盛和塾 読後感想文 第142号

不況はチャンス

不況になると、たいがいの会社は“耐えるしかない”とあきらめムードに支配されてしまいます。経営者も従業員もみんなただ頭を下げて、嵐が通り過ぎるのを待つというようになります。 

ところが不況は、新しい経済の局面です。周囲が変われば、カメレオンのごとく、自分自身も経営者も従業員も不況に合わせて変わり、新しいことに挑戦して、周囲が諦めている中で、誰にも負けない努力を重ねるのです。そして企業/事業を新しくしていくのです。それが後に大きな差となって現れるのです。 

好況時には、どんな会社にも注文が舞い込んで、あまり企業間で差が出ません。また日本の経済社会には、頑強な秩序があり、中小企業が自由に発展していくことが困難なことがあるのです。努力をしなくても注文が入ってくることによって、経営者の従業員もそれを当たり前と思ってしまい、新しいことに挑戦することを忘れてしまいがちです。 

しかし不況になりますと、そうした秩序が乱れ、中小企業の活躍する場が広がるのです。不況に耐えながら、営業は今まで以上に市場の需要発掘に努める。技術は新たな需要創造を図る気概を持って研究開発に努める。そして全社を挙げて徹底的な経費削減に努め、筋肉質の企業体質にする。 

不況時には、こうした企業の体質強化の機会を与えてくれるのです。 

不況は成長のチャンス-五つの方策は次の飛躍への足がかり

稲盛塾長は中国、瀋陽にて、不況に対する五つの方策を伝えておられます。

“不況は成長のチャンス”というテーマでした。 

中国経済は依然として七%に迫る経済成長を維持していますが、毎年二桁成長遂げていたかつての高度成長期と比べますと、大きく減速しております。 

中国東北部-瀋陽はこれまで鉄鋼業、石油・石炭など重厚長大産業の集積地として中国経済成長の担い手となってきました。ところが現在は、産業構造の転換期に伴う経済減速の影響を真正面から受けていると聞いています。この経済減速を不況と捉え、いかに対処していくかが今後の飛躍にとってとても大切です。 

海外に目を向けますと、英国のEU離脱決定に伴う世界金融市場の混乱、ヨーロッパ政治の不安定化が懸念されるなど、世界経済の下振れリスクが高まっています。 

つまり現在の不況に対処するとともに、きたるべき更なる不況に備え、正しい経営の舵取りを行っていくことが、われわれ企業経営者に求められています。 

不況を乗り越えて成長してきた京セラ

明るくポジティブな態度で難局を乗り越えていくということが大切です。不況が厳しければ厳しいほど、耐えて耐えてなんとしても難関を乗り越えていかなければなりませんが、その中でも悲観的にならず、明るくポジティブに、必ず乗り切れると、難局に立ち向かうことが必要です。その時“不況は成長のチャンス”であると考えることです。企業は不況という逆境を通じて、さらに大きく成長発展を遂げていくものなのです。 

京セラは五十七年の歴史の中で、ただ一度も赤字を出したことがないのです。順調に成長発展をしてきましたが、半世紀に及ぶ歴史の中では、幾度も厳しい状況に遭遇してきました。オイルショックによる不況、円高不況、バブル経済崩壊後の不況、リーマンショックによる不況と、様々な不況を経験しました。 

京セラはこうした不況を乗り越えるたびに、一回りも二回りも大きく成長していきました。こうした経験から、不況というものを“成長するチャンス”と捉えるべきだと信じています。 

企業の成長は一本の“竹”の成長になぞらえてみますと、不況を克服するたびに一つの節が作られるように思います。好況の中、景気の追い風に乗り、単純に成長していけば、“節”のない単調で脆弱な“竹”となっていきます。数々の不況を克服することで、たくさんの“節”ができ、次の成長への足がかりになり、堅固で強靭な企業が生まれます。 

不況に対する予防策ー高収益であれ

  1. なぜ高収益でなければならないか

不況を成長のチャンスにするための最も大切な事は、日ごろから高収益の経営体質を作り上げておくことです。高収益こそが、不況への最大の予防策なのです。 

高収益であれば、今日になって売上が減少しても、赤字に転落しないで踏みとどまれる“抵抗力”があるのです。高収益企業では、内部留保が増加しています。不況が長引き利益が出ない状態が続いても、耐え抜くことができます。余裕資金を使って不況で普段より安くなっている設備を購入するなど、不況でも思い切った投資も可能となるからです。 

兼ねてから、不況になる前から、高収益になるように全力を尽くして経営にあたるべきなのです。不況になってから高収益を目指すことは困難なのです。本来ならば、経営者は不況になる前に準備をすることが求められているのです。不況に対する予防策として、高収益経営を実現できているかが、まず問われてくるのです。 

稲盛塾長は“十%を超える利益率が出せないようでは、経営をやっているとは言えない”と社内外で述べておられます。 

製造業では注文が減り、作るものがなくなり、売上も減っていきます。当然利益も減少していきます。この時高収益企業で、利益率十%以上の会社であれば、売上が二十%ダウンしたとしても、利益を確保することができます。 

利益率が高いということは、固定費も少ないわけですから、売上が多少減ったとしても、利益が減少するだけで済みます。かねてから高収益の形ができているという事は、不況で売上が大幅にダウンしても、何とか利益を出していけるという底堅い企業であるということです。 

  1. オイルショックの不況下でも、雇用と利益を守り抜く

京セラは半世紀以上に及ぶ歴史の中で、不況による大幅な売上の減少を経験しましたが、一度も赤字に転落したことありませんでした。 

第一次オイルショックの嵐が世界を襲ったのは一九七三年十月のことでした。その影響を受け、世界的な不況の波が、京セラにも押し寄せてきました。一九七四年一月に、一月月額二十七億円の受注金額は、その年の七月には三億円弱にまで激減してしまったのです。半年で月次の受注が十分の一に減ってしまうほどの急激な景気変動に遭遇したのですが、年間を通じても赤字を出していないのです。 

それは独創的な技術で、他社にできないファインセラミック製品を量産するとともに、常日頃から経営の原則十二ヶ条、第五条、売上を最大限に、経費を最小限に努めて、三十%を超える高い利益率を誇っていたからでした。 

このような高収益の企業体質を作り上げた事は、雇用守ることにも大いに貢献したのです。オイルショックの大不況の時は、日本の大手企業でさえ次々と操業停止に追い込まれ、従業員を解雇するか、自宅待機をさせていました。こうした中でも京セラは雇用を守り通した上で、利益を確保していたのです。 

高収益を通じて得た利益を営々と内部留保として蓄えてきましたので、仮に赤字転落しても、しばらくは銀行からの融資を受けなくても、まだ雇用に手をつけなくても持ちこたえることができたのです。 

不況ともなれば、従業員たちは動揺します。“心配しなくても良い。大会社が次々と倒産していくような大不況になろうとも、京セラだけは生きていくことができる。例えば売上が二年三年ゼロになっても、君たち従業員に飯を食わせていけるだけの蓄えがある。だから一切の心配はいらない。みんな落ち着いて、さらに仕事に励もう。”と稲盛塾長は伝えました。これは経営の原則十二ヶ条の第一条、事業の目的意義を明確にする-従業員の物心両面の幸せを追求する、の実践なのです。 

  1. 大切なのは不況に耐えうる内部留保

内部留保が高いことについて、企業の株主資本利益率を重視する、いわゆるROE(Return of Equity)を重視するアメリカを中心とする投資家たちから“そのような内部留保を蓄える経営はおかしい”という意見もありました。 

自己資本に対し、いくらの利益が出たのかというROEを重視する投資家から見れば、いくら高い売上利益率(損益計算)を誇ろうが、内部留保を蓄え、自己資本が大きければ大きいほど“それだけの資本を使ってこれだけの利益しか出なかったのか”という、投資効率が悪いという判断をする人がいます。 

そのため、多くの経営者が“ROEを上げなければならない”と考え、せっかく蓄えた内部留保を使って、企業買収をしたり、設備投資をしたり、また自社株を購入し、償却したりして、自己資本を小さくし、短期的に利益の極大化を図る形に努めてきました。そうすればROEは高い値になっていき、アメリカ型の資本主義では、優秀な経営という評価を受けるのです。 

“京セラは自己資本があまりに大きく、ROEが低い。こんな利益をため込んでどうするのか。投資をしたり、株主還元をしたりすべきだ。”と考える投資家もおります。しかしこれは、ROE重視の考え方は、短期的な視点から企業を見たときの尺度だと言えます。 

今株を買い、値段が上がったらすぐに売れば良いと考えている人たちからすれば、確かにROEは高い方が良い。しかし長期にわたる企業の成長発展を目指す京セラでは、経営の安定が何よりも大切です。いかなる不況が押し寄せてきても十分に耐えていけるだけの備えが、どうしても必要なのです。 

高収益の形を目指し、内部留保を蓄積していくことが最も効果的な不況対策なのです。 

不況対策全員で営業する

不況時には全員がセールスマンでなければなりません。従業員はそれぞれの持ち場、立場でいろいろなアイデアを持っています。不況の時こそ、そのアイデアをそのままにせず、お客のところに持っていき、そのニーズを喚起することを全員で行うのです。営業や製造、開発はもちろん、間接部門に至るまで、全員が一丸となって持っているアイデアをお客様へ提案し、受注へと結びつけ、納入まで行う。こういうことを通じて、お客様から喜ばれるだけでなく、その当人自身もビジネスの全体が把握できるようになってきます。 

つまり営業の手伝いとして走り回るだけではなく、自分たちのアイディアを商品にして売るということを、全従業員が主体的に考えるべき時なのです。 

稲盛塾長は“全員で営業しよう”と提案しました。営業の全く経験のない製造現場の従業員たちにも“製品を売りに行こう”と呼びかけました。それまで人前で挨拶さえ十分にできなかった製造現場に張り付いていた人たちが、客先を訪ね、冷や汗をかきつつ、一生懸命に提案し“何か仕事ありませんか。何かやらせてくださいませんか。何でもやります”と必死に受注活動に努めたのです。 

これは思わぬ成果をもたらしました。ともすれば、製造と営業は対立関係に陥りがちです。受注が芳しくないと、製造は“営業が売らないからだ”と文句を言い、営業は“製造が売れる製品を作らないから売れないんだ”と文句を言い、互いに喧嘩します。 

ところが、自分が売る経験をしますと、製造は営業の苦労が分かり、営業は製造に感謝し、製造と営業の融和が図られ、より製販が協調したビジネス展開ができるようになっていったのです。 

えてして、有名なビジネススクール出身で、役員に就任した人の中には、お客様のところに行って頭を下げることを知らない人がいます。“商店の小僧”みたいに揉み手をしながら“注文をいただけませんか”と頭を下げていかなければならない。それがビジネスの基本なのです。 

営業の基本として“お客様のサーバントになる”“お客様のためなら何でもいたします”と、召使いのようにして、身を粉にしてお客様に尽くしていかなければ、不況時に注文をいただける事は絶対にありません。 

そういう経験をしたことがない人が、会社幹部であったのでは決して経営は成り立ちません。製造にいようが、経理にいようが、どの部門にいようが、他人様に頭を下げて注文を取る苦労をさせることが大切です。 

不況対策2 新製品開発に全力を注ぐ

  1. 斬新なアイデアを実現する好機

不況の時こそ新製品開発に全力を尽くすのです。普段は忙しさに紛れ、着手できなかった製品や、お客様のニーズを十分に聞くことができていなかった製品の開発を、積極的に推進していくのです。それも技術、開発部門だけではなく、営業、製造、マーケティングと、すべての部門が協力して、全社一丸となって、新製品開発を進めていくべきです。 

不況時には、お客様にも時間の余裕があります。何か新しいものを求めておられるはずです。その時積極的にお客様を回り、新製品のアイデアやヒント、あるいは今までの製品に対する要望や、クレームなどをよく聞いて、それを会社に持ち帰り、新製品開発や新市場の創造に役立てていくのです。 

現場の開発技術陣の中にも“ああいう製品を開発してみたい。こういう技術に挑戦してみたい”と日ごろから思っている人はたくさんおられます。しかし忙しいときには、なかなかそうしたものに手をつけることができないのです。しかし不況の時は、その時間があるのです。 

また不況時に斬新なアイデアを持ってお客様のところをまわれば、お客様のほうも手持ちぶたさにしておられますから、話を丹念に聞いていただいた上に、アイディアも出していただき、思わぬ受注につながり、ビジネスを大きく拡大することもできるはずです。 

  1. 新市場を開拓したセラミックガイドリング

京セラでは繊維機械用の部品を作っていました。ファインセラミックは固くて摩耗しにくい特性を持っていますので、高速で糸を走らせる紡績機械の部品として提供されていました。 

ところがオイルショックの時に、繊維機械が全く売れなくなり、京セラへの注文も途絶えてしまいました。そこで先述のように“全員で営業する”ことを始めました。また“新製品開発に全力を尽くす”ことに努めました。 

ある営業マンがある釣具メーカーを訪問しました。投げ釣りをするリール付きの竿がありますが、従来は竿のテグス、つまり糸が走るところに金属のガイドリングが使われていました。営業マンはそこに目をつけたのです。 

“当社にはファインセラミックスの技術があります。現在その技術を使って糸が高速で走る繊維機械に当社のセラミック部品を使っていただいております。お宅の釣竿のテグスが走るガイドリングを金属からセラミックに変えてみられたらいかがでしょうか。非常に適しているはずです。” 

釣具のガイドリングは、繊維機械のように四六時中糸が走り、すぐに摩耗するというものではありません。たまに釣竿を投げた時に糸が滑っていく程度です。お客様は“セラミックスにすれば高くなるし、そこまでの必要は無い”といいます。“いえ、セラミックスにすれば摩耗しないだけでなく、テグスとの摩耗係数が減ります”と訴えました。何度も通いつめて忍耐強く話を続けたようです。 

実際に投げ釣りでは、ガイドリングの摩擦係数が大きければ、テグスの滑り具合が悪くなり、あまり遠くまで飛んで行きません。また従来の金属リングでは、大物がかかった時、摩擦係数が大きいため、テグスがぽつんと切れてしまうことがあるのです。大物がかかった時、ものすごい力でテグスが引っ張られ、ガイドラインに大きなテンションがかかり、摩擦熱が起きるためテグスが溶けて切れてしまうことになるのです。 

釣具メーカーの役員の方が、営業マンの話を聞き、従来の金属のガイドリングにテグスを通し、負荷をかけて引っ張ったところ、すぐに切れてしまいました。セラミックスのガイドで同じテストをしたところ、テグスが切れませんでした。 

この役員の方は、セラミックスのガイドラインをつけた釣竿で、投げ釣りコンテストに出場し、優勝とげ、確信します。その後、釣具メーカーはセラミック製のガイドリングの採用を決定しました。 

この新製品は不況期の京セラの受注売上拡大に大きく貢献してくれるとともに、その後も継続し、今日は高級釣竿には全てセラミック製のガイドラインがつけられるようになり、全世界に普及しています。 

不況の時に新製品開発を進めるということは、慌てふためいて全く新しいことを始めるということではありません。自分たちが従来作っていたものを応用することで、新しい需要喚起していくことが充分できるのです。自社の技術、製品の延長線上にある新製品開発こそが、不況の時に取り組むべきことなのです。 

不況対策原価を徹底的に引き下げる

不況の時は原価を徹底的に引き下げることです。不況になると競争が激化し、受注単価を受注数量もみるみるうちに下がっていきます。その中で採算を改善するためには、受注単価下落以上に単価を徹底的に下げていかなければなりません。しかし日ごろからコストダウンに努めていますから“もうこれ以上は無理だ”と考えがちです。しかしそうではありません。“もうダメだと思った時が仕事の始まり”と考え、徹底的に原価低減、減らしていかなければなりません。 

人件費は簡単に下げることができませんから、一人当たりの生産性を上げていく工夫をする、あらゆる経費を徹底的に減らしていかなければなりません。 

“現在の製造方法が本当にベストなのか”“もっと安い部材はないか”従来のやり方を根本から見直し、思い切って全てを変革していくことが大切です。製造設備などハードの見直し、組織の統廃合など、ソフト面にもメスを入れて、徹底的な合理化、原価低減を断行していくのです。 

不況となって競争が激しくなり、売値がどんどん下がる中で、その下がった値段でも、利益が出るように原価を下げていく。ギリギリに売値が下がった状態でも利益が出る体質を作ることができれば、景気が回復してくれば、利益率は急激に良くなっていきます。 

製品のコストダウンを通じ、固定費変動費を下げて、事業全体の損益分岐点の軽減に努めるのです。そうすれば売上が半減しても何とか利益が出るという事業体質を作ることができます。再び売り上げが元に戻った時、従来にも増して高い利益率を実現することができるのです。 

不況の時こそ企業体質の強化を図る格好の機会です。好況時、注文がたくさんあるときは、その注文に応えることで精一杯で、原価を下げようと思っても、従業員も真剣に取り組めるものではありません。不況の時にこそ全従業員が本当に真剣になって原価低減の努力をするという機会が作られた、唯一のチャンスなのです。 

このように不況になり、原価低減に努めていく事は、苦し紛れの対策ではなく、後ろ向きの対策ではなく、さらなる飛躍を目指した積極的な経営改善策なのです。 

不況対策高い生産性を維持する

不況で注文が減り、作るものが減ってきたときに、従来のままの人員で少ない生産に当たれば、製造現場の生産性は下がり、職場の緊張した空気が弛緩してしまいます。こうした場合には、余剰人員を生産ラインから切り離すことが必要です。そうすることで、製造現場の緊張感を維持するのです。 

オイルショックの不況の時、多くの企業が雇用調整に走る中で、京セラは何とかして雇用維持していくことを決めました。しかし注文は、瞬く間に減り、従来通りの生産体制では生産性を高く維持することができません。また一旦効率が落ちた工程を元の状態に戻していく事は容易ではありません。 

京セラでは生産が三分の一に落ちたときに、製造現場の人員も三分の一に減らしました。そして残りの三分の二の人たちには、生産ラインから外れてもらい、製造設備メンテナンス、壁のペンキ塗りや花壇の整備など、工場の環境整備に当たってもらいました。また経営哲学を改めて根本から学んでもらう“フィロソフィー勉強会”を始めました。 

不況時の減産体制の中でも、決して生産性を落とさず、高い生産性を維持し続けたのみならず、日ごろからなかなか取り組めなかった環境整備や組織のベクトル合わせに取り組むことができ、次の飛躍への推進力となりました。 

三分の二の人員を製造現場から外して、工場を維持していくのは、会社に余裕がなければできません。高収益体質を通じて、十分な内部留保が確保されていたからこそ可能であったのです。 

不況対策5 良好な人間関係を築く

  1. 信頼関係の構築に意を注ぐ

不況は企業内に良好な人間関係を構築する絶好のチャンスです。不況になりますと往々にして労使関係に不協和音が生じることがあります。景気が良いときには綺麗事を言って済ませられたものが、不況という厳しい状況に直面し、経営者が厳しいことを要求するようになると、労使関係にヒビが入ってしまいます。 

例えば給与の一部カットなどを申し入れた途端に、従来は円満と思われていた労資関係が、一気に対立的なものに変化することがあります。そういう意味では不況は労使関係を図る“リトマス試験紙”のようなものです。 

苦しい局面を迎えた時こそ、職場や企業内の人間関係が問われてきます。本当に苦楽を共にできる人間関係ができているのか、職場の風土、会社の社風が真正面から問われてきます。 

そうすれば不況は職場の人間関係を見直し、それを再構築する絶好の機会と捉え、不況期にこそ、さらに素晴らしい職場風土を作るために努力を重ねることが大切です。 

経営をしていく上で、一番大切な事は、経営者と従業員の人間関係です。経営者は従業員のことを思いやり、従業員を経営者の苦労を慮(おもんばか)り、共に助け合っていけるような素晴らしい関係を作っていく、資本家と労働者という対立構造ではなく、労使が同じ視点から、ともに企業の成長、発展を目指していくような企業風土ができないかと努力を重ねていくのです。 

稲盛塾長はこうした企業風土を作り出すために、多大な努力を積み重ねてこられました。コンパと称して互いに気心が分かり合えるよう、膝を交えて酒を酌み交わす機会も出来る限り持つように努めてきました。 

このように日ごろから経営者は従業員とのコミニケーションをいろいろな機会を通じて図り、良好な関係を作るよう努力をします。しかしいざ不況となると、いいことばかりも言えないのです。 

“もっと働いてくれ、もっと経費を減らしてくれ。しかし給料は増やせない。またボーナスは出せなくなったから辛抱してくれ”と厳しいことを言わざるをえません。 

経営者は従業員との一体感があり、従業員も会社の経営を理解してくれていると思っています。不況の時こそなおいっそうの協力が期待できると考え、上記のように無理なことを従業員にお願いをしてみる。ところが従業員からの反発にあって社内の人間関係が全くできていなかったという事実を突きつけられ、唖然となります。 

不況という災難が押し寄せてきた時にこそ、みんなで力を合わせて不況を乗り切っていかなければならないのに、そういう時に従業員の心が離反し、会社が分裂し、ついには崩壊してしまうことにもなりかねません。 

会社の中に、そのような人心の乱れの兆候が少しでもあれば、素直に反省し、労使関係を再構築するために、どうあらねばならないかを従業員ともよく話しながら、自らも懸命に考えていくことが大切です。 

  1. 心と心で結ばれた京セラの労資関係

オイルショックの不況は京セラにも及びました。

稲盛塾長は労働組合に賃金カットを申し入れました。社長は三十%、係長で七%の賃金カットです。ベースアップの凍結の要請もありました。組合は労使が一心同体であることをよく理解し、賃上げ凍結の申し入れを了承してくれました。当時の日本企業では、賃上げ問題などで労使間に不協和音が生じ、労働争議が頻発していました。しかし京セラはいち早く労使が強調して賃上げ凍結を打ち出したのです。 

京セラ労組の上部団体は、京セラ労組の決定を批判し、圧力をかけてきました。京セラ労組は断固として屈せず、上部団体を脱会しました。 

その後景気が回復し、会社業績の向上すると、定期賞与を大幅に上積みし、また臨時賞与の支給にも踏み切りました。さらに一九七六年には、前年の賃上げ凍結分を加算し、二年分二十二%の昇給をし、従業員、労組の期待に応えました。 

このように不況を克服し、不況を通じて労資関係のゆるぎない信頼を確認することができたのでした。そして一九七五年九月、京セラの株価はソニーを抜いて日本一の高値となりました。 

京セラは、一つの予防策と五つの不況対策を着実に実践することで、数々の不況を克服することができたのみならず、その不況乗り切るために、経営基盤をより強固なものとして、成長発展を続けています。