盛和塾 読後感想文 第126号

魂を込めて語りかける

人に自分の思いを伝えたいと思えば、真剣に魂を込めて一生懸命に話をすることです。巧みな話術でとうとうと、うわべだけの話をしても“思い”は伝わらないのです。 

それよりは、トツトツとした語り口でもいいから、魂からほとばしり出た言葉で話すことが大切です。伝える思いはできるだけ具体的で、解かり易く語ることが重要です。自分の考えた言葉で、相手が理解してくれるように伝えるのです。 

後でぐったり疲れてしまうぐらい、全身全霊を傾け、訴え続けるのです。一回の会議では理解してもらうのは難しいかもしれません。機会をとらえて、魂で伝えていくのです。そうすると、言葉と共にその言葉を超えた強烈な“思い”が相手に届き、その心を動かしていくはずです。 

“何としてでもやり遂げたい”という自らの強烈な思いと同じくらいまで周囲の志気を高めることができれば、仕事は必ずうまくいくはずです。 

リーダーが持つべき“考え方”と“熱意” 

はじめに

立派な会社を維持していこうと思えば、若い皆さんがどんどん伸び、立派なリーダーに育っていくということ以外にありません。良い会社というのは立派なリーダーがあり、優秀な人材が他社に比べてたくさんいることです。 

教育の一番の目的は、社長はじめ経営陣の代わりになってくれる人を社内から育てるということです。 

トップに立つ社長が非常に優秀な人物であり、組織を率いる各々のリーダーがすばらしいリーダーに育ってくれるということしか、今後も会社が立派であり続けられる理由はないわけです。 

組織はリーダーの器で決まる

職場の中で頭も非常に優秀であり、人間性も決して悪くない人がいます。そうした人に大きな仕事を任せてみると、思いもよらぬ失敗が次から次へと起こってくることがあります。 

昇給をして偉くなってくると、デシジョン(決定)をする金額が非常に大きくなります。例えば製造部門でうっかりミスをすると、一発で何百万円の損害が起こるということがあります。京セラの役員クラスになってくると、決める案件が大きいですから、取り返しがつかないくらい大きな何億円という損害が一発で出るのです。 

飛行機の機体の例をとってみます。飛行機の期待にクラック(ひび割れ)が入っています。つまり、欠陥があって完璧でないという場合です。飛行機が地上で滑走路にいる時はたいした問題ではないのですが、飛行機が飛び立った時にクラックが大きくなり、大惨事に至ることになります。地上滑走路の時には、さほどのダメージはありません。多少の欠点があっても全然問題にしなくても構いません。欠点をあげつらう必要はないのです。 

ここに集まった人達は、一つの職場のリーダーとして頭角を現しており、長所があるから昇格されたわけです。しかし、同時にみな欠点も持っています。人間は誰しも色々な欠点があるのですから、本当はそれらをあげつらうのではなく、長所を伸ばしてあげる方がいいのです。それはミドル・クラス(中級幹部)までのことです。その場合は、まだ上の方に補正する人間がいて、欠陥が大きくならないように歯止めをすることができるからです。 

社長になると、すべてをデシジョンしなければならなくなります。 

京セラでは、若い社員の中で、技術的な能力から、熱意を持ち、人間的な資質、事業者としての才能などあらゆるものが備わった人間が育ってくるということが大変重要なことなのです。 

リーダーにはパーフェクトが求められる

いかにリーダー教育が大事であるかということです。それもトータルな教育が必要なのです。頭が良いとか、専門が経理であるとか、技術があるとか、そういった特別な分野での才能も非常に重要ですが、性格等あらゆるものまで含めた人間トータルでのパーフェクトさが要求されます。 

石油掘削サービスを行う会社、シュルンベルジェ(高収益企業)の社長が、京セラも高収益企業なので、両社には共通したカンパニー・スピリット(会社精神)がありそうだと考えられ、意見交換したいと申し入れがありました。 

ミュルンベルジェ社社長は、我社のカンパニー・スピリットは“良質な最高のもの”を提供すると言われたそうです。京セラは“パーフェクトな製品”と応えたのでした。リーダーとしての地位が上がれば上がるほど、性格、人間性など、あらゆる需要において完璧であることが求められるのです。 

仕事に苦労した者にしかフィロソフィーはわからない

人生・仕事の結果=考え方x熱意x能力、にすべてが表されているのです。

考え方とは、その人が持つ哲学、思想であり、自分の性格も含まれています。この考え方が立派なものでなければならないのです。“京セラフィロソフィー”という社員手帖をただ漫然(まんぜん)と読んでいるだけでは自分のものにはなりません。自分というものを見つめ、反省し、自分の人間性を高めていこうと努力をして、常に勉強していないと、“考え方”について部下に話すことはできないでしょう。 

“京セラフィロソフィー”は大切だと言われていますが、京セラフィロソフィーは何なのか、その京セラフィロソフィーを自分のものとして、自分で実行しているかということを自問しなければならないのです。京セラフィロソフィーは稲盛塾長が経営の実務にあたりながら、自ら研究開発、技術開発をやりながら、また自分で製品を売りながら、苦労して書き上げたものです。従って、似たような経験に遭遇して初めて、心から理解することができるものなのです。自分のものになっていれば、部下に対して話ができるわけです。 

京セラフィロソフィーを頭で憶えるのではなく、実践し、体で覚え、いつ何時でも出てくるようになっていなければなりません。 

両極端を兼ね備える

経営者は“非常な細心さ”“怖がる気持ち”を持たなければなりません。ときにはまた大胆であらねばならないのです。 

大胆さと細心さは同時には発揮できません。それはクロスを織ったように、つまり、縦糸が大胆さ、横糸は細心さというように、出てくるときには必ず両者が交互に出てくるのです。大胆であるべきところでは大胆であり、細心でなければならないときには細心であるべきだということです。 

両極端を同時に備えるという、たいへんに難しいことのできる人はめったにいません。先天的にそうした資質を持っている人は少ないのです。修行を通じて後天的に習得するのです。豪胆な人には慎重さを、慎重な人には場数を踏ませて勇気を与えていくのです。こうした修行はまさに自分から求めていくものです。 

私心をなくし、集団を代弁する

人生・仕事の結果=考え方x熱意x能力。リーダーになる場合に絶対に必要な条件というのは、“私心がない”ということです。 

権力の座を登れば登るほど、どうしても自分を優先するタイプの人が出てきます。本来ならば、公私の区別がつかないような人が社長になれるはずがないのです。ところが権力の座につくと、人間の感情を麻痺(まひ)させるのです。ですから、人の上に立った場合には心を麻痺させないように、よほどしっかりした考え方を持っている人でないといけません。そのためにフィロソフィー、哲学が要るのです。 

京セラは法人です。その法人は、稲盛社長のコントロール下にあり、社長の意志、判断により経営されています。会社は法人ですから、会社そのものは何も言いません。利益が増えても、それは経理の人が言うだけで、会社そのものは何も言いません。“もっと利益を上げたい”“もっと経営を安定させたい”とも言わないものですから、社長が会社に代わって言わなければなりません。 

“会社はこうありたい”と人間である社長が言わざるを得ません。社長が会社の経営を離れて、個人に返っている間は、会社としては機能しません。 

会社は法律上は株主のものです。しかし法人と呼ばれる様に、会社そのものに人格があると考えることもできます。会社を一つの人格として代弁するのは社長なのです。 

集団の利益を優先する

会社の利益になることと、社長個人の利益になることが同時に存在した場合には、マネージメントとしてはどちらの利益を優先させるかということがあります。自分のことは差し置いて、会社のことを優先できるタイプ、しかもそれが無意識にできるタイプでないと会社を任せてはならないのです。やはり私心をなくすということが重要です。 

自分が率いる組織のことを最優先しなければ、部下はついて来ません。常に自分のことばかり考えているタイプのリーダーには、誰もついてきません。集団のためにそんな役割を引き受けられる勇気を持っているということも、リーダーとしての条件です。 

物事を成し遂げる原動力は“熱意”

人生・仕事の結果=考え方x熱意x能力の式の中で、重要なものは熱意です。ものをつくる、つまり物事を成し遂げるのは熱意なのです。どうしてもやり遂げたいという執念です。その執念がものをつくり上げるもとなのです。 

開発でも、製造でも、営業でも、間接部門でも、途中であきらめてはいけません。もうダメだという時が仕事の始まりです。まだ駄目になっていない時でも、もうダメだと言って辞めていくような人であってはいけません。 

成功するのは能力のおかげではなく、それはどれくらい食らいついていくことができるかという熱意、根性、執念の問題なのです。 

“熱意”が成功をもたらす

持続性、耐久性がいかに大切かということを知っておくことが必要です。この持続性、耐久性が能力を高めるのです。 

ものをつくる、物事を成し遂げるのは熱意なのです。 

悪人がどうして成功できるのかといいますと、金儲けの為には、人を泣かそうといじめようと、何とも思わないからです。人から何と言われようと、謗(そし)られようと、屁とも思わずに金儲けに焦点を絞(しぼ)れるのです。 

少し分別があると、“そうまでして金儲けしなくてもよい”と思います。そのように逡巡(しゅんじゅん)する分だけ馬力が減り、衝動が弱まるのです。結局、普通の人は悪人に比べて馬力も衝動も弱いために、つい平々凡々な人生になってしまうのです。 

考え方が立派であれば成功するかというと、そうではありません。熱意が要るのです。どちらかというと熱意の方が、成功の大きなファクター(要因)なのです。ただし、正しい考え方、哲学を持たない人の場合には、成功の原因である熱意、執念が没落へのきっかけをつくってしまうのです。 

熱意とは根性や執念と言えますが、同時に熱意は願望でもあるのです。“強い願望を持ち続けることによって、自分の立てた目標を貫徹しよう”という趣旨の項目が京セラフィロソフィーの中にあります。強い願望が潜在意識にまで浸透することによって、目標を達成することができるということです。 

念の持つ力の大きさ

熱意、願望が大切なのですが、念、つまり思いが強い力を持っているのです。人間のもっているエネルギーの源、それは念なのです。 

ダイエットの為に毎朝ジョギングをするとします。“そんなに走ってもどうにもなりません。あなたはカロリーの取りすぎであって、毎日2,3キロメートル走ったところで、たかが知れています。あなたが毎日摂っている3000キロカロリーに対して、2キロメートル走ったところで、せいぜい100キロカロリーくらいしかエネルギーは消費しないのです。”と医者に言われてしまいます。 

ところが、ものすごい心配事があると、例えば一晩徹夜して看病したりすると、げっそり痩せるはずです。寝ないでげっそり痩せるのなら、ダイエットしたい人はみな寝なければよいのです。しかしそうではないのです。心配が伴った場合にのみ、げっそり痩せるのです。場合によっては心配事で、一晩二晩で髪が真っ白になるということも聞きます。心配事が起きた時に、肉体的に物理的に大変な変化が起こるのです。ただ思うだけで、それほどたくさんのエネルギーを消耗するのです。 

一生懸命に話しますと、言葉にはエネルギーが飛び交っているのです。いわゆる言霊(ことだま)です。言葉には魂があって、それが飛び交うのです。言葉が魂をゆさぶり、魂に共感を起こさせるということは、エネルギーが飛んで、相手の魂が中に入っていくからなのです。 

このように、思うということ、心に願望を描くということは、大変なエネルギーを使います。 

このことからもわかりますように、物理的な力を使うことよりは、“思い”とか“念”の力のほうがはるかに力があるのです。ですから、熱意、執念、意志がものをつくっていく、物事を成し遂げていくのです。世の中で成功した人達は、すさまじい迫力で仕事に取り組んだ人達ばかりです。 

すさまじい願望、執念、意志を持つ

宗教家がよく“すさまじい念で描いた願望は現世で成就します”と言います。

“心に描いた通りになります。心にすばらしい映像を描き続けていれば、必ず実現します”という趣旨を、キリストも、仏陀も説いています。一方、常に猜疑心などをもって心に映像を描いていても、心に描いたままの現象が周囲に現れてくると言います。 

熱意、執念、意志がものをつくっていくのです。職場のリーダーが中心になり、一人ひとりがどういう映像を、絵を描き、執念を燃やしているかが重要です。ですから、強い意志を持っていない人がリーダーになったのでは、その集団は不幸です。集団を引っ張っていくすばらしい願望、絵を心の中に描ける人、自分の描いたすばらしい絵が示す目標に部下を引っ張っていく、そういう人がリーダーになれば、部下は幸せです。 

下の者から“私たちは今後どうなるのですか”と聞かれた時“我々はこうなるんだ”というのが間髪を入れずに返事できなければならないのです。リーダーは“今月は、来月は、一年先はこうしていきたい”と毎日のように考えているのでなければ、リーダーとしてふさわしくないのです。 

凄まじいほどの願望、執念、意志で描いた思いは、何をもたらすのでしょうか。“どうしてもこうしたい”と思ったとします。思ったけれども、実現させるための専門知識がない、設備も足りない、人材もいない、資金も不充分、たくさん足りないものがある。ところが、“どうしても”というすさまじい願望、執念、意志があると、足りないものを何とかして埋め合わせようとして、工夫が生まれます。工夫が目の前にあることを発見したり、あの機会を改造してやればできるというように、ひらめきが次から次へと生まれるのです。 

正しい“考え方”を持つ

人生・仕事の結果=考え方x熱意x能力の三つのファクターの中で、能力は小さなファクターです。しかし、能力があれば、それに越したことはありません。能力は0から100まであります。熱意も0から100までです。考え方はマイナス100からプラス100まであります。考え方がマイナスですと、能力や熱意が充分あったとしても、結果はマイナスになってしまうのです。 

能力もあり、熱意もある人が、“世の中は不合理だ”と考え、反社会的な考えになりますと、結果としてはマイナスになります。たとえその主義主張は正しいかも知れませんが、それが反社会的な考え方に染まってしまいますと、結果としてはすべてマイナスになってしまいます。 

人生方程式と京セラの事業展開

京セラは、たまたま時流にのってセラミックスの仕事を始めたと思われています。“以前は余りぱっとしなかったセラミックスという仕事を、今日のように脚光を浴びるだろうと見抜いて人より先に初めて成功した”と言われました。しかしそうではないのです。 

もともとセラミックスは地味なものであって、それほど華々しい事業ではありません。華々しく見えるのは、そのように事業を展開してきたからです。ただ、この地味なことに情熱をかける人が誰もいなく、京セラが自分達でマーケットを掘り下げ、事業を切り開いてきたのです。たまたまヒットしたというものではないのです。 

能力はないと思った人が、熱意の方を高め、人の二倍も三倍も働こうと思うのです。

京セラの場合、“考え方”がまずあって、次にすさまじい意志、願望、つまり成功させようとする熱意があって、さらに能力さえあれば成功することができると思っているのです。 

京セラを背負って立つリーダーであれ

人生方程式の正しさが証明されていく京セラグループの中で、目の前に見ながら従業員が育っていきますと、すばらしい教育になります。昔、鈴木商店という会社がありました。そこで育った人たちが昭和以降の近代日本を背負って立つ大物になっていきました。人材というのは単独で現れるものではなく、群生するものなのです。人材はお互いに影響し合って育つからです。 

京セラグループが発展し、多くのリーダーを輩出しますと、後に続く若い従業員に対するすばらしい教育になるのです。それは会社にとって何物にも代えられない宝です。