盛和塾 読後感想文 第101号

 

利他に徹し広い視野を持って経営を行う

会社のためという“利他の行い”も会社のことばかりだと社会からは“会社のエゴ”と見える。家族のためという個人レベルの利他も、家族しか目に入っていなければ、社会から見れば“家族のエゴ”、家族だけがよければよい、というエゴになってしまいます。

 

そうした低いレベルの利他にとどまらないためには、より広い視点からの物事を見る目を養い、大きな単位で自分の行いを相対化して見ることが大切になってきます。

 

たとえば自分の会社だけ儲かればよいと考えるのではなく、取引先にも利益を上げてもらい、さらには消費者、株主、地域社会の利益にも貢献する経営を行う。また個人よりも家族、家族より地域、地域よりも社会、さらには国や世界、地球や宇宙へと利他の心を可能な限り広げ、高めていこうとする。

 

こうして視野を広めて行動することは、廻り廻って自分の会社の成功・発展や個人その家族の幸せに貢献すると思われます。

 

より広い視野を持つことができ、周囲の様々な事象について目配りができるようになってくる。そうなりますと、客観的な正しい判断ができるようになり、失敗も回避できるようになってくると稲盛塾長は述べています。

 

経済変動を乗り越え、成長発展をする経営

 

いかにして経済変動を乗り越えるか

世界経済は昨年(2008年)9月の米国の金融危機以来、急速に悪化の一途をたどり、実体経済に飛び火し、世界同時不況の様相を呈してきました。この時期景気は最悪期を脱し、回復基調にあるとの見方が一般的となってきました。しかし、米国の景気動向も不安定要素がありますし、中国でも内需の拡大に比べ、輸出は未だ本格回復にはほど遠いことから、企業業績は伸び悩んでいるようです。このたびの米国の金融機関の破綻に発した経済危機は、まさに百年に一度と呼ばれているように、国境を越えて各国の経済、その企業活動に多大な影響を与えてきました。

 

そしてこのような経済変動の波の中で、様々な日本企業の栄枯盛衰の物語がありました。経済変動の波に流されて潰れていった企業があれば、経済変動をむしろ飛躍台としてさらに伸びていく企業もあります。

 

慎重堅実な経営が企業の永続的繁栄を導く

今日企業をとりまく経済環境とはこのように変動を繰り返すものです。どんなに独創的な技術を有し、どんなに高い市場シェアを誇り、どんなにりっぱな経営管理体制を備え、いかに盤石な経営だと思われても、襲い来る経済変動を前にしては脆(もろ)くも潰(つい)え去ってしまうこともあります。

 

京セラでは、今までただの一度も赤字決算をいたしておりません。多くの企業では赤字どころか倒産の危機に瀕したり、人員整理でかろうじて存続を維持したりするなど、波乱万丈の歴史をひもとくことができる中にあって、京セラの半世紀にわたる歴史は、成長発展を重ね続けています。

 

そこには年々歳々、成長発展を続けているための必然的な要因があり、企業を持続的な成長発展に導く経営の要諦というものがあるはずなのです。大切なことは、経営にあたる者の姿勢です。その姿勢とは“慎重堅実な経営を行う”というきわめて単純なことなのです。

 

臆病な性格が無借金経営をもたらした

京セラの創業時のことです。京セラは初年度で利益率10%を達成して三百万円の利益が出ました。

 

京セラ設立時、稲盛塾長を見込んで、自分の家屋敷を担保に入れ、銀行から一千万円を借り入れて下さり、それを創業資金として提供された方がおられました。“縁もゆかりもない私にそこまでしてくださる支援者の方に、万が一にも迷惑をかけてはならない。一刻も早く借金を返済しなければならない”と稲盛塾長は考えました。

 

戦争ですべてを失った父親は、慎重居士(しんちょうこじ)で決して借金をしませんでした。借金を極端に恐れていたのです。初年度三百万円の利益が出ましたが、税金、賞与、配当で二百万円は消えて借金返済資金は百万円しか残りません。一千万円の借入金返済には10年かかってしまいます。

 

10%の利益率ではなく、早く借入金を返済する為には、もっと高い利益率を目指した経営をしなければならない。会社を創業して間もなく、高い利益率を目指そうと考えたのは、早く借入金を返済したいという慎重で堅実な経営を目指したからなのです。

 

高収益の企業体質が経済変動を克服する原動力となった

慎重な経営に努め、高収益の企業体質をつくりあげ、豊かな財務体質にしたことが、度重なる経済変動を克服し、京セラを今日まで導く原動力になりました。

 

高収益であることは損益分岐点を下げ、不況になって売り上げが減少しても、赤字に転落しないで踏みとどまれる“抵抗力”があることを意味します。高収益企業では内部留保が増加していますので、不況が長引き、利益力がでない状態が続いても耐え抜くことができます。さらに余裕資金を使って不況で普段より安くなっている設備を購入するなど、不況期でも思い切った投資も可能とする“飛躍力”がついてきます。

 

常日頃から慎重な経営姿勢のもと、高収益になるよう全力を尽くして経営にあたることが不況への最大の予防策となったばかりか、不況期の最良の処方箋(しょほうせん)になったのです。

 

企業の安定がROEよりも優先される

最近、アメリカ企業投資家の間では、自己資本に対していくらの利益が出たのかというReturn on Equity (ROE)を重視する人々が増えています。ROEを重視する投資家から見れば、いくら高い利益率を誇ろうが、内部留保を貯え、自己資本が大きければ大きいほど“それだけの自己資本を使ってこれだけの利益しかでなかったのか”という投資効率が悪いと判断を下すのです。

 

せっかくの内部留保を使って、企業買収をしたり、設備投資をしたり、また自社株を購入し償却したりして、自己資本を小さくして、短期的に利益の極大化を図る経営をすべきだと考えるのです。そうすればROEは高い値になってアメリカ型の経営では優秀な経営という評価を受けるのです。

 

京セラの経営陣が米国やヨーロッパの投資家に京セラの経営内容を説明しますと“京セラは利益率も高いが自己資本があまりにも大きく、ROEが低い。こんなに利益を貯めてどうするのだ、技術やM&Aをしたり、配当をしたり、もっと利益を使ってチャレンジする経営をすべきだ”と言われるそうです。こうしたROE重視は短期的な視点から企業を見た時の尺度なのです。

 

今株を買い、株価が上がったら、すぐに売ればよいと考えている投資家から見れば、確かにROEが高い方がよいのです。しかし長期にわたる企業繁栄をはかろうとする企業にとっては、企業の安定が何よりも大切です。いかなる不況が押し寄せて来ようとも十分に耐えていけるだけの備えが必要なのです。

 

借入金はなるべく早く返済、高収益企業を目指す、内部留保を確保し、設備投資にしても回収の見込みが立たなければ絶対にしないという経営が長期的に企業を成長・発展させる為の要諦(ようてい)なのです。

 

利他の心が企業を永続的な発展へと導く

慎重な経営であればいいということを短絡的に考え、何も新しいことをする必要はない、現状を維持すればよいということと理解してはなりません。慎重な経営には“独創性を重んじる”“開拓者であれ”“新しいことに積極果敢に挑戦する”ことが必要なのです。

 

その新しいことを重視するための方法として“潜在意識まで透徹するほどの強く持続した願望を持つ”“誰にも負けない努力をする”“今日よりは明日、明日よりは明後日と創意工夫を重ねる”ことが、慎重な経営には必要なのです。

 

さらには企業間競争を勝ち抜き、高い経営目標を実現し続けるためには“燃える闘魂”を持ち、岩をも穿つ“強い意志”が必要だと稲盛塾長は毎日の仕事のなかで考えつかれました。

 

加えて経営哲学のみならず、経営者は実践的な企業会計に通じていなければなりません。また企業内に管理会計システムを確立しなければならないことなど、具体的な経営管理のあり方にも精通していなければなりません。経営哲学を日々の仕事の中で実践していくことが大切なのです。

 

企業が永続的な発展へと導くにあたり、もう一つ大切なことがあります。企業が永続するとは、周囲の人々、社会、国から受け入れられる、生かされ役に立っているという意味です。その為には自分だけがよければいいというエゴ、つまり自分の欲望だけで動くのではなく、従業員、お客様、取引先、そして地域社会など企業をとりまくすべての存在と調和するような思いやりのある心、利他の心で経営していくことが大切なことです。

 

近年、経済変動、つまり他動的な要因ではなく、経営者自らの資質の問題、いわば自律的な要因・人為的な要因により自滅していく企業が多く見られます。2001年のエンロンやワールドコム、またリーマンブラザーズなども巨額の報酬を受け取っていた経営者の強欲(ごうよく)こそが企業破綻の根本原因だったのです。

 

米国の投資銀行リーマンブラザーズの最高経営責任者(CEO)は在任中の2000年以降、日本円で三百三十億円という巨額の報酬を受け取っていたそうです。メリルリンチの最高経営責任者は引責辞任時の退職金が百五十憶円だったそうです。

 

企業の利益は、すべての社員の献身的な努力と協力によってつくられたものであるはずです。それを経営トップ1人だけで成し遂げたかのように考え、高額な報酬をひとりで得ることなど、あってはならないことです。その強欲が、企業を破滅へと追い込む原因となったのです。

 

経営者の努力と才覚により、売上一億円にも満たない中小企業が成長・発展し、売上百億円になったときに、その経営者が“もっともっと”と自らの利益だけを際限なく求めるようになれば、今まで以上に贅沢(ぜいたく)にはしり傲慢(ごうまん)になるようであれば、やがて滅亡していきます。経営者たちも最初は辛酸をなめ、苦労を重ねている時には人一倍努力家で、質素で謙虚なのですが、いざ功成り名を遂げたら、報酬も名誉も欲しくなり、驕(おご)り高ぶるようになり没落していくのです。

 

自分では自分の変化が分からないのです。巨額の報酬を受け取っていたアメリカの金融機関の経営者たちも、最初から強欲だったはずはありません。しかし、自分の中に確固とした哲学を持っていない為、また日常的に自分の言動を反省する習慣をもっていない為、また読書を通じて日頃から経営哲学を学び続けない為、環境の変化に合わせて自分が変質してしまうのです。

 

ともすれば頭をもたげてくる“おれがおれが”という自己愛に満ちた欲望をできるだけ排し、従業員のため、お客様のため、取引先のため、社会のため、といった“他に善かれかし”と願う、思いやりの心、つまり利他の心が自分の心のなかを占めるようにしていかなければなりません。

 

純粋で気高い思いが第二電電(現KDDI)の成功をもたらした

1980年代半ば、日本では電電公社という国営の通信事業者が独占し、また通信料金は欧米の水準と比べてたいへん高いものでした。日本政府は電電公社を民営化し、電気通信事業への新規参入を可能にするというように政府の方針が変わりました。

 

電電公社はNTTとなり、新規参入が可能になり、正当な競争が起これば、通信料金はきっと安くなっていくだろう、ところがほぼ一世紀にわたり、官営として運営してきたNTTはあまりにも強大で、どの企業も一向に名乗りをあげようとはしません。NTTに対抗するには、あまりにも多大のリスクが伴うとみんな足がすくみ、手を挙げようとしません。

 

稲盛塾長はその時、京セラを中心に第二電電を立ち上げ、通信事業に参入することを決めました。売上高二千五百億の京セラは地方の中堅企業でしかありません。そんな会社がナショナルプロジェクトに手を挙げたのです。

 

しかし、名を挙げる前6か月間、稲盛塾長は毎晩ベッドにつく前に自問自答を繰り返しました。“おまえが恰好をつけたいがために、金儲けをしたいがために、第二電電という会社を始めようとしているのではないか”“動機は善なりや、私心なかりしか”と厳しく自分を自分で問い正しました。

 

そして半年後、“私には一切私心はない。動機も不純ではない。日本が情報化社会を迎えるにあたって、国民が負担する通信料金を安くしたい、ただその一心だ。”と確認したそうです。

 

その後、日本国民鉄道が日本テレコムを、建設省と道路公団を中心としたグループが日本高速通信という会社を立ち上げました。合計三社が名乗りを挙げました。この日本テレコム、日本高速通信二社は、鉄道通信の組織や高速道路を持ち、簡単にインフラを作ることができます。しかも資金もあり、優秀な技術者も持っていました。京セラはそうした点では何一つ持ち合わせていません。他の二社が簡単に光ファイバーを敷いているとき、第二電電は道なき山の頂上にパラポラアンテナを設置し、通信ネットワークを構築していったのでした。

 

第二電電にあったものは“国民のために安価な通信料金を実現する”という会社設立の大義名分に、幹部、従業員が中心に心から共鳴し、身を粉にして働いてくれたばかりか、お客様、取引先、代理店、さらに社会が支援してくれたのです。

 

新たに通信事業に参入した企業のなかで、第二電電だけがKDDIとして存続しています。売上三兆五千億円、利益四千四百億円を誇る日本第二位の通信事業として最も期待される通信事業者として成長発展しています。

 

整備されたインフラ、優秀な専門スタッフ、潤沢な資金を揃えた大企業でさえ“難しい”と考え逡巡(しゅんじゅん)していた事業に、何の備えもない京セラのような企業が“世のため人のため”と純粋な思いを持って参入を果しました。

 

それは純粋で気高い思いには、すばらしいパワーが秘められているのです。二十世紀初頭のイギリスの哲学者ジェームズ・アレンは次のように述べています。

 

“汚れた人間が敗北を恐れて踏み込もうとしない場所にも、清らかな人間は平気で足を踏み入れ、いとも簡単に勝利を手にしてしまうことが少なくありません。なぜならば、清らかな人間はいつも自分のエネルギーをより穏(おだ)やかな心とより明確でより強力な目的意識によって導いてくれるからです”

 

善きことに努めれば、偉大な力が自然に加わる

人、物、金という経営資源の全てに恵まれ、成功することまちがいないと思われていた企業が消え去る中で、ただ“世のため、人のため”という純粋な思いを最大の経営資源とした第二電電が生き残り、変転極まりない通信分野で創業してから四半世紀を経過してもなお成長発展し続けています。ここにこそ企業を持続的繁栄へと導く、最も大切な要諦があります。

 

利他の心が一番強力なのです。相手に喜んでもらおうと善意でやったこと、それが結局成功するということは、厳然たる世の原理なのです。相手がうまくいくように助けてあげる、やさしい思いやりの心、利他の心を持って善きことに努めれば、自分を超えた力が自然に加わり、自分で“これぐらいできればいい”と思っている以上にすばらしい結果が現れるのです。襲い来る、予期せぬ経済変動を克服する。すばらしい知恵も授けてくれるのです。“利他の心”は世のため人のために役立ち、周りの人々、社会が、“利他の心”に基づいた企業経営を必要としているのです。

 

中国の“易経”には“積善の家には余慶あり”つまり善き行いを積み重ねる家には代々幸せが訪れると教えています。また“易経”には“満は損を招き、謙は益を受く”と驕り高ぶる者は損をし、謙虚な者は利益を受けると述べています。