き方が“共生”なのです。 

松下さんに次のようにいう人がおるかもしれません。 

“共生の時代ですよ。自分だけ良ければいいという時代ではありません。大企業ともあろうものが、零細の中小企業いじめて値切り倒して、そしてつぶして平然としている。われわれ中小企業の生き血を吸って大きくなった。”“あなたは、動機善なりや、私心なかりしかということを知っていますか。自分だけ良ければいいというものではありません。特に強いものがそんなことでは困りますよ。もっと中小企業を可愛がり、大事にし、値切り倒すどころかちょっとでも高く買ってあげようとするのが共生ですよ。” 

他の人を甘えさせる事は共生ではありません。甘えさせて、中小企業は成長発展はできないのです。甘えさせる事は逆に中小企業そのものを破滅させる原因となります。大企業も必死に生き延びようとします。そのためには、中小企業の下請けも、必死に生き延びる努力が必要なのです。これが共生なのです。 

共生とは、厳しさの中で磨かれながら、共に生きていくことなのです。この厳しい自然界の中には大きな杉もクスノキも、小さな草花も必死で生きているように、みんな趣味にうつつを抜かす余裕はないのです。松下電器産業ですら、良い製品を消費者が受け入れてくれる価格で提供することに必死なのです。 

松下も余裕は無いのです。大企業でも一瞬の揺らぎが倒産につながることもあるのです。中小企業であるなら、なおさら必死に生きています。厳しい環境ポジティブに捉えて、善意として受け取っていくことが大事です。 

例えば、オフィスの中に囲って育てている草花は、オフィスが壊れれば、たちまちに野ざらしになって、その草花はいっぺんに枯れてしまいます。道端で踏まれても蹴られても、耐えて生きているあの草花、その逞(たくま)しさがいるのです。霜が降りても雨が降っても、洪水が来ても、耐え抜いて生きていくような草花でなければならないのです。そういう中で生きていくことが“共生”なのです。 

“共生”というのは、この厳しい世界の中で共に生きていくということなのです。 

心を高めるとは思いやりの心を持つこと

心を高めるとは、自分の人間性を高めることです。人間の一番低次元の心は、自分だけ良ければいいという利己です。つまり利己的欲望の塊が人間なのです。しかしそれではいけません。“心を高める”というのは、優しい思いやりという利他の心を持つことです。そのような人格ができているということが、経営にとって大変大事なのです。 

しかし、優しい思いやりというのは安易な優しさではなく、厳しさの中にある優しさなのです。優しさという前に、誰にも負けないくらい必死で仕事をすることが必要です。そして才覚というものも必要とされます。人が考えつかないような素晴らしい戦術、戦略がいるのです。それには頭も使いますが、誰にも負けない努力があって初めて素晴らしい戦術、戦略が生まれるのです。 

経営者が“心を高める”、“動機善なりや、私心なかりしか”、“調整と循環”、“利他の心”というものを兼ね備えることで、会社はうまくいきます。 

菌糸も自然の意志を持つ

和歌山県は熊野に南方熊楠(みなみかたくまぐす)さんという菌糸の研究者がおられました。生物の挙動を調べて、その研究を後世に残しておられます。 

菌のような原始的な生物になってくると、食料が豊富な時は一個一個の菌のままでいますが、食料が不足しますと、菌糸同士が一本の植物みたいになって集まってくるのだそうです。それがどんどん大きくなってくると、集まったままで、そこに留まります。それが胞子のように成長してくると、ある時点ではじけて開きます。自分たちは死んでしまいますが、開いた後に誕生した胞子が子孫を残していきます。もともと独立していた個別の単細胞であったのに、それがくっついてあたかも一個の生命体のような行動するというのが菌糸の実態です。このようなところからも自然の意志が感じられるのです。 

原始の海に存在したたった一個の単細胞が、最終的に意思を持ち、その意識から端を発して意志を持った人間に進化してきたのです。人間の意識には潜在意識と顕在意識とがあります。人間のような顕在意識を持った生物はいません。そういう顕在意識、目覚めた意識、意志を持つ高級な生物にまで育んでくれたのがこの自然界です。 

宇宙の意志、進化と同調する

この宇宙に存在する森羅万象あらゆるものが、物事を善かれかしという方向へと成長・発展させています。この宇宙の始まりのように、素粒子という無生物からでも発展させていくのが自然なのです。つまり宇宙は、すべてのものを放ってはおきません。幸せな方へ、良い方へと流れていくようにできているのです。 

ある会社が今三〜四人の従業員しかいないとします。宇宙は、自然は、この小さな会社も放ってはいません。三十人の会社、三百人の会社になるように、実は動いているのです。何も言わない無生物でも、進化の方向に流れているのです。それが自然界の摂理なのです。  

みんなが善かれかしと思う方向へ宇宙の“気”が流れているのです。人間は意識でいろいろなことを考え、こうしようという意志で行動していきます。これと同じく宇宙には宇宙の意志があります。森羅万象すべて良い方向へ行くように、宇宙の意志は流れていて、そう仕向けているのです。良い方向へと良い方向へと流れて決して止まる事はありません。 

宇宙がそう仕向けているのに会社がうまくいかないのは、宇宙の意識(善かれかし)を受け入れられる状態になっていないからなのです。誰かが不幸であったりうまくいかなかったりするようにはなっていないのです。みんなうまくいくようになっているのです。 

あるアメリカ人が唱えている、進化を受け入れ、推し進めていこうとする“プロ・エボルーション”、前向きの変革は、善かれかしから派生し、進化に逆らう、宇宙の意志に逆らう“アンチ・エボルーション”は後ろ向きな悪しき思いに根ざしたものと述べています。 

その宇宙が持っている意志、進化と同調し、調和するような心とは、建設的、肯定的でポジティブなものです。つまり善きことを思うことが、この宇宙の進化に同調することなのです。 

アンチ・エボルーションは人生を暗くする

プロ・エボルーション、宇宙の意思に沿って前向きに進化を受け入れるのに対して、アンチ・エボルーションは宇宙の意志に逆らって、進化を拒否する、自分だけよければいい、相手の事はどうでもいい、妨害的、否定的、邪悪なもの、悪しき思いです。 

善かれかし、優しい思いやりの心を持っていれば、その人自身に幸福がもたらされるでしょうし、その人の周囲の人にも喜びと幸せが及んできます。 

もし妨害的でネガティブで否定的、邪悪な考えを持って行動するならば、その人の周囲には不幸や不和、そして様々な害、肉体に病気を起こす、災難に遭遇するといったことが起こってきます。 

先述のアメリカ人の手紙の中には、

“人生を暗くし、ダメにしていく思い、アンチ・エボリューションの項目には、無作法、恨み、妬み、嫉妬、口論、敵意、中傷、偽り、詐欺、盗み、強欲、残忍性、憎しみ、殺人殺傷、侮辱(ぶじょく)、屈辱(くつじょく)、臆病、怠惰、無関心、不摂生、無秩序、不潔、怒り、自己憐憫(じこれんびん)、傲慢、絶望、不正確、心配、激怒というものがあります” 

と書かれています。 

こういう恨みとか不平不満の想念を持っていますと、表情も暗くなって事業も暗くなります。 

“自分自身の人生、将来には必ず明るいものが開けている。それがこの宇宙がポジティブに良い方向に行くように仕向けているのだから、それに逆らって反対側を向かない限り大丈夫だ。”自分もそれを肯定し、“私の人生は必ずうまくいく”と信じて、“一生懸命努力しさえすればよいのだ”と思っている人は必ずうまくいくようになります。

盛和塾 読後感想文 第146号

数字で経営する

企業を永続的に成長発展させるためには、経営者が正しい舵取りを行うことが不可欠であり、そのための唯一の客観的指標は数字です。

正しい数字で経営する

数字で経営するには、第一に何よりもその数字が正しいものでなければなりません。日々の売上がどのぐらい上がっていて、どこにいろんな経費がいくらかかっているのかが正確にわからなければ、会社のどこに問題があるかわからず、必要な改善の手を打つことができないからです。この数字がいい加減なものであれば、経営の判断を誤り、会社を傾けてしまいます。 

昨今の大企業による度重なる不適切な会計処理は、多くの損害を多数の株主、機関投資家、とりわけ従業員に与えてしまいました。こうした事態は他人事ではありません。正しい数字を追求することを怠れば、その少しの油断が蟻の一穴(いっけつ)となって企業を蝕み、やがて大きな破滅を招いてしまうことになります。 

  1. 正しい数字を反映するための原則

経営に関する数字は、すべていかなる操作も加えられない、経営の実態を表すものでなければなりません。損益計算書や貸借対照表の全ての科目とその細目も会社の実態を正しく表すものとなっており、誰から見ても間違いのない、真実を表すものでなければなりません。 

そのためには、日々の業務がその日のうちにルールに従って正しく処理されなければならず、ミスや不正を未然に防ぐ考え方と仕組みを社内に確立する必要があります。 

一対一対応の原則

モノやお金が動けば、必ずその取引を説明できる伝票(証拠書類)が起票され、それがモノやお金とともに動いていくというものです。その日にこの一対一対応の原則を徹底させることで、一枚一枚の伝票(コンピューターシステム上での承認)の積み上げが、そのまま会社全体の業績を表すことになり、経営数字が会社の真の姿を表すことにもなります。 

一対一対応の原則が社内に確立されていないと、社員は“数字は操作できるもの”と考えるようになります。売上の水増しや電気を操作(コンピューターによるデータの改竄(かいざん))が発生しかねるのです。 

例えば、A商社の営業部の売上高が売上目標に十億円足りないとします。そうしますと営業担当者は日頃からお付き合いをしているお客様に“今月十億円売上が不足していますので、助けてください。請求書を発行させてください。翌月初めに返品処理をしますので、よろしく”とするわけです。そうしますと、ものは何も動いていないにもかかわらず、架空売上の十億円が計上されてしまいます。 

こうした事態を防ぐため、誰も故意に数字を操作できないようにするための考え方と仕組みが、一対一対応の原則なのです。 

生産や一般管理費についても、一対一に対応させることが業績を正しく把握するために大変大切です。ある月の売上の生産にかかった費用が翌月回しになっていれば、その月の利益が膨らみ、翌月の経費が増えて、翌月の利益は減ります。これでは経営の実態を把握できません。発生した経費をタイムリーに処理し、売上生産にかかった経費を一対一に対応させることを徹底させなければなりません。 

旅費交通費の精算であっても、帰社した日から一週間以内の精算を徹底して、可能な限り同じ月の中で処理を行い、恣意的な経費操作ができないようにします。 

  1. あらゆる場面で行われるダブルチェック

不正やミスを防ぎ、正しい数字を表すものとして“ダブルチェックの原則”があります。ダブルチェックの原則とは、あらゆる伝票(決済書類)処理や入金、出金書類を複数の人間で行うことです。 

支払い伝票(コンピュータ上での承認、approval)の発行と実際の支払いは、別の人によってなされます。物品やサービスを購入するときは、購入しようとする部門が直接仕入れ先に発注したり、値段や納期の交渉はしてはならないのです。必ず購買部を通じて発注するようにします。購買部門では発注伝票を作成する人と、承認する人は別々にしなければなりません。担当者と上司による確認の後、購買部門がダブルチェックして初めて物品を購入できる仕組みが必要です。 

購入しようとする部門は、仕入先に自由に発注できないため、仕入先との癒着を防止し、適正な取引を維持することが可能となります。 

発注した物品が届いた時、購入依頼した部門には物品は届けられず、まず受入倉庫に置いて、物品と入荷伝票(packing slip)を照合します。購入を依頼した部門では注文数、品質、内容に問題がないか検査した結果を検収伝票に基づいて担当者と上司が確認します。検収伝票は、経営管理部門においてさらにチェックされ、問題がないことが確認されたら、資金を扱う経理部門にチェック済みの検収伝票が回り、初めて支払いが発生します。 

この“一対一対応の原則”と“ダブルチェックの原則”を徹底することで、常に経営の実態に即した正しい数字が計上されることになります。この正しい数字のもと、適切な経営判断を下していくことができます。

二.数字を厳しく捉える

数字で経営するにあたっては、数字そのものが経営者自身の厳しい経営姿勢に裏打ちされたものであることが大切です。企業経営者は、経営計画を考えるにあたって、往々にして楽観的な見通しに基づいて立案してしまいがちです。しかし為替レートや業界の市場成長率といった経済環境を自らの都合の良いように想定したのでは、希望的観測が外れたときに、収支の見込みが大きく狂い、企業の舵取りが難しくなってしまいます。 

経営者は常に高い目標を掲げなければなりません。しかし足元の経営計画については、企業の安全性を考え、悲観的に保守的な厳しい事態を想定した経営を行っていくことが基本です。 

  1. 為替レートは市場より厳しい条件を設定する

輸出入業を行う企業が事業計画や業績見通しを立案する際に前もって決めておく“想定為替レート”があります。京セラの場合、輸出比率は六十%近くに達しており、ドル建ての取引の場合、対ドルで一円の円高が約四十五億円の売上減、税引前利益を約十一億円押し下げるインパクトがありました。したがって為替レートの少しの変動が業績を大きく左右するため、社内為替レートの設定にあたっては、想定を超えた事態にも耐えられるように、予想レートよりもさらに厳しめに設定します。予想を超えて円高になったときには、実勢レートの変動に合わせ、できるだけリアルタイムに社内レートを変更し、厳しい状態を保つようにしています。 

一方、為替が円安に振れたときには、必ずしもすぐに社内レートには反映させません。円安に振れたとしても、あえて厳しい社内レート維持することで、強靭な企業体質を作るように努めます。 

一般の企業の場合は、想定為替レートはあくまでも事業計画や業績見通しを出すための設定に過ぎません。京セラでは、想定為替レートは決算数字の見通しを出す事はもちろんですが、各アメーバが厳しい目標数字を自らに課すためにも活用しているのです。そうすることで、土俵の真ん中で相撲を取る、つまり安全な経営を図るのみならず、事業構造をより強固にするために、厳しい社内為替レートを設定しているのです。 

その結果、決算時に実勢換算レートで計算すると、利益が上振れすることとなります。初めから実勢レートに合わせて自部門の採算をとらえる事はしません。あくまで厳しく設定された社内レートの中で、自部門が立てた目標数値を追求していくことに全力を投下するのです。 

  1. 実態に合わせて減価償却する

“数字を厳しく捉える”という姿勢は、減価償却の考え方や在庫の評価などにも適用されます。 

固定資産の減価償却について、通常税法の耐用年数を適用している企業が多いと思います。税法では、十年の耐用年数となっている機械設備の中には、業種によっては、実際二年しか耐用年数がない場合もあります。二年で使えなくなってしまう機械であれば、二年で償却すべきです。

こうしますと短期的には利益を押し下げることになります。しかし、実態に反して発生している費用を計上せず、当面の見かけ上の利益を増やす事は、経営の原則に反します。 

在庫についても、実際の販売価格よりも過大評価され、会社の資産や業績を実態以上によく見せることにならないように、棚卸時には製品の市場価格に基づいて評価し直します。売れる見込みのない在庫については、速やかに処分することが健全な会計には求められています。そうすることで、健全な経営体質を維持するようになります。 

  1. 保有資産には社内金利を課す

京セラでは不良在庫を発生させないよう、在庫をできるだけ持たないように努めています。そのための仕組みの一つとして、一定期間以上の在庫に対しては“社内金利”を設定しています。売上の実績はどの会社も管理されていても、在庫に対する責任は必ずしも明確になっていない場合があります。京セラでは、在庫は営業が責任を負うことになっています。 

在庫に対しては、市中金利よりも高めの金利を社内金利として設定し、営業の経費として徴収することになっており、営業の在庫に対する責任、負担がより明確になるようにしています。 

社内においてあえて厳しく管理することで、営業は市場動向を的確に分析し、できるだけ正確な販売予測を行い、在庫を最小限に抑えるようになっています。 

健全で強靭な企業体制を維持していくには、自らに厳しい数字をとらえる経営姿勢が必要なのです。

数字を細分化する

経営者が的確な経営判断を打つためには、数字が細分化されたものとして管理されていることが必要です。 

経営の原理原則“売上を最大に、経費は最小に”を実践するには、経営のトップ、全従業員が、自らの日頃の業務の中で、常に創意工夫を重ねることが出来るように、数字が細分化されていなければなりません。その数字は空間的、時間的に細分化されていなければなりません。 

空間的に細分化するとは、全社としての経営目標のみならず、現場の最小単位に至るまで、組織ごとに、目標数字を持ち、その組織ごとに採算を管理していくことです。つまり現場の最小単位の組織に至るまで、組織ごとに目標数字を持ち、組織ごとに採算を管理していくことです。 

つまり現場の最小単位の組織に至るまで、明確な目標数字があり、さらには一人ひとりの従業員までもが、明確な指針のもと、具体的な目標持っていることが大切です。 

時間的に数字を細分化するとは、その目標数字が一年間を通した通期の目標だけではなく、月次の目標としても明確に設定されているということです。月々の目標数字が明確になればおのずから日々の目標も見えてきます。このように従業員一人一人が日々自分の役割を理解し、それを果たすことができるような明確な目標数字を設定しなければなりません。 

それぞれの従業員が着実に役割を果たし、それぞれの組織としても目標達成していくことで、全社の目標を達成していくことができます。また日々の目標も達成してこそ、その積み重ねである月間や年間の経営目標の達成ももたらされていきます。 

  1. 年間の経営計画を立て、月次で財産を管理する

京セラの場合、数字が組織ごとに細分化され、そして月次の目標としても細分化された採算向上のシステム-アメーバ経営(小集団部門別採算制度)のもとに運営されています。 

各アメーバのリーダーを中心に、メンバーの一人一人が日々自部門の数字を見ながら、もっと売上を上げる方法はないか、もっと経費を減らす対策はないか、と常に主体的に“売上最大、経費最小”の創意工夫を重ねています。 

すべての数字の目標は、マスタープランと呼ばれる年間の経営計画です。マスタープランは会社全体の方針や事業部における方針、目標を受け、検討に検討重ねた上で部門ごとに作成されるべきもので、アメーバのリーダー、メンバー全員の“この一年間どのような経営をしたいか”という意思を示すものです。 

マスタープランには月次の詳細な売上と経費の数字が既に計画されています。マスタープランを確実に達成するために、マスタープランにおいて計上した月次の数字を常に念頭に置きながら、さらに毎月毎月経営状況に合わせて、また経営計画の進捗に応じて、改めて予定数字を立案していきます。 

月次単位で毎月、予定を改めて作成し、その予定に対する進捗管理を行っていき、そしてひと月が終われば改善のアクションを含めた翌月の予定を立てていきます。 

  1. 勘定科目を細分化し、改善の手を打つ

“経費最小”のための現場の改善活動を日々行っていくには、指標となる採算表そのものの勘定科目を細かく管理していく必要があります。 

経費を最小にしていくためには、どの経費を減らせば良いのかを、誰もが一目でわかるように必要に応じて、この勘定科目を細分していくことが求められます。

つまり、決算書上の各科目を細分化することにより、現場の一人ひとりの従業員が改善の手を打ちやすいように、経費項目も細分化していくことが何よりも大切です。 

例えば“原材料費”や“金型費”といった勘定科目については、経費全体の多くの割合を占めている場合には、品種別、納入先別というように数字を細分化し、その変動を厳密に管理します。 

“電力水道料”についても、製品を作るにあたって電気代を多く使う部門であれば、電気代をアメーバ別や工程別の発生金額に細分化して計上します。大きい経費項目の水道代についても各部門別に、使用料をメーターで測り、細分化することも必要です。 

このように企業経営における数字とは、アメーバのリーダーを始め、現場の誰もが活用しやすいように細分化し、管理されていなければなりません。そうして経営そのものの“見える化”を図ることで、経営実態を正しく把握し、的確な経営施策を打つことができます。

リアルタイムに数字を把握する

さらに的確な経営を行うためには、数字が細分化されたものであると同時に、リアルタイムに出てくるものでなければなりません。 

京セラ創業時には、営業や製造部門で起こしてもらった会計伝票を経理で集計し、数ヶ月後に会計の数字を見て、“先々月はうまくいった”、“うまくいかなかった”という結果を後で知るのが常識でした。 

“これでは経営するにはあまり役立たないのではないか。利益が出る形をするには、現在の数字をリアルタイムに把握する必要がある。それも実際に仕事をしている現場が毎日、損益の数字を把握する必要がある”と思ったのです。 

しかしこれは簡単ではありません。各工場、事業所の製造部、および営業部における事業活動の結果を示す伝票を本社に送り、集計すれば済むかもしれません。しかし本社で集計した数字を最小単位の組織に至るまで、スピーディーにフィードバックを行わなければなりません。 

特に経費の配分は難しいのです。各アメーバの採算を正しく見るためには、そのアメーバに関連する月次内に発生したすべての費用を経費として計上しなければなりません。間接共通経費など、アメーバが直接管理できない費用もあり、誰もが納得できる基準に従って、各アメーバに配賦しなければなりません。 

このことを実現するためには、各部門の売上計上はどのように計上するか、経費をどのように負担するのか、社内の部門間の売買をどのように決めるのか、統一した経営数字の形状の仕組みとルールが構築されていることが必要なのです。こうした細かな社内ルールが整備され、管理されていなければ、実績数字をスピーディーに集計し、速やかに現場のアメーバにフィードバックできません。 

京セラでは、月末に締めたら、その日のうちに部門別の概算数字が、月初一日目に確定数字が出てくるようになっています。 

また予定数字を遂行する一ヵ月の間においても、売上と経費の実績数字が日次で出て来るようになっており、現場のアメーバの一人ひとりが自分たちの活動した結果をリアルタイムに把握し、日々採算を作っていくことができるようになっています。 

  1. 経営管理部門の重要性

このように数字をリアルタイムで把握するためには、社内に多大な人員と費用を必要とします。京セラでは経営管理部門に相当の人員を配置しています。経営管理部門の特異な点は、単に数字を集計するだけではありません。 

数字を集計するだけであれば、本社にて集計作業を行えば良いのですが、京セラの場合は、工場や事業所毎に必ず経営管理部の人員が配置されています。彼らは日々現場で起こる様々な事象に対して“何が正しいか”を判断基準に、物とお金の動きと伝票と一対一対応させる役割を担っています。さらには事業部門と一緒になって、月次の予定数字の達成に向けて採算を追求していきます。

  • 一対一対応の確認
  • 採算達成追求 

こうした人手を社内に抱える事は大きなコストであり、収益性を低下させると考える経営者もいます。京セラは、まだ会社が小さかった頃から、こうした経営管理体制を築いてきました。確かに多大な人員と費用を必要とし、手間ひまがかかります。しかしその手間ひまを上回る、大きなメリットがあるのです。 

リアルタイムで数字を把握することで、時々刻々と変化する経済環境の中にあっても、採算を向上させるための迅速な経営判断を行うことが可能となり、これは経営者にとって大きな武器になります。 

  1. リアルタイムに数字を把握できる強み-第二電電、日本航空の事例から

一九八四年に創業したKDDIの前身である第二電電においても、リアルタイムに経営数字を把握するという仕組みを武器にして、資金、インフラ、技術、専門スタッフなど、あらゆる面で第二電電を上回っていた競合他社に勝負を挑んで行きました。 

東京、名古屋、大阪の間を結ぶ、長距離通信事業を始めるにあたり、関東中部、関西などの地区別に分割し、独立採算で迅速に数字を把握する仕組みを構築しました。携帯電話事業でも、地区ごとに採算がスピーディーに出てくるシステムを作り上げました。 

このような精緻(せいち)な経営管理システムがあったからこそ、リアルタイムで経営の実態を把握し、同時に新規参入した他の競合他社より、的確な経営判断を下すことができ、新電電の中でトップを走り続けることができました。 

日本航空の再建に当たっても、当初から路線、路便ごとにリアルタイムに採算がわかるようなシステムを作らなければ、会社全体の採算を向上させることができないと考えました。日本航空に着任しても、“現在の業績はどうなっているのですか”と聞いてもなかなか数字が出てきませんでした。やっと出てきたものは数ヶ月前のデータで、しかも極めてマクロなものでした。 

路線毎、路便毎の採算はどうなっているのかと聞いても、一向に分かりません。 

リアルタイムに現在の数字を把握できなければ、会社を正しい方向に導くことはできません。そこで、部門別、路線別、路便別に採算がリアルタイムに見えるような、さらにそれぞれの責任者が中心となってその収益性を高めるために創意工夫を重ねていけるような仕組みを、現場の社員達と一緒に構築していきました。 

その結果、詳細な部門別の実績が翌月には出るようになり、全社員が自部門の実績を見て、少しずつでも採算を良くしようと懸命に取り組んでくれるようになりました。すべての路線毎、路便ごとの採算が翌日にはわかるようになり、需要に応じて臨機応変に機材を変えたり、臨時便を飛ばしたりすることが、現場の判断でできるようになりました。 

このことからわかるように、リアルタイムで数字を把握することは、経営トップや経営幹部のためだけに行うのではありません。大切な事は、現場の一人ひとりの従業員の努力が数字としてすべて現れるため、採算向上へのモチベーションを大きく高めることができるということです。社員一人一人が自らの努力した結果がすぐに反映されるリアルな数字を見ながら、今日よりは明日、明日よりは明後日と、さらなる創意工夫を重ねることができるのです。 

  1. 実績開示で築かれる信頼関係

全社員で数字を共有し、全員参加で経営していくためには、毎月月初の朝礼で全社や各部門の実績を詳しく発表しています。工場や事業所では、当該部門の予定に対する実績数字の進捗度についても、毎日朝礼で発表しています。また年一回の経営方針発表会では、経営数字を含むトップの経営方針の詳しい内容を全社員に伝えています。 

このように、様々な機会を通して、会社の状況や進むべき方向をオープンにして、経営数字を共有していくことが、全社員の力を結集して事業を進めていく基盤になります。 

経営者一人の力だけではたかが知れています。本当に立派な会社にしたいと思うなら、好況の時も、不況の時も、苦難の時こそ献身的に支えてくれるような社員との信頼関係を構築していかなければなりません。そのためには、経営実態を表す数字とともに、経営者としてこの会社をどうしていきたいのかという将来ビジョン、そのためにこれからとるべき施策まで含めて、社員と共有していくことが大切です。 

  1. 公明正大な姿勢が経営者としての勇気をかき立てる

数字を全社員が共有し、透明性のある経営を目指していくことで得られるもう一つの効果として、トップ自らが率先垂範、公明正大を貫く姿勢を求められるということがあります。 

中小企業の場合、社長は公私混同に陥りやすいのですが、数字を全社員と共有しますと、公私混同ができなくなります。無分別な接待交際を抑止することができます。 

そのように社内に公明正大な姿勢が貫かれることで、経営者自身も自分自身の勇気をかき立て、鼓舞することができます。一方社員に対する後ろめたさが自分の心の中に少しでもあると、経営者としての迫力がなくなっていくのです。 

正しい数字、強い思いが、企業体質を筋肉質にする

経営数字を社員と共有し、数字をベースにして経営努力をしますと、業績は必ず向上し、経理として損益計算書、貸借対照表、企業の経営状態を示す決算書は素晴らしい数字になります。 

この決算書にはぜい肉のない筋肉質の企業体質が反映され、長年にわたる経営姿勢が凝縮されています。 

会社にとっての筋肉質とは、人、モノ、金など、売上と利益を生み出す会社の資産です。一方、売上や利益を生み出さないものは、会社の“ぜい肉”です。無駄な資産を徹底してそぎ落とし、今ある資産を最大限に有効活用することで、会社は永遠に発展し続けられる“筋肉質”の経営体質になります。 

創業間もない京セラは、まだ財務体質は脆弱でした。その時、松下幸之助さんの講演“ダム式経営”がありました。松下幸之助さんは、余裕のある経営をするための方法を質問した一人の聴衆に対して“そんな具体的な方法は私も知りませんのや。でも余裕がなけりゃいかんと思わないといけませんな”とだけ答えられました。 

余裕のある経営をするためのノウハウとかハウツーというものはない。しかし大事な事は“余裕のある形をしたい”“無借金経営をしたい”と強く“思う”ことであり、“そうしたいけれど、難しい”と思ってはいけないのです。このように松下幸之助さんをおっしゃりたかったのだと思います。 

幸之助さんが言いたかった事はただ1つ、“思うか”、“思わないか”なのです。強烈な持続した思いがあれば、その“思い”は現実のものとなっていくはずです。     

そして京セラは創業十年で無借金経営を実現し、十五年目には自己資本比率七十%近くまで高めることができました。借金を着実に返すとともに、内部留保を年々蓄え、豊かな財務体質をさらに豊かにしながら、成長を遂げて行きました。 

企業の成長・発展は従業員の幸せのため

京セラは“余裕のある経営がしたい”という強い思いがもたらしてくれたものに他なりません。大切な事は、なぜそのような強い思いで、素晴らしい数字で表される決算書を持つ企業を、我々経営者は必死になって目指していかなければならないかということです。 

それは従業員のためです。決して経営者個人のためではありません。雇用する従業員と、その家族を未来にわたって守っていくために、内部留保を豊かにし、企業の経営基盤を万全のものとしていかなければなりません。“従業員のため”という美しい善き心でなければなりません。 

そうした高邁(こうまい)な目的があればこそ、数字で経営することに徹底して努めることができるのです。経営者とは、そのように多くの人々を幸せにすることができる素晴らしい仕事です。美しく善き心をベースとして、徹底して数字で経営することに努められるならば、必ずその苦労は報われることを信じて、さらに努力をすることが大切です。