盛和塾 読後感想文 第六十一号

成就する思い、成就しない思い

心の大切さを学んだ経緯

塾長は “人生や経営がうまくいく、いかないかは、その人の心の持ち方、考え方によって決まってきます” と何度も述べられています。 

1.13歳で結核にかかったとき、隣の奥さんが谷口雅春さんの “生命の実相” という本を持ってきて、貸してくれました。その本の中には “心に描いた通りの事があなたの周辺に現象として現れます。心が呼ばないものは決してあなたの周辺に現象として現れることはないのです” とありました。塾長の叔父たちは、結核にかかっていました。塾長の父親は、弟である叔父たちの面倒を見ていました。塾長の兄も病気の叔父たちを避けるようなことはありませんでした。ところが塾長は、結核が空気感染する病気で、結核が出た家では家族にも伝染してしまうことを本で読んで知っていました。ですから塾長は、叔父たちとの接触を避けていたそうです。 

ところが、叔父たちの結核を全く気にしていない兄や、叔父たちの看病を一生懸命した父は、結核になりませんでした。しかし、塾長は結核になってしまったそうです。塾長は “やはり私の心の在り方によって結核になってしまったのだ。心というものが大事なのだ” と反省したそうです。 

 2.松下幸之助翁の話で気付いた思いの大事さ

松下幸之助さんが “ダム式経営” という有名な講演をされました。ダム式経営というのは、経営がうまくいっている時に、ダムのように利益を貯め、必要なときにそれを使っていくというものです。ダムを作らずに、儲かったら一気に使ってしまう経営は、利益の出ない日照りが続いたときにはきりきり舞いをしてしまいます。ダムを作って貯め込み、調節し、常に一定のお金を使っていくようなダム式経営をすべきです。 

その時、質問がありました。 “ダム式経営が必要だということは良くわかりました。松下さんは余裕があるからダムを作ることが出来るのです。我々は火の車で、その日暮らしの毎日です。ダムを作る余裕などありません。どうすればダムを作ることが出来るのか、具体的に教えてください” 

松下幸之助さんは暫く沈黙されてからこう答えられました。 “いや、それはダム式経営が必要だと思わないといけませんな” そう言っただけで、あとの説明はありませんでした。聴衆からは失笑が漏れました。具体的なことを教えられるわけがない。まず、 “思う” ということが大事なのです。ダム式経営をしたいと思うことが始まりであって、そう思ってやり始めれば、いろいろな創意工夫をしながらダム式経営というものを実現していけるはずなのです。 “心に思う” ことがいかに大事なのかと、この時塾長は気付かれたそうです。 

京セラの人生方程式は、人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力です。この方程式にある考え方が心に思うこと、心で考えることなのです。塾長は京セラの社員にこの方程式を説明されました。 “能力も熱意も大切だけれども、考え方はさらに大切なのです。少しくらい能力が劣っていても問題にはなりません。素晴らしい熱意と考え方があれば、それが大きな差としてあらわれるのです” 

  1. 中村天風さんの教え/哲学

“自分の未来に決して悲観的な思いを持ってはなりません。自分には明るく、幸運にも恵まれた素晴らしい未来が必ずあるのだと信じて努力をしなさい” 

塾長は、京セラの社内スローガンとして “潜在意識に透徹するほどの強い持続した願望(思い)、熱意によって自分の立てた目標を達成しよう” ということを掲げました。心に思うこととは願望です。どうしてもこうありたいという、潜在意識にまで透徹するほどの強く持続した願望は、必ず達成できると思われました。 

塾長は社員に “六つの精進” の話をしました。

1)      誰にも負けない努力をする

2)      謙虚にして驕らず

3)      反省ある毎日を送る

4)      生きていることに感謝する

5)      善行・利他行を積む

6)      感性的な悩みをしない 

綺麗な心、純粋な思いを作り出す為には、毎日の反省が必要なのです。利己の反省、利己の払拭が必要なのです。反省することによって、ややもすれば自分の本能によって利己的になってしまわないようにします。そうすると、綺麗な心や、純粋な思いが育まれるのです。 

  1. 安岡正篤さんの哲学

安岡正篤さんの本 “陰隲録(いんしつろく)-袁了凡 作-を読む” の中で、因果応報の法則を学ばれたのです。善きことを思えば善い結果が生まれ、悪しきことを思えば悪い結果が生まれるという因果応報の法則に気付かれました。 

  1. ジェームズ・アレンの哲学

イギリスの哲学者ジェームズ・アレンは “As a Man Thinketh” (原因と結果の法則)という本を100年ほど前に出版しております。ジェームズ・アレンは、 “心に描いたことが原因となり、それが結果として現れるのだ” と述べています。 

塾長は “君の思いは必ず実現する” という本を書かれています。この本を全国の少年院、鑑別所の子供達に送りました。 

厳然として存在する因果応報の法則 

袁了凡の本 “陰隲録” を通じて、 “善きことを思えば善い結果が生まれる。悪しきことを思えば悪い結果が生まれる。宇宙の摂理がそうなっているのです。しかし、結果はその通りに整然と現れてきません。善き事を思い善き事をしても、すぐに善い結果は生まれないし、悪しきことを思い悪しき事をしても、すぐに悪い結果が生まれるわけではないのです。思いが結果として出るには時間がかかります” 

 “また人間には運命があります。元々決まっている運命の流れによって、幸運なときもあれば災難に遭うときもあります。運命的に幸運な時期は、少しくらい悪い事を思い、悪い事をしても運命がそれを打ち消し、あまり変化がなかったりするわけです。逆に、運命的にとても悪い時期にさしかかったときは、少しくらい善い事を思い、善い事をしても運命と相殺され、必ずしも善い結果が生まれてきません。そのために、多くの人が因果応報の法則の存在を信じません。しかし、宇宙の摂理として、また厳然とした事実としてそれは存在するのです” 

従って、心に思ったことが実現したり、実現しなかったるすることがあるのです。 

心の多重構造 

 “思い” が実現するためには、どうしたら良いのか。 “思う” とは心の中のどこで思うのか。抽象的でよく分かりません。心の構造はどのようになっているのでしょうか。 

人間の心の根源には “真我” と言うものがあります。 “森羅万象あらゆるものに仏が宿る” と仏教では教えています。真我とは仏であり、神であり、宇宙そのもの。その真我が人間を人間たらしめている根源的なもので、我々は皆、真我を持って生まれてきます。 

真我とは、愛と誠と調和に満ちたものです。純粋で美しいもの、真実美という言葉で表現できる穢(けがれ)れのない気高く美しいものです。 

真我は輪廻転生(りんねてんしょう)を繰り返して、何回もこの現世へ出てきます。現世でいろいろな事に遭遇して、その時々に経験したこと、思ったこと、行ったこと、そういうものが真我の上に積もります。真我を真ん中にして、その残滓(ざんし)も含めたものが “魂” というものだそうです。 

魂というものを宿して我々は生まれ、その魂は過去にいろいろな事を経験しています。善いことでも悪いことでも、前世までのあらゆる思いや行いが真我の上にこびりついて魂となるのだそうです。 

この魂の上に “本能” が形成されます。お母さんのお腹の中に宿った時に本能がつくられます。細胞分裂を繰り返して、本能の赴くままにどんどん成長し、我々の手足、目、耳、口等ができていきます。そうして身体ができ、我々は食欲、性欲、闘争心等といった生命を維持する為に必要な本能を肉体として持ち、この世に生まれてきます。その本能が、肉体的に出てくる最初の心だそうです。赤ん坊は腹が立つと怒り、ひもじいと泣き、ものを食べようとします。これは生き、成長しようとする本能から生まれたものです。 

赤ん坊も大人も嫉妬心(しっとしん)や “感情” を持つようになります。自分のお母さんの愛情が他の兄弟に奪われそうになりますと、嫉妬し、怒りを表します。これは自分だけが良ければよいという身勝手な低次元の自我なのです。 

赤ん坊も目が見えるようになりますと、 “感性” -五感-が生まれてきます。目、耳、舌、鼻、感が発達してきます。 

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感性の上に次第に “知性” が発達してきます。物事を論理的に考えることができるようになってきます。この時期に頭の良し悪しというものが出てきます。知性のレベルで物事を考えることになりますから、これは “思う” の一部となってくるわけです。 

心にはまず、魂があります。魂が我々の肉体に宿り、理性(良心)、本能、感情、感性、知性という心が芽生えていきます。 

心の多重構造を理解するのに役立つ例を塾長は述べておられます。 

我々は年をとるにつれて呆けていきます。

―知性の部分、物事を論理的に考える能力が衰えていきます。

そうしますと、感性(五感)が表面に表れてきます。これもやがて衰え、

―ものが見えなくなったり、耳が聞こえなくなったり、感性が消えていきます。

―そうしますと、感情の世界で生きることになります。気持ちが高ぶったり、怒りっぽくなったりします。

―感情もなくなりますと、本能だけが残り、食事をする、ただ排泄をするだけになります。この本能さえも消えますと、魂だけが残ります。

だけになり、死を向かえることとなるのです。 

生まれてくるときには、魂、本能、感情、感性、知性の順で形成されていくのですが、年をとるにつれて、知性から消えていき、そして死を迎えるのです。 

潜在意識に透徹するほどの思いを持つ 

企業経営や人生を考える場合でも、知性のレベルで “自分の会社をこうしたい。その為にはこうすればこうなるだろう” と考え、事業計画を立て、実行していこうとします。 

経営12ヶ条の中で、

第一  “経営の目的意義を明確にする”

第二  “具体的な目標を立てる”

となっていますが、これらは知性のレベルで考えることです。しかし知性は低次元の自我なのです。企業経営をする時には通常、知性や、競合会社に負けたくない、金を儲けたい等といった感情のレベルで物事を考えます。 

第三  “強烈な願望を抱く”  “目標達成の為には潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望をもつこと” と述べています。

知性や感情のレベルで会社をこうしたい、こうすればこうなるだろうと考えた軽いものではなく、潜在意識にまで透徹する強く持続した願望を持つ。知性や感情のレベルだけでは、その思いが成就するはずはないと塾長は考えました。 

つまり、知性や感情で考えたことを、さらに内側の魂のレベルにまで押し込んでいく必要があるのです。知性という心の表面で思うのではなく、もっと心の奥で “思う” のです。低次元の自我である感情のレベルを超え、さらに心の奥底へ入っていくような思いでなければならないのです。 

それは “信念” となるレベルまで “思い” を深めるということです。心の奥底にまで到達した “心の信念” でなければ、決して “思い” は実現しないのです。 

理性、良心のレベルで思う 

塾長の六つの精神の中には “反省のある毎日を送る” という項目があります。 “邪(よこしま)な利己的な自分を反省によって抑え、美しい利他の心が出てくるようにする” と塾長は述べています。しかし、この反省も知性のレベルで考えていることなのです。 

知性のレベルで感情のレベルにある低次元の自我、煩悩を抑えていこうとするわけです。感情、感性、本能を抑えていきますと、美しい利他の心が人間には自然に沸いてくるのです。低次元の自我、煩悩を抑えていくと、魂から理性と良心が生まれてきます。この理性と良心は、利他の心と同じもので、魂から発する気高く美しいものです。 

その良心と理性が間欠泉のように心の表面に沸き出してくるようにすれば、気高く美しい、崇高な理性・良心というものが我々の心を支配してくれるようになります。理性と良心のレベルから思うことは、これらは知性のレベルで思っているよりも非常に大きなパワーを持っています。つまり、理性と良心のレベルで物事を思い考えた場合には、その “思い” は必ず成就するのです。 

 “潜在意識に透徹するほどの思い” はこうした理性と良心から生まれてくるのです。つまり、信念にまで深められたものとなるわけです。 

塾長は第二電電を創業した時、毎日のように “動機善なりや、私心なかりしか” と自分に問い正しました。ただ単に知性や感情のレベルで創業を決断したのではなかったのです。 “自分の手柄功名のために第二電電をやろうというのではない。日本の電気通信事業が電電公社一社独占の為、国民は高い通信料金に困っている。それを救う為にやるのだ” 

世のため人のためにという気高く美しい心のレベルにまで、知性で考えたことを心の奥底の理性、良心のレベルまで落とし込んでいったのです。こうした理性、良心が第二電電の成功を導いたのです。 

事業経営には、人、物、金が必要だといいます。これらは知性のレベルでの話なのです。これらの条件が揃ったからといって、必ずしも成功するわけではないのです。知性や感情のレベルではなく、理性、良心のレベルまで落とし込んだ “思い”  “信念” でなければ成功しないのです。利己的な心を押さえ、利他の心を出していく。その利他の心で考える計画、すなわち世のため人のために役立つ計画でなければ成功しないのです。 

 “思いの質が成就の可否を決定する 

ある人は会社の経営がうまくいき、ある人はなかなかうまくいかずに苦しんだりしています。それは心のどのレベルで思っているかによって結果が違ってくるからです。 

心の構造のどの階層で思っても “思っている” ことには変わりはないのです。しかし “思いの質” が違います。知性のレベルで思うことは、高いレベルのように思いますが、そうではないのです。必ず実現するのは、心のもっと奥底にある理性、良心のレベル、または利他のレベルから発生したものです。 

ジェームス・アレンの言葉

 “理性は清らかで気高く、穏やかで公正なあらゆる思いと結びついています。またその理性には、人間の内側に存在する気高いもの、清らかなもの、美しいものの全てを表面化させる力があります” 表面化させるとは、実現させることなのです。 

 “感情に揺られ、憎しみや怒り、また自分だけを愛する自己愛にとらわれているとき、人間は真実を見る目を失っています。人間は身勝手な自我と感情を克服してはじめて、神の秩序を知ることができます” 

低次元の自我である感情や本能のレベルで物事を考え、仕事をすれば、そういう人の周辺には必ず同じような感情にとらわれている人たちが集まってきます。利己的な人の周辺には利己的な人が集まってきます。利己的な人が近寄ってきたとき、自分自身をよく見直し、反省して “自分も利己的な人間となっているから、利己的な人が自分の周囲に集まっているのだ” ということに気付くことが大切です。 

経営者はトップとして、目を曇らせ、判断力を曇らせてはいけません。経営者が目を曇らせ、判断力までも曇らせるのは感情、本能のレベルに留まっているからです。 “反省のある日々を送る” ことにより、利己を抑え、 “利他の心” 我欲を抑えて理性、良心が芽生えてくるように努力することが大事です。 

心を常に磨き純化させる 

ジェームス・アレンの言葉

 “感情の奴隷となっている人たちが色々な酷い目に遭っている。同じ場所で感情を克服した人々はたいへん穏やかで平穏な日々を送っています” 

知性で身勝手な自我である感情を抑制し、コントロールすると同時に、深く反省することにより、気高く美しい理性を発動させることができます。 

自分自身の心を浄化し純化することにより、心の中心 “真我” から発する理性と良心のレベルで物事を考えることができるようになり、私達は素晴らしく有能で力強い、何をやっても成功するパワーを持つことができるのです。清らかな心を持った人間ほど有能です。清らかな人間は芸術面、ビジネス面、学問、技術などの様々な面で有能です。目の前の目標も人生の目的も穢れた人間よりはるかに容易に達成できます。 

心を磨いて純化した人、清らかな心を持った人は平気な顔をしてそのリスクのある困難な仕事に挑戦します。周りから今にひどい目に遭うと思われていても、その人はいとも簡単にそれを成功させてしまうのです。 

我々は普通、知性、感情、本能のレベルで思います。しかしこういう軽い思いではなく、心の奥底にあるレベル、真我から発生する理性、良心のレベル、利己を抑えたところから出てくる利他の心から発生した “思い” があれば、目標を実現することは易しいのです。

 “心に思った通りに事業は展開していきます” その思いは大きなパワーを持つ理性、良心つまり、利他のレベルで描いたものであれば、実現することができるのです。