盛和塾 読後感想文 第108号

困難に打ち勝つ

フィロソフィー、経営哲学を企業内で共有する意義と我々を取り巻く現在の困難な状況に打ち勝つためには、どのような考え方をすべきかが今回の話です。 

稲盛塾長は日本政府の要請を受け、航空運輸事業の経験や知識が全くないにも関わらず、また勝算もないにも関わらず、日本航空(JAL)の会長に就任し、徒手空拳でJALの再建に関わってこられました。 

JAL経営再建にあたり唯一携えていたのは、京セラで考えた“フィロソフィー”と経営管理システムである“アメーバ経営”でした。そのフィロソフィーへの理解が次第に深まるにつれ、JALの社員の意識が激的な変化を遂げてきました。その社員の意識変革に伴って、会社の業績も飛躍的に改善していきました。2011年3月の決算では売上高一兆三千六百二十二億円、営業利益は千八百八十四億円になり、JAL創設以来最高の実績で終わることができたのです。 

社員の意識が良い方向に変われば、会社の業績も向上していきます。JAL社員の意識を変え、業績を飛躍的に改善したものが“フィロソフィー”なのです。企業経営においては全従業員が“フィロソフィー”を共有しなければならないのです。まずは経営者自らが“フィロソフィー”をよく理解し、身につけ、実践することが大切ですが、同時にそれを全従業員に理解してもらい、職場で実践してもらうようにすることが経営においては何よりも大切です。 

“フィロソフィー”に含まれる大切な四つの要素

稲盛塾長の“フィロソフィー”は“人間として何が正しいのか”“人間は何のために生きるのか”という根本的な問いに真剣に、真正面から向かい合い、様々な困難を乗り越える中で生み出された仕事や人生の指針であります。このフィロソフィーには大切な四つの要素が含まれています。 

大切な四つの要素とは以下のことです。 

  1. 会社の規範となるべき規則、約束事.

この会社はこういう規範で経営をしていきます。企業内で必要とされるルール・モラルが要素の一つです。 

  1. 企業が目指すべき目的、目標を達成するために必要な考え方.

企業の高い目標を達成するために、従業員がどういう考え方をし、またどういう行動をとらなければならないのか。 

  1. 企業にすばらしい社格を与える考え方.

人間にも人格があります。会社にも社格があるのです。世界中から“あの会社は立派な社格を備えている”と信頼と尊敬を得るための考え方。 

  1. より良い人生を送るために必要な人生の真理.

それは人間としての正しい生き方。あるべき姿を明らかにするという要素。 

これらの四つの要素は、その会社の従業員の幸福を実現していくためにも、そしてその会社がさらに成長発展していくためにも、必要不可欠なのです。 

これらの四つの要素は知識として理解するのではなく、日々の業務や生活において実践していくことが何よりも大切なのです。その実践に向けた弛(たゆ)まぬ努力が従業員一人ひとりの心を高め、人格を磨くことになり、さらにそのような人材が集(つど)う企業には夢と希望に溢れた明るい未来が必ず開けてくるのです。 

ですから、この四つの要素を含んだフィロソフィー、経営哲学を社員と共有することに懸命に努めることが必要なのです。そうすれば、いかなる試練、困難な状況に遭遇しようともそれを克服し、企業を成長発展させることができるのです。 

いかなる障害があろうとも正しいことは正しいと主張しなければならない

“正直を貫き通す”ということが大切です。いかなるときでも相手に迎合したり、うまく世渡りできるからと妥協するような生き方をしてはならないのです。どんな難しい局面に立っても正直を貫き通すべきなのです。 

正しいことを行い、苦労ばかり重ねていくよりは、ご都合主義で生きたほうが楽ではないかと、苦しければ苦しいほど、思ってしまいます。自分が正しいと思う道を踏み行っているなら、いくら逆境に立たされようとも、必ず報われることを信じ、正道を貫き通すことが大切です。 

稲盛塾長が大学卒業後働いた会社は、松風工業という碍子(がいし)を製造する京都の老舗(しにせ)メーカーでした。そこでフォルステライトというセラミックス材料の開発に成功しました。松下電子工業からその新材料を使ったU字ケルシマというブラウン管に使われる絶縁部品の注文を頂きました。数十人の従業員と共に、その量産を開始しました。 

戦後十年ほどが経過していましたが、松風工業は赤字続きでした。銀行から派遣された役員が経営を指導して、銀行から借入が無ければ経営を続けていくことさえ適(かな)わないという、傾きかけた会社でした。 

従業員に対する待遇も悪く、共産党が主導する労働組合がたいへん強く、一年中労働争議を繰り返しているという会社でした。 

しかし若い稲盛塾長は“少なくとも私の職場で一緒に仕事をする人が、士気も低く、労働意欲に欠ける。残業代稼ぎをするようでは困ります。たしかに会社の待遇は悪いし、決して良い会社ではないけれども、仕事は一生懸命やっていただきたい”と職場の人々に話していました。 

研究室の先輩が忠告してくれました。“他の職場ではもっと気楽に仕事をしている。怠けていてさえ怒られることがないのに、君の職場では少し手を抜くだけでこっぴどく叱られると、皆が閉口して君を嫌っている。” 

稲盛塾長は上述の忠告に悩みました。部下の人達が私を嫌っていることを知り、悲しくもなりました。“部下からは嫌われるかもしれないが、やはり正しいことは正しいと主張しなければならないはずだ”という結論に達しました。 

労働組合との人達とはいつも意見が対立していました。まずは自分たちが一生懸命に働き、会社を立派にしていくことが前提と考えていた稲盛塾長は、ストライキを強行してばかりいる労働組合の幹部に“それはおかしいではありませんか”とよく意見を言っていました。 

働きもせず斜に構えたような人間がのさばっているような会社であっただけに、稲盛塾長がいくら注意をしても、聞く耳を持とうとしない人が職場に一人いた為、“あなたはこの職場には要りません。もう会社を辞めてください。”と言いました。 

労働組合の人達も色めきたち、稲盛塾長は荷造り用の箱の上に立たされ、人民裁判が始まりました。“この会社の回し者が、我々のようなか弱い労働者をこき使い、会社に媚(こ)びを売るようなことをしている。こういう奴がいるから我々労働者は搾取され、難儀するんだ。またこの男は自分の部下に対して、辞めろと言ったそうだが、こういう男こそ辞めるべきではないか。” 

稲盛塾長は答えました。“私は会社の犬でも、労働組合の敵でもありません。ただ人間として正しいことを正しいままに貫いていこうと言っているだけです。”“わかりました。満足に働きもしない、いい加減な人間ではなく、懸命に働き、なんとか会社を救おうとしている人間のほうが辞めるべきだと労働組合のみなさん全員が考えるなら、そんな会社に未練はありません。今日限りで辞めさせていただきます。” 

その夜、労働組合の連中が稲盛塾長を袋叩きにしようとしました。眉間に傷を受けましたが、翌日、頭に包帯を巻いたまま出社し、いつも通りに仕事をしました。このときも、自分が正しいと信ずる道をただ踏み行っていこうとしたのです。 

西郷隆盛の言葉“南洲翁遺訓”の中に、

“道を行う者は固(もと)より困厄(こんやく)に逢うものなれば如何なる艱難(かんなん)の地に立つとも事の正否、身の死生(しせい)杯(など)に少しも関係せぬもの也”南洲翁遺訓第二十九条、とあります。正道を貫いていけば、困難に遭遇するのは常である。しかしいかなる艱難(かんなん)に遭(あ)おうとも正道を貫いていくことが必要なのだと西郷隆盛は言っています。 

“道を行う者は、天下挙(こぞ)って毀(そし)るも足らざるとせず、天下挙(こぞ)って誉(ほ)むるも足れりとせざるは”南洲翁遺訓第三十条。

正道を行う者は周囲から挙(こぞ)って謗(そし)られることがあります。また、周囲から誉められることもありません。しかし正道を行う者は世間に迎合(げいごう)してはならないのです。

正しいことを貫いていこうとしても、“それはいいことだ”と誰も言ってくれないかもしれない。誹謗中傷し、妨害する人が出て来ます。しかしそれでも正道を貫いていかなければならないと西郷隆盛は言っています。 

堅苦しい生き方をしたのでは世間が狭くなるから、要領よく、周囲に迎合(げいごう)しながらうまく世渡りをすべきだと、松風工業の先輩が教えてくれた“世渡りの術”のような安易な生き方をしてはならないのです。 

策を用いて世の中を渡るようなことをしてはならない

京セラでのアメーバ経営の中で、不祥事が発生したことがありました。アメーバのリーダーが、アメーバの業務を良く見せようと、不正な操作をしたのでした。このようなことは、経営の実態を正しくかつリアルタイムに把握し、必要な手を打つことで経営を常に向上させていこうとするアメーバ経営にとっては許されないことです。公明正大に仕事にあたり、常にフェアプレイを重視するフィロソフィーに反することです。 

その職場では公然の事実で、部下も周囲の人達もみなその不正操作に気づいていながら、誰ひとりとしてそのリーダーに“それはおかしいではありませんか”と諫言(かんげん)する人がいなかったのです。 

そうすれば、その人は職場内で謗(そし)られることになるかも知れません。リーダーに左遷(させん)させられることになるかも知れません。そういうことに臆せず、勇気のある人が職場にひとりでもいれば不祥事などは起こらなかったのです。 

匿名(とくめい)の投書があったために、後日その不正操作が発覚したのです。新入社員でも正義感に厚い人がそのリーダーに正々堂々と“それはおかしいではありませんか”と言えるような会社、つまり“正道を貫く”ことをよしとする社風がみなぎっている会社でなければならないのです。 

一部の職場で“長いものには巻かれろ”式に小難しいことを言って人から憎まれたり、非難されるような生き方を避ける人がいたり、妙に大人びて、要領よく生きることが正しいと考える人が存在するようになってしまっていたのです。 

旧来のしがらみ打破しようとするとき、大変な抵抗があり、反対もあります。確かにそれは困難なことですが、その困難を真正面から受け止め、それを克服していくことからしか、未来はないのです。正しいと信ずる道を選択し、愚直に貫いていく勇気が今こそ求められています。 

困難に真正面から取り組むことで“神の啓示”を得ることができる

正道を貫くには“困難に真正面から取り組む”ことが必要となります。仕事においてまた人生を生きていく上で、難しい問題にぶつかればみなそれを回避しようとします。まわり道をしてでもいいから、困難に遭遇することから逃れようとします。 

そうではなく、困難に対しては、あくまでも真正面から取り組むという正攻法で挑むべきなのです。難しいことは承知の上で“何としても解決しなければならない。絶対に逃げてはならない。どうしてもやり遂げなければならない”という心構えで、真正面から困難にぶつかっていく。それがものごとを解決していくにあたっての基本姿勢です。 

そうして真正面から困難に対峙し、一進一退を繰り返しつつ、それでも努力を重ね、苦しみ抜いている時に、ある瞬間に“神の啓示”のようなもの、ヒントが鮮やかに脳裏に浮かぶのです。“あっ、こうすればいいのか”と長年悩み抜いたことが一気に解決に向かうことがあるのです。 

困難なことに対して真正面からぶつかり“これでもか これでもか”と悩み苦しみ抜いている最中にこそ、あたかも神が与えてくれたかのような解決のヒントが突如得られることがあるのです。 

苦労し困り抜いている自分を助けてくれるために、神あるいは自然が援助の手を差し伸べてくれるのです。困難な状況の中でも歯を食いしばり、懸命に、誰にも負けない努力を重ねている、そのけなげな姿に神様がほだされ、思わず解決のヒント、ひらめきを与えて下さるのです。 

厳しい生き方をあえて選ぶ

時には策を弄し、手練手管(てれんてくだ)を駆使すればもっとうまくいったということもあったかもしれません。稲盛塾長は馬鹿正直に真正面から困難にぶつかっていくことで、苦労も人一倍しなければなりませんでした。人からは“要領が悪い”と思われたと思いますが、しかし“要領が悪くてもいい。そういう正攻法の生き方しかできないのだ”と思い、正攻法を貫き続けたそうです。 

京セラ創業時には、幹部社員の中には稲盛塾長についてこられないような人も若干出てきたそうです。“我々は絶壁のような崖をまっすぐに登っていかなければならない。ロッククライミングのように、まっすぐに高い頂を目指していかなければならない。”

“垂直登攀(すいちょくとうはん)”です。特に高い目標を定め、それを達成するには、目標に向かってまっすぐに進んでいくことが大切です。登山で言えば、前に立ちはだかる岸壁に遭遇して行く手を遮(さえぎ)られるようなことがあろうとも、まっすぐに頂を目指していこうと稲盛塾長は社員に呼びかけたそうです。 

行く手をはばむ幾多の困難を避け、安全で緩やかな道を迂回して進むほうが賢明かもしれません。しかし易(やす)きにつき迂回してゆっくり登っていこうとするうちに、当初描いた高い目標を見失い、道半ばで自分自身を納得させ、終わってしまう危険性があるのです。高い目標を目指すならば、正しいと信ずる道をまっすぐに突き進む、まさに“垂直登攀”の姿勢で挑むべきです。 

稲盛塾長は松風工業勤務時代、部下や周囲から疎(うと)まれ謗(そし)られ、四面楚歌の状態に陥っていましたが、“人間として正しいことを貫いていこう”“自分が信じる道をまっすぐに進もう”と心に決めていたそうです。松風工業時代は待遇にも恵まれず、周囲からも白い目で見られるような経験をされたわけですが、こうした逆境が“人間として正しいことを貫いていこう”という信念をさらに強固なものにしたと考えられます。 

迂回すれば、もっと楽な登山道もあるのに、登山の技術知識経験もないような男が垂直に切り立つ崖(がけ)に真正面から挑み、まっすぐに頂上を目指して登っていこうと懸命に努めたのでした。後ろを振り返って見ても、仲間は足がすくみ、誰もついてきていません。経営という絶壁を登っていく姿は、それは孤独なものでした。 

“厳しすぎやしませんか。こんな急角度の岩山でまっすぐに登れと言われても無理なことです。”“まっすぐに登るには、高度な登攀技術も、豊かな登山経験も、また立派な道具も要る。それを素手で登るなど言語道断です。”周囲からは囂々(ごうごう)たる非難を受けていたそうです。 

しかし、それでも“自分は何としてもまっすぐに頂上を目指し、登っていきたいんだ”と初心を貫き、崖(がけ)に張り付いている。一歩も動けない者、落伍する者も出てきます。 

結局1人やめ、また一人やめ、結局稲盛塾長についていくことができない、結局誰もいなくなってしまう、恐怖感に襲われたそうです。 

稲盛塾長は結婚しようとしていた妻に尋ねました。“みんなが私についてこなくなったとき、お前だけは俺を支えてくれるか”すると妻は“ついていきます”と答えてくれたそうです。妻ひとりでも、稲盛塾長を信じ、どこまでもついてくるなら、絶対に垂直登攀はやめまい、どんな困難があろうとも貫いていくと心に決められました。 

しかし、松風工業を退社した時、日頃そんな厳しい姿勢を貫いてきたにも関わらず、一緒に粉まみれになって働いてくれた仲間の中で多くの心ある人たちが稲盛塾長を慕い、人間性を信じ、稲盛塾長の考え方を理解し、新しい会社、京セラについてきてくれたのでした。 

京セラを創業した時も“垂直登攀”を貫いていかれました。その時、ヨガの哲学者中村天風さんの著書からお借りしたスローガンを高々と掲げました。 

“新しき計画の成就は只不屈不撓(ふくつふとう)の一心にあり。さらばひたむきに只想え。気高く強く一筋に。” 

高い目標を定め、それを達成するためには、どんな峻強(しゅんきょう)な岩山であろうと、まっすぐによじ登っていく。そこには一瞬のためらいもなく、わずかの妥協もない、ただひたむきに、何の邪心もなく、一心不乱に岩山を登っていくというものです。これこそ垂直登攀の姿です。 

単にこういうことをしてみたい。これを達成したいと軽く思う程度では、新しい計画を実現し高い目標を達成できるはずがありません。思いというものは強ければ強いほど実現していきます。上述のスローガンにもありますが、その思いは気高く、美しく、汚れがないものでなければなりません。“思い”は強いほど実現していきますが、その“思い”というものが世のため人のためという気高く美しいものであればあるほど、成功の確率は高くなっていくのです。

何かを成そうとする人は、気高い心で垂直登攀の姿勢で挑まなければなりません。目の前にそびえた絶壁のような岩山の前に立ち、足がすくみ、自分には登れないと考えていては、新しいことに挑戦し、それを成功させることは絶対にできません。気高く、不屈不撓の一心を持ち続ける、何としてでも峻嶮な岩山をまっすぐに登っていくという、強く、純粋な思いを持ち続けることが、事業を成長発展させるのです。

盛和塾 読後感想文 第107号

フィロソフィーは骨肉化しなければ意味がない

フィロソフィーは知識として知っているだけでは意味がありません。行動が伴なっていなければならないのです。知識として得たものを骨肉化する。つまり自分の肉体に染み込ませる、どんな場面でもすぐにその通りの行動が取れるようにならなければなりません。

 

正しい考え方を“知っている”だけでは知らないのとまったく同じことなのです。自らの血肉として人生の節々において、また日々の業務においてその考え方を生かすことができなければ、まったく価値はないのです。

 

正しい考え方を骨肉化する為には、自分の思想・理念・哲学になるまで、繰り返し、学び、無意識であっても、その考え方で行動できるようにならなければならないのです。

 

フィロソフィーこと経営の源泉

現在の混乱下で最も大切なことは、フィロソフィーをもう一度考え直してみることではないでしょうか。経営者がフィロソフィーを学ぶと同時に、それを全従業員と共有する、ということが会社経営において最も大切なことです。

 

フィロソフィーを共有するとは、全従業員が経営者と同じ気持ち、同じ考え方をもってくれるということを意味します。それが会社経営において最も重要であり、現在の状況下でも根本的な原動力になると考えられます。

 

経営の要諦は“フィロソフィー”に尽きる

すばらしい経営をしていくのに経営者の方々はどうしたらよいのか、日々悩んでいます。世の中には経営に関する書籍が多数出版されています。また、多くの経営コンサルタントの方が活躍しておられます。大学でも経営を教える先生方も、次々と新しい経営理論を展開しておられます。

 

多くの経営者が、これらの経営者や経営コンサルタント、経営理論に頼ろうとしています。しかしなかなか思った通りには経営はならないのです。一体どのように経営をしたらよいのかと多くの経営者が迷い、戸惑い、途方に暮れておられます。

 

そうではなく、経営の要諦は“フィロソフィー”に尽きるのです。企業内で経営哲学を確立し、経営者はもとより、全従業員と共有して実践することで、必ず企業は成長発展を遂げていくのです。

 

フィロソフィー誕生の経緯

京セラフィロソフィーがどのような経緯で誕生し、京セラの成長発展の基盤となってきたのか。稲盛塾長の経験が以下に述べられています。

 

稲盛塾長が27歳の時に支援者の方々に京セラを創業していただきました。テレビのブラウン管の電子銃に用いられる、絶縁部品の製造で会社がスタートしました。京セラ設立前、稲盛塾長は大学卒業後、京都にある松風工業に就職しました。その製品はその松風工業という碍子(がいし)の製造会社で稲盛塾長が開発したものでした。そこでは研究開発から製造・販売に至るまで一貫して担当されました。材料の研究、製品の開発、生産プロセスの検討、製造設備の設計、日々の生産活動、営業活動まで、この製品に関わるすべての仕事を担当しておられました。

 

その当時、稲盛塾長は会社経営についてはまったく経験や知識がなかったのです。支援してくださった方々からの資本金三百万円、さらに一千万円の資金を銀行から借りていただき、京セラを創業したものの、大変不安なスタートだったのでした。

 

経営をしていくにはどうしたらよいのか、一生懸命考え続け、現在のフィロソフィーの原型が次第に編み出されたのです。

 

松風工業時代に、ものごとのあるべき姿を考える習慣が身についていました。松風工業では赤字続きで、給料日になっても給料が払えず、給与支払い遅延がありました。

 

ボーナスもほとんどありませんでした。労働組合とはもめて、社内に赤旗が林立し、年中ストライキをしているような会社でした。稲盛塾長は同時入社の四人が退職していく中で、他の会社に就職もできないまま、与えられた新しいセラミック材料の開発という仕事にやむなく取り組まなければならない境遇にありました。そして待遇も悪く、不充分の設備という劣悪な環境の中にあっても、すばらしい研究成果をあげるにはどういう心構えで仕事にあたらなければならないかと毎日考え、悩んでおられました。

 

その頃から“仕事をするには、こういう考え方、こういう方法でなければならないのではないか”ということを思いつくたびに、研究実験ノートに書き留めていました。

 

京セラを経営することになったときに、その自分なりに考えた仕事の要諦のようなものを書きためていたノートを引っ張り出して、その後、経営にかかわり気づいたことを加えて、改めて経営の要諦としてまとめ直したものが“フィロソフィー”というものです。

 

たいへん劣悪な環境の中で、松風工業を辞めることもあたわず、研究開発に取り組まなければならないというときに、そういう逆境の中で仕事をし、立派な研究をし、立派な会社にしていくにはどうすればいいかということを考え、悩みつつ、生きていく中でその都度、ノートの端に書き留めていったものが、京セラの“フィロソフィー”なのです。

 

経営というものがわかっていなかったがために“不安で不安でたまらない、どうすれば経営がうまくいくのだろう”と悩み抜いて、ようやく見つけた経営の考え方、そしてその方法をまとめたものが“フィロソフィー”なのです。

 

その“フィロソフィー”の中には“心をベースとして経営する”“ベクトルを合わせる”“原理原則に従う”“一日一日をど真剣に生きる”“土俵の真ん中で相撲をとる”など、様々なものがあります。これらは稲盛塾長が仕事や研究を続け、経営で呻吟(しんぎん)する中で編み出していった、実践的な経営哲学なのです。

 

人生・仕事の結果=考え方x熱意x能力

稲盛塾長は京セラでの経営の中で、人生・仕事の結果=考え方x熱意x能力という方程式を考えられました。人生の結果、また仕事の結果は、その人が持っている考え方、つまり哲学に、その人が持っている熱意、そしてその人が持っている能力を掛け合わせた値で表されると考えられました。

 

人並み程度の能力しか持たない稲盛塾長は、人並み以上のことを成し遂げるにはどうすればいいのだろうかと考えた末に見い出したのが、この方程式なのです。

 

三つの要素の中の能力は多分に先天的なものです。両親から授かった知能や運動神経、あるいは健康などが、これにあたります。能力を点数で表現しようとすれば、0点から100点まであると言えます。

 

熱意は努力と言い換えてもいいと思います。やる気や覇気のない無気力な人間から、人生や仕事に対して燃えるような情熱を抱き、懸命に努力する人間まで、個人差があります。このように熱意も、熱意のない人が0点とすれば、燃えるような闘魂で誰にも負けない努力をする人は100点というように、幅があります。熱意は能力とは異なり、自分の意思で決めることができます。能力は自分に天賦(てんぷ)の才で備わったものであって、そう変えられるものではありません。熱意だけは自分の意思で変えられると思い、“誰にも負けない努力”を京セラで、稲盛塾長は働き続けました。

 

際限のない努力が成功をもたらす

“誰にも負けない努力をする”ということが最も大切なことです。多くの人は自分は努力をしたと言います。ビジネスの世界では、相手が自分以上の努力をすれば、負けてしまいます。並みの努力では意味がなく、誰にも負けない努力でなければ、厳しい社会を勝ち抜いていくことはできません。

 

その努力は一時的なものではなく、際限のない努力を続けていくものでなければなりません。

 

京セラを経営し始めたときに、人生という長丁場のマラソンの勝負を、百メートル競走を走るような、つまり全速力で走っていこうと思って走り続けてきました。企業経営は一生かかるものであるにも関わらず、無茶な仕事を続ければ、体がもたないでしょうと周囲の人達から言われたそうです。一流のマラソン選手は、マラソンのペースで走っても、我々の百メートル競走ぐらいのスピードで走り続けるのです。我々素人が42.195キロを走ろうと思ってゆっくり走っていたのでは、ますます引き離されてしまいます。

 

途中で倒れるかも知れないが、なんとか一流選手と同じペースで走っていこうと社員に話し、共有しようとしました。もし最初から、勝負に負けると思うのならば、そういう勝負はやめようと社員に話しました。ところが一生懸命に走っているペースが思いのほか速かったと見えて、先行するセラミックスメーカーを視野に捉えることができ、そしていつのまにか抜き去っていきました。

 

考え方がマイナスなら、結果もマイナスになる

人生・仕事の結果=考え方x熱意x能力、の方程式を点数で表わしてみます。健康で優秀で“能力”が九十点という人がいます。しかし、この能力のある人が自分の能力を慢心し、過信し、真面目に努力することを怠るなら、その人の持っている“熱意”は三十点になってしまいます。

 

一方、自分は平均より少しだけましな程度の“能力”六十点ぐらいだろう。しかし生き抜くため、“必死で生きていこう。必死で努力をしていこう”と自分に言い聞かせ、情熱を燃やし、ひたすら努力するような人であれば、“熱意”は九十点となります。

 

能力のある人は、能力x熱意で二千七百点、普通の能力の人は五千四百点となります。つまり平凡な能力しか持っていなくても、努力をひたむきに続ければ、能力の不足を補って、能力を持った優秀な才能に溢れた人の倍の成果を収めることもできるのです。

 

そしてこの方程式で最も大事なことは、この“能力”と“熱意”の積の値にさらに“考え方”が掛け算で掛かってくるということです。この考え方には、悪い考え方から良い考え方まで、マイナス百点からプラス百点まで、大きな振れ幅があります。

 

“他によかれかし”と願い、一生懸命に努力をする考え方はプラス、世をすね、人を妬み、まともな生き方を否定するような考え方はマイナスです。

 

掛け算ですから、プラスの考え方を持っていれば、人生・仕事の結果はさらに高い点数となります。逆に少しでもマイナスの考え方を持っているだけで、その方程式の答えはマイナスになってしまうのです。能力があればあるほど、熱意が強ければ強いだけ、人生や仕事において大きなマイナスになってしまいます。無残な結果を残すことになります。

 

実際に人並み外れた“能力”とあふれるような“熱意”を持ち、創業した会社を発展させ、百万の富を手にしたものの、傍若無人な行動を取るようになり、社会から指弾を受け、表舞台から去っていくような人がいつの時代にも存在します。

 

どのような“考え方”でなければならないのかということが大切です。プラスの考え方とは、以下のようなものです。

 

·         前向きで建設的であること

·         他と一緒に仕事をしていこうという協調性があること

·         明るく肯定的であること

·         善意に満ちた心を持っていること

·         思いやりがあり、優しいこと

·         真面目なこと

·         正直であること

·         謙虚であること

·         努力家であること

·         利己的でないこと、強欲でないこと、足るを知ること

·         感謝の心を持つこと

 

プラスの考え方は、上記のような考え方であり、善き考え方であり、善い行いをすることです。


マイナスの考え方は、上記の逆です。自分の考え方が果たしてプラスなのか、それともマイナスなのか、つまり善きものなのか、悪いものなのかということを、日々反省を繰り返しながら、少しでもプラス方向、善き考え方を持つように心がけていくことが“人生仕事の結果の方程式”の結果を最大級にすることになります。

 

盛和塾 読後感想文 第106号

フィロソフィーを共有する

人生や仕事の結果=考え方x熱意x能力、人生や仕事の成功には三つの要素が必要です。考え方、熱意、能力です。熱意も必要ですし、能力も必要ですが、その方向を誤りますと、成功どころか逆に失敗に連なります。その方向は考え方によって決まってきます。考え方はフィロソフィー(哲学)です。

 

正しいフィロソフィーを従業員に話し、従業員に理解してもらい、そのフィロソフィーを共有することが大切です。

 

トップも従業員も、同じような考え方、同じような思想、同じような哲学をもつようにしてください。“それは末端の従業員、つまりアルバイト、パートタイマーのおばさんに至るまで、おなじような気持ちになるところまで、フィロソフィーを伝えてください”

 

フィロソフィーは唯、話すだけではありません。みんながいっしょになって理解し、共有してくれるまで、時を問わず、場所を問わず、あらゆる機会を捉えて従業員に説明し話し合うのです。

 

理解し、共有するとは、社長は従業員のことを思い、従業員は社長のことを思ってくれる、そういう関係になることをフィロソフィーを共有するといいます。

 

何故 経営に哲学が必要か、人は何のために生きるのか

稲盛塾長は若い頃、経営者となり、経営の経験のない中で、一生懸命に生き、仕事に打ち込み、経営にはフィロソフィーが必要だと気がつかれました。人生・仕事の結果=考え方x熱意x能力、つまり人生や仕事の結果はどう考えるのか、一生懸命の努力と熱意と本人の能力の積で表すことができるのではないか。

 

多くの方々の人生を見てみますと、様々な人生を歩いておられます。幸せな人生もあれば、不幸な人生を送る方もおられます。どうして、あれほど異なる人生になってしまうのか。企業経営者でも、たいへんうまくいっている経営者もあれば、そうでない経営者もおられます。そのような違いはどこから生まれるのでしょうか。

 

一般には、そのような差はその人の持っている能力によるものだと思われています。知的能力、肉体的能力を含めて、その人の持っている能力に人生や仕事は左右される、しかしそうであるならば、先天的に頭が良くて、肉体的にも頑健な人だけが成功を収めていくことになります。

 

しかし、現実はそうではありません。一流大学を卒業した人でも、大企業で不祥事を起こし、人生を台無しにしてしまった人も多くおられます。小学校しか卒業しなかったにもかかわらず、大企業を創業し成功しておられる方もおられます。能力も大きなウエイトを占めていると思われますが、その人の持っている考え方、哲学、思いのようなものが大きく作用しているのではないか。決して能力だけで人生や仕事の勝負が決まるのではありません。能力はなくても一生懸命に、真面目に生きていこう、人並以上の努力をしている人には、必ず良い結果がついてくるはずだ、と塾長は考えました。

 

人生において、たしかに“能力”というものは大きなファクターとなりますが、もし能力はさほどなくとも、人生を真面目に一生懸命に生きようという強い“熱意”があれば、人生や仕事の結果は大きく変わってくるのです。

 

日本を代表するエレクトロニクスメーカーであるパナソニックを創業された松下幸之助さんは、小学校しか出ていません。自転車屋での丁稚奉公で人生をスタートし、苦労に苦労を重ねてこられました。その松下幸之助さんは、人生や仕事で偉大な業績を残しておられます。それは、その熱意と能力が足し算ではなく積でかかってくるがゆえに、さらにこれを幾何級数的に成長・発展させる考え方があったからだと思われます。

 

考え方がマイナスなら人生の結果もマイナスに

大切なことは、この“熱意”と“能力”の積にさらに“考え方”が積でかかってくるということです。“考え方”とはフィロソフィーです。人生観です。判断基準、さらには心に抱く思い、その人が持つ価値観とも言えます。

 

考え方といいましても、悪い“考え方”から善い“考え方”まで幅があります。世の中面白くないと斜に構えて、強盗でもしようか、泥棒でもしようか、と思ったとします。能力があり、熱意があればあるほど、その人は大きなワル、巨悪になっていくわけです。

 

自民党一党独裁で、政治が腐敗していました。1960年前後、国民も貧しく、左翼的な思想が社会に蔓延していました。そのような政治や社会の在り方に憤(いきどお)りを感ずる若者たちが立ち上がったのが、1960年の日米安全保障条約、つまり日米安保の改定でした。ようやく戦争が終結し、日本に平和が訪れたと思ったら、日米安保によって日本がアメリカの軍事態勢のなかに組み入れられることになってしまうかも知れない、そのような暴挙を許してはならないということから、学生たちが激しく反対し、抵抗したのでした。

 

それは人一倍正義感の強い若者であれば、当然のことでした。そのような若者特有の正義感の自然な発露まではよかったのですが、やがて社会変革に向けた活動が日本で行き詰まりを見せていった時に、一部の過激な人達が、偏狭な思想、“考え方”に凝り固まり、次第に先鋭化していきました。

 

私の友人の一人も“よど号乗っ取り事件”の指導者となり、二十年獄中につながれました。北朝鮮に渡った指導者はさびしく五十一歳で日本に帰国することなく、亡くなりました。一方では浅間山荘事件を起こし、仲間同士でリンチ殺人を犯し、中東のゴラン高原に逃れるようなことが発生しました。その中で、私の友人と、私の友人の妻が殺害されました。

 

人並外れた指導力、能力、熱意もあったこれらの若者は、その正義感にもとづいた思いを実現することなく、この世から去っていきました。思いは果たせなかったかも知れないですが、よい“考え方”さえ持っていれば、必ず世の中に貢献することができたはずです。それが“考え方”が間違っていたために、その人生を大きく誤ってしまうことになったのです。

 

このように、どのような“考え方”を持つかによって人生や仕事の結果が大きく変わってしまうのです。“能力”や“熱意”はゼロから100まであるのに対し、“考え方”はマイナス100からプラス100まであると考えられます。

 

少しでもマイナスの考え方であった場合には、結果は全てマイナスに転じてしまうのです。掛け算、積でかかってくるだけに“考え方”がわずかマイナス一点であっても、結果がすべてマイナスになってしまうのです。また“熱意”があり“能力”があればあるほど、たいへん大きな負の結果が生じてしまうことにもなるのです。

 

指導者である経営者やリーダーが、悪い考え方、マイナスの考え方を持ちますと、そのマイナスの結果は自分ひとりのみならず、周辺の人までも不幸に陥れてしまうことにさえなるのです。

 

塾長は、自分には立派な能力はないだろう、しかし人並外れた熱意、誰にも負けない努力を重ねていこう、人の倍ほど働こうと思いました。同時に、人並み以上のよい“考え方”よいフィロソフィー、よい哲学、よい思い、よい人生観、正しい判断基準を身につけようと思われました。

 

孔子、孟子、陽明学、中国の古典に学び、仏教の教えなどを勉強し、そのような聖賢の哲学を自分の心のなかに植え付けていこうと、塾長は、今まで努めてきました。

 

“思い”の重要性を軽視していることが現代の課題

経営に携わっていく中で、我々は様々な判断を迫られます。そのような時、自分の持っている“考え方”、“思い”に照らして判断をしていくことになります。自分の判断基準となる“考え方”や“思い”が立派なものであるかどうかによって、その結果が大きく変わってしまいます。

 

現代を生きるインテリであればあるほど、そのような人間が抱く“思い”“考え方”というものを軽視しがちです。現代の発達した文明は、人類の“思い”がその源なのです。

 

人類が狩猟採集の生活をしていました。他の生物と共生してきました。こうした狩猟採集の生活では、環境変化に大きく左右されるため、やがて人類は牧畜農耕の生活へと移行していきました。この牧畜農耕の生活に入ってからは、人類はもっと収穫をあげたいという欲望、“強い思い”を募らせていくようになりました。そしてそこに創意工夫が生まれ、技術が生まれ、人類は絶えざる進化を遂げてきました。つまりもっともっと多く、豊かにという“思い”があって、それが技術の進歩をもたらし、人類の進歩発展を促してきました。現在の高度な科学技術もすべて人類が心に描いた“思い”が源なのです。

 

その人間の思いというものは、そのくらい重要なことなのに、それを軽視してしまい、その思いの結果である知識や技術やお金こそ大切だと思っておられます。このことが人生・経営を営むにあたって、現代人が陥っている大きな課題と考えられます。

 

すばらしい“考え方”“思い”を持っているのか、持っていないのか、それによって人生は決まってきます。経営も同様です。すばらしい“考え方”があるかないか、それによって企業業績も企業寿命もすべて決まってしまいます。

 

経営には能力も熱意も必要です。近年若い経営者が、すばらしい能力と才覚を発揮し、また強い熱意をもって、さらにIT技術を駆使して、急成長した例がありました。しかしその経営者が持っている“考え方”が、お金さえあれば何でもできるという誤った考え方であったため、その経営者も会社も社会から糾弾を受け、没落していきました。

 

アメリカ企業の中でも、経営者の一部に“貪欲は善であり、資本主義のエンジンだ”と考える人もいます。先般のリーマンショックのときも、米国を代表する金融機関が崩壊し、多くの人々が莫大な損失を被る中、自らが巨額の報酬を得ようとする、金融機関のトップの姿勢が厳しく問われました。つまり“強欲”として批判されました。

 

能力は大切な要素ですが、それだけではうまくいかないのです。能力に頼って成功した人はいても、それは一時的なもので、それだけでは決して繁栄は長続きしないのです。それはその経営者の“考え方”に欠陥があるからです。

 

フィロソフィーとは、高い目標を達成するために必要な装備

それでは経営者はどのようなフィロソフィー、考え方を持てばよいのか。歴史上の偉人、賢人は、それぞれ様々な“考え方”、哲学を説いています。それはその偉人が、聖人が、どのような心のレベルにあったのかによって、自ずから異なってくるのだと塾長は述べています。

 

経営者が持つべき哲学も同様です。世の経営者によってその“考え方”は様々です。京セラやKDDIでは塾長は自らのフィロソフィーを、経営哲学をことあるごとに説いてきました。それは自分自身を律則していく規範であり、大変ストイックなものでした。

 

“完全主義を貫く”、“地味な努力を積み重ねる”、“自らを追い込む”、“有言実行でことにあたる”、“潜在意識にまで透徹する”、“強く持続した願望を持つ”、“垂直登攀(すいちょくとうはん)で挑む”“成功するまであきらめない”などです。塾長のフィロソフィーには厳しくストイックに生きる姿勢を求めるものが沢山あります。

 

それは自分の企業を一体どういう高みにまで導いていこうとするのかということにかかっているのです。成長もほどほどに、ほどほどの規模で良いという会社では、生やさしい哲学でもよいと思います。世界に冠たる企業の中の企業と呼ばれるような会社を目指そうと思えば、そのフィロソフィーはストイックなまでに厳しいものになります。

 

“どの山に登るか”によって準備、装備も、訓練も異なるのです。近くの山に登るのであれば軽装でもいいが、世界最高峰の高い山を目指すのであれば、周到な準備が必要なのです。

 

社員にこのようなストイックな考え方を理解してもらおうと説いていますと、“なぜ我々はこんな厳しいことを強制されるのか”と反発する社員も出て来ます。そのような時、経営者は“我々の会社は並の会社にしようとは思っていない。世界に誇れるような立派な会社にしたい。社員の皆さんが胸を張って働ける職場にしたいのです”と堂々と説いていくのです。

 

自分達の会社を素晴しい会社にしていきたい。米国一、世界一の会社にしたいと思うなら、その“考え方”“企業哲学”は厳しくならざるを得ないのです。

 

心に抱く思いによって人生は全て決まる

それでは、そうした目的の為にどういう考え方をしたらよいのか、またどういう思いを持たなければならないのか。

 

人間は生まれた時から本能というものを持っています。人間の本能は自然界が我々に与えてくれたもので、生きるために必要なものです。本能で一番強いのは“欲”です。貪欲、性欲、これらの欲があるから、私達は肉体を維持することができます。

 

また“怒り”があります。外敵から身を守るために、相手に立ち向かうためには必要なものです。

 

さらに自分の存在を守っていこうとして、周囲や相手に対して不平不満を鳴らす“愚痴”があります。

 

この“欲”、“怒り”、“愚痴”という本能をお釈迦様は、人間が持っている“煩悩”といわれ、“煩悩”の中でも最も御しがたいものだとして“三毒”と称し、戒めるよう、我々に説いておられます。心の中にどういう思いを抱くのか、人間の心はこの“三毒”にまみれてしまいます。それ故に心の中に少しでも善い思い、善い心を植えつけるように努めるようにしなければなりません。

 

1900年代初頭に活躍したイギリスの哲学者、ジェームズ・アレンという方が、小冊子“As a Man Thinks”の中で次のような言葉を残しています。

 

“人間の心は庭のようなものです。それは知的に耕されることもあれば、野放しにされることもありますが、そこからはどちらの場合にも必ず何かが芽生えてきます。もし、あなたが自分の庭に美しい草花の種を蒔かなかったらば、そこにはやがて雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い茂ることになります。

 

優れた園芸家は庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育(はぐく)みつづけます。同様に私達も、もし素晴らしい人生を生きたいのなら、自分の心の底を掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、その後に清らかな正しい思いを植え付け、それを育みつづけなければなりません”

 

自分の心という庭の中の雑草を取り除き、そして自分の望む美しい草花の種を蒔き、丹念に水をやり、肥料をあげて管理をしていく。この美しい草花の種とは“善き思い”“善き考え方”、まさに善きフィロソフィーです。丹念に水を蒔き、肥料を与えていくということは、その“善き思い”“善き考え方”の勉強を常に行っていくことです。また同時に心の庭の雑草を取り除く、“悪しき心”“悪しき考え方”を取り除くために、まさに日々の己の反省を怠らず、懺悔(ざんげ)をしなければなりません。

 

“正しい思いを選んでめぐらし続けることで、私達は気高い、崇高(すうこう)な人間へと上昇することができます。と同時に、誤った思いを選んでめぐらし続けることで、獣のような人間へと下落することもできるのです”

 

“心の中に蒔かれた思いという種のすべてが、それ自身と同様のものを生み出します。それは遅かれ早かれ行いとして花開き、やがては環境という実を結ぶことになります。良い思いは良い実を結び、悪い思いは悪い実を結びます”とジェームズ・アレンは述べています。

 

稲盛塾長が人生・仕事の結果=考え方x熱意x能力という方程式をつくり、“考え方”によってすべてが決まってくるのだと考え、信じ、実践したことをジェームズ・アレンはこのように表現しています。

 

“心は想像の達人です。そして私たちは心であり、思いという道具をもちいて自分の人生を形づくり、そのなかで、さまざまな喜びを、また悲しみをみずから生み出しています。私たちは心の中で考えたとおりの人間になります。私たちを取り巻く環境は、真の私たち自身を映し出す鏡にほかなりません”

 

これを企業経営に当てはめれば、企業を取り巻く環境は、まさに経営者、または社員自身の心を映し出している鏡であるということなのです。もし社会から糾弾を受けたり、倒産したりするような会社があれば、それは歴代の経営者を含め、その企業に関連する者の思いが、そういうものを招き、つくってしまったのです。

 

“人間は思いの主人であり、人格の製作者であり、環境と運命の設計者である”

ジェームズ・アレンは述べています。

 

人間は思いの主人公であり、人格をつくっていく製作者でもあり、さらには自分の環境と運命の設計者であるということなのですが、いわば自分の心ですべてをつくることができると言っているのです。思いというのはその人の人格を作ります。その人格により、周囲の人たちがその人格にひかれて近づいて来ます。こうして近づいてくる人々が私たちの環境を良きにつれ、悪きにつれ、作っていくのです。“類は類を呼ぶ”と昔から伝えられてきています。従って私達の環境も、自分自身の人格の繁栄であり、自分自身の思いや人格が招いたものなのです。

 

心にすばらしい草花の他絵を蒔き、手入れをしていけば、素晴しい結果を作っていくことができます。逆に心の手入れを怠れば、雑草が生い茂るような結果を招いてしまうことになります。

 

我々近代人は一般に自分が何かを思おうと思想の自由ではないか、どんな思いを抱こうと自分の勝手だと思っています。しかし思いというものがそれくらい重要なものであれば、思いというものに対してもっと充分な配慮をする必要があると思われます。

 

原理・原則を判断基準にする

人間には“善い心”と“悪い心”があります。善い心とは、自分のことはさて置き、周囲の人みんなが幸せであってほしいと願う優しい思いやりに満ちた利他の心です。一方“悪い心”とは自分だけが良ければよいという利己的な、邪(よこしま)な心のことです。人間の心の中には、この善い心と悪い心が同居しています。

 

自分だけが良ければよいという邪(よこしま)な考え方をなるべく抑え、善なる利他の心が自分の心の中で多くを占めるようにしていく、これが人間の修行です。そしてそれが人間をつくっていくこと、人格を高めることにつながります。

 

経営者や経営幹部は日常様々な判断を迫られます。そのときに放っておけば人間は善悪ではなく損得で判断をしてしまいます。会社にとって得するか、自分にとって得するのかを考えてしまい、本能的に判断しがちです。又、自分を侮辱(ぶじょく)しているなどの感情論や、くだらないプライドで物事を判断してしまうことさえあるのです。善なる心で判断するということは、厳しい修養、訓練を通じて、身につけていかなければなかなか実行できるものではないのです。

 

稲盛塾長は自分を戒めるために幹部や部下の人たちに、次のような話をしています。

 

“問題が起きてあがってきた案件を判断するときに、すぐ頭に浮かぶ思いは、全てといっていいほど、本能から出たものです。まず心に浮かんだ思いですぐに結論を出してはいけません。“ちょっと待てよ”といったんその判断を横に置き、理性で考えてみる。あるいはその善悪を問うてみる。自分に都合がよいとか、自分の感情論で判断するのではなく、理性を駆使して善悪で判断してみようというように、いったん、少し時間をとり、ワンクッション入れてから判断をすることが大切です“

 

“よほどの賢人でない限り、直感的に善悪で判断することはできません。どうしても本能で判断してしまうのです。それだけに、結論をすぐに出してしまうのではなく、いったん最初に浮かんだ判断を横に置き、改めて問題の本質を明らかにし、それに善悪のものさしを当て考え直してみる。そうしてワンクッションを置くことによって、誤りのない判断ができるはずです”と社員の方々に話されました。

 

稲盛塾長も最初に自分の脳裏に浮かんだ判断が間違いであったことに気がつき、考え直して失敗を免れたということはいくらもあったと述べておられます。

 

京セラのフィロソフィーの中には“人間として正しいことは何なのか、正しいことを正しいままに貫いていこう”というものがあります。そのような問いを常に自分に課し、正しい判断を維持できるように努めていかなければなりません。

 

企業経営では不正や不祥事が発生することがよくあります。企業内には多くの人が存在していますから、中には思い違いをする人、出来心で悪いことをする人がどうしても出て来ます。そういう人たちであっても、間違った方向にいかないようにする規範となるべきものがフィロソフィーです。そのような規範が企業内に確立され、共有されることで不祥事を未然に防ぐことができると考えられます。

 

アメリカで起きた不正事件、大手エネルギー会社のエンロン、アメリカの大手会計事務所アンダーセンが破綻していきました。全米第二位のワールドコムも粉飾決算が発覚し、崩壊していきました。これらの企業において企業経営の規範、ルールというものがなおざりにされていた結果ではないでしょうか。企業経営にフィロソフィーが確立されていなかったのです。あるいはフィロソフィーを浸透させていなかったからこそ起きた不祥事なのです。

 

“人間として何が正しいか”とは“正直であれ、人を騙すな、嘘を言うな”というような子供の頃、親や学校の先生に教わったことです。こんな基本的なことを企業内で言わなければならないのかと驚かれる方もいらっしゃいます。しかし、そういう人間として当たり前のことを守ることができなかったために起こったのが企業の不祥事なのです。

 

たとえば、利益を得るために“これくらいはいいだろう”と規範やルールを少し曲げてみる。それが通ると“もう少しくらいはいいだろう”とさらに規範やルールを曲げるようになります。企業の製品に問題が発生するようになる。企業が大きな損害を被る可能性がある。ならば“正直に言わず、黙っていよう”となる。こうして企業ぐるみで虚偽報告や隠ぺい工作に走るなど、“嘘をつき、騙し、隠し通そう”として事態をさらに紛糾させ、やがて企業を崩壊へと導いてしまうのです。

 

こうしたプリミティブな哲学が欠落した人たちが大企業のリーダーになっているがために、現在、世界中の企業において企業不祥事が多発していると思われます。

盛和塾 読後感想文 第105号

新しい計画を成就する

人間の持つ“思い”がいかに大切かということを深く心に留めておくことが、新しい計画や目標を達成する為には、必要なのです。 

“新しい計画の成就には、ただ不屈不撓(ふくつふとう)の一心にあり。さらばひたむきにただ想え。気高く強く一筋に。” 

新しい計画の成功を望むならば、どんなことがあろうとも決してあきらめずにただひた向きに気高く、強烈に思い描き続けることが大切であり、そうすればどんなに難しい目標であろうとも必ず成就できるのです。 

人間の“思い”にはものごとを成就させる力があるのです。特にその“思い”が気高く美しく純粋で一筋なものであるなら、最大のパワーを発揮して困難と思われた計画や目標も必ず実現させてくれるのです。

 日本航空の再建 及び日本の再生について

 日本航空の再建 

  1. 採算意識を持つ

日本航空再建を引き受け、会長に就任した稲盛塾長は、JALの社員、経営陣が、自分の会社が“倒産した”という実感があまりなかったようです。倒産した企業には倒産した原因があったはずです。それは中に住むリーダーもしくは全従業員の意識に問題があったのです。JAL社員の方々の“倒産した”という意識が非常に希薄でした。債権者と事前協議しながら、飛行機を飛ばし続けて再生するという形であったため、“会社が潰れた”という実感が幹部にも会社全体にもありませんでした。幹部社員に“JALは倒産したのですよ、本来ならば全社員が職を失くし、路頭に迷わなければならない”、と稲盛塾長は話したそうです。 

JALの幹部社員は再建に向けて、リーダーとして強烈な願望と責任感、または使命感というものを持ってもらわなくてはなりません。 

リーダー教育を実施しました。経営幹部50名ほどに定時後、休日に集中的にリーダー教育を実施し、どういう使命感を持ち、どういう意識を持つべきかを説きました。 

航空運輸事業は安全でなければ成り立ちません。しかしその安全を維持していく為には、企業が充分な収益を上げて、良い経営ができているという前提があってはじめて安全が守られ、社員の雇用も確保されるのです。 

経営には会計学をはじめ、経営全般についての知識が必要です。営業や整備など、各部署のJALの幹部たちが、損益計算書や賃借対照表をみられるようになってもらわなくてはなりません。その中で大切なことは、売上を最大に、経費を最小にするということです。 

  1. 善悪を判断基準にする

非常に判断の難しい事業運営をやっていくときに、リーダーは善悪で判断しなければなりません。善悪とは自分の会社にとって、また自分自身にとって善いか悪いかではなく、“人間として善いか悪いか”という判断基準に基づき、経営判断をすることを真のリーダーは身に付けていなければなりません。リーダーは己を捨てて、集団のために、社会のために、国のために、常に善悪で判断できるという純粋な心を持った人でなければなりません。 

“人をだましてはいけない”“嘘をついてはいけない”等、プリミティブな倫理観を子供の頃に大人から教えられて育ちました。そうした倫理観を幼稚な教えだと思い、実践しようとしません。こうした幼稚な倫理観を守らなければならないにも関わらず、経営の最高幹部が蔑ろにして経営判断を誤ることが多いのです。 

  1. 不屈不撓(ふくつふとう)の一心で計画を成就する

JALでは“業績発表会”という月例会議が始まりました。営業や整備等、各部の責任者が売上をどのように伸ばし、経費の無駄をどのように削減してきたかということを、月例会で説明してもらうのです。社員が一生懸命に業績を説明してくれるようになりました。“一生懸命がんばってほしい。現在、企業再生支援機構による再生計画が組まれていますが、その計画を着実に実行する。それ以上の実績を上げていくようにがんばろう”と稲盛塾長は社員に語りかけました。 

ヨガの達人、中村天風さんの言葉

新しき計画の成就は只不屈不撓(ふくつふとう)の一心にあり。さらば、ひたむきに只想え、気高く強く一筋に 

日本航空社員三万五千人を守っていかなければならない。そういう新しい計画を成就するのは、ただ不屈不撓の一心である。ひたむきにただ気高く強く一筋にと思い続けることが何よりも大切です。その思いというものが計画を成就させるのだということを述べています。 

  1. 究極のサービス産業を目指す

稲盛塾長はJALの各職場にも出向いて現場の社員に直接語りかけました。皆がそれぞれの飛行機に乗って世界各地を飛び回っていますので、一堂に会することはできません。勤務が終わって搭乗員の方々に“皆さんが最前線でお客様に接しているわけですから、お客様を大切にする皆さんのおもてなしの心が最も重要になっています。ぜひ、感謝とおもてなしの心で接遇(せつぐう)していただきたい。お客様の心をつかむのは、それしかないのです。幹部社員がいくら威儀を正してものを言ったところで、意味はありません。お客様から“あの人たちが働いているから、あの飛行機に乗りたい”と思っていただけるような、そういう接遇(せつぐう)をしていただきたい“と話しかけました。 

パイロットの方々にも語りかけました。

“通り一辺のアナウンスをするだけではなく、お客様に対する心からの感謝の言葉をアナウンスして頂きたい。さすがJALは違う、と言われるような会社にしてほしい” 

こうした結果、お客様からパイロットや搭乗員に対して感謝の便りが届くようになってきました。 

  1. 部門別採算の導入へ

2010年の4月から12月までを合算しました損益は売上一兆八百八十八億円、営業利益が一千五百八十六億円でした。更生計画で見込んでいた利益を八百億円上回るすばらしい業績が出ました。 

JAL社員の努力と為替レートが円高で推移したこと、また燃料費が抑制されたことも追い風になったのです。同時に会社更生法の適用を受けて減価償却費など経費削減も進み、資産売却を行ったことで損益計算書の上で良い数字が出来るような体制になっていた恩恵を受けることができたのです。 

一方、路線別の採算を詳しく見て行く必要があると考えており、目下路線別の収益が見えるような経営を目指しています。それぞれ部門別の採算を細かく見ていくアメーバ経営という経営管理手法を独自に考えております。JALでも路線ごとに収益が見え、そしてそれをコントロールして経営できるような部門別採算の仕組みを構築して、2011年4月からは幹部社員が路線毎に経営の舵取りができるようにしたいと考えています。 

しかし忘れてはならないのは、金融機関の方々には巨額な債権放棄をしていただいたこと、従業員に整理解雇をお願いしたことです。今日のJALはこうした犠牲の上にあることも忘れてはなりません。 

  1. JALの企業理念とフィロソフィー

JALの経営陣、社員の意識改革が進むなかで、JALフィロソフィーができあがりました。 

JALグループは全社員の物心両面の幸福を追求し、

一.お客様に最高のサービスを提供します

一.企業価値を高め、社会の進歩発展に貢献します

JALフィロソフィーを社員みんなが共有し、一丸となってベクトルを揃えることで、今までにない強固なJALとして再生できるのではないかと稲盛塾長は述べています。

添付のものがJALフィロソフィーの目次です。         

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日本経済再生へ向けて

現在、日本経済は低迷しています。今まで安住していた日本企業が海外企業から挑戦されるようになってきました。

サムソン、LGに代表されるように、韓国産業界はたいへんな躍進を遂げています。中国の産業界も発展しています。しかも日本は人口減に直面しています。

日本経済の低迷も産業界のリーダーの“自分の企業はこうするんだ”という強い思い、つまりどんな問題があろうともそれを跳ね飛ばして不屈不撓の一心で会社を立派にしようとする思いが欠落していたことに起因しているのではないのでしょうか。

明治維新の時代、国力が充分でなかったにも関わらず、欧米列強に伍していく近代国家を何としても建設しなければならないという一心で、日本は近代化を成し遂げました。

第二次世界大戦の敗戦により、日本全土が焦土と化しましたが、その中から多くの我々日本人の先輩が立ち上がってくれ、多くの中小企業をつくっていきました。お金も、技術も、何もない中で、徒手空拳で立ち上がって奇跡といわれる戦後日本経済を復興させました。

しかし、バブル経済崩壊の後、日本経済リーダーは日本経済再生の為、“不屈不撓の一心”に欠けていたと思われます。JAL再建のプロジェクトもそのJAL経営陣が“不屈不撓の一心”に欠けていたために、発生したものです。

日本再生の為に、日本企業が勇気を持って、私心を離れて大同団結を図るべき時にきています。グローバルに展開できる強い企業群が続々と誕生していくべきなのです。もし経済界がそのように目覚めれば、政治の世界でも若者の間でも、視野が広がり、日本の未来を想像していく、すばらしい力になると思われます。

盛和塾 読後感想文 第104号

毎日を“ど真剣”に生きなくてはならない

一度きりの人生を真摯な姿勢で“ど”がつくほど真剣に生き抜いていく。そのたゆまぬ継続が人生を好転させ、高邁(こうまい)な人格を育(はぐく)み、生まれ持った魂を美しく磨き上げていきます。 

今日一日は一体何をするのか、どういう仕事をするのか、準備は充分か、仕事のはじめから気を引き締めてスタートラインに着く。一生懸命に仕事に打ち込む。一日の終わりには、仕事は計画通りに進んだか、道具、机の整理整頓は済ませたか。同僚との共同作業はどうだったのか。明日への準備は整っているかを反省する。 

こうした一日一日を丁寧(ていねい)に点検することを習慣にすることが大切です。一歩一歩継続していくことが人生を豊かにし、人格を磨いていくことにつながります。 

日本航空の現状と課題 

日本航空を再建する三つの大意

稲盛塾長は日本航空と企業再生支援機構からの要請を受け、再建の仕事を引き受けられました。その時、何故引き受けるのか、熟慮されました。家族からも友人からも、大反対されました。しかし、悩んだ末、“世のため人のために役立つことが人間として最高の行為である”という人生哲学が稲盛塾長を動かしたのでした。再建の仕事を引き受けた理由は三つありました。 

  1. 日本経済への影響

日本航空は日本を代表する企業です。その日本航空が倒産し、さらに再建不可能となって二次破綻でもすれば、日本経済への影響はたいへん大きなものになります。日本経済の活力を甦(よみがえ)らせるためにも、日本航空は何としても再建しなければならない。 

  1. 日本航空の社員のため

倒産をしてしまった結果、多くの社員に辞めてもらわなければならなくなりました。それでも三万人の従業員が残っています。その社員の雇用を守っていくことが第二の理由でした。 

  1. 国民へのサービス

日本航空が倒産すれば、日本の航空業界は一社だけとなります。大手航空会社が一社だけになれば、独占状態となり、競争原理がなくなります。その結果、航空運賃は高止まりし、サービスも悪くなっていくだろうと思われました。健全な競争があってはじめて正しい経営が行われ、国民のメリットになります。 

以上三つの意義・大善があると考えられ、稲盛塾長は日本航空の仕事を引き受けたのでした。 

フィロソフィーの浸透と意識改革

稲盛塾長は2011年2月に会長に就任し、日本航空で仕事を開始しました。着任して見ますと、いろいろな問題に驚かれました。 

  • 民間企業は実績数字をベースに経営していかなければなりません。ところがその数字が数ヶ月遅れでしか出てこない
  • 経営幹部の方々でさえ、採算意識が希薄で、誰がどの部門の収益に責任があるのか明確になっていません
  • 本社と現場、企画部門と現場部門、経営幹部と一般社員がバラバラで、一体感がありません 

倒産したという意識もなく、再建に向けて一致団結して死に物狂いでがんばろうという熱意もありませんでした。 

企業再生支援機構が中心で作成した路線の見直し、人員削減などのリストラ案について、具体策を決めていかなければなりません。その為、連日のように早朝から夜遅くまで会議が続きました。 

その会議の中では、数字の裏付けのない議論や、単に過去の慣例を踏襲(とうしゅう)しようと意見、自己弁護に終始したり、結論を先送りにしようという議論が出て来ました。 

企業再生支援機構から派遣された管財人の方々が中心となり、作成された再生計画が出来上がりましたが、再生計画が実行に移されなければ、絵に描いた餅では意味がありません。 

連日の会議で、日本航空の幹部も経営に対する意識が少しずつ変わってきました。しかし、元々官僚的で、ある意味で無責任な体質がある会社です。そう簡単に変われるわけがありません。しかし再生計画を実行するのは、日本航空の幹部社員です。頼りない幹部社員がはたしてこの再生計画を実行していけるのかと稲盛塾長は思われたと思います。しかし実行するのはこの幹部社員なのです。そうであるなら、彼等に立派なリーダーになってもらうしか方法はないのです。その為、幹部社員50名を集め、六月から一ヶ月間にわたり、リーダー教育と称した徹底的な教育を行いました。 

経営者としてのあり方や、経営をするために必要な会計の考え方などを中心にしたリーダー教育でした。 

  • 現場の状況を数字で把握できるようにならなければならない
  • 経営の要諦は売上最大、経費最小にあり、リーダーは率先して実行していかなければならない
  • リーダーは部下から尊敬されるような素晴らしい人間性をもつと同時に、立てた目標はどのような環境の変化があってもそれを達成しようとする強い意志、強い熱意を持っていなければならない 

リーダー教育は毎週四回、合計十七回行いました。稲盛塾長も六回ほど出席し、直接講義をすると同時に、一緒に酒を酌み交わし、議論をしたそうです。 

この教育の結果、幹部社員の経営意識が変わりはじめ、目の色が明らかに変わって来たと同時に、同じ教育を受けた仲間としての一体感が生まれました。 

しかしこのような座学、机に向かっただけの教育だけでは本当のリーダーにはなれません。学んだことを現場で生かすことで、リーダーとして成長ができるのです。この七月から“業績発表会”という月例会議が始まりました。 

航空輸送業はサービス産業です。実際にお客様と接している社員や、チケットを販売している社員の意識も変わってもらわなければなりません。また安全確保のために日夜奮闘している整備の方々、裏方として荷役などの作業をして日本航空を底辺で支えている方々の意識も変わってもらわなければなりません。 

七月から稲盛塾長は現場回りをしたのです。社員の方々に直接話をしました。たいへんなリストラをして辞めてもらわなくてはならない人たちが出てしまいます。お詫びしました。“安全確保のためにも、お客様へのサービス向上のためにも、現場で働く皆さんが最も大切なのだ。厳しい状況は続くけれども、頑張ってほしい”“日本航空の経営の目的は全従業員の物心両面の幸福を追求することなので、今度は二度とリストラをすることなく全社員が生き生きと働けるような会社にしたい。その為に更生計画を着実に実行し、財務体質を改善していかなければならない。ぜひ協力してほしい。必死になって再建しましょう。”と話されました。 

頼りない幹部社員に対しても、決してあきらめずに、必死に教育していく稲盛塾長。自分の手元にある人や物を何とかして生かそうとする、しかも、教育したリーダーがその教育された内容を実際の経営に生かすようにシステムを作り出しているのです。 

それのみならず、現場の方々にも、自ら現場に出かけ、話しかけていきました。それも現場の方々が理解できるよう再生計画の目的を説明し、協力を依頼して回ったのです。 

八月には“新しき計画の成就はただ不屈不撓(ふくつふとう)の一心にあり、さらばひたむきにただ想え、気高く強く一筋に”を標語にして、ポスターにして各現場に掲示し、社内報の表紙にも掲げました。この更生計画を達成する為には、どのような環境の変化があろうともそれを言い訳にすることなく、社員全員が強く、気高い思いで、目標達成に向けて必死の努力を重ねる以外はないという意味を全社員に伝えました。 

業績改善への感謝の思い

稲盛塾長会長就任以来、11ヶ月が過ぎました。日本航空の雰囲気が大きく変わってきたのです。官僚的な体質も少しずつ払拭され、更生計画を着実に実行できるようなビジネス感覚をもったリーダーも育ってきました。何よりも全社員が同じ思いで経営改善に一生懸命に取り組んでいます。 

                             2010年4月~9月    2009年10月~2010年3月

収入                       7,665億円              7,639億円

営業利益(損失)          1,096億円              (957億円)

 

なんと約2千億円の改善でした。これは債権者の方々や盛和塾の皆さんの支援があり、日本航空社員の大きな励みになりました。 

更に円高により、燃油などのコストが下っています。これも再建に大きく貢献しています。そして何よりもリストラに協力していただいた多くの社員の方々、“売上最大、経費最小”のために各職場で懸命に努力をしていただいた方々など、この厳しい経済環境のなか、必死になって日本航空再建のために努力を重ねてくれた全ての社員のおかげなのです。 

航空産業型“アメーバ経営”の導入

経営体質を強化するために重要なことは、経営実績の詳細がリアルタイムでわかるようなシステムを作り、その数字をベースにして全員でいかに経営を改善していくかを考え、創意工夫をしていくことです。 

当初、日本航空にはそのような仕組みも、またどの便が収益を上げているのかわかるようなシステムはありませんでした。稲盛塾長は部門別採算制度を導入し、航空事業の収益源である各路線の採算がほぼリアルタイムでわかるような管理会計システムを構築する予定です。つまり、すべての路線の、また路線ごとの収支が翌朝にはわかるような仕組みを作り、路線別の経営責任者を決め、その責任者が中心となり、あがってきたデータをみながら各路線の収益性を高めるための創意工夫を重ねていく。 

整備や空港窓口などの直接売上をあげない部門でも、組織を小集団に分け、それぞれの部門で経費を細かく管理できるようにする。この場合、経費の明細を全員で共有して、無駄はないか、もう少し効率的な方法はないか、全員で知恵を出し合い、全員で経営改善に取り組めるようにしようとしています。

経営内容と社員の質で世界トップのエアラインに

現在、たいへん厳しい経済環境のなか、忍耐強く日々一生懸命働いてくれている社員の方々が、近い将来“日本航空で働いて本当によかった”と心から思ってくれる会社にしたいと思っていると、稲盛塾長は述べています。そのような社員が働いてくれるならば、必ずや安全性もさらに高まり、サービスも向上し、日本航空は規模ではなくその経営内容で、また社員意識のレベルの高さでも世界トップクラスのエアラインになれるはずです。

盛和塾 読後感想文 第103号

“経営の原点十二ヶ条”その力を信じ、よく理解し、実践する

本年6月に開催された“経営哲学北京報告会”では“なぜ経営に哲学が必要か”ということを話しました。経営にはフィロソフィーが不可欠であり、そのためにも経営者自身が心を高め続けなければなりません。

 

“哲学こそが経営や事業の成否を決するのであり、自分の会社を立派にし、従業員も幸福にしたいと思うならば、トップである経営者が自分の考え方を高めていく必要がある”というのが前回の講演の趣旨でした。

 

今回は、哲学をどのようにして経営や事業の中で実践していくのか、という実践的な経営の原理原則を十二の項目に分けて解説します。

 

経営には複雑な要素が絡み合い、難しく見えます。しかしことの本質に目を向けるとむしろシンプルなものではないかと考えられます。世の様々な現象も、複雑な現象を複雑なままでとらえようとするから、かえって難しくなってしまいます。

 

経営も同様に、その要諦、つまり原理原則さえ会得すれば、決して難しいものではないのです。フォーチューン五百社に数えられる京セラ、KDDIの経営において稲盛塾長が実践し、その有効性を証明してきました。中国であれ日本であれ、その経営の要諦は、経営の原理原則は、国や地域によって変わるものではありません。なぜなら、“経営の原点十二ヶ条”は“人間として何が正しいか”という最もベーシックな判断基準に基づいているからです。そのような普遍的な哲学、フィロソフィーは、国境や民族、文化、言語の違いを超えることができると考えられるからです。

 

“経営の原点十二ヶ条”の項目は決して難しいことを説いているのではありません。その有効性と普遍性が既に実証された、まさに経営の要諦であります。その力を信じ、よく理解し、実践していくことが、経営、事業を成功させるのです。

 

一.  事業の目的・意義を明確にする

-公明正大で大義名分のある高い目的を立てる-

“なぜこの事業を行うのか”“なぜこの会社が存在するのか”様々なケースがあります。まず自分の事業の目的、または意義を明確に示すことが必要です。

 

“金もうけをしたい”“家族を養わなければならない”という人もおられますが、それだけでは多くの従業員を糾合(きゅうごう)する目的としては、物足りないと思います。

 

事業の目的、意義はなるべく次元の高いものであるべきです。公明正大な目的でなければならないと考えられます。従業員に、懸命に働いてもらうとしますと、そこには“大義名分”がなければなりません。“自分はこの崇高な目的のために働く”という大義名分がありませんと、人間というものは一生懸命にはなれないのです。

 

京セラを作った時、まだ経営のあるべき姿を知らず、“自らのファインセラミックスの技術を活かして製品開発をし、それを世に問う場である。”と会社を位置づけていました。当時の日本は、技術力よりも、学歴や学閥などが尊ばれ、実力を正しく評価してもらえないような風潮がありました。稲盛塾長は最初に勤めた会社を退社し、京セラを作りました。新しい会社では“自分をファインセラミックスの技術を世界に問う”ことを目的としました。一人の技術者として研究者として磨き上げた自分の技術を遺憾(いかん)なく発揮できる場ができたと、大変喜んでいたのでした。

 

会社設立二年目に高卒十名ほどの新入社員を採用し、彼らが一年あまり働いてくれていた時でした。この高卒の十名が団体交渉を求めて、連判状を提出して来たのです。その書状には“将来にわたって昇給は最低いくらだすこと、ボーナスはいくらだすこと”という自分達の待遇保証を求めるものでした。

 

面接試験のときに“どのようなことをしてあげられるかは分からないが、一生懸命がんばって立派な企業にしたいと思っている。そういう企業に賭けて一緒に働いてみる気はないか”と話をして彼等は入社したのです。しかし入社一年目で“将来を保証してもらわなければ我々は会社を辞めたい”と言って来ました。

 

できたばかりの会社で人材に余裕がなく、入社後すぐに現場に配属し、ようやく戦力として活躍してくれている者たちであっただけに、本当のところ、辞められては会社はたいへん困ってしまいます。稲盛塾長はこの時、“彼等が要求に固執するようであるならばやむを得ない。創業の時点に戻ってやり直せばよい”と腹をくくりました。“要求は受けられない”と彼等に答えました。

 

会社設立三年しか経っておらず、彼等の要求を満たすことは不可能でした。彼等を引き止めるために、自信も見込みもないことを保証するのは、嘘をつくことになると考えました。三日三晩、小さな市営住宅で話し合いがもたれました。

 

“私は自分だけが経営者としてうまくいけばいいという考えは毛頭持っていない。入社した皆さんが心から良かったと思う企業にしていきたい。私は命を賭してもこの会社を守っていく。もし私がいいかげんな経営をし、私利私欲のために働くようなことがあったら、私を殺してもいい”と話しました。

 

三日三晩の話し合いで、彼等は要求を撤回し、会社に残って以前にも増して骨身を惜しまず働いてくれるようになりました。

 

この三日三晩の話し合いの中で、従業員も自分の家族を養っていく為に京セラで働いてくれている。だから待遇保証を求めているのだと理解しました。企業を経営するということの真の目的は、技術者の夢を実現するということではなく、ましてや経営者の私服を肥やし、豊かにするということではなく、現在はもちろん将来にわたって、従業員やその家族の生活を守っていくということだと稲盛塾長は気がついたのです。

 

経営とは経営者が持てる全能力を傾けて、従業員が物心両面で幸福になれるように最善を尽くすことであり、経営者の私心を離れた大義名分を企業は持たなくてはならないと悟ったのでした。

 

このように公明正大な事業の目的や意義であってこそ、従業員の心からの共感を勝ち取り、全面的な協力を得ることができるのです。また会社の目的に大義名分があってこそ、経営者自身も堂々と胸を張り、何の掣肘(せいちゅう)もなく、経営に全力投球ができるのです。

 

京セラでは“全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類・社会の発展に貢献すること”を経営理念としました。以来この経営理念をベースにして経営を進めてきたことが、その後の京セラの発展・成長をもたらしたのです。

 

この理念のすばらしい点は、経営の現場から、実践を通して生み出されたもので、あたかも製造工場で苦心を重ねてすばらしい製品を作るかのごとく、理念が作りだされたという事実です。

 

二.  具体的な目標を立てる

立てた目標は常に社員と共有する

企業の年間売上が現在百万ドルとして、来年は二百万ドルというように、具体的な数字で目標を明確に描くことです。売上高だけではなく、目標利益額まで含め、具体的で明確な目標を立てることです。大切なことは、製品、サービスの中身等も、時間的な計画も明らかにしておくことが大切です。

 

つまり、目標は会社全体の漠然とした数字ではなく、組織ごとに、ブレークダウンされたものでなければならないのです。つまり現場の最小単位の組織にいたるまで明確な目標数字があり、さらには一人ひとりの社員までもが明確な指針のもと、具体的な目標を持っているべきなのです。

 

また、それは一年間を通した通期の目標だけではなく、月次の目標として明確に設定すべきです。月々の目標が明確になれば、自ずから日々の目標も見えてくるはずなのです。このように従業員一人ひとりが日々自分の役割を明確に頑張り、それを果すことができるような明確な目標を設定しなければならないのです。

 

それぞれの従業員が着実に役割を果たし、それぞれの組織としても目標を達成していくことで、会社の目標も達成されることになっていきます。また日々の目標を達成してこそ、その積み重ねである月間や年間の経営目標も達成することが可能となります。

 

目標が明確であるということは、従業員の総力を結集することができるということなのです。もし目標が明確でなく、会社がどの方向に向かうのかを経営者が指し示すことができなければ、従業員はそれぞれ勝手な方向に向かい、持てる力が分散され、組織としての力を発揮することはできないのです。

 

多くの企業が長期の経営計画を立てています。経営の世界では、経営戦略に基づき、五ヶ年計画や十ヶ年計画といった中長期の経営計画を立案することが必要だと言われております。しかし、長期計画を立てても、なかなか達成できるものではありません。市場変動や予期せぬ不測の事態が発生し、計画自体が意味をなさないものになって、いずれ下方修正が必要になってしまったり、ついには計画を放棄せざるを得ないような事態が往々にして発生するのです。

 

反故(ほご)になるような計画であれば、むしろ立てないほうがいいのです。度重なる下方修正や、計画放棄を見せられれば、従業員は“どうせ達成しなくてもいいだろう”と高をくくり、いざ経営者が高い経営目標や長大な経営計画を掲げても、それに挑戦してくれなくなってしまうのです。

 

また長期計画においては、目標とする売上は達成できないにもかかわらず、経営目標や人員目標は計画通りに消化されて、経費の増大を招き、経営を圧迫する可能性があります。

 

三年先、五年先となりますと、誰も正確に予測できないのですが、一年先ぐらいならそうは狂わず読み切ることができます。そしてその一年間の経営計画を何が何でも達成するようにするのです。

 

今日一日を一生懸命に働くことによって明日が見えてくる。今月を一生懸命働くことによって来月が見えてくる。今年一年を一生懸命働くことによって来年が見えてくる、と考えて、日々、月々、そして年間の目標を達成すべく、懸命に努力を重ねていくのです。

 

三.  強烈な願望を心に抱く

心に描いた通りにものごとは成就します。“何としても目標を達成したい”という願望をどれくらい強く持つことができるかどうか、これが成功の鍵になってきます。

 

経営の課題に悩み、苦しみますのは経営者の常でありますが、寝ても覚めても四六時中、そのことだけを考え続けることができるかどうか、これが事業の成否を分ける分水嶺(ぶんすいれい)になります。“強烈な願望を心に抱く”とは潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を持つということなのです。

 

人間には顕在意識と潜在意識があります。顕在意識とは今目覚めている意識の事を言い、自在に駆使できるものです。潜在意識は、通常は意識化に沈み込んで表面には出て来ない、いわば、自分の意のままにコントロールできないものです。

 

この潜在意識の例として車の運転があります。習いたての頃は“右手でハンドルを持ち、左手でギアを操作し、右足でアクセルやブレーキを踏み込む”と自動車の操作を頭で理解し、つまり顕在意識を駆使して運転という行為に集中しています。

 

しかし、次第に慣れてきますと、自動車の操作など全く意識もせずに、考え事をしながらでも平気で運転しています。それは顕在意識で運転を繰り返すうちにそれで潜在意識に浸透し、無意識のうちに潜在意識が働いているからです。

 

潜在意識はよく繰り返し経験することで発生してきます。たとえば“売上をいくらにしたい”“利益はいくらにしたい”という目標を朝起きてから寝るまで、明けても暮れても四六時中考えるようにする。そのような強く持続した願望は、潜在意識に入って来ます、。

 

たとえば、新規事業を立ち上げないと四六時中考えています。その事業分野は今まで携(たずさ)わったことのない分野なので、専門の知識やノウハウを身につけた人材は社内にはおりません。しかし、どうしてもやりたいとやりたいと思い、毎日シュミレーションを繰り返していますと、やがてそれが潜在意識にまで浸透していきます。

 

ある会合で、隣で見ず知らずの人物が話している声が聞こえてきます。それはどうも自分がやりたい仕事に関係する分野のことであり、その人はその分野の技術者のようです。こうして見ず知らずの人に話しかけ、やがて入社してもらうことになり、一挙に新規事業が展開していくようなケースがよくあります。これは潜在意識があったから、隣の人の話が耳に入ってきたからです。

 

そのようになるためには、繰り返し繰り返し思い続けることがどうしても必要なのです。全身全霊を傾けて、顕在意識を働かせ続ける過程が必要なのです。案件を軽く受け流し、適当に処理しているような状態では、決して潜在意識にまで浸透してはいかず、火の燃えるような願望を持ち続けることでしか、潜在意識を活用することはできないのです。

 

目標が高ければ高いほど、それを実現していくには、強く持続した願望を抱き続けることが必要になってきます。

 

四.  誰にも負けない努力をする

地味な仕事を一歩一歩堅実に弛まぬ努力を続ける。成功への近道はない。努力こそが成功へ至る王道です。わずか半世紀ほどで、京セラが今日に至るまで成長発展を続けてきましたのもこの努力以外に理由はありません。ただ、京セラの努力は並大抵の努力ではなく、“誰にも負けない努力”でした。

 

“誰にも負けない”ということが肝心です。そのような努力がなければ決して企業を発展に導くことはできないのです。

 

京セラ創業時には、自前の資金も、満足な設備も、経営の実績や経験もなく、ただ唯一自分たちの払う努力は無尽蔵であろうと、夜を日に継いで、昼夜を分かたず仕事に励んだのでした。

 

しかし、毎日毎日いつ家に帰ったのか、いつ寝たのかわからないまで働くものですから、ついには社員がへたばってしまいました。“こんな無茶苦茶な働き方を続けていたのでは身体がもたない”という声が、従業員から出てきました。稲盛塾長も、全く不規則な生活で、睡眠時間は極端に短く、決まった時間に食事もとれるわけでなく、とてもこのような生活が長続きするわけがない、と思われました。

 

その時、幹部の人達を集め、次のような話をされました。

“私は会社経営がどういうものかを良く知らない。それはマラソンに例えられる長丁場のレースだろう。京セラの我々は、初めてマラソンに出場した素人集団のようなものだ。それも業界の最後発だから、遅れてスタートを切ったということになろう。すでに先発の大企業など先頭集団はコース半ばに差し掛かろうとしている。経験も技術もない素人ランナーが遅れて走りだしたのなら、むしろ最初から全力疾走で走ってみたい。“

 

“そんな無鉄砲なことでは体がもつはずがないと、皆さんは言うであろう。その通りかもしれない。百メートル走のスピードで、42.195キロメートルのフルマラソンを走り切れるわけがないというのは当然のことだ。しかし素人がゆっくり走ってみても、玄人のランナーとは勝負にならないのなら、たとえ最初だけでも全力で走ってみようではないか”京セラは従業員を説得し、創業以来“全力疾走”を続けてきました。1971年に株式市場に上場したときに、工場の空き地に全従業員を集めて次のように稲盛塾長は語りました。

 

“百メートル走のスピードでマラソンを走ったのでは、途中で倒れたり落伍するだろうと皆さんも私も思っていました。けれども勝ち目のない勝負をするよりも、短い期間でもいいから全力で勝負を挑んでみたいと思って走り始めたところが、いつのまにか、それが習い性になって、そのスピードを持続しながら今日まで走り続けることができた”

“すると、いつのまにか先を行くランナーたちがあまり早くないことに気がつき始めた。するとさらにスピードを増し、現在では第二集団を抜き去り、先頭集団を視野にとらえている。さあこの調子で先頭集団を追いかけようではないか”

 

この百メートル走のスピードでマラソンを駆け抜けるような努力が“誰にも負けない努力”なのです。

 

企業経営は競争です。競合企業が自分たち以上に努力をすれば、中途半端な努力では功(こう)を奏(そう)さず、企業は競争に敗れ、衰退していかざるを得ません。“私なりに努力をしています”という程度では、企業が伸びていくはずはありません。血で血を洗うような熾烈(しれつ)な企業間競争の中を勝ち抜き、成長発展を遂げていくには“誰にも負けない努力”でなければなりません。

 

もう一つ大事なことは、その“誰にも負けない努力”を日々絶え間なく、続けていかなければならないということです。どんなに偉大な仕事も地道な一歩一歩の弛まぬ努力の積み重ねからできているのです。

 

製造メーカーの場合、部品一個が五円や十円という安価な商売ですから、下請けの仕事でもあり、こんな下請けの仕事を一生懸命つくっていたところで、会社が発展するはずがない、と思いがちです。しかし大企業になり、今も成長・発展している企業の歴史を見ますと、必ずそのような小さな事業を積み重ねながら、地味な努力をたゆまず続けてきたという事実を見出すはずです。

 

企業発展の要諦は決して難しいことではありません。地味な仕事を一歩一歩堅実に“誰にも負けない努力”を営々と弛(たゆ)まず続けることです。

 

五.  売上を最大限に伸ばし、経費を最小限に抑える

入るを計って出ずるを制する。利益を追うのではない。利益は後からついてくる。

“売上最大・経費最小”を経営の大原則として、ひたすらこの原則を貫くことで京セラはすばらしい高収益企業になりました。

 

経営の常識として、売上を増やせば経費もそれに従って増えていくものと考えられています。しかしそうではないのです。売上を増やせば経費も増えるという誤った常識に捕らわれることなく、売上を最大限にし、経費を最小限に抑えていくための創意工夫を徹底的に続けていく、その姿勢こそが高収益をもたらすのです。

 

受注が五十%増えると一般的には50%増の人員、50%増の設備、50%増の経費の精算をこなそうとします。このような足し算式の経営はしてはならないのです。受注が50%増えたら、生産性を高めることによって本来なら50%増やしたい人員を20%~30%増に抑えるのです。そうすることにより、高収益の企業体質ができるのです。このように受注が増え、売上が拡大する会社発展期こそ、徹底した経営の筋肉体質化を図り、高収益企業とする千載一遇のチャンスであるのです。ほとんどの経営者は、かえってその好況期に放漫経営の種を蒔いてしまうのです。

 

足し算式に“受注が倍になったら人も設備も倍にする”という経営を行っていては、一点受注が減り、売上が落ち込むような事態を迎えるならば、たちまち経費負担が大きくなり、赤字経営に転落することになります。

 

売上最大・経費最小を実現するためには、月々の経費明細が組織ごとに明確にわかるようなシステムが必要です。その為、京セラでは“アメーバ経営”という経営管理システムを構築してきました。一般の財務会計とは異なり、経営者が経営をするための管理会計システムで、数人から数十名ほどに構成される“アメーバ”という千以上もある小集団が存在し、それぞれがこの経営管理システムに基づいて経営を行っています。

 

アメーバ経営では各アメーバが収支を一時間当りいくらの付加価値を生んだのかという計算方式で表現しています。付加価値(=売上-売上原価-人件費を除く経費)を合計労働時間で割って時間当り採算を尺度にして各アメーバの組織の経営成績を判断します。

 

時間当り採算表は各部門ごとに作成されます。この時間当り採算表を見れば、どのアメーバが収益をあげているのかということが手に取るようにわかります。

 

また時間当り採算表は経費を最小限に抑えるために、経費項目を細分化しています。財務会計で使っている経費項目よりも、現場に則(のっと)って細かく表示されています。実際に仕事をしている現場の従業員達がすぐに理解でき、経費削減のための行動が具体的に起こせるためのものでなければなりません。たとえば“今月は電気代がかかりすぎた”その時、どの電気のメーターを点検したらよいのか分からなくてはなりません。

 

会社が小さい時にはドンブリ勘定でもよいかも知れませんが、会社が大きくなりますと、それでは経営の実態がわからなくなってしまいます。一般的な財務会計上の処理だけでは不十分なわけです。

 

京セラはリーマンショック直後を除き、創業以来、ほとんど二桁以上の経常利益率を続けてきました。このような高収益企業体質を作った要因は、他の追随を許さない独創的な技術があり、付加価値の高い製品をつくってきたということだけではありません。経営の実態がよく見える経営管理システムを構築し、運用し、さらに“売上最大、経費最小”という経営の要諦をただひたすら追求してきたということが最大の要因だったのです。

 

六.  値決めは経営

値決めはトップの仕事。お客様も喜び、自分も儲かるポイントは一点である

稲盛塾長は夜鳴きうどん屋の経営を例にとり、“値決めはトップの仕事”はどうしてなのかを説明しておられます。

 

ラーメン屋には屋台がいります。チャーシューメンを出すとすれば、スープは鶏ガラなのか豚骨なのか、麺は機械打ちか手打ちか、焼き豚は何枚のせるのか、ネギものせるのか、もやしをのせるのか、ラーメン一杯にしても沢山の選択肢があります。ラーメン一杯といえども、経営する人によって全く違ったものになっていくのです。

 

次にラーメン屋台はどこに置き、いつ営業するのか、酔っ払い客を狙うのか、学生街で若者を狙うのか。

 

こうした条件を揃えて、値決めがなされます。繁華街では高くても美味しい高級感のあふれるラーメン、数は少なくても利益がでる、あるいは学生街で商売する時は値段は抑えて、数を沢山出すように工夫する。

 

このように見てみますと、値決めはラーメン屋台の商売の全体を良く知り、戦略を決めてからでなければ、決定することはできないのです。経営の死命を制するのは値決めなのです。

 

経営トップは製品の価値を正確に判断した上で製品一個当たりの利益と販売数量の幅が極大値になる、ある一点を求め、それで値決めをしなくてはならないのです。その一点を見抜くのは、営業部長や、ましてや一営業マンではなく、経営トップでなければならないはずです。

 

しかし経営トップの決めた価格といえども利益が出ないというケースもあります。問題は決まった価格の中で、どのようにして利益を出していくのかということが肝心なのです。

 

営業が安い値段で注文をとってきたのでは、製造がどんなに苦労しても利益はでないこともあります。

 

なるべく高い値段で売ってもらいたいのですが、決まった価格で利益を出せるか出せないかは製造側の責任になります。

 

一般には価格は原価プラス目標利益で決められることが多いのです。これは原価主義の方法です。

 

しかし競争の激しい市場では、売値が先に決められてしまいます。原価主義での価格決定、原価プラス目標利益では売れないのですから、値段を下げて売らざるを得ない。すると利益はなくなり、たちまち赤字に陥ってしまうのです。“技術者は新しい製品や技術を開発するのが技術屋の仕事だと思っているかもしれないが、どのようにしてコストを下げるかを考えるのも優秀な技術者の仕事だ”と稲盛塾長は技術者に話しました。

 

熱慮を重ねて決められた価格の中で、最大の利益を生み出すような努力が必要なのです。仕様や品質など、与えられた要件を全て満たす範囲で、製品を最も低いコストで製造する努力を徹底して行うことが不可欠です。経営トップは値決めだけすればよいというのではなく、コストダウンにも責任を持った上で、値決めをするのです。

 

値決めをする瞬間に、もう仕入と製造のコストダウンのことを考えていなければなりませんし、逆にそれらのことが頭の中にあるからこそ、値決めができるわけです。

 

値決めは経営であり、それは経営者の仕事であり、さらにはその価格決定は経営者の人格のままに現れるのです。

 

七.  経営は強い意志で決まる

経営には岩をもうがつ強い意志が必要

経営とは経営者の意志が現れたものです。こうありたいと思ったら、何が何でもその目標を実現しようとする、強烈な意思が経営では必要となります。

 

ところが、多くの経営者の方を見ていますと、得てして目標が達成しない場合にはすぐに言い訳をしたり、目標を修正したり、中には、目標を撤回してしまったりする人がいます。そのような経営者の態度は、常に目標が達成できないだけでなく、従業員にも大きな影響を与えてしまいます。

 

株式を上場しますと、来期の業績予想を発表しなければなりません。それは株主への約束でもあるはずですが、日本の経営者の多くは経済環境の変動を理由に下方修正をすることにためらいがないのです。しかし一方、同じ経営環境の中にありながら、目標を見事に達成して見せる経営者もいます。強い意志であくまでも計画を遂行していくような経営者でなければ、変化の激しい現在の経済環境を乗り切っていくことは難しいのです。

 

経営目標とは経営者の意志から生まれたものですが、同時にその目標を従業員全員が“やろう”と思うようになっているかどうかが大切になってくるのです。経営目標というのは経営者の意志を全従業員の意志に変えることです。

 

最も大切なことは、何としても目標を達成したいという経営者のその必死の思いをあらゆる機会を通じて従業員に率直に投げかけることなのです。

 

従業員には日頃から“うちの会社はすばらしい可能性を持っている。今はまだ小さいが、将来は大きな発展が期待できる”と話しておくことが必要です。そうした日頃からの従業員とのコミュニケーションを図っておくのです。コンパを通じて、従業員の誕生会を通じて、会社研修旅行を通じて、会社の目標を伝えていくようにします。

 

八.  燃える闘魂

-経営にはいかなる格闘技にもまさる激しい闘争心が必要-

経営には企業間競争が伴いますから、経営者はその従業員を守るために、凄まじいばかりの闘魂、闘志を持って企業間競争に挑まなければなりません。

 

しかしこの闘魂は、単なる粗暴な暴力をふるうというものではなく、“母親”が持つ愛に満ちた行動です。母親がヒナを守る為に、ヒナを襲ってくる鷹に対して自分から挑んでいくように、幼い自分の子供が外敵に襲われようとしたとき、強大な敵に立ち向かっていくことがあります。自分の身の危険を顧みず、敵を自分のほうにおびき寄せ、子供を救おうとするように、母親は凄まじい勇気と闘魂を示し、我が子を守ろうとします。

 

平和な経営者が、時には多くの従業員を守るために敢然と奮い立つ、そのような経営者でなければ従業員の信頼を得ることはできません。

 

日本の大企業の経営者の中には、外敵から従業員や企業を守るどころか、自分の保身に汲々とする経営者が非常に多くなっています。企業不祥事を引き起こしても責任を取らず、むしろ部下が責任をとって辞めていくというケースが大企業などでも見受けられます。

これはリーダーの選択を誤ったということだと思います。能力がある人が経営トップになるのではなく、真の“闘魂”つまり“命を賭して従業員と企業を守る”という気概と責任感を持った人が、経営者になるべきなのです。

 

九.  勇気をもって事に当る

卑怯な振る舞いがあってはならない

なぜ勇気が必要なのか、まずは物事を判断するときに、正しい判断をしようと決心する時、勇気が必要なのです。

 

企業経営に当り“人間として何が正しいか”という原理原則に従い、判断をしていけば誤りはしないのです。しかし原理原則を守り、実行しようとする時、経営者は勇気がいるのです。

多くの経営者の方々が原理原則で判断しなければならないという時に、様々なしがらみが生じ、その為に判断を誤ることが往々にしてあるのです。事をなるべく穏便に済ませ、無用な波風を立てないということを判断基準としてしまうことがあるのです。経営者に真の勇気があるかないかということが問われてくるのはこのような局面です。

 

原理原則で結論を下し、脅迫を受けようとも、自分に災難が降りかかってくることがあろうとも、また人から誹謗中傷を受けようとも、全てを受け入れ、会社のために最もよかれと思う判断を断固として下すことができる、それは経営者が真の勇気を持っているからできることです。

 

経営者に勇気がなく、怖がり、逡巡(しゅんじゅん)している様というのは、すぐに従業員に伝わってしまいます。そのような情けない経営者の姿を見た従業員は、たちまち経営者に対する信頼を失ってしまいます。勇気のない経営者の下で仕える従業員も同様に重要な局面に立たされたとき、妥協することをよしとし、ときには卑怯な振る舞いに走ってしまうようになります。

 

経営者に必要な“勇気”それは“胆力”とも言い換えることができます。人間には知識、見識、胆識というものがあるそうです。

 

知識というのは、様々な情報であり、理性で知っていることです。単なる知識というのは物知りです。知識は見識まで高めるべきものです。見識とは、知識が“信念”にまで高まったものです。この見識があってこそ、初めて経営者といえるのです。社長は信念をもって正しい判断をすることが求められるのです。

 

さらに真の経営者は“見識”を持つだけではなく、“胆識”も必要なのです。“胆識”とは“見識”に“勇気”が加わったものです。魂のレベルにまで固く信じているが為に、何ものも恐れないという状態です。このような“胆識”を持った経営者は見識を実行する、実践する経営者、すなわちいかなる局面に対しても勇気を持って対処する経営者なのです。

 

十.  常に創造的な仕事をする

今日よりは明日、明日よりは明後日と常に改良改善を絶え間なく続ける・創意工夫を重ねる

米国でピューリッツア賞を受賞したDavid Halberstam がその著書“Next Century”の中で稲盛塾長のことを述べています。稲盛塾長の著書“次にやりたいことは私達には決してできないと人から言われたものだ”という言葉が紹介されています。京セラでは、ファインセラミックスという新しい素材にいち早く取り組み、従来は工業用材料となり得なかったファインセラミックスを工業用材料として確立させ、更に何兆円という規模を持つ産業分野として成長せしめたパイオニア企業なのです。

 

ファインセラミックスの特性を生かし、ICパッケージを開発し、半導体産業の成長を促したのをはじめ、人工骨などの生体用材料にもいち早く取り組み、現代のファインセラミックス分野の開拓者として社会に貢献してきました。

 

このような独創的な企業経営ができた理由を、多くの人は京セラの技術開発力に求めています。そして自社を顧みて“我社にはそのような技術は何もない。そのために成長発展しないのはやむを得ない”と考えているのです。そうではないのです。他社と比べて傑出(けっしゅつ)した技術を最初から持っている企業など一つもないはずです。独創的な仕事を心がけ、今日よりは明日、明日よりは明後日と常に改良改善をしているかどうかということで独創的な経営ができるかどうか決まってくるのです。

 

例えば掃除などは、一見工夫のしようのない雑事に思われがちですが、毎日同じような掃き方をするのではなく、明日はこうやってみよう、明後日はこうやってみようと少しずつ能率が上がる方法はないかと考える、一日の工夫はわずかなものですが、改良改善がひと月も積み重なれば、大きな変化を遂げているはずです。これは営業、製造、開発などすべての分野において言えることです。

 

創造性ということを“未来進行形で考える”という言葉で稲盛塾長は考えられています。自分の現在の力をもって将来何が出来るかということを考えるのではなく、今はとてもできそうもないと思われる高い目標であっても、未来のある一点で達成すると決めてしまうのです。そしてその一点にターゲットを絞り、現在の自分の能力をその目標に見合うまで高める努力を日々間断なく続けていくのです。

 

自分の能力をもってして、できるかできないかを判断していては新しことはできないのです。今はできないものを何とかしてやり遂げたいと言う強い思いからしか輝(かがや)かしい未来は決して開けないのです。

 

十一.     思いやりのある心で誠実に

商いには相手がある。相手を含めてハッピーであること、皆が喜ぶこと。

自分の利益だけを考えるのではなく、自己犠牲を払ってでも相手に尽そうという美しい心です。

 

しかし、“思いやり”や“利他の心”など弱肉強食のビジネス社会では、実現は難しいと考える人も多いと思います。ところが“情けは人のためならず”ということわざにあるように、“思いやり”“世の為・人の為”として尽していることが、実は自分の為になっているということがよくあるのです。

 

例えば、住宅を建設する場合、沢山の建設業者の方々に仕事を依頼します。この時、“安ければよい”どうしたら自分の利益が確保できるかだけを考えていますと、不法投棄を使っている建設業者、仕事の品質、スケジュール、後日の仕事のやり直し等に苦労します。長期にわたり、共にビジネスを続けていく為には、相手の事も充分理解して、よい人間関係を構築することがビジネスを成長発展させる大切なポイントなのです。

 

相手を大切にし、思いやるという“利他の心”の行為は一見自分達が損をするように見えても、長いスパンで見れば、必ず素晴らしい成果をもたらしてくれるものなのです。

 

十二.     常に明るく前向きに 夢と希望を抱いて素直な心で

経営者というのはどんな逆境にあっても常に前向きでなければなりません。ともすれば、降りかかる経営の諸問題に押しつぶされそうになり、経営者は悲壮感を漂わせるようになることがあります。“強い意志”、“闘魂”、“誰にも負けない努力”等と言いますと、思い詰めて悩み抜いて経営をすることになりがちです。

 

日常は明るく振る舞う心がけがあればこそ、すさまじい闘魂や、どんなことがあってもくじけない強い意志が生まれるのです。一方では“何としてもやらなければならない”という強い思いがありますが、もう一方では何があったとしても自分の将来には必ずすばらしい未来が開けるのだという確信を抱いて明るくポジティブに生きたいと考えるのです。

 

自分の人生を明るくポジティブに見ること、これが人生の鉄則であり、経営者としての要諦なのです。今健康を損なっている、しかし必ず元気になる。今資金繰りに苦慮しているが、努力をすれば何とかなると信じる。前向きなひたむきな努力はこの宇宙の意志に合っている、調和している為、必ずや報われるのです。

 

美しい心と思いやりに満ち、謙虚で感謝を忘れず、素直な心を持って努力を重ねる人々の運命は必ず開けていくのです。

盛和塾 読後感想文 第102号

経営のこころⅢ いかにして心を高めるか

経営のこころⅠでは、企業内で確立すべき判断基準、使命や将来の目標についての話がありました。経営のこころⅡでは、経営思想哲学の根幹についての話がありました。これらは企業内にどのような精神性を確立しなければならないのかという事でした。

今日は、経営者自身がどのような精神性を持たなければならないかということについての話です。経営者自身の“心のあり方”について、心の構造から説き起こし、経営者自身の“心のあり方”がどうならなければならないかという話です。 

経営はトップの器 (うつわ) で決まる

“カニは甲羅に似せて穴を掘る”と言われています。それは、人は自分の身の丈に合わせた事しかできないという、世間一般に流布していることわざ、俚諺 (りげん) です。

これは唯単なる世間智 (処世の知恵) ではなく、企業経営においてはまさに核心を突いた要諦なのです。経営において、業績は経営者の“器量”、つまり人間性、人生観、哲学、考え方、あるいは人格の通りでしかならないものなのです。

京セラのアメーバ経営である小集団部門別採算の経営を行っていますが、なかにはアメーバを発展するにつれ、うまく経営が出来なくなるリーダーが出てくるのです。

あるいは、抜擢されて大きな組織を担当するようになると、力を発揮できなくなるリーダーが存在するのです。

企業経営の中でも、会社が小さい内はうまく治めていたはずの経営者が、会社の規模が大きくなるにつれ、経営者としての役割を果たせなくなるということが往々にしてあるのです。それは能力のみならず、その集団のリーダーの人間性が組織の発展に合わせて高まっていかなかった為に起こることなのです。組織の拡大に伴い、4発生する問題も次第に大きくなり、高度化し、複雑化していきます。人間性が高まっていなければ、 (一段と高い視点から判断することができるように、人間性が高まっている) その新しい局面に対応できなくなってしまうのです。

心を高める経営を伸ばす

企業の業績をさらに立派なものにしていこうとするなら、経営者がその人間性を高め、人格を磨いていく以外に方法はありません。稲盛塾長は、京セラの創業間もない頃から、“経営がトップの器で決まるならば、トップである私自身の器を磨き、大きくしていかなければいけない”と強く思い、努力を重ねてこられました。

稲盛塾長のベッド脇には、何冊も宗教や哲学関連の書籍が積んであります。京セラ創業以来今日まで、夜寝る前に一頁でも本を開かなかった日はなかったそうです。

宗教書や、哲学書を読んで感銘を受けると、胸が詰まって先に進めなくなることがありました。そのような箇所には赤線を引き、もう一度読んでみます。わずか一頁を読むだけで、三、四十分もかかることがありました。いい本の中には、素晴らしい珠玉 (しゅぎょく) のような言葉があります。

稲盛塾長は読解力にも優れておりますから、多くの宗教書・哲学書を読むことができます。私共凡人は、稲盛塾長の真似 (まね) はできません。私はこれはと思った方の言われた事や書物を、同じものを何回も繰り返して読むようにしています。大事な箇所には赤線を引き、3回読み、今度はメモにまとめるようにしています。目で読み頭で考え、最後は手で憶えるようにしています。これだけしてもすぐに忘れてしまいます。

自分の人間性・人格を磨くために、過去の偉人、賢人、聖人と言われるような人達が書いた書物を若い頃から読み、実践しようと努めてきた、それが稲盛塾長の半生でした。

経営者は何故心を高め続けなければならないのか。それは経営において正しい判断を下すためです。企業の業績とは、経営者が下した判断が累積した結果であり、そうであるなら経営者は、正しい判断を下し続けなければならないのです。そして常に正しい判断を行うためには、確固たる判断基準が求められるのです。

一般には、経営判断は損得を基準にすることがほとんどです。それが自分にとって損か得か、そのような利己的な欲望をもとに判断するものですから、往々に誤った判断を下してしまうのです。

正しい判断を求めるならば、“人間として何が正しいか”つまり、“善悪”に照らして物事の是非を判断していかなければならないはずです。

ここに常に“心を高める”努力を続けなければならない理由があるのです。

人は誰でも“心を高める”努力を怠ると、その判断基準は次元の低い損得をもとにしたものとなり、結論を誤ってしまうのです。心を磨き、立派な人格を作るように努めることで、善悪に基づく正しい判断が可能となり、経営の舵取り (かじとり) を誤ることなく業績を伸ばしていくことができるのです。

心の構造

稲盛塾長の考えられた“心の構造図”があります。心の構造を明らかにするには、医学、生物学からのアプローチ、また心理学からのアプローチ、さらには哲学からのアプローチ等、色々な領域からの切り口があります。ここに表わされている“心の構造図”は稲盛塾長の思想・哲学から考えられたものです。

人の心とは、様々な要因が幾重にも重なった同心円状の多重構造になっていると考えられます。

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心の構造の一番奥には、良心、理性あるいは真善美、愛と誠と調和に満ちた高次元の“真我”が存在します。よく“良心の呵責 (かしゃく) に耐えかねて”と言います。悪いことをしたことで、自分の中にある良い心に咎められるという意味ですが、これが良い心、良心、“真我”です。 

この真我の外側には、我々の生命を維持する為に必要な食欲や闘争心といった“本能”があります。欲、怒り、愚痴、不平不満などの悪い思いも、この本能に基づくものです。仏教では“煩悩”と言います。 

本能の外側には“感情”があります。これは本能的に好き、嫌い、喜び、怒りなど、人間が抱くものです。 

本能と感情を合わせたものが“自我”です。その“自我”と“真我”を合わせたものが“魂”です。

赤ん坊も目が開いてきますと五感・感性が出てきます。目、耳、鼻、味、接触五感/感性が発達してきます。

その感性の外側には知性があります。これは知力というものです。これは我々の大脳の中に発達してきた知力です。

誰もが等しく真我を持っている

真我とは仏性のことです。“森羅万象に仏が宿る”と表現します。どんな極悪非道な人間であっても、また無生物であっても、等しく仏が宿っているという意味です。

昔の人からよく言われました。“米一粒の中には三人の仏様がいる。粗末にしてはいけない”

森羅万象全てのものに存在しているものは、宇宙を作っている根源そのものでもあるとも考えるそうです。生物も無生物も含め、自然界にある全てのものに形を変えて、その根源なるものが存在する。例えば一輪の花にしても、宇宙の根源が姿を変えて存在していると考えられるそうです。

“仏は宿る”という考えは、仏教だけではないのです。哲学を勉強された人、ヨガや瞑想などで修行をされた方々で、レベルの高いところまで意識を高めることのできた人は皆、生物も無生物も含めたこの宇宙に存在するもの全てのものには、宇宙の精エッセンスが入っており、それが姿を変えているのだと言うのです。

瞑想をして意識を落ち着かせていき、純粋な状態にまで心を鎮めていったときに、自分の五感が無くなり、本能とか感情という低次元のものも吹っ切れてしまい、限りなく静寂な世界に入っていくことができる。我々凡人が瞑想をしても、知性や感性や感情が次から次へと湧き起こってきます。次から次から妄想が湧いてきてしまいます。

ところが、純粋な瞑想で心を鎮めていくと、知性も感性も感情も本能も全て消えていくそうです。そして奥底にある真我に近いところまで到達することができるそうです。それが“悟りを開く”ということです。

イスラム学の権威でおられる井筒俊彦先生 (いづつ としひこ) は、次のように語っておられるそうです。“自分の意識も全部えしてしまって、感性も感情も全てなくなってしまって、ただ私が存在するという意識だけは厳然としてある。そうなった時に生物も無生物も全部含めて、自分の周囲にある森羅万象あらゆるものが存在としか言いようのないもの、つまり宇宙のエッセンスであるということがわかる”

亡くなった前文化庁長官の河合隼雄 (かわい はやお) さんが次のように表現しておられます。

河合さんは花を見て、“あんた花やってはりますの。私河合やってまんねん”

存在としか言いようのないものが姿形を変えて花を演じたり、河合隼雄を演じていたりしていると仰っておられるのです。

心の中心にある“真我”は、等しく全ての存在に共通するものです。人が皆持っているものなのです。これはまた、宇宙の根源なのです。我々はそのような美しい、素晴らしいものを心の中心に皆等しく持っているのです。等しく皆、真善美、愛と誠と調和に満ちた真我を持っているのです。

“心を高める”とは、低次元の自我を抑え、高次元の自我を発達させること

実際にビジネスの世界では、自分の会社にとって損か得か、自分自身が儲かるか儲からないかという本能レベルで考えがちです。いくら賢明な人でも、最初から真我はもちろん、知性で考えられる人はそういないはずです。どんな人でもこれは自分が儲かりそうですと、本能的に反応してしますのです。修行を積み、戦略を立てるようになり、知性を使い始めます。

高次元の真我、良心、理性は心の最も奥底にあり、その上を低次元の本能、感情、自我が覆っていますから、なかなか出てきません。そのために、我々は必ずと言っていいほど、真我を取りまく低次元の自我で物事を判断してしまうのです。そしてその時、覆っている自我があまりにも強ければ、誤った判断をしがちなのです。

低次元の“自我”とは“オレがオレが”と主張する欲望、“利己”のことです。真我は他に良かれかしと思う“利他”の心のことです。人を慈しみ、人を助けてあげようという優しい思いやりのある心です。

人間はどうしても利己的な自我が過剰になりがちですから、自我を抑えるということが大切になってきます。その為、仏教では“足るを知る”ということを教えています。“そんなに欲張らなくてもよいではないか” “そんなにオレがオレがと言わなくてもよいではないか”利己的な自我を抑えていくことを教えています。

このようにして自我を抑える、つまり真我の周囲を取りまく自我の皮を薄くしていくことに努めていますと、高次元の真我、つまり良心、理性というものが出てきます。

低次元の自己を抑え、高次元の真我つまり、慈悲に溢れた利他の心というものが出てくるように、自分をトレーニングすることが“心を高める”ということなのです。

真我 (利他) と自我 (利己) が心の中心に同居し葛藤している

本能に基づく欲と怒りと愚痴を抑えて、心の中心にある真我つまり、良心、理性を発揮しやすいようにするにはどうすべきか。

それには、心の構造の一番外側に位置する知性を使って、最も中心にある理性を呼び起こすという方法があります。あるいは、知性で直接本能を抑えるという方法もあります。“それはおかしい。道理に合わないではないか。そんな自己中心的な欲張ったことは、理屈から言ってもおかしいことではないか”というように、知性でもって事の是非を理解し、自らを戒めていくことができます。

また、もう一つの心の構造図 ― 真我と自我が心の中心に同居しているということも考えられるのです。

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つまり、心の中心に真我と自我が同居しているのです。真我の方が自我を上回り、六割になったり七割になったり、八割になったりしていくということが、心が高まり人格が高まっていくということなのです。

日々精進を重ね、心を磨くことによって真我の占める割合が増していき、自我の占める割合が減っていく。それが“心を高める”というように理解するほうが分かりやすいかもしれません。

インドの詩人タゴール (文学ノーベル賞) の詩です。

私はただ一人神様の前にやってきました
しかし、そこにはもう一人の私がいました
その暗闇にいる私は
一体誰なのでしょうか
私はこの人を避けようとして
脇道に逸れますが
彼から逃れることはできません
彼は大道を歩きながら
地面から砂塵 (さじん) を巻き上げ
私が慎 (つつ)ましやかに囁いたことを
大声で復唱します
彼は私の中の卑小なる我
つまりエゴです
主よ 彼は恥を知りません
しかし私自身は恥じ入ります
このような卑小なる私を伴って
あなたの前に来ることを

私というのは、真我、利他の心、美しい心です。神様の前に近づいた時、暗闇には“もう一人の私”自我である利己の心、悪しき心を持った者がいるのです。悲しいかな、人の心の中には、美しい心も悪しき心も同居しているのです。

放っておけば、我々の心の中は全体の八十%~九十%くらいを利己の心が占めています。真我、つまり利他の心が隅っこに追いやられているのです。日頃から厳しい修行を重ねることで利己の心を抑え、利他の心が八十%~九十%占めている人は聖者です。

心というものは、利他と利己の二つの心がせめぎ合っているのですから、いい研究ができるとか、仕事ができるとか本能の欲がありますが、それらを超えてこの利他と利己の比率になってこそ、その人物のレベルが高まるのです。

心の中核をなす真我、つまり利他の心を大きくし、実践していく。この繰り返しによって心を高めることができ、その結果、周囲から人間が立派だ、人間ができていると言われ、また同時に、経営や人生を成功に導くことができるのです。

このお話は誰でも理解していけると思いますが、“心を磨く” “心を高める”ことを日々努力し、実行していくことが最大の課題なのです。継続して実践していくことが最もチャレンジすべきことなのです。