盛和塾 読後感想文 第八十八号

夢を持ち続ける

私達は誰でもこういうことができたらいいなと夢を持っています。経営者の場合では、その夢を見続けて、その夢の中で事業を展開していくのです。 

その夢は直ちに実現しようとするわけではありません。ただ頭の中で一生懸命夢を描き続け、創造し続けるのです。頭の中でシュミレーションを、来る日も来る日も続けるのです。そうしますと、夢は願望となり、現実に一歩近づくようになります。 

仕事の中でも、私生活の中でも、町へショッピングにでかけた時、子供たちと公園で遊んでいる時、この願望を常に心に抱いていきます。そうしますと、頭の中の願望が、願望(夢)に関係があるものをキャッチして、目に飛び込ませてくれるのです。 

もし強烈な願望をいつも抱いていないと、夢に関係するものが、ただ通り過ぎて行ってしまうかもしれません。すばらしいチャンスは、ごく平凡な情景の中に隠れています。それは持続した強烈な目標意識を持った人の目にしか映らないのです。 

“ひらめき”を大事にする

人生を一生懸命に生きているとき、また、今やっている仕事に打ち込み、我を忘れて必死に努力をしていますと、“思いつき”がふっと湧いてきます。“思いつき”にも、軽い思いつき、発明発見に連なる思いつきまで幅があります。“思いつき”は“ひらめき”となることがあります。そうしますと、実行に移す段階に一歩近づくこととなります。 

多くの人たちは“ひらめき”を軽く考えていますが、ひらめきを大事にしますと、人生を実り豊かなものにすることになりますし、企業にもすばらしい発展をもたらしてくれる糸口になります。 

ファインセラミックスの開発 

  1. 最適のバインダーを求めて悪戦苦闘する-金属酸化物を焼き固める

稲盛塾長の勤務していた松風工業は、碍子(がいし)という焼き物を作る送電用碍子メーカーの老舗(しにせ)でした。塾長は石油化学の有機化学を勉強したものですから、彼は畑違いの会社に入社したのでした。塾長は碍子という無機化学の分野の製品を扱うことになったことや、しょっちゅう給与遅配がおこるものですから、初めから仕事がいやでいやでしようがなかったそうです。就職難の時代ですから、転職もままならなかったそうです。 

その当時は、テレビの普及が始まる頃でした。“従来からの焼き物である碍子ばかりを作っていたのでは将来性がない。今後はエレクトロニクスに対応した絶縁材料をつくる研究をしてくれ”と言われました。従来の碍子用材料では、高周波領域での絶縁性がよくありませんから、高周波に耐えられるような新しいセラミックスの研究をしてと言われたそうです。 

従来の碍子は長石(ちょうせき)と呼ばれる天然鉱物を砕いた粉末に粘土を混ぜて成形していました。それに対して、高周波絶縁用の新しいセラミックス材料は金属酸化物の微粉末を焼き固めます。粘土などを使用した陶磁器よりも高温で焼結させて作ったセラミックス、いわゆるファインセラミックスという分野です。 

アルミニウム、マグネシウム、シリコンなどの金属酸化物なのですが、微粉末にしますとパサパサの状態になり、圧力をかけても固まらないのです。従来の焼き物のように、粉末のつなぎ用として粘土と水を入れて混ぜてもパサパサのままで、固まりません。 

先輩は従来の方法、粘土と水を加えて成形していたのですが、不純物を含んだ粘土などを使わずに、金属酸化物だけを焼結させる(固める)ことによってその電気性能を調べて、高周波の絶縁が可能かどうかを調べたいと、塾長は考えていたのでした。成形する(固める)ために必要だからと言って、粘土を混ぜていたのでは、目指す性能のものができるはずがない、なんとか金属酸化物だけで焼結(焼き固める)させて、その物性を探りたい。 

粘土や水ではない何かで金属酸化物を固めようと思い、毎日乳鉢で粉末を混ぜて実験するのですが、なかなか思い通りの形状が作れません。 

  1. パラフィンワックスから“チャーハン方式”をひらめく

ある夜、実験台の下にあったある物に蹴(け)つまづいたのです。“こんなところに置きっぱなしにしてけしからん”と蹴とばそうとしたら、それが靴にヌルリとくっつく。それは石油精製したときにできるパラフィンワックスの大きなかたまりです。常温では固形をしていて、温めたら溶けるろうそくみたいな性質のものでした。これは研究課にいた先輩の人が、他の実験用に使っていたものだったのですが、大きなかたまりを落としていったものでした。そこで私は“ハット”気がついたのです“これは面白いぞ。パサパサで固まらない金属酸化物の微粉末とこれを混ぜればひょっとすれば、固まるかも”とひらめいたのです。 

混ぜる方法としてはチャーハン方式で、パラフィンワックスを鍋に入れて温めれば、溶けて水のようになります。そこに金属酸化物の微粉末を入れて、チャーハンみたいに混ぜる。固まらない金属酸化物の表面にパラフィンワックスの薄い膜を作ることによって、微粉末を固められるのではないかと考えたのです。 

鍋がありません。鍛冶屋さんから鉄板をもらってきて、自分でトンカチで中華鍋のようなものを作りました。その表面を磨きました。金属をコンロに乗せて、パラフィンワックスを溶かし、微粉末を入れてみました。微粉末の表面にパラフィンワックスの薄くコーティングされたものができました。実験を繰り返して、一番よいパラフィンワックスの添加量がわかりました。こうしてとうとう金属酸化物の微粉末を成形することができました。 

金型に微粉末を入れる時、大体の容量で充填する量を決めていました。升のようなものに入れて、微粉末をプレス成形するようにして、成形が終われば成形品が自動的に押し出されてくると考え、そういう自動機があればよいと思ったのです。しかし、貧乏な会社ですから、そういう装置を買うことはできませんでした。そこで手動の装置を作り、製品の量産を開始しました。 

稲盛塾長が完成されたプレス成形方法は、ドライプレス方式と呼ばれるものでした。その後、この方式は世界の潮流となり、エレクトロニクス向けのセラミックスの製造方法はすべてドライプレス方式になっていきました。この方式は、誰に教わったものではなく、稲盛塾長が自分で創造したものでした。 

従来、焼き物は高度な精度を求められる工業用材料には適さないと言われてきました。制度の高いものを作ろうと思えば、焼き上げた後にダイヤモンドで研磨しなければなりません。とてつもないほど高くつくわけです。プラスマイナス0.1ミリまたは0.01ミリの精度で成形し、焼き上げるというところまで技術を高めていったのでした。こうしてセラミックスがエレクトロニクスの分野で使われるようになったのでした。 

普通のサイズで七、八ミリ角、一辺の誤差がプラスマイナス0.1ミリのファインセラミックスを十万個作ってくれと言われた場合、それだけの精度で量産することはできません。プラスマイナス0.1ミリの精度の焼き物を数円で一万個作っていくには、ダイヤモンド研磨では追いつかないのです。その為には、精密な成形技術や焼成技術が必要だったのです。その技術開発の端緒(たんしょ)となったヒラメキは、“チャーハンの原理”なのです。“チャーハンの原理”を発見したことで、ファインセラミックスの量産化が可能になったのです。 

すばらしい高周波絶縁特性を持つセラミックス材料(フォルステライト)を開発すると同時に、その製品の量産化にまで成功しましたから、当時の大手電機メーカーから注文がくるようになったのでした。 

  1. 無限の能力を信じ、誰にも負けない努力を続けることが“ひらめき”を実現させる

なんとしても、目的としていることを達成したいと思い続け、いろいろな努力を続けていく時、たまたま研究室の廊下に落ちていたものにつまづいた。そこで“ひらめき”があり、その“ひらめき”を実現させていったのです。 

“なんだそれはお前の思いつきやないか”と我々は軽く扱いがちですが、その“ひらめき”がたいへん大事で、その“ひらめき”こそが、創造の原点になるのです。 

“ひらめき”だけで創造が生まれるわけではありません。ひらめいた後、すさまじい努力が必要なのです。ひらめきをなんとしても形にしていくという努力が要るのです。すさまじい努力が創造をもたらすのです。 

人の成功を見て“クリエイティブな技術開発をした人はすばらしい”と称賛しても、自分にはそうしたことはできないと思いがちです。そうではなく、最初は誰もしもが思いつき、ひらめきなのです。それをすさまじいばかりの努力によって、形あるものに変えていく作業が要るのです。 

“ひらめき”を何としても形にしたいとバカみたいに一生懸命努力をする中で、道が開けてくるのです。必死になって続けなければ、できないのです。 

普通はある程度、余裕があります。余裕があるものですから、ひらめきを実現しようと思っても、ちょっと困難に遭遇すると“これはやっぱり無理かな”と手を引いてしまう。だから成功しないのです。余裕がなければ、これを成功させないと明日の食べ物が買えない、従業員に給料を払ってやれない、お金はないが、何としても成功しなければならないと、後に下がることができない状態に追い込んで努力をした方が、余裕のある場合よりも成功する確率は高いのです。 

“自分には無限の可能性/能力がある。神様は誰にでも無限の能力を与えてくれているはずだ。”ということを信じることが大事です。自分で自分の可能性を信じていなければ、無駄とも思えるような努力を続けることはできません。 

人生には誰しも思いつき、ひらめきがあります。それは神様が与えてくれた啓示ではないでしょうか。神様から多くの気づきを与えてもらっているのに、それに気がついていないばかりか、気がついても“なんや、こんなバカなこと”と言って見過ごしてしまう人が大半ではないかと思います。 

神の啓示は誰に対しても平等に与えられている

神様は、幸せに歩けるようなヒントを我々に与えてくれています。ところが、それを真面目に考えず、見過ごしている人が多いのではないでしょうか。 

努力すれば人間には無限の能力があります。能力がないのは努力をしないからだと思います。“潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を心に抱け”と稲盛塾長は繰り返し私達に説いています。 

ひらめきだけが発展要因ではありません。他にも成長の理由はあるのですが、“ひらめき”が創造に結びつき、発見・成長の基になっているのだと思います。