盛和塾 読後感想文 第136号

盛和塾でいかに学ぶか-フィロソフィーを血肉化する- 

盛和塾で学ぶ目的とは 

  1. 学びを経営に生かせているか

稲盛塾長が盛和塾を始めたのは、徒手空拳で創業した京セラを成長発展させていく中で、京セラの経営の要諦をぜひ教えて欲しいという京都の若手経営者からの声に少しでも応えようとされたことが始まりでした。 

盛和塾生の中には、

“もし盛和塾に入塾していなかったならば私の会社は潰れていたかもしれません。盛和塾で学んで目から鱗が落ちました。学んだ経営の要諦を実践することで、経営がうまくいくようになり、会社を作ることができ、従業員を路頭に迷わせることがありませんでした。”

とフィロソフィーを血肉化してこられた経営者がおられます。 

ところが、中には何のために盛和塾に入ったのかわからない方もいます。せっかく盛和塾に入り、5年も在籍しながら、経営の要諦も何も掴むことができないまま、また盛和塾で学んだことを自分自身の経営に役立たせることができないまま、入塾した意味がないと思って去っていかれた方もいます。 

様々な経営者仲間とお付き合いができるからという漠然とした目的で入っている方もおられます。心が通い合う盛和塾の会合に出るのが楽しいから入ったのだという人もいます。 

  1. 会社の業績が伸びなければ、学ぶ意味がない

盛和塾は唯単に和気あいあいと意気投合した人たちが仲良く集まることが盛和塾の目的であってはなりません。あくまでも盛和塾に入った塾生企業が成長発展し、“盛和塾に入って本当に良かった”と思えるようになるべきなのです。実際に業績を伸ばすという実績が伴わなければ、盛和塾で学ぶ意味がないのです。 

  1. 公明正大で大義名分のある経営

何のために業績を伸ばし、会社を立派にしなければならないのか。それは決して経営者個人の為であってはなりません。“従業員を幸せにしてあげたい” “従業員が生活の不安を抱くことなく、安心して会社に勤められると同時に、仕事に誇りと喜びを感じられるようにしたい。” “さらに利益を上げ、税金を納めることを通じて、社会に貢献していきたい”というような公の目的のためでなければなりません。 

盛和塾では、自分の財産を増やしたい、だから会社を良くしたいということを経営の目的にはしていません。“会社を立派にしたい”という願望を抱いていたとしても、われわれは、自分が儲けたいがために、あるいは自分だけが良ければいいという利己的な目的ではなく、あくまで世のため人のためという利他的な目的のために盛和塾があるのです。 

しかしたとえ全従業員の物心両面の幸福を追求していきたい、人類、社会の進歩発展に貢献していきたいと思っても、業績が伴っておらず、利益を十分に確保することができなければ、とても高邁な経営の目的を達成することは出来ません。 

盛和塾に入塾して業績をぐんぐん伸ばしたという実績がなければ、入塾した意味がないのです。 

フィロソフィーを血肉化する 

  1. 会社を成長させる経営の要諦

業績を伸ばすのに必要な経営の要諦はただ1つ、経営者自身がフィロソフィーを繰り返し学び、血肉化し、実践すると同時に社員と共有するという事以外はありません。社員とともにフィロソフィーを血肉化すれば、経営は画期的に改善し、業績は必ず伸びます。 

企業を経営していくには戦略、戦術の立案、営業や物流の体制、管理会計や経理システム、具体的な経営の手法、手段の整備ということも当然必要なことです。 

しかしフィロソフィーが血肉化していないと、いかにそうした手法、手段を整備したところで、砂上の楼閣となります。経営の要諦とそのフィロソフィーには、そうした手法、手段を正しく運用するための哲学が含まれていますから、フィロソフィーを真に実践しさえすれば、経営にまつわる全てをカバーすることができるのです。 

日本航空の再生が、そのことを示しています。日本航空の再建にあたり、稲盛塾長が導入したのは、1.フィロソフィー、2.アメーバ経営の2つでした。 

初年度には、千八百億円の利益が出ました。その利益の大半は、フィロソフィーによる意識改革によって心が一変した日本航空社員たちが、地道な経費削減に努め、またサービス向上に向けた献身的な努力の賜物です。機長、副操縦士、キャビンアテンダント、整備の技術者、手荷物等を飛行機に積み下ろしするグラウンドハンドリングの人々、彼らが持ち場持ち場で“もっと経費を削減する方法はないか”“どうすれば、お客様により良いサービスが提供できるのか”と自主的に創意工夫を重ねてくれた結果が、素晴らしい業績回復につながったのです。フィロソフィーが社員一人ひとりの意識を変え、企業の体制をガラッと変えたのです。 

  1. 自分の肉体に染み込ませ、経営に生かす

フィロソフィーを血肉化するとは、どういうことなのか。それはフィロソフィーをただ単に知識として知っているのではなく、自分の肉体に染み込ませ、いついかなる場面でもフィロソフィーに沿った行動が取れるということです。 

日々の経営に悩み、必死になってフィロソフィーを学べば、何回同じような話を聞いても、そのたびに新しい気づき、発見があるはずです。そうではなく“ああ、その話は前に聞きした。もうわかっています”という程度の聞き方をしている方は、フィロソフィーを本当の意味でわかっていないし、血肉化もできていません。いくら言葉だけ学んでも、実践できなければ意味はありません。 

鹿児島の戦国時代の武将島津忠良が師弟のために作った“日新公いろは歌”その一節“いにしえの、道を聞いても唱えても、我が行いにせずば甲斐なし”があります。いくら先人の立派な教えを読んでも聞いても、また口に出して唱えても、自分が実行しなければ意味はないということです。 

  1. 素直に認める

実際フィロソフィーを血肉化し、実践しようとしても、なかなかできるものではありません。しかし“人間としてこういう生き方をすべきだ”“経営者としてこういうリーダーになるべきだ”ということを理解し、少しでもそれに近づこうと、生きている人と、そう思わずにただ漫然と生きている人とでは、人生や経営の結果は全く違ってくるのです。体得しているかどうかではなく、折に触れて反省し、体得しようと努力を続けることが大切なのです。 

フィロソフィーを完全実行できる人はいないのです。ですから、経営者としては、社員にも素直に、自分自身もフィロソフィーを完全には実行できていないと認めることが大切です。 

“社員のみなさんに私がフィロソフィーを学べと偉そうに言っていますが、社長である私も実行できているわけでは無いのです。いまだかつてフィロソフィーのすべてを実行できたためしがありません。これから一生涯かけて、実行できるように努力をしていくつもりです” 

“しかし、自分ができていないからといって、フィロソフィーのことを教えなくても良いというものでは無いのです。“こうあるべき”という事だけは言わなければなりません。そうすることで社員のみなさんが成長し、会社をさらに発展に導くだけでなく、社員皆さんの人生にも役立つと思います。” 

フィロソフィーを全て完璧に実行できる人はいません。自分はできていないけれど、何とか自分のものにしようと努力を続ける、その行為そのものが尊いのです。 

  1. 会社経営の実態に合わせて実践する

経営十二ヶ条として、フィロソフィーが凝縮した形で表現されています。この経営の要諦はあらゆる企業の経営に応用できる普遍的な経営哲学です。 

しかしこれらの項目を実践するにあたっては、個々の経営状況、経営のステップに応じて、その活用の方法が異なってくるはずです。ただフィロソフィーの項目を念仏のように唱えているだけでは、経営に生かすことができないのです。 

経営の状況に応じて/経営のステージに応じて、経営十二ヶ条の実践は異なるのです。 

第一のステップ 必死に一生懸命働く 

  1. 誰にも負けない努力をする

余計な事は考えず、ただ“必死に一生懸命働く”ということ。“誰にも負けない努力をする”。

例えば大学卒業後、父親の会社に入って経営者になるケースがあります。会社を継いでみると、父親が一生懸命に経営していたおかげで、しっかりした従業員もおり、売り上げも順調、得意先もあり、利益も出ています。今日から専務です、社長ですと言って経営者になります。訳もわからないまま、一生懸命働くしかありません。 

経営がうまくいっていますと、“商工会議所、青年会議所に入ってください”と周囲からおだてられる。しかし実際には、会社の舵取りをどうするか、経験もないわけです。このような段階では、盛和塾で学んだ“アメーバ経営”を導入することができません。従業員がついてくるはずがありません。 

この段階では、トップが率先垂範、従業員の誰よりも必死で働き、後ろ姿でその経営の姿勢を示さなければならないのです。 

  1. 本田宗一郎の教え

稲盛塾長は、京セラ創業時、本当に夜も寝ない位に必死で仕事をしました。経営者になった恐怖感から逃れようと、夜を日に継いで必死で働きました。 

この時、経営セミナーの案内があり、高額な受講料八万円を払い、本田宗一郎の講演を聞きに有馬温泉に行きました。本田技研工業の創業者です。 

その時に講師として現れた本田宗一郎さんは、作業服を着たままで出てきました。そして第一声、“大体高いお金を払って、温泉に入って、浴衣を着て、あぐらをかいて話を聞こうと言う根性がなっとらん。こんなところで話を聞いて何になる。とっとと帰ってすぐに仕事をしろ。仕事が一番だ。” 

本田宗一郎が言うのには、“とにかく脇目もふらずに必死に頑張るとう事なんだな”と稲盛塾長は帰ってからまたひたむきに懸命に働いたそうです。 

“余計なことは考えるな。必死で働くんだ。誰にも負けない努力をするんだ”と経営のわからない人には教えればよいのです。 

第二のステップ社員を説得し惚れさせる 

  1. 一人ひとりを社長のファンにする

経営者自身が率先垂範必死で働くことを学び、実践できたら、社員を説得し、惚れさせる言葉を学ぶことです。 

社員一人ひとりを説得し、社長のファン、社長の信者に仕立てていかなければ、集団の力を結集した頃はできません。“給料を払うから働け”と言えば、社員は働きます。しかし本当の意味で全力では働いてはくれません。社長に惚れ込み、社長を尊敬してくれるようにならなければ、社員の力が分散し、会社もベクトルを合わせることができません。 

中小企業の場合、従業員十数名、社員一人一人との心の絆でしか頼れるものはありません。10数名が社長と一体となり、気持ちを合わせてくれるかどうかで、会社の命運が決まるのです。社員一人ひとりに“うちの社長は素晴らしい人だ。あの社長のために頑張ろう”とするのが目標です。 

  1. 相手になるほどと思わせる

京セラ創業時には、稲盛塾長27歳、自分よりも一回り上の人や父親ほど年齢の離れた人を説得したり、ときには厳しく叱ったりしなければなりませんでした。 

相手に“なるほど”と思わせることが重要です。その当時は、みんなが感心するような表現をする教養もありませんでした。 

稲盛塾長は経営者として、社員を説得する術を学ばなければなりませんでした。格言や中国古典を引用しながら、その局面局面に合った言葉を選んで、叱ったり、諭したりしていきました。 

  1. 先人の教えを繰り返し学ぶ

説得するために学んだ格言や中国古典だけでは社員を説得できません。人間として尊敬されるよう自分を磨くために、懸命に哲学書や宗教書を読むようになりました。そして自らの心を高めると同時に、哲学書や宗教書から得た先人の言葉を使って、精魂込めて社員に語りかけるようにしました。 

稲盛塾長は枕元に常に10冊ほどの本を置き、毎晩読みました。常に繰り返し繰り返し学び続けなければ、自分の言葉にして語ることはできないのです。 

読みやすい本だからと、サラサラと読んでも決して身に付きません。何回も読み返し、熟読、精読し、感動し、先に進められなくなるほどの読み方をしなければ、書かれている言葉を常日頃から使えるようにはならないのです。 

  1. 最初は受け売りでも精魂込めて語る

会社発展に全面的に協力してほしいと従業員を説得しようとしても、どういう風に説いたら良いかわからないかもしれません。社員に離反されることを恐れて厳しく叱ることができない時もあります。その時“小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり”という言葉を思い出し、自信を持って社員を叱る。 

書籍を読んだり、CDを聴いたり、盛和塾で学んだことを自分のものにしていきます。そしてそれに従って、経営者本人の心の高まり、従業員から褒められるような素晴らしい人格を備えるようになっていくはずです。 

3ステップ フィロソフィーを数字に落とし込む 

  1. 損益計算書を使いこなす

フィロソフィーと損益計算書は別のものと考えている経営者がいます。そうでは無いのです。フィロソフィー、経営十二ヶ条を実践すると、その結果として損益計算書が作成されます。また逆に損益計算の数字を見て、こういう考え方で経営をしていこうと、損益計算書を経営管理に役立てることができます。フィロソフィーを本気で実践しようと思えば、損益計算書に落とし込んで、数字に置き換えなければなりません。 

企業経営は飛行機の操縦と同じです。経営者=パイロット、コックピットの計器盤は損益計算書です。パイロットはコックピットの計器盤を見ながら、今この飛行機はどういう高度で、どのぐらいの速度で、どちらの方向に飛んでいるのか把握しながら、飛行機を操縦します。損益計算書を使いこなせないと、会社の舵取りはできないのです。 

  1. 損益計算書をにらみ、現場へ向かう

例えば売上が十億円であったのが七億円に落ち込んだとします。そうしますと、七億円の売上に見合った経費を減らしていく努力をしなければなりません。損益計算書の細かい勘定科目を1つずつ見ていきながら、減らせるものがないか徹底的に探していくのです。 

売上が七億円に下がったら、七億円に見合った経費を使う経営に転換するのです。 

一方では売上を伸ばすために、営業はどうするのか、今までの製品では売上が伸びないのであれば、新しい製品はどうか、新しい製品の販売ルートはどこか。そして創意工夫をしながら売上を伸ばす努力が必要です。また十五億円にするにはどうしたら良いか考えていきます。 

損益計算書の勘定科目と朝から晩までにらめっこして、現場へ飛び、経費削減の指示を与えては、またその結果を損益計算書でチェックし、さらに現場に行き、売上拡大のための新しい指示を与えていきます。“売上最大、経費最小”の実践であり“日々採算を作る”ということなのです。 

  1. 数字が語るドラマが見えるまで読み込む

1ヵ月間、売上最大、経費最小に努めた結果がどうであったか、月末に締めてすぐに損益計算書が出来上がらなければ、次の対策を打つことができません。2ヶ月も3ヶ月も前の数字を見て、売上増減、経費増減、黒字だった赤字だったということがわかっても、何の意味もありません。月次決算は翌月、1週間以内に入手できるようにすべきです。そうでなければ損益計算書を生かすことができないのです。 

多くの経営者は、現場の実態が反映された数字を真剣に見ていません。経営数字に対して、ちょっと見ただけで、経営数字に対して何の反省もなければ、改善の手も打たれないことになります。