盛和塾 読後感想文 第130号

思いは必ず実現する 

思いの持つ偉大な力について 

  1. 思いが今日の文明社会を築きあげた

一般的には物事を考える、つまり頭で考えることが大事であり、逆に“思う”という事は誰にもできるので、大した事ではないと捉えられています。しかし、この思うという事は考えるよりもはるかに大事なものです。我々が生きていく中で“思う”ことほど大きな力を持つものはありません。思うということが、人間のあらゆる行動の源になっているからです。 

人は誰でも“こうしたい”“こんなものがあったら便利だ”“もしこういうことが可能ならば”という思いが浮かんできます。“もっと早く便利に移動する方法は無いだろうか”と思い、“新しい乗り物が欲しい”というように、夢のような“思い”を持つようになります。 

自動車を発明し、飛行機を作るのには何度も失敗を繰り返して頭で考えて研究をした結果なのですが、その発端となるのは心の中にフッとわいた“思いつき”があったからです。一般には“そんな思いつきでものを言うな”と言われるように、“思いつき”をまともに取り扱うことはしないのが普通です。しかし実はその“思いつき”が非常に大事なのです。人の心に浮かんだ“思いつき”が、発明発見の原動力となって今日の科学技術を生み出したのです。 

  1. “思い”が人格、人柄を形成し、境遇、運命を決める

この思うというのは、文明社会を築きあげているだけではなく、我々の人格、人柄をも形作る力も持っています。我々が毎日の生活を送る中で抱く思いの蓄積されたものが我々の人格、人柄を形成しているのです。 

利己的な“思い”をずっと巡らしている人は、その“思い”と同じ、利己的な人格、人柄になっていきます。思いやりに満ちた優しい“思い”を抱いている人は、知らず知らずのうちに思いやりにあふれた優しい人格、人柄になっていきます。 

さらに“思い”は、もう一つ大きな役割を持っています。それは“思い”が蓄積されたものがその人に合ったような境遇を周囲に作っていくということです。イギリスの哲学者、ジェームス・アレンは“人間は思いの主人であり、人格の製作者であり、環境と運命の設計者である”と言っています。その人の周囲に何が起こっており、そして現在どんな境遇にあるか。それは、今までその人がずっと心に抱いてきた“思い”が集積されたものなのです。その運命は他人を押し付けたものではなく、自然がもたらしたものでもなく、他でもない自分自身の“思い”が作り出したものだからです。 

純粋で美しい“思い”を抱く 

  1. 心の多重構造について

思いが出てくるのは、我々の心からです。その心というものは、一体どうなっているのだろう。 

人間の心の一番奥底には、良心、あるいは真善美、自然と調和に満ちた“真我”が存在すると思います。“真我”とは、仏教で言えば“仏性”のことです。この世の中にあるすべての物に、仏が宿っているという意味なのです。仏のように優しく慈愛に満ちた、他を思いやる高次元の心が、生物であろうとも生物であろうと、この世にあるすべてのものに備わっている。その心を“真我”と呼びます。 

この“真我”とは宇宙を作っている根源そのものです。生物も生物も含め、すべてのものに形を変えて、根源なるものが存在しているのです。膨大な宇宙の根源になるもの、宇宙の糧、エッセンスが姿を変えて存在しているのです。これは、人によって差があるものではないのです。聖人君子と呼ばれる人であれ、罪深いものであれ、あらゆるものが皆等しく“真我”を心の奥底に持っているのです。 

“真我”の外側には“本能”があります。これは我々の肉体を維持するために必要な闘争心、食欲といったものが取り巻いています。欲、怒り、愚痴、不平不満などは、すべてこの本能に基づいています。 

本能の外側には“感情”があります。これは、好き、嫌い、喜び、怒りなどです。 

感情の外側には“感性”があります。見る、聞く、臭う、味わう、感ずるといった五感のことです。 

感性の外側には知性があります。この知性を使って、われわれは頭で考えます。 

心というのは、真我、本能、感情、感性、理性の多重構造になっています。 

  1. “利己”の心を抑え、“利他”の心に根ざした“思い”を抱く

真我とは人を慈しみ、人を助けてあげようという優しい思いやりに満ちた心のことです。“他によかれかし”と願う“利他”の心なのです。外にある本能や感情(自我)は、“オレがオレが”と主張し、自分だけが良ければいいという欲望、“利他”の心なのです。 

大切な事は、心に描く“思い”が真我、つまり“利他”の心から発したものか、それとも本能や感情(自我)、“利己”の心から発したものかということです。その“思い”によって結果が大きく変わってきます。我々は真我から発する“利他”の心が思いの多くを占めるように努力しなければなりません。 

ジェームズ・アレンは心を庭に例えて、見事に表現しています。

“人間の心は庭のようなものです。それは知的に耕されることもあれば、野放しにされることもありますが、そこからは、どちらの場合にも必ず何かが生えてきます。

もしあなたが自分の庭に、美しい草花の種を蒔かなかったら、そこにはやがて雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い茂ることになります。

優れた園芸家は、庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育みつづけます。同様に私たちも、もし素晴らしい人生を生きたいのなら、自分の心の庭を掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、そのあとに清らかな正しい思いを植え付け、それを育みつづけなければなりません。” 

本能や感情(自我)を抑えること、すなわち“真我”の取り囲む皮を薄くしていくことに努めていくと、心の奥底にある“真我”が出やすくなってきます。“真我”に基づく判断ができるようになりますと、誤った結果を導くようなことがなくなります。

強烈な願望を抱き、思いを“信念”にまで高める 

  1. “何としてもやり遂げる”という“思い”を抱く

純粋で美しい“思い”を持つことに加えて、“なんとしてもやり遂げる”という強い願望を心に抱き、“思い”を信念にまで高められたものにすることです。 

自分のやろうとしていることは、“思いつき”で心の中にふっと浮かんだものですが、それをなんとしても成し遂げたい、という強い願望を持つことが大切です。 

誰が見ても不可能と思われることでも、そのような声に惑わされることなく、“いやそれでも私はなんとしてもやりたいんだ”という信念を伴った思いがまず先に行かなければなりません。その上で、今度は一生懸命考えて“ではどうすればやり抜くことができるのか”と具体的な戦略、戦術を練っていきます。 

経営者にとって一番の課題は“強く思う”ということです。多くの経営者が、心の中で“こうしたい、こうなりたい”と軽く思うだけで、無理難題があるとわかるや否や“いや、こういう条件があるから、これはやはり難しい”とすぐ頭で考えてしまいます。それは、長い間学校で学び、社会で働き続ける中で、まず頭で考えることが習慣になっているからです。頭でできると考えるとやるのでしょうが、しかし、いろいろな困難を目にすると、頭で考えて、挑戦を止めてしまいます。結局、困難を乗り越えて大きな成功を収めることがなかなかできないのです。 

“なんとしてもやり遂げるのだ”という信念を伴った強烈な“思い”を持つのです。部下から“こんな障害もありますよ。ちょっと不可能ですよ”と言われるかもしれません。しかしそれであきらめてはなりません。 

“みんなが難しいと言うのもわかる。だから今からこれを成功させるためには、どうすればいいか考えよう”と言って戦略、戦術を考えていきます。その時、優秀な部下を集めて、様々な知恵を出してもらうようにします。全員で考えていくのです。 

  1. 松下幸之助の“ダム式経営”に学んだ“思う”ことの大切さ

松下幸之助さんの有名なダム式経営についての講演に稲盛塾長は出席しました。

降水量の多い時は、ダムに水を貯め、日照りが続いた時は、ダムから水を出して水量を安定させる。それと同じように、企業経営を行う上では、利益が出たときにはそれを蓄積して、不況が来たときにそれを使って乗り切っていく。余裕のある経営をすべきである。 

講演が終わり、質疑応答になったときのことです。1人の経営者が手を挙げて“あなたは先ほど、経営にはダムのように余裕がいるとおっしゃいました。それはその通りだと思います。我々も皆、余裕のある経営をせないかんと思っています。ところが中小企業の悲しさで、毎日毎日、日が暮れるまで働いても、余裕なんか全然ありません。余裕を作るにはどうすれば良いのか、具体的なことを教えてもらわんかったら困ります。経営には余裕がなければいけないということも分かりますけれども、余裕があるようにするためにはどんなことを具体的にすればいいか、教えてくれませんか”と言ったのです。 

幸之助さんは少し言葉に詰まったあと“それは、わてにもわかりませんのや。ただ、思わなあきませんな”と言われました。すると、そこにいた聴衆が皆、どっと笑われたのです。“それでは答えにならんわな” 

“幸之助さんのおっしゃった通りだ。思わなければならないのだ”と気づいたのです。つまり“余裕のある経営をしたい”という思い、それも“なんとしても余裕のある経営をしたいのだ”という強い強烈な“思い”が先にあって、その次に“どうすれば余裕のある経営ができるのか”ということを考えるのです。 

自分が強烈に“余裕のある経営をしたい”と思わなければ、余裕のある経営をする方法を具体的に考えつくはずがありません。余裕のある経営をどうしてもやりたいと思っているのならば、そのための方法を一生懸命自分で考えもするでしょう。知恵を求めて、いろいろな人に聞きにも行くでしょう。まず何よりも、日々堅実な経営に努めていくでしょう。そうすることによって次第に余裕のある経営ができるようになるのです。 

自分が“こうありたい”と強く思うことを経営のベースに置き、(京セラでは若い社員に)“思い”の大切さを繰り返し説き続けたそうです。京セラでは、1978年には、“潜在意識に透徹するほどの強い持続した願望、熱意によって、自分の立てた目標を達成しよう”という言葉をスローガンとして掲げました。 

強く気高い“思い”は必ず実現する 

  1. 新しき計画の成功は唯、不屈不撓(ふくつふとう)の一心にあり

中村天風という哲学者は、思いの重要性を説いておられます。“自分の未来に対して悲観的な思いを持ってはいけません。自分には明るく、素晴らしい幸運に恵まれた未来が必ずあるのだと信じて努力しなさい。” 

新しい計画、また高い目標を達成しようと思うならば、強い“思い”で挑まなければならない。単に“こういうことをしてみたい。これを達成したい”と軽く思うだけで新しい計画を実現し、高い目標を達成することなどはできない。“思い”というものは、強ければ強いほど実現していくものです。 

同時にその思いは、美しく、私心や汚れのないものでなければなりません。“思う”はどこから来たのか、“思い”というのは強ければ強いほど実現をしていくものであると同時に、“世のため人のため”という気高く美しいものであればあるほど実現する確率が高くなっていくのです。 

中村天風さんは、“道半ばにして運命に翻弄されたとしても、不幸に見舞われたとしても、また病に取りつかれたとしても、思い悩むこと、もだえ苦しむこと、恐れることがあっては絶対になりません”と言っておられます。“新しい計画、目標が達成できないのではないか”というような一切の懸念を払拭(ふっしょく)しなければなりません。 

  1. 強烈で純粋な“思い”が事業を成功に導く

新しいことに取り組む時ほど、少しでも“これは難しいのは”と思ってしまったら、絶対に成就しません。“どうしても実現しなければならない”という信念にまで高められた強烈な“思い”を抱き続けることが不可欠です。信念こそが、私たちを目標に向かってつき動かすパワーの源であり、その信念に基づいた行動の結果が、私たちの人格、人柄を作り、私たちがいる境遇うを形づくり、運命を切り開いていくのです。 

自分の可能性をただひたすら信じて、無心にその実現に向けて思い続けることができれば、何も心配はいりません。そしてそれが“世のため人のため”という気高く、純粋な思いに裏付けられたものであれば、その事業は限りなく成功へと近づいていくことができるのです。 

思いが成し遂げたもの 

  1. 京セラの成長発展

稲盛塾長は大学卒業後、京都の会社に就職しました。その会社は、給料も遅配されることが常態化している倒産寸前の会社でした。辞めたいと思いましたが、どこに行くあてもなく、命じられた仕事、研究に打ち込むしかなかったそうです。 

倒産寸前の会社ですから、当然ながら研究室には立派な機械、器具などはありません。粗末な研究施設を使い、日本にはなかったファインセラミックス材料の開発に一生懸命打ち込みました。そのような難しい研究開発は、稲盛塾長の能力や経験から考えて、とても成功するような研究開発ではありませんでした。しかし、倒産寸前の会社を立て直すために、稲盛塾長は必死で研究に取り組みました。会社の寮に戻る時間も惜しくなり、研究室に泊まり込むようになっていました。 

“なんとしてもこの研究を成功させたい”という強い“思い”、さらにそれを“自分の研究で、この会社やその仲間を救ってあげたい”という純粋で、美しい“思い”で、研究に没頭しました。この研究開発の結果、日本で初めて、世界で2番目に、新しいファインセラミックスの材料の合成に成功したのです。 

京セラ創業後も、同じように次から次へと新しい材料や新製品を開発し、新規事業を作り出していきました。“なんとしても会社を成長発展させなければならない”という強烈な“思い”と、“京セラを成長させることで従業員を幸せにしたい”という純粋な“思い”をあわせ持つ経営に邁進(まいしん)していきました。 

  1. 第二電電(KDDI)の成功

KDDIも同じ思いから生まれた会社です。電気通信事業の知識も経験もないにもかかわらず、第二電電を立ち上げ、明治以来の巨大企業、電電公社に挑戦しました。 

当時の日本の電気通信事業は1社だけであり、その弊害で通信料金が非常に高かったのです。そこに参入することで、なんとか国民の通信料金の負担を軽くしてあげたいという一念、つまり強烈な“思い”を抱いたのが第二電電創業の理由です。たとえ無謀な挑戦だと外から言われようとも、“国民のため、なんとしても通信料金を下げなければならない”という強い“思い”を持って、経験も知識もない仕事に取り組もうと思い立ちました。 

その時、稲盛塾長が自問しました。この事業に対して“動機善なりや、私心なかりしか”と自分に問いかけました。“お前は電気通信事業に参入したいのは、自分の心の中にある、きれいな“利己”の心から出たものか、それとも自分だけが良ければ良いという“利他”の心から出たものか、と問いただし、自分の思いがどこから出てきたのかを突き詰めていったのです。そしてその“思い”が自分の心の中にある“真我”、つまり利他の心から出たものであると確信し、一気呵成(いっきかせい)に電気通信事業に参入しました。KDDIは、今では売り上げ四兆三千億円を誇る、巨大企業へと成長しました。 

“思い”を実現させる経営者の姿勢 

  1. 自己犠牲を払う

“思い”を実現させるにあたり、経営者は“自己犠牲を払う”ことが要求されます。経営者が立派な仕事をしようと思えば思うほど、それに比例して大きな自己犠牲を伴います。自己犠牲を払う勇気がなければ、経営者にはなれないのです。 

ジェームス・アレンは、自己犠牲について言っています。

“もし成功を願うならば、それ相当の自己犠牲を払わなくてはなりません。大きな成功を願うならば、大きな自己犠牲を、この上なく大きな成功を願うならば、この上なく大きな自己犠牲を払わなくてはなりません。” 

自己犠牲を伴わない成功はなく、立派な仕事をして成功しようと思えば、それにふさわしい自己犠牲犠牲を払わなければなりません。 

盛和塾塾生の中には、“会社を経営していく中で、実は仕事と家庭の両立に悩んでいます。”と質問されたことがありました。別の塾生からは“私は仕事に打ち込むあまり、家内との関係に亀裂が入ってしまい、家庭が今にも崩壊しそうです。”と悩みを打ち明けられました。 

塾長は答えました。“私は家に帰るのが遅くなっても、家内に、今日はこんなことがあった、あんなことがあったと話をしていました。仕事をせずに家を守っているだけでは、主人が何をやっているのかわからず、張り合いもないだろう。会社に行っていなくても、主人と一緒に仕事をしているという一体感、連帯感のようなものがあれば、不満も出ないだろう。帰りはいくら遅くても、その日に起きたことを家内に毎日伝えていたわけです。” 

稲盛塾長は子供の参観日、運動会にも行ったことがないようです。子供たちは寂しく思っていたのでした。これも自己犠牲の一部と考えられます。会社を立派にするためには、どうしても家族が犠牲になってくれなければならなかったのです。 

もし経営者が進んで自分の人生を託していけるような立派な会社にしていこうと思うならば、家庭の理解と協力が必要ですし、ときには犠牲も伴うことになります。そのためにも、年に一回は、従業員の家族に感謝の気持ちを経営者が表すことも大事な会社の行事の1つだと思います。 

  1. 無私の心で挑んだ日本航空の再建

日本政府と企業再生支援機構から何度も要請を受ける中で、日本航空再建の大義について考えた稲盛塾長は、“世のため人のため”という純粋で美しい“思い”と“なんとしても再建を成功させなければならない”という強い思いを抱き、再建にのりだしました。 

京都に自宅があるため、1週間東京でのホテル住まい、無給として再建に取り組んでいきました。東京では仕事が遅くなり、夕食もコンビニで二個のおにぎりで済ますことも多くなりました。そのような稲盛塾長の姿を見て、日本航空の社員は有形無形の影響を受けたようです。日本航空の社員は再建へ向けて懸命に努力してくれるようになり、再建を成功させることができました。 

日本航空に定着していた官僚主義を打破するために、フィロソフィーによる社員の意識改革に取り組みました。またアメーバ経営をもとにした管理会計システムを構築しました。そうした改革が再建に大きく貢献した事は事実です。 

しかし、日本航空が劇的な再建を果たした真の要因は、日本経済のため、日本航空社員のため、さらに日本国民のために、再建に取り組む“純粋で美しい思い”と“なんとしても会社を再建させる”という“強い思い”に対して、自然や神様が後押ししてくれたことにあると稲盛塾長は考えるようになったのです。 

  1. 善き思いは“他力の風”を受ける

この宇宙には、生きとし生けるものをすべて順調に成長発展させるように後押しする意思が存在し、それが全てを幸福へと導く“他力の風”のようなものを生み出していると考えられます。誰もがこの“他力の風”を受ける資格があります。この素晴らしい風を受けられるかどうかが、思いを実現するのに必要なのです。人は皆、真我、優しく思いやりに満ちた思いを持っています。善きことを思い、善きことを行うことができるかどうかによって“他力の風”を受けるかどうかが決まるのです。 

人生という大海原を航海する時、自己的で邪な“思い”を持った人が上げた帆はいたる所が破れたり裂けたり、穴が開いたりしているようなもので、“他力の風”をうまく受けることができません。一方、“他によかれかし”という優しい美しい思いやりのある心を持った人が上げた帆は、“他力の風”を満帆(まんぱん)に受けて、人生をうまく歩いていくことができるのです。 

純粋で美しい“思い”、利他の心を持ち続ける努力をしている経営者が“なんとしても事業を成功させる”という強い思いを持ち、誰にも負けない努力を重ねていけば、会社は必ず成長発展します。