盛和塾 読後感想文 第五十五号

一隅を照らす 小田 全宏(ぜんこう) 

日本政策フロンティア代表 小田さんは、私の好きな言葉は “一隅を照らす者、これは国宝なり” – 天台宗(てんだいしゅう)を開いた伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう)の言葉 - であると書かれています。 

限りある人生の中で、“自分から始める” と決意すると、力が湧き出てくると語っています。小田さんは、日本の民主主義を育てる “公開討論会” の全国普及に取り組まれてこられました。一般市民、学生、主婦が立ち上がり、素晴らしい成果を残しているそうです。一人の力では何もできないけれど、一人が始めなければ何も始まらないと、行動されました。凄いことです。これを “草莽崛起(そうもうくっき)”  と言います。

“草莽” とは、草叢(くさむら)、民間、在野(ざいや)の事、“崛起” とは、山などが高くそびえ立つ事。つまり、民間、在野から事が始まるのです。 

私達にとって今の日本の政治は信頼できないと思う時、実はその責任の一端は私達国民自身にあります。批判や諦めからは何の解決も導きません。 

一人ひとりの行動は、社会の一隅を照らすだけです。しかし、一つひとつの明かりが無数に寄り集まったら、国全体を照らすようになるはずです。諦めず、辛抱強く、コツコツと自分の明かりを燃やし続ける事が大切なのです。 

会社経営の中でも、例えば5S(整理・整頓・清掃・スタンダード(尺度)・躾)を提唱し、会議で決定、文書化し、標語にして社内に張り出しても、同僚や仲間が5Sを実行してくれないことがあります。その時、社長自ら垂範して、従業員のお手洗いの清掃を毎朝するというケースがありました。社長は1人で2年間続けたそうです。3年目になって、会社の専務が従業員のお手洗い清掃作業に加わったそうです。そして、やっと5年が経ち、全従業員が5Sを各職場 – 工場、倉庫や事務所 – で始めるようになったそうです。 

危機感なき日本人よ 今こそ目覚めよ! 

救国会議九人委員会を立ち上げた塾長は、こう語っています。

経営でも社会を良くするという点で立派な人間を育成することを考えなければならない。事業で、才気煥発(さいきかんぱつ)で弁も立ち、成功した人が、天狗になり後日失敗して没落していく例が多い。 

政治にしても、“構造改革をします。反対する者は自民党であっても潰します。私が潰れるか、自民党が潰れるかだ” と啖呵を切った小泉首相も、官僚に依存して結局何もできなかった。 

日本国民が国民運動を盛り上げて、日本を変えていかなければ日本は変わらない。

盛和塾は全国展開をしており、立派な経営者を育てる努力をしています。本当に頼れるのは自分達だという思いで盛和塾のメンバーは頑張っているのです。 

盛和塾は、経営指導を通じて立派な経営者を育て、正しい日本政策に貢献してきています。 

盛和塾は日本、アメリカ、中国、ブラジルの経営者に、“人間として何をするべきか” を指導し、塾長はこのとてつもない大きな目標(日本政策)を自分のできる範囲内で、行動に移してこられました。 

私達経営者一人一人が立派な経営をする。経営者として、人間として成長することが、より良き日本を創ることに役立っていくと信じています。 

 

我々が目指すべき商人道 

社会に残る企業経営者への偏見

日本では、企業経営者は何かうさん臭い事をして、利益を上げようとするという目で知識人や社会人と称する人々が見ていることが多々あります。一般の人の中にも、経営者を蔑視(べっし)されている方々が多いと思います。 

日本での規制緩和に向けた動きの中でも、株式会社が学校経営や病院経営に参画するのに、政府の規制があります。政府官僚は、株式会社は株主の利益を優先して考える為、学校経営や病院経営という社会的な事業を営むのは似つかわしくないと考えているのです。 

江戸時代の京都で、石田梅吉という人が “商人道” という経営哲学を説き始めました。石田梅吉は、“まことの商売は、先もたち、我もたつことと思うなり”と言っています。 

“本当の商売というのは、商売をする相手も上手くいき、自分自身も上手くいくというものでなくてはならない。相手も儲かり、自分も儲かるという事が誠の商売であり、自分だけが儲かれば良いというこのでは決してないのだ” 

“売利を得るのは承認の道なり。承認の売利は武士の禄に同じ。売って利益を得るのは商人の道なのだ。また、その利益は侍が殿様から頂く禄高と同じであり、正しい報酬なのだ” と説いているそうです。 

江戸時代には士農工商という身分制度がありました。武士、農民、工業(職人)、商売人という順番でした。この制度では、商売人が最下位に位置付けられております。江戸時代は300年続いたものですから、人間の考えはそう簡単には変わらないのです。商売人は、貪欲に、がむしゃらに、自分の利益を追求する下品な階級であると見放されてきました。したがって、経営者には公共の利益の為の学校教育、医療サービスには似つかないという偏見があるのです。 

資本主義社会の中では、株式会社の株式は株主のものです。株価を最大にする、また、配当金を受け取ることが株主の最も望むものです。これが、会社経営の目的であると考えられているのです。 

企業経営者が、一生懸命に仕事に精を出し、最大の利益を上げようとするのは当然の事なのです。もし、会社が利益を上げなければ、会社は破綻してしまいます。その為に資本家は経営者に、利益を上げ、株価を最大限にするよう、要求するわけです。そして、資本家は労働者を搾取してでも、自らの富を増やしていくという見方がここから生まれたのです。“企業経営者は所詮、利益を追求することが目的です” と周囲から見られるのです。 

経営者は利他行をしている 

塾長は、京セラ設立間もなく、若手従業員から待遇改善を要求されましたが、待遇改善要求が受け入れられない不合理なものであるとして拒絶しました。しかしその時、若手従業員の要求を真摯に受け取り、三日三晩語り合ったそうです。その結果、企業の目的とはどうあるべきかを考えました。それは “全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類・社会の進歩・発展に貢献すること” と定めたのでした。 

企業は、大義名分のある会社の目的・意義を持つべきだと塾生に語ってきました。経営者とは、そのような大義名分を持って素晴らしい事をしている人達のことなのです。経営者は多くの従業員を雇用して、懸命に努めています。それはまさしく、利他行なのです。 

経営者は自分が豊かになる為に、従業員を酷使しているのではなく、率先垂範して、自分自身が骨身を惜しまず汗水を流して、経営に尽力することによって、従業員とその家族を守り抜いているのです。 

塾長は、“京セラの目的は経営者一族/株主の利益を最大にするというのではなく、従業員の物心両面の幸せを追求することにある” と語っています。株式上場した時には、株価が重要視されますが、株式価値は会社が発展し、立派になれば自然に上がっていくものです。株式価値が上昇すれば、株主も満足します。 

企業経営というものは、従業員を搾取し、劣悪な労働環境で働かせ、経営者だけが儲かるというものではないのです。むしろ、従業員に喜んでもらえるように努める事こそが経営の基本なのです。

 利益追求の為なら何でもする経営 

経営者の一部には、利益を追求する為には人間としてしてはならない事までをもする人がいます。 

お客様の弱みにつけ込んで不足している品物を高い値段を付けて売り、不当な利益を得る。相手の窮地を利用して自分の富を増やそうとするのです。 

品質の悪い商品をあたかも良品であるかのように見せて売りつけ、不当は利益を得る。賞味期限を改ざんして売る。良品の中に不良品を混ぜて売る。建設業界等で手抜き工事をする。 

こうした一部の経営者の話が、新聞やテレビで一般に公開されますと、一部の人々は、経営者とは姑息なことをする人々だと思ってしまします。  

人間として正しい事を正しく貫く 

人間として正しい事を貫くということは、経営者が心を磨き、人間として正しい事を貫いていくという事です。企業経営というのは、従業員を雇い、社員を幸せにする利他行であり、その方法も人間として正しい道を踏まえたものであるべきです。 

したがって、利他行に励む経営者は、社会・人類に貢献しているわけですから、公的な事業、例えば学校経営、病院経営についても正々堂々と参画していく資格も能力も、誠意も、立派な考えも持っているのです。 

盛和塾生だからこそできる 真の経営 

病院経営においては、医師免許を持った者でなければ病院を経営してはならないという規則があります。ところが、医師が経営している病院が不必要な薬を患者に売りつける、治療していないのに治療したとして報告する、不注意による事故発生、誤った投薬、患者の取り違い等、枚挙にいとまがないほど問題を起こしています。こうした医師経営者に利他の心はなく、利私の心、貪欲な心で経営をしているのです。 

病院を経営する医師も、勤務医も、看護師も皆、骨身を惜しまず努め、利益を上げる。病院経営においても、不正をして利益を追求するのではなく、厳しいルールを自分に課し、人間として何が正しいのかを判断基準として、利益を上げていく事は可能なのです。 

盛和塾の塾生は、利他の心、立派な経営哲学を学んでいますから、病院経営も可能なのです。 

人間として正しい道を貫けば、自然と利益はもたらされる 

論語に “利によって行えば怨(うらみ)多し” ということが書かれているそうです。利益だけを追求すれば必ず怨みを買うという意味です。安岡正篤(まさひろ)先生も“真の利は義に基づくものだ” と言われているそうです。 

“義” とは、道理、人間の行うべき筋道、人道、公共の為に尽くすという事です。 

論語の中に “君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る” という言葉があります。“喩り” とは、抜け目がなく、才気をほとばしている状態の事です。君子(立派な人)は “義” に基いて様々な行動をする。小人は “利” (私利)に基いて行動する。小人は子供、まだ立派に育っていない人の事です。これに対して大人は、人間として立派に成長した人の事を言います。 

君子は一見、利を追いかけているようですが、実は義を追いかけているのです。人間として正しい道を貫けば、自然と利はもたらされるのです。 

経営をしていく時には、経営第12カ条の第1条 “事業の意義、目的を明確にする” 、“大義名分” のある理念、目的を立てるべきなのです。  

自利・利他の経営判断が成功を導く 

経営者の多くは、以下のような考えで経営判断をします。

  1. 状況判断をする/分析、解析をする
  2. 経営者自身の誇りや名誉、尊厳を基準にして判断する
  3. 会社にとって得か損かを判断して、結論を出す 

塾長は、“卑怯であってはならない”と考える事、更に “相手の得になるかどうかという先を考え、それを判断基準にしてきた” と語っています。会社の損得からの判断ではないのです。相手の利益を考えて結論を出すという事なのです。 

自分の利益を得ようと思うならまず、“利他” が要るのです。つまり、他人の利益の方が自分の利益よりも先行しなければならないのです。 

お客様と交渉したり、従業員を説得する時に最も大事な事は、誠実さ、謙虚さ、素直さと同時に、相手を思う “思いやりの心” “慈しみの心” が不可欠であると塾長は述べています。 

優しい思いやりの心は、強大な力を持っている 

相手が悪い人 - 例えば貪欲な人 – の場合ですと、こちらが素直で思いやりの態度を示すとかえって、相手につけ込まれることがあると思います。 

しかし、ほとんどの場合、“利他” の心で相手の得を先に考え決断すると、必ず成功するのです。塾長の経験では、相手の得を考えて結論を出したことは、全て成功してきたそうです。 

悪い人は世の中にはいないと考えてもよいかなと思います。自分自身が “利他の心” を持ち、日頃から一生懸命努力し、謙虚に反省する毎日を通し、自分の人格を高めるようにしていますと、接触している悪い人でも、身を正さなくてはならなくなると思います。悪い人も変わると思います。相手の人も自分の非に気が付くと思うのです。 

優しい思いやりの心は、立派な人格者が発揮しますと母の愛にも似て、強く荒れくれた連中にも優る強大な力を持っています。相手の人から信頼される、相手の人が、自分が“思いやりの心”で接していることに気が付く。こうした事は強大な力となるのです。 

 

人生の心理 - 人生は心に描 思いによって決まる

心に何を描くか

心に描く“思い”、“考え”、“夢”、“想像”、“ビジョン”、“希望”、或いは心に抱く “哲学”、“理念”、“思想” というものによって、人の人生は決まってきますと塾長は語っています。 

中国、民の時代の哲学者、袁了凡(えんりょうぼん)の著した “陰隲録(いんしつろく)” の中に書かれている事 –人生には運命があるが、それはその人の考え方や思いによって変化する。善き思いに基づく善き行いは、善い結果を生み、悪しき思いに基づく悪しき行いは、悪しき結果をもたらすという、“因果の法則”が厳然と存在しているのです。心の中に描く思いが善きものであれば、それは行動として表れ、その行動が人生に善き結果として表れるのです。 

人生の中では、幸運にも、災難にもあいます。幸運であれ、災難であれ、それは神が与えてくれた試練ではないでしょうか?その試練が幸運であった時は、感謝の気持ちを持ち、慢心せず、謙虚さを失ってはなりません。災難に遭っても嘆かず、恨まず、腐らず、妬まず、愚痴をこぼさず、ただひたすらに明るく前向きに努力をするのです。 

良い時も悪い時も、心の中に常に善き想念を抱き続けることで、人生は更に素晴らしいものになっていきます。 

常に心に善き思いを抱き続ける為に

人間が常に善き思いを抱き続ける為には、どうしたらよいかを考えてみる必要があります。その為には心を磨き、魂を磨き、心を高めることが必要なのです。 

心を高める為には:

1. 自分自身の理性でもって、人間としての正しい生き方をする

人間としてのあるべき姿を繰り返し繰り返し自分自身に訴えていく事。先賢(せんけん)の教えなどを通じて常に誠実であれ、正直であれ、素直であれ、謙虚であれ、努力家であれ、人に親切であれ、公平公正で正義を重んじ、感謝の気持ちを持ち、希望に満ち、理性でもって自分に訴え続けるのです。学び続けるという姿勢が、心を磨き、高める為にどうしても必要な事のです。 

2. 常に我々の心の中に出てくる本能に基づく 利他心を訴える

仏教で言う、貪(どん)、瞋(じん)、癡(ち)という本能を抑えることです。“貪(どん)” とは、際限なく貪(むさぼ)ることです。“瞋(じん)” とは、怒り狂うことです。“癡(ち)” とは、妬み、嫉(そね)み、つらみ、嘆き、腐り、不平不満を言うことです。 

本能心から出てくるこれら三つの煩悩は、理性で抑える、魂で抑えるようにしなければなりません。本能に基づく利己的な心が無くなれば、魂の中に利他という空間が生まれてくるそうです。利他とは、優しい思いやりに満ちた心です。 

優しい思いやりの心は “真善美” を求める心であり、それが利他の本質なのです。つまり、世の為、人の為に尽くすとは、善き思いを抱き、善き行いを他人様の為にすることなのです。 

3. 自分自身が一生懸命精魂込めて自分自身の仕事に打ち込む

一心不乱に雑念、忘念を忘れ、目の前の仕事に打ち込んでいきます。一心不乱に仕事に打ち込みますと、自分の心を磨くこと、魂を磨くことに役立つのです。 

お釈迦様は、自分の心を磨き高める為の方法として常に心に善き思いを抱き続けるために、六波羅蜜(ろくはらみつ)の教えを説いておられます。

           布施(ふせ):他人様に施しをすること。

   人助けをするのです。つまり、利他行です。

  1. 持戒(じかい):人間としてやってはいけないと定めた戒律を守ること。貪(どん)、瞋(じん)、癡(ち)はたとえ人生に百害があったとしても、一利たりともありません。利己的な心が生まれないようにする等、戒律を守ることです。例えば、“盗んではいけません”、“殺生(せっしょう)をしてはいけません”という戒律があります。
  2. 精進(しょうじん):仕事に一心不乱に打ち込むこと。
  3. 忍辱(にんにく):どんなに苦しい事があっても、それに耐え忍ぶこと。
  4. 禅定(ぜんじょう):忙しいままに生きるのではなく、一日のうち、少なくとも一回は心を静かに安定させること。
  5. 智慧(ちえ):宇宙の真理のこと。

智慧は、布施、持戒、精進、忍辱、禅定に努めることにより得られるの

です。 

利他の心で夢を描き、誰にも負けない努力をする 

我々の人生は心に描く思いや考え方によって決まります。 

優しい思いやりに満ちた心、世の為、人の為に尽くそうとする素晴らしく美しい利他の心を奥底に持ちながら、一方ではこんな人生を生きていきたいという、熱烈な夢や希望、目的を掲げ、それに向かって誰にも負けない努力をひたむきに続けていけば、必ずその夢は成就します。 

誰でも素晴らしい人生を歩むことが出来るのです。

  1. 利他の心
  2. 夢、希望、目的
  3. 誰にも負けない努力

上記3つのことを実行することで、善き思い、善き行いが人生を好転させ、運命を変えていきます。 

京セラの経営スローガンと 思いの成就 

京セラの経営スローガンの歴史を振り返ってみます。

1959年 創業

創業間もなく、従業員の血判状に応えて、現在も京セラの事業目的である、全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類社会の進歩発展に貢献する を定めました。 

1974年 多国籍元年

東証一部上場を果たし、海外展開も開始。グローバル展開を加速するスローガン 

1975年           

真の京セラへの飛躍の年 

上場企業の中でも成績が良く、社会から立派な会社だと評価されました。 

1976年          

謙虚にして驕らず、さらに努力を現在は過去の結果、将来は今後の努力で

京セラは、1975年に社会から立派な会社であると言われましたが、人心を引き締めようとしたのでした。 

現在、素晴らしい会社と言われているのは、我々の過去の努力の結果であって、将来は今から我々がどのくらい努力を積み重ねられるかによって決まる。そうして、現状に慢心しない様に心掛けたのです。 

1977年            

この頃から京セラ成長のスピードが鈍化し始めました。 

1978年          

潜在意識にまで透徹するほどの強く持続した願望・熱意によって、自分の立てた目標を達成しよう

 思いは成就するのですが、その為には思いが強固なものでなければなりません。潜在意識にまで透徹するほど強く持続した願望・熱意でなければ、決して実現はしません。 

しかし、スローガンだけでなく、人間として正しい事を正しく追及する。

こうした人間としての正しい規範というものも同時に、社員に説いてきました。 

1979年 創業20年 

謙虚にして驕らず、さらに努力を。(現在は過去の結果、将来は今後の努力で)

潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望・熱意によって、自分の立てた目標を達成しよう!という2つのスローガンを掲げました。 

慢心をしないように、成長スピードを持続できるようにする為のスローガンでした。 

1980年

人生の結果・仕事の結果=考え方×熱意×能力  という方程式を社員に提示しました。

能力とは先天的なものであり、今更変えることは出来ません。しかし、どうしてもこうありたいと考え、努力を重ねる熱意は変えることが出来ます。また、考え方も、今すぐにでも変えることが出来ます。その考え方によって人生は大きく変化していくという事に気が付きました。 

福沢諭吉の言葉、“思想の深遠なるは哲学者のごとく、心術の高尚(こうしょう)正直なるは元禄武士のごとくにして、これに加うるに、小俗吏(しょうぞくり)の才能をもってし、さらに加うるに、土百姓の身体をもってして初めて、実業界の大人(だいじん)たるべし” 

“立派な企業人は深遠な思想を持ち、その心根は素晴らしく高尚で正直で、主君の為に命を投げ出すことの出来る武士のような人であり、気の利いた小俗吏の才能を持っている人であり、さらに土百姓のような頑健な身体さえ備えている人である” と福沢諭吉は語っています。 

1981年          

潜在意識にまで浸透するほどの強い持続した願望・熱意によって自分の立てた目標を達成しよう。人生の結果・仕事の結果=考え方×熱意×能力 

1982年          

新しき計画の成就は、ただ不屈不撓(ふくつふとう)の一心にあり。さればひたむきにただ想え。気高く、強く、一筋に”というスローガンでした。                       

人生においては、必ず“思い”というものは実現します。その “思い” は強ければ強いほど実現します。さらに、その “思い” は気高くなければなりません。つまり、強烈で美しく、善き“思い”が根底にあって出来た計画でなければならないのです。 

1983年          

あらゆる可能性を限りなく追及することによって、卓越した先見性を身に付けよう 

先見性を身に付けることにより、より創造的な仕事に結びつけることができるようになるのです。 

疑いや恐怖を抱かず、善きことを強く思う 

人生は心に思い描いた通りになるという真理、またその思いが強ければ強いほど、“思い” の実現が早くなるのです。強く思い、努力をしていく事が大事なのですが、自分が立てた目標に対して、少しでも疑いを持ったり、“できないのではないか” という恐れを微塵も抱いてはなりません。疑いや迷いを持てば、その “思い” は絶対に成就しないのです。 

心に描いた通りの結果が生まれる人生の法則 

ジェームス・アレンが書いた本、“原因と結果の法則”(サンマーク出版 坂本貢一・訳)の中で、こう述べています。 

“人生には心に描いた通りの結果が生まれるという法則がある” 

“優れた園芸家は庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育み続けます。

同様に私達も、もし素晴らしい人生を生きたいのなら、自分の心の庭を掘り起こし、そこから不純で誤った思いを一掃し、その後に清らかな正しい思いを植え付け、それを育み続けなければなりません”