盛和塾 読後感想文 第八十五号

人生の目的を求める 

人生の目的を見失っている若者が増えています。会社に入っても、生活の手段として給料をもらうだけで、趣味やレジャーに生きがいを求める人が多くなっています。自分の生活や家庭を守ることに生きがいを見つけ、現状維持を計り、保守的な生活をする人が増えています。日本国内にばかり目が移り、海外から遠ざかるような風潮が見られます。これでは個人も国も孤立してしまいます。

人生経験を積んだはずの三十代後半から上の人たちが自信を失い、世の中が変わったとか、古い話は通じないなどと思い込み、自分の歩むべき道を失うことも多いようです。 

しかし、周囲が急速に変化していきますから、これではダメだと皆がもっと高いレベルの目的を求めるようになると思います。 

仕事に打ち込み、世の中、人のために役に立ち、自分が他人から頼りにされる存在でありたいと皆が考えるようになるだろうと思います。時代がどう変わろうと、自分の存在意義を真剣に考える人も多くおられます。 

こうした人生の意義や目的を若い人たちに語り掛けますと、若い人たちも共鳴してくれるはずだと思います。 

いかに生きるべきか -ベトナム社会科学院シンポジウム基調講演― 

ベトナムの未来を担う人たちへ 

鹿児島大学に留学されておられた日本文化学院副学長のフアム・フー・ロイさんが、塾長の著書 “君の思いは必ず実現する” に心を動かされ、ベトナム語に翻訳出版されました。 

このことがきっかけとなり、この講演が開催されることとなりました。ベトナムの未来を担う人たちが、この講演から何かしら得られるものがあればと願って、講演させていただきますと塾長は述べておられます。 

全身全霊で仕事に打ち込むことで、人生に好循環が生まれる 

日本敗戦の後、ほかの日本人の家庭と同様、稲盛家も困窮したのでした。大学を卒業した後、就職難の中やっとの思いで京都にある、送電線用の碍子 (がいし) を生産する会社に就職しました。しかし、この会社は給料の遅配が続くような赤字会社でした。同時入社した人たちは口を揃えて不平不満を述べていました。

一人辞め、また一人辞め、同時入社した人たちは誰もいなくなりました。そして、稲盛和夫だけが取り残されてしまいました。しかし、他に行くところのなかった塾長は、このオンボロ会社から与えられたファインセラミックスの研究に力を注ぐようになったのでした。

実験室に泊まり込み、一心不乱に仕事をするようになりました。そのように全身全霊で研究に打ち込み始めると、次から次へと素晴らしい研究成果が現れてきたのです。 

すると、上司から褒められ、さらに役員からも声を掛けられるようになり、仕事が面白くなってきました。今まで挫折続きであった塾長の人生に好循環が生まれ出したのです。

そして、研究を始めて一年半ほど経った頃、塾長はフォルステライトという新しい高周波絶縁材料の合成に成功しました。劣悪な研究環境の中にあっても、アメリカのGE社に次ぐ、世界で二番目の合成の成功でした。 

さらに、この新しいファンセラミックス材料を、日本の大手電機メーカーが、当時急速に普及していったテレビの重要部品として採用したいと申し入れてきました。技術者としての苦労が報われただけでなく、赤字を続けていた会社にとっても起死回生となるような受注となりました。 

塾長はファインセラミックスの開発のみならず、量産までも担当するようになりました。

さらに今度は新たにセラミックス真空管部品の開発依頼を受け、塾長が開発したフォルステライトを使って取り組んだものの、開発は難航しました。 

しかし、新生の技術部長はセラミックスについては門外漢で、見当違いの指示を出すだけではなく、技術者の苦労を理解しようとしませんでした。そして、塾長は退社を決意したのでした。ところが、私の退社に私の部下も上司もついていきたいと言ってくれ、さらには新会社の設立を支援してくださる方々もあり、1959年に塾長は京セラを創業していただいたのでした。 

こうして、全身全霊で仕事に打ち込んでいくことで、塾長の人生に好循環が生まれることとなったのです。 

一つのことを継続して努力し続けることが、成功への唯一確実な道 

京セラは半世紀にわたってファインセラミックスの研究開発と応用、その事業化に携わってきました。耐摩耗性、耐熱性、耐熱衝撃性、さらには耐食性など様々な優れた特性を持つセラミックス材料を開発し、各種産業用部品として、その製品化を図ってきました。 

セラミックスの電気特性を活かしたコンデンサなど、各種電子部品の開発量産を幅広く進め、携帯電話、プリンタなどの開発量産を行ってきました。今日の京セラの発展や自分の人生があるのは社会人になって以来、ファインセラミックスの開発や会社経営に一筋に打ち込んできたからにほかなりません。一意専心、ただ一つのことを誰よりも懸命かつ誠実に実践してきたことが、その要因であると塾長は語っておられます。 

最初からファインセラミックスの開発に打ち込むことができたわけではありません。気持ちを切り替えて、ファインセラミックスの研究に打ち込もうとしてからも、実際には毎日地味な作業の連続で、決心が揺らぐこともありました。 

ファインセラミックスの材料開発は原料を乳鉢に入れ、日がな一日捏ね続けたり、ホットミルという器具に原料を入れ、一日中回して粉砕調合を繰り返すことから始まります。これらの作業は他の原料が混じると正確な実験結果が出ないものですから、実験が終わるたびに器具をきれいに洗浄しておかなければなりません。 

来る日も来る日もそのような実験を繰り返していますと、毎日こんな地味なことばかりしていていいのだろうかと考え込んでしまうのでした。しかし塾長は、この尺取虫のような地味な一歩一歩の積み重ねが、やがては成功という道に通じていることを信じ、ただひたすらにファインセラミックスの研究開発に邁進したのでした。 

ただ一つのことを継続して努力を重ねるということが、人生において偉大なことを成し遂げる唯一の方法であるということを確信したのでした。 

継続を可能にする五つの実践項目 

一つのことを継続していくということは、大変難しい事です。年月が経過して、周りの状況が変わりますと、人の心自体が変節してしまい、志半ばで断念してしまうことが多いようです。 

そうならない為に、次の五つの実践項目が重要だと考えました。 

  1. 仕事を好きになる

最初から自分の好きな仕事に就けるような人は稀です。大半の人はたまたまその仕事に携わることになったに過ぎないのです。嫌々ながら仕事に取り組むといった姿勢で時間を過ごすことは、人生を無為に過ごすことになってしまいます。 

自分の仕事が好きだという人々のほとんどは、好きではなかった仕事を、気持ちを切り替えることにより、懸命に努力をして好きになっていった人たちなのです。

人生や仕事において偉大な業績を成し遂げた人はやはり心から仕事を愛しています。 

  1. 仕事に打ち込む

仕事に打ち込むとは、だれにも負けない努力をするということです。

京セラの場合、京セラはマラソンでいうならば、素人集団のようなものでした。それも後発の参入だけに、遅れてスタートを切ったのです。

つまり、先頭集団はコース半ばに差し掛かろうとしているのです。ならば京セラは百メートルダッシュで追いかけなければ、勝負にはなりません。それで42.195キロメートル走り切れるわけがないと人は言います。しかし、素人ランナーが自分のペースで走っても勝負にはならないではないか。倒れるまで全力で走ろう。と塾長は社員に呼び掛けました。 

百メートル走のスピードでマラソンを走ったのでは、途中で落伍すると誰しもが思ったのでしたが、それが習い性になってスピードを持続しながら今日まで走り続けることができました。すると、先行ランナーが意外と速くない事に気がついたのです。そうしますと、さらにスピードが増し、第二集団を抜き去り、先頭集団が視野に見えてきました。

こうして京セラは株式上場を果たしたのでした。 

百メートル走のスピードとは “誰にも負けない努力” のことです。強い意志を持って、誰にも負けない努力を続けることで、どんな障害も乗り越えることができ、想像もできないほど素晴らしい実り豊かな人生を歩むことができるのです。 

  1. 喜びや楽しみを見出す

苦しい局面ばかりでは長続きしません。仕事の要所要所で一歩ずつ前進する、積極的に働き甲斐を見つけていく工夫が大切です。 

ささやかなこと、前進を素直に喜ぶことができる、同僚とその喜びを共有することが必要です。そのような心の素直さや純粋さこそが地味な仕事を生涯継続し、成功する為の最大の活力源なのです。 

  1. 日々創意工夫をする

今日よりは明日、明日よりは明後日と創意工夫をする。同じ研究、同じ仕事をするにしても、今日より明日、明日より明後日と京セラは創意工夫をしてきました。実験の場合でも、昨日はこういう実験をしたけれども、今日の実験では工夫をしてもっと結果を出そうと、創意工夫を怠らないように京セラではやってきました。 

塾長は語っています “次にやりたいことは私たちには決してできないと他人から言われたものだ” いかなる世の偉業も実はこのような地味な創意工夫の積み重ねなのです。 

  1. 今日一日を一生懸命生きる

経営をする場合、長期プランを立て、それを忠実に守ることが大切だと言われています。しかしほとんどの場合、長期の経営計画を立案しても、なかなか達成できるものではありません。予想を超えた市場の変動や不測の事態が発生し、下方修正が必要になったり、ついには計画を放棄せざるを得ないような事態が起こったりします。 

また、長期経営計画の多くが、売上や生産の目標が達成できていないにも関わらず、経費や人件費は計画通りに消化され、それが売上の減少や経費の増大を招き、長期経営計画が達成できないことが多いのです。 

今日一日を一生懸命に働くことにより、明日が見えてくる。今月を一生懸命に働くことによって、来月が見えてくる。今年一年を一生懸命働くことによって、来年が見えてくるという考えのもと、京セラは運営されてきました。 

人生の目的は、世のため人のために善きことを実践し、心を高めること 

人間は何のために生まれてきたのか。

人間は自らの意志で誕生するわけではありません。両親から生を授かり、気が付けばこの世に存在しているだけの事です。この世に生を受けたことは偶然であり、人生には目的などなく、存在意義がないと考える方もおられるかもしれません。

人間の存在は必然であり、人生には明確な目的と意義が存在すると塾長は考えておられます。 

生物の世界では、食物連鎖があります。炭酸同化作用で成長した植物を草食動物が食べ、その草食動物を肉食動物が食べ、さらに肉食動物は土に返ります。そして、土は植物の成長を促すという一連の食物連鎖があります。このように、自然の世界とは絶妙なバランスのもとにあり、不必要なものは何一つとしてありません。 

この宇宙にあるものには全て必然性があり、存在することに意義が、価値があると考えられるのです。路傍の方にさえ存在意義があるとするならば、人間には高次元の存在意義があると考えてよいと思います。 

人間は他の宇宙にある全てのものと協働していかなければ、生き抜くことは出来ません。他のものが生き延びられるように協働することが、自分自身を生き延びさせることだと人間は学んできたのです。例えば、自己犠牲を払ってでも家族や友人の為に尽くす。身寄りのない老人や、恵まれない子どもたちの為に何かをあげる。または企業経営を通し、多くの従業員の物心両面の幸福に努め、さらに雇用や納税、科学技術の進歩に寄与することで、国や社会の発展に貢献するというようなことです。 

しかし、ともすれば人間は、目先の自分の欲望を達成する為に周囲の人達のことを忘れ、利己的になり、自分の欲望を優先してしまうことが多いのです。一流大学を出て出世して、高級官僚や政治家になり、または経営者として成功し、 “功成り名遂げる” ことを人生の目的としてしまうことがあります。 

しかし、いくら立身出世を遂げ、高い地位と豊かな財産、社会的な名誉を獲得したとしても、やがて死を迎える時にそれらを死出の旅路に携行することは出来ないのです。唯一残るのは魂だけなのです。

魂しか残せないのなら、豊かな魂を残したいと考えてはどうだろうと思います。財産を増やしたとか、名誉を勝ち得たなどということも大切なことです。しかしそれが人生の目的ではないはずです。 

年を重ね、人生の最期を迎える時に “あの人は若い頃に比べると人格が善くなり、大変立派な人になられた” と言われることが人生における真の功績だと塾長は語っておられます。 

人生を生きる中では “心を高める” “心を浄化する” “心を純化する” “心を磨く” ということに努め、魂を美しく気高いものに昇華させていくべきです。それは、もともと原石 (赤ん坊) のような魂を、その生涯をかけて磨き上げていくことで、素晴らしい人格者になることこそが人生の意義だと塾長は述べておられます。 

苦難のみならず成功という試練を通じて人格が磨かれる 

自分を磨いていくのには試練が必要なのです。偉大なことを成し遂げた人で、試練に遭遇したことがないという人はいないようです。 

西郷南洲は若い時に、志を同じくした友人が身を海に投じた時、自分も同じく身を海に投じたのですが、自分だけが蘇生してしまったのでした。

また、二度にわたり南海の孤島に流され、長く幽閉されました。しかし、こうした逆境の中で西郷は古典を紐解き、自分を高める努力を怠ることはなかったのです。苦難に耐え、苦難を糧として人格を磨く努力をひたむきに続けました。 

遠島の刑を終え、高潔な人格と見識を備えた人物として、人々の人望を集めて明治維新革命の立役者となっていったのです。

西郷は遺訓として、 “幾たびか辛酸を歴 (へ) て志始めて堅し” と述べています。人間はいくつかの試練を経て、ようやく人格が磨かれていくということを西郷は身をもって経験したのでした。 

しかしその一方で、輝かしい成功も試練なのです。

仕事で成功を収め、地位も名誉も財産も獲得したとします。人は尊敬もし、羨望の眼差しで見上げることでしょう。しかし、それさえも厳しい試練なのです。 

成功した結果、地位に驕り (おごり) 、名声に酔い、財産に溺れ、精進を怠るようになれば、人間は瞬く間に堕落し、没落を遂げ、その人生を台無しにしてしまいます。しかし、成功を糧に更なる高い目標に向け、謙虚に努力を重ねていくなら、人生はさらに輝きを増していくのです。 

つまり人生とは、大小様々な苦難や成功の連続で成り立っていますが、そのいずれもが人を試す、心を磨く試練なのです。人間にとっては試練がある意味で、人生を豊かにする為に自然が与えてくれた機会ではないかと思われるのです。人生とは “魂の修業の場” なのです。