盛和塾 読後感想文 第133号

あきらめずやり通せば成功しかありえない 

新しいことを成し遂げられる人は、自分の可能性をまっすぐに信じることができる人です。

可能性とは、“未来の能力”。現在の能力でできるできないを判断してしまっては、新しいことや困難な事はいつまでたってもやり遂げられません。 

自分の可能性を信じて、現在の能力水準よりも高いハードルを自分に課し、その目標を未来の一点で達成すべく全力を傾ける。その時に必要なのは、常に“思い”の火を絶やさずに燃やし続けるということ。それが成功や成就につながり、また私たちの能力というのは伸びていくものなのです。 

新しいことに挑戦する時、私たちは、自分たちが持っているもの、お金、能力、経験、人材等をすぐに頭に描き、それを判断に進むべきかどうかを決めていくことが多いと思います。その時、自分の“思い”がどれほど強固なものか、まだ一時も忘れずに思い続けることなのかが、進むべきかどうかを決めるのです。強い“思い”が成功への道なのです。 

一旦“思い”の強さに自分を納得させた後は、一つ一つ課題をクリアしていきます。その目的のためには、自分を支えてくれる人を説得して、協力を得ることがキーポイントになります。そしてそれを素早く行動に移していきます。目標に向けてあきらめず、ただひたすら進むことが、成功への近道なのです。 

我々が本来持っている利他の心で経営というものを考えよう 

四十年サイクルで訪れる日本の危機 

日本で、最近社会的不祥事が多発しています。ここ十年位の間に次から次へと起きた社会的スキャンダルを見ても、リクルート事件、金融証券の不祥事、闇献金事件、脱税、ゼネコン汚職事件、政財官を巻き込んでいます。これは日本の社会が病んでいるからです。日本の社会に住んでいる我々の心が病んでいるからです。 

日本は明治維新で近代国家になって以来、その四十年後には日露戦争でロシアを破りました。それまで欧米に追いつき追い越せと頑張ってきた日本は有頂天となり、その四十年後には太平洋戦争の敗戦という奈落の底を経験しました。しかしその廃墟から必死に努力して経済復興を果たし、終戦から四十年後の1985年にはプラザ合意による円高を経験し、以来、様々なジャパンパッシングを受けています。 

豊かさの中で日本人が失った利他の心 

日本は戦後の廃墟から復興を遂げ、経済的に豊かな国を築き上げてきました。国民を豊かにしたいという願望、努力の成果は十二分に出ています。にもかかわらず、もっと豊かになりたい、さらなる“生活者大国を目指す”と欲望の肥大化が際限なく続いています。それは利己的欲望の肥大化に過ぎません。以前、日本は軍備の拡張で滅びましたが、このままでは“欲望の肥大化“で滅ぶことになってしまいます。 

豊かな国を築く過程で、我々日本人が“利他の心”を失い、“我が我が”と利己の心で暴走してきているのです。 

人は心の奥底に愛と調和に満ちた素晴らしい心を持っています。キリストの“愛”という言葉、仏教の“利他の心”という言葉、他を思いやる、他を利する心です。

戦後の廃墟から今日に至るまでの四十年間に、本来持っている“利他の心”をどこかに置き忘れて、まず欲望を満たそうということで頑張ってきました。社会のあらゆる不正な現象は、自分さえよければ良いという、利己的な欲望のままに動くしか判断基準を持たない人たちが起こしている現象なのです。 

私たちの心の奥底に持っている“利他の心”、真我、優しい思いやりの心を取り戻さなければ、現在のような不祥事はずっと続くでしょう。選挙制度がどう変わろうと、政治改革が行われようと、不祥事はなくなりません。すると世の中がますます乱れ、人々は強力な政治家を求め、独裁につながり、いつか来た破壊の道を歩むことになるのです。そうなる前に、国民が心を自浄する必要性を認識すべきなのです。 

純粋な心が成功もたらす 

今こそ日本のリーダーたちは、失った本当の自分の良心、心の奥底の良心を取り戻す時なのです。日本の国民が愛と誠と調和に満ちた、優しい思いやりに満ちた自分を見つけ出さないといけないのです。 

サンスクリットのことわざ“偉大な人物の行動の成功は、行動の手段によるよりも、その心の純粋さによる”とあります。いかに純粋な心を持っているかによって成功が決まることを教えています。成功もたらすものは外見ではなく、その人自身の心なのです。 

自分の良心を常に取り戻し、純粋性を維持するのは、なかなか難しいことです。私たちは勝った負けた、得だ損だの世界で生きていますから、美しい優しい思いやり、純粋性を維持するというわけにはいかないと思います。しかし、利己的であったときには見えなかったものが、純粋性を持とうと努力しますと、見えてくるのです。 

現場に出て語ろう!人間として、経営者としての思いを-経営者にとってなぜ哲学が必要か 

潜在意識に透徹するほど一生懸命に学ぶ 

経営についての知識は、あくまで知識であり、それ以外の何者でもありません。知性で理解しているだけでは、何の役にも立ちません。困難に遭遇し、のっぴきならない状況に追い込まれたときに、初めて自分のものとして体得することができます。 

本を読む時にでも有意注意、意識して意を注ぐ、意識をそれに向ける、一生懸命に考えることが必要なのです。従業員に教育をする場合でも、一度話したくらいではいけません。何度も繰り返し繰り返し、従業員に話しかけることが必要なのです。 

何をするにしても、有意注意、考える、意識して物事を見たり考えたりすれば、必ず潜在意識に入っていくのです。 

人間として何が正しいのかを判断基準とする 

人間として何が正しいかという判断基準がないと、経営は技術や知性を使って次々と戦略を組み、展開していくだけのものになってしまいます。合理性や効率性が中心的な考え方の会社は、不正行為などのトラブルが起きがちです。 

リーダーや従業員が明確な判断基準を持たないために、モラルが欠落し、公平な人事や公正な企業経営が行われにくくなってしまいます。 

効率性や合理性を追求すると、人間の能力は、金銭的な報酬として報われて当然という考えになります。こうして報酬以外に価値を見出せなくなりますと、お金が全てと考えるようになり、自分の報酬に対して不満が講じるようになります。そこには人間性を支える哲学がありませんから、悪い考えを持つようになります。経営者がそうなってしまうと、幹部社員も見習うようになり、会社のモラルは急速に低下していくのです。 

人間として何が正しいのかという判断基準が赤字会社を変えた 

京セラはヤシカというカメラメーカーを合併した時、東京にある光学レンズの研磨会社が傘下に入りました。戦後ずっと経営が苦しく、合併時も赤字という会社で、強い労働組合があり、活発に労働運動をしていました。 

この会社の再建には、京セラの叩き上げのセラミックの研磨部門の責任者になった人を派遣しました。期待はしていなかったのですが、3年経った時に、月次決算で黒字が出たと報告に来たのです。 

この時はバブルが崩壊し、景気は下り坂でした。赤字に再度転落すると思いました。ところが、景気が悪く、受注が減っているのに、月次の黒字が定着して赤字にならないのです。 

最近この会社で新工場の竣工式がありました。合併した十数年前は、敵愾心(てきがいしん)の塊のような目で見ていた従業員の人たちが、にこっと笑って会釈をしてくれたのです。古い工場もゴミ1つ落ちておらず、きれいに整理整頓されていました。 

この会社に古くからいる幹部社員に話を聞きますと、この派遣された責任者が、稲盛塾長が書かれた著書“心を高める、経営を伸ばす”を引っ提げ、現場で誰彼となく捉えては“人間として何が正しいか”ということを話し合って回ったそうです。周りの人は、この責任者はいつか音を上げて、あきらめると思ったそうです。彼は意に介さず、訥々(とつとつ)と議論して回ったそうです。いつしか周りの従業員も少しずつ変わっていったようなのです。 

ある日、この責任者に1通の手紙が届きました。

“主人は家ではぐうたらで、子供にも馬鹿にされていました。ところが、あなたが来てから主人の眼の色が変わりました。朝早くから夜遅くまで仕事をするようになったし、言うことも変わった。それを見た子供が主人を尊敬するようになり、家庭が生き生きとしてきた。なんとお礼を言ったらいいかわかりません。” 

この責任者は、自分の方向は間違っていないと確信を深め、突き進みました。その結果が黒字化と素晴らしい雰囲気の工場と、従業員だったのです。 

経営という仕事を好きになる 

“会長、こんな素晴らしい仕事をさせていただいて、なんとお礼を申し上げたら良いのかわかりません。経営が、こんなに面白いものかと初めて知りました。人生には仕事以外に面白いことがたくさんあると思いますが、今は経営を考えていることが楽しいのです。楽しくて仕方がありません”とその責任者は稲盛塾長に言ったそうです。 

経営というものは本来、楽しくなくてはいけないのです。名経営者になる条件は、経営という仕事を好きになることが全てなのです。