盛和塾 読後感想文 第121号

哲学的なものを身につける人生

戦後、10数年後に生まれた世代の人達は、社会が安定しており、経済も良くなっている時代に生まれ育ちました。頭がよくて優秀であれば大学に入れ、卒業後は会社に入れたと思います。 

こうした年代の人達は苦難に遭遇していませんから、哲学宗教の勉強といっても知識として学んでいる程度のものだと思います。論語を離すことができても、それが身についていないのです。それは苦難に遭遇して、哲学的なものを身につけるチャンスが少なかったからだと考えられます。“確固とした素晴らしい人生観、価値観を持ってこういう生き方をすべきだよ”と部下に説ける人は皆無だと思うのです。 

稲盛塾長は少年時代には病気にかかり、大学受験には失敗し、就職した会社は倒産寸前、そのあげく、上司と衝突するという困難に遭遇したのです。京セラ創業時には、若い従業員との団体交渉の結果、会社の目的までも考えざるを得なくなりました。こうした逆境の中で、哲学的なものを模索して、自分なりに人生観や価値観を構築してきました。そうして、そういう哲学的なもので、従業員に働きかける経営を稲盛塾長はして来ました。 

改めて考えてみますと、手を合わせて拝みたくなるような素晴らしい逆境を与えてくれたのです。人間というのは、苦労に直面すればそこから逃げる人じゃなしに、真正面からそれを受け止めて、成長の糧にしなくちゃいけない。苦難は受け止め方によってマイナスにもなるし、プラスにもなると思うのです。 

なぜ経営に哲学が必お湯なのか-企業を成長発展させる、繁栄させるフィロソフィー - なぜ経営に哲学が必要なのか

  1. 経営はトップの考え方で決まる

“経営者には立派な哲学が求められる”経営者の哲学と会社の業績はパラレルの関係であり、経営を伸ばそうと思うならば、まず経営者自身の心を高めなければならない。哲学とはその人が持つ考え方、人生観と言い換えてもいいかも知れません。“人生はこうあるべきだ”“自分の会社をこうしたい”という考え方や人生観というものを経営者はもっています。経営者の考え方が大切なのは、経営者の持っている考え方によって、経営のすべてが決まってしまうからなのです。経営がうまくいかないのは、経営幹部が悪いのでもなければ、従業員が悪いのでもありません。トップである経営者の考え方が間違っているからなのです。 

ある経営者から、次のように言われました。

“稲盛さん、あなたは会社が大きくなったのに、今でも休む間もなく朝から晩まで働いている。京セラは立派な会社になったのだから、相当余裕もできたのだから、もうそんなに一生懸命働く必要はないのではないか”“もう使いきれないほどのお金がある。もうこれで充分ではないか。何で、そんなにあくせく働かなくてはならないのか”

と思われたようです。 

“いや、私も会社を伸ばしたい”と一方では話をしておられます。“伸びなくてもいいとは思っていません”と言いながら一方では“そんなに働かなくてもいいではないか、もっと楽をしたい、怠けたい”と思っているのです。こうした考え方が会社の業績を左右しているのです。 

経営者が思っていること、考えていることがすべて自分の会社の業績に反映されるわけです。ところが誰もそうだとは思っていないのです。 

  1. フィロソフィーのベースは“人間として何が正しいか”

稲盛塾長は27歳で京セラを創業しました。何の経営の経験もありませんが、日々従業員から判断を求められました。“これはどうしましょうか”と社員が決裁を求めて来ます。経営者としてこれらに対して判断を下していかなければなりません。 

その時、子供の頃に教わったことを判断基準にしたのです。それは“人間として何が正しいのか”ということだったのです。“やっていいこと、やってはいけないこと”という基本的な倫理観です。 

経営の経験のない稲盛塾長は、このようなプリミティブな倫理観をベースとして経営を進めて来たことが、京セラを成長発展に導いたのです。もし、明確な判断基準がなかったら、また、若干でも経営の経験や知識があれば、“もうかるか、もうからないか”“損か得か”を判断基準にしていたかもしれません。一生懸命に働くよりは、うまく妥協したり、根回しをする術を覚えて、少しでも楽をしようとしたに違いありません。 

“人間として正しいことを貫く”ということを経営判断基準としたのですが、では、そのような判断基準に基づいて日々どのように経営や仕事に当って行けばよいのか、その具体的な考え方と方法論を一生懸命考えました。 

企業を成長・発展させるフィロソフィー

  1. 誰にも負けない努力をする

事業を起こした人は、自分の事業を成功に導こうと必死に働きます。そうした心構えのない人は、経営者にはふさわしくありません。“誰にも負けない努力をする”というフィロソフィーは、経営者になるにあたっての前提条件なのです。 

自然界を見てみます。自然界では必死に生きるということが前提になっています。楽をしようと考えるのは人間だけです。自然界には、そういう存在はないのです。自然界にいる動植物は必死に、一生懸命生きています。自然界では努力を怠れば、そもそも生きることはできず、淘汰されてしまう運命にあります。 

夏の暑い日照りの中で、通路のアスファルトの割れ目から雑草が芽を出しています。あまり水分も土もないところで、雑草が芽を出しています。自然界では、そういうたいへん過酷な環境の中でも、種子が舞い落ちれば芽を出し、葉を広げ、炭酸同化作用(光合成)を精一杯行い、そして花を咲かせ、実を結び、短い一生を終えます。 

そのように自然界では生物が過酷な環境の中でひたむきに必死で生きています。いい加減に怠けて生きている動植物はありません。 

どんな厳しい環境が襲ってこようとも、人一倍努力していくことが、経営者としても人間としても最低条件なのです。 

人に“一生懸命働いていますか”と尋ねますと、“はい 働いています”と返答します。しかし、それでは意味がないのです。“誰にも負けない努力をしています”という答えが必要なのです。もっと真面目に、もっと一生懸命に働かなければ、会社でも人生でもうまくいきません。 

一生懸命に、誰にも負けないくらい働くことが経営のノウハウなのです。 

  1. 慎重堅実な経営を行う

いったん成功した事業を安定させるには、慎重堅実な経営を行うことが求められます。

日本の中小企業白書や民間の調査機関のデータによりますと、平均すると、企業してから1年後、40%が倒産し、2年目で15%、3年目で10%が倒産しています。そして創業して10年後に存続しているのは100社のうちたった7社という厳しいデータが示されています。その7社のうち、まともに利益を出しているのは1社のみだと言われています。 

消滅していった企業の多くは、自らの才覚を頼みに、積極果敢に事業を展開したものの、資金繰りなどに困窮し、企業を安定させることができず、あるいは経済変動の波に押しつぶされて、淘汰されていったものです。数は少ないながら、そうした逆境の中を見事に生き延びた企業もあるのです。むしろ経済変動を飛躍台として、業績を伸ばしていった企業です。 

世間では、経営者は大胆不敵で生まれつき剛腕型(ごうわんがた)の人でなければならないと考えられています。しかし、真の経営者は小心者でなければなりません。小心者が場数を踏むことで、自分を鍛え、人間性を高め、真の経営者に成長していくのです。 

京セラは、皆さんの支援のもとで設立されました。従業員、株主、銀行等の協力のもと、経営が始まったのですが、借金を早く返さなければならない、従業員を路頭に迷わせてはならない、絶対につぶれない会社にしなければならないと必死に働いたのでした。その後、会社が順調に成長発展して立派になっていったときも、変わることはありませんでした。東京証券取引所へ上場を果した後でも、会社の将来が心配で心配でたまらなかったそうです。 

  1. 大胆さと細心さを合わせ持つ

真の経営者とはもともとそのような気の小さい、小心者でなければならないのです。マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツは、マイクロソフトをすばらしい企業に成長させた後、まさに隆盛(りゅうせい)を極めている時に、彼の手帳には“マイクロソフトは大変なことになりそうだ。このままでは近いうちに潰れるかもしれない”ということが書かれてあったそうです。それも一度や二度ではありません。 

圧倒的な市場シェアをもとに世界の並みいる企業の中で、最大の時価発行総額を誇り、莫大な内部留保を有し、非の打ちどころがないように見えたマイクロソフトでさえ、ビル・ゲイツは常に不安に駆られていたのです。ビル・ゲイツは病的なくらいまでの怖がりであったそうです。心配性といいますか、小心者といいますか、そのような性格であるからこそ、大胆な経営の舵取りができたと言われています。小心者でなければ、真の勇者にはなれないと本に書いてありました。 

京セラは創業してから黒字で、今日まで黒字を続けています。その間、経済環境は決して順風であったわけではありません。ニクソンショックによる円の変動相場制への移行、オイルショックによる急激な受注激減、プラザ合意による円高移行、半導体分野における日米の貿易摩擦、バブル崩壊の長い景気低迷、リーマンショック、様々な経済変動の波をまともに受けてきました。このような経済変動の波の中で、多くの企業が赤字に陥り、衰退し淘汰されてきました。 

しかし京セラは、そういう度重なる経済変動という試練に遭遇しても、赤字になったことが一度もないどころか、利益率が二桁を切ったことがほとんどありません。 

経営者は小心者であるべきだと言っても、いつもそういう態度でありさえすればよいというものではありません。重要な経営判断を迫られた時、昇進さや臆病さだけが前面に出ては、会社の命運を握る経営者としての役割を果たすことはできず、ダイナミックな経営の舵取りもできません。ときには大胆な決断もしなければならないのです。 

常に大胆であってもいけません。いつも細心であってもいけません。“大胆さ”と“細心さ”を綾織のように織りなしていく、その両極端を兼ね備えていなければならないのです。布でいうと縦糸と横糸のように織りなしている状況だと思います。縦糸も横糸も絶対に必要なのです。 

大胆であるべきところでは大胆であり、細心でなければならないときには細心でなければならないのです。そのように両極端を合わせ持ち、正常に機能させることでこそ、経営者は事業を安定した成長発展へと導くことができるのです。 

  1. 常に変革と創造を行う

慎重堅実な経営によって会社を安定させるだけにとどまらず、異分野事業への進出も含めて“新しいことに挑戦する”“常に創造的な仕事をする”というフィロソフィーも経営者には求められます。 

企業の安定は往々にしてチャレンジ精神を喪失させてしまう原因になりかねません。現状に甘んずるということは、既に退歩が始まっていることを意味します。 

経営者が変化を恐れ、挑戦する気構えを失ってしまっては、その集団は衰退の道を歩み始めることになります。経営者が現状に満足するのではなく、常に変革と創造を行うことができるかどうかが、集団の運命を左右するのです。 

アメリカの代表的な企業、GEの元会長のジャック・ウェルチさんは、30万人もの従業員を誇る大企業の中興の祖ともいうべき方です。1981年に44歳でGEのトップに就任したとき、最初に行ったのは当時GEに蔓延していた保守的な風土との戦いでした。 

GEはエジソンの流れをくむ、創立100年以上にも及ぶ伝統ある会社ですが、歴史を重ねる間に変革を恐れるような風潮が社内に満ち、新しいことにチャレンジしようとする風土がすでに失われていたのです。ウェルチさんはそのようなGEの姿に強い危機感を抱き、積極的に新事業への進出や、制度改革に取り組まれました。 

2001年に来日された機の昼食会で、ウェルチさんは“私は企業維持存続を考えたことは一度もありません。常に変革を志(こころざ)してきました。今日のGEは昨日のGEとは全く違うのです”と言い、企業の永続的な繁栄は変革の中からこそ生まれると話しておられました。 

変革、つまり常に創造的な活動を繰り返すことによってのみ、企業は成長発展し続けていきます。逆に現状を維持しようとしたり、前例に固執するだけでは、官僚主義や形式主義に陥り、企業は衰退していくことになります。 

  1. 能力は未来進行形でとらえる

新しいことにチャレンジし、それを実現していくためには、“人間の無限の可能性を信じる”というフィロソフィーが必要です。自分の持つ能力を現時点でとらえるのではなく、今から磨き上げることによってそれは限りなく進歩するものであると信じるのです。現在の自分の能力をもって“できる”“できない”を判断していては新しことは何一つできません。たとえ今はとてもできないと思われるような高い目標であっても、未来の一点で達成すると決めてしまい、それを実現する為に現在の自分の能力を高める努力を日々続けていく。つまり“能力を未来進行形でとらえる”ことが大切です。 

米国のジャーナリストでピューリッツア賞を受賞したデイビッド・ハルバースタムはその著書“ネクストセンチュリー”の中で、稲盛塾長との面談をもとに一章を割いて、稲盛塾長が述べた“次にやりたいことは、私たちには決してできないと人から言われたものだ”を引用しています。 

京セラ創業時は“U字ケルシマ”というテレビのブラウン管に使われる絶縁部品ただ一点のみでした。単品生産のままでは経営は不安定であるため、新製品開発や事業の多角化が求められました。その当時、京セラに技術があったわけではありません。市場をかけずり回り、お客様のニーズをお聞きしながら、ひたすら受注に努めていくしかなかったのです。 

生まれたばかりの小さな会社に注文を出してくれるようなお客様はなかなかありません。引き合いを頂けるのは、どこの会社に頼んでも“できない”と断られたような技術的に難しいもの、あるいは採算が合わないものばかりでした。そういうものでも、“われわれならできます”と言って受注し、設備も技術も人材もない、“ないないづくし”の状態から全員で苦心惨憺(さんたん)して製品をつくりあげ、成長していったのでした。 

このように挑戦の日々を続けることで、京セラはこの分野のパイオニアとしてファインセラミックスを工業用材料として確立させることができました。現行では何兆円という産業へと成長させることができたのです。またファインセラミックス技術を核に多角化をはかり、今では素材から部品、機器、サービスに至る広範な事業展開をしています。 

  1. 楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する

誰しもが不可能と思えるような、新しいことへの挑戦を単なる無謀なチャレンジ-失敗するプロジェクトにしないためには、その進め方に工夫が必要なのです。 

お客様のニーズに応じて、新製品開発や新市場開拓など、新しいテーマを常に考えていました。ある程度まとまると、すぐに会社幹部を集めてはみんなの意見を求めました。この時、“お客様のニーズ”ということが大事です。お客様が必要としているものを考えているわけです。 

目を輝かせてうなずいてくれる人、冷ややかに聞いている人もいます。一生懸命全員がうなずいてくれるまで、さらに熱を込めて話します。ところが、インテリで教育レベルの高い人が、稲盛塾長の構想がいかに無謀であるかと言い出すのです。まだまだ細部に至るまで詳しく調査をしているわけではないので、反論もできず、その場の雰囲気も冷めてしまい、あきらめざるを得ないこともあります。 

優秀な人はなまじ豊富な知識があるばかりでなく、新しいテーマであっても、現在の常識の範囲内で判断してしまい、常に否定的なことばかり考えてしまうものなのです。そこで、新しい構想を話す時は、新しいことに情熱を持ってくれるような腰の軽いタイプの人間を集めて話をするのです。そうしますと、“それは面白い、やりましょう”と言ってくれます。こうしますと、構想はさらに夢溢れるものへと広がっていくのです。 

第二電電における携帯電話事業への進出がまさに上記の通りでした。 

このままICが小型化していけば、大きな送受信機もやがて小さなICとなり、受話器に内蔵されるようになる。そうすれば普及が進み、“何年か先には携帯電話の時代が来る。この分野に参入すべきだ”と主張したのでした。 

ところが、京セラの役員全員が反対したのですが、一人だけ“会長、私は賛成です”と言った者がいました。そこでこの携帯電話事業は、たった2人で始まったのでした。 

新しいことにチャレンジし、それを成就させるためには、そのようにまず楽観的に考えるということが大切です。新しいことを成し遂げていくには、様々な困難んが予想されます。それだけに構想段階では夢と希望を抱き、“やれる”と信じることができなければ、挑戦する気もなくなります。超楽観的にとらえることが大切になります。 

ただ、楽観的に進めていけば必ず失敗します。この段階では、例の冷徹で優秀な人の助けがいるのです。彼等は“技術がない”“設備もありません”と次から次へとネガティブなことを並べます。これらすべてのマイナス要因を列挙させ、ひとつずつ、その解決方法を考えたのです。問題点を全て列挙させ、ひとつひとつ解決方法を考えました。また、シュミレーションを繰り返しました。具体的に計画を完全なものにした上で、実行段階では楽観的な人達に選手交代させ、計画を推進させたのです。 

この時どんな問題が起きても、必ず克服できるはずだと信じ、情熱を傾け、一進に計画を推進してくれる。楽観人の集団が必要なのです。 

構想を練る時は能力を未来進行形でとらえ、あくまで楽観的に、計画を練る時には徹底して悲観的に、そして実行するときは、また楽観的に取り組み、必ず達成させる。このようなプロセスが必要であり、経営者はこのプロセスを統括するのです。 

反映を持続させるフィロソフィー

  1. 謙虚にして驕らず。更に努力を

経営者に求められるフィロソフィーを実践するならば、必ずや立派な企業をつくりあげることができます。そして作り上げられた立派な企業を、どうやって維持していくのかが次の課題です。それには何よりも、経営者が“謙虚にして驕らず”というフィロソフィーを身につけていく必要があるのです。 

立派な企業になりますと、周囲からちやほやされるようになります。そして知らず知らずのうちに傲慢になっていくものです。決して自分では気がつきません。だからこそ、“謙虚にして驕らず”ということを自分に言い聞かせ、絶対にそうなってはならないと強く心していかなければならないのです。 

京セラでは、京セラが急成長企業、高収益企業として社会から高い評価を受けている、その時、稲盛塾長はその経営スローガンに“謙虚にして驕らず”と社員が傲慢になることを戒めたあとに、“さらに努力を”という一節を続けました。“謙虚”である上に、さらに果てしない“努力”を重ねていくことが大切なのです。 

人間というのは、うまくいけばいくほど、どうしても傲慢になって失敗していくのです。同時に慢心し、“このくらいはいいだろう”と気持ちが緩み、安楽さを求めるようになっていきます。それが落とし穴になるのです。 

京セラでは“謙虚にして驕らず、更に努力を”と口うるさいほど社員に言い続けてきました。日本航空再建後にも、同じことを日本航空の社員に伝えてきました。 

会社を高収益のまま維持していこうと思えば、その高度まで登って来た時と同じだけの努力を今後とも続けていかなければなりません。 

立派な企業であり続けるためには、創業時の頃に払ったのとおなじくらいの努力を今後とも続けていかなければならないのです。それは、“誰にも負けない努力をする”という経営者としての原点に、常に立ち返るということを意味しています。 

現在は過去の努力の結果であって、未来はこれからの努力の結果によって決まるのです。現在の経営状況がいいということは、これまで企業に集う仲間たちが努力をしてきた結果であり、決して未来を保証するものではありません。企業の未来はひとえにこれからどういう努力を払うかにかかっています。 

  1. 心を高める

先述のように、経営者は“謙虚にして驕らず、更に努力を”又、“誰にも負けない努力をする”等、基本的なフィロソフィーが必要ですが、それは、一回読んで知識として知っているだけでは不十分なのです。“心を高める”努力を怠らないことが重要です。高邁(こうまい)な哲学や人間のあるべき姿などは、一度学べば十分と思い、繰り返し学ぼうとはしないものです。スポーツ選手が毎日の鍛錬を怠ってはその肉体を維持できないように、心や人格も常に高めようと努力し続けなければ、すぐに元に戻ってしまうのです。 

誰もフィロソフィーを完全に実践できないと思います。しかし完璧に実践することができなくても、日々フィロソフィーを実践しようと努力することが大切だと思われます。フィロソフィーを体得できるかどうかではなく、そのようにありたいと願い、折に触れて反省し、何とか体得しようと努力し続けることこそが大切なのです。 

常に反省のある日々を送らなければなりません。日々反省をしつつ、フィロソフィーを実践しようと懸命に努め続ける、その努力を通じて少しでも自分の魂を磨き、心を高めていく。経営者が自分自身の心を高め、純粋で美しい心になることで、従業員も“この人のためならば協力しよう”“尽していこう”と思ってくれ、共に社業の発展に尽くしてくれるようになります。 

このことは海外に事業を展開する場合でも、現地の人々の心を束ねていく際に特に重要なことだと思います。歴史、文化、言語、人種の異なる異境の地において、従業員の心をつかみ、企業を燃える集団へと変えていくには、経営者自身に人々を引き付ける人間的魅力、人格がなければならないのです。 

企業経営には、営業や物流の体制、管理会計や経理システムの構築など具体的な経営の手法、手段の整備ということも不可欠なのです。しかし、それを実行してくれるのは従業員なのです。従業員の協力がなければできません。 

経営者ですから、命令したり、権力によって従業員を従わせることはできます。しかし、真に心服した上で仕事をしてくれなければ、結局はすべての努力は水泡に帰してしまいます。逆に、従業員が経営者を信頼し、尊敬し、自分の会社のために尽そうと思ってくれれば、指示を与えなくても、自主的に行動を起こしてくれるようになります。 

フィロソフィーの実践を通じて経営者が心を高め、従業員から尊敬されるような人格を備えることが求められるのです。“社長がそういう立派な考え方をしているから我々従業員は共鳴もするし、尊敬もする。だから社長と一緒に会社発展に会社発展に尽していこう”と従業員が考えるようにしていかなければなりません。