盛和塾 読後感想文 第九十九号

企業哲学を全社員と共有する

 

時代がどのように変わろうとも人間の本質は変わらない。必要なことは“人間とは何か”“人生とは如何にあるべきか”“人間として何が正しいのか”など、人間としてもっとも基本的な倫理、哲学を真剣に探究する、その中で自己の存在意義を確認し、自らの人生の指針としても哲学を確立すること、と塾長は述べています。

 

自分は何の為に存在するのか、何の役割があるのか、をよく考え、その考えが哲学となって自分の身につく、このことが自分の人生の本当の意味なのです。

 

稲盛塾長は、人生の本当の意味、経営のあるべき姿を真剣に考えました。そしてそれを社員と共有することに、最大の努力を払い続けてきました。京セラは創業以来、大変順調に発展してきました。それは京セラには“企業哲学があり、それを全社員と共有できている”からです。

 

企業哲学を従業員と共有するのには、どうしても従業員に同意し、共鳴してもらえるのだという強い意志と行動力とエネルギーが必要なのです。毎日のように従業員に語りかけ、仕事であれ、食事を共にする場合であれ、社内行事であれ、従業員とのコミュニケーションをあらゆる機会を捉えてはかることが必要なのです。

 

興味をもって聞いてくれる人、冷ややかに対応する人、又、反発する人も多いはずです。いろいろな従業員の反応に一喜一憂していてはなりません。いろいろと説明にも工夫をして、従業員に語りかける。従業員に経営哲学を受け入れてもらえない、聞いてもらえない時は、経営者自身が自分の経営哲学を具体的に実践できるようになっていないことが多いのです。あきらめてはいけないのです。

 

経営のこころ-判断基準、ミッション 使命、ビジョン 目標、フィロソフィー 哲学

 

“敬天”の思想と“人間として何が正しいか”という判断基準

経営するに当っていちばん大事なものは、企業トップとして経営判断する、その時の判断基準です。と同時に企業経営のミッション(使命)、ビジョン(目標)、さらにはフィロソフィー(哲学)が要るのです。これらをまとめたものが経営のこころというものになります。

 

稲盛塾長は、経営のこころを実際の経営経験を通して作りあげて来ました。人から借りたものではなく、自分で苦労に苦労を重ねて、経営のこころを創りあげたのです。

 

1.    京セラ創業と共に背負い込んだ経営者としての重い責任

稲盛塾長は京都の硝子メーカー松風工業に入社しました。しかし松風工業は終戦後からずっと赤字が続いている、新入社員の初任給から遅配するような、傾きかけた会社でした。その為、同期入社の5名は、寄るとさわると互いにグチを言い合って、とうとう稲盛塾長を除いて4名は退職してしまいました。新しい就職先の見つからなかった稲盛塾長だけが松風工業に残らざるを得ませんでした。

 

“もう不平不満を言うのはやめよう。仕事を好きになろう”と考えて仕事に真正面から取り組むことに決めました。ファインセラミックスの研究に、寝食を忘れて打ち込み、結果としてフォルステライトという新しい材料の合成に日本で初めて成功するなど、多くの成果をあげていくようになりました。

 

しかし新任の技術部長は、稲盛塾長の成果や努力を正当に評価してくれない為、稲盛塾長は松風工業を去ることになりました。その当時、稲盛塾長の下では約50名の従業員が働いていたと聞いています。稲盛塾長が退社することを知った京都の経営者の方々が集まって、京都セラミックという会社を設立してくださったのでした。配電盤メーカーであった宮木電機の役員が中心となって、資本金三百万円が集まりました。当時宮木電機の専務取締役であった西枝一江さんは、自宅を担保にして、一千万円の銀行借り入れまでしてくださいました。京都セラミックの社長は宮木電機の社長、宮城男也(おとや)さんに就任していただき、稲盛塾長は取締役技術部長という肩書でした。会社の経営は、実際は稲盛塾長が担当していました。支援者の方々のご厚意に感謝する一方、肩にはずっしりと重い責任を負うこととなりました。

 

いざ会社が始まると、ベテラン社員から若い社員から毎日“これはいかがしましょうか”と決断を仰ぐ相談が次々と寄せられます。決済すべき判断をどうしたらよいかと大変悩みました。

 

創業間もない頃、宮木社長が“稲盛君、いいものを買ってきたよ。あなたの郷土の大先輩、西郷南洲のものだ”と紙を携えてこられました。広げてみると“敬天愛人”と大きく黒々としたためられていました。稲盛塾長の小学校の校長先生の部屋にも“敬天愛人”としたためられた書が掛けられていました。稲盛塾長も自分の会社の応接間に掲げました。

 

2.    唯一持ち合わせていたプリミティブな道徳観を経営の判断基準に

稲盛塾長は創業当時、実際に判断を下すにあたって、必要となる基準を持ち合わせていませんでした。稲盛塾長が一つ判断を間違えば、せっかく作っていただいた会社が潰れてしまうかもしれません。従業員を路頭に迷わせてしまうかも知れません。さらに資本金を提供してくださった方々、自宅を担保にして運転資金を用意して下さった西枝さんに、多大な迷惑をかけてしまいます。

 

何を基準にして経営の判断を下せばよいのか、よくわからなかった塾長は、子供の頃、両親や先生から教わった“やってよいこと、悪いこと”を判断の基準にしようと考えられたそうです。プリミティブな道徳観、倫理観しか持ち合わせていなかったのでした。それを経営判断の基準にしようと考えられました。

 

これからは会社の判断基準を“人間として何が正しいのか”という一点に絞りたい、あまりにも幼稚でプリミティブな判断基準かと思うかもしれないが、そもそも物事の根本は単純にして明快であるに違いない。今後は人間として正しいことを正しいままに貫いていくという経営を進めていきたい、と従業員に話されました。

 

3.    西郷南洲の“敬天”に勇気を与えられる

人間として正しいことを貫くというのは、西郷が言っている“敬天”という言葉に通じて、天が示す正しい道、すなわち人間として正しいことを実践していくことだと気がついたそうです。

 

“天”というのは“最も正しいもの”という意味があります。“天地新明に誓う”“天に恥じない行動をする”というように、自然の道理として絶対的に正しいことが“天”という意味なのです。

 

西郷南洲の遺訓の中に“人間の進むべき道は天地自然の物にして、人は之(これ)を行ふものなれば、天を敬するを目的とす”という言葉があるそうです。西郷は天の命ずるままに正しいことを踏み行っていくことを自らの根本思想とし、実人生においてもこれを貫き徹した人物です。

 

西郷南洲の言う“天の道”とは、法律を超えたところにあり、この宇宙に元々から存在する原理原則に従うことなのです。敬天とは、法律を超えて、世の原理原則に則して根本的に正しいことを理解し、実践していくことなのです。

 

稲盛塾長のいう“人間として正しいこと”は西郷南洲のいう“敬天”と同じ、あるいは通じていることだったのでした。

 

4.    天に恥じぬ経営を心がけることが、企業の不祥事を防ぐ

“敬天”という言葉は、法律的に正しいことを行うことは当然のこととして、もっと根源的なもの、人間として正しいことを貫いていくということを企業経営の根幹に据えて経営を行って来た京セラは、判断を大きく誤ることはなかったのです。京セラグループの売上は一兆円を超えて、世界中に六万人の従業員を擁(よう)する規模に発展しています。しかし創業時に決めた“人間として正しいことを貫く”という判断基準は、それに基づく企業姿勢は、今も一切変わっていません。

 

一般には経営において最も大切なことは、“経営戦略”“経営戦術”といわれています。しかし、経営内の判断基準を問うことはあまりなされていません。経営戦略、経営戦術、新しいアイデア等も大切なのですが、そのような風潮の中でも“人間として正しいことを貫く”というシンプルな判断基準を京セラでは今日まで貫いてきました。

 

経営の手練手管(てれんてくだ)や策におぼれ、欲に憑かれたリーダーが経営にあたっているが、単に、今もなお多くの企業不祥事が続発しています。その為、不祥事防止の為、各国で企業統治のあり方、コーポレートガバナンスがいかにあるべきかが議論され、不祥事を起こさないように膨大なルールや法律を作り、それを企業に適用しようとしています。法や制度の整備を進めることで、企業不祥事を防止しようとする方向が今の世界の主流となっています。

 

しかし、どのような法律を定めようとも、自分の利益を増大させるためには人間として正しくないことをしてもかまわないという考えを、経営者やリーダーが少しでも持っている限り、必ずやその心ないリーダーは法の網(あみ)の目をかいくぐることに努めるでしょうし、企業不祥事は根絶できないと思われます。

 

西郷が言う敬天の思想、つまり天に恥じない経営をするという一点を経営者自身が企業内で徹底していくことでしか、企業不祥事を未然に防ぐことはできないのです。

 

“愛人”の思想と“全従業員の物心両面の幸福を追求する”

 

1.    高卒反乱が教えてくれた経営者の真の使命

創業三年目のことです。前年に採用した高卒の従業員達が、突然団体交渉にやって来ました。“将来が不安だ。昇給や賞与など、将来の待遇を保証してくれ”。それに対して“京セラはできたばかりの会社だから、みんなで力を合わせて立派にしていこう”と答えたのですが、彼等は納得しないのです。“将来を保証してくれなければ、今日限りで辞めたい”と言うのでした。

 

“ボーナスはどうする、昇給はこうするという約束はできない。私自身、会社の将来がわからないのだから、約束をしてはウソになる。しかし私は誰よりも必死になって会社を守っていこうと思う。君たちの生活がうまくいくようにしてあげたいと強く願っている、私の誠意を信じてほしい。もし私が君たちの信頼を裏切ることがあったら、そのときは私を殺してもいい”

 

一人がうなずき、二人目も理解してくれました。そしてとうとう、最後には全員が納得してくれました。稲盛塾長はその時、必死に説得しようとすさまじい顔で高卒の社員に話したと思われます。

 

しかし、高卒者に約束したことは、京セラ創業時に考えた企業の目的、“稲盛和夫の技術を世に問う”とは全く違ったものでした。稲盛家は貧乏でしたから、稲盛塾長は毎月実家へ仕送りをしていました。“家族の支援に努めなければならない立場なのに、縁もゆかりもない人たちの生涯にわたる生活をみることになってしまった”と後悔したりしていました。

 

この社員の反乱により、稲盛和夫の技術を世に問う場としての京セラは一瞬にして吹き飛んでしまいました。社員の生活を守ると言う目的に変貌してしまったのです。

 

一晩にわたって考え続けた結果“会社というものはそのなかに住む従業員に喜んでもらうことこそが真の目的であり、それが経営者の使命”と結論したのでした。

 

2.    経営理念は大義があると同時に、身近なものでなければならない

翌日、稲盛塾長は“全従業員の物心両面の幸福を追求する。人類・社会の進歩発展に貢献する”。と京セラの経営理念としたのでした。経営理念とは、経営者の私利私欲ではなく、広くすべての従業員の幸福をはかるものでなければならない。これはまさに西郷が説く“愛人”です。

 

経営理念の決定にあたっては、経営者や株主の利己、エゴではなく、利他の精神が貫かれているということが最も大切です。従業員が共鳴し、意気に感じ、“よし、そういう目的の実現のためなら、私も経営者と一緒に手を携えながら頑張ろう”といってくれるような企業の目的が必要なのです。

 

全社員のため、会社のため、社会のため、国のため、つまり公益のために努力を惜しまないという大義を掲げたときに、人ははじめて共鳴し合い、賛同しあい、惜しみなく協力し合えるのです。

 

しかし、いくら大義があるからといっても、それがあまりにも高尚で、社員から縁遠いものであってはなりません。経営理念、またはミッション、使命が経営の場で機能するためには、その経営理念は従業員が共有できるものであるということが大切です。

 

従業員たちにとって身近な理念を掲げれば、個々の従業員が賛同し、幹部同士の融和をはかり、社内の求心力を高めることにも貢献すると思います。

 

3.    従業員の幸福を追求することは、株主の利益にも合致する

“全従業員の物心両面の幸福を追求する”ということを経営理念としますと、株主の利益が無視されているように見えます。しかし京セラはニューヨーク証券取引所にも上場していますが、この経営理念はその制定のときより一切変えていません。当社の会長、社長などがIR活動(Investor Relation)で世界中を巡ったときでも、この経営理念にクレームがついたことはありません。

 

従業員が物心両面の幸福を感じながら、懸命に働き、すばらしい業績をあげることで、結果として株主も大きな利益を得ることができます。株主の利益が大事だと言わなくても、従業員の働きによって会社の業績が上がれば、それは株主に還元されます。逆に株主が“これは自分の会社だ。会社はオレのものだ”といって、従業員を蔑(ないがし)ろにしたのでは、長期的に見れば会社経営は長続きしないのです。