盛和塾 読後感想文 第三十一号

原点を見失わない 

山登りをする時、突然霧に包まれて視界ゼロという状況に見舞われ、大変な危険にさらされることが良くあります。その時は登攀(とうはん)ルートを見失って遭難してしまわない様に、再度ベースキャンプに戻り、再スタートをします。 

新しくチャレンジするプロジェクトの場合も同様、何度も壁に当たり、行き詰まることがあります。そのような場合、当面の問題点だけを克服して、終らせてしまいがちです。しかし、一時的な解決をしているだけですと、次第にいつの間にか当初目標とした本質的な問題解決の道から逸脱してしまうことがあります。 

例えば、コレストロール値が500という高い数値の患者さんに対してお医者さんが、タイラノール又はリプトーという薬を処方して、患者さんのコレストロール値を200まで下げたとします。当面患者さんにすすめ、コレステロール値は下がりました。しかし、この処方は対処療法であり、根本的にコレステロール値を正常値まで下げることにはなっていないのです。 

場当たり的な問題解決を根本的な解決であると誤解してしまう事は避けなければなりません。原点を見据え、物事の本質に立脚した判断こそが新領域での成功につながります。或いは、重大な問題の解決方法を示してくれます。 

 

京セラフィロソフィー 

自分を追い込んで努力を続ければ 神の啓示が訪れる 

   自らを追い込む 

困難な状況に遭遇しても、決してそこから逃げてはいけません。追い込まれ、もがき苦しんでいる中で、“何としてもやり抜くのだ。” という切迫感があると、普段見逃していた現象にもハッと気が付き、解決の糸口が見つけられるものです。 

切羽詰まった状況の中で、真摯な態度で物事にぶつかっていくことによって人は普段からは考えられないような力を発揮することができると塾長は自らの経験を語っています。 

問題を解決していくにあたり、常に自らを追い込むように心がける。厳しい現実から逃避するのではなく、易(やす)きに流れてしまうのではなく、自ら問題に対して、真正面からぶつかっていくような気持ちで、自分自身を追い込んでいくようにするのです。 

切羽詰まった状況の中で、自らを限界にまで追い込んで必死にやっていると、あたかも “神の啓示” があったかのようにパッと問題解決のヒントが閃き、その閃きが本来の解決方法につながっていくのです。

   余裕の中で生まれるアイデアは単なる思いつき 

素晴らしいアイデア・閃きは、追い込まれてギリギリのところで研究している時にしか出てこないのです。よく余裕がないと良いアイデアは生まれないと言いますが、そういうアイデアは “思いつき” であって、そんな “思いつき” 程度では、仕事はうまくいきません。ましてや最先端の研究などできるわけがないのです。 

余裕がないと良いアイデアが生まれないと信じている人は、良いアイデアを生み出した経験はなく、自分の頭の中でそうだろうと想像しているだけなのです。 

   自分を追い込めば不可能と思われることも可能となる 

追い込むとは、熱中し、他の全てが見えなくなって、ただ一つの事に没頭する。意識が集中している状態です。 

火事場の馬鹿力といいますが、精神を集中しますと肉体的・物理的な領域において大きなエネルギーを生み出すという事です。 

“もうこれ以上はやれない。” と思うところまで行くと、“自分は精一杯やった。” “あとは天命を待とう。” という心境になります。精一杯やったという満足感は “安心” を生みます。“あとは天命を待つ” と思うレベルまで、必死に問題解決に打ち込むことが大切なのです。 

 

余裕のあるうちに全力を出し切れ 

   土俵の真ん中で相撲をとる 

“土俵の真ん中で相撲をとる” - 常に土俵の真ん中を土俵際だと思って一歩も引けないという気持ちで仕事にあたる。 

お客様への納期についてですが、お客様の納期に合わせて部品・製品を作る、完成させるのではなく、納期の何日も前に完成日を設定し、これを土俵際と考えて、その期日を守るようにします。そうすれば、万一予期せぬことが起きたとしても、土俵際までには余裕がありますから、十分な対応が可能となり、お客様に迷惑をかけることはありません。 

土俵の真ん中で相撲をとるということは、余裕のある時に全力で事にあたるという事です。他の事業に手を出すのなら体力のある時にやる、ということです。 

 

ガリ勉に人間性の一端を教えてくれた友 

学生時代、落第生の友人が塾長をパチンコ屋に連れて行ったそうです。落第生は塾長にパチンコ代を手渡してくれ、パチンコをするように勧めました。何回か誘ってくれたのですが、塾長はいつも負けていました。 

ある日、もう一人の友人も含め3人でパチンコ屋に行った時、落第生がパチンコに勝ち、換金すると2人を食堂に連れて行きました。そこで彼は“ビックリうどん”という、うどん玉が2つ入った名物メニューを2人の分も注文してくれたそうです。 

この落第生の行為、自分で勝ち取ったものを独占するのではなく、その分け前を他人にもおすそ分けするという彼の行為に塾長は衝撃を受けたそうです。実は落第生で、だらしないと思っていた友人が心の広い大きな人物だったことに気が付き、心の広さというものを学んだそうです。自分が思ってもみなかった他人を思いやることの大切さを学んだと塾長は謙虚に述べています。 

 

建前や常識ではいい仕事は出来ない 

   本音でぶつかれ           

責任を持って仕事をやり遂げていく為には、仕事に関係している人々がお互いに気付いた欠点や問題点を遠慮なく語り合うことが必要です。物事をなあなあで済まさずに、絶えず何が正しいかに基づいて本音で真剣に議論していくことが大切です。 

本音で話すと角が立つと考え、建前で話をしてしまうことがあります。上司や同僚に対して、ストレートに話さないことが良くあります。穏便に物事を進めるやり方を処世術と考える人がいます。 

また、他の企業や他の部内でもやっているからという常識でよく議論をせずに、物事を進めようとすることがあります。 

企業においては、建前や常識論で本当の良い仕事は出来ません。本音でぶつかり、本音で指摘し合うことが必要なのです。問題点を指摘された人は指摘してくれる人の時間、エネルギー、アイデアに感謝して熱心に相手の話に耳を傾けることが大事なのです。反発してはいけません。 

社内で不正が発生していることや、少しおかしい事が横行している時には、そのことを指摘し、議論して、“人間として何が正しいか。” を基準にお互いに話し合わなければなりません。 

本音で議論をする中にも、ルールがあります。相手の人格を傷つけるような発言をしてはいけません。相手の欠点をあげつらったり、足を引っ張り合うという行為・言動が起きている時は、問題解決の方法が話し合いの中で充分議論されず、相手を非難することになってしまっているからです。“みんなの為に善かれ。” という考えに立脚した本音でなければ建設的でポジティブな議論にはなりません。 

   私心のない判断が最良の解を生む 

何かを決めようとする時に、少しでも私心が入れば判断はくもり、その結果は間違った方向へ行ってしまいます、と塾長は述べています。 

みんなが相手への思いやりを考え、“私” というものをなくしていきますと、周囲からの協力が得られ、仕事はスムーズに進みます。私心のない言動は、集団のモラルを高め、活動能力を高めます。 

人間は誰でも、ものを考えるときには必ずといってもいいくらい私心、自分に都合の良いように考えてしまいます。人間には自分を守ろうとする本能があるからです。本能は自分の事だけを考えていますから、どうしても自分に都合の良い判断をせざるを得ないわけです。 

物事を判断する時は、私心=本能をコントロールすることが必要なのです。理性が必要なのです。その理性とは、自分は “仲間の為に仕事をするのだ。”  “人間として正しい事をするのだ。” という原点を絶えず確認するという事です。 

理性で私心=本能をコントロールするには、結論を出す時に、“ちょっと待って。” と一度深呼吸をしてみるのです。自分は今、何を目的にこの結論を出そうとしているのか、5分間考えてみるのです。 

トップに立つ者が私心を離れて、仲間のため、世のため人のためと正しい判断をしますと、会社は進歩発展していくものです。 

 

科学的な合理性と豊かな人間性を併せ持つ 

   バランスのとれた人間性を備える           

バランスの取れた人とは、何事に対しても何故という疑問を持ち、これを論理的に徹底的に追及し、解明していく合理的な姿勢と、誰からも親しまれる円満な人間性を合わせ持った人だと塾長は述べています。 

リーダーとして立派な仕事をしていく為には、科学者としての合理性と “この人のためなら” と思わせるような人徳を兼ね備えている必要があります。 

科学者としての合理性を会社経営の場合に適用しますと、会社経営、営業活動または研究開発においても、理論の通らない不可思議な発言は許されません。企業活動のあらゆる問題は全て理屈で証明できるのです。

こうした科学者としての合理的な判断を仲間と共に実行していく為には、人間の問題に直面するのです。合理的な判断は正しいのですが、これを実施していく為には仲間からの協力がどうしても必要です。この協力を得る為には、トップが人徳を備え、人間性豊かな人物であり、仲間が安心して従(つ)いてきてくれるようにならなければならないのです。 

 

知っていること できることとを、同一視してはいけない 

知識より体得を重視する”とは、人から教わったり、本から得た知識よりも、自らの身体で得たものを重視するということです。 

   知識より体得を重視する 

“知っていること” と “できること” は全く別の事です。

経験に裏打ちされた、体得したことによってしか、本物を得る事は無いのです。そして、知識や理論とはこうした体得を通して生きてくるのです。 

専門家を雇ったりする時、その専門家の言うことも知識として言っている場合と、実体験を通じて言っている場合とを分けて聞かなければなりません。 

研究開発、製造、営業、マーケティング、ITシステム等、どの分野においても体得を重視することは同じなのです。人間には実践を通じて、理論を裏打ちさせることが必要です。 

実績のある人の話を聞くのが大切です。きれい事ばかり口にする人ではなく、実際にやったことのある人、自分の身体で分かっている人の話を聞くのはいい事です。 

体得した人であるかどうかは、その人の話が細かく具体的かどうかという事ですぐに分かるのです。体得した人の話は具体的で判り易く、面白いものなのです。