盛和塾 読後感想文 第150号

すべては思うことから始まる

先賢の高邁(こうまい)な知識を学んでも、経営論や技術論をいくら習っても、道を究(きわ)めようという強い信念、高い志、勇気を持って挑まなければ、身に心に深く刻み込む事はありません。いざ実践しようという時に役に立たないのです。 

目標までの長い道のりを前にして、唖然として立ち尽くし、“自分にはとても無理だ”と諦めて前進を止めてしまうのは甘えであり、逃げであり、卑怯者のすることだと西郷隆盛は言っています。ほとんどの人々は、“自分にはとても無理だ”その理由は、人材がいない、経験がない、お金がない、技術もない、ない理由を考え、自分自身を説得して、あきらめさせると思います。 

どんなことでも、まず強く“思う”ことから全てが始まるのです。“そうありたい”“こうなりたい”という目標を高く掲げて強く思う。それも潜在意識に浸透するほどの強く持続した願望でなければなりません。寝ても覚めても途切れることのないくらい強いものであって、初めて先人の教えを実践の場で生かすことができるのです。 

その“思い”の目標・目的は、遠く、茨の道かもしれません。苦しいことの連続に違いありません。こんなに辛い目に遭ってまで、どうして“高み”を目指さなければならないのかと思い、迷い、悩むかもしれません。 

しかし、固い志に拠(よ)って立つ人は、目標へと続く道路が眼前から消え去ることはありません。たとえ途中でつまずいてもくじけても、また立ち上がって前へ前へと進むことができます。逆に志なき人の前には、いかなる道も開かれる事はありません。 

そして、その“思い”は、純粋な心から発生したものであることが必要なのです。強く持続した思いであるならば、普遍的な、誰もが同意してくれる、世のため人のためのものであればなおさら、強力で持続した思いとなります。どちらにしても強く思う心がなければ事は始まらないのです。 

経営者はどうしてもこうありたいという強い願望を持て 

トップとナンバーツーの絶対的な

盛和塾の機関紙に掲載するための座談会がありました。そこで話が出たのですが、我々経営者というのは、自分というものは何なのか、自分の人生は何なのかということを真剣に考える人であるべきだと稲盛塾長は言われました。なぜ生まれてきたのか、なぜ自分はこういう職業に就いているのか、なぜだろうと真剣に考える必要があるのです。 

“塾生は、そういうことに疑問を持って、真剣に学びたいという人でなければならない。ただ単に漠然と人生を進みたいという程度の考えでは困る。” 

社長をしている人と、常務、専務をしている人では全く心持ちが違うのです。常務、専務も“自分だって社長と同じような仕事をしているのだ。”と考えておられると思いますが、実は、その責任に雲泥の差があるのです。“社長になってから心配で心配で眠れなかった”というくらい、両者は全く違うのです。社長とは想像以上にきつい仕事で、常務、専務とは全く違うのです。常務でも専務でも、後を継がれる方でも、今社長をやっている方でも、自分の人生、社長業を全うするからには、もっと真剣に学びたいという人であるべきです。 

二代目社長の方々の中には、学校を出て“よそさんの飯を食ってこい”と修行に行かされた方もおります。また中には、親の後を継ぎたくない、頭もちょっとばかり良く、他の道をずっと歩き続けて、年がいってから、やはり親の後を継ごうということで、盛和塾で学ぼうと、塾生になった方もいます。若い時に“父親の仕事なんかする気は無い”と言うので、横道を歩いてきた人もいます。遊んできたという意味では無いのですが、外で学ぶ以上に、父親の会社の方がもっと真剣に学び、実践的な大変な苦労を経験できたというわけです。そういう意味でもったいないと言っているのです。 

子供の頃は、親がやっている商売というものは決して魅力的には見えません。親の仕事はあまりしたくないというのが本音ではないでしょうか。本当なら、出来る限り最初から後を継がせるようにすべきだと思います。 

存在の意義を真剣に考える

なぜ自分はここにいるのかと真剣に考えてみる必要があります。今自分がいることの必然性に理屈をつけて、必然性を求めて自分の人生を意義あるものとして、自分で自分に思い込ませることが重要なのです。 

今はアパートの事業をしているが、金儲けのために始めたのですが、アパートの経営をしている間に、低所得者の人々が、レント代の高騰に困っているのに気がついた。そうだ、できるだけ安く良いアパートを作ろう。経費のかからない工夫をして、レント代の高騰に挑戦してみよう、低所得者の人たちに良くて安いアパートを提供していこう。これが私の目的で、ここに私の人生の意味を見つけよう、と考えて良いのです。 

そういうように考えますと、自分の人生、生活に張り合いが出てきます。 

盛和塾に関わる人たちを幸せにしたい

稲盛塾長は普段から、自分の存在意義を考えています。稲盛塾長は二十七歳で会社を作っていただいて、今では国内に一万五千人の従業員がおり、海外にも一万五千人、国内外合わせて三万人の従業員がいます。その従業員には三~四人の家族がいるとしますと、その三倍から四倍の人が京セラに関わっています。第二電電には二千人の従業員がいます。ここまで順調に来ており、大変多くの従業員や家族を養っています。 

その時、自分の存在はどういう意義があったのだろうかと考えてみますと、自分が生まれてきたことによって成し遂げた良いことに、自分の存在価値を見つけることができます。 

しかし、こうした仕事の中で、こんなこともあった、あんなこともあった。あんなこともした、こんなことも真剣に取り組んできた。周囲の人たちも導いてきた。そうだ厳しいことも要求した。私は仕事には大変真剣でした。いい加減さは許さなかった。稲盛塾長は大変真剣に仕事をしてきています。だから周囲にも大変厳しい態度を求めます。自分も厳しい生き方をして、他人にも厳しい生き方を要求していますが、その分、自分の周囲には多くの人たちを幸せにすることができたと考えております。 

稲盛塾長の周囲の人たち、身内、親戚の人たちも皆、稲盛塾長が存在していることを大変喜んでおられます。海外にも一万五千人の従業員がいるわけです。そう考えていますと、稲盛和夫がいなかったら、こんなこともなかった、あんなこともなかった。今命が消えようとするお袋から生まれた一人の男が、世のため、人のためになることをしてきたのだ。 

そうだ、どうせここまで来たのだから、今取り組んでいる盛和塾で、まだお目にかかっていない人たちも幸せにできるのではないか。盛和塾の塾生の中には、小さな会社で、十人や十五人の従業員はいるだろう。また何百人も従業員を抱える会社の社長もいます。その人にはたくさんの従業員がおられるのだから、自分はその全員を幸せにしてあげることができるのではないか。 

盛和塾が五千人になりますと、社員は一社百人としますと、五十万人になります。日本最大級の集団となります。こうした人たちを幸せにしていくことができるのではないか。自分の存在意義もここにあるのではないか、と稲盛塾長は考えられました。 

自分の存在意義使命を自覚する

創業者であろうと、二代目、三代目であろうと“なぜ自分はこういうことをしているのだろう”と自分で考えることが大切です。自問自答していくのです。確かに、どこにも行くところがないために、父親の後を継いだかもしれません。それだけではあまりにも惨めすぎます。そうではなく、“自分が父親の後を継ぐのは、必然性があったのだ。それを世のため人のために良かれかしとして、神様が決めてくれたのだ”と決めてしまうのです。 

そして現在の自分自身の存在意義、位置を現実的に考えていきますと、いい加減には生きられません。 

人間は、今生きていることを漠然と受け止めてしまいがちです。自分たちがこの世に生を享(さず)けられたのは、そこに何か目的があり、そのような使命を帯びているからなのです。神様が私たちをこの世に出したのは、そのためなのです。 

中小企業でも社長の息子であったため、経済的に恵まれていたかもしれません。世の中を甘く見て育ててきたのかもしれません。そんな人でも自分が好むと好まざるにかかわらず、自分のおじいさん、お父さんが作った会社を早く立派にしなければならない、義務、責任があるのです。

そのように自分の存在意義を考えますと、毎日毎日いい加減に生きてはいられない、と真剣な、生真面目なものが要ることに気がつきます。それが仕事のベースになると思います。 

未経験ゆえの心配性が経営に生きる

稲盛塾長は、松風工業で三年間勤め、二十七歳で京セラを作っていただいたものですから、経営のことに関してはほとんど経験はありませんでした。ですから、慎重な稲盛塾長は、大変怖がりで、もう一寸先が真っ暗闇という感じがして、必死で努力をせざるをえませんでした。そういう怖さ、恐怖感を真剣に捉えることによって、自分を駆り立てる力となったのでした。恐怖感がドライビングフォースとなって、やっても安心できない、自信がない。そこで必死にがんばりました。もちろん夜も昼もありません。朝早くから夜中まで仕事に取り組みました。 

京セラの古い営業担当の社員が言っていました。稲盛さんは私たち営業の社員が会社に戻るまで待っていてくれました。市電で夜八時頃に戻りますと、会社の門の前で社員が帰社するのを待っているのです。そして“御苦労さん、御苦労さん”と言って肩を叩いて、“注文は取れたか”といい、“どうやったか”と聞いていたそうです。いくら遅くなっても、稲盛塾長が門の前に立っていることが想像できるものですから、営業の社員はどんなに遅くなっても会社に帰ってきたそうです。 

このように怖くて心配ばかりしていたものですから、一生懸命やっても安心できません。稲盛塾長が夜中まで仕事をしていましたから、従業員も残らなければならない。すると皆フラフラになってしまい、健康にも影響が出てきました。今度は従業員の不満が爆発して、大問題が起こるのではないかという不安が出てきました。

そのうち幹部が“こんな無茶をするのだったらみんな体を壊してしまって続きません。もっとこうしましょうよ”と言ってきました。“そうかな”とは返事をするのですが、“じゃあ何時に帰って早く休もう”とは言えないのです。“そうやな、そうしよう”と言うのですが、やはり、“早く帰ろう”とは言えないのでした。 

それには、次のような考えがあったからでした。 

四十二・一九五キロを百メートルダッシュの勢いで

“経営とは一生を通じてするマラソンです。気の長いマラソンです。京セラは一九五九年にスタートしました。マラソンレースだから、四十二・一九五キロを完走できるような走り方をしようやないか。だけど四十二・一九五キロはどのぐらいのペースで走ったら良いのかわからない。”

朝八時から夕方五時まで働いたらちょうどいいペースなのか、六時までくらいがいいペースなのか、七時まではいいペースなのか、誰もわかりません。マラソンを走った人ならばペース配分はこのぐらいで行かなければ保たないと知っています。しかし京セラは何も知らない、そのマラソンレースに参加してしまったのです。 

一九四五年の敗戦で十四年が経っていました。一年を一キロメートルと仮定しました。敗戦時にスタートしておれば、京セラ創業時一九五九年には先頭集団は十四キロ先を走っているのに、ずいぶん遅れてマラソンレースに京セラは参加しました。 

京セラは四十二・一九五キロを一生かけて走らなければならない。ペース配分も何もわかっていない、一流の出でもない選手。千メートル、五千メートル、一万メートルでも走ったことがない。何もわからない田舎の青年が走り出したのだから、もうどうしようもない。だからがむしゃらに走らなければならない。まさに百メートルダッシュみたいに。 

しかし、京セラの百メートルダッシュ、つまり夜を日に継いで寝ないでがんばっても、実はそれが一流のマラソンランナーのスピードなのかもしれない。自分は勝負にならないことをしているのではないかと恐れました。日本の他の企業は十四キロ先を走っているのです。こうなったら百メートルダッシュでやみくもに走るしかないではないか。 

“百メートルダッシュ”は“続かんと思う”と言う。だが続かんでもいい。このレースは五キロ保つのか、十キロ保つのかわからない。そこまで行ってダメなら、それで良いではないか。勝負にならないことでウロチョロするよりは、そのほうがましだ。 

必死になって走っている間は、確かに走りすぎていると言えるかもしれないし、どんどん人を負い抜けていけば、走りすぎと言えるかもしれない。その時は初めてペースダウンしてもよいのではないか。 

“能力もない経験もない自分が他人様と同じようなことをやっていたのでは、どうにもならない。人の何倍もやろう”と考えたのでした。

面白いことに、ガムシャラに頑張ることが習い性になってきますと、何も苦ではなくなるのです。 

稲盛塾長の一日は、夜の十一時、十二時に帰宅。夕食を食べて十二時半か、一時前。朝は七時に朝食を食べて出社でした。京セラの社員もそうでした。そんなことをしたら体を壊してしまうのではないかと言われます。しかし全然問題はありませんでした。体を壊すと思うと体を壊すのです。がむしゃら生活が習い性になり、それが当たり前になっていました。 

住む世界を変えるために

ロケットは地球の引力を振り切って宇宙空間に飛び立って行きます。ものすごいスピードを上げていくのです。そして宇宙空間で、周回軌道を回り始めると、時速にして何万キロというものすごいスピードで回っています。ところが地球から打ち出したときには、G(重力)に逆らって行きますから、宇宙飛行士にはものすごい重力がかかります。彼らはそれに耐えられるようにトレーニングをしているわけです。相対的にはものすごいスピードになるのですが、一旦宇宙空間に出れば、宇宙遊泳をしています。地上で静止しているものを宇宙空間に飛ばすためには、ものすごいスピードで飛ばす必要がありますが、いざ宇宙に出ますと、それが平常のレベルになり、静止しているのと変わらない状態になります。 

ボロ会社で経営をしていますと、この業界の利益率はこれぐらいです、と皆規制概念があり、それが当然と思っています。長年続くとそこにハマってしまい、動くことができないのです。 

素晴らしい経営をしているところは、ボロ会社の状態を離脱して宇宙空間の世界-高収益企業の仲間入りをしているのです。高収益企業の従業員は、大変苦労をしていると他のボロ会社の従業員は思っているのですが、実は高収益企業の従業員にとっては何の苦労もしていないのです。 

宇宙への脱出-高収益企業の変身は、ものすごくガムシャラな努力をして、ボロ会社の世界から脱皮しようとして頑張ったのです。しかもその頑張りは習い性になっており、少しも苦労とは思っていないのです。このボロ会社から高収益企業への変身にはものすごいエネルギーがいるのです。それには経営者も従業員も意識を変えるのです。自分たちは変わらなければならないのです。次元を変えるということです。 

“うちの会社はまあまあだけど、あそこの会社はもっと良い業績を上げているな。自分だって本気を出せばあいつよりもっと業績を上げることができる”世の中には勉強せずとも頭の良い賢い人がたくさんいます。そのため、要領が良くてあまり勉強・努力をしません。 

しかしそれは“すれば”という仮定なのです。その“すれば”ができていない時点が、それが実力なのです。“そのそれがお前にはできないではないか。それがお前の実力なのだ”と考えるべきなのです。そこへたどり着くためには、そのように変わるためには、大きいエネルギーギャップがあるのです。そこへたどり着くのは簡単に見えるのです。そこにはものすごいギャップがあるのです。 

成功しても変節しないことの重要性

大阪証券取引所二部に上場したときのことです。稲盛塾長は滋賀県にある工場のグラウンドに従業員を集めて話しました。従業員には自社株を持ってもらっていました。

“先頭集団は十四キロ先を走っている。京セラでは全員が力を合わせて頑張って、まるで短距離ランナーのような“今に潰れるだろう”“今にぶっ倒れるだろう”という走り方をしていたら、あれはあれよという間に第二集団をとらえた。そして第二集団の中に入った。さらに先の先の方をトップ集団が走っているのだから、第二集団、二部上場を抜けて、できればトップ集団に行こう”

そして言った通り、第二集団を通り抜けて、トップ集団である一部上場を果たしました。 

二部上場しても、一部上場しても、稲盛塾長は、天狗にはならなかったのです。つまり変節しなかったのです。志を高く持ち、その志が変わらなかったことが良かったのです。人間誰しもちょっとうまくいっただけでも慢心するのです。傲慢不遜になります。京セラという会社がここまでの規模になっても変わる事はありません。 

自分の人生というものを真剣に考えられるような仕事をしなければならないと、自身に意義付けをしなければなりません。生真面目にするという事は一生懸命にやることです。 

強烈な願望を心に抱く

大事な事は、自分の会社はどうあるべきかという目標設定を明確にすることが第一番です。 

特に目標設定をする場合、簡単に達成できる目標ではなく、相当高い目標を掲げるべきです。 

例えば、今五億円の売り上げ、税引き前利益五千万円だったとします。その五億円を十倍の五十億円の会社にしたい、税引前利益も五億円にしたい。現在の自分に比べても相当高いレベル、そういう目標を立てます。 

五十億円の売上、五億円の税引前利益を上げる会社にしたいという“強烈な願望を心に抱く”ことです。願望とは“どうしてもこうありたい”というものでなければなりません。“どうしても五十億円にしたい。何が何でも五十億円にしたい”というものです。そのスパンは五年なら五年、十年なら十年と言い切れるようにしなければなりません。 

ただ一時だけ思うのではなく、考え付いたらのべつくまなしに“そうしたい”と思い続けるのです。のべつくまなくとは、二十四時間、馬鹿みたいに考え続けるのです。今日考えるのではありません。目が覚めている間中、“五十億円で五億にしたい五十億円で五億にしたい”と考え続けるのです。 

どうすれば五十億円を達成するか、今までの事業のやり方では伸びそうに無い、新しい事業への進出も考えてみよう。関連事業分野に進出してみよう。お金も、技術もない。どうして新しい分野に進出するか、と考えます。そして次から次へと発想が湧いてきて、具体的なプロセスが出てきます。 

今度はそれを実行するための方法論が考えられます。頭の中でシュミレーションとなって、頭の中で考えすぎるほど考えるようになります。 

潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を持つ

そして考えていきますと、目標やその関連分野の事業、その方法論が潜在意識に入っていくのです。普通にものを考えている領域は、顕在意識です。潜在意識には、繰り返し繰り返しそう思っていることが入ってくるのです。潜在意識には思ったこと、経験したことが全部入るのです。潜在意識に蓄えられた考えや思いは、顕在意識になって現れるのです。潜在意識に入ったもので、顕在意識のレベルまで持ってこれるもの、それは、1.繰り返し繰り返し考えたもの、2.ものすごい衝撃的な体験をする、この二つのものからしか潜在意識から顕在意識には持って来れないのです。 

車の運転の場合も、慣れてきますと、考えなくても手足が車を運転してくれます。いちいち頭で考えて、手足を動かす事はありません。全く運転のことを考えずに他のことを考えながら運転していることにハッと気がつくようになります。 

同じように、五十億、五十億と毎日考えていたら、潜在意識に入ってきます。何かの拍子に、例えば飲んでいる時、“アッ、そうや、あれやったらいいんだ”と出てくるのです。 

潜在意識の中に自分の目標設定が入っていたから、一生懸命考えたことで触発されて出てくるのです。ボケッとして“できれば五十億になりたいもんやな”と言うのでは話になりません。