盛和塾 読後感想文 第111号

運命は自分の心次第

浮き沈みの激しい人生を送り、自分の運命は自分の手で切り開いてきた人でも、その山や谷、幸不幸はみんな自分の心のありようが呼び寄せたものです。自分に訪れる出来事の種を蒔いているのはみんな自分なのです。 

運命というものは私たちの生のうちに厳然として存在します。しかしそれは人間の力ではどうにも抗(あらが)いがたい“宿命”なのではなく、心のありようによっていかようにも変えていけるものです。運命を変えていくものは、ただ一つ私たちの心であり、人生は自分でつくるものです。これを“立命”といいます。 

今日ある人生は私達の心が招いたもの。誰かがもたらしたものではない。交通事故に2019年9月9日(月)に遭いました。これは居眠り運転の結果です。その前日、日曜日9月8日は眠れない夜でした。眠れない夜は大きな悩み事が私にはありました。悩み事は私自身が作ったものでした。 

心を浄化する集団-盛和塾で何を学ぶか- 

美しき心と心が醸(かも)し出すもの

  1. 中国、四国地区塾長例会懇親会(こんしんかい)の清らかな合唱の響き

盛和塾山陰の総勢三十~四十人ほどの方々が舞台に上がって合唱をして下さりました。塾長の好きな“故郷(ふるさと)”や懐かしい童謡も入っていました。 

“故郷”の三番の歌詞を思い出しました。

“志を果たして、いつの日にか帰らぬ、山は青し故郷、水は清し故郷” 

盛和塾の皆さんが誰でも知っておられる“故郷”は、盛和塾の歌のようです。その選曲の良さ、高音、低音まで分かれたパートがえもいわれぬすばらしいハーモニーを奏(かな)でていました。七~八か月ほどの猛練習を続けられたようです。だからこそ心を洗われるような、感動的な合唱になったのだと思います。 

皆さんが心が浄化された方々なのです。合唱の技術もさることながら、そのハートの純粋さが伝わるからこそ、聴く者が感銘を受けるのです。 

この盛和塾という集団も同じです。盛和塾に集まった皆さんは、生まれも育ちも全く違う人たちです。経営する業種も千差万別です。皆さんともにたいへん忙しい毎日を送っておられます。そういう人達がひととき集まるだけで、どうしてかくも純粋な心に共鳴し合うのでしょうか。 

  1. 純化と感化の連鎖が心を昇華させる

盛和塾では、“心を高める、経営を伸ばす”と学んできました。“人生と経営にとって心を高めることがどのくらい大切か、心が高まるにつれて、必ず人生や経営も良くなってくる。だからそのためにフィロソフィーを学び、実践することが必要なのだ”と塾長は繰り返し繰り返し、塾生に語ってきました。 

少しぐらい勉強して頭だけで理解するのではなく、実践を通じて血肉化して自分の判断基準にしていかなければなりません。 

盛和塾という集団に身を置き、その磁場に接するだけで、すぐに人々の心が純化され、浄化されていくというさまを目の当たりにして、改めて盛和塾という集団のすばらしさを私達は体験しました。 

“類は友を呼ぶ”“朱に交われば赤くなる”、盛和塾に集まられた方々はもともと純粋なものに惹(ひ)かれていた方々です。ですから入塾すると無意識のうちに感化され、さらにその心が清らかな美しいものへと浄化されていくのです。 

七千名にも及ぶ塾生が、それぞれ心を浄化し、素晴しい人間性をつくっていこうと懸命に努めています。そのような人たちが集う盛和塾という集団が醸(かも)し出すものが人々を感化し、その心を浄化し続けてきているのです。 

単に小さな企業を興し、存続させて自己満足するのではなく、もっと立派な企業に成長させて、もっと多くの従業員を幸福にして、社会の発展にさらなる貢献をしていく努力が大切です。