盛和塾 読後感想文 第119号

 人心掌握の要諦

コミュニケーションは決して幹部社員との間だけでとれていれば良いというものではありません。会社に忠誠心のある社員全員と心が通じていなければなりません。 

よく人心掌握の要諦を尋ねられますが、そんなものはないのです。経営者が勉強してたどり着いた哲学を社員と共有するため、全部署に説いて回るしか方法はないのです。 

京セラではコンパを通じて従業員と話をしました。お酒を飲んで、男でも女でも、胸襟を開いて本音で話ができるような心理状態を作っておいて、“京セラという会社をこうしたい”ということを切々と訴えていきました。 

ハイエナの家族をテレビで見ていますと、親子兄弟がコミュニケーションをはかり、獲物を捕らえているのを見ることがあります。動物も集団で生活している場合は、親・兄弟が子供にしつけをしたり獲物の食べ方を示したり、厳しいルールを覚えさせたり、狩りを一緒にしたりと、大家族がコミュニケーションをはかり、生き延びているようです。人間も同じだと思います。 

人心をつかむ

バブル崩壊後、売上がどんどん落ちて、大変厳しい経営状況に追い込まれている経営者の方々がおられます。自ら創業した方、家業を継いで、今から経営というものを勉強しようと決意された方、思わぬことで自分が経営の中枢に放り込まれて、これから本当に一生懸命経営にあたろうとしている方々もおられます。 

最悪の状態を想定して経営する

経営環境はまだまだ厳しくなっていくことを念頭に経営をやっていくことが必要です。売上が毎年下って、現在もまだ下げ止まっていないということですが、バブルの時代のあり方というのは、そもそも異常なことであり、現在も売上が落ち込んでいるということは今後も厳しい状況が続くと考えられます。経済が正常化に向って進んでいるのだと思います。 

バブル経済の中で誰もが成功したので、ついつい自分にも経営者としての力量があるのではないかと思い込んでしまったのです。ここに来て、経営の質が問われる時代になりました。経営者として能力のない人は振り落とされて落伍していく、そういう時代に入ったのです。 

バブル経済の中では土地の市場価格がどんどん値上りしていましたから、含み益(未実現利益)がありました。バブル崩壊後はどんどん値下がりが続き、その含み益がなくなってしまいました。 

今まで頼りない経営をやっていて、祖父や曽祖父からの代から続いた事業を引き継いで、若干の赤字が出てもなんとも思っていない、“不動産が五百五十坪あるからそのうち五十坪を売れば数十億円も工面できる”“年間一億円の赤字があっても、会社の土地を三十坪ほど売ったら簡単に穴埋めができる” 

象徴的な例は銀行の経営です。銀行所有の土地の含み益がなくなりました。また株価が低迷しています。株式の含み益もなくなりました。 

円高がやってきました。輸出をする場合には例えばドル建てですと、円高分それだけ値上げをしないことには売上を維持することができません。輸入の場合は、海外からどんどん安い輸入商品が入ってきます。そうしますと、国内の企業は競争に負けてしまうのです。 

今もバブル崩壊後の経営が大変苦しくなっています。しかしこれからもっと経営が厳しくなって来ます。経営というのは、そのように常に最悪の状態を想定してやるのです。今よりも、もっと悪くなるということを前提に、そうなってもびくともしないような経営基盤をまずは築くべきです。 

信じ合える人間関係を作る 

  1. 会社が苦しいときに支えてくれる従業員

“どうすれば従業員を掌握できるか”ということに一番悩んでいる経営者がこのバブル崩壊後に増えているようです。これまで幹部社員の育成を怠ってきた、または幹部社員との人間関係が構築できていなかった、業績が悪くなった今こそ、本来であるならば幹部社員、中堅社員、末端の社員までが団結して頑張らなければならないのに、そのときに頼りにしていた男が辞めていく。業績が悪くなって、経営者として非常に不安になってくるときに限って、頼りにしていた中堅の幹部が辞めていって、ますます経営がおかしくなっていく。 

景気がいいときには誰でもついてきます。給料も多く出してあげることもできますし、また経営について明るい将来について社員に語ることもできます。一番大事なのは、業績が悪くなったときに支えてくれる人間です。 

景気のいいときには“社長、あなたを信じています。とことんついていきます”という幹部社員がいたりします。“景気のいいときにはみんなそういう風に言ってくれます。やっぱり一番大事なのは、もう会社が潰れるかもしれないというときに踏みとどまって私を支えてくれる人だ。そういう人がほしい”。そうすると“それはもちろんです。みんなが辞めていっても、例え給料が払えなくなっても、私だけは最後まで社長を支えます”と言ってくれます。 

ところが会社が実際に苦しくなった時に、この調子のいい幹部が辞めていきます。口では調子のいいことを言ってくれる人に限って、いざという時には逃げていくのです。 

  1. 大家族主義で経営する

従業員と会社との関係は法律上は雇用関係です。“これだけ給料をくれるからその給料分だけは働こう”というレベルの人間関係ではダメなのです。社長といっしょに組んで経営にあたってくれる幹部社員は、親子、また兄弟と同じくらいの関係になってくれなければ、経営なんて出来ないのではないでしょうか。家族のような関係が会社の中になければ経営にはならないのではないかと稲盛塾長は考えました。 

“うちの会社は大家族主義で経営します。家族みたいな関係をベースとしてこの会社を経営したい。ただドライに給料を払うから、こうしろ、ああしろというのではなく、親子や兄弟といった家族のような関係の会社にしたい” 

親兄弟のような関係を従業員に求めようと思えば、まず自分自身が従業員に対して親兄弟に対するのと同じような愛情を持って接しなければなりません。自分の親兄弟とは家族的な感情で接しながら、一方従業員にはドライにただ使用人と経営者という感じで接していたのでは、心と心が通じ合える関係にはなりません。こちらがいざという時に本当に命がけで守ってくれる従業員を求めているのに、こちらからはそういう愛情を注がず、処遇もしないで、ただ一方的に“私を守ってくれ”と言っても守ってくれるはずがありません。私自身が親兄弟と接するのと同じような気持ちで日頃から充分に接していかなければ、従業員だってそうなってくれるはずがありません。 

京セラの経営理念、つまり会社経営の目的“全従業員の物心両面の幸福を追求する”というのは従業員一丸となって仕事に従事するよう、求心力を高めるためなのです。この会社は経営者のお金持ちになる為の道具ではありません。この会社に一期一会で集まっていただいた従業員全員が幸福になってもらうためにあるのです。会社のトップから末端までの全従業員が幸福になるために、この会社を作ったのですと、正々堂々と従業員に語りかけることが大切です。 

“従業員全員が、経営者も含めて、物心両面で幸福になるために作った会社ですから、経営者はこの集団全体のために死にものぐるいで頑張ります。だから従業員の方々もこの集団のために死にものぐるいで頑張って下さい”そして経営者は率先垂範して必死で経営に邁進しなければなりません。 

  1. 従業員とのコミュニケーションを図る機会を作る
  1. “誕生会”を開く

従業員とのコミュニケーションを図ることを考え、誕生会を開催するようにします。家族の中でもそうですが、夫婦の間でも子供との間でも、コミュニケーションがなければ大体うまくいきません。お互いに理解し合う機会がなければ、お互いに理解しようと思っても理解できません。少しでもみんながお互いに理解し合うことは非常に大事なことです。“従業員に社長は理解してもらいたいし、社長も従業員を理解したい”そういう関係を作り出す為に、いろいろな機会をつくってコミュニケーションをはかるようにするのです。 

同じ誕生月の従業員の為に、皆で誕生会を開き、お祝いします。わずかな費用でも、そういう思いやりの心があると、従業員の気持ちがゆるみ、開放的となり、思いもかけない意見が出て来たりします。社長も経営者としての意志を伝えることができます。 

社長が従業員に対し、給与、賞与、昇給という単に金銭的な側面だけで対応していくだけでは、他社よりも高い給与や賞与を出せない場合には、社長が“会社は従業員を大事にします”と言ったところで、“口だけじゃないか”と言われてしまいます。社長や同僚が自分たちの誕生月にお祝いをしてくれ、コミュニケーションを図り、努力しているのを知っていますと“給与もボーナスも並みぐらいしかもらっていない。だけどうちの会社の社長は、上司は、我々のことを考えてくれている”と従業員は幸せを感じるようになります。こうした信頼関係を築くために“誕生会”は大切なのです。 

  1. 全員参加の“慰安旅行”

“慰安旅行”は昔から日本の会社が従業員を慰安する習慣があります。それは安い給料やボーナスで一生懸命働いてくれた従業員に感謝の念を表すものであり、従業員の一体感を育てる、また社長の意志をオープンに伝える、よい機会なわけです。 

観光バスにゆられて目的地に行く間、従業員同士打ち解けた付き合いもできるし、カラオケを通じて親しく交流をはかることもできます。 

しかし、社長の中には、経営者仲間とのゴルフに行きたい為、“専務。ちょっと従業員といっしょに慰安旅行に行っておいてくれ。お金は用意してあるから”という人もいるのです。自分は行きもしないで、ただ単に形骸化した慰安旅行をしている社長もいます。 

従業員の中でも特にインテリで教育のある人やベテラン従業員の中には、“若い連中といっしょに慰安旅行に行っても楽しくない。休ませてもらいます。私は慰安旅行は結構です。家族と過ごしたいのです。”“欠席してもよいではないか。その分費用も減るのだから”と考えておられる社長もおられます。 

本来の慰安旅行の目的を社長や従業員が理解していないのです。従業員と接触できる貴重な時間を社長は見過ごしてはなりません。万難を排しても慰安旅行に参加し、従業員とのコミュニケーションを図るべきなのです。“慰安旅行”は遊びではないのです。同じ会社の者として、親兄弟の契りを結ぶかのように本当に信頼し合える人間関係を作っていくための貴重な行事です。 

一人の人間が楽しい、楽しくないという問題ではない、従業員が一体になるためにやっているのであり、“私は休ませてもらいます”ということは許されないのです。ましてや中堅幹部の人間が慰安旅行を欠席し、他の従業員にも大きな悪影響を及ぼすことがあってはなりません。レクリエーションの時間も普通の就業の時と同じように真剣に取り組むことが大切です。 

欠席したがる中堅幹部/一流大学を出た従業員こそ、まさに慰安旅行に参加すべき従業員なのです。会社のレクリエーションはあくまで全員参加が原則です。 

  1. “忘年会”で胸襟を開き会社の現状を訴える

京セラでは毎年の忘年会はたいへん大事な行事です。何百人、何千人となっても非常に大事なことで“勝手に欠席するのはまかりならん”です。従業員数が増え、各事業部だけでも何百人になってきた京セラでは、忘年会がセレモニーになってしまう恐れがある為、忘年会の規模を五十人から百人の単位に分けて、お互いに酒を飲んで、打ち解けて、話ができるようにしました。 

稲盛塾長は忘年会に行くのですが、十二月になりますと二十回の忘年会がありますから、毎日忘年会に出席し、コップ酒を飲んで打ち解けて、従業員と話しました。そうしますと従業員も胸襟を開いて積極的に話をしてくれるようになりました。従業員がリラックスをして、心を開いた状態の時に、稲盛塾長は会社の現状を訴えました。 

もし会社が赤字の場合でも、従業員に“会社は今、赤字なんだ”と稲盛塾長は説明し、“心配は要らない。私は従業員を守る為に必至で頑張るつもりだ。その代わり、みんなも後押しし、ついてきてくれ”と一生懸命話したのでした。 

連日点滴を打って忘年会に出席したそうです。一日に何か所かの忘年会に出席し、一日一升ぐらい酒を飲んでいたそうです。そのように必死になって従業員と一体感を作ろうとしたのでした。そのくらい捨て身になって従業員と接するという態度ですから、従業員のほうも徐々に胸襟を開いて話をしてくれるようになりました。 

  1. “運動会”を通じて、家族の理解を得る

これも全員参加の運動会です。家族が五人であれば、京セラでは五人分のお弁当を出してあげます。美味しいお弁当をゴザの上で家族みんなが集まって頂きます。開会式も社長がやる、奥さんや子供も来てくれているので、会社の現状についてお話をする。京セラという会社はどんな会社なのか、御主人の働いている会社の説明をする。運動会の後は京セラの工場を見てもらい、お父さんがどこで働いているのかを説明するのです。稲盛塾長はこのようにして、必死で家族の方に会社のことを知ってもらうように努めました。 

勤めている従業員だけでなく、従業員の家族も含めて全員が京セラという会社の家族になってもらおうと考えたのでした。このように“大家族主義”を企業内で実現すべく、必死に努力しました。 

  1. 愛情があるからこそ、従業員に厳しく接することができる

従業員と信頼関係をつくる一方で、稲盛塾長は仕事の場では大変厳しく接しました。 

1960年から1970年代には稲盛塾長は、自ら現場に出て一生懸命働いていました。一言の遠慮もなく、仕事がいい加減な場合“けしからん”と怒鳴りました。片付けができていない場合は“おまえの作業場はどうなっているのだ”と烈火のごとく叱ったそうです。 

それはかねてから、親兄弟みたいな関係を築いているから通用するのです。風邪を引いて熱があっても忘年会に出て、いっしょにコップ酒を飲み、運動会に出ては手に手を取って転げまわって一緒に汗を流す。親父、兄みたいに接しているからこそ、稲盛塾長の仕事場では本当にど真剣に働くと共に、従業員にもそのことを厳しく要求したのです。 

“この会社は全従業員の物心両面の幸福を追求するために経営している”と謳っていますから、何の遠慮もなく、何のやましい心もなく、従業員に話すことができるのです。“あなたみたいに不真面目な従業員がお客様の所で失敗して、せっかくもらえる注文を逃がしたらどうするのだ。他の従業員の足を引っ張ることになるではないか”と稲盛塾長は厳しく叱りました。 

一般にみんなの前で従業員を叱ってはならないと言われています。そういうことでは間尺(まじゃく)に合いません。特に中小企業の場合には、そんなことを言っていたのでは間に合いません。言うべきことはストレートに表現し、従業員を引っ張っていかなくてはなりません。だからこそ、ストレートにその場で注意しても、わだかまりが生じないようにかねてから従業員の心をつかむということが大事です。 

心をつかむというのは方法論ではありません。誠意です。愛情です。特に中小企業のときには理屈ではありません。誠意、愛情が従業員の心をつかむのです。 

大義名分を掲げ、理念を高め続ける 

  1. 経営理念の必要性

業種によっては高学歴の従業員が多い企業があります。京都には公家さんがおられましたが、公家さんは面従腹背(めんじゅうふくはい)で、表面は穏やかそうでも、腹では何を思っているかわからないと言われています。 

素朴な人たちならば、コンパを開いて心をつかむことでついてきてくれます。京都ではそうはいきません。“酒の一杯でも飲ませればみんなが従うと思っているのか”と冷めた意見を持っている人がいくらでもおります。たいへん冷めていて、斜めに構えてものを見る人に対しては、こちらが熱意を込めて言ってもまともに受けてはくれないのです。 

インテリの従業員をまとめていくためには、求心力のある大義名分のハッキリした経営理念というものが必要になってくるのです。すなわち、インテリの従業員をお客様と考え、お客様のレベルに合わせた教養、知識をこちらも持ち合わせることが必要となるのです。 

  1. 経営理念を自分のものとして体得する

インテリの人達を集めてまとめていくためには、どうしても大義名分になるような立派な経営理念が要るのです。 

自分は経営理念は未だ確立していない。そこでどこからか立派な経営理念を借りて来なければなりません。まず、自分自身が借りて来た経営理念をマスターし、身につけなければなりません。その経営理念を自分のものであったかのように体得しなければなりません。 

  1. 松風工業時代に気づいた部下との信頼関係の大切さ

松風工業はたいへん業績の悪い会社でした。給料遅配はあたりまえでした。稲盛塾長は他に行くべき会社がなく、しかたなく命じられたファインセラミックの技術開発に没頭するしかありませんでした。 

研究の成果が上がり、実績が上がっていくと、三年目には百名ぐらいの従業員が稲盛塾長の部下として働くことになったのです。そこで直面したのが、従業員との関係、部下との関係でした。 

松下からは厚い信頼を得ていますから、信頼に足るだけの仕事をしなければなりません。ところが松風工業の業績が悪く、給料は遅配する、ボーナスは少ない、共産党が主導する労働組合が、年中赤旗を振ってストライキをします。 

このような中で、“みんな一生懸命作ってくれよ。がんばれ、がんばれ”と言わざるを得ませんでした。会社全体がストライキをしている中で、従業員に働いてもらうのは至難の業でした。 

  1. 経営者自身が成長しなければ、部下の尊敬は得られない

多忙の毎日でした。従業員がフッと我に返ったとき、会社に対する不平不満が出て来るのではないかと稲盛塾長は心配したのです。いいアイデアがないままに、昼休みに草野球を始めました。稲盛塾長は草野球のピッチャーでした。団結を図るためにも従業員と一緒になって何かに打ち込むことが大切だと思いました。必死に部下たちをまとめていくために、みんなと接する機会をつくるようにしました。草野球、昼食時に人生観を語ったり、会社の将来を語ったりしました。 

上司であった技術部長と意見が対立し、会社を辞めることになった時、稲盛塾長の部下のみならず、上の課長、部長までもが“我々も辞める”となったのでした。 

京セラを作ってからは、大家族主義で経営するようになったのですが、京都には大変冷めた人が多く、“さあ酒を飲め”と言っても“そんなものに釣られるか”というような人ばかり。“兄弟、親子みたいな関係を築こう”と言いますと、“うまいことを言って人をこき使おうとしている”と考えるのです。 

“わかってもらおうと思えば、経営者自身が成長をしなければならない。普通の人もインテリの人も含めて誰からも尊敬されるような人間にならなくてはならない。ただ単にいっしょに酒を飲んだ、飯を食べたからといってついてきてくれるはずはない。インテリの人、従業員も含めてみんなが尊敬してくれるような人間に経営者である私がならなければ、結局この会社を守っていくことはできない” 

  1. 理念を高める毎日

稲盛塾長は、科学の専門家でした。戦時中のこともあり、古典とか小説も余り読んだことがありませんでした。一般教養ゼロでした。そういう男が話をするものですから、説得力がないのです。 

従業員の中にはインテリが相当います。みんなある程度の一般教養を持っています。そういう人たちを前に話をしますと、言葉を間違えたり、しゃべる尻から教養がないことがバレてしまいます。これでは従業員はついてくるわけがない。 

インテリの方も含めて“なるほど、この人が言っているのは本当だ。この人にならついていこう”と思ってもらえるほどの人間に経営者自身が成長しなければなりません。 

こうした経営理念だけではなく、親兄弟みたいなプリミティブな人間関係を構築していくのです。理屈を言うよりも、そうした関係を作ることが何よりも大切です。

盛和塾 読後感想文 第118号

経営十二ヶ条

  1. 事業の目的意義を明確にする

  公明正大で大義名分のある高い目標を立てる

  1. 具体的な目標を立てる

  立てた目標は常に社員と共有する

  1. 強烈な願望を心に抱く

  潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望持つ事

  1. 誰にも負けない努力をする

  地道な仕事を一歩一歩堅実にたゆまぬ努力を続ける 

経営十二ヶ条 

純粋な心から始めた事業は必ず成功する

事業を興そう、または今の会社のなかで、仕事を始めようと思い立ったとき、それは人々にとって、世の中、社会にとってどういう意義があるのかということを考えてみる必要があります。 

世のため人のために尽すことが、人間として生きていく最大の目的だと思います。そういう目的に合致するような事業、仕事であった場合には、使命を燃やし、強い意志力でそれをやりさえすれば、困難に見えることでも十分に成し遂げることができます。 

仕事をするとき、自分の知性、つまり頭で考える、そして心で“こうしよう”と“ああしよう”と思いながら企画し計画を立てています。しかし、頭で考え、計画を立てていく、心で描いているだけでは不十分なのです。個人的な、利己的な考えに基づくのではなく、利他の心、世のために尽そうと思った考えたことを、凄まじいばかりの情熱を燃やしながら、強い意志力で展開していけば、必ず成就するのです。“なるほど、それはすばらしい計画だ”と考えて、周りの人々が支援してくれるような崇高な計画でなければなりません。 

宇宙の森羅万象を成り立たせている根源的なものが、我々人間の心の奥底にあります。その基本的なものがある為、我々は宇宙と調和して生き長らえて来たのです。その基本的なものとは、心の中にある“真我”あるいは“魂”というものです。その魂が宇宙と調和して感応し、宇宙と波長が合った時、宇宙は我々を支えてくれ、どんな難しいことでも解決することができるそうです。 

“あんな難しいこと”と思っている時でも、簡単に成就できるのです。なぜあの人はあんなにも簡単に、ある難しいことを成功させることができたのだろうと誰もが思うくらいに簡単にできる、知性でいくら考えても難しいこと、出来そうにもないことでも、自分の心の奥底にある真我が宇宙と連携が取れるようになれば、天が支援してくれるそうです。天の助けが借りられるような人間性を高めていけば、どんな難しい問題でも必ず解決できるそうです。 

美しい心を持った人は、その人自身の力だけではなくて、宇宙を味方にして全てのものがうまくいくようになっている、それが自然界の法則なのです。 

経営十二ヶ条の力を信じて実践する

世の中の複雑に見える現象も、それを動かしている原理を解き明かすことができれば、実際には単純明快なものです。経営といいますと、複雑な要素が絡み合う、とかく難しいものだと考えられます。しかし、経営の本質に目を向けますと、経営はシンプルなものであり、要諦さえ会得することができれば、決して難しいものではないのです。 

京セラの経営十二ヶ条は“人間として何が正しいか”という、基本的で普遍的な判断基準によって作成されました。業績、企業規模の違い、文化、言語の違いまでも超えて必ずや通じていくものです。

一.事業の目的・意義を明確にする-公明正大で大義名分のある高い目的を立てる 

  1. 全従業員の物心両面の幸福 

なぜ、この事業を行うのか““なぜこの会社が存在するのか”様々なケースがあります。まずは自分の事業の目的、または意義を明確にすることが必要です。金儲けをしたいから、事業を始めたという人がほとんどだと思います。しかし、それだけでは多くの従業員を糾合することは難しくなると思います。事業の目的、意義はなるべく次元の高いものであるべきです。公明正大な目的でなければなりません。 

従業員に懸命に働いてもらうためには、仕事が従業員の為にあること、自分達の生活が良くなっていくこと、従業員の家族が幸せになっていくことに直結していることが必要なのです。そしてその仕事が“大義名分”のあるもの、“自分はこの崇高な目的のために働くのだ”というものがあれば、人間は一生懸命になるのです。 

京セラ創業時には、稲盛塾長は新しくつくる会社では誰に遠慮することなく、自分の開発したファインセラミック技術を世に問うこと、世の中に認めてもらい、京セラの発展が事業目的と考えていました。“技術者として、自分の技術を世の中に認めてもらいたい”と考えていました。 

しかし、創業三年目、若い従業員たちの反乱に遭遇したのでした。創立二年目に採用した高校を卒業した十名ほどの従業員が団体交渉を申し入れて来たのです。提出された書類には、“将来にわたって昇給は最低いくらほしい”“ボーナスはいくら出すこと”と自分達の待遇保証を求める要求事項が連ねられていたのです。“将来を保証してもらわなければ我々は会社を辞めたい”。 

会社としては、ようやく戦力となって活躍してくれ始めた十名の従業員ですから、辞められたら大変困るわけです。しかし、“彼等が要求に固執するようであればやむを得ない。創業時に戻り、やり直せばよい”と考え、“要求は受け入れられない”と答えました。できる自信も見込みもないことを保証することは、嘘をつくことになる。 

話し合いは、稲盛塾長の自宅にまで及び、三日三晩続いたのでした。“私は命を懸けてこの会社を守っていくし、みなさんを守っていくつもりだ。もし私がいい加減な経営をし、私利私欲のために働くようなことがあったならば、私を殺してもいい”。 

彼等は要求を撤回し、会社に残ってくれることになりました。そして以前にも増して、骨身を惜しまず働いてくれるようになりました。このときの造反メンバーは、その後幹部として京セラ発展の一翼を担っていくようになります。 

その時、稲盛塾長は次男坊として、稲盛家の親・兄弟、妹達に毎月仕送りをしていました。郷里に住む親兄弟の面倒も見なければならないのに、どうして赤の他人の採用したばかりの従業員の将来の保証までしなければならないのかとも考えたのです。 

この事件によって、従業員は家族までも含めた将来の保証を求めているということを、心底から知らされたのです。企業を経営するというのは、技術者の夢を実現するということではなく、ましてや経営者自身の私服を肥やすことでもなく、従業員やその家族の生活を守っていくことにあると悟りました。 

経営とは、経営者が持てる全能力を傾け、従業員が物心両面で幸福になれるよう最善を尽くすことであり、企業は経営者の私心を離れた大義名分を持たなければならないという教訓を得ました。 

公明正大な大義名分、事業の目的や意義があってこそ、従業員の心からの共感を勝ち取ることができ、全面的な協力を得ることができるのです。経営者自身も堂々と、経営に全力投球が出来るようになるのです。 

  1. “地球環境への貢献”-太陽光発電事業のミッション 

京セラの太陽光発電事業のミッション、大義名分は、エネルギー問題や地球環境問題に貢献することです。化石エネルギー使用量を削減し、温室効果ガスの排出量を減らさなければ、地球温暖化に歯止めをかけることはできません。人類に必要なエネルギーを確保し、大切な地球環境を守りながら、人類の持続的発展を図っていかなければなりません。 

京セラでは毎年赤字が続く中で、執念を持ち、強い意志を持って事業を存続することができました。京セラのソーラーエネルギー部門は、現在充分な利益を確保しつつ、事業を拡大し続けています。徹底したコストダウンによって京セラは競争力を維持し続けています。他社が追随できないような取り組みを可能にしたのも、大義名分に基づいた強い使命感によって、従業員が必死の努力を払ってくれた結果なのです。 

  1. KDDIの成功-国民のために電気通信料金を安くしたい 

1980年半ばに通信事業が自由化されました。電電公社に対抗しうる日本の大企業が新会社を作り、競争して、なんとか通信料金を安くしてくれないかと、誰もが思っていました。 

京セラの第二電電は“国民のために通信料金を安価にしたい”という純粋な思いから生まれた企業です。“国民のために通信料金を安くしようではないか。そんな高邁なプロジェクトに参画することは、皆さんの人生を意義あるものにするはずです。この一大社会改革が行われる瞬間に居合わせた幸福に感謝し、何としてもこの壮大な計画をやり遂げていこう。それは社会のため、国民のためになることなのだ”と稲盛塾長は従業員に訴えました。 

国民国有鉄道を中心にした日本テレコム、トヨタ自動車を中心にした日本高速通信も参画してきました。しかし、これらの会社は損益勘定によって電気通信事業への参画を決めたのではないかと思われます。 

サービス開始から最も不利であった第二電電が市場を圧倒的にリードしていきました。それは大義名分、使命、ビジョンがあり、それを元にして第二電電の従業員が強い熱意で回線確保に尽力してくれたからです。すばらしい大義名分、すばらしい使命感に満ちた行為に対して、天が賛同し、それを助けてくれたと考えられます。 

国鉄の日本テレコムは売却されてしまいました。トヨタグループの日本高速通信は現在ではKDDI(第二電電)に吸収されています。 

技術もあり、資金もあり、信用があり、営業力のある、すべての条件が揃っていたはずの二社がうまくいかず、安価な通信料金を実現し、国民に喜んでもらおうという大義名分を持っていた第二電電だけが成功したのです。 

  1. 日本航空再建の原動力となった“大義” 

日本航空再建の大義名分は:

  • 日本経済への影響
  • 日本航空に残された従業員を守ること
  • 利用者、国民のため、航空事業における競争原理を守ること 

この三つの大義名分を日本航空社員が理解してくれるように努めたのでした。社員たちは日本航空の再建は自分達のためだけではなく、日本の経済のため、そして国民のためにという大義名分があるのだと理解し、再建への努力を惜しまなかったのです。 

日本航空という会社の目的は、全社員の物心両面の幸福を追求すること、と謳ったことで、社員達は大いに勇気づけられたそうです。“日本航空は我々の会社だ。そうであるなら、必死になって会社を守り立派にしていこう”と再建を自分のこととして捉えてくれるようになりました。

二.具体的な目標を立てる-立てた目標は常に社員と共有する 

経営者はその組織が何を目指すのかというビジョン、目標を高く掲げ、それを集団に指し示していかなければならないのです。組織をどういう方向に導いていくのかという方針を示し、進んでいく先にはどのような未来があるのかという展望を描き、さらにその実現に至る具体的な方策まで指し示し、人々を導いていくことが経営者には求められるのです。

三.強烈な願望を心に抱く-潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を持つこと 

心に描いた通りに物事は成就する。“何としても目標を達成したい”という願望をどれくらい強く持つことができるのかどうかが成功の鍵になります。強烈な願望-潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を持つことが大切なのです。 

たとえば、“売上をいくらにしたい”、“利益をいくらにしたい”という目標を立て、朝から晩まで四六時中考えるようにする。すると、そのような強く持続した願望はその人の潜在意識に入っていきます。 

繰り返し繰り返し、強く思い続けることが必要です。全身全霊をあげて、顕在意識を働かせる過程が必要なのです。案件を軽く受け流し、適当に処理しているような状態では決してそれは潜在意識にまで浸透していません。炎のように燃える願望を持ち続けることでしか、潜在意識を活用することはできないのです。

四.誰にも負けない努力をする-地味な仕事を一歩一歩堅実に、弛まぬ努力を続ける

成功への道には近道はありません。 

  1. 百メートル走の全力疾走でフルマラソンを駆け抜ける 

京セラの努力は並大抵の努力ではありません。“誰にも負けない”ということが肝心です。京セラ創業時は、自前の資金も、満足な設備も、経営の実績も経験もありません。自分達の努力だけは無尽蔵でした。夜を日に継いで、昼夜を分かたず仕事に励みました。 

従業員には、京セラはマラソンに参加していると、稲盛塾長は語りました。長丁場のレースなのです。“京セラはマラソンレースに出場した素人集団のようなものです。それも業界の後発だから、遅れてスタートを切ったことになる。すでに先発の大企業は、先頭集団を形成してコースも半ばに差し掛かろうとしている。経験も技術もない、素人ランナーが半周遅れで、普通に走り出しても勝負になるわけがない。ならば、京セラは最初から全力疾走で走ってみよう。” 

“そんな無鉄砲なことでは、体がもつはずがない。その通りかもしれません。しかし素人ランナーが普通のペースでゆっくり走ってみても、先頭集団ははるか先にいる。勝負にならないどころか、ますます距離を離されてしまうだけだ。たとえ短い時間であっても、全力で走り勝負を挑んでみたい” 

このように従業員を説得し、京セラは創業以来全力疾走を続けてきたのでした。京セラは留まることを知らず、発展に発展を重ねていったのです。 

1971年に株式上場を果しました。稲盛塾長はその時、次のように全従業員に話ました。“百メートルのスピードでマラソンを走ったのでは、途中で倒れたり、落伍するだろうと皆さんも私もそう思っていた。けれども、勝ち目のない勝負をするよりは、短い時間でもいいから全力で勝負に挑みたいと思って走り始めたところが、いつの間にか、それが習い性になってそのスピードを持続しながらこんにちまで走り続けることができた。” 

“すると、いつの間にか、先を行くランナーたちがそれほど速く走っていないことに気がつき始めた。先頭集団の後ろ姿が見えてきたからだ。そこで我々はスピードを増し、一生懸命に走った。現在では第二集団を抜き去り、先頭集団を視野に捉えている。さあこの調子で先頭集団を追いかけようではないか” 

  1. 地味な努力の積み重ねが偉大な成果をもたらす 

企業経営は競争です。競合企業が自分達以上の努力をすれば、中途半端な努力では功を奏さず、企業は競争に敗れて衰退していかざるを得ません。 

“私なりに努力をしています”という程度では、会社は伸びていきません。“誰にも負けない努力”がなければならないのです。偉大な仕事も地味な一歩一歩の弛(たゆ)まぬ努力の積み重ねからできているということを、決して忘れてはならないのです。 

1個9円にしかならない安価な製品を、それも大手電機メーカーの下請けとして、ただ一生懸命に作ったとしても、会社が発展するはずがない。そういう風についつい思いがちです。大企業となり、現在も成長・発展を続けている企業の歴史をひもとくならば、必ずそのような小さな事業を積み重ねながら創意工夫を重ね、地味な努力を弛(たゆ)まず続けてきたという事実を見出すはずです。 

誰にも負けない努力を一年三百六十五日、営々と続けていく日々は、必ず会社を想像もできない偉大な企業にしてくれるはずです。

盛和塾 読後感想文 第117号

企業統治の要諦-従業員をモチベートする 

経営の原点に立ち返る

経営において大切な企業統治について、従業員をいかに活性化していくかということが最も大切なことです。 

盛和塾のメンバーの会社はほとんどが零細企業であり、従業員4~5人ほどで、売上も数億円にとどまっている企業規模と聞いています。自分の企業をもっと大きく成長発展させていこうとするときに、改めて原点に立ち返ってみる必要があるのです。 

従業員をパートナーにする

企業経営で最も零細は形態は、自分ひとりで事業を行う、家内工業、個人商売のようなケースです。しかしそれではいくら頑張ってもたかが知れています。事業を拡大していくためには、どうしても社員を雇用しなければなりません。1人でも2人でも社員を採用し、彼らと一緒に仕事をし、成長発展をめざしていくのです。 

雇用主として経営者は月給を決め、条件を提案し、従業員はその条件で自らの労働力を提供することに同意するわけです。これは雇用契約に基づくドライな労使関係です。本来は両者はドライな労使関係であり、両者はパートナーではありません。 

経営者ひとりでいくら努力しても自ら限界があります。零細企業ではほかに頼るべき人がいないわけですから、そのわずかな従業員をパートナーとしていかなければなりません。自分と同じ気持ちになって仕事にあたり、事業を支えてくれる。自分と一心同体になって仕事をしてくれるパートナーとすることがどうしても必要なのです。従業員に対して共同経営者なのだというくらいの気持ちで接することが大切になると思います。1人であれ2人であれ人を雇用した時は、その人をパートナーとして迎え入れ、“あなたを頼りにしている”と言葉をかけ、日々そのような姿勢で接することが必要となります。 

“私はあなたを頼りにしています”と真正面から従業員に言い、そうすることが、社内の人間関係を構築する第一歩になります。 

“私と一緒になって会社を発展させていこうではありませんか。その為に全面的に協力して下さい。私は皆さんと兄弟あるいは親子のような気持ちでともに仕事をしていこうと思っています。単なるサラリーマンを超えた思いでともに仕事をしていきましょう”と面と向かって言うことが必要なのです。 

“あなたを頼りにしている”という言葉が、経営者が従業員をパートナーとして捉えているという姿勢が、従業員をモチベートしていくことになるのです。“この社長にならついていこう。会社の待遇は決して良くはないけれども、この人となら生涯をともに歩んでもよいのではないか”という気持ちが芽生えてくるくらい、強固な人間関係を企業内につくっていこうと努力することが必須なのです。 

小さな企業であれば、社員にしてあげられることも限りがあります。決して待遇はよくない、仕事は厳しいけれども、社長の期待に応えて“条件だけで言えば、もっと良い会社があるが、そこへ行くよりは、零細企業であってもこの会社でがんばりたい”と従業員が思ってくれるようにしていかなければなりません。 

“社長がそうしたいのならば、私も全力でお手伝いします”と言ってくれるような従業員と、心と心で結ばれた関係を作ることが、小さな会社を発展させていこうとするときに、必要になるのです。 

心と心が通じ合った関係、まさに一体感を持った会社、そういう組織をつくっていく、これが企業統治の第一歩です。 

従業員を自分に惚れ込ませる

信頼していた従業員が会社を辞めてしまうこともあります。経営者にとって一番悲しいことです。この人はと見込んだ人で、重要な仕事を担当していてくれた人が、いとも簡単に辞めてしまうことがよくあります。 

社長としては、自分を否定されたと思うことがあります。こうしたみじめな思いをしたくないように、従業員との強い絆に気づき、経営者として心から感動できるくらいの、心と心で結ばれた人間関係をつくっていくことに何としても務めていくことが必要です。 

稲盛塾長はある日、京セラやKDDIで幹部として活躍してくれた役員の方々から謝恩会を開いていただきました。その時、みんなが次のようなエピソードを語ってくれました。 

“京都セラミックスなどという会社は聞いたこともない。その会社は大丈夫なのか。もう少しマシな会社に行った方がいいのではないか”と友達や家族から心配されました。しかし彼らはこうも言っていました。

“確かに将来に不安もあったが、稲盛さんにお目にかかり、この人だったらついていこうと思い、ただその一心でがんばってきました” 

“若い頃から夜もろくに寝ないで休日も満足に取れず、ただ稲盛さんを信じて一緒になって懸命に働いてきたことが、今日のすばらしい人生を作ってくれたのです”と語ってくれました。 

こういう人達を、作らなければならないのです。このような人間関係を経営者である我々が企業内につくりあげていかなければなりません。社長である人に、どこまでもついて来てくれる人たちをつくり、そのようなすばらしい人間関係をベースとして、会社を発展させ、彼等を幸せにしていかなければなりません。 

社長である人に心底惚れ込んでもらうためには、どうすればよいのか。

一つ目は、己を愛していたのでは誰も惚れてくれません。信頼し、頼りにしてくれる人として受け入れられる為には、自己犠牲を払って従業員のことを最優先に考えるのです。二つ目は、それは従業員の誰よりも懸命に努力するという、経営者としての仕事にあたる姿勢です。仕事が終わったあとに、わずかであっても身銭を切って従業員をねぎらってあげる、相手を思いやる姿勢です。

このように、自己犠牲を持って相手を思いやる姿勢が従業員の心を動かすのです。 

仕事の意義を説く

従業員を惚れさせるだけで、事が足りる訳ではありません。従業員の心情に訴えるだけではなく、いわば理性をもってしても従業員のモチベーションを高めることに努めなければならないのです。 

理性でもって、従業員のモチベーションを高めるとは、“仕事の意義”を説くということです。 

京セラでは、ファインセラミックス企業のトップ企業として高度な技術を有するハイテク企業となっています。セラミックスの製造工程は、ハイテクとはほど遠いものです。どの工程も粉末の中での作業、温度千~数百度の工程等、いわゆる3Kの仕事なのです。 

稲盛塾長は新入社員の仕事への意欲を何としても高めなければならない、モチベーションを高く維持しなければならないと考えました。そのために取り組んだのが、仕事の意義を説くことでした。仕事が終わった後に、いつも彼らを集め、次のように話しました。 

“皆さんは、日がな一日、粉をこねたり、形を作ったり、焼いたり、削ったり、単調でつまらない仕事だと思っているかもしれないが、決してそうではありません。皆さんにやってもらっている仕事は、作業は、誰もがやっていない、酸化物の焼結(しょうけつ)という実用研究の仕事なのです。今、我々はまさに最先端の研究をしており、これは大変意義のある仕事なのです。今取り組んでいるテーマは、世界中でも一~二社だけが取り組んでいるという、まさに最先端の研究開発なのです。この研究開発が成功すれば、こういう製品に使われ、人々の暮らしに大いに貢献することになる。そんな社会的に意義のある研究開発が成功するかしないかは、それは皆さんの日頃の働きによって決まるのです。ぜひ、宜しく頼みます。” 

毎晩そういう話をしてきました。自分達の仕事、働きが、いかに重要であり、人のため、社会のため、役立つものであることを繰り返し説くことが大切です。そうすることによって、従業員のモチベーションを高め、維持していくのです。 

京セラ創業当時は、朝鮮戦争後の不況の時期で、就職もなかなか難しいときに、高校を卒業し、何とか会社に入ったものの、ただ毎日の給与さえもらえれば良いという人たちがほとんどでした。 

しかし、彼らも、自分のやっている仕事に意義を見出せば、気持ちが高ぶり、持てる力を最大限に発揮してくれるはずです。稲盛塾長は毎晩彼らを集めては、仕事の意義を説いていったのです。 

ビジョンを掲げる

自己犠牲/従業員の為、己を空にする。仕事の意義を説くことは、従業員が経営者社長に惚れ込んでもらうことに大いに役立ったのです。そして従業員の仕事に対するモチベーションを更に高めるために、“ビジョン”-将来に達成する目標を掲げたのでした。 

“京セラの特殊なセラミックスは、世界中のエレクトロニクス産業が発展するために、どうしても必要になる。それを世界中に供給していこう。”“そうすることで、ちっぽけな町工場で始まったけれども、この会社を町内一番、中京区一番、京都一番、日本一番、世界一番の会社にしよう” 

町内で一番になろうと言っても従業員たちは“会社に来るまでに通る、あの会社よりも大きくなるはずがないではないか”という顔をして、稲盛塾長の話を聞いているのです。ましてや“中京区一番になろう”と言ったものの、中京区には後にノーベル賞受賞者を出した上場企業の島津製作所がありました。分析機器では世界的な企業です。それでも、“日本一になるんだ、世界一になるんだ”と言い続けたわけです。 

初めは半信半疑だった社員も、いつしか稲盛塾長の掲げた夢を信じるようになって、その実現に向けて努力を重ねてくれるようになったのです。 

素晴らしいビジョンを共有し、“こうなりたい”と会社に集う従業員が強く思えば、そこに強い意志力が働き、夢の実現に向けてどんな障害をも乗り越えようという、強大なパワーが生まれてきます。 

ミッションを確立する

そのモチベーションをさらに揺るぎないものにするのが“ミッション”(使命)です。会社の使命、目的を明らかにし、それを従業員と共有するのです。 

創業二年目に採用した十人の従業員が、一年くらい働いてくれて、ようやく戦力になった頃のことです。稲盛塾長に団体交渉を持ち込んできました。“ボーナスはいくらほしい。昇給率は毎年これだけほしい。これらを約束してほしい。立派な会社と思って入社したのに、できたばかりの吹けば飛ぶような中小企業だったので、我々は大変不安に思っている。経営者であるあなたが保証してくれなければ、我々全員、会社を辞める覚悟だ”と迫ってきました。 

しかし“そんなことは約束できるはずがない”と言って、会社が置かれている状況を説明しました。話し合いはつかず、三日三晩、稲盛塾長の市営住宅での話し合いでした。稲盛塾長は”将来のことまで約束をすることはできないけれども、必ず皆さんが喜んでくれるようにするつもりですから、私を信用してくれ“と答えました。 

稲盛塾長は京セラの使命目的は“稲盛和夫の技術を世に問う”でした。ところがこの団体交渉の中で、一部の社員達の昇給やボーナスを保証するという要求をされ、とまどったのです。稲盛塾長は“どうして他人である社員の生活まで考え、保証しなければならないのか”実家でも困窮していました。毎月、実家へわずかながら仕送りをしていたのです。親兄弟の面倒すら満足に見ることができていないのに、縁もゆかりもない赤の他人から“自分達の将来にわたる生活を保証してくれ”と言われ、稲盛塾長は、京セラは何の使命、目的を持った会社なのか、考えざるを得なかったのです。 

よくよく考えた結果、従業員の生活を守ることこそが会社の目的である、ということに思い至り、“全従業員の物心両面の幸福を追求する”という京セラフィロソフィーのはじまりが出来たのです。自分の技術者としての理想を捨てて、全従業員の物心両面の幸福を追求することを経営目的にしたのです。 

会社のオーナーの資産が増えていくことが目的、会社の目的が私利私欲に帰結するような企業では、従業員のモチベーションを高めることはできません。全従業員の物心両面の幸福の追求という会社の目的は、経営者の私利私欲を超えた従業員のためという“公”のものであり、まさに“大義”なのです。この“大義”というものが、人を動かす大きな力を持っているのです。

第二電電創業の大義名分

当時四兆円を超える売上を誇っていた電電公社(NTT)という巨大企業に対して、まだ二千億円ほどの売上しかない京セラが挑戦したのです。第二電電が今日のKDDIに至るまで成長発展できたのは、その起業動機が大義に基づいていたからです。 

このままNTTの独占が続けば、情報化社会が到来した時、通信料金の高さによって日本が立ち遅れることになるであろうと危惧しました。 

“国民のために電気通信料金を安価にしたい”という純粋な思いから第二電電を作ったのであり、いわば大義名分から企業を立ち上げたわけです。 

京セラの後に手を挙げた国鉄(JR)は“自分たちには鉄道通信の技術があり、通信技術者もいる。東名阪に通信幹線を引くには、新幹線の側溝(そっこう)に光ファイバーを置きさえすればよい。さらに国鉄に出入りする業者を中心に顧客を確保することは簡単だ。京セラが主体の第二電電よりも有利だ。” 

日本道路公団、トヨタ自動車を主体とした日本高速通信は、旧建設省の後ろ盾がある上に、こちらも東名阪の高速道路に光ファイバーを引けば、簡単にインフラが整い、またトヨタの強力な営業力もある。 

京セラの第二電電以外二社は大義名分からではなく、いわば損得勘定からの事業開始ではなかったかと思われます。 

厳しい競争の結果、JRは日本テレコムを売却しました。日本高速公団は現在ではKDDIに吸収されています。KDDIだけがNTTに次ぐ総合電気通信事業者として成長を続けています。技術力があり、資金力があり、信用があり、営業力のある、全ての条件が揃っていた会社がうまくいかず、大義名分はあるものの、資金も技術もない第二電電が生き残っているのです。 

あらゆる事業で大義名分を掲げる

京セラでは毎月の業務報告会で、アメーバ経営に基づき、月々の採算表を見ながら“今月は時間当りが良くないではないか。一体何をやっているのだ”と厳しい指導がなされています。 

しかし、時間当たりが悪いからといって、追求するのではなく、“大義名分のあるこの事業に投資して社会のために貢献しようとしているのに、こんな業績では事業を発展させることができない。赤字の原因を徹底的に究明し、早急に採算が良くなるよう、つまり事業目的を実現できるようにしなければならない。” 

利益追求が目的ではありません。この事業の大義名分を貫くために、利益が必要であり、事業を成長発展させなければならないのです。 

京セラの事業部長やアメーバリーダーは、中小企業の経営者です。これらのリーダーが、大義名分を掲げ、自分の部下に共感してもらい、“そんな意義のある事業の端を、ぜひ私にも担わせてください”と進んでいってくれるような組織力が必要なのです。そのために各事業部ごとに大義名分を掲げ、硬直化せず、マンネリ化せずに成長発展する企業とすることが必要なのです。 

社長に就任している人の中では2代目、3代目という人がおられます。親から継承した事業なのですが、その事業の目的、大義名分をはっきりさせて、社員の人々から協力していただけるように大義名分を明確にすることが大切です。従業員のために何をしてあげられるのか、会社をどういう目的で経営していくのかという大義名分のある会社の目的を作ることが大事なのです。 

事業の目的が私的なもの、経営者のためではなく、自分のことはさておき、公の為となると、心の底から張り切るものです。それは大義名分が持つパワーなのです。私を離れて、相手の為、周囲のためということになれば、真善美という言葉で表されるような、人間の心の奥底にある美しい心が出てきて、自然と力も湧いてきます。 

フィロソフィーを共有する

人間の奥底にある、こうした美しい心を発揮することができるようにするためには、経営者自身がフィロソフィーを学び、それを通じて心を高めていく必要があります。またそのフィロソフィーを従業員に語り、社内で共有することにも努めていかなければなりません。 

高邁な企業の目的を追求していくために、こういう考え方で経営をしていくつもりだということを社内で話し、共有していかなければなりません。従業員と心と心で通じ合え、さらには社内でビジョン、ミッションを確立した後、次に取り組むべきは、経営者としての哲学を語り、それを社員と共有するよう努めるのです。 

人は何のために生き、何のために働くのか。経営者として、人生をこう考え、こう生きていくつもりだ。皆さんと一緒にこういう生き方をしていきたい、経営者の哲学、思想や企業の目的について話している中で、自ずから出てくるようになります。 

“社長がそういう立派な考え方をしているから、我々従業員は共鳴もするし、尊敬もする。だから社長と一緒に会社発展に尽くしていこう”と従業員が考えてくれるようになるべきなのです。 

経営者がフィロソフィーを語れるようになった企業は伸びていくのです。フィロソフィーを経営者が自分で話せるようになり、さらにはそのフィロソフィーを従業員と共有できる。フィロソフィーを社内で共有している度合いが、会社業績に正比例しています。 

フィロソフィーは文化を超える

アメリカで多くの日本人経営者が頑張って、企業拡大に日ごろから努力をされています。そこには、キリスト教文化圏、イスラム教文化圏、仏教文化圏、様々な人々が活躍しています。異なった文化圏の人々に、フィロソフィーを共有してもらうのは大変困難だと考えている人がほとんどでしょう。 

キリスト教、イスラム教、仏教と言うような多様な宗教の世界の中にあっても、どの宗教とも決して矛盾しない、普遍的な哲学があるはずです。それを自分たちの哲学として持たなければなりません。それは京セラフィロソフィーです。京セラグループの関連会社があり、その社長もアメリカ人です。信仰心の熱いキリスト教徒の社長もおられます。京セラフィロソフィーをよく理解してくれているのです。 

アメリカの一流大学出身の人たちも、京セラフィロソフィーを受け入れて、共鳴してくれているのです。 

そのような普遍的なフィロソフィーを語るためにも、経営者は自分の心を高める努力をする必要があります。しっかりとした哲学を自分のものにしていくことによって、自分の器も大きくなり、企業も拡大していくのです。 

企業統治の要諦は従業員をモチベートすること

企業を大きく発展させていくためには:

  1. 従業員が経営者を信頼する
  2. 仕事の意義を解くこと
  3. ビジョンを高く掲げる
  4. ミッションを確立すること
  5. フィロソフィーを語り続けること
  6. 経営者が心を高めていくこと 

このことを徹底していくことしかありません。企業経営とは、これらのことを徹底して行い、従業員に共鳴し、賛同してもらい、モチベーションを高めていくこと、それしかないのです。企業が小さいままで、なかなか成長していかない時、また小さな企業を立ち上げた時などは、まずはそのわずかしかいない従業員のモチベーションを最上限に上げていくことこそが肝要なのです。 

それは企業の大小を問わないのかもしれません。日本航空(JAL)の再建の時もそうでした。

倒産した企業に残った三万三千人の従業員の心を一つにして、同じ考え方で仕事に当たるべきと考え、まず意識改革を促し、フィロソフィーを徹底して伝えました。意識改革を図り、フィロソフィーを共有することによって、従業員自身がモチベーションを高め、自ら考え、経営に参画してくれるようになったということが、JAL再建の最大の要因なのでした。

意識改革によって変わったJAL

稲盛塾長は2010年2月に、JALの再建を政府と企業再生支援機構から依頼され、会長に就任されました。 

周りの人々は、誰もが、JAL再建の仕事を引き受けることに反対していました。80歳近い老人、経験もありません。そうした人が航空運輸事業のJAL再建しようとするのは無謀なことだというのが反対の理由でした。 

稲盛塾長の持っているものは“京セラフィロソフィー”と“アメーバ経営”部門別採算制度の2つだけでした。最初に従業員の意識を変えてもらうために、社長以下幹部社員の方々に、京セラフィロソフィーを勉強してもらったのです。JALの方でも“JALフィロソフィー”というものを作り、こういう考え方で会社経営をしていこうということを決めていくよう伝えました。数ヶ月後に、JALフィロソフィーが誕生しました。 

一流大学を出たインテリばかりですから、最初はなかなかフィロソフィーで歌っているようなプリミティブな道徳観みたいなものは理解してくれませんでした。稲盛塾長はこういうプリミティブな道徳観をぜひ学んで欲しいとときました。頭は賢いかもしれないが、人間として最も根本的な哲学、思想も理解していない。それでは三万二千人もの残った従業員を、あなたたちが指導していけるわけがない。もしこれが理解できず、これに反発する人間だったら、とっととやめていただきたい。そういう人がJAL再建できるはずがない。 

それぞれの幹部社員が、自分の職場に持っていって話をし始めた頃に、稲盛塾長が現場に出ていきました。全世界を飛び回っているキャビンアテンダントには何回かに分けて話をしました。“キャビンアテンダントの皆さんがお客様に直接接するのですから、すべてを皆さんにかかっています。我々経営陣がいくら頑張っても、お客様の心を捕まえることはできません。JALが好きだ、JALに乗りたいと思わせるのは、キャビンアテンダントの力に頼らざるを得ないのです” 

整備工場に行かれました。“整備が十分でなければ、飛行機が安全に飛ばない。整備工場で油まみれに毎日毎日苦労して飛行機を整備してくれている皆さんがいなければ、安全な運航はできません。そういう人知れず苦労してくれている皆さんに心から感謝しています。” 

暑い最中、寒い最中もお客様の荷物を飛行機に積んだり下ろしたりしてくれているグランドハンドリングの人たち、機内食を作っている人たち、あらゆる部門のところに顔を出しては、フィロソフィーを訴えていきました。 

みんなが共鳴するようになってから、業績はうなぎ登りに向上してきました。つまり働く人たちの意識、心が変わっていけば、会社が変わっていくのです。 

JAL再建の真の要因

フィロソフィーを社員と共有する、アメーバ経営という部門別採算制度を実施したことが再建の原因だと考えてきましたが、しかしそれにしてもそれだけではJAL再建のような奇跡は起こらないと思いだしました。 

JAL再建は日本の経済社会の復興にもなるし、三万二千人の従業員の生活を守ってあげる、それは世のため人のためになることだ。そういう純粋な思いでJAL再建に携わった。天がその純粋な思いに対して賛成し、それを後から支えてくれたのだろうと思うようになったと稲盛塾長は語っています。 

純粋でひたむきに一生懸命に努力している人の行為に対しては、宇宙が支援してくれるのです。JALがうまくいったのは神様のおかげですと謙虚な稲盛塾長は述べておられます。

盛和塾 読後感想文 第116号

経営はマラソン

戦争に負けた日本の企業マラソンレースは昭和二十年(1945年)に再スタートを切りました。戦前から長く続く大企業は有名選手、戦後タケノコのように出て来たヤミ商人は無名のランナーです。旧財閥軍も含め、有名、無名の企業が一斉に長丁場のレースを走り出しました。 

京セラは1959年創業です。すでに先頭集団ははるか14年先を走っていました。そんな時にようやく出発点に現れたという恰好でした。しかし長距離レースにはまったくの素人が、シューズも買えず、地下足袋姿で参加したのです。 

これまで一度も走ったことがないのに、いきなり42.195キロを完走できるのか。本人もわからないが、闘争心だけは人並み外れて旺盛です。出場を決めた以上、全力を尽くしてと悲壮な決意を固めている。資金なし、人材なしの裸一貫。倒れるかも知れないが、とにかく突っ走るだけだ。無我夢中でダッシュした。 

進むほどに、歩きだしたり、コースを外れて倒れ込んでいる人がいる。それを横目にみてひたらすら歯を食いしばって前だけを向いて、大地を蹴った。ふと角を曲がって、直線の見晴らしのきくところにさしかかったところ、二部上場という第二集団の後ろ姿が見えるではないか。京セラは叫んだ。“よくぞここまで。” 

経営と闘魂

盛和塾の存在意義

  1. 盛和塾はどのように始まったのか

京都には大正昭和生まれの京都の上場会社の社長が集まっておられる“正和会”があります。正和会には、ワコールの創業者の塚本幸一さんがメンバーに入っておられました。その塚本さんから“正和会”に入るように誘われました。正和会に入会しました。それまで経済界の方々とのお付き合いは全くありませんでした。それぐらい生真面目に社業だけに邁進(まいしん)していました。京都の経済界に顔を出すようになったのは、京セラが上場してからだいぶ経ってからでした。 

鮒子田昭司さん(盛和塾理事長)などから“経営を教えてほしい”と言われた時も“私も忙しいから仕事を犠牲にしてまで教えるわけにはいきません。夜七時以降であれば食事でもしながら皆さんと一緒に喋るということであれば、できます”と答えていました。 

待ってましたとばかり、皆さんがたちまち集まって下さいました。 

盛和塾を始めたのは、徒手空拳で創業した京セラがとても立派な会社になった。なぜそうなったのかという経営の真髄を聞きたい。そこから何かを得て自分達も成長していきたいという若い方々の願いがあったからなのです。 

  1. 他の経営者の謦咳(けいがい)に接することで自分を知る

京セラは稲盛和夫を応援しようとする人々によって設立されました。稲盛塾長は経営というものはどうすればよいか、経営者はどのくらい働けばよいのか、全くわからなかったため、1959年4月1日から夜も寝ないぐらい頑張って仕事をしてきました。経営者になったがために、恐怖感が強くなり、そこから逃れようと夜を日に継いで必死に仕事をしました。朝は始発の市電に乗り、帰りは終電車で帰っていました。 

京セラは創業した初年度から利益が出ています。今日まで三十三年経っても一回も赤字決算をしていないのです。1992年3月期決算では、売上が三千二百億円、連結ベースで約四千五百億円の規模になっていますが、利益率は10%前後を維持しています。最も順調に伸びていた時は利益率は35%までいきました。 

創業後、二十五年目に経営コンサルタントの方々が運営しているセミナーがありました。当時のお金で会費数万円という大金でした。宮木電機の専務であった西枝一江(にしえだ いちえ)さんにそのチラシを持っていき、“西枝さん、どうしてもこのセミナーを聞きに行きたい”と相談しました。西枝さんは“経営については私が教えてあげているじゃないの。私よりも経営をわかっている人はそうはいません。わざわざいかんでもいいですよ。”

“いやどうしても行きたいのです”

“なんでや”

“西枝さんはすばらしい人柄の人ですし、いつも経営について教えていただいて、大変感謝しています。しかし宮木電機は京都でも決して大きい会社ではありません。私は日本で一流といわれる会社の経営者というのはどういう人達なのか、とにかく見たいのです。そしてその経営者はどういう考え方で経営にあたっているのかを知りたいのです”

“一体誰が話すんや”

“本田宗一郎さんです。浜松の一介の自動車修理工場の経営者から身を立て、本田技研工業というすばらしい会社を作った。本田の二輪車が世界を席巻しています。すばらしい経営をやっているこの方の謦咳(けいがい)に接したい。会ってみたい。そこから何かインプレッションを得るのではないだろうかと思うのです”

“本田宗一郎なんかに会ってみたって知れていますよ”西枝さんは納得していませんでした。

西枝さんは大変すばらしい方です。稲盛塾長が今あるのは西枝さんの教えを受けたからなのです。その西枝さんに、“心の大事さ”“心の美しさ”を教わったのです。 

しかし稲盛塾長は有馬温泉のセミナーに出席しました。集まった中には、中小企業零細企業だったのが後に上場企業になった企業もありました。 

いちばん期待していた本田宗一郎さんは作業服、いわゆる菜っ葉服を着たまま出て来られました。

“大体こういう温泉につかって浴衣を着て胡坐(あぐら)をかいて話を聞こうなんて、何を考えとるんだ。”

“大体こういうセミナー屋、経営コンサルタントがやるような話を聞いて何になる、とっとと帰れ、こんな高い金を払って話を聞いて何になる。僕は何も教えられやしませんよ。ここで話を聞くぐらいなら、帰ってすぐ仕事をした方がまだましだ。” 

本田宗一郎さんは、いろいろな話をして下さいました。

その中でも本田さんは、次のように言われました。

“私はうちの従業員で働きの悪い奴、出来の悪い奴にはスパナでも何でも振り上げて、投げつけたりします。私はうちの従業員の何倍もの給料を貰っていますが、人から“おまえ、何で働くのだ”と問われれば、“お金が欲しいのだ”と言う。お金が欲しかったら、人の何十倍も働く。“悔しかったら、俺と同じくらいの給料が欲しかったら、俺と同じぐらい働いてみろ”と私は言っています。”

本田さんは従業員をモチベートしていたのだと思います。お世話になっている西枝さんは、すばらしい哲学、すばらしい心の持ち主でしたが、本田さんの場合、ある種の鬼才(きさい)、すばらしい才能の持ち主であると感心いたしました。 

稲盛塾長は西枝さんというすばらしい方に毎日身近に接して、そのすばらしい人間性に触れて成長しました。また本田さんのようなすばらしい経営者はどんな人なのか、どんなものの考え方をする人か知りたい、その謦咳(けいがい)に接したいと大金を払って聞きに行った。そうしたことが稲盛塾長の血となり肉となりました。 

盛和塾の理事長、鮒子田さんをはじめ、京都の若手経営者たちから“たいへんな成功をされたのだから、我々に何か教えて下さい”と言われた時に、稲盛塾長は次のように答えました。

 “私の話を聞いてただ関心するだけでも結構です。また、“なんだ京セラの社長というのは偉い人だと思ったが、ある程度の人だったか”と思っても結構です。” 

“なんだ、この程度の人か、俺ももうちょっと頑張れば、もっと努力すればこの程度はやれそうだ”“大したことないじゃないか”あるいは“凄い、私など及びもつかない”と思ってもよいのです。まずは直に接するということが大事なのです“ 

  1. 魂の研鑽(けんさん)をする“善の輪”を広げていく

稲盛塾長は格段に自分よりも優れた人と付き合うことが大事だと思っています。将棋でも碁(ご)でも格段に強い人は、弱い人を相手にしてくれないのですが、本当はそういう格段に強い人と付き合わなければなりません。 

偉い人は偉い人で、自分よりもさらに偉い人と付き合おうとします。

盛和塾では、稲盛塾長を踏み台にして塾生が伸びていくことを目指しています。盛和塾で学んだことを吸収する人は吸収していく、また稲盛塾長より優れている人はさらに伸びていく、そうして伸びていくのに役立つと思い、稲盛塾長は京都で盛和塾を始めました。 

二~三年前の勉強会の際のことです。いつもおとなしく、あまり目立たない方が“塾長ありがとうございます。塾長にこうしてお会いして約七年になりますが、たいへん感謝しております”と言われたのです。 

その方が次のようなことを言われたのです。

“私は塾長にお会いするまでに二十年ほど自分で経営をやってきました。その間、売上は七、八億円、従業員が二十人くらいでした。会社を作ってから二十年でした。ところが塾長に会って七年しかたっていませんが、その間に売上は五十億円、従業員数は百数十人になりました。塾長と出会う前の二十年と、出会ってからの七年ではどう違っているかというと、実は何も変わっていないのです。何にも変わっていないのに、この七年間急成長しました。何かが変わったとすれば、それは塾長とこうしてたまに会って話を聞くことによって、私自身が変わっていったのだろうと思います。私自身では変わったつもりはないのに、経営者である私が変わり、会社が凄く変わってしまった。一生のうちにこうしたすばらしい出会いをさせて頂き、すばらしい会社に成長しつつあることに今たいへん感謝しています。” 

稲盛塾長はこの話を聞いて、本当に盛和塾を始めてよかったと思われました。できれば人助けをする。善きことをしてあげる“愛の輪”“善の輪”をもっと広げていきたいと稲盛塾長は感じられたそうです。 

京都から大阪、滋賀、鹿児島と分塾ができていくに従い、“それなら全国でやろうではないか”となりました。純粋な気持ちで“そこまで要望があるのならば、人助けのために盛和塾を全国に広げようではないか”と考えられました。 

鮒子田さん、稲田さん、岡野さん、みんなが自分のことのように喜んで、札幌の開塾式の為に何度も足を運ばれる、交通費も宿泊費も、時間もかかります。それをあえてボランティア、無料奉仕で皆さんのためにと思って協力していただいているのです。 

盛和塾を通じて、すばらしい出会い、またすばらしい触れ合いができるということは、大変な喜びです。人生で何が楽しいかと言いますと、生きている間にすばらしい友達、またすばらしい師弟、そういう出会いができるということです。 

死ぬときには何も持っていけません。生まれたままの姿で死ななければならない。肉体すらも持って行けません。その時に持って行ける宝は、人生でどういう出会いがあったのかということです。人生における出会いの場で、どういう魂の研鑽(けんさん)、触れ合いが行われたか、ということこそが宝です。つまり魂と魂が触れ合う、そして研鑽し合う磨き合う、そういう場こそがいちばんすばらしいことだと思います。 

  1. “トップの哲学が経営を決める”という真髄を学ぶ

経営というのは、その分野の専門知識を持っている、専門のことがわかっているだけで経営ができるのではありません。経営というのは、経営者としてのその人が持っている心、またその人の考え方で決まるのです。つまり、経営のフィロソフィーが立派であれば会社も立派になるのであって、専門知識によって決まるのではありません。 

京セラの場合、稲盛塾長はセラミックスの研究をし、製造をし、営業をしてきました。セラミックスの分野では、世界でもたいへん優れた研究を、稲盛塾長が次から次へと成功させてきました。その研究の当事者である本人は、そういう技術的なこと、専門知識が大変優れていたから京セラが成功したとは思っていないのです。技術、知識は一要素であっても、成功の根本要因というのはその経営者が持っている心根だと稲盛塾長は思っているのです。 

八年前に第二電電という事業を興しました。その時はみんなに一笑に付されました。そんなものをやって上手くいくはずがない。あのNTTという四兆円を超える売上を上げる企業、明治以来、国策で全国津々浦々の家庭まで電話線を敷いた企業に対抗できるはずがない。そう言って誰もが足がすくんでやれないことを、稲盛塾長は始めたのです。 

第二電電は1992年の売上が約二千億円、経常利益が約二百三十億円という会社になりました。第二電電八年目です。 

セルラー電話は“携帯電話をやりたい”と郵政省に申請しました。ところが郵政省はなかなか事業許可を与えてくれませんでした。結果的には首都圏と東海は建設省・トヨタ自動車の日本高速通信に、それ以外の地方エリアが第二電電に割り当てられました。大企業であるトヨタやお上の建設省がやるならそちらに任せよう、いいところをやらせようということになるのです。 

第二電電グループは地方の子会社を含め、年間約五百億円の経常利益を出すようになりました。これは京セラが三十三年かかって達成した数字なのです。それが第二電電は八年間で達成してしまったのです。 

まさにトップ、リーダーが持つべき心構えであり、その哲学、思想が企業経営そのものを決めることを証明したのです。その真髄を盛和塾で話してあげようとして盛和塾が始まったのです。 

稲盛塾長は六十歳ですが、八十歳まで寿命があるとしますと、約二十年あります。これ以上会社の仕事ばかりに明け暮れるのはやめて、世のため、人のために尽そうと盛和塾を始めたのです。 

経営には闘魂が求められる

  1. 従業員を守るためには根性、ガッツが必要

中小企業では5人でも10人でも社員を養っておられます。社員には家族がおられます。この厳しい世の中で、従業員を雇って給料を払っていかなければなりません。これは並大抵のことではありません。 

その経営者にとっていちばん大事なことは、根性とガッツです。もちろん知的ワークでも学者に劣らないぐらいすばらしいものが必要です。しかし、いくら頭がよかろうと、いい戦略が組めようとも、何といっても根性とガッツがなかったのでは、絶対にダメなのです。 

経営の原点12ヶ条第8、燃える闘魂、“経営にはいかなる格闘技(かくとうぎ)にもまさる闘争心が必要”とあります。経営者がだったらどんな格闘技の選手にも負けないくらいの凄(すさ)まじいまでの闘魂が要るのです。それだけの闘争心がない人は、経営者には不向きなのです。心優しい人では経営者にはなれないのです。 

  1. マラソンにおける闘魂について

京セラのマラソン選手が、バルセロナオリンピックの女子マラソンに出ました。当日は大変な暑さでした。その中を42.195キロ走らなければならない。これは大変なサバイバルです。 

京セラの女子マラソン選手を前に、稲盛塾長は“今度のマラソンは絶対に先頭集団についていけよ。”有森選手はソ連の選手とデッドヒートを繰り返して一位を競っていました。京セラの選手は五番目に競技場のゲートに入って来ました。凄まじい暑さでしたので、入って来たソ連の選手も有森選手も、京セラの選手も汗びっしょりです。サバイバルもサバイバル、本当に凄まじい戦いでした。 

2位銀メダルの有森選手はゴールインしてからすぐに倒れてしまいました。しかし京セラの選手はゴールインしても、ぴんぴんしているのです。“私は何位ですか”インタビューでアナウンサーが“五位ですよ”と答えますと、“あっ そうですか、目標が八位でしたので、五位に入って嬉しいです”と答えていました。 

稲盛塾長は日本に帰りビデオテープを見てみると、京セラの選手は“先頭集団についていないのです。トップ集団にはいますけれど、三分の二くらい後ろのところにつけています。” 

有森選手は三十キロを過ぎた時点で四百メートル先の先頭のソ連の選手を追いかけ始めました。この四百メートルの差を何と有森選手は五キロの間で、すなわち三十五キロ地点で、ソ連のトップと並んだのです。五キロで四百メートルの差を縮めることは、大変なことです。ですからゴールインした時に倒れてしまったのです。 

ところが京セラの選手はゴールインしてもケロッとしているのです。“目標が八位でしたが、五位入賞して嬉しいです”では、闘魂があったとは考えられないのです。“優勝したかった、残念です”この一年間、研鑽に研鑽を重ねて練習に練習を積んできて本番に備えたのですから、残る目標は優勝しかないはずです。 

経営者の中でも“事業はどうでしたか”と聞かれると、本当は悔しくて、“もっと立派な経営をしたかったのだが”と言いたいのだけれども、“いや、まあこんなところです。ええ方やわ”というようなことを言っています。心にもないことを言って、自分自身にまで嘘をついてお茶を濁(にご)している。“まことに悔しい。来年はもう一回頑張り直そう。”と言うべきなのです。 

  1. 不言実行よりも有言実行

経営者にも有言実行が求められるのです。京セラのマラソン選手は昨年の世界選手権で銀メダルを取ったのですから、バルセロナオリンピックでは目標は金メダルしかないはずです。それが、八位が目標でしたとは言えないはずです。当然“目標は金メダルです”というべきなのです。もし“優勝します”と言っていたら、優勝できなかった場合には“残念です。努力が足りませんでした。”と言うべきなのです。 

経営でも同じです。社長も“こうしたい”と公言するのです。公言すると引っ込みがつかなくなります。その引っ込みがつかなくなるところに自分を追い込むのです。追い込んで自分が言った目標を達成する。果たせなかったら潔(いさぎよ)く、“私の努力が足りませんでした。来年もう一回がんばります。” 

潔い経営をトップが率先垂範(そっせんすいはん)していれば、他の役員幹部にもそれを求めることができます。“私は売上はいくらにします。利益はいくら出します。”と公言させて約束を守らせる。 

経営トップが率先垂範し、上手くいかなかった場合は潔く、従業員にも“まことに申し訳ない。今年は私の努力が足りないものだから上手くいかなかった。来年はもっと頑張る”と言う。 

凄まじい闘魂で、誰にも負けない努力をする

  1. 全力で先頭について行く

“先頭について行けよ”と言ったにもかかわらず、京セラの女子マラソン選手がついていかなかったことです。 

京セラの選手が先頭についていかなかったのは、恐らく集団の後ろのほうにいたために、先頭が見えなかったからだと思われます。あの先頭に飛び出したソ連の選手が抜けていくのが見えなかったのだと思います。本当はその選手が出た時についていかなければならなかったのです。その次は優勝した選手が前へ出て行きますが、それにもついて行かなければならないのです。三十キロ地点で、有森選手について行かなければならなかったのです。ゴールをしてからも全然疲れていない、京セラの選手は優勝できたと思うのです。 

何故彼女は稲盛塾長が言った“先頭集団について行けよ”という言葉を実行しなかったのか。彼女はマラソンの経験もないオッサンが言った言葉を信用していなかったのです。稲盛塾長が陸上競技部に行って指導すると“会長はマラソンを走ったことがありますか”“せめて五千メートルでも走ったことがありますか”と聞いてきます。あるわけがありません。 

監督は元マラソン選手でしたから、その監督が言うことはみんなよく聞くわけです。経験のないオッサンの言うことよりははるかに聞くのです。 

先頭について行かなかった理由は、陸連の監督、コーチの指示です。凄まじい暑さです。四、五メートルの向かい風、モンジュイックの丘にさしかかる坂道、最後の五キロは消耗しきってきたところのあの坂道のデッドヒートです。陸連の監督、コーチは“これは尋常ではない”“自重せよ。飛ばすな。慎重にいけよ”と言ったに違いありません。 

その女子選手には期待がかかっていました。“必ずメダルを取るだろう”“前の世界選手権では銀メダルなのだから、今度はひょっとすると優勝するかもしれない”しかし、プレッシャーをかけない為に“無理するな。この暑さだから八位ぐらいでいいよ”と言われたに違いないのです。 

  1. 不可能だと思われることを成し遂げる

人間というものは、無理をしてでも人の前を走っていれば、調子が出て来るのです。120%、150%の力が出て来るのです。 

京セラ創業時から、稲盛塾長は社員に言い続けたのです。“西ノ京町で一番になろう。中京区で一番になろう。京都で一番になろう。日本で一番になろう。世界で一番になろう。”会社をつくった瞬間から夜を日に継いで働きました。マラソンと同じで、オーバーペースで走ったのでした。朝は始発から夜は最終電車で帰りました。“稲盛さんこれでは身体がもたないのではないでしょうか”と従業員から文句が出ました。 

稲盛塾長は社員に説きました。

“京セラは日本の経営レース、企業マラソンに14年遅れて参加したのです。終戦の時に一斉にみんなが走り出しました。京セラは1959年にスタートしたのです。14キロも離れて42.195キロを走らなければならない。一流選手でもない選手がチンタラチンタラ走っていては勝負にもならない。それでは経営する意味がないかもしれない。とにかく全力疾走してみよう。そうすれば距離が縮まるだろう。もしがんばりすぎたら、その時には少しペースダウンしよう。” 

それから十数年で大阪証券取引所二部に上場になりました。14キロ先を走っていたマラソンの第二集団を凄(すさ)まじい勢いで追い上げていって視界に捉え、その中に入っていったのです。 

“もうすでにこの全力疾走マラソンは我々は習い性になっています。残るはマラソンの第一集団、東証一部上場だ。次はあの先頭集団に追いついて行こう”京セラは二部上場から数年で一部上場を果しました。東証一部へ駆け上っていって数年で、ソニーを抜いて日本一の株価に輝きました。そのあとニューヨーク証券取引所にも上場しました。 

人から“できるわけがない”と言われたことを、京セラは創業以来やってきたわけです。第二電電をつくると言ったときも周囲は誰もできないと言いました。“経験もない、専門知識もない男にできるわけがない”と人が言ったことを稲盛塾長は成し遂げてきたのです。 

バルセロナオリンピックのマラソンに戻れば、“金メダルを取る”と言えば、坐っただけでも汗が吹き出てくる三十数度の暑さと過酷な条件の中では、専門家には無謀とも思われたかも知れません。“先頭についていけよ”と言ったことをまずやろうとすることが大切なのです。その不可能だと思えるようなことがやれなかったら、物事を成し遂げることは出来ないのです。その無謀と思えるようなことがやれるほどの身体を、一年間を通じての過酷なトレーニングで鍛えぬいてきて、彼女は持っていたはずですから、やれたはずなのです。 

カーネギー協会の1991年の年次報告書の冒頭にある理事長メッセージに、稲盛塾長の言葉が引用されていました。この理事長はマクシム・シンガーという女性の方です。“次にやりたいことは、わたしたちには決してできないと人から言われたものだ”(What we like to do next is what people tell us we can never do.) 

1991年に有名なピューリッツア賞に輝いた受賞者で記者であり、作家であるデイビッド・ハルバースタム氏が書いた“ネクストセンチュリー”という題の本から引用されたものです。 

デービッド・ハルバースタム氏は稲盛塾長を訪問し、”ネクスト・センチュリー“の中で数ページにわたり稲盛和夫という章を設けて、稲盛塾長を例に挙げています。 

人が常識から“決してできない。あんなことがやれるわけがない。”ということ、そのことをやるのです。それを凄まじい根性と凄まじい闘魂で成し遂げるのです。経営者にはそういう闘魂が絶対に要るのです。“ 

凄まじいまでの闘魂を持って、誰にも負けない努力をすれば、必ずや会社は成長発展を遂げるはずです。

盛和塾 読後感想文 第115号

人と企業を成長発展に導くもの-日本航空再建の要因と日本経済の再生について- 

日本航空再建の真の要因

  1. 再建を後押ししてくれた“JAL応援団”

2009年末、稲盛塾長は日本政府と企業再生支援機構から強い要請を幾度も受けていました。 

最終的に再建の任に当たることを承諾した理由は、

日本航空の従業員を救う

日本経済再生

国民の利便性

のためでした。 

再建を引き受けると言っても、日本航空の再建について、稲盛塾長に自信や勝算があったわけでは決してありません。日本航空が破綻した当初は、報道関係者をはじめ、誰もがこの会社が長年抱え、なかなか解決がつかなかった様々な課題から“決して再建はうまくいかないだろう、二次破綻は必至であろう”と考えていました。 

航空運輸業の経験のない塾長は、京セラの2人の役員と“京セラフィロソフィー”と経営管理システム“アメーバ経営”だけを携えて向かっていきました。 

初めて訪れた日本航空は、想像をはるかに超え、企業としての体を成していませんでした。稲盛塾長も疲労困憊(ひろうこんぱい)していました。稲盛塾長が日本航空の再建に携わると聞いた当時すでに五千五百人の盛和塾生の皆さんがひとり百人の仲間を集め、合計五十五万人で日本航空を応援しようと動いてくれました。 

“JAL応援団”という名刺を作り、塾生、その友人に“日本航空に乗ってあげよう”と無理してでも日本航空を使ってくれました。また搭乗の都度、日本航空の社員たちを励ましてくれました。日本航空のマーク、千羽鶴を折ってくれたり、贈り物も送ってくれました。 

このようなことは、破綻で傷ついた日本航空従業員たちの心の支えとなったばかりか、採算面でも大きく貢献し、日本航空再建に向けた最初の一歩を盛和塾生の方々が後押ししてくれたのです。盛和塾生の応援は“利他”の心の反映です。利他の心の発露そのものでした。 

稲盛塾長は過去三十年“経営とはいかにあるべきか”ということを話されてきました。塾生の皆さんは“今まで塾長にお世話になったのだから、今こそ恩返しをしよう”という思いで動いてくれたのです。稲盛塾長は無償の愛で、塾生に経営に何らかの貢献をした、それに対してのお返しをしてくれたのです。

  1. 盛和塾生による“利他の心”の実践

稲盛塾長が三十年近く、多忙なスケジュールの合間を縫って、懸命に塾生の経営のお手伝いをしてくださいました。今度は塾生が、日本航空再建に懸命に携わる塾長の背中を押すようにして、お返しをしてくれました。 

このように相手を思いやる、やさしい心と心が呼応し合い、それが日本航空再建ということに結実したのです。 

西日本、東日本塾長例会で“心を浄化する手段、盛和塾で何を学ぶか”と題して塾生が自分の心を浄化していくことが、塾生自身の企業を良くしていき、社会を立派にしていくということだと塾長は述べられました。このことを塾生がよく理解し、それが“JAL応援団”となったのです。 

盛和塾では“利他の心”という言葉が良く使われています。盛和塾では“利他”という言葉が日常会話で交わされる、これは塾生が“人によかれかし”ということが人生や経営で大事であることだと理解し、実践している証拠ではないかと思われるのです。 

日本航空を応援してくれる塾生は、恐らく従業員に対してはもちろんのこと、会社をとりまく人々のため、さらには世のため人のため、日頃から尽力している証拠なのです。 

稲盛塾長は京セラの社長を務めていた時に第二電電を創業し、稲盛財団を設立し、京都賞を開始しようとしていた時、多忙を極めていたときに盛和塾を設立しました。およそ三十年の盛和塾での活動に粉骨砕身(ふんこつさいしん)努めてきたことは、決して無駄ではなかったのです。盛和塾の塾生が“利他の心”を持って、日航再建のあとおしをしてくれたことは、稲盛塾長が三十数年手がけてきた苦労が報われた証拠なのです。 

  1. なぜ日本航空再建は順調に進んだのか

昨年三月に終了した日本航空の再建初年度は、千八百億円を超える営業利益をあげることができました。“倒産した会社がどうしてわずか一年で、業界ナンバーワンの高収益企業に生まれ変わったのか”と世間が驚き、奇跡が起こったとまで賞賛されました。 

東日本大震災による、大幅な旅客数の減少にも関わらず、再建初年度を超える二千億円以上の営業利益を出すことができました。再建三年目に当る今期も予想を上回る業績をあげており、この秋には東京証券取引所第一部に再上場を果し、日本航空再建をほぼ終了する予定です。 

稲盛塾長は、再建二年後には会長職を辞し、代表権のない名誉会長となりました。今後は名誉会長として新しく誕生した会長、社長をはじめ若手幹部で真の経営者に育てるべく、その育成に努め、来年決算後には日本航空を退(しりぞ)こうと考えられています。 

しかし、この二年余りの短期間に日本航空再建に一応めどをつけることがどうしてできたのか、稲盛塾長は考えていました。“なぜ、ここまで来ることができたのか。” 

長年様々な経営課題が絡み合い、誰も解くことができなかった伏魔殿(ふくまでん)のような企業、小説で揶揄(やゆ)されるくらい評判が地に落ちた企業、誰もが二次破綻(はたん)必至と考えていた倒産企業の再建が、これほど順調に進んだのはなぜか、と稲盛塾長は考えました。 

  1. フィロソフィーによる意識改革

日本航空のような会社再建を果たす為には、まず全従業員の考え方を変えてもらう必要があるのです。その為、京セラ五十年の歴史の中で生み出された、実践に裏打ちされた京セラフィロソフィー、日本航空の幹部に熱く、語りかけました。 

その意識改革を図るべく、まずは最高経営者幹部数十名を集め、一ヶ月間にわたり、フィロソフィーに基づき、集中的に、徹底的にリーダー教育を実施しました。 

“売上最大、経営最小”具体的な経営の要諦とともに、リーダーは部下から尊敬されるようなりっぱな人間性を持たなければならない、その為には日頃から心を高めつづけていかなくてはならない。人間としての生き方に至るまで、集中的に学んでもらったそうです。 

稲盛塾長も直接講義をし、日本航空幹部の人達と一緒に膝(ひざ)を突き合わせ、酒を酌み交わし、ときには厳しく叱責(しっせき)も行い、徹底的に考え方のベクトルを合わせるようにしました。回を重ねるごとに、違和感を覚えていた日本航空の幹部たちも、“フィロソフィー”への理解を深めていきました。 

一般社員への教育も行いました。最前線でお客様に接する社員の意識が変わらなければ、航空会社は決して良くならないのです。稲盛塾長は現場に出かけ、直接社員に語りかけるようにしました。 

受付カウンターの人、キャビンアテンダント、機長、副操縦士、整備の人達、手荷物係の人たち、日本航空の社員達が働く現場を回り、どういう考え方を持ち、どういうように仕事をするのか、等、直接話しかけたのでした。 

意識改革に目覚めた幹部、リーダー、社員の意識改革が進むにつれて、業績も飛躍的に伸びていったのです。           

  1. アメーバ経営による組織改革

航空会社の経営を安定的なものにする為には、路線別、または路便別に採算がわかるような仕組み、いわゆる“管理会計システム”の構築に努めました。今までは日本航空の全ての路線、路便ごとに翌日には採算がわかるという世界の航空会社には類を見ない精緻(せいち)な管理会計システムを構築しています。 

アメーバ管理会計システムを活用して、実際の経営実態に基づいて、自分達で創意工夫をしながら経営を行うような体制に組織改革を実施したのです。 

経営者は自分の会社のどの部門がどのくらいの売上をあげ、どのくらいの経費を使っているのかをできるだけ迅速に詳細に見えるようにしなければなりません。それはあたかもパイロットが各種の計器を見ながら、飛行機を操縦しているのと同じなのです。 

プロフィットセンターの各部門で路線別、路便別の採算がわかるようにした他、たくさんの子会社でも部門別の採算ができるようにしています。また、管理部門などのコストセンターである非採算部門でも、経費実績が明確にわかるようにし、できるだけコスト削減に努めることができるようにシステムを構築しました。 

それらの各部門の数字は毎月の経営会議で三日間にわたって発表されることになります。この発表に対して、稲盛塾長(会長)は、“あなたの部門はこうすべきだ。リーダーであるあなたはこうすべきだ”と経営指導をされました。 

このようにして“フィロソフィー”による意識改革、また“アメーバ経営”による組織改革により、日本航空は見事に再生していきました。 

  1. “神の助け”が日本航空の奇跡的な回復をもたらしてくれた

稲盛塾長は自分が生まれ、育まれ、今ここにあることに感謝する、そんな思いをベースにして、人生や経営において、世のため人のために様々なことに取り組んできました。 

盛和塾活動もそうです。稲盛財団の京都賞などの活動も、世のため、人のための活動なのです。日本航空再建も、そのような思いで取り組んできました。日本航空再建の際、稲盛塾長は八十歳を迎えても、そういう心を持って、給料も含め一切の見返りも求めず、ただ必死になって難しい日本航空再建に取り組んでこられました。 

その健気な姿を見て、神さまが、天が、自然が応援してくれたとしか考えられないのです。日本航空の再建は、稲盛個人がやったものではなく、この世の絶対的存在、神様が稲盛塾長にやらせたとしか考えられないのです。そうでなければ、あのような奇跡的な回復ができるはずがないのです。人の力ではなく、何か偉大なものが、大きな存在が応援し、後押しをして再建を可能にしたとしか考えられないのです。 

自分の力ではなく、この世を統(す)べる偉大な存在が応援してくれるような、あるいは宇宙の意志と同調するような経営や生き方を、塾生の皆さんも目指してほしいと稲盛塾長は語っています。美しいピュアで正しい心で経営にあたり、人生を生きていけば、必ず神の助け、いわゆる天祐(てんゆう)があるのです。

盛和塾 読後感想文 第114号

リーダーに求められる“情”と“理”

明治維新の指導者には西郷隆盛と大久保利通の2人がおります。西郷隆盛は“情”に生き、義を貫いて死ぬことを選びました。大久保利通はまさに“理”の人でした。“理”詰めの人であったからこそ、混乱した状況の中にあって、新政府の中心にあって、誕生したばかりの国家の制度や体制などを構築することができたと思われます。 

人を魅了してやまない素晴らしい心根を持った西郷の“情”、合理的で緻密(ちみつ)に物事を詰めていく大久保利通の“理”、あるときは情愛に満ち溢れた優しさ、あるいは泣いて馬謖(ばしょく)を斬(き)る厳しさ、両極端を兼ね備えることこそが、リーダーに求められる条件ではないでしょうか、と塾長は語っています。 

リーダーの資質 

幌馬車(ほろばしゃ)隊が示すリーダーの五つの要件

稲盛塾長は、経営における哲学の重要性、経営の原理原則、経営管理の考え方と仕組みについて、以前に語っています。しかし高邁(こうまい)な経営哲学を掲げ、精緻(せいち)な経営システムを構築したとしても、それが正しく運営されるかどうかは、ひとえにリーダーにかかってきます。 

アメリカ開拓時代の幌馬車(ほろばしゃ)隊の運命を握っていたのがリーダーである隊長でありました。卓越したリーダーシップを発揮した隊長に率いられた幌馬車隊のみが、目的地である西部へ到達することができたのです。 

幌馬車隊の隊長が示したリーダーシップとは、次の五つに集約できるのではないかと稲盛塾長は考えられました。 

第一に 使命感を持つ

第二に 目標を明確に描き、実現する

第三に 新しいことに挑戦する

第四に 信頼と尊敬を集める

第五に 思いやりの心を持つ。

1. 使命感を持つ

強烈な願望を持つ幌馬車隊の隊長は、強い使命感を持ち、襲い来る様々な艱難辛苦(かんなんしんく)を克服して西部を目指したのです。 

当初、北アメリカ大陸の東海岸に上陸した移民たちの大半は、もともとはイギリスをはじめ欧州において、恵まれた生活を送っていなかった貧しい人々でした。貧しい彼等は、豊かな生活を実現してくれるであろう新天地を求め、リスクを覚悟して、大西洋を西へ西へと渡っていったのです。 

米国の西部開拓には、元々その根底に、豊かになりたいという願望があり、そのような強烈な願望の頂点に、幌馬車隊の隊長は位置していました。 

  • 集団の幸福を実現するという大義名分

現代のビジネスの世界においても、企業経営者をはじめ、集団のリーダーとは幌馬車隊の隊長のように強烈な願望を持った人々です。その時大切なことは、これらのリーダーが唯、単に私利私欲に満ちた強い願望の持ち主であったとすればどうなったかということです。 

私利私欲に満ちた隊長は、おそらく、人々の協力が得られず、また集団が四分五裂し、新天地に到着することはできなかったと思われます。 

集団を導いていくには、まず強烈な願望が必要ですが、同時に大義名分が必要なのです。“自分達はこの崇高な目的のために働く”という大義名分が、“使命”がなければ、多くの人々の力を集結して、その持てる力を最大限に発揮させることはできないのです。 

京セラでは“全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献する”という、全社員が共有する経営理念があります。 

京セラの従業員たちも、会社の目的に心から共鳴してくれ、一致団結して会社発展に身を粉にして尽してくれるようになりました。また、そのような公明正大な目的・使命があるからこそ、稲盛塾長もリーダーとしてなんら掣肘(せいちゅう)されることなく、自らを奮い立たせ、また部下を叱咤激励(しったげきれい)し、事業に邁進(まいしん)することができたのでした。 

誰もが心から納得し、共有できるような目的を掲げることで、集団の全員が一致団結して“このすばらしい理念をともに実現していこう”と懸命に働くことができるのです。 

幌馬車隊の隊長も、自分が豊かになりたい、という自分自身の願望だけでなく、それを集団の願望にも拡大し、自らが率いる集団一人ひとりを無事に西部の新天地に送り届けることで、豊かになりたい、幸福になりたい願望を何としても実現するという強い使命感をもって隊を率いていったと思われるのです。 

使命感を持つこと、またそれを集団で共有すること、それがリーダーにとって最も基本的な要件となります。

2. 目標を描き、実現する

  • 具体的な目標を全員で共有する

幌馬車隊は広大な米国西部の大地にそれぞれ目標を定め、東部を出発しました。隊長にはその地まで全員を安全に導くことが求められていました。しかし地図もない未踏の地であり、過酷な自然が立ちはだかっていました。先住民のインディアンとの戦いもあったはずです。 

そのような困難に直面しても、目標を失うことなく、メンバーを叱咤激励(しったげきれい)し、集団を目的地へと導いていくことが、幌馬車隊の隊長には求められたのです。 

まず求められるのは、どのような目標を設定するか。幌馬車隊の隊長は西部のどの地域に向けて進むのか、具体的に毎月、毎週、毎日どこを目指してどれくらいの距離を進むのか、どこでキャンプするのか、食料手当はどうするのか、等を考えたに違いありません。それらをメンバーの人々と共有して、西部へ進んだに違いありません。 

企業経営の場合は、目標は全員が納得できる範囲の中で、最高となる具体的な数字を見出し、それを目標とすべきです。そして、その次にその目標をブレークダウンして、集団の全員が自分の目標として共有できるものにすべきです。 

その為には、目標を全体の漠(ばく)とした数字ではなく、組織ごとにブレークダウンしたものにしていかなければなりません。組織の最小単位にいたるまで、明確な目標数字があり、一人ひとりの社員にとっても明確な指針となる具体的な目標とするべきです。 

一人ひとりのメンバーが“自分の目標はこうであり、自分は今、その目標に対してどの程度進捗している”ということがわかるようになり、自発的にキャッチアップすることが可能になるはずです。 

  • エネルギーを移転する

リーダーは目標を指し示すだけではなく、その目標は達成できる、いや達成しなければならないと皆に思わせ、さらにどうやって達成するのかという具体的な方法について指し示す必要があります。 

目指すべき目標が決まったら、その数字が意味することはもちろん、目標を達成することの意義や、そのためにはどうすればいいのかという方法論について徹底して部下に伝えることが必要なのです。 

自らの事業に対する考え、目標達成に向けた思いを、情熱を込めて語り、職場の一人ひとりが燃え上ってくれるようになるまで、心を込めて話し続けなければなりません。 

“いくら話をしても、部下は誰もわかってくれない、どうしようもない者たちだ”と考えるリーダーが多いようです。そのような人は“自分は相手が納得してくれるほど、よく考えて話をしていたのか、相手が解かるように相手の考え方に沿って話したのか、どのくらい情熱を込めて相手に伝えたのか”今一度、自問自答してみる必要があるのです。 

高く掲げた目標はリーダー1人では達成できないのです。リーダーが情熱を込めて部下に事業の意義や進め方について話し、自分と同じレベルにまで部下の志気を高めることができて、はじめて全員の力を結集することができ、どのような困難な目標であろうとも、それを達成し、成功を手にすることが可能となるのです。 

  • 強い意志で目標を達成する

ビジネスでは予期せぬ課題や障害が次々と発生してきます。強い意志を持っていなければ、少しの環境の変化を口実に、容易に目標の達成を断念してしまうことになります。 

集団のリーダーとは、いかなる障害があろうとも、目標に向けて強い意志、一切の妥協もせず、ひたすらに邁進していかなければなりません。経営者の中には目標を達成できないとすぐに言い訳をしたり、目標を下方修正したり、なかには目標そのものを撤回してしまったりする人がいます。 

立案した経営計画は、本来は従業員や株主、また社会への約束です。それなのに、予期せぬ経済環境や市場動向の変動を理由に、目標の撤回や下方修正をすることをためらわない人がいます。こうした状況変動型の経営者、リーダーはすぐにでも交代しなければなりません。 

リーダーは目標達成のため、本当に強い意志を部下に伝えるだけではなく、態度で示していくことが重要です。“われわれのリーダーがあんなに必死に努力しているのだから、。何とか自分が助けてあげたい”と部下から思われるくらい、リーダー自身が“誰にも負けない努力”を払っているのかということが問われているのです。

3. 新しいことに挑戦する

  • 常に変革を志す

常に未開の土地を目指し、困難に挑み続けた米国の西部開拓史は我々に挑戦することの大切さを教えてくれます。 

経済環境が激変し、技術革新が急速に進む現在では、リーダーはクリエイティブやチャレンジな考え方、姿勢を持ち、それを集団に感化していくということがなければ、集団は時代から取り残され、ダイナソーになってしまいます。 

リーダーが変化を恐れ、挑戦するマインドを失ってしまっては、その集団はやがて衰退の道を歩み始めることになります。リーダーが現状に満足することなく、常に変革と創造を行うことができるかどうかが、集団の運命を左右するのです。 

我々自身が、また歴史ある大企業の中で、職場のリーダーが旧来のやり方にとらわれたり、新しいことに挑戦する気概を失っていないか、今一度確認してみる必要があります。 

様々な形式的な手続きに手間取り、意思決定が遅くなっていないか、若い力を活かすことなく、職場から活力が失われていないか、上司の顔色をうかがい保身をはかることに汲々(きゅうきゅう)としていないか、また自分の部署のことしか考えていないナショナリズムがはびこっていないか。 

  • 能力を未来進行形でとらえる

“人間の無限の可能性を信じる”という考え方が大切です。自分の持つ能力を現時点でとらえるのではなく、今から磨き上げることによって、それは限りなく進歩するものであると信じるのです。 

現在の自分の能力を持って“できる”“できない”を判断しているのでは、新しいことは何もできません。たとえ今はとてもできないと思われるような高い目標であっても、未来のある一点で達成すると決めてしまい、それを実現する為に現在の自分の能力を高める努力を日々続けていく。

京セラ創業時はなかなか注文をいただけませんでした。生まれたばかりの小さな会社に注文を出してくれるお客様はなかなかありません。引き合いを頂けるのは他社ではできないと断られた注文、技術的に難しいもの、あるいは採算のあわないものばかりでした。そういうものを“われわれならできます”と言って受注し、設備も技術も人材もない、まさに“ないないづくし”の状態から全員で苦心惨憺(くしんさんたん)して製品をつくりあげ、納品していったそうです。

  • 楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する

誰しもが不可能と思えるような。新しいことへの挑戦を単なる無謀なチャレンジで終わらせないようにするためには、その進め方が大切になってきます。 

“楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する”というプロセスで創造的な領域での仕事を京セラでは進めてきました。 

お客様のニーズに応じて、新製品開発や新市場開拓などを考えて、常に新しいテーマを稲盛塾長は考えていました。ある程度考えがまとまると、会社幹部と会議をします。 

目を輝かせてうなずいてくれる人、いくら話をしても冷ややかに聞いている人もおります。冷ややかな人は有名大学出身の優秀な人です。一生懸命に語りかけていきますが、冷徹な人が、稲盛塾長の構想がいかに無謀であるかと言い出すことがよくあったそうです。その為、もしかしたら大きく花開いたかもしれないビジネスの種が芽を出す前に終わってしまうのです。

優秀な人はなまじ豊富な知識がある為に、新しいテーマであっても現在の常識の範囲内で判断して、いつも否定的なことばかり考えてしまうのです。 

ところが、こうした優秀な人ではなく、すぐに情熱を燃やしてくれる人に新しいテーマを話しますと、新しい構想がますます夢あふれるものになっていくのです。構想段階では夢と希望を抱き“やれる”と信じることができなければ、挑戦しようという気にはならないのです。

ただし、そのまま楽観的に仕事を進めていっては必ず失敗します。具体的に計画を練る段階では、悲観的にあらゆる条件を徹底的に考えつくします。ここで知識豊かな、冷徹で優秀な人に登場してもらいます。

構想を話しますと、次から次へとネガティブな条件を並べてきます。このマイナス要因をすべて列挙させ、ひとつずつその解決法を考えていきます。こうして改めて計画を綿密に練り直し、実現の可能性を高めていきます。

問題点をすべて洗い出し、シュミレーションを繰り返し、計画を完全なものにした後、実行段階ではまた楽観的な人に交代し、計画を推進します。

4. 信頼と尊敬を集める

  • 深く物事を考える重厚な性格をもつ

幌馬車隊の隊長はいくつものグループや家族からなる集団をひとつにまとめ、目的地まで導いていく求心力が要求されます。 

旅の途上、隊長は大勢の人々の食糧や水の確保、その分配、ときに発生する争いごとの仲裁、病人や怪我人の世話、道中に幌馬車隊で起こるあらゆる出来事を、誰もが納得できるような形で解決していくことが求められたと思われます。 

その為には、常に公平で公正な判断を下すことができるなど、隊長は人々の信頼と尊敬を集められるだけの立派な資質の持ち主でなければならなかったはずです。そのような隊長だけが幌馬車隊を統率し、安全に目的地まで導くことができたのではないかと思われます。 

  • リーダーは公正でなければならない

集団の運命を左右するような重大な判断を行う立場にあるリーダーには、何よりも公正であることが求められます。公正さを阻害するものは、自分の都合を最初に考える利己心、あるいは私心です。私心が入ることで、判断が曇り、デシジョンは間違った方向へ行ってしまいます。 

明治維新という革命の立役者、西郷隆盛はこの私心がもたらす弊害について、次のように述べています。 

“自分を愛すること、すなわち自分さえよければ人はどうでもいいというような心は最もよくないことである。修行ができないのも、事業が成功しないのも、過ちを改めることが出来ないのも、自分の功績を誇り高ぶるのも、皆自分を愛することから生ずることであり、決して利己的なことをしてはならない” 

  • リーダーには勇気がなければならない

人は往々にして成功を収めると、それが自分の能力によるものだと過信して、傲慢(ごうまん)になっていくものです。そして周囲に感謝することを忘れ、努力を怠ることになってしまうものです。 

京セラでは“謙虚にして驕(おご)らず、更に努力を”を経営スローガンとして何度も従業員に伝えています。京セラが飛躍的に成長発展し、稲盛塾長も社会から高い評価を受けるようになった頃のことでした。そのような好調時にこそ、謙虚さを忘れ、驕り高ぶり、努力することを怠ってはならないと考えたのでした。 

  • リーダーはポジティブでなければならない

夢と希望にあふれ、常に明るく前向きに集団内に明るい雰囲気を醸成するということもリーダーの重要な役割です。 

経営に携(たずさ)わっていると、次から次へと難題に遭遇します。しかしそのように苦しければ苦しい局面ほど、夢と希望を失ってはなりません。 

今はどんな逆境にあろうとも、自分の将来をポジティブに見ること、これがリーダーにとって必要な要件であるばかりか、人生の鉄則であり、人間として生きていく要諦でもあります。

5. 思いやりの心を持つ

大きく深い愛をベースとするキリストの“愛”、仏様の“慈悲”に例えられるような相手に対する愛情に満ちた、優しい心をリーダーは持っていなければなりません。 

部下やその家族がすばらしい人生を送ることを願い、また取引先やお客様、さらには地域社会に至るまで、自分をとりまく全ての人が幸福であることを願う、そのような深い愛をベースに持ち、仕事や事業に当るなら、周囲の人々の協力を経て、さらには天の力をも得て、必ずビジネスはうまく進行していくはずです。 

  • 思いやりの心と強いリーダーシップをあわせもつ

リーダーが集団のメンバーの意向ばかりを尊重し、個々人に楽な方向や、安易な姿勢を許容していくなら、その集団は規律を失い、やがて機能不全に陥ることになります。 

リーダーは目標達成のために、強いリーダーシップを発揮していかなければなりません。ただし、そこに留まるのではなく、温かい思いやりの心をもって、集団を構成する人々の考え方や思いを確認しつつ、そのベクトルを合わせることにも懸命に努めていく、そのようにして集団を目的とするところへと導いていくことが、リーダーに要求されるのです。

盛和塾 読後感想文 第113号

闘争心を燃やす

仕事は真剣勝負の世界であり、その勝負には常に勝ちという姿勢でのぞまなければなりません。しかし勝利を勝ち取ろうとすればするほど、様々な多くの困難や圧力がかかってきます。私達はこのようなとき、ひるんでしまい、当初抱いていた信念を曲げてしまうような妥協をしがちです。 

このような困難や圧力をはねのけていくエネルギーのもとは、その人のもつ不屈の闘争心です。どんなにつらく苦しくとも、"絶対に負けない、必ずやり遂げて見せる“という激しい闘争心を燃やさなければなりません。 

日本の経済社会の再生と国家のあり方

長引く日本経済の低迷につき、稲盛塾長は提言しています。 

米国をはじめ、中国、ロシア、フランス、韓国など世界のGDP(Gross Domestic Products)の40%を占める主要国の指導者の交代が進んでいます。先行きが読めない要因の一つとなっています。世界経済が混沌とした中で、日本経済社会が今後、どう再生していくことができるのか、政府、国民が直面している課題です。 

呻吟(しんぎん)する日本経済の進むべき道

日本経済に目を転じてみますと、長く続く低迷の中で、円高、東日本大震災、タイの大洪水被害等による打撃を受け、エレクトロニクス分野を中心に、日本の代表する大企業が赤字を計上するなど、日本の産業界は不況の中にあります。 

その中で、円高拡大、貿易収支の改善を通じて、日本経済は短期的には回復基調に向かうものと考えられています。しかし、長期的な観点から見ますと、少子高齢化社会の進行、それに伴う人口減少により、日本経済の規模はこれ以上大きくなることは困難と思われます。このような中で、日本経済はどのような道を取っていくのかを考えなければならなくなっています。 

我々は日本経済社会の再生にあたり、旧来の考え方と方法がもはや通用しないということも理解しています。経済界をはじめ、国民の間に動揺と不安が広がりはじめています。日本が目指すべき、新しい方向を見出さなければならないのです。 

明治政府が打ち出した"富国強兵“が国づくりの規範として殖産興業(しょくさんこうぎょう)と軍備拡張によって近代国家を目指してきました。第二次大戦の敗戦を迎え、今度は"富国”に国策が変更され、日本経済社会は米国につぐ世界第2位の経済になりました。それも諸外国からの圧力のもと、日本政府は内需拡大を図る為、積極的な財政金融政策をとり、バブル経済の原因の一つを生み出してしまいました。1985年のバブル経済の破綻により、日本経済は低迷して今日に至っています。 

現在にいたる二十年は“失われた二十年”と言われるように、長期にわたり、経済は低迷を続けているのです。国債残高がすでにGDPの二倍を超えています。まさに国家として破綻寸前と言っても過言ではありません。 

亡国の事態を回避するために

日本の国債発行残高は2025年には千五百兆円を超えるという予測があります。そして2025年には、国民の金融資産残高と拮抗(きっこう)するようになり、もはや国債を国内で消化することも出来なくなります。 

また、少子高齢化が進み、出生率と死亡率の低下により、世界でも例を見ない速度で高齢化が進行している日本では、65歳以上の高齢者が人口の30%ほどを占めるという予測があります。国民2人でお年寄り一人を養うという社会が到来するのは確実です。 

日本の総人口も既に現象を開始しています。2025年には1億2千万人を割り込んでくることが確実です。 

少子高齢化が進み、社会保障費が拡大する中で、労働人口が減少し、GDPが伸び悩み減少する中で、膨大な財政赤字を背負い、もはや赤字国債の引き受け先もないという事態になれば、日本は国家としての破綻を迎えることになります。 

現在のうちに行政改革を通じて小さな政府づくりに取り組むとともに、早急に財政再建に取り組み、歳出の全面的な見直しや税制の抜本的な改革を通じた歳入の検討に取り組まなければなりません。 

発想の転換-“高付加価値”の追求へ

私たちは今こそ価値観の転換を図らなければなりません。エコノミック・アニマルとさげすまれた日本経済・自国の利益を優先して他国の立場を理解しようとしなかった / 量的拡大をひたすら図ってきた / お金がすべてと考えて来た価値観は捨てて新しい“富国”の道が必要なのです。 

新しい考え方とは量的拡大を追求するのではなく、質的追求、付加価値の高い製品、サービスを提供する、あるいはより細かいお客様の要望する製品、サービスを提供する“高付加価値”の獲得を目指した経済のあり方です。 

たとえば京都の有名な漬物屋で、一日に二樽の漬物樽しか開けない老舗のお店があります。しかしそのお店の前には開店前からお客様が列をつくっておられます。そしてその一日の売る量が尽きてしまいますと、お客様がまだ並んでおられても、その日の商いはおしまいで、“お求めになりたい方はまた明日お越しください”と言われるそうです。 

漬物は、大量に作れば味が変わってしまうのです。その伝統の味、高い品質を維持するために、生産量、販売量を自己規制しているのです。京都にはたくさんのお漬物屋があります。その店のお漬物には独特の味があり、その味を慕う方が多いのです。それ故、生産量、価格も維持し、利益を確保し、伝統の暖簾(のれん)を守り続けているのです。 

高付加価値の“ものづくり”を支える日本人の精神性

“ものづくり”においても、すでに製造現場の多くは、中国、タイ、ベトナム、インドネシアなど、アジア諸国に移っています。いわゆる大量生産型の工場が、豊富で低廉(ていれん)な労働を有する発展途上国に移っています。 

しかし日本には古来、緻密で精密な、まさに芸術品とも見まがうばかりのすばらしい製品を作ってきた“ものづくり”の伝統があります。“日本刀”、“仏壇”、“からくり人形”、これらの製品は日本人の“精神性”“宗教心”が生み出したものと言えます。 

伝統工芸の制作に当っては、匠たちは仕事の前に身を浄(きよ)め、ときには白装束に身を固めます。これはものを作るということは神聖な行為であり、それに対しては自らの身を浄(きよ)め、魂を浄化する必要があると考えてきたからなのです。つくるものに魂を入れなければならないと考えてきたからだと思います。 

日本の製造現場では、一日の始まりは朝礼で始まります。これは、ものづくりの前に作り手の心をつくっているのだと言えます。 

つまりこのように、日本人の精神性を生かし、知恵を集結することによって、もはや日本が関わるべきでないと考えられている分野においても高付加価値のものづくりを実現し、存続を果すことができるどころか、高収益のビジネスとすることができると考えられます。 

農産物のブランド化戦略

高付加価値の商品を作ることが大切なことは、工業製品のみならず、農産物においても同様です。最近では高級農産物の需要が急速に高まっています。 

青森県や長野県で栽培している“ふじ”という銘柄のリンゴは、国際的な標準価格の数倍もの値段がする、高級果物として欧米や東南アジアに相当の量が輸出されているそうです。 

我々日本人は心を込め、丹念に育成に努め、安全で高品質の農作物を作ります。そのように丹精に育まれた日本の農作物を豊かになった各国の人々は、たとえ高額でもいいから買いたいと考えているようです。 

欧米でもフランスの高級ワインは安物のワインとは比べ物にならないくらいの値段がいたします。それは大変な手間をかけて作り上げるとともに、そのブランド化を図ることで、付加価値を高めていった結果なのです。 

日本産の高品質で安全な牛肉、米、果物などの農畜産物を食べてもらうということに国家をあげて戦略的に取り組めば、日本の農業に新たな活路が開かれるのではないでしょうか。また、国内の消費者の方々も、よりよい安全な食品を求めています。高品質の日本の新鮮な農作物が手近に入手できれば、と願っていると思われます。 

日本人の意識を、内向きの意識だけではなく、外向きの開かれた意識にも広げていくことが必要なのです。日本人がもっと海外の動向に関心を持ち、広い視野で事業展開を考えることが必要です。 

新しい経済社会に求められる“燃える闘魂”と“徳”

日本経済社会の再生を図るためには、経済モデルの見直し、いわば方法論の改革のみならず、国民の意識転換、新しい経済社会にふさわしい精神性を日本人が身につけることも必要と思われます。 

その第一は“絶対に負けるものか”という“闘魂”を持つということです。 

日本は1980年代までは順調に経済発展を続けてきましたが、バブル経済崩壊後に長く景気が低迷するうちに、現状維持、新しいことに対する挑戦が少なくなり、現状に満足し、成長発展に関心が少なくなってきたように思います。 

経営者も同様です。中国や韓国の企業経営者と比べれば、多くの経営者が、もはや果てしない目標に挑戦したり、困難に立ち向かったりする勇気を失ってしまったかのように見えます。 

日本の大手メーカーは、世界に誇るすばらしい技術を持っています。そのような企業に闘魂に満ち、バイタリティにあふれたリーダーが存在すれば、巨額の赤字を出すこともなく、すばらしい業績を上げられます。過去の成功体験に寄った、官僚的なリーダーたちが経営する大企業ではなく、現状を何としても再生するという闘志にあふれた経営者が率いる大企業に日本の再生を期待したいと考えます。 

企業の“大同団結”による国際競争力の強化

“燃える闘魂”と共に日本の大企業にはそれぞれの業界において“小異を捨てて大同につく”という精神のもとに、“合従連衡(がっしょうれんこう)”を図ることも求められています。 

現在の熾烈(しれつ)な、グローバルな企業間競争を戦い、勝ち抜いていこうと思えば、それに対抗できるだけの企業規模、経営資源の優位性が不可欠だと思われます。 

事業の統合を積極的に進め、ついには企業同士の合併統合も推進し、グローバル競争に臨み、勝利できるような世界に冠たる日本企業をつくっていく必要があります。その為には、個別の企業がそれぞれの立場を乗り越え、日本の産業を国際的競争力を持つものにしていこうという価値観を持つように産業界の意識も変革していかなければなりません。 

同時に政府の指導も必要です。“大同団結”の動きが、各産業界で燎原(りょうげん)の火のごとく進んでいくような方向性を示唆し、側面支援を行うことも必要です。仕切り役、仲裁役としての政府の役割も必要なのです。 

日本経済を再生する為には、官民一体となり、大胆で思い切った政策をとることが、長期低迷する日本経済社会を再生する為に不可欠なのです。 

日本経済を背負って立つ中小企業

日本企業の99%は中小企業です。労働人口の大半は中小企業に勤めている人達です。そのことを考えますと、中小企業こそが日本経済を背負って立つ存在であるべきです。 

低迷している日本経済の中で、今こそ中小企業が成長発展する、絶好の機会です。足りないのは“闘魂”です。強い“思い”を抱きさえすれば、戦後間もないときと同じように、必ずや頭角を現していけるはずです。そのような中小企業が輩出すれば、日本経済の復活は確実になるはずです。 

“徳”をベースとした国づくり

“燃える闘魂”を持って経済的に強くなっていくとしても、その闘魂とは、優しく、思いやりに満ちた、美しい心を兼ね備えたものでなければなりません。それは人間としての“徳”なのです。“燃える闘魂”で相手を蹴散らし、自分の利益だけを追求していったのでは日本はグローバル社会の中でつまはじきになってしまいます。江戸時代の商人に道徳を説いた石田梅岩が“商いは先も立ち、我も立つものなり”と唱えたように、ビジネスの世界にあっても相手を思いやる心、“利他”の心が必要なのです。長期的な成長発展を望むならば、社会の一環として社会に役立つ企業として社会から受け入れられるようでなければなりません。 

そのような人間としての優しい思いやりに満ちた心、あるいは“愛と誠と調和”という言葉で表される人間としての善き心、いわば“徳”に基づいた活動こそが大切です。 

“情けは人のためならず”、相手に善き事をもたらすのみならず、日本にも長期的な成功をもたらしてくれると思われます。日本人は、すばらしい“徳”を古来育んできた民族です。 

昨年三月十一日に発生した東日本大震災は、東北地方を中心に未曾有の被害をもたらし、日本人の心に深い傷を残しました。その悲惨な状況の中にあって東北の方々が示された、秩序ある行動、また全国からの支援に対して世界中から驚きの声があがりました。日本人に対する尊敬と信頼の念を大いにかきたてました。 

愛する家族を亡くし、家屋や財産のすべてを失った人達が、略奪行為に走ることなく、生前と支援物資を分け合い、また不幸のどん底にありながらも他の人々への思いやり、助け合う姿は、本当に崇高なものでした。 

我々日本人は、人間の“徳”を大切にしてきた民族です。日本とはまさに道徳規模、いわば人間の“徳”を基礎に建国された国なのです。 

日本は“富国有徳”の国家たるべきなのです。国を富ますためには、まずは“燃える闘魂”が必要であり、同時に“徳”も備えていなければ、決して長期的な繁栄をもたらすことはできないのです。