盛和塾 読後感想文 第108号

困難に打ち勝つ

フィロソフィー、経営哲学を企業内で共有する意義と我々を取り巻く現在の困難な状況に打ち勝つためには、どのような考え方をすべきかが今回の話です。 

稲盛塾長は日本政府の要請を受け、航空運輸事業の経験や知識が全くないにも関わらず、また勝算もないにも関わらず、日本航空(JAL)の会長に就任し、徒手空拳でJALの再建に関わってこられました。 

JAL経営再建にあたり唯一携えていたのは、京セラで考えた“フィロソフィー”と経営管理システムである“アメーバ経営”でした。そのフィロソフィーへの理解が次第に深まるにつれ、JALの社員の意識が激的な変化を遂げてきました。その社員の意識変革に伴って、会社の業績も飛躍的に改善していきました。2011年3月の決算では売上高一兆三千六百二十二億円、営業利益は千八百八十四億円になり、JAL創設以来最高の実績で終わることができたのです。 

社員の意識が良い方向に変われば、会社の業績も向上していきます。JAL社員の意識を変え、業績を飛躍的に改善したものが“フィロソフィー”なのです。企業経営においては全従業員が“フィロソフィー”を共有しなければならないのです。まずは経営者自らが“フィロソフィー”をよく理解し、身につけ、実践することが大切ですが、同時にそれを全従業員に理解してもらい、職場で実践してもらうようにすることが経営においては何よりも大切です。 

“フィロソフィー”に含まれる大切な四つの要素

稲盛塾長の“フィロソフィー”は“人間として何が正しいのか”“人間は何のために生きるのか”という根本的な問いに真剣に、真正面から向かい合い、様々な困難を乗り越える中で生み出された仕事や人生の指針であります。このフィロソフィーには大切な四つの要素が含まれています。 

大切な四つの要素とは以下のことです。 

  1. 会社の規範となるべき規則、約束事.

この会社はこういう規範で経営をしていきます。企業内で必要とされるルール・モラルが要素の一つです。 

  1. 企業が目指すべき目的、目標を達成するために必要な考え方.

企業の高い目標を達成するために、従業員がどういう考え方をし、またどういう行動をとらなければならないのか。 

  1. 企業にすばらしい社格を与える考え方.

人間にも人格があります。会社にも社格があるのです。世界中から“あの会社は立派な社格を備えている”と信頼と尊敬を得るための考え方。 

  1. より良い人生を送るために必要な人生の真理.

それは人間としての正しい生き方。あるべき姿を明らかにするという要素。 

これらの四つの要素は、その会社の従業員の幸福を実現していくためにも、そしてその会社がさらに成長発展していくためにも、必要不可欠なのです。 

これらの四つの要素は知識として理解するのではなく、日々の業務や生活において実践していくことが何よりも大切なのです。その実践に向けた弛(たゆ)まぬ努力が従業員一人ひとりの心を高め、人格を磨くことになり、さらにそのような人材が集(つど)う企業には夢と希望に溢れた明るい未来が必ず開けてくるのです。 

ですから、この四つの要素を含んだフィロソフィー、経営哲学を社員と共有することに懸命に努めることが必要なのです。そうすれば、いかなる試練、困難な状況に遭遇しようともそれを克服し、企業を成長発展させることができるのです。 

いかなる障害があろうとも正しいことは正しいと主張しなければならない

“正直を貫き通す”ということが大切です。いかなるときでも相手に迎合したり、うまく世渡りできるからと妥協するような生き方をしてはならないのです。どんな難しい局面に立っても正直を貫き通すべきなのです。 

正しいことを行い、苦労ばかり重ねていくよりは、ご都合主義で生きたほうが楽ではないかと、苦しければ苦しいほど、思ってしまいます。自分が正しいと思う道を踏み行っているなら、いくら逆境に立たされようとも、必ず報われることを信じ、正道を貫き通すことが大切です。 

稲盛塾長が大学卒業後働いた会社は、松風工業という碍子(がいし)を製造する京都の老舗(しにせ)メーカーでした。そこでフォルステライトというセラミックス材料の開発に成功しました。松下電子工業からその新材料を使ったU字ケルシマというブラウン管に使われる絶縁部品の注文を頂きました。数十人の従業員と共に、その量産を開始しました。 

戦後十年ほどが経過していましたが、松風工業は赤字続きでした。銀行から派遣された役員が経営を指導して、銀行から借入が無ければ経営を続けていくことさえ適(かな)わないという、傾きかけた会社でした。 

従業員に対する待遇も悪く、共産党が主導する労働組合がたいへん強く、一年中労働争議を繰り返しているという会社でした。 

しかし若い稲盛塾長は“少なくとも私の職場で一緒に仕事をする人が、士気も低く、労働意欲に欠ける。残業代稼ぎをするようでは困ります。たしかに会社の待遇は悪いし、決して良い会社ではないけれども、仕事は一生懸命やっていただきたい”と職場の人々に話していました。 

研究室の先輩が忠告してくれました。“他の職場ではもっと気楽に仕事をしている。怠けていてさえ怒られることがないのに、君の職場では少し手を抜くだけでこっぴどく叱られると、皆が閉口して君を嫌っている。” 

稲盛塾長は上述の忠告に悩みました。部下の人達が私を嫌っていることを知り、悲しくもなりました。“部下からは嫌われるかもしれないが、やはり正しいことは正しいと主張しなければならないはずだ”という結論に達しました。 

労働組合との人達とはいつも意見が対立していました。まずは自分たちが一生懸命に働き、会社を立派にしていくことが前提と考えていた稲盛塾長は、ストライキを強行してばかりいる労働組合の幹部に“それはおかしいではありませんか”とよく意見を言っていました。 

働きもせず斜に構えたような人間がのさばっているような会社であっただけに、稲盛塾長がいくら注意をしても、聞く耳を持とうとしない人が職場に一人いた為、“あなたはこの職場には要りません。もう会社を辞めてください。”と言いました。 

労働組合の人達も色めきたち、稲盛塾長は荷造り用の箱の上に立たされ、人民裁判が始まりました。“この会社の回し者が、我々のようなか弱い労働者をこき使い、会社に媚(こ)びを売るようなことをしている。こういう奴がいるから我々労働者は搾取され、難儀するんだ。またこの男は自分の部下に対して、辞めろと言ったそうだが、こういう男こそ辞めるべきではないか。” 

稲盛塾長は答えました。“私は会社の犬でも、労働組合の敵でもありません。ただ人間として正しいことを正しいままに貫いていこうと言っているだけです。”“わかりました。満足に働きもしない、いい加減な人間ではなく、懸命に働き、なんとか会社を救おうとしている人間のほうが辞めるべきだと労働組合のみなさん全員が考えるなら、そんな会社に未練はありません。今日限りで辞めさせていただきます。” 

その夜、労働組合の連中が稲盛塾長を袋叩きにしようとしました。眉間に傷を受けましたが、翌日、頭に包帯を巻いたまま出社し、いつも通りに仕事をしました。このときも、自分が正しいと信ずる道をただ踏み行っていこうとしたのです。 

西郷隆盛の言葉“南洲翁遺訓”の中に、

“道を行う者は固(もと)より困厄(こんやく)に逢うものなれば如何なる艱難(かんなん)の地に立つとも事の正否、身の死生(しせい)杯(など)に少しも関係せぬもの也”南洲翁遺訓第二十九条、とあります。正道を貫いていけば、困難に遭遇するのは常である。しかしいかなる艱難(かんなん)に遭(あ)おうとも正道を貫いていくことが必要なのだと西郷隆盛は言っています。 

“道を行う者は、天下挙(こぞ)って毀(そし)るも足らざるとせず、天下挙(こぞ)って誉(ほ)むるも足れりとせざるは”南洲翁遺訓第三十条。

正道を行う者は周囲から挙(こぞ)って謗(そし)られることがあります。また、周囲から誉められることもありません。しかし正道を行う者は世間に迎合(げいごう)してはならないのです。

正しいことを貫いていこうとしても、“それはいいことだ”と誰も言ってくれないかもしれない。誹謗中傷し、妨害する人が出て来ます。しかしそれでも正道を貫いていかなければならないと西郷隆盛は言っています。 

堅苦しい生き方をしたのでは世間が狭くなるから、要領よく、周囲に迎合(げいごう)しながらうまく世渡りをすべきだと、松風工業の先輩が教えてくれた“世渡りの術”のような安易な生き方をしてはならないのです。 

策を用いて世の中を渡るようなことをしてはならない

京セラでのアメーバ経営の中で、不祥事が発生したことがありました。アメーバのリーダーが、アメーバの業務を良く見せようと、不正な操作をしたのでした。このようなことは、経営の実態を正しくかつリアルタイムに把握し、必要な手を打つことで経営を常に向上させていこうとするアメーバ経営にとっては許されないことです。公明正大に仕事にあたり、常にフェアプレイを重視するフィロソフィーに反することです。 

その職場では公然の事実で、部下も周囲の人達もみなその不正操作に気づいていながら、誰ひとりとしてそのリーダーに“それはおかしいではありませんか”と諫言(かんげん)する人がいなかったのです。 

そうすれば、その人は職場内で謗(そし)られることになるかも知れません。リーダーに左遷(させん)させられることになるかも知れません。そういうことに臆せず、勇気のある人が職場にひとりでもいれば不祥事などは起こらなかったのです。 

匿名(とくめい)の投書があったために、後日その不正操作が発覚したのです。新入社員でも正義感に厚い人がそのリーダーに正々堂々と“それはおかしいではありませんか”と言えるような会社、つまり“正道を貫く”ことをよしとする社風がみなぎっている会社でなければならないのです。 

一部の職場で“長いものには巻かれろ”式に小難しいことを言って人から憎まれたり、非難されるような生き方を避ける人がいたり、妙に大人びて、要領よく生きることが正しいと考える人が存在するようになってしまっていたのです。 

旧来のしがらみ打破しようとするとき、大変な抵抗があり、反対もあります。確かにそれは困難なことですが、その困難を真正面から受け止め、それを克服していくことからしか、未来はないのです。正しいと信ずる道を選択し、愚直に貫いていく勇気が今こそ求められています。 

困難に真正面から取り組むことで“神の啓示”を得ることができる

正道を貫くには“困難に真正面から取り組む”ことが必要となります。仕事においてまた人生を生きていく上で、難しい問題にぶつかればみなそれを回避しようとします。まわり道をしてでもいいから、困難に遭遇することから逃れようとします。 

そうではなく、困難に対しては、あくまでも真正面から取り組むという正攻法で挑むべきなのです。難しいことは承知の上で“何としても解決しなければならない。絶対に逃げてはならない。どうしてもやり遂げなければならない”という心構えで、真正面から困難にぶつかっていく。それがものごとを解決していくにあたっての基本姿勢です。 

そうして真正面から困難に対峙し、一進一退を繰り返しつつ、それでも努力を重ね、苦しみ抜いている時に、ある瞬間に“神の啓示”のようなもの、ヒントが鮮やかに脳裏に浮かぶのです。“あっ、こうすればいいのか”と長年悩み抜いたことが一気に解決に向かうことがあるのです。 

困難なことに対して真正面からぶつかり“これでもか これでもか”と悩み苦しみ抜いている最中にこそ、あたかも神が与えてくれたかのような解決のヒントが突如得られることがあるのです。 

苦労し困り抜いている自分を助けてくれるために、神あるいは自然が援助の手を差し伸べてくれるのです。困難な状況の中でも歯を食いしばり、懸命に、誰にも負けない努力を重ねている、そのけなげな姿に神様がほだされ、思わず解決のヒント、ひらめきを与えて下さるのです。 

厳しい生き方をあえて選ぶ

時には策を弄し、手練手管(てれんてくだ)を駆使すればもっとうまくいったということもあったかもしれません。稲盛塾長は馬鹿正直に真正面から困難にぶつかっていくことで、苦労も人一倍しなければなりませんでした。人からは“要領が悪い”と思われたと思いますが、しかし“要領が悪くてもいい。そういう正攻法の生き方しかできないのだ”と思い、正攻法を貫き続けたそうです。 

京セラ創業時には、幹部社員の中には稲盛塾長についてこられないような人も若干出てきたそうです。“我々は絶壁のような崖をまっすぐに登っていかなければならない。ロッククライミングのように、まっすぐに高い頂を目指していかなければならない。”

“垂直登攀(すいちょくとうはん)”です。特に高い目標を定め、それを達成するには、目標に向かってまっすぐに進んでいくことが大切です。登山で言えば、前に立ちはだかる岸壁に遭遇して行く手を遮(さえぎ)られるようなことがあろうとも、まっすぐに頂を目指していこうと稲盛塾長は社員に呼びかけたそうです。 

行く手をはばむ幾多の困難を避け、安全で緩やかな道を迂回して進むほうが賢明かもしれません。しかし易(やす)きにつき迂回してゆっくり登っていこうとするうちに、当初描いた高い目標を見失い、道半ばで自分自身を納得させ、終わってしまう危険性があるのです。高い目標を目指すならば、正しいと信ずる道をまっすぐに突き進む、まさに“垂直登攀”の姿勢で挑むべきです。 

稲盛塾長は松風工業勤務時代、部下や周囲から疎(うと)まれ謗(そし)られ、四面楚歌の状態に陥っていましたが、“人間として正しいことを貫いていこう”“自分が信じる道をまっすぐに進もう”と心に決めていたそうです。松風工業時代は待遇にも恵まれず、周囲からも白い目で見られるような経験をされたわけですが、こうした逆境が“人間として正しいことを貫いていこう”という信念をさらに強固なものにしたと考えられます。 

迂回すれば、もっと楽な登山道もあるのに、登山の技術知識経験もないような男が垂直に切り立つ崖(がけ)に真正面から挑み、まっすぐに頂上を目指して登っていこうと懸命に努めたのでした。後ろを振り返って見ても、仲間は足がすくみ、誰もついてきていません。経営という絶壁を登っていく姿は、それは孤独なものでした。 

“厳しすぎやしませんか。こんな急角度の岩山でまっすぐに登れと言われても無理なことです。”“まっすぐに登るには、高度な登攀技術も、豊かな登山経験も、また立派な道具も要る。それを素手で登るなど言語道断です。”周囲からは囂々(ごうごう)たる非難を受けていたそうです。 

しかし、それでも“自分は何としてもまっすぐに頂上を目指し、登っていきたいんだ”と初心を貫き、崖(がけ)に張り付いている。一歩も動けない者、落伍する者も出てきます。 

結局1人やめ、また一人やめ、結局稲盛塾長についていくことができない、結局誰もいなくなってしまう、恐怖感に襲われたそうです。 

稲盛塾長は結婚しようとしていた妻に尋ねました。“みんなが私についてこなくなったとき、お前だけは俺を支えてくれるか”すると妻は“ついていきます”と答えてくれたそうです。妻ひとりでも、稲盛塾長を信じ、どこまでもついてくるなら、絶対に垂直登攀はやめまい、どんな困難があろうとも貫いていくと心に決められました。 

しかし、松風工業を退社した時、日頃そんな厳しい姿勢を貫いてきたにも関わらず、一緒に粉まみれになって働いてくれた仲間の中で多くの心ある人たちが稲盛塾長を慕い、人間性を信じ、稲盛塾長の考え方を理解し、新しい会社、京セラについてきてくれたのでした。 

京セラを創業した時も“垂直登攀”を貫いていかれました。その時、ヨガの哲学者中村天風さんの著書からお借りしたスローガンを高々と掲げました。 

“新しき計画の成就は只不屈不撓(ふくつふとう)の一心にあり。さらばひたむきに只想え。気高く強く一筋に。” 

高い目標を定め、それを達成するためには、どんな峻強(しゅんきょう)な岩山であろうと、まっすぐによじ登っていく。そこには一瞬のためらいもなく、わずかの妥協もない、ただひたむきに、何の邪心もなく、一心不乱に岩山を登っていくというものです。これこそ垂直登攀の姿です。 

単にこういうことをしてみたい。これを達成したいと軽く思う程度では、新しい計画を実現し高い目標を達成できるはずがありません。思いというものは強ければ強いほど実現していきます。上述のスローガンにもありますが、その思いは気高く、美しく、汚れがないものでなければなりません。“思い”は強いほど実現していきますが、その“思い”というものが世のため人のためという気高く美しいものであればあるほど、成功の確率は高くなっていくのです。

何かを成そうとする人は、気高い心で垂直登攀の姿勢で挑まなければなりません。目の前にそびえた絶壁のような岩山の前に立ち、足がすくみ、自分には登れないと考えていては、新しいことに挑戦し、それを成功させることは絶対にできません。気高く、不屈不撓の一心を持ち続ける、何としてでも峻嶮な岩山をまっすぐに登っていくという、強く、純粋な思いを持ち続けることが、事業を成長発展させるのです。