盛和塾 読後感想文 第113号

闘争心を燃やす

仕事は真剣勝負の世界であり、その勝負には常に勝ちという姿勢でのぞまなければなりません。しかし勝利を勝ち取ろうとすればするほど、様々な多くの困難や圧力がかかってきます。私達はこのようなとき、ひるんでしまい、当初抱いていた信念を曲げてしまうような妥協をしがちです。 

このような困難や圧力をはねのけていくエネルギーのもとは、その人のもつ不屈の闘争心です。どんなにつらく苦しくとも、"絶対に負けない、必ずやり遂げて見せる“という激しい闘争心を燃やさなければなりません。 

日本の経済社会の再生と国家のあり方

長引く日本経済の低迷につき、稲盛塾長は提言しています。 

米国をはじめ、中国、ロシア、フランス、韓国など世界のGDP(Gross Domestic Products)の40%を占める主要国の指導者の交代が進んでいます。先行きが読めない要因の一つとなっています。世界経済が混沌とした中で、日本経済社会が今後、どう再生していくことができるのか、政府、国民が直面している課題です。 

呻吟(しんぎん)する日本経済の進むべき道

日本経済に目を転じてみますと、長く続く低迷の中で、円高、東日本大震災、タイの大洪水被害等による打撃を受け、エレクトロニクス分野を中心に、日本の代表する大企業が赤字を計上するなど、日本の産業界は不況の中にあります。 

その中で、円高拡大、貿易収支の改善を通じて、日本経済は短期的には回復基調に向かうものと考えられています。しかし、長期的な観点から見ますと、少子高齢化社会の進行、それに伴う人口減少により、日本経済の規模はこれ以上大きくなることは困難と思われます。このような中で、日本経済はどのような道を取っていくのかを考えなければならなくなっています。 

我々は日本経済社会の再生にあたり、旧来の考え方と方法がもはや通用しないということも理解しています。経済界をはじめ、国民の間に動揺と不安が広がりはじめています。日本が目指すべき、新しい方向を見出さなければならないのです。 

明治政府が打ち出した"富国強兵“が国づくりの規範として殖産興業(しょくさんこうぎょう)と軍備拡張によって近代国家を目指してきました。第二次大戦の敗戦を迎え、今度は"富国”に国策が変更され、日本経済社会は米国につぐ世界第2位の経済になりました。それも諸外国からの圧力のもと、日本政府は内需拡大を図る為、積極的な財政金融政策をとり、バブル経済の原因の一つを生み出してしまいました。1985年のバブル経済の破綻により、日本経済は低迷して今日に至っています。 

現在にいたる二十年は“失われた二十年”と言われるように、長期にわたり、経済は低迷を続けているのです。国債残高がすでにGDPの二倍を超えています。まさに国家として破綻寸前と言っても過言ではありません。 

亡国の事態を回避するために

日本の国債発行残高は2025年には千五百兆円を超えるという予測があります。そして2025年には、国民の金融資産残高と拮抗(きっこう)するようになり、もはや国債を国内で消化することも出来なくなります。 

また、少子高齢化が進み、出生率と死亡率の低下により、世界でも例を見ない速度で高齢化が進行している日本では、65歳以上の高齢者が人口の30%ほどを占めるという予測があります。国民2人でお年寄り一人を養うという社会が到来するのは確実です。 

日本の総人口も既に現象を開始しています。2025年には1億2千万人を割り込んでくることが確実です。 

少子高齢化が進み、社会保障費が拡大する中で、労働人口が減少し、GDPが伸び悩み減少する中で、膨大な財政赤字を背負い、もはや赤字国債の引き受け先もないという事態になれば、日本は国家としての破綻を迎えることになります。 

現在のうちに行政改革を通じて小さな政府づくりに取り組むとともに、早急に財政再建に取り組み、歳出の全面的な見直しや税制の抜本的な改革を通じた歳入の検討に取り組まなければなりません。 

発想の転換-“高付加価値”の追求へ

私たちは今こそ価値観の転換を図らなければなりません。エコノミック・アニマルとさげすまれた日本経済・自国の利益を優先して他国の立場を理解しようとしなかった / 量的拡大をひたすら図ってきた / お金がすべてと考えて来た価値観は捨てて新しい“富国”の道が必要なのです。 

新しい考え方とは量的拡大を追求するのではなく、質的追求、付加価値の高い製品、サービスを提供する、あるいはより細かいお客様の要望する製品、サービスを提供する“高付加価値”の獲得を目指した経済のあり方です。 

たとえば京都の有名な漬物屋で、一日に二樽の漬物樽しか開けない老舗のお店があります。しかしそのお店の前には開店前からお客様が列をつくっておられます。そしてその一日の売る量が尽きてしまいますと、お客様がまだ並んでおられても、その日の商いはおしまいで、“お求めになりたい方はまた明日お越しください”と言われるそうです。 

漬物は、大量に作れば味が変わってしまうのです。その伝統の味、高い品質を維持するために、生産量、販売量を自己規制しているのです。京都にはたくさんのお漬物屋があります。その店のお漬物には独特の味があり、その味を慕う方が多いのです。それ故、生産量、価格も維持し、利益を確保し、伝統の暖簾(のれん)を守り続けているのです。 

高付加価値の“ものづくり”を支える日本人の精神性

“ものづくり”においても、すでに製造現場の多くは、中国、タイ、ベトナム、インドネシアなど、アジア諸国に移っています。いわゆる大量生産型の工場が、豊富で低廉(ていれん)な労働を有する発展途上国に移っています。 

しかし日本には古来、緻密で精密な、まさに芸術品とも見まがうばかりのすばらしい製品を作ってきた“ものづくり”の伝統があります。“日本刀”、“仏壇”、“からくり人形”、これらの製品は日本人の“精神性”“宗教心”が生み出したものと言えます。 

伝統工芸の制作に当っては、匠たちは仕事の前に身を浄(きよ)め、ときには白装束に身を固めます。これはものを作るということは神聖な行為であり、それに対しては自らの身を浄(きよ)め、魂を浄化する必要があると考えてきたからなのです。つくるものに魂を入れなければならないと考えてきたからだと思います。 

日本の製造現場では、一日の始まりは朝礼で始まります。これは、ものづくりの前に作り手の心をつくっているのだと言えます。 

つまりこのように、日本人の精神性を生かし、知恵を集結することによって、もはや日本が関わるべきでないと考えられている分野においても高付加価値のものづくりを実現し、存続を果すことができるどころか、高収益のビジネスとすることができると考えられます。 

農産物のブランド化戦略

高付加価値の商品を作ることが大切なことは、工業製品のみならず、農産物においても同様です。最近では高級農産物の需要が急速に高まっています。 

青森県や長野県で栽培している“ふじ”という銘柄のリンゴは、国際的な標準価格の数倍もの値段がする、高級果物として欧米や東南アジアに相当の量が輸出されているそうです。 

我々日本人は心を込め、丹念に育成に努め、安全で高品質の農作物を作ります。そのように丹精に育まれた日本の農作物を豊かになった各国の人々は、たとえ高額でもいいから買いたいと考えているようです。 

欧米でもフランスの高級ワインは安物のワインとは比べ物にならないくらいの値段がいたします。それは大変な手間をかけて作り上げるとともに、そのブランド化を図ることで、付加価値を高めていった結果なのです。 

日本産の高品質で安全な牛肉、米、果物などの農畜産物を食べてもらうということに国家をあげて戦略的に取り組めば、日本の農業に新たな活路が開かれるのではないでしょうか。また、国内の消費者の方々も、よりよい安全な食品を求めています。高品質の日本の新鮮な農作物が手近に入手できれば、と願っていると思われます。 

日本人の意識を、内向きの意識だけではなく、外向きの開かれた意識にも広げていくことが必要なのです。日本人がもっと海外の動向に関心を持ち、広い視野で事業展開を考えることが必要です。 

新しい経済社会に求められる“燃える闘魂”と“徳”

日本経済社会の再生を図るためには、経済モデルの見直し、いわば方法論の改革のみならず、国民の意識転換、新しい経済社会にふさわしい精神性を日本人が身につけることも必要と思われます。 

その第一は“絶対に負けるものか”という“闘魂”を持つということです。 

日本は1980年代までは順調に経済発展を続けてきましたが、バブル経済崩壊後に長く景気が低迷するうちに、現状維持、新しいことに対する挑戦が少なくなり、現状に満足し、成長発展に関心が少なくなってきたように思います。 

経営者も同様です。中国や韓国の企業経営者と比べれば、多くの経営者が、もはや果てしない目標に挑戦したり、困難に立ち向かったりする勇気を失ってしまったかのように見えます。 

日本の大手メーカーは、世界に誇るすばらしい技術を持っています。そのような企業に闘魂に満ち、バイタリティにあふれたリーダーが存在すれば、巨額の赤字を出すこともなく、すばらしい業績を上げられます。過去の成功体験に寄った、官僚的なリーダーたちが経営する大企業ではなく、現状を何としても再生するという闘志にあふれた経営者が率いる大企業に日本の再生を期待したいと考えます。 

企業の“大同団結”による国際競争力の強化

“燃える闘魂”と共に日本の大企業にはそれぞれの業界において“小異を捨てて大同につく”という精神のもとに、“合従連衡(がっしょうれんこう)”を図ることも求められています。 

現在の熾烈(しれつ)な、グローバルな企業間競争を戦い、勝ち抜いていこうと思えば、それに対抗できるだけの企業規模、経営資源の優位性が不可欠だと思われます。 

事業の統合を積極的に進め、ついには企業同士の合併統合も推進し、グローバル競争に臨み、勝利できるような世界に冠たる日本企業をつくっていく必要があります。その為には、個別の企業がそれぞれの立場を乗り越え、日本の産業を国際的競争力を持つものにしていこうという価値観を持つように産業界の意識も変革していかなければなりません。 

同時に政府の指導も必要です。“大同団結”の動きが、各産業界で燎原(りょうげん)の火のごとく進んでいくような方向性を示唆し、側面支援を行うことも必要です。仕切り役、仲裁役としての政府の役割も必要なのです。 

日本経済を再生する為には、官民一体となり、大胆で思い切った政策をとることが、長期低迷する日本経済社会を再生する為に不可欠なのです。 

日本経済を背負って立つ中小企業

日本企業の99%は中小企業です。労働人口の大半は中小企業に勤めている人達です。そのことを考えますと、中小企業こそが日本経済を背負って立つ存在であるべきです。 

低迷している日本経済の中で、今こそ中小企業が成長発展する、絶好の機会です。足りないのは“闘魂”です。強い“思い”を抱きさえすれば、戦後間もないときと同じように、必ずや頭角を現していけるはずです。そのような中小企業が輩出すれば、日本経済の復活は確実になるはずです。 

“徳”をベースとした国づくり

“燃える闘魂”を持って経済的に強くなっていくとしても、その闘魂とは、優しく、思いやりに満ちた、美しい心を兼ね備えたものでなければなりません。それは人間としての“徳”なのです。“燃える闘魂”で相手を蹴散らし、自分の利益だけを追求していったのでは日本はグローバル社会の中でつまはじきになってしまいます。江戸時代の商人に道徳を説いた石田梅岩が“商いは先も立ち、我も立つものなり”と唱えたように、ビジネスの世界にあっても相手を思いやる心、“利他”の心が必要なのです。長期的な成長発展を望むならば、社会の一環として社会に役立つ企業として社会から受け入れられるようでなければなりません。 

そのような人間としての優しい思いやりに満ちた心、あるいは“愛と誠と調和”という言葉で表される人間としての善き心、いわば“徳”に基づいた活動こそが大切です。 

“情けは人のためならず”、相手に善き事をもたらすのみならず、日本にも長期的な成功をもたらしてくれると思われます。日本人は、すばらしい“徳”を古来育んできた民族です。 

昨年三月十一日に発生した東日本大震災は、東北地方を中心に未曾有の被害をもたらし、日本人の心に深い傷を残しました。その悲惨な状況の中にあって東北の方々が示された、秩序ある行動、また全国からの支援に対して世界中から驚きの声があがりました。日本人に対する尊敬と信頼の念を大いにかきたてました。 

愛する家族を亡くし、家屋や財産のすべてを失った人達が、略奪行為に走ることなく、生前と支援物資を分け合い、また不幸のどん底にありながらも他の人々への思いやり、助け合う姿は、本当に崇高なものでした。 

我々日本人は、人間の“徳”を大切にしてきた民族です。日本とはまさに道徳規模、いわば人間の“徳”を基礎に建国された国なのです。 

日本は“富国有徳”の国家たるべきなのです。国を富ますためには、まずは“燃える闘魂”が必要であり、同時に“徳”も備えていなければ、決して長期的な繁栄をもたらすことはできないのです。