盛和塾 読後感想文 第127号

フィロソフィーに浸かる

 フィロソフィーを体得するには、日々どのように判断すべきかを考える習慣を身につけ る以外に方法はありあません。フィロソフィーの会社の手帳をただ読んで知っている、あるいは、ただ自分のカバンの中に携帯しているだけでは、無意味です。機会あるごとに繰り返し読まなければ、フィロソフィーを実行することもできませんし、意味がありません。

常にフィロソフィーにつかっているという状況が大切なのです。ですから毎日フィロソ フィーの書物を繰り返し読んでいることが必要なのです。 

常にフィロソフィーにつかっているという状態を維持していきますと、実際に判断する 際、常識にとらわれないで物事の本質を見て判断することができるのです。つまり、正   しい判断ができるのです。

リーダーに期待されるもの  京セラ中堅幹部教育講話 1984年

      フィロソフィーを身につける 

  1. トップの変化が会社の業績を左右する

京セラの幹部が当社の跡を継いでいきます。そうなった場合に会社がどのような状態になっていくのか。将来の経営はどうなっていくべきかという事が最大の課題です。社内で一生懸命仕事をし、本当に成長した人に跡を継いでいってもらいたいのです。 

経済界で、ある程度活躍されている人たちを観察していますと、このわずか十年くらいの間に以前は羽振りの良かった人が最近はめったに顔を出さなくなり、非常に大きな変化をしている人がいます。良きつけ悪しきにつけ、経営者である。その人の変化に比例して会社の業績・名声がパラレルに変化してしまっている様です。トップを見ればその会社の状況が大体わかります。没落していった人は、この十年という歳月の中でその人自身が大きな変化を遂げていったわけです。 

フィロソフィーをよく読んで自分のものにしているかどうかという事が問題なのです。さらっと読むだけか、あるいは “社長からいつも聞かされている話なので、別に一生懸命読まなくてもわかっていることだ” という人が大半です。京セラフィロソフィーは人生哲学であり、単に知識として知っているというだけではまったく意味がありません。 

京セラの幹部が当社の後継者として、それぞれ重要なポジションを占めていった場合、昇進するたびに少しずつ人は変わっていくのです。環境によって人は変わっていきます。 

例えば、社長だということで周囲からちやほやされる。パーティーに呼ばれて行っても色々な経営者がたくさん集まってきてちやほやされる。給与もたくさんもらえて、経済的に余裕も出てくる。そうしますと、魂がよほどしっかりしていないと簡単に周囲の状況に流されてしまいます。まじめで謙虚であった人がいつの間にか傲慢不遜な人間に変わっていくことがよくあるのです。本人は変わったつもりはないのです。しかし、本人に自覚はなくても、本人がどんどん変化していくに従って、会社そのものも実際に変化していきます。 

変節を遂げないためには、その人間の本質にフィロソフィーを叩きこんでいく必要があるのです。そして魂を鍛えていけば、環境が変わっても人間は変節することはないのですが、知識としてわかっている程度では簡単に変節してしまうのです。 

  1. 変節を遂げないように魂を磨く

よほどしっかりした人だと思うような人でも、環境が変われば変節してしまうのが普通です。変節しないためには、フィロソフィーを身につけて、身につけたフィロソフィーを自分の魂の中で生き続けさせる努力を怠ってはなりません。 

京セラフィロソフィーを読んで “そんなことはわかっている。それはもう聞いている” と考えてしまうのがほとんどだと思います。そういう理解の仕方では、京セラフィロソフィーを使いこなすことはできないのです。 

忙しい場合に、レポートを斜めにさっと読んでいくケースがあります。宗教の本や哲学の本の場合、一字一句理解していくように、本当に自分の魂の中に落とし込んでいくように読むことが大切です。そうでなければ、潜在意識に入れ込むことはできません。 

人間は本を読むとき、目で見、声を出して読み、手で書いてと三つの作業をしますと頭に入っていくように思われます。さらにフィロソフィーの読んでいる考えが今日の仕事の中でどう実践されていくべきだったかを考えますと、より理解が深まるように思います。そのフィロソフィーの読み方に、今日の反省を入れ込んで読み込みますと頭に残りやすくなります。 

京セラフィロソフィーを語らせれば、もっともらしいことを話しますが、会社を離れ、仕事を離れた時に実際にしている行為は、普段の言葉とは合致しないという人が往々にしています。 

人間の本質である魂そのものが鍛えられていれば、少しくらいの誘惑があっても、また少しくらいの環境状況の変化があっても本来は微動だにしないはずです。 

“善きことをなす” ことも人生の目的とする 

  1. リーダーは従業員の物心両面の幸福を追求する責任がある

京セラのリーダーは、この企業の中に住んでいる従業員およびその家族、投資をしていただいている株主、当社から製品を買ってくださっているお客様、仕入れ先の企業、当社の関係するすべての人たちを物心両面にわたって幸福にするのだということを自覚してもらう必要があります。

京セラのリーダーは、会社の利益とか自分の利益とかいうものが目的ではないのです。業績が良ければ良いほど、従業員の幸福を未来永劫に実現してく為にはこの好業績を維持していかなければならない。今、業績が良いのは過去の努力であって未来というものは今から始まる努力の結果がもたらすものなのです。 

休むことなどできないのです。 “これだけのことをやってきた。どんなもんだ” とは言っておれないのです。社長個人の満足などは重要ではないのです。全従業員の未来が大事なのです。今のこの瞬間瞬間が、未来を左右していくのです。 

  1. 人生の目的によって人生観が変わる

人生の目的を何に置くかによって人生観ががらりと変わります。財産や利益が目的の人もいます。地位や名誉が目的の人もいます。大学教授の場合ですと、一旦パーマネントの教授職に就きますと、もうそれで目的が達成したと思い、研究をしなくなり勉強もしなくなる人が多く、老害になります。そうしますと、学会に研究論文も出しません。六十歳の定年まで居座ることになります。学問をする為に学者になったのだから、生涯を通じて真面目に勉強すべきなのです。 

京セラのリーダーの目的は、従業員、株主、お客様の皆さんを幸福にしてあげることです。それは一時的な目的ではなく、幸福にし続けていこうとすると、その労力は際限のないものになります。 

  1. 世のため人のために尽す

人間は世のため人のために尽す為に生きていると思います。神様は “世のため人のために尽すように” という目的で、すべての人間をこの現世に送ったのだと考えられます。そうした人は、世の人の社会の役に立ち、皆から受け入れられるのです。そしてそこには、相互に助け合う共存の思想が生まれるのです。 

人のために尽すというのは、相手のために尽してあげるということであり、自己犠牲を払うということです。こちらが相手のために一生懸命してあげるためには、自分がある程度犠牲を払わなければならないわけです。キリスト教で言う “愛” 、仏教で言う “慈悲” の心です。 

動植物の世界でも強いものが反映していく弱肉強食の世界と言われています。

ところが、草食動物のヤギやヒツジがいて、その草食動物を食べる肉食動物がいる。自然界は調和がとれていて、どの種も極端に増えないように命の連鎖がうまくできています。肉食動物も他の肉食動物を食べています。そしてその肉食動物もやがて死に、土に還ります。それらは植物の栄養となっていきます。 

  1. 相手のために一生懸命善行を積む

我々はやがて死を迎えるのですが、死ぬときには過去にいかに立派な業績をあげ、立派な仕事をしていようとも、それまでに得た地位も名誉も金も何も意味をなさないのです。死ぬ時には一人静かに死んでいかなければなりません。この世に生を受けて、今日まで生きながらえて今まさに死ぬというときに、自分の心が安らかに死ねるかどうかということが、大切なのです。それは魂を磨くためには、世のため人のために尽す。つまり、相手のために一生懸命善行を積むということが大切なのです。それが魂を磨くことに非常に効果があるのです。 

  1. 変節しない不動の心が信頼と尊敬を得る

第二電電を創業して、十年が経過しているのですが、第二電電構想を出した時からあまり変わっていません。大企業や政治家の賛同を得られたのは、第二電電の経営理念に変化がなく、環境や経済の変化にうろたえずに魂にまで到達したような人生観、人生の目的というものを明確に持ち、環境がどう変わろうと、ただひとつ善きことをするとしてきたからです。 

  1. 常に発表していこうとする心がけを持つ

人生というのは社長になったらもう努力は続けなくていいのかというと、そうではなく、努力は永遠に続きます。社長になって今が好調だから、今まで通りに真面目に一生懸命やっていればいいのかというと、そうではないのです。技術革新の激しい時代です。一生懸命やっていればいいという程度では、会社をうまく経営していくことはできないのです。常に発表・向上しようという努力、心構えがなければなりません。 

現状を否定して、さらに立派なものにしていこうという心構えを持つことが必要なのです。技術開発、新製品開発を中心に捉えて経営していかなければなりません。 

人を育て、事業を伸ばす 

  1. 部下を人間性と才能の両面で評価する

幹部として立派になっていくと同時に、部下の育成にも全力を挙げていくことが大切です。自分の成長をはかることも当然ですが、自分の部下を育てるということに一生懸命努めていただきたい。 

新しい事業に進出していく場合、その時にキーになるのは人です。ある事業を展開するのに組織図を作り、ここにはこのようなファンクションがいるから、Aを担当者にしようとしたとします。ところが、Aという部下・担当者はどういう人間性の持ち主で、どういう能力を持っているのかということを評価せずに担当を決めてしまう。そうしますと、組織に人をぶら下げる形にしているわけですが、ぶら下げる人を強化していないため、失敗ばかりという事になってしまいます。実際には適正でない人を配置しているために、職場も非常に混乱し、その組織の長が走り回らなければならないという状況になってしまいます。 

“自分の部下を評価する術をもってください。人間性の面からの評価と、モノを作ったり仕事をしていく上で必要となる才能の面からの評価との両方がいるのです。” 

  1. 部下を見抜いて登用する

幹部の皆さんは、たくさんの部下を使って仕事をしているわけですが、その部下の人物を評価すると同時に、その評価に見合うような配置にしていかなければなりません。 

しかし、必ずしもその役割に十分だという人がいないことがあります。その時には、役割を与えると同時に、欠落した部分についてしょっちゅう見て、一緒にレビューしていくようにしてください。役割を果たせると判断した部分については、しょっちゅうチェックする必要はありません。欠落している部分だけをバックアップします。 

もし、足さざるところがある場合は、幹部自身が補強するか、別の人間を補佐に置くことによって補強します。欠落している部分については、口やかましく注意して鍛えていきます、いつまでも不完全な人間では、本人も困るでしょうし、会社としても非常に困るわけですから、その人が自分の欠点を十分自覚して、その人自身を直してくれるように教育をしていくことが必要です。 

不良品が多発している場合、現在のメンバーで全部任せていいものかどうかということがきちっと評価されることが必要なのです。フォローしなければならないのに、フォローが抜けてしまって任せっぱなしになっていることがよくあります。 

また、幹部の人たちは頭がいいので、部下がバカに見えて、あまり手取り足取り教えようとせず、少し教えてすぐに終わってしまう。本来ならば、各部署で手取り足取り教え、会社に人材を配給できるくらいの逸材を続々と輩出しなければなりません。部下を見抜いて要所要所に登用していくのです。場数を踏ませ、自信をつけさせていくのです。 

  1. 人がいれば事業はできる

事業が先にあるのではなく、まず人が存在するのです。人を育てれば、人が育ち素晴らしい人材が輩出されれば、事業はいくらでもできるのです。人を育てれば何でもできます。人で事業ができるのであって、決して事業が先にあるのではないのです。 

人さえいれば事業はできるのですが、その場合には、人間性とビジネス展開していく才能が必要です。一番大事なのは、溢れるような起業家精神です。一生懸命事業を拡大していこう、事業を盛り上げていこうという起業家精神を持っているかどうかが非常に大事なのです。 

本能心から離れ、正しい判断をする 

  1. 一瞬一瞬を一生懸命に生きる

身につけたしっかりした哲学は、どのような環境の中にあっても、人が見ていようがいまいと決して変えてはいけません。 

社長にまでなりますと、誰からも制約されません。いい加減な生き方をしても任免権といった絶対権限を持つわけですから、何でもできるわけです。ですから、身につけた哲学が変わらない人でなければ大変なことになります。 

社長になってからも、もっと頑張ってもらわないといけないのに、社長になるまでが目的で合って、社長になって満足してしまっていたのでは、従業員にとっては頼りない存在になってしまいます。 

人間は目的がなかったら働きません。小さな欲には目もくれず、しっかりした哲学に基づいた目的を持った人は、もうこれで終わりだということはありません。大志を抱いている者は、過去のことには目もくれず、とことん今の仕事に注力します。 

一生懸命生きている今の瞬間、瞬間が大事なのです。過去の業績には関心がないのです。実績を気にして後ろばかり見ても意味がないのです。済んでしまったらもうそのゲームは終わりです。 

生涯を通じて死ぬまでの間、毎日毎日を一生懸命生きようとする。そのように一生懸命生きていく様が、魂を磨いていくプロセスそのものであり、死ぬ時も自分を満足させていくことにもなると思います。 

  1. リーダーは本能心、自己中心的な心で判断してはならない

本能心、つまり自己中心的な心で物事を判断している人と、そのような自己中心的な心から離れて仕事をしている人を比較してみると、そこには大きな違いがあらわれてきます。自己中心的な人は、自分を守ろうとします。注意でもされると、すぐ言い訳をします。それは自分を守ろうとする本能心なのです。すぐに防御の姿勢をとってしまう為に、そのような人は進歩がないのです。 

伸びる人は非常に素直です。個性を持っているにも関わらず、注意されたり失敗したりしたことを素晴らしい反省材料として、自分の欠点を直していけるのです。それは自己中心的な本能心に基づいて自分が生きていないからできるのです。自分を常に客観的に見ることができる心の持ち主、自分をそのように仕向けていける人だからこそ、素直になれるのです。 

リーダーには、エゴから極力離れるという作業が必要です。特にリーダーになると、多かれ少なかれ権力を持つことになります。部下の評価をするにしても、また、昇進、昇給、ボーナス等含めて、リーダーは相当な権力・権限を持つことになります。その様な力を行使する場合、リーダーは自分自身のエゴから離れて、フェアな、公正な評価ができなければなりません。 

  1. 本能心から離れれば、物事の真実が見える

自己中心的な心から離れて、常に美しい心でありたいと思って、自分の心を研ぎ澄ましていくと、面白いぐらいに物事の真実が見えてくるのです。 

“こういえば部下が傷つくのではないか” とか “この問題をあまりはっきりさせて、部下に責任があると決めつけてしまうのはかわいそうだから” というのは実はエゴなのです。自分が良く思われたいというエゴなのです。叱るべき時に叱らないから、問題の焦点がぼけてしまうのです。解決が遅れて紛糾してしまうのです。 

自分をよく見せたいという汚い心、エゴが作用するから、単純な問題をますます複雑にしてしまうのです。自分が損をしようとしまいと、ありのままでいいのです。自分の部下が悪いときは “お前が悪い、間違っている” 自分が悪い時は “自分が悪い” とはっきりあるがままでいいのです。