盛和塾 読後感想文 第九十二号

心は心を呼ぶ

稲盛塾長は人の心をベースにした経営を行うよう、努めて来たと述べています。強固で信頼できる心の結びつきを社員とつくり、それを保ち続けることに焦点を絞り、経営をしてきました。 

愛されるためには、愛さなければならない。心をベースにした強い人間関係を築くためには、経営者自らが純粋な心を持ち、純粋な心の持ち主に集まってもらわなければなりません。純粋な心とは、素直な心、人の意見に耳を傾ける人、他人のことを思いやる人のことだと思います。 

企業のトップとして利己的な本能を極力抑える、社員が心を寄せてくれるこの会社のために命をかけても厭(いと)わないくらい、強い意志を持って、私利私欲を捨てるよう努めているのです。 

ウガンダというアフリカの国があります。家族は10から15人くらいの子供を産みます。私の知り合いの女性は、11番目の子供です。彼女が言うには、一旦家族の一員に困ったことが発生しますと、例えば、一人が脳梗塞になったとします。すると親戚一同が協力して、お金を用意、食事を用意、マッサージをする、患者の世話をすると一丸となって協力するらしいです。家族は100名を越えると言います。大家族主義を実に大切にしています。 

人の心ほどはかなく、うつろいやすいものはないかもしれません。しかし一方では、一旦、家族のような大家族主義が理解されていますと、人の心の絆ほど強固で信頼できるものもないことも事実なのです。 

第二次世界大戦の時、中国大陸に渡った軍人の中の一人が、雑誌に書いていました。戦友が、下痢がひどく、寝たきりになっていました。下着を汚すのですが、その戦友の汚れた下着を洗い続けたという話が載っていました。この話は戦争という異常事態の時ですが、人の心はここまで、他人の為に、無心の奉仕をすることを可能にするものだと思いました。 

歴史をひもといてみますと、思いやりに満ちた利他的な心がもたらした偉大な業績は枚挙にいとまがありません。また人心の荒廃が集団の荒廃をもたらし、たくさんの人たちを不幸に陥れた例も数多くありますと、稲盛塾長は語っています。 

心は心を呼ぶということを忘れてはなりません。こちらの心が相手の心に反映されるということを忘れてはならないのです。 

従業員を大切にするパートナーシップ経営 

今、米国式経営のあり方が問われている

現在、米国のサブプライム・ローン問題に端を発した金融危機の嵐が全世界を吹き荒れております。全世界の金融システムは大混乱に陥り、今やその影響は実体経済にまで及び、全世界の経済を混乱させております。 

自分の欲望を満たすためには、あらゆる手段を講じ、利益の極大化に走る、現在の資本主義のあり方に、大きな問題があります。 

このたびの金融危機は、世界標準となりつつある米国式経営-過度の株主重視、ROE(株式資本利益率)に偏重した経営、さらには成果主義に基づき、短期的な成果を重視する経営-に経営の課題をつきつけていると考えられます。 

パートナーシップ経営

  1. 人の心をベースとして経営する

京セラは50年の歳月の流れの中では米国式経営とは異なる“従業員を大切にするパートナーシップ経営”を心がけてきました。京セラは現在、太陽電池、携帯電話、複写機まで生産する総合エレクトロニクスの会社に成長しました。日本の通信自由化に際して設立した第二電電(KDDI)は日本第二位の通信事業者に成長しました。これらはすべて“心をベースとした経営”の成果なのです。 

大学卒業後3年目に上司と意見が合わず退社することになりました。退社する時、7名の同志も退社し、新しく作っていただいた京セラがスタートしました。その時、自宅を担保にして銀行借入をしていただき、京セラの設立を応援していただいた方もおられます。7人の同士や支援を惜しまなかった人々の心が京セラを設立したのでした。 

日本の近代化をもたらした明治維新という革命、米国の建国にしても、人々の志と団結心がベースとなっております。逆に人心の荒廃が組織や集団の崩壊を招く原因となった事例も数多くあります。 

ヒト、モノ、カネといった資産のない、会社の知名度も信用もない、ないないづくしの状況の中で生きていく為には、信じ合える仲間をつくり、その心と心の絆に頼るしかなかったのが京セラでした。 

  1. 全従業員の物心両面の幸福を追求する経営理念の確立

京セラ設立後二年目のことでした。高卒の従業員11名が、“少し仕事を憶えたかな”と思い始めたとき、団交を申し入れてきました。その書状には、“将来にわたって昇給は最低いくらにすること、ボーナスはいくら出すこと”という待遇保証の要求でした。“将来を保証してくれなければ全員会社を辞める”と言ってきたのでした。 

できないことを保証することは、嘘をついたことになります。稲盛塾長は“その要求は受け入れない。”彼等を引きとめるために、将来にわたる労働条件を保証すれば嘘になってしまうのです。 

稲盛塾長はその後、三日三晩市営住宅で彼等と話しました。彼等は“資本家はうまいことを言って労働者をだます”といいます。

稲盛塾長は説得します。“私は自分だけが経営者としてうまくいけばいいという考えは毛頭ない。入社した皆さんが心から良かったと思う企業にしたいと思っている。それが嘘か真か、だまされたつもりでついて来てみたらどうだ。私は命を賭してもこの会社を守っていく。もし私がいいかげんな経営をし、私利私欲のために働くようなことがあったら、私を殺してもいい。” 

最後には、彼等は要求を撤回し、会社に残り、以前にも増して骨身を惜しまず働いてくれるようになったのでした。 

当初は技術出身の経営者として“自分の技術を世に問いたい”ということを会社設立の直接の動機としておりました。この11人の若者と三日三晩の話し合いを通じて、経営に対する考え方が変わってしまいました。“経営者が自分の夢を実現するのではなく、現在はもちろんに将来にわたり、従業員やその家族の生活を守っていく。”ということに、稲盛塾長は気がついたのでした。 

三日三晩は正しい経営哲学を学ぶ貴重な体験となったのです。相手の要求はすぐに受け入れることはできなかったけれど、彼等の意見を拒絶するだけではなく、彼等が言っていることの会社経営上の意義を稲盛塾長は理解し、素直な、大きな心で受け止めて京セラの大義名分としたのでした。 

“全従業員の物心両面の幸福を追求し、人類・社会の進歩発展に貢献すること”として京セラの経営理念としました。 

京セラは“人の心”をベースに経営を進めて来たことが、現在にいたる京セラの発展をもたらしました。心の通じ合える仲間との固い絆をよりどころにして創業し、その後も同志的結合を企業経営の基盤に据えてきたことで、私心を離れ、従業員が幸福になれるよう全力を尽くすことができ、従業員も会社に全幅の信頼を置き、その持てる力をいかんなく発揮してくれたのです。 

  1. 従業員を大切にするために高収益経営をめざす

全従業員の物心両面の幸福を実現するため、京セラは高収益経営を目ざしてきました。二桁以上の税引前利益率を当り前とする高収益経営を目ざして、京セラは発展・拡大して来ました。 

売上を最大にし、経費を最小にする努力をすれば、利益は後からついてくる。こうした高収益経営を通じて、内部留保の充実に努めました。その結果、2008年三月期では京セラには6千億円の現預金、株式等約4千億円、合計一兆円ほどの内部留保を有するまでになったのです。 

この内部留保充実の経営はアメリカのROE(Return on Equity)の高さを目指す経営-株主還元優先・企業買収、設備投資などに努め、自己資本を小さくする-ものとは相入れないものです。京セラは強い財務体質を実現することが何よりも大切と考えて来ました。ROEは株主優先する短期的な経営ですが、京セラの経営は従業員を大切にする、長期的な視点に立った経営なのです。 

  1. 従業員のベクトルを合わせる

“パートナーシップの経営”とは心と心で結ばれた経営者と従業員との信頼関係を企業内に実現するものですが、それは決して従業員と馴れ合ったり、また労働組合に迎合したりするものではありません。常に高い目標を掲げ、その実現に向け、経営者と従業員がともに手を携え、全力を尽くす経営なのです。これは“ベクトルを合わせる経営”と呼ばれています。 

会社がどの方向に向うのか、経営者が経営目標を指し示すことによって、従業員の持てる力を目指す方向にそろえ、最大限に発揮できるように努めていかなければならないのです。 

一番大事なことは、考え方を合わせることです。従業員は他人の集まりです。生まれも育ちも異なる人たちが集まって組織を構成していくわけですから“京セラはこういう考え方で経営していきます”と従業員に説き、賛同してもらわなければなりません。これは簡単ではありません。“考え方”を説いている時、イキイキとして耳を傾ける人もいれば、わかっているかどうかという顔の人もいる。従業員が共鳴してくれるまで、説き続けなくてはなりません。ベクトルが合わない人もおります。そういう人には他社に行くよう、お互いに不幸になってはいけないと辞めていただきます。 

ベクトルを合わせ、強固な信頼関係があればこそ、従業員は誰にも負けない努力で仕事に励み、どんな苦労も厭わず、次々と新しい分野に挑戦し、それを成功させることで、年々会社を成長発展させることができました。苦楽をともにできる、心が通じ合える従業員を育んでいくことが経営にとって大切なのです。 

  1. 労資の信頼関係が確認されたオイルショック

京セラは1973年にはオイルショックに直面しました。受注金額が1974年1月に27億5千万円あったのですが、その半年後の7月には2億7千万円と、およそ十分の一に受注が激減しました。すなわち製造現場では9割もの従業員が余剰となってしまいました。そこで9割の余剰人員を生産現場から外し、生産は十分の一の人手で行うことを決めました。余った人たちには、交替で工場内の清掃、花壇の整備、運動場の整備、さらには教育研修に従事してもらいました。 

社長以下係長までの賃金カットを実施しました。更に翌年のベースアップについては、労働組合に賃上げの凍結の要請をしました。すると組合は、労資一体であることをよく理解し、1975年、賃金凍結の申し入れを了承してくれました。日本の多くの企業では、労使間で不協和音が生じ、労働争議が頻発していました。京セラではいち早く労資が協調して賃上げ凍結を打ち出したわけです。 

京セラ労働組合の上部団体のゼンセン同盟からは、京セラ労組の決定を批判してきました。京セラ労組はこれに屈せず、“我々は労資協調で企業を守っていく。現在、会社を取り巻く状況を見れば、賃金凍結も無理はない。そのことが受け入れられないなら、袂(たもと)を分かつ他はない。”と上部団体からの脱退を決定しました。 

その後、景気が回復しました。会社の業績も改善しました。定期賞与を大幅に増額するだけではなく、臨時賞与の支給にも踏み切りました。更に1976年には前年の賃金凍結分を加算し、二年分22%の昇給を発表し、従業員、労組の信頼に応えました。 

オイルショックの不況を通じ、労資間のゆるぎない信頼関係を確認することができることとなりました。京セラの株価は当時トップを走り続けていたソニーの株価を抜き、日本一の高値を記録しました。従業員と心を一つにしてベクトルを合わせる経営を行ってきたことが成し遂げたものと考えます。 

  1. 全員参加の経営を実現する

稲盛塾長は当時、開発、製造、営業、管理などすべての部門を直接指揮しておりました。しかし、1人何役もこなすには限界があります。その為、組織が拡大していく中で、大きな組織を細分化して、それぞれのリーダーに経営を任せる体制が必要と考えるようになりました。 

中小企業の経営と同じような根強い組織体を企業内に作り、中小企業の経営者と同じような経営感覚を持ったリーダーを社内に育成していくことを考えたのでした。小さな組織にすることにより、末端の社員が1人1人までが自分の組織の経営を把握し、それぞれの立場で業績向上に全力を傾けるという“全員参加の経営”を実現することが出来ると考えたのでした。 

この小集団組織を“アメーバ経営”と呼び、小集団部門別採算制度を考案し、経営にあたってくることとなりました。各アメーバは一つの企業として活動します。組織構成には、製品グループ別のこともありますし、あるいは一品種製品部門の中でも、いくつかの製造工程がありますと、工程ごとのアメーバ組織が編成されることもあります。 

各アメーバの経営計画、実績管理、物品購入から労務管理までアメーバリーダーはそのアメーバの経営全般を任されています。 

アメーバグループはたとえ三十代という若さであっても、すばらしい経営感覚を身につけるようになってきます。アメーバの収支はそれぞれのアメーバが1時間当りいくらの付加価値を生んだかという計算方式で表しています。各アメーバはこの“時間当り”という指標をもとに毎月競い合うようにして業務向上に努め、切磋琢磨しあうことになります。 

時間当り付加価値の算出方式:

 営業部門:(売上総利益-経費+人件費)÷総労働時間

                        =時間当りの付加価値

 製造部門:(総生産-経費+労務費)÷総労働時間

                        =時間当りの付加価値 

  1. 仲間からの称賛が最高の報酬

アメーバ経営は成果主義をベースとして、従業員の功労に報奨金で報いるような制度ではないのです。アメーバ経営にとって重要なことは、自分の組織がいくら利益を生み出したということではなく、自分の組織は一時間当りこれだけの付加価値を生み、運命協同体である会社に対して、これだけの貢献をしたと考えることであります。ですから、ボーナスや報奨金を与えるということは一切ないのです。 

アメーバ経営においてはすばらしい実績を上げ、信じ合う仲間から称賛と感謝が得られるという精神的な栄誉こそが最高の報酬なのであります。アメーバ経営の理念は企業の目的が経営者や株主の利益のためだけにあるのではなく、全従業員の幸福を願うものであり、全従業員が運命協同体である会社の全従業員の為に働く、一生懸命努力し、その成果を継続的に共有していく為に、アメーバ経営があるのです。 

  1. ガラス張りの経営

アメーバ経営の中では、経営の透明性が大切です。受注がどれくらいあるのか、計画が予定通りか、利益、付加価値がいくらでているのか、会社や職場のアメーバが置かれている状況について、幹部だけではなく、末端の社員にもよく見えるような“ガラス張りの経営”が必要なのです。 

ガラス張りの経営は、企業内のモラルを高く維持することに大きく貢献します。アメーバの売上や経費についてガラス張りにしますと、目標達成の進捗(しんちょく)状況の把握、経費の不正使用防止、無駄の削減等に役立ちます。 

原理原則を貫く経営 

  1. “人間として何が正しいか”を判断基準にする

経営者は毎日あらゆるケースで判断を迫られてまいります。その決断に間違いがありますと、たちまち会社は傾いてしまいます。そのためには、明確な判断基準が求められます。 

経営における判断基準には、我々が持っている倫理観、モラルに反するようなものでは経営は決してうまくいきません。言い換えれば“人間として正しいことなのか、悪しきことなのか”ということを基準にして判断し、“人間として正しいことを正しいままに貫いていこう”と考えたと、稲盛塾長は考えたのでした。 

“人間として何が正しいのか”、つまり京セラにとって正しいのかではありません。ましてや個人にとって正しいのかでもありません。企業や個人を越えた公明正大で天に恥じることがない、人間として正しい行いを貫いていくことが、すなわち“原理原則に従う”ということだと考えたのでした。 

  1. 清らかで純粋な思いにはすばらしいパワーが秘められている

KDDIの経営が成功したウラには、稲盛塾長の厳しい、自分自身に問い続けた動機がありました。KDDIをスタートする本当の動機は一体何なんだ。“自分を世間によく見せたい”という私心がありはしないか。“単なるスタンドプレーではないのか”ということを“動機善なりしか、私心なかりしか”と夜ごともう一人の自分が稲盛塾長に問い詰めたそうです。私心がないことを確認したうえで、新電電(電信電話)事業に乗り出しました。 

電信電話事業の経験がない、技術者がいない、営業面での強力なバックがない、ないないづくしのスタートでした。 

しかしながら、有利な立場の競合他社の競争にも負けず、今は日本で第二位の電信電話事業として、KDDIは発展しております。競合二社は、現在は存続しておりません。圧倒的な不利な状況の中で、頑張ってこれたのは“心のあり方の善です。我々が成功したのは、純粋な気持ちでこの事業に取り組んできたからなのです”と稲盛塾長は語っておられます。 

イギリスの哲学者、ジェームズ・アレンが次のように述べています。 

“汚れた人間が敗北を恐れて踏み込もうとしない場所にも、清らかな人間は平気で足を踏み入れ、いとも簡単に勝利を手にしてしまうことが少なくありません。なぜなら清らかな人間は、いつも自分のエネルギーをより穏やかな心とより明確で、強力な目的意識によって導いているからです” 

ヒト・モノ・カネというすべての経営資源に恵まれて成功間違いないと思われていた競合二社が消え去る中で、ただ“世のため人のため”という正しく純粋な思いを最大の経営資源としたKDDIだけが生き残り、さらに成長発展を続けています。