盛和塾 読後感想文 第八十四号

心は心を呼ぶ

稲盛塾長は“人の心をベースとした経営を行うよう努めてきました。強固で信頼のできる心の結びつきを社員と作り、それを保ち続けることに焦点を絞り、経営をしてきたのです”と語っています。 

愛されるためには愛さなければならないように、心をベースにした強い人間関係を築くためには、経営者自らが純粋な心を持ち、純粋な心の持ち主に集まってもらわなければならない。 

純粋な心とは、自己的な本能を極力抑えていくことが重要です。社員が心を寄せてくれる為には、強い意志でもって、私利私欲を捨てるように努めていく。それを社員が理解し、受け入れてくれるように努力します。 

一生懸命努力をし、思いやりに満ちた利他的な心がもたらした立派な企業は、枚挙にいとまがありません。しかし、人心の荒廃が、立派な企業を虫ばみ、集団の崩壊をもたらし、多くの社員を不幸に陥れた例も数多くあります。 

人心の荒廃は、トップの心に謙虚さがなくなり、利己の心が虫ばむことから始まるのです。心が心を呼ぶのです。 

西郷南洲に学ぶリーダーのあるべき姿 

成功を持続させるためには、リーダーが欲望を抑えなければならない 

  1. 創業より守成のほうが難しい

戦後六十年以上が経ちました。敗戦により、日本は焦土(しょうど)と化しましたが、国民一人ひとりが日本の経済を立ち直そうと必死の努力を重ね、日本を世界有数の経済大国に蘇(よみがえ)させることができました。ところがその中で、多くの企業の盛衰が発生しています。最近の企業の不祥事を見ていますと、立派な会社を作るよりも、立派になった会社を守っていくことのほうがはるかに難しいのだと思います。 

  1. 欲望が成功を没落に導く

立派な経営者として人々から尊敬され、賞賛されていた方が、晩年には没落をしていかれます。なかには会社が倒産し、自らも悲惨な状態に陥られる方もおられます。多くの場合、成功が転落のきっかけになっていきます。 

会社を作り上げ、社内で絶大な権力を持ってしまいますと、社長に反対するような社員はいなくなってしまいます。反対する人がいなくなりますと、ついつい正しいことを行うことを忘れてしまい、私ごとに流れていくようになり、公私混同が起きてしまいます。そうした人でももちろん、公私混同をしてはならない、または経営に私情をはさんではいけないということは知識としては知っています。“知っている”ということは“実行する”と同意ではありません。“実行する”ことが難しいのです。実行する努力をし、“全うする”実際に行い、その結果まで確認することが難しいのです。 

会社設立した頃は、苦労しながらも会社を立派にしようと思って一生懸命に頑張ります。しかし会社が立派になりますと、成功から没落への引き金になることが多いのです。そうならない為に、欲望を抑え、節度を保つということを全うすることが、トップの人間としての責任です。 

会社が成功してもなお謙虚に地道に経営を続けていかなければなりません。倹約に努めつつ、ひた向きに努力するような地味な生き方をすることでしか、成功した企業を守り続けていくことはできないのです。 

中国の古典の中に“一国は一人を以って興り、一人を以って亡ぶ”(北宋の文人、蘇洵(そじゅん)の言葉)というのがあります。組織・集団の成否はリーダーによって決まるということが言われています。 

敬天愛人の精神に基づいて京セラを経営 

  1. 人間として正しいことを貫く

稲盛塾長は京都の硝子メーカーに大学卒業後就職しました。赤字が続く会社で、給料遅配がよくある会社でした。同期入社の仲間が次々とやめていき、塾長ひとりが取り残されました。そうした中で、愚痴を言っているのでは何もならないと考え、ファインセラミックスの研究に没頭しました。その結果、日本で初めてファインセラミックスの新材料の合成に成功するなど、多くの成果を上げることができました。 

27歳で周囲の方々の支援によって京セラを作っていただき、研究開発が始まりました。経営者としての道が始まりました。仕事の中で、従業員からいろいろな提案があり、その都度意志決定をする必要に迫られたのでした。 

そうした中で会社を作って頂いた方が“敬天愛人”という一幅の書を持って来て下さいました。西郷南洲は、稲盛塾長の郷土の大先輩でした。 

会社を始めて以来、様々な経営判断を迫られ、一つひとつ、“それをやってもいい、それはダメです”という判断を下すことが、トップの責務なのだということがわかったのでした。 

経営の経験もなく、基準をもたない塾長は困り果て、子供の頃に両親や先生から教わった“やっていいことと悪いこと”を判断の基準にしようと決めたのでした。会社経営の判断基準として“人間として何が正しいのか”という一点に絞ることになりました。 

西郷南洲の“敬天”、つまり天を敬うということは、“人間として正しいこと”と同じ意味であると理解したのです。“人間として正しいこと”とは、天が指し示す正しい道を実践していくこと、と理解したのでした。 

しかし、昨今の産業界における不祥事の続発を見るにつけ、“人間として正しいことを貫く”という原理原則の大切さは、言葉で言い尽くせるものではありません。 

アメリカの証券取引委員会(SEC)では企業統治、コーポレートガバナンスはいかにあるべきかという観点から、不祥事が起きないようにする為に膨大なルールを定めたSOX法をつくり、ニューヨーク証券取引所に上場しているすべての企業に適用しています。現在は、法や制度の整備を進めることによって、不祥事を防止しようという方策がとられています。しかし、リーダーが自分の利益を増大させるためには、何をしても構わないという思いを少しでも持っている限り、不祥事は根絶することはできないと思います。 

“敬天”、天に恥じない経営をするという考えが実践されることによってしか、不祥事を未然に防ぐことはできないのではないでしょうか。 

  1. 従業員の物心両面の幸福を追求する

敬天愛人の愛人についてですが、下記のような従業員との話し合いの中で、人々を愛することの大切さを理解するきっかけとなりました。 

京セラ設立三年目の時でした。前年採用した高卒の社員たちが、“将来が不安だから、昇給や賞与など、将来にわたる待遇を保証してくれ”と要求してきました。京セラはできたばかりで、みんなで力を合わせて立派な会社にしていこうと思っています。しかし“将来を保証してくれなければ、今日限りで辞める”とゆずりませんでした。この話し合いは、市営住宅の塾長の家で、三日三晩続いたそうです。“ボーナスはこうする、昇給はこうするという約束はできない。私にも会社の将来はわからない。約束することは嘘をつくことになる。しかし私は誰よりも必死になって会社を守っていこうと思う。そして君たちの生活がうまくいくようにしてあげたいと強く願っている。私の誠意を信じてほしい” 

三日三晩の話し合いで、全員が納得しました。京セラはもともと“稲盛和夫の技術を世に問う”ために作っていただいた会社だったのです。以前に勤めていた会社では、稲盛塾長の研究や技術を認めてくれなかったが、京セラでは誰に遠慮することなく、自分の技術を世に問うことができる。技術者として私的な願望が京セラ設立の目的だったのでした。

ところが社員の反乱で、私的な技術を世に問う場としての京セラは、吹っ飛んでしまいました。技術者としての理想を追求する会社から、社員達の生活を守るという目的に変貌してしまったのでした。 

会社というものはその中に住む従業員に喜んでもらうことこそが目的であり、最も大切なことだと理解することができました。“全従業員の物心両面の幸福を追求する。そして人類・社会の進歩・発展に貢献する”という経営理念が生まれたのでした。 

これは“敬天愛人”の愛人、人々を愛するということなのだと、改めて西郷南洲の思想の真髄(しんずい)を理解した気がしたと塾長は謙虚に語っています。

“南洲翁遺訓”に出会い“無私”の大切さを知る 

山形県の庄内にお住いの方がある日訪ねてこられ、“南洲翁遺訓”をくださいました。この遺訓は鹿児島県ではなく山形県庄内で西郷南洲の思想をまとめたものでした。そして西郷南洲の思想哲学のすばらしさに感動しました。それが企業経営上、リーダーとしてあるべき姿を描いており、リーダーとしての重要な要諦だと気付いたのでした。 

“政府の中心となり、国の政(まつりごと)をするということは、天道を踏み行うということだ。だから少しでも私心を差しはさんではならない。徹底的に心を公平にして正しい道を踏み、広く賢明な人を選び、その職務をちゃんと果たして行ける人をあげて政治を執り行わせる。これが天の意である。だから賢明で適任だと認める人がいたのなら、すぐにその人に自分の職を譲るべきなのである。官職というものは、その人を選び、それに適任の人に授けるもの。功績のあった人にはお金をあげて大切にすればよいのだ。” 

トップに立つ者は天道を踏み行うものであって、少しでも自分を大切にする思いを差しはさんではならないと西郷は述べているのです。 

企業はいつ何時、危機に遭遇するかも知れません。従業員を路頭に迷わせることがあってはなりません。その為、トップは必死に仕事に励んでいくことが必要です。“個人の時間などは一切ない”と思います。 

素子飯野ドアに立つ人はその組織に自分の意思、いわば生命を注ぎ込むことにより、組織は生物のように活動し始めるのです。すなわち、社長が四六時中会社のことを考えている間は、会社は活動しています。しかし、一旦会社のことを考えない時は、会社は生きていないのです。経営者たる者、四六時中会社のことを考えていかなければ、会社が機能しなくなるとすると、個人というものは一切あり得ないのです。 

なるべく私人としての自分が個人にかかる時間を少なくし、社長としての公人としての意識を働かせている時間を多く取るようにする。自分自身のことは犠牲にしてでも会社のことに集中する。これがトップの責任なのです。いわば自己犠牲を厭(いと)わないでできるような人でなければトップになってはならない。更に一歩進んで、自己犠牲よりは、むしろトップとしての仕事に楽しみを見出すぐらいでなければトップとなってはいけないのです。 

リーダーは苦楽を共にしてきた人を大切にしなければならない 

西郷南洲の遺訓集の最初には以下のことが語られています。

“国に対してどれほどの手柄のあった人でも、その職をうまく勤めることのできない人に官職を与えて賞するのは一番よくないことだ。官職というものはその人を選び、それに適任の人に授けるもの。功績のあった人にはお金をあげて大切にすればよいのだ。” 

これは人の処遇にあたっての要諦であります。中小零細企業のときには、その企業規模に合ったような人材しか集まりません。しかし会社が大きくなれば、もっと頭のいい、優秀な人が欲しいと思います。しかし会社が大きくなってきたにもかかわらず、自分と一緒に苦楽を共にしてきた創業時からの功労者を、そのことだけで役員にしてしまうことが多くあります。 

たしかに過去には功績はあった。共に苦労して会社を作るのに役立ってくれた。しかし売上が一千億円となった今、大企業を守っていくのに能力の乏しい人を役員につけてしまったばかりに、会社が傾いてしまうことがあります。 

もう一方では、会社が大きくなるにつれ、新しい人を求めることもあります。古くからの部下の能力がないことが見えて、一緒に苦労したけれども、こういう人たちでは会社をこれ以上立派にできないと思い、次から次へと新しい人を迎え入れるのです。例えば一流大学MBA卒業の社員を迎えたり、高度な技術を身につけた人を投入し、要職につけ、会社発展を図ろうとすることがあります。しかし一方では、創業時から苦楽を共にしてきた番頭さん達が寂しく去って行くこともあり得ます。会社の精神的な支柱であった番頭さん達が去ることで、会社は大きく変質し、やがて没落してしまうこともあります。 

優秀な人を採用していくことは必要ですが、苦楽を共にしてきた人たちも大事にしなければならないのです。苦楽を共にして、今もなおあなたについていこうという古い人たちがたくさん社内にいます。そのような人たちを大事にしてあげなければなりません。二十年、三十年と不平不満も漏らさず、努力を重ねた人ならば、きっと素晴らしい人間に成長しているはずです。堂々と努力を継続していくことを通じて、凡人が非凡人に変わっていくのです。元々才能のなかった人が、三十年、ひとつのことに没頭することで非凡な人へと生まれ変わるのです。こうした人たちが、会社の基礎をつくるのです。基礎を蔑(ないがし)ろにして立派な会社をつくることは出来ないのです。 

大家族主義をベースにした経営/社員の物心両面の幸福を目指すとすれば、苦楽を共にした人たち、新しい才能のある人たちも楽しく働け、しかも拡大発展するように会社を導くことがトップの責任です。 

謙虚にして驕らず 

京セラでは、どんな弾(はず)みで会社が潰れてしまうかもわからないと心配だったそうです。危機感がむしろエンジンとなって一生懸命に仕事をさせるようになっていきます。危機感を失ってしまった時に、経営者は会社をダメにしてしまいます。 

京セラが株式を上場した時のことです。塾長は株主でしたので、自分の保有する株式を放出すれば、キャピタルゲインを得ることができました。資金は自分個人のものとなります。しかし塾長は一株も売却しませんでした。京セラはすべて新株発行により資金を得ました。その資金をもとに新たな投資を行い、事業を拡大発展させてきました。 

会社がうまくいきますと、多くの経営者がすぐに有頂天になり、自分の力で成功したのだと驕(おご)り、やがて没落していきます。成功は没落への道に通じているのです。成功した時こそ、“謙虚にして驕らず”ということが大切になるのです。 

西郷南洲遺訓二十六に、次のように述べられています。

“自分を愛することは、よくないことの筆頭だ。修行ができないのも、事業が成功しないのも、間違いを改めることができないのも、自分の手柄を誇(ほこ)って生意気になるのも、すべて自分を愛するがためである。だから決して自分を愛してはならない。” 

“自分が一生懸命に働いた、自分の才覚によって会社を発展させた、上場させた。全ては自分の才覚のたまものだ。報酬は自分が受けてすべて当然だ。”と経営者が自分を誇りに思ってしまうから、会社がだめになっていくのです。 

企業経営者、政治家、官僚でも、偉くなればなるほど、率先して自己犠牲を払うべきです。自分のことはさておき、自分が最も損を引き受けるという勇気がなければ、上に立ってはなりません。上に立つ資格はないのです。この“私心”をなくすることがリーダにとって最も重要な要諦だと西郷南洲は述べています。 

西郷南洲遺訓三十.

“命もいらず名もいらず、官位も金も要らないという人は始末に困る。しかしその始末に困るような人でなければ、苦労を共にして大きな仕事はなしえない” 

これが現在の混迷する世相を救う、究極のリーダーの姿です。西郷南洲の言っているような“無私”の精神を心に秘め、さらに世のため、人のために尽すということを自ら実践している人がいないことが不祥事の原因となっているのではないでしょうか。 

立派な人格、立派な人間性を持った人、自分というものを捨ててでも、世のため、人のために尽せるような人がリーダーとして求められています。 

策略を用いてはならない 

西郷南洲遺訓七.

“どんな大きなことでも、またどんな小さなことでも、いつも正道を踏んで誠を尽し、決していつわりの策略や策謀を用いてはならない。人は多くの場合、ある事柄に問題が起きたときに策略を用いる。そしてその策略を通しておけば、あとは何とかなるだろう。何とか工夫ができるだろうとつい思いがちになる。しかし策略というものは、必ずそのツケが生じて失敗をするものである。一方正道を踏んでいけば、一見回り道をしているような感じがするけれども、かえって成功は早くなるものだ。” 

京セラが第二電電を設立し、通信事業に参入したときのことでした。明治以来、電電公社(NTT)が独占して来た通信料金は世界各国に比べてたいへん高いものでした。日本政府が通信事業の民営化をはかることとなったのです。新規参入が可能となりました。ところが、誰一人として参入に名乗りをあげませんでした。それは膨大な投資を要し、高度な技術が必要であり、通信事業に経験のある人材が簡単に確保できそうになかったからでした。NTTは巨大で、どの企業も一向に名乗りをあげませんでした。 

京セラは電気通信事業については全くの素人であるにもかかわらず、第二電電を立ち上げることを決めました。これは世のためひとのために絶対に必要なことだという思いで、名乗りをあげたのです。 

塾長は自問しました。第二電電という会社を起こし、通信事業に参入しようとしているが、その考え、動機は善なのか、私心はないのか。金儲けの為ではないのか。“動機善なりや、私心なかりしか”と半年考えた後の決断でした。日本が情報化時代を迎えるに当たり、通信料金を安くしてあげたい、ただその一心だけだったわけです。 

その後、国鉄を中心とした日本テレコム、建設省と道路公団を中心とした日本高速通信という2社が参入してきました。どちらも既にインフラが出来ていました。しかし京セラの第二電電は、インフラを持っておりません。第二電電はやむなく無線でのネットワーク構築に取り掛かったのでした。“世のため人のため”を旗印に一生懸命努力した第二電電は、売上でNTTに次いで第二位の企業に成長しています。 

みんなが逡巡(しゅんじゅん)しているときに“世のため人のため”という思いで懸命に努力を続けた企業だけが成功したのです。策をめぐらして戦略戦術を練って成功したというより、純粋で気高い思いによって、成功したのだと言えます。 

イギリスの哲学者ジェームス・アレンがその著書“原因と結果の法則”の中で述べています。

“汚れた人間が敗北を恐れて踏み込もうとしない場所にも、清らかな人間は平気で足を踏み入れ、いとも簡単に勝利を手にしてしまうことが少なくありません。なぜならば、清らかな人間は、いつも自分のエネルギーをより穏やかな心と、より明確で、より強力な目的意識によって、導いているからです。” 

西郷南洲は“策を弄(ろう)してはならない、正道を踏んでいくことは一見、迂遠(うえん)であるかのようにみえるけれども、それが成功するための近道なのだ”と説いています。

 第二電電が株式を公開した時、創業時から塾長と一緒に歩んできた人たちは、みな第二電電の株式を持ってもらいました。しかし塾長は一株も第二電電の株式を持ちませんでした。 

成功することは間違いがないと言われた企業が消え去る中で、第二電電だけが生き残り、さらなる成長・発展を目指しているのです。 

試練を通じて志を揺るぎないものに高める 

“知っている”ことと“実行できる”ことはまったく違います。知っていること、知識として得たものは、それが見識となり、それが魂の叫び、胆識、にまで高まっていなければ決して使えないのです。 

人間には欲望がありますが、それをできるだけ抑えて、公平無私な人でありたいと思うのです。理屈では知っています。聞いたこともあります。けれども実行することはできないということが多いのです。それは知識を魂にまで落とし込み、使命として刻み込んでいないからです。 

人は、一旦成功しますと、今までの使命を忘れ、傲慢(ごうまん)になり、驕(おご)ることになりやすいのです。自分自身を日頃から、戒める、謙虚に日々反省する習慣が必要だと思います。 

西郷南洲は遺訓集第五で“幾たびか辛酸を歴(へ)て志はじめて堅し”と述べています。試練や辛酸を幾度もなめ、そのたびに克服していくというプロセスを経験しなければ、その人の持つ哲学や思想、また志というものは、決して堅いものとはならないとも語っています。 

我々は西郷南洲のような辛酸をなめる経験を持つことはできません。しかし、その志を固く魂にまで落とし込む毎日の努力はできます。