盛和塾 読後感想文 第155号

フィロソフィーをいかに語るか

経営にはフィロソフィーが何故確固として必要なのかということを、過去にも話してきました。 フィロソフィーを経営者自身が実践するのみならず、従業員と共有することの大切さは、何度も話してきています。しかしながら“フィロソフィーが社員に浸透しない”“フィロソフィーに反発する社員がいる”といったこともよく耳にします。 

その要因は、根本的には、フィロソフィーをなぜ従業員に説くのか、いかに説くべきかについて、よく理解されていないことに原因があるように思われます。 

フィロソフィーを説くベースにあるもの

一体フィロソフィーとはどういうものか、考えてみる必要があります。それは毎日の仕事の中で、実践の中で考え、コツコツと貯めていったものです。稲盛塾長は大学卒業後入社した松風工業時代から、フィロソフィーを始めました。 

劣悪な環境の中であっても素晴らしい研究成果をあげていくのには、どういう心構えで人生を生き仕事にあたるべきなのか、毎日のように考えました。自らに問い、悩み苦しみながら考えに考え抜いたことを、研究ノートに記録していきました。 

京セラを創業してからは、その自分なりの人生・仕事の予定のようなものを書きためていたノートを引っ張り出して、経営に携わるようになってから気づいたことを書き足していくようにしました。これが現在の京セラフィロソフィーです。 

稲盛塾長のメモが残っています。“仕事に徹し、謙虚な精神のもと、素直に物事に取り組んで全身全霊を打ち込んでやろう”“我々は苦難を恐れない。 正々堂々とやろう”“我々は人一倍やって人並みのことができると考えよう”“人間の能力は無限であることを信じ、飽くなき努力の追求を続けよう”。現在の京セラフィロソフィーの中核を構成する概念が既に明確に示されています。 

稲盛塾長は、こうした自らの信念と言うべき考え方を仕事で実践すると同時に、従業員と共有するように努めました。それは稲盛塾長が楽になるためでは決してありません。 

京セラの従業員にフィロソフィーを説くベースにあったのは、何よりもみんなに幸せになってほしいという純粋な思いでした。“こういう考え方で生きていけば、充実した幸せな人生を送ることができるはずだ”と強く思っていたからこそ、より多くの人々にその事を知らせたかったのでした。 

フィロソフィーを、会社の方針に従業員を従わせるための行動規範、あるいは従業員を精力的に働かせるためのツールだと勘違いしてはなりません。もし経営者個人のため、あるいは会社の業績を良くするための手段としてフィロソフィーをとらえて社内で説いているとしたら、決して従業員の共感を得ることはできません。 

“従業員のため”“すばらしい人生を送ってほしい”と言ったとしても、少しでも“会社の業績のため”“自分が楽になりたいから”といった気持ちがあれば、それは知らず知らずのうちに従業員に伝わっていきます。“社長は口ではフィロソフィーはみんなのためだと言っているが、本当は自分のためなんだ”とすぐに見抜かれてしまいます。 

あくまでもまずは“ 従業員に素晴らしい人生を送ってほしい”という強い思い、限りない愛が全ての根底になければなりません。 

フィロソフィーの持つ偉大な力を信じる

自分自身が自らの人生を通して、フィロソフィーの持つ偉大な力を実感することが大切です。 

稲盛塾長は若い時に多くの挫折を味わい、たくさんの苦労しました。旧制中学校の受験には二度失敗、肺結核にもかかり、志望大学にも合格しませんでした。また就職した会社が今にも潰れそうな会社でした。潰れそうな会社の中でフィロソフィーの原型とも言える考え方をもとに、一心不乱に目の前の仕事に邁進し、研究に没頭することで、人生が大きく開けていきました。 

一九五九年に創業した京セラは、初年度から黒字を計上し、今ではファインセラミックスの特性を生かした各種部品デバイスのみならず、通信機器や情報機器などの完成品までを提供する大企業に発展しました。 

一九八四年に電気通信事業の自由化に際して立ち上げた第二電電も、新電電での中でトップを走り続け、今では KDDI として五兆円を超える売上を誇る、日本を代表する通信事業者へと成長しています。 

二〇一〇年からおよそ三年にわたって携わった日本航空も、二〇一二年には再上場を果すなど、無事に任を果すことができました。それだけではなく、稲盛塾長は、自分の想像を超えた素晴らしい出来事に遭遇してきました。それは決して運がいい、つまり時代の潮流に乗ったからとか、ましてや自分の能力によるものではないと考えています。 

自分の想像を超えた素晴らしい人生を送ることができたのは、フィロソフィーの持つ力によるものであると確信しています。より良く生きようとする純粋な考え方は、素晴らしい運命を招き寄せる強大なパワーを持っているのです。 

イギリスの啓蒙思想家ジェームス・アレンは、次のように述べています。

“清らかな人間ほど、目の前の目標も人生の目的も、汚れた人間よりもはるかに容易に達成できる傾向にあります。汚れた人間が敗北を恐れて踏み込もうとしない場所にも、清らかな人間は平気で足を踏み入れ、いとも簡単に手に入れてしまうことが少なくありません” 

なぜ、純粋で美しい心から発したフィロソフィーが偉大なパワーを発揮するのでしょう。それは、この世界にはすべての存在を善き方向に導こうとする宇宙の意思が流れており、物事は必ず成長・発展する方向へと進んでいくからです。 

人生を“ 大海原を旅する航海”に例えるならば、我々は思い通りの人生を送るために、必死になって自分で船を漕ぐことが必要です。また仲間の協力や、支援してくれる人々の助けも必要です。しかしそれだけでは遠くの目的地にたどり着くことは難しいのです。船の前進を助けてくれる、この世に流れる他力の風を受けることで初めて、はるか未踏の大地を目指して船を進めることができます。 

この風を受けるためには帆を上げなければなりません。宇宙の意思に反するような邪な心であげた帆は穴だらけで、よしんば他力の風が吹いても、船は前進する力を得ることは決してありません。一方、純粋で美しい心のもとにあげた帆は、他力の風を強く受け、順風満帆で大海原を航海することができます。 

稲盛塾長は若い頃、“不確定な人生だが、充実した素晴らしい人生を送っていくことができるはずだ”と思い、それがどうすれば実現できるか考えてきました。そして考え方によって人生が変わるのではないかと思い至り、こういう考え方で人生を生きるべきではないかと、自ら体験したことをフィロソフィーとしてまとめました。 

その結果、会社が想像以上に発展してきました。稲盛塾長自身の人生も大きく開けてきました。フィロソフィーは会社の発展に貢献する哲学だけではなく、個々人の人生をもっと充実した素晴らしいものにしていく真理だと思われました。 

フィロソフィーを自らの信念にまで高める

人間は自分が信じていないものを、人に熱意を持って伝えることはできませんし、たとえ伝えたとしても、人を得心させることはできません。 

フィロソフィーを単に知識として知っているという程度では不十分です。自らの“信念”にまで高め実践することが必要です。 

東洋哲学者、安岡正篤(まさひろ)さんは、“知識”“見識”“胆識”という言葉で教えてくれています。知識を身につける必要はあります。しかし、そのような知識を持っただけでは実際にはほとんど役に立ちません。知識を“こうしなければならない”と信念にまで高める“見識”にしていかなければなりません。 

しかしそれでも不十分です。その見識を、何があろうが絶対に実行するという強い決意に裏打ちされた“胆識”にまで高めることが必要です。 

フィロソフィーを知っているだけでは何にもなりません。それが信念にまで高まった見識となり、さらに実践を促す胆識になって初めて、社長が説く言葉が従業員一人一人の心に響いていくのです。 

率先垂範自ら実践に努める

フィロソフィーを説く経営者に求められることは、率先垂範する、自ら実践に努めることです。いかにすばらしい理念、フィロソフィーを掲げて、社長が毎日のように説いて回ったところで、社長自身の実践が伴っていなければ、従業員はそれが付け焼刃だと、すぐに見抜きます。 

もし、フィロソフィーを一生懸命伝えているのに自分の思いが浸透していない、逆に不信感を持たれているとすれば、その経営者の生きる姿勢が、従業員から尊敬されるレベルに達していないということです。 

一般の企業では、社長室に社是や社訓が掲げられています。ところが往々にしてその社長が、書いてあることと全く違ったことを平気でやっているケースがあります。それではいくら高邁(こうまい)なフィロソフィーを毎日説かれても、全く従業員の共鳴を得ることはありません。 

“社長が言ってることとやってることが違う”“朝礼では“みんな一生懸命頑張ってほしい。私はみなさんの先頭に立って、皆さんの幸せのために、誰にも負けない努力をするつもりだ。”と言いながら、昼からろくに仕事もせず、遊びほうけている。あんな社長だから、うちの会社はだめになってしまうんだ” 

単に従業員を駆り立てるためにフィロソフィーを説くのではなく、経営者である自分自身が誰よりも率先垂範、フィロソフィーの実践に努めることが何よりも大切です。経営者本人が常に自らに厳しく規範を課し、人格を高めようとし続ける姿を示すならば、それを見た従業員は、おのずからフィロソフィーの実践に努めようとするはずです。ここで大切なことは、社長が自らフィロソフィーの実践を続けることです。 

“社長がそういう立派な考え方を持ち、“全従業員の物心両面の幸せ”を考えている。そのために日々、その考え方に基づいて実践をしている。それなら我々従業員も、社長とフィロソフィーの実践に努め、会社の発展に尽くしていこう”と自然に従業員が考えるようにしていかなければなりません。 

経営者の心に一点のやましい気持ちもなく、真摯(しんし)にフィロソフィーの実践に努めているからこそ、時には従業員に何の遠慮をすることなく、厳しい言葉をかけることも出来るようになります。 

社長は説きます。“ 私はあなたも含めた全従業員を幸せにするために、朝は君たちより早く出てきて開発、製造、営業まで見て、いつ寝たかわからないくらい必死で頑張っている。それなのに、君はそんないい加減な働きぶりでどうするのだ。自分の家族のためにも自分のためにも、同僚のためにも、一生懸命働いてもらわなくては困る。” 

会社の中で、経営トップが一番苦労しなければなりません。そうすれば従業員がついてきてくれます。常日頃から誰よりも率先垂範、フィロソフィーの実践に努め、尊敬されるような行動を続けているからこそ、従業員は納得してその言葉を聞いてくれます。 

従業員と本音で語り合う

フィロソフィーを説く経営者は、従業員と本音で語り合うことに努めなければなりません。経営者がフィロソフィーの持つ力を信じ、率先垂範しても、“それはあくまできれいごとだ。現実はそう甘くはない”として、斜めに構えて見ている従業員も必ずいます。そのように斜めに構えた従業員とは本音で話し合うことが必要です彼らが心に思っている事を放置しておけばますます不満をためていきますし、周囲に悪影響を及ぼし、会社内のフィロソフィー共有にとってもマイナスに作用します。特に中堅幹部の社員の中で、教育レベルの高い従業員に、こうした斜めに構えた人がいると、その悪影響が他の社員にも及びます。 

こうした場合、具体的にどのようにして本音で話し合うことができるでしょうか。 

京セラでは、コンパの場を活用しました。意思伝達をしようとしても、杓子定規でかしこまって話したのでは、誰も本音を言ってくれません。こちらの話も右から左へと抜けてしまいます。お酒でも酌み交わしながら、人の心の琴線に触れるような話し方をしなければ聞いてくれません。 

京セラでは、従業員が千人近くになっていた頃でした。どの職場でも忘年会を開催します。その全てに稲盛塾長は出席しました。十二月は一日も休まずに忘年会に出席した年もありました。全部の忘年会に出席し、“頼むぞ”と声をかけ、酒を注いで回るのです。 

不信感を持っている従業員は“はあ、そうですか”という冷たい反応です。“お前、何か不満があるのか”と聞きますと、“いや、何でもありません”。しかしさらに話していきますと、斜め社員は必ず不満を言い始めます。“お前の意見を聞かせてくれ。会社をもっと良くする考えはないか、俺に教えろ”と話していきます。こちらに気配りが足りないために、不満を持っているケースもあります。ほとんどの場合は本人がひねくれて、逆恨みをしているようなケースが多いのです。“ちょっと待て、お前の人間性がひねくれてるぞ”とズバリといいます。“がんばれよ”と言った後でも、こうしたことがありました。雨降って地固まるというように、一気に人間関係が強固になることもありました。 

一杯飲んで、従業員が自分の心情を吐露としたケースがよくありました。誰が何を思っているのか、どのような不満を持っているのか、どうな悩みを抱えているのか、本音が出る場であるからこそ、真のコミュニケーションが図れるわけです。 

一生懸命頑張ってくれている人には、“ありがとう。さらに努力をしてくれよ”間違っている人には、“お前は間違っている”とはっきり言う。経営者自身が間違っている時、従業員から指摘を受けた時は“なるほどそうだ。直すようにする”とこちらも反省する。こうしてコンパの場が従業員にとっても経営者にとっても、自分を鍛えていく場なのです。 

本音に対して本音をぶつける

かつて米国の関連会社の役員をサンディエゴに集めて、稲盛塾長がフィロソフィーを理解してもらうため、二日間のセミナーを開いた時の事です。 

前もって英訳した著書“心を高める 経営を伸ばす”を渡し、感想文を書いてもらいました。ところが“こんな考え方は嫌だ”というのがほとんどでした。我々アメリカ人はお金のために働いているのだ。お金のために働いてはいけないとはどういうことだ。”京セラフィロソフィーは米国の幹部連中から総スカンでした。  

稲盛塾長は丁寧に一生懸命話をしました。その結果、ようやく“素晴らしい”と共感してくれました。“私は従業員の皆さんを本当に幸せにしてあげたいと思って、誠心誠意頑張っています。それを実現していくための考え方、行動指針はこういうもので、人間として立派なものでなければならない”ということを説明しました。IVYリーグを出たアメリカのエリート幹部社員も含めて“京セラフィロソフィーは素晴らしい。我々もこれからはこの考え方で仕事をしていこう”と大賛同してくれました。 

最後のところで十年も働いている幹部が手を上げて、質問があるというのです。

“このセミナーで、あなたは愛とか思いやりということばかり話されています。しかし三、四年前に京都で開催された経営会議で、ある関連会社の社長が今までずっと赤字だった会社を黒字にしたと、意気揚々と発表された時のことを覚えておられますか。”“その時けんもほろろに彼を叱っておられたように思います。今まで赤字の時も叱られ、黒字になってもけんもほろろの扱いをされ、彼は非常に落胆していました。黒字にしても、ちっとも褒めない、なんと冷たい人なんだと正直思いました。” 

“そのようなあなたの言動と、昨日からお話しされた愛とか思いやり、従業員の幸せのためというお話とは、あまりにも矛盾しているのではないでしょうか” 

このように、幹部社員が本音をぶつけてきました。みんなが京セラフィロソフィーに納得している時にこのようなことを言われてしまえば、二日間の話が全て台無しになります。ドクターイナモリは自分のことを正当化するために百万言費やしているだけなのだと、みんなの気持ちが一発で変わってしまいます。人の言動は話し言葉よりも説得力があるといいます(Action is louder than word)。 

“そうだ、あなたが言うとおり、私は冷たかったかもしれない。だが問題は、なぜ冷たい対応をしたかだ。今までずっと赤字を続けてきた会社の社長が黒字を出した。しかしあの時の黒字は豆粒の黒字だった。 一方、今までの累積赤字たるや、相当な額になっている。それで褒められるだろうか。”“もし私が彼を褒めたら、彼は喜ぶかもしれない。だがそれで彼は良しとなってしまったらどうだろう。雇用を守っていく、従業員を幸せにしてあげたいと私は言った。それは毎年毎年十分な利益を確保し、またその拡大を図っていかなければならない。そんなわずかな利益では、従業員の賃上げどころか、雇用をさえ守っていけるわけがないだろう。だからこそ、そんなものは利益のうちに入るものかと厳しく言ったのだ。” 

“翌年彼は頑張って、さらに大きな利益を出してきた。そして今では十分な利益が出るようになったので、私は今は、立派なものだと彼を誉めている。私があの時、あの微々たる利益で褒めていたら、彼は経営者としてそれ以上成長しなかっただろうし、今日の立派な会社にはなっていなかっただろう。” 

本音には本音でぶつけ、このようにストレートに話すべきです。恐れずに従業員の中に入っていって、本音で会話すべきです。京セラではコンパ、最もふさわしいコミュニケーションの場をつくり、本音で対話することに努めてきました。 

従業員とともに学び続ける

フィロソフィーを説く経営者は、従業員とともに自らも学び続ける姿勢を持たなければなりません。いかに経営者自身がフィロソフィーの力を強く信じ、日頃から率先垂範に努めたとしても、完璧には実践は出来ないのが人間です。 

フィロソフィーを体得できるかどうかということよりも、折に触れて反省し、体得しようと努力を続けることが大切です。フィロソフィーを完全にできる人はいないのです。 

“私はフィロソフィーを偉そうに説いていますし、学べと言っていますが、それを自分自身で実行できているわけではありません。いまだかつてフィロソフィーのすべてを実行できたためしがありません。その意味で、一介の書生であり、門前の小僧でしかありません。これから一生涯をかけて、実行できるように努めていくつもりです”と従業員に伝えるべきです。 

“自分ができていないから、フィロソフィーのことを説いてはいけないというものではありません。少なくともこうあるべきではないかということだけは、私は言わなければなりません。そうすることで社員の方々が成長し、会社をさらに発展させて欲しいのです。 そのことが今後の会社を発展に導くだけではなく、従業員の皆さんの人生にも役立つと思います”と従業員に語り、フィロソフィーをくり返し学び、自らの血肉と化し、経営の現場で実践していくのです。 

実際にフィロソフィーの実践を通じて、一人でも多くの従業員が素晴らしい人生を実現していく。その幸せを、あたかも自分自身の幸せであるかのように感じることができる。それこそが経営者にとって最大の喜びと言えるのではないだろうか。 

従業員一人一人がフィロソフィーを真摯に実践した結果、素晴らしい人生を送ることができたなら、自分の人生を実り豊かにしてくれる場として、会社をさらに信頼してくれるようになります。結果として従業員の定着率が増すとともに、モチベーションが向上し、組織が活性化し、会社は発展に向かっていきます。従業員から信頼される企業、従業員が進んで会社の発展に尽力してくれる企業でありたいと思います。