盛和塾 読後感想文 第六十号

素直な心を持つ 

素直な心とは、自分自身のいたらなさを認め、そこから努力をするという謙虚な姿勢のことです。とかく能力のある人、気性の激しい人、我の強い人は、往々にして人の意見を聞かず、たとえ聞いても反発するのです。しかし本当に伸びる人は素直な心をもって人の意見をよく聞き、常に反省し、自分自身を見つめることのできる人です。 

私見では、素直な心を持てる人は、能力も高く、違った意見、異なった思想、異なった文化、自分の持っていないものを理解しようとする人だと思います。人格のすぐれた人です。こうした人は、他の人から尊敬されるのです。 

そうした素直な心でいると、その人の周囲には、やはり同じような心根をもった人が集まってきて、物事がうまく運んでいくものです。 

自分にとって耳の痛い言葉こそ、本当は自分を伸ばしてくれるものであると受けとめる謙虚な姿勢が必要です。 

信ずれば変わる - 頭ではなく心に信念化する 

立派な経営の本を読んで勉強している、また盛和塾でも勉強はしているけれども、それを活かして企業の業績がよくならないのは、なぜなのか、どうすればよくなるのか、と悩んでいる経営者の方々がいます。 

人生も経営も作り手はあなた自身

あなたの人生や会社の現在も将来もあなたが作ります。他人が作るのではありません。景気が悪いから、従業員によい人材がいないからうまくいかないのだと言うのですが、そうではありません。 

自分の人生も、企業の業績も、すべては自分自身が作っています。つまり、自分の心が作っているのです。個人であれ企業経営者であれ、自分自身が思っている通りの人生、思っている通りの企業経営がそこに現れているのです。 

善きことを思い、善きことをすれば、よい結果が生まれるし、悪しきことを思い、悪しきことをすれば、悪い結果が生まれます。因果応報の法則というものがあるのです。 

明時代の思想か、袁了凡が書いた“陰騭録”(いんしつろく)の中では、人間は運命という縦糸をたどって生きていきます。その中で人間は善きことを思い、善きことをなし、悪いことを思い、悪いことをします。それによって運命は変わっていきます。善き思いは善き結果を、悪しき思いは悪しき結果を招きます。この因果応報の法則が横糸となって運命を変えるのです。 

イギリスの哲学者 James Allen も“原因と結果の法則”の中で同じ因果応報の法則を述べているそうです。 

しかし因果応報の法則は、なかなか短期間のうちにはハッキリと現れません。ですから、誰もこの法則があることを信用しないのです。 

人は心の中で信じている方向へと動く

人生結果・仕事結果 = 考え方 x 熱意 x 能力という方式で考えられますが、その中でも考え方が最も重要です。私達はこの考え方、哲学というものを“経営12ヶ条”、“京セラフィロソフィー”、“心を高める”、“経営を伸ばす”等の本を勉強もし、盛和塾例会にも出席して勉強しています。しかし、私達の経営があまりうまくいっていないというケースがたくさんあります。 

フィロソフィーをいくら知識として持っていても意味がありません。血肉化しなければならないのです。頭の中で知識として持っているだけではフィロソフィーというものは使えません。 

フィロソフィーは潜在意識に透徹するほどの強烈な願望にまでならなければなりません。潜在意識に透徹するとは、頭にも心の中にも染み込んでしまった状態をいいます。人間は最初は頭で理解し、何度も何度も理解をし、それが心の中、すなわち潜在意識にまで染み込んでいくのです。人間は、そのように心の中で信じ込んだもの、信念化したものの方向へと動いていくのです。 

盛和塾の教えを信念化する考え方 

フィロソフィーを勉強し理解をしても、心の中に落とし込む、“信じる”というところまでいっていないと、フィロソフィーの実践にまで届かないのです。 

仏教の教えでも、仏の道に仕えている高僧でも、年がら年中お経を唱え、座禅を組み、心静かに修行していますが、みな同じように素晴らしい人間性になっているかといいますと、そうでもないのです。 

キリスト教の牧師さんでも、キリスト教の説く愛、様々な勉強をしています。しかしそれぞれ人格も個性も違います。 

仏教の場合も、お坊さんは仏の教えを知識として持っています。説教をしますと、素晴しい仏の教えを語ります。しかし、お坊さんが皆、心で信じているわけではなく、まだ信念にまで達していないことがあるのです。ですから、言っていることと実行していることが違ってしまうわけです。同じお釈迦様の教えを学んだのであれば、お坊さんたちの人格は非常に似通ったものとなるはずですが、必ずしもそうではないのです。それは仏の教えが心に染み込んでおらず、信念化していないためなのです。人格にまで影響を及ぼしていないからなのです。心に染み込み、心の中で信念化しているのであれば、それは人格にも大きく影響を及ぼし、人格そのものを変えていくはずです。 

我々の勉強の場合も同じです。フィロソフィーを知識として持っただけではなく、心に染み込ませ、心の中で信念化させて、人格まで変えるような生き方をする必要があります。 

低次元の自我を理性で抑える 

私達は “心の修養” に努めています。心の修養に努めるとは、低次元の自我を抑えることなのです。低次元の自我とは煩悩のことです。煩悩には、お釈迦様が言われる三毒のことです。“貪欲”、“怒り”、 “愚痴” の三毒です。 

人間はいくら高尚なことを考えても、放っておけば、瞬間瞬間に本能がもっている煩悩でものごとを考えてしまうのです。金を儲けたい、小さなことに腹が立つ、不平不満を言う。これが人間なのです。 

低次元の自我、欲望に満ちた自分勝手な思い、怒りや憎しみに支配された心を、私達は持っているのです。こうした本能がないと、私達は生きていけないのです。それによって私達は自分だけがよければよいと思ったり、すぐに怒ったり、不平不満を漏らしたり、人を憎んだりします。 

しかし私達は他人の心を見ようとしますが、自分の心を見ようとしないのです。自分の心 - 自分の庭の中に雑草が生えていることに気づかない、これが私達人間なのです。 

心の隙間に現れてくるのは利他と思いやりの心 

私達はフィロソフィーの勉強をしたり、りっぱな人の言葉や行動を見ますと、利他の心が芽生えてくるのも事実です。誰しもが持っている薄汚い低次元の自我を理性で抑えることで、利他の心も芽生えてくるのです。低次元の自我 - 自分の庭に一杯繁殖している雑草の間に、その隙間に、きれいな花/利他の心が生えてくることに気が付くのです。低次元の自我を常に抑えていく努力をすると、美しき善き心、利他の心が必ず出て来るのです。 

毎日毎日反省をしながら、低次元の自我を抑えていく、そうすれば素晴らしい心、善の心、利他の心が生まれてくるのです。 

こうした低次元の自我を抑えていく努力は、事業経営の中で生かされて、素晴しい事業経営を導くのです。自我を抑え、信念にまで高める為には、繰り返し繰り返し学び、毎日反省し - 今日の一日はどうだったのか – フィロソフィーを自然と心の中へと染み込ませていくという作業が欠かせないのです。 

自我の抑制にはそれにともなう行動が必要と思われます。盛和塾例会への出席、経営12ヶ条の勉強、フィロソフィーの勉強、従業員とのコンパ、研修、従業員への自分の思いの伝達(会議や報告)等、毎日の仕事の中に、こうした作業を繰り返し繰り返し続けることだと思います。自我の抑制には、こうした行動が必要なのです。そうすることにより、理解したフィロソフィーが行動になり、心の中で信念となっていくのです。心から信じてしまえば、潜在意識にまで透徹し、無意識のうちに目標とする方向へ行動するようになります。 

経営者の信念を従業員に移植する 

経営者は自分で繰り返し学んだことを社員と共有しなければなりません。それには自分の会社はこうしたいと思う。その願望を文章にして、はっきりと社員に伝えなければなりません。会社の目的、意義、目標をはっきりと文章にし、社員に話し、共有するようにしなければなりません。 

会社の目的、意義、目標を社員と共有するというのは、社員の心のなかにもそれを染み込ませるということです。 

これは唯、知識として会社の目的、意義、目標を社員に伝えるということではありません。経営者はまず自分の心の中に染み込ませ、自分の信念にまで高めなければならないのです。そうして信念に高められたものを社員の前で、私はこういう方針で、こういう考え方で経営をしていくと、堂々と伝えます。 

経営者自身が、会社の目的、意義、目標を心に信じ込んでいない – 心に染み込ませていないことには、社員を説得し、社員に共有することを望むことは出来ないのです。 

人間はあることを習得する時、まず頭で理解し、行動、実践を通して、この繰り返しによって学び、納得して、前に進みます。 

社長はその為には、社員に会社の目的、意義、目標をことある毎に社員に話しかけます。コンパ、会議、研修、運動会等を通して、繰り返し繰り返し話しかけるのです。 

そうすることで、社員の中には“社長はそういう考え方で経営するのがよくわかった。協力しましょう”、“私もそう思います”というものが出てくるのです。 

持ち込んだフィロソフィー 激変した経営 

京セラは経営難に落ち込んだ企業を傘下におさめ、再建してきました。東芝ケミカルの再建。 

東芝グループの一社、東芝ケミカルという会社は、接着剤、絶縁材料、有機材料を必要とする東芝グループに有機材料を提供する会社でした。東芝グループ以外にも外販をしていました。親会社の経営が苦しくなり、子会社の東芝ケミカルの株式を京セラに売却するという話が出てきました。 

東芝ケミカルの業績は、当時売上高役300億円、年間約70億円の赤字を出している会社でした。買収した時は売上高280億円、24億円の赤字を出していました。買収後、一年目には売上高260億円と売上減でしたが、税引前利益は約8億円の黒字に転換しました。今期は売上高約300億円、税引前利益30億円を目指しています。 

フィロソフィーを理解し、フィロソフィーを全社に伝えることにより、会社を変えることができたのです。東芝ケミカルは京セラケミカルと社名を変えていますが、社長は東芝から来られた人です。京セラからは数名ほどしか派遣していません。 

東芝ケミカルが京セラの完全子会社になると決まったとき、東芝ケミカルの多くの社員が辞めていきました。従って京セラは、もぬけの殻になった会社を買収したのでした。ところが一年半もしないうちに、京セラケミカルは黒字化しているのです。 

京セラから派遣された東芝ケミカル(京セラケミカル)の部長の手記。私は出社は毎朝7:30と決めていました。女性アシスタントか私が一番早く出社していました。東芝ケミカルのもとの従業員は、フレックスタイムが導入されていましたから、全員が揃うのは10時頃でした。大半の人は出社をしても挨拶さえしません。午後になれば、3時頃から帰宅が始まります。私の最初の仕事は、みんなに挨拶をしようと呼びかけることでした。 

営業マンはほとんど外出しません。“当社では販売をディーラーに任せています。そのディーラーにマージンをあげて、我が社の製品を売ってもらうようにするのが営業の仕事です”顧客の声を社内に伝えることが出来るはずがありません。 

営業の人に集まってもらい、聞いてみました。この製品の販売戦略は?この製品の強みは?シェアはいくらくらいですか?どれを聞いても “わからない” でした。営業の人達は技術職で、営業の教育、訓練は全く受けていませんでした。 

傾いた会社なのに、全く緊張感のない職場。 

1年後、京セラケミカルは様変わりしました。京セラに来たある社員は、 “ここは京セラよりも京セラらしい” と言ってくれました。 

フレックスタイムはなくなりました。全社の朝礼、掃除、フィロソフィーの唱和、フィロソフィーの輪読、ラジオ体操。8時半の唱和では、経営理念、活動理念、業務目的、信条を唱和します。各部署の朝礼では、フィロソフィー手帳を輪読し、感想を述べます。営業方針も唱和します。 

月には2度、社長・副社長主催のコンパがあります。そのため、わざわざ畳の部屋も作りました。社長・副社長は他部門と月4~5回のコンパに出席しています。 

会社全体がこの1年半で大巾に変わりました。みんなの考え方が変わって来ました。積極的になり、明るくなって来ました。 

たった一人の男がフィロソフィーを引っ提げて、川崎の工場に赴任しました。最初は小馬鹿にされました。誰も相手にしてくれなかったのです。しかし、みんながフィロソフィーを受け入れた時、信じ込んだ時、会社が一転して素晴らしいものに変わっていったのです。 

業績がよくならないのは、あなたが信じていないから 

東芝ケミカル再建の話によってもわかるように、盛和塾で勉強したフィロソフィーを自分の心の中に染み込ませ、自分のものにする。それを従業員たちの心の中に移植できれば、私達の経営も劇的な業績の変化に連なるのです。業績の変化が起こっていないのは、それは私達自身がフィロソフィーをまだ心の中に染み込ませていないからなのです。 

自分がフィロソフィーを心の中に信念として持っていれば、必ず従業員に信じ込ませることが出来、フィロソフィーを共有してくれるはずです。 

盛和塾に入ったら、会社の業績がよくなったというのでなければ意味がない。盛和塾例会や勉強会に出席するには、業績がよくならなければ恥ずかしいのです。“なぜ私の会社の業績がよくならないのか”これは、私がフィロソフィーを心底信じていないから、上っ面で、頭でしか理解していないからです。

経営の原点経営12ヶ条 

“経営12ヶ条” を心の中に染み込ませ、従業員に話をして従業員と共に実践し、共有していく為には、“自分自身も従業員と共に学ぶ” という謙虚な姿勢が大切です。そうすれば必ず私達の会社も従業員もフィロソフィー “経営12ヶ条” を心に染み込ませることができ、共有していくことが出来るのです。 

  1. 事業の目的意義を明確にする(公明正大で大義名分のある高い目的を立てる)

“全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩、発展に貢献すること”という単純明快な目的、意義を会社経営の根本的なフィロソフィーとします。この目的の為に経営陣も従業員も一丸となって誰にも負けない努力をするのです。この会社に勤めて本当に良かった。会社の経営も安定し、給与・賞与もいただき、老後の年金もあり、安心して働けるということになるのです。 

経営者も私利私欲に走るのではなく、従業員の物心両面の追求が会社の目的であることとはっきりと従業員に伝える必要があるのです。 

“私は私利私欲で会社を経営しているのではない。私も幸せになりたいし、皆さんもそうでしょう。だから一緒にこの会社を立派なものにし、お互いに物心両面で幸せになりましょう。だから皆さんも協力してほしいのです。皆さん自身の為にも一生懸命頑張って下さい” とハッキリと言うのです。 

塾長が第二電電を創業する時には、自分に問い正しています。“動機善なりしか、私心なかりしか”  “動機は善だ。私利私欲に満ちた心ではなく、公明正大な心で第二電電を興そうとしているのだ” と自分自身で納得して、事業を始めたのです。 

第二電電は、寄せ集めた部隊で始まりました。電電公社出身の技術陣、商社から来た社員、一般公募で集まった社員もいました。寄せ集めの外人部隊でスタートしました。 

その時、こうした寄せ集めの人々に向ってはっきりと伝えました。“第二電電は、稲盛和夫の名誉欲やら私利私欲から作ったものではありません。国民のために安い通信料金の社会を作りたいから、この会社を作ったのです。社員の皆さんもこうした目的に賛同してくれるのなら、出身団体は何であれ、結束して、強大な電電公社に立ち向かっていこうではありませんか” 

“百年に1回あるかないかという激動、変革の時です。このような壮大な仕事に携わることができる、関係することができるチャンスなど滅多にありません。この素晴らしい機会に恵まれた幸運に感謝し、団結して一緒に戦おうではありませんか” 

このように、公明正大で大義名分のある高い目的を立てるということを通じて塾長は全社全体を引っ張っていったのです。 

  1. 具体的な目標を立てる

1.で事業の目的、意義を明確にしましたから、今度は具体的な目標を立てる。立てた目標は社員と共有する。 

言葉で社員に伝えると同時に具体的に月次損益計算書で示すのです。売上高の目標はいくら、原材料費は、労務費は、製造間接費はいくらと目標を明らかにし、一般管理販売費は、目標税引前利益はいくらかと、具体的に示すのです。目標を実現する為に、それぞれの社員に協力してもらうことが必要です。 

月次決算の予定も作ります。その中で、売上については$1,000,000、原材料費は$200,000、労務費は$300,000、製造間接費は$200,000、売上総利益(グロスマージン)は$300,000、一般管理販売費は$200,000、税引前利益は$100,000、税引前利益率10%、と予定を立てます。 

売上目標が一番大切です。営業のAさんには$100,000売上を頼みます。Bさんには新規のお客様から新しい製品開発の依頼をとって来て下さい、等、各営業担当の売上目標を明示します。 

原材料費についても、仕入担当のAさんに代替材料はないか、他の仕入れ業者から買い付けることを検討してもらう、原材料の質の高いものを探し、歩留まり率を向上させる等、具体的な目標を明確にします。 

労務費についても、製造計画をはっきりさせ、従業員が気持ちよく、効率的に働ける様、工場長、職長に目標を提示します。あるいは目標を共に作るのです。 

このように従業員がはっきりと分かるように月次損益計算書の予定を作り、実績と比較していくのです。 

こうした具体的な目標は従業員にヤル気を起こさせるのです。大事なことは、経営者は、具体的な目標を従業員が理解してくれる様に訴えていくことなのです。要するに、従業員に会社の損益計算等、経営情報をすべて知ってもらうことなのです。 

  1. 強烈な願望を心に描く

2. 具体的な目標を立てる、とあります。一旦、目標を立てますとそれは、潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望でなければなりません。 

盛和塾での学び、松下幸之助や稲盛和夫の言われることを何度も何度も繰り返し勉強し、毎日必ず暗記するくらい読むことです。更に、ノートにまとめて、手で覚えるようにします。そうしますと、耳で聞き、目で見、手で動作をしますから、人間の頭と心の中に、考え方やフィロソフィーが少しずつ染み込むのです。勉強したことを従業員に訴え、共有してもらうのです。 

次は実践です。潜在意識まで透徹するくらい、考えていますけれど、それでも、実践し、従業員と行動を共にすることが必要なのです。 

勉強と実践/行動が伴なって強烈な願望が心に描かれ持続するのです。このことを怠ったら、強烈な願望は私達の心から去っていくのです。 

  1. 誰にも負けない努力をする

地味な一歩一歩の積み重ねによって、偉大なことは成し遂げられるものです。地味な商売も積み重ねれば、いずれ巨大な山になっていくはずだと信じて、誰にも負けない努力を継続していくのです。こうしたことを従業員にも理解してもらい、実践してもらう様にするのです。こうすることによって、誰にも負けない努力をするとは、具体的にはどうするのかと考えるようになると思います。 

  • 従業員の先頭に立ち、率先垂範し、従業員が “社長はあんなに頑張っているのだ” と同情されること。
  • 従業員、お客様、仕入業者に対して、いつもオープンにして即座にいつでも対応できるようにしていること。
  • 創造的なこと、チャレンジすることに対して、決してあきらめず、努力に努力を積み重ねること。
  • 自分の体力、気力をいつも管理して、鍛え続けること。 

誰にも負けないというのは、自分も誰にも負けない努力をしていると信じているし、周囲の人もそういう自分を見てくれていると評価されるものでなければならないと思います。 

  1. 売上を最大限に、経費を最小限に

売上を少しでも増やし、経費をできるだけ減らすことです。 

売上をどのように増やしていくかが最大の経営の要諦だと思います。売上を増やすには、数えきれない程の方法があります。いろいろな売上の側面を考えることが必要です。 

  • お客様のベース - 多くのお客様を見つける。お客様の層を変える。
  • 販売ルート -新しい販売ルートを開拓する。日本の国内、国外。
  • 価格 - 値を上げるのか/下げて大量に売るのか。
  • お客様へのサービス - お客様のビジネスを理解し、その為に何をしたら良いか、徹底的に調査し、提案していきます。
  • 新製品の開発/新しい分野へのチャレンジ
  • 製品の品質改善 - 製品の品質管理を高め、良い製品を作る。
  • 製品輸送体制 - 製品の送付について改善する。お客様の近くに製品倉庫を設       置する。 

様々な分野で改良することが出来ます。  

しかし、売上を最大にするのに最も重要なことは、営業担当の従業員の教育です。と同時にそれを支える経営者、製造、倉庫等、他部門の従業員からの支援です。売上に関わる情報が、できるだけ正確に早く他の部署に伝達され、他の部署が直ちに反応することが大事なのです。 

経費を少しでも減らすことも全体、各部署からの支援・協力が必要なのです。 

  • 原材料 - 仕入担当者は、仕入先2社購買制度を採用する。
      - 計画的に仕入し、緊急仕入はしない。

      - 製造部では歩留まり率を上げる努力をする。代替原材料を見つける。

  • 労務費 - 製造計画を正しく正確に立て、人員の無駄使いはしない。

      - 労災が発生しない様に、安全管理を徹底する。

  • 製造間接費- 水、電気、ガス、油の無駄使いをなくす。

      - 機械設備・建物の修理・維持を定期的にして、製造工程がスムーズに
           進めるようにする。

  • 倉庫 - 製品の出荷ミスをなくす。 

経費削減の方法はいたるところにあります。いかに従業員に気づいてもらえるか、工夫が必要です。一番大事なことは、月次損益計算書の内容を共有することです。 

  1. 値決めは経営

値決めを間違いますと、いくら頑張っても経営は成り立ちません。値決めは経営そのものです。ですからトップが決断しなければなりません。 

例えば、競争相手が100円で売っているから、うちは90円で売ろう。ところが売上数量は増えたけれど、原価・経費をカバーできない。110円で売ると売上数量が減少し、人件費、固定費をカバーできず、経営が成り立たない。 

売価の決定には、原材料費、労務費、製造間接費、一般管理販売費、その中でも固定費をどこまで削減できるか等、全社の活動を考えなければならないから、経営なのです。営業部長が売値を決めることはできません。 

社長は、全社の活動をよく日頃から理解していなければ売価の決定はできません。社長は現場をよく知っていなければならないということです。 

  1. 経営は強い意志で決まる

経営者は、絶えず予断しない、不測のことに面します。競争相手、お客様の倒産、経済不況、自然災害、従業員不正行為、違法行為、訴訟、枚挙にいとまがありません。 

そうした時、自分の会社の目標が達成できないのではないかと悩みます。こうした事態に対しても、自分の信じた道を必死に置いていく、テコでも動かない強い意志、そういう強い意志が、先行き不透明な時代の経営には必要なのです。 

さらに経営者に迷いがありますと、従業員が一番に感じ取ります。従業員が不安になり、自信をなくし、会社の目的・意義について疑い出すのです。従業員に不安を与えてはなりません。 

  1. 燃える闘魂

経営には戦う勇気がいります。困難に面しても、従業員とその家族を守っていくには、激しい闘心がいります。母鳥がひよこを守るように、又、野牛がみんなで子牛をライオンから守るように、経営者はリーダーとして、会社を守り、従業員とその家族を守らなければなりません。 

もう1つは自分自身が自分の信念、目標に不安になったとき、自分を奮い立たせる、燃える闘魂が必要なのです。何くそ頑張るぞと自分を燃え上らせることが大事なのです。 

  1. 勇気をもって事に当る

経営する場合、卑怯な振る舞いがあってはなりません。自分の信念を貫き、困難に面しても、恨むようなことがあってはなりません。従業員の先頭に立つ勇気が経営者には不可欠なのです。 

  1. 常に創造的な仕事を行う

日々創意工夫を重ねることです。今日よりは明日、明日よりは明後日と、常に改良改善を絶え間なく続け、創意工夫を重ねていきます。 

お客様が抱えている問題を一緒に考え、解決策を練る。そうした創意工夫が自分自身の技術の向上に、会社の新しいプロジェクトになるのです。いつもチャレンジしていく姿勢が大事です。 

  1. 思いやりの心で誠実に

経営者には激しい闘魂、強い意志が必要ですが、同時に相手を思いやる心が必要なのです。目標達成の為に従業員に厳しい注文をつけることがあっても、一方では従業員の苦労を理解し、その苦労にむくうことも大事です。従業員が信頼してくれるようになる為には、経営者は真面目でやさしく、美しい、思いやりに満ちた心が必要なのです。 

  1. 常に明るく前向きで、夢と希望を抱いて素直な心で経営する

困難に面しても、過去のことにいつまでも固執することなく、目標に向って、明るく、前向きに、夢と希望を抱いて、経営することが大事です。 

前向きになるためには、いつも創造的なことに力を注ぎ、毎日創意工夫に力を注ぐようにします。そして、従業員と夢を共有するように、ことあるごとに夢を語り、一歩一歩実現していくのです。実現していく姿を見た従業員は、夢を信じ、前向きに、明るくなっていくのです。 

信ずれば必ず会社はガラリと変わる

経営12ヶ条を唯単に知っている、頭で理解しているだけでは不充分なのです。心の中に信念として持てるようになるまで、繰り返し繰り返し理性でもて心に染み込ませていくのです。 

これは経営者だけではなく、従業員にも理解を求め、従業員も経営12ヶ条を心に染み込ませてくれるように、共有してくれるようにすることが大事です。 

こうした努力を1年も続けますと、会社はガラリと変わるのです。変わらないのは、経営12ヶ条が心に染み込んでいないからです。自分自身が信じ込み、従業員もそれを信じ込んでいけば、会社はガラリと変わるのです。

盛和塾 読後感想文 第五十九号

原理原則に従う 

会社の経営というものは、筋の通った、道理にあう、世間一般の道徳にあったものでなければ成功しません。これに反した場合は会社の経営は長続きしないのです。 

他社のやって来たこと、一般に常識にのっとったこと、過去にやって来たことを参考にして、安易な判断をしてはなりません。 

経営組織についても、投資についても、財務についても、利益の配分についても、本来どうあるべきか、正しい判断はどうなのかとものの本質に基づいて判断していれば、海外であろうと、また今まで経験のない分野でも判断を誤ることはないと塾長は述べています。 

創業の原点を掘り下げる

事業が成り立つ二つの要素

必要なグロスプロフィット(粗利)が得られること。経験が余りなく事業を始める場合、いちばん大事なことは、そのビジネスが事業として成立する基本的な条件を備えているかどうかということです。事業を成り立たせていく為に必要なグロスプロフィットを、果たしてその事業は得られるのかどうかということが一番大事なことです。 

値決めは経営者がするのですが、その前にビジネスには事業そのものを成り立たせるグロスプロフィットが本当にあるのかどうかということを、事業を始める前に確認することが必要なのです。 

それぞれの業界、業態には、これまでの商習慣として大体のグロスプロフィットが決まっています。各企業の特異性によって、同じ業界の中でも、グロスプロフィットが異なることもあります。しかし、一般的に、その業界では暗黙のうちに決まってしまったグロスプロフィットがあります。 

小売業の場合ですと、グロスプロフィットは少なくとも30%必要です。卸売業の場合ですと、グロスプロフィットは最低15%は必要です。これらのグロスプロフィットは業界の平均値がそうだからといって、簡単に得られるものではありません。市場での競争で目標としたグロスプロフィットが確保できないのが普通です。 

日本食レストランの場合、食材費(材料費)の目安は30%です。30%を越えますと、レストラン事業は非常に苦しくなってきます。できるだけ安い食材を使って売れる料理をシェフは考えなければならないのです。仕入値の交渉、仕入方法、食材を充分生かし、無駄のない料理方法、見た目にも素晴らしい美味しい料理、ボリュームも充分な料理をつくるのが繁盛するレストランです。 

製造業の場合には、材料費は20~30%、労務費は30%、製造間接費は20%、税引前利益は10%くらいの目安が必要です。高い付加価値を与えて売る、つまり原材料費が10%になるくらいまでに高度な技術を使い、高度な加工をして、付加価値を高めて販売していくことが、製造業の基礎であり、要諦となります。 

京セラでは原材料は金属の酸化物です。原材料の仕入価格は決して高いものではありません。その原材料を使用し、新しい人工鉱物を合成し、高精度の焼き物を製造します。高い合成技術と焼成技術が京セラにはあります。過去に誰もがなしえなかったことをやってきたのです。 

材料費、労務費、製造間接費、一般管理販売費、目標利益を合計して、コストを積み上げて製品を売ってはいません。出来上がった製品が素晴らしい性能を持ち、使ってもらう人が正しく評価して買ってもらうのです。すなわち、コストの積み上げで値段が決まるのではなく、出来上がった製品のパフォーマンスで決まるのです。お客様が喜んで受け入れてくださる値段が、販売価格なのです。 

事業として成り立つかどうかという基礎的なことを、まず検討して手を出さなければ、朝から晩まで寝ずに頑張ってもなかなかうまくいかないのです。 

将来性が見込めること

今後マーケットが大きく広がっていくのかどうか、市場の発展性を見極める必要があります。自分の知っている特定の狭いエリアだけでしか発展しないような場合は、一生懸命に打ち込んでも将来性はありません。 

十分なグロスプロフィットが見込めること、頑張ればマーケットを拡大していくことが出来、将来の発展性が見える事業であることが大事になります。 

事業の目的意義を明確にする 

言葉が従業員をモチベートする

従業員と共に働くとき、いつも共同経営者なのだという気持ちで接していくことが大事です。1人や2人でいくら頑張っても、たかが知れています。従業員の手助けが会社経営には大切です。雇った人たちをパートナーとして “私はあなたたちを頼りにしています” という形で迎え入れることが大事なのです。“頼りにしています。家族の一員として、一緒に経営に、仕事に参画していただきたい。”とことあるごとに伝えることが大事です。従業員が、“そうおっしゃってくれるなら、私も手伝ってあげましょう”と言ってくれるまで、話し、接していくのです。“たらし込む” のです。 

仕事の目的・意義を説く

従業員をたらし込んで、自分のパートナーになってもらうためには、“事業の目的・意義を明確にする” 必要があります。“公明正大で大義名分のある高い目的を立てる”ことが大事なのです。 

仕事の中では、毎日単純な仕事、きたない仕事、危険な仕事、きつい仕事があります。服も汚れ、床も汚れ、3Kの仕事です。ところがその仕事が新製品で、お客様がどうしてもほしいものであり、誰も作ったことがないような事があります。この仕事を従業員にやってもらう時、“乳鉢でこの粉末をすりなさい”という風にしてしまいますと、全然面白くありません。この作業はどういう意義のあることか、充分理解してもらうのです。“この工程は、最終的に、世界に類のない、すばらしい製品になるのです。お客様が、世の中が待ちに待っているものです” と仕事の目的・意義を従業員に分かってもらうようにすることが大事です。

夢を語る

京セラは創業の時から一生懸命夢を語ってきました。原町で一番になったら、中京区で一番になろう、中京区で一番になったら、京都で一番になろう、京都で一番になったら、日本で一番になろう、日本で一番になったら、世界で一番になろう。私達がつくっている特殊なセラミックは今後世界中のエレクトロニクス産業が発展するためにどうしても必要になる。 

一見不可能な夢を語り続けて来たのでした。ところが、一つ一つクリアしていきますと、従業員の目が輝き、夢を次第に信じるようになったのでした。京セラはセラミックでは世界一の企業に発展しました。 

コンパを通じてモチベートする

自分たちがやっている仕事にはどういう目的があるのか、仕事の意義はどうなのか、また会社の目的・意義はどうなのかということを話していく、経営者の私利私欲に基づいたものではなく、大義名分のある、普遍的なもの、わかりやすく、みんなが共鳴してくれることを話していく。 

“私は皆さんを頼りにしています。皆さんと一緒にそういう会社をつくり上げようと思っています。ぜひ協力して下さい。1人や2人でやれるわけがない。みんなの力がいるのです” 

このような事業や仕事の目的・意義を、再三コンパを通じて従業員に話し、研修の中でも繰り返し話し、共鳴してくれるレベルまで、話し合いをすることが大事なのです。 

アメリカの企業の中でも、リゾートホテルを借り切って、全米、全世界からセールスマンを集め、3~4日の研修をします。夕食には夫婦同伴で、食事、パーティをします。社長や外部の有名人も招待されます。リゾートに缶詰にして教育し、もてなしをします。このようにコンパをしながら、従業員をモチベートします。 

リーダーの持つ哲学を説く

自分の仕事の目的・意義、また会社の目的・意義を従業員に話していきながら、共鳴してもらう。目的・意義を追求していくために、自分はこうした考え方で経営をしていくつもりだということを話していきます。そこには経営者が持っている人生哲学、フィロソフィーが必要なのです。 

人は何のために働くのか、私自身は人生をどのように生きていくつもりなのか、そして従業員の方々と一緒にどのような生き方をしていきたいのかという経営者の哲学・思想が、目的・意義の話をしている中で、話される必要があります。社長がそういう立派な考え方をしているのなら、我々も共鳴し、一緒に協力しましょうというふうにしていかなければなりません。 

こういう人生観を持ち、こういう哲学、思想を持って会社経営をしていくつもりです。“私は利他の精神で他人さまを助けていく、思いやりに満ちた心でやっていくつもりです” と従業員に語りかけるのです。 

従業員の方々が経営者の哲学・思想に共鳴してくれますと、仕事に一生懸命になるのです。また、みんなが本当に結集して、力を合わせていく様になるのです。 

フィロソフィーを共有する

私達は、上記のような哲学・思想を持っていないことがあります。その時、松下幸之助さん、稲盛塾長の本、テープを使って勉強するのです。一度だけではなく、何度も勉強します。そして、勉強したことを自分の言葉で、従業員に語りかけるのです。最後には、 “私はこう思う” となり、素晴しい言葉を自分のものとして話していくようになります。話していくうちに、従業員がますます信頼をして、まとまっていくのです。 

フィロソフィーを語れる経営者が経営する企業は伸びていくのです。フィロソフィーを共有している度合いが会社の業績に比例していると言えるのです。 

海外では必ず真意を伝える

海外で経営する場合、日本人以外の従業員が働いてくれています。会社の目的意義、経営者としての哲学・思想を海外の企業の従業員に伝えるのは、簡単ではありません。仏教、キリスト教、イスラム教、様々な宗教があり、文化・言語も違います。そうした場合にはあらかじめ自分の原稿を準備し、通訳の人と綿密な打ち合わせをすることが必要です。 

アメリカでの日本人を見ますと、個人として医師、弁護士、会計士と仕事の良く出来る人を多く見かけます。ところが事業家は非常に少ないように思います。日本人は現地の従業員をモチベートして自分のパートナーにして巻き込んでいくことができないからだと思われます。従業員を魅了し、惚れ込ますには、どうしても言葉ありきなのです。まず言葉ありきなのです。 

海外でも通じる普遍的な哲学を持つ

日本文化はキリスト教圏、イスラム教圏では、余りにも異なる為、受け入れてもらえないのではないかと考えている日本人が多いと思います。 

しかし、仏教、キリスト教、イスラム教という、いずれの社会の中にあっても、決して矛盾しない哲学があるはずです。それを自分たちの哲学・思想として持てば、どんな文化圏であろうと理解してもらえると思います。 

アメリカの中で、ハーバード、MIT、プリンストンを卒業したインテリの人達が入社して来ます。そういう連中を“なるほど”と納得させ、共鳴させようと思えば、しっかりした哲学と豊かな一般教養を持っておれば、そういう人たちを説得することができるのです。

盛和塾 読後感想文 第五十八号

常に謙虚であらねばならない 

人間は誰でも少し成功しますと、自分を過大評価して、傲慢不遜になることがあります。そうしますと、周囲の人達の意見に耳を傾けなくなってしまうことがよくあります。周囲の人達からは協力を得られなくなり、孤立化してしまいます。また、人の意見を無視しますから、自分自身の成長の妨げにもなります。 

会社の成功には、社員の方々からの協力を得、会社のベクトルを合わせて、社員皆の協力があることを忘れず、いつも謙虚な姿勢を保つことが大切なのです。 “皆のお陰だ” という気持ちを事あるごとに社員に伝えることが大事なのです。 

何故経営に哲学が必要か - 経営の心は万国共通パラグアイ 

塾長はブラジルのみならず、パラグアイ商工会議所の要請に応えられて、講演しました。 

京セラの紹介

京セラは1959年に創業しました。京セラは、塾長の開発したファインセラミックス部品の開発から事業を開始しました。 

京セラグループには、第二電電(KDDI)の傘下に、長距離電話会社、携帯電話会社もあり、素材、部品、機器、サービスまで垂直展開をする、世界でも類を見ない営業形態の企業グループです。1997年の業績は以下の通りです。 

1997                                    売上高                       税引前利益                   営業利益率

京セラ                                     7,253憶円                 1,054憶円                      14.5%

第二電電(KDDI)                12,000憶円                    650憶円                       5.4%

 この2つのグループ以外にも、カラオケやアミューズメントの事業を行っています。3社とも株式は上場されています。時価総額は約3兆円です。 

先進国に荒廃をもたらした倫理観の希薄化

第二次大戦後、日本ではお互いに切磋琢磨して経済が発展してきました。そして、敗戦後20年もしない内に、世界有数の工業国になりました。 

しかし、ただ利潤を追求するという日本企業の経営思想/姿勢が、社会に多くの歪みをもたらしました。企業活動による公害の発生です。地球環境や国民生活を無視した生産活動の為、日本の川、海は汚染され、日本の空まで空気汚染にさらされました。 

公害問題は少しづつ解消されていますが、利益のみを追求する姿勢はますますエスカレートしてきています。こうした風潮は、バブル経済を巻き起こし、経済界、政界、官界の多くのスキャンダルに連なってきています。目を覆うような不祥事が多く発生しています。 

日本以外の先進国でも、同様のことが発生しています。これらの主な理由は、資本主義社会における倫理観の希薄化があります。 

キリスト教の宗派の中で、プロテスタントの人々の倫理的な教えに基づいて、資本主義が、発生してきたと思われます。資本主義が勃興し始めた時は、日常生活は出来るだけ質素にする、労働を尊び、労働で得た利益は社会の発展の為に活かさなければならないという社会的規範があったのです。つまり、世のため人のため、利潤は追求されていたのでした。 

こうした倫理観も、利益を追求することが目的となり、利益を上げる為、自分の利益を確保する。自分だけ良ければよいという風潮となり、次第に本来の倫理観が希薄化してしまったのです。 

経営哲学の共有化

社会のリーダーや経営者の方々が、資本主義の原点にあった自分の為ではなく、社会の為に利潤を追求するという基本的な哲学を学ぶことが必要になっているのです。 

社会全体に、正義とはなにか、公正であるとはどういうことなのか等を、真剣に考える風潮や、謙虚さ、努力、思いやりを大切にするという意識を高めることが必要なのです。 

そうだとしたら、ただ単に批判するだけではなく、自分の会社の中でもこうした立派な倫理観・経営哲学を育てるように実践していく事が大切です。 

京セラグループの成功は、経営者が正しい経営哲学を持ち、それを全従業員が自分のものとして理解した上で、その経営哲学に適う(かなう)行動をとり、誰にも負けないくらい一生懸命に努力したからだと思います。また、成功しても謙虚さを失わずにきたからこそ、今日まで発展し続けられました。 

判断基準のベースは人間として何が正しいのか

塾長は27歳で京セラを創業しましたが、経営をした経験も、経営の勉強もしたこともなく、毎日の経営判断に困り果てていたそうです。その時、経営は知らないのだから “人間として何が正しいのか” をベースにしていこうと考えました。人間として正しいことなのか、善い事なのか悪い事なのかという、大変原始的で幼稚な判断基準を経営の判断基準にしたのでした。 

プリミティブな倫理観、道徳観が成功をもたらす

経営の経験がない塾長は、最もベーシックなプリミティブな倫理観、道徳観をベースにして、経営を進めてきたことが、現在の成功をもたらしていると述べています。 

人間として何が正しいのかを原点に置き、どのような状況に置かれようとも、正義や公正さを追い求めていく姿勢を失わず、勇気、努力、謙虚さ、思いやり等、最も大切な価値観を尊重するという経営哲学が稲盛塾長の哲学です。 

常に正しいものを求める心、理想を追い続ける心を持たなければなりません。 

物事に対処するには、誠意、正義、勇気、愛情、謙虚な心を持たなければならないのです。自己中心的な発想に基づいた行動をとったり、つい謙虚さを忘れて尊大な態度をとったりしてはなりません。他人に対して嫉妬心や恨みを抱きがちなのが人間です。このような心では正しい判断はできません。人間は自分にとって正しい判断をしますが、そうではなく、人間として正しい事、人間が持っている誠意、正義、勇気、愛情、謙虚な心を持って人間として正しい判断をすべきなのです。 

努力には限度がありません。限度のない努力は、本人が驚くような偉大なことを達成します。努力こそが偉大なことを実現します。努力とは、限度のない、つまり誰にも負けない努力、また持続した努力の事です。努力についてはこれくらいでいいという限度はありません。際限のない努力を積み重ねていく事によって、初めて偉大なことが達成できるのです。 

経営哲学の欠如から生ずる企業の歪み

経営者に明確な経営哲学がなく、経営手法や技術力を重視し、ただ単に利益の増大を目指し、合理性や効率性を追求して経営をしていると多分、儲かればよいという風潮が生まれ、利益の為だから少しぐらい不正をしてもいいだろうとなるのです。 

利益を上げることの出来る有能な社員は、会社の地位と権力を手中にして、不正な行為をしてまでも、利益を追い求め、ひいては自分の収入さえも増やそうとします。 

社内で不正が見過ごされますと、会社のモラルは堕落してしまします。

こうした堕落した風潮は、会社の業績を悪くしていきます。 

人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力 の方程式で表される

人間は生まれながらにして、良い性格を持っています。しかも人間は、自分自身の欲望に負け、環境に負け、対面を気にして、知らず知らずの内に人間の道に反することを平気でやってしまうのも事実です。その為に、私達には困った時に判断基準となるべき、哲学が必要なのです。経営者は、高い倫理観に裏打ちされた経営哲学を持ち、それに基づいて自分自身を戒めると同時に、それを社員と共有できるようにするべきなのです。 

人生・仕事の結果は、考え方、熱意、能力によって決まります。能力は先天的なものですから、変えることは困難です。熱意はどうしたいという強い願望に裏打ちされたものです。能力も熱意も0点から100点まであります。 

しかし考え方には、マイナス100点か~プラス100点までがあるのです。考え方とは、どういう心構えで人生を送り、仕事をするかという事です。つまり、怒りや嫉妬、妬み、恨み、不平不満はマイナス、明るく前向きな思い、相手を思いやる優しい思いを抱く場合は、プラスなのです。この考え方がプラスですと、人生・仕事の結果はプラスとなるのです。 

能力があり、熱意もあり、自分の目標を大きく掲げ、正しい考え方をすれば、大成功するのです。能力が劣っても、熱意や正しい考え方を持っている経営者は、成功の道を歩むのです。 

経営12カ条

以下の経営12カ条を実践しますと、必ず経営は成功します。 

  1. 事業の目的、意義を明確にする

なぜこのような事業をするのか。目的を明確にすることが必要です。その目的には、一緒に働く従業員が心から受け入れてくれるような公明正大な大義名分が必要です。もし、事業目的が経営者自身の利益だけを増大させようとするものであれば、従業員は一生懸命に働く気はしなくなります。 

  1. 具体的な目標を立てる

今月の売上や利益等、目標を数値化し、必ず達成するように全従業員に訴え続けます。従業員の経営への参画を図るのです。 

  1. 強烈な願望を心に抱く

強烈な願望とは、心の底からその実現を心に描き、それが自分の潜在意識にまで透徹していくような願望のことです。 

  1. 誰にも負けない努力をする

具体的な目標を立てていますと、それに向けて限りない努力をするのです。地味な仕事を一歩一歩堅実に行うのです。 

  1. 売上を最大限に、経費を最小限に抑える 
  2. 値決めは経営

経営者は値決めをしなくてはなりません。値決めを軽く扱い、利益が獲得できなくなるようではいけないのです。 

  1. 経営は強い意志で決まる

建てた目標を安易に諦めてはいけません。目標達成の出来ないことの言い訳を決してしてはいけません。目標は必ず達成するのだという強い意志が経営者には必要です。 

  1. 燃える闘魂

常に厳しい競争にさらされている企業は、毎日が真剣勝負です。絶対に負けないという激しい闘魂が必要なのです。 

  1. 勇気を持って事に当たる

周囲の人から反対されたりしても、 “人間として正しい” と考えた時は、自分の主張を堂々と主張するべきです。正しい事を貫くためには、勇気が必要なのです。 

  1. 常に創造的な仕事をする 
  2. 思いやりの心で誠実に 
  3. 常に明るく前向きで、夢と希望を抱いて、素直な心で経営する

経営者は、決して物事を否定的に見たり、批判ばかりしてはなりません。暗い表情、不平不満、愚痴を部下に漏らすようでは失格です。否定的な言葉や心は、不運を呼び寄せてしまいます。 

 “動機が善” は、電気通信事業の成功を導きました。塾長は自分に厳しく問いかけました。そして、自分の為ではなく、世のため人の為に電気通信事業に参入しました。不利な条件下ではありましたが、移動体通信事業も成功しました。首都圏をどうしてもシェアしないトヨタグループの主張を受け入れ、首都圏以外で事業を開始したのです。争ってばかりでは、移動体通信事業が日本では育たないと考えたのです。こうした争いは日本国民の為にはならないと考えたのでした。

盛和塾 読後感想文 第五十七号

愛と誠と調和の心をベースとする 

人生・仕事において、素晴らしい結果を生み出す為には、ものの考え方、心の在り方が決定的な役割を果たします。 

人を成功に導くものは “愛” 、 “誠” と “調和” の心です。

 “愛” とは、他人の喜びを自分の喜びとする心。

 “誠” とは、世のため人のためになることを思う心。

 “調和” とは、自分だけではなく、周囲の人が幸せになるように願う心。 

愛と誠と調和の心は、誰でも人が魂の中に持っているものなのです。この思いが、私達を成功に導いていく基盤となるのです。 

新しい企業文化創生のために-役割分担の違いを認識する 

京セラが通信事業に参入した時のことです。日本高速通信、日本テレコムが同じく参入してきました。これら2社は光ファイバーを敷くインフラを持っており、大きなアドバンテージがあったのに対し、京セラの第二電電(DDI)は、何のアドバンテージも持っていませんでした。 

DDIはマイクロウェーブによる通信ネットワークの構築を目指して、大阪 - 名古屋 - 東京に致る幹線を6月に完成する予定です。本年10月には東名阪の専用回線サービスを開始する予定ですと、塾長は述べていました。2004年のことでした。すると次第に、通信回線の再販ビジネスが登場してきたのです。東京電力や関西電力などが、市内中の電柱を活用して通信事業に進出するようになってきたのです。厳しい競争状況下にあるのでした。 

DDIは、京セラ、NTT、一般企業のミドルマネジメントにいた優秀な人達等、様々な人達と通信サービスの開始に向け準備をしてきて、300人もの様々なバックグラウンドの違った集団で事業を開始しました。混成部隊から始まったのです。 

企業文化の重要性 

通信インフラの整備の問題がありました。東京から大阪までマイクロウェーブの回線を引っ張っていったのですが、東名阪を結ぶ山々の頂にパラボラアンテナを次々に立てる工事をこの冬中に終了させることが必要でした。それと同時に、土地買収問題、海外から輸入する無線通信機器や交換機などの購入費用の調達問題もあったのでした。 

三井物産、三菱商事、東京電力などの会社からも派遣していただいたので、社内調整には苦慮されたそうです。派遣社員はそれぞれ別の会社から来ていますから、異なった考え方がありますので、各部門の調整には時間と労力が必要だったようです。DDIにはまだ、企業文化、社風というものができていなく、同じ価値観、判断基準、座標軸は確立されていなかったのです。 

創業2年目のDDIには、そういう企業風土が確立されていませんでした。

 “三菱商事ではこうです” 、 “NTTではそうではありません”  “通星省ではこうです” と皆、自分の出身企業の名のもとに、意見を述べるのでした。そしてそれらが本当に、出身会社の価値観なのかというとそうでもなく、自分の考えに基づいて勝手に自分の都合のいいように、前の会社ではこうでしたと主張しているのでした。DDIには企業文化や経営理念というものがなかったのでした。 

NTTの初代社長は真藤恒(しんとう ひさし)さんですが、 “合理化の魂” と言われた人ですから、新しいNTTの社風までも変えていかれたのです。真藤さんの影響で、NTTはずいぶん雰囲気が変わり、サービスも良くなり、幹部の働きぶりも良くなってきたそうです。1人のリーダーが変わるだけで、会社全体の社風が変わり、社員の働き方までも変わってきました。これが企業文化です。 

DDIもNTTに負けずに企業文化、フィロソフィーを作り上げねばならないと考えました。しかしDDIの社員は、今DDIは機能しているし、今更企業文化は必要ではないと考えている状況でした。今は従業員が300人ほどですが、将来は何万人となります。南は鹿児島、北は北海道とDDIの従業員が入社してきます。その時に、本社のトップと末端とが同じ価値基準でモノを判断し、行動する為の規範というものができているのかいないのか。もしそれができていないとすれば、DDIはガタガタになります。鹿児島の所長はNTT出身でNTT流、大阪支店長は三菱商事流、他の支店長は自分流で仕事をしていたのでした。ですからDDIには共通の判断基準が必要だったのでした。 

見えざる部分が企業格差を生む 

経営哲学や経営理念、企業文化とは、思想的にも立派なものでなければならないと誰もが思っています。それは感覚的に思っているだけで、実際に仕事の中で経営哲学を適用して、役立てていることは少ないのです。 

企業には見える部分と見えざる部分があります。見える部分は、資金、設備、技術、人材、商品、経営マネジメントの能力です。見えざる部分は、経営者や社員が持つべき思想、モラルや意識、企業文化であり、経営哲学なのです。社員の持っている使命感や意欲、情念、根性、仲間意識、愛社精神等の、社員の人間性等が見えざる部分なのです。 

投資家、銀行、経営者は、見えるものをベースとしていろいろな経営判断をします。一般には軽視される見えない部分、企業文化も、企業が存続発展していく為には必要なのです。欠くべからずものと言えます。 

21世紀の優れた企業は、この見えない部分を重視し、企業目的や使命を社内で共有することに努め、社内の意識統一を図るようにしています。そういうことが出来る企業こそが、21世紀に生き残り、隆々と栄えていく企業なのです。 

大企業は立派な見える部分、資金、設備、人材、技術者を持っておりますが、中小企業は、この見える部分に関して劣ります。しかし中小企業にとっては、見えざる部分で素晴らしいものを作り上げることが大切なのです。 

会社の使命と目的を明確にして、社員の意識を統一していくことに最大の経営能力を注いでいくべきです。立派な経営哲学に基づいて意識統一を果たした集団を作ることができれば、集団の持つエネルギーは強大なものになります。企業の優劣はこの見えざる部分によって決まるのです。 

普遍性のある価値観とは 

仕事の中では往々にして、それぞれ自分に都合の良い価値観を持ち出す、ご都合主義の人がいます。中堅幹部クラスの人々はDDIが新しい経営理念を作ろうということに対して、あまり関心は示さないのです。しかしトップは、就任してみて従業員を養っていかなければならなくなって初めて、理念の必要性を感じるのです。トップだけが理念が必要なのです。 

DDIのトップも稲盛塾長にとって代わっていきます。トップになったからといって、社員共通の価値観をつくり、従業員の共感が得られるものではないのです。DDIはDDIの理念、価値観を正式に作らなければならないということに直面したのでした。 

企業文化、理念、価値観は経営者と従業員の双方ともが満足してはじめて、受け入れられるものなのです。つまり、普遍的な価値観であるべきものなのです。経営理念にそのような普遍性を与える為には、経営者側も労働者側も共に、共通の束縛を受けるものでなければなりません。共にある種の約束事があって、お互いに守る義務があるというものでなくてはなりません。価値観は全社員が共鳴し、共有したいというものでない限り、企業内には定着しませんし、実行もされません。 

役割分担の違いを認識する 

経営理念とは経営者と働く側にとって、それぞれ一方に都合の良いというものではなく、両方を満足させる普遍性のあるもので、会社での公平、平等を唄っているものです。公平平等性というのは、会社では皆同じ仕事をし、同じ待遇を受けるという機械的なことを意味するわけではありません。会社に働く人全てが守るべき考え方を共有するという意味です。会社の中の仕事は多岐にわたり、それぞれの役割があります。役割によって仕事が、待遇が違うのです。 

創業者だから、社長だから社用車が与えられ、運転手がつけられる、或いは勝手に交際費を使っても許されるということではないのです。仕事上の役割がある為に、社用車があり、交際費が発生するのです。会社の経営陣が勝手に会社のお金を使いますと従業員は、役員だから彼らは勝手なことが許されるのだと諦め、反発もしないかもしれません。しかし、末端の社員は経営陣の言動をしっかりと見ています。公私混同をするようなことが社内で起きてきますと、従業員も同じ事を考えてしまいます。 

社長には社長としての役割があり、その役割を演じてもらわなくてはならないのです。社用車、服装、言動にも気を配り、社長として会社の主役を演じてもらわなくてはなりません。 

仕事を開始するけじめをつける 

仕事の開始によく朝礼をやります。 “さあ、仕事の時間だ。家庭生活から頭を切り替え、心機一転頑張ろう” という “ けじめ” が必要です。心を引き締めて今日一日もしっかりと仕事に取り組もうとする心の準備が “朝礼” だと思います。 

物事をするのには、始まりと終わりに “けじめ” が必要です。仕事の始めには服装、道具、材料を確認しますし、仕事が終了する時は明日の仕事の準備が出来ているか。今日した仕事に落ち度がなかったか等と見直しをします。これらはすべて “けじめ” だと思います。 

 “けじめ” が習慣化していき、皆が暗黙のうちに納得するようになりますと、それが皆が納得する経営哲学、経営理念になり、共通の価値観、判断基準が生まれ、一人ひとりがそれを自分のものとし、実践するということが末端にまで浸透していったならば、会社の企業文化となり、社風となります。それは強制されたものではなく、自発的な行動を促し、素晴らしい企業としての力になります。 

経営は企業文化で決まる 

従業員がよく働く会社は、従業員が自ら、心の底から燃え上がってくるものを持っている会社です。社員が一生懸命に働いてくれるということは、そのような勤勉さを尊ぶ企業文化というものが、それぞれの従業員の心に染み渡っていて、自発的に燃え上がり、積極的に行動してくれる風土が出来ているからなのです。 

こうした企業風土は待遇や会社規則だけで育つものではありません。どんなに高い給料やボーナスで釣っても、人間は身を粉にしてまで働くものではありません。会社規則で縛っても、決して人間は自ら積極的に考え、行動するものではありません。内なる魂に火を点け、それを燃やし続けてくれるような価値観を作ることが必要なのです。価値観とは、人間として正しいことを貫くもの、普遍的なものであり、社員が人間として共鳴し、それを自分自身のものとして毎日の生活に、職場に取り入れていこうと思ってくれるものなのです。 

企業が高い目標を掲げ、その目標を達成する為には、従業員の自発性に依存することが必要であり、多くの燃える従業員を作り出し、ベクトルを合わせていくことが必要なのです。燃える従業員が燃え続ける為には、高邁(こうまい)な理念が不可欠なのです。 

私が塾長から教わったこと               京セラ株式会社会長 伊藤 謙介 

京セラ創業の時の話です。塾長はよく “ちょっと集まれ” と言って彼の机の周りに20~30人を集めて、2、3時間かけて我々を教育してくださいました。 

主な話は “人生とは何か”  “仕事をするとはどういうことなのか” と物事の本質を問うような話が大半でした。仕事のことについても、どういう注文が入り、どうすればその仕事を完成できるのか、どうすればもっと注文がくるのかと一生懸命に話されました。 

我々の顔が紅潮する、つまり私達が本気になるまで丹念に話をしてくださいました。 “これは魂の転移だ。自分が一生懸命に喋り、それが君たちに伝わって君たちの顔が赤くなったのだ。その代わり、自分は話し疲れて顔が青ざめてきた。しかしそれくらい情熱を込めて話さなければ、意志というものは伝わらない” 

 “未来進行形で仕事をする” 難しい注文をとってきますと、今は出来なくても、必ず出来ると信じてやり遂げなくてはならない。例えば、6ヵ月後には必ず出来るはずだと信じて努力を重ねていけば、我々の能力も上がってくるはずだ。こういうチャレンジ精神を持って、全従業員が夢と希望を持って仕事に励んできました。 

ファインセラミック業界では、日本ガイシ、日本特殊陶業が先発企業としてそびえ立っていました。塾長は、相手にドクターが50~100人いたとしても闘争心を燃やして夜も寝ないで努力をすれば、必ず競争に勝てるはずだと、全従業員を鼓舞してくださった。負けるものかと闘争心を燃やして、一生懸命に努力をしてきた結果、いつの間にか業界の先頭に立っていたのでした。 

こうした中で、経営には次のようなことが大切だと考えるようになりました。

  1. 価値観の共有を図る
  2. 革新の風土を作り、現場主義を貫く
  3. 意志のある経営を行う

 

  1. 価値観の共有を図る

企業とは従業員の意識の集合体であり、どういう意識を社員が持つのか、その意識の集合したものが企業なのです。社員がどういう意識を持って仕事をしていくのか。その意識が集まって企業文化、企業風土を作り、その会社の業績となって結晶化するのです。従業員1人ひとりが会社なのです。価値観を共有する集団こそ最強の集団なのです。 

京都にある大手企業、京セラ、村田製作所、ローム、日本電産の業績は、他の大手電機会社と比較して利益率で圧倒的に上回っているのです。これらの企業には創業者の理念というものが脈々と息づいているとしか考えられないのです。この理念こそが一番大切なのです。 

イギリスの豪華客船タイタニック号は、カナダ沖で氷山に衝突して沈没してしまいました。約2,500名の乗客の内、7~800名が亡くなったそうです。氷山はその9割が水面下にあり、水面上に出ていたのは約1割に過ぎないといいます。企業でいいますと、水面上にある目に見えるものとは、技術力、営業力、財務力等であり、水面下にある目に見えないものとは、経営理念、経営哲学だと思います。 

企業の成長を左右するのは技術力だと言われますが、それは水面上のことなのです。素晴らしい技術があり、他社にない特許を持っているというような水面上だけを見て経営をする。ここに誤解があるのです。目に見えるものは、目に見えない水面下の経営哲学、理念を持った集団が作り出したものです。従業員の意識を支える経営哲学、理念こそ、目に見えるもの – 技術力、営業力、財務力を生み出す源泉なのです。 

タイタニック号は、目に見える氷山の一部、氷塊だけを見て大したことはないと思いました。しかしその下には、巨大な氷塊が潜んでいたのです。技術過信に陥り、経営哲学を軽視して衰退していく、昨今のベンチャー企業と同じことなのです。 

企業文化、風土とは、一企業だけに当てはまるだけではないのです。例えば、浜松にはオートバイメーカーが集中しています。鹿児島の加治屋地区からは、明治維新に大活躍をした人材を多く輩出しています。一つの磁場がその地域に出来ていたのです。このように会社の中に、経営哲学、理念を共有する磁場を作ることが大切なのです。 

  1. 革新の風土をつくり、現場主義を貫く

“企業寿命三十年説” とよく言われています。大企業病です。企業は三十年も経つとだんだんぬるま湯のような居心地のいい状態になっていき、社員がそこに安住しているうちに、いつの間にか衰退してしまう。常に緊張感のある職場を作ることによって、企業の活力を蘇らせなければならないのです。 

例えば、車を運転している時、いくつ信号があったかはほとんど気がつかないと思います。しかし、注意してみると10箇所信号があったことに気がつきます。40マイルで運転していますと信号に引っかからない。しかし、50マイルだと信号に引っかかるということがあります。こうしたことは些細な事ですけれども、仕事の中でもこのように有意注意で見ますと、改善点がいくつも見えてくると思います。 

意識さえあれば、創意工夫や改善の余地は限りなくあるのです。ところが、少し努力しただけで “これ以上は無理です” とすぐに諦める。そうではないのです。可能性は限りなくあるのです。 

松下幸之助さんがまだ40代の頃、現場を回られた時のことでした。事務員の方が鉛筆の芯を向こう側に向けて机の上に置いていたのです。それを見た松下幸之助さんは “おかしいやないか。鉛筆の芯は手前に向けておかんか。何をやっとる。教育がなっとらん” と言われたそうです。新を向こう側に向けて置いておくと、使う時に鉛筆の向きを手で変えて、手前に向けて使うようにしなけらばならない。それでは時間がもったいない。鉛筆の芯は手前に向けて置き、すぐに使えるようにしなさいということでした。 

わずかコンマ数秒のことを伝えることにより、モノづくりの哲学を言われたに違いないと思います。現場が、こうした問題意識が沸き起こるような緊張感のある職場となっていなければ、革新的なことも決してできないのです。 

机の並べ方についても塾長は厳しく指導されていました。糸を引っ張って机が真っ直ぐになっているか何回もチェックされました。 “机の際がビシッと揃っていなければ、手の切れるような製品は作れない。心が曲がれば製品も曲がる” 私も退社する時はできるだけ書類は置かないように、また置く場合には直角に置いて帰るというのが習慣になっています。条件反射です。 

  1. 意志の経営

1995年、急激な円高になり、1ドル160円から79円になりました。京セラは輸出依存度が40%と高いのです。しかも京セラでは “為替リスクは全て京セラが被る” と言う考え方ですから、1ドル167円で作っていたものを半値で作らなければならなくなったのでした。京セラ創業以来初の赤字に転落すると考えたのでした。しかし京セラは絶対に白旗は上げない。 “リーダーが厳しい環境を意識するのはよいが、決してもう駄目だという事は口が裂けても言ってはいけない” と幹部に指示しました。 

 “経営とはメンタルゲームだ” と塾長は言いました。まさにどういう心理状態の集団になるかによって、業績は変わっていきます。リーダーが白旗を上げたらその集団の業績が良くなるはずがないのです。とにかく円高を乗り切る為にどうするか、皆で考えようと必死になって働いたのです。 

日本海に佐渡島があります。罪人が遠島の刑に処せられた未開の孤島でした。そこに日蓮上人や世阿弥達が流されたのです。逃げ場のない所に自分を置き、島に流された時、自分に対峙することで自分の内面を凝視し続けていったのです。 

京セラは円高に対して絶体絶命のところに自分を追い込んで見事に従来の半値で作ることが出来るようになり、円高を乗り切ることが出来たのでした。自分の心の中に逃げ場のない言い訳のない世界を作ったのです。半値で作る事を誓い、逃げ場のない所に自分を追い込むことで達成不可能と思われたことでも達成できたのです。こうした中にこそ、本当の人間成長があると思いました。

盛和塾 読後感想文 第五十六号

動機善なりや、私心なかりしか 

大きな夢を描き、自分の目標を持ち、計画する時、 “ 動機善なりや” ということを問わなければなりません。動機が周りの人、お客様、社会にとって善きことかどうか、自問自答してみるのです。善とは誰から見ても善きことであり、世のため、人のためになることです。自分の利益や都合(私心)というものではなく、自他共にその動機や目的が受け入れられるようなものでなくてはなりません。 

仕事を具体的に進めるに当っては私心なかりしか、自分の心、自己中心的な発想で進めていないか、点検するのです。 

動機が善であり私心がなければ、必ず良い結果が生まれる、必ず成功するといわれています。 

経営者は大義名分を持て 

経営にとって最も大切なことは、 “次元の高い崇高な企業目的を掲げる” ことです。企業の目的とは、大義名分のある、誰もが心から共鳴できるもので、普遍的に正しいものでなければなりません。 

大義名分とは、行動の理由づけとなるはっきりした根拠、人のふみ行うべき重大な道義をいいます。 

周りの人の力を得て京セラを創業

ファインセラミックを開発した塾長を支援しようと、7人の同僚と共に京セラを立ち上げました。元の上司が彼の友人を説得し、資本金を集めてくれ、しかもその内の1人は自分の家屋敷を担保にしてまで、運転資金を用意してくださったそうです。 

京セラは、創業1年目から黒字計上することが出来ました。しかし、黒字にはなったものの、唯一の製品であるブラウン管に使う絶縁材料の注文がいつ何時途絶えてしまうかもしれませんでした。松下からの毎月の注文はまさに命綱だったのです。他の競争会社が出来ないものを “出来ます” と言って、出来ないかもしれない注文を受けて、必死に開発し、納品していったそうです。 

借金を返済することに一生懸命努めた結果、京セラは10年経たないうちに無借金で高収益の優良会社と言われるようになったそうです。 

企業の本当の目的に気づく

京セラ設立時に塾長は、新しい会社を作っていただいたのだから、今度は “堂々と稲盛和夫の技術を世に問う会社にしよう “と考えました。そしてその目的を清書して、他の従業員7人と共に血判を押したそうです。 “もし京セラが経営に行き詰まるようになったら、みんながアルバイトしてでも稲盛さんの研究だけは続けさせてあげよう” と、それを合言葉にして仕事に励んだそうです。 

京セラ創業3年目の時、高卒の従業員11人が反乱を起こしたのです。昇給の保証、ボーナスの保証等を要求してきたのでした。11人が血判状を提出してきたのです。 “約束はしてあげたいけど、私にはできない。私自身が先頭に立って、本当に毎日毎日頑張ってやっと会社が回っている状態なので、約束できるはずがないだろう” と説得しようとしました。11人は、 “今ここに書いてきた条件を保証してくれなかったら、今すぐにでも辞める” と言ったそうです。そして、彼らに二間の市営住宅まで来てもらい、3日3晩話し合ったそうです。 

 “保証してあげたいのは山々だけど、それはできない。きっと将来みなさんのためになるようにしてあげるつもりだから、私を信用してついてきてほしい。もし私がみなさんを騙すようなことがあったら、私を殺しても構わない” 、やっと彼等は要求を撤回してくれたそうです。 

京セラを “稲盛和夫の技術を世に問うための場” と位置付けて作ったのに京セラの全従業員の生活を保証することを約束されたのでした。 

塾長の実家も貧しく、毎日送金をしていました。自分の家族だけでなく、従業員の家族の面倒も見なくてはいけなくなったのです。従業員の将来の生活まで保証しなければならないということが企業経営なのだと知り、この時 “技術を世に問う” だけの甘い物ではないのだと悟ったのでした。企業経営の真の目的は、私の夢を実現するというものではなく、ましてやその経営者一族の私腹を肥やすことでもない、従業員の生活を守ってやることが会社の目的とならざるを得ないということに気づいた事件でした。 

世襲制はとらない。京セラは私の家族や一族を富ませるためのものではない。だから血縁者を後継者に選ぶことはしないということになったのです。 

こうして会社経営の目的 “全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類社会の進歩発展に貢献する” これを京セラの経営理念としたと塾長は述べています。 

これは塾長自身のためにという利己的な経営から、人様のためという利他的な経営への転換でした。 

こうした崇高な、高邁(こうまい)な目的を持っていますと、従業員に対して何の気兼ねもせず、堂々とリーダーシップを発揮し、共に努力が出来るようになりました。私心を離れた高い次元の目的を明確にした為、従業員に強く要求できるようになり、従業員も心から経営者を信頼し、安心して業務に邁進(まいしん)することができたのでした。それは、経営の目的が大義名分を備えているからです。誰もが心からその実現を望み、その実現のためには如何なる苦労もいとわず、努力をしようと思えるような理由が、大義名分の中にあるからこそ、全従業員の力を一つに合わせることが可能なのです。 

当初京セラには、資金も技術も経験もありませんでした。一つにまとまった従業員の心が唯一の財産でした。大義名分は全従業員の心を一点に集結させるために大いに役立ったのです。

企業には “高邁な目的・意義、つまり大義名分が必要なのだ” ということが京セラの経営の中で苦しみぬいて到達した結論でした。 

それと同時に、大義名分 - 企業の目的 - が公明正大であればあるほど、追及する方法も公明正大でなければならないのです。公明正大に企業は利益を追求しなければなりません。大義名分は言葉だけではなく、公明正大に実行して利益を計上して初めて意味があるのです。利益がなければ企業の目的 “全従業員の物心両面の幸福” を達成することはできないからです。 

第二電電を創業

1984年、日本は電気通信事業の自由化という大きな転換期を迎えていました。電電公社がNTTへと名前を変え民間会社になるのと同時に、電気通信業界への新規参入が認められることになりました。日本の通信料金の水準が世界的に見てあまりにも高かったのです。そしてそれが、国民にとって大きな負担となっていたのです。 

これは電電公社が電気通信業を独占している為に起こっているわけですから、どこかの大企業がNTTに対抗して日本の通信料金を引き下げるチャンスなのでした。そうすることで競争が生まれ、国際的にも合理的な通信料金にすることが国民から望まれていたのです。しかし、膨大な設備技術が必要であまりにもリスクが大きい為、一向に誰も参入しようとしないのでした。その時、京セラが手を挙げたのです。 

NTTは33万人の従業員、京セラは1万2千人の従業員です。京セラはあまりにも脆弱(ぜいじゃく)でした。しかしそれと同時に、京セラのようにベンチャー企業として起業し、チャレンジするチャンスでもありました。 

しかし、実際に着工するまでには6カ月の時間を要しました。電気通信業参入は大衆の為に通信料金を安くしたいという純粋な動機からだけなのか、 “動機善なりや、私心なかりしか” と塾長は自分自身に問い詰めたのでした。日本の通信料金を安くして、国民の負担を軽減するというのは、本当の目的なのか。そこに私心はないか。自分を世間によく見せたいという私心はないか。自問し続けました。 

京セラ以外にも2社が手を挙げました。京セラが作った第二電電は不利な立場でした。経営者に通信業界での経験がない事。他の2社と比べて、通信のインフラや、通信技術の蓄積がない事という理由でした。 

旧国鉄を中心とした日本テレコムは、新幹線、鉄道路線沿いに光ファイバーを引けば、東京、名古屋、大阪に高速通信ネットワークが出来ました。日本高速通信は、道路公団、建設省を中心に、東名、名神の高速道路の側溝沿いに光ファイバーを設置することが出来たのでした。 

しかし、第二電電は、大阪、京都、名古屋、東京間の山頂にパラボラアンテナを据えて、マイクロウェーブという無線を使って通信ネットワークを整備することにしました。 

ところが、マイクロウェーブの電波は政府機関 - 自衛隊や米軍 - が使っており、勝手にパラボラアンテナから電波を飛ばすと混線して大混乱が起こってしまうのです。さらに、どの無線が何メガの周波数でどのルートで飛んでいるのかは、国家機密として公開されていないのです。こうした中で、マイクロウェーブのルートを見つけていかなければならないのでした。 

そんな時、友人である当時電電公社の総裁、真藤さんが助け舟を出してくれたのです。NTTは光ファイバーを新しく敷こうと思っているので、マイクロウェーブのルートは要らなくなって、ルート情報を第二電電に教えてくれたのでした。 

こうして山の頂にパラボラアンテナの鉄塔を建てていったのでした。これにより、同業他社が光ファイバーを引き、簡単に作るのと同じスピードで、マイクロウェーブの通信ルートを完成させたのでした。 

大義名分が多くの人の力を呼ぶ

新電電三社の中で、第二電電は最も優れた業績を上げて、先頭を走り続けています。ではどうして第二電電は最も不利な条件を覆(くつがえ)して、業界トップに立つことが出来たのでしょうか。 

それは、 “全従業員が自分たちの利益の為ではなく、国民のために役立つ仕事をしたいという企業目的、つまり大義名分を共有し、懸命に努力を続けてくれたからだと思っています” と返答したそうです。第二電電創業の時から “国民のために長距離電話料金を少しでも安くしよう。たった1回しかない人生を意義あるものにしようではないか” と従業員に事あるごとに語りかけました。 “百年に一度あるかないかという大きな歴史の転換期に、大きなチャンスを与えられている。このチャンスを活かそう” 

創業から9年、1993年に第二電電は上場を果たしました。その時、第三者割当増資を行い、創業来、身を粉にして働いてくれた一般事務職員、社有車の運転手さん、全従業員に第二電電の株を額面で購入する機会を与えました。 

しかし、創業者である塾長は第二電電の株を1株も購入することはありませんでした。創業の理念が “国民のために通信料金を安くする” “動機善なりや私心なかりしか” だったからです。経営者である本人が上場によってキャピタルゲインを手にしてしまえば、やはり金儲けをしたいから第二電電をつくったのだと思われてしまいます。 

その後、第二電電は、国際通信会社KDDと携帯通信会社IDOと合併し、KDDIという新しい会社を作ることになったのです。合併に当っては “小異を捨てて、大同につく” ということに賛同してもらい、NTTに対抗する勢力をつくり、日本の通信業界の健全な発展のために尽くそうという大義名分に基づき、大同団結を図ったのです。 “平成の大合併” という三社の合併が実現したのでした。 

 “企業経営には純粋な思いに端を発した高邁(こうまい)な目的、すなわち大義名分が必要である” ということが第二電電の成功で証明されたと思います。経営者が大義名分を持ち、それを社員と共有するということは、企業にエネルギーを与え、発展をもたらすだけでなく、企業倫理の崩壊をも防ぐのです。

盛和塾 読後感想文 第五十五号

一隅を照らす 小田 全宏(ぜんこう) 

日本政策フロンティア代表 小田さんは、私の好きな言葉は “一隅を照らす者、これは国宝なり” – 天台宗(てんだいしゅう)を開いた伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう)の言葉 - であると書かれています。 

限りある人生の中で、“自分から始める” と決意すると、力が湧き出てくると語っています。小田さんは、日本の民主主義を育てる “公開討論会” の全国普及に取り組まれてこられました。一般市民、学生、主婦が立ち上がり、素晴らしい成果を残しているそうです。一人の力では何もできないけれど、一人が始めなければ何も始まらないと、行動されました。凄いことです。これを “草莽崛起(そうもうくっき)”  と言います。

“草莽” とは、草叢(くさむら)、民間、在野(ざいや)の事、“崛起” とは、山などが高くそびえ立つ事。つまり、民間、在野から事が始まるのです。 

私達にとって今の日本の政治は信頼できないと思う時、実はその責任の一端は私達国民自身にあります。批判や諦めからは何の解決も導きません。 

一人ひとりの行動は、社会の一隅を照らすだけです。しかし、一つひとつの明かりが無数に寄り集まったら、国全体を照らすようになるはずです。諦めず、辛抱強く、コツコツと自分の明かりを燃やし続ける事が大切なのです。 

会社経営の中でも、例えば5S(整理・整頓・清掃・スタンダード(尺度)・躾)を提唱し、会議で決定、文書化し、標語にして社内に張り出しても、同僚や仲間が5Sを実行してくれないことがあります。その時、社長自ら垂範して、従業員のお手洗いの清掃を毎朝するというケースがありました。社長は1人で2年間続けたそうです。3年目になって、会社の専務が従業員のお手洗い清掃作業に加わったそうです。そして、やっと5年が経ち、全従業員が5Sを各職場 – 工場、倉庫や事務所 – で始めるようになったそうです。 

危機感なき日本人よ 今こそ目覚めよ! 

救国会議九人委員会を立ち上げた塾長は、こう語っています。

経営でも社会を良くするという点で立派な人間を育成することを考えなければならない。事業で、才気煥発(さいきかんぱつ)で弁も立ち、成功した人が、天狗になり後日失敗して没落していく例が多い。 

政治にしても、“構造改革をします。反対する者は自民党であっても潰します。私が潰れるか、自民党が潰れるかだ” と啖呵を切った小泉首相も、官僚に依存して結局何もできなかった。 

日本国民が国民運動を盛り上げて、日本を変えていかなければ日本は変わらない。

盛和塾は全国展開をしており、立派な経営者を育てる努力をしています。本当に頼れるのは自分達だという思いで盛和塾のメンバーは頑張っているのです。 

盛和塾は、経営指導を通じて立派な経営者を育て、正しい日本政策に貢献してきています。 

盛和塾は日本、アメリカ、中国、ブラジルの経営者に、“人間として何をするべきか” を指導し、塾長はこのとてつもない大きな目標(日本政策)を自分のできる範囲内で、行動に移してこられました。 

私達経営者一人一人が立派な経営をする。経営者として、人間として成長することが、より良き日本を創ることに役立っていくと信じています。 

 

我々が目指すべき商人道 

社会に残る企業経営者への偏見

日本では、企業経営者は何かうさん臭い事をして、利益を上げようとするという目で知識人や社会人と称する人々が見ていることが多々あります。一般の人の中にも、経営者を蔑視(べっし)されている方々が多いと思います。 

日本での規制緩和に向けた動きの中でも、株式会社が学校経営や病院経営に参画するのに、政府の規制があります。政府官僚は、株式会社は株主の利益を優先して考える為、学校経営や病院経営という社会的な事業を営むのは似つかわしくないと考えているのです。 

江戸時代の京都で、石田梅吉という人が “商人道” という経営哲学を説き始めました。石田梅吉は、“まことの商売は、先もたち、我もたつことと思うなり”と言っています。 

“本当の商売というのは、商売をする相手も上手くいき、自分自身も上手くいくというものでなくてはならない。相手も儲かり、自分も儲かるという事が誠の商売であり、自分だけが儲かれば良いというこのでは決してないのだ” 

“売利を得るのは承認の道なり。承認の売利は武士の禄に同じ。売って利益を得るのは商人の道なのだ。また、その利益は侍が殿様から頂く禄高と同じであり、正しい報酬なのだ” と説いているそうです。 

江戸時代には士農工商という身分制度がありました。武士、農民、工業(職人)、商売人という順番でした。この制度では、商売人が最下位に位置付けられております。江戸時代は300年続いたものですから、人間の考えはそう簡単には変わらないのです。商売人は、貪欲に、がむしゃらに、自分の利益を追求する下品な階級であると見放されてきました。したがって、経営者には公共の利益の為の学校教育、医療サービスには似つかないという偏見があるのです。 

資本主義社会の中では、株式会社の株式は株主のものです。株価を最大にする、また、配当金を受け取ることが株主の最も望むものです。これが、会社経営の目的であると考えられているのです。 

企業経営者が、一生懸命に仕事に精を出し、最大の利益を上げようとするのは当然の事なのです。もし、会社が利益を上げなければ、会社は破綻してしまいます。その為に資本家は経営者に、利益を上げ、株価を最大限にするよう、要求するわけです。そして、資本家は労働者を搾取してでも、自らの富を増やしていくという見方がここから生まれたのです。“企業経営者は所詮、利益を追求することが目的です” と周囲から見られるのです。 

経営者は利他行をしている 

塾長は、京セラ設立間もなく、若手従業員から待遇改善を要求されましたが、待遇改善要求が受け入れられない不合理なものであるとして拒絶しました。しかしその時、若手従業員の要求を真摯に受け取り、三日三晩語り合ったそうです。その結果、企業の目的とはどうあるべきかを考えました。それは “全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類・社会の進歩・発展に貢献すること” と定めたのでした。 

企業は、大義名分のある会社の目的・意義を持つべきだと塾生に語ってきました。経営者とは、そのような大義名分を持って素晴らしい事をしている人達のことなのです。経営者は多くの従業員を雇用して、懸命に努めています。それはまさしく、利他行なのです。 

経営者は自分が豊かになる為に、従業員を酷使しているのではなく、率先垂範して、自分自身が骨身を惜しまず汗水を流して、経営に尽力することによって、従業員とその家族を守り抜いているのです。 

塾長は、“京セラの目的は経営者一族/株主の利益を最大にするというのではなく、従業員の物心両面の幸せを追求することにある” と語っています。株式上場した時には、株価が重要視されますが、株式価値は会社が発展し、立派になれば自然に上がっていくものです。株式価値が上昇すれば、株主も満足します。 

企業経営というものは、従業員を搾取し、劣悪な労働環境で働かせ、経営者だけが儲かるというものではないのです。むしろ、従業員に喜んでもらえるように努める事こそが経営の基本なのです。

 利益追求の為なら何でもする経営 

経営者の一部には、利益を追求する為には人間としてしてはならない事までをもする人がいます。 

お客様の弱みにつけ込んで不足している品物を高い値段を付けて売り、不当な利益を得る。相手の窮地を利用して自分の富を増やそうとするのです。 

品質の悪い商品をあたかも良品であるかのように見せて売りつけ、不当は利益を得る。賞味期限を改ざんして売る。良品の中に不良品を混ぜて売る。建設業界等で手抜き工事をする。 

こうした一部の経営者の話が、新聞やテレビで一般に公開されますと、一部の人々は、経営者とは姑息なことをする人々だと思ってしまします。  

人間として正しい事を正しく貫く 

人間として正しい事を貫くということは、経営者が心を磨き、人間として正しい事を貫いていくという事です。企業経営というのは、従業員を雇い、社員を幸せにする利他行であり、その方法も人間として正しい道を踏まえたものであるべきです。 

したがって、利他行に励む経営者は、社会・人類に貢献しているわけですから、公的な事業、例えば学校経営、病院経営についても正々堂々と参画していく資格も能力も、誠意も、立派な考えも持っているのです。 

盛和塾生だからこそできる 真の経営 

病院経営においては、医師免許を持った者でなければ病院を経営してはならないという規則があります。ところが、医師が経営している病院が不必要な薬を患者に売りつける、治療していないのに治療したとして報告する、不注意による事故発生、誤った投薬、患者の取り違い等、枚挙にいとまがないほど問題を起こしています。こうした医師経営者に利他の心はなく、利私の心、貪欲な心で経営をしているのです。 

病院を経営する医師も、勤務医も、看護師も皆、骨身を惜しまず努め、利益を上げる。病院経営においても、不正をして利益を追求するのではなく、厳しいルールを自分に課し、人間として何が正しいのかを判断基準として、利益を上げていく事は可能なのです。 

盛和塾の塾生は、利他の心、立派な経営哲学を学んでいますから、病院経営も可能なのです。 

人間として正しい道を貫けば、自然と利益はもたらされる 

論語に “利によって行えば怨(うらみ)多し” ということが書かれているそうです。利益だけを追求すれば必ず怨みを買うという意味です。安岡正篤(まさひろ)先生も“真の利は義に基づくものだ” と言われているそうです。 

“義” とは、道理、人間の行うべき筋道、人道、公共の為に尽くすという事です。 

論語の中に “君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る” という言葉があります。“喩り” とは、抜け目がなく、才気をほとばしている状態の事です。君子(立派な人)は “義” に基いて様々な行動をする。小人は “利” (私利)に基いて行動する。小人は子供、まだ立派に育っていない人の事です。これに対して大人は、人間として立派に成長した人の事を言います。 

君子は一見、利を追いかけているようですが、実は義を追いかけているのです。人間として正しい道を貫けば、自然と利はもたらされるのです。 

経営をしていく時には、経営第12カ条の第1条 “事業の意義、目的を明確にする” 、“大義名分” のある理念、目的を立てるべきなのです。  

自利・利他の経営判断が成功を導く 

経営者の多くは、以下のような考えで経営判断をします。

  1. 状況判断をする/分析、解析をする
  2. 経営者自身の誇りや名誉、尊厳を基準にして判断する
  3. 会社にとって得か損かを判断して、結論を出す 

塾長は、“卑怯であってはならない”と考える事、更に “相手の得になるかどうかという先を考え、それを判断基準にしてきた” と語っています。会社の損得からの判断ではないのです。相手の利益を考えて結論を出すという事なのです。 

自分の利益を得ようと思うならまず、“利他” が要るのです。つまり、他人の利益の方が自分の利益よりも先行しなければならないのです。 

お客様と交渉したり、従業員を説得する時に最も大事な事は、誠実さ、謙虚さ、素直さと同時に、相手を思う “思いやりの心” “慈しみの心” が不可欠であると塾長は述べています。 

優しい思いやりの心は、強大な力を持っている 

相手が悪い人 - 例えば貪欲な人 – の場合ですと、こちらが素直で思いやりの態度を示すとかえって、相手につけ込まれることがあると思います。 

しかし、ほとんどの場合、“利他” の心で相手の得を先に考え決断すると、必ず成功するのです。塾長の経験では、相手の得を考えて結論を出したことは、全て成功してきたそうです。 

悪い人は世の中にはいないと考えてもよいかなと思います。自分自身が “利他の心” を持ち、日頃から一生懸命努力し、謙虚に反省する毎日を通し、自分の人格を高めるようにしていますと、接触している悪い人でも、身を正さなくてはならなくなると思います。悪い人も変わると思います。相手の人も自分の非に気が付くと思うのです。 

優しい思いやりの心は、立派な人格者が発揮しますと母の愛にも似て、強く荒れくれた連中にも優る強大な力を持っています。相手の人から信頼される、相手の人が、自分が“思いやりの心”で接していることに気が付く。こうした事は強大な力となるのです。 

 

人生の心理 - 人生は心に描 思いによって決まる

心に何を描くか

心に描く“思い”、“考え”、“夢”、“想像”、“ビジョン”、“希望”、或いは心に抱く “哲学”、“理念”、“思想” というものによって、人の人生は決まってきますと塾長は語っています。 

中国、民の時代の哲学者、袁了凡(えんりょうぼん)の著した “陰隲録(いんしつろく)” の中に書かれている事 –人生には運命があるが、それはその人の考え方や思いによって変化する。善き思いに基づく善き行いは、善い結果を生み、悪しき思いに基づく悪しき行いは、悪しき結果をもたらすという、“因果の法則”が厳然と存在しているのです。心の中に描く思いが善きものであれば、それは行動として表れ、その行動が人生に善き結果として表れるのです。 

人生の中では、幸運にも、災難にもあいます。幸運であれ、災難であれ、それは神が与えてくれた試練ではないでしょうか?その試練が幸運であった時は、感謝の気持ちを持ち、慢心せず、謙虚さを失ってはなりません。災難に遭っても嘆かず、恨まず、腐らず、妬まず、愚痴をこぼさず、ただひたすらに明るく前向きに努力をするのです。 

良い時も悪い時も、心の中に常に善き想念を抱き続けることで、人生は更に素晴らしいものになっていきます。 

常に心に善き思いを抱き続ける為に

人間が常に善き思いを抱き続ける為には、どうしたらよいかを考えてみる必要があります。その為には心を磨き、魂を磨き、心を高めることが必要なのです。 

心を高める為には:

1. 自分自身の理性でもって、人間としての正しい生き方をする

人間としてのあるべき姿を繰り返し繰り返し自分自身に訴えていく事。先賢(せんけん)の教えなどを通じて常に誠実であれ、正直であれ、素直であれ、謙虚であれ、努力家であれ、人に親切であれ、公平公正で正義を重んじ、感謝の気持ちを持ち、希望に満ち、理性でもって自分に訴え続けるのです。学び続けるという姿勢が、心を磨き、高める為にどうしても必要な事のです。 

2. 常に我々の心の中に出てくる本能に基づく 利他心を訴える

仏教で言う、貪(どん)、瞋(じん)、癡(ち)という本能を抑えることです。“貪(どん)” とは、際限なく貪(むさぼ)ることです。“瞋(じん)” とは、怒り狂うことです。“癡(ち)” とは、妬み、嫉(そね)み、つらみ、嘆き、腐り、不平不満を言うことです。 

本能心から出てくるこれら三つの煩悩は、理性で抑える、魂で抑えるようにしなければなりません。本能に基づく利己的な心が無くなれば、魂の中に利他という空間が生まれてくるそうです。利他とは、優しい思いやりに満ちた心です。 

優しい思いやりの心は “真善美” を求める心であり、それが利他の本質なのです。つまり、世の為、人の為に尽くすとは、善き思いを抱き、善き行いを他人様の為にすることなのです。 

3. 自分自身が一生懸命精魂込めて自分自身の仕事に打ち込む

一心不乱に雑念、忘念を忘れ、目の前の仕事に打ち込んでいきます。一心不乱に仕事に打ち込みますと、自分の心を磨くこと、魂を磨くことに役立つのです。 

お釈迦様は、自分の心を磨き高める為の方法として常に心に善き思いを抱き続けるために、六波羅蜜(ろくはらみつ)の教えを説いておられます。

           布施(ふせ):他人様に施しをすること。

   人助けをするのです。つまり、利他行です。

  1. 持戒(じかい):人間としてやってはいけないと定めた戒律を守ること。貪(どん)、瞋(じん)、癡(ち)はたとえ人生に百害があったとしても、一利たりともありません。利己的な心が生まれないようにする等、戒律を守ることです。例えば、“盗んではいけません”、“殺生(せっしょう)をしてはいけません”という戒律があります。
  2. 精進(しょうじん):仕事に一心不乱に打ち込むこと。
  3. 忍辱(にんにく):どんなに苦しい事があっても、それに耐え忍ぶこと。
  4. 禅定(ぜんじょう):忙しいままに生きるのではなく、一日のうち、少なくとも一回は心を静かに安定させること。
  5. 智慧(ちえ):宇宙の真理のこと。

智慧は、布施、持戒、精進、忍辱、禅定に努めることにより得られるの

です。 

利他の心で夢を描き、誰にも負けない努力をする 

我々の人生は心に描く思いや考え方によって決まります。 

優しい思いやりに満ちた心、世の為、人の為に尽くそうとする素晴らしく美しい利他の心を奥底に持ちながら、一方ではこんな人生を生きていきたいという、熱烈な夢や希望、目的を掲げ、それに向かって誰にも負けない努力をひたむきに続けていけば、必ずその夢は成就します。 

誰でも素晴らしい人生を歩むことが出来るのです。

  1. 利他の心
  2. 夢、希望、目的
  3. 誰にも負けない努力

上記3つのことを実行することで、善き思い、善き行いが人生を好転させ、運命を変えていきます。 

京セラの経営スローガンと 思いの成就 

京セラの経営スローガンの歴史を振り返ってみます。

1959年 創業

創業間もなく、従業員の血判状に応えて、現在も京セラの事業目的である、全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類社会の進歩発展に貢献する を定めました。 

1974年 多国籍元年

東証一部上場を果たし、海外展開も開始。グローバル展開を加速するスローガン 

1975年           

真の京セラへの飛躍の年 

上場企業の中でも成績が良く、社会から立派な会社だと評価されました。 

1976年          

謙虚にして驕らず、さらに努力を現在は過去の結果、将来は今後の努力で

京セラは、1975年に社会から立派な会社であると言われましたが、人心を引き締めようとしたのでした。 

現在、素晴らしい会社と言われているのは、我々の過去の努力の結果であって、将来は今から我々がどのくらい努力を積み重ねられるかによって決まる。そうして、現状に慢心しない様に心掛けたのです。 

1977年            

この頃から京セラ成長のスピードが鈍化し始めました。 

1978年          

潜在意識にまで透徹するほどの強く持続した願望・熱意によって、自分の立てた目標を達成しよう

 思いは成就するのですが、その為には思いが強固なものでなければなりません。潜在意識にまで透徹するほど強く持続した願望・熱意でなければ、決して実現はしません。 

しかし、スローガンだけでなく、人間として正しい事を正しく追及する。

こうした人間としての正しい規範というものも同時に、社員に説いてきました。 

1979年 創業20年 

謙虚にして驕らず、さらに努力を。(現在は過去の結果、将来は今後の努力で)

潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望・熱意によって、自分の立てた目標を達成しよう!という2つのスローガンを掲げました。 

慢心をしないように、成長スピードを持続できるようにする為のスローガンでした。 

1980年

人生の結果・仕事の結果=考え方×熱意×能力  という方程式を社員に提示しました。

能力とは先天的なものであり、今更変えることは出来ません。しかし、どうしてもこうありたいと考え、努力を重ねる熱意は変えることが出来ます。また、考え方も、今すぐにでも変えることが出来ます。その考え方によって人生は大きく変化していくという事に気が付きました。 

福沢諭吉の言葉、“思想の深遠なるは哲学者のごとく、心術の高尚(こうしょう)正直なるは元禄武士のごとくにして、これに加うるに、小俗吏(しょうぞくり)の才能をもってし、さらに加うるに、土百姓の身体をもってして初めて、実業界の大人(だいじん)たるべし” 

“立派な企業人は深遠な思想を持ち、その心根は素晴らしく高尚で正直で、主君の為に命を投げ出すことの出来る武士のような人であり、気の利いた小俗吏の才能を持っている人であり、さらに土百姓のような頑健な身体さえ備えている人である” と福沢諭吉は語っています。 

1981年          

潜在意識にまで浸透するほどの強い持続した願望・熱意によって自分の立てた目標を達成しよう。人生の結果・仕事の結果=考え方×熱意×能力 

1982年          

新しき計画の成就は、ただ不屈不撓(ふくつふとう)の一心にあり。さればひたむきにただ想え。気高く、強く、一筋に”というスローガンでした。                       

人生においては、必ず“思い”というものは実現します。その “思い” は強ければ強いほど実現します。さらに、その “思い” は気高くなければなりません。つまり、強烈で美しく、善き“思い”が根底にあって出来た計画でなければならないのです。 

1983年          

あらゆる可能性を限りなく追及することによって、卓越した先見性を身に付けよう 

先見性を身に付けることにより、より創造的な仕事に結びつけることができるようになるのです。 

疑いや恐怖を抱かず、善きことを強く思う 

人生は心に思い描いた通りになるという真理、またその思いが強ければ強いほど、“思い” の実現が早くなるのです。強く思い、努力をしていく事が大事なのですが、自分が立てた目標に対して、少しでも疑いを持ったり、“できないのではないか” という恐れを微塵も抱いてはなりません。疑いや迷いを持てば、その “思い” は絶対に成就しないのです。 

心に描いた通りの結果が生まれる人生の法則 

ジェームス・アレンが書いた本、“原因と結果の法則”(サンマーク出版 坂本貢一・訳)の中で、こう述べています。 

“人生には心に描いた通りの結果が生まれるという法則がある” 

“優れた園芸家は庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育み続けます。

同様に私達も、もし素晴らしい人生を生きたいのなら、自分の心の庭を掘り起こし、そこから不純で誤った思いを一掃し、その後に清らかな正しい思いを植え付け、それを育み続けなければなりません”

盛和塾 読後感想文 第五十四号

試練を通じて成長する 

塾長は “人生を終えるときに、立派な人格者になった人もいれば、そうでない人もいる。人生を歩む中で、自らを磨き人格を高めることができたかどうかです” と語っています。 

人間は生まれた時は原石のようなもので、後天的に磨き上げることではじめて、素晴しい人格者になります。 

人間は“試練”に遭遇し、その中で努力し、困難なことを経験することが人間を大きく成長させるのです。“試練”はそうしたチャンスを与えてくれます。偉大なことを成し遂げた人は、必ず試練に遭ったと言われています。 

塾長は鹿児島県出身の西郷隆盛 - 明治維新の功労者の例をとり、試練が、西郷隆盛きたえ、人格を高めたことを述べています。 

友人と共に海に身を投げ、自分だけが後に生き延びてしまったことに西郷隆盛は心を痛めたそうです。また、島津藩の島津久光の逆鱗(げきりん)に触れ、2度も遠島の刑に服しました。そのような逆境の中でも西郷隆盛は東洋古典の耽読(たんどく)を通じて苦難に耐え、人格をひた向きに高める努力をしたといわれています。 

遠島の刑を許されて、島を出た西郷隆盛は人格と識見を備えた人物として人々の信望を集め、やがて明治維新の立役者になったそうです。 

苦難に直面した時に、打ち負かされて自分の夢をあきらめてしまい、妥協してしまうことがあります。その苦難に対して苦労をものともせずに、努力に努力を重ねていくのかどうかが人生の分岐点になるのです。 

成功さえも試練なのです。成功した結果、地位に驕(おご)り、名声に酔い、財に溺れ、努力を怠り、反省を忘れ、その後の人生は地に落ちたようになる人が多くあります。成功する “試練” に対しても苦難が伴うのです。 

困難に直面した時、成功した時、これを “試練” として考えるべきなのです。苦難に対しては真正面から立ち向かい、努力を怠らず、精進を積む。成功に対しても謙虚にして驕らず、真摯に努力を続け、反省を怠らないことを忘れてはいけないのです。 

試練は、神様が、我々に与えたものかも知れません。そして神様は我々の言動、人生を見つめているように思います。