盛和塾 読後感想文 第九十九号

企業哲学を全社員と共有する

 

時代がどのように変わろうとも人間の本質は変わらない。必要なことは“人間とは何か”“人生とは如何にあるべきか”“人間として何が正しいのか”など、人間としてもっとも基本的な倫理、哲学を真剣に探究する、その中で自己の存在意義を確認し、自らの人生の指針としても哲学を確立すること、と塾長は述べています。

 

自分は何の為に存在するのか、何の役割があるのか、をよく考え、その考えが哲学となって自分の身につく、このことが自分の人生の本当の意味なのです。

 

稲盛塾長は、人生の本当の意味、経営のあるべき姿を真剣に考えました。そしてそれを社員と共有することに、最大の努力を払い続けてきました。京セラは創業以来、大変順調に発展してきました。それは京セラには“企業哲学があり、それを全社員と共有できている”からです。

 

企業哲学を従業員と共有するのには、どうしても従業員に同意し、共鳴してもらえるのだという強い意志と行動力とエネルギーが必要なのです。毎日のように従業員に語りかけ、仕事であれ、食事を共にする場合であれ、社内行事であれ、従業員とのコミュニケーションをあらゆる機会を捉えてはかることが必要なのです。

 

興味をもって聞いてくれる人、冷ややかに対応する人、又、反発する人も多いはずです。いろいろな従業員の反応に一喜一憂していてはなりません。いろいろと説明にも工夫をして、従業員に語りかける。従業員に経営哲学を受け入れてもらえない、聞いてもらえない時は、経営者自身が自分の経営哲学を具体的に実践できるようになっていないことが多いのです。あきらめてはいけないのです。

 

経営のこころ-判断基準、ミッション 使命、ビジョン 目標、フィロソフィー 哲学

 

“敬天”の思想と“人間として何が正しいか”という判断基準

経営するに当っていちばん大事なものは、企業トップとして経営判断する、その時の判断基準です。と同時に企業経営のミッション(使命)、ビジョン(目標)、さらにはフィロソフィー(哲学)が要るのです。これらをまとめたものが経営のこころというものになります。

 

稲盛塾長は、経営のこころを実際の経営経験を通して作りあげて来ました。人から借りたものではなく、自分で苦労に苦労を重ねて、経営のこころを創りあげたのです。

 

1.    京セラ創業と共に背負い込んだ経営者としての重い責任

稲盛塾長は京都の硝子メーカー松風工業に入社しました。しかし松風工業は終戦後からずっと赤字が続いている、新入社員の初任給から遅配するような、傾きかけた会社でした。その為、同期入社の5名は、寄るとさわると互いにグチを言い合って、とうとう稲盛塾長を除いて4名は退職してしまいました。新しい就職先の見つからなかった稲盛塾長だけが松風工業に残らざるを得ませんでした。

 

“もう不平不満を言うのはやめよう。仕事を好きになろう”と考えて仕事に真正面から取り組むことに決めました。ファインセラミックスの研究に、寝食を忘れて打ち込み、結果としてフォルステライトという新しい材料の合成に日本で初めて成功するなど、多くの成果をあげていくようになりました。

 

しかし新任の技術部長は、稲盛塾長の成果や努力を正当に評価してくれない為、稲盛塾長は松風工業を去ることになりました。その当時、稲盛塾長の下では約50名の従業員が働いていたと聞いています。稲盛塾長が退社することを知った京都の経営者の方々が集まって、京都セラミックという会社を設立してくださったのでした。配電盤メーカーであった宮木電機の役員が中心となって、資本金三百万円が集まりました。当時宮木電機の専務取締役であった西枝一江さんは、自宅を担保にして、一千万円の銀行借り入れまでしてくださいました。京都セラミックの社長は宮木電機の社長、宮城男也(おとや)さんに就任していただき、稲盛塾長は取締役技術部長という肩書でした。会社の経営は、実際は稲盛塾長が担当していました。支援者の方々のご厚意に感謝する一方、肩にはずっしりと重い責任を負うこととなりました。

 

いざ会社が始まると、ベテラン社員から若い社員から毎日“これはいかがしましょうか”と決断を仰ぐ相談が次々と寄せられます。決済すべき判断をどうしたらよいかと大変悩みました。

 

創業間もない頃、宮木社長が“稲盛君、いいものを買ってきたよ。あなたの郷土の大先輩、西郷南洲のものだ”と紙を携えてこられました。広げてみると“敬天愛人”と大きく黒々としたためられていました。稲盛塾長の小学校の校長先生の部屋にも“敬天愛人”としたためられた書が掛けられていました。稲盛塾長も自分の会社の応接間に掲げました。

 

2.    唯一持ち合わせていたプリミティブな道徳観を経営の判断基準に

稲盛塾長は創業当時、実際に判断を下すにあたって、必要となる基準を持ち合わせていませんでした。稲盛塾長が一つ判断を間違えば、せっかく作っていただいた会社が潰れてしまうかもしれません。従業員を路頭に迷わせてしまうかも知れません。さらに資本金を提供してくださった方々、自宅を担保にして運転資金を用意して下さった西枝さんに、多大な迷惑をかけてしまいます。

 

何を基準にして経営の判断を下せばよいのか、よくわからなかった塾長は、子供の頃、両親や先生から教わった“やってよいこと、悪いこと”を判断の基準にしようと考えられたそうです。プリミティブな道徳観、倫理観しか持ち合わせていなかったのでした。それを経営判断の基準にしようと考えられました。

 

これからは会社の判断基準を“人間として何が正しいのか”という一点に絞りたい、あまりにも幼稚でプリミティブな判断基準かと思うかもしれないが、そもそも物事の根本は単純にして明快であるに違いない。今後は人間として正しいことを正しいままに貫いていくという経営を進めていきたい、と従業員に話されました。

 

3.    西郷南洲の“敬天”に勇気を与えられる

人間として正しいことを貫くというのは、西郷が言っている“敬天”という言葉に通じて、天が示す正しい道、すなわち人間として正しいことを実践していくことだと気がついたそうです。

 

“天”というのは“最も正しいもの”という意味があります。“天地新明に誓う”“天に恥じない行動をする”というように、自然の道理として絶対的に正しいことが“天”という意味なのです。

 

西郷南洲の遺訓の中に“人間の進むべき道は天地自然の物にして、人は之(これ)を行ふものなれば、天を敬するを目的とす”という言葉があるそうです。西郷は天の命ずるままに正しいことを踏み行っていくことを自らの根本思想とし、実人生においてもこれを貫き徹した人物です。

 

西郷南洲の言う“天の道”とは、法律を超えたところにあり、この宇宙に元々から存在する原理原則に従うことなのです。敬天とは、法律を超えて、世の原理原則に則して根本的に正しいことを理解し、実践していくことなのです。

 

稲盛塾長のいう“人間として正しいこと”は西郷南洲のいう“敬天”と同じ、あるいは通じていることだったのでした。

 

4.    天に恥じぬ経営を心がけることが、企業の不祥事を防ぐ

“敬天”という言葉は、法律的に正しいことを行うことは当然のこととして、もっと根源的なもの、人間として正しいことを貫いていくということを企業経営の根幹に据えて経営を行って来た京セラは、判断を大きく誤ることはなかったのです。京セラグループの売上は一兆円を超えて、世界中に六万人の従業員を擁(よう)する規模に発展しています。しかし創業時に決めた“人間として正しいことを貫く”という判断基準は、それに基づく企業姿勢は、今も一切変わっていません。

 

一般には経営において最も大切なことは、“経営戦略”“経営戦術”といわれています。しかし、経営内の判断基準を問うことはあまりなされていません。経営戦略、経営戦術、新しいアイデア等も大切なのですが、そのような風潮の中でも“人間として正しいことを貫く”というシンプルな判断基準を京セラでは今日まで貫いてきました。

 

経営の手練手管(てれんてくだ)や策におぼれ、欲に憑かれたリーダーが経営にあたっているが、単に、今もなお多くの企業不祥事が続発しています。その為、不祥事防止の為、各国で企業統治のあり方、コーポレートガバナンスがいかにあるべきかが議論され、不祥事を起こさないように膨大なルールや法律を作り、それを企業に適用しようとしています。法や制度の整備を進めることで、企業不祥事を防止しようとする方向が今の世界の主流となっています。

 

しかし、どのような法律を定めようとも、自分の利益を増大させるためには人間として正しくないことをしてもかまわないという考えを、経営者やリーダーが少しでも持っている限り、必ずやその心ないリーダーは法の網(あみ)の目をかいくぐることに努めるでしょうし、企業不祥事は根絶できないと思われます。

 

西郷が言う敬天の思想、つまり天に恥じない経営をするという一点を経営者自身が企業内で徹底していくことでしか、企業不祥事を未然に防ぐことはできないのです。

 

“愛人”の思想と“全従業員の物心両面の幸福を追求する”

 

1.    高卒反乱が教えてくれた経営者の真の使命

創業三年目のことです。前年に採用した高卒の従業員達が、突然団体交渉にやって来ました。“将来が不安だ。昇給や賞与など、将来の待遇を保証してくれ”。それに対して“京セラはできたばかりの会社だから、みんなで力を合わせて立派にしていこう”と答えたのですが、彼等は納得しないのです。“将来を保証してくれなければ、今日限りで辞めたい”と言うのでした。

 

“ボーナスはどうする、昇給はこうするという約束はできない。私自身、会社の将来がわからないのだから、約束をしてはウソになる。しかし私は誰よりも必死になって会社を守っていこうと思う。君たちの生活がうまくいくようにしてあげたいと強く願っている、私の誠意を信じてほしい。もし私が君たちの信頼を裏切ることがあったら、そのときは私を殺してもいい”

 

一人がうなずき、二人目も理解してくれました。そしてとうとう、最後には全員が納得してくれました。稲盛塾長はその時、必死に説得しようとすさまじい顔で高卒の社員に話したと思われます。

 

しかし、高卒者に約束したことは、京セラ創業時に考えた企業の目的、“稲盛和夫の技術を世に問う”とは全く違ったものでした。稲盛家は貧乏でしたから、稲盛塾長は毎月実家へ仕送りをしていました。“家族の支援に努めなければならない立場なのに、縁もゆかりもない人たちの生涯にわたる生活をみることになってしまった”と後悔したりしていました。

 

この社員の反乱により、稲盛和夫の技術を世に問う場としての京セラは一瞬にして吹き飛んでしまいました。社員の生活を守ると言う目的に変貌してしまったのです。

 

一晩にわたって考え続けた結果“会社というものはそのなかに住む従業員に喜んでもらうことこそが真の目的であり、それが経営者の使命”と結論したのでした。

 

2.    経営理念は大義があると同時に、身近なものでなければならない

翌日、稲盛塾長は“全従業員の物心両面の幸福を追求する。人類・社会の進歩発展に貢献する”。と京セラの経営理念としたのでした。経営理念とは、経営者の私利私欲ではなく、広くすべての従業員の幸福をはかるものでなければならない。これはまさに西郷が説く“愛人”です。

 

経営理念の決定にあたっては、経営者や株主の利己、エゴではなく、利他の精神が貫かれているということが最も大切です。従業員が共鳴し、意気に感じ、“よし、そういう目的の実現のためなら、私も経営者と一緒に手を携えながら頑張ろう”といってくれるような企業の目的が必要なのです。

 

全社員のため、会社のため、社会のため、国のため、つまり公益のために努力を惜しまないという大義を掲げたときに、人ははじめて共鳴し合い、賛同しあい、惜しみなく協力し合えるのです。

 

しかし、いくら大義があるからといっても、それがあまりにも高尚で、社員から縁遠いものであってはなりません。経営理念、またはミッション、使命が経営の場で機能するためには、その経営理念は従業員が共有できるものであるということが大切です。

 

従業員たちにとって身近な理念を掲げれば、個々の従業員が賛同し、幹部同士の融和をはかり、社内の求心力を高めることにも貢献すると思います。

 

3.    従業員の幸福を追求することは、株主の利益にも合致する

“全従業員の物心両面の幸福を追求する”ということを経営理念としますと、株主の利益が無視されているように見えます。しかし京セラはニューヨーク証券取引所にも上場していますが、この経営理念はその制定のときより一切変えていません。当社の会長、社長などがIR活動(Investor Relation)で世界中を巡ったときでも、この経営理念にクレームがついたことはありません。

 

従業員が物心両面の幸福を感じながら、懸命に働き、すばらしい業績をあげることで、結果として株主も大きな利益を得ることができます。株主の利益が大事だと言わなくても、従業員の働きによって会社の業績が上がれば、それは株主に還元されます。逆に株主が“これは自分の会社だ。会社はオレのものだ”といって、従業員を蔑(ないがし)ろにしたのでは、長期的に見れば会社経営は長続きしないのです。

盛和塾 読後感想文 第九十八号

企業文化の重要性

会社経営において、トップはまず何のために会社があるのか、その為にはどのような考え方が必要なのかを明確にし、従業員に接していくと同時に、従業員が共有してくれるようにしなければなりません。トップの経営理念や経営哲学に従業員が心から共鳴できるかどうかが鍵となります。経営理念や経営哲学が従業員にも社会にも受け入れられる大義名分に基づいたものであること、同時に従業員の幸福を追求する、また社会の発展にも貢献するといった目的を示せば、従業員も共鳴し、仕事に打ち込んでくれるようになるはずです。 

トップの経営理念や経営哲学に賛同してもらう為には、トップの日頃からの言動行動が、理念や哲学と矛盾しないことが大切です。どんなに立派な経営理念や哲学があっても、利益至上主義に陥り、不祥事を起こす企業が後を絶たないのは、トップが矛盾した言動、行動をとっているからにほかなりません。 

経営理念や経営哲学は、それを実践していくことにより、その企業の立派な風土や文化をつくり出します。その理念に基づいて働くことが、会社にとっても従業員の人生にとってもすばらしいことだという、そのような企業文化をつくることが出来れば、会社は飛躍的に伸びていくことができるのです、と稲盛塾長は述べています。 

なぜ経営に哲学が必要なのか 

人間として最もベーシックな道徳、倫理をベースとする“京セラフィロソフィー”

稲盛塾長は27歳で、周囲の方々からの支援のもとに京セラをスタートしました。唯一の製品納入先の松下電子工業(パナソニック)に毎日通い、納品と集金を一生懸命に行うだけで、経営者として一体どのように会社を運営していけばよいのか全くわからない、どうすればよいのかと思い悩んでいました。 

日々の経営をしていくにはどうすればよいのか、その考え方や方法について大変悩み、不安にかられながら京セラフィロソフィーの原形を一つずつ編み出していかれました。 

“常に考える”という習慣は松風工業の時代からでした。就職難の時代、松風工業をやめることもできない、稲盛塾長は会社から与えられたセラミックの材料の開発に専念せざるを得なかったのです。待遇も悪く、研究設備も不十分、劣悪な環境の中で、どうしたら研究成果をあげることができるのか、どういう構えで仕事にあたらなければならないのかと毎日考えられました。 

仕事をするにはこういう考え方、こういう心構えでなければならないと思いつくたびに研究実践ノートの端に書き留めていくようになったそうです。経営に携わるようになってからは、仕事の要諦を書きためていたノートを再び引っ張りだして、気づきを書き加えていくようになりました。その結果が“京セラフィロソフィー”です。 

経営がわかっていなかったものですから、不安であった塾長は立派な経営をしている方々の話を聞き、どのようにすればあのような経営ができるのだろうと考え続けられました。この京セラフィロソフィーの根本にあるものは“人間として何が正しいのか”ということであり、その正しい考え方を貫いていくということです。 

従業員のベクトルを合わせ、高い目標を実現するために

稲盛塾長は“京セラフィロソフィー”を自分自身で実践していくと同時に、従業員にも懸命に説きました。しかし、経営哲学を従業員に説き、集団で共有しようとすればするほど、思想の自由・言論の自由ということを盾(たて)にして“どういう思想、哲学を持とうと各人の自由ではないか”と反発があったそうです。 

しかし、企業という集団において、従業員の幸福を実現するために、高い目標を掲げ、その達成を目指していくためには、“こういう哲学で経営をしていきます”という企業のなかで基準となる考え方がどうしても必要となるのです。その基準となる考え方に、全社員がベクトルを合わせていかなければならないのです。 

特に会社幹部は会社の考え方をよく理解し、それに心から共鳴している人でなければなりません。幹部社員だけではなく、一般社員も心をひとつにして、同じ方向を目指して仕事をしてもらうには、会社の考え方である経営哲学に対して理解を深め、それを共有してもらうよう努めていかなければなりません。 

稲盛塾長の経営哲学の根本にあるのは、ことの善悪で物事を判断するということです。“人間として何が善なのか、何が悪なのか”という基準で物事を判断するのであって、決して“自分にとって損か得か”“京セラにとって損か得か”という判断基準で判断してはならないということです。 

哲学を共有しようとすれば、“思想統制だ”“思想強要だ”と言われるかも知れません。しかし企業という集団で高い目標を実現すべく大勢の人間が共に仕事をしていくためには、個人の好き嫌いではなく、全員が共通の考え方を理解し、賛同し、共有していくことが前提となるのです。 

会社の哲学を共有したくない、“思想強要だ”という人には、“あなたと一緒に仕事をすることはできません。この社会では、どのような思想、哲学を持つことも自由なら、会社を選ぶことも自由です。当社の経営哲学が受け入れられないのであれば、自分の考えに会うような会社に行ってください”とはっきりと伝えるべきです。“自分が理解もできない、賛同もできないような考え方で経営をしている会社で、賛同したふりをして働くことは、お互いにつらいことです。ならば、自分の思想・哲学に合った会社に行ってください”と伝えるべきなのです。 

“京セラフィロソフィー”の三つの要素 

  1. 企業経営の規範となるルール・約束事を確立する

会社経営にあたっては、どうしても従業員の規範となるべきルール、約束事が必要であり、それがその会社の哲学として企業内に確立されていなければなりません。 

会社の規範やルール、約束事がはっきりしていない企業が沢山あります。そのために古今東西を問わず、様々な企業不祥事が頻発しています。日本企業、雪印乳業、カネボウ、が没落していきました。アメリカでもエンロン、会計事務所・アンダーソンが破綻しました。粉飾決算が発覚し、崩壊したワールドコムと、枚挙(まいきょ)に遑(いとま)が無いのです。これらはすべて企業経営の規範、ルール、つまり哲学がなおざりにされていた例なのです。その企業に哲学が確立されていないがために、あるいは紙に書いた哲学があっても、それが企業内に浸透していなかったために起きたことです。 

稲盛塾長の経営哲学は“人間として何が正しいのか”という問いに対する解であり、“正直であれ”、“人を騙すな”、“ウソを言うな”という子供の頃から親から諭され、先生から教わったプリミティブな道徳観、倫理観なのです。企業経営の規範・ルールは人間としてよいことなのか、悪いことなのかという善悪を判断基準とし、正しいことを正しいままに実行していくことなのです。 

“このような基本的なことを企業内で幹部や従業員に説かなければならないのか”と考える経営者が多いと思います。しかし、人間として当たり前の教えを守ることができなかった為に起きたことが、企業の不祥事であり、企業の業績不振なのです。 

例えば、小さな製品欠陥が発見されたとします。しかしこれを公表すれば、売上に影響する為、公表しません。その問題が内部告発によって表面化します。経営者は虚偽の報告をし、隠蔽工作(いんぺいこうさく)を行い、ウソをつき、騙し、隠し通そうとして、事態をさらに紛糾(ふんきゅう)させてしまう企業もあります。更にトップはこの不祥事の責任をとらず、部下の責任にしてしまうことがよくあります。 

企業のエリート達に“正直であれ”“人を騙すな”“ウソを言うな”といえば“バカバカしいことを言う”“人をバカにするな”と反論するのです。しかし日常の経営の中で、経営哲学、日常生きていくための規範、ルールを実践していなかった為に、大企業といえども崩れ落ちていったのです。 

グローバル化が世界で進んでいます。しかしこのような企業経営の規範となるルール、約束事は、全世界で普遍的に通ずると考えられます。京セラが海外進出を果たした時も、経営の舵取りを誤ることがありませんでした。 

  1. 会社の目的・目標を明確に指し示す
  • 世界一の会社を目指す

京セラフィロソフィーには会社の目的、会社の目標、つまりこの会社をどういう会社にしていくのかが明確に示されています。 

めざすべき会社の目標を掲げると同時に、自分達が望み、目指そうとしているその企業を目指すためには何が必要なのか、どのような考え方が必要なのか。 

京セラの従業員に、目指すべき会社の目標を言い続けて来ました。

“京セラを西ノ京原町で一番の会社にしよう

次に中京区一番、京都一番、日本一番、世界一番の会社にしよう“

と従業員に夢を与えると同時に、経営者自身を鼓舞(こぶ)する為でもありました。自分自身、“果たしてそんなことが出来るだろうか”と疑わしく思うと同時に“いや、絶対そうするんだ”と自分自身に言い聞かせたと、稲盛塾長は語っています。 

稲盛塾長は従業員に説き続けました。“日本一、いや世界一の会社を目指そう”。その為には幹部や従業員がどのように考え、どのように行動すべきか、仕事にあたる考え方から方法までを示した経営哲学を企業内に確立しなければならないと思われました。 

京セラが中小零細企業であった時から、世界一のセラミックメーカーになるという高い目標を目指したときに必要となるであろう考え方とその方法を、ことあるごとに従業員に話し、その方向へ進もうと全員で努力してきました。京セラを日本一はおろか世界一の企業にしていくのには、ストイックな厳しい考え方、また厳しい生き方、そして正しい方法がどうしても必要だったのです。 

例えば京セラフィロソフィーでは“高い目標を持つ”“誰にも負けない努力をする”“自らを追い込む”“ど真剣に生きる”等のストイックな考え方、生き方が述べられています。 

その当時100名くらいの従業員しか京セラにはおりませんでした。日本の大手セラミックメーカーには日本ガイシ、日本特殊陶業(とうぎょう)がありました。2009年3月期決算では、日本ガイシ売上二千七百億円、日本特殊陶業売上二千九百億円、京セラ売上一兆千三百億円。京セラは約4倍強の売上規模になっていました。 

  • どの山に登るか

京都の経営者仲間で一杯飲む機会がありました。その時、根は真面目でストイックな生き方をしてきた稲盛塾長は、話題が人生や経営について真面目で堅苦しい話をしてしまいました。ところが、エリートコースを歩んでこられた二代目社長が、“いや稲盛さん、私はそうは思いませんなあ”愉快で楽しく人生を送るべきだと考えておられた様でした。稲盛塾長は“こういう厳しい経営環境の中でこそ、生真面目で慎重な経営をすべきではないか”と話されました。二代目社長は“私はそうは思いませんね”と反論されたのでした。 

その時、ワコールの会社の創業者の塚本幸一社長がいきなり“おい、おまえは何を言うんや”と彼を厳しく叱り付けたのです。お酒を飲んでワイワイ楽しんでいらっしゃる温和な方が、突然血相を変えて二代目社長を怒鳴りつけたのです。 

“何をいうてんねん。おまえは稲盛君と自分が同列やと思っているんか。おまえと稲盛君という、比べられないものを比べてどうするんだ。稲盛君は徒手空拳で会社を創業し、京セラを素晴しい会社にした。ワコールの創業者の私でさえも、稲盛君には一目も二目も置いているんや。おまえは二代目でくだらん経営しかしておらん。”“どういう経営をしているかということは、どういう哲学を持っているかで決まると稲盛君は言っているんや。おまえは稲盛君の哲学に対して、自分の哲学を主張できる立場か。”きびしい叱責でした。 

塚本さんが言われておられるのは“どの山に登るのか”二代目社長の登る山と稲盛塾長の登る山は比較にならないくらい違う。いい加減な哲学-人生を楽しめばよい-で登る山がストイックな哲学で登る山と同じレベルであるのならば、比較はできるけれども、すなわち同じレベルの業績を上げているのであれば、違った哲学は比較する意味がある。しかし低い業績しかあげていないのに好業績をあげている経営と、その哲学に異論をはさんでも意味はないのです。 

近所の低い山にハイキングに行くならば、何の訓練もいりません。気軽な軽装で登っていけます。エベレストを目指すとしますと、訓練は必要、装備も高度な登攀(とうはん)技術と豊富な経験を持った人材をはじめ、露営できるだけの十分な食料、装備など、周到な準備が必要です。ハイキングとエベレスト登頂も同じ登山として比較しても意味がないのです。 

つまり、“どの山に登るか”、つまりどのような会社を目指すかによって、会社の中を律する哲学や思想が変わってくるのです。高い目標を目指すには、それに相応しい考え方と方法論が必要となるのです。 

  1. 企業に格(社格)を与える

人間に人格があるように会社にも社格があります。その社格を与えるためにも、哲学は企業経営にどうしても必要なのです。すばらしい人格、すばらしい社格をつくりあげていくには、人間として正しい生き方が示されていなければなりません。

トップ、幹部、従業員が日頃から“人間として何が正しいのか”という基準に照らして仕事に打ち込んでいくことによって、会社の社格が生まれて来ます。京セラフィロソフィーは国境を越えてグローバル経営においても有効に機能するのです。 

京セラでは全世界に数多くの製造拠点、販売拠点を有し、従業員の半数以上も外国人です。言語、民族、歴史、文化などが全く異なる地域で事業を展開しています。仕事は人間が行っています。従って、異国で企業経営を行う際には、とりわけ“人を治める”ということが重要です。 

人を治めるためには二つの方法があります。一つは強大な権力でもって人を抑えつけ、支配して納めていく方法です。これは覇道(はどう)と言います。もう一つは仁、義など、いわゆる“徳”で人を治める方法です。これを“王道”といいます。 

京セラでは従業員と目標を共有し、その従業員が一生懸命、陰日向なく会社の為に貢献してくれるように“徳”で信頼と尊敬をかちとり人を治める“王道”の方法に従って会社経営に努めてきました。

盛和塾 読後感想文 第九十七号

独立採算制の導入とアメーバの組織

京セラフィロソフィーとそれをベースとしてつくられたアメーバ経営が京セラの発展を支えてきました。 

アメーバ経営は京セラの経営理念とそのフィロソフィーの実践を抜きにしては、決して正常に機能することはありません。京セラの企業理念“全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類・社会の進歩発展に貢献すること”はトップのものだけではなく、そこに働く従業員みんなのものなのです。 

すなわち会社が従業員の協力のもと、成長発展していくことが従業員に物心両面の幸福の直接つながっているということを、トップも従業員も理解して、目標達成に向けて積極的に仕事に取り組むようになっていなければならないのです。 

その時、会社の経理が秘密のベールに包まれているようであれば、いくらアメーバ経営を採用しても、誰も一生懸命に働くことはないはずです。ですから京セラでは経理内容をすべてオープンにした透明性の高い経営が行われているのです。 

京セラでは企業の成長発展を目指すにあたっては、経営理念と一体となっているフィロソフィー“人間として常に正しいことを追求する”“思いやりの心を持つ”ことなどが、繰り返し述べられています。 

アメーバ経営では、各アメーバが徹底した独立採算で経営を行い、必死になって採算を追求します。しかしそれがエスカレートし、“自分さえよければよい”というような利己的な意識が芽生えるとたちまち、アメーバ間の利害の対立が尖鋭化し、アメーバ同士の足の引っ張り合いが始まり、会社はバラバラになってしまいます。従って社員全員が京セラフィロソフィーをよく理解し、“アメーバ経営の目的は何であったか”をよく理解していなければならないのです。 

このようにアメーバ経営とは、京セラフィロソフィーを理解したすばらしい人間性を備えたリーダーやメンバーによって運営され、正々堂々と競い合うことによって、また不正や不明瞭なことがない公明正大な“ガラス張り経営”がなされることによって、初めて、本来の機能を発揮できるのです。 

アメーバ経営はどのようにして誕生したのか 

アメーバ経営の発想の原点 

  1. 過去ではなく現在の数字を把握する

稲盛塾長は京セラ創業時、会計の知識は持っておられませんでした。宮木電機製作所、京セラに工場を貸してくれていた会社から経理担当者に来てもらい、京セラの経理を見てもらうことになりました。損益計算書は数ヶ月遅れで出て来るような状況でした。 

前の会社、松風工業時代の上司であり、京セラに参画して頂いた青山政治さんに経営管理を見てもらっていました。青山さんは原価計算を勉強されており、京セラでも熱心に原価計算をしておられました。原価計算書は三か月くらい遅れて出されていました。何度も過去の原価計算を見ているうちに、過去の資料を見ている暇などないと思うようになりました。 

過去の数字では意味がない。競争の激しい市場で製品が次から次へと値下がりしています。今週どうして利益を出すのか悩んでいました。現在の数字がどうなっているのかを知りたいのであって、三か月前の数字を聞いても役に立たないのです。 

古い原価計算、損益計算では、経営の舵取りには役に立たないのです。

利益が出るように、後から損益の結果を知るのではなく、今利益を出せるように現在の数字を把握する必要がある。それも実際に仕事をしている現場が日々損益の数字を把握すべきではないだろうか、と考えるようになりました。 

数ヶ月遅れででてくる会計数字は、会社の各部門が集計しただけの数字です。そこには経営者が、自分の部門をこのように経営したいという思いや意志は全く反映されていません。これはいわゆる外部報告書にすぎません。結果を後から報告するだけです。(財務会計と呼ばれています。) 

会社を成功させるためには、経営者はもちろんのこと、それぞれ部門を運営するリーダーであっても、利益を出すという強い意志のもとに経営を行わなければなりません。経営者の意志決定に役立つ会計数字が必要なのです。(管理会計と呼ばれています。) 

  1. 経営者意識を持った分身を作る

当時の京セラは、稲盛塾長が研究開発、製造、営業とひとりで何役もこなさなければならない状況でした。会社の経営責任を背負い、孤独を感じていた稲盛塾長は、自分の分身のように、経営責任を分担してくれる仲間が欲しいと心の底から願っていました。 

“会社の中で経営責任を分担してくれるようなリーダーを育成しよう、それには大きくなってきた会社の組織を小さな組織に分割して、独立採算で運営してもらおう。少人数の組織であれば、若いリーダーでも運営できるのではないか” 

そうする為には、小さな組織が独立採算制で運営できるように損益計算をしなければなりません。現場のリーダーが自らの部門の売上がいくらでどれだけの経費がかかるのか、利益がいくら出せるのか、一目瞭然でわかるような採算表を作ろうと考えたのでした。経理の知識のない現場のリーダーでも理解できるように、わかりやすい採算表を作ることが必要でした。 

経営者、社長ひとりが数ヶ月遅れの決算書を見て一喜一憂(いっきいちゆう)するのではなく、会社の組織を小さな組織に分割し、リーダーを任命し、各部門の採算に責任をもってもらうことで、経営者意識をもった人材を育成して会社を運営していこうと考えたのでした。 

アメーバ経営の仕組み 

  1. 組織をどのように分けるか

アメーバ経営の仕組みを構築していく際に、最初に遭遇したのは、組織をどのように分けるかという問題でした。 

小さなお店でも、野菜の採算、魚の採算、肉の採算と分かれており、どれが儲かっているか、うまくいっていないか、毎日分かるようにするのです。アメーバ経営の原点は組織を採算別に分けられる小さな組織にして、独立採算で運営するところにあります。 

京セラではセラミックを作るのに、原料工程(金属酸化物を入れて原料を粉砕し、水を加えて混ぜて混合し、原料を乾燥させて、成形しやすいように造粒します)。成形工程(できあがった原料をプレスマシンで圧縮して、求められた形状を作る)。焼成工程(成形した製品を耐火物のセッターにのせて、電気トンネル炉で焼きます)。加工工程(加工機械を使って、セラミック製品を様々な完成品を作ります)。 

従来の会計手法ではこれらの四つの工程を一括りで捉え、損益計算をします。これら四つの工程を独立したビジネスとして捉えることができるか検討したのでした。

実際に調べてみると、こうした工程でビジネスをしている企業があると判明したのです。この結果、会社の組織を工程別、品種別などの形態で分割し、アメーバ組織ができていったのです。 

分割した小さな組織は、市場やビジネスの動きに対して、まるで生命力にあふれる微生物のように変化していきます。その様子から、小さな組織をアメーバと命名しました。 

  1. アメーバの売上の計上

アメーバ経営を構築する際に遭遇した問題は、“アメーバの売上をどのように計上したらいいか”という点でした。アメーバが独立採算で運営するには損益計算が必要となるので、アメーバの売上を計算しなければなりません。 

原料部門では、原料の材料が粉砕、混合、乾燥、造粒と加工の仕事がありますから、経費が発生します。これを合計して原料部門の利益を乗せて、次の成形部門に売ることになります。 

成形部門では、原料部門からの社内買をして、原料をプレス機械で要求された寸法に成形します。原料代、プレス機械の減価償却費、金型代、消耗品費、その他の経費を合計し、利益を乗せて焼成部門に売却します。 

焼成部門は成形部門から成形品を買い、電気代、減価償却費などの費用を加えて利益を乗せて加工部門に売却します。 

加工部門では、焼成部門から購入した成形加工品を加工して最終製品に仕上げます。加工でかかった費用、消耗品費、減価償却費などの費用を乗せて利益を乗せて、営業部門に売却します。 

社内売買の仕組み

             5.営業

                                    社内買+経費+利益=社外売(顧客) 

            4.加工工程

                        ↑        社内買+経費+利益=社内売(営業) 

            3.焼成工程

                        ↑        社内買+経費+利益=社内売(加工) 

            2.成形工程

                        ↑        社内買+経費+利益=社内売(焼成) 

            1.原料工程

                        ↑        原料+経費+利益=社内売(成形) 

社内のアメーバに売ることを 社内売、社内のアメーバから買うことを社内買としています。 

社内売買でおける値決めが問題となります。社内売買の価格は、あくまで公平に値決めをしていかなければなりません。受注生産の場合ですと、客先への販売価格は受注した時に決まってしまいます。最終販売価格から遡って、すべての工程がだいたい同じくらいの採算が出せるように売買価格を設定し、各アメーバに公平な値決めをするようにします。 

また市場価格が値下がりした場合には、値下がり分が各アメーバの社内売買価格に反映されるように、社内売買価格を修正するという方法を採用しました、と稲盛塾長は述べています。こうすれば市場価格が変動しても、各工程にフェアな社内売買価格を決めることができます。 

  1. 時間当り採算表の仕組み

f:id:smuso:20190610114029j:plain

差引売上(付加価値)は総生産から労務費を除くすべての経費を控除したものです。この部門が生み出した付加価値を表します。 

時間当りはアメーバが1時間当りどれくらいの付加価値を生み出し、会社にどれくらい貢献してくれたかを示すものです。 

時間当り付加価値=差引売上÷総時間 

一方ではある部門の労務費を総時間で割りますと、時間当り労務費が計算できます。たとえば、あるアメーバが一時間当り労務費が二千五百円、時間当りが五千円とします。

そうしますと、時間当り五千円 -1時間当り労務費二千五百円=1時間当り利益二千五百円となります。 

  1. なぜ利益ではなく時間当り付加価値なのか

時間当り採算表の中には労務費は入っていません。もしアメーバの利益を計算するならば、労務費も経費として含まれるべきものです。しかし、少人数のアメーバの場合、労務費を時間当り採算表に載せると、そのアメーバのリーダーやメンバーの給与までわかってしまう恐れがあります。それでは社内の雰囲気が悪くなる恐れがあります。その為、時間当り付加価値を採算表に表示するようになっているのです。 

利益ではなく、時間当り付加価値という指標で“俺の部門はいくら儲かっている”ということを赤裸々に公表することを避けました。 

この採算表は“売上を最大に、経費を最小にする”という経営の原則をベースとして採算をよくするためには差引売上を最大にすると同時に、総時間をいかに減らすか、総時間を最小にするということによって、採算制を表す時間当りを最大にすることができるのです。 

アメーバ経営上の問題をいかに克服するか 

  1. アメーバ経営と京セラフィロソフィーは密接不可分

原料部門は自分の採算を考え、なるべく高く原料を売りたいと思います。成形部門は自分の採算を守るために、なるべく安く材料を買いたいと思います。前工程から安く買いたい、後工程に高く売りたいと考えますから、値決めの際によく揉(も)め事が起こる可能性があります。 

アメーバ経営では、最終販売価格をもとに、アメーバ間の社内売買価格を決めています。もし顧客より10パーセントの値下げを要求された場合、それに応じてアメーバ間の売買価格も10パーセント値下げして調整することになります。その際、各アメーバが10パーセント値下げを受け入れられるといいのですが、必ずしもそうはいかないケースもあり、値下げを受け入れられないアメーバは“10パーセント売値を下げるなら、生産はできない”と言わざるを得ません。アメーバ個の利益と全社全体の利益の衝突(しょうとつ)を避ける為には、より高い次元で考える哲学が必要となります。 

アメーバ経営を常に機能させるためには、“人間として何が正しいのか”を判断基準とした、優れた人物をリーダーとして配することが重要です。リーダーは自分の部門を必死に守りながら、物事を損得で判断しないで、善悪で判断できるような人物です。またアメーバ経営に携わるすべての社員が、善悪を判断基準として、周囲に対して思いやりの心で接する人間性を持つことが望まれます。ですから、アメーバ経営と経営哲学は密接不可分の関係にあるのです。 

  1. 正義感がなければ会計は成り立たない

アメーバリーダーは、アメーバ経営全般を委任されているわけですから、もし意図的に経営数字を操作するようなことがあれば、アメーバ管理システムの崩壊にもつながりかねません。会計を行うにあたっては、正しい経営数字を誠実に計上するという哲学が欠かせないのです。たとえアメーバの状況が悪化した時でも、正しい経営数字を出すことができる、勇気と正義感を持っていなければ、経営や会計の仕事をすることはできないのです。 

  1. 額に汗して稼いだものだけを付加価値と考える

アメーバリーダーは時間当り採算を向上させようと日々努力をしているのですが、かえって時間当りを上げようとする思いが強いあまり、問題となったことがありました。 

稲盛塾長がアメーバの採算表をチェックしていますと、ある製造部門のアメーバは“時間当り”が上昇しているのですが“差引売上(付加価値)”が減少しています。このようなことは製造部門のアメーバが工程の仕事の多くを外注や内職に出すことによって起こっていました。

仕事を外注に出しますと、経費が増え、差引売上は減少していきます。しかし総時間は外注に出した分、大きく減らすことができていました。その結果、差引売上を総時間で割った“時間当り”が上昇するのです。 

いくら“時間当り”がよくても、付加価値である差引売上の絶対額が減少していれば、会社に対する貢献は減っているわけですし、従業員を運用する力も低下しているのです。 

メーカーでありながら、開発、設計、販売などに特化して、製造は下請け会社に任せるという会社はいくらでもあります。そのようにすれば、汗水を流してものづくりに苦労しなくても、高収益があがるので、こうした誘惑にかられます。 

しかしそれでは、事業が一時的に成功したとしても、メーカーの原点であるものづくりの技術が社内に蓄積されないで、長期的に成功することは難しいのです。 

事業を長期的にわたり継続しながら、従業員の雇用を生み出していくには、やはり付加価値を生み出す製造現場を社内につくりあげ、額に汗してものづくりに励むべきと思います。 

経営とはゴーイング・コンサーンで永続的に行うべきもので、決して浮利(ふり)を追うものであってはなりません。アメーバ経営においても、社内でできるだけ生産を行い、創意工夫により付加価値を高め、製造技術を蓄えていくように製造現場を育てていくことが大切です。

盛和塾 読後感想文 第九十六号

人生は運命的な人との出会いによって決定づけられる

人生の途上で出会った人々の好意、善意を喜んで受け取り、その好意、善意が指し示す方向へと一生懸命に努力することによって運命が好転し、人生が開けていったと稲盛塾長は語っています。 

人生の師との運命的な出会い 

  1. 自らの善き思いが人の好意と善意を招く

運命的な人との出会いによって人生が決定するのですが、まずは人生で巡り合う様々な人々のなかで、その人が運命的な人かどうかを識別しなければなりません。利己的な思いやたくらみから助言を申し出てくれる人ではなく、自分に対して、好意と善意を持って手を差し伸べてくれる人であるかどうかの見極めが必要です。 

運命的な人との出会いとは、思いやりに満ちた純粋な思いから自分に接してくれ、助言や支援を下さる人のことを言うのです。すばらしい人間性を備えた方であるかどうか、さらに相手の為に“善かれかし”と願う心から指し示してくれる助言であるかどうか、まずその識別を行い、それが純粋なものであれば、心から感謝して受け取り、何のためらいもなく、その方向へ全身全霊をあげて努力していくことが運命を好転させることにつながるのです。 

しかし自分に好意と善意をもって接してくださる人々の運命的な出会いも、自分の方が善き思いを持ち、善き行いに努めているからこそ適(かな)うことなのです。こちらが利己的に、常に自分の損得だけを考えているようでは、出会う相手も必ず自分勝手で利己的な人となり、自分の都合と損得勘定だけで助言してくることになります。 

自分自身が純粋で、好意と善意の持ち主であれば、必ずそういう人が寄って来て、自分にも好意と善意で接してくれるはずです。自分の心の有り様に注意して好意と善意の人に出会うことができるように心を磨き、高めていくことが人生をすばらしいものにするうえで、たいへん大事なことになってくるのです。 

稲盛塾長の人生には多くの善意、好意を持ってよき助言をして下さった方々が登場しました。中学校に行かせてくれた土井先生、大学に行かせてくれた辛島(からしま)先生、就職先を世話してくださった指導教授竹下先生、目をかけて下さった内野先生、パキスタン行きを中止するようアドバイスして頂いた等、多くの先生方の好意、善意に稲盛塾長は助けられました。 

  1. 死の直前まで気づかってくれた内野先生

内野先生が危篤との急報を受けて、急遽、稲盛塾長は米国の出張先から帰国、羽田に着いてからすぐに入院先の都内の病院へ駆けつけられました。 

病院に着きました処、お嬢さんが病室ではなく病院の廊下に待機しておられたそうです。なぜ廊下におられるかとお尋ねしますと、ベッドの横にいると“気が散るから外に出ろ”と父から命じられ、二~三日前から廊下にいると言われたそうです。驚いたことに、内野先生が死に直面して、“自分の哲学をまとめなくてはならない”と考えられ、そのため人を遠ざけておられたそうです。人生の最後の期を“死を迎える準備期間”として捉えておられたようでした。 

“病室に入っていいでしょうか”とお嬢さんに尋ねますと、“父はいつも“稲盛君はどうしているだろう”と話していましたので、たいへん喜ぶと思います”と、入室を許されました。 

病室に入り、“内野先生”とお声をかけますと、もう骸骨みたいに痩せておられた先生が振り向き、破鐘(われがね)のような声で“おお!稲盛君、大したものだ!大したものだ!”しきりに稲盛塾長に話しかけられるのでした。お見舞いを申し上げ、近況を報告し、早々に失礼されたそうです。死の直前まで稲盛塾長のことを気にかけていただくなど、終止、あふれるような好意と善意で稲盛塾長に対してくださったそうです。 

  1. 京セラ創業の恩師・西枝さん

松風工業の上司であった青山政治さんが、京大時代の同級生の西枝一枝さんに、稲盛塾長を紹介されました。宮木電機の専務をされていた西枝さんでしたが、最初は“こんな若者が会社を経営するなどできるもんか”と考えられました。何度も通いづめ、ファインセラミックスの可能性を繰り返し説いていくうちに“やってみるか”と西枝さんは新会社への出資を宮木電機の役員の方々にも促してくださいました。 

この西枝さんは、ご自身の家屋敷を担保に入れて、一千万円もの開業資金を用意してくださいました。 

西枝さんにはお酒の飲み方から、実に多くのことを教わりました。心は広く豊かで快淡として欲がなく、会社の状況をご報告するたびに京セラの成長を我がことのように喜んでくださいました。 

西枝さんは新潟のお寺で生まれ育った方でした。その御縁で前の臨済宗妙心寺派管長の西片擔雪(にしかたたんせつ)ご老師を紹介いただきました。 

  1. 運命的な出会いがなければ、現在の私は存在しない

稲盛塾長は“これらの方々に出会っていなければ、今の私はなかったと強く思います”と語っています。“また、それらの方々の貴重なアドバイスに耳を傾けていなければやはり、現在の自分は存在しない”と振り返っておられます。 

自分を高める友人との運命的な出会い 

  1. 自分よりも立派な人を友人にする

“類は友を呼ぶ”“似たもの同士”とも言います。自分よりも立派な人、自分よりも人間的に成長した人、また自分の損得や利害得失で考えず、ことの善意で判断ができる人、つまり無私の考え方を持った人、さらに言えば他人の為に善意で考えてくれるような人とお付き合いをしていくということが大切です。 

われわれ経営者には、たとえ友達とはいえ、自分よりも立派な方とお付き合いをして、自分を高めていくということがどうしても必要なのです。 

  1. 心の友 宮村久治公認会計士

四十年ほど前に、京セラが大阪証券取引所第二部に上場すると考えて、会計監査法人を探しておられたそうです。都銀の支店長から宮村先生をご紹介いただいたそうです。 

“監査をお願いします”と頼むと“あなたは簡単に監査をお願いすると言われますが、そう簡単に引き受けるわけにはまいりません。”と言われたそうです。“決算にあたって私はあなたにいろいろと意見を言い、注文をつけると思いますが、あなたはそれを素直に聞いて従ってもらえますか”と稲盛塾長に問うのでした。

“もちろん私は人間として正しいことを正しいままに貫いていくということをかねてから信条にしていますから、不正なことをするつもりは毛頭ありません。”と答えられたそうです。

宮村先生いわく“いや皆さんそういうんです。経営が順調な時は正しい決算をしても大丈夫なものですからそう言う。ところがひとたび不況になって経営が苦しくなってきて、思うような決算にならなくなると、公認会計士に“そんな堅苦しいことを言いなさんな。ここのところあんたちょっとこう変えてくれてもいいではないか”という粉飾まがいなことを、かねて立派なことを言っていたはずの人が言い出すのです。”

稲盛塾長は“そんなことはありません。私はどんなときでも考え方を変えることはありません”

宮村先生は“それじゃ、男に二言はありませんな”とやっと監査を引き受けてくださったそうです。 

稲盛塾長は宮村先生が公明正大に企業監査をしようとしていく姿勢に強く惹かれたそうです。 

宮村先生はたいへん気難しくて、また理屈っぽい人で、塾長と意見が合わず、ことあるごとに激突していたそうですが、会計を語り、経営を語り、時局を語り、そして人生を語るうちに、本当に親友と言えるほどの間になり、一緒に酒を飲みに行ったり、ゴルフに行ったりするようになったそうです。 

そういう遊びの時でも、人生論や政治論になってしまい、意見が違うものですから、すぐに喧嘩みたいになったそうです。 

それでいて、宮村先生が病気になると稲盛塾長は心配して見舞いにいく。塾長が体をこわすと逆に宮村先生が塾長のことを気遣い、いろいろとアドバイスをしてくれたりするそうです。 

M&Aの案件などは真っ先に宮村先生に相談しておられたのですが、宮村先生は緻密にかつ綿密に、また公正に、相手である塾長のことを考え、“あなたが考えていることはそれでいいんですよ。そうすべきなんです”と心強い助言をされたそうです。宮村先生のアドバイスはいつも正しく、塾長にとって本当にすばらしいアドバイスだったそうです。 

宮村先生は塾長の自宅の購入や財産の管理も手助けされたようです。そうして塾長は、経営に全力投球できるよう環境を整えてくださったそうです。 

宮村先生は“稲盛さんと親しくなったおかげで、私は公認会計士としてもたいへん立派になれたと思う”と言われたそうです。徳に京セラ会計学、アメーバ経営について、“あんなにすばらしい会計学をあなたは独学でつくったのですか”と褒めていただいたそうです。 

共に学ぶ“磁場”を形成する 

  1. 出会いへの感謝の念が他を思いやる気持ちにつながる

若い頃、二十五、二十六歳くらいの間には悲惨な人生が続いていましたが、松風工業に入り、研究に打ち込み、その成果をもって京セラという会社をつくっていただいた頃から、今あるのは様々な人との出会い、特に京セラをつくっていただいた頃には、もう不平不満を漏らしているような自分ではなくなり、感謝の思いを強く抱くようになりました。そのころには、自分が幸せだと思うようになりました。出会えた人に対して、また社会に対して、感謝すると同時に“自分は何と幸せ者だろう”と思えるようになる。するとさらに自分以外の人たちも幸せになってほしいと願うという。他人を思いやる気持ちが自然に湧き出てくるようになったと、稲盛塾長は述べています。 

  1. フィロソフィーを共有するために虚飾をむしりとる

京セラがスタートすると、会社をどのように運営していけばよいのか、たいへん悩みました。二十八名で会社を創業したのですが、会社を潰(つぶ)せばたいへんなことになります。せっかく集まってくれた従業員の方々を絶対に路頭に迷わせてはならない。その為には、“誰にも負けない努力”を払うことを心に誓って、必死に働いて来ました。 

一生懸命に仕事を進めていく中で、運命的な出会いから学んだこと以外に、自分自身でも経営についてどういう考え方でなければならないか、またたった一度の人生をすばらしいものにするにはどういう考え方をすべきなのかということについて、折々に気づいたことを毎日、実験ノートの端に書き留めていったのであります。 

その書き留めたものをベースにして“こういう生き方、こういう考え方をすべきだ”と説いていきました。京セラは急成長していましたから、常時中途採用を行い、会社には年輩の方々もおられました。 

全ての従業員の考え方のベクトルを合わせなければならないと考え、少し“考え方が違うな”と思う人をつかまえては、よく話し込んでいきました。中途で入社してこられる多くの人はそれぞれ前職や人生での経験を通じて身につけた独自の考え方を持っておられます。人間、四十、五十になりますと、もう固定概念を持つようになりますので、稲盛塾長が多少言ったぐらいでは、なかなか聞いてくれず、素直に受け入れてくれません。 

中途入社の中には、いわゆる一流大学を卒業した人、また中央官庁や一流企業に勤めていた人もいました。そういう人ほど、たくさんの不要な固定概念をまとっているのです。それをむしりとっていくのです。あたかも、寒い冬に着こんでいる外套から上着、ついには下着まですべて脱がしていくようなものです。相手は必死に抵抗し、自分の衣服、つまり固定概念を離そうとしません。それでもパンツまで無理矢理にむしりとっていくのです。 

そうして虚飾をむしりとられて裸になった自分が、いかに貧相な自分であったかと皆、気づくのです。学歴や職歴など人間はいろいろな虚飾をまとっていますが、そんなものを全て引きはがしてしまうと、本当にみすぼらしい自分がいることに気づくのです。 

そうした後、京セラでは“考え方”“生き方”を、つまりフィロソフィーを改めて身につけてもらわなければならないのです。会社のフィロソフィーを、企業哲学を社員に理解してもらいたいと思いますが、会社でチョロチョロとフィロソフィーを説くだけでは、実際には社員はわかってくれません。本当にフィロソフィーを浸透させていくには、“むしり”とる壮絶なプロセスが必要だったのです。 

心底からフィロソフィーを理解し、共有し、そういう考え方、生き方を実践しようという社員が、会社のなかで次第にマジョリティーになっていくに従い、会社のベクトルがそろってきて、会社はぐんぐんと成長発展していくのです。 

  1. フィロソフィーによる“磁場”にいることで偉大な力を発揮できる

ところが、往々にして、会社が発展していくにつれて、社員が妙な自信を付けて、変質してしまうことがあります。京セラの場合、有能な幹部社員の中には有頂天になり、傲慢になり、会社を去っていった人もあります。京セラが上場した時、“俺は仕事が出来る。自分が会社を引っ張っているのだ”と自負心が高じて、転職していった人もいました。最初のうちは活躍されていたようですが、いつの間にか噂も聞こえなくなり、しまいには消息が分からなくなってしまいました。 

りっぱなフィロソフィーは職場の“磁場”のようなものです。フィロソフィーという企業哲学を共有し、みんながそれにベクトルを合わせ、同じ思いで仕事をしている。そこには、あたかも強力な磁場ができあがっているのです。 

その“磁場”の中におれば、つまりフィロソフィーを共有し、フィロソフィーに基づき仕事をしている時にはたいへんな力を出せるのですが、その磁場から離れてしまえば力を失い、ただの人になってしまうのです。たとえ自分がフィロソフィーを身につけていると思っても、フィロソフィーの実践は従業員同士の相互作用でなされるものですから、フィロソフィーを自分自身で持続していくこと、ましてやそれを他に移植していく、他の会社に、身につけたフィロソフィーを移植していくことは、大変な仕事なのです。 

京セラという“磁場”の中、つまり京セラフィロソフィーの中におり、それを信じ、お互いに影響し合っている時には偉大な力を発揮しますが、フィロソフィーという“磁場”から離れてしまうと、ただの人になってしまう。 

人生で運命的な人々に出会い、そのすばらしい善意、好意のアドバイスが指す方向へ、一生懸命に努力をしていく中で教わった“考え方”“生き方”があります。この両者でできあがったものがフィロソフィーなのですと、塾長は結んでおられます。

盛和塾 読後感想文 第九十五号

現代の経営者はいかにあるべきか 

人類を発展させた欲望という原動力 

  1. “生物圏”を離れ“人間圏”を形成した人類

宇宙の誕生は今から約百三十七億年前、一握りの素粒子の固まりが大爆発を引き起こしたことに始まるそうです。いわゆるビックバンと呼ばれる大爆発により誕生した宇宙は、以来膨張を続け、現在も拡大し続けていると言われています。 

この宇宙誕生から四十六億年前にガス状であった太陽系星雲のなかで、小さな惑星がたくさん生まれました。それらの小さな惑星が合体したものがこの地球だと言われています。 

海が形成され、その中で原始的な生命が誕生しました。その海で誕生した生命が進化して、陸地に上陸してきたのが今から四億年くらい前であると言われています。陸に上がった生物は進化を遂げていき、今から七百万年くらい前に、アフリカに人類が誕生したと言われています。 

人類は地球上でほかの生物と共に進化発展を遂げてきた生物種の一つであり、同時にこの頃の人類は生物圏、つまり生物で構成される世界のなかに含まれた、一つの生物種に過ぎませんでした。自然環境の制約条件の中で、受動的に生きる存在であったのです。 

人類は狩猟採集の生活を送っていました。当初人類は狩猟採集の生き方を通じて、生物圏の中で物質やエネルギーの循環を受動的に生きる存在であったのです。ところが、人類が一万年くらい前に農耕牧畜を始めた時から新たな局面を迎えることになりました。森を焼いて畑に変え、食料となる植物を栽培する、牧草地をつくり、家畜を放牧する。これらの農耕牧畜の営みは、地球の物質やエネルギーの流れを変えることになったのです。 

それは、自然に支配されて生きるという生き方から決別し、自らの意志、また理性を駆使することによって地球上の自然を自らのために利用し、変えてしまおうというものでした。人類のために自然は征服されるべきものという認識を人類が持ち始めたのです。また同時に、そのとき人類は、自然や、自然のもたらす資源は無尽蔵であるとも思い込んでいました。 

そのような考えをもった人類は、地球上の森林の多くを切り開き、農場を、また家畜を飼育する牧場へと変貌(へんぼう)させていきました。そのことで、生物種の激減をもたらすなど、生物圏を変化させて、ダメージを与え続けてきたのです。しかしこの頃の人類は人力やせいぜい牛馬の力しか持たず、自然への関与は限定的なものに留まっていました。 

  1. 産業革命により獲得した“駆動力”が今日の物質文明を作った

農耕牧畜へと移行した人類は、社会のあり方をも変質させてしまいました。食料の生産を開始した人類は、生活の安定と豊かさを求めて余剰食糧を備蓄するようになりました。その結果、貯蔵した食料、富をめぐって人間同士が奪い合いをはじめました。 

自らの豊かさを得たいという欲望を募らせ、争いがエスカレートしたことから、外敵から身を守る為に都市の周辺に城壁や環濠(かんごう)(堀)をめぐらしていきました。この間人類は、富をめぐる興亡を数千年にわたり、続けながら、富を求めて大いなる好奇心と探求心をもって自然現象の原理を追求し、またものづくりにたゆまぬ創意工夫を重ねていったのです。 

今から二百五十年前にイギリスで産業革命が起こりました。蒸気機関が発明され、人類は駆動力を手に入れました。この駆動力を手に入れたことによって、人類は地球上の物質内エネルギーの循環に深く関与し始めました。 

その駆動力の中心となっているのが化石燃料です。内燃機関がもつ強大な駆動力、その燃料である化石燃料の大量使用によって、現代の地球環境問題が示すように、人類は地球の物質、エネルギーの循環に大きな負担をかけるようになってきたのです。生物圏のくびきを逃れた人類は、その駆動力によって、人間圏を異常なまでに発展拡大させてきました。 

駆動力を手に入れた人類は、“もっと豊かな生活をしたい”、“もっと便利な社会をつくりたい”という欲望を原動力として、さらに好奇心と探求心を募らせ、次から次へと科学技術を発展させ、わずか二百数十年の間に、現代の豊かで便利な物質文明をつくりあげてきました。 

  1. 現代の物質文明をいつまで続けることができるか

現代の物質文明は“大量生産”、“大量消費”、“大量廃棄”の経済システムのもとに成立しています。たくさんのモノを作り、たくさんのモノを使い、たくさんのモノを棄てることで、絶えず経済発展/成長を目ざす。人類はそうすることによって社会全体の発展と幸福を導くことがよいのだと考えて来たのです。 

そのような欲望に基づき、自然をないがしろにする文明が長く続くはずがないのです。稲盛塾長は、一昨年前に考古学者の吉村作治先生と哲学者の梅原猛先生と、エジプトに行かれました。 

エジプト文明は今から五千年前に発展を始めたそうですが、二千年ほど前に滅亡し、ピラミッドや神殿などの遺跡だけが残ってしまっているようです。現在のチグリス・ユーフラテス文明も同様に、古代に栄えた文明が多くの遺跡を残し、今や文明の痕跡(こんせき)さえ見出すことは難しくなっています。かつてチグリス・ユーフラテス川流域は森林に覆(おお)われた豊かな牧草地帯であったと言われています。しかし今は見る影もない砂漠と化しています。 

自然を征服しようとして、自然を利用するだけ利用してしまった結果、栄華を極めた文明が滅びてしまったわけです。人類の文明で千年以上も続いているようなものは、ほとんどないそうです。 

わずか二百数十年前に始まった産業革命を契機に始まった近代の物質文明も、いつまで続けることができるでしょうか。本来、生物種の一つでしかなかった人間が、自らの欲望のおもむくままに、他の動植物を利用し、自然環境を破壊し、すばらしい生活を享受している現代文明。このような文明は結果として地球環境を破壊することで自らの生存さえ危うくしてしまうに違いありません。 

江戸時代中期、千八百年頃には地球の人口は十億人ほどであったと言われています。それから二百年の間に人類はおよそ七十億人に膨れ上がっています。今世紀末には百億人に達するだろうといわれています。 

しかし、エネルギーや食糧、水を百億人分も確保できるのでしょうか。多くの有識者がすでに不可能だと言っています。おそらく現代の物質文明は2050年、今から四十年後に崩壊するという悲観的な予測もあり、多くの賢人達が警鐘を鳴らし始めています。 

人類が今までのように欲望を原動力として、もっと便利で豊かな生活を望み続けても、地球の許容能力の範囲までしか発展しないのは当然ですと稲盛塾長は述べています。その限界がくるのは、そんなに遠い将来ではなく、せいぜい三十年、四十年という短い時間軸なのであり、このままでは現代文明は崩壊し、人類は破滅するしかないというのです。 

今求められているのは新しい倫理観の確立 

  1. 経済危機の背景には際限のない欲望がある

米国を中心とする資本主義、それは人間の欲望を原動力としてさらにもっと便利で豊かな生活を、それも楽しんで得たいと望むものでした。人類はその持てる意志と理性を駆使して、その限りない発展に尽力して来ました。 

その最たるものが、金が金を生む金融界における技術進歩でありました。米国を中心とする金融機関は、高度な数学、統計学の知恵、最先端のIT技術を駆使して、レバレッジを活かした金融派生商品を開発し、それを全世界に販売し、巨額の利益を上げてきました。できるだけ楽をして、巨額の利益を得たい、自分だけが限りなく儲けたいという利己的な欲望がエンジンとなっていたのです。

サブプライムローンという極めてリスクの高い債券を証券化し、これらの金融派生商品の中に組み込んだのです。その後、世界各国の巨大金融機関が破綻し、それを救済するために、各国政府はやっきになって、資金注入をしました。 

現在人類は資本主義をほとんど唯一の経済システムとして、その資本主義が主導する“市場原理主義”“自由経済主義”“成果主義”を正しい社会原理としています。市場原理主義、自由経済主義は、放任的な経済自由競争のなかで、強者と弱者を明確にし、“格差社会”をつくりあげてしまいました。成果主義は能力のある者とそうでない者との報酬に圧倒的な差を生じさせ、社会に矛盾と不安を惹起(じゃっき)させました。 

リーマンブラザーズの経営破綻、メリルリンチの経営破綻の中で、経営責任者が引責辞任時に三百二十億円、百五十億円の退職金を受け取ったと言われています。このあまりにも利己的なありかたが、社会から“グリード”“強欲”として大きな批判を浴びたのでした。 

企業の利益というのは、全ての経営幹部と社員の献身的な努力と協力によってつくられたものです。それを経営トップ一人だけが成し遂げたかのように考え、高額の報酬をひとりで得ることなど、あってはならないことです。 

現在の資本主義の根本的な問題は、法律規制、制度の確立、方法論の改善という問題ではなく、つまるところ人間の資質の問題である。今こそ資本主義をより節度のあるものに変えていかなければならない。 

規制や監視の強化が叫ばれていますが、資本主義社会を生きる者が正しい倫理観、強い道徳感を備えることが最も大切なことです。資本主義とは己のためだけではなく、社会のためにも利益を追求する経済システムであるべきです、と稲盛塾長は語っています。 

  1. 欲望に基づく経営から利他をベースとする経営へ

人類が持つ欲望、これは人類に限りない成長・発展をもたらした原動力です。この欲望がさらに続いていくならば、人類は地球を破壊し、自ら人類の破滅を招くことは必定です。その人類の欲望を節度あるものに変えていくにあたり、必要となる考え方がまさに“足るを知る”ということなのです。“知足”。 

人類が地球に与える負荷を許容できる範囲に留めていかなければ、現代文明は崩壊し、人類が破滅するのです。 

地球上に住む人類七十億人の人口の大変は発展途上国の人々です。これらの人々は生活の向上を願い、今後も高い経済成長を目標に掲(かか)げ、資源エネルギーの消費を飛躍的に増大させていくはずです。先進諸国、発展途上国の人々の消費するエネルギーは地球資源の有限性という点から、とうていまかないきれないのです。 

大量生産、大量消費、大量廃棄という現代社会のあり方を根本から見直し、技術革新を通じて資源エネルギーの使用をできるだけ少量に留めながら、付加価値の高いものを生み出していくという方向へと、産業や社会のあり方を大転換していくことが必要です。 

どのような経済環境の下でも、動植物が厳しい自然界の中で必死に生き延びようと努力をしているように、経営者も誰にも負けない努力を必死に払うべきです。ただし、必死に経営にあたる中で、自分だけよければよいというエゴ、つまり自分の欲望だけで動くのではなく、従業員、お客様、取引先、そして地域社会、企業をとりまくすべての人と社会と調和するような思いやりのある心、利他の心で経営していくことが大切です。 

今こそ、資本主義の中にすべてのものと調和して生きていこうとする“共生”の考え方、全てのものに善かれかしと願う“利他”の考え方を倫理規範としていかなければなりません。 

企業経営者こそが世の規範とならなければならない 

  1. “他に善かれかし”という願いが繁栄を持続させる

経営者の努力と才覚により、小さな中小企業が成長発展を遂げ、上場企業になった時、その経営者が“もっともっと”と自らの利益だけを際限なく求めるようになり、贅沢(ぜいたく)に走り、傲慢になるようであれば、やがて滅亡していきます。 

その経営者は最初は“自分だけはその轍(てつ)を踏むまい”と思っているのです。辛酸をなめ、苦労を重ねている時は、“巨額の報酬を受け取るなど経営者の風上にも置けない”と憤慨しているのですが、いざ自分が功成り名を遂げたら、報酬も名誉も限りなく欲しくなり、驕り高ぶるようになり、やがて没落していくことになってしまうのです。自分では自分の変化がわからないのです。 

自分のなかに確固たる哲学を持っていない、また、日頃から反省する、哲学書にしたしむ習慣がないものですから、環境の変化に合わせて、自分が変質してしまうのです。 

ともすれば頭をもたげてくる“おれがおれが”という自己愛に満ちた欲望をできるだけ排し、従業員のため、お客様のため、さらには社会のため“他に善かれかし”と願う利他の心が、自分の心の中を占めるようにしていかなければなりません。 

  1. 善なる動機から創業した沖縄セルラー電話

沖縄は過去辛酸をなめ尽すかのような歴史をたどっています。長く大国中国の支配下におかれ、江戸時代には薩摩藩に搾取され、さらに第二次世界大戦では本土防衛の先駆けとして大変な犠牲を強いられました。そういう悲惨な歴史の中にありながらその踊りや歌などに見られるように、他の地域にはない独特のすばらしい文化を育んでおられる。沖縄はもう立派な独立国になってもおかしくない、独立心のある、独特の人たちの集まりと考えられるのです。 

1990年に沖縄の技術発展を促進しようということから“沖縄懇話会”が設立されました。稲盛塾長もその会員に推挙され、以来、沖縄発展の為に何をしてあげられるかと考えられました。沖縄返還以来、日本の経済界は様々な支援を行ってきたようですが、実際は本土資本の為に働くだけで、本当の意味では沖縄の経済支援にはなっておらず、沖縄の人たちを豊かにすることにつながった例は少ないというのです。 

京セラグループは1996年以来、移動体通信の自由化に伴い、首都圏と中部圏を除く北海道から沖縄までセルラー電話会社を設立してきました。その時沖縄は単独の経済圏として成立せず、あくまでも九州経済圏の一部であり、行政的にも九州の管轄下に入ることが多いものですから、もともと九州地域を受け持つ九州セルラー(株)の管轄下に入れる予定でした。 

沖縄の人たちの為に何かしてあげることができないかと考え、“沖縄には単独の会社をつくってあげるべきではなかろうか”と考えつかれました。沖縄は独立国家みたいなものですから、九州の会社の一営業地域というのではなく、独立した沖縄セルラー電話という会社を作ろうと思いますと、沖縄の経済界のみなさんは出資して下さいませんか、と問われました。 

大株主としてKDDIは60%、残りの40%は地元沖縄の人々で持っていただきました。役員人事にあたっては、会長と役員一名はKDDIから、社長以下すべて役員は沖縄の人にお願いしました。沖縄の人はこれは沖縄の会社、我々の会社と考えられ、沖縄セルラーは創業以来快進撃を続け、全国で唯一NTTドコモを上回る、ナンバーワンのシェアを誇り、業績も順調に維持しています。1997年には上場も果たしました。全国にセルラー会社は合計八社展開しましたが、上場したのは沖縄セルラーだけなのです。 

稲盛塾長は名誉会長ですが、給与はなしです。打算一つもなく地元のためという思いから創業し、ここまで来た会社の経営を通じて多くの皆さんに喜んでいただいていることが本当に嬉しいのです。沖縄の方々のために何かしてあげたいという純粋な善なる動機、優しい思いやりの心で始まり、それが相手の方々にも伝わり、すばらしい経営につながったと稲盛塾長は喜ばれたのでした。 

  1. 利他に努めることが“ひらめき”を生む

盛和塾の会員の中には“私利私欲だけで経営していたら、おそらく私の会社は倒産していたでしょう。利他の心で経営を始めたら、とんとん拍子に会社がうまくいきました”と言われる方も多くおられます。相手に喜んでもらおうと善意でやったこと、それが結局成功するということは厳然たる世の原理なのです。 

利他に努め、必死に打ち込むことで、創造力さえ身につけることができるのです。利他に努めることで、インスピレーション、“ひらめき”が得られ、まだ誰も取り組んでいない新しいことでも見事に成就させることができるのです。 

宇宙には“知恵の蔵”があります。その中には汲めども尽きない知恵が蓄えられ、それを引き出すことができるなら、すばらしい発想や斬新な“ひらめき”が得られるのです。その“知恵の蔵”のドアを開けるのは、必死に打ち込んだ利他の心-何としても成功して人の役に立ちたい-という鍵なのです。 

  1. 企業経営者が国家、国民を支えている

企業経営者は自分だけがよければいいという利己的な考え方を極力排し、思いやりの心、慈悲の心、利他の心をベースに必死に生き抜き、従業員、お客様、取引先、地域の方々、企業の周囲に存在する多くの人達を幸せにしてあげる、豊かにしてあげるという信念を持って企業経営に邁進していくことが大切です。 

国に納める法人税、消費税、雇用する従業員が支払う所得税/消費税、国家財政の大半は企業が鍵を握っているのです。これら企業が生み出した富を国や地方自治体が集め、再配分することで、現代の経済社会は成り立っています。企業が存在し、経営者が営々とその活動に努めているからこそ、この経済社会が機能しているのです。 

日本の中小企業は日本の企業の中で99.7%を占めています。つまり中小企業が国家・国民を支えているといっても過言ではありません。 

自分のためだけではなく、社会のために有意義なことを行っているという矜持(きょうじ)と誇りが、経営者が難局に立ち向かう大いなる勇気、はげみになっているのです。

盛和塾 読後感想文 第九十四号

人類が目覚めたとき“利他”の文明が開く

私達が地球という船もろともに沈んでおぼれないためには、もう一度、必要以上に求めないという自然の節度を取り戻すほかはありません。私達は、自らの欲望をコントロールする術を身につけなくてはならないのです。 

すなわち“足るを知る”心、その生き方の実践が必要になっています。これ以上、経済的な富のみを追い求めるのはやめるべきです。国や個人の目標を物質的な豊かさだけに求めるのではなく、今後はどうすればみんなが心豊かに暮らしていけるかという方向を模索すべきです、と稲盛塾長は語っています。 

老子が言う“足るを知る者は富あり”という“知足”の生き方にみんなが賛同し、いろいろな場面で広めていくことが大切です。国も、会社も、学校も、家庭でも、小さい時から“知足”を実践していくように指導すべきだと思います。“満足こそ賢者の石”。知足にこそ人間の安定があるという考え方や生き方を、私たちは実践していく必要があるのです。 

私欲はほどほどに、少し不足くらいのところで満ち足りて、残りは他と共有するやさしい気持ち。他とは人間に対してだけではなく、この地球の自然をも含めています。他と共に人間は、生きていかなければ、自分の生命を維持することはできないことを知るべきです。他人が生きていてくれるからこそ、自分が生かされていることをみんなが知る必要があります。 

地球にやさしくするのは、人間が生きていく為には、欠かせないことと知るべきだと思います。 

共生の思想と経営

稲盛塾長は“共生”の概念について、国際日本文化研究センターの梅原猛さんとVOICE(1992年9月号“利他を忘れた資本主義”)で対談されました。ここでは“共生の思想”と“経営”の関係について述べておられます。 

判断基準としての“利己”と“利他”

企業経営者は毎日のように大小様々な物事を決めていかなければなりません。その決めたこと、デシジョン(決断)の集積が会社の業績として反映されます。今まで順調に経営してきたにも関わらず、一朝にして会社が潰(つい)え去るような愚かな決定をする場合もありますから、決断というのは大変重要なことです。経営者の場合、また組織のリーダーの場合でも、上に立つ人間は正しい判断、決断をしなければなりません。 

決断は頭を含む心でしているわけです。頭を含めた心による判断の一番最初に来るのは、利己的な、エゴイスティックな、つまり自分に都合のよい、損得勘定を判断基準として物事を決めていきます。“本能的なデシジョン”。我々は視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚という五感で判断しているケースもあります。 

人にとってはこのように言う人もおります。“俺は頭もいいし、理性的な男なので、常に理知的に理性で物事を判断しようとしている”。この理性による判断とは、物事をロジカルに推理推論することです。頭のいいスタッフは問題の解決にはAのコース、Bのコース、Cのコースをとる方法があり、 Aのコースの場合はこうなります、Bのコースではこうなります、Cのコースではこうなります、と見事に推理推論してくれます。しかし、“どうすればよいのか”と聞きますと、“いや、それは私ではできません。社長に決断をお願いします”と返事が返ってくるのです。理性というのは推理推論はできても、物事を判断することはできないのです、と稲盛塾長は語っています。 

物事を決めていくには、本能のエゴか五感で、損得勘定を判断基準としてなされていることが多いのです。 

しかし人間には、人間の理性を超えた“霊性心(れいせいしん)”というものがあると言われています。 

普通、私達は、自分の家族にとって、会社にとっていいか悪いか、儲かるか儲からないかという利害損得で物事を決めて、言わば“利己”という判断基準を使います。五感を使うこともあります。しかし、それ以外に“霊性心”というものがあります。 

“霊性心”というのは人間の魂から直に出てくる、“利他の心”です。それは自分ではなく、他の人によかれかし、という心です。人の喜びを自分の喜びに感じられる、人の悲しみを自分の悲しみに感じられる、思いやりの心なのです。キリスト教の“愛”、仏教でいう“慈悲”のことです。 

この利他の心と利己の心が人間の心なのです。 

すべてのことを利己で決めてしまうと、人生でも経営でも、はじめのうちは成功を遂げることができても、それを維持させることはできないのです。 

損得勘定で、自分が儲けよう、儲けようと思い、次から次へとうまい話に乗っていくと、足元をすくわれて、つまずくことになります。自分だけよければよい、というものの考え方ではなく、自分の周囲の人たちがみんな、共に生きていけるようにしてあげたいという気持ちがあったならば、バブル崩壊に遭遇していなかったと思われます。財界の実力者で、人間的にもすばらしかった方が、バブル景気の中で不祥事を起こし、没落していかれました。それは利己的な視野で物事を見ていきますと、周りが見えなくなり、視野が狭くなります。そして判断を大きく間違ってしまったのです。 

経営者として、事業家として大成する人、大きく伸びていく人は、自分だけが儲かればよいという利己的な考えで生きている人ではありません。競争に負けていくわけにはいきませんが、それ以上に他者との関係というものも大変大事なのです。判断基準として利己と利他を考えていきますと、“共生”というものが見えてくるのです。他の者が生きなければ、彼等に依存している自分も生きられない、ということが見えてきます。 

アフリカ原住民に見る共生と循環の知恵 

  1. 自分が生きるためには、相手を生かさなければならない

稲盛財団では京都大学の総長、岡本道雄氏を中心に、多くの方々に、また京大の教授陣に評議員をお願いしています。日本の霊長類研究の創始者としてたいへん有名な今西錦治先生の愛弟子でもある、伊谷純一郎先生のお話を聞く機会がありました。 

1990年の京都賞受賞者に、イギリス人の女性研究者、ジェーン・クドール博士がおられます。彼女は26才の時からアフリカのコンゴの山中でチンパンジーと生活を共にしながら研究を始め、その生態を30年間にわたって調査し、その詳細な研究報告を世に発表してこられた方です。このジェーン・クドール博士を京都賞に推奨したのが伊谷純一郎先生でした。 

伊谷先生もコンゴの山中に棲(す)む野生のチンパンジー社会の研究をしてこられ、よくアフリカに調査に行っておられます。伊谷先生等がチンパンジーの生息する場所に行くには、何ヶ月もキャラバンを組んで、ジャングルの中を移動しなければなりません。そのチンパンジーの棲む山中へ行く途中に、農耕をせずに狩猟で生活をしている原住民の部落を通って行かれるそうです。そこで見、聞きしたことを伊谷先生がお話になりました。 

その部落では、男たちがそれぞれ弓矢を持って総出で狩りに行きます。そのうちの誰かが1人、シカでもシマウマでも一頭倒すと、その日の狩りは終わりで、みんな狩りをやめて部落へ引き上げていきます。獲物を仕留めた勇者は、荷物を担(かつ)ぎ、部落へ帰ってきて、それを解体してみんなにお裾分(すそわ)けする。 

獲物の一番おいしいところは、自分の家族に分ける。後は自分と血縁が濃い順番に、兄弟、親戚へと決まった量をお裾分けしていく。その部落は共同生活をしていますから、食べ物が入ると、必ずもらったものを自分だけで独り占めするのではなく、必ずもらったものを自分の親戚へと余すことなく配ります。 

つまり、ある男が獲物を捕ったとすると、まず親兄弟に大きい切身を分ける。それをもらった親兄弟も、自分の妻の里もありますから、そこにも少し分けなければならないというので分ける。だから末端に行くほど肉は小さくなるのですが、あっちからもこっちからも貰(もら)えますから、結局は部落全体が平均したように分配に与(あず)かる。どの家でも小さな肉切れと野菜やら芋やらを鍋に入れて煮込んで、その日の食事をする。 

それを見た伊谷先生が“量が少ないではないですか。もう少し食べたいのではないですか。なにも誰か一人が獲物を仕留めたからといって、狩りを止めてその獲物を分けてもらわなくても、あなたも勇敢な狩人なのだから、自分でもう一頭倒して食べたらどうなんですか。”と聞きました。

“いや、そういうことはしないんだ。誰かが一頭倒せば、その日の狩りはおしまいということになっている。確かにおまえが言うように、欲しいことは欲しいのだけれども、そういうことはしてはならないということになっているのだ。”と言う。村の掟としてそういうことはしてはならないと諦(あきら)めているというのです。 

伊谷先生は次のような説明をされました。

“その部落の周辺には野生のシカやウマが生存しています。そのシカやウマは赤ちゃんを産み育て、やがて死んでいき、生まれた子供はまた次の世代を生むというように、再生産と循環を繰り返しています。それを間引きして食べる分には絶えませんけれども、次から次へと俺も俺もと言って食べてしまったら、シカやウマは根絶(ねだ)やしになり、今度は自分たち人間が食糧難に陥(おちい)らなければなりません。だれかが一日一頭倒せば、その日の狩りはおしまいということが村の掟になっているけれども、それは自然の摂理を知っているからではないか。” 

自分達が生きていくためには必要な分として、一日一頭しか捕らない。それはシカやウマが再生可能な範囲、循環できる範囲でしか捕らないということなのです。人間も生きていかなければならないけれども、自分たちが生きていくためには、獲物であるシカもウマも生きなければならない。これが共生なのです。 

伊谷先生は次のようなチンパンジー社会のルールを何回も見られたそうです。チンパンジーの社会でも共生の原理が働いているのです。チンパンジーは雑食で、普段は木の上に登って生活しています。木の実を食べて生活しています。しかしたまには狩猟をして獲物を捕ります。チンパンジーは腕力もありますし、棒きれも使います。シカなどを倒しますと、他のチンパンジーが寄ってきて、みんなで分配します。ここにも共生の原理が働いているのです。 

事業経営に共生の働きを考えて見ます。商売をする場合、製造業であれば、最初に相手にするのは、競争相手ではなく、自社製品を売ってくれる代理店、卸屋さんの場合は小売店です。そういう代理店、小売店へのマージン支払いは、なるべく低くしてほしいと思うのは当然です。しかし彼らは彼らで生きていかなければなりません。彼らもしっかり利益を上げ、元気に生きてくれてこそ我々自身の商売も成り立ちます。ですから、リーズナブルな、正当なマージンを与えて自分が生きていくためには、あなたも生きてもらわなければ困る、というように考えなければなりません。これが共生です。 

  1. 将来世代のために自らの欲望を抑える

伊谷先生から、次のようなお話もありました。

アフリカの中で焼畑農業をしている原始的な農耕民族がいるそうです。人懐(ひとなつ)っこい人達で、いつもそこに立ち寄ってからチンパンジーの山に行かれるそうです。 

そこの酋長が言うには、去年伊谷先生らが立ち寄った後、フランスの調査団も何日間か逗留したので、その後大変な食糧難に陥ったということでした。

“あなたは人がよくて、我々が来てもよくごちそうしてくれるのだけれども、その食料をどれくらい作っているのですか”。酋長は“百人くらいの部落の人が一年間食べる分だけしかつくりません。”と言うのです。“それでは人に食わせれば足りなくなってしまうではないか。他の人たちが来て食べるのですから、その分だけ余計につくらなければいけないのではないか”。酋長は、“それはできないのだ”と言います。“部落の四隅に神様が祀(まつ)ってありますが、その神様が許してくれないのだ。”と答えたそうです。 

焼畑農業の場合、原生林に火を放って焼くわけですから、葉が落ちて地面に堆肥(たいひ)がいっぱい出来上がっている腐葉土(ふようど)のところに、さらに火を放って、灰になるまで森を焼く、それを耕(たがや)して芋や穀類(こくるい)などを栽培するわけです。農業技術が発達していませんから、毎年、同じものを栽培します。連作しますと、畑はたちまち収穫量が減ってしまいます。十年も同じ畑で栽培を続けますと、ついには収穫ができなくなってしまいます。彼らは連作しか知りませんから、今の畑が収穫できなくなれば、今度は隣の森に火を放って焼くわけです。そしてまた新たに畑をつくるという繰り返しです。 

そうしますと、百人いる部落を中心に、周囲を10等分して10年ずつ焼畑をしていきますと、元へ戻って来た時は100年前と同じように堆肥ができ、腐葉土がいっぱいできている。森を焼けばさらに地味の肥えたいい畑になってまた作物が収穫できる。 

去年は外国からキャラバン隊がたくさん来て、食べ物が減って、子供が餓死寸前になったというので、畑を五割広げたら、100年という長い周期で回っていた焼畑農業のサイクルはもっと短くなってしまい、畑は回復することなく、次第に地味が衰え、さらに次々と森を焼いていかなくてはならないことになります。 

百年周期というのは三世代、四世代先の話になります。つまり彼らは三世代、四世代後の中でも子孫が今と変わらず生活していけるようにしているわけです。“神様が許してくれないのだ”という欲望を抑えるルールを確立し、自然と共生しているのです。 

理屈は何もわかってはいません。しかし“畑を広げてはならない”ということが遺伝子レベルで彼らの中にインプットされているのです。一見素朴な考えですが、実は三世代、四世代先の時代まで見据(みす)えているのです。 

自分だけがよければよいというのではなく、森と共生しなければならないことを彼らは知っています。我々に置き換えれば、社会と共生しなければならないということを知っているが故に、自分だけがよければよいという行動はとれなくなるのです。 

足るを知ることが共生の原点

先ほどの狩猟民族を考えた場合、もっと食べたいというので、さらに一頭倒し、それを見た別の者が“俺も欲しい”といって獲物を捕ることになります。焼畑農業を営む農耕民族の場合ですと、“穀物がもっと欲しい”からといって、森を切り開き、畑を際限なく広げる。そうすれば周囲にある動植物も全部根絶やしになってしまい、結局自分の何世代か後にはみんなが飢え死にをし、滅びることになってしまう。つまり自分だけがよければいいという利己だけでいくと、結局は周囲の環境全体を破壊してしまい、自分も滅亡しなければならなくなるのです。稲盛塾長は警告を発しておられます。 

森と共に生きよう、共生しようという考えをもてば、森も存続しますし、自分も生きられる。わずかな肉切れしかもらえなくても、それで満足し、あとは芋や穀類を食べて空腹を満たしている。伊谷先生が“そんな量では腹が空くでしょう。もっとあなたも獲物を倒したらどうですか”と言いますが、“いや捕ってはいけないことになっている”と原住民は答えるのです。原住民は“足るを知る”ということを知っているのです。 

経済人でも成功して有名になり、驕り高ぶって失敗し、没落していく人は、足るを知らない人です。成功するとお金もどんどん増えるので、着る物から何から贅沢(ぜいたく)をし、いろいろなことをやりだす。もっと堅実で質素な人だったのに、成功すればするほど、理性が利かなくなり没落していく。 

どれほどお金持ちになったとしても、どれだけ贅沢ができるといっても、人が一杯しか食べない飯を何杯も食べられるものではない。人が一枚しか食べられないステーキを何枚も食べられるものではない。食べすぎて身体を壊したら元も子もなくなります。逆に人が一杯しか食べないのであれば、自分は八割しか食べない方がよいのです。 

アフリカの原住民と同じように、自分が住んでいる社会という森と共に生きていかなければならないのです。それしか自分が生きていることができないことを知るべきなのです。自分を取り巻く森羅万象あらゆるもの、生きとし生けるものすべてが生きている必要があるのです。そのためには利己を抑える、つまり足るを知るということが必要なのです。 

心を高めることで利己を抑える

利己的な経営者は自分の事だけしか考えていませんから、社会という森は見ていません。自分の家族を食べさせていくこと、お金を儲けること、自分の欲望を優先して考えます。利他の心がありませんから、周囲の人々からうとんじられ、疎外されていきます。すなわち社会という枠からはずれてしまうのです。そうならないように、利己を抑えなければなりません。利己を無くすのではなく、その程度が問題なのです。 

人間というものは、心を高める修行、修養をしないで放っておくと、心の中は利己だらけになってしまうのです。足るを知り、利己を抑えれば、人間というのは利他の心、思いやりの心が出るのです。 

利己だけであった場合は、社会全体という森を見ていないわけですから、視野が狭いのです。そこに利他の心が少しでも入って来ますと、自分だけでなく、周囲も見えるようになります。森に住んでいるみんなと共に生きなければならないのだと考えれば、視点、次元が高くなるのです。 

心を高め、人間のレベル、人格が上がってきますと、ちょうど山へ登るのと一緒で、高いところから物事が見えるわけです。心を高めるとは毎日、自己反省をして、自分を正しく直していく作業なのです。誰でも利他の心があるのです。それに気づくには毎日の反省が必要なのです。この反省は山登りに例えれば、坂道を一歩一歩頂上に上るようなものだと思います。頂上にはすばらしい景色=利他の心が待っているのだと思います。心のレベルが上がっていくと、高いところから見えるようになる。だから先見性、予見力というものが出て来るのです。 

会社の目的は、中に住む従業員の物心両面の幸福を追求すること

自分だけが儲かればいいと思っている間は、なかなか従業員との関係はよくなりません。経営者が利己的ですと、必ず従業員が反発します。 

親から譲ってもらった自分の会社を立派にし、守っていこうとするのは立派なことですが、しかし、そればかりに気を取られていると、視野が狭くなります。そうしますと、会社という森に住む従業員を生かすことができません。 

自分の会社を立派にするためには、会社に住んでいる従業員がまず栄えなくてはなりません。自分が栄えたい、儲かりたいのなら、まず従業員が喜んで働いてくれなければなりません。そのためには自分よりも従業員によくしてあげなくてはいけないのです。会社を立派にしていくためには、従業員を含めた周囲の人たちを幸せにしていくこと、会社という小さな森全体を立派にしていくことを目指さなければなりません。 

京セラでは、稲盛塾長の当初の経営目的、稲盛個人の技術を問う場から、従業員の生活を保証する場へと変わっていきました。それは当時、会社創立3年目頃に、10名の若い社員からの要求でした。毎年の昇給・ボーナスの保証書でした。とうてい受け入れられないことでしたが、稲盛塾長は三日三晩、市営住宅で若い従業員と話したのでした。多分すさまじいやり取りがあったはずです。稲盛塾長は経営者として、一生懸命みんなの期待に応えることができるように頑張る。もし経営者として不合理なこと、不正があったら殺してくれていいとまで言ったそうです。 

この団交は京セラの企業目的を“従業員の物心両面の幸せ”に変える出来事でした。 

企業という小さな森が繁栄するためには、経営者はお金持ちになりたいという自分の願望・欲望を少しでも抑えて、会社の中に住む従業員を大切にすることが大切です。それが会社をさらに立派にしていく元です。 

ここで忘れてはならないことがあります。それは誰もが利他の心を備えているということです。経営者の方々はやはり従業員を大事にしてあげなければならないと思っているはずです。従業員を大事に思っている人には、他によかれかし、と思い利他の心、優しく美しい心が備わっているのです。

盛和塾 読後感想文 第九十三号

純粋な心からの情熱

強い思い、情熱は成功をもたらします。しかし、それが私利私欲から生じたものであれば、成功は長続きしません。自分だけがよければ良いという方向へ突き進むようになると、はじめは成功をもたらしてくれた情熱が、やがて失敗の原因になるのです。 

利己的な欲望の肥大化を抑制するために努力をすることが必要になってくるのです。働く目的を“自分の為に”から“集団のために”へと考えるべきです。利己から利他へと目的を移すことにより、願望の純粋さが増すことになるのです。利己の心が左端にあり、右端に“利他の心”があると考え、そのシーソーができるだけ右に傾け続けるように努力するという感じではないでしょうか。 

純粋な願望を達成する為の努力をし、苦しみ、悩み抜いている時、天からヒントのようなものが与えられることがあります。成功するというのは潜在意識に到達する願望の純粋さにかかっているのです、と稲盛塾長は語っています。 

強く清らかな心で不況を乗り切る

2008年、2009年と大変な不況になっています。今回の経済危機は“百年に一度”の不況だと言われています。特に輸出比重の高い自動車関連や電子工業関連の業界では市況が激変し、苦慮された企業が多いと思われます。 

中村天風に学ぶ“強い心” 

  1. 尊く、強く、正しく、清い心

我々人間の行動というものは、すべてはその人の心によって決まっていきます。心がどういう状態であるかによって、その人生、その人の周辺に起こすすべての現象がすべて決まってくると思います。 

天風さん、ヨガの達人、人間の心というものは、もともとは尊く、強く、正しく、清いものだと言っています。誰もが持っている心というのは尊いもので、強いものであり、正しいものであり、そして清いものである。 

  1. 苦しくても、決して悲観的な思いを抱いてはならない

不況になりますと、受注が減り、作るものがなくなり、人が余ってきます。派遣社員の方に辞めてもらったり、正社員の方にも希望退職を募ったりしなければ、経営維持できなくなります。 

そうしますと、経営者はどうしても愚痴が出ます。“こんな状態ではダメだ。どうしよう”と弱音を吐きます。天風さんはそういう悲観的な思いがその人の人生を暗くし、うまくいかなくさせると述べています。厳しい経済環境であればあるほど、積極的な、明るく強い心を自分で打ち出すようにしなければなりません。 

経営者は悲観的な、愚痴っぽいことは、つゆほども口に出してはなりません。口に出せば出すほど、自分の運命というものは暗くなっていくということを、天風さんは語っています。 

  1. インドの聖人に出会い、悟りを開く

日露戦争後、日本に帰国した天風さんは、結核で喀血します。その結核病を治すために、アメリカ、ヨーロッパに渡りました。体が弱り切った天風さんは、自分の病気を治したい一念でアメリカ、ヨーロッパ各地を訪ね歩くのですが、どうしても治らないのでした。あきらめてフランスのマルセイユから日本行の貨物船に乗り込みました。 

途中、スエズ運河で座礁事故があり、数日カイロで停泊することになったのでした。カイロのホテルでスープを飲んでいる時、ターバンを巻いた人が、指をぐっと指すだけで、ハエが動けなくなるのを見て驚いたのでした。5,6メートル先のそのターバンの人の様子を見ていました。するとターバンの人が天風さんに、こちらへ来いと言うのです。するとその人は天風さんに向って“ああ、お前さん、肺に穴が空いているね。血を吐いているだろう。それでどうせ死ぬのだったら、日本へ帰って死のうと思っている”と言い当てます。 

この方はインドのヨガの聖人カリアッパ師で、英国の王室に呼ばれて講義をした帰り道であったというのです。 

カリアッパ師は続けて“おまえさんはまだ死ななくてもいいんだよ。もしまだ生きていたいと思うなら、私についておいで”と言います。天風さんは反対も何もなく、ただびっくり仰天してついていきます。その修行の中で、悟りを開き、それまで大量の喀血を繰り返して死に至るはずだった結核もすっかり治ってしまいました。 

  1. 不況の時こそ積極的な心を持て

天風さんは、自分が結核で血を吐いてのたうちまわっている苦しい時でも、痛いとか苦しいとか口に出してはいけない、愚痴をこぼしたくなるような時でも感謝をしなければならない、と言います。 

“今弱気になっているのは、君の心が強くないからだ。もっと積極的に人生を生きていこうという強い思いがあれば、そういうことにはならない” 

積極的に人生を生きる、感謝の念を忘れないと言われても簡単にはできるものではありません。自分の心というものをかねてからトレーニングしておかなければいけません。かねてから心のトレーニングができていれば、愚痴をこぼしたくなるような苦しい時でも、感謝することができると天風さんは言っているのです。 

天風さんが一番力を入れているのは、積極的な心を強く持つべきであるということです。 

同時にその思いというものは、自分が金儲けをしたいという利己的な心ではなく、利他的な、美しく清らかなものでなければいけません。 

  1. 経営者の心構えが企業の運命を決める

この不況の中で、我々経営者たちがどういう心構えでいるのか、どういう思いを抱くかによって、その企業の運命がすべて決まってしまいます。 

厳しい状況の中でも、必死に努力して黒字を確保していく、それにはやはり、積極的な強い心、そして正しく、清らかな心が必要です。 

  1. 善き思いを“強く一筋に”抱けば道は必ず開ける

心に描く思いは何でもないように見えるけれども、実は大きな力を持っているのです。どういう思いを心に描くかによって、その人の人生も決まってしまうぐらい、大きな力を持っているのです。心の中に浮かぶ思いというものを自分で制御して、善き思いというものを抱くようにしていかなければなりません。 

善き思いとは、人様に対してよかれと思うことであり、つまり、人様のために何かをしてあげたいという、親切で愛情に満ちた思いです。 

美しい思いやりに満ちた心の土壌に芽生える思いというのは、自分の人生をもっと豊かにするだけではなく、周辺の人たちももっと幸せにしてあげたいという、美しい、清らかな思いです。 

因果応報の法則が人生にはあり、優しい思いやりに満ちた心をベースに善きことを思い、善きことを実行すれば、その人の人生にはきっといいことが起きるのです。 

天風さんは言いました。“新しき計画の成就は只不屈不撓(ふくつふとう)の一心にあり、さらばひたむきに只思え、気高く強く一筋に”。この不況を乗り越えていこうとする時、その成就は不屈不撓(ふくつふとう)の一心、つまり、どんなことがあろうともくじけない強い心にかかっている。その計画を何としてでも成功させよう、どんなことがあっても負けないという強い思いを一筋に、そして気高く抱かなければならないと、天風さんは言っているのです。 

資本主義の運用には“清い心”が不可欠 

  1. 中小企業の経営者が日本を支えている

この不況の中で、消え去っていく会社もたくさんあります。そうした企業の中では、この不況を境にさらに強くなっていく企業もあります。それはまさに経営者の心のありようによってその会社の岐路が決まってくるのではないでしょうか。 

この不況の中、派遣労働者の方々が解雇になるということで、一時大変な騒ぎになりました。京セラでは製造現場では正社員しかいません。同じ仕事をしながら、待遇が異なるのでは、人心の乱れにつながりかねないため、派遣労働者は製造現場では使ってはならないと考えているそうです。 

正社員の他に工場ではパートの方々がいます。パートの方々は、子供を学校に出してから子供が学校から帰ってくるころまでしか勤められないという事情で、パートタイマーとなっています。こうした特殊な勤務形態もあります。京セラの場合は、もともと社員を守っていくということが会社の経営の中心にあります。 

中小零細企業であっても、五人でも十人でも従業員を雇って仕事をしているとすれば、その人には家族がいるはずです。家族全員で三十から四十人の家族を養っているわけです。経営者は自分の家族を守ると同時に、五人十人と少ない従業員ですが、その家族も守って、給料を払い続けていくという大変な社会事業をしているのです。 

決して大企業だけが日本の経済を支えているのではなく、日本の経済を支えているのは中小企業なのです。 

  1. ROE重視の経営では従業員がないがしろにされる

今回の経済危機の元凶の一つとして、ROE重視(Return on Equity)のアメリカ型の資本主義があります。アメリカの投資家グループが、資金が豊富な日本企業の株を取得し、株主の権利として配当をもっとよこすように主張します。株主の目先を重視して、配当を要求し、株主資本(自己資本)利益率(ROE)を高め、株価上昇を狙っているわけです。 

内部留保を厚くして、安定経営をしていくという日本企業とは異なった考え方がROE重視のアメリカ資本主義なのです。“こんなにお金を貯め込んでどうするのだ、配当しなさい”というわけです。 

株価の評価は一株当たりの利益が何倍か。PER(Price Earning Ratio)でするのが企業評価の指標にしていました。最近ではROEの数値が重視され、ROEが高い企業が優秀な企業だと評価されるようになっています。 

少ない資本で多くの利益を稼ぐ企業の方が効率がいい。だからROEを基準にして企業評価をしていこうとなっているのです。自己資本が少なければ少ないほど、一年間の利益が多ければ多いほど、ROEの値が高くなりますから、なるべく内部留保を抑えて自己資本を少なくし、短期的に利益を確保していこうとします。 

株主利益優先が企業の目的となり、企業に住む従業員はないがしろにされ、場合によってはモノ扱いになってしまうということが往々にして行われてきました。企業の所有者とされる株主が喜ぶような経営をすることが、経営者の役割だと誤解されてきたのです。 

  1. 極端な成果主義は社会に格差を生む

アメリカでは経営者を選ぶ時には、優秀なビジネススクールを出た経験のある人を高い給与で登用します。 

雇われた経営者は、株主の為に、株主の要求に応えるべく、精いっぱい頑張って働きます。その見返りが莫大な報酬です。株主は経営者に例えば利益の1パーセントを報酬として払います。それから株価が上がればストック・オプションもありますと、お金で経営者を使うのです。資本家と経営者の2人の欲に基づいた経営となります。株主は莫大な利益を、経営者はこれまた莫大な報酬を得ようとします。 

それだけの成果をあげれば、それだけの報酬を出してあげましょうというのが成果主義、成果配分の考え方です。 

ROE重視、成果主義重視の姿勢、さらには欲望をエンジンとする資本主義が行きつくところまで行ってしまって、今回の不況の原因の一つとなっているのです。 

アメリカでは低所得者の人たちが多くいる一方では、何百万ドル、何千万ドルの報酬をもらっている大富豪がいるのです。 

  1. 報酬だけをもらい、失敗の責任はとらない

こうしたアメリカのエリート経営者が事業経営に失敗しても、責任を執らないのが当たり前なのです。つまり、もうかった時は一割の報酬をもらうという契約はあるが、損をしたらその弁済をするという契約はないのです。そして失敗しますと、辞めればよいと考えるのです。 

  1. 清らかな心があって、はじめて資本主義は正常に機能する

欲望をベースとしてきたからこそ、資本主義はどんどん発展して来ました。また、その欲望がとんでもない金融派生商品を作り上げて、世の中に売りさばいた結果が今日の金融危機、経済危機をもたらしたのです。 

中村天風さんの話のように、資本主義というものは、思いやりに満ちた、尊く強く正しく清い心で運用していくように考えるべきだと稲盛塾長は語っています。 

人間の欲望の赴(おもむ)くままに利益を追求しても、正しい競争が行われるかぎり、そこに見えざる神の力が働いて正常に機能するという資本主義の原理があります。つまり、みんなが自由放任の状態で競争しても、資本主義は正常な運用がなされるという考え方です。 

ところが、それが正しく清い心で運用されていなかったら、とんでもないことになってしまうのです。今回の不況の中で、様々な反省がされると思いますが、どこまで行き過ぎた資本主義が修正されるのかが問題です。 

最も大切なことは、この不況の時、人間の心というものは、尊く、強く、正しく、清いものに変わっていかなければ、つまり、みんなのためにという思いをベースにしたものに変わっていかなければならないということです。欲の皮の突っ張ったようなことではだめだということがわからなければ、何度でも今回のような不況、苦しい状況を作り出していくのです。