盛和塾 読後感想文 第124号

従業員を幸せにしていくために

経営者は従業員の生活を守っていくために会社を守り、かつ成長発展させていきます。これこそが経営の目的です。経営者というのは、従業員を幸せにしていくためだけに会社を守り、伸ばしていくという使命を持っているのです。 

従業員の幸せとは、経済的な安定と、わずかでも、毎年増やしていくこと、楽しいやりがいのある職場を作り、発展させることです。 

それ以外はありません。 

企業統治の要諦-従業員をモチベートする

過去数年の間に、中国で経営哲学報告会にて、稲盛塾長は

  1. なぜ経営に哲学が必要なのか
  2. 経営十二ヶ条
  3. アメーバ経営
  4. 京セラ会計学
  5. リーダーの資質 

につき講演をされてきました。その中で、経営における哲学の重要性、経営の原理原則、経営管理の考え方と仕組み、さらにリーダーの果たすべき役割について講演されました。 

今回は、経営者はいかに従業員をモチベートするのかという、企業統治の要諦を講演されました。 

従業員をモチベートすること。それは小さな企業を安定させ、成長発展させていくための第一歩であると同時に、大きくなった企業を継続し、さらに成長させていくために不可欠な要素であり、経営における永遠の命題であります。 

中国の国家工商行政管理総局の発表によれば、中国企業の半数以上が、創業してから五年以内に消滅しており、民間企業に限れば、その平均寿命は3.7年という極めて短命であるそうです。このように企業を永続的に発展させることは、決して容易なことではありません。 

ここに集まられておられる経営者の方々が共通して悩まれているのは“従業員をモチベートし、企業を燃える集団とし、成長発展させ続ける”ことであろうと思われます。 

従業員をパートナーにする

従業員との関係は、基本的には“月々にいくらの給与を払います”と雇用条件を提示し、従業員はその条件で自らの労働力を提供することに同意します、という、それは雇用契約に基づく労使関係です。従って、従業員は、共同で経営に参画する仲間ではありません。 

経営者1人でいくら努力をしてみても、自ずから限界があります。特に零細企業では、他に頼るべき人がいないわけですから、わずかな従業員に頼らざるを得ません。従業員に“共同経営者”になってもらわなければなりません。自分と同じ気持ちになって、仕事に当り、事業を支えてくれる、まさに自分と一心同体になって仕事をしてくれる共同経営とすることが、どうしても必要なのです。 

“私はあなたを頼りにしています”と真正面から従業員に言い、そう接することが社内の人間関係を構築する第一歩なのです。“皆さん、私と一緒になって会社を発展させていこうではありませんか。そのために全面的に協力してくれませんか。私は皆さんと兄弟あるいは親子のような気持ちでともに仕事をしていこうと考えております。単なるサラリーマンを超えてそういう思いでともに仕事をしていきましょう。”と面と向かって言わなければなりません。 

経営者は様々な機会を通じて胸襟(きょうきん)を開いて、会社をこうしたいという自分の考えを従業員の皆さんと話していくのです。毎日の朝礼、一日の仕事の終わりの夕食会、昼食会、会社の運動会、社内旅行、従業員誕生会、毎月の月例業務報告会での討議・検討等、様々な機会があります。 

社長が真摯に話をしていく中で、耳を傾けてくれる従業員が少しずつ増えていきます。“この社長にならついていこう。会社の待遇は決してよくはないけれども、この人となら生涯(しょうがい)をともに歩んでもよいのではないか”という気持ちが芽生えてくるくらい、強固な人間関係を企業内に作っていくのです。 

“決して待遇はよくない。そのくせ仕事は非常に厳しいし、叱責されることもあるけれども、社長の期待を強く感じて、条件だけでいえばもっと良い会社があるけれども、そこへ行くよりは、零細企業であっても、この会社で頑張りたい”と従業員が思ってくれなければなりません。“社長がそういってくれるのなら、そうしたいと思うのなら、私も全力をあげて手伝いましょう”と心と心で結ばれた関係をつくることが、会社が発展していく時、まずは必要になるのです。 

従業員に給料も払っていますし、ボーナスも払っていますが、そのような利害関係(経済的な幸せ)を超えて、経営者である社長についていこうと思ってくれる職場(やりがいのある職場)作りができれば、会社というものは必ず立派になっていきます。 

心と心が通じ合った関係、一体感を持った会社、そういう組織をつくっていく。これが企業統治の第一歩です。 

従業員を自分に惚れ込ませる

しかし、そのように努力をしても、信頼していた従業員が会社を辞めていくことがよくあります。“この人こそは”と思っていた人が、一定の仕事を任せていた人間が、いとも簡単に辞めていってしまう。目をかけていた人が、会社を見限って去っていく。これほど寂しく、やるせない思いはありません。だからといって、上記の努力、従業員をパートナーとする、経営統治の要諦をあきらめてはなりません。個々のケースによって、辞めていく理由は異なりますが、これらの事実に真正面に向き合って、更に“従業員にパートナーとなってもらえる”努力を続けるのです。 

第二電電、新生KDDIとして五周年を迎えた頃のことです。京セラや第二電電で経営幹部として定年を迎えた四~五人の人達が、稲盛夫妻を招待する夕食会がありました。 

“名もない、京都の零細企業であった京セラにみんな入社してくれた。当時、大学を卒業して零細企業の入社したということは、よっぽど他にいくところがなかったのではないか。そんな出来損ないの連中が集まって、懸命に頑張り、今日の京セラになった。”と話したところ、彼らは次のように言っていました。

“京都セラミックスなどという会社なんて聞いたことがない。その会社は大丈夫なのか。もう少しマシな会社に行った方がよいのではないか”と友達や家族から言われました。“確かに将来に不安はあったけれど、稲盛さんにお目にかかり、この人だったらついて行こうと思い、ただその一心でがんばってきました”と言うのです。 

“私は六十五歳になりました。家内も子供達も悠々自適で幸せに暮らせております。あなたに会えたことが、こんにちを作ったのです”みんな本当に京セラで過ごした人生を喜んでくれていました。

“それも、若い頃から夜もろくに寝ないで、休日も満足にとらず、ただ稲盛さんを信じて、一緒に懸命に働いてきたことが、こんにちのすばらしい人生をつくってくれたのです” 

このように社長に惚れ込んで、どこまでもついてきてくれる人たちを作り、そのようなすばらしい人間関係をベースとして会社を発展させ、彼等を幸せにしていかなければならないのです。 

社長に惚れ込んでもらうようにするには、どうしたらよいかということです。惚れてもらうのは簡単なことです。己を空しくして、自己犠牲を払って、従業員のことを最優先して考えることです。己を愛していたのでは、誰も惚れ込んでくれません。“従業員に惚れてもらう”とは従業員が社長と一心同体となり、共同経営者になってもらうことなのです。その為にも、社長自身に自己犠牲の姿勢が必要なのです。 

社長は従業員の誰よりも努力をする。仕事に対するりっぱな姿勢が必要ですし、仕事が終わった後、従業員を労ってあげる。相手を思いやる姿勢でもあります。自己犠牲をもって従業員の心を動かすことが、まずは前提です。 

仕事の意義を説く

従業員の心情に訴えるだけではなく、いわば理性をもってしても従業員のモチベーションを高めることが重要です。それは“仕事の意義”を説くことです。中小企業、零細企業の従業員にとって、大いにモチベーションを高めるのに役立ちます。 

京セラでは、ファインセラミックスの製造工場は、高度なハイテク企業のイメージとは全く異なるものでした。間借りの古い木造社屋が工場です。作業は原料として使われる金属酸化物、細かい微粒子からスタートする。原料工程、成形工程、研削工程などでは粉末が現場に飛散することになります。焼成工程では、千数百度という高温で焼き上げます。高温ですから過酷な労働現場になります。つまり、ファインセラミックスといっても大変地味でつらい仕事なのです。従業員を雇い入れ、仕事に従事してもらうと粉まみれ、汗まみれになってしまいます。彼等は高度な技術を要し、意義ある仕事だとは思っていません。 

従業員の仕事への意欲を何としても高めなければなりません。モチベーションを高く維持しなければならないのです。その為には、仕事の意義を説くことが大切でした。仕事が終わった夜に、いつも彼等を集め、話をしていました。 

“皆さんは日がな一日、粉をこねたり、形を作ったり、焼いたり、削ったり、単調で、つまらない仕事だと思っているかもしれませんが、決してそうではありません。”“皆さんにやってもらっている研究は、学術的に意義のあるものです。東大や京大の教授でも、無機化学の先生方は誰も、この酸化物の焼結(しょうけつ)という実用研究に手を出していません。我々はまさに最先端の研究をしており、たいへん意義のある仕事なのです。” 

“また、今取り組んでいるテーマは世界中でも1~2社しか取り組んでいません。まさに最先端の研究開発なのです。この研究が成功すれば、人々の暮らしに大いに貢献することになる。それが皆さんの日頃の働きによって決まるのです。ぜひ、よろしく頼みます。” 

当時は1950年代、たいへんな不況でもありました。就職もなかなか難しいときに、高校を卒業して、何とか会社に入ったものの、ただ毎日のサラリーが手に入ればいいという人達がほとんどでした。 

しかし、自分の仕事に意義を見出せば、気持ちが高ぶり、持てる力を最大限に出してくれるはずです。毎晩、従業員を集めては、仕事の意義を説いていったのでした。 

ビジョンを掲げる

従業員の皆さんに、この我々の仕事はどこに向って進んでいくのか、どういう夢を持って頑張るのか、ビジョンが必要なのです。 

京セラが中小零細企業であったときから、“私たちの作っている特殊セラミックスは世界中のエレクトロニックス産業が発展するためにどうしても必要になる。それを世界中に供給していこう。” 

“町工場で始まったけれども、町内で一番、中京区一になろう、京都一になろう、日本一になろう、世界一になろう”と稲盛塾長は従業員の皆さんに説いていったのです。 

その結果、京セラはファインセラミックスの分野では、先行する巨大企業を凌駕(りょうが)し、世界一の企業に成長するとともに、多くの事業を展開し、売上が一兆円を超えるまでに成長していきました。 

企業に集う人々が、共通の夢、願望を持っているかどうかで、その企業の成長が違ってきます。すばらしい“ビジョン”を共有し、“こうありたい”と会社に集う従業員が強く思えば、そこに強い意志力が働き、夢の実現に向けて、どんな障害をも乗り越えようという、強力なパワーが組織に生まれてくるのです。 

ミッションを確立する

モチベーションをゆるぎないものにするのがビジョンであり、ミッション(使命)なのです。会社の使命を明らかにし、それを従業員と共有するということです。 

京セラの使命について理解する契機となったのは、創業二年目に入社した十名の若い従業員の反乱事件でした。創業三年目の1996年4月29日、天皇誕生日の祝日でした。稲盛塾長に団体交渉しにやってきたのです。“ボーナスはいくらほしい。昇給率は毎年これだけほしい。約束してくれないなら、全員会社を辞める。” 

“そんなことを約束することは出来ない”会社の置かれている状況を説明したのですが、納得してくれず、交渉は三日三晩続いたのです。“将来のことまで約束することはできないけれども、必ず皆さんが喜んでくれるようにするつもりだから、私を信用してくれないか”と答えたのでした。 

京セラを創業するにあたり、その創業の目的を“稲盛和夫の技術を世に問う”ためと位置づけていたのでした。稲盛家には、まだ若い弟や妹がおりましたから、稲盛塾長は田舎に毎月仕送りをしていました。なのに他人である従業員の生活にも責任をとるようになることに、困惑しました。親兄弟の面倒すら、満足に見ることができないのに、赤の他人から“自分達の生活を保証してくれ”と言われたのです。 

よくよく考えた末に、従業員の生活を守ることが会社の目的であると思い至り、“全従業員の物心両面の幸福を追求する”という京セラの経営理念が生まれたのでした。自分の技術者としての理想を捨てて、全従業員の物心両面の幸福を追求することを経営の目的にしようと決意しました。しかし、公的な役割も考え“人類、社会の進歩発展に貢献すること”という一項が追加されました。 

会社の目的が、稲盛和夫の私利私欲に帰結するような企業では、従業員がモチベーションを高めることはないと思います。ミッション(使命)が“全従業員の物心両面の幸せを追求すると同時に、人類社会の進歩発展に貢献する”という大義名分が備わっているものとなったのです。“人の行うべき重大な道義”すなわち大義名分(ミッション)がはっきりしていれば、人を動かす大きな力となるのです。 

ここに集う従業員を幸福にしていきたいという企業目的には、私利私欲を超えて企業に集うみんなが心から共感し、共有することを可能にするのです。また、こうした大義名分は、経営者にも大きな力を与えてくれます。私利私欲がありませんし、全従業員のためという大義名分がありますから、経営者は何一つ、一切の躊躇(ちゅうちょ)なく経営に取り組むことができるのです。 

第二電電の大義名分

通信事業が自由化された時、京セラは、通信料金の高さが情報化社会の発展の妨げになると、通信事業の経営経験なし、資金も無しあるいは制限されていて、技術も無し、技術者も無し、経営経験者も無し、無い無いづくしでしたが、何としても通信料金の削減をし、高止まりを防ぎ、日本の情報化社会に貢献したいという大義名分がありました。 

国鉄を中心とした日本テレコム、トヨタ自動車を中心にした日本高速通信との三社の烈しい戦いが始まりました。日本テレコムも日本高速通信も、すでに通信事業のインフラを持っており、多額の資金力もあり、技術者もあり、経営・営業の経験もありました。京セラの第二電電は一番不利な状態でのスタートでした。第二電電は通信料金を安くして、国民にその恩恵が及ぶことを大義名分としてスタートしたのです。 

国鉄は日本テレコムを売却してしまいました。トヨタグループの日本高速通信は現在はKDDIに吸収されています。 

すべての条件がそろった会社がうまくいかず、大義名分だけはあった、しかし資金も技術も何もなかった第二電電だけが成功しているのです。 

あらゆる事業で大義名分を掲げる

京セラには“全従業員の物心両面の幸福を追求する”という経営理念、大義名分があります。それと同じように、各事業にも、幹部が責任を持って、大義名分を立てるべきだと考えられています。各事業の部下も“このすばらしい目的を実現するために、粉骨砕身事業の発展に貢献します”とモチベーションを高め、尽力してくれるに違いありません。 

アメーバ経営に基づき、“一時間当り採算表”を見ながら、“今月は時間当りがよくないではないか、一体何をやっているのだ”と厳しい指導が行われるのですが、しかし、ただ時間当りが悪いからと追求するのではなく、“大義名分のあるこの事業に投資をし、社会のために貢献しようとしているのに、こんな実績では事業を発展させることはできず、社会への貢献もできない。早く赤字の原因を徹底研究し、早急に採算が良くなるように、つまり事業の目的を実現できるように頑張ろう。”と部下に説いていくことが不可欠です。 

厳しく“一時間当り採算”を見るのは利益追求が目的ではないのです。“この事業の大義名分を貫くために、利益が必要であり、事業も成長発展させなければならない。”と言うことが可能になり、従業員のモチベーションを高めることになるのです。 

京セラのように事業が成長発展しますと、事業も多角化してきます。多角化した事業が今後も硬直化し、マンネリ化しないで成長発展し続けていくためには、それぞれの事業が生き生きとしたものでなければなりません。それぞれの事業ごとに大義名分を掲げることが必要なのです。 

成長した企業を今後も永続的に発展させていくためには、経営者自身の“私的な目的”ではなく、誰もが共鳴してくれる事業の目的、意義を掲げ、従業員そして経営者自身を鼓舞していくことが必要です。企業が永続的に発展する為には、社会からも受け入れられ、社会の役に立つようでなければなりません。 

事業の目的が私的なものではなく、公のためとなると、心の底から張り切ることができます。それは大義名分がそのパワーを与えてくれるからです、相手のため、周囲のためということになれば、それは人間の心の奥底にある、美しい心が出てきて、自然と力が湧いてくるのです。そうした美しい心は宇宙を流れる、生きとし生けるもの全てを成長発展させようとする流れと同調し、結果も必ずうまくいくのです。 

フィロソフィーを共有する

美しい心を発揮させることは、決して難しいことではないのです。人間誰もが持っているものであり、子供のころ親や学校の先生から教わった倫理観です。嘘をついてはいけない、人を騙してはいけない、いばってはいけない、人の悪口を言ってはいけない、正直でなければならない、友達とは仲良くすること、人のために役立つ人になること、親兄弟みんな仲良く暮らす、村や町の青年会に参加しなさい、等です。 

しかし経営の中で、経営者はいろいろな経営判断を要求されます。その都度その都度、こうした基本的な“人間として正しことをする”というフィロソフィーを実践していくことが要求されるのです。経営判断に間違いをしない様に、正しい判断ができる様に、経営者自身がフィロソフィーを学び、それを通じて心を高めていく。そして自分自身を高めるだけではなく、フィロソフィーを従業員に語り、社内で共有することにも努めていかなければなりません。 

高邁な企業の目的を追求していくために、経営者はこういう考え方で経営していくつもりだということを、企業内で話し、共有していかなければならないのです。 

従業員と心と心で通じ合い共有、さらに社内でビジョンミッションを確立し、次に取り組むべきは経営者が持っているフィロソフィー、哲学を語り、それを社員と共有するということです。 

経営者が普遍的なフィロソフィーを語るためには、経営者自身が心を高める努力を怠ってはなりません。創業という山を乗り越えた経営者がその企業を守り、さらに成長させていくためには、経営者自身が高邁な哲学を身につけることが不可欠なのです。 

1400年前、中国の唐の太宗と臣下が述べています。“創業は易(やす)し、守成は難(かた)し。” 

太宗は“貞観政要”の中で“君たるの道は必ず須(すべから)く先(ま)ず百姓(ひゃくせい)を存すべし”と述べています。“国民を納める立場にある国家指導者は、まずは国民大衆を慈(いつく)しむ心を持ち、大切にしなければならない”。太宗は大義名分として“国民の幸福”を置いていたのです。 

更にどんな高邁な考え方、哲学を説こうと、経営者本人が、まるで実践をする意志がなく、それとは正反対の言動をしていたならば、従業員は誰も経営者の言動をまともに受け取らず、本気で実践しようとは思わないはずです。 

人はえてして、高邁な哲学や人間のあるべき姿など一度学べば十分だと思い、繰り返し学ぼうとしないのです。スポーツ選手が毎日の鍛錬を怠っては、その肉体を維持できないように、心や人格も常に高めようと努力し続けなければ、すぐに元に戻ってしまいます。 

逆に経営者本人が自らに厳しく規範を課し、率先垂範してフィロソフィーの実践に努め、日々反省を示すならば、それを見た従業員も自らフィロソフィーの実践に向うはずです。“社長がそういう立派な考え方をしているから、我々従業員も共鳴もするし、尊敬もする。だから社長と一緒に会社発展に尽くしていこう”と従業員が考えるように持って行かなければなりません。 

おわりに

企業統治の要諦は、 

  1. 従業員をして、経営者である社長に惚れさせること
  2. ビジョンを掲げ
  3. ミッションを確立すること
  4. フィロソフィーを説き続け、
  5. 経営者自身の心を高めていく、実践していくこと 

につきます。企業経営とはまずはこれらのことを徹底して行い、従業員に共鳴し、賛同してもらい、そのモチベーションを高めていくことがすべてなのです。