盛和塾 読後感想文 第151号

人格を高め、維持する

一般には、人間のあるべき姿、人生哲学、考え方は、一度学べば充分だと思い、なかなか繰り返し学ぼうとしないものです。知識として知っておれば、もう良いと思いがちです。

しかし、スポーツマンが毎日肉体の鍛錬をしなければ、その素晴らしい肉体を維持することができないように、心の手入れを怠りますと、あっという間に学んだことを忘れ、大きな間違いに陥ってしまいます。“人格”も常に高めようと努力し続けなければ、すぐに元に戻ってしまいます。ですから、あるべき人間の姿を示した素晴らしい“哲学”を常に自分の理性に注入し、“人格”のレベルを高く維持するように努力することが大切なのです。 

そのためには、自分の言動を日々振り返り、反省することが大切です。学んできた人間のあるべき姿に反したことを行っていないかどうか、自分に厳しく問い、日々反省をしていく。そうすることによって素晴らしい“人格”を維持することができるようになります。 

確固たる哲学を血肉化して人格を高める 

学びは自ら求める人にしか身に付かない

稲盛塾長は盛和塾(富山)の開塾式で講演されました。富山塾の方々が自ら進んで勉強したいという方々ばかりでしたので、本当に富山に来て良かったと思われました。 

盛和塾は京都の経営者の方々からの要請で始まりました。そのうちに“暇ができたら”と言っていたのですが、粘り強く“勉強したい”と言われ、お引き受けして盛和塾が始まりました。あくまでもボランティアで教えてあげようということでした。 

紹介された時に、大変大きな会社を経営していると紹介していただいたのですが、稲盛塾長自身どのように今日のようになったのか、自分でもよくわからないと言っておられました。青少年時代を思い返してみましても、どこにでもいそうなありふれた少年でした。 

そんな人が、京セラという会社で事業をやっているものですから、稲盛塾長の経験を伝えることによって人生が大きく変わる方がおられるのではないか、また稲盛塾長の経験を教えることが、世の中に対する恩返しになるのではないか。そして京都で、盛和塾の母体である盛友会が発足したのでした。 

皆さんのお話を聞いて嬉しく思ったのは、出席していただいておられる方々が、内なるものが燃え上がり、真剣な気持ちで経営を教わろうという気持ちの方ばかり集まっていただいたからです。 

いくら良い話をしても、いくらいいことを言ってあげても、それは自ら求める人にしか身につかないのです。馬が飲みたがらなかったら飲まないわけです。人生には貴重な学びを得るチャンスがいくらでもあるのですが、それをチャンスにできない人が大半なのです。 

人間として何が正しいのかを論じるのが盛和塾

盛和塾を通じて何かをしてあげたいと考えるようになったのは、どこにでもいそうな少年、青年が、偉大なことをなし得るには、その人が持つ哲学が大変大事であるということを知っていただきたいのです。 

盛和塾では経営のノウハウ、経営のハウツーといったものを教える場ではありません。リーダーが持つべき哲学、人生観、価値観というものを皆さんに教え、また皆さんがそれに共鳴し、賛同し、共有しようという心境になれば、皆さんの人生は変わっていくのではないか。それはつまり“人間として何が正しいか”という哲学を、バックボーンとして持っていただきたいのです。 

事業でも人生でも素晴らしい展開をしていくためには、今からさらに大きく躍進していこうと思われる方にとっては、人間性が変わることが必要なのです。生まれつき現在まで、こういう性格、性質を持った人だと言われていた人が、持っている人格そのものが変わってしまうということです。 

普通に生きていたら、人間が変わるなどという事はありえないのです。だから運命も変わらないのです。ところがその人が持っている人格が変わることが起こり得る場合があります。 

それは衝撃的な出来事に遭遇した場合、罪を犯して拘置所に入れられる、その後に裁判が続く、気の弱い人であったら、自殺でもしかねない。周囲からの冷たい視線に刺される。家族は離散する。すさまじいばかりの衝撃を受ける。そうすると人間が変わります。大病を患うこともあります。がんの宣告を受けて死と向き合うことになれば、人間は変わります。命と引き換えになるほどの衝撃を受けて、初めて人間は変わります。 

盛和塾で学ぼうとする哲学は、塾生の方々の人格を変えようとするものです。それを衝撃的に受け止める人、魂を揺さぶられるくらいの受け止め方をする人であれば、人格が変わるのです。 

哲学を学ぶのにたくさんの本を読む必要はありません。良書に当たったとき、それを熟読玩味(じゅくどくがんみ)することです。良書にある言葉を衝撃的に受け止め、自分の血となり肉となっていた時、初めて人格が変わっていくのです。 

自分の哲学を再構築することができるのです。自分の哲学を変えると今まで持っていた価値観も変わります。それは理性で自分を少しずつ、毎日の努力により修正していくという作業になるのです。自分自身が持って生まれた性格、人生観、価値観に素晴らしい哲学が入ってくる時は、まず知識として知として入ってきます。そのままではただ単に説明できるというレベルであり、血肉化まではできていないのです。 

哲学を血肉化するとは、一般知識として受け止めておいた哲学を魂に入れるということです。そのためには、自分が生来持っている哲学と、新たに入れた哲学とが、自分の中で葛藤しなければなりません。そして新たに入れた哲学が、生来自分が持っていた哲学に打ち克(か)っていくときに、初めて人格が変わっていくのです。 

稲盛塾長も、もっともっと真剣に考えて、塾生の方々によく伝わる話をしてあげれば、中には魂を揺さぶるような衝撃的な受け取り方をして、変わっていく人があるのではないか。 

盛和塾は“人間として何が正しいか”という哲学を論じていく場です。それくらい哲学は一番大事なものなのです。それが個人としての人生を大きく変えていきますし、経営者として行っている事業を大きく変えていきます。 

なぜ哲学が最も大事なのか

哲学を語るだけでは経営はうまくいくとは考えられません。技術開発の話題についても、OA、通信、工学の専門技術者とブレインストーミングをして、ある種の情報を元にどんな創造的なことが可能なのか、連鎖反応的に自分の仕事と関連させて議論をしたりします。新しい半導体メモリが開発されたのですが、それがOA通信工学の世界にどういうインパクトを与えるのか。 

このように哲学だけを語っているのではなく、技術的な問題も細かなことも議論しています。しかしその中で最も大事なのは哲学だと思います。塾生の方々は中小企業を経営しておられますが、まず“学ぼう”という気概を持っておられます。“学ぼう”という事は人格の中でも一番大きくものをいう、“素直さ”なのです。“素直さ”は学ぼうという気概であります。進歩するための絶対条件なのです。 

一芸に秀でたものは万般(ばんぱん)に通ずる

京セラを作っていただいた頃は、稲盛塾長は一介の技術部長としてスタートしました。けれども製造も技術も営業も、実質的な経営は全責任を負っていました。実際に経営を始めてトップに立ってみると、いろいろな苦労に直面しました。その中で、哲学が非常に大事なことだと気が付きました。 

前にいた松風工業では、寝食を忘れて研究に打ち込んでいた時にも、うまく研究が進むために必要な人としての心構えを少し会得していました。給料が遅配、ボーナスは出ません。稲盛塾長が外に行くところもなく研究に打ち込むしかなかったのでした。こうした逆境の中でまことにすばらしい発明、発見をするためには、どういう心理状態がいるのか、少し分かったのでした。それをメモ書きにして残したものが、現在の京セラフィロソフィーの一端を成しています。 

ですから“一芸に秀でるものは万般に通ずる”と信じています。それには“極める”ということが大事です。極めるという事はとことんそれをやり遂げる。それも辛酸をなめる苦労して物事を極めると万般に通ずることができると悟ったのでした。 

“私はしがない仕事をしていますが、もっと大きな仕事をしたい”“偉大な経営者に素晴らしい話を聞かせてもらった。勉強になった。”という方も多く見られます。そうではなく、自分が今やっている事業に全身全霊を捧げて、精魂込めてやり遂げれば、諸事万端見えてくるのです。 

多角化をする場合でも、同じことがいえます。つまり自分の事業を極めれば、多角化の道が開けてきます。京セラの場合は、ファインセラミックスを極めていく中で、現在素晴らしい多角化を実現しています。多角化は難しいのです。しかし一芸に秀でる、物事を極める事は、諸事万端に通じますから、それが多角化をする上で一番大事なのです。 

アイデアについても同様です。一つの物事に打ち込んで極めていきますと、そこから新しいアイデアが出てきます。“何かいい商売はないだろうか”“良いネタはないだろうか”という発想では浮ついたアイディアしか出てきません。自分の事業を究める、それも深く究めていく。その深さに触発されるような情報を目の前にしたときに、新しいアイデアが生まれてきます。 

未知の分野に乗り出すための道標がフィロソフィー

松風工業で一生懸命研究に打ち込んでいた時に、稲盛塾長は人生観というものが固まってきました。 

中学の時、不治の病とされた結核を患い、一九四四年の秋から寝込んでしまい、一九四五年八月が敗戦ですから、食糧難で栄養が取れなくて死ぬだろうと思ったそうです。 

その頃、隣の近所の奥さんが、生長の家の“生命の実相”という本を貸してくれました。“かわいそうに、十二、三歳位であの子も死ぬだろう。せめて心が和むように”と思って本を貸してくれました。稲盛塾長はそれを貪るように読んだのでした。 

そうしたことがあって、稲盛塾長は宗教的な知識がバックグラウンドにあったのです。そのことが、研究に打ち込んで物事を究めていくときに、人生観を構築する上で、大変役立ったのです。 

京セラという会社を創っていただき、経営の全責任を背負いこんだ稲盛塾長は、その重圧から“どのような生き方をすべきか”ということを自分自身に問いかけました。 

その時に吉田源三さんが言った言葉の意味が、フィロソフィーという言葉が迫ってきて、その後の自分の哲学、人生観、信念、または理念、あるいは価値観、そういったものを形作っていきました。それは自分の中へと肉体化していく過程でもあったのです。 

肉体化とは、考えていることや言っている事と行動が一致しなければならないということです。哲学として頭で構築しただけですと、人の前では立派なことをしゃべりはするけれども、実際にやっていることがちぐはぐなのです。これを知識として知っているだけで行動が伴っていないのです。それを徹底的に行動に落とし込んでいく、それが京セラを作っていったのです。 

例えば“一芸を極めれば万般に通ずる”という信念が、ファインセラミックスの研究に没頭し、究めることを通じて生まれ、肉体化していきました。フレザンベールという再結晶宝石とバイオセラムという人工骨、人工歯根、セラチップという切削(せっさく)工具、太陽電池を京セラは商売としています。こうした新しい分野を始めて、多角化をしていこうという時、一つの物事を究めた経験や考え方が生かせるはずだという信念が稲盛塾長にはありました。全く未知の分野に乗り出していくときに道標となるのが“京セラフィロソフィー”なのです。哲学がしっかりしてさえいれば、未知の分野でも通用するはずだということで、上の四つの事業を始めたのでした。十五年の歳月をかけて、苦労に苦労を重ねて、年商三百億円にまでなりました。 

この四つの事業はファインセラミックスと技術がベースとなり、始まったものです。 

そして次に来るのは第二電電でした。技術的にも全く縁のない情報通信事業にフィロソフィー一つだけで挑戦してみようというものでした。いかにフィロソフィーが大事であるかということを証明するために、それを企業の理由の一つとして、第二電電の事業化をやったわけです。会社を作って六年目ですが、売上高は千五百億円、経営利益が三百億円という業績を見込んでいます。 

先見性があれば思いつきさえも実現していく

第二電電の事業では、セルラー会社七社を作りました。第二電電という会社を作った後、セルラー事業を開始するためでした。そのために郵政省にセルラー事業、自動車電話、携帯電話の会社を作らせてほしいと頼みに行きました。 

ところが第二電電は、セルラー事業に全重役が反対でした。なぜならNTTの自動車電話事業も大赤字でしたし、アメリカ、ヨーロッパの自動車電話事業も赤字で難しいと言われていたからです。“第二電電がまだ始まったばかりなのに、大赤字の難しい事業に手を出しては大変なことになります”と全員が反対しました。 

稲盛塾長は“いや、それでもやるのだ。全役員反対で結構だ。お前たちなんかとはやらん。“と言い放ったのでした。その中で当時は一介の部長だったもので、郵政省から来た若い社員が“私は会長が言われる通りだと思います。絶対にこれは伸びると思います”と言ったので“お前と二人でやろう”と言って始めたのです。 

その時稲盛塾長は“自動車電話はこういう風に事業をしていく。”“契約料はいくら、月々の基本料金はいくら、通話料金はいくら”という想定をしていました。“このように契約すれば、それならば何とか今の日本の経済状態の中で、お客さんがつくはずだ。だから経営もうまくいくはずだ。”ということを話しました。そのうちの一人がこの話を日誌にメモしていたのです。 

郵政省認可料金を提出する必要がありました。しかし、設備投資がいくらかかるのか、全く何もわかっていませんでした。郵政省に提出を要求される減価償却費もわかりませんでした。 

ところが六年後に郵政省に認可申請をするときに、実際に総括原価方式で計算してみますと、稲盛塾長が六年前に言っていた数字と同じになっているではありませんか。契約料金も、月極め料金も、通話料金も、ほぼ同じだったのです。六年前に日誌にメモしていたセルラー事業の今の本部長が、六年前のメモを出してみたら、認可申請するときの料金と、稲盛塾長が言った金額が一致しており、大変驚いていました。 

七つのセルラー会社の資本金の金額についても、同じようなことがありました。関西セルラーの資本金は二十億円、九州セルラーは十億円、北陸セルラーは七億五千万円と決めました。セルラー会社が始まってみますと、累積赤字が資本金と同額近くなっているのです。その後収入が入ってくるのです。このように資本金が商売を始めるまでの損を埋め合わせるだけの額に重なってくるのです。 

哲学を深めて心を高めていきますと、自分の人生が変わるだけではなく、先見性も備わってくるのです。本人にとっては思いつきなのですが、それは思いつきに終わらず、現実になっていくのです。先見性がある人の思いつきは、未来に起こる事実と遭遇して、現実化していくのです。 

前向きで一生懸命な苦労が運命を変えていく

稲盛塾長の少年時代、大学時代は、病気、受験失敗、就職採用にも失敗と、後ろ向きなことが多々ありました。“世の中が間違っている”と悲憤慷慨(ひふんこうがい)していました。 

松風工業に就職し、どこに行くこともできなかったため、セラミックス研究に没頭せざるをえませんでした。貧乏会社で設備もなく、頼りない経営陣、労働組合争議が頻繁に起こるような職場、給与遅配と、少なくとも前向きの条件がない中で、ファインセラミックスの研究に打ち込む日々の中で、吉田源三さんからフィロソフィーという言葉を耳にして、自分の哲学を構築していきました。自分の哲学を構築していく中で、運命が好転し、京セラの歴史が始まりました。 

稲盛塾長は朝から晩まで仕事をしているのですが、少しも苦労したという感じがしていないのです。朝から晩まで誰よりも仕事をすることを、本人は好きでやっているのですから、それは苦労では無いのです。 

今日支払うお金がない、手形を落とすお金がないといって金策に走りまわる事は、一度もありません。京セラは赤字決算をしたことがないのです。ボケッと遊んでいるから、金策に詰まったりします。 

前向きで一生懸命な、自分の中での苦労というものはありますが、そんなくらいになると運命まで変わっていきます。 

人格を高めるための哲学を身に付ける

前向きで一生懸命な努力は、自分の哲学を構築し、哲学を血肉化する最短のものです。もし血肉化することができれば、人生観もガラッと変わります。“学びたい”という思いがあれば、哲学というのは自分自身の第二の人格、性格を作っていくものであり、魂が震えるほどの感動を持ってそれを受け止めることができるようになります。そして自分自身に素晴らしい哲学を身に付ければ、その人の人格が変わります。運命も変わっていくのです。