盛和塾 読後感想文 第103号

“経営の原点十二ヶ条”その力を信じ、よく理解し、実践する

本年6月に開催された“経営哲学北京報告会”では“なぜ経営に哲学が必要か”ということを話しました。経営にはフィロソフィーが不可欠であり、そのためにも経営者自身が心を高め続けなければなりません。

 

“哲学こそが経営や事業の成否を決するのであり、自分の会社を立派にし、従業員も幸福にしたいと思うならば、トップである経営者が自分の考え方を高めていく必要がある”というのが前回の講演の趣旨でした。

 

今回は、哲学をどのようにして経営や事業の中で実践していくのか、という実践的な経営の原理原則を十二の項目に分けて解説します。

 

経営には複雑な要素が絡み合い、難しく見えます。しかしことの本質に目を向けるとむしろシンプルなものではないかと考えられます。世の様々な現象も、複雑な現象を複雑なままでとらえようとするから、かえって難しくなってしまいます。

 

経営も同様に、その要諦、つまり原理原則さえ会得すれば、決して難しいものではないのです。フォーチューン五百社に数えられる京セラ、KDDIの経営において稲盛塾長が実践し、その有効性を証明してきました。中国であれ日本であれ、その経営の要諦は、経営の原理原則は、国や地域によって変わるものではありません。なぜなら、“経営の原点十二ヶ条”は“人間として何が正しいか”という最もベーシックな判断基準に基づいているからです。そのような普遍的な哲学、フィロソフィーは、国境や民族、文化、言語の違いを超えることができると考えられるからです。

 

“経営の原点十二ヶ条”の項目は決して難しいことを説いているのではありません。その有効性と普遍性が既に実証された、まさに経営の要諦であります。その力を信じ、よく理解し、実践していくことが、経営、事業を成功させるのです。

 

一.  事業の目的・意義を明確にする

-公明正大で大義名分のある高い目的を立てる-

“なぜこの事業を行うのか”“なぜこの会社が存在するのか”様々なケースがあります。まず自分の事業の目的、または意義を明確に示すことが必要です。

 

“金もうけをしたい”“家族を養わなければならない”という人もおられますが、それだけでは多くの従業員を糾合(きゅうごう)する目的としては、物足りないと思います。

 

事業の目的、意義はなるべく次元の高いものであるべきです。公明正大な目的でなければならないと考えられます。従業員に、懸命に働いてもらうとしますと、そこには“大義名分”がなければなりません。“自分はこの崇高な目的のために働く”という大義名分がありませんと、人間というものは一生懸命にはなれないのです。

 

京セラを作った時、まだ経営のあるべき姿を知らず、“自らのファインセラミックスの技術を活かして製品開発をし、それを世に問う場である。”と会社を位置づけていました。当時の日本は、技術力よりも、学歴や学閥などが尊ばれ、実力を正しく評価してもらえないような風潮がありました。稲盛塾長は最初に勤めた会社を退社し、京セラを作りました。新しい会社では“自分をファインセラミックスの技術を世界に問う”ことを目的としました。一人の技術者として研究者として磨き上げた自分の技術を遺憾(いかん)なく発揮できる場ができたと、大変喜んでいたのでした。

 

会社設立二年目に高卒十名ほどの新入社員を採用し、彼らが一年あまり働いてくれていた時でした。この高卒の十名が団体交渉を求めて、連判状を提出して来たのです。その書状には“将来にわたって昇給は最低いくらだすこと、ボーナスはいくらだすこと”という自分達の待遇保証を求めるものでした。

 

面接試験のときに“どのようなことをしてあげられるかは分からないが、一生懸命がんばって立派な企業にしたいと思っている。そういう企業に賭けて一緒に働いてみる気はないか”と話をして彼等は入社したのです。しかし入社一年目で“将来を保証してもらわなければ我々は会社を辞めたい”と言って来ました。

 

できたばかりの会社で人材に余裕がなく、入社後すぐに現場に配属し、ようやく戦力として活躍してくれている者たちであっただけに、本当のところ、辞められては会社はたいへん困ってしまいます。稲盛塾長はこの時、“彼等が要求に固執するようであるならばやむを得ない。創業の時点に戻ってやり直せばよい”と腹をくくりました。“要求は受けられない”と彼等に答えました。

 

会社設立三年しか経っておらず、彼等の要求を満たすことは不可能でした。彼等を引き止めるために、自信も見込みもないことを保証するのは、嘘をつくことになると考えました。三日三晩、小さな市営住宅で話し合いがもたれました。

 

“私は自分だけが経営者としてうまくいけばいいという考えは毛頭持っていない。入社した皆さんが心から良かったと思う企業にしていきたい。私は命を賭してもこの会社を守っていく。もし私がいいかげんな経営をし、私利私欲のために働くようなことがあったら、私を殺してもいい”と話しました。

 

三日三晩の話し合いで、彼等は要求を撤回し、会社に残って以前にも増して骨身を惜しまず働いてくれるようになりました。

 

この三日三晩の話し合いの中で、従業員も自分の家族を養っていく為に京セラで働いてくれている。だから待遇保証を求めているのだと理解しました。企業を経営するということの真の目的は、技術者の夢を実現するということではなく、ましてや経営者の私服を肥やし、豊かにするということではなく、現在はもちろん将来にわたって、従業員やその家族の生活を守っていくということだと稲盛塾長は気がついたのです。

 

経営とは経営者が持てる全能力を傾けて、従業員が物心両面で幸福になれるように最善を尽くすことであり、経営者の私心を離れた大義名分を企業は持たなくてはならないと悟ったのでした。

 

このように公明正大な事業の目的や意義であってこそ、従業員の心からの共感を勝ち取り、全面的な協力を得ることができるのです。また会社の目的に大義名分があってこそ、経営者自身も堂々と胸を張り、何の掣肘(せいちゅう)もなく、経営に全力投球ができるのです。

 

京セラでは“全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類・社会の発展に貢献すること”を経営理念としました。以来この経営理念をベースにして経営を進めてきたことが、その後の京セラの発展・成長をもたらしたのです。

 

この理念のすばらしい点は、経営の現場から、実践を通して生み出されたもので、あたかも製造工場で苦心を重ねてすばらしい製品を作るかのごとく、理念が作りだされたという事実です。

 

二.  具体的な目標を立てる

立てた目標は常に社員と共有する

企業の年間売上が現在百万ドルとして、来年は二百万ドルというように、具体的な数字で目標を明確に描くことです。売上高だけではなく、目標利益額まで含め、具体的で明確な目標を立てることです。大切なことは、製品、サービスの中身等も、時間的な計画も明らかにしておくことが大切です。

 

つまり、目標は会社全体の漠然とした数字ではなく、組織ごとに、ブレークダウンされたものでなければならないのです。つまり現場の最小単位の組織にいたるまで明確な目標数字があり、さらには一人ひとりの社員までもが明確な指針のもと、具体的な目標を持っているべきなのです。

 

また、それは一年間を通した通期の目標だけではなく、月次の目標として明確に設定すべきです。月々の目標が明確になれば、自ずから日々の目標も見えてくるはずなのです。このように従業員一人ひとりが日々自分の役割を明確に頑張り、それを果すことができるような明確な目標を設定しなければならないのです。

 

それぞれの従業員が着実に役割を果たし、それぞれの組織としても目標を達成していくことで、会社の目標も達成されることになっていきます。また日々の目標を達成してこそ、その積み重ねである月間や年間の経営目標も達成することが可能となります。

 

目標が明確であるということは、従業員の総力を結集することができるということなのです。もし目標が明確でなく、会社がどの方向に向かうのかを経営者が指し示すことができなければ、従業員はそれぞれ勝手な方向に向かい、持てる力が分散され、組織としての力を発揮することはできないのです。

 

多くの企業が長期の経営計画を立てています。経営の世界では、経営戦略に基づき、五ヶ年計画や十ヶ年計画といった中長期の経営計画を立案することが必要だと言われております。しかし、長期計画を立てても、なかなか達成できるものではありません。市場変動や予期せぬ不測の事態が発生し、計画自体が意味をなさないものになって、いずれ下方修正が必要になってしまったり、ついには計画を放棄せざるを得ないような事態が往々にして発生するのです。

 

反故(ほご)になるような計画であれば、むしろ立てないほうがいいのです。度重なる下方修正や、計画放棄を見せられれば、従業員は“どうせ達成しなくてもいいだろう”と高をくくり、いざ経営者が高い経営目標や長大な経営計画を掲げても、それに挑戦してくれなくなってしまうのです。

 

また長期計画においては、目標とする売上は達成できないにもかかわらず、経営目標や人員目標は計画通りに消化されて、経費の増大を招き、経営を圧迫する可能性があります。

 

三年先、五年先となりますと、誰も正確に予測できないのですが、一年先ぐらいならそうは狂わず読み切ることができます。そしてその一年間の経営計画を何が何でも達成するようにするのです。

 

今日一日を一生懸命に働くことによって明日が見えてくる。今月を一生懸命働くことによって来月が見えてくる。今年一年を一生懸命働くことによって来年が見えてくる、と考えて、日々、月々、そして年間の目標を達成すべく、懸命に努力を重ねていくのです。

 

三.  強烈な願望を心に抱く

心に描いた通りにものごとは成就します。“何としても目標を達成したい”という願望をどれくらい強く持つことができるかどうか、これが成功の鍵になってきます。

 

経営の課題に悩み、苦しみますのは経営者の常でありますが、寝ても覚めても四六時中、そのことだけを考え続けることができるかどうか、これが事業の成否を分ける分水嶺(ぶんすいれい)になります。“強烈な願望を心に抱く”とは潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を持つということなのです。

 

人間には顕在意識と潜在意識があります。顕在意識とは今目覚めている意識の事を言い、自在に駆使できるものです。潜在意識は、通常は意識化に沈み込んで表面には出て来ない、いわば、自分の意のままにコントロールできないものです。

 

この潜在意識の例として車の運転があります。習いたての頃は“右手でハンドルを持ち、左手でギアを操作し、右足でアクセルやブレーキを踏み込む”と自動車の操作を頭で理解し、つまり顕在意識を駆使して運転という行為に集中しています。

 

しかし、次第に慣れてきますと、自動車の操作など全く意識もせずに、考え事をしながらでも平気で運転しています。それは顕在意識で運転を繰り返すうちにそれで潜在意識に浸透し、無意識のうちに潜在意識が働いているからです。

 

潜在意識はよく繰り返し経験することで発生してきます。たとえば“売上をいくらにしたい”“利益はいくらにしたい”という目標を朝起きてから寝るまで、明けても暮れても四六時中考えるようにする。そのような強く持続した願望は、潜在意識に入って来ます、。

 

たとえば、新規事業を立ち上げないと四六時中考えています。その事業分野は今まで携(たずさ)わったことのない分野なので、専門の知識やノウハウを身につけた人材は社内にはおりません。しかし、どうしてもやりたいとやりたいと思い、毎日シュミレーションを繰り返していますと、やがてそれが潜在意識にまで浸透していきます。

 

ある会合で、隣で見ず知らずの人物が話している声が聞こえてきます。それはどうも自分がやりたい仕事に関係する分野のことであり、その人はその分野の技術者のようです。こうして見ず知らずの人に話しかけ、やがて入社してもらうことになり、一挙に新規事業が展開していくようなケースがよくあります。これは潜在意識があったから、隣の人の話が耳に入ってきたからです。

 

そのようになるためには、繰り返し繰り返し思い続けることがどうしても必要なのです。全身全霊を傾けて、顕在意識を働かせ続ける過程が必要なのです。案件を軽く受け流し、適当に処理しているような状態では、決して潜在意識にまで浸透してはいかず、火の燃えるような願望を持ち続けることでしか、潜在意識を活用することはできないのです。

 

目標が高ければ高いほど、それを実現していくには、強く持続した願望を抱き続けることが必要になってきます。

 

四.  誰にも負けない努力をする

地味な仕事を一歩一歩堅実に弛まぬ努力を続ける。成功への近道はない。努力こそが成功へ至る王道です。わずか半世紀ほどで、京セラが今日に至るまで成長発展を続けてきましたのもこの努力以外に理由はありません。ただ、京セラの努力は並大抵の努力ではなく、“誰にも負けない努力”でした。

 

“誰にも負けない”ということが肝心です。そのような努力がなければ決して企業を発展に導くことはできないのです。

 

京セラ創業時には、自前の資金も、満足な設備も、経営の実績や経験もなく、ただ唯一自分たちの払う努力は無尽蔵であろうと、夜を日に継いで、昼夜を分かたず仕事に励んだのでした。

 

しかし、毎日毎日いつ家に帰ったのか、いつ寝たのかわからないまで働くものですから、ついには社員がへたばってしまいました。“こんな無茶苦茶な働き方を続けていたのでは身体がもたない”という声が、従業員から出てきました。稲盛塾長も、全く不規則な生活で、睡眠時間は極端に短く、決まった時間に食事もとれるわけでなく、とてもこのような生活が長続きするわけがない、と思われました。

 

その時、幹部の人達を集め、次のような話をされました。

“私は会社経営がどういうものかを良く知らない。それはマラソンに例えられる長丁場のレースだろう。京セラの我々は、初めてマラソンに出場した素人集団のようなものだ。それも業界の最後発だから、遅れてスタートを切ったということになろう。すでに先発の大企業など先頭集団はコース半ばに差し掛かろうとしている。経験も技術もない素人ランナーが遅れて走りだしたのなら、むしろ最初から全力疾走で走ってみたい。“

 

“そんな無鉄砲なことでは体がもつはずがないと、皆さんは言うであろう。その通りかもしれない。百メートル走のスピードで、42.195キロメートルのフルマラソンを走り切れるわけがないというのは当然のことだ。しかし素人がゆっくり走ってみても、玄人のランナーとは勝負にならないのなら、たとえ最初だけでも全力で走ってみようではないか”京セラは従業員を説得し、創業以来“全力疾走”を続けてきました。1971年に株式市場に上場したときに、工場の空き地に全従業員を集めて次のように稲盛塾長は語りました。

 

“百メートル走のスピードでマラソンを走ったのでは、途中で倒れたり落伍するだろうと皆さんも私も思っていました。けれども勝ち目のない勝負をするよりも、短い期間でもいいから全力で勝負を挑んでみたいと思って走り始めたところが、いつのまにか、それが習い性になって、そのスピードを持続しながら今日まで走り続けることができた”

“すると、いつのまにか先を行くランナーたちがあまり早くないことに気がつき始めた。するとさらにスピードを増し、現在では第二集団を抜き去り、先頭集団を視野にとらえている。さあこの調子で先頭集団を追いかけようではないか”

 

この百メートル走のスピードでマラソンを駆け抜けるような努力が“誰にも負けない努力”なのです。

 

企業経営は競争です。競合企業が自分たち以上に努力をすれば、中途半端な努力では功(こう)を奏(そう)さず、企業は競争に敗れ、衰退していかざるを得ません。“私なりに努力をしています”という程度では、企業が伸びていくはずはありません。血で血を洗うような熾烈(しれつ)な企業間競争の中を勝ち抜き、成長発展を遂げていくには“誰にも負けない努力”でなければなりません。

 

もう一つ大事なことは、その“誰にも負けない努力”を日々絶え間なく、続けていかなければならないということです。どんなに偉大な仕事も地道な一歩一歩の弛まぬ努力の積み重ねからできているのです。

 

製造メーカーの場合、部品一個が五円や十円という安価な商売ですから、下請けの仕事でもあり、こんな下請けの仕事を一生懸命つくっていたところで、会社が発展するはずがない、と思いがちです。しかし大企業になり、今も成長・発展している企業の歴史を見ますと、必ずそのような小さな事業を積み重ねながら、地味な努力をたゆまず続けてきたという事実を見出すはずです。

 

企業発展の要諦は決して難しいことではありません。地味な仕事を一歩一歩堅実に“誰にも負けない努力”を営々と弛(たゆ)まず続けることです。

 

五.  売上を最大限に伸ばし、経費を最小限に抑える

入るを計って出ずるを制する。利益を追うのではない。利益は後からついてくる。

“売上最大・経費最小”を経営の大原則として、ひたすらこの原則を貫くことで京セラはすばらしい高収益企業になりました。

 

経営の常識として、売上を増やせば経費もそれに従って増えていくものと考えられています。しかしそうではないのです。売上を増やせば経費も増えるという誤った常識に捕らわれることなく、売上を最大限にし、経費を最小限に抑えていくための創意工夫を徹底的に続けていく、その姿勢こそが高収益をもたらすのです。

 

受注が五十%増えると一般的には50%増の人員、50%増の設備、50%増の経費の精算をこなそうとします。このような足し算式の経営はしてはならないのです。受注が50%増えたら、生産性を高めることによって本来なら50%増やしたい人員を20%~30%増に抑えるのです。そうすることにより、高収益の企業体質ができるのです。このように受注が増え、売上が拡大する会社発展期こそ、徹底した経営の筋肉体質化を図り、高収益企業とする千載一遇のチャンスであるのです。ほとんどの経営者は、かえってその好況期に放漫経営の種を蒔いてしまうのです。

 

足し算式に“受注が倍になったら人も設備も倍にする”という経営を行っていては、一点受注が減り、売上が落ち込むような事態を迎えるならば、たちまち経費負担が大きくなり、赤字経営に転落することになります。

 

売上最大・経費最小を実現するためには、月々の経費明細が組織ごとに明確にわかるようなシステムが必要です。その為、京セラでは“アメーバ経営”という経営管理システムを構築してきました。一般の財務会計とは異なり、経営者が経営をするための管理会計システムで、数人から数十名ほどに構成される“アメーバ”という千以上もある小集団が存在し、それぞれがこの経営管理システムに基づいて経営を行っています。

 

アメーバ経営では各アメーバが収支を一時間当りいくらの付加価値を生んだのかという計算方式で表現しています。付加価値(=売上-売上原価-人件費を除く経費)を合計労働時間で割って時間当り採算を尺度にして各アメーバの組織の経営成績を判断します。

 

時間当り採算表は各部門ごとに作成されます。この時間当り採算表を見れば、どのアメーバが収益をあげているのかということが手に取るようにわかります。

 

また時間当り採算表は経費を最小限に抑えるために、経費項目を細分化しています。財務会計で使っている経費項目よりも、現場に則(のっと)って細かく表示されています。実際に仕事をしている現場の従業員達がすぐに理解でき、経費削減のための行動が具体的に起こせるためのものでなければなりません。たとえば“今月は電気代がかかりすぎた”その時、どの電気のメーターを点検したらよいのか分からなくてはなりません。

 

会社が小さい時にはドンブリ勘定でもよいかも知れませんが、会社が大きくなりますと、それでは経営の実態がわからなくなってしまいます。一般的な財務会計上の処理だけでは不十分なわけです。

 

京セラはリーマンショック直後を除き、創業以来、ほとんど二桁以上の経常利益率を続けてきました。このような高収益企業体質を作った要因は、他の追随を許さない独創的な技術があり、付加価値の高い製品をつくってきたということだけではありません。経営の実態がよく見える経営管理システムを構築し、運用し、さらに“売上最大、経費最小”という経営の要諦をただひたすら追求してきたということが最大の要因だったのです。

 

六.  値決めは経営

値決めはトップの仕事。お客様も喜び、自分も儲かるポイントは一点である

稲盛塾長は夜鳴きうどん屋の経営を例にとり、“値決めはトップの仕事”はどうしてなのかを説明しておられます。

 

ラーメン屋には屋台がいります。チャーシューメンを出すとすれば、スープは鶏ガラなのか豚骨なのか、麺は機械打ちか手打ちか、焼き豚は何枚のせるのか、ネギものせるのか、もやしをのせるのか、ラーメン一杯にしても沢山の選択肢があります。ラーメン一杯といえども、経営する人によって全く違ったものになっていくのです。

 

次にラーメン屋台はどこに置き、いつ営業するのか、酔っ払い客を狙うのか、学生街で若者を狙うのか。

 

こうした条件を揃えて、値決めがなされます。繁華街では高くても美味しい高級感のあふれるラーメン、数は少なくても利益がでる、あるいは学生街で商売する時は値段は抑えて、数を沢山出すように工夫する。

 

このように見てみますと、値決めはラーメン屋台の商売の全体を良く知り、戦略を決めてからでなければ、決定することはできないのです。経営の死命を制するのは値決めなのです。

 

経営トップは製品の価値を正確に判断した上で製品一個当たりの利益と販売数量の幅が極大値になる、ある一点を求め、それで値決めをしなくてはならないのです。その一点を見抜くのは、営業部長や、ましてや一営業マンではなく、経営トップでなければならないはずです。

 

しかし経営トップの決めた価格といえども利益が出ないというケースもあります。問題は決まった価格の中で、どのようにして利益を出していくのかということが肝心なのです。

 

営業が安い値段で注文をとってきたのでは、製造がどんなに苦労しても利益はでないこともあります。

 

なるべく高い値段で売ってもらいたいのですが、決まった価格で利益を出せるか出せないかは製造側の責任になります。

 

一般には価格は原価プラス目標利益で決められることが多いのです。これは原価主義の方法です。

 

しかし競争の激しい市場では、売値が先に決められてしまいます。原価主義での価格決定、原価プラス目標利益では売れないのですから、値段を下げて売らざるを得ない。すると利益はなくなり、たちまち赤字に陥ってしまうのです。“技術者は新しい製品や技術を開発するのが技術屋の仕事だと思っているかもしれないが、どのようにしてコストを下げるかを考えるのも優秀な技術者の仕事だ”と稲盛塾長は技術者に話しました。

 

熱慮を重ねて決められた価格の中で、最大の利益を生み出すような努力が必要なのです。仕様や品質など、与えられた要件を全て満たす範囲で、製品を最も低いコストで製造する努力を徹底して行うことが不可欠です。経営トップは値決めだけすればよいというのではなく、コストダウンにも責任を持った上で、値決めをするのです。

 

値決めをする瞬間に、もう仕入と製造のコストダウンのことを考えていなければなりませんし、逆にそれらのことが頭の中にあるからこそ、値決めができるわけです。

 

値決めは経営であり、それは経営者の仕事であり、さらにはその価格決定は経営者の人格のままに現れるのです。

 

七.  経営は強い意志で決まる

経営には岩をもうがつ強い意志が必要

経営とは経営者の意志が現れたものです。こうありたいと思ったら、何が何でもその目標を実現しようとする、強烈な意思が経営では必要となります。

 

ところが、多くの経営者の方を見ていますと、得てして目標が達成しない場合にはすぐに言い訳をしたり、目標を修正したり、中には、目標を撤回してしまったりする人がいます。そのような経営者の態度は、常に目標が達成できないだけでなく、従業員にも大きな影響を与えてしまいます。

 

株式を上場しますと、来期の業績予想を発表しなければなりません。それは株主への約束でもあるはずですが、日本の経営者の多くは経済環境の変動を理由に下方修正をすることにためらいがないのです。しかし一方、同じ経営環境の中にありながら、目標を見事に達成して見せる経営者もいます。強い意志であくまでも計画を遂行していくような経営者でなければ、変化の激しい現在の経済環境を乗り切っていくことは難しいのです。

 

経営目標とは経営者の意志から生まれたものですが、同時にその目標を従業員全員が“やろう”と思うようになっているかどうかが大切になってくるのです。経営目標というのは経営者の意志を全従業員の意志に変えることです。

 

最も大切なことは、何としても目標を達成したいという経営者のその必死の思いをあらゆる機会を通じて従業員に率直に投げかけることなのです。

 

従業員には日頃から“うちの会社はすばらしい可能性を持っている。今はまだ小さいが、将来は大きな発展が期待できる”と話しておくことが必要です。そうした日頃からの従業員とのコミュニケーションを図っておくのです。コンパを通じて、従業員の誕生会を通じて、会社研修旅行を通じて、会社の目標を伝えていくようにします。

 

八.  燃える闘魂

-経営にはいかなる格闘技にもまさる激しい闘争心が必要-

経営には企業間競争が伴いますから、経営者はその従業員を守るために、凄まじいばかりの闘魂、闘志を持って企業間競争に挑まなければなりません。

 

しかしこの闘魂は、単なる粗暴な暴力をふるうというものではなく、“母親”が持つ愛に満ちた行動です。母親がヒナを守る為に、ヒナを襲ってくる鷹に対して自分から挑んでいくように、幼い自分の子供が外敵に襲われようとしたとき、強大な敵に立ち向かっていくことがあります。自分の身の危険を顧みず、敵を自分のほうにおびき寄せ、子供を救おうとするように、母親は凄まじい勇気と闘魂を示し、我が子を守ろうとします。

 

平和な経営者が、時には多くの従業員を守るために敢然と奮い立つ、そのような経営者でなければ従業員の信頼を得ることはできません。

 

日本の大企業の経営者の中には、外敵から従業員や企業を守るどころか、自分の保身に汲々とする経営者が非常に多くなっています。企業不祥事を引き起こしても責任を取らず、むしろ部下が責任をとって辞めていくというケースが大企業などでも見受けられます。

これはリーダーの選択を誤ったということだと思います。能力がある人が経営トップになるのではなく、真の“闘魂”つまり“命を賭して従業員と企業を守る”という気概と責任感を持った人が、経営者になるべきなのです。

 

九.  勇気をもって事に当る

卑怯な振る舞いがあってはならない

なぜ勇気が必要なのか、まずは物事を判断するときに、正しい判断をしようと決心する時、勇気が必要なのです。

 

企業経営に当り“人間として何が正しいか”という原理原則に従い、判断をしていけば誤りはしないのです。しかし原理原則を守り、実行しようとする時、経営者は勇気がいるのです。

多くの経営者の方々が原理原則で判断しなければならないという時に、様々なしがらみが生じ、その為に判断を誤ることが往々にしてあるのです。事をなるべく穏便に済ませ、無用な波風を立てないということを判断基準としてしまうことがあるのです。経営者に真の勇気があるかないかということが問われてくるのはこのような局面です。

 

原理原則で結論を下し、脅迫を受けようとも、自分に災難が降りかかってくることがあろうとも、また人から誹謗中傷を受けようとも、全てを受け入れ、会社のために最もよかれと思う判断を断固として下すことができる、それは経営者が真の勇気を持っているからできることです。

 

経営者に勇気がなく、怖がり、逡巡(しゅんじゅん)している様というのは、すぐに従業員に伝わってしまいます。そのような情けない経営者の姿を見た従業員は、たちまち経営者に対する信頼を失ってしまいます。勇気のない経営者の下で仕える従業員も同様に重要な局面に立たされたとき、妥協することをよしとし、ときには卑怯な振る舞いに走ってしまうようになります。

 

経営者に必要な“勇気”それは“胆力”とも言い換えることができます。人間には知識、見識、胆識というものがあるそうです。

 

知識というのは、様々な情報であり、理性で知っていることです。単なる知識というのは物知りです。知識は見識まで高めるべきものです。見識とは、知識が“信念”にまで高まったものです。この見識があってこそ、初めて経営者といえるのです。社長は信念をもって正しい判断をすることが求められるのです。

 

さらに真の経営者は“見識”を持つだけではなく、“胆識”も必要なのです。“胆識”とは“見識”に“勇気”が加わったものです。魂のレベルにまで固く信じているが為に、何ものも恐れないという状態です。このような“胆識”を持った経営者は見識を実行する、実践する経営者、すなわちいかなる局面に対しても勇気を持って対処する経営者なのです。

 

十.  常に創造的な仕事をする

今日よりは明日、明日よりは明後日と常に改良改善を絶え間なく続ける・創意工夫を重ねる

米国でピューリッツア賞を受賞したDavid Halberstam がその著書“Next Century”の中で稲盛塾長のことを述べています。稲盛塾長の著書“次にやりたいことは私達には決してできないと人から言われたものだ”という言葉が紹介されています。京セラでは、ファインセラミックスという新しい素材にいち早く取り組み、従来は工業用材料となり得なかったファインセラミックスを工業用材料として確立させ、更に何兆円という規模を持つ産業分野として成長せしめたパイオニア企業なのです。

 

ファインセラミックスの特性を生かし、ICパッケージを開発し、半導体産業の成長を促したのをはじめ、人工骨などの生体用材料にもいち早く取り組み、現代のファインセラミックス分野の開拓者として社会に貢献してきました。

 

このような独創的な企業経営ができた理由を、多くの人は京セラの技術開発力に求めています。そして自社を顧みて“我社にはそのような技術は何もない。そのために成長発展しないのはやむを得ない”と考えているのです。そうではないのです。他社と比べて傑出(けっしゅつ)した技術を最初から持っている企業など一つもないはずです。独創的な仕事を心がけ、今日よりは明日、明日よりは明後日と常に改良改善をしているかどうかということで独創的な経営ができるかどうか決まってくるのです。

 

例えば掃除などは、一見工夫のしようのない雑事に思われがちですが、毎日同じような掃き方をするのではなく、明日はこうやってみよう、明後日はこうやってみようと少しずつ能率が上がる方法はないかと考える、一日の工夫はわずかなものですが、改良改善がひと月も積み重なれば、大きな変化を遂げているはずです。これは営業、製造、開発などすべての分野において言えることです。

 

創造性ということを“未来進行形で考える”という言葉で稲盛塾長は考えられています。自分の現在の力をもって将来何が出来るかということを考えるのではなく、今はとてもできそうもないと思われる高い目標であっても、未来のある一点で達成すると決めてしまうのです。そしてその一点にターゲットを絞り、現在の自分の能力をその目標に見合うまで高める努力を日々間断なく続けていくのです。

 

自分の能力をもってして、できるかできないかを判断していては新しことはできないのです。今はできないものを何とかしてやり遂げたいと言う強い思いからしか輝(かがや)かしい未来は決して開けないのです。

 

十一.     思いやりのある心で誠実に

商いには相手がある。相手を含めてハッピーであること、皆が喜ぶこと。

自分の利益だけを考えるのではなく、自己犠牲を払ってでも相手に尽そうという美しい心です。

 

しかし、“思いやり”や“利他の心”など弱肉強食のビジネス社会では、実現は難しいと考える人も多いと思います。ところが“情けは人のためならず”ということわざにあるように、“思いやり”“世の為・人の為”として尽していることが、実は自分の為になっているということがよくあるのです。

 

例えば、住宅を建設する場合、沢山の建設業者の方々に仕事を依頼します。この時、“安ければよい”どうしたら自分の利益が確保できるかだけを考えていますと、不法投棄を使っている建設業者、仕事の品質、スケジュール、後日の仕事のやり直し等に苦労します。長期にわたり、共にビジネスを続けていく為には、相手の事も充分理解して、よい人間関係を構築することがビジネスを成長発展させる大切なポイントなのです。

 

相手を大切にし、思いやるという“利他の心”の行為は一見自分達が損をするように見えても、長いスパンで見れば、必ず素晴らしい成果をもたらしてくれるものなのです。

 

十二.     常に明るく前向きに 夢と希望を抱いて素直な心で

経営者というのはどんな逆境にあっても常に前向きでなければなりません。ともすれば、降りかかる経営の諸問題に押しつぶされそうになり、経営者は悲壮感を漂わせるようになることがあります。“強い意志”、“闘魂”、“誰にも負けない努力”等と言いますと、思い詰めて悩み抜いて経営をすることになりがちです。

 

日常は明るく振る舞う心がけがあればこそ、すさまじい闘魂や、どんなことがあってもくじけない強い意志が生まれるのです。一方では“何としてもやらなければならない”という強い思いがありますが、もう一方では何があったとしても自分の将来には必ずすばらしい未来が開けるのだという確信を抱いて明るくポジティブに生きたいと考えるのです。

 

自分の人生を明るくポジティブに見ること、これが人生の鉄則であり、経営者としての要諦なのです。今健康を損なっている、しかし必ず元気になる。今資金繰りに苦慮しているが、努力をすれば何とかなると信じる。前向きなひたむきな努力はこの宇宙の意志に合っている、調和している為、必ずや報われるのです。

 

美しい心と思いやりに満ち、謙虚で感謝を忘れず、素直な心を持って努力を重ねる人々の運命は必ず開けていくのです。