盛和塾 読後感想文 第六十九号

謙虚なリーダーになる 

リーダーは、常に謙虚でなければなりません。権力や支配力を持つと、一時的に成功しますと、往々にして人間のモラルは低下し、傲岸不遜になってしまいます。このようなリーダーの下では、集団はたとえ一時的に成功したとしても、長い間にわたって成長・発展していくことは困難となり、集団の団結もなくなり、相互の協力も得られなくなってしまいます。 

リーダーは部下がいてはじめて自分がリーダーとして存在するという謙虚な姿勢が大事です。謙虚なリーダーだけが協調性のある集団を築き、その集団を調和のとれた永続する成功に導くことができると塾長は述べています。 

西郷南洲に学ぶ克己心 

この項は西郷南洲翁遺訓の中から、自分を治める克己心について学びます。 

人材の登用と使い方

遺訓六。人材を採用するにあたって、人材を採用するにあたって、君子(徳行の備わった人)と小人(人格の低いつまらない人)との区別を厳しくし過ぎるときはかえって災いを引き起こすものである。その理由は天地がはじまって以来、世の中で10人のうち7,8人までは小人であるから、よくこのような小人の心情、思いをはかってその長所をとり、これを下役に使い、その才能や技芸を十分発揮させるのが良い。 

藤田東湖先生はこう申されている。“小人は才能や技芸があって用いるに便利なものであるからぜひ用いて仕事をさせなければならないものである。だからといってこれを上役にすえ、重要な職務につかせると、必ず国をくつがえすような事にもなりかねないから、決して上役に立ててはならないものだ” と。 

人を登用する場合、才能よりもその人物を見て登用すべきです。この遺訓六の中に、“君子小人の弁酷に過ぐる時は害を引き起こすもの也” と述べられています。君子とはすばらしい徳を持ち、人から信望を受けられる人のことをいいます。“あの人は人間が出来ている” “あの人は徳をもっている” “あの人は信頼できる” というように、人柄もよく、人から信頼されるに値する人間性を持っているという意味で、君子と西郷南洲は表現していると塾長は述べています。 

  1. 小人を活用しなければ、大きな仕事はできない

小人とは才能の面では大変優れているが、人間的な修練の未熟な人、人間が未だにできていない人です。よく会社ではこうした小人がトップに選ばれたり、また勤続年数によって地位が上がる年功序列により、トップが決められたりすることがよくあります。人物本位では抜擢されないことがあります。 

本当は小人が人格を高めて地位があがっていくのが望ましいわけです。小人も人間性を磨いていく努力をすることができます。

素晴らしい徳を備え、人望のある人を重要視しなければならない。これは経営の要諦です。しかしそればかりを求めたのでは経営は成り立ちません。“そういう君子は非常に少なく、人間の出来ていない小人が大半なのです” と西郷南洲は述べているのです。小人を使わなければ、仕事はできません。人間的にはあまりよくないが、才能のある、能力のある人は沢山おります。そういう人には、そういう人なりに、組織の中で充分その才能、能力を発揮できる場を与えて、働いてもらうようにするのです。 

人物が出来ていない人の欠点を見抜いた上で、その人が持っている長所、才能、能力を組織内でどう活用するのかを考えることも、トップの人の大切な仕事だと思います。 

人間は、短期間で評価できない様に思います。採用して一年くらい一緒に仕事をして、少しその人物の人柄、人格がわかるぐらいだと思います。たとえ小人だったとしても人間性向上の為の機会を組織の中で経営者はつくることが肝要と思います。 

  1. 第二電電成功の要因

塾長は電気通信事業の経験はもっていませんでしたが、第二電電(現KDDI)を創業しました。 

当時は電電公社(現NTT)の一社独占の状態であった為、日本の電話料金は世界の相場、特に欧米に比べてたいへん高いものでした。塾長は国民の為に安い電信電話サービスを提供したいと考えました。 

お金は京セラで蓄積した預金一千億円を用意しました。しかし電気通信事業の経営経験もなく、技術もなく、人材もなく、電電公社の若い技術陣数十名にお願いし、第二電電に来ていただきました。十数名の技術者は、どの人も素晴らしい技術、能力をお持ちでした。その能力を重視し、その人たちを中心にして、たいへん不利な状況、厳しい環境の中で、第二電電がスタートしました。 

その時、日本テレコム(国鉄)、日本高速通信(トヨタ/建設省)と強大な競争相手が出現しました。こうした中で、素晴しい才能をもった人達で構成した第二電電は、競争に負けず、大きく成長しました。 

塾長が第二電電の社長に選んだのは、電電公社から集まった才能のある技術者の中で、あまり目立たない人を任命しました。一部の人は、第二電電を辞めていきました。トップとして、徳を備えているかいないか、社内の人々から信頼、信望を得られるかどうかが大事と考えた塾長は、素晴しい才能があり、第二電電の発展に貢献してくれた人であっても、後継者には選ばなかったのです。しかし、第二電電(KDDI)を辞めた人たちも、KDDI株式上場により、大株主となって、たいへんな資産家となったのです。 

世の中には、能力もあり、才能もある小人がたくさんいます。君子ばかりを選ぶのではなく、その人たちの能力、才能を使わなければ、企業経営はできないのです。しかし、能力があり、仕事ができるからといって小人をトップに据えたのでは、その会社は潰れてしまいます。 

能力のある人は、人物で若干できていなくても、十分に役立ちます。その役立ちに報いるのには報酬しかありません。俸禄、つまりお金でもって報いるべきであって、役職で報いることはしてはならないのです。 

人はそれぞれ特徴を持って生まれ育って、世の中に出て来ます。人は同じではありません。人間すべて君子である必要はないですし、すべて小人である必要はありません。君子、小人があり、それぞれ異なった分野で才能や能力を発揮し、協力し合い、助け合うことが大切だと思います。 

  1. リーダーには心が伴なっていなければならない

徳や信望がある立派な人間性を身につけた人を官職に、つまり重要な役職につけなければなりませんが、しかし、同時に大切なことがあります。 

経営を伸ばすための経営の原点12ヶ条の中に、4.誰にも負けない努力をする、5.売上を最大に経費を最小に、8.燃える闘魂、と厳しいことが述べられています。“10%の経常利益が出ないようでは、企業経営をやっている意味がない” と塾長は盛和塾塾生に厳しい注文をつけています。しかしこれらの厳しい注文には前提があります。1.事業の目的・意義を明確にする。何の為に事業をするのかをはっきりとしなければならないと塾長は述べています。また利益を追求するにあたっては人間としての何が正しいかを基準にすべきだと述べています。利他の心の必要性を説いているのです。 

経費を削減する為に偽装する、検査データをねつ造する、経営トップは知っていながら従業員にコストダウンを強要し、建築基準法を守らなかったということではなかったのです。そういうことを遂行するリーダーには、人間としての何が正しいかという判断基準、根本的な経営者としての心が伴なっていなかったのです。 

会計事務所のお客様への請求は、費やした時間をベースに計算されることがあります。事務所長はスタッフに言いました。“できるだけ長くお客様と電話で話しなさい”。とんでもないことです。自利をむき出しにした、心のない指示です。 

策課策略をめぐらせたものは必ず失敗する

遺訓七。どんな大きい事でも、またどんなに小さい事でも、いつも正しい道をふみ、真心を尽くし、決していつわりのはかりごとを用いてはならない。人は多くの場合、あることにさしつかえができると、何か計略を使って一度そのさしつかえをおし潰せば、あとは時に応じて何とかいい工夫ができるかのように思うが、計略したための心配事がきっと出てきて、その事は失敗するに決まっている。正しい道を踏んで行うことは、目の前では回り道をしているようだが、先に行けばかえって成功は早いものである。 

  1. 正しい道を踏み、誠を尽くして仕事をする

“策謀を用うべからず” と西郷南洲は述べています。策謀、策略、謀(はかりごと)を用いたのでは、一時はうまくいくかも知れないが、それは、決して長続きはしませんし、必ず失敗します。物事は必ず正しい道を踏み、誠を尽くして進めなければならないと言っています。 

目的達成のためには手段は選ばす、ということがあります。西郷南洲は “策謀を巡らせて目的を達成してはならない。手段は選ばなければならない。真正直に誠を尽くしてやっていかなければならない” と言っています。 

塾長は述べています。我々人間というものは仕事でも何でも行き詰った時に、良心では決して良いとは思ってはいないことでであっても、このくらいはいいだろうと考えてついつい悪いことをしてしまいます。極端な場合 “結果良ければすべてよし” と自分を納得させようとします。行き詰った時、内心ではよくないと思っているのに屁理屈をつけて実行してしまうことは決してよくありません。 

行き詰ったからとか、事の大小で判断するのではなく、正しい道を踏み、誠を尽くして仕事をしていかなければなりません。 

  1. わずかな策略の始まりが企業の崩壊を招く

名門企業のカネボウは、繊維事業、医薬品、化粧品、食品、住宅環境の事業にも進出していました。 

しかし、やがて行き詰った時に、業績悪化を表面化させない為、ちょっとではないかと、公認会計士にも無理矢理に認めさせ、粉飾決算に走り始めました。そして、カネボウは企業再生機構に経営を委ねることになってしまいました。 

当時の社長以下、幹部の人たちの関与も確認されました。名門企業としての体面を取り繕うために、ほんの少しの策略を用いた。次第にエスカレートして、監査法人をも巻き込んだ大不祥事になってしまったのです。 

誰も最初から大きな策略は行いません。小さな、わずかなものがスタートです。ところが、それがだんだんと大きくなってしまうのです。 

至誠の人を要所に配して、はじめて制度は機能する

遺訓二十. どんなに制度や方法を論議しても、それを説く人が立派な人でなければうまく行かないだろう。立派な人があってはじめて色々な方法は行われるものだから。人こそ第一の宝であって、自分がそういう立派な人物になるように心がけるのが、何よりも大事なことである。 

  1. 理念や制度をつくっただけでは実行されない

西郷南洲は、次のように言っています。  “何程、制度方法を論ずる共、其人に非ざれば行われ難し”

いろいろな機会を把えて、理念や制度について従業員に話していますが、もし企業の幹部社員が立派な人物でなかったら、意味がありません。部長や課長、指導する人が、立派な人物ではなく、理念、制度、ルールを少しも実践できていない人であった場合には、いくら経営者が会社の理念、制度、ルールを守ろうと従業員に説明しても、社員が守るわけがないのです。つまり、中堅幹部の人たちが立派な人物でなければ、その理念、制度、ルールは実行されないのです。 

従って中堅幹部の人たちに経営者は充分に説明し、社員の模範となってもらう必要があるのです。こうした中堅幹部は誠を持っている人、至誠の人、裏表がなく誠実な人となり、要所要所に配置されれば、理念、制度、ルールであれ、社員一人ひとりが実行し、組織全体に浸透していくと塾長は述べています。 

  1. ルールではなく、人の心に焦点を当てる

アメリカのエンロンというエネルギー会社やアメリカ通信業の大手ワールドコムは、不正経理、粉飾決算で一瞬にして倒産しました。アメリカの証券取引委員会を中心に、法律家達がいくつものルールを作りました。アメリカ証券取引委員会は、上場企業をがんじがらめに縛るようなルールを課したのでした。各社は企業内にルールを作り、又、それが実行されているかをチェックすることを迫られています。これには膨大な時間とお金がかかるのです。 

物、制度、ルールしか信じないアメリカ資本主義社会では、企業が不正を出来ないようにしようとしています。しかし、これでは根本的な解決にはならないのです。一番大切なことは、西郷南洲の述べているように、“何程、制度方法を論ずる共、其人に非ざれば行われ難し” なのです。 

塾長は語っています。ルールをつくり、いくらそれを守らせようとしても、決して不正行為はなくならないと思います。ルールではなく、人の心に焦点を当て、立派な人物像を要所要所に配置、経営トップにも徳のある立派な人格者を選ぶべきなのです。 

本来ならば、法律から免れること自体が人の道からいえば恥ずかしいことだと考えなければならないにも関わらず、“オレは賢いから法律の逃げ道を考えることができるのだ” と恥じるところがない。 

論語: 道之以政 齊之以刑、民免而無恥

         これを導くに政をもってし、これをととのふるに刑をもってすれば、民免れて恥なし。

法律を作り、もしその法律を犯せば厳罰に処するという罰則規定を設ければ、事は済むと思っているが、国民は恥じることなく、その法律、刑罰から逃れることを考え、行うようになる。 

経営者は自分に打ち克たなければならない 

遺訓二十一. 道というものは、この天地のおのずからなる道理であるから、学問を究めるには敬天愛人(道理をつつしみ、守るのが敬天である)を目的とし、自分の修養には己に克つということをいつも心がけねばならない。己に克つということの真の目標は論語にある「意なし、必なし、固なし、我なし(当て推量をしない。無理押しをしない。固執しない。我を通さない)ということだ。 

すべて人間は己に克つことによって成功し、己を愛することにより失敗するものだ。よく昔からの歴史上の人物を見るがよい。事業を始める人は、その事業の七、八割まではたいていよくできるが、残りの二、三割を終わりまで成し遂げる人が少ないのは、はじめはよく己を慎んでことを慎重にするから成功もし、名も現われてくる。ところが、成功して有名になるにしたがって、いつの間にか自分を愛する心が起こり、畏れつつしむという精神がゆるんでおごりたかぶる気分が多くなり、その仕事をなしえたのでなんでもできるという過信のもとに、まずい仕事をするようになり、ついに失敗するものである。これらはすべて自分が招いた結果である。だから常に自分にうち克って、人が見ていない時も聞いていない時も、自分を慎み戒めることが大事なことだ。 

  1. 成功すればするほど難しくなる自分の律し方

会社がうまくいき、成功していれば、経営者は油断します。最初は一生懸命に慎んで仕事に取り組んでいるのでうまくいきます。だんだんと成功していき、有名になり、他人から褒められるようになると、ついつい過信して自分を見失ってしまうことがあります。 

戦後、焦土と化した日本、その荒廃した日本経済の発展の立役者となった、成功した人で、その栄誉を保ったまま亡くなった方は数名しかいないそうです。多くの成功した経営者は、周囲からおだてられ、自分を失い、没落していきました。 

人間というものは、いくら自分自身を戒めて、自分を見失わないようにしていても、周囲が、環境がそれを許さないのです。成功すれば成功するほど自分を律するのは難しく、大変な努力が必要ですと、塾長は警告しています。 

  1. 自らの意思力で煩悩を抑える

中国の古典の “中庸” の中に “誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり” とあります。誠実、誠を尽くすことが、天の道です。天の道を誠にするのが人の道ということです。 誠とは “中庸” では “善を択んでこれを固く執る者なり” といっています。人間として善きことを選び、固くこれを自分のものにしていくことを誠だと言っています。 

西郷南洲の言う “道は天地自然の道” というのは、人が生きていく正しいあり方のことです。

講学とは学問に努めるということです。学問に努める目的は “敬天愛人” を学ぶことです。敬天とは天を敬うこと、愛人とは天が分け隔てなく人を愛し育んでくれているように人を愛することを言います。 

敬天愛人を実践する為には、自分自身の心を修養しなければならない。自分の身を修めるには、克己-自分に克つ-自分自身の煩悩を抑えつける-をもって終止する。 

人間は自分を律しなければ、心の中に欲望や邪念が沸き起こってきます。肉体を持っている人間が生きていく為には、欲望や邪念(煩悩)が必要なのです。欲望、怒り、愚痴の三つは煩悩の中で一番強いもので、三毒と言われています。放っておけば、我々人間の心の中には煩悩が湧き上がって来ます。 

この煩悩を自分の意思で抑えることが克己なのです。 

  1. 自らを愛する心の芽生えが成功を失敗へと変える

西郷南洲は言います。“総じて人は己に克つを以って成り” 己とは欲望や邪念のことです。それに克つことにより、仕事でもなんでもうまくいく。すべて自分自身と葛藤し、自分自身に克つことができるかが、その仕事ができるかできないかの決めてになると、西郷南洲は語っています。  

人は事業を始め、十の内七、八まで一生懸命に頑張り、成功させることができます。しかしあとの二つ三つを仕上げることのできる人は少ないのです。はじめの頃は慎み深いし、謙虚さも失ってはいませんし、誠の道を歩こうと努力をします。しかし成功し、有名になりますと、だんだんと謙虚さを失い、虚飾に走ってしまうのです。 

いつしか自らを愛する心が起こり、恐れ慎む心、恐櫂戒慎の心が緩み、驕りたかぶる驕矜の気持ちが長じてきて、自分の成功した事業を自慢するようになり、さらには自分のことしか考えられなくなってしまいます。いままでは “会社は従業員の為、世のため、人のため” と言っていたのが “会社は自分のため、自分の家族のためにあるのだ” と考えはじめてしまうのです。それが仕事に影響を与え、失敗していくこととなります。 

克己心をもつ、つまり自分を甘やかしてはなりません。 

常日頃からの心構えがなければ己に克つことはできない 

遺訓二十二. 己に打ち克つにすべてのことをその時その場あたりに克とうとするから、なかなかうまくいかないのである。かねて精神を奮いおこして、自分に克つ修行をしなくてはいけない。 

“身を治めるためには、自分の欲望や邪念を克服することから始めなければならない” と言われると、ほとんどの人は “よし、わかった。そのような問題が起こった場合は、そういうことを心がけるようにしていこう” と言います。しかし、そう簡単に自分を抑えることは出来ないのです。身を治めるためにはかねてからそういうことを心がけていなければなりません。急にその状況になって自分自身の欲望を抑えることなどできません、と塾長は語っています。 

西郷南洲は “己に克つにはかねて気象をもって克ちおれ” と言っています。自分を抑えるということは、頭でわかっているだけではなく、常日頃どんなことに対しても己の欲望や邪念を抑える訓練、心構えをしておかなければならないのです。“気象” とは性格のことです。自分の意思で欲望や邪念を抑えることが自分の性格にまでなっていなければならないのです。あの人は克己心の強い気象(性格)の人だと言われるぐらいでなければならないのです。 

  1. 真理を学び続けることの大切さ

塾長の話の中では、何回も同じことが出て来ます。“ああ、これは前に聞いて知っている” と思う人が多いと思います。 

“自分に打ち克たなければ成功しても必ず敗れるのだな。そのような時は、オレならば欲望を抑えることができるはずだ” と思う人がほとんどだと思います。知識でわかっているから欲望を抑えることができると思ってしまうかも知れませんが、それが気象(性格)にまでなっていなければ、使うことはできないのです。克己心について、繰り返し繰り返し自分に言い聞かせ、学び、体得していかなければ、使えるものにはならないのです。 

塾長の述べられた内容で何回か同じ事があります。しかし読み方の深さ、自分の会社の状況変化、経済状況の悪化等により、その理解の度合いが違い、同じ内容ですが、新しく知ったということが多々あります。 

例えば、ちょっとした形容詞の言葉で、塾長のきめ細かい配慮が感じられることが山ほどあります。何度も何度もよい本は読んで、見る価値があります。沢山の本を読むのではなく、よい本を繰り返し読む方が、理解が深まると思います。 

克己心が気象にまでなっている人は、もう失敗はしないと思います。