盛和塾 読後感想文 第六十八号

自己犠牲を払う勇気を持つ 

すべてのリーダーは、喜んで自己犠牲を払う勇気をもっていなければなりません。集団として何か価値のあることを成し遂げようとするには、大変なエネルギーが必要です。エネルギーには、時には時間が必要です。集団の為に使う時間を作る為には、自分の家庭団らんの時間を削ることが必要かも知れません。会社経営の場合ですと、資金繰りの為に、銀行借り入れの為の個人保障もしなければなりません。あるいは、自分の給与をあきらめなければならないこともあるでしょう。部下が起こした事故の為に、お客様へ、おわびに行くこともあります。部下を守る為には、リーダーは全力を尽くして、自己犠牲をものともせず、立ち向かっていくことが必要なのです。 

職場環境を改善していこうとする場合、それはリーダーの都合のためではなく、そこに働く人々の大多数の為、またはお客様の要望に応えるためのものでなければならないのです。リーダーが自分の都合のよいことを考えて、職場を変えていこうとしますと、部下も部下に都合のよい職場にしようとしてしまうのです。部下も自分勝手になり、誰もリーダーについて行こうとはしません。リーダーは家庭の主人です。部下はその子供です。子供である部下は、家庭のリーダーである親の後ろ姿を見て、まねをします。 

リーダーの自己犠牲を見た部下たちはリーダーを信頼し、尊敬してすすんで職場の協調と規律、そして会社の発展のために貢献するようになるのです。それを見たリーダーは、自分自身の犠牲の大切さを痛感し、自分の人生に生きがいを見い出します。 

経営者として身につけるべき人間性 

企業は誰のものか

  1. 企業は株主だけのものではない

我々を企業経営に駆り立てているものは、一言でいえば “欲望” です。事業をもっと大きく立派にしたいし、もうかる企業にしていきたいという “欲望” が原動力なのです。 

アメリカ資本主義を見てみますと、人間は欲望のかたまりだと考えられ、“自分の欲望の赴くままに事業を拡大したい、金をもうけて立派な家をつくりたい、贅沢をしたい” というのが動機となり、経営者たちを駆り立てているのが、アメリカ資本主義の現状です。 

会社法上でも会計学上も、株主は企業の所有者であり、株主は会社の方向性、資産の処分、借入等について売却、買収等の最終権限を持っています。従って会社は株主のものであると主張されています。 

しかし、会社の決算書は、資産・負債・資本・損益を会計原則に基づいて表示されていますが、会社にあるものは単純に数字で表せないものが多いのです。例えば経験のある優秀な従業員、お客様。仕入先、経営者の個人的な対外との人間関係、会社に勤めて働いている従業員や役員の長年つちかってきた立派な哲学・思想等です。 

そうしてみますと、会社は単純に株主のものだとは言えないのです。

従業員の協力を得なければ会社の価値はゼロと言っても過言ではありません。お客様も会社の価値観を高めてくれています。お客様あっての会社です。仕入先あっての会社です。ですから、会社は株主、従業員、お客様、仕入先のものなのです。会社は株主のものだけではないわけです。 

  1. 株主に踊らされる経営陣

アメリカの経営者の給与は非常に高くなっています。株主は経営者に伝えます。“会社の利益を上げれば、その10%は経営トップの数人に支給します。それからストックオプションを作ってあります。株価が上昇すれば、莫大なキャピタルゲインを入手することができますよ” 

会社の経営は、これら数人の経営陣の弁才で、利益を生み出すと考えられているのです。ですから、従業員の給与はなるべく低くおさえ、会社の利益を最大限にしようとするのです。 

アメリカの株主は、会社の利益はすべて株主に属し、自分達はオーナーだからどう処分するか、経営陣に指示をすればよい、できるだけ株主に配当を支払うようにすべきと考えているのが一般的です。従業員のことについてはそれほど重要性を置いていない株主が多いと思います。 

“あなたは株主である私のいう通り、必死に頑張ってくれ、頑張ってくれるのなら、もし10億円の利益が出た時には君たちに大金を出しましょう” このように経営者は株主に踊らされているのです。 

経営者として何を動機づけとすべきか

  1. 過ぎたる欲望は身を滅ぼす

株主も経営者も欲望のかたまりです。この人たちは欲望にかられて一生懸命に努力をします。何としても利益を上げなければならないとなった経営陣は、粉飾決算をしても、利益を表示しようとします。 

日本の場合では、会社の業績を以前のレベルに保つ為、自分の保身の為、粉飾決算に手を染めてしまうケースが後をたちません。自分の在任中、おそらく4~5年間は粉飾が開示されなければ問題はない、後は後任の責任だとすることが、通常となっていると思います。 

アメリカのテキサス州のエンロンというエネルギーの会社、電気通信事業会社MCIを買収したワールドコムは粉飾決算をし、一瞬にして倒産の憂き目にあいました。そして経営陣は厳しい刑に服することになりました。 

このような事件は欲望を満たそうとする、貪欲さが身を滅ぼしていったのです。 

我々が企業経営に駆り立てられるのは、欲望が原因です。しかし欲望を追求する、利益を追求するのには正しい考え方、正しい方法で達成されるべきものです。しかも過ぎたるは身を滅ぼしてしまうという矛盾が存在するのです。 

  1. 欲望をエンジンとしなかった京セラ

京セラの設立経過を見てみますと、稲盛和夫という人が京セラを設立しようとしたというよりは、彼の友人、同僚が京セラを作ろうと考えたそうです。稲盛和夫は、お金もないが、周囲の人が、こんなにすばらしい技術、セラミックの技術を開発し、一生懸命頑張っている稲盛和夫を生かさなければ、もったいないと思ったのだろうと思います。 

会社の資金集めの為に、新潟出身の方が自宅を担保に銀行借入をしてくださった。こんなことはめったにあるものではありません。しかも奥様までもが応援してくれたそうです。 

この出資者の人は事業経験もあり、製造業の難しさを知っておられたようです。“千にひとつ、万にひとつ成功すればいいほうだ。たぶん失敗するだろう” と言われたそうです。 

こうした周囲の人々の支援があるのは、若き青年、稲盛和夫に周囲の人々が惚れ込んでしまったからです。 

塾長の父親は印刷業を営んでおられました。実直であまりしゃべらず、黙々と働くような人だったそうです。ですから借金などは、決してしない人でした。 

しかし、他人である稲盛和夫の京セラの為に、“万にひとつも成功しない”といいながらも、家屋敷を担保に一千万円を借りてくださった人がいたのです。従って塾長はたいへんな責任を感じ、私は失敗はできない、京セラを支援してくださる周囲の人々に決して迷惑をかけてはいけないと塾長は考えたとあります。 

京セラは欲望をエンジンにして来なかったのです。欲望がエンジンではなかった為に、欲望がどん欲、過ぎたる欲望となり、身を破滅に追い込むことがなかったのです。 

  1. 欲望以外の目的で自らを駆り立てる

“欲望をもとにして企業経営を行っていけば、必ず欲望は過剰になっていきます。成功すればするほど欲望はさらに肥大化します。その肥大化した欲望のために、今度は会社が倒産に追い込まれていく、皮肉な現象が起きてしまうわけです” と塾長は述べています。 

京セラの場合は、最初は会社をつくった方々に迷惑はかけてはならないというのが最初の原動力だったそうです。その後、“自分の過ちで従業員・その家族を路頭に迷わせてはいけないということを原動力とした”と塾長は述べています。 

お金持ちになりたい、もっと楽な生活をしたい、という欲望もいいのですが、しかし欲望が過ぎれば必ず身の破滅につながることを忘れてはなりません。 

成功と失敗の岐路

  1. 不平不満からの脱却

経営者の方々の中には、お父さん、お祖父さんがつくられた会社を引き継がれた方が多いと思います。“会社を継いだけれど、または自分で事業を興したけれども、仕事が時代の流れの中で、どんどん縮小している。業種業態のため何とか新しいことをやらなければ、自分のやっている仕事は先細りになっていく、このままでは従業員を守っていくことが出来ない” と考えておられる方々がいます。 

しかし、あまり振るわない業種の仕事を親から引き継いだ経営者の中には、新しい仕事に挑戦し、大きく展開している方もいます。 

塾長は、日本の景気が悪い時期に大学を卒業しました。入社した会社は業績が悪く、入社した月から給与が遅配する、労働組合ともめ、労働組合運動の烈しい会社でした。同期入社5名のうち、4名が退社しました。塾長1人が残ったのです。やめるべきかとどまるべきか、随分と迷いました。辞めてうまくいく人もいる、辞めて駄目になる人もいます。正しい答えはなかなか得られません。つまり、どちらを選んでも成功するかどうかはわからないのであれば、どのような仕事であれ、それに打ち込むしか方法がないと、気づかれたそうです。 

1人残され、不平不満を言う相手もなく、又、再就職するにも簡単にはできないと考え、仕事に打ち込む以外なかったそうです。一生懸命仕事に打ち込むと、どんどん面白くなり、研究成果も出せるようになったと塾長は述べています。その結果、研究が実って日本で電子工業の絶縁材料をつくることになったのでした。大手の電機メーカーから注文が入り始めたそうです。このようにして新しいビジネスが展開し始めたと塾長は述べています。 

絶ゆまない努力を続けることで、新しい技術が生まれ、新しいビジネスが開花するようになります。親から引き継いだ技術でも、改善に改善を重ねていきますと、それが新しい技術に結びつき、新しいビジネスに連なると思います。 

  1. 成功には確固たる大義名分が必要

塾長は、技術部長と意見が合わなくて退社することになったのですが、支援してくれる人が周囲に集まり、あなたの技術はもったいない、ぜひ場を作ってあげるから会社を始めなさいと言って頂き、会社を始めたわけです。 

会社を辞める時、同時に、辞める目的 ―自分の開発した技術を支援してくださる人々の好意、はげまし ― があったのです。 

自分の会社がいる業界がこのままではうまくいかなくなる可能性があり、何か新しい事業をと考えている時、他の人が成功しているから、私もそれをやろうと思われる方が多くいます。このような安易な気持ちでは、新しい事業に成功することは難しいと思います。 

 なぜ新しい事業に進出するのかという明確な大義名分がなければ、成功は難しいと塾長は述べています。 

成功するケースは、あなたが一生懸命に働いているのを見て、あなたならこういう仕事をされたら成功しますよと言われたり、或るいは、あなたの頑張っている姿を見て、応援しますよというような場合です。 

自分が今までやってきた仕事のノウハウが使えるような新規事業があり、お客様からその事業を一緒にやりましょうと言われた場合も成功する確率は高いと思います。今まで営々と培ってきたノウハウ、技術を持っている、販売なら販売のノウハウを持っている、そういう技術やノウハウを請われて一緒にやりましょうと誘われ、乗り出した時にも間違いなく成功すると思います。 

新しい事業をする時には、事業に手を出す明確な理由がいるわけです。“天の時”、“人の和”、“地の利” がなければなりません。“天の時” などを得た時には、それに対応できるように、日頃から努力をしておく必要があります。自分の事業に心血を注ぎ、一生懸命にやっていれば、“天の時” も見えてくるのです。 

一生懸命に仕事をしていれば、怪しげな話をかぎ分ける力も身についてきます。それは、自分の経験を通して、生半可なことでは事業はうまくいくとは思っていないからです。心血を注ぎ、本当に一生懸命に経営にあたることで、やっと経営というものはうまくいくのです、と塾長は語っています。うまい話では成功しないことを肝に命ずるべきです。自分の事業がジリ貧になっていき、新しい事業に進出したいと思っている時に、甘いもうけ話が舞い込んできます。事業の根幹となるべき大義名分を確固たるものにしなければなりません、と塾長は述べています。 

経営者に求められるもの

  1. 誰にも負けない努力をする

盛和塾の塾生の中には、親から事業を引き継がれた方々が多くおられます。自分の代で会社をつぶすわけにはいかない、一生懸命に頑張るしかない、それしかないと思います。経営というものはトップがどのくらい仕事に打ち込んでいるかということにかかっています。 

会社や経営のことをいろいろと勉強するのも重要ですが、それよりも最初に必要なことは、社長が会社の中で誰よりも一番働くということです。従業員より遅く会社に来て、従業員よりも早く退社するという社長には、誰もついていきません。西郷南洲がいっています。“上に立つ者は、一生懸命に頑張って、下の者からかわいそうだと思われるほどでなければならない” 

生半可な努力ではなく、誰にも負けない努力が必要なのです。 

  1. 心を磨き、立派な人間性を身につける

誰にも負けない努力をすれば、会社はうまくいき始めます。

会社をつぶしてはならないということを動機づけにして、一生懸命にがんばってもよい、お金持ちになりたい、もっとぜいたくな生活をしたいという欲望を動機づけにして努力をしても構いません。ただし欲望が過ぎてはなりません。塾長は、中小企業が生き延びて行く、事業を開始する時の経営者は“誰にも負けない努力”の必要性を強調しています。 

従業員を引っ張っていくのに、第一番は待遇だと思います。給料を高くしてあげることは、従業員がついてくるための大きな要素です。しかし、小さな会社の場合、他社よりも高い給料をあげることはできないのです。 

そうした中で、従業員がついてきてくれる為には、社長が率先垂範して、遅くまで頑張り、会社が成長発展し、従業員が希望をもってくれるようにしなければなりません。そして従業員に“一緒に頑張ってくれよ”と呼びかけるのです。その時、社員に聞いてもらうためには、社長に立派な人格が必要なのです。“うちの社長はりっぱだ。あの社長についていこう”と言ってくれるような人格にすぐれた社長になることが必要なのです。 

“心を磨き、立派な人間性を身につける。これが先です” と塾長は述べています。あの人は人柄がよい、あの人は徳を備えた人、徳の高い人と人から言われるようにならなければならないのです。 

塾長は “身につける” と言われています。口ですらすらと、りっぱな哲学を述べるだけではなく、そのりっぱな哲学を実行していなければ、身についてはいないのです。 

人間性を高めるために

  1. 少しずつ欲を抑えていく

西郷南洲は藩主島津久光公の逆鱗に触れ、沖永良部島に流されたそうです。この南海の小島で、子供達に学問を教えます。西郷は子供たちに質問をしたそうです。“君たち、一家が仲むつまじくするためには、どういうことをすればいいと思うか” 

子供達は、“君(天皇)には忠義を、親には孝行を、兄弟・友達とは仲良く助け合う” と西郷から教わった、中国の古典から教えられたように答えました。 

“それは正しい、正しいけれども、その答えでは根本的にどうすればよいかわからない。一家仲むつまじくするための方法は、それぞれの人が少しずつ、欲を減らすことなんだ” と西郷は応えました。一家が仲むつまじくするためには、親孝行をしなければならない、兄弟、友達とは助け合いをしなければならない、とか口ではスラスラと出て来ます。実際にはみんながそれぞれ少しずつ欲を減らしていけばよいということなのです。 

“ケーキをいただいた時には、家族みんなで一緒に食べよう、喜びをみんなで分かち合いたいと思う。悲しみがあれば、その悲しみを分かち合い、ともに悲しんであげる” と塾長は述べています。“おれがおれがという欲が強くならないように、少しずつ欲を抑える、仲むつまじい一家をつくるためには、この西郷の一言がわかっていなければ、実現できないのです”と塾長は語っています。 

従業員から慕われ、尊敬されるようになる為には、社長自らが、具体的に言動で、従業員に示すことが出来なければならないと思います。難しい話、“徳を高めなければならない” “仁義が必要だ” をしても、実際にどうしたらよいかわからないのです。 

  1. 人間として何が正しいかを判断基準にする

塾長は京セラ創業時、経営の経験がないため、判断基準(はんだんきじゅん)がなく、たいへん悩んだそうです。 

子供の頃に両親や祖父母、または学校の先生から教わった “人間としてやってよいこと悪い事” を判断基準にして経営をしていこうと決めたのです。 

嘘(うそ)を言ってはならない、騙(だま)してはならない、欲張ってはならない、幼稚だと思われるような判断基準で経営をしていこうと決めたそうです。 

京セラでは、創業から今日まで、“人間として正しいことを貫く” を従業員の判断基準にしてきました。自分にとって正しいことではありません、会社にとって正しいことではありません、国にとって正しいことではありません。人間として正しいことです。塾長はこの考えを京セラで実践して来たのです。 

  1. プリミティブな言葉で自分に言い聞かせ続ける

人間はなかなか言動を変えることができません。ちょっと言われたぐらいでは、人間は変わりません。しかし、“人間として何が正しいか” という幼稚な考え判断基準にするよう努めることが大切です。 

経営判断をする時、この原理原則にのっとって判断し実行していきますと、周囲の従業員も少しずつ理解し、具体的にこうした経営判断ができるようになります。 

徳が高いというのは、“人間として何が正しいか” を判断基準にして実行できるということだと思います。これを徳のある人、徳を身につけた人というのです。 

具体的には、正直である、誠実である、努力をする、常に感謝する、他を思いやる。卑怯な振る舞いをしない、勇気を持つ、決して嘘を言わない。人を騙さない、欲張らない、悪口を言わない、不平不満を言わない。 

できないけれども、具体的に上に述べたことを、自分に何度も言い聞かせ努力をしていく、そうした人を人柄のよい、人間のできている人と、人は言います。知っているだけではなく、身についている、実行できるように、日頃から努力したいものです。 

  1. 無私・無欲の人、西郷南洲から学ぶ

西郷の思想は、一言で言えば “無私の精神” だと塾長は述べています。無私とは無欲のことです。 

遺訓五

ある時、“人の志というものは幾度も幾度もつらいことや苦しいめに遭ってのち、はじめて固く定まるものである。真の男子たる者は、玉となって砕けることを本懐とし、志をまげて、瓦となっていたずらに長らえることを恥とする。それについて我が家に残しおくべき訓( おしえ) としていることがあるが、世間の人はそれを知っているだろうか。それは子孫の為に良い田を買わない。すなわち財産をのこさないということだ” という七言絶句の漢詩を示されて、もしこの言葉に違うようなことがあったら西郷のいうことと実行することは反していると言って見限りたまえ、と言われた。 

これは庄内藩しょうないはん)の家老、菅実秀( かんさねひで)を前にして言った言葉だそうです。江戸城無血開城を実現した西郷と勝海舟、勝海舟は西郷の人柄、人間性に打たれたそうです。 

威張りもしない、決して動じることもない。西郷は本当に素晴らしい人間性を持っていた。無私です。西郷には、他の人のためによくしてあげようという一点しかなかった。そのような西郷にみんなの心が触れて、みんながついていったのです、と塾長は述べています。 

追記:南洲神社

山形県酒田市に南洲神社が1976年に建立されました。庄内藩に攻め入った薩摩軍は、庄内藩の人たちに武士道の精神にのっとり、勝ちおごった態度もせず処遇したそうです。こうした薩摩藩の態度に庄内藩の人々はいたく感動したのでした。 

庄内藩の家老、管実秀はいたく感銘し、“薩摩に素晴らしい武士道を教え、我々にこのような処遇をせよといったのは誰か” と問いました。薩摩藩の指揮者、黒田清隆は  “西郷の言われた通りにしただけです”  と答えました。 

庄内藩の藩主 ( はんしゅ)) 以下若者は西郷から学んだものを後世に残そうと “西郷南洲翁遺訓”  を編纂しました。薩摩藩の若者たちは、西南戦争でなくなった西郷と共に死んでしまった。その為、庄内藩の人たちが、西郷の教えを口授の形で残したのだそうです。 

人格の優れた人には、多くの人が心を高めようと周囲に集まって来ます。自分の周囲に徳の高い人があれば、そうした人から学ぶことが大切だと思います。徳の高い人の友人になるのは、人間としての大変な財産だと思います。自分が徳のある人になるように努力しますと、徳のある人が周囲に集まってくると信じています。

盛和塾 読後感想文 第六十七号

西郷南洲が教える経営者のあり方           

判断基準を 人として持つべき基本的な倫理観に置く

経営のトップに立つ我々は、我々の周辺にいる従業員やお客様から信頼と尊敬を得られるだけの人間性・人格をもっていなければなりません。 

“商売人は信用が第一だ” と言われます。たしかに信用がなければお客様は相手にしてくれないし、取引もしてもらえません。もし、その人が客先から尊敬されるような素晴らしい人間性、人格を持っていれば、ただ信用がある以上にビジネスがしやすくなります。同時に我々経営者は、社員からも信頼と尊敬を得るような人間性を身につけていなければなりません。 

西郷南洲の哲学・思想は経営にも通用する、判断基準となるべき哲学・思想であり、また、周囲の人たちから信頼と尊敬を得るような人間性をつくるための哲学・思想なのです。 

それは難しい哲学・思想と考えるのではなく、原点に立ち返って“誠実な人間であるか” “正直な人間であるか” “公平無私な人間であるか”という、誰にでもわかる倫理観と考えてよいと思います。 

ウソを言わない、人を騙さない、人を妬んだり恨んだりしない、愚痴を言わない、常に勇気をもって仕事にあたる、優しい思いやりの心を常に持つ、謙虚にして驕らず、誰にも負けない努力をする、正義を重んじて仕事をする、足るを知り、決して欲張らない、勢いにまかせて怒ることを抑える。 

このようなことを身につけ、行動に移していくことができれば、自然と社員から、そしてお客様からの信頼と尊敬も得られることになります。 

立派な見識も実行できなければ意味はない

先述した、誰にでもわかるプリミティブな倫理観は身についていなければ使えません。口では容易に言えます。しかし日常生活の中でそれが常に行動として表われていなければ何にもならない。その実践がたいへん難しいことなのです。 

こうした倫理観を本当に身につけて、日常で実行できるとすれば、それは聖人君子です。我々は決して聖人君子にはなれません。完璧な人間性を身につけることは不可能です。欲深く、煩悩にまみれ、りっぱな人間性を持っていないのが我々です。 

塾長は次のように述ベています。私も “そうなりたい” と思っているのは、皆さん同じだろうと思います。しかし、そうなれない自分を厳しく問い詰め、常に反省し、少しでもそうありたいと思う自分に近づく努力をすることはできます。“そうありたい” と思い、反省をして、常日頃あたりまえの、しかし素晴らしい倫理観に基づいた行動ができるような人間に一歩でも近づいていく努力をする。そのような経営者が立派な経営者だと言えます。 

哲学者、安岡正篤先生が言われたことがあります。経営者は “知識” を身につけるために多くの書物を読んで勉強しなければなりませんが、その “知識” を “見識” にまで高めなければなりません。“見識” とは信念、こうありたいと思う確固とした考え、です。しかしいくらりっぱな “見識” を持っていようとも、それが実行できなければまったく意味はありません。 “見識” を実行できるまで高めたものを “胆識” といい、そこまで至らなければ、意味がありません。 

立派な見識を持ち、それを随所で話すことはできても、それが実行できないようでは、絵に書いた餅にしか過ぎません。見識を胆識として実行することのできる人は少ないと思いますが、しかし実行したいと自分でかたく思い、常に反省しながらそれに近づこうとすることが大事です。 

知っていることとできることは別だ、いくら素晴らしい哲学、思想を持とうとも、それを人格に反映させて、日常の生活を生きているかどうかは別だということを我々は知っておく必要があります。 

西郷南洲が教える人の生き方、リーダーのあり方

 “西郷南洲翁遺訓” は、当時の庄内藩(山形県)の方々が西郷を偲んでまとめたものです。明治維新の時、無血開場を指揮した西郷に感服した庄内藩の若者が薩摩を訪ね西郷の教えを受けたのです。西南の役で西郷が無くなったあとに、西郷に教えてもらったことをそれぞれ書記し、編集したものです。 

遺訓一. 功労ある社員の遇し方

政府にあって国の政( まつりごと)をするということは、天地自然の道を行うことであるから、たとえわずかであっても私心をさしはさんではならない。 

心を公平に堅く持ち、正しい道を踏み、広く賢明な人を選んで、その職務に忠実にたえることのできる人に政権を取らせることこそ天意、すなわち神の心にかなうものである。 

だから本当に賢明で適任だと認める人がいたら、すぐにでも自分の職を譲るくらいでなければならない。従って、どんなに国に功績があっても、その職務に不適切な人に官職を与えてほめるのはよくないことの第一である。官職というものは、その人をよく選んで授けるべきで、功績のある人には俸給を与えて遇し、これを愛しおくのがよい、と翁が申される。 

天下国家を治めていくのでも、わずかな従業員しかいない中小零細企業の経営を行っていくのでも、それは天道、正しい道を実行することなのだから、少しの私心も挟んではなりません。 

私心とは、オレがオレがという利己的な心のことです。自分に都合がよく、自分だけがもうければよい、というものです。その私というものを挟んではならないのです。どんな小さな零細企業であろうともリーダーであれば、自分というものを少しも入れずに会社のため従業員のため、世のため、人のためという視点で経営を行っていかなければなりません。 

自分というものを入れなければ、正道を歩むことができると西郷南洲は悟しているのです。 

明治維新後、明治政府は多くの人を、大臣をはじめ様々な政府の役職につけていかなければなりませんでした。誰を役職に任命しようかと考えたときに、明治維新で功労のあった人、活躍した人、頑張った人が大臣に選ばれたり、要職につきました。西郷は“そうではないと思う”、と言うわけです。その官職に耐え得る能力と人格、識見をもった人を選ぶべきであり、功労があったからという理由で官職につけたのでは、政治はうまくいかない。 

功労のあった人には、それは官職を与えるのではなく、その人には俸禄というごほうび、つまり給料やボーナスをあげて大事にしていくようにしなければならない。 

創業当時の小さな零細企業には、似た者同士、つまり会社規模に応じた人材しか集まってこないのです。社長だっていい加減な人です。そしてそれに見合うようないい加減な社員しか集まってこないわけです。ですから最初から、立派な人格を備えた社員を望んでも、しょせん無理なのです。 

会社が大きく成長・発展していきますと、功労のあった人を大事にしなければ、人の道にもとります。株式を上場するときに一緒に苦労をしてくれた人を役職につけることがよくあります。たしかにそういう人たちは会社にとって大変功績があった人たちですが、会社の規模が大きくなり、従業員も数百人となってきた時、その功績があった人がはたしてその役職にたえることができるか、ということを考えてみることが必要です。その役職についた人がりっぱな見識を持っていないために、会社が伸びていかないこともあります。 

功労はあるけれども、能力の足りない人を現在の当社の専務には相応しないからと、追いやり、冷遇し、例えば大手商社出身の人を専務に据えてしまうことがあります。創業当時の功労者はやがて辞めていきます。 

後に来た優秀な人が、会社に対して高いロイヤルティーを持ち忠節を尽くしてくれる保証もありません。また、リーダーとしての見識も持っていないかも知れません。創業の功労者が辞めていくことで、会社を成長・発展へと導いて来た考え方や風土がたちまち希薄化し、社内の従業員のモラル低下につながりかねません。 

遺訓四. 率先垂範で経営にあたる

多くの国民の上に立つ者(施政の任にある者)はいつも自分の心をつつしみ、身の行いを正しくし、おごりや贅沢を戒め、むだを省き、仕事に励んで人々の手本となり、一般国民がその仕事ぶりや生活ぶりを気の毒に思うくらいにならなければ政府の命令は行われにくいものである。 

万民の上に位する者とは政治のトップという意味ですが、経営に当てはめて考えるなら“社長として社員たちの上にたち、人を治めていく”という風に考えられます。 

社長として社員たちの上に立つ者は、いつも自分の心を慎み、身の行いを正しくし、驕りや贅沢を戒め、無駄を省き、慎ましくすることに努め、仕事に励んで人々の手本となり、一般社員がその仕事ぶりや生活を気の毒に思うくらいにならなければ、社長の命令は行われにくいものである、と西郷南洲は説いているのです。 

 “上に立つ者は率先垂範せよ” と西郷南洲は語っています。経営者の後ろ姿で社員を教育するのが “率先垂範” なのです。上に立つ者はいつも自分の心を慎むことが求められています。みだりに心を乱したり、卑しくなったり、粗野になってはいけません。 

自分の心を慎み、行いを正しくして、贅沢を戒め、節約倹約に努め、一生懸命に努力する。そして社員達の手本になり、社員たちがその働きぶりをみて気の毒に思うようでなければ、トップの指示は徹底されず、会社の仕事もうまくいかないのです。 

リーダーのあり方には2通りあります。一つはみんなの後に陣取り、前線の状況を眺めながら、後方から指揮をとるリーダーです。前線の将兵達に伝令を次から次へと飛ばして支持を与え、戦いを進めていきます。 

もう一つは “我に続け” と最前線に出て行くリーダーです。自らが敵陣に切り込んでいくタイプです。 

大企業ではリーダーは後方に陣取り、戦略・戦術、経営計画を練って経営をしていきます。中小零細企業の場合は、リーダーが最前線に飛び出し、部下といっしょに苦楽を共にして戦っていく。その姿を見せることにより部下を指導し、引っ張っていきます。 

ある時は前線に出て兵たちと苦楽を共にし、ある時は後方の陣地にとって返して作戦を練る。作戦を実行する時は、再び最前線にとって返して部下と一緒に苦労する。そういう指揮をとるのが素晴らしいリーダーではないでしょうか。 

遺訓五. 一切の私心を挟まない

ある時、 “人の志というものは、幾度も幾度もつらいことや苦しいめに遭ってのち、はじめて固く定まるものである。真の男子たる者は、玉となって砕けることを本懐とし、志をまげて瓦となっていたずらに生き長らえることを恥とする。それについて自分がわが家に残しおくべき訓としていることがあるが世間の人はそれを知っているだろうか。それは子孫のために良い田を買わない、すなわち財産をのこさないということだ” という七言絶句の漢詩を示されて、もしこの言葉に違うようなことがあったら、西郷は言うことと実行することと反していると言って見限りたまえと言われた。 

西郷は幾度も死線をさまよっています。勤王の志士であった月照上人が幕府に追われ、西郷を頼って薩摩に逃げてきました。当時の島津藩主は月照上人に薩摩から出て行ってくれといいました。薩摩と日向の境で殺されることが分かっていた西郷は、これ以上逃げることはできないと、錦江湾に身を投げます。月照上人は亡くなりましたが、西郷は奇跡的に助かって生き長らえることになりました。一緒に身投げをし、親友を死なせ、自分だけが生き延びるということほどの屈辱はなかったと思われます。 

更に薩摩の殿様に2回も島流しにあうなど、大変な辛酸をなめることになったのでした。

更に西郷は“児孫の為に美田を買わず”と言っています。子供達には財産を遺さないということです。 

我々凡人にはできることではありません。子供や孫はかわいいし、この世の中で少しでも子供や孫に財産を遺してあげたいと思うのは親心と思います。 

西郷は子孫に美田を買わずといい、それを実行した。人間の情としては耐えられないような厳しさを自分に課し、それを実行した西郷のすさまじい生き様でした。 

遺訓七. 策略を用いず、正しい道を貫く

どんなに大きい事でも、またどんなに小さい事でも、いつも正しい道をふみ、真心を尽くし、決していつわりのはかりごとを用いてはならない。人は、多くの場合、何か計略を使って一度そのさしつかえを押し通せばあとは時に応じて何とかいい工夫ができるかのように思うが、計略したための心配事がきっと出てきて、その事は必ず失敗するにきまっている。正しい道を踏んで行うことは、目の前では回り道をしているようだが、先に行けばかえって成功は早いものである。 

 “正道を踏み、至誠を尽くし” とは人間として正しい道を貫き、誠実な心を持って生きていくことです。それは事の大小には限らないのです。中小零細企業の経営にしても、正道を踏み至誠を尽くしてやらなければなりません。 

我々凡人は一時の策略を用いることがあります。事業で、うまくいかなければ、悪知恵をいろいろと働かせてなんとかそれを切り抜けたいと思って策略をめぐらせます。 

どのようにして競争相手から注文を奪おうとか、悪知恵を働かせてしまいます。そういう策略を用いれば、一時はうまくいったように見えます。しかしそういうことを続ければ、そのうち必ず失敗をしてしまうのです。 

正道を踏んで仕事をしていくと、それは回り道のように見えるかも知れませんが、それこそが成功への近道なのです。西郷南洲はこの “正道を踏む” ということを常に言い、最も嫌っていたのは策を弄することでした。 

遺訓十六. 厳しい倫理感と哲学を備える

節義(かたい道義)、廉恥(潔白で恥を知ること)の心を失うようなことがあれば、国家を維持することは決してできない。それは西洋各国であってもみな同じです。上に立つ者が下に対して、自分の利益のみを争い求め、正しい道を忘れる時、下の者もまたこれにならうようになって人はみな財欲に奔走し、卑しくケチな心が日に日に増幅し、節義、廉恥の操を失うようになり、親子兄弟の間も財産を争い、互いに敵視するに至るのである。 

西郷南洲は上に立つ者が節義廉恥、つまり義を守り、恥を知る心を失い、自分のことだけを考えるようになってしまえば、下の者もこれを見習って、国家全体がおかしくなっていくのだと言っているのです。 

我々経営者の場合も同じです。社長である我々の行動、思想を社員たちはよく見ています。 

遺訓二十六. 無私の心で判断する

自分を愛すること、即ち自分さえよければ人はどうでもいいというような心はもっともよくないことである。修行ができないのも事業の成功しないのも、過ちを改めることのできないのも、自分の功績を誇り高ぶるのも皆、自分を愛することから生ずることで、決してそういう利己的なことをしてはならない。 

これは“些(ちっ)とも挟みては済まぬもの也”と同じ考えです。自分だけがよければいいという自分の欲望だけを先行して考え、欲望のままに動くことはよくないことの第一なのです。 

西郷南洲は “無私” の人です。西郷は私というものを捨てなさいとよく言っているのです。ただ自分というものをなくして物事を考えようと思っても、我々凡人から自分自身というものが消えてなくなることは決してありません。煩悩、欲望にまみれているのが我々凡人です。 

しかし自分というものを外して物事を考えるように努めることで、必ず正しい判断ができるようになるのです。経営をするにしても、企業の利益だけで判断すれば、ものごとの本質がみえなくなってしまいますが、“世のため、人のため” に何が正しいかという視点で物事を考えれば、自ずから正しい判断ができるようになります。 

 “わが社が損をしてはいけない。わが社が儲からなければならない。自分が儲からなければならない” という欲望から判断しようとすれば、必ず曇った判断しかできないと思います。人の上に立って企業を経営する者は、経営判断をするときに必ず自分や自分の会社というものを横において判断する習慣をつけるべきです。 

物事を判断するときには “己を愛するは善からぬことの第一” ということを頭に入れて、自分の会社のことは横に置き、人間として正しいのかという視点で判断していくように努力することで、正しい判断ができるようになるのです。 

遺訓三十. 私心のない人物を仲間とする

命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬ、というような人は処理に困るものである。このような手に負えない大人物でなければ、国家の大きな仕事を大成することはできない。しかしながら、このような人は一般の人の眼では見抜くことができない。 

自分と一緒に新しい事業に取り組む人、本当に信頼できる仲間になってもらうべき人は、やはりこのくらいの人物であってほしいものです。しかし実際にはなかなかそのような人には会えません。 

遺訓三十八. 世のため人のためにという思いが、真のチャンスをもたらす

世の中の人の言う機会とは、多くはまぐれあたりに、たまたま得たしあわせのことを指している。しかし、本当の機会とは、道理をつくして行い、時の勢いを見極めて動くという場合のことだ。かねて、国や世の中のことを憂える真心が厚くなくて、ただ時のはずみにのっとって成功した事業は決して長続きはしないものだ。 

中小企業を経営していれば、チャンスをうまくとらえ、新規事業に展開し、会社をさらに立派にしていきたいと考えるものです。我々は常にチャンスをうかがっていると思います。

一般に言われているチャンスとは、たまたまうまくいったまぐれ当りのことであって、たまたまうまくいったものをチャンスと言っているだけのことです。 

西郷南洲は “真のチャンスとは、理を尽くして行い、時の勢いをよく見極めて動くことだ” と言っています。 

塾長がはじめられた第二電電は、国民の電気通信料金を安くしてあげたいという一心だったそうです。その時、自分の心の中は “動機は善なりや、私心なかりしか” と自分自身に厳しく問い正しました。 

電電公社が民営化され、電気通信事業の自由化による新規事業参入が可能となり、百年に一度のチャンスがあったのです。このとき私の心は “動機善なりや、私心なかりしか” と自分に問うていました。 “平日天下を憂うる誠心厚からずして、只時のはずみに乗じて成し得たる、決して永続せぬものぞ” と西郷南洲は説いています。 

百年に一度あるかないかのチャンス - 電気通信事業の自由化を慎重に考えて、第二電電が発足したのでした。大成功をおさめることになりました。やはり真のチャンスというものは単なる偶然の僥倖、つまり棚ぼたではないのです。真のチャンスとは、理、つまり道理を尽くして行い、時の勢いをよく見極めて動く場合にのみ当てはまるのです。 

世人はチャンス到来とばかりに、みな新しいビジネスに乗り出していきます。しかしチャンスをものにしていくためには、かねてから国家天下のことを誠心誠意、憂うような真心、つまり “世のため、人のため” という動機づけ、いわば大義名分がなければならないのです。ただよいチャンスだと、単に時の弾みで乗り出したのでは、一時的には成功するかも知れないが、決して長続きはしないのです。 

遺訓三十九. 才を動かす人間性を高める

今の世の中の人は、才能や知識だけがあればどんな事業でも心のままにできるように思っているが、才にまかせてすることは、あぶなっかしくて見てはおられないくらいだ。しっかりした内容があってこそ物事は立派に行われるものだ。 

才能は使わなければなりませんが、その才能を動かしている人間性、哲学、思想というものが必要であり、その人間性を立派なものにつくりあげていかなければならない。人間性あっての才能だということを忘れずに経営に取り組んでいくことが大切です。“西郷南洲翁遺訓”には、我々経営者が身につけなければならない素晴らしい哲学、思想が述べられています。

盛和塾 読後感想文 第六十六号

次代のリーダーに望む 

アメリカへ進出して来た日本企業や自分で事業を開始された経営者の方々は、異なった文化・人種の中で、頑張っています。経営者の方々の中には不安の中で、家族を養い、従業員へ給料を払い、アメリカの国に税金を払い、長年頑張ってこられています。 

盛和塾は経営の根幹を学ぶ場

盛和塾USAのメンバーの方々は、米国に出て何かをしようとされている方々で、大胆な方が多く、日本の規格に合わない規格はずれの人達だと思います。日本の社会よりも、オープンで、特別企画にとらわれない、チャンスが多いアメリカで夢を描いておられる方々が多いと思います。 

米国に来て、この国の産業界、社会の中で事業を行うということは、無理に海で泳ごうとしているようなものです。泳ぐことが出来ない、水の中で体を浮かすことも知らないという状態だったと思います。泳ぎたいのであれば、まずは水の中で浮かばなければなりません。クロールもあれば、平泳ぎもあります、犬かきもあります。どのように上手に海の中で泳ぐことが出来るのか、学ぶ必要があります。 

経営コンサルタントが書いた経営書は沢山ありますが、“実際に仕事をする場合にはこうするのです” ということを教わる機会は余りないと思います。その為に、わからないまま会社を作り、もがき苦しむことになります。 

アメリカの場合には、人種の違い、言葉の壁に加えて、法律も考え方も違います。人を使って事業をするには日本の何倍も難しいだろうと思います。こうした中で“経営とはこうしなければならない”“社員をまとめ、治めていくにはどうすればよいか”、リーダーとしてトップとして、どのような考え方で経営をすべきか、考えてみることが大事です。 

リーダーは人格者であれ

米国のシンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)という組織の副理事長、デイビッド・アブシャイアさんが塾長の著書  “FOR PEOPLE AND FOR PROFIT” の中にある “リーダーのあり方” に感銘を受けられました。1999年ワシントンでシンポジウムが開催されました。その時、デイビッド・アブシャイアさんが講演されました。“ジョージ・ワシントンがアメリカの初代大統領として選ばれた最大の理由は、彼が素晴らしい人格者であったからです” と述べられました。“アメリカが独立をしたとき、合衆国議会は大統領に強大な権限を与えました。それは初代大統領が素晴らしい人格者であったからです。人間として問題があり、人格者でない者に強大な権限を与えてしまったのでは、アメリカの運命を危うくしてしまう。もしワシントンがそういう人間でなければ、おそらくアメリカ合衆国の議会は大統領というひとりの人間に強大な権限を与えることはなかったでしょう”リーダーとして一番大切なことは。その人が持つ人格であるということをデイビッド・アブシャイアさんは、ジョージ・ワシントンの例を引いて話されました。 

アメリカ合衆国の大統領は、議会で決めたことさえも拒否できるくらいの強大な権限を持っているのです。 

塾長はこのシンポジウムの中で、“人格は変わる”  というタイトルでスピーチをしています。 

“いくら素晴らしい人格をつくりあげたとしても、人格は時間と共に変化してしまいます。権限を持ち、環境が変わり、周囲が変われば、たとえりっぱな人格を持った人でも変わってしまう可能性があります。我々は、変節をしない、強固な人格を持った人をリーダーに選ばなければなりません。権力の座についた途端、傲慢に陥るようなリーダーを選出したのでは、その集団は不幸な目に遭ってしまいます” 

塾長は内村鑑三が著した “代表的日本人” という本の中から  “二宮尊徳”  を紹介しました。一介の農民でありながら誰にも負けない努力をし、田畑を耕し、荒廃した村々を次々に再建し、やがて幕府に召し抱えられることになった人物です。二宮尊徳は労働を通じて不動の人格をつくりあげ、それが立ち居振る舞いにも表われたそうです。 

素晴らしい人間性をもって、一生懸命に努力をしていけば、会社はどんどん立派になっていきます。しかし会社が良くなるにつれ、自分自身に自信を持つようになり、だんだんと傲慢になり、今までは素晴らしい人間性を持ち、謙虚で、努力家であったのに、次第に人間が変わって没落していく。 

リーダーに求められる資質

2001年に東京で、塾長は  “今問われるリーダーシップ”  というテーマで日米リーダーシップ会議を、デイビッド・アブシャイアさんと開催しました。塾長は冒頭のスピーチで、中国の古典の一節から  “一国は一人を以って興り、一人を以って滅ぶ”  からスピーチをはじめました。 

リーダーシップの大切さを述べられました。一人のリーダによって企業が発展し、一人のリーダーのために大成功をおさめた企業が無残にも崩壊していく様を近年、我々は数多く見聞きしています。なぜ、そのようなことが起こるのか。リーダーの資質を考えることによって、解明されます。 

リーダーの資質について哲学者の安岡正篤先生は、知識、見識、胆識という三識で表現しています。知識とは仕事の上で、物知りということです。これだけではリーダーには不足なのです。リーダーには見識が必要です。見識とは  “こうであらねばならない、こうあるべきだ” という信念にまで達した知識です。 

さらに、リーダーは組織の先頭に立ち、集団を導いていかなければなりませんから、統率力が求められます。つまり勇気、豪鬼、決断力、実行力が備わっていなければ、集団を率いていくことはできません。胆識が必要なのです。信念にまで高まった見識を持っていても、それを実行できる胆識がいるのです。信念を実行するには、見識に胆力を加えた、つまり実行力の伴なった胆識にまで高まったものを備えていなければならないと、哲学者安岡正篤先生は説かれています。 

このようなリーダーに必要な資質に加え、ジョージ・ワシントンのような人格者も必要と思います。中国、明時代の思想家、呂新吾先生が著した “呻吟語” の中に、リーダーに求められる資質が述べられています。 

“深沈厚重なるは是れ第一等の資質。磊落豪雄なるは是れ第二等の資質。聡明才弁なるは是れ第三等の資質” 

我々はともすると専門の知識にも長け、弁もたつ聡明才弁なる者をリーダーとして登用します。例えば、一流大学を卒業し、上級職試験に高得点で突破する、いわゆる秀才型の人たちが行政機関のリーダーになっています。呂新吾先生は、聡明才弁という能力は三番目の資質です。一介の役人としては必要で十分な資質です。しかし集団を率いていくリーダーとしては不十分です。 

集団を率いるリーダーは、あらゆる局面で集団を正しく導いていけるだけの勇気が必要です。豪胆で勇気のあるリーダーは磊落豪雄のリーダー、第二等の資質なのです。 

リーダーとして最も大切なことは、深沈厚重、考え深く、信頼に足る重厚な性格をもった人格者であることです。深というのは深山のごとき人間の深さ、沈は沈着毅然ということ、厚重は、重厚、重鎮と同じく、どっしりとして物事を治めるということです。 

リーダーとして必要なものは、一番目は人格であり、二番目は勇気であり、三番目は能力だと説いています。 

大義名分のある使命を明確にし、目標を掲げる

このような資質をもったリーダーが、集団を引っ張って行く為には、ビジョン、目標を掲げることが必要です。目標を達成することが、会社にとって、社会にとって、国家にとって、さらに人類にとってどういう意義があるのか、そのような根本的な問題にまで考えを進め、“誰もが共有できるような大義名分のある使命” を明確にします。 

目標を掲げるだけではなく、ミッション、使命を高々と掲げるべきです。 

中小企業の場合では、大そうなミッション、使命は必要でないかも知れません。簡単で、シンプルなものでもよいと思います。たとえば “従業員の皆さんを幸せにしてあげたいということが我社のミッションです。その為に、売上、利益をこういう風に伸ばしていきたいと思います。社長である自分がお金持ちになるために皆さんに働けと言っているのではありません。私も幸せになりたいし、私の家族も幸せにしてやりたいですが、そのためには、まず従業員の皆さんが幸せになってくれなければなりません。ですから、この会社を立派にして、皆さんを幸せにしてあげること、それがミッションなのです” 

“と同時に、従業員だけではなく、お客様、株主、仕入先、みんなを幸せにしてあげたいと思います。これは非常にレベルの高いミッションです” 

明確な判断基準を持つ

我々経営者はあらゆる面で、物事を決めていかなければなりません。従ってその都度、その都度の判断の時、経営者は明確な判断基準を持たなければならないのです。 

誰にも相談はできません。腹心の副社長、事務がおりますが、本当のところは、腹心であっても相談できない、それがトップの仕事なのです。 

自分の部下に、いろいろな悩みを打ち明け、迷っていることが、筒抜けにわかってしまったのでは、社長は務まりません。悩みを打ち明けることもできず、自分で物事を決めていかなければなりません。 

盛和塾の中では、苦労している経営者同士、食事をしたり、お酒を飲んだりして一晩話して過ごす、そして英気を養い、会社に帰って行く。これが盛和塾の例会だと思います。 

明確な判断基準として、“人間としてやってよいこと、悪いこと”  を判断基準として京セラはここまでやって来ました。嘘をつくな、正直であれ。欲張ってはならない。つまり、プリミティブな判断基準ですが、この原理原則を守って京セラは、こんにちまで企業として道を踏み外すことなく、発展し続けてきました。 

考え方が人生と仕事の結果を左右する

塾長は、大学受験にも落ち、就職でも苦労され、人生と仕事の結果 = 考え方 x 熱意 x 能力という人生方程式を考えられました。 

能力についてはなかなか変えることはむずかしい面があります。頭のいい人は能力も高いと言えます。 

しかし熱意は本人の努力次第で変えることができます。自分には能力がそれほどないが、熱意だけは誰にも負けないという人もいます。それこそ、経営者の中には、年中働きづめで、休みをとったことがない人もあります。 

“考え方” とは人間性、思想、哲学、あるいはその人の人格を投影したものです。考え方が悪い方に向いていますと、すぐれた能力もあり、誰にも負けない努力もしていたとしても、悪い結果になります。例えば、自分のコミッションを増やすため不正をしてしまう、不正を犯してでも一生懸命努力をする、それは自分のコミッションを増やす為であり、後日不法行為として処罰されます。 

道徳・倫理を軽視する今の日本

日本では、立派な考え方を持つようにしなければならないのにも関わらず、最近では、学校でも家庭でも教えていません。道徳や倫理を学校で教育するのがいいと考える先生もいないし、両親も自分自身が教えられていないので、子供に教えることができないのではないでしょうか。日常の生活の中で、食事の時、人間として生きていくための規範が必要なのだということを本当に子供の頃から教えていくことが大事です。子供の学校であったこと、いじめがあった時のことを子供に語らせる、あるいは会社であったことを食事の時に解り易く話すとか、日常の生活の中で、道徳、倫理を語る、人としての道を話し合うことが一番有効な方法だと思います。 

戦後、日本の教育において、“民主主義、自由主義の社会では、考え方や生き方は個々人の自由であるというのが原則である”とされてきました。 

たしかに、どんな考え方をしても自由です。しかしその自由な考え方の結果については、あなた個人が担わなければならないのです。結果に対して、あなたが責任を全てとらなければなりません。あなたの自由な考え方から派生した結果に対して、誰も支援をしてはくれないのです。 

会社には、その会社の使命、ミッションがあります。その使命、ミッションに基づき、目標が定められています。その目標を達成するのに多くの人の協力が必要です。その時、使命、ミッションを理解し、目標を共有し、同じ考え方で協働していくことが必要なのです。 

その為に、京セラでは機会を把えてはコンパをして、京セラフィロソフィーの話をしてきました。食事をし、お酒を共に飲んで考え方の浸透をはかってきました。教育のある能力のある従業員は“考え方は自由でしょう”と言い出します。賢い人は沢山勉強していますから、反論して来ます。こうした反論に対して、ねばり強く話し合っていくことが経営者の大事な仕事なのです。 

若い従業員にとっては考え方が重要だということがわからないのです。立派な考え方をすれば、個々人の生活・人生はたいへんうまくいくはずなのですが、今の日本では考え方が軽視されていると思います。 

経営者の考え方が会社の成長を決める

京都の祇園にメンバー制のサロンができ、塾長はその会合に出席していました。その時塾長は“会社経営とはこうでなければならないと思う” と一杯飲みながら話していました。

ある会社の社長は“私はそうは思わない。こうあるべきだと思います” と反論してきました。この社長は東大卒で、都銀勤めの後、二代目社長になった教育のある、頭の良い人物です。

“私は稲盛さんのようには思わない。京セラは厳しすぎるのじゃありませんか。私の会社は、部下に親しくしているから、従業員も私になついてくれています” 

これを聞いていたワコールの塚本社長が烈火の如く怒られたのです。“おまえは何を言っているのだ。私はこう思うとか、会社経営はこうあるべきだと言っているが、おまえは、稲盛君と対等だと思っているんじゃないか。お前の会社と京セラとを比べてみろ。おまえの会社はお父さんが作ってくれたものではないか。京セラは稲盛君が27歳の時に、徒手空拳でつくった会社だ。京セラはお前の会社の何倍という大きな会社になっている。その立派な実績を持った男が、私はこう思うと言っているんだ。それを素直に黙って聞けよ” 

経営理論としては、たしかにいろいろな考え方があります。しかし、その考え方でやった結果がどうなったかという証明がなければ、議論にならないのです。“議論のための議論では何の結果ももたらされない。おまえのその考え方の会社の姿と、稲盛君の考え方の結果生まれた今の京セラでは、比べるまでもないような差がついている。そんな二つの考え方を比べても意味がない” とワコールの塚本社長は言いたかったのだと塾長は思われました。 

目ざす山によって 考え方のレベルが変わる

企業経営は山登りに例えられます。創業当時の京セラは厳しい経営を強いられてきました。一生懸命、一心不乱になって、経営という山を登っていました。ふと振り返って見ると、京セラの従業員は、アゴを出し、フラフラになって、だいぶ離れたところを歩いています。なかには、こんな厳しい社長にはついていけない、落伍していく人もいます。その部下たちの姿を見て、ゆっくりとした歩みに変えようか、もっとラクな生き方をしようかと思ったそうです。 

京セラをセラミック業界では世界一の企業にしようと目標を定めていました。山登りに例えるなら、何千メートルもあるような垂直に切り立った岸壁をよじ登って行くようなものです。垂直登攀をしているが社員も恐れて辞めていく人もいます。みんなが付いてこれるようにラクなルートで登ってみることも考えました。しかし裾野から緩やかなルートをとり頂上を目指そうとすれば、はるかに道のりは遠くなってしまう。それでは、何合目にも登りきらないうちに一生を終えてしまうのではないかと考えました。 

普通の人はそういう歩き方をして、人生を終えようとしたときに、“もっと高く登りたかったが、三合目しか登ることができなかった。オレはオレなりに頑張ったから、これでいいではないか”なかには迂回路をとっている途中で、頂上への道を失い、途中落伍してしまう人もいるだろう。塾長は、“真上にあるいただきを見据えながら、垂直に登っていこう” と思いました。 

唯、それでは誰もついてこなくなるような気がする。寂しい思いをしたそうです。その時、奥さんに悩みを打ち明けたそうです。“みんなはついてこないかもしれない。しかしオレは自分の決めた道を上っていきたいと思う。おまえだけは必至でオレの尻を押してくれよ” と塾長は言われたそうです。 

厳しい山を登るためには、準備、トレーニング、それに相応しい  “考え方” を自分で作っていかなければなりません。立派な会社をつくろうと思えば、面白おかしい、楽でいい加減な考え方では駄目なのです。

盛和塾 読後感想文 第六十五号

反省ある人生をおくる 

自分自身を高めようとするなら “日々の判断や行為が、はたして人生として正しいものかどうか、奢り驕ぶりがないかどうか” を常に謙虚に反省し、自らを戒めていかなければなりません。 

毎日自分の言ったこと、したことを反省しますと、自らを戒めることができます。毎日反省しないと、人間はいつのまにか油断して気がゆるみ、奢り驕るようになってしまいます。 

忙しい毎日をおくっている私達は、つい自分を見失いがちです。そうならないために、意識して反省する習慣をつけるようにしなければなりません。そして自分の欠点を直し、自らを高めることができるのです。 

 

人生と経営 -経営を大成させる4つの心得 

リーダーとして持つべき人間性を学ぶ

アメリカに来られて事業を展開されている日本人の会社が、大きく成長・発展していないのは何故なのか。アメリカの人たちから “なるほど日本人は素晴らしい人間性を、才能を持っている” と尊敬されるようにならなければならないのです。そうでなければ、アメリカで働いている人達、異なった文化・習慣をもっている人達を使って経営することは困難なのです。 

“リーダーとしてどのような人間性を持たなければならないか” ということを学ぶことが、会社を発展させていくための絶対条件です。外国人の従業員からの尊敬を勝ち取るには、まず、そこから始めていくことが経営者として最も大事なことなのです。 

これまでにアメリカで立派な事業をされておられる方々も、さらに大成していかれる為には、以下に述べる4つの考え方が必要なのです。 

謙虚にして驕らず 

  1. 成功が驕りを生みだしていく

だいたい事業がうまくいき始めますと、人は知らず知らずのうちに驕り高ぶっていきます。ほとんどの人は “いや私は決してそうではない” と言われます。自分自身が驕り高ぶっているかどうかわかるようであれば誰も驕り高ぶったりはしません。自分で驕り高ぶっているかどうかを判断することは難しいのです。成功したことが、知らず知らずのうちに。自分を驕り高ぶらせていくのです。 

“謙虚にして驕らずさらに努力を、現在は過去の結果、将来は今後の努力で” と考えるべきなのです。慢心を戒めることが大事です。謙虚にして驕らずと反省を繰り返していくうちに、自分の才能や能力を自分のものと勘違いして、自分はすばらしい才能を、能力を持っているのだと思いはじめますと、そこから驕り高ぶりが出てくるのです。自分の才能や能力は自分のもの、私物化してはならないのです。才能や能力は、神様からの授かり物なのです。 

  1. 存在という人間の本質

なぜ、自分が持っている才能や能力を私物化してはならないのかは、人間の本質を考えて見ると、明白なのです。 

哲学者の井筒先生はヨガの勉強をされ、瞑想もされておられ、人間や自然界の本質を極めようとされました。瞑想の中で、意識が精妙になり、五感のすべての感動がなくなり、“存在” としかいいようのない意識状態になられたそうです。しかし自分は厳然と存在しているという意識だけが残りました。そこで、自分だけではなく、周りのものもすべて、存在として認識できるのではないかと思われました。存在が花を演じている、存在が井筒という人間を演じていると考えられるのではないかと思ったそうです。 

森羅万象あらゆるものは、存在が演じているのではないか。存在としかいいようもないもので、この宇宙は成り立っている。 

  1. すべてのものに仏が宿る

比叡山の天台宗では人間の本質、ものの本質のことを “山川草木悉皆成仏”-山も川も草も木も森羅万象あらゆるものに仏が宿ると教えています。この “仏” とは井筒先生が言われる “存在といしかいいようのないもの” と同じものです。仏が化身をして、花になり、お米になり、人間にもなっている。生きとし生けるものはすべて等しく同じルーツからできあがっていると考えられるのです。 

  1. 才能は神様からの預かり物

我々はなぜこれほど多様な人間性を持ち、この世に生まれてきたのでしょうか。我々は自分の意思で生まれて来たのではありません。才能や容姿は偶然、皆さんが持ったものであり、神様がいるとしたら、神様から頂戴したものではないでしょうか。 

この世は多様な人間がいます。同じ均質な人間が集まったのでは社会が機能しないのです。それぞれ違った才能を持っているが故にお互いに足りない処を補い合って、協調して社会が成り立っているのです。その為、神様はバラエティに富んだ人々をこの世に送りだしたのです。 

  1. 才能の私物化が傲慢不遜を呼び起こす

神様はバラエティに富んだ人々をこの世に送り込みました。Aさんはある才能にめぐまれており、その才能を生かして成功されたとします。Aさんは、自分は才能があり、こうした成功を手に入れたのだ。従って自分は沢山の給与をもらって当然だと考えてしまうのが人間です。 

しかし先述しました様に、自分の持っている才能、才覚も神様から預かった現世における一時的な預り物なのです。神様、宇宙が自分に与えてくれた、素晴しい才能は、集団の為、社会の為、世のため人のために使えと与えてくれたものなのです。預り物なのです。預り物は自分のもの、私物ではないのです。 

従って、預り物で成功した果実は自分のものではないのです。みんなのものなのです。他の人はそれぞれ違った才能・才覚を神様から預り、その預り物を使って成功しているのです。自分自身の才能に溺れ、傲慢になっていこうとする自分に気づき、厳しく自分を戒めることが大事です。 

思いは実現する 

  1. 思念は業(原因)を作り、業は果(結果)となり現れる

我々人間は “思う” という行為をします。思念(思うこと)は物事がもたらされる原因を作るといわれています。 

すなわち、思いは原因を作り、原因は結実して実(実現)をむすぶということだと思います。思いが原因を作りますとそれが現象面に現れて実現するのです。何かを思ったことが、業(原因)が発芽し、自分の目の前に、現象面に現れてくるのです。善いことを思えば必ず良い結果が生まれ、悪いことを思えば必ず悪い結果を招いてしまうのです。 

  1. 災難、困難は業が消え去るとき

仕事をしていますと、いろいろな災難や困難なことに遭遇することがあります。職場で、上司や同僚や部下とおり合いが悪くなった、お客様からしょっちゅう苦情がくる、仕入先が納期を守ってくれない、様々なことに直面します。ときには人から避難中傷を受けることもあります。来る日も来る日も重苦しい空気に圧倒され、生きているのも嫌になるくらい苦しい日々もあります。 

災難があったとはどういうことなのか、それは我々が過去に心に思ったことが現象面に現れて来たからなのです。業(原因)が表面化したことなのです。災難に遭遇したのは、過去の思いが現れ、消えていくことなのです。ですから、災難にあったら、自分の思いが間違っておったと気づかされる機会なのです。 

自分がなぜ困難に遭わなければならないのかと考えた時、自分がその原因を作り、自分のまいた種が結果として困難を作ってしまった、自分にその原因があったことに気づくことが大事です。 

過去に悪いことを思い、悪い行いをして、たくさんの業(原因)を積み、たくさんの原因をつくったことが災難という形で現象面に現れた、そして、それ(災難に遭うこと)によって過去に積んだ悪い業が消えていった。 

それはちょうど川の中のゴミ(悪い思い、業、原因)が、洪水(災難)によって、洗い流されたとと考えるべきものです。 

  1. 因果応報の法則のままに

“我々の思いが災難や幸運として必ず実現する” と言ってもなかなか信用してもらえないことがほとんどだと思います。思ったことが結果として現われるまでには大変な時間がかかってしまうのです。 

人には生まれた時から運命があると言われています。運がよい時もあれば悪い時もあります。運が悪い時に直面します。仮に善き思いを持ち、善きことをしても、その時は、悪い運命と相殺され、多少悪い運を上向きに訂正する程度になることもあります。逆に、悪いことを思い、悪い行いをした時、良い運の波に乗っていますと、良い運が悪い思い、悪い行いから来る悪い結果を相殺してしまいます。こういったことがある為、人々は “因果応報の法則” を信じないのです。 

私達の周辺では、素晴しい行いをしているのに、それほど幸せな人生を送っていない人もいます。逆に、横着でわがままで悪い人なのに、幸せそうに暮している人もいます。短期間で見れば、そう見えるのですが、二十年、三十年と達して見てみますと、“因果応報の法則” が厳然と働いていることがわかります。善いことをした人には必ずよい結果が生まれていますし、悪いことを思い、悪い事をした人には必ず悪い結果が生まれています。 

先般のバブル経済時、りっぱな経済人、経営者が、バブル崩壊後、傷つき、消えていきました。 

独りよがりで、エゴの塊(かたまり)となった思念、思いは、いずれ必ず自分の身を滅ぼすという結果を招くことになります。 

宇宙はあらゆるものを成長発展させる 

宇宙は、素晴しい努力をしたすべてのものを必ず成長・発展させます。自然の力が、この宇宙には流れています。発展を促すと同時に、宇宙には調節をもたらす力も働くようになっています。“宇宙の法則” といえます。 

調節するとは、すべてがうまくいくように、利己から利他へという力が働いているということです。 

宇宙がはじまる時は、この宇宙は、ひと握りの素粒子でしかなかったものが、大爆発を起こし、今も膨張を続けているそうです。 

素粒子から陽子、、中性子、中間子、さらに原子核が構成された。原子核に電子がつかまり、水素原子が生まれた。こうした宇宙の働きが我々人類を生みだしました。 

この宇宙には森羅万象あらゆるものを進化発展させようとする力が働いています。仏教でいわれている慈悲、キリスト教でいわれている愛が、この宇宙には充満していると考えられます。 

利他の心が調和をもたらす 

  1. 愛が持つ二つの力

経営者は、他のものと調和を図ろうとする利他の心を持つことです。宇宙の “すべてのものを成長・発展させよう” という愛、その愛は調和をとる方向へも力を働かせています。 

地球には “引力” がありますが、“摩擦” があります。下道をころげる力(引力)に対して、それをとどめようとする力(摩擦))があるのです。 

巨大化した企業は独占企業となり、社会の発展の妨げになりますと、政府機関から独占禁止法が制定され、分割されていきました。分社化された企業は、異なる分野へと進出して成長・発展してきました。これは調和をはかる為に必要なことなのです。 

  1. 思いやりの心が他との調和をもたらしていく

巨大に成長・発展していくものが、宇宙、社会のバランスを崩して潰えていく、すなわち、自分だけが成長・発展するのではなく、他とも一緒に成長・発展し、共に生きていこうという思いやりの心が大切です。 

自然界に於ても、巨大化したものは分解され、消滅し、新しいものに変革されて来ました。 

宇宙には愛という力が存在し、その力はすべてのものを成長・発展・進化させるようとする方向に働きます。一生懸命生きようとする、努力をするものに対しては宇宙は無限の愛を注いでくれると思われます。私達が一生懸命に努力をすれば、必ず会社はうまくいきます。会社がうまくいかないのは、私達の周囲の責任ではなく、自分自身の努力不足だからです。 

うまくいっている人は、朝から晩まで本当に一生懸命に働いています。一生懸命に働き、一生懸命に努力すれば、宇宙が応援してくれるのです。 

宇宙は引力と摩擦、成長・発展と分解というように、調和も求めています。自分だけがよければよいという考え方、つまりエゴ、利己は宇宙が望まないのです。 

自分の会社をよくしていくなかで、自分の従業員を幸せにしようと思います。従業員を幸せにする為には、仕入先も幸せにする、あるいは地域社会の人達も幸せにしたいと考える、これが宇宙が求めている調和の世界なのです。 

努力して会社を成長・発展させながら、同時に心の奥底に利他の心、愛の心、思いやりの心を持ち、調和していこうという生き方が大切です。 

  1. 心がつくる四つのゾーン 

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Y軸は努力の程度を表します。上の方向は努力、下の方向は怠ける方向です。

X軸は、右への方向は家族、従業員、お客様、仕入先、社会のため、利他の心、左の方向は自分だけがよいという利己の心です。 

Ⓐの世界:一生懸命努力します。しかし自分だけがよければよいと考えています。成功は長続きしません。波乱万丈です。 

Ⓑの世界:一生懸命努力します。しかし利他の心が充満しています。現世における極楽です。 

Ⓒの世界:怠けもので、しかも、自分だけがよければよいと考えています。年中不満をいいます。俺はやっているのに、周りの連中がおかしいと、年中愚痴っています。地獄です。 

Ⓓの世界:一生懸命努力はしない。成長・発展する気がありません。植物界です。 

私達はⒷの世界を目指すのです。一生懸命に努力し、利他の心を持ち、美しい心根を持っていれば、限りなく成長・発展していく世界です。 

素晴らしい経営を目ざして 

  1. 四つの心得を守れば必ず大成する
  2. 謙虚にして驕らず:自分の才能を私物化してはならない
  3. 因果応報の法則:善き思いを一生持ち続けるように努力する
  4. 宇宙の法則:宇宙には努力をするものを進化発展させる力があり、調和を求める力がある。努力をした人には宇宙が応援してくれる。
  5. 宇宙や社会と調和をしながら発展していく 
  1. 経営の原点12ヶ条を血肉化し、尊敬を得る経営者に

盛和塾で学んだことを、繰り返し繰り返し、読み、実践していく努力、血肉化をすれば、尊敬される経営者になれます。

 

盛和塾 読後感想文 第六十四号

公明正大に利益を追求する

会社は利益を上げなければ成り立ちません。自由市場において競争で決まる価格は正しい価格であり、その価格での商売をして得られる利益は正当な利益です。厳しい価格競争のなかで、合理化を進め、付加価値を高めていく努力が利益を生みます。 

お客様の求めに応じて堂々と努力を積み上げることをせずに、投機の不正で暴利を貪り、一獲千金を夢見るような経営がまかり通る世の中ですが、公明正大に事業を行い、継続して正しい利益を追求し、社会に貢献することが大切です。 

長きにわたり正しい利益を追求し、お客様の要求に応え、従業員の生活を守り、仕入先と共に商売を続ける、あるいは社会の為に尽すのは、公明正大な商いなのです。また、その利益は、社会が会社の存在価値を認めた証拠でもあるのです。利益を上げない社会に役立たない会社は淘汰されて生き伸びることができません。 

美しい決算書 京セラの決算書に見る会計のあり方

公認会計士の永津洋之さんが京セラの決算書を分析しました。会計の原理原則 - 塾長著書“実学 - 経営と会計”の中で、塾長は次のように述べています。“原理原則に則って物事の本質を追求して、人間として何が正しいかで判断する”。会計の世界にも、原理原則があります。原理原則を踏まえた経営を行わなければ、企業は長期的・継続的に成長・発展することはできません。 

会計の面で時代に左右されない揺るがない原理原則の一つに“キャッシュベース経営の原則”があります。資本金として出資されたキャッシュがどのように使われたか、売上でいくら入金があったのか、手許にはその結果としていくらのキャッシュがあるのか、そのキャッシュが増えていくことが自己資本の増加になり、新たな事業展開の元手となっていきます。 

経営者は、新しい事業への投資、次の成長へのステップを登ろうとしますと、必要に応じて使える資金が必要となります。自己資本の充実、内部留保を厚くする以外に、資本の源泉はないのです。 

筋肉質経営を支える3つの柱

京セラ会計学が京セラの財務諸表に反映されています。 

  1. 減価償却(物理的・経済的耐用年数)

京セラでは機械設備の減価償却は必ずしも税法規定の耐用年数を採用してはいません。物理的に見て、経済的に見て、耐用年数を決めているのです。税法規定では耐用年数が3年となっていたとしても、物理的に1年しかもたない機械設備は、その年に全額償却します。また、2年しか使えない(注文が3年も続けてない場合)、たとえ物理的に5年もったとしても、2年で償却します。 

多くの会社では、会計慣行や事務処理の簡略化のために税法の耐用年数を採用しています。 

  1. セラミック石ころ論

仕入れた品物、製造された製品の中には、売れ残るものが多かれ少なかれ発生します。今後も売れる見込みのないものまで棚卸資産として何度も棚卸されているケースもあります。 

棚卸は、本来経営者が自分の目で見て、自分の手で触れて行うべきものです。経営者は棚卸現場で、処分するべき滞留資産を決定していく必要があるのです。過剰、滞留、陳腐化した棚卸資産には、京セラでは特に注意しています。 

  1. 棚卸評価(売価還元原価法)

京セラでは、棚卸資産の評価方法として売価還元原価法を採用しています。棚卸資産の評価価額 = 予想売価 - 一般管理販売費 – 目標利益、すなわち正味実現可能価額で評価しています。

通常は材料費、労務費、製造間接費、すなわち製造原価を評価額としています。従ってこの製造原価方式では、市場とは全く関連していないもので、売って見なければ本当の価値はわからないというものです。 

売価還元法の基本的な考え方は、

“資産というものは、利益に貢献するものであり、利益に貢献しないものは資産として計上すべきではない”ということです。 

高いレベルの筋肉質経営を京セラの決算書に見る 

京セラ連結財務諸表指標(US GAP)

  3月31日
  2009 2010 2011 2012 2013 2014
売上高(百万円)     725,326     818,626  1,285,053  1,034,574  1,069,770  1,140,814
売上高増減額(%) - 12.00% 58.10% -19.50% 3.40% 6.60%
売上高総利益率(%) 25.80% 27.90% 30.90% 23.10% 25.60% 24.60%
売上高廃管費比率(%) 18.10% 16.60% 14.80% 18.10% 17.80% 15.00%
税引前営業利益率(%) 7.70% 11.30% 16.10% 5.00% 8.70% 9.60%

売上高を見ますと、2009年の7千200億円、2010年8千100億円(12%増)、2011年1兆2千800億円(58%増)となっており、総利益率も2009年25.8%、2010年27.9%、2011年30.9%と売上が上昇しています。固定費の上昇を抑えた結果、売上増と同じ率で売上原価は上昇していません。売上高販管費は2009年18.1%、2010年16.6%、2011年14.8%と売上増加率上昇とともない、下って来ています。これも販管費の固定費の上昇を抑えた結果です。税引前営業利益率は売上増にともない2009年7.7%、2010年11.3%、2011年16.1%と驚異的に上昇しています。 

これは、できるだけ固定費の上昇を抑える方針の結果と売上を最大に経費を最小にするという経営の原点12ヶ条の第5を実践した結果だと言えます。 

しかし売上高は2012年1兆3百億円(19.5%減)。2013年は1兆7百億円(3.4%減)、2014年1兆14140億円(6.6%増)と微増となっています。売上高純利益率は2012年23.1%、2013年25.6%、2014年24.6%、売上原価の中の固定費増を吸収できなかったと言えます。しかし販管費比率を見ますと、2012年18.1%、2013年17.1%と上昇しましたが、2014年には15.0%と大幅に減少しています。税引前営業利益率では2012年5.00%、2013年8.7%、2014年9.6%と、販管費を抑えて、上昇しているのです。

これはおそらく、販管費の中で大きな比重を占めるであろう人件費削減の為に人事異動をして、固定費増を抑えた為だと思われます。 

京セラ・経営会計原則とアメーバ経営の結果が上記の数字としてあらわれているのです。

 一対一対応の原則

完璧主義の原則

ダブルチェックの原則

採算向上の原則

ガラス張り経営の原則

保守主義の原則 

 

頭で理解しても、なかなか実践することはできないのですが、経営と会計の原理原則、これを徹底して実践する、やり続けることが不可欠なのです。 

美しい決算書

京セラの決算書を読みとっていきますと、保守主義の原則がいたる処で発揮されています。資産サイドでは、不良在庫、滞留在庫、陳腐化した在庫の削減、売価還元法による実現可能価額の評価、物理的・経済的耐用年数による設備機械の減価償却、投資損失引当金計上、負債のサイドでは返済損失引当金、製品保証引当金、借入金を極力抑える、その結果、自己資本率を80%にまで高めています。 

大規模な企業となった京セラですが、会計処理、方針の選択には原理原則、厳しい会計に対する思い・哲学が反映されて浸透し、貫かれていること、更に利益をコツコツと積み上げ、自己資本充実に努めているのです。このような観点から京セラの決算書は美しいのです。 

“京セラでは会計学とアメーバ経営と呼ばれる小集団独立採算制度による経営管理システムが、両輪として経営管理の根幹をなしている。それは京セラの経営哲学という基盤の上に会計学とアメーバ経営という2本の柱によって支えられている家にもたとえられる”と塾長は“実学”の中で述べています。

 

編集後記

塾長は2007年2月15日の全国世話人会での講話の中で、盛和塾を“実践型経営塾”とすべく、企業経営のレベルに応じた経営者のあり方ということを語られました。 

すなわち人を見て法を説くという発達段階に応じた教えについて話されました。 

  1. ただ必死に働くことを通して経営を知る発達段階
  2. 人の使い方に悩むレベルで、先人先賢の言葉を使い“惚れさせなければ本物の経営者ではない”という発達段階
  3. 会社の意義・目的を明確にし、数値目標をしっかり掲げるレベルの発達段階
  4. 損益に悩む段階で、損益計算書の見方を知り、損益計算書が実際の経営を語り掛けてくるまで、売上最大、経費最小を徹底するという発達段階 

企業の規模や発達段階によって経営の勉強は力点に違いがあります。まず共通して大事なことは、フィロソフィーと述べられています。その為には盛和塾機関紙のバックナンバーを繰り返し繰り返し読む中で、“気づき”が生まれ、その繰り返しが“気づき”を本物にする、実践するレベルに達します。企業永続のカギは愚直さとクソ真面目にあります。 

塾長は絶えず人の為、世の為を考えて、語り、行動しています。相手の人(従業員かも、お客様かもしれません)がどういう人かによって、語る言葉を選んでいると思われます。仏様があらゆる人の人生コンサルタントになれたのは、絶えず相手の考え、立場を考えておられたからだと思います。 

矢崎勝彦さんの編集後記です。

盛和塾 読後感想文 第六十三号

ものごとをシンプルにとらえる

ものごとの本質をとらえるためには、実は曖昧な現象をシンプルにとらえなおすことが必要なのです。事象は単純にすればするほど本来の姿、すなわち真理に近づいていきます。 

一見複雑に見える経営も、つきつめてみれば“売上を極大に、経費は極小に”という単純な原則に尽きるのです。京セラの“時間当り採算制度”もこの単純化してものごとをとらえるという考え方をベースにしています。 

単純化しますと、誰もが理解することができます。そこから、実践することができるようになります。いかにして複雑なものをシンプル化してとらえなおすかという考え方や発想が大切なのです。 

会計“能力”を高める 

経営者としての“能力”を高める

人生と仕事の結果を決める三つのファクターとして、考え方 x 熱意x能力があります。能力は持って生まれてきたものなので、人それぞれ違います。人間に与えられた能力は変えることはできないのですが、能力にはいろいろな分野があり、ひとり一人がユニークな能力を持って生まれて来ているといえます。 

ある仕事をする時、自分には十分な能力があると自信を持って優秀だと思っている人もありますが、いや自分には大した能力はないが、“誰にも負けない努力”を払う熱意を持っている。熱意でもって能力の差を埋めることができるのです。 

考え方と熱意で全力疾走した京セラは自分たちの持っている能力、技術は決して優れたものではないと自覚していました。自分たちの取り柄は熱意しかないのだと思った京セラの経営者、従業員は、朝から晩まで必死に働きました。 

マラソンに例えれば、京セラが競争している相手は、京セラのはるか先を走っている人たちでした。そのマラソンレースに無名の能力のないランナー京セラが参加したのです。自分の調子に合せて走っていたのでは勝負にならない。100メートル競走と同じスピードで走り続けようではないかと考えたのでした。 

無謀にも近い情熱と努力で走り始めたのでした。そのように走っていくうちに、次第に慣れてくるのです。例えば工場の中で動き回る際にも、駆け足で次の課に行くという具合です。100メートルダッシュのスピードを維持しながら長丁場を走ることが可能になり、こんにちの京セラを作ってきたわけです。 

考え方では、良い考え方と悪い考え方があります。良い考え方はプラス、悪い考え方はマイナスです。自分の能力と熱意により頑張ってきた仕事も、良い考え方をしなければプラスにはなりません。良い考え方とは、事業の目的・意義を明確にし、大義名分のある誰もが同意する哲学のことです。良い考え方は周囲の人、お客様、社会から受け入れられます。能力もたいしたことはないが、熱意があり、良い考え方がある場合は、すばらしい結果を生みだすことになります。 

考え方がいい加減なものであった時は、その差は大きく広がっていきます。事業経営であれば、その差が会社の成長にそのまま現れ、素晴しい立派な会社、平均的な会社、消滅していく会社という大きな差になっていくのです。 

経営者が自社の会計システムの有効な使い方を知り、実践しているかどうかが大きな格差をつくります。立派な考え方があり、誰にも負けない熱意がある経営者が、会計システムの有効な使い方を知り、事業経営に役立てるようにすることが必要なのです。“会計が分からんで経営ができるか”ということなのです。 

経営トップが経理・会計というものを十分に理解し、それを分析する知識がなければ、会社というものは決して立派になりません。 

  1. 一対一対応の原則 

モノ、お金の動きと会計処理(伝票)は一致させる

月次決算を見てみますと、今月はマイナスでしたが、翌月は急に利益があがったということがあると思います。これは、一対一対応ができていない証拠なのです。売上は毎月同じレベルなのに、利益は毎月大巾に変動することはないはずなのです。 

利益変動の原因はモノと伝票の不一致によるものなのです

品物の仕入があり、倉庫に入庫しましたが、仕入書類が届いていない為、仕入の計上ができていない場合があります。お客様からは、早く納入するように催促され、仕入計上はしていないが売上が計上されます。そうしますと、売上原価はゼロで売上は計上されます。大きな利益が計上されます。

翌月仕入計上がされ、売上原価が発生します。しかし売上は先月計上されていますから、売上計上はありません。大きな損失が発生します。 

仕入書類がまだ届いていないが、品物が入庫・検品された時はどう会計処理するか、経営者、経理担当者は知っておく必要があるのです。 

(借方)棚卸資産 100,000 (貸方)買掛金 100,000

    (発注書をもとに仮計上)

(借方)仕入諸掛り 5,000 (貸方)買掛金 5,000

    (仕入諸掛り 見積もり5%) 

このように品物が売られた時には会計処理(売上伝票)もついていく、また品物を買った時には、会計処理(仕入伝票)がついていく、経理の基本が抜けてはならないのです。これを発生主義会計といい、現金主義会計ではない考え方なのです。現金主義会計では実際に売上入金、仕入支払いが起こらない限り、会計記帳はしないのです。 

意図的な経理操作を防止することが大切です。

出張仮払いには担当部署の職員が仮払い申請書を作成し、担当部署の課長の承認を得、経理へ提出し、経理の許可をもらって、現金を受け取り、出張します。出張した後は、直ちに出張精算をします。 

ところが社長は経理に行き、仮払い申請書も作成せず、直接現金を受け取ることがあります。出張後も精算せず、精算処理が何か月も放置されます。部長も課長も社長と同じことをするようになってきます。 

これも一対一対応の原則を無視した例です。経営者が一対一対応の原則を守らなければ、社員も同様なことをするわけです。 

商社の場合は、売上の貸し借りをすることがあります。今月は1億円売上が足りない、長年のお客様に電話で“申し訳ない、今月売上が1億円足りないので、こちらで売上を今月計上させて下さい、来月には返品処理をしますから”と依頼します。品物は届けませんし、返品もありませんが、会計処理(売上伝票、返品伝票)はなされるのです。これも一対一対応の原則を無視した、経理操作が行われる例です。 

しかし来月も売上目標が達成出来ず、ますます深みにはまり、粉飾決算になってしまうのです。 

納品伝票がない為に売掛金の回収ができない

お客様から電話があり、すぐに部品を持ってくる様依頼されることがあります。セールスの人は倉庫に行き、倉庫の担当者にお客様の要望を伝え、部品倉庫の棚の部品を自分の車に乗せ、お客様に届けました。この時、発注伝票、納品伝票も作成していないのです。 

一か月後、売掛金の回収に行きました処、お客様の仕入部買掛担当の職員は、“お宅の方からの仕入れの記録がありません。何かの間違いでしょう”と支払いを断られます。何月何日に研究所のAさんに部品をお届けしたのですが、Aさんも忙しさにまぎれて、記憶にありません。こうしたことは一対一対応の原則を守っていない為に発生するのです。 

納品伝票は必ず発行して受領印を必ずいたたくことが必要なのです。面倒なことですが、こちらから納品書を持って行き、お客様から受領書にサインをいただければ、お客様の方では買掛金に計上され、こちら側では売掛金に計上されます。

すなわち、品物がお客様へ届けられた時は、お客様では会計処理(仕入伝票)がなされ、こちら側では会計処理(売上伝票)がなされなければなりません。 

売掛金回収、買掛金支払処理にも一対一対応の原則

お客様への売掛金で今月は5千万円の回収予定です。その内訳は請求書A、B、C、Dの合計額です。ところがお客様の資金繰り上、とりあえず3千万円入金されました。売掛金を回収してきたセールスマンは、どの請求書が回収されたのかわからないのです。とりあえず3千万円もらって満足しているのです。 

この3千万円は請求書A、B、C、Dのどれの回収かはっきりさせておく必要があるのです。コンピューターシステムの売掛金のプログラム上、一つ一つの請求書毎に3千万円を当てはめていく必要があるのです。こうしたことが発生しますと、売掛金担当の営業部の職員や経理経理職員に、余計な仕事をさせることになると同時に、お客様との関係にも悪影響を起こします。従ってセールスマンは一対一対応の原則に基づき、お客様にこの3千万円はどの請求その支払いなのか、はっきりさせておくことが必要なのです。 

お客様の仕入部門、買掛担当/経理担当も、どの請求書が支払われ、合計3千万円と明確にとらえていないのです。お客様も一対一対応の原則を守っていないのです。 

この一対一対応の原則は経営者自身が社内に伝え、管理していかなければならないのです。トップ自身が率先重範し、その姿勢を示し続けることが必要です。 

  1. 筋肉質の経営に徹する 

不要な在庫を処分する

製造メーカーの場合、棚卸資産として、原材料、製品、梱包材があります。これらの在庫を十分に管理していくのは経営トップの仕事です。営業、倉庫、製造部門に在庫管理を委ねていますと在庫は水膨れしていきます。 

在庫の水膨れは、在庫が増加するだけではなく、在庫となっているものの中には商品価値のないものもあります。また、在庫管理が不十分である場合、原材料の在庫が不足し、緊急に仕入をしないと、製造に支障をきたすことがよくあります。緊急に購入しますと、仕入価格も高く、運賃も高く、高価な仕入れになることがよくあります。 

また、お客様からの注文が100個ですが、150個製造したほうが製造コストが下り、原材料仕入単価も安くなるということもあります。ところがお客様から50個の追加注文がないかも知れません。そうしますと、50個分は滞留在庫として残り、商品価値がなくなることにもなります。こうした場合は50個分の棚卸資産評価はゼロとすべきです。滞留在庫の評価はあくまで正味実現可能価額を見積って評価計上すべきなのです。すなわち、売値見込額 - 一般管理販売費 - 目標利益 = 棚卸評価額とすべきなのです。 

リーダー自身が在庫の管理を徹底的に行う、不要なものは処分して行かなければならないのです。 

在庫管理の考え方は、固定資産の管理にも適用できます。不要な、使い道のない固定資産は処分していくことが必要です。使い道のない固定資産は場所もとりますし、工場の清掃作業の妨げになります。 

固定資産は経済耐用年数で

設備投資の減価償却はどの企業も税法に定められた耐用年数で償却するのが普通です。例えば金型は3年償却という具合です。お客様は同じ金型を使って3年間注文をしていただけるという前提なのです。ところが、異なった目的で、異なった製品を作る為の金型は、摩耗がはげしく3年も使用することは出来ないことがあります。1年しか使えない場合もあります。お客様からの注文が1回限りということもあるのです。ですから金型は、1年後には無価値の役立たない固定資産となります。そうした金型は1年で償却、または経費処理をしなくてはならないのです。 

ですから設備は経済的耐用年数で償却することが正しい会計処理になるわけです。 

当座買いを徹底する

原材料は荷造り梱包材の在庫はできるだけ持たないようにするのです。大量に仕入れますと、単価を安くしてもらえるので、1か月使用する原材料をその3倍の3か月分の仕入をするようなことがあります、まとめ買いをすることがあります。

お客様からの発注が3か月分確実にあるという保障はないのです。そうした場合のリスクを考えて、原材料はたとえ仕入価格が10%高くても1か月分だけ仕入れるようにする。まとめ買いはしないのです。 

必要なものは必要なときに当座買いをするという当座買いの原則を守ることが大切です。 

当座買いには、次のようなメリットがあるのです。

1)      長期滞留在庫を削減する

2)      余分の原材料を買わない為、原材料を一つずつ丁寧に使い、乱雑に取り扱わなくなります。原材料の消費を節約します。

3)      在庫が削減されますと、仕入費用や倉庫のスペース節減、保管費用が少なくなる、また月末の実施棚卸もより簡単になります。 

売掛金・買掛金を減らす

売掛金の回収は出来るだけ早くするように努力が必要です。営業はモノを売るだけではなく、売掛金の回収にも責任があるのです。売掛金の分は銀行から借り入れを積んでいますから、銀行に支払い金利が発生します。売掛金残高が膨らむと、支払い金利も大きくなります。 

買掛金も同じくなるべく早く支払うようにして、買掛金も減らしていく。買掛金が増えていけば、金利のかからない手持ちの資金が増えることになりますから、良いと考えられています。しかし買掛金の残高が増え、資金が増えますと、経営者は自分の会社の手持ち資金が増加したと勘違いします。また、買掛金の支払いを早くすることによって、仕入値を下げてもらえることがあります。 

投機をしない

投機はしません。額に汗して稼いだものしか利益としない。苦労せずに手に収めたものは利益ではないのです。ですから、株式などの投機的なことは一切しません。 

  1. 完璧主義の原則 

製造工程の途中でちょっとしたミスをすれば、その製品すべて不良品になってしまいます。管理部門、営業部門ではコンピューターや紙で仕事を処理していきますが、若干数字が間違っても指摘されればコンピューターの画面で訂正、または消しゴムで消し訂正することができます。そういう簡単に訂正できるようなミスを日常的に見過していたのでは、経営はできないのです。 

レストランでも出したお料理が、味がおかしかったり、塩からかったりしましたら、お客様から苦情が出て、やり直しになります。それは信用をなくすことになり、二度とそのお客様は来てくれなくなります。そのお客様は友人にまずい料理を出されたことを話します。1人のお客様を失えば10人のお客様を失うと考えるべきなのです。 

経理も営業も、モノ作りと同じように、ちょっとしたミスで全部がパアになってしまうのだという意識を持たなければなりません。つまり、完璧主義を貫いてもらうのです。常に有意注意で真剣に数字を見る習慣がついていますと、書類を見た時、すぐにおかしい、間違った数字がわかるのです。 

  1. ダブルチェックの原則

すべてのものはダブルチェックしなければなりません。ダブルチェックは経理のみならず、会社の中の人と組織の健全性を守る“保護メカニズム”です。 

ダブルチェックをすれば、会社の業績向上に貢献するだけではなく、人を罪に陥れるようなこともなくなるのです。これは、人に罪をつくらせないシステムなのです。 

入出金の場合、お金を扱う人と帳簿をつける人は別々の人にします。毎週、現金残高と帳簿残高を照合します。2人でお互いにチェックする形になるのです。 

会社の代表者印も同じくチェックがされるようになっています。

経理部長は代表者印を捺します。

経理部次長は代表者印の入った金庫のカギを持っています。

経理部長は金庫の中にある代表者印の入った箱のカギを持っています。

こうして3人が代表者印の管理に携わっています。二重三重のチェック体制をとるようにします。 

モノを仕入れる時もダブルチェックのシステムが有効です。たとえば製造担当者が設備を購入しようとした場合、製造担当者は上司の承認を受けた後、資材部に設備購入申請書を提出します。担当者が仕入業者と交渉したり、値段を決めたりはしないのです。設備購入申請書を受け取った資材部は、たくさんの業者とコンタクトをとり、見積もりをとります。そして、よくて一番安い業者に発注します。従って製造担当者が指定して来た業者から仕入れするかどうかは資材部が決定するのです。 

  1. キャッシュベース経営の原則 

”経営というものは難しく考える必要はありません。売上を最大に、経費を最小にするだけでいいのです。“ 

経営は現金預金に始まり、仕入、製造、販売、一般管理と使われ、最後に現金預金に帰結します。このように経営を見てみますと、経営の結果を現金の流れをしっかりと見ることによって、業績 - すなわち現金預金が年初と比べて年末にいくら増えたかを判断することができるのです。売上を最大にして色々な経費をできるだけ少なくすれば、業績は向上します。 

これは財務諸表(損益計算書、貸借対照表、資金繰り表、脚注)の中の資金繰り表としてキャッシュベース経営が表示されています。

盛和塾 読後感想文 第六十二号

売上を極大に、経費を極小に(入るを量って、出ずるを制する) 

経営とは、非常にシンプルなもので、その基本は売上を大きくし、いかにして使う経費を小さくするかということに尽きます。利益はその結果です。私たちはいつも売上をより大きくすること、経費をより小さくすることを考えればよいのです。 

通常の事業の場合、売上利益率は何%だとか、一般管理販売費率は売上の何%だとか、これを達成すれば良し、ということにしてはならないのです。 

売上極大、経費極小のための努力を、日々創意工夫をこらしながら粘り強く続けていくことが大切なのです。 

経営の原点12ヶ条の第5条、 “売上を最大限に、経費は最小限に” に、このことが述べられています。 

盛和塾入塾の意味と目的 

盛和塾のメンバーが、盛和塾に入って、会社が立派になった、本当によかったと思ってもらうことが目的です。 

会社を発展させる目的

入塾した経営者の方々は、自分の会社を良くしたい、一日でも早く自分自身が経営者として安心できる会社にしたいと考えています。 

会社を良くしたいと思う第二番目の理由は、従業員が安心して勤務できるようにしてあげたいということです。従業員の人達が自分の勤めている会社は利益もあげ、立派な経営をし、待遇も決して他社に引けを取っていないという誇りを持ち、会社に信頼を寄せる。そういう会社に勤務している自分自身も誇りに思うし、勤務していることに心から喜びを感じる。従業員がみんなそう思えるような会社にしたいと思っています。 

第三番目には、国や社会に貢献できるような企業にしていきたい、企業としてあげた利益は、(日本では) その半分は税金として納めることになります。企業の利益、また個人の所得から税金が納められ、日本の社会と国家が成り立っています。利益を出すことは、社会に貢献していることになります。 

全従業員の物心両面の幸福と人類社会の進歩発展に貢献するために

経営者である自分自身の給料を少しでも高くし、自分の財産を増やしていきたいという目的から経営をはじめた経営者もいます。しかしこのような私利私欲に満ちた目的で、または無目的で、経営はしてはなりません。京セラでは “全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類・社会の進歩発展に貢献する” という会社の経営理念を掲げました。 

経営の原点12ヶ条の第1条には、“事業の目的・意義を明確にする” とあります。事業の目的・意義というものは、自分に都合の良いものではなく、大義名分のある公明正大で高邁なものでなければなりません。自分も含め、全従業員を物質的にも精神的にも幸福にしていくことが経営の目的なのだとはっきりとさせるべきです。 

全従業員が物心両面の幸福を感じ、働くことに喜びと感動を感じてくれるような会社にしていく、従業員が喜んで働いてくれることで、会社もますます立派になり、結果として経営者である自分自身も幸福になっていくこととなります。 

会社を立派にする目的は、全従業員の物心両面の幸福をどうしても達成し、人類社会の進歩発展にも貢献したいということなのです。まず、従業員が幸せになることが大切なのです。これは “利他の精神” です。経営者のいちばん近くにある “利他” は、自分の会社に勤めている従業員を幸せにすることなのです。 

私達は、自分の会社を立派にしたい為に盛和塾に入ったのです。 

会社を立派なものにしていくには、売上を最大限に、経費を最小限にする

では立派な会社にするには、具体的にどうすればよいかということになります。経営の原点12ヶ条や6つの精進を唱えるだけではなく、その一つひとつを実践していかなければなりません。 

経営の原点12ヶ条の第5条、 “売上を最大限に、経費を最小限に” を実行していくのです。売上をできるだけ大きく伸ばし、経費はなるべく使わないようにする、これが会社を立派にする要諦です。 

例えば、漁網を作っていた会社がありました。漁網の製造だけでは限界があるため、トラックの荷台から荷物が滑らないようにするネット、または農作物を猪や鹿などの野生動物の害から守るために田んぼや畑を覆うネットの製造にも乗り出しています。最初は魚を捕るための漁網を作っていたが、その漁網では売上を伸ばすのに限界がありました。そこで、経営の原点12ヶ条の第10条、“常に創造的な仕事を行う、今日よりは明日、明日よりは明後日と常に改良改善を絶え間なく続け、創意工夫を重ねる” を実践されたのです。 

売上を最大限にするというのは、限界を自分でつくるのではなく、あらゆることにチャレンジして売上を増やしていくということなのです。 

独立採算の単位で組織を分ける 

月次決算書 -損益計算書、貸借対照表、資金繰り表-は、毎月10日くらいまでに完成して中身を検討することが必要です。 

製造業の例をとりますと、会社組織は、製造部、営業部、本社管理部と分かれています。

営業部      ー  関東営業部

         ー  関西営業部

         ー  営業管理部

製造部      ー  関東製造課

                                    金型係、試作係、樹脂機械係、生産管理係

         ー  関西製造課

                                    金型係、試作係、量産係、生産管理係

管理部      ー  関東管理部

         ー  関西管理部  

本社管理部  ー  経理係、総務係 

営業部は関東営業部と関西営業部に分かれています。営業部の中には、関東営業部、関西営業部を補佐する営業管理部があります。 

製造部は関東製造課と関西製造課に分かれています。各製造課の中には、金型、試作、樹脂機械、生産管理等の係があります。 

管理部は関東管理部、関西管理部があり、本社機能を果たしています。 

各部門、営業部は関東、関西、製造部も関東、関西と各係も独立採算制です。独立採算とは、それぞれ損益計算書が作成されているということです。その損益計算書により、各部門、各係の業績がわかるようになっています。この独立採算制度は、どこの部門で、どの係で利益が出ているのかを明確にしようとするものです。 

営業はできるだけ安く製造部より仕入れ、できるだけ売上を伸ばそうとします。製造部はできるだけ製造原価 -材料費、労務費、製造間接費を下げる努力をし、できるだけ営業部に売ってもらうように努力します。

経費の中身を詳細に見ていく

各部門ごとの損益計算書を見てみます。営業部の中では毎日の受注高、総売上高、営業部コミッション収益(例えば総売上高×10%)と損益計算書に売上高が表示されます。営業はなるべく大きな売上を上げていくことを目標にしています。営業部の売上高は総売上高の10%ですから、まず売上をひたすら増やすことに努力をします。経営の原点12ヶ条の第5条、 “売上を最大限に、経費は最小限に” とあります。 

次に、その売上を上げる為に必要な経費をいかに減らすかが課題になります。経費の中身を細かく分けて、一つひとつその内容を調べます。人件費、厚生費、旅費交通費、交際費、会議費、家賃、修繕費、研修費等、細かく内容をチェックします。 

社内金利も発生します。売掛金や固定資産の取得原価に対して営業部は金利を負担します。 

管理部、本社管理費用も関東営業所、関西営業所に人頭割りで、配賦します。このようにして、関東営業部、関西営業部の業績が算出されます。 

勘定科目を見ながら経営をする

各部門別損益計算を算出する時には、社内での約束事が必要です。営業部の売上は会社としての売上高の10%、社内金利は金型係、試作係、量産係、生産管理係、年6%という具合に、社内で約束事を決めます。 

細かく分けられた勘定科目を見て、一つづつ科目毎に経費を減らす方法を考えます。例えば、タクシーの利用が多く、タクシー代の節約はできないかと検討します。 

損益計算書を会社の組織にあわせて営業、製造部門毎、各部門の係毎に作成する必要があります。こうすることによって、損益計算書を経営に役立てるものとして使うわけです。 

この損益計算書の分析は経理部の仕事ではなく、経営者や各部門、各係の従業員と同時に行うことが重要です。そうしますと、良い新しいアイデアが出てくるのです。経営者が経営資料を机の上に置き、売上をもっと上げて、営業のコミッションを増やし、経費を減らし、利益を増やそうとすることが大事なのです。 

経営者はパイロット

経営者は “企業” という飛行機のパイロットです。コックピットに座り、目の前にある計器盤を見ながら高度や速度を確認し、操縦をしなければ経営にはなりません。損益計算書の各数字を毎日毎日見ながら経営をしなければなりません。 

製造部の損益計算書を見てみます。関東製造課の総生産額は2億633万円、人件費は4309万円、人員数は98名、全部の経費合計が1億6075万円、経営利益は4557万円となります。関西製造課の経営利益は11万円のみです。 

関東製造課は、98名の従業員を使い、付加価値(経営利益 + 人件費)=8867万円を生み出しています。週40時間、1ヶ月160時間働くとしますと、1人当りの人件費は時間当たり2749円なのに対して、1人当りの付加価値は時間当り5655円となります。 

売上最大、経費最小を実現するために必要なこと

関東製造課の生産は、先月は2億円だが、今月は2億5千万円とし、5千万円増を目標にします。具体的な目標数字を示すのです。経費についても、先月は1億6千万円でしたが、今月は売上増を計る為、1億8千万円とし、2千万円増と少し増える程度の経費で抑えていこうと考え、収益性の向上を目指します。 

具体的な目標を立てた後は、経営の原点12ヶ条の第3条、 “強烈な願望を心に抱く、目標の達成のためには潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を持つこと” が求められます。損益計算書を見ながら何としても目標を達成するよう自分自身に言い聞かせるのです。 

経営の原点12ヶ条の第4条、 “誰にも負けない努力をする。地道な仕事を一歩一歩、堅実にたゆまぬ努力をする” ことを続けます。 

具体的な目標数字を目の前に置いて、来月、来年の目標を立てて、それを何としても達成しようとする強い願望を持ち、誰にも負けない努力をする。それが売上を最大に、経費を最小にしていく道なのです。 

事業の目的・意義を共有する

具体的な目標数字を立て、トップ自らがその達成のために率先垂範して強い願望を持ち、誰にも負けない努力を続けなければなりませんが、いくら1人で頑張っても限界があります。その為、事業の目的・意義を明確にした上でそれを従業員と共有し、一緒に頑張ってもらうのです。 

 “我が社の目的は、全従業員の物心両面の幸せを追求し、維持することです。そして同時に人類社会の進歩・発展にも貢献する。この目的のために、売上を最大に経費を最小に利益を上げていきたいと考えています。従業員の皆さんの協力が必要なのです” このように、立てた目標を社長だけのものではなく、全従業員の目標にしていかなければならないのです。 

従業員も “なるほど、我が社も会社が少しづつ立派になり、利益が出れば我々の待遇も良くなっていく。事実、過去もそうなってきている。そうであるならば、我々も喜んで売上を少しでも増やすように、また経費を少しでも抑えるように協力します” と言ってくれるようになります。経営をしていくには、このように従業員と目標を共有して、協力を求める必要があるのです。 

 “私が会社を経営する目的は、私だけが良くなろうとしているのではない。社長である私も幸せになりたいと思うが、私も含めた全従業員を物質的にも精神的にも幸せにしたい。それが私の目的です。その目標を達成していくことは、皆さんの為にもなることです。是非協力をしてください” 

しかし、従業員からの協力を得る為には、具体的な目標数字を立てて、来月、来年の売り上げ目標はいくらで、経費はいくらに抑えてと、数字で示すことが必要です。*目標数字を “来月はこれだけの売上を達成しよう、経費はこれだけに抑えましょう” と数字を挙げて話をするのです。月次決算報告の会議で、過去の数字を示すと同時に来月の目標を具体的に示していくことが必要なのです。 

目標は簡単に達成できないことがあります。その時、従業員とコンパを開き、 “一緒に頑張っていこう” と呼びかけて、従業員の皆が “なるほど、そうしましょう。協力しましょう” と言ってくれるまで話し合わなければなりません。 “社長はただ厳しいことを言っているのではない。必死に我々のことを考えてくれているのだ” ということを分かってもらうためにもコンパの中で、社長が従業員に対する思いやりを語るのです。そうすれば、 “これだけのことを考えている社長なら、我々も是非協力して頑張ろう” と従業員も言ってくれるはずです。 

こうした数字目標を立てると同時に、経営の原点12ヶ条の第7条、 “経営は強い意思で決まる、経営には岩をも穿(うが)つ強い意志が必要” なのです。 

第8条、 “燃える闘魂、経営にはいかなる格闘技にも勝る激しい闘争心が必要” なのです。経営トップには勇気とガッツがどうしても必要なのです。 

第9条、 “勇気を持って事に当たる、卑屈な振る舞いがあってはならない” 勇気のない人は経営者になれません。 “こうしたい” と思うなら、従業員に “こうしてもらいたい” と思うなら、勇気を持って従業員に話をして、協力してもらうように説得する必要があります。 

損益計算書は現場の状況を映し出す

損益計算書は経営に不可欠なものであり、数字をベースとして経営をしていかなければ、経営は出来ないのです。月次損益計算書は出来るだけ早く作成し、一週間以内に検討することが必要なのです。その損益計算書から自分が必死に頑張った先月は、売上は、経費は、利益は目標に達していたかを見ます。 

関東製造課の課長からは、今月の目標は生産高2億5千万円、経費は2億3百万円、経営利益は4千7百万円との報告があったが、今月の月次決算ではその目標を達成しただろうかとレビューをします。担当課長の顔を思い出しながら、月次損益計算書を読みます。 

損益計算書には数字しか出てきません。しかしその数字は従業員の仕事、経営者の仕事の成績表でもあります。こうした数字を読めるというのは、関東製造課の現場を良く知っているということです。現場を知ってはじめて月次損益計算書が読めるようになります。現場を知っていますと、良いアイデアも生まれますし、関東製造課の従業員との意志疎通も図れ、経営改善に繋がります。 

経費を減らすに当り、重要なのは何を目標にするかという点です。原材料であれば、原料そのものの質、代替原材料、輸送費、他の仕入先の仕入れ価格等を比較検討します。人件費を削減する為、製造ラインの変更、製造計画の見直し等がありますし、重油の代わりにガスをしようするとか様々な分野でその目標を定めます。こういうことは、工場の中で何が起こっているのかということを知らなければできません。そして、その中で何をターゲットにするかということまで損益計算書の数字から読み取れるようでなければ経営にはならないのです。 

採算を合わせる

色々な業種の中で、いかに経費を削減しようとしても、今の経費以下にすることが出来ない。そういう業績で経営していくのでは、事業として成り立たないこともあります。さらには、業種転換を図らなければならないこともあります。つまり、損益計算書の数字を見ていくことによって、自分の事業に見切りをつけることも、ある時には必要になってきます。 

例えば、レストランの場合ですと、材料費は売上の30%が限度だと思います。日本食だと32~33%、ラーメン店の場合は25~27%が目安です。人件費も32~34%ぐらいが目安でしょう。 

材料費を削減する為、品質を落としたものを仕入れたのでは、お店の料理の味も良くならず、お客様を失うことになります。新鮮で良い材料を仕入れようとすれば、社長自らが仕入れをしなければなりません。調理人に仕入れを任せれば、高いものを買ってくるかもしれません。それでは採算が合わなく、利益率も低くなってしまいます。銀座をはじめ、何店舗もチェーン展開しているお寿司屋さんは、社長自ら朝3時、4時に起きて、築地の魚市場に行き、大量の仕入れをしています。仲買人から直接買いますから、値段も安いそうです。このお寿司屋さんはネタもいいし、美味しいし、安いというので繁盛しているそうです。 

トップ自らが率先垂範して努力しなけらばならないのです。 

切磋琢磨する者たちが集う盛和塾

業績が上がり始めると、経営は大変面白くなってきます。今までしんどいと思っていた経営が、こんなに面白いものかという風になっていきます。 

会社に帰っても従業員に今度はこういう工夫をしよう、こういう新しいことをしよう、と前向きな仕事の話をすることができるようになります。 

孤独な経営者達が同じ悩みを持ち、一同に会してみんなに会う、その中で仕事が楽しくて頑張っている人を見て、 “オレもああいう気持ちになろう” と励まされるのです。同じ悩みを持ち、苦労している仲間が集まり、その仲間達が切磋琢磨する。これが盛和塾なのです。 

これは仲良しクラブではないのです。業績がどんどん伸びていき、 “やっぱり盛和塾に入ってよかった”  “業績が上がって良かった” と言えなければ意味がないのです。