盛和塾 読後感想文 第145号

経営に打ち込む

真の経営者というのは、自分の全知全能、全身全霊をかけて経営を行っている人のことを言います。どんなに重要な経営手法や経営理論を頭で理解しても、それだけで優秀な経営者になれるわけではありません。 

経営者の評価尺度は、いかに長時間、全身全霊を傾けて献身的に働き、強い責任感自己犠牲の精神で毎日を生き抜いてきたかということなのです。 

経営に対して全身全霊を傾けて打ち込むという事は、大変過酷なことです。そうするためには、自分の時間も持てないでしょうし、その重厚は体力的にも精神的にも耐え難いものになります。そういう困難な状態を経験し乗り越えていかなければ、真の経営者としての資質を磨けないのです。 

トップとそうでない人の間には、天と地ほどの差があります。自分を単なる雇われ者として考えて、上司に意思決定を全て任せる人がいます。その一方では、ビジネスを成功するために、命をかけることを厭わない人たちがいるのです。 

全身全霊を注ぐ経営 

盛和塾は互いに心を高め研鑚(けんさん)する

人生の結果=考え方x熱意x能力という方程式を読み、それを自分の会社の中に取り入れる経営者の方々が多くおられます。そうした経営者が盛和塾のメンバーです。

この盛和塾はそうした出会いを大切にして、稲盛塾長の話を聞き、勉強し、その仲間同士、お互いに知らず知らずのうちに研鑽しあい、刺激を与え合う。こうした場、フィールドが必要なのです。 

例えば今日の話を聞いて“なんだ俺の会社の売上はなんて小さいんだ。ちょっとは成長したと思っていたのに、盛和塾に来てみたら、取るに足らないことがわかった。もっとがんばらなくては”という人もいます。そういう刺激が与えられるだけでも、その人自身の成長は随分違ってきます。 

善き人が集まってくるフィールドは善き方向に気が流れます。善き人たち、素晴らしい心根を持った人たちが集まっているところに来るだけで、塾生の運命は好転していきます。自分自身に、そういう暗示をかけて思うだけでもいいのです。入塾しただけで自分の会社は良くなるのだと信じ、これなら本当に好転するかもしれないと思うことが大事です。 

立命、運命は変えられる。“陰騭録(いんしつろく)”より。

中国の遠了凡という方が書かれた本、陰騭録があります。多くの人々は運命を変えることのできないものだと考えられています。運命とは、私たちが持っているもので、生まれた瞬間からどのような人生を送っていくかということが決まっているのです。 

私たちの魂は、輪廻転生を繰り返します。私たちが過去に作り出した思念ー考えたこと、又は行為が業(原因)となって因縁(関係)が生まれていきます。仏教では“思念は業を作る”といいます。因(いん)(原因)があれば果(結果)ができます。因縁が因果をつくります。 

このように、過去生(前世)私たちの魂が色々と思ったことが、私たちの業を作り、因縁を作っているわけです。その因縁を作った思念が、私たちの運命を形作っていきます。過去生(前世)で原因が既に作られているため、生まれたときにはすでに運命は決まっているのです。私たちはいくつになったらこうなる、ああなるというのは、遺伝子のように組み込まれてしまっているのです。 

しかし、運命は今生きている間に善きことを思い、善きことを成すことによって、変えることができるのです。善き事とは“他人に善かれかし”という親切な思いです。人の喜びを自分の喜びとして感じられる心、人の悲しみを自分の悲しみに感じられる優しい思いやりです。 

善きことをこの世で思うことによって、善き業(原因)が作られ、それが良き因縁(関係)となって運命(結果)が変わっていくのです。そのことを“立命”といいます。運命は決して変えられないものではないのです。“陰騭録”という本の中に書かれています。 

遠了凡さんは子供の頃、仙人のような易者に出会い、“お前は何歳の時にこんな出来事に出会い、このような人生をたどっていく”と自分の運命を既に決まっているのだということを教えられます。それからの人生は全部その易者にいわれた通りの運命をたどり、科挙という今の国家試験に受かり、地方の偉い長官にまでなっていきました。 

地方長官になった遠了凡さんは、任地にあるお寺に行き、そこのお坊さんと一緒に座禅を組んだ時の事でした。その時そのお坊さんが了凡さんのことを“年が若いのになんと素晴らしい悟りを開いておられますことか。一点の迷いもありませんな”と褒めちぎるのです。すると了凡さんは、 

“その通りです。私には全く迷いがありません”

“どこで修行されましたか”

“私は子供の頃、易者から私の運命を教えてもらい、その老人が言った通りの人生を今日までたどってきました。私の運命は何もかも決まっているわけですから、これ以上慌てたり苦労したり、頑張ったりする必要はありません。だから私には迷いはありませんし、悩みもありません。易者に教わった通りの運命に従い、そのまま人生を終わればいいと思っています。” 

それを聞いたお坊さんは、“なんとお前は大バカ者よ。修行して迷いがないのだと思ったが、なんということだ。幼い頃に易者に聞いた話を真に受けて、それで迷いがなくなったとはとんでもない。” 

“いや、私はその易者から、結婚はするが子供はできない。そして五十三歳で死ぬと言われています。そのままの人生を送るだけです。” 

その禅宗のお坊さんは“お前はバカか。それは悟りではなく単なる凡夫の生き方だ”と言って了凡さんを叱りつけ、“善きことを思えば運命はその善き方へと変化していくもので、逆に悪いことを思えば、悪い方向へ変化するという“因果応報の法則”があることをこんこんと諭していくのです。 

了凡さんは叱られた後、奥さんと二人で善きことを思い実践していこうと生き方を変えていきます。このように運命を好転させることを“立命”といいます。その結果、了凡さんは子供を授かり、七十歳を超えても長生きして、素晴らしい人生を全うします。 

このように運命を変えるには、ただ善きことを思うだけでいいのです。例えば自分の奥さんにこんなことをしてあげたい、主人にはこんなことをしてあげたい、従業員にもこんなことをしてあげたい。周りの人たちに善いことを“してあげよう”と思うだけでいいのです。例えば“給料もっと上げてあげたい”でもよいのです。 

心からそう思い続けていますと、そのようになるものです。もちろん今すぐにはできませんが、まずは、そのように善きことを思うことから始めるのです。 

ただ善きことを思うだけで運命は好転する

稲盛塾長の本“心を高める、経営を伸ばす”の“心を高める”とは善きことを思うという意味です。善きことを思えば運命が変わります。 

もし自分の人生に悲観的な思いを持っていると、災難に会うのではないか、病気なのではないかとか、そんな悲観的なことばかり考えて、結局はそうなってしまいます。 

心を明るく持ち、“自分には素晴らしい人生が広がっているのだ”と信ずるのです。今どんなに不幸なことがあろうと、悲惨な状況があろうとも、必ずそう思うのです。そうすれば運命が好転するのです。 

盛和塾に出席する、他のメンバーと出会うだけでも好転して行きます。善き人たちの集まりがあり、お互いが研鑽し合えば、そこには善き波動が生まれ、運命は必ず良い方向に変わっていきます。 

今日の不況は持久戦ー企業は体質の強化を図れ

今は従来の価値観が大転換をしていく激動の時代です。企業経営についても判断するための規範、基準がなくなりつつあるという大変な時代です。特に不況が深刻化しています。 

“昨年からのバブル崩壊により露呈してきた今回の不況は、季節的、一時的なものではなく、構造不況です。同時に戦後最大の不況の様相を呈しています。今までの不況を乗り越えてきたという経験だけでは対応しきれません。業界、業種、企業によっては、年度末の間だけでも、月を追うごとに売上が減少に追い込まれるという凄まじい状況です。業種、企業によっては、今期末収益予想を大幅に下方修正せざるを得ない状況になっている企業が多発するでしょう。” 

事実、この下方修正は昨今、新聞紙上に次々と発表されています。大企業も今まで予想していた数字より三割減、四割減と言い出しています。 

“その結果、企業によっては不採算部門の切り捨て、また研究開発費の削減にまで切り込んでいくでしょう。新規採用の中止、大幅削減、人員整理などを実行する企業が多く出てくるでしょう。” 

“そしてこの不況を従来の不況と同じように考え、何とかなるだろうと思って経営をしてきた企業は倒産していくでしょう。中小企業のみならず、大企業も倒産するという事例が起こってくると思います。” 

“今回の不況の特徴は、良いところ悪いところ、地域的な差があること、国別にも差があります。日本は不況でも米国は景気が回復しつつあります。産業別にも、ある産業は大変悪いが、ある産業ではさほどでもない。業種別にも不況の現れ方が異なるのです。” 

本年の不況は大変厳しく、深く、長いものです。この不況は深くて長いので持久戦となります。不況を乗り越えるためには、今すぐやるべき事は、あらゆる無駄を省くことです。無駄を徹底的に削減する必要があります。 

経費削減をするにしても、相当な覚悟で突っ込んでやらなければなりません。通り一遍の経費削減ではダメです。 

ソニーが営業利益で赤字転落、パイオニアも赤字スレスレとエレクトロニクス業界も不況に苦しんでいます。さらにNEC、富士通までも赤字転落という凄まじい嵐が吹いています。 

その中で京セラは、昨年は減収減益でしたが、今期は九%の減収ですが、この不況でも十%を超える経常利益を上げています。 

戦後一貫して拡大してきた日本経済も、一昨年くらいから陰りが見えてきています。環境問題、エネルギーの制約条件もあります。日本だけが一人歩きし、日本だけが発展していくという事は許されなくなっています。 

そういう中で、今後はゼロ成長、マイナス成長の時代が来ています。以前はゼロ成長という言葉は禁句でした。京セラは、経営がうまくいってもいい加減な行き方をしないように、非常に手堅く経営をしていますから、この不況でも強いのです。 

どの会社でもそれぞれ本当に無駄を省くということを、この機会にやってください。このような苦しい時に行えば、最も効果が上がります。 

今回の不況について、悪い方、悪い方へと考えてしまいがちです。しかしいつまでも続くわけではありません。逆に不況の時にこそ、体質を強化する最も良い機会なのです。 

買う人が決めた価値で売る

“安く仕入れて安く売ればいいと思ったけれど、価値に見合った価格で売るといった場合、価値に見合った値段の決め方を教えていただきたいのです”という盛和塾のメンバーの方がおられました。 

売値というのは価値で決まるものなのです。買った人がその価値を認める値段であれば良いわけです。 

メーカーの側から見ると、製品に少し傷がありますと、傷があるものは値が下がると考えてしまいますが、お客さんのその製品の価値がどこにあるかによって、値を下げることなくそのまま売れるわけです。 

買った人が喜び、売った人が喜び、それをまた買った人が喜び、みんなが喜ぶことが売価の条件です。誰かだけが儲け、誰かが損をしているのでは、商売にならないのです。 

京セラは松下電器がテレビを作り始めた頃、そのブラウン管の中に使う新しい絶縁部品であるセラミックスを作る下請けとして始まりました。この品物を買ってくれるのは松下さんしかありません。ですから余分に作っても誰も買ってくれません。言われた数量を作るだけです。京セラが提示した値段で“要らない”と言われればそれまでですから、松下さんの言い値にしかなりません。 

そういう立場の場合、下請けでは苦しいので、客先の言いなりのままではどうにもならないからといって、完成品メーカーになろうと考えるのです。しかし京セラは“下請けのままでいい”と道を選びました。松下さんからは毎度毎度値切り倒されます。松下さんの値段ではできませんと言うものなら、“そんなら要らんわ”となって松下さんは他から購入してしまいます。こちらも“もう下がりません”というと、松下さんも困るわけです。他の業者を探さなければ、製造に支障が起きてしまいます。 

松下さんは、今度は損益計算書を持ってこいといいます。“儲けすぎや。これだけ儲かっているのなら、これだけまけんか”と言ってきました。例えば十%以上の利益を出していますと、“今時十%の利益を出している会社があるか。三%の利益でよろしい。後の八%はまけられるはずや”と言ってきました。 

一般管理費が十%くらいでした。松下さんは“一般管理販売が十%はかかりすぎや、松下しかお客がないんだから、販売費もほとんどいらないはずや。五%でよろしい。五%値段を下げろ”と言ってきました。 

赤字決算の資料提出しますと松下さんは“お前のところは赤字か。赤字やったらえらいことやな。赤字の会社からいつまでも買うわけにはいかん。お前のところが潰れたらうちは買えなくなるから、もっと経営の安定した別の会社に仕入れ先を変えないかんな” 

稲盛塾長も腹が立ってきて“以後一切損益計算書も何も持っていきません。持ってこいと言われても持っていきません”と伝えました。“何を持って行こうが、あなたは値切り倒すだけ値切るのですから一緒です。何も見せません。見せない代わりに、あなたが値切るなら、いくらなのか言ってください。そのとおりにします。もう抗弁しません。”つまり松下さんの言われる値段で引き受けるということです。“私は技術屋です。あなたの値切りに対して、私の技術者としての工程管理合理化が勝るか、勝負しましょう。その代わりいくら利益を上げようと、それはうちの勝手にさせてください。”松下さんは“それならいいわ”と言いました。 

京セラは必死に合理化に努め、高収益企業になっていったのでした。 

二十年前、一個三十円だった部品の値段が、一円八十銭にまで下がっています。それでもネバーギブアップで四十年近い今日でも作り続けています。古い仕事も大切にし、その一方で新しいものを次から次へと取り組んでいるのですが、そのために凄まじい合理化を続けてきたのです。 

値決めはお客さんの認める価値です。買う側も売る側も儲けなくてはなりません。俺は儲けるが、お前は儲けてはけしからんという人もおりますが、そういう事は長続きはしないと思います。 

ど真剣に集中することを習い性にせよ

この不況の中、経営者は皆朝一番に出社して夜遅くまでがんばっておられます。会社に行かれましたら、その間、一瞬たりとも気を抜くことなく、神経を集中して仕事をする必要があります。全神経を張り詰めておれば、疲労は極端になります。朝から晩まで神経を張り詰めていますと、体がもたないという人もおります。しかし、それに耐えられないのであれば、経営者ではないのです。 

厳しい経済環境の中では、部下からいろいろな案件が上がってきます。こうした懸案事項についても、自分で色々と判断するものでも、軽率な判断をしてしまっては大変なことになるからです。物事を決める場合“良い”“悪い”を決めていく時の読みの深さ、鋭さが、大変大事になってきます。 

その読みの深さは精神の集中力から生まれます。それによって案件を深く理解し、鋭い判断ができるのです。この集中力は習慣で高めることができます。集中したことのない人、いつもほどほどに生きている人は、いざ鎌倉という時、集中しようと思っても集中できません。 

よく自分は“すれば”集中力を磨くことができると思っている人がほとんどだと思います。今はやらないから集中力が不足しているが、“やろうと思ってやれば”集中力を持つことができると考えているのです。 

普通、学業でも、自分が本気で取り組めば成績が一番になると思っているかもしれません。それは錯覚です。いつもど真剣に仕事をしていない人が、不況になったからといってど真剣に仕事をしようと思ってもできません。今急に付け焼き刃でど真剣にやろうと思っても、なかなかできるものではありません。事業環境が良い時から一生懸命取り組んでいなければ、そういった集中力は備わりません。 

どう真剣に集中して仕事に取り組んで、それを習い性にしてしまわなければ、この不況を乗り越えることはできないのです。 

全身全霊で経営することで会社に生命が宿る

こういう不況ですから、自分が会社にいなかったら会社は呼吸を止めてしまうという実感をもたれる経営者がいます。稲盛塾長は自分の心が京セラという会社のことでいっぱいなので、個人のことが隅に追いやられてしまっている状況にありました。いったい自分の心は京セラにあるのか、個人にあるのか、境界がわからなくなってしまうことがありました。 

それほど稲盛塾長が全身全霊を京セラに注入して、初めて会社に生命が宿ると考えられました。会社は無生物であり、会社そのものは意志を持たなければまた判断もしません。心を持っていないのが会社です。その会社に稲盛塾長の思想、精神、判断を注ぎ込むことにより、会社は生き生きと動き出します。会社に生命を注入するのは社長である稲盛和夫です。つまり稲盛和夫が個人にかえりますと、会社は無生物になり、判断も何もしなくなります。 

寝ても覚めても会社のことを考えなければ、会社は生き生きとならないのです。稲盛塾長は百%京セラに自分の才能、心、時間も全て注ぎ込んでいました。その結果、家族の一員でしたが、心は家族のためになかったのです。 

この不況時、経営者には、その姿勢が必要なのです。それぐらい全身全霊を会社に注ぎ込んでくれる社長でなければ、中に住む従業員は不幸です。社長は自己犠牲を払ってでも会社を守ってくれる、そういう社長がいる企業なら従業員も幸せです。 

公私混同を戒める強烈な倫理観を持つ

全身全霊を注ぎ込む社長は、公私の境界がわからなくなってしまうことがあります。“俺はこれだけ全身全霊を打ち込んで、家族もほったらかしてやっているのだから、会社のものは全部俺のものや。俺が何をしようと文句があるか。”と会社の私物化、公私混同が始まるのです。公私混同はいい加減な社長だからではなく、会社に対して全身全霊で打ち込んだ結果、自分で見境がつかなくなってしまったために起こることです。 

真剣に打ち込みながらも一方では公私の峻別(しゅんべつ)をはっきりつけるという、自分に対する厳しい態度が社長には必要です。従業員は黙っていますが、公私混同する社長には従業員はついてきません。 

公私をはっきり分け、全身全霊で打ち込んで大変な犠牲を払ってでも会社に貢献しているその姿は、従業員から見て美しいものです。彼らもこうした経営者についていきます。従業員以上に経営者が頑張っているからこそ、従業員にも厳しいことが言え、それをわかってくれるのです。