盛和塾 読後感想文 第117号

企業統治の要諦-従業員をモチベートする 

経営の原点に立ち返る

経営において大切な企業統治について、従業員をいかに活性化していくかということが最も大切なことです。 

盛和塾のメンバーの会社はほとんどが零細企業であり、従業員4~5人ほどで、売上も数億円にとどまっている企業規模と聞いています。自分の企業をもっと大きく成長発展させていこうとするときに、改めて原点に立ち返ってみる必要があるのです。 

従業員をパートナーにする

企業経営で最も零細は形態は、自分ひとりで事業を行う、家内工業、個人商売のようなケースです。しかしそれではいくら頑張ってもたかが知れています。事業を拡大していくためには、どうしても社員を雇用しなければなりません。1人でも2人でも社員を採用し、彼らと一緒に仕事をし、成長発展をめざしていくのです。 

雇用主として経営者は月給を決め、条件を提案し、従業員はその条件で自らの労働力を提供することに同意するわけです。これは雇用契約に基づくドライな労使関係です。本来は両者はドライな労使関係であり、両者はパートナーではありません。 

経営者ひとりでいくら努力しても自ら限界があります。零細企業ではほかに頼るべき人がいないわけですから、そのわずかな従業員をパートナーとしていかなければなりません。自分と同じ気持ちになって仕事にあたり、事業を支えてくれる。自分と一心同体になって仕事をしてくれるパートナーとすることがどうしても必要なのです。従業員に対して共同経営者なのだというくらいの気持ちで接することが大切になると思います。1人であれ2人であれ人を雇用した時は、その人をパートナーとして迎え入れ、“あなたを頼りにしている”と言葉をかけ、日々そのような姿勢で接することが必要となります。 

“私はあなたを頼りにしています”と真正面から従業員に言い、そうすることが、社内の人間関係を構築する第一歩になります。 

“私と一緒になって会社を発展させていこうではありませんか。その為に全面的に協力して下さい。私は皆さんと兄弟あるいは親子のような気持ちでともに仕事をしていこうと思っています。単なるサラリーマンを超えた思いでともに仕事をしていきましょう”と面と向かって言うことが必要なのです。 

“あなたを頼りにしている”という言葉が、経営者が従業員をパートナーとして捉えているという姿勢が、従業員をモチベートしていくことになるのです。“この社長にならついていこう。会社の待遇は決して良くはないけれども、この人となら生涯をともに歩んでもよいのではないか”という気持ちが芽生えてくるくらい、強固な人間関係を企業内につくっていこうと努力することが必須なのです。 

小さな企業であれば、社員にしてあげられることも限りがあります。決して待遇はよくない、仕事は厳しいけれども、社長の期待に応えて“条件だけで言えば、もっと良い会社があるが、そこへ行くよりは、零細企業であってもこの会社でがんばりたい”と従業員が思ってくれるようにしていかなければなりません。 

“社長がそうしたいのならば、私も全力でお手伝いします”と言ってくれるような従業員と、心と心で結ばれた関係を作ることが、小さな会社を発展させていこうとするときに、必要になるのです。 

心と心が通じ合った関係、まさに一体感を持った会社、そういう組織をつくっていく、これが企業統治の第一歩です。 

従業員を自分に惚れ込ませる

信頼していた従業員が会社を辞めてしまうこともあります。経営者にとって一番悲しいことです。この人はと見込んだ人で、重要な仕事を担当していてくれた人が、いとも簡単に辞めてしまうことがよくあります。 

社長としては、自分を否定されたと思うことがあります。こうしたみじめな思いをしたくないように、従業員との強い絆に気づき、経営者として心から感動できるくらいの、心と心で結ばれた人間関係をつくっていくことに何としても務めていくことが必要です。 

稲盛塾長はある日、京セラやKDDIで幹部として活躍してくれた役員の方々から謝恩会を開いていただきました。その時、みんなが次のようなエピソードを語ってくれました。 

“京都セラミックスなどという会社は聞いたこともない。その会社は大丈夫なのか。もう少しマシな会社に行った方がいいのではないか”と友達や家族から心配されました。しかし彼らはこうも言っていました。

“確かに将来に不安もあったが、稲盛さんにお目にかかり、この人だったらついていこうと思い、ただその一心でがんばってきました” 

“若い頃から夜もろくに寝ないで休日も満足に取れず、ただ稲盛さんを信じて一緒になって懸命に働いてきたことが、今日のすばらしい人生を作ってくれたのです”と語ってくれました。 

こういう人達を、作らなければならないのです。このような人間関係を経営者である我々が企業内につくりあげていかなければなりません。社長である人に、どこまでもついて来てくれる人たちをつくり、そのようなすばらしい人間関係をベースとして、会社を発展させ、彼等を幸せにしていかなければなりません。 

社長である人に心底惚れ込んでもらうためには、どうすればよいのか。

一つ目は、己を愛していたのでは誰も惚れてくれません。信頼し、頼りにしてくれる人として受け入れられる為には、自己犠牲を払って従業員のことを最優先に考えるのです。二つ目は、それは従業員の誰よりも懸命に努力するという、経営者としての仕事にあたる姿勢です。仕事が終わったあとに、わずかであっても身銭を切って従業員をねぎらってあげる、相手を思いやる姿勢です。

このように、自己犠牲を持って相手を思いやる姿勢が従業員の心を動かすのです。 

仕事の意義を説く

従業員を惚れさせるだけで、事が足りる訳ではありません。従業員の心情に訴えるだけではなく、いわば理性をもってしても従業員のモチベーションを高めることに努めなければならないのです。 

理性でもって、従業員のモチベーションを高めるとは、“仕事の意義”を説くということです。 

京セラでは、ファインセラミックス企業のトップ企業として高度な技術を有するハイテク企業となっています。セラミックスの製造工程は、ハイテクとはほど遠いものです。どの工程も粉末の中での作業、温度千~数百度の工程等、いわゆる3Kの仕事なのです。 

稲盛塾長は新入社員の仕事への意欲を何としても高めなければならない、モチベーションを高く維持しなければならないと考えました。そのために取り組んだのが、仕事の意義を説くことでした。仕事が終わった後に、いつも彼らを集め、次のように話しました。 

“皆さんは、日がな一日、粉をこねたり、形を作ったり、焼いたり、削ったり、単調でつまらない仕事だと思っているかもしれないが、決してそうではありません。皆さんにやってもらっている仕事は、作業は、誰もがやっていない、酸化物の焼結(しょうけつ)という実用研究の仕事なのです。今、我々はまさに最先端の研究をしており、これは大変意義のある仕事なのです。今取り組んでいるテーマは、世界中でも一~二社だけが取り組んでいるという、まさに最先端の研究開発なのです。この研究開発が成功すれば、こういう製品に使われ、人々の暮らしに大いに貢献することになる。そんな社会的に意義のある研究開発が成功するかしないかは、それは皆さんの日頃の働きによって決まるのです。ぜひ、宜しく頼みます。” 

毎晩そういう話をしてきました。自分達の仕事、働きが、いかに重要であり、人のため、社会のため、役立つものであることを繰り返し説くことが大切です。そうすることによって、従業員のモチベーションを高め、維持していくのです。 

京セラ創業当時は、朝鮮戦争後の不況の時期で、就職もなかなか難しいときに、高校を卒業し、何とか会社に入ったものの、ただ毎日の給与さえもらえれば良いという人たちがほとんどでした。 

しかし、彼らも、自分のやっている仕事に意義を見出せば、気持ちが高ぶり、持てる力を最大限に発揮してくれるはずです。稲盛塾長は毎晩彼らを集めては、仕事の意義を説いていったのです。 

ビジョンを掲げる

自己犠牲/従業員の為、己を空にする。仕事の意義を説くことは、従業員が経営者社長に惚れ込んでもらうことに大いに役立ったのです。そして従業員の仕事に対するモチベーションを更に高めるために、“ビジョン”-将来に達成する目標を掲げたのでした。 

“京セラの特殊なセラミックスは、世界中のエレクトロニクス産業が発展するために、どうしても必要になる。それを世界中に供給していこう。”“そうすることで、ちっぽけな町工場で始まったけれども、この会社を町内一番、中京区一番、京都一番、日本一番、世界一番の会社にしよう” 

町内で一番になろうと言っても従業員たちは“会社に来るまでに通る、あの会社よりも大きくなるはずがないではないか”という顔をして、稲盛塾長の話を聞いているのです。ましてや“中京区一番になろう”と言ったものの、中京区には後にノーベル賞受賞者を出した上場企業の島津製作所がありました。分析機器では世界的な企業です。それでも、“日本一になるんだ、世界一になるんだ”と言い続けたわけです。 

初めは半信半疑だった社員も、いつしか稲盛塾長の掲げた夢を信じるようになって、その実現に向けて努力を重ねてくれるようになったのです。 

素晴らしいビジョンを共有し、“こうなりたい”と会社に集う従業員が強く思えば、そこに強い意志力が働き、夢の実現に向けてどんな障害をも乗り越えようという、強大なパワーが生まれてきます。 

ミッションを確立する

そのモチベーションをさらに揺るぎないものにするのが“ミッション”(使命)です。会社の使命、目的を明らかにし、それを従業員と共有するのです。 

創業二年目に採用した十人の従業員が、一年くらい働いてくれて、ようやく戦力になった頃のことです。稲盛塾長に団体交渉を持ち込んできました。“ボーナスはいくらほしい。昇給率は毎年これだけほしい。これらを約束してほしい。立派な会社と思って入社したのに、できたばかりの吹けば飛ぶような中小企業だったので、我々は大変不安に思っている。経営者であるあなたが保証してくれなければ、我々全員、会社を辞める覚悟だ”と迫ってきました。 

しかし“そんなことは約束できるはずがない”と言って、会社が置かれている状況を説明しました。話し合いはつかず、三日三晩、稲盛塾長の市営住宅での話し合いでした。稲盛塾長は”将来のことまで約束をすることはできないけれども、必ず皆さんが喜んでくれるようにするつもりですから、私を信用してくれ“と答えました。 

稲盛塾長は京セラの使命目的は“稲盛和夫の技術を世に問う”でした。ところがこの団体交渉の中で、一部の社員達の昇給やボーナスを保証するという要求をされ、とまどったのです。稲盛塾長は“どうして他人である社員の生活まで考え、保証しなければならないのか”実家でも困窮していました。毎月、実家へわずかながら仕送りをしていたのです。親兄弟の面倒すら満足に見ることができていないのに、縁もゆかりもない赤の他人から“自分達の将来にわたる生活を保証してくれ”と言われ、稲盛塾長は、京セラは何の使命、目的を持った会社なのか、考えざるを得なかったのです。 

よくよく考えた結果、従業員の生活を守ることこそが会社の目的である、ということに思い至り、“全従業員の物心両面の幸福を追求する”という京セラフィロソフィーのはじまりが出来たのです。自分の技術者としての理想を捨てて、全従業員の物心両面の幸福を追求することを経営目的にしたのです。 

会社のオーナーの資産が増えていくことが目的、会社の目的が私利私欲に帰結するような企業では、従業員のモチベーションを高めることはできません。全従業員の物心両面の幸福の追求という会社の目的は、経営者の私利私欲を超えた従業員のためという“公”のものであり、まさに“大義”なのです。この“大義”というものが、人を動かす大きな力を持っているのです。

第二電電創業の大義名分

当時四兆円を超える売上を誇っていた電電公社(NTT)という巨大企業に対して、まだ二千億円ほどの売上しかない京セラが挑戦したのです。第二電電が今日のKDDIに至るまで成長発展できたのは、その起業動機が大義に基づいていたからです。 

このままNTTの独占が続けば、情報化社会が到来した時、通信料金の高さによって日本が立ち遅れることになるであろうと危惧しました。 

“国民のために電気通信料金を安価にしたい”という純粋な思いから第二電電を作ったのであり、いわば大義名分から企業を立ち上げたわけです。 

京セラの後に手を挙げた国鉄(JR)は“自分たちには鉄道通信の技術があり、通信技術者もいる。東名阪に通信幹線を引くには、新幹線の側溝(そっこう)に光ファイバーを置きさえすればよい。さらに国鉄に出入りする業者を中心に顧客を確保することは簡単だ。京セラが主体の第二電電よりも有利だ。” 

日本道路公団、トヨタ自動車を主体とした日本高速通信は、旧建設省の後ろ盾がある上に、こちらも東名阪の高速道路に光ファイバーを引けば、簡単にインフラが整い、またトヨタの強力な営業力もある。 

京セラの第二電電以外二社は大義名分からではなく、いわば損得勘定からの事業開始ではなかったかと思われます。 

厳しい競争の結果、JRは日本テレコムを売却しました。日本高速公団は現在ではKDDIに吸収されています。KDDIだけがNTTに次ぐ総合電気通信事業者として成長を続けています。技術力があり、資金力があり、信用があり、営業力のある、全ての条件が揃っていた会社がうまくいかず、大義名分はあるものの、資金も技術もない第二電電が生き残っているのです。 

あらゆる事業で大義名分を掲げる

京セラでは毎月の業務報告会で、アメーバ経営に基づき、月々の採算表を見ながら“今月は時間当りが良くないではないか。一体何をやっているのだ”と厳しい指導がなされています。 

しかし、時間当たりが悪いからといって、追求するのではなく、“大義名分のあるこの事業に投資して社会のために貢献しようとしているのに、こんな業績では事業を発展させることができない。赤字の原因を徹底的に究明し、早急に採算が良くなるよう、つまり事業目的を実現できるようにしなければならない。” 

利益追求が目的ではありません。この事業の大義名分を貫くために、利益が必要であり、事業を成長発展させなければならないのです。 

京セラの事業部長やアメーバリーダーは、中小企業の経営者です。これらのリーダーが、大義名分を掲げ、自分の部下に共感してもらい、“そんな意義のある事業の端を、ぜひ私にも担わせてください”と進んでいってくれるような組織力が必要なのです。そのために各事業部ごとに大義名分を掲げ、硬直化せず、マンネリ化せずに成長発展する企業とすることが必要なのです。 

社長に就任している人の中では2代目、3代目という人がおられます。親から継承した事業なのですが、その事業の目的、大義名分をはっきりさせて、社員の人々から協力していただけるように大義名分を明確にすることが大切です。従業員のために何をしてあげられるのか、会社をどういう目的で経営していくのかという大義名分のある会社の目的を作ることが大事なのです。 

事業の目的が私的なもの、経営者のためではなく、自分のことはさておき、公の為となると、心の底から張り切るものです。それは大義名分が持つパワーなのです。私を離れて、相手の為、周囲のためということになれば、真善美という言葉で表されるような、人間の心の奥底にある美しい心が出てきて、自然と力も湧いてきます。 

フィロソフィーを共有する

人間の奥底にある、こうした美しい心を発揮することができるようにするためには、経営者自身がフィロソフィーを学び、それを通じて心を高めていく必要があります。またそのフィロソフィーを従業員に語り、社内で共有することにも努めていかなければなりません。 

高邁な企業の目的を追求していくために、こういう考え方で経営をしていくつもりだということを社内で話し、共有していかなければなりません。従業員と心と心で通じ合え、さらには社内でビジョン、ミッションを確立した後、次に取り組むべきは、経営者としての哲学を語り、それを社員と共有するよう努めるのです。 

人は何のために生き、何のために働くのか。経営者として、人生をこう考え、こう生きていくつもりだ。皆さんと一緒にこういう生き方をしていきたい、経営者の哲学、思想や企業の目的について話している中で、自ずから出てくるようになります。 

“社長がそういう立派な考え方をしているから、我々従業員は共鳴もするし、尊敬もする。だから社長と一緒に会社発展に尽くしていこう”と従業員が考えてくれるようになるべきなのです。 

経営者がフィロソフィーを語れるようになった企業は伸びていくのです。フィロソフィーを経営者が自分で話せるようになり、さらにはそのフィロソフィーを従業員と共有できる。フィロソフィーを社内で共有している度合いが、会社業績に正比例しています。 

フィロソフィーは文化を超える

アメリカで多くの日本人経営者が頑張って、企業拡大に日ごろから努力をされています。そこには、キリスト教文化圏、イスラム教文化圏、仏教文化圏、様々な人々が活躍しています。異なった文化圏の人々に、フィロソフィーを共有してもらうのは大変困難だと考えている人がほとんどでしょう。 

キリスト教、イスラム教、仏教と言うような多様な宗教の世界の中にあっても、どの宗教とも決して矛盾しない、普遍的な哲学があるはずです。それを自分たちの哲学として持たなければなりません。それは京セラフィロソフィーです。京セラグループの関連会社があり、その社長もアメリカ人です。信仰心の熱いキリスト教徒の社長もおられます。京セラフィロソフィーをよく理解してくれているのです。 

アメリカの一流大学出身の人たちも、京セラフィロソフィーを受け入れて、共鳴してくれているのです。 

そのような普遍的なフィロソフィーを語るためにも、経営者は自分の心を高める努力をする必要があります。しっかりとした哲学を自分のものにしていくことによって、自分の器も大きくなり、企業も拡大していくのです。 

企業統治の要諦は従業員をモチベートすること

企業を大きく発展させていくためには:

  1. 従業員が経営者を信頼する
  2. 仕事の意義を解くこと
  3. ビジョンを高く掲げる
  4. ミッションを確立すること
  5. フィロソフィーを語り続けること
  6. 経営者が心を高めていくこと 

このことを徹底していくことしかありません。企業経営とは、これらのことを徹底して行い、従業員に共鳴し、賛同してもらい、モチベーションを高めていくこと、それしかないのです。企業が小さいままで、なかなか成長していかない時、また小さな企業を立ち上げた時などは、まずはそのわずかしかいない従業員のモチベーションを最上限に上げていくことこそが肝要なのです。 

それは企業の大小を問わないのかもしれません。日本航空(JAL)の再建の時もそうでした。

倒産した企業に残った三万三千人の従業員の心を一つにして、同じ考え方で仕事に当たるべきと考え、まず意識改革を促し、フィロソフィーを徹底して伝えました。意識改革を図り、フィロソフィーを共有することによって、従業員自身がモチベーションを高め、自ら考え、経営に参画してくれるようになったということが、JAL再建の最大の要因なのでした。

意識改革によって変わったJAL

稲盛塾長は2010年2月に、JALの再建を政府と企業再生支援機構から依頼され、会長に就任されました。 

周りの人々は、誰もが、JAL再建の仕事を引き受けることに反対していました。80歳近い老人、経験もありません。そうした人が航空運輸事業のJAL再建しようとするのは無謀なことだというのが反対の理由でした。 

稲盛塾長の持っているものは“京セラフィロソフィー”と“アメーバ経営”部門別採算制度の2つだけでした。最初に従業員の意識を変えてもらうために、社長以下幹部社員の方々に、京セラフィロソフィーを勉強してもらったのです。JALの方でも“JALフィロソフィー”というものを作り、こういう考え方で会社経営をしていこうということを決めていくよう伝えました。数ヶ月後に、JALフィロソフィーが誕生しました。 

一流大学を出たインテリばかりですから、最初はなかなかフィロソフィーで歌っているようなプリミティブな道徳観みたいなものは理解してくれませんでした。稲盛塾長はこういうプリミティブな道徳観をぜひ学んで欲しいとときました。頭は賢いかもしれないが、人間として最も根本的な哲学、思想も理解していない。それでは三万二千人もの残った従業員を、あなたたちが指導していけるわけがない。もしこれが理解できず、これに反発する人間だったら、とっととやめていただきたい。そういう人がJAL再建できるはずがない。 

それぞれの幹部社員が、自分の職場に持っていって話をし始めた頃に、稲盛塾長が現場に出ていきました。全世界を飛び回っているキャビンアテンダントには何回かに分けて話をしました。“キャビンアテンダントの皆さんがお客様に直接接するのですから、すべてを皆さんにかかっています。我々経営陣がいくら頑張っても、お客様の心を捕まえることはできません。JALが好きだ、JALに乗りたいと思わせるのは、キャビンアテンダントの力に頼らざるを得ないのです” 

整備工場に行かれました。“整備が十分でなければ、飛行機が安全に飛ばない。整備工場で油まみれに毎日毎日苦労して飛行機を整備してくれている皆さんがいなければ、安全な運航はできません。そういう人知れず苦労してくれている皆さんに心から感謝しています。” 

暑い最中、寒い最中もお客様の荷物を飛行機に積んだり下ろしたりしてくれているグランドハンドリングの人たち、機内食を作っている人たち、あらゆる部門のところに顔を出しては、フィロソフィーを訴えていきました。 

みんなが共鳴するようになってから、業績はうなぎ登りに向上してきました。つまり働く人たちの意識、心が変わっていけば、会社が変わっていくのです。 

JAL再建の真の要因

フィロソフィーを社員と共有する、アメーバ経営という部門別採算制度を実施したことが再建の原因だと考えてきましたが、しかしそれにしてもそれだけではJAL再建のような奇跡は起こらないと思いだしました。 

JAL再建は日本の経済社会の復興にもなるし、三万二千人の従業員の生活を守ってあげる、それは世のため人のためになることだ。そういう純粋な思いでJAL再建に携わった。天がその純粋な思いに対して賛成し、それを後から支えてくれたのだろうと思うようになったと稲盛塾長は語っています。 

純粋でひたむきに一生懸命に努力している人の行為に対しては、宇宙が支援してくれるのです。JALがうまくいったのは神様のおかげですと謙虚な稲盛塾長は述べておられます。