盛和塾 読後感想文 第八十号

物事の本質を究める 

私達は一つのことを究めることにより、そのものの心理やものごとの本質を体得することができます。究めることは、一つのことに精根込めて打ち込み、その核心をつかむことです。こうした体験をしますと、そのほかのあらゆることに通じると言われています。 

一見つまらないと思うようなことであっても、与えられた仕事を天職と考え、その仕事に全身全霊を傾けるのです。そうしますと、必ず心理が見えてくるそうです。 

一旦、ものごとの真理が分かるようになると、何に対しても、どのような境遇におかれようと、自分の力を自由自在に発揮できるようになるのだそうです。ことの本質を見抜く方法がわかっておりますから、あらゆる面で真理を手にすることが出来るようです。 

稲盛和夫の実学をひもとく原理原則に則り、物事の本質を追求する 

家族も会社も国も、会計を知らなくてはならない。

私達の生活には、お金が必要です。お金は命綱です。入ってくるお金と出て行くお金のバランスがどういう状況にあるか、よく理解している必要があります。家庭でも、会社でも、国でも地方自治体でも、お金のバランスが取れていなければなりません。 

日本の多くの経営者は、1980年代後半から始まるバブル経済の中で、過剰・投資を繰り返しました。1990年に入り、そのバブル経済は崩壊し、デフレ経済の始まりとなりました。こうした中で、経営のあり方を見直し、抜本的な対策をとろうとしたのは少数であり、多くは不良債権を隠し、業績の悪化を繕うことに努めて来ました。もし、中小企業から大企業に至るまで、経営に携わる者が、常に公明正大な、透明な経営をしようと努めていたなら、企業経営の原点である “会計の原則” を正しく理解していたなら、バブル経済もその後の不況も、これほどまでにはなりませんでした。 

戦後から1980年代初頭までの右肩上がりの経済であれば、企業経営は前例に従うだけでよかったでしょう。しかし、日本を取り巻く環境は大きく変わり、成長神話は崩れ去り、グローバル経済の中に組み込まれています。経営者は今まで経験したことのない経済環境に対して、自社の経営実体を正確に把握したうえで、正しい経営判断をしていくことをしなければなりません。その為には、会計原則、会計処理にも精通していることが前提となります。 

従来、ほとんどの日本の経営者は、会計とはお金や物の動きを集計する、後追いの仕事と考えてきました。中小、零細企業の経営者の中には、税理士や会計士に毎日の伝票を渡せば、必要な決算書は作ってもらえるのだから、会計は知らなくてもいいと思っている人もいます。経営者は “いくら利益がでたか” “税金はいくら払うのか” には関心があるだけで、会計の処理方法は専門家がわかっていればよいと思っている人が多いと思います。さらに、会計の数字は自分の都合のいいように操作できる、と考えている経営者もいると思います。 

真剣に経営に取り組もうとするなら、経営に関する数字は、すべていかなる操作も加えられない、経営の実態をあらわす唯一の真実を示すものでなければなりません。損益計算書や貸借対照表のすべての科目とその細目の数字は誰が見ても、ひとつの間違いもない完璧なもの、会社の実態を100パーセント正しく表すものでなければなりません。 

日本の大企業の経営者の中でも、その多くは会計をわかっていないまま、経営をしておられます。経営者の多くは、一流大学を卒業して、営業部門、製造部門など現場で研鑽を積んでトップに上り詰めたという方々が大半です。会計をわかっておられる方が少ないと思います。そうではなく、トップ自身が会計をわかっていなければなりません。 

貸借対照表で、健康状態を把握しなくてはならない

京セラ創業時には、塾長は経営の経験がなかった為、営業であれ、製造であれ、会計であれ、直面した一つ一つの問題について、“こうでなければならない” と心から納得できるやり方-原理原則、世間でいう筋の通る、人間として正しいことに基づいて経営していこうと決めました。 

経営の常識とされるものを知らず、一から理解し、納得してから判断しようと考え、経営とはいかにあるべきかという経営の本質を常に考えるようになりました。会計についても、自分の予想したものと実際の決算の数字が食い違う場合、すぐに経理の担当者に詳しく説明してもらうようにしたそうです。 

経理部長に対しても、疑問に思ったことはどんな小さなことでも遠慮なく質問し“経営の立場からはこうなるはずだが、なぜ会計ではそうならないか”と根掘り葉掘り “なぜ” を繰り返したそうです。経理部長は素人の無理難題と受け止めていました。

 経理部長とのこうしたやり取りが数年続きました。恐らく、経理部長は “うるさい” 社長と思い、人間関係もギクシャクしていたと思います。ところが、塾長の “なぜ” という質問に答えようと努力をしていく経理部長は “会計とは何か” が理解でき、彼の態度が一変したのです。経営はいかにあるべきかという立場(管理会計)からの社長の発言を深く受け止めだしたのでした。このことは、一つずつ、具体的に徹底的に物事の本質を引き続き追及していくことの大切さを物語っていると思います。 

貸借対照表とは、いわば身長がいくらで、体重がいくらで、その体を維持するのに、どういう栄養分をどこから持ってきたかを示すものです。 

A社の貸借対照表 2018年12月31日 

A社の2018年12月31日現在の貸借対照表は以下の通りです。

身長や体重は資産の部、それを支える栄養分は負債及び資本の部です。

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企業に限らず、大学、国、家庭、すべての団体の状態を貸借対照表で表すことができるのです。例えば、家を購入する時、住宅ローンを申請します。その時、銀行は個人の資産・負債の明細提出を要求してきます。住宅購入者がローンを支払っていけるかどうか判断します。いわば、家庭の貸借対照表を銀行は要求しているのです。 

A社の場合、2018年12月31日現在で、流動資産・現金・預金等は四億四千三百万円、固定資産は六億五千二百万円あります。資産の部合計十億九千五百万円は負債及び資本の部合計十億九千五百万円で支えられているわけです。 

原理原則に則り、物事の本質を追求せよ

物事の判断にあたっては、常に本質にさかのぼること、そして人間としての基本的なモラル、良心に基づいて何が正しいのかを基準として判断することがもっとも重要です。 

そのモラルとは、素朴な倫理観に基づいたものです。公平、公正、正義、努力、勇気、博愛、謙虚、誠実というような言葉で表現できるものです。 

何事においても物事の本質にまでさかのぼろうとせず、ただ常識とされていることにそのまま従えば、自分の責任で考えて判断する必要はなくなってしまいます。とりあえず人と同じことをする方が何かと差しさわりもないであろう、このような考え方は原理原則にさかのぼって考える経営にはなりません。どんな些細なことでも、原理原則にさかのぼって徹底して考えることが重要であり、正しい判断の基準を毎日の経営判断に適用していく必要があるのです。そうすることにより、筋の通った経営が可能となります。 

経営における重要な分野である会計の領域でも全く同じです。会計上常識とされている考え方や慣行に単純に従うのではなく、改めて何が本質なのかを問い、会計の原理原則に立ち戻って判断することが要求されるのです。経営の立場から “その会計処理が正しいのか” 意識して問いかける習慣を身につけることが肝要です。 

会計・経理を、企業経営の中枢において経営者は経営する。ただし、会計経理を軸に据えたとしても、“従来、会計はこうするものだ” という常識を鵜呑みにしてはなりません。何が正しいのかという原理原則に基づいて会計というものを理解していくことが大切です。 

  1. 原理原則に反した不良債権処理における政府の対応

日本ではバブル経済時に銀行はいろいろな企業に預金を貸し付けてきました。多くの企業はその資金で土地を買い、ビルや工場を次々と作っていきました。バブル崩壊後、地価は三分の一、工場は余剰設備を備え、借りた資金を返済することが出来なくなりました。銀行が資金の回収をすることが出来なくなり、不良債権が日本全土に広がりました。企業も銀行もたいへんな不良債権を抱えてしまったのです。 

危険な債権を持っている銀行が “うちは健全です” というのはおかしいわけです。相当の額が返ってこない可能性があるわけですから、貸倒引当金の計上をすべきです。貸倒引当金は損失として損益計算書に計上しなければなりません。 

しかし国税庁は、貸付先の企業は潰れていないので、貸倒引当金を損金として認めないのです。そして引当金の損金算入否認の結果、銀行はその半分を税金として納付させられます。ただし、この納付した税金は貸付先が実際に潰れた時に実質的に返ってきます。この部分は繰越税金として資産部に計上されます。この部分は資本の部に自己資本の増加となります。 

会計の仕訳は以下のようになります。

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繰越税金資産は会計上は費用処理されず、将来発生するであろう貸倒損失に対する税金の過払い/前払い・税金として取り扱われます。そうしますとこの部分だけ自己資本が¥300増えていることになります。 

銀行にとって自己資本比率は重要です。自己資本比率が8%を切ると国際業務ができなくなるのです。銀行の場合、この繰越税金資産の金額が大きく、自己資本の三分の一にまで達しているのです。 

金融庁は貸倒引当金を計上しなさいと言う。税務当局は、貸倒引当金の損金は認めません。税金を払いなさいと言う。財務省は、繰越税金資産の計上には上限を設けますよと言う。銀行は大変、困惑しました。国の方針が各部署で分離されて、総合的な合理性が欠けたまま国の運営がなされているのです。 

お上が決めたからと言って、鵜呑みにするのではなく、何が正しいかという本質に照らして納得のいくように理解していくことです。 

  1. 減価償却と原理原則による判断

機械設備を購入しますと、購入代金を支払った時に全額経費に落としません。機械設備は通常2-3年、続けて使用することがあるからです。そうしますと、機械設備代金を例えば3年使用するとして、毎年三分の一ずつ経費に計上します。これが減価償却です。 

減価償却費を毎年計上し、減価償却引当金として貸借対照表に計上されていきます。3年後には購入価額と同額の減価償却引当金が蓄積されていきます。毎年の減価償却費は毎年の使用料なのです。また、新しく買い替える準備金の積み立てと考えても良いと思います。 

通常、耐用年数は “法定耐用年数” に従って決められ、会計処理されています。大蔵省の決めた省令に当てはめて償却するのです。“陶磁器、粘土製品、耐火物などの製造設備” は耐用年数は12年と定められています。しかし、その製造設備は使用される仕事によって実際の耐用年数は異なるのです。セラミック粉末の成型品の場合は5~6年しか使えないのです。法定耐用年数を無理矢理当てはめるという決め方には、経営者としては納得できないことでしょう。法定耐用年数は “一律公平” に提供する為のものなのですが、個々の企業の相違を認めない償却なのです。 

経理部は “税務上の耐用年数が法令で決められているのに、みんなが従っているのに、わざわざ自社の耐用年数を使うのは得策ではない。実務的にも税務上、会計上二本立の償却になり、煩雑になる” というのです。税金を払ってでも償却する “有税償却” はすべきではないというのが通常の会計です。 

しかし、経営や会計の原理原則に従えば、有税であっても、経済に沿った耐用年数で償却し、適正な費用計上をすべきなのです。耐用年数が5~6年なのに、法定耐用年数12年で償却すれば、最初の6年間は減価償却費が過少計上され、利益が過大に計上されます。七年目にその機械設備を除却しますと、一拠に多額の除却損が発生します。こうした処理は経営や会計の原理原則に反するのです。 

設備の物理的、経済的寿命から判断して “自主耐用年数” を定めるようにすべきなのです。 

  1. 減価償却は原理原則に則って行え

先述のように、法定耐用年数は、企業が勝手に耐用年数を決めると不公平になってしまうので、財務省が定めたものです。 

しかし、法定耐用年数が15年と定められた機械が特殊な使い方をしたために3年しかもたなかったというケースがありました。税務署は3年償却は認めてくれません。そうしますと会社は向こう3年間、50万円毎年償却します。さらに有税償却の為 (自主耐用年数償却50万円-法定耐用年数償却10万円) x50% = 20万円の税金を支払うこととなります。 

有税償却をする為には、そうすることが出来るぐらいの収益力がなければなりません。 

  1. 物事の本質を追求する-本質追求の原則

経営をする上では、原理原則に則って、ものの本質を求めなければなりません。物事を鵜呑みにしないで、“なぜだ。なぜだ” と考え、本質まで立ち返っていかなければなりません。 

“会計的にはこう処理するのです” と経理部長に言われても、“何でそうなっているのだ” と考え、納得できるまでと本質を追求します。 

経営者の多くは営業や製造畑出身の方が多い様です。ほとんどの経営者は経理を軽視しているようです。しかし、会計、経理の分野は軽視するわけにはいきません。それどころか徹底して知らなければなりません。

“稲盛和夫の実学”  は京セラでの経験をもとにして書かれた、本質追求の原則の具体的・解かり易い会計実学です。 

  1. 原理原則から考えて、おかしかった歩積み

常識に支配されない判断基準を持つことが非常に重要なのです。以前に“歩積み両建て預金”というものが、銀行から要求されていました。中小企業の場合、お客様に納品しますと、お客様から90日約束手形を頂きます。これは、90日後に支払いますという約束なのです。中小企業の場合は預金に余裕がありませんから、銀行にその約束手形を持ち込み、お金を借りるのです。 

銀行は、例えば、100万円の約束手形を割り引いて3万円利息を差し引き、97万円を会社に渡します。しかし銀行は同時に約束手形の安全性確保のため、10万円預金するよう要求します(歩積み・両建て預金)。従って会社が使えるお金は87万円だけなのです。 

割り引いたら歩積みがいりますと経理部は言います。100万円の預金が銀行に担保として保証されているにも関わらず、銀行とお付き合いする為には歩積みがいると言って聞かないのです。稲盛塾長も “まあそれは仕様がないな” と認めていました。おかしいことはおかしいと原理原則、本質に立ち返って、経理部に話したのでした。 

しかししばらくして、当時の大蔵省から省令が出て “歩積みという横暴なことを銀行が中小企業に要求しているのはけしからん。今後はやめなさい” と各銀行に通達されました。 

  1. 売上に対する販売費・一般管理費の割合にも常識という迷信がある

ある業界では、販売費・一般管理費は売上高の15%かかるというのが常識になっています。売上高利益率は5~6%である。という常識があったとします。そうしますと、業界の会社の決算書は横並びになります。 

常識といわれるものが悪いのではなく、本来限定的にしか当てはまらないものを、あたかも、つねに当てはまると勘違いしているのです。常識を鵜呑みにしてしまうからなのです。常識に捕らわれず、本質を見極め、正しい判断を積み重ねていくことが、激動する経営環境に必要なのです。 

A社の損益計算2018と2017を比較して見ます。

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売上高は2018年は4億8千200万円、2017年は4億9千900万円、ほぼ横ばいでした。
売上原価も横ばいでした。売上原価率もほとんど変動はありませんでした。販売費・一般管理費は2018年、6千6百万円(13.7%)、2017年は7千5百万円(15%)と大巾に金額も、売上高、販売費・一般管理費率も下がっています。1.3%下がりました。
営利利益は2018年4千2百万円(8.8%)、2017年3千8百万円(7.7%)、大巾に増加しています。1.1%上がっています。

製造業の場合、売上総利益率、販売費・一般管理費は売上に対して30%、15%くらいだとみな思っています。販売費・一般管理費については工夫によって上記の様に変えることができるのです。

大企業の場合は、売上高経常利益が2~3%ぐらいの頃がありました。毎年給与が上がっていきますから、当然販売費・一般管理費も上昇して、売上経常利益率2~3%はないが2%は確保しているのです。3%利益が出るのが当たり前と大企業の経営者は考えているのです。3%の利益が出なくては世間体が悪いから、コストダウンの努力をしておられるのでした。

常識で利益が3%くらい出るものだと信じ込んでおられるおかげで、“赤字になると恥ずかしい。だから3%まであと一歩の2%の利益” が出るのです。例えば、販売費・一般管理費が9%増えたとしても、合理化で8%コストダウンすることができた為、利益率2%を確保できたのです。賃上げが今年は3%あったとしますと、よし来年は6%賃上げがあると考えて合理化に努力すれば、6%の利益率も夢ではないのです。

この例のように、現状維持志向、考える努力を怠る、常識というものが、人間のメンタリティーを縛るのです。