盛和塾 読後感想文 第101号

 

利他に徹し広い視野を持って経営を行う

会社のためという“利他の行い”も会社のことばかりだと社会からは“会社のエゴ”と見える。家族のためという個人レベルの利他も、家族しか目に入っていなければ、社会から見れば“家族のエゴ”、家族だけがよければよい、というエゴになってしまいます。

 

そうした低いレベルの利他にとどまらないためには、より広い視点からの物事を見る目を養い、大きな単位で自分の行いを相対化して見ることが大切になってきます。

 

たとえば自分の会社だけ儲かればよいと考えるのではなく、取引先にも利益を上げてもらい、さらには消費者、株主、地域社会の利益にも貢献する経営を行う。また個人よりも家族、家族より地域、地域よりも社会、さらには国や世界、地球や宇宙へと利他の心を可能な限り広げ、高めていこうとする。

 

こうして視野を広めて行動することは、廻り廻って自分の会社の成功・発展や個人その家族の幸せに貢献すると思われます。

 

より広い視野を持つことができ、周囲の様々な事象について目配りができるようになってくる。そうなりますと、客観的な正しい判断ができるようになり、失敗も回避できるようになってくると稲盛塾長は述べています。

 

経済変動を乗り越え、成長発展をする経営

 

いかにして経済変動を乗り越えるか

世界経済は昨年(2008年)9月の米国の金融危機以来、急速に悪化の一途をたどり、実体経済に飛び火し、世界同時不況の様相を呈してきました。この時期景気は最悪期を脱し、回復基調にあるとの見方が一般的となってきました。しかし、米国の景気動向も不安定要素がありますし、中国でも内需の拡大に比べ、輸出は未だ本格回復にはほど遠いことから、企業業績は伸び悩んでいるようです。このたびの米国の金融機関の破綻に発した経済危機は、まさに百年に一度と呼ばれているように、国境を越えて各国の経済、その企業活動に多大な影響を与えてきました。

 

そしてこのような経済変動の波の中で、様々な日本企業の栄枯盛衰の物語がありました。経済変動の波に流されて潰れていった企業があれば、経済変動をむしろ飛躍台としてさらに伸びていく企業もあります。

 

慎重堅実な経営が企業の永続的繁栄を導く

今日企業をとりまく経済環境とはこのように変動を繰り返すものです。どんなに独創的な技術を有し、どんなに高い市場シェアを誇り、どんなにりっぱな経営管理体制を備え、いかに盤石な経営だと思われても、襲い来る経済変動を前にしては脆(もろ)くも潰(つい)え去ってしまうこともあります。

 

京セラでは、今までただの一度も赤字決算をいたしておりません。多くの企業では赤字どころか倒産の危機に瀕したり、人員整理でかろうじて存続を維持したりするなど、波乱万丈の歴史をひもとくことができる中にあって、京セラの半世紀にわたる歴史は、成長発展を重ね続けています。

 

そこには年々歳々、成長発展を続けているための必然的な要因があり、企業を持続的な成長発展に導く経営の要諦というものがあるはずなのです。大切なことは、経営にあたる者の姿勢です。その姿勢とは“慎重堅実な経営を行う”というきわめて単純なことなのです。

 

臆病な性格が無借金経営をもたらした

京セラの創業時のことです。京セラは初年度で利益率10%を達成して三百万円の利益が出ました。

 

京セラ設立時、稲盛塾長を見込んで、自分の家屋敷を担保に入れ、銀行から一千万円を借り入れて下さり、それを創業資金として提供された方がおられました。“縁もゆかりもない私にそこまでしてくださる支援者の方に、万が一にも迷惑をかけてはならない。一刻も早く借金を返済しなければならない”と稲盛塾長は考えました。

 

戦争ですべてを失った父親は、慎重居士(しんちょうこじ)で決して借金をしませんでした。借金を極端に恐れていたのです。初年度三百万円の利益が出ましたが、税金、賞与、配当で二百万円は消えて借金返済資金は百万円しか残りません。一千万円の借入金返済には10年かかってしまいます。

 

10%の利益率ではなく、早く借入金を返済する為には、もっと高い利益率を目指した経営をしなければならない。会社を創業して間もなく、高い利益率を目指そうと考えたのは、早く借入金を返済したいという慎重で堅実な経営を目指したからなのです。

 

高収益の企業体質が経済変動を克服する原動力となった

慎重な経営に努め、高収益の企業体質をつくりあげ、豊かな財務体質にしたことが、度重なる経済変動を克服し、京セラを今日まで導く原動力になりました。

 

高収益であることは損益分岐点を下げ、不況になって売り上げが減少しても、赤字に転落しないで踏みとどまれる“抵抗力”があることを意味します。高収益企業では内部留保が増加していますので、不況が長引き、利益力がでない状態が続いても耐え抜くことができます。さらに余裕資金を使って不況で普段より安くなっている設備を購入するなど、不況期でも思い切った投資も可能とする“飛躍力”がついてきます。

 

常日頃から慎重な経営姿勢のもと、高収益になるよう全力を尽くして経営にあたることが不況への最大の予防策となったばかりか、不況期の最良の処方箋(しょほうせん)になったのです。

 

企業の安定がROEよりも優先される

最近、アメリカ企業投資家の間では、自己資本に対していくらの利益が出たのかというReturn on Equity (ROE)を重視する人々が増えています。ROEを重視する投資家から見れば、いくら高い利益率を誇ろうが、内部留保を貯え、自己資本が大きければ大きいほど“それだけの自己資本を使ってこれだけの利益しかでなかったのか”という投資効率が悪いと判断を下すのです。

 

せっかくの内部留保を使って、企業買収をしたり、設備投資をしたり、また自社株を購入し償却したりして、自己資本を小さくして、短期的に利益の極大化を図る経営をすべきだと考えるのです。そうすればROEは高い値になってアメリカ型の経営では優秀な経営という評価を受けるのです。

 

京セラの経営陣が米国やヨーロッパの投資家に京セラの経営内容を説明しますと“京セラは利益率も高いが自己資本があまりにも大きく、ROEが低い。こんなに利益を貯めてどうするのだ、技術やM&Aをしたり、配当をしたり、もっと利益を使ってチャレンジする経営をすべきだ”と言われるそうです。こうしたROE重視は短期的な視点から企業を見た時の尺度なのです。

 

今株を買い、株価が上がったら、すぐに売ればよいと考えている投資家から見れば、確かにROEが高い方がよいのです。しかし長期にわたる企業繁栄をはかろうとする企業にとっては、企業の安定が何よりも大切です。いかなる不況が押し寄せて来ようとも十分に耐えていけるだけの備えが必要なのです。

 

借入金はなるべく早く返済、高収益企業を目指す、内部留保を確保し、設備投資にしても回収の見込みが立たなければ絶対にしないという経営が長期的に企業を成長・発展させる為の要諦(ようてい)なのです。

 

利他の心が企業を永続的な発展へと導く

慎重な経営であればいいということを短絡的に考え、何も新しいことをする必要はない、現状を維持すればよいということと理解してはなりません。慎重な経営には“独創性を重んじる”“開拓者であれ”“新しいことに積極果敢に挑戦する”ことが必要なのです。

 

その新しいことを重視するための方法として“潜在意識まで透徹するほどの強く持続した願望を持つ”“誰にも負けない努力をする”“今日よりは明日、明日よりは明後日と創意工夫を重ねる”ことが、慎重な経営には必要なのです。

 

さらには企業間競争を勝ち抜き、高い経営目標を実現し続けるためには“燃える闘魂”を持ち、岩をも穿つ“強い意志”が必要だと稲盛塾長は毎日の仕事のなかで考えつかれました。

 

加えて経営哲学のみならず、経営者は実践的な企業会計に通じていなければなりません。また企業内に管理会計システムを確立しなければならないことなど、具体的な経営管理のあり方にも精通していなければなりません。経営哲学を日々の仕事の中で実践していくことが大切なのです。

 

企業が永続的な発展へと導くにあたり、もう一つ大切なことがあります。企業が永続するとは、周囲の人々、社会、国から受け入れられる、生かされ役に立っているという意味です。その為には自分だけがよければいいというエゴ、つまり自分の欲望だけで動くのではなく、従業員、お客様、取引先、そして地域社会など企業をとりまくすべての存在と調和するような思いやりのある心、利他の心で経営していくことが大切なことです。

 

近年、経済変動、つまり他動的な要因ではなく、経営者自らの資質の問題、いわば自律的な要因・人為的な要因により自滅していく企業が多く見られます。2001年のエンロンやワールドコム、またリーマンブラザーズなども巨額の報酬を受け取っていた経営者の強欲(ごうよく)こそが企業破綻の根本原因だったのです。

 

米国の投資銀行リーマンブラザーズの最高経営責任者(CEO)は在任中の2000年以降、日本円で三百三十億円という巨額の報酬を受け取っていたそうです。メリルリンチの最高経営責任者は引責辞任時の退職金が百五十憶円だったそうです。

 

企業の利益は、すべての社員の献身的な努力と協力によってつくられたものであるはずです。それを経営トップ1人だけで成し遂げたかのように考え、高額な報酬をひとりで得ることなど、あってはならないことです。その強欲が、企業を破滅へと追い込む原因となったのです。

 

経営者の努力と才覚により、売上一億円にも満たない中小企業が成長・発展し、売上百億円になったときに、その経営者が“もっともっと”と自らの利益だけを際限なく求めるようになれば、今まで以上に贅沢(ぜいたく)にはしり傲慢(ごうまん)になるようであれば、やがて滅亡していきます。経営者たちも最初は辛酸をなめ、苦労を重ねている時には人一倍努力家で、質素で謙虚なのですが、いざ功成り名を遂げたら、報酬も名誉も欲しくなり、驕(おご)り高ぶるようになり没落していくのです。

 

自分では自分の変化が分からないのです。巨額の報酬を受け取っていたアメリカの金融機関の経営者たちも、最初から強欲だったはずはありません。しかし、自分の中に確固とした哲学を持っていない為、また日常的に自分の言動を反省する習慣をもっていない為、また読書を通じて日頃から経営哲学を学び続けない為、環境の変化に合わせて自分が変質してしまうのです。

 

ともすれば頭をもたげてくる“おれがおれが”という自己愛に満ちた欲望をできるだけ排し、従業員のため、お客様のため、取引先のため、社会のため、といった“他に善かれかし”と願う、思いやりの心、つまり利他の心が自分の心のなかを占めるようにしていかなければなりません。

 

純粋で気高い思いが第二電電(現KDDI)の成功をもたらした

1980年代半ば、日本では電電公社という国営の通信事業者が独占し、また通信料金は欧米の水準と比べてたいへん高いものでした。日本政府は電電公社を民営化し、電気通信事業への新規参入を可能にするというように政府の方針が変わりました。

 

電電公社はNTTとなり、新規参入が可能になり、正当な競争が起これば、通信料金はきっと安くなっていくだろう、ところがほぼ一世紀にわたり、官営として運営してきたNTTはあまりにも強大で、どの企業も一向に名乗りをあげようとはしません。NTTに対抗するには、あまりにも多大のリスクが伴うとみんな足がすくみ、手を挙げようとしません。

 

稲盛塾長はその時、京セラを中心に第二電電を立ち上げ、通信事業に参入することを決めました。売上高二千五百億の京セラは地方の中堅企業でしかありません。そんな会社がナショナルプロジェクトに手を挙げたのです。

 

しかし、名を挙げる前6か月間、稲盛塾長は毎晩ベッドにつく前に自問自答を繰り返しました。“おまえが恰好をつけたいがために、金儲けをしたいがために、第二電電という会社を始めようとしているのではないか”“動機は善なりや、私心なかりしか”と厳しく自分を自分で問い正しました。

 

そして半年後、“私には一切私心はない。動機も不純ではない。日本が情報化社会を迎えるにあたって、国民が負担する通信料金を安くしたい、ただその一心だ。”と確認したそうです。

 

その後、日本国民鉄道が日本テレコムを、建設省と道路公団を中心としたグループが日本高速通信という会社を立ち上げました。合計三社が名乗りを挙げました。この日本テレコム、日本高速通信二社は、鉄道通信の組織や高速道路を持ち、簡単にインフラを作ることができます。しかも資金もあり、優秀な技術者も持っていました。京セラはそうした点では何一つ持ち合わせていません。他の二社が簡単に光ファイバーを敷いているとき、第二電電は道なき山の頂上にパラポラアンテナを設置し、通信ネットワークを構築していったのでした。

 

第二電電にあったものは“国民のために安価な通信料金を実現する”という会社設立の大義名分に、幹部、従業員が中心に心から共鳴し、身を粉にして働いてくれたばかりか、お客様、取引先、代理店、さらに社会が支援してくれたのです。

 

新たに通信事業に参入した企業のなかで、第二電電だけがKDDIとして存続しています。売上三兆五千億円、利益四千四百億円を誇る日本第二位の通信事業として最も期待される通信事業者として成長発展しています。

 

整備されたインフラ、優秀な専門スタッフ、潤沢な資金を揃えた大企業でさえ“難しい”と考え逡巡(しゅんじゅん)していた事業に、何の備えもない京セラのような企業が“世のため人のため”と純粋な思いを持って参入を果しました。

 

それは純粋で気高い思いには、すばらしいパワーが秘められているのです。二十世紀初頭のイギリスの哲学者ジェームズ・アレンは次のように述べています。

 

“汚れた人間が敗北を恐れて踏み込もうとしない場所にも、清らかな人間は平気で足を踏み入れ、いとも簡単に勝利を手にしてしまうことが少なくありません。なぜならば、清らかな人間はいつも自分のエネルギーをより穏(おだ)やかな心とより明確でより強力な目的意識によって導いてくれるからです”

 

善きことに努めれば、偉大な力が自然に加わる

人、物、金という経営資源の全てに恵まれ、成功することまちがいないと思われていた企業が消え去る中で、ただ“世のため、人のため”という純粋な思いを最大の経営資源とした第二電電が生き残り、変転極まりない通信分野で創業してから四半世紀を経過してもなお成長発展し続けています。ここにこそ企業を持続的繁栄へと導く、最も大切な要諦があります。

 

利他の心が一番強力なのです。相手に喜んでもらおうと善意でやったこと、それが結局成功するということは、厳然たる世の原理なのです。相手がうまくいくように助けてあげる、やさしい思いやりの心、利他の心を持って善きことに努めれば、自分を超えた力が自然に加わり、自分で“これぐらいできればいい”と思っている以上にすばらしい結果が現れるのです。襲い来る、予期せぬ経済変動を克服する。すばらしい知恵も授けてくれるのです。“利他の心”は世のため人のために役立ち、周りの人々、社会が、“利他の心”に基づいた企業経営を必要としているのです。

 

中国の“易経”には“積善の家には余慶あり”つまり善き行いを積み重ねる家には代々幸せが訪れると教えています。また“易経”には“満は損を招き、謙は益を受く”と驕り高ぶる者は損をし、謙虚な者は利益を受けると述べています。

 

盛和塾 読後感想文 第100号

 

人間として正しいことを正しいままに貫く

稲盛塾長は、27歳で京セラをスタートしましたが、経営の素人で、その知識も経験もないため、どうすれば経営というものがうまくいくのか、皆目見当がつかなかったそうです。困り果てて、とにかく人間として正しいことを正しいままに貫いていこうと心に決めました。

 

子供の頃、親や先生から教わった単純な規範を、そのまま経営の指針に捉え、守るべき基準としました。嘘をついてはいけない、人に迷惑をかけてはいけない、正直であれ、欲張ってはならない等でした。

 

一般に広く浸透しているモラルや道徳に反することをしても、うまくいくことなど一つもあるはずがない、という単純な確信があったのです。それはとてもシンプルな基準でしたが、それゆえ筋の通った原理であり、それに沿って経営をしていくことが迷いなく正しい道を歩むことができたと述べています。

 

経営のこころⅡ フィロソフィーの根本思想

 

1.    人間として正しいことを正しいままに貫く

フィロソフィーの原点にあるのは“人間として何が正しいのか”という問いです。フィロソフィーは哲学と訳されていますが、それは考え方、思想とも言えます。その人が判断する時の基準、規範だと思います。フィロソフィーを単に知識としての哲学ととらえるよりも、生き方、行動を決めていくための実践的な考え方と考えるべきだと思います。

 

“人間として何が正しいか”ということは、自分や自分の企業にとって都合がよいか悪いかではなく、人間としての良いことか悪いことか、つまり善悪で判断していくということです。

 

往々にして人は自分にとって、または自分の会社にとって都合がよいか悪いかということで判断しがちです。しかし“人間にとって”と問うことによって、利己、エゴを超えることができるのです。利己的な低い次元から判断するのではなく、利他的な高い次元から判断することができるようになるのです。

 

2.    “人間として正しいこと”は国家を超え、普遍的に通用する

フィロソフィーとは一個人の利益、一企業の利益、さらには国の利益という狭い限定的な次元を超えたものであり、人類にとって正しい、善なる考え方に立脚したものです。

 

二十一世紀に求められるグローバル経営を実現するためにも、企業が持つ根本的な考え方、思想は、国家や民族、言語、宗教の壁を超え、等しく共有してもらえるような普遍性のあるものでなければなりません。

 

3.    “人類として正しいこと”と置き換えて地球問題を考える

地球に住んでいるあらゆる生物は食物連鎖を通じて互いに結び合って生きています。山間部の森に降り注いだ雨は河川を通じ、やがて海へと流れていきます。落ち葉や土壌に含まれるミネラルなど豊富な栄養を貯えた水が海へと流れ出ることによって、海では植物プランクトンが繁殖します。その植物プランクトンを動物プランクトンが食べ、動物プランクトンを小さな魚たちが食べます。その小さな魚をより大きな魚が食べます。その大きな魚や草食動物を地上の肉食動物が、クマやライオンやトラが捕えて食べます。この頂点に立つ肉食動物もやがて死にます。朽ち果てて土へ還ります。それは森の栄養となり、雨を通して再び海へと注ぎ込みます。このように自然界では食物連鎖を繰り返すことによって、いわば、自分の命を他の生物に与えることによって、互いが存続しているのです。

 

ひとり人類だけは、その循環の輪の中に存在していないように思います。あらゆるものを収穫して、自分勝手に生きています。自分の命を他の生物に与えることをせずに、すべての生物の命を奪いながら、自然界に君臨しているのです。

 

“人類として何が正しいか”ということを考えて見ます。自然を収奪し人類だけが“栄耀栄華(えいようえいが)”を極めることは正しいことではありません。限られた資源しかない地球環境の中で、あらゆる生物が共存していくためには、どうあるべきかという正しい道を我々人類が思い出し、歩んでいくしかないのです。人類だけが繁栄すればよいということではなく、その地球上に生を受けた生きとし生けるものすべてのもののことを考え、共に生きていく道を何としても見い出していかなければなりません。そうしなければ、人類は生きていくことができないのです。

 

“人類として何が正しいか”という判断基準で地球環境問題、エネルギー問題、国際紛争など、あらゆる問題にその考え方、判断基準を応用していくことができると思います。

 

4.    世のため人のために尽す

人間は誰しも人を助け、世のために尽すことに喜びを覚える美しい心を持っています。本能に基づく利己的な思いが強すぎるために、心の奥底にあるその美しい心が表に出て来ないだけのことです。利己的な思いを抑えることで、世のため人のために尽すという利他的な心が必ずや出てくるのです。

 

自利と他利

 

1.    商売の極意は相手も喜び自分も喜ぶこと

経営も同様です。事業は自利・他利両面が必要なのです。自利は自分の利益、他利は他人の利益です。つまり自分が利益を得たいと思ってとる行動や行為は、同時に相手の利益にもつながっていなければならないのです。自分も儲かれば、相手も儲かるということです。

 

江戸時代、石田梅岩は“まことの商人は先も立ち、われも立つことを思うなり”と述べています。本当の商人とは相手も立ち、自分も立つことを思うものである。近江商人の間では“三方よし”ということが商人道の真髄として言い伝えられています。“買い手よし、売り手よし、世間よし”というもので、買う人も売る人も、さらにはその両者を取り巻く社会さえもよいというものでなければならないというものです。

 

2.    適者生存の理と利他の心は矛盾しない

人によっては利他の心では商売はやっていけないと思っている人がほとんどだと思います。“弱肉強食の経済社会のなかで営利を追求していかなければならない経営者がそのような利他の心でもって本当に経営はできますか。手練手管(しゅれんてくだ)を尽くし、貪欲なまでに利益を追求することが企業経営の実像です。”

 

“私の会社には利益はいりません。相手の会社にどうぞ利益を取ってくださいということですよね”と誤って解釈している人がいます。

 

この経済社会の中では、会社は自分達が生き抜き、従業員を守っていくために必死になって働いています。熾烈(しれつ)な企業間競争もあります。しかしそれは競争社会を潰そうと思って努力しているのではありません。自分の会社がお客様の役に立つように、社会から存在意義を認められる為に、よりよい製造技術を研究し、コスト削減に努め、一生懸命努力し、世のため人のために役に立つ会社でありたいと願っているのです。

 

努力を怠った競争会社が、不幸にして潰れてしまうこともあります。それは仕方のないことです。厳しい自然界を生き抜いていく為には、一生懸命に努力を重ねることが絶対条件なのです。努力を怠るならば生存すらもかなわないのです。これが自然界の掟なのです。“適者生存”こそが自然界の根本原理なのです。

 

経済社会の中でも同様です。果てしない努力を重ね、経済社会に適応できる企業だけが生き残り繁栄を遂げ、努力を怠り、経済社会に適応できなかった企業は淘汰され、潰れていくのです。

 

3.    利己に満ちた心による成功は長続きしない

経営者の中では、利己のかたまりの人も成功します。たしかに利己によって成功した経営者はいます。利己、エゴで経営をしている人は、その思いが強ければ強いほど、努力もします。しかしその成功は長続きしません。利己的な欲望を際限なく重ねていくことで大きな失敗をしでかしたり、周囲との摩擦を起こしたり、社会との軋轢(あつれき)が生じたりします。やがて社会からの支持も得られなくなり、没落を遂げていきます。

 

一方相手によかれかしと願う利他の心に基づく経営は、周囲の協力を得て長く繁栄を続けていくことができます。

 

足るを知る

 

1.    “足るを知る”心が真の豊かさをもたらす

人間の欲望、とくに物質的な欲望は、放っておけば際限なく肥大化していきます。すでに手に入れた豊かさに満足せず、さらなる豊かさを求めようとします。際限のない欲望にとらわれていては、物質的にどれほど豊かになっていようとも、心の豊かさを感ずることはできないはずです。ものに満たされれば、さらに“もっともっと”と肥大化していくのが欲望というものです。

 

人間にとっての豊かさとは“足るを知る”心があってはじめて感じられるものです。足るを知り、日々感謝をする心を持って生きることによって人生は豊かで幸せなものになると思います。

 

2.    従業員を守るためにこそ会社の業績を伸ばさなければならない

“足るを知る”をともすれば“ほどほどでよいではないか”“これだけの利益が出るようになった会社になったのだから、これだけ大きな会社になったのだから、もうそろそろいいのではないか”という考え方になってしまうことがあります。しかし“足るを知る”とはそのような短絡的なものではないのです。

 

これは長期的な視野をもって、今手にしているものをよく理解し、そのもっているものを充分活用して、生かしていくこと、これが“足るを知る”ことの意味だと思います。自分の持っているもの、物質的なこと、また精神的なこと、自分の持っている人間関係に感謝して、それを生かしていこうとする考え方だと思います。自分の持っているものに日々感謝する心が“足るを知る”ことだと思います。

 

会社経営であれば、従業員の物心両面の幸福を守る為に、今手にしている人材、技術、資金、お客様、仕入先等に感謝して、これを充分生かそうとする努力が大切なのです。

 

3.    利己的欲望を抑え、利他的欲望を追求する

人間の利己的な欲望は放っておけば際限なく肥大化します。しかし、企業という集団のなかに住む従業員を守っていくために業績を伸ばしていきたいという欲望は、それとは違います。それは利他的な欲望なのです。従業員を守るために、どんな経済変動があろうとも自分の企業を倒産から守る、そうしていくために、この会社をもっと立派にしたいのだという思いは、利己的な欲望ではなく利他的な欲望です。

 

利他的な欲望は世のため人のため、従業員のためのものですから、欲望とはいえない面があります。おそらく、人間はいくつになっても、子供の頃、父や母からほめられたこと、“ありがとう”といわれたことを忘れてはいません。その言葉は子供を本当に幸せな気持ちにします。と同時に、経営者も人の子です。周囲の人々、従業員、社会から“ありがとうございます”“心から感謝します”と言われたい気持ちがあるのです。その時、経営者は自分の存在、意義を自ら確認し、自分の人生に誇りを持つのです。その為、リーダーは一生懸命努力をし、自分の命を投げ出しても惜しくないぐらい、頑張るのだろうと思います。利他的欲望は“認められたい欲望”、“感謝されたい欲望”でもあるのです。

 

4.    自然界にある“足るを知る”という本能

我々人間は“足るを知る”という考え方を知識、または知恵として後天的に学ばなければならないのです。しかし自然界では、すべての生物がこれを知識ではなく本能として知っています。“足るを知る”ということを知識、知恵として学ばなければならいのは、利己的な欲望が強い人間だけなのです。

 

アフリカの大草原に住んでいるライオンは、草食動物を殺して食べています。しかし彼らはお腹が満たされている時、か弱い草食動物が近くにいてもそれを決して襲おうとはしません。一週間程して、お腹が空いた時、周囲にいる草食動物を捕えて食べる。つまり“足るを知る”ということを本能として知っているのです。

 

チンパンジーは雑食動物で、大型の哺乳動物を襲うこともあるそうです。頑健な大きなオスのチンパンジーは、倒した動物をチンパンジーの群れの真中に置くと、子供やメスが寄ってきます。するとそのオスは20頭~30頭のチンパンジー達にその肉を平等に分け与えるのです。チンパンジー達は肉が好きらしく、キャッキャッと言って食べます。

 

京都大学の教授で霊長類学者として有名な伊谷純一郎教授が現地調査に行かれた時のことでした。教授はアフリカの村の村長に、チンパンジーは“しょっちゅう動物を襲うのですね”と言いましたところ、村長は“そういうことはしません。ひと月に一度か、ふた月に一度くらいだと思います。彼らはそれ以上は捕えようとしないのです”

 

チンパンジーは、生きていくのに必要な栄養分を捕食し、それ以上のものは取ろうとしないのです。

 

5.    原始民族に学ぶ“足るを知る”叡智(えいち)

伊谷教授一行がアフリカ・コンゴの山奥にまでチンパンジーの観察調査に行った時のことです。その道中、焼畑農業でわずかばかりの作物をつくって生活している、原始的な人達の部落があり、先生の調査隊はいつもそこに立ち寄っていたそうです。毎年そこを通過するとき先生が日本から持って来たお土産などをあげると、彼らはお礼として、部落でつくった簡単な食事でもてなしてくれます。

 

ある年、その部落の長老が“皆さんにおもてなしをしたいのだが、今年は食べるものが一切ないのです”と先生たちに言ったそうです。伊谷先生は“我々は充分な食糧を持ってきています。おもてなしは結構ですよ”と応じながら事情を聞きました。

 

その年は各国の探検隊が幾度も部落を訪れ、そのたびにみんなにごちそうをした。そうしているうちに自分たちが食べるものがなくなった、と長老は話してくれました。そこで伊谷先生は、食料を少し置いて来たそうです。

 

アフリカの原住民の方々は焼畑農業をしています。彼らは部落周辺の山を、10等分ぐらいに分け、順番に伐採して火をつけて焼き払います。そして焼けたところを畑として、種をまきます。数ヶ月後にはタロイモなどが実ります。

 

焼畑農業では、おなじところで二~三年連作します。しかしそれ以上連作をしても、作物は土地がやせている為、収穫が余りありません。そして次の区画を焼き払い、種をまき、収穫を得ます。十等分した区画を二~三年毎に焼き払い、二十年~三十年で一周することになります。焼き払った最初の区画は、三十年後にはりっぱな森となっており、土地も肥沃になっています。

 

伊谷先生が“みんなにもっとごちそうをして食べるものがなくなったら、もっとたくさんの焼畑をつくったらどうですか“と尋ねました。長老が言いました。“それは神様が許してくれない”

 

もっと多くの食糧がほしいからと焼畑を広げていけば、森の循環が途絶えてしまい、やがて自分達が飢えてしまうことになる。必要な分だけをつくっていけば森は再生し、部落全体が生き長らえていくことができる。

 

彼らは“足るを知る”を知っているのです。欲望の赴くままに畑をたくさん作れば、森の循環の輪が切れてしまい、やがてすべてを失ってしまうということを知っているのです。

 

人間は原始時代から生きる叡智として“足るを知る”ということを伝えてきたために、今日まで生き長らえてきたのです。

 

6.    利己的な物質文明から利他的な精神文明へ

利己的な欲望の追求が近代文明の原動力です。“もっとほしい”“もっとよこせ”という利己的な欲望が科学技術の発展を促し、経済の発展を導き、今日の物質文明をつくりあげてきました。

 

次に来る新しい時代は、現在の物質的文明社会が利己的欲望の追求とすれば、利他的な欲望-精神的文明の時代となるべきなのです。

 

世のため人のために尽すことを通して、リーダーも一般市民も、明るく、心豊かに人生を生きる-精神的文明社会の実現が望まれています。みんなを幸せにしたい、みんなをよくしてあげたいという利他の欲望(人や世から感謝されたい欲望)を追求することによって築き上げられた精神文明の社会が、次の時代に来なければならないのです。

 

自分以外の人々、社会が幸せにならない限り、自分自身が心豊かに生きていくことができないのです。自分の生存を望むなら、人類は今すぐに利己的な欲望を脱し、利他的な欲望が求める文明へと切り替えていく道しかありません。人類に与えられた時間的猶予はもうそう多くはありません。今が最後の機会ではないかと、稲盛塾長は語っています。

 

共に生きる

 

1.    共生の思想が地球の将来を救う

地球上に存在するあらゆる生物は、互いに依存し合って生きています。その中で“共に生きる”ということをしていないのは唯人類だけです。利己的で足ることを知らず、欲望のままに突き動かされている人類のために、毎年毎年地球上に存在する膨大な生物種が消えています。多様な生物種が存在することによって地球のバランスが保たれていたはずです。ある生物種が消えさってよいわけがありません。現在の地球はバランスが崩れかけているのです。

 

多様な生物種が共生し合い、はじめて地球上に存在する生物たちが生存できたのです。絶滅種が増えていく中で人類だけが地球上に生存しえるはずがないのです。

 

2.    小善ではなく、大善の関係で共に助け合いながら生きていく

“共に生きる”という考え方は経営の場でも必要です。

自分が利益を得たいならば、お客様、取引先、協力会社、その他会社を取り巻くすべての人たちが共に生きていけるような“共生の関係”を築いていかなければなりません。

 

その共生の関係は小善であってはなりません。互いになれ合い、甘え合って生きていくという関係であってはなりません。厳しい経済環境の中でしっかりしたフィロソフィーを自らに課し、それを相手にも求めながら根底では互いに助け合っていく。そんな大善の考え方に基づいた関係でなければなりません。

 

周囲の人たちと一緒に繁栄していこうと思えば、共に厳しい生き方をしていくことが求められるのです。一見非情に見えますが、厳しい中でも相手を真に生かしていく大善の考え方に基づく共生の関係が経営においては必要不可欠なのです。

 

世のため、人のために一生懸命努力する、自分の会社が世のため人のためになる存在であること、すなわち社会から受け入れられるように努力するというフィロソフィーを共有することが大善なのです。このような大善を受け入れてくれるお客様、取引先、協力会社と共に助け合い、生き延びていくことが大切です。

盛和塾 読後感想文 第九十九号

企業哲学を全社員と共有する

 

時代がどのように変わろうとも人間の本質は変わらない。必要なことは“人間とは何か”“人生とは如何にあるべきか”“人間として何が正しいのか”など、人間としてもっとも基本的な倫理、哲学を真剣に探究する、その中で自己の存在意義を確認し、自らの人生の指針としても哲学を確立すること、と塾長は述べています。

 

自分は何の為に存在するのか、何の役割があるのか、をよく考え、その考えが哲学となって自分の身につく、このことが自分の人生の本当の意味なのです。

 

稲盛塾長は、人生の本当の意味、経営のあるべき姿を真剣に考えました。そしてそれを社員と共有することに、最大の努力を払い続けてきました。京セラは創業以来、大変順調に発展してきました。それは京セラには“企業哲学があり、それを全社員と共有できている”からです。

 

企業哲学を従業員と共有するのには、どうしても従業員に同意し、共鳴してもらえるのだという強い意志と行動力とエネルギーが必要なのです。毎日のように従業員に語りかけ、仕事であれ、食事を共にする場合であれ、社内行事であれ、従業員とのコミュニケーションをあらゆる機会を捉えてはかることが必要なのです。

 

興味をもって聞いてくれる人、冷ややかに対応する人、又、反発する人も多いはずです。いろいろな従業員の反応に一喜一憂していてはなりません。いろいろと説明にも工夫をして、従業員に語りかける。従業員に経営哲学を受け入れてもらえない、聞いてもらえない時は、経営者自身が自分の経営哲学を具体的に実践できるようになっていないことが多いのです。あきらめてはいけないのです。

 

経営のこころ-判断基準、ミッション 使命、ビジョン 目標、フィロソフィー 哲学

 

“敬天”の思想と“人間として何が正しいか”という判断基準

経営するに当っていちばん大事なものは、企業トップとして経営判断する、その時の判断基準です。と同時に企業経営のミッション(使命)、ビジョン(目標)、さらにはフィロソフィー(哲学)が要るのです。これらをまとめたものが経営のこころというものになります。

 

稲盛塾長は、経営のこころを実際の経営経験を通して作りあげて来ました。人から借りたものではなく、自分で苦労に苦労を重ねて、経営のこころを創りあげたのです。

 

1.    京セラ創業と共に背負い込んだ経営者としての重い責任

稲盛塾長は京都の硝子メーカー松風工業に入社しました。しかし松風工業は終戦後からずっと赤字が続いている、新入社員の初任給から遅配するような、傾きかけた会社でした。その為、同期入社の5名は、寄るとさわると互いにグチを言い合って、とうとう稲盛塾長を除いて4名は退職してしまいました。新しい就職先の見つからなかった稲盛塾長だけが松風工業に残らざるを得ませんでした。

 

“もう不平不満を言うのはやめよう。仕事を好きになろう”と考えて仕事に真正面から取り組むことに決めました。ファインセラミックスの研究に、寝食を忘れて打ち込み、結果としてフォルステライトという新しい材料の合成に日本で初めて成功するなど、多くの成果をあげていくようになりました。

 

しかし新任の技術部長は、稲盛塾長の成果や努力を正当に評価してくれない為、稲盛塾長は松風工業を去ることになりました。その当時、稲盛塾長の下では約50名の従業員が働いていたと聞いています。稲盛塾長が退社することを知った京都の経営者の方々が集まって、京都セラミックという会社を設立してくださったのでした。配電盤メーカーであった宮木電機の役員が中心となって、資本金三百万円が集まりました。当時宮木電機の専務取締役であった西枝一江さんは、自宅を担保にして、一千万円の銀行借り入れまでしてくださいました。京都セラミックの社長は宮木電機の社長、宮城男也(おとや)さんに就任していただき、稲盛塾長は取締役技術部長という肩書でした。会社の経営は、実際は稲盛塾長が担当していました。支援者の方々のご厚意に感謝する一方、肩にはずっしりと重い責任を負うこととなりました。

 

いざ会社が始まると、ベテラン社員から若い社員から毎日“これはいかがしましょうか”と決断を仰ぐ相談が次々と寄せられます。決済すべき判断をどうしたらよいかと大変悩みました。

 

創業間もない頃、宮木社長が“稲盛君、いいものを買ってきたよ。あなたの郷土の大先輩、西郷南洲のものだ”と紙を携えてこられました。広げてみると“敬天愛人”と大きく黒々としたためられていました。稲盛塾長の小学校の校長先生の部屋にも“敬天愛人”としたためられた書が掛けられていました。稲盛塾長も自分の会社の応接間に掲げました。

 

2.    唯一持ち合わせていたプリミティブな道徳観を経営の判断基準に

稲盛塾長は創業当時、実際に判断を下すにあたって、必要となる基準を持ち合わせていませんでした。稲盛塾長が一つ判断を間違えば、せっかく作っていただいた会社が潰れてしまうかもしれません。従業員を路頭に迷わせてしまうかも知れません。さらに資本金を提供してくださった方々、自宅を担保にして運転資金を用意して下さった西枝さんに、多大な迷惑をかけてしまいます。

 

何を基準にして経営の判断を下せばよいのか、よくわからなかった塾長は、子供の頃、両親や先生から教わった“やってよいこと、悪いこと”を判断の基準にしようと考えられたそうです。プリミティブな道徳観、倫理観しか持ち合わせていなかったのでした。それを経営判断の基準にしようと考えられました。

 

これからは会社の判断基準を“人間として何が正しいのか”という一点に絞りたい、あまりにも幼稚でプリミティブな判断基準かと思うかもしれないが、そもそも物事の根本は単純にして明快であるに違いない。今後は人間として正しいことを正しいままに貫いていくという経営を進めていきたい、と従業員に話されました。

 

3.    西郷南洲の“敬天”に勇気を与えられる

人間として正しいことを貫くというのは、西郷が言っている“敬天”という言葉に通じて、天が示す正しい道、すなわち人間として正しいことを実践していくことだと気がついたそうです。

 

“天”というのは“最も正しいもの”という意味があります。“天地新明に誓う”“天に恥じない行動をする”というように、自然の道理として絶対的に正しいことが“天”という意味なのです。

 

西郷南洲の遺訓の中に“人間の進むべき道は天地自然の物にして、人は之(これ)を行ふものなれば、天を敬するを目的とす”という言葉があるそうです。西郷は天の命ずるままに正しいことを踏み行っていくことを自らの根本思想とし、実人生においてもこれを貫き徹した人物です。

 

西郷南洲の言う“天の道”とは、法律を超えたところにあり、この宇宙に元々から存在する原理原則に従うことなのです。敬天とは、法律を超えて、世の原理原則に則して根本的に正しいことを理解し、実践していくことなのです。

 

稲盛塾長のいう“人間として正しいこと”は西郷南洲のいう“敬天”と同じ、あるいは通じていることだったのでした。

 

4.    天に恥じぬ経営を心がけることが、企業の不祥事を防ぐ

“敬天”という言葉は、法律的に正しいことを行うことは当然のこととして、もっと根源的なもの、人間として正しいことを貫いていくということを企業経営の根幹に据えて経営を行って来た京セラは、判断を大きく誤ることはなかったのです。京セラグループの売上は一兆円を超えて、世界中に六万人の従業員を擁(よう)する規模に発展しています。しかし創業時に決めた“人間として正しいことを貫く”という判断基準は、それに基づく企業姿勢は、今も一切変わっていません。

 

一般には経営において最も大切なことは、“経営戦略”“経営戦術”といわれています。しかし、経営内の判断基準を問うことはあまりなされていません。経営戦略、経営戦術、新しいアイデア等も大切なのですが、そのような風潮の中でも“人間として正しいことを貫く”というシンプルな判断基準を京セラでは今日まで貫いてきました。

 

経営の手練手管(てれんてくだ)や策におぼれ、欲に憑かれたリーダーが経営にあたっているが、単に、今もなお多くの企業不祥事が続発しています。その為、不祥事防止の為、各国で企業統治のあり方、コーポレートガバナンスがいかにあるべきかが議論され、不祥事を起こさないように膨大なルールや法律を作り、それを企業に適用しようとしています。法や制度の整備を進めることで、企業不祥事を防止しようとする方向が今の世界の主流となっています。

 

しかし、どのような法律を定めようとも、自分の利益を増大させるためには人間として正しくないことをしてもかまわないという考えを、経営者やリーダーが少しでも持っている限り、必ずやその心ないリーダーは法の網(あみ)の目をかいくぐることに努めるでしょうし、企業不祥事は根絶できないと思われます。

 

西郷が言う敬天の思想、つまり天に恥じない経営をするという一点を経営者自身が企業内で徹底していくことでしか、企業不祥事を未然に防ぐことはできないのです。

 

“愛人”の思想と“全従業員の物心両面の幸福を追求する”

 

1.    高卒反乱が教えてくれた経営者の真の使命

創業三年目のことです。前年に採用した高卒の従業員達が、突然団体交渉にやって来ました。“将来が不安だ。昇給や賞与など、将来の待遇を保証してくれ”。それに対して“京セラはできたばかりの会社だから、みんなで力を合わせて立派にしていこう”と答えたのですが、彼等は納得しないのです。“将来を保証してくれなければ、今日限りで辞めたい”と言うのでした。

 

“ボーナスはどうする、昇給はこうするという約束はできない。私自身、会社の将来がわからないのだから、約束をしてはウソになる。しかし私は誰よりも必死になって会社を守っていこうと思う。君たちの生活がうまくいくようにしてあげたいと強く願っている、私の誠意を信じてほしい。もし私が君たちの信頼を裏切ることがあったら、そのときは私を殺してもいい”

 

一人がうなずき、二人目も理解してくれました。そしてとうとう、最後には全員が納得してくれました。稲盛塾長はその時、必死に説得しようとすさまじい顔で高卒の社員に話したと思われます。

 

しかし、高卒者に約束したことは、京セラ創業時に考えた企業の目的、“稲盛和夫の技術を世に問う”とは全く違ったものでした。稲盛家は貧乏でしたから、稲盛塾長は毎月実家へ仕送りをしていました。“家族の支援に努めなければならない立場なのに、縁もゆかりもない人たちの生涯にわたる生活をみることになってしまった”と後悔したりしていました。

 

この社員の反乱により、稲盛和夫の技術を世に問う場としての京セラは一瞬にして吹き飛んでしまいました。社員の生活を守ると言う目的に変貌してしまったのです。

 

一晩にわたって考え続けた結果“会社というものはそのなかに住む従業員に喜んでもらうことこそが真の目的であり、それが経営者の使命”と結論したのでした。

 

2.    経営理念は大義があると同時に、身近なものでなければならない

翌日、稲盛塾長は“全従業員の物心両面の幸福を追求する。人類・社会の進歩発展に貢献する”。と京セラの経営理念としたのでした。経営理念とは、経営者の私利私欲ではなく、広くすべての従業員の幸福をはかるものでなければならない。これはまさに西郷が説く“愛人”です。

 

経営理念の決定にあたっては、経営者や株主の利己、エゴではなく、利他の精神が貫かれているということが最も大切です。従業員が共鳴し、意気に感じ、“よし、そういう目的の実現のためなら、私も経営者と一緒に手を携えながら頑張ろう”といってくれるような企業の目的が必要なのです。

 

全社員のため、会社のため、社会のため、国のため、つまり公益のために努力を惜しまないという大義を掲げたときに、人ははじめて共鳴し合い、賛同しあい、惜しみなく協力し合えるのです。

 

しかし、いくら大義があるからといっても、それがあまりにも高尚で、社員から縁遠いものであってはなりません。経営理念、またはミッション、使命が経営の場で機能するためには、その経営理念は従業員が共有できるものであるということが大切です。

 

従業員たちにとって身近な理念を掲げれば、個々の従業員が賛同し、幹部同士の融和をはかり、社内の求心力を高めることにも貢献すると思います。

 

3.    従業員の幸福を追求することは、株主の利益にも合致する

“全従業員の物心両面の幸福を追求する”ということを経営理念としますと、株主の利益が無視されているように見えます。しかし京セラはニューヨーク証券取引所にも上場していますが、この経営理念はその制定のときより一切変えていません。当社の会長、社長などがIR活動(Investor Relation)で世界中を巡ったときでも、この経営理念にクレームがついたことはありません。

 

従業員が物心両面の幸福を感じながら、懸命に働き、すばらしい業績をあげることで、結果として株主も大きな利益を得ることができます。株主の利益が大事だと言わなくても、従業員の働きによって会社の業績が上がれば、それは株主に還元されます。逆に株主が“これは自分の会社だ。会社はオレのものだ”といって、従業員を蔑(ないがし)ろにしたのでは、長期的に見れば会社経営は長続きしないのです。

盛和塾 読後感想文 第九十八号

企業文化の重要性

会社経営において、トップはまず何のために会社があるのか、その為にはどのような考え方が必要なのかを明確にし、従業員に接していくと同時に、従業員が共有してくれるようにしなければなりません。トップの経営理念や経営哲学に従業員が心から共鳴できるかどうかが鍵となります。経営理念や経営哲学が従業員にも社会にも受け入れられる大義名分に基づいたものであること、同時に従業員の幸福を追求する、また社会の発展にも貢献するといった目的を示せば、従業員も共鳴し、仕事に打ち込んでくれるようになるはずです。 

トップの経営理念や経営哲学に賛同してもらう為には、トップの日頃からの言動行動が、理念や哲学と矛盾しないことが大切です。どんなに立派な経営理念や哲学があっても、利益至上主義に陥り、不祥事を起こす企業が後を絶たないのは、トップが矛盾した言動、行動をとっているからにほかなりません。 

経営理念や経営哲学は、それを実践していくことにより、その企業の立派な風土や文化をつくり出します。その理念に基づいて働くことが、会社にとっても従業員の人生にとってもすばらしいことだという、そのような企業文化をつくることが出来れば、会社は飛躍的に伸びていくことができるのです、と稲盛塾長は述べています。 

なぜ経営に哲学が必要なのか 

人間として最もベーシックな道徳、倫理をベースとする“京セラフィロソフィー”

稲盛塾長は27歳で、周囲の方々からの支援のもとに京セラをスタートしました。唯一の製品納入先の松下電子工業(パナソニック)に毎日通い、納品と集金を一生懸命に行うだけで、経営者として一体どのように会社を運営していけばよいのか全くわからない、どうすればよいのかと思い悩んでいました。 

日々の経営をしていくにはどうすればよいのか、その考え方や方法について大変悩み、不安にかられながら京セラフィロソフィーの原形を一つずつ編み出していかれました。 

“常に考える”という習慣は松風工業の時代からでした。就職難の時代、松風工業をやめることもできない、稲盛塾長は会社から与えられたセラミックの材料の開発に専念せざるを得なかったのです。待遇も悪く、研究設備も不十分、劣悪な環境の中で、どうしたら研究成果をあげることができるのか、どういう構えで仕事にあたらなければならないのかと毎日考えられました。 

仕事をするにはこういう考え方、こういう心構えでなければならないと思いつくたびに研究実践ノートの端に書き留めていくようになったそうです。経営に携わるようになってからは、仕事の要諦を書きためていたノートを再び引っ張りだして、気づきを書き加えていくようになりました。その結果が“京セラフィロソフィー”です。 

経営がわかっていなかったものですから、不安であった塾長は立派な経営をしている方々の話を聞き、どのようにすればあのような経営ができるのだろうと考え続けられました。この京セラフィロソフィーの根本にあるものは“人間として何が正しいのか”ということであり、その正しい考え方を貫いていくということです。 

従業員のベクトルを合わせ、高い目標を実現するために

稲盛塾長は“京セラフィロソフィー”を自分自身で実践していくと同時に、従業員にも懸命に説きました。しかし、経営哲学を従業員に説き、集団で共有しようとすればするほど、思想の自由・言論の自由ということを盾(たて)にして“どういう思想、哲学を持とうと各人の自由ではないか”と反発があったそうです。 

しかし、企業という集団において、従業員の幸福を実現するために、高い目標を掲げ、その達成を目指していくためには、“こういう哲学で経営をしていきます”という企業のなかで基準となる考え方がどうしても必要となるのです。その基準となる考え方に、全社員がベクトルを合わせていかなければならないのです。 

特に会社幹部は会社の考え方をよく理解し、それに心から共鳴している人でなければなりません。幹部社員だけではなく、一般社員も心をひとつにして、同じ方向を目指して仕事をしてもらうには、会社の考え方である経営哲学に対して理解を深め、それを共有してもらうよう努めていかなければなりません。 

稲盛塾長の経営哲学の根本にあるのは、ことの善悪で物事を判断するということです。“人間として何が善なのか、何が悪なのか”という基準で物事を判断するのであって、決して“自分にとって損か得か”“京セラにとって損か得か”という判断基準で判断してはならないということです。 

哲学を共有しようとすれば、“思想統制だ”“思想強要だ”と言われるかも知れません。しかし企業という集団で高い目標を実現すべく大勢の人間が共に仕事をしていくためには、個人の好き嫌いではなく、全員が共通の考え方を理解し、賛同し、共有していくことが前提となるのです。 

会社の哲学を共有したくない、“思想強要だ”という人には、“あなたと一緒に仕事をすることはできません。この社会では、どのような思想、哲学を持つことも自由なら、会社を選ぶことも自由です。当社の経営哲学が受け入れられないのであれば、自分の考えに会うような会社に行ってください”とはっきりと伝えるべきです。“自分が理解もできない、賛同もできないような考え方で経営をしている会社で、賛同したふりをして働くことは、お互いにつらいことです。ならば、自分の思想・哲学に合った会社に行ってください”と伝えるべきなのです。 

“京セラフィロソフィー”の三つの要素 

  1. 企業経営の規範となるルール・約束事を確立する

会社経営にあたっては、どうしても従業員の規範となるべきルール、約束事が必要であり、それがその会社の哲学として企業内に確立されていなければなりません。 

会社の規範やルール、約束事がはっきりしていない企業が沢山あります。そのために古今東西を問わず、様々な企業不祥事が頻発しています。日本企業、雪印乳業、カネボウ、が没落していきました。アメリカでもエンロン、会計事務所・アンダーソンが破綻しました。粉飾決算が発覚し、崩壊したワールドコムと、枚挙(まいきょ)に遑(いとま)が無いのです。これらはすべて企業経営の規範、ルール、つまり哲学がなおざりにされていた例なのです。その企業に哲学が確立されていないがために、あるいは紙に書いた哲学があっても、それが企業内に浸透していなかったために起きたことです。 

稲盛塾長の経営哲学は“人間として何が正しいのか”という問いに対する解であり、“正直であれ”、“人を騙すな”、“ウソを言うな”という子供の頃から親から諭され、先生から教わったプリミティブな道徳観、倫理観なのです。企業経営の規範・ルールは人間としてよいことなのか、悪いことなのかという善悪を判断基準とし、正しいことを正しいままに実行していくことなのです。 

“このような基本的なことを企業内で幹部や従業員に説かなければならないのか”と考える経営者が多いと思います。しかし、人間として当たり前の教えを守ることができなかった為に起きたことが、企業の不祥事であり、企業の業績不振なのです。 

例えば、小さな製品欠陥が発見されたとします。しかしこれを公表すれば、売上に影響する為、公表しません。その問題が内部告発によって表面化します。経営者は虚偽の報告をし、隠蔽工作(いんぺいこうさく)を行い、ウソをつき、騙し、隠し通そうとして、事態をさらに紛糾(ふんきゅう)させてしまう企業もあります。更にトップはこの不祥事の責任をとらず、部下の責任にしてしまうことがよくあります。 

企業のエリート達に“正直であれ”“人を騙すな”“ウソを言うな”といえば“バカバカしいことを言う”“人をバカにするな”と反論するのです。しかし日常の経営の中で、経営哲学、日常生きていくための規範、ルールを実践していなかった為に、大企業といえども崩れ落ちていったのです。 

グローバル化が世界で進んでいます。しかしこのような企業経営の規範となるルール、約束事は、全世界で普遍的に通ずると考えられます。京セラが海外進出を果たした時も、経営の舵取りを誤ることがありませんでした。 

  1. 会社の目的・目標を明確に指し示す
  • 世界一の会社を目指す

京セラフィロソフィーには会社の目的、会社の目標、つまりこの会社をどういう会社にしていくのかが明確に示されています。 

めざすべき会社の目標を掲げると同時に、自分達が望み、目指そうとしているその企業を目指すためには何が必要なのか、どのような考え方が必要なのか。 

京セラの従業員に、目指すべき会社の目標を言い続けて来ました。

“京セラを西ノ京原町で一番の会社にしよう

次に中京区一番、京都一番、日本一番、世界一番の会社にしよう“

と従業員に夢を与えると同時に、経営者自身を鼓舞(こぶ)する為でもありました。自分自身、“果たしてそんなことが出来るだろうか”と疑わしく思うと同時に“いや、絶対そうするんだ”と自分自身に言い聞かせたと、稲盛塾長は語っています。 

稲盛塾長は従業員に説き続けました。“日本一、いや世界一の会社を目指そう”。その為には幹部や従業員がどのように考え、どのように行動すべきか、仕事にあたる考え方から方法までを示した経営哲学を企業内に確立しなければならないと思われました。 

京セラが中小零細企業であった時から、世界一のセラミックメーカーになるという高い目標を目指したときに必要となるであろう考え方とその方法を、ことあるごとに従業員に話し、その方向へ進もうと全員で努力してきました。京セラを日本一はおろか世界一の企業にしていくのには、ストイックな厳しい考え方、また厳しい生き方、そして正しい方法がどうしても必要だったのです。 

例えば京セラフィロソフィーでは“高い目標を持つ”“誰にも負けない努力をする”“自らを追い込む”“ど真剣に生きる”等のストイックな考え方、生き方が述べられています。 

その当時100名くらいの従業員しか京セラにはおりませんでした。日本の大手セラミックメーカーには日本ガイシ、日本特殊陶業(とうぎょう)がありました。2009年3月期決算では、日本ガイシ売上二千七百億円、日本特殊陶業売上二千九百億円、京セラ売上一兆千三百億円。京セラは約4倍強の売上規模になっていました。 

  • どの山に登るか

京都の経営者仲間で一杯飲む機会がありました。その時、根は真面目でストイックな生き方をしてきた稲盛塾長は、話題が人生や経営について真面目で堅苦しい話をしてしまいました。ところが、エリートコースを歩んでこられた二代目社長が、“いや稲盛さん、私はそうは思いませんなあ”愉快で楽しく人生を送るべきだと考えておられた様でした。稲盛塾長は“こういう厳しい経営環境の中でこそ、生真面目で慎重な経営をすべきではないか”と話されました。二代目社長は“私はそうは思いませんね”と反論されたのでした。 

その時、ワコールの会社の創業者の塚本幸一社長がいきなり“おい、おまえは何を言うんや”と彼を厳しく叱り付けたのです。お酒を飲んでワイワイ楽しんでいらっしゃる温和な方が、突然血相を変えて二代目社長を怒鳴りつけたのです。 

“何をいうてんねん。おまえは稲盛君と自分が同列やと思っているんか。おまえと稲盛君という、比べられないものを比べてどうするんだ。稲盛君は徒手空拳で会社を創業し、京セラを素晴しい会社にした。ワコールの創業者の私でさえも、稲盛君には一目も二目も置いているんや。おまえは二代目でくだらん経営しかしておらん。”“どういう経営をしているかということは、どういう哲学を持っているかで決まると稲盛君は言っているんや。おまえは稲盛君の哲学に対して、自分の哲学を主張できる立場か。”きびしい叱責でした。 

塚本さんが言われておられるのは“どの山に登るのか”二代目社長の登る山と稲盛塾長の登る山は比較にならないくらい違う。いい加減な哲学-人生を楽しめばよい-で登る山がストイックな哲学で登る山と同じレベルであるのならば、比較はできるけれども、すなわち同じレベルの業績を上げているのであれば、違った哲学は比較する意味がある。しかし低い業績しかあげていないのに好業績をあげている経営と、その哲学に異論をはさんでも意味はないのです。 

近所の低い山にハイキングに行くならば、何の訓練もいりません。気軽な軽装で登っていけます。エベレストを目指すとしますと、訓練は必要、装備も高度な登攀(とうはん)技術と豊富な経験を持った人材をはじめ、露営できるだけの十分な食料、装備など、周到な準備が必要です。ハイキングとエベレスト登頂も同じ登山として比較しても意味がないのです。 

つまり、“どの山に登るか”、つまりどのような会社を目指すかによって、会社の中を律する哲学や思想が変わってくるのです。高い目標を目指すには、それに相応しい考え方と方法論が必要となるのです。 

  1. 企業に格(社格)を与える

人間に人格があるように会社にも社格があります。その社格を与えるためにも、哲学は企業経営にどうしても必要なのです。すばらしい人格、すばらしい社格をつくりあげていくには、人間として正しい生き方が示されていなければなりません。

トップ、幹部、従業員が日頃から“人間として何が正しいのか”という基準に照らして仕事に打ち込んでいくことによって、会社の社格が生まれて来ます。京セラフィロソフィーは国境を越えてグローバル経営においても有効に機能するのです。 

京セラでは全世界に数多くの製造拠点、販売拠点を有し、従業員の半数以上も外国人です。言語、民族、歴史、文化などが全く異なる地域で事業を展開しています。仕事は人間が行っています。従って、異国で企業経営を行う際には、とりわけ“人を治める”ということが重要です。 

人を治めるためには二つの方法があります。一つは強大な権力でもって人を抑えつけ、支配して納めていく方法です。これは覇道(はどう)と言います。もう一つは仁、義など、いわゆる“徳”で人を治める方法です。これを“王道”といいます。 

京セラでは従業員と目標を共有し、その従業員が一生懸命、陰日向なく会社の為に貢献してくれるように“徳”で信頼と尊敬をかちとり人を治める“王道”の方法に従って会社経営に努めてきました。

盛和塾 読後感想文 第九十七号

独立採算制の導入とアメーバの組織

京セラフィロソフィーとそれをベースとしてつくられたアメーバ経営が京セラの発展を支えてきました。 

アメーバ経営は京セラの経営理念とそのフィロソフィーの実践を抜きにしては、決して正常に機能することはありません。京セラの企業理念“全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類・社会の進歩発展に貢献すること”はトップのものだけではなく、そこに働く従業員みんなのものなのです。 

すなわち会社が従業員の協力のもと、成長発展していくことが従業員に物心両面の幸福の直接つながっているということを、トップも従業員も理解して、目標達成に向けて積極的に仕事に取り組むようになっていなければならないのです。 

その時、会社の経理が秘密のベールに包まれているようであれば、いくらアメーバ経営を採用しても、誰も一生懸命に働くことはないはずです。ですから京セラでは経理内容をすべてオープンにした透明性の高い経営が行われているのです。 

京セラでは企業の成長発展を目指すにあたっては、経営理念と一体となっているフィロソフィー“人間として常に正しいことを追求する”“思いやりの心を持つ”ことなどが、繰り返し述べられています。 

アメーバ経営では、各アメーバが徹底した独立採算で経営を行い、必死になって採算を追求します。しかしそれがエスカレートし、“自分さえよければよい”というような利己的な意識が芽生えるとたちまち、アメーバ間の利害の対立が尖鋭化し、アメーバ同士の足の引っ張り合いが始まり、会社はバラバラになってしまいます。従って社員全員が京セラフィロソフィーをよく理解し、“アメーバ経営の目的は何であったか”をよく理解していなければならないのです。 

このようにアメーバ経営とは、京セラフィロソフィーを理解したすばらしい人間性を備えたリーダーやメンバーによって運営され、正々堂々と競い合うことによって、また不正や不明瞭なことがない公明正大な“ガラス張り経営”がなされることによって、初めて、本来の機能を発揮できるのです。 

アメーバ経営はどのようにして誕生したのか 

アメーバ経営の発想の原点 

  1. 過去ではなく現在の数字を把握する

稲盛塾長は京セラ創業時、会計の知識は持っておられませんでした。宮木電機製作所、京セラに工場を貸してくれていた会社から経理担当者に来てもらい、京セラの経理を見てもらうことになりました。損益計算書は数ヶ月遅れで出て来るような状況でした。 

前の会社、松風工業時代の上司であり、京セラに参画して頂いた青山政治さんに経営管理を見てもらっていました。青山さんは原価計算を勉強されており、京セラでも熱心に原価計算をしておられました。原価計算書は三か月くらい遅れて出されていました。何度も過去の原価計算を見ているうちに、過去の資料を見ている暇などないと思うようになりました。 

過去の数字では意味がない。競争の激しい市場で製品が次から次へと値下がりしています。今週どうして利益を出すのか悩んでいました。現在の数字がどうなっているのかを知りたいのであって、三か月前の数字を聞いても役に立たないのです。 

古い原価計算、損益計算では、経営の舵取りには役に立たないのです。

利益が出るように、後から損益の結果を知るのではなく、今利益を出せるように現在の数字を把握する必要がある。それも実際に仕事をしている現場が日々損益の数字を把握すべきではないだろうか、と考えるようになりました。 

数ヶ月遅れででてくる会計数字は、会社の各部門が集計しただけの数字です。そこには経営者が、自分の部門をこのように経営したいという思いや意志は全く反映されていません。これはいわゆる外部報告書にすぎません。結果を後から報告するだけです。(財務会計と呼ばれています。) 

会社を成功させるためには、経営者はもちろんのこと、それぞれ部門を運営するリーダーであっても、利益を出すという強い意志のもとに経営を行わなければなりません。経営者の意志決定に役立つ会計数字が必要なのです。(管理会計と呼ばれています。) 

  1. 経営者意識を持った分身を作る

当時の京セラは、稲盛塾長が研究開発、製造、営業とひとりで何役もこなさなければならない状況でした。会社の経営責任を背負い、孤独を感じていた稲盛塾長は、自分の分身のように、経営責任を分担してくれる仲間が欲しいと心の底から願っていました。 

“会社の中で経営責任を分担してくれるようなリーダーを育成しよう、それには大きくなってきた会社の組織を小さな組織に分割して、独立採算で運営してもらおう。少人数の組織であれば、若いリーダーでも運営できるのではないか” 

そうする為には、小さな組織が独立採算制で運営できるように損益計算をしなければなりません。現場のリーダーが自らの部門の売上がいくらでどれだけの経費がかかるのか、利益がいくら出せるのか、一目瞭然でわかるような採算表を作ろうと考えたのでした。経理の知識のない現場のリーダーでも理解できるように、わかりやすい採算表を作ることが必要でした。 

経営者、社長ひとりが数ヶ月遅れの決算書を見て一喜一憂(いっきいちゆう)するのではなく、会社の組織を小さな組織に分割し、リーダーを任命し、各部門の採算に責任をもってもらうことで、経営者意識をもった人材を育成して会社を運営していこうと考えたのでした。 

アメーバ経営の仕組み 

  1. 組織をどのように分けるか

アメーバ経営の仕組みを構築していく際に、最初に遭遇したのは、組織をどのように分けるかという問題でした。 

小さなお店でも、野菜の採算、魚の採算、肉の採算と分かれており、どれが儲かっているか、うまくいっていないか、毎日分かるようにするのです。アメーバ経営の原点は組織を採算別に分けられる小さな組織にして、独立採算で運営するところにあります。 

京セラではセラミックを作るのに、原料工程(金属酸化物を入れて原料を粉砕し、水を加えて混ぜて混合し、原料を乾燥させて、成形しやすいように造粒します)。成形工程(できあがった原料をプレスマシンで圧縮して、求められた形状を作る)。焼成工程(成形した製品を耐火物のセッターにのせて、電気トンネル炉で焼きます)。加工工程(加工機械を使って、セラミック製品を様々な完成品を作ります)。 

従来の会計手法ではこれらの四つの工程を一括りで捉え、損益計算をします。これら四つの工程を独立したビジネスとして捉えることができるか検討したのでした。

実際に調べてみると、こうした工程でビジネスをしている企業があると判明したのです。この結果、会社の組織を工程別、品種別などの形態で分割し、アメーバ組織ができていったのです。 

分割した小さな組織は、市場やビジネスの動きに対して、まるで生命力にあふれる微生物のように変化していきます。その様子から、小さな組織をアメーバと命名しました。 

  1. アメーバの売上の計上

アメーバ経営を構築する際に遭遇した問題は、“アメーバの売上をどのように計上したらいいか”という点でした。アメーバが独立採算で運営するには損益計算が必要となるので、アメーバの売上を計算しなければなりません。 

原料部門では、原料の材料が粉砕、混合、乾燥、造粒と加工の仕事がありますから、経費が発生します。これを合計して原料部門の利益を乗せて、次の成形部門に売ることになります。 

成形部門では、原料部門からの社内買をして、原料をプレス機械で要求された寸法に成形します。原料代、プレス機械の減価償却費、金型代、消耗品費、その他の経費を合計し、利益を乗せて焼成部門に売却します。 

焼成部門は成形部門から成形品を買い、電気代、減価償却費などの費用を加えて利益を乗せて加工部門に売却します。 

加工部門では、焼成部門から購入した成形加工品を加工して最終製品に仕上げます。加工でかかった費用、消耗品費、減価償却費などの費用を乗せて利益を乗せて、営業部門に売却します。 

社内売買の仕組み

             5.営業

                                    社内買+経費+利益=社外売(顧客) 

            4.加工工程

                        ↑        社内買+経費+利益=社内売(営業) 

            3.焼成工程

                        ↑        社内買+経費+利益=社内売(加工) 

            2.成形工程

                        ↑        社内買+経費+利益=社内売(焼成) 

            1.原料工程

                        ↑        原料+経費+利益=社内売(成形) 

社内のアメーバに売ることを 社内売、社内のアメーバから買うことを社内買としています。 

社内売買でおける値決めが問題となります。社内売買の価格は、あくまで公平に値決めをしていかなければなりません。受注生産の場合ですと、客先への販売価格は受注した時に決まってしまいます。最終販売価格から遡って、すべての工程がだいたい同じくらいの採算が出せるように売買価格を設定し、各アメーバに公平な値決めをするようにします。 

また市場価格が値下がりした場合には、値下がり分が各アメーバの社内売買価格に反映されるように、社内売買価格を修正するという方法を採用しました、と稲盛塾長は述べています。こうすれば市場価格が変動しても、各工程にフェアな社内売買価格を決めることができます。 

  1. 時間当り採算表の仕組み

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差引売上(付加価値)は総生産から労務費を除くすべての経費を控除したものです。この部門が生み出した付加価値を表します。 

時間当りはアメーバが1時間当りどれくらいの付加価値を生み出し、会社にどれくらい貢献してくれたかを示すものです。 

時間当り付加価値=差引売上÷総時間 

一方ではある部門の労務費を総時間で割りますと、時間当り労務費が計算できます。たとえば、あるアメーバが一時間当り労務費が二千五百円、時間当りが五千円とします。

そうしますと、時間当り五千円 -1時間当り労務費二千五百円=1時間当り利益二千五百円となります。 

  1. なぜ利益ではなく時間当り付加価値なのか

時間当り採算表の中には労務費は入っていません。もしアメーバの利益を計算するならば、労務費も経費として含まれるべきものです。しかし、少人数のアメーバの場合、労務費を時間当り採算表に載せると、そのアメーバのリーダーやメンバーの給与までわかってしまう恐れがあります。それでは社内の雰囲気が悪くなる恐れがあります。その為、時間当り付加価値を採算表に表示するようになっているのです。 

利益ではなく、時間当り付加価値という指標で“俺の部門はいくら儲かっている”ということを赤裸々に公表することを避けました。 

この採算表は“売上を最大に、経費を最小にする”という経営の原則をベースとして採算をよくするためには差引売上を最大にすると同時に、総時間をいかに減らすか、総時間を最小にするということによって、採算制を表す時間当りを最大にすることができるのです。 

アメーバ経営上の問題をいかに克服するか 

  1. アメーバ経営と京セラフィロソフィーは密接不可分

原料部門は自分の採算を考え、なるべく高く原料を売りたいと思います。成形部門は自分の採算を守るために、なるべく安く材料を買いたいと思います。前工程から安く買いたい、後工程に高く売りたいと考えますから、値決めの際によく揉(も)め事が起こる可能性があります。 

アメーバ経営では、最終販売価格をもとに、アメーバ間の社内売買価格を決めています。もし顧客より10パーセントの値下げを要求された場合、それに応じてアメーバ間の売買価格も10パーセント値下げして調整することになります。その際、各アメーバが10パーセント値下げを受け入れられるといいのですが、必ずしもそうはいかないケースもあり、値下げを受け入れられないアメーバは“10パーセント売値を下げるなら、生産はできない”と言わざるを得ません。アメーバ個の利益と全社全体の利益の衝突(しょうとつ)を避ける為には、より高い次元で考える哲学が必要となります。 

アメーバ経営を常に機能させるためには、“人間として何が正しいのか”を判断基準とした、優れた人物をリーダーとして配することが重要です。リーダーは自分の部門を必死に守りながら、物事を損得で判断しないで、善悪で判断できるような人物です。またアメーバ経営に携わるすべての社員が、善悪を判断基準として、周囲に対して思いやりの心で接する人間性を持つことが望まれます。ですから、アメーバ経営と経営哲学は密接不可分の関係にあるのです。 

  1. 正義感がなければ会計は成り立たない

アメーバリーダーは、アメーバ経営全般を委任されているわけですから、もし意図的に経営数字を操作するようなことがあれば、アメーバ管理システムの崩壊にもつながりかねません。会計を行うにあたっては、正しい経営数字を誠実に計上するという哲学が欠かせないのです。たとえアメーバの状況が悪化した時でも、正しい経営数字を出すことができる、勇気と正義感を持っていなければ、経営や会計の仕事をすることはできないのです。 

  1. 額に汗して稼いだものだけを付加価値と考える

アメーバリーダーは時間当り採算を向上させようと日々努力をしているのですが、かえって時間当りを上げようとする思いが強いあまり、問題となったことがありました。 

稲盛塾長がアメーバの採算表をチェックしていますと、ある製造部門のアメーバは“時間当り”が上昇しているのですが“差引売上(付加価値)”が減少しています。このようなことは製造部門のアメーバが工程の仕事の多くを外注や内職に出すことによって起こっていました。

仕事を外注に出しますと、経費が増え、差引売上は減少していきます。しかし総時間は外注に出した分、大きく減らすことができていました。その結果、差引売上を総時間で割った“時間当り”が上昇するのです。 

いくら“時間当り”がよくても、付加価値である差引売上の絶対額が減少していれば、会社に対する貢献は減っているわけですし、従業員を運用する力も低下しているのです。 

メーカーでありながら、開発、設計、販売などに特化して、製造は下請け会社に任せるという会社はいくらでもあります。そのようにすれば、汗水を流してものづくりに苦労しなくても、高収益があがるので、こうした誘惑にかられます。 

しかしそれでは、事業が一時的に成功したとしても、メーカーの原点であるものづくりの技術が社内に蓄積されないで、長期的に成功することは難しいのです。 

事業を長期的にわたり継続しながら、従業員の雇用を生み出していくには、やはり付加価値を生み出す製造現場を社内につくりあげ、額に汗してものづくりに励むべきと思います。 

経営とはゴーイング・コンサーンで永続的に行うべきもので、決して浮利(ふり)を追うものであってはなりません。アメーバ経営においても、社内でできるだけ生産を行い、創意工夫により付加価値を高め、製造技術を蓄えていくように製造現場を育てていくことが大切です。

盛和塾 読後感想文 第九十六号

人生は運命的な人との出会いによって決定づけられる

人生の途上で出会った人々の好意、善意を喜んで受け取り、その好意、善意が指し示す方向へと一生懸命に努力することによって運命が好転し、人生が開けていったと稲盛塾長は語っています。 

人生の師との運命的な出会い 

  1. 自らの善き思いが人の好意と善意を招く

運命的な人との出会いによって人生が決定するのですが、まずは人生で巡り合う様々な人々のなかで、その人が運命的な人かどうかを識別しなければなりません。利己的な思いやたくらみから助言を申し出てくれる人ではなく、自分に対して、好意と善意を持って手を差し伸べてくれる人であるかどうかの見極めが必要です。 

運命的な人との出会いとは、思いやりに満ちた純粋な思いから自分に接してくれ、助言や支援を下さる人のことを言うのです。すばらしい人間性を備えた方であるかどうか、さらに相手の為に“善かれかし”と願う心から指し示してくれる助言であるかどうか、まずその識別を行い、それが純粋なものであれば、心から感謝して受け取り、何のためらいもなく、その方向へ全身全霊をあげて努力していくことが運命を好転させることにつながるのです。 

しかし自分に好意と善意をもって接してくださる人々の運命的な出会いも、自分の方が善き思いを持ち、善き行いに努めているからこそ適(かな)うことなのです。こちらが利己的に、常に自分の損得だけを考えているようでは、出会う相手も必ず自分勝手で利己的な人となり、自分の都合と損得勘定だけで助言してくることになります。 

自分自身が純粋で、好意と善意の持ち主であれば、必ずそういう人が寄って来て、自分にも好意と善意で接してくれるはずです。自分の心の有り様に注意して好意と善意の人に出会うことができるように心を磨き、高めていくことが人生をすばらしいものにするうえで、たいへん大事なことになってくるのです。 

稲盛塾長の人生には多くの善意、好意を持ってよき助言をして下さった方々が登場しました。中学校に行かせてくれた土井先生、大学に行かせてくれた辛島(からしま)先生、就職先を世話してくださった指導教授竹下先生、目をかけて下さった内野先生、パキスタン行きを中止するようアドバイスして頂いた等、多くの先生方の好意、善意に稲盛塾長は助けられました。 

  1. 死の直前まで気づかってくれた内野先生

内野先生が危篤との急報を受けて、急遽、稲盛塾長は米国の出張先から帰国、羽田に着いてからすぐに入院先の都内の病院へ駆けつけられました。 

病院に着きました処、お嬢さんが病室ではなく病院の廊下に待機しておられたそうです。なぜ廊下におられるかとお尋ねしますと、ベッドの横にいると“気が散るから外に出ろ”と父から命じられ、二~三日前から廊下にいると言われたそうです。驚いたことに、内野先生が死に直面して、“自分の哲学をまとめなくてはならない”と考えられ、そのため人を遠ざけておられたそうです。人生の最後の期を“死を迎える準備期間”として捉えておられたようでした。 

“病室に入っていいでしょうか”とお嬢さんに尋ねますと、“父はいつも“稲盛君はどうしているだろう”と話していましたので、たいへん喜ぶと思います”と、入室を許されました。 

病室に入り、“内野先生”とお声をかけますと、もう骸骨みたいに痩せておられた先生が振り向き、破鐘(われがね)のような声で“おお!稲盛君、大したものだ!大したものだ!”しきりに稲盛塾長に話しかけられるのでした。お見舞いを申し上げ、近況を報告し、早々に失礼されたそうです。死の直前まで稲盛塾長のことを気にかけていただくなど、終止、あふれるような好意と善意で稲盛塾長に対してくださったそうです。 

  1. 京セラ創業の恩師・西枝さん

松風工業の上司であった青山政治さんが、京大時代の同級生の西枝一枝さんに、稲盛塾長を紹介されました。宮木電機の専務をされていた西枝さんでしたが、最初は“こんな若者が会社を経営するなどできるもんか”と考えられました。何度も通いづめ、ファインセラミックスの可能性を繰り返し説いていくうちに“やってみるか”と西枝さんは新会社への出資を宮木電機の役員の方々にも促してくださいました。 

この西枝さんは、ご自身の家屋敷を担保に入れて、一千万円もの開業資金を用意してくださいました。 

西枝さんにはお酒の飲み方から、実に多くのことを教わりました。心は広く豊かで快淡として欲がなく、会社の状況をご報告するたびに京セラの成長を我がことのように喜んでくださいました。 

西枝さんは新潟のお寺で生まれ育った方でした。その御縁で前の臨済宗妙心寺派管長の西片擔雪(にしかたたんせつ)ご老師を紹介いただきました。 

  1. 運命的な出会いがなければ、現在の私は存在しない

稲盛塾長は“これらの方々に出会っていなければ、今の私はなかったと強く思います”と語っています。“また、それらの方々の貴重なアドバイスに耳を傾けていなければやはり、現在の自分は存在しない”と振り返っておられます。 

自分を高める友人との運命的な出会い 

  1. 自分よりも立派な人を友人にする

“類は友を呼ぶ”“似たもの同士”とも言います。自分よりも立派な人、自分よりも人間的に成長した人、また自分の損得や利害得失で考えず、ことの善意で判断ができる人、つまり無私の考え方を持った人、さらに言えば他人の為に善意で考えてくれるような人とお付き合いをしていくということが大切です。 

われわれ経営者には、たとえ友達とはいえ、自分よりも立派な方とお付き合いをして、自分を高めていくということがどうしても必要なのです。 

  1. 心の友 宮村久治公認会計士

四十年ほど前に、京セラが大阪証券取引所第二部に上場すると考えて、会計監査法人を探しておられたそうです。都銀の支店長から宮村先生をご紹介いただいたそうです。 

“監査をお願いします”と頼むと“あなたは簡単に監査をお願いすると言われますが、そう簡単に引き受けるわけにはまいりません。”と言われたそうです。“決算にあたって私はあなたにいろいろと意見を言い、注文をつけると思いますが、あなたはそれを素直に聞いて従ってもらえますか”と稲盛塾長に問うのでした。

“もちろん私は人間として正しいことを正しいままに貫いていくということをかねてから信条にしていますから、不正なことをするつもりは毛頭ありません。”と答えられたそうです。

宮村先生いわく“いや皆さんそういうんです。経営が順調な時は正しい決算をしても大丈夫なものですからそう言う。ところがひとたび不況になって経営が苦しくなってきて、思うような決算にならなくなると、公認会計士に“そんな堅苦しいことを言いなさんな。ここのところあんたちょっとこう変えてくれてもいいではないか”という粉飾まがいなことを、かねて立派なことを言っていたはずの人が言い出すのです。”

稲盛塾長は“そんなことはありません。私はどんなときでも考え方を変えることはありません”

宮村先生は“それじゃ、男に二言はありませんな”とやっと監査を引き受けてくださったそうです。 

稲盛塾長は宮村先生が公明正大に企業監査をしようとしていく姿勢に強く惹かれたそうです。 

宮村先生はたいへん気難しくて、また理屈っぽい人で、塾長と意見が合わず、ことあるごとに激突していたそうですが、会計を語り、経営を語り、時局を語り、そして人生を語るうちに、本当に親友と言えるほどの間になり、一緒に酒を飲みに行ったり、ゴルフに行ったりするようになったそうです。 

そういう遊びの時でも、人生論や政治論になってしまい、意見が違うものですから、すぐに喧嘩みたいになったそうです。 

それでいて、宮村先生が病気になると稲盛塾長は心配して見舞いにいく。塾長が体をこわすと逆に宮村先生が塾長のことを気遣い、いろいろとアドバイスをしてくれたりするそうです。 

M&Aの案件などは真っ先に宮村先生に相談しておられたのですが、宮村先生は緻密にかつ綿密に、また公正に、相手である塾長のことを考え、“あなたが考えていることはそれでいいんですよ。そうすべきなんです”と心強い助言をされたそうです。宮村先生のアドバイスはいつも正しく、塾長にとって本当にすばらしいアドバイスだったそうです。 

宮村先生は塾長の自宅の購入や財産の管理も手助けされたようです。そうして塾長は、経営に全力投球できるよう環境を整えてくださったそうです。 

宮村先生は“稲盛さんと親しくなったおかげで、私は公認会計士としてもたいへん立派になれたと思う”と言われたそうです。徳に京セラ会計学、アメーバ経営について、“あんなにすばらしい会計学をあなたは独学でつくったのですか”と褒めていただいたそうです。 

共に学ぶ“磁場”を形成する 

  1. 出会いへの感謝の念が他を思いやる気持ちにつながる

若い頃、二十五、二十六歳くらいの間には悲惨な人生が続いていましたが、松風工業に入り、研究に打ち込み、その成果をもって京セラという会社をつくっていただいた頃から、今あるのは様々な人との出会い、特に京セラをつくっていただいた頃には、もう不平不満を漏らしているような自分ではなくなり、感謝の思いを強く抱くようになりました。そのころには、自分が幸せだと思うようになりました。出会えた人に対して、また社会に対して、感謝すると同時に“自分は何と幸せ者だろう”と思えるようになる。するとさらに自分以外の人たちも幸せになってほしいと願うという。他人を思いやる気持ちが自然に湧き出てくるようになったと、稲盛塾長は述べています。 

  1. フィロソフィーを共有するために虚飾をむしりとる

京セラがスタートすると、会社をどのように運営していけばよいのか、たいへん悩みました。二十八名で会社を創業したのですが、会社を潰(つぶ)せばたいへんなことになります。せっかく集まってくれた従業員の方々を絶対に路頭に迷わせてはならない。その為には、“誰にも負けない努力”を払うことを心に誓って、必死に働いて来ました。 

一生懸命に仕事を進めていく中で、運命的な出会いから学んだこと以外に、自分自身でも経営についてどういう考え方でなければならないか、またたった一度の人生をすばらしいものにするにはどういう考え方をすべきなのかということについて、折々に気づいたことを毎日、実験ノートの端に書き留めていったのであります。 

その書き留めたものをベースにして“こういう生き方、こういう考え方をすべきだ”と説いていきました。京セラは急成長していましたから、常時中途採用を行い、会社には年輩の方々もおられました。 

全ての従業員の考え方のベクトルを合わせなければならないと考え、少し“考え方が違うな”と思う人をつかまえては、よく話し込んでいきました。中途で入社してこられる多くの人はそれぞれ前職や人生での経験を通じて身につけた独自の考え方を持っておられます。人間、四十、五十になりますと、もう固定概念を持つようになりますので、稲盛塾長が多少言ったぐらいでは、なかなか聞いてくれず、素直に受け入れてくれません。 

中途入社の中には、いわゆる一流大学を卒業した人、また中央官庁や一流企業に勤めていた人もいました。そういう人ほど、たくさんの不要な固定概念をまとっているのです。それをむしりとっていくのです。あたかも、寒い冬に着こんでいる外套から上着、ついには下着まですべて脱がしていくようなものです。相手は必死に抵抗し、自分の衣服、つまり固定概念を離そうとしません。それでもパンツまで無理矢理にむしりとっていくのです。 

そうして虚飾をむしりとられて裸になった自分が、いかに貧相な自分であったかと皆、気づくのです。学歴や職歴など人間はいろいろな虚飾をまとっていますが、そんなものを全て引きはがしてしまうと、本当にみすぼらしい自分がいることに気づくのです。 

そうした後、京セラでは“考え方”“生き方”を、つまりフィロソフィーを改めて身につけてもらわなければならないのです。会社のフィロソフィーを、企業哲学を社員に理解してもらいたいと思いますが、会社でチョロチョロとフィロソフィーを説くだけでは、実際には社員はわかってくれません。本当にフィロソフィーを浸透させていくには、“むしり”とる壮絶なプロセスが必要だったのです。 

心底からフィロソフィーを理解し、共有し、そういう考え方、生き方を実践しようという社員が、会社のなかで次第にマジョリティーになっていくに従い、会社のベクトルがそろってきて、会社はぐんぐんと成長発展していくのです。 

  1. フィロソフィーによる“磁場”にいることで偉大な力を発揮できる

ところが、往々にして、会社が発展していくにつれて、社員が妙な自信を付けて、変質してしまうことがあります。京セラの場合、有能な幹部社員の中には有頂天になり、傲慢になり、会社を去っていった人もあります。京セラが上場した時、“俺は仕事が出来る。自分が会社を引っ張っているのだ”と自負心が高じて、転職していった人もいました。最初のうちは活躍されていたようですが、いつの間にか噂も聞こえなくなり、しまいには消息が分からなくなってしまいました。 

りっぱなフィロソフィーは職場の“磁場”のようなものです。フィロソフィーという企業哲学を共有し、みんながそれにベクトルを合わせ、同じ思いで仕事をしている。そこには、あたかも強力な磁場ができあがっているのです。 

その“磁場”の中におれば、つまりフィロソフィーを共有し、フィロソフィーに基づき仕事をしている時にはたいへんな力を出せるのですが、その磁場から離れてしまえば力を失い、ただの人になってしまうのです。たとえ自分がフィロソフィーを身につけていると思っても、フィロソフィーの実践は従業員同士の相互作用でなされるものですから、フィロソフィーを自分自身で持続していくこと、ましてやそれを他に移植していく、他の会社に、身につけたフィロソフィーを移植していくことは、大変な仕事なのです。 

京セラという“磁場”の中、つまり京セラフィロソフィーの中におり、それを信じ、お互いに影響し合っている時には偉大な力を発揮しますが、フィロソフィーという“磁場”から離れてしまうと、ただの人になってしまう。 

人生で運命的な人々に出会い、そのすばらしい善意、好意のアドバイスが指す方向へ、一生懸命に努力をしていく中で教わった“考え方”“生き方”があります。この両者でできあがったものがフィロソフィーなのですと、塾長は結んでおられます。

盛和塾 読後感想文 第九十五号

現代の経営者はいかにあるべきか 

人類を発展させた欲望という原動力 

  1. “生物圏”を離れ“人間圏”を形成した人類

宇宙の誕生は今から約百三十七億年前、一握りの素粒子の固まりが大爆発を引き起こしたことに始まるそうです。いわゆるビックバンと呼ばれる大爆発により誕生した宇宙は、以来膨張を続け、現在も拡大し続けていると言われています。 

この宇宙誕生から四十六億年前にガス状であった太陽系星雲のなかで、小さな惑星がたくさん生まれました。それらの小さな惑星が合体したものがこの地球だと言われています。 

海が形成され、その中で原始的な生命が誕生しました。その海で誕生した生命が進化して、陸地に上陸してきたのが今から四億年くらい前であると言われています。陸に上がった生物は進化を遂げていき、今から七百万年くらい前に、アフリカに人類が誕生したと言われています。 

人類は地球上でほかの生物と共に進化発展を遂げてきた生物種の一つであり、同時にこの頃の人類は生物圏、つまり生物で構成される世界のなかに含まれた、一つの生物種に過ぎませんでした。自然環境の制約条件の中で、受動的に生きる存在であったのです。 

人類は狩猟採集の生活を送っていました。当初人類は狩猟採集の生き方を通じて、生物圏の中で物質やエネルギーの循環を受動的に生きる存在であったのです。ところが、人類が一万年くらい前に農耕牧畜を始めた時から新たな局面を迎えることになりました。森を焼いて畑に変え、食料となる植物を栽培する、牧草地をつくり、家畜を放牧する。これらの農耕牧畜の営みは、地球の物質やエネルギーの流れを変えることになったのです。 

それは、自然に支配されて生きるという生き方から決別し、自らの意志、また理性を駆使することによって地球上の自然を自らのために利用し、変えてしまおうというものでした。人類のために自然は征服されるべきものという認識を人類が持ち始めたのです。また同時に、そのとき人類は、自然や、自然のもたらす資源は無尽蔵であるとも思い込んでいました。 

そのような考えをもった人類は、地球上の森林の多くを切り開き、農場を、また家畜を飼育する牧場へと変貌(へんぼう)させていきました。そのことで、生物種の激減をもたらすなど、生物圏を変化させて、ダメージを与え続けてきたのです。しかしこの頃の人類は人力やせいぜい牛馬の力しか持たず、自然への関与は限定的なものに留まっていました。 

  1. 産業革命により獲得した“駆動力”が今日の物質文明を作った

農耕牧畜へと移行した人類は、社会のあり方をも変質させてしまいました。食料の生産を開始した人類は、生活の安定と豊かさを求めて余剰食糧を備蓄するようになりました。その結果、貯蔵した食料、富をめぐって人間同士が奪い合いをはじめました。 

自らの豊かさを得たいという欲望を募らせ、争いがエスカレートしたことから、外敵から身を守る為に都市の周辺に城壁や環濠(かんごう)(堀)をめぐらしていきました。この間人類は、富をめぐる興亡を数千年にわたり、続けながら、富を求めて大いなる好奇心と探求心をもって自然現象の原理を追求し、またものづくりにたゆまぬ創意工夫を重ねていったのです。 

今から二百五十年前にイギリスで産業革命が起こりました。蒸気機関が発明され、人類は駆動力を手に入れました。この駆動力を手に入れたことによって、人類は地球上の物質内エネルギーの循環に深く関与し始めました。 

その駆動力の中心となっているのが化石燃料です。内燃機関がもつ強大な駆動力、その燃料である化石燃料の大量使用によって、現代の地球環境問題が示すように、人類は地球の物質、エネルギーの循環に大きな負担をかけるようになってきたのです。生物圏のくびきを逃れた人類は、その駆動力によって、人間圏を異常なまでに発展拡大させてきました。 

駆動力を手に入れた人類は、“もっと豊かな生活をしたい”、“もっと便利な社会をつくりたい”という欲望を原動力として、さらに好奇心と探求心を募らせ、次から次へと科学技術を発展させ、わずか二百数十年の間に、現代の豊かで便利な物質文明をつくりあげてきました。 

  1. 現代の物質文明をいつまで続けることができるか

現代の物質文明は“大量生産”、“大量消費”、“大量廃棄”の経済システムのもとに成立しています。たくさんのモノを作り、たくさんのモノを使い、たくさんのモノを棄てることで、絶えず経済発展/成長を目ざす。人類はそうすることによって社会全体の発展と幸福を導くことがよいのだと考えて来たのです。 

そのような欲望に基づき、自然をないがしろにする文明が長く続くはずがないのです。稲盛塾長は、一昨年前に考古学者の吉村作治先生と哲学者の梅原猛先生と、エジプトに行かれました。 

エジプト文明は今から五千年前に発展を始めたそうですが、二千年ほど前に滅亡し、ピラミッドや神殿などの遺跡だけが残ってしまっているようです。現在のチグリス・ユーフラテス文明も同様に、古代に栄えた文明が多くの遺跡を残し、今や文明の痕跡(こんせき)さえ見出すことは難しくなっています。かつてチグリス・ユーフラテス川流域は森林に覆(おお)われた豊かな牧草地帯であったと言われています。しかし今は見る影もない砂漠と化しています。 

自然を征服しようとして、自然を利用するだけ利用してしまった結果、栄華を極めた文明が滅びてしまったわけです。人類の文明で千年以上も続いているようなものは、ほとんどないそうです。 

わずか二百数十年前に始まった産業革命を契機に始まった近代の物質文明も、いつまで続けることができるでしょうか。本来、生物種の一つでしかなかった人間が、自らの欲望のおもむくままに、他の動植物を利用し、自然環境を破壊し、すばらしい生活を享受している現代文明。このような文明は結果として地球環境を破壊することで自らの生存さえ危うくしてしまうに違いありません。 

江戸時代中期、千八百年頃には地球の人口は十億人ほどであったと言われています。それから二百年の間に人類はおよそ七十億人に膨れ上がっています。今世紀末には百億人に達するだろうといわれています。 

しかし、エネルギーや食糧、水を百億人分も確保できるのでしょうか。多くの有識者がすでに不可能だと言っています。おそらく現代の物質文明は2050年、今から四十年後に崩壊するという悲観的な予測もあり、多くの賢人達が警鐘を鳴らし始めています。 

人類が今までのように欲望を原動力として、もっと便利で豊かな生活を望み続けても、地球の許容能力の範囲までしか発展しないのは当然ですと稲盛塾長は述べています。その限界がくるのは、そんなに遠い将来ではなく、せいぜい三十年、四十年という短い時間軸なのであり、このままでは現代文明は崩壊し、人類は破滅するしかないというのです。 

今求められているのは新しい倫理観の確立 

  1. 経済危機の背景には際限のない欲望がある

米国を中心とする資本主義、それは人間の欲望を原動力としてさらにもっと便利で豊かな生活を、それも楽しんで得たいと望むものでした。人類はその持てる意志と理性を駆使して、その限りない発展に尽力して来ました。 

その最たるものが、金が金を生む金融界における技術進歩でありました。米国を中心とする金融機関は、高度な数学、統計学の知恵、最先端のIT技術を駆使して、レバレッジを活かした金融派生商品を開発し、それを全世界に販売し、巨額の利益を上げてきました。できるだけ楽をして、巨額の利益を得たい、自分だけが限りなく儲けたいという利己的な欲望がエンジンとなっていたのです。

サブプライムローンという極めてリスクの高い債券を証券化し、これらの金融派生商品の中に組み込んだのです。その後、世界各国の巨大金融機関が破綻し、それを救済するために、各国政府はやっきになって、資金注入をしました。 

現在人類は資本主義をほとんど唯一の経済システムとして、その資本主義が主導する“市場原理主義”“自由経済主義”“成果主義”を正しい社会原理としています。市場原理主義、自由経済主義は、放任的な経済自由競争のなかで、強者と弱者を明確にし、“格差社会”をつくりあげてしまいました。成果主義は能力のある者とそうでない者との報酬に圧倒的な差を生じさせ、社会に矛盾と不安を惹起(じゃっき)させました。 

リーマンブラザーズの経営破綻、メリルリンチの経営破綻の中で、経営責任者が引責辞任時に三百二十億円、百五十億円の退職金を受け取ったと言われています。このあまりにも利己的なありかたが、社会から“グリード”“強欲”として大きな批判を浴びたのでした。 

企業の利益というのは、全ての経営幹部と社員の献身的な努力と協力によってつくられたものです。それを経営トップ一人だけが成し遂げたかのように考え、高額の報酬をひとりで得ることなど、あってはならないことです。 

現在の資本主義の根本的な問題は、法律規制、制度の確立、方法論の改善という問題ではなく、つまるところ人間の資質の問題である。今こそ資本主義をより節度のあるものに変えていかなければならない。 

規制や監視の強化が叫ばれていますが、資本主義社会を生きる者が正しい倫理観、強い道徳感を備えることが最も大切なことです。資本主義とは己のためだけではなく、社会のためにも利益を追求する経済システムであるべきです、と稲盛塾長は語っています。 

  1. 欲望に基づく経営から利他をベースとする経営へ

人類が持つ欲望、これは人類に限りない成長・発展をもたらした原動力です。この欲望がさらに続いていくならば、人類は地球を破壊し、自ら人類の破滅を招くことは必定です。その人類の欲望を節度あるものに変えていくにあたり、必要となる考え方がまさに“足るを知る”ということなのです。“知足”。 

人類が地球に与える負荷を許容できる範囲に留めていかなければ、現代文明は崩壊し、人類が破滅するのです。 

地球上に住む人類七十億人の人口の大変は発展途上国の人々です。これらの人々は生活の向上を願い、今後も高い経済成長を目標に掲(かか)げ、資源エネルギーの消費を飛躍的に増大させていくはずです。先進諸国、発展途上国の人々の消費するエネルギーは地球資源の有限性という点から、とうていまかないきれないのです。 

大量生産、大量消費、大量廃棄という現代社会のあり方を根本から見直し、技術革新を通じて資源エネルギーの使用をできるだけ少量に留めながら、付加価値の高いものを生み出していくという方向へと、産業や社会のあり方を大転換していくことが必要です。 

どのような経済環境の下でも、動植物が厳しい自然界の中で必死に生き延びようと努力をしているように、経営者も誰にも負けない努力を必死に払うべきです。ただし、必死に経営にあたる中で、自分だけよければよいというエゴ、つまり自分の欲望だけで動くのではなく、従業員、お客様、取引先、そして地域社会、企業をとりまくすべての人と社会と調和するような思いやりのある心、利他の心で経営していくことが大切です。 

今こそ、資本主義の中にすべてのものと調和して生きていこうとする“共生”の考え方、全てのものに善かれかしと願う“利他”の考え方を倫理規範としていかなければなりません。 

企業経営者こそが世の規範とならなければならない 

  1. “他に善かれかし”という願いが繁栄を持続させる

経営者の努力と才覚により、小さな中小企業が成長発展を遂げ、上場企業になった時、その経営者が“もっともっと”と自らの利益だけを際限なく求めるようになり、贅沢(ぜいたく)に走り、傲慢になるようであれば、やがて滅亡していきます。 

その経営者は最初は“自分だけはその轍(てつ)を踏むまい”と思っているのです。辛酸をなめ、苦労を重ねている時は、“巨額の報酬を受け取るなど経営者の風上にも置けない”と憤慨しているのですが、いざ自分が功成り名を遂げたら、報酬も名誉も限りなく欲しくなり、驕り高ぶるようになり、やがて没落していくことになってしまうのです。自分では自分の変化がわからないのです。 

自分のなかに確固たる哲学を持っていない、また、日頃から反省する、哲学書にしたしむ習慣がないものですから、環境の変化に合わせて、自分が変質してしまうのです。 

ともすれば頭をもたげてくる“おれがおれが”という自己愛に満ちた欲望をできるだけ排し、従業員のため、お客様のため、さらには社会のため“他に善かれかし”と願う利他の心が、自分の心の中を占めるようにしていかなければなりません。 

  1. 善なる動機から創業した沖縄セルラー電話

沖縄は過去辛酸をなめ尽すかのような歴史をたどっています。長く大国中国の支配下におかれ、江戸時代には薩摩藩に搾取され、さらに第二次世界大戦では本土防衛の先駆けとして大変な犠牲を強いられました。そういう悲惨な歴史の中にありながらその踊りや歌などに見られるように、他の地域にはない独特のすばらしい文化を育んでおられる。沖縄はもう立派な独立国になってもおかしくない、独立心のある、独特の人たちの集まりと考えられるのです。 

1990年に沖縄の技術発展を促進しようということから“沖縄懇話会”が設立されました。稲盛塾長もその会員に推挙され、以来、沖縄発展の為に何をしてあげられるかと考えられました。沖縄返還以来、日本の経済界は様々な支援を行ってきたようですが、実際は本土資本の為に働くだけで、本当の意味では沖縄の経済支援にはなっておらず、沖縄の人たちを豊かにすることにつながった例は少ないというのです。 

京セラグループは1996年以来、移動体通信の自由化に伴い、首都圏と中部圏を除く北海道から沖縄までセルラー電話会社を設立してきました。その時沖縄は単独の経済圏として成立せず、あくまでも九州経済圏の一部であり、行政的にも九州の管轄下に入ることが多いものですから、もともと九州地域を受け持つ九州セルラー(株)の管轄下に入れる予定でした。 

沖縄の人たちの為に何かしてあげることができないかと考え、“沖縄には単独の会社をつくってあげるべきではなかろうか”と考えつかれました。沖縄は独立国家みたいなものですから、九州の会社の一営業地域というのではなく、独立した沖縄セルラー電話という会社を作ろうと思いますと、沖縄の経済界のみなさんは出資して下さいませんか、と問われました。 

大株主としてKDDIは60%、残りの40%は地元沖縄の人々で持っていただきました。役員人事にあたっては、会長と役員一名はKDDIから、社長以下すべて役員は沖縄の人にお願いしました。沖縄の人はこれは沖縄の会社、我々の会社と考えられ、沖縄セルラーは創業以来快進撃を続け、全国で唯一NTTドコモを上回る、ナンバーワンのシェアを誇り、業績も順調に維持しています。1997年には上場も果たしました。全国にセルラー会社は合計八社展開しましたが、上場したのは沖縄セルラーだけなのです。 

稲盛塾長は名誉会長ですが、給与はなしです。打算一つもなく地元のためという思いから創業し、ここまで来た会社の経営を通じて多くの皆さんに喜んでいただいていることが本当に嬉しいのです。沖縄の方々のために何かしてあげたいという純粋な善なる動機、優しい思いやりの心で始まり、それが相手の方々にも伝わり、すばらしい経営につながったと稲盛塾長は喜ばれたのでした。 

  1. 利他に努めることが“ひらめき”を生む

盛和塾の会員の中には“私利私欲だけで経営していたら、おそらく私の会社は倒産していたでしょう。利他の心で経営を始めたら、とんとん拍子に会社がうまくいきました”と言われる方も多くおられます。相手に喜んでもらおうと善意でやったこと、それが結局成功するということは厳然たる世の原理なのです。 

利他に努め、必死に打ち込むことで、創造力さえ身につけることができるのです。利他に努めることで、インスピレーション、“ひらめき”が得られ、まだ誰も取り組んでいない新しいことでも見事に成就させることができるのです。 

宇宙には“知恵の蔵”があります。その中には汲めども尽きない知恵が蓄えられ、それを引き出すことができるなら、すばらしい発想や斬新な“ひらめき”が得られるのです。その“知恵の蔵”のドアを開けるのは、必死に打ち込んだ利他の心-何としても成功して人の役に立ちたい-という鍵なのです。 

  1. 企業経営者が国家、国民を支えている

企業経営者は自分だけがよければいいという利己的な考え方を極力排し、思いやりの心、慈悲の心、利他の心をベースに必死に生き抜き、従業員、お客様、取引先、地域の方々、企業の周囲に存在する多くの人達を幸せにしてあげる、豊かにしてあげるという信念を持って企業経営に邁進していくことが大切です。 

国に納める法人税、消費税、雇用する従業員が支払う所得税/消費税、国家財政の大半は企業が鍵を握っているのです。これら企業が生み出した富を国や地方自治体が集め、再配分することで、現代の経済社会は成り立っています。企業が存在し、経営者が営々とその活動に努めているからこそ、この経済社会が機能しているのです。 

日本の中小企業は日本の企業の中で99.7%を占めています。つまり中小企業が国家・国民を支えているといっても過言ではありません。 

自分のためだけではなく、社会のために有意義なことを行っているという矜持(きょうじ)と誇りが、経営者が難局に立ち向かう大いなる勇気、はげみになっているのです。