盛和塾 読後感想文 第107号

フィロソフィーは骨肉化しなければ意味がない

フィロソフィーは知識として知っているだけでは意味がありません。行動が伴なっていなければならないのです。知識として得たものを骨肉化する。つまり自分の肉体に染み込ませる、どんな場面でもすぐにその通りの行動が取れるようにならなければなりません。

 

正しい考え方を“知っている”だけでは知らないのとまったく同じことなのです。自らの血肉として人生の節々において、また日々の業務においてその考え方を生かすことができなければ、まったく価値はないのです。

 

正しい考え方を骨肉化する為には、自分の思想・理念・哲学になるまで、繰り返し、学び、無意識であっても、その考え方で行動できるようにならなければならないのです。

 

フィロソフィーこと経営の源泉

現在の混乱下で最も大切なことは、フィロソフィーをもう一度考え直してみることではないでしょうか。経営者がフィロソフィーを学ぶと同時に、それを全従業員と共有する、ということが会社経営において最も大切なことです。

 

フィロソフィーを共有するとは、全従業員が経営者と同じ気持ち、同じ考え方をもってくれるということを意味します。それが会社経営において最も重要であり、現在の状況下でも根本的な原動力になると考えられます。

 

経営の要諦は“フィロソフィー”に尽きる

すばらしい経営をしていくのに経営者の方々はどうしたらよいのか、日々悩んでいます。世の中には経営に関する書籍が多数出版されています。また、多くの経営コンサルタントの方が活躍しておられます。大学でも経営を教える先生方も、次々と新しい経営理論を展開しておられます。

 

多くの経営者が、これらの経営者や経営コンサルタント、経営理論に頼ろうとしています。しかしなかなか思った通りには経営はならないのです。一体どのように経営をしたらよいのかと多くの経営者が迷い、戸惑い、途方に暮れておられます。

 

そうではなく、経営の要諦は“フィロソフィー”に尽きるのです。企業内で経営哲学を確立し、経営者はもとより、全従業員と共有して実践することで、必ず企業は成長発展を遂げていくのです。

 

フィロソフィー誕生の経緯

京セラフィロソフィーがどのような経緯で誕生し、京セラの成長発展の基盤となってきたのか。稲盛塾長の経験が以下に述べられています。

 

稲盛塾長が27歳の時に支援者の方々に京セラを創業していただきました。テレビのブラウン管の電子銃に用いられる、絶縁部品の製造で会社がスタートしました。京セラ設立前、稲盛塾長は大学卒業後、京都にある松風工業に就職しました。その製品はその松風工業という碍子(がいし)の製造会社で稲盛塾長が開発したものでした。そこでは研究開発から製造・販売に至るまで一貫して担当されました。材料の研究、製品の開発、生産プロセスの検討、製造設備の設計、日々の生産活動、営業活動まで、この製品に関わるすべての仕事を担当しておられました。

 

その当時、稲盛塾長は会社経営についてはまったく経験や知識がなかったのです。支援してくださった方々からの資本金三百万円、さらに一千万円の資金を銀行から借りていただき、京セラを創業したものの、大変不安なスタートだったのでした。

 

経営をしていくにはどうしたらよいのか、一生懸命考え続け、現在のフィロソフィーの原型が次第に編み出されたのです。

 

松風工業時代に、ものごとのあるべき姿を考える習慣が身についていました。松風工業では赤字続きで、給料日になっても給料が払えず、給与支払い遅延がありました。

 

ボーナスもほとんどありませんでした。労働組合とはもめて、社内に赤旗が林立し、年中ストライキをしているような会社でした。稲盛塾長は同時入社の四人が退職していく中で、他の会社に就職もできないまま、与えられた新しいセラミック材料の開発という仕事にやむなく取り組まなければならない境遇にありました。そして待遇も悪く、不充分の設備という劣悪な環境の中にあっても、すばらしい研究成果をあげるにはどういう心構えで仕事にあたらなければならないかと毎日考え、悩んでおられました。

 

その頃から“仕事をするには、こういう考え方、こういう方法でなければならないのではないか”ということを思いつくたびに、研究実験ノートに書き留めていました。

 

京セラを経営することになったときに、その自分なりに考えた仕事の要諦のようなものを書きためていたノートを引っ張り出して、その後、経営にかかわり気づいたことを加えて、改めて経営の要諦としてまとめ直したものが“フィロソフィー”というものです。

 

たいへん劣悪な環境の中で、松風工業を辞めることもあたわず、研究開発に取り組まなければならないというときに、そういう逆境の中で仕事をし、立派な研究をし、立派な会社にしていくにはどうすればいいかということを考え、悩みつつ、生きていく中でその都度、ノートの端に書き留めていったものが、京セラの“フィロソフィー”なのです。

 

経営というものがわかっていなかったがために“不安で不安でたまらない、どうすれば経営がうまくいくのだろう”と悩み抜いて、ようやく見つけた経営の考え方、そしてその方法をまとめたものが“フィロソフィー”なのです。

 

その“フィロソフィー”の中には“心をベースとして経営する”“ベクトルを合わせる”“原理原則に従う”“一日一日をど真剣に生きる”“土俵の真ん中で相撲をとる”など、様々なものがあります。これらは稲盛塾長が仕事や研究を続け、経営で呻吟(しんぎん)する中で編み出していった、実践的な経営哲学なのです。

 

人生・仕事の結果=考え方x熱意x能力

稲盛塾長は京セラでの経営の中で、人生・仕事の結果=考え方x熱意x能力という方程式を考えられました。人生の結果、また仕事の結果は、その人が持っている考え方、つまり哲学に、その人が持っている熱意、そしてその人が持っている能力を掛け合わせた値で表されると考えられました。

 

人並み程度の能力しか持たない稲盛塾長は、人並み以上のことを成し遂げるにはどうすればいいのだろうかと考えた末に見い出したのが、この方程式なのです。

 

三つの要素の中の能力は多分に先天的なものです。両親から授かった知能や運動神経、あるいは健康などが、これにあたります。能力を点数で表現しようとすれば、0点から100点まであると言えます。

 

熱意は努力と言い換えてもいいと思います。やる気や覇気のない無気力な人間から、人生や仕事に対して燃えるような情熱を抱き、懸命に努力する人間まで、個人差があります。このように熱意も、熱意のない人が0点とすれば、燃えるような闘魂で誰にも負けない努力をする人は100点というように、幅があります。熱意は能力とは異なり、自分の意思で決めることができます。能力は自分に天賦(てんぷ)の才で備わったものであって、そう変えられるものではありません。熱意だけは自分の意思で変えられると思い、“誰にも負けない努力”を京セラで、稲盛塾長は働き続けました。

 

際限のない努力が成功をもたらす

“誰にも負けない努力をする”ということが最も大切なことです。多くの人は自分は努力をしたと言います。ビジネスの世界では、相手が自分以上の努力をすれば、負けてしまいます。並みの努力では意味がなく、誰にも負けない努力でなければ、厳しい社会を勝ち抜いていくことはできません。

 

その努力は一時的なものではなく、際限のない努力を続けていくものでなければなりません。

 

京セラを経営し始めたときに、人生という長丁場のマラソンの勝負を、百メートル競走を走るような、つまり全速力で走っていこうと思って走り続けてきました。企業経営は一生かかるものであるにも関わらず、無茶な仕事を続ければ、体がもたないでしょうと周囲の人達から言われたそうです。一流のマラソン選手は、マラソンのペースで走っても、我々の百メートル競走ぐらいのスピードで走り続けるのです。我々素人が42.195キロを走ろうと思ってゆっくり走っていたのでは、ますます引き離されてしまいます。

 

途中で倒れるかも知れないが、なんとか一流選手と同じペースで走っていこうと社員に話し、共有しようとしました。もし最初から、勝負に負けると思うのならば、そういう勝負はやめようと社員に話しました。ところが一生懸命に走っているペースが思いのほか速かったと見えて、先行するセラミックスメーカーを視野に捉えることができ、そしていつのまにか抜き去っていきました。

 

考え方がマイナスなら、結果もマイナスになる

人生・仕事の結果=考え方x熱意x能力、の方程式を点数で表わしてみます。健康で優秀で“能力”が九十点という人がいます。しかし、この能力のある人が自分の能力を慢心し、過信し、真面目に努力することを怠るなら、その人の持っている“熱意”は三十点になってしまいます。

 

一方、自分は平均より少しだけましな程度の“能力”六十点ぐらいだろう。しかし生き抜くため、“必死で生きていこう。必死で努力をしていこう”と自分に言い聞かせ、情熱を燃やし、ひたすら努力するような人であれば、“熱意”は九十点となります。

 

能力のある人は、能力x熱意で二千七百点、普通の能力の人は五千四百点となります。つまり平凡な能力しか持っていなくても、努力をひたむきに続ければ、能力の不足を補って、能力を持った優秀な才能に溢れた人の倍の成果を収めることもできるのです。

 

そしてこの方程式で最も大事なことは、この“能力”と“熱意”の積の値にさらに“考え方”が掛け算で掛かってくるということです。この考え方には、悪い考え方から良い考え方まで、マイナス百点からプラス百点まで、大きな振れ幅があります。

 

“他によかれかし”と願い、一生懸命に努力をする考え方はプラス、世をすね、人を妬み、まともな生き方を否定するような考え方はマイナスです。

 

掛け算ですから、プラスの考え方を持っていれば、人生・仕事の結果はさらに高い点数となります。逆に少しでもマイナスの考え方を持っているだけで、その方程式の答えはマイナスになってしまうのです。能力があればあるほど、熱意が強ければ強いだけ、人生や仕事において大きなマイナスになってしまいます。無残な結果を残すことになります。

 

実際に人並み外れた“能力”とあふれるような“熱意”を持ち、創業した会社を発展させ、百万の富を手にしたものの、傍若無人な行動を取るようになり、社会から指弾を受け、表舞台から去っていくような人がいつの時代にも存在します。

 

どのような“考え方”でなければならないのかということが大切です。プラスの考え方とは、以下のようなものです。

 

·         前向きで建設的であること

·         他と一緒に仕事をしていこうという協調性があること

·         明るく肯定的であること

·         善意に満ちた心を持っていること

·         思いやりがあり、優しいこと

·         真面目なこと

·         正直であること

·         謙虚であること

·         努力家であること

·         利己的でないこと、強欲でないこと、足るを知ること

·         感謝の心を持つこと

 

プラスの考え方は、上記のような考え方であり、善き考え方であり、善い行いをすることです。


マイナスの考え方は、上記の逆です。自分の考え方が果たしてプラスなのか、それともマイナスなのか、つまり善きものなのか、悪いものなのかということを、日々反省を繰り返しながら、少しでもプラス方向、善き考え方を持つように心がけていくことが“人生仕事の結果の方程式”の結果を最大級にすることになります。