盛和塾 読後感想文 第九十五号

現代の経営者はいかにあるべきか 

人類を発展させた欲望という原動力 

  1. “生物圏”を離れ“人間圏”を形成した人類

宇宙の誕生は今から約百三十七億年前、一握りの素粒子の固まりが大爆発を引き起こしたことに始まるそうです。いわゆるビックバンと呼ばれる大爆発により誕生した宇宙は、以来膨張を続け、現在も拡大し続けていると言われています。 

この宇宙誕生から四十六億年前にガス状であった太陽系星雲のなかで、小さな惑星がたくさん生まれました。それらの小さな惑星が合体したものがこの地球だと言われています。 

海が形成され、その中で原始的な生命が誕生しました。その海で誕生した生命が進化して、陸地に上陸してきたのが今から四億年くらい前であると言われています。陸に上がった生物は進化を遂げていき、今から七百万年くらい前に、アフリカに人類が誕生したと言われています。 

人類は地球上でほかの生物と共に進化発展を遂げてきた生物種の一つであり、同時にこの頃の人類は生物圏、つまり生物で構成される世界のなかに含まれた、一つの生物種に過ぎませんでした。自然環境の制約条件の中で、受動的に生きる存在であったのです。 

人類は狩猟採集の生活を送っていました。当初人類は狩猟採集の生き方を通じて、生物圏の中で物質やエネルギーの循環を受動的に生きる存在であったのです。ところが、人類が一万年くらい前に農耕牧畜を始めた時から新たな局面を迎えることになりました。森を焼いて畑に変え、食料となる植物を栽培する、牧草地をつくり、家畜を放牧する。これらの農耕牧畜の営みは、地球の物質やエネルギーの流れを変えることになったのです。 

それは、自然に支配されて生きるという生き方から決別し、自らの意志、また理性を駆使することによって地球上の自然を自らのために利用し、変えてしまおうというものでした。人類のために自然は征服されるべきものという認識を人類が持ち始めたのです。また同時に、そのとき人類は、自然や、自然のもたらす資源は無尽蔵であるとも思い込んでいました。 

そのような考えをもった人類は、地球上の森林の多くを切り開き、農場を、また家畜を飼育する牧場へと変貌(へんぼう)させていきました。そのことで、生物種の激減をもたらすなど、生物圏を変化させて、ダメージを与え続けてきたのです。しかしこの頃の人類は人力やせいぜい牛馬の力しか持たず、自然への関与は限定的なものに留まっていました。 

  1. 産業革命により獲得した“駆動力”が今日の物質文明を作った

農耕牧畜へと移行した人類は、社会のあり方をも変質させてしまいました。食料の生産を開始した人類は、生活の安定と豊かさを求めて余剰食糧を備蓄するようになりました。その結果、貯蔵した食料、富をめぐって人間同士が奪い合いをはじめました。 

自らの豊かさを得たいという欲望を募らせ、争いがエスカレートしたことから、外敵から身を守る為に都市の周辺に城壁や環濠(かんごう)(堀)をめぐらしていきました。この間人類は、富をめぐる興亡を数千年にわたり、続けながら、富を求めて大いなる好奇心と探求心をもって自然現象の原理を追求し、またものづくりにたゆまぬ創意工夫を重ねていったのです。 

今から二百五十年前にイギリスで産業革命が起こりました。蒸気機関が発明され、人類は駆動力を手に入れました。この駆動力を手に入れたことによって、人類は地球上の物質内エネルギーの循環に深く関与し始めました。 

その駆動力の中心となっているのが化石燃料です。内燃機関がもつ強大な駆動力、その燃料である化石燃料の大量使用によって、現代の地球環境問題が示すように、人類は地球の物質、エネルギーの循環に大きな負担をかけるようになってきたのです。生物圏のくびきを逃れた人類は、その駆動力によって、人間圏を異常なまでに発展拡大させてきました。 

駆動力を手に入れた人類は、“もっと豊かな生活をしたい”、“もっと便利な社会をつくりたい”という欲望を原動力として、さらに好奇心と探求心を募らせ、次から次へと科学技術を発展させ、わずか二百数十年の間に、現代の豊かで便利な物質文明をつくりあげてきました。 

  1. 現代の物質文明をいつまで続けることができるか

現代の物質文明は“大量生産”、“大量消費”、“大量廃棄”の経済システムのもとに成立しています。たくさんのモノを作り、たくさんのモノを使い、たくさんのモノを棄てることで、絶えず経済発展/成長を目ざす。人類はそうすることによって社会全体の発展と幸福を導くことがよいのだと考えて来たのです。 

そのような欲望に基づき、自然をないがしろにする文明が長く続くはずがないのです。稲盛塾長は、一昨年前に考古学者の吉村作治先生と哲学者の梅原猛先生と、エジプトに行かれました。 

エジプト文明は今から五千年前に発展を始めたそうですが、二千年ほど前に滅亡し、ピラミッドや神殿などの遺跡だけが残ってしまっているようです。現在のチグリス・ユーフラテス文明も同様に、古代に栄えた文明が多くの遺跡を残し、今や文明の痕跡(こんせき)さえ見出すことは難しくなっています。かつてチグリス・ユーフラテス川流域は森林に覆(おお)われた豊かな牧草地帯であったと言われています。しかし今は見る影もない砂漠と化しています。 

自然を征服しようとして、自然を利用するだけ利用してしまった結果、栄華を極めた文明が滅びてしまったわけです。人類の文明で千年以上も続いているようなものは、ほとんどないそうです。 

わずか二百数十年前に始まった産業革命を契機に始まった近代の物質文明も、いつまで続けることができるでしょうか。本来、生物種の一つでしかなかった人間が、自らの欲望のおもむくままに、他の動植物を利用し、自然環境を破壊し、すばらしい生活を享受している現代文明。このような文明は結果として地球環境を破壊することで自らの生存さえ危うくしてしまうに違いありません。 

江戸時代中期、千八百年頃には地球の人口は十億人ほどであったと言われています。それから二百年の間に人類はおよそ七十億人に膨れ上がっています。今世紀末には百億人に達するだろうといわれています。 

しかし、エネルギーや食糧、水を百億人分も確保できるのでしょうか。多くの有識者がすでに不可能だと言っています。おそらく現代の物質文明は2050年、今から四十年後に崩壊するという悲観的な予測もあり、多くの賢人達が警鐘を鳴らし始めています。 

人類が今までのように欲望を原動力として、もっと便利で豊かな生活を望み続けても、地球の許容能力の範囲までしか発展しないのは当然ですと稲盛塾長は述べています。その限界がくるのは、そんなに遠い将来ではなく、せいぜい三十年、四十年という短い時間軸なのであり、このままでは現代文明は崩壊し、人類は破滅するしかないというのです。 

今求められているのは新しい倫理観の確立 

  1. 経済危機の背景には際限のない欲望がある

米国を中心とする資本主義、それは人間の欲望を原動力としてさらにもっと便利で豊かな生活を、それも楽しんで得たいと望むものでした。人類はその持てる意志と理性を駆使して、その限りない発展に尽力して来ました。 

その最たるものが、金が金を生む金融界における技術進歩でありました。米国を中心とする金融機関は、高度な数学、統計学の知恵、最先端のIT技術を駆使して、レバレッジを活かした金融派生商品を開発し、それを全世界に販売し、巨額の利益を上げてきました。できるだけ楽をして、巨額の利益を得たい、自分だけが限りなく儲けたいという利己的な欲望がエンジンとなっていたのです。

サブプライムローンという極めてリスクの高い債券を証券化し、これらの金融派生商品の中に組み込んだのです。その後、世界各国の巨大金融機関が破綻し、それを救済するために、各国政府はやっきになって、資金注入をしました。 

現在人類は資本主義をほとんど唯一の経済システムとして、その資本主義が主導する“市場原理主義”“自由経済主義”“成果主義”を正しい社会原理としています。市場原理主義、自由経済主義は、放任的な経済自由競争のなかで、強者と弱者を明確にし、“格差社会”をつくりあげてしまいました。成果主義は能力のある者とそうでない者との報酬に圧倒的な差を生じさせ、社会に矛盾と不安を惹起(じゃっき)させました。 

リーマンブラザーズの経営破綻、メリルリンチの経営破綻の中で、経営責任者が引責辞任時に三百二十億円、百五十億円の退職金を受け取ったと言われています。このあまりにも利己的なありかたが、社会から“グリード”“強欲”として大きな批判を浴びたのでした。 

企業の利益というのは、全ての経営幹部と社員の献身的な努力と協力によってつくられたものです。それを経営トップ一人だけが成し遂げたかのように考え、高額の報酬をひとりで得ることなど、あってはならないことです。 

現在の資本主義の根本的な問題は、法律規制、制度の確立、方法論の改善という問題ではなく、つまるところ人間の資質の問題である。今こそ資本主義をより節度のあるものに変えていかなければならない。 

規制や監視の強化が叫ばれていますが、資本主義社会を生きる者が正しい倫理観、強い道徳感を備えることが最も大切なことです。資本主義とは己のためだけではなく、社会のためにも利益を追求する経済システムであるべきです、と稲盛塾長は語っています。 

  1. 欲望に基づく経営から利他をベースとする経営へ

人類が持つ欲望、これは人類に限りない成長・発展をもたらした原動力です。この欲望がさらに続いていくならば、人類は地球を破壊し、自ら人類の破滅を招くことは必定です。その人類の欲望を節度あるものに変えていくにあたり、必要となる考え方がまさに“足るを知る”ということなのです。“知足”。 

人類が地球に与える負荷を許容できる範囲に留めていかなければ、現代文明は崩壊し、人類が破滅するのです。 

地球上に住む人類七十億人の人口の大変は発展途上国の人々です。これらの人々は生活の向上を願い、今後も高い経済成長を目標に掲(かか)げ、資源エネルギーの消費を飛躍的に増大させていくはずです。先進諸国、発展途上国の人々の消費するエネルギーは地球資源の有限性という点から、とうていまかないきれないのです。 

大量生産、大量消費、大量廃棄という現代社会のあり方を根本から見直し、技術革新を通じて資源エネルギーの使用をできるだけ少量に留めながら、付加価値の高いものを生み出していくという方向へと、産業や社会のあり方を大転換していくことが必要です。 

どのような経済環境の下でも、動植物が厳しい自然界の中で必死に生き延びようと努力をしているように、経営者も誰にも負けない努力を必死に払うべきです。ただし、必死に経営にあたる中で、自分だけよければよいというエゴ、つまり自分の欲望だけで動くのではなく、従業員、お客様、取引先、そして地域社会、企業をとりまくすべての人と社会と調和するような思いやりのある心、利他の心で経営していくことが大切です。 

今こそ、資本主義の中にすべてのものと調和して生きていこうとする“共生”の考え方、全てのものに善かれかしと願う“利他”の考え方を倫理規範としていかなければなりません。 

企業経営者こそが世の規範とならなければならない 

  1. “他に善かれかし”という願いが繁栄を持続させる

経営者の努力と才覚により、小さな中小企業が成長発展を遂げ、上場企業になった時、その経営者が“もっともっと”と自らの利益だけを際限なく求めるようになり、贅沢(ぜいたく)に走り、傲慢になるようであれば、やがて滅亡していきます。 

その経営者は最初は“自分だけはその轍(てつ)を踏むまい”と思っているのです。辛酸をなめ、苦労を重ねている時は、“巨額の報酬を受け取るなど経営者の風上にも置けない”と憤慨しているのですが、いざ自分が功成り名を遂げたら、報酬も名誉も限りなく欲しくなり、驕り高ぶるようになり、やがて没落していくことになってしまうのです。自分では自分の変化がわからないのです。 

自分のなかに確固たる哲学を持っていない、また、日頃から反省する、哲学書にしたしむ習慣がないものですから、環境の変化に合わせて、自分が変質してしまうのです。 

ともすれば頭をもたげてくる“おれがおれが”という自己愛に満ちた欲望をできるだけ排し、従業員のため、お客様のため、さらには社会のため“他に善かれかし”と願う利他の心が、自分の心の中を占めるようにしていかなければなりません。 

  1. 善なる動機から創業した沖縄セルラー電話

沖縄は過去辛酸をなめ尽すかのような歴史をたどっています。長く大国中国の支配下におかれ、江戸時代には薩摩藩に搾取され、さらに第二次世界大戦では本土防衛の先駆けとして大変な犠牲を強いられました。そういう悲惨な歴史の中にありながらその踊りや歌などに見られるように、他の地域にはない独特のすばらしい文化を育んでおられる。沖縄はもう立派な独立国になってもおかしくない、独立心のある、独特の人たちの集まりと考えられるのです。 

1990年に沖縄の技術発展を促進しようということから“沖縄懇話会”が設立されました。稲盛塾長もその会員に推挙され、以来、沖縄発展の為に何をしてあげられるかと考えられました。沖縄返還以来、日本の経済界は様々な支援を行ってきたようですが、実際は本土資本の為に働くだけで、本当の意味では沖縄の経済支援にはなっておらず、沖縄の人たちを豊かにすることにつながった例は少ないというのです。 

京セラグループは1996年以来、移動体通信の自由化に伴い、首都圏と中部圏を除く北海道から沖縄までセルラー電話会社を設立してきました。その時沖縄は単独の経済圏として成立せず、あくまでも九州経済圏の一部であり、行政的にも九州の管轄下に入ることが多いものですから、もともと九州地域を受け持つ九州セルラー(株)の管轄下に入れる予定でした。 

沖縄の人たちの為に何かしてあげることができないかと考え、“沖縄には単独の会社をつくってあげるべきではなかろうか”と考えつかれました。沖縄は独立国家みたいなものですから、九州の会社の一営業地域というのではなく、独立した沖縄セルラー電話という会社を作ろうと思いますと、沖縄の経済界のみなさんは出資して下さいませんか、と問われました。 

大株主としてKDDIは60%、残りの40%は地元沖縄の人々で持っていただきました。役員人事にあたっては、会長と役員一名はKDDIから、社長以下すべて役員は沖縄の人にお願いしました。沖縄の人はこれは沖縄の会社、我々の会社と考えられ、沖縄セルラーは創業以来快進撃を続け、全国で唯一NTTドコモを上回る、ナンバーワンのシェアを誇り、業績も順調に維持しています。1997年には上場も果たしました。全国にセルラー会社は合計八社展開しましたが、上場したのは沖縄セルラーだけなのです。 

稲盛塾長は名誉会長ですが、給与はなしです。打算一つもなく地元のためという思いから創業し、ここまで来た会社の経営を通じて多くの皆さんに喜んでいただいていることが本当に嬉しいのです。沖縄の方々のために何かしてあげたいという純粋な善なる動機、優しい思いやりの心で始まり、それが相手の方々にも伝わり、すばらしい経営につながったと稲盛塾長は喜ばれたのでした。 

  1. 利他に努めることが“ひらめき”を生む

盛和塾の会員の中には“私利私欲だけで経営していたら、おそらく私の会社は倒産していたでしょう。利他の心で経営を始めたら、とんとん拍子に会社がうまくいきました”と言われる方も多くおられます。相手に喜んでもらおうと善意でやったこと、それが結局成功するということは厳然たる世の原理なのです。 

利他に努め、必死に打ち込むことで、創造力さえ身につけることができるのです。利他に努めることで、インスピレーション、“ひらめき”が得られ、まだ誰も取り組んでいない新しいことでも見事に成就させることができるのです。 

宇宙には“知恵の蔵”があります。その中には汲めども尽きない知恵が蓄えられ、それを引き出すことができるなら、すばらしい発想や斬新な“ひらめき”が得られるのです。その“知恵の蔵”のドアを開けるのは、必死に打ち込んだ利他の心-何としても成功して人の役に立ちたい-という鍵なのです。 

  1. 企業経営者が国家、国民を支えている

企業経営者は自分だけがよければいいという利己的な考え方を極力排し、思いやりの心、慈悲の心、利他の心をベースに必死に生き抜き、従業員、お客様、取引先、地域の方々、企業の周囲に存在する多くの人達を幸せにしてあげる、豊かにしてあげるという信念を持って企業経営に邁進していくことが大切です。 

国に納める法人税、消費税、雇用する従業員が支払う所得税/消費税、国家財政の大半は企業が鍵を握っているのです。これら企業が生み出した富を国や地方自治体が集め、再配分することで、現代の経済社会は成り立っています。企業が存在し、経営者が営々とその活動に努めているからこそ、この経済社会が機能しているのです。 

日本の中小企業は日本の企業の中で99.7%を占めています。つまり中小企業が国家・国民を支えているといっても過言ではありません。 

自分のためだけではなく、社会のために有意義なことを行っているという矜持(きょうじ)と誇りが、経営者が難局に立ち向かう大いなる勇気、はげみになっているのです。