盛和塾 読後感想文 第144号

きれいな心で描く

強い情熱は成功もたらします。しかし、それが私利私欲に端を発したものならば、その成功は長続きしません。それは、周囲の人たち、従業員、お客様、取引先やコミュニティーから受け入れられなくなり、人々が周りから去っていき、周囲の人々から協力してもらえなくなるからです。 

世の道理に対して無感覚になり、成功の要因であるその強烈な情熱を持って、強引かつ無軌道に進み始めるからです。成功を持続させるためには、描く願望、情熱が綺麗でなければならないのです。 

本当は本能の心を離れて、人類社会のためにというような、私心のない純粋な願望を持つことが望ましいのです。しかし人間は、肉体を持つが故に、完全に私利私欲を払拭することが難しいのです。 

せめて自分のためではなく、集団のためにという目的に置き換えるべきです。つまり置き換えることによって、願望の純粋さが高まるのです。そういうきれいな心で描く強烈な願望でなければ、天が叶えてくれないように思います。天は、純粋な、きれいな心で情熱を持ってことを成し遂げようとすると、天がその願望を叶えてくれるのです。 

純粋な願望を持って苦しみ抜き、悩み果てているときにひらめき、道が開けることがあります。それは“なんとしても”という切羽詰まった純粋な願望が天に通じ、潜在的な力まで引き出して成功へと導いてくれたのだと信じることが大切です。 

経営者の判断基準 

真のカリスマ性とは、人間として正しいことを主張し、指導すること

カリスマ性、それは人間として正しいことを正しく強く主張する。そしてそれを部下にわかってもらい、指導していく。これが正しいカリスマの姿なのです。間違ったことを言いながら、それでもついてきて欲しいと言うのは、未熟なリーダーなのです。所詮それではうまくいきません。間違ったことを言ったのでは部下はついてきません。 

日本がバブル景気の時です。不動産が儲かる、株式が儲かるというので、こぞって土地や株式に投資しました。 

ある企業で、土地が儲かるから投資をしようと社長が言う。ところが部下は“それはダメです”と言う。社長はせっかく儲かる方向にみんなを引っ張っていこうと思ってそう言ったのに、後から冷水をかけられたような感じがする。“俺の言うことを聞かない奴はけしからん”となる。本来なら社長が“あっちへ向かう”と言った場合、社員みんなが“社長そうですね”と言ってついてきて欲しい。ベクトルが揃うことでエネルギーになるのだから、全員でついてきてほしいと思います。しかし正しくないこと、無理なことを主張して聞いていくと言うのでは、やはり正しいカリスマでは無いのです。それでは会社を危うくしてしまいます。 

自分の会社を大きく成長発展したいと願う経営者は、自分の器を大きくすることが必要なのです。良い経営をする人間はどういう考え方をしているのか、それによって正しい判断ができる人間になりたいと思われます。“良い人のいる会社はきっと良いはずだ。良い人が住んでいる社会がきっと良い社会のはずだ。だから私自身良い人間になることを目指したい”と言われる方もおられます。良い人間で、正しい判断ができて、そして部下が理屈抜きに納得してついてくるようなリーダー、そういうリーダーを目指すことが、カリスマ性のあるリーダーの第一歩なのです。 

“うちの社長は若くて二代目のボンボンだけれど、最近違ってきたぞ”そこからカリスマ性のあるリーダーが生まれてきます。 

従業員に惚れさせる

稲盛塾長は三十五年前、京セラという会社を作っていただきました。稲盛塾長が開発したファインセラミックスという新しい技術で会社を起こしました。周囲にいたのも、科学の専門家が大半でした。若造の稲盛塾長は、仕事をしていくのに、相当レベルの高い人たちを使わなければなりませんでした。稲盛塾長よりふた回りも年上の方もいます。元の会社の上司も京セラに入社してきました。当時専務だった人は、稲盛塾長の父親と同じ年齢でした。こうした錚錚(そうそう)たる人達をまとめ、リードしていくことを求められたのでした。 

中小企業には力がありません。そんな企業が力を出すためには、なんとしてもみんなの考えを一緒の方向へ揃える、つまりみんなが一緒になって、同じ方向を向いてくれれば、少しでも仕事ができるわけですから、ベクトルを揃えなければならないのです。ベクトルを揃えるためには、相手に“なるほど”と思わせる説得をしなければならないのです。仕事の面でも人物の器の面でも“なるほどな”と向こうが同意し、納得してくれなければなりません。 

稲盛塾長は父親と同世代の人たちや、一回りも年上の人を部下として使わなければならないのでした。しかも何とかして皆の力を結集することがどうしても必要でしたから、年上だろうがみんなの前で叱り、説教もしました。 

朝礼ではみんなに集まってもらって“実は昨日こういうことがあったけれど、これでは困るのです。こうしてもらわなくてはいけません”稲盛塾長の父親ほども年齢が違う役員に“立ってください”といって説教したりしました。説教されるとその役員も辛いのです。 

朝礼が済んでからでも、その役員にさらに叱りました。“役員のあなたがみんなの前で姿勢をシャンとして私の話を聞いてください。“稲盛くんの言う通りや”とかしこまって聞いてください。役員自身がわかっているかわからないような顔をしていたのでは、他の従業員も聞いてくれません”“ですから、シャンとして私の話を聞いて欲しいのです” 

稲盛塾長は理科系の勉強はよくしていましたが、文化系の勉強はあまりしたことがなかったのです。ですからみんなを納得させようと思って、聞こえの良い言葉を使おうとする。誰かの受け売りで話をしても、いい加減な記憶しかない。“こうしなければダメだ”という時に、納得させるために、日常の言葉に加えて昔の立派な人の言葉を使って格好をつけようとしました。

何とかしてみんなに“稲盛君はちょっと違うぞ、この技術部長は大したものだ”と思ってもらいたいのです。恰好をつければ馬鹿にされます。それで一生懸命勉強し始めたのです。自分で自分を磨かなければ、カリスマ性など身に付かないのです。自分の周囲に自分を高めたいと思う人々と交わる、人間性を高めるための哲学書を毎日読む。 

自分を磨いていく、常に怠らずに自分の教養を磨き、知性を磨き、人格を磨いていけば、集団のメンバーがついてきてくれます。従業員の方々は純粋な素朴な人が多いのです。こうした人たちは偽物と本物を本能的に見極める力を持っているのです。一生懸命に自分を磨き、そして従業員に話しかけていけば、この人たちは必ずついてきます。 

相当知的レベルの高い従業員、パートの人たちも含めて、経営者であるリーダーに惚れてもらわなければなりません。 

惚れさせるためには自分を磨くことが必要

“人たらし”という昔からの言葉があります。戦国時代を生き延び、天下統一を果たした豊臣秀吉は、優れた人間関係を作り、人を説得する、人をたらし込む歴史上の人物です。 

人をたらし込むほどの人間性を持っていなければ仕事は大きくならないのです。まずたらし込むのは従業員です。従業員に惚れ込んでもらえることが一番大切です。従業員がリーダーである社長に惚れ込んでくれますと、従業員を引っ張ってベクトルを合わせて、目標に向かって進むことができます。 

しかし、インテリになればなるほど、惚れさせるのは難しいのです。素朴な人たちは、リーダーの人柄だけでも惚れてくれます。インテリになればなるほどそれは難しい。インテリにに惚れ込んでもらえるためには、インテリ以上に自分がインテリになることが必要なのです。そうすれば“あっ、うちの社長は俺よりはるかに優れた哲学があり、リーダーとして立派だ”と思うのです。そのためには自分自身を磨いていかなければどうにもなりません。つまり、従業員が尊敬してくれるような人とはどういう人なのか、それが盛和塾で学ぶことなのです。 

稲盛塾長は専門となるセラミックス分野、そして電気通信分野の知識は持っておられました。しかし会社を作ってからは、自分を磨くために、哲学書、宗教的な本をたくさん読んでこられました。書籍の七割くらいは宗教や哲学に関する本です。それを毎晩、ベッドに入り、一頁でも読むのです。“トップの器ほどしか企業が大きくなりません”というのは、そういう意味なのです。宗教や哲学の本を読み、日頃の仕事の中で学んだことを実践する。自分の心を磨き、少しずつ自分の器を大きくしていくのです。 

地味な努力を積み上げ、誰にも負けない努力をする

多くの中小企業と同様、京セラは二十八名の従業員でスタートしました。初年度の売上は三千六百万円でした。ひと月当たり、資本金三百万円と同じくらいの売上だったのです。こうした中小零細企業で一番大切な事は、なんといっても働くことです。第一番にすることは“誰にも負けない努力をする”ということです。このことは六つの精進の第一、誰にも負けない努力をする、と述べられていることです。 

“京セラはあんなに大きい世界的な事業をやっておられるのに、自分は田舎でこんな地味な仕事をコツコツやっているだけでうだつが上がるわけがない”そのために、“一生懸命に頑張る”と言われても、一生懸命になれない。あるいは逆に、“俺は大学も出ている。こんな小さい日常の仕事ぐらい簡単なもんだ”と逆に甘く日ごろの仕事を見てしまう。これではいけないのです。 

どんな偉大なことも、地味な仕事を一歩一歩の積み上げでしかありません。本当に些細な仕事の積み上げでしか偉大なことはできないのです。ただ一生懸命一生懸命に、気の遠くなるような努力を続けることしかないのです。 

世界最高峰のエベレストに登るのでも、麓(ふもと)から一歩一歩足で登らなければ登れないのです。“この一歩位では”とか“たった一歩じゃないか”と決して馬鹿にしてはならないのです。一歩一歩の地味な労力こそが大事なんだということを認識し、その上で誰にも負けない努力をするのです。 

“努力をしていますか”“努力しています”と返事が返ってきます。しかし“誰にも負けない努力”は、誰もできてはいないのです。夜中の十二時まで努力をしたとしても、他の人は朝の二時まで努力をしているかもしれないのです。自己満足する努力では努力のうちに入りません。誰に負けない凄まじい努力をすることが六つの精進の第一なのです。 

行動規範を道徳に置いた二宮尊徳

日本の学校には、よく薪を背負いながら本を読んでいる銅像が立っていました。二宮尊徳の像です。 

哲学者の内村鑑三が描いた“代表的日本人”という本の中に、二宮尊徳のことが出ています。日本人の素晴らしさを世界に紹介するため、内村鑑三が英文で書いたものです。その本の中で、代表的日本人として、西郷隆盛、二宮尊徳、上杉鷹山(ようざん)などを挙げています。日本語版も岩波書店から出ています。 

徳川時代、各藩が困窮を極めていた時、今でいう小田原、北関東で二宮尊徳は鍬(くわ)一本で荒地を豊饒な農地へと変えていくのです。江戸時代の動力といえばせいぜい牛か馬を使うくらいで、普通の農家では牛馬などを持っていません。人力のみです。

中小の藩は、財政窮迫を告げると更に重い年貢を課します。つまり増税です。農民が塗炭の苦しみをしているところへ、さらに増税を課したのでは、農民は土地から逃げていきます。村は、家は朽ち果て、田畑も荒れるがままに放置されていました。田畑も人心も荒廃しきっていたのです。その中に二宮尊徳は鍬一本で乗り込んで、村を立て直したのです。 

人間の力は大したものです。荒廃しきって荒れ果てた村を、二宮尊徳は立て直してしまったそうです。村人を説得しつつ、自分も鍬一つ担いで、朝は朝星をいただいて野良に出て、とっぷり日が暮れるまで仕事をする。それを続けて数年で豊かな村に変えていく。藩の財政再建に二宮尊徳の働きは大変な影響力があったのです。 

中小企業の経営者もそういう姿勢で仕事に当たっていくことが一番大事なことです。 

“スーパーでわずかなものを売っているから、些細(しさい)なものをやっているから、田舎でマーケットもそう大きくないから、こんなちびちびとやっていては本当に良くなるだろうか。こんな事は無意味ではなかろうか”と考えてしまってはいけません。 

京セラの場合も、稲盛塾長の仕事は焼き物でした。優秀な人たちが手をつけない分野だったのでした。開発したファインセラミックスにしても、開発当時はマーケットなどまだありませんでした。だから何か仕事がないか、探していかなければなりませんでした。それが、三十五年後の今は、国内一万四千人、海外一万四千人、合計で二万八千人も従業員を抱え、何千億円の売り上げを出す企業になるとは、誰もが考えもしなかったのです。想像もつきませんでした。一歩一歩努力したことが素晴らしい企業を作っていた礎なのです。地味な仕事を誰にも負けない努力でやり遂げることを忘れないようにするのです。 

二宮尊徳は努力を綿々と続けて、荒廃した村々を立て直していきましたが、その後の行動規範が“道徳”でした。道徳に反するような事は一切してはならないという彼の道徳観は、儒教からきたものが主体となっているそうです。 

二宮尊徳の生い立ち

彼は両親を早く亡くし、伯父一家に引き取られます。十歳にも満たない彼はそこで苦労するわけですが、どうしても勉学をしたい。伯父さんの家に厄介になり食べさせてもらっている。だから彼は昼間は精一杯伯父さんの仕事を手伝ってがんばらなくてはなりません。でも夜だけは自分の時間があるからと本を読み始めました。菜種油に芯をつけて、火をともして勉強していました。ところがそれを見た伯父は怒るわけです。“貴重な油なのに、お前が毎晩火をつけて本を読むとはけしからん。お前は本を読む必要は無い。農家の仕事を覚えればそれで良いのだ。”聞こうともしないでそう怒られると、誰でもひねくれてしまいます。ところが二宮尊徳は、素直に聞いたのでした。“なるほど、伯父さんの家に厄介になって飯を食べさせてもらって、置いてもらうだけでも本当に喜ばなければならないのに、伯父さんの家で油を使って火をともして勉強するなんて、確かに伯父さんの言う通りだ。”と思ったそうです。 

怒られた彼は、おじさんの家の裏にある荒れ地に目をつけ、そして休日をあげて荒地を開梱し、なたねを栽培します。秋口、それを村の油屋さんに持っていき、油に代えてもらいました。“今度は伯父さんの油ではないから、今度は怒られないぞ”と思ったのでした。 

おじさんは“その油はどうした”と言われて、自分で菜種を作り、油屋さんに油と交換してもらったことを伝えました。おじさんは“けしからん、うちの家に世話になっておきながら、お前の時間は俺のものだ。そんなことをするなら、なぜ俺の仕事を手伝わない”彼はそれを素直に受け入れ、菜種油を全ておじさんに渡しました。 

そして考えました。薪を取りに山へ行く時に、歩きながら本を読もうと思い立ったのでした。こうすれば、おじさんに文句は言われない。それがある銅像になったそうです。それぐらい素直な子であったからこそ、儒教に基づく道徳観を判断基準にするようになったようです。 

人間として何が正しいかを判断基準に置く

稲盛塾長は京セラという会社を作ってから、気の遠くなるような地味な仕事を、誰にも負けないくらい頑張ってきました。毎晩遅くまで働きました。そういう姿を見て、従業員もついてきてくれました。一方でついてこれない人は辞めていきました。 

多くの経営者は、人材が得られないとばかり思っております。だから今いる従業員をきつく叱ることができない。きついことを言えば、辞められる。だから腫れ物に触るような調子で従業員に接している。そういう会社が大半ではないでしょうか。それともう一つは、社長がどういう風に叱るか、従業員を叱り飛ばして、しかもその内容を従業員が納得するように説明することができない。要するに自信がないことが従業員に本音で話し、叱り飛ばすことができないのだろうと思います。会社と皆さんに惚れ込んでもらい、“この社長ならついていこう”という人たちの集まりでなければなりません。 

ですからそうでない人は辞めていきます。その人がいなくなって仕事の量が減って、事業が少し縮小したとしても構いません。頼りなくてもついてきてくれる人を雇って、頼りない仕事をする方が良いのです。 

従業員に向かって話をする。経営判断をするときには、人間として正しいと思うことを基準にして断固とした態度で話すべきなのです。それをベースにしても、人が辞める時はそれで良いのです。このとき、辞められるかもしれないと思い、自信がぐらついて曖昧なことを従業員に言ってはいけないのです。 

経営者は例えば、この取引はして良いか悪いのか、いろいろな局面で様々な判断を迫られます。営業から“値段が高いと言われました。どうしましょう”と言われる。“この値段でしか買わないと言われるなら、その値段にしよう”と言わなければならないこともあります。稲盛塾長も、こういうものを決めるときには、大変心配したのでした。その悩んだ結論が“人間として何が正しいか”“人間として正しいことを正しいままに貫こう”ということでした。商売で儲かるか儲からないかではなく、人間として正しいのか正しくないのかということを判断の基準にしようと決められました。 

今まで塾長は先述のように人文科学的なもの、社会科学的なものをあまり勉強していませんでした。学問的素養は何もありません。幼少の頃から学生時代に、両親や先生から教わったり叱られたりした“やって良いこと悪いこと”人間として何が正しいのかという基準にしたのです。 

稲盛塾長は小学六年生の時、当時不治の病と言われていた結核を患いました。伯父、伯母も結核で亡くなっていました。その甥の稲盛塾長が発病したのです。塾長も、自分も今に死ぬだろうと思っていたそうです。 

ある晴れた日、布団で休んでいたところ、隣の奥さんが、生長の家の谷口雅春さんの“生命の実相”という本を貸してくれました。このことが幸いしました。“もし興味があったら読んでごらん”と言われたのでした。小学六年の稲盛塾長は“生命の実相”をわらにもすがる気持ちで、貪るように読んだそうです。両親、先生、“生命の実相”から教わったり、学んだこと、それを基本として判断基準として経営をしてこられました。 

一つ目は、人一倍努力をすること、誰にも負けない努力を払うことです。どんな地味なことであろうと、地味なことを馬鹿にしないで一生懸命努力すること。 

二つ目は“人間として何が正しいか”ということを判断基準に置くこと。この二つの哲学に根ざした哲学を京セラではフィロソフィーとして伝え、こういう考えで形をしていくからついてきてほしいと伝えてきたのです。 

道徳に裏打ちされた西郷隆盛の倫理観

内村肝臓の書いた“代表的日本人”の中でも挙げられている、明治維新の大偉業を成した西郷隆盛(南洲)も素晴らしい哲学を持っていました。彼は明治維新を行う前に、薩摩藩の島津久光の逆鱗に触れ、二回も三回も島流しの刑に遭っています。最初の流刑地、奄美大島で牢獄に繋がれていた時、南洲は中国の古典をひもとき、勉強します。そして素晴らしい哲学、人生観を確立していきました。 

“命もいらず、名もいらず、位も入らず、金も入らずという人こそ最も扱いにくい人である。このような人こそ、人生の困難を共にできる人物である。またこのような人こそ、国家に偉大な貢献をすることのできる人物である”というくだりです。今の世相を見ますと、虎視眈々(こしたんたん)と地位を狙い、名を惜しんでいる、そういう人ばかりが群がっているから国が乱れるのです。 

新しく明治となったのに、偉くなった連中があまりにもお粗末で、哲学を持たない人たちばかりいるのを見て、南洲は憤慨して、後に野に下っていきました。その彼が持っていたのが“人間として何が正しいか”という倫理観でした。 

福沢諭吉のいう実業社会の大人(だいじん)

明治の思想家、福沢諭吉がいます。近代国家、近代工業国に向けてスタートを切った明治が始まりました。明治の若者たちは近代国家を形成した西欧諸国を視察してきました。封建社会であった日本の貧しさに比べ、西欧の資本主義社会の繁栄ぶり、そのあまりの違いに圧倒されました。西欧の視察から帰ってきた福沢諭吉は次のように述べています。 

“思想の深淵なるは哲学者の如くにして、心術の高尚正直なるは元禄武士の如くにして、これに加うるに小俗吏(しょうぞくり)の才を以てし、さらに加うるに土百姓の身体を以てして、初めて実業社会の大人(だいじん)たるべし”。 

実業社会の大人物は、いわゆる商売の技術を知っているかどうかでは無いのです。単なる商人とはまるで違うものです。実業社会の大人というのは、哲学者が持つような深遠なる思想を持っていなければならない。そして四十七士が討ち入りをした元禄武士のように誠実な心がなければならない。 

加えて袖の下をもらっていろいろ悪さをする下っ端役人のように気が利かなければならない。大体、気が利いて抜け目のない奴というのは商売気のあるやつです。それも才覚です。つまり小賢しい才覚という意味を込めています。 

加えて、朝から晩まで鍬を持って働いてもへこたれないような、土百姓のような頑健な身体を持ち、誰にも負けない努力をする。 

商売人というのはいい加減でインチキなものではなく、誠に素晴らしい心根を持っていなければならない。ずうずうしい、いやらしいのが商売人と思ったらとんでもない。真の商人というのはそうではなく、大人であるべきだと言っているのです。 

従業員から尊敬され、従業員をたらし込まなければならない、そのためには誰よりも素晴らしい心根を持っていなければならないのです。真面目ならば良いのかというとそうではありません。悪さをしかねない気の利いた抜け目のない才覚がいるわけです。ただし抜け目のないままでは何をしでかすかわかりません。そこでその才覚を正しく使うために、哲学や思想が必要なのです。 

気の利いた人ですと、すぐにごまかして悪さをします。“あの人は三十年も勤めていて、ベテランなのに、あんなことをしでかすとは思いませんでした”そういう商才、小俗吏(しょうぞくり)の小細工の才も要ります。最後に、土百姓の頑張りも必要だと福沢諭吉は言っています。 

道徳に準拠した立派な判断基準を持つ

二宮尊徳、西郷隆盛、福沢諭吉の話から、京セラの三十五年の経験からしますと、商売を伸ばしていくのには、一般にいわれる、気が利かないといけないとか、抜け目がないようではいけないとか、こういったハウツー物からは全く逆の遠い話のような気がします。もっとその反対な人間を作ることや、思想を高めることの方が大事なのです。 

古代インドの経典の中、ヴェーダの中にあるサンスクリット語で書かれた格言があります。“偉大な人物の行動の成功は、行動の手段によるよりも、その心の純粋さにある。”つまり心が純粋だから偉大な成功を成し得たのだと言っているのです。 

塾生の中には“企業はトップに立つ人の器までしか大きくならないと聞いています。私は器を大きくしたいんです。”という人がいます。トップの“器を大きくする”ためには、心に立派な判断基準を作ることです。そしてその判断基準を“人間として何が正しいのか”と定められれば、過ちを犯すことが少なくなります。先般のバブル崩壊でも、京セラは不動産、株式を一切やっていませんから、何の被害も受けていません。そういう意味でも判断基準を立派なものにしていく必要があるのです。 

経営理念を定めたきっかけ

もともと京セラは稲盛和夫が開発したファインセラミックスの技術を世に出すためにを作られたものでした。“今は創業したばかりの会社でうまくいっていないけれど、きっとこの会社を立派にして皆さんを幸せにしてあげるから、頑張ってついてきて欲しい”と皆さんに訴えていました。ところが新しく採用した人たちは“不安だ不安だ”とできたばかりの会社だからと言い始めました。 

“本年暮れのボーナスはいくらくれるのですか。来春の昇給は何%にしてくれるのですか。来年夏のボーナスはいくらなのですか。われわれはこれだけの昇給ボーナスもらいたい。来年も再来年もその翌年も最低でもこのくらいは保証してくれなくては困る。保証してくれないのなら、われわれは辞めたい。”十一人の高卒者が揃って辞めたいと言ってきたのです。 

その時に、稲盛塾長は二間の市営住宅に住んでいました。この十一人の若者を自宅に連れてきて、三日三晩話し合いました。 

”君なんかが補償しろと言ったって、保証できるわけがない。会社ができたばかりで、まだ本当にその日暮らしなのだから。一生懸命頑張って、きっと会社を立派にして、君たちを幸せにしてあげるから、それを信じてくれ。”

“そんなことでは困る。保証してくれ。約束をしてくれ。”

“約束などできるわけがないではないか。私自身が会社がどこまでどのように行くのかわからないのに、約束はできない。私を信じてついてきて欲しい。それも信じられないと言うのなら、騙される勇気を持ってはどうだろうか。一年、二年、私が騙すような男だったら、その時に辞めても遅くはないはずだ。君たちは高校出たばかりで遅くはないだろう。試しに騙されてみる勇気を持ってみないか。” 

結局、みんな残ってくれたのです。その時、京セラという会社は、稲盛和夫が開発したファインセラミックスの技術を世に問う場と位置づけたことを“しまった”と思ったのです。十一人に約束した事は、日本の終身雇用制みたいなものになってしまったのです。それは中に住む従業員を守っていくことが会社の目的になったことを知らされた事件だったのでした。 

しかし釈然としません。稲盛家は貧乏でした。稲盛塾長は毎月家族に仕送りをしていました。また両親は兄弟を厳しいインフレの中、育ててくれました。その両親にも楽をしてもらいたいと思っていたのです。自分の親兄弟も楽にしてあげられない男が、昨日まで赤の他人であった人を採用したばっかりに、その人の一生の生活の面倒を見なければならなくなったのです。 

稲盛塾長は“この会社は私の技術を世に問うための場として作ったという技術屋のロマンを潔く捨てて、京セラの目的を“全従業員の物心両面の幸福を追求する”としたのでした。 

失意の中で決めた会社経営の目的でしたが、自分でそう決めた以上、後は振り向かずに一生懸命それに向かって努力されました。 

美しい心で努力することが成功と光を呼ぶ

会社の目的を“全従業員の物心両面の幸福を追求する”と決めた途端、厳しく指導することに躊躇することがなくなりました。以前は稲盛和夫の技術を問う場としても京セラだったときは、従業員にも若干の遠慮がありました。しかし今度は“ボーッととしているんじゃないぞ。京セラをみんなの会社だから、いい加減に働くな”と言えるようになりました。 

“みんなの会社じゃないか、お前も頑張れよ”“文句を言うやつはもういらん。なんでそんな奴の一生の面倒を俺が見なければならないのだ。”一生懸命働きたいという人が集まり、その皆を幸せにするための会社ですから、辞めたい人は必要ないのです。 

会社の目的を不本意ながら失意の中で決めたのですが、でも全従業員の物心両面の幸福を追求することは、道徳的にも、哲学的にも、宗教的に行っても、素晴らしいことだったのです。自分の都合の良い利己的な考え方のときには、皆が反発します。しかしそれが逆にみんなを良くしてあげたいという美しい思いやりの心、利他の心であれば、みんなが賛同してくれるのです。 

付け足しで“人類社会の進歩発展に貢献する”は世のためですから、もっと良いことを言っているのです。 

美しい思いやりのある心を持ち、誰にも負けない努力をする。そうすれば、必ずその仕事、その努力が実ってきます。それどころか幸運もついてきます。世のため、人のためにやっておれば、自然とそうなっていく。これが自然の摂理なのです。 

経営者の責任と闘争心

世のため人のためにということで仕事をしていますと、本当に素晴らしい展開をしていきます。ただしこれは“自分を儲からなくても良い。よそが儲かったらそれで良い”と言っているのではありません。それでは会社は潰れます。 

二十ハ名の従業員を、いや翌年は五十名、再来年は百名の人を食べさせていくためには、前回儲かったから今回は損しても良いと安心しておられません。ましてや損などできるはずがないのです。百人みんなを幸せにしていくためには、凄まじい形相で商売をしていくことになります。従業員に還元してあげるには、儲からなければなりませんから、経営者には凄まじい闘争心がいるのです。 

商売というのは本当に生き馬の目を抜くようなものです。福沢諭吉の言った小俗吏(しょうぞくり)の才のように、商才があり、才覚があって、気が利いて、悪さをしかねない人がたくさん周りにいます。同業者もいます。油断すれば、何もかも失いかねないのが商売です。 

社長は自分一人だけではなく、百名の従業員に対して責任があります。きれい事を考えてきれい事になってしまって、同業他社に遅れをとってしまっては大変なことになります。俺の後には百人いるんだ。自分だけのことを考えている同業他社の経営者に負けてたまるものかと、根性を入れて頑張ろうと思うべきなのです。ただしその闘争、戦いは正々堂々と正しい判断のもと、正しい行動によってなされなければ、長続きしないことを肝に銘じておくことが肝要です。 

きれいな心というのは、自分が儲からなくても良いというものでは無いのです。百人もの従業員を幸せにしていくための心です。そのためには努力をして競争して、儲からなくてはなりません。 

経営者が立派になると、従業員、社会、国までもが立派になっていく

近代社会は、経済活動があってはじめて潤いのある豊かな社会ができます。その経済活動のもとは、付加価値です。付加価値を生み出す商業、事業があってはじめて、社会が豊かに潤ってきます。税金で国、地方の県、市、町、学校も支えられています。そのもとのお金はわれわれの経済活動です。事業している人達がいるからこそ、国があるのです。 

経営者は税金を納めながら、さらに従業員に給料を払っています。これが国の財政を支えているのです。その国を支えているのが中小企業なのです。“中小企業は大変だ、大変だ。”とよく言います。通産省や地方政府へ陳情します。しかし国は何もしてくれません。もし国が何かしてくれるとしても、それは経営者が納めた税金が返ってくるだけのことです。 

中小企業は従業員を雇っています。中小企業の経営者の言動は、従業員に投影されていきます。ですから、豊かで素晴らしい社会を作るのは、役所が立派だから、学校立派だからではありません。中小企業の経営者が立派になれば、経済も豊かになっていきますし、同時に社会そのものが立派になっていくのです。