盛和塾 読後感想文 第135号
自利と利他
事業は“自利利他”の両方を満足させるようにしなければなりません。“自利”とは、自分の利益、“利他”とは他人の利益です。自利利他とは自分が利益を得たいと思ってとる行動や行為は、同時に相手側の利益につながっていなければならないということです。
自利、利他の精神がないと、たとえ短期的には成功することがあっても、長続きはしないのです。必ず軋轢が起こってうまくいかなくなるのです。
お客様も取引先も自分も喜ぶ事業が必要なのです。しかし現実には、そうはいかないことが多くあります。この前提には、三者が鋭意努力して、工夫してコストを下げるという強い意志が必要だと思います。お互いに仲良しで仲間だからという関係の上では、かえって三者にとってためにはならないと思うのです。
常に相手にも利益が得られるように考えること、コスト削減する、新しい製品開発をする等、一生懸命努力をする。その上で利他の心、思いやりの心を持って事業を行うことが必要だと思います。
利己のためではなく、社会のために利潤を追求するという姿勢が必要
利己的な利潤の追求は社会を荒廃させる
敗戦で廃墟と化した日本は、戦後の企業努力で世界有数の工業国に変身しました。しかし、利潤のみを追求するという日本企業の姿勢をエスカレートし、何の努力もせずに自分の資産を膨らませたいと言う貧相な精神がバブル景気を生み出しました。そのような風潮が蔓延する中で、多くのスキャンダルや汚職が起こり、名経営者と呼ばれた人々や政治家が失脚していきました。バブル景気は当然のごとく崩壊し、日本経済は未曾有の不況に襲われ、立ち直りの手立てを見つけることができず、社会全体が荒廃しています。
それは日本だけではなく、先進国全体の問題なのです。初期資本主義の担い手は敬虔なプロテスタントであり、労働で得た利潤は社会の発展のために役立てるという社会的規範がありました。ところが現在は、利益を社会のために役立てるという考え方が希薄となり、利己的な利潤の追求が中心となった結果、先進資本主義の社会は荒廃しつつあるのです。
確固とした経営哲学が京セラの今日の発展をもたらした
京セラが創業以来素晴らしい発展を続けているのを見て、多くの経営者が“どうして京セラは成長し続けるのか”と尋ねます。私はいつも“しっかりした経営哲学があり、それを社員と共有しているからです”と答えています。
京セラには技術があるから、時流に乗ったからだとかと言う人がおられますが、そうでは無いのです。正しい経営哲学を持ち、社員がそれを自分のものにして理解し、全従業員が誰にも負けない努力をし、成功しても謙虚さを失わないでいるからです。
京セラフィロソフィーの原点
稲盛塾長は27歳で京セラを27名の従業員とともに創業しました。それまで事業経営には何の経験もありませんでした。しかし、すぐに決裁をしなければいけないことが次々と出てきました。経営について何の知識も経験もない稲盛塾長は、経営者としての判断を下さないといけません。もし判断を間違えれば、たちまち会社は傾いてしまうのではないかと心配で、眠れない日々が続いたのでした。
そこで、何を基準にして経営していけば良いのか、悩んだそうです。自分は経営を知らないのだから、原点に戻って“人間として何が正しいのか”という根本的な判断基準に従おうと思ったそうです。子供の頃に、両親や学校の先生に教わった基本的な倫理観をベースにしたことが、現在の成功をもたらしたと考えられました。
フィロソフィーを社内で共有する
“われわれは物事に対処するに、誠意、正義、勇気、愛情、謙虚な心を持たなければならない”。“努力には際限がない。限度のない努力は本人が驚くような偉大なことを達成させるものである”というフィロソフィーがあります。
京セラが成功できたのは、このような経営哲学を明確にし、経営陣、従業員が実践し続けたからだと思われます。経営者に明確な経営哲学はなく、ただ単に利益の増大を目指す合理性や効率性を追求する経営をしていくとすると、何をしてでも儲かれば良いという風潮が生まれてしまいます。結果として少しくらい不正なことをしても儲けようとする社員も出てくるでしょう。
会社に明確な経営哲学がなく、社員と共有できる判断基準がなければ、企業は一時的に成功したとしても、決して長続きはしません。
人生方程式
稲盛塾長は、多くの人を雇用する経営者は高い倫理観に裏打ちされた経営哲学を持って自らを戒めると同時に、社員と共有できるようにすべきだと考えました。そのために考えたのが“人生方程式”です。
人生・仕事の結果=考え方x熱意x能力という方程式を考え、従業員に説明しました。
能力とは商才や才能のことです。これは先天的なものですから、変えようがありません。0点から100点まであります。
熱意はこうありたいという思いです。自分の心の持ちようで変えることができます。一生懸命努力をすることができるわけです。ですから自分の能力を過信する人よりも、大した能力もないと思って情熱を燃やしながら努力した人の方が、はるかに素晴らしい結果を残すことができます。これは0点から100点まであります。
考え方には、怒り、嫉妬、恨み、不平不満といった否定的な思いがあります。これは0点からマイナス100点まであります。一方、明るく前向きな思い、相手を思いやる優しい想いを持つ心は、0点からプラス100点まであります。
つまり、いくら能力に優れ、熱意があっても、少しでもマイナスの考え方があると、その人の人生、仕事の結果はマイナスになってしまうのです。
“経営の原点十二ヶ条”を実践する
実際のビジネスの世界では、権謀術策(けんぼうじゅっさく)に長けた者が成功するのであり“経営の原点十二ヶ条”“六つの精進”このような単純な原理原則だけでは、うまくいくはずがないと思われるかもしれません。
しかし第二電電創業時に“動機善なりや、私心なかりしか”と自らに問い続け、純粋な“世のため人のために尽くそう”という気持ちが会社にあり、社員が共鳴し、誰にも負けない努力をし続けたために、第二電電は成功したのです。
経営の原点十二ヶ条
- 事業の目的、意義を明確にする
公明正大で大義名分の高い目的を立てる
- 具体的な目標を立てる
立てた目標は常に社員と共有する
- 強烈な願望を心に抱く
目標達成のためには潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を持つこと
- 誰にも負けない努力をする
地道な仕事を一歩一歩、堅実に弛まぬ努力を
- 売上を最大限に、経費は最小限に
- 値決めは経営
値決めはトップの仕事、お客も喜び自分も儲かるポイントは一点である
- 経営は強い意思で決まる
経営には岩をも穿つ強い意志が必要
- 燃える闘魂
経営にはいかなる格闘技にも勝る激しい闘争心が必要
- 勇気を持って事に当たる
卑屈な振る舞いがあってはならない
- 常に創造的な仕事を行う
今日より明日、明日より明後日と、
常に改良改善を絶え間なく続ける。創意工夫を重ねる
- 思いやりの心で誠実に
- 常に明るく前向きで、夢と希望を抱いて素直な心で経営する
六つの精進
- 誰にも負けない努力をする
- 謙虚にして奢らず
- 反省ある日々を送る
- 生きていることに感謝する
- 善行、利他行を積む
- 感性的な悩みをしない
人生とは何か-という観点で会社経営に取り組んでいただきたい
事業を成功に導くひたむきな努力
会社が立派になるという事は、それだけ多くの人を雇用し、税金を納められるという事ですから、社会的に大変意義のあることです。会社を経営する才能を持っているというのは、神様がそのような任を与えたということで、せっかくの才能を無駄にせず、社会のために尽くすことが大切です。
農民であった二宮尊徳は、なんとしても立派な人物になりたいと思い、仕事をする時にも歩きながら勉強して、陽明学を極めた人です。その尊徳が大事にしていたこと“至誠の感ずるところ天地もこれがために動く。”“至誠の感ずるところ、鬼神もこれを避く”ということでした。一生懸命なひたむきさがあれば、天地も神様も助けてくれるという意味です。
事業を成功させるために最も大切な事は、たとえどんなに地味な仕事であっても、ひたむきに働くということに尽きます。ひたむきな努力、それも“経営の原点十二ヶ条”にあるように“誰にも負けない努力”をする、さらに動機が“善”であれば事業は成長発展し、成功するはずです。
ひたむきな努力が作り上げた京都の先端企業
京都企業の利益率の高さは、評判になっています。稲盛塾長は面白いことに気がつきました。京都企業の経営者は、皆その事業分野の素人なのです。もともと、幅広い技術や豊富な商品知識など持っておらず、単品生産からの創業でした。
そのような京都企業が世界的な企業に成長したのは、1つの製品を必死に育てあげたからなのです。優れた技術やノウハウは決して持っていない。しかし素人であるから古い慣習を知らず、既成概念にとらわれない、自由な発想をすることができたのです。そうした素人の経営者が“動機の善なること”を信じ、ひたむきにがんばり、成功したのです。
ところが彼らは、単品生産だけではいつか会社が立ち行かなくなるという危機感と、従業員を食べさせていくにはこのくらいの売り上げではどうしようもないという危機感から、技術導入と創意工夫という努力を連綿と続ける中で、中小企業から中堅企業へと成長していきました。
京セラの場合は、創業時の製品はテレビのブラウン管に用いるセラミック製品の絶縁材料だけでした。その注文がいつなくなってしまうかもしれないという危機感がありました。実際に、2〜3年後には、その製品はなくなりました。競合会社がガラス製のより性能の良い製品を開発したためでした。そのガラスは特殊なガラスでしたが、京セラでも何とか製造することができるようになりました。
ブラウン管だけでは将来性は知れているので、もっとセラミックスの用途市場を広げたいと懸命に走り回り、真空管の絶縁材料という用途を開発しました。耐摩耗性というセラミックスの特性を生かし、産業機械の部品、紡績機械、自動車部品、人工骨、人工宝石など用途は広範に広がっています。
このように京セラでは、市場の創造、需要の創造、商品の創造、技術の創造の4つの創造を繰り返しながら今日に至っています。
“人生とは何か”という観点から目標設定する
零細企業が危機感と飢餓感から必死に技術開発や商品開発をして事業を拡大する。そして中堅企業に成長します。中堅企業では、会社の事業目的は何するかということが重要になります。事業の目的を、経営者の欲望を満たすことにしたり、金銭的な目標にすると、その企業は中小企業のまま成長が止まります。目標に達すると、危機感や飢餓感が消え、満足してしまう為です。
大企業を目指したいと思った時点から、利益追求、数字だけを目標とするだけでなく、この自然、社会における使命感、生きがいを目標にすべきです。
経営者にとって大切な事は、経営の目的を経営数字だけではなく、まさに“人生とは何か”ということにおくのです。経営者として頑張るのは、自分に経営者としての才能があるならば、それを生かして、世のため人のために尽くすことに生きがいを感じるからです。一生懸命に働いて、会社を発展させ、皆が喜んでくれる。そこに楽しみ、生きがいを感じる人生は素晴らしいことです。
経営者の考え方が変われば、零細企業でも、中京企業、さらには大企業へと発展を続けることができます。
盛和塾 読後感想文 第134号
エネルギーをほとばしらせる
大事を成すにあたっては“狂であれ”と、すべての情熱を燃やし尽くすことが必要です。
情熱というのは、克服困難と見えるような障害を乗り越えようとする、果敢にチャレンジするために必要なエネルギーとなるのです。燃えるような熱意、強烈な意志力、強い決意や執念などが、バリアを打ち破るエネルギーの源となるのです。困難を克服するには、このエネルギーが必要であり、“狂である“という事は、凄まじいほどのエネルギーに満ちた状態です。
困難に打ち克つには、エネルギーを集中させ、人間の潜在能力を引き出さなくてはなりません。それが人々を成功へと推し進めていくのです。
情熱を燃やし、強力な意志力、強い意志力を集中させるのには、多くのことを一瞬に成し遂げようとする事はできないのです。一点集中することにより、エネルギーのレベルが高くなり、成功の道を切り開いていくのです。
友人の1人にハンディマンがいます。彼はハンディマンの仕事一筋に30年を費やし、周囲に多くの友人を作り、使用目的に応じたトラック3台、そのトラックには完全な道具を備えて、仕事に向かうそうです。人の為、お客様の為、世のために“自分は尽くす“と、それが“楽しい”と言うのです。30年間情熱を燃やし続けるのは、並大抵のことではないと思います。
人の上に立つ人の心
人材は群生する
江戸時代末期、明治維新という一大革命を起こした原動力は、鹿児島県の西郷隆盛以下、加治集団一角で生まれた人々でした。水戸、土佐、長州、今の山口県の人々も大きな貢献をしました。
つまり、人材は共生し合って群生する。人材というのは、お互いに切磋琢磨しながら、育っていくのです。
鹿児島の経営者皆に可能性があります。貧しい鹿児島県の稲盛和夫を京都の方々は信用してくれて、一千三百万円というお金を出資してくださり、それをもとに京都セラミックという会社が創業したのです。
その京セラが会社設立後23年目になりました。自己資本は千四百億円になっています。千三百万円が、千四百億円になったのです。一万倍になったのです。
北は北海道から南は鹿児島まで、工場が11カ所、約九千名近い従業員がいます。アメリカには6つの工場があり、約千名のアメリカ人が就業しています。
またヨーロッパ、東南アジアにも工場をたくさん持っています。
塾長は決して頭が良くて、秀才であったわけでは無いのです。高校受験にも、大学受験にも失敗したという経験があります。しかし、鹿児島大学に入学してからは、勉強もよくし、成績も優秀な方になったそうです。
上記のように、稲盛塾長が京セラを成功に導いたことを見ますと、“自分もやればできる”と思えるようになります。
成功する人の考え方
- 未来を明るく、楽観的に捉える
稲盛家には7人兄弟、貧乏人の子沢山でした。普通、貧乏になると人間は歪みやすいものです。しかし稲盛塾長は音が明るく、いくら貧乏していても世の中の矛盾を感じたりせず、未来に対して素晴らしい夢を持っていたそうです。
稲盛塾長には、2歳年下の妹がいました。家が貧しいため、高校中退して“兄ちゃんは頭がいいから、勉強して、私は頭が悪いから、働きに出て、家計を助けるから”と言って働いてくれたそうです。
“今に兄ちゃんが大学を出て偉くなって、10倍にして返すから、500円貸してくれ”と稲盛塾長が言うと、妹さんは“いつもホラばかり。でも500円あげよう”と500円くれました。
成功している人のパターンを見ても、自分の未来に対して大変明るく楽天的な人であるというのが第一条件です。陰気で深刻に考える性格ではいけません。
新しい困難な研究に取り組む時は“今後はこういう研究を始めたいと思う”と議論する会議を開きます。この際、一流大学を出た技術者がいますが、常日頃から青白い、難しそうな顔した技術者は最初集めません。彼らはよく勉強していますから、すぐに問題点を指摘します。こういう人たちが研究プロジェクトは不可能ですと結論する傾向があるのです。
したがって、販売部の付和雷同するような人を集めて話をします。“社長それはできますよ“といいます。最初は楽観的な、前向きの人を集めて取り組ませるのです。“困難を乗り越えて、それでもやれる”という楽天的な人の意見を取り入れます。
- 悲観的に計画する
事業をするには賢い人が要ります。頭の良い人は“社長は何もわかっていない。どうしてこうした人が社長なのだ”と思うのです。これではいけません。“この社長の為ならば”と一生懸命努力、仕事をしてくれるタイプに変わってもらわなければなりません。
頭が良い人間は早い段階から溝が見えているため、“そちらに行ってはダメ”“そこは川があるからダメ”“向こうには山があるからダメ”というように、結局はこのプロジェクトはダメとなるのです。何もしない方が良いという結論に達するのです。ですからこういうタイプの人集めてはいけないのです。
楽天的な人は、多少川があろうが、山があろうが、行こうとします。先に障害があると注意してやる必要があります。しかし、楽天的に、自分の人生を考えて、何が何でもやり抜こうとすることが大切です。
もちろん計画の段階では、悲観的に物事を見つめる。どうして難しいのか、それでも“工夫さえすれば達成できるはずだ”と自分で思い込むのです。
- 大事な事は思い込むこと
最初は難しい事は考えないほうがいいのです。“全て簡単に実現できそうだ”と自分自身が思い込む。自分の部下にもそう思い込ませる。1番重要な事は、自分自身の可能性を信じることです。“あいつが成功したのだから、それを一生懸命取り組めばできるはずだ。”
できると自分に信じ込ませるのです。同時に、自分だけではなく部下にも“君も能力があり、やり方によってはできる”と同じように信じ込ませるのです。繰り返し自分に言い聞かせ、奮い立たせるのです。
人間は、自分自身を信じられないと行動できません。セルフモチベーション“自らを励まし、奮い立たせる”。リーダーは色々な圧迫や悪条件に向き合うので、自分を自分で励ます必要があるのです。
同業者がいるとか、ネガティブな条件があります。こうしたネガティブな問題点を克服して、一つ一つ解決する方法を考えていきます。目標決めたならば、それを曲げず、どういう行動とればいいかという具体的な作戦を必死に練る必要があります。
たかだか一日考えるだけでは良い策は出てきません。“これは売れるはずだ、何とか工夫して売らなければならない”と来る日も来る日も考えるのです。
- 京セラの経営における実践
京セラの役員会で新しい経営計画を発表しました。京セラが一千四百億円から、売上二千億円に成長発展していくために、どういう手を打つべきか、という次の手です。1ヵ月半ほどかけて考えたものです。
考え続けていくうちに、役員に“こういう展開をしていきたい”と吹きこぼれそうな考えを話したのです。自分が思い込んだら次に部下にも思い込ませる。
次に実行を念頭に置いて、さらに考えを深めると、悪条件がたくさん出てくるため、全部書き出し、どのように解決していくかを考えます。毎日考えていれば、ある瞬間にパッとひらめきます。一生懸命に考えると、そのうち良い方法が思いつくのですが、まだ実行はしません。次に頭の中でシュミレーションします。
考えがまとまり、この計画でこうすれば利益が出るとはっきりした絵が浮かびます。その時、初めて実行に移すのです。
しかし、頭で考えただけの事は、実際はうまくいかないのです。最初はやれると信じ、五ヶ月ほどの損失は覚悟し、お金も準備して始めた。ところがたちまちのうちに資金は底をつく、という苦労が始まります。“このままでは借金を背負いこむ。手を打ったがうまくいかない。”皆やめます。
うまくいくと信じて始めても、“にっちもさっちもいかない”と思ったところで、普通の人はやめてしまいます。実はその時が始まりです。“もうダメだけだからやめよう。これ以上継続すれば借金が大変なことになる。”という時に止めるから、不成功者、失敗者になるのです。そこまでの準備期間です。“もうダメだという時が仕事の始まり”なのです。それを知らないから準備期間につぎ込んだ資金が全て無駄になってしまうのです。
ただしそれは、綿密に計画を立て、考えに考え抜いて“やれる”と信じ込み、始めた人の話です。思いつきで借金を作り、“もうダメだ”と後悔しても大失敗に終わるだけです。
考えに考え、綿密に計画を立てる。それさえすれば、物事は100%成功します。
- 心に描く観念が宇宙を創る
京セラでは、過去二十三年六ヶ月間、京セラ研究開発プロジェクトで、失敗はたった1つです。京セラでは、十のテーマに取り組めば、十のテーマを全て成功させます。成功しないのは、途中で諦めてしまうからです。“成功しないだろう”と思う心が成功させないのです。京セラでは5年でも10年でも研究を続けます。宗教家もよく“この世が地獄になるのも極楽になるのも、あなたの心に描くままです”といいます。“ものが存在するのは、そう思うあなたの心の反映です。“ある”ように見えるのは、存在すると思うからです。“無い”と思えば存在しないのです。”とも言います。これが、“心に描く観念が宇宙を作る”ということなのです。
成功するための条件とは、心の動きです。成功すると思うと成功するし、失敗すると思うと失敗する。まさに心に描く通りに現象が起き、成就していきます。
今日の京セラの会社を作ったのも、この心の動きなのです。京セラ創業時一千三百万円の資本金が二十三年六ヶ月後には一千四百億の自己資本の会社になっています。
“さぞかし、凄まじい努力、苦労をされ、京セラを成長発展させて来られたでしょう”と新聞記者が京セラに取材に来ました。しかし“いや何も苦労はしていません”と答えますと、“いや,何かあるでしょう”と一生懸命聞き出そうとします。
外国の新聞記者が“あなたは科学者、技術屋としても世界有数の人物で、素晴らしい頭脳を持っている。なぜ、そのような素晴らしい展開ができるのですか”と言って賞賛してくれました。しかしこれは自分の頭脳でできたのでは無いのです。一番の原動力は、やはり“心”なのです。まず、心の中で思い込む。これが物事をなすのに一番大事なことです。このことを信じなければならないのです。
盛和塾 読後感想文 第133号
あきらめずやり通せば成功しかありえない
新しいことを成し遂げられる人は、自分の可能性をまっすぐに信じることができる人です。
可能性とは、“未来の能力”。現在の能力でできるできないを判断してしまっては、新しいことや困難な事はいつまでたってもやり遂げられません。
自分の可能性を信じて、現在の能力水準よりも高いハードルを自分に課し、その目標を未来の一点で達成すべく全力を傾ける。その時に必要なのは、常に“思い”の火を絶やさずに燃やし続けるということ。それが成功や成就につながり、また私たちの能力というのは伸びていくものなのです。
新しいことに挑戦する時、私たちは、自分たちが持っているもの、お金、能力、経験、人材等をすぐに頭に描き、それを判断に進むべきかどうかを決めていくことが多いと思います。その時、自分の“思い”がどれほど強固なものか、まだ一時も忘れずに思い続けることなのかが、進むべきかどうかを決めるのです。強い“思い”が成功への道なのです。
一旦“思い”の強さに自分を納得させた後は、一つ一つ課題をクリアしていきます。その目的のためには、自分を支えてくれる人を説得して、協力を得ることがキーポイントになります。そしてそれを素早く行動に移していきます。目標に向けてあきらめず、ただひたすら進むことが、成功への近道なのです。
我々が本来持っている“利他の心”で経営というものを考えよう
四十年サイクルで訪れる日本の危機
日本で、最近社会的不祥事が多発しています。ここ十年位の間に次から次へと起きた社会的スキャンダルを見ても、リクルート事件、金融証券の不祥事、闇献金事件、脱税、ゼネコン汚職事件、政財官を巻き込んでいます。これは日本の社会が病んでいるからです。日本の社会に住んでいる我々の心が病んでいるからです。
日本は明治維新で近代国家になって以来、その四十年後には日露戦争でロシアを破りました。それまで欧米に追いつき追い越せと頑張ってきた日本は有頂天となり、その四十年後には太平洋戦争の敗戦という奈落の底を経験しました。しかしその廃墟から必死に努力して経済復興を果たし、終戦から四十年後の1985年にはプラザ合意による円高を経験し、以来、様々なジャパンパッシングを受けています。
豊かさの中で日本人が失った利他の心
日本は戦後の廃墟から復興を遂げ、経済的に豊かな国を築き上げてきました。国民を豊かにしたいという願望、努力の成果は十二分に出ています。にもかかわらず、もっと豊かになりたい、さらなる“生活者大国を目指す”と欲望の肥大化が際限なく続いています。それは利己的欲望の肥大化に過ぎません。以前、日本は軍備の拡張で滅びましたが、このままでは“欲望の肥大化“で滅ぶことになってしまいます。
豊かな国を築く過程で、我々日本人が“利他の心”を失い、“我が我が”と利己の心で暴走してきているのです。
人は心の奥底に愛と調和に満ちた素晴らしい心を持っています。キリストの“愛”という言葉、仏教の“利他の心”という言葉、他を思いやる、他を利する心です。
戦後の廃墟から今日に至るまでの四十年間に、本来持っている“利他の心”をどこかに置き忘れて、まず欲望を満たそうということで頑張ってきました。社会のあらゆる不正な現象は、自分さえよければ良いという、利己的な欲望のままに動くしか判断基準を持たない人たちが起こしている現象なのです。
私たちの心の奥底に持っている“利他の心”、真我、優しい思いやりの心を取り戻さなければ、現在のような不祥事はずっと続くでしょう。選挙制度がどう変わろうと、政治改革が行われようと、不祥事はなくなりません。すると世の中がますます乱れ、人々は強力な政治家を求め、独裁につながり、いつか来た破壊の道を歩むことになるのです。そうなる前に、国民が心を自浄する必要性を認識すべきなのです。
純粋な心が成功もたらす
今こそ日本のリーダーたちは、失った本当の自分の良心、心の奥底の良心を取り戻す時なのです。日本の国民が愛と誠と調和に満ちた、優しい思いやりに満ちた自分を見つけ出さないといけないのです。
サンスクリットのことわざ“偉大な人物の行動の成功は、行動の手段によるよりも、その心の純粋さによる”とあります。いかに純粋な心を持っているかによって成功が決まることを教えています。成功もたらすものは外見ではなく、その人自身の心なのです。
自分の良心を常に取り戻し、純粋性を維持するのは、なかなか難しいことです。私たちは勝った負けた、得だ損だの世界で生きていますから、美しい優しい思いやり、純粋性を維持するというわけにはいかないと思います。しかし、利己的であったときには見えなかったものが、純粋性を持とうと努力しますと、見えてくるのです。
現場に出て語ろう!人間として、経営者としての思いを-経営者にとってなぜ哲学が必要か
潜在意識に透徹するほど一生懸命に学ぶ
経営についての知識は、あくまで知識であり、それ以外の何者でもありません。知性で理解しているだけでは、何の役にも立ちません。困難に遭遇し、のっぴきならない状況に追い込まれたときに、初めて自分のものとして体得することができます。
本を読む時にでも有意注意、意識して意を注ぐ、意識をそれに向ける、一生懸命に考えることが必要なのです。従業員に教育をする場合でも、一度話したくらいではいけません。何度も繰り返し繰り返し、従業員に話しかけることが必要なのです。
何をするにしても、有意注意、考える、意識して物事を見たり考えたりすれば、必ず潜在意識に入っていくのです。
“人間として何が正しいのか”を判断基準とする
人間として何が正しいかという判断基準がないと、経営は技術や知性を使って次々と戦略を組み、展開していくだけのものになってしまいます。合理性や効率性が中心的な考え方の会社は、不正行為などのトラブルが起きがちです。
リーダーや従業員が明確な判断基準を持たないために、モラルが欠落し、公平な人事や公正な企業経営が行われにくくなってしまいます。
効率性や合理性を追求すると、人間の能力は、金銭的な報酬として報われて当然という考えになります。こうして報酬以外に価値を見出せなくなりますと、お金が全てと考えるようになり、自分の報酬に対して不満が講じるようになります。そこには人間性を支える哲学がありませんから、悪い考えを持つようになります。経営者がそうなってしまうと、幹部社員も見習うようになり、会社のモラルは急速に低下していくのです。
“人間として何が正しいのか”という判断基準が赤字会社を変えた
京セラはヤシカというカメラメーカーを合併した時、東京にある光学レンズの研磨会社が傘下に入りました。戦後ずっと経営が苦しく、合併時も赤字という会社で、強い労働組合があり、活発に労働運動をしていました。
この会社の再建には、京セラの叩き上げのセラミックの研磨部門の責任者になった人を派遣しました。期待はしていなかったのですが、3年経った時に、月次決算で黒字が出たと報告に来たのです。
この時はバブルが崩壊し、景気は下り坂でした。赤字に再度転落すると思いました。ところが、景気が悪く、受注が減っているのに、月次の黒字が定着して赤字にならないのです。
最近この会社で新工場の竣工式がありました。合併した十数年前は、敵愾心(てきがいしん)の塊のような目で見ていた従業員の人たちが、にこっと笑って会釈をしてくれたのです。古い工場もゴミ1つ落ちておらず、きれいに整理整頓されていました。
この会社に古くからいる幹部社員に話を聞きますと、この派遣された責任者が、稲盛塾長が書かれた著書“心を高める、経営を伸ばす”を引っ提げ、現場で誰彼となく捉えては“人間として何が正しいか”ということを話し合って回ったそうです。周りの人は、この責任者はいつか音を上げて、あきらめると思ったそうです。彼は意に介さず、訥々(とつとつ)と議論して回ったそうです。いつしか周りの従業員も少しずつ変わっていったようなのです。
ある日、この責任者に1通の手紙が届きました。
“主人は家ではぐうたらで、子供にも馬鹿にされていました。ところが、あなたが来てから主人の眼の色が変わりました。朝早くから夜遅くまで仕事をするようになったし、言うことも変わった。それを見た子供が主人を尊敬するようになり、家庭が生き生きとしてきた。なんとお礼を言ったらいいかわかりません。”
この責任者は、自分の方向は間違っていないと確信を深め、突き進みました。その結果が黒字化と素晴らしい雰囲気の工場と、従業員だったのです。
経営という仕事を好きになる
“会長、こんな素晴らしい仕事をさせていただいて、なんとお礼を申し上げたら良いのかわかりません。経営が、こんなに面白いものかと初めて知りました。人生には仕事以外に面白いことがたくさんあると思いますが、今は経営を考えていることが楽しいのです。楽しくて仕方がありません”とその責任者は稲盛塾長に言ったそうです。
経営というものは本来、楽しくなくてはいけないのです。名経営者になる条件は、経営という仕事を好きになることが全てなのです。
盛和塾 読後感想文 第132号
住む世界を変える
同じ業界の中で、黒字と赤字会社、対照的な会社があります。両社に経営努力や従業員の働きの点で、大きな違いがあるわけではありません。いずれの企業でも、懸命に努力はしています。しかし赤字会社が黒字会社と同じ努力を続けていては、いつまでも現状打破することはできません。
赤字企業は一気呵成(いっきかせい)に大変な努力を払う必要があるのです。例えば黒字会社の何倍ものコストダウンに集中的に取り組むことで、黒字化を果たし、一気に現状打破を図ることを“住む世界を変える”というのです。
例えば、いくつかの事業部がある場合、少ない資金、人材を集中的に将来性のある事業に投入し、一気に赤字を解消する。その際、たとえ長年やってきた事業でも、将来性がないと思ったら、大胆に閉鎖することが必要なのです。
なぜ企業は高収益でなければならないのか
企業経営の目的である従業員の物心両面の幸福を追求するにあたり、収益を確保するという事は必須条件であり、そのことに改めて思いを馳せるという事は、経営者としての使命を再確認することにつながります。
京セラの高収益経営の原点
京セラ創業時には、宮木電気の役員の方々の支援を受けて、船出しました。特に専務の西枝一江さんを中心に支援をしてくださる方々に相談しながら、稲盛塾長が設立に向けて準備を進めていきました。
宮木電気の方々がそれぞれ個人出資をして頂き、合計三百万円の資本金を集めることができました。しかし若い稲盛塾長には資金はほとんどなかったのです。ところが支援してくださる方々が“技術出資”という形にして稲盛塾長に株を分けてくれたのでした。
しかし、セラミックスを加工するには、相当の設備投資がかかることがわかったのです。ところが宮木電気の西枝さんが、ご自身の家屋敷を担保にして、京都銀行から一千万円を借りてくださいました。
西枝さんは以下のように言われました。“もともと事業というのは万に一つの可能性というくらい、成功するのは難しいもんや。特にあんたがやろうとしていることは、新しい焼き物を作るというような、今までにない独創的なもので、高度な技術を必要として、それでいて限られたマーケットしかないような製造業の事業を成功させるのは至難の業や。”
“もし稲盛君がそんなに難しい会社経営に失敗すれば、私は家屋敷を京都銀行に担保に入れているから、取り上げられてしまうんや”
当時27歳の稲盛塾長は、本当に背筋が寒くなるような思いをしたのでした。
稲盛塾長の父は、印刷会社を経営しておりました。父親はもともと資本力がなく、印刷機械はすべて問屋さんから貸していただいたものでした。父親は貧乏に育ったせいか、お金を借りることに極端な恐怖心を持っていました。その血を受け継いだせいか、稲盛塾長は借金をするという事が不安でなりませんでした。
西枝さんが銀行からお金を借りてくださり、それを京セラに提供していただいた。“もし私が失敗し、西枝さんの家屋敷が銀行にとられてしまうことになれば、大変なことになる。なんとしても早く借金を返さなければならない。”と強く思いました。
一生懸命に働いたこともあり、京セラは初年度決算では売り上げ二千六百万円、税引き前利益三百万円、税引き前利益率11.5%という好業績を上げることができました。三百万円の利益で儲かったのだから、3年もすれば一千万円の借入金は返済することができると思ったのでした。西枝さんに報告に行きました。
西枝さんは“お前さん、何を言うとる。何もわかってないんやな。利益が三百万円出れば、半分は税金に取られるんや。残るのは百五十万円で、その中の五十万円位は、資本金を出してくださった人々への礼金、また役員賞与などに使ってなくなってしまう。返済に使えるお金は百万円位だろう。”とおっしゃられました。
それでは一千万円の借入金を返しを得るのには10年もかかってしまう。10年も経営が安定して、毎年一千万円の返済ができる保証はありません。利益を全て借金返済に注ぎ込んでいってしまうと会社は発展するための投資すらできません。
西枝さんは“何を心配しとる。売り上げの10%の利益が出るような事業は非常に期待ができる、将来性のある事業やないか。お金は返さんでええんや。利益が出て、そして将来も発展していくという目途があれば、金利だけを払い、元金は慌てて返す必要はないんや。”
“発展性のある素晴らしい高収益の事業であれば、担保がなくてもその事業を種に融資してもらえる。そういう資金を活かしてどんどん事業を拡大していくのが事業家なんや”と言われるのでした。
“しかし借金を早く返さなければならない”と強く思っていました。とにかく借金をすることだけはどうしても避けたいと思いました。
そこではっと気がつきました。“税引き前利益三百万円と聞いたから三年で返せると思ったが、それは税引き前の利益であり、半分以上が税金や配当等で取られてしまうから、借金をいつ返せるかわからないと嘆いていた。しかし、税引後で三百万円を残せばやはり3年で借入金は返せるのではないか。という事は初年度の売り上げ高利益率が10%だったけれどそれを20%にすれば何の問題もないはずだ”
こうして京セラを高収益の会社にしなければならないと思った原点になったのです。利益率が20%が可能だとか不可能だとかという問題ではありません。借金返済のためには、高収益がどうしても必要だからそう強く思ったのです。
“国というのは時代劇に出てくる悪代官みたいなもので、我々庶民を痛めつけて、税金をむしり取る”と憤(おこ)っていました。世の経営者の中には、税金を取られるのはもったいないから脱税しようと考える人もいるでしょう。あるいは税金を払いたくないばかりに利益を減らそうと考える人もいます。
“汗水たらして頑張ったのに、何の手伝いもしてくれなかった国に税金を取られるくらいなら、自分たちで使ってしまった方が良い。設備をもっと買おう、交際費をもっと使おう、従業員に臨時ボーナスを出そう。” と利益を減らすことを考える人もいます。しかし期せずして、利益を減らすことになり、結果的に経営者自身が低収益を望むことになってしまうのです。その経営者のメンタリティーが低収益をもたらすことになってしまうのです。
創意工夫に努めることで高収益体質を作る
京セラの場合、他人があまり作っていない新しい絶縁材料、セラミック材料を開発し、それをあまり競争のない、新しいエレクトロニクスの分野で販売してきました。日本の大手のエレクトロニクスメーカーの研究部門が主なお客様でした。“新製品を作るから、こういう絶縁材料で、こういう性能のものが欲しい”と言われ、“それなら京セラで作れます”と、それを供給していたのです。
お客様の指値で値段は決まりますが、セラミックスはいろいろな金属酸化物を使い加工して作っていくので、いろいろな方法で原価を安くして作ることができるのです。材料費を安くする、製造プロセスそのもので安くする方法もあります。働く従業員たちの労働力、人手を少なくして人件費を抑えることもできます。
製造業としての創意工夫をすることができます。創意工夫で、材料費を少しでも安くして、工程もなるべく短くし、従業員の数も少なくして作っていく。高収益にしていこうと思えばそのように原価を安くしていけば良いので、そのための方法はいくらでもあります。
このような京セラの経営を通じ、企業系は高収益でなければならないと確信するようになったのです。
高収益でなければならない6つの理由
- 財務体質を強化する
創業時の京セラには、まだ十分な内部留保がありませんでした。受注が急速に拡大し、新たな設備投資が必要となり、別の銀行融資を受けることがありました。
その時、各借入毎に、返済計画を立てていきました。新しい設備投資として受けた融資は、別途こういうように返済していく。さらに後に発生した設備投資の融資は、このような計画で返済していく、というように、一案件ごとに借金の返済という一連の動きを結びつけて、借入金返済計画を立てました。
京セラは高収益を続けていくうちに、10年後には無借金経営を実現することができました。京セラの成長は、売り上げとともに借金も膨れ上がっていくような不健全なものではなく、無借金のまま、内部留保を年々蓄え、豊かな財務体質をさらに豊かにしながら成長を遂げていきました。
高収益が借入金返済を可能にし、無借金経営を実現していく。また高収益により、内部留保を増やし、自己資本率を高めていく。さらには高収益により、キャッシュフローが高まり、設備等への投資資金を豊かなものにしていく。つまり高収益が企業の財務体質を強化し、企業の安定した成長発展を可能とするのです。
- 近未来の経営を安定させる
日本経済が高度成長の時の話です。人件費は一年で10%くらい上昇するのが当たり前でした。日本の大企業の平均的な税引き前利益率は、3%ないし4%位です。当時製造業の場合、人件費は売り上げのおよそ30%位でした。例えば、そのような会社が人件費を10%上げたとしますと、人件費率も売上高に対して30%から33%に上昇します。通常ですと、税引前利益率は0ないし1%に下がるはずです。ところが、赤字転落かと思って見てみますと、税引き前利益率3%から4%を維持しているのです。翌年、今年も10%賃上げをしたあの会社は、さすがに赤字だろうと思って見ていますと、やはり税引き前利益率3%から4%を維持しているのです。不思議です。人間はお尻に火がつくと、必死に頑張るのです。これらの企業は必死に努力をし、目標の税引き前利益率を確保するのです。火事場の馬鹿力です。
これらの企業経営者の潜在意識には“どんなことがあっても3%の利益を出さなければならない”というものがありますから、それ以下になってもそれ以上になっても、居心地が悪くなるのです。
高収益というのは、将来上昇してくる人件費、つまり近未来のコスト上昇に対して保証ができるということです。例えば、15%の税引き前利益率の会社ですと、毎年人件費が3%ずつ上がっていきますと、向こう5年間は賃金上昇に耐えられるのです。利益率は近未来の経費負担増に耐えられる度合いを示すものです。
企業経営において、近未来に起こってくるコスト負担に耐えていけるだけの余力、つまり耐久力を示すバロメーター、それが利益率です。高収益とは、まさに近未来の負担に対する余力の大きさを示しているのです。
景気変動によって売り上げが減少した場合、当然減益になってきます。高収益であった場合はそのような景気変動に対する耐久力を備えることにもなります。若干の景気変動があっても、簡単に赤字転落をしない。そのためにも高収益が必要なのです。
- 高配当で株主に報いる
高収益の企業では設備投資や借入金の返済がありますが、自己資本比率が高まっておりますから、その余剰資金を株主配当に振り分けることができます。高収益の企業の株式を買えば、良い配当利回りを得ることができます。
- 株価を上げて株主に報いる
毎期高収益を上げるなど好業績を続けていけば、株価の上昇を通じても株主に報いることができます。好業績が続くことで、その企業のパフォーマンス、安定性、そして将来性が株式市場で高く評価されれば、その評価は必ず企業のバロメーターとして株価に現れてきます。
株価が上昇すれば、株式を売却しようとする株主にとってもメリットがありますし、また株式を保有し続ける株主にとっても含み益となり、プラスになります。
- 事業展開の選択肢を広げる
高収益を実現すれば、税金を払っても十分な利益が残ります。そうして生じた余剰資金を生かし、多角化が展開しやすくなるのです。
京セラはファインセラミックスの事業だけでは、会社の将来に限界があると考えて、1970年代初頭から、切削工具、再結晶宝石、人工歯根、太陽電池といった異分野、異業種への進出を続々と展開してきました。このような多角化を可能にしたのは、高収益の賜物です。
太陽電池のように30年も長きにわたり赤字が続いていたとしても、赤字に耐え、投資を続けられたのは、ひとえに京セラに高収益を通じて得た潤沢な資金、豊かな財務体質があったからです。
企業を長期的に成長発展させていくためには、どうしても新規事業に乗り出していかなければならないのです。しかし本業が高収益であればこそ、新規事業という茨の道に踏み出すことができ、またその茨の道を歩み続けることができるのです。
- 企業買収によって事業の多角化を図る
高収益を長年に渡り続けていきますと、内部留保も蓄え、京セラでは現預金が六千億円以上もあるほどに手許流動性が高まってきます。その潤沢な余裕資金を使うことによって、企業買収や事業買収を行いやすくなります。
ある会社、ある事業を買収したいと思った時、蓄えた自己資金があれば、銀行から借金することもないわけですから、手を打ちやすくなります。また買収の成果が上がるのに多大な時間を要します。そのような場合、借金をし、買収を図ったのでは、金利を含め大きなリスクを負うことになります。
そのような実例が第二電電への進出、KDDIの創業です。“高度情報化社会が迫っている。その時に高止まりをしている通信料金を競争原理を導入することで、出来る限り安価なものにし、国民の負担を減らさなければならない。”
実際に参入の手を上げる前には、“動機善なりや、私心なかりしか”と自問を六カ月間にわたりしたのです。一般の国民のためになることだと確信して、電気通信事業に乗り出すことを決意したのでした。
役員会議で“一千億円くらいの負担までは認めて欲しい。もし仮に限界の一千億円まで使っても軌道に乗らなかったら、その時には潔く事業を放棄し撤退する。”と稲盛塾長は話しました。
第二電電が事業に失敗すれば、一千億円の赤字が京セラに発生します。たとえ本業で二百億円の利益が出たとしても、差し引いて、八百億円の膨大な赤字を計上してしまいます。
京セラには当時、一千五百億円の内部留保がありました。そのような過去に貯めたお金から、一千億円がなくなるだけです。京セラが潰れるようなことにはなりません。
京セラが低収益で、過去何十年間もかけて一千五百億円を貯めたのではありません。もしそういった場合、一千億円が消えてしまえば、それは一時的な損失の問題にとどまりません。後々までをひいて、本体そのものまで危うくしてしまうことになりかねません。そういう低収益企業であったならば、京セラは第二電電の通信事業に参入する事はなかったのです。
稲盛塾長は“土俵の真ん中で相撲を取る”と述べています。“土俵際に追い込まれてからうっちゃりをするような危なっかしい形ではなく、いかなる時も土俵の真ん中に身を置くような安全を期して、確実に勝利を収めることを目指すべき”と至るところで述べておられます。
京セラ本体は20%くらいの税引き前利益を上げていますから、持っている現預金から一千億円を新規事業に使うだけの事ですから、京セラ本体に致命的な損傷を与える事は絶対にありません。
当時京セラの投資したお金が、現在はKDDIの株式として時価評価で六千八百億円になっており、半期毎に、百三十億円の配当を京セラは受け取っています。
高収益であればこそ、M&Aや第二電電への進出といった大胆な事業ができるのです。
高収益の世界へ“住む世界”を変える
盛和塾では“業種に関係なく、事業を営む以上は最低でも10%以上の利益率を上げられないようでは、企業経営のうちには入りません”というのが常識になっています。深層心理で“、パーセントの利益を上げなければならない”常に思っていると、利益率が10%を下回ると無意識のうちに10%に近づけようと努力するようになります。それほど、人間の心理というのは経営に大きな影響を与えているのです。
自分で“10%の利益率は無理だ。できるわけがない。”と思っていたら、それはできないのです。10%の利益は当たり前に出せるはずだと思い始めたら、毎年状況が変わっていくのです。
心に何かを描くかで、利益率に影響などするわけがないと思われるかもしれません。そうではないのです。“3%、4%の利益があれば充分だ”と思っている経営者と“10%の利益を上げなければならない”と思っている経営者とでは“住む世界”が違うのです。
一度“10%の利益を上げなければならない”と深層心理で思うようになると、10%を下回る世界では“居心地”が悪くなるのです。それまでは3%、4%の利益の世界にいても“居心地”が良かったのですが、ひとたびそうした世界から抜け出て“10%の利益を上げなければならない“と意識するようになると、もはや3%、4%の利益の世界は居心地が悪くなり、戻りたくなくなるのです。
繰り返し繰り返し、心に“10%以上の利益を出さなければならない”と思っただけでも、その経営者が“住む世界”が知らず知らずのうちに変わっていくのです。
ましてや、“強烈な思い”を抱き、岩をも穿つような強い意志で一気呵成(いっきかせい)に高収益を目指そうと努力するならば、より劇的に“住む世界”を変えることができます。一旦“住む世界”が変われば、後は通常の努力で、その世界に居続けることができるようになります。
盛和塾 読後感想文 第131号
仕事を考え尽くす
新しい事業を展開するときに、不安や心配を抱いてしてはなりません。新規事業展開は平坦な道ばかりではありません。一歩進めば壁に当たり、その壁を一つ一つクリアしていくという事の連続です。しかし、一抹の不安も抱いてはなりません。それには、その事業が成功するということ、そしてその成功へ至るプロセスをはっきりと見えるまで考え尽くしているからです。
うまくいく仕事は最終ゴールまで見通しがきき始める前から自信めいたものがあり、“いつか来た道”を歩いているようなイメージが湧くものでなくてはならないのです。
そのためには、常にテーマを考え続ける必要があります。疑問が一点もない、残らないくらい考え抜くのです。頭の中でシュミレーションを積極的にやり抜くのです。そうすると、ビジュアルな映像として頭にテーマが定着していきます。それはカラーで見えるほど鮮明でなければならないのです。
この見えるということが、成功に至る確信と、人として行動をせしめる強い意志力を生み、成功へと導くのです。
経営者意識を持つ
たとえ社長一人が優れた能力を持ち、リーダーシップを発揮したとしても、現場を支える社員たちが経営者の視点で自主的に考え、行動しなければ、会社が成長発展し続けることはできないのです。
経営者意識を持って戦略を組む
この話はA営業部長が相談に来たときの話です。
社員の方々は、各部門でいろいろな種類の製品を担当して、お客様に売りに行き、よく売れたものやあまり売れなかったもの、毎月の目標を立てています。A部長は現在の産業機械の状況を製品ごとに説明してくれました。稲盛塾長は、A部長の話を聞いていて、非常に重要な点が抜けていることに気がつかれました。
営業の長にしても、製造の長にしても、非常に勤勉で真面目なのは良いのですが、それだけなのです。営業の例としていますと、誠実な売り子のレベルなのです。
その原因は稲盛塾長が作っているのではないかと考えたのです。部下が営業がよくわかっていないのは、社長である自分自身の指導に問題があったのではないかと考えたのです。従業員をただ真面目に仕事するだけに育つようにしてしまったのです。
- 社長の立場に立って相手を見極めろ
A部長は途中入社です。中途入社した営業担当の社員は最初から“技術の事は自分にはわからない”と思ってしまっています。ですから、技術については製造の人間に少し聞いただけでの中途半端な理解で、製品を売りに行っているのです。
会社が成長発展するのには、幹部社員が素晴らしい経営者になるかどうかによって決まります。ですから、経営者とは何かということがわかっていないといけないのです。
経営者とは何かと理解するためには、 A部長は産業機械門の営業の長ですから、自分が産業機械に使われるセラミックスを扱う商事会社の社長だと仮定することが大切です。商社なのです。いずれにしても、商事会社は、いずれもメーカーとの代理店契約を結んでいます。引き合いがあったとしても、自分が売り込みに行くにしても、まずメーカーの人間と相談します。例えば、良い製品があることを知っていて、“これは良い製品ですね。これをぜひ売らせてください。私の会社は、東南アジアに強いですよ。その代わり、我々のをマージンを高くしてください”と要求するとします。相手のメーカーが売ろうとしている製品のことを知らなければ、どこにも売りにいけませんので、徹底的に聞いていきます。
それと同時に、向こうの従業員や経営者の態度もよく観察するのです。“どうもこの人は調子のいいことを言っているな”と感じる人からは、いい加減な製品を持たされるかもしれません。売った後に客先からクレームがついて、その対応で東南アジアを駆けずり回らないといけないということになれば、旅費ばかりがかかってしまいます。
‘今はどこに向けて売っていますか”とメーカーの人に聞いたとします。その時メーカーの担当者が“このようなところで使われています。うちはどこへでも売っていきますよ”と自信を持って答えてくれる。そうしたメーカーは、実際にこちらの期待に応えてくれるものです。商事会社の社長、A部長は、メーカーをしっかりと理解して、メーカーの担当者との信頼関係を築いていくのです。
多くの営業担当者は“これを売ろう”という自信の部分が弱いのです。売れるものに注力することが求められるのです。扱う製品が複数の製品であれば、相手によって臨機応変に行動するのです。
また、いくら技術がわからないからといって、メーカーの担当の人と簡単な質疑応答で何の疑いも持たずに、自分の製品を売る人はいないと思います。もし、社長の立場で売ってクレームがつけば、自分の信用を失い、お金も回収できず、大きな損害を被ることになります。技術側の人間では無いのですが、技術がわからないなりに色々と聞いてみることが大切なのです。分からなければ、わからないなり、と真剣に相手の人物を見抜き、相手が本物かどうかがわかればいいのです。
営業部は商事会社、製造部はメーカーです。商事会社として多くの従業員を抱えて、多くの事業を営んでいます。製造側の事業部、メーカーは、メーカーサイドの社長として経営することになります。
我々が今売ろうとしている製品としてヒーターがあったとします。ヒーターについてメーカー側に聞きますと、いろいろなことがわかってきます。“これはいけそうだな”と思うなら、マーケットをど真剣に調べます。どこに行ってどう売るのか、常にシュミレーションするのです。その結果、“これは本当にいける”とわかれば、自信が湧いてきます。“この性能であれば、こうすれば売れるはずだ”という思いが強くなり、ヒーターをいくら売るかという目標が定まってきます。“見えてくるまで考え抜く”のです。後は一気呵成(いっきかせい)に行動に移して売っていくことになります。
商事会社の社長として、“私の担当している京都セラミックというメーカーです。先日発表されたビジネスウィークでは、世界で技術で進んだ会社の十指に入っています。21世紀の会社と言われております。この会社のヒーターは、数年前から大量にアメリカに輸出されております。御社は今までのニクロム線を使っておられるそうですが、ぜひ、京セラの人ヒーターをお使いになるべきではないでしょうか”と誰に対しても言葉巧みに取り込めるはずです。
営業の人が、“このヒーターは、ホンダさんに使ってもらっているから、日産や三菱自動車にも売れないか”と簡単に考えて、日産や三菱自動車に行きますと、“いや、うちはホンダさんとは違います”と言われて、“やっぱりだめでした”と言って帰ってくるのです。
精魂込めて作った製品の性能に自信があれば、そのようなことではへこたれません。“なんとしても売ってみせる”という気持ちになります。“しまったオートチョークでは売れなかった。”しかし他に方法があるはずだと粘り強く頑張ることができます。
- 製品を売るための戦略を組む
経営をしていく上で、作ってよし、売ってよしという両刀使いが必要なのです。それには、戦略が必要なのです。“売ってこい”と指示しても、成果が出ずに帰ってくる営業の社員に対して、“もう一度行ってこい“と言って指示します。妥協しないのです。製品を作る場合も同様です。
商事会社の社長として“わが社はメーカーの代理店として、メーカーの製品を売って伸びていくのだ。”という意識を持って、代理、契約をしたメーカーの一連の製品をベースとして売り上げを伸ばしていく戦略が出てくるはずです。
ところが、部下に客先を回らせて、“だめでした。空振りでした。”と言われても営業を続けさせ、引っかかってきたお客からの注文を売り上げとする。これでは戦略ではありません。ただ客先を回って、見込みがありそうなものを売っていくだけでは、会社を大きくして一千億円の売り上げを目指すことはできません。
“このくらいは売りたいなぁ”というような願望があるだけで、“このようにしているからこれだけの売り上げが立つ”という考えは無いのです。“この製品ならこの会社にも売れるはずだ。いろいろな会社に売っていけば半年先、一年先にはこれだけの売り上げになるはずだ”というシュミレーションが誰にもできていません。
- 戦略があったからこそ工具事業は伸びた
京セラには他者に匹敵するような製品がありました。ところが最初は全然売れませんでした。戦略を持っていない人が工具の事業部長担当しているとしますと“これはあまり売れません。日本特殊陶業の者には勝てません。よその会社にも日本特殊陶業と同じような製品がありますし、うちがつけ入る隙なんてありません”と言ってせいぜい毎月五百万円位の売り上げしかありません。“売れないとおかしいのですが、やはり売れません。国内には大手3社があり、隙がないと思います。社長、今から参入したところで勝てる見込みがありません。”と言い訳をして終わっていたはずです。
稲盛塾長が工具は絶対に売れると確信していました。配属された営業社員は“これを売ってこい”と言われて、“売れないわけがない。売れるのだ。売れないのはお前が悪い”と頭ごなしに言われて追い返されました。
するとしばらくして、やっと一億円の利益が出せるようになりました。研究を続け、工具という分野において何とか一角を占めるまでになってきました。
- 本気で“売ろう”と思わなければ戦略は組めない
京セラの産業機械は、創立以来歴史のある事業部ですが、いろいろな製品を多く扱っているのに売り上げが月五百万円程度なのです。工具はひとつの種類しか売っていないのに、月一億円の売り上げがあるのです。産業機械は潜在的に十億円程度の売り上げが見込める製品を多く抱えているのに、それだけのポテンシャルがあるという認識を持っていない。ですから戦力も組めないのです。
営業社員でも、技術屋では無いのですが、自分が使っている製品を詳しく調べてその上でマーケットを観測するのです。マーケットをずっと見ていますと、売れるかどうか、売れるとすればどのあたりまで持っていけるかが分かってきます。目標に持っていけないときは、自分の展開の仕方がおかしいと考えて戦略を組んでいけば、もっと売り上げを伸ばせるはずです。
営業部のA部長にこう言いました。
“お前のところはいろいろなお菓子を並べた駄菓子屋だ。いろいろなお菓子や飴を並べておいて“何でもあるからここから選んで買いなさい”と言っているだけで、“このお菓子は、この飴は、こういうふうに他と違い、美味しく栄養もあり体にとってもいいよ”と子供に呼びかけもしていないのです。
例えばグリコはグリコーゲンを入れた飴を作り食べる“一粒三百メートル”として事業拡大してきました。グリコはあれほど大きな会社に成長しました。グリコには戦略があったのです。
京セラの場合も営業部長が製品に惚れ込むほど調べて“これはアメリカでも売れるはずだ”という思いが湧いてきます。売れないのは自分のやり方や部下の使い方がおかしいのだと思うでなければおかしいのです。
- 叱られる人ほどよく伸びる
工具のB君にはよく騙されました。“これは売れます”と嘘ばっかり言って人ばかり先に取られるので“今度嘘を言ったら承知せんぞ”と言ってよく叱っていました。B君は勝気だけはありました。“なんとしてもやらなければならない”と思っていますから、闘争心が旺盛でした。次から次へと提案が出てきます。
商事会社を担当しているD君は、今1番伸びています。Dくんは稲盛塾長に1年中徹底的に叱られていました。B君のように勝手なことをするので叱られていたのです。叱られる理由はポジティブなものです。叱られない人はそれは向いていないからです。何もしなければ問題にならないので叱られないのです。
ところで、何かの戦力を考えて実行しようとしますと、最初のうちは当然失敗しますから叱られます。D君は1年中叱られていました。D君は仕事の席ではない時に稲盛塾長に聞いてきました。“社長にとって、私はよっぽどの叱りやすいタイプですか”“あほ、趣味で叱っているのとは違うわい”と答えました。こういうことが社長に言えるのは、素晴らしいことなのです。社長を信頼しているからこそこんなことを社長に聞けるのです。親父に文句を言っているみたいなのです。
他の人はあまり叱っていません。“良い子”はたくさんおります。しかし“良い子”はポジティブな事は何もしておらず、稲盛塾長に言われたことに素直なだけです。それでは、集団の長は務まりません。
- 戦略を組むには、主体性が必要
バイオセラムの歯科用インプラントは某大学教授が“セラミックスでつくったらいいのではないか”というヒントを持って来たので、作ってみました。バイオセラムを売ると決めたのは稲盛塾長ですから、どうやって評価を上げていくか考えました。担当しているE君も逃げられません。E君は部長に何かにつけて言われないと、金を使っても失敗する。経営というのは必ずリスクと隣り合わせなのですが、その代わり心血を注いで成功した場合は大変大きな成果があります。
最初は結果が良くなくても“これはいけるのだ”と強く思い、先を見通すのが戦略であり、戦略を正しく組むのが経営者の役割です。
製品に惚れ込んで“これはいけるぞ”と思っています。相手の医者を説得するためには戦力を組めていますか。製品にも惚れ込んでもいないし、戦力も全然決めていません。経営者としての意識を持ってきますと、営業だけを考えるという感覚はありません。全てを見なければならないからです。
経営者としての見方をして、主体性を持って自分で戦略組出したら、営業の製造も貿易も、事業所全体が大きく変わるのです。
- 強い個性と人格を併せ持ち、過信を拝する
戦略をシュミレーションする上で大事なのは主体性です。主体性を持ってシュミレーションをしなければなりません。何もしない人は悪さもしませんが、個性もありません。主体性がある人には個性があります。個性が強い人は、我が強く、アグレッシブです。非常に強い個性が成功へと引っ張っていくのです。
しかし成功したと思ったら、急に失速していきます。成功して登りつめたところで、急降下することが多いのです。成功の原因も個性であれば、没落の原因も同じ個性なのです。個性があるだけではなく、人格、人間性というものを併せ持つ必要があるのです。
客観的に見れば見るほど、周りは売れないと言っているので、できないと思ってしまう。それを過信で進む人がいます。そのような人は大風呂敷を広げてもろくも失敗してしまうのです。戦略は出たけれど、その戦略が過信に基づくものだからです。
- 強い思いが粘りの営業につながる
京セラのヒーターの例を取ります。京セラのヒーターが車のキャブレターに入っているか、別の会社では使われていないことを誰も少しもおかしいと思っていませんでした。“うちは本田さんとは違います”と言われたら、それまでで売るのが簡単なところにしか振り込みに行っていないのです。“他にはどこに入れるのか”と聞きますと“やってはいますがなかなか上手くいきません”といいます。絶対に売れると思って売るのか、売れればいいと思ってやっているのか。それによって結果が全然違います。
製品が一つ売れれば、お客様からつぶさにその結果を聞いてみます。その結果が良好なものであれば、自信となって、営業の人間に“お前はこれを売れ、あそこが買ってくれているのだから売れるはずだ”と言えます。
稲盛塾長はアメリカへ行って、アメリカの会社を回っていましたが、全然売れませんでした。それでもめげず、同じところを何度も尋ねて、ようやく抵抗芯体がTI(テキストインストルメント)に売れました。TI試験のレポートを読み込み“これはいける”と思い自信にして他の会社にも売ってきました。優秀な製品を持って一点突破するのは、工具やバイオセラムの場合も同じでした。一点突破して、風穴を開けて、お客様、その業界に乗り込み、他の製品の販売に道を作っていくのです。
一度売れなくても“売れませんでした”と逃げ帰ってくるのではなく、“私の売り方がおかしいから売れないのだ”と考えて粘って売続けるのです。自分がおかしいのではなく、買ってくれない相手がおかしいと思っているのです。相手に何か事情があるように思っているのです。お客様サイドに何か問題があると納得して“売れませんでした”と言って引き下がる。それを納得せずに“これは安くて便利で品質の良いものですから、うちの製品を試してみるべきです”と粘るのです。
来年も再来年も、その次も、経営者は事業で利益を得て、従業員を養っていかなければなりません。昇給もして、ボーナスも払って、全従業員に喜んでもらうためには“行きましたが売れませんでした”ではどうにもなりません。そういう思いがありますと、徹底的に粘る行動ができるのです。
- 戦力に基づいたメーカーの買収
急成長をとげた電卓メーカーであるトライデント社については、電卓のブームが去った後に救いを求められました。京セラの役員会で支援について話したところ、“うちが今頃になってテコ入れするのはあまりにもクレイジーです。電卓メーカーはどこも潰れている中で、支援するなんて、どのような考えがあってのことですか”と誰もが言いました。
ブームの最中に群雄割拠しているうちは、もののはずみで誰でもある程度は成功します。そのかわり、ブームが去った後は、悲惨な目に合うはずです。企業というのはどん底まで行ってしまったときに本当の経営力が問われます。
“このような展開をすれば、いける。今は厳しい状態にあるが、その先を見て欲しい。うちが救済して再建させてみようではないか”と役員会で言って役員を納得させました。あえて危険を犯して戦略を組んだのです。常に事業の多角化を考えているので、偶然に入ってきた情報が、ちゃんとしっかり噛み合えば、逃してはいけません。これも最も素晴らしい経営方法なのです。
このように戦略を組み、次の事業展開を進めてきたのですが、気がついてみますと、稲盛塾長一人がそのようなことを考えるようになっていて、後は誰もが真面目な忠実な社員になっていたのです。丁稚(でっち)になっていたのです。これは丁稚でよろしいという教育をしてきた稲盛塾長の責任であったと反省していました。
企業の営業部長であれば、少なくとも自分は中堅企業の社長であるという考え方を持たなければならないのです。そう考えれば、自分で戦略を組んでいけるのです。
企業が永遠に発展し続けるために
- 現状に満足せず、次の展開を考える
経営者意識を持ち、主体的に戦略を立てられる人々が増えてこない限りは、企業が今後発展していく事はありません。
現在扱っている製品の中で、もっと伸びるものがいくらでもあるはずです。工具でも、フライスに使う、金型に使う、工作機械に使うなど、いろいろな用途があります。新しいものを伸ばすためには、それをどうやって売っていくのかという戦略が見えていなければなりません。自分の中で鮮明な映像が描けていないために、どう手を打てばいいかという対応ができていないのです。ただ単に人をもらって、その範囲で役割を決めて、できるだけの対応するというようでは、経営者ではありません。
例えば珈琲店の場合ですと、蝶ネクタイのマスター、かわいいウェイトレス、チラシも近所に配ります。また“うちは手製のコーヒーですから、新鮮でおいしいですよ”と言って、お客様を増やしていく。これだけでは、その店は良いのですが、企業として成長発展するための戦略が全くないのです。
例えば、今度は缶のコーヒーを作って全国の自動販売機に並べて売ろう。またこの店は女の子に任せて、次のコーヒー店を開こう。どこに店を今後展開していこうかと、発展する為の戦略を考えるのです。
京セラの人間全員が変身していけば、京セラは飛躍的に伸びるのです。自分は何を売るのか、マーケットの予測は、一生懸命考えてみると見えてくるのです。それが営業計画であり、事業計画となるのです。計画の中にある数字は単なる希望的な数字ではなく、一生懸命考えた末に見えて来た数字であるはずです。具体的にこうやっていきますという戦略があれば、数字はその後についてきます。
自動車を攻めますといった場合、自社の特徴のある製品を武器にして一点突破するのです。“これが成功したら次はこれを攻めよう”と次から次へと挑戦していくのです。
- 新規事業への挑戦
会社は永遠に成長発展していかなければなりません。そのためには、次から次へと新しい事業を手掛けていかなければなりません。
エネルギーを大量に消費する社会になり、エネルギーが多様化していき、分散されたエネルギー源を求めなければならなくなってきています。太陽熱、原子力、地熱、風力、波浪など、いろいろな試みが行われています。エネルギーの多様化を求めていかない限り、全体のエネルギーをまかないきれないのです。
この問題に何の対応もしない経営者と、こうした多様化していくエネルギーの中で、少なくともどれか一つのエネルギーを開発していった経営者とでは、会社の業績に大変な差がつくことになります。
この様に大きなスケールでとらえ、遠い将来を見据えて、その時々の企業規模を考える人材が必要になっています。京セラは早くから太陽光電池の開発に着手しています。太陽熱温水器の事業化を始めます。また、ソーラーシステム事業部も立ち上げます。
新幹線に乗っている三時間の間に、戦略を一生懸命考えました。熱媒体の使用、太陽電池を使った直流モーター、配管、貯湯槽等、をずっと考え続けました。
そして近い将来、日立製作所に追いつきたい、少なくとも三洋電機、シャープと肩を並べるまでになりたいと考えています。
- 経営や事業はトップの器で決まる
企業や事業というのはトップの器量、つまりスケール分しか大きくならないのです。器量というのは何かと言いますと、まさに先述したように、自分が扱っている製品を調べ抜いた上で持つ自信と愛着です。そのような自信と愛着を土台として、なんとしても売ろうとシュミレーションを重ねるのです。
太陽光発電の場合ですと、試作のみならず、販売の流通まで見えています。シュミレーションを繰り返していき、いよいよ実行に移しますと“この道は頭の中で一度通ったことがある”“こっちにいったらあかん。こっちや”と頭の中で徹底的に考えていますと、潜在意識が働いてくるのです。シュミレーションを重ねて現実にひとつひとつ成功するたびに、器量というのは大きくなるのです。
戦略と実行を繰り返していく過程で、器量が大きくなっていくのです。器量が大きくなるにつれて、会社の業績も伸びていきます。
盛和塾 読後感想文 第130号
思いは必ず実現する
思いの持つ偉大な力について
- 思いが今日の文明社会を築きあげた
一般的には物事を考える、つまり頭で考えることが大事であり、逆に“思う”という事は誰にもできるので、大した事ではないと捉えられています。しかし、この思うという事は考えるよりもはるかに大事なものです。我々が生きていく中で“思う”ことほど大きな力を持つものはありません。思うということが、人間のあらゆる行動の源になっているからです。
人は誰でも“こうしたい”“こんなものがあったら便利だ”“もしこういうことが可能ならば”という思いが浮かんできます。“もっと早く便利に移動する方法は無いだろうか”と思い、“新しい乗り物が欲しい”というように、夢のような“思い”を持つようになります。
自動車を発明し、飛行機を作るのには何度も失敗を繰り返して頭で考えて研究をした結果なのですが、その発端となるのは心の中にフッとわいた“思いつき”があったからです。一般には“そんな思いつきでものを言うな”と言われるように、“思いつき”をまともに取り扱うことはしないのが普通です。しかし実はその“思いつき”が非常に大事なのです。人の心に浮かんだ“思いつき”が、発明発見の原動力となって今日の科学技術を生み出したのです。
- “思い”が人格、人柄を形成し、境遇、運命を決める
この思うというのは、文明社会を築きあげているだけではなく、我々の人格、人柄をも形作る力も持っています。我々が毎日の生活を送る中で抱く思いの蓄積されたものが我々の人格、人柄を形成しているのです。
利己的な“思い”をずっと巡らしている人は、その“思い”と同じ、利己的な人格、人柄になっていきます。思いやりに満ちた優しい“思い”を抱いている人は、知らず知らずのうちに思いやりにあふれた優しい人格、人柄になっていきます。
さらに“思い”は、もう一つ大きな役割を持っています。それは“思い”が蓄積されたものがその人に合ったような境遇を周囲に作っていくということです。イギリスの哲学者、ジェームス・アレンは“人間は思いの主人であり、人格の製作者であり、環境と運命の設計者である”と言っています。その人の周囲に何が起こっており、そして現在どんな境遇にあるか。それは、今までその人がずっと心に抱いてきた“思い”が集積されたものなのです。その運命は他人を押し付けたものではなく、自然がもたらしたものでもなく、他でもない自分自身の“思い”が作り出したものだからです。
純粋で美しい“思い”を抱く
- 心の多重構造について
思いが出てくるのは、我々の心からです。その心というものは、一体どうなっているのだろう。
人間の心の一番奥底には、良心、あるいは真善美、自然と調和に満ちた“真我”が存在すると思います。“真我”とは、仏教で言えば“仏性”のことです。この世の中にあるすべての物に、仏が宿っているという意味なのです。仏のように優しく慈愛に満ちた、他を思いやる高次元の心が、生物であろうとも生物であろうと、この世にあるすべてのものに備わっている。その心を“真我”と呼びます。
この“真我”とは宇宙を作っている根源そのものです。生物も生物も含め、すべてのものに形を変えて、根源なるものが存在しているのです。膨大な宇宙の根源になるもの、宇宙の糧、エッセンスが姿を変えて存在しているのです。これは、人によって差があるものではないのです。聖人君子と呼ばれる人であれ、罪深いものであれ、あらゆるものが皆等しく“真我”を心の奥底に持っているのです。
“真我”の外側には“本能”があります。これは我々の肉体を維持するために必要な闘争心、食欲といったものが取り巻いています。欲、怒り、愚痴、不平不満などは、すべてこの本能に基づいています。
本能の外側には“感情”があります。これは、好き、嫌い、喜び、怒りなどです。
感情の外側には“感性”があります。見る、聞く、臭う、味わう、感ずるといった五感のことです。
感性の外側には知性があります。この知性を使って、われわれは頭で考えます。
心というのは、真我、本能、感情、感性、理性の多重構造になっています。
- “利己”の心を抑え、“利他”の心に根ざした“思い”を抱く
真我とは人を慈しみ、人を助けてあげようという優しい思いやりに満ちた心のことです。“他によかれかし”と願う“利他”の心なのです。外にある本能や感情(自我)は、“オレがオレが”と主張し、自分だけが良ければいいという欲望、“利他”の心なのです。
大切な事は、心に描く“思い”が真我、つまり“利他”の心から発したものか、それとも本能や感情(自我)、“利己”の心から発したものかということです。その“思い”によって結果が大きく変わってきます。我々は真我から発する“利他”の心が思いの多くを占めるように努力しなければなりません。
ジェームズ・アレンは心を庭に例えて、見事に表現しています。
“人間の心は庭のようなものです。それは知的に耕されることもあれば、野放しにされることもありますが、そこからは、どちらの場合にも必ず何かが生えてきます。
もしあなたが自分の庭に、美しい草花の種を蒔かなかったら、そこにはやがて雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い茂ることになります。
優れた園芸家は、庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育みつづけます。同様に私たちも、もし素晴らしい人生を生きたいのなら、自分の心の庭を掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、そのあとに清らかな正しい思いを植え付け、それを育みつづけなければなりません。”
本能や感情(自我)を抑えること、すなわち“真我”の取り囲む皮を薄くしていくことに努めていくと、心の奥底にある“真我”が出やすくなってきます。“真我”に基づく判断ができるようになりますと、誤った結果を導くようなことがなくなります。
強烈な願望を抱き、思いを“信念”にまで高める
- “何としてもやり遂げる”という“思い”を抱く
純粋で美しい“思い”を持つことに加えて、“なんとしてもやり遂げる”という強い願望を心に抱き、“思い”を信念にまで高められたものにすることです。
自分のやろうとしていることは、“思いつき”で心の中にふっと浮かんだものですが、それをなんとしても成し遂げたい、という強い願望を持つことが大切です。
誰が見ても不可能と思われることでも、そのような声に惑わされることなく、“いやそれでも私はなんとしてもやりたいんだ”という信念を伴った思いがまず先に行かなければなりません。その上で、今度は一生懸命考えて“ではどうすればやり抜くことができるのか”と具体的な戦略、戦術を練っていきます。
経営者にとって一番の課題は“強く思う”ということです。多くの経営者が、心の中で“こうしたい、こうなりたい”と軽く思うだけで、無理難題があるとわかるや否や“いや、こういう条件があるから、これはやはり難しい”とすぐ頭で考えてしまいます。それは、長い間学校で学び、社会で働き続ける中で、まず頭で考えることが習慣になっているからです。頭でできると考えるとやるのでしょうが、しかし、いろいろな困難を目にすると、頭で考えて、挑戦を止めてしまいます。結局、困難を乗り越えて大きな成功を収めることがなかなかできないのです。
“なんとしてもやり遂げるのだ”という信念を伴った強烈な“思い”を持つのです。部下から“こんな障害もありますよ。ちょっと不可能ですよ”と言われるかもしれません。しかしそれであきらめてはなりません。
“みんなが難しいと言うのもわかる。だから今からこれを成功させるためには、どうすればいいか考えよう”と言って戦略、戦術を考えていきます。その時、優秀な部下を集めて、様々な知恵を出してもらうようにします。全員で考えていくのです。
- 松下幸之助の“ダム式経営”に学んだ“思う”ことの大切さ
松下幸之助さんの有名なダム式経営についての講演に稲盛塾長は出席しました。
降水量の多い時は、ダムに水を貯め、日照りが続いた時は、ダムから水を出して水量を安定させる。それと同じように、企業経営を行う上では、利益が出たときにはそれを蓄積して、不況が来たときにそれを使って乗り切っていく。余裕のある経営をすべきである。
講演が終わり、質疑応答になったときのことです。1人の経営者が手を挙げて“あなたは先ほど、経営にはダムのように余裕がいるとおっしゃいました。それはその通りだと思います。我々も皆、余裕のある経営をせないかんと思っています。ところが中小企業の悲しさで、毎日毎日、日が暮れるまで働いても、余裕なんか全然ありません。余裕を作るにはどうすれば良いのか、具体的なことを教えてもらわんかったら困ります。経営には余裕がなければいけないということも分かりますけれども、余裕があるようにするためにはどんなことを具体的にすればいいか、教えてくれませんか”と言ったのです。
幸之助さんは少し言葉に詰まったあと“それは、わてにもわかりませんのや。ただ、思わなあきませんな”と言われました。すると、そこにいた聴衆が皆、どっと笑われたのです。“それでは答えにならんわな”
“幸之助さんのおっしゃった通りだ。思わなければならないのだ”と気づいたのです。つまり“余裕のある経営をしたい”という思い、それも“なんとしても余裕のある経営をしたいのだ”という強い強烈な“思い”が先にあって、その次に“どうすれば余裕のある経営ができるのか”ということを考えるのです。
自分が強烈に“余裕のある経営をしたい”と思わなければ、余裕のある経営をする方法を具体的に考えつくはずがありません。余裕のある経営をどうしてもやりたいと思っているのならば、そのための方法を一生懸命自分で考えもするでしょう。知恵を求めて、いろいろな人に聞きにも行くでしょう。まず何よりも、日々堅実な経営に努めていくでしょう。そうすることによって次第に余裕のある経営ができるようになるのです。
自分が“こうありたい”と強く思うことを経営のベースに置き、(京セラでは若い社員に)“思い”の大切さを繰り返し説き続けたそうです。京セラでは、1978年には、“潜在意識に透徹するほどの強い持続した願望、熱意によって、自分の立てた目標を達成しよう”という言葉をスローガンとして掲げました。
強く気高い“思い”は必ず実現する
- 新しき計画の成功は唯、不屈不撓(ふくつふとう)の一心にあり
中村天風という哲学者は、思いの重要性を説いておられます。“自分の未来に対して悲観的な思いを持ってはいけません。自分には明るく、素晴らしい幸運に恵まれた未来が必ずあるのだと信じて努力しなさい。”
新しい計画、また高い目標を達成しようと思うならば、強い“思い”で挑まなければならない。単に“こういうことをしてみたい。これを達成したい”と軽く思うだけで新しい計画を実現し、高い目標を達成することなどはできない。“思い”というものは、強ければ強いほど実現していくものです。
同時にその思いは、美しく、私心や汚れのないものでなければなりません。“思う”はどこから来たのか、“思い”というのは強ければ強いほど実現をしていくものであると同時に、“世のため人のため”という気高く美しいものであればあるほど実現する確率が高くなっていくのです。
中村天風さんは、“道半ばにして運命に翻弄されたとしても、不幸に見舞われたとしても、また病に取りつかれたとしても、思い悩むこと、もだえ苦しむこと、恐れることがあっては絶対になりません”と言っておられます。“新しい計画、目標が達成できないのではないか”というような一切の懸念を払拭(ふっしょく)しなければなりません。
- 強烈で純粋な“思い”が事業を成功に導く
新しいことに取り組む時ほど、少しでも“これは難しいのは”と思ってしまったら、絶対に成就しません。“どうしても実現しなければならない”という信念にまで高められた強烈な“思い”を抱き続けることが不可欠です。信念こそが、私たちを目標に向かってつき動かすパワーの源であり、その信念に基づいた行動の結果が、私たちの人格、人柄を作り、私たちがいる境遇うを形づくり、運命を切り開いていくのです。
自分の可能性をただひたすら信じて、無心にその実現に向けて思い続けることができれば、何も心配はいりません。そしてそれが“世のため人のため”という気高く、純粋な思いに裏付けられたものであれば、その事業は限りなく成功へと近づいていくことができるのです。
思いが成し遂げたもの
- 京セラの成長発展
稲盛塾長は大学卒業後、京都の会社に就職しました。その会社は、給料も遅配されることが常態化している倒産寸前の会社でした。辞めたいと思いましたが、どこに行くあてもなく、命じられた仕事、研究に打ち込むしかなかったそうです。
倒産寸前の会社ですから、当然ながら研究室には立派な機械、器具などはありません。粗末な研究施設を使い、日本にはなかったファインセラミックス材料の開発に一生懸命打ち込みました。そのような難しい研究開発は、稲盛塾長の能力や経験から考えて、とても成功するような研究開発ではありませんでした。しかし、倒産寸前の会社を立て直すために、稲盛塾長は必死で研究に取り組みました。会社の寮に戻る時間も惜しくなり、研究室に泊まり込むようになっていました。
“なんとしてもこの研究を成功させたい”という強い“思い”、さらにそれを“自分の研究で、この会社やその仲間を救ってあげたい”という純粋で、美しい“思い”で、研究に没頭しました。この研究開発の結果、日本で初めて、世界で2番目に、新しいファインセラミックスの材料の合成に成功したのです。
京セラ創業後も、同じように次から次へと新しい材料や新製品を開発し、新規事業を作り出していきました。“なんとしても会社を成長発展させなければならない”という強烈な“思い”と、“京セラを成長させることで従業員を幸せにしたい”という純粋な“思い”をあわせ持つ経営に邁進(まいしん)していきました。
- 第二電電(KDDI)の成功
KDDIも同じ思いから生まれた会社です。電気通信事業の知識も経験もないにもかかわらず、第二電電を立ち上げ、明治以来の巨大企業、電電公社に挑戦しました。
当時の日本の電気通信事業は1社だけであり、その弊害で通信料金が非常に高かったのです。そこに参入することで、なんとか国民の通信料金の負担を軽くしてあげたいという一念、つまり強烈な“思い”を抱いたのが第二電電創業の理由です。たとえ無謀な挑戦だと外から言われようとも、“国民のため、なんとしても通信料金を下げなければならない”という強い“思い”を持って、経験も知識もない仕事に取り組もうと思い立ちました。
その時、稲盛塾長が自問しました。この事業に対して“動機善なりや、私心なかりしか”と自分に問いかけました。“お前は電気通信事業に参入したいのは、自分の心の中にある、きれいな“利己”の心から出たものか、それとも自分だけが良ければ良いという“利他”の心から出たものか、と問いただし、自分の思いがどこから出てきたのかを突き詰めていったのです。そしてその“思い”が自分の心の中にある“真我”、つまり利他の心から出たものであると確信し、一気呵成(いっきかせい)に電気通信事業に参入しました。KDDIは、今では売り上げ四兆三千億円を誇る、巨大企業へと成長しました。
“思い”を実現させる経営者の姿勢
- 自己犠牲を払う
“思い”を実現させるにあたり、経営者は“自己犠牲を払う”ことが要求されます。経営者が立派な仕事をしようと思えば思うほど、それに比例して大きな自己犠牲を伴います。自己犠牲を払う勇気がなければ、経営者にはなれないのです。
ジェームス・アレンは、自己犠牲について言っています。
“もし成功を願うならば、それ相当の自己犠牲を払わなくてはなりません。大きな成功を願うならば、大きな自己犠牲を、この上なく大きな成功を願うならば、この上なく大きな自己犠牲を払わなくてはなりません。”
自己犠牲を伴わない成功はなく、立派な仕事をして成功しようと思えば、それにふさわしい自己犠牲犠牲を払わなければなりません。
盛和塾塾生の中には、“会社を経営していく中で、実は仕事と家庭の両立に悩んでいます。”と質問されたことがありました。別の塾生からは“私は仕事に打ち込むあまり、家内との関係に亀裂が入ってしまい、家庭が今にも崩壊しそうです。”と悩みを打ち明けられました。
塾長は答えました。“私は家に帰るのが遅くなっても、家内に、今日はこんなことがあった、あんなことがあったと話をしていました。仕事をせずに家を守っているだけでは、主人が何をやっているのかわからず、張り合いもないだろう。会社に行っていなくても、主人と一緒に仕事をしているという一体感、連帯感のようなものがあれば、不満も出ないだろう。帰りはいくら遅くても、その日に起きたことを家内に毎日伝えていたわけです。”
稲盛塾長は子供の参観日、運動会にも行ったことがないようです。子供たちは寂しく思っていたのでした。これも自己犠牲の一部と考えられます。会社を立派にするためには、どうしても家族が犠牲になってくれなければならなかったのです。
もし経営者が進んで自分の人生を託していけるような立派な会社にしていこうと思うならば、家庭の理解と協力が必要ですし、ときには犠牲も伴うことになります。そのためにも、年に一回は、従業員の家族に感謝の気持ちを経営者が表すことも大事な会社の行事の1つだと思います。
- 無私の心で挑んだ日本航空の再建
日本政府と企業再生支援機構から何度も要請を受ける中で、日本航空再建の大義について考えた稲盛塾長は、“世のため人のため”という純粋で美しい“思い”と“なんとしても再建を成功させなければならない”という強い思いを抱き、再建にのりだしました。
京都に自宅があるため、1週間東京でのホテル住まい、無給として再建に取り組んでいきました。東京では仕事が遅くなり、夕食もコンビニで二個のおにぎりで済ますことも多くなりました。そのような稲盛塾長の姿を見て、日本航空の社員は有形無形の影響を受けたようです。日本航空の社員は再建へ向けて懸命に努力してくれるようになり、再建を成功させることができました。
日本航空に定着していた官僚主義を打破するために、フィロソフィーによる社員の意識改革に取り組みました。またアメーバ経営をもとにした管理会計システムを構築しました。そうした改革が再建に大きく貢献した事は事実です。
しかし、日本航空が劇的な再建を果たした真の要因は、日本経済のため、日本航空社員のため、さらに日本国民のために、再建に取り組む“純粋で美しい思い”と“なんとしても会社を再建させる”という“強い思い”に対して、自然や神様が後押ししてくれたことにあると稲盛塾長は考えるようになったのです。
- 善き思いは“他力の風”を受ける
この宇宙には、生きとし生けるものをすべて順調に成長発展させるように後押しする意思が存在し、それが全てを幸福へと導く“他力の風”のようなものを生み出していると考えられます。誰もがこの“他力の風”を受ける資格があります。この素晴らしい風を受けられるかどうかが、思いを実現するのに必要なのです。人は皆、真我、優しく思いやりに満ちた思いを持っています。善きことを思い、善きことを行うことができるかどうかによって“他力の風”を受けるかどうかが決まるのです。
人生という大海原を航海する時、自己的で邪な“思い”を持った人が上げた帆はいたる所が破れたり裂けたり、穴が開いたりしているようなもので、“他力の風”をうまく受けることができません。一方、“他によかれかし”という優しい美しい思いやりのある心を持った人が上げた帆は、“他力の風”を満帆(まんぱん)に受けて、人生をうまく歩いていくことができるのです。
純粋で美しい“思い”、利他の心を持ち続ける努力をしている経営者が“なんとしても事業を成功させる”という強い思いを持ち、誰にも負けない努力を重ねていけば、会社は必ず成長発展します。
盛和塾 読後感想文 第129号
世のため人のために尽くす
“世のため、人のために尽くす”ことが人間として最高の行為です。
人間は“自分だけが良ければいい”と利己的に考えがちです。しかし本来人間は他のために尽くすことに喜びを覚える、美しい心を誰もが持っています。
利己的な思いが強すぎると、美しい心は表に出てこないのです。利己的な思いを抑え、“利他”の心を持って他のため人のために尽くさなければなりません。自分という人間を世の人々に役立つようにすることで、世の中が自分を使ってくれ、自分を生かしてくれるのです。
このような事は美しい心が行うものであり、それを行うことで私たちの心はさらに美しく、純粋なものになっていきます。他人から“ありがとう、助かります”という言葉を耳にすることで、人間は無常の喜びを感じ、心が弾み、人生に生きがいを憶えるのです。
また“情けは人のためならず”と言われるように、世のため人のために尽くすことで、回り回って自らも助けられ、幸福になれるのです。
働き方-経営者はいかに働くべきか
この講演会は稲盛経営哲学(杭州)報告会においてなされたものです。
中国では以下の都市で過去に講演がありました。
北京:なぜ経営に哲学が必要なのか
青島:経営十二ヶ条
広州:アメーバ経営
大連:京セラ会計学
重慶:リーダーの資質
成都:企業統治の要諦
これらの講演の中で、経営における哲学の重要性、経営の原理原則、経営管理の考え方と仕組み、リーダーおよび従業員の果たすべき役割について、述べられてきました。
自分ができるだけ楽をして労働者をこき使い、大儲けを目指す経営者が数多くいます。また、ベンチャーを起業し、上場で一攫千金を果たし、若くしてリタイヤすることが人生の目的だと考えている経営者も少なからずいます。
儲けたい、ということが人生の目的では、結局、経営者自身も真の幸福を得ることができませんし、企業を永続的に発展させることもできません。
経営の原理原則、経営管理の考え方や仕組みにしても、それが正しく機能するかどうかは、実践する側の経営者の働き方、また働く目的が何であるかによって大きく左右されます。具体的には、経営者は何のために働くのか、また何のために働くのかということが、企業を永続的に成長発展させるかどうかを決めてしまうのです。
経営者はいかに働くべきか
- 強烈な願望を抱く
“何としても事業を成功させたい”という“強烈な願望を抱いて働く”ということが企業経営の出発点になります。
そうした思いがありますと、資金や人材にも恵まれなくても、熱意と執念がその不足を補って、物事を成し遂げていくことができるのです。強い“思い”には強大なパワーが秘められているのです。
一般的には、論理的に推理推論したり、戦略を組み立てたりすること、“頭”で考えることが1番大事なものであり、心に“思う”事は大した事ではではないと考えられています。しかし“思う”という事は頭で考えることよりも、はるかに大事なものであり、我々が生きていく中で“思う”という事ほど大きな力を持つものは無いのです。“思う”という事は、人間の全ての行動の源、基本になっています。
もともと人類は、木の実を拾い、魚を獲り、獲物を捕まえる狩猟採集生活し、自然と共生してきました。その後、自分たちで生産手段を持ち、動物を作り、家畜を養って食べるという農耕牧畜の時代へと移ってきました。狩猟採集時代は、自分たちの意思だけでは生きていくことができませんでした。しかし、農耕牧畜によって、自分のくびきから離れ、自分の意思で生きることができるようになりました。
250年前にイギリスでいわゆる産業革命が起こり、蒸気機関が発明され、人類は駆動力を手に入れました。これからは、次から次へと発明発見を繰り返し、科学技術は目まぐるしく進歩し、今日の素晴らしい文明社会を作ってきました。
こうした科学技術の発達は、人間の持つ“思い”が元になっているのです。人は誰でも“こうしたい”“こういうのがあったら便利だ”“もしこういうことが可能ならば”と“思い”が心に浮かんできます。
その夢のような“思い”が強い動機になって、人間は実際に新たに乗り物を作り始めます。まずは頭で考え、そして一生懸命工夫し、さらに頭で考えまた失敗を繰り返しながら、様々な乗りものを作り出してきました。
具体的に、何かものを発明し、作っていく際には、頭で考え、研究していかなければなりません。その発端になるのは、心にふっと浮かぶ“思いつき”です。普通“思いつき”と言うのは軽いことだと思われています。“そんな思いつきでものを言うな”とよく言いますが、実はその“思いつき”が一番大事なのです。“思いつき”が現在の科学技術、発明発見の原動力の発端になったのです。
企業経営においても同様です。経営者が”“強く思う”ことが実現していくのです。有名な話ですが、経営の神様と人々から尊敬されておられた松下幸之助さんの講演での話です。松下幸之助さんは、まず思わなければならないということを語られました。
“景気が良いときには、景気が良いままに経営するのではなくて、景気が悪くなるときのことを考えて、余裕のある時に蓄えをする。つまり、水をためておくダムのように、景気が悪い時に備えるような経営をするべきだ。”
講演が終わって質疑応答になったときに、後ろにいた人が手を挙げて質問しました。“そういうダム式経営をしなければならない、つまり、余裕のある経営をしなければならないのはよくわかります。何も松下さんに言われなくても、われわれ中小企業の経営者は皆、そう思っているのです。しかしそれができなくて困っているのです。どうすれば余裕のある経営ができるのか、その方法を具体的に教えてもらわなければ困ります。”
松下幸之助さんは戸惑った顔されて、しばらく黙っておられました。そしてあっさりと、“いやそれは思わんとあきまへんな”と言って黙ってしまわれたのです。答えになっていないと思ったのでしょう。聴衆の間から失笑が漏れていました。
“できればいいなぁと”いう程度であるならば、絶対に高い目標や夢は成就しない。“余裕のある経営を本気で思っているのかどうか、本気であるならば、その具体的な方法を必死に考え、必ず“ダム”を築くことができる”ということを松下幸之助さんを言いたかったに違いありません。
人が“どうしてもこうありたい”と強く願えば、その“思い”は必ずその人の行動となって現れ、実現する方向におのずから向かいます。漠然と思うのではなく、“何が何でもこうありたい” “必ずこうでなければならない”といった強い思いに裏うちされた願望、夢でなければなりません。こうした持続した願望を持つことが、事業経営を成功に導くのです。
- 誰にも負けない努力をする
強い思い、願望を抱いたならば、後は“誰にも負けない努力”をするしかありません。
ただ人並みの努力を続けたとしても、皆が等しく努力を重ねている中で、それは当たり前のことをしているだけのことであって、それでは成功はおぼつかないのです。人並み以上の誰にも負けない努力を続けていかなければ、競争がある中ではとても大きな成果を期待することはできないのです。
誰にも負けない努力と言いますと特別なことで、際限のない努力をするということは自分たちだけに化された重い余韻と考えてしまうかもしれません。しかしそうではありません。
自然界を見ますと、どんな動物でも植物でも、一生懸命生きていないものありません。人間だけが邪(よこしま)なことを考え、楽をすることを願うのです。
自分自身が生きていくことに一生懸命になるように、自然はもともとできているのです。必死に生きていない植物は、絶対にありません。努力しない草は、生存できないのです。動物にしても、同じです。必死に一生懸命生きていかなければ、生き残っていくことができないのです。それが自然界の掟なのです。人間だけが“誰にも負けない努力”をしているのでは無いのです。“誰にも負けない努力”をするのは、当たり前のことなのです。
経営者は何のために働くのか
- 全従業員の物心両面の幸福のために働く
生物は“誰にも負けない努力をすること”が本能的に与えられています。人間は、自分たちの意志でもって生き抜いていくようになっていますから、“誰にも負けない努力”が必ずしもすべての人に要求されるのではなくなってきたのです。したがって人間はどうして“誰にも負けない努力”をすることが必要なのか、自ら自覚しなければならないのです。特に経営者の場合は、天から“誰にも負けない努力”をする使命を与えられている自覚を持つことが不可欠なのです。それは経営者が“何のために働くのか”という根源的な問いになります。
経営者の方々の中には、自分は誰にも負けない努力で働いているのだが、中小企業の場合には、銀行借入にしても個人保証しなければならない、従業員の給料を払い続けなければならない、従業員の行動にも会社として社長として責任がある等、とんでもない責任を負わされていると考えている方々もおられます。割に合わない仕事のように感じるのです。経営者が一番辛い思いをしているのです。
稲盛塾長は、京セラが大阪証券取引所に上場した時、“会社の税引前利益は二十億円もあるのに、社長の年俸は数百万円、これは何かおかしい”と思ったそうです。“月に百万円もらっても、年間たかが一千二百万円ではないか”京セラは稲盛塾長がその技術、才能を元に作った会社であり、現在の二十億円の利益も、経営者としての力量ではないかと思ったそうです。
しかし、稲盛塾長は考えました。
“私が経営者になったのは、確かに私自身にある種の才能があったからかもしれない。しかし、私がそうした才能を備えた事は、何の必然性もなかったはずなのです。偶然そうした才能を、私が天から授かっただけです。社会を成り立たせるために、才能のあるものは指導者にならなければならず、その役割の一端を担う者として、私は経営者になったのです。その役目を担うのは私でなくても、AさんでもBさんでも誰でも良かったはずです。”
“私は自分自身が授かった才能を私物化してはならない。社会構成上、そのようなリーダーが必要なのであって、そのリーダーは社会を少しでも良くするために、自分の才能を社会に還元していかなければならない。才能自分のものだとし、私物化し“俺は偉いんだ”という態度をとることが、非常に無粋な考え方なのではないか。自分に経営者としてのある程度の才能があるなら、仲間の幸福のために、先頭を切って苦労しなければならない”
京セラは、何百億円も利益を上げているのに、稲盛社長は誰にも負けない努力をしている。少し休んではどうかと言う人々がありました。その人たちは、稲盛社長はなんと欲の深い人だろうと思ったようです。
しかし、稲盛塾長の働く目的は、自分の目的ではなく、会社の利益でもありません。稲盛塾長を駆り立てて会社業績を伸ばそうとする原動力になっているものは、ただ1つ、従業員の未来永劫にわたる生活の基盤の安定と、幸福を願うことです。そのためには売り上げを伸ばし、利益を確保しなければならないのです。
売り上げを伸ばそうとすると、新しい人員が要る。従業員を増やせば、さらにその従業員の家族も含めて養わなければならなくなり、さらに不安が増してくる。不安だからさらに売り上げを伸ばすために、新製品を開発する。するとまた人員が要るということで、エンドレスな不安の連続があります。不安が増すのであれば、もうそこで止まっていればいいと思うかもしれませんが、“もうこれでいい”と思った瞬間から没落が始まるのです。
今がいくら良くても、5年後、10年後の事は分かりません。現在は過去の努力の結果であり、将来は今後の努力で決まっていくものです。経営者は一瞬たりとも休むことはできないのです。今日もがんばり明日もがんばり、エンドレスに再現なく努力を続けなければならないのです。なぜそのような際限のない努力を続けることができるのか。それは、働く目的が“全従業員の物心両面の幸福を追求すること”とその努力には対する仲間達、周りの人からの“ありがとう助かります”という言葉が期待できるからです。
- 経営者の“考え方”が企業の盛衰を決める
人生の目的を何に置くかによって人生観はガラッと変わります。財産や利益が目的の人もいれば、地位や名誉が目的の人もいます。そういった具体的な数字や肩書きによって示されるものが目的であれば、その目的が達成されてしまえば、後は目指すべきものがなくなってしまいます。
お金を儲けたいという強い思いは、それ自体は、決して悪いことでは無いのです。豊かな生活をしたいという願望は、成功の大きな原動力になります。
成功した事業を永続的に発展させるためには“お金を儲けたい”という経営者個人の願望が事業の目的であってはなりません。そのように私的な願望が最終的な目的であれば、一旦成功してしまえば、もうその経営者は一生懸命働かなくなってしまいます。
それだけでは、従業員は経営者についていこうとはならなくなります。従業員のみならず、会社に出資してくださった株主、商品を買い、またサービスを利用してくださっているお客様、さらには事業所や工場がある地域社会の皆さんも含めて、会社に関わる全ての方々の幸福に、経営者は責任を持っているのです。
それも“今さえければいい”という瞬間的な幸福ではありません。企業を永続的に発展させ、その間、好業績を維持し続けることによって、関係者の皆さんの幸福を実現しようと思えば、その努力は際限のないものになります。
京セラは55年の間、成功してきました。売り上げは一兆何千億円、そして一千百億円の利益が挙げられる立派な企業になっています。創業から現在までの55年間、ただの一回も赤字決算をしたことがありません。そのためにも一生懸命働くと言うことを続けてきました。また稲盛塾長が作りましたKDDIと合算しますと売上高は六兆円、両者を合わせますと、八千億の利益を出すような企業群を創業した者として、もっと楽をして良いのかもしれません。
今でもホテルで豪勢な食事をする事は滅多にありません。それは何でもないことなのですが、死んでも出来ない位、高価な食事は出来ないのです。それはお金の問題ではなく、毎晩そのような高価な食事を平気で取れる神経が恥ずかしいのです。稲盛塾長はどうしてもそういう贅沢ができないのです。自分が贅沢をすると慢心、驕りにつながっていくとずっと自分を戒めてきたのが習い性になってしまったのです。
人間は、どうしても成功すると慢心してしまい、かつては謙虚であった人が、傲慢(ごうまん)な人間へと変貌(変貌)してしまうものです。そうやってだんだんと考え方が変わってしまうのが普通です。そして、その考え方の変化とパラレルに企業の業績も変化していきます。多くの才覚のある人が、流星のごとく現れては、やがて没落していった例を見てきました。それは成功という試練に耐えられずに、人格、人間性、考え方が変わってしまったからに他なりません。
- “無私の心”で働く
権力の座を昇れば昇るほど、命令で何でもできるようになります。特に経営トップは誰からも制約されません。いい加減な働き方をしても、罷免権といった絶対権限を持つわけです。
中には公私の区別がつかなくなり、プライベートな事まで、社員を使ってやらせるという経営者もいます。そのような人間として未熟な人物に、経営のトップが務まるはずがありません。おそらくその人も、かつては立派な人間であったのです。ところが権力の座が人間の感覚を麻痺させてしまうのです。
社長は個人です。会社それ自体は何も言いません。会社の意向は全て社長の意向なのです。従って社長が私的な個人的なことに気を回している間は、会社は何もしないのです。死んでいるか休みを取っているのです。“もっと売り上げを伸ばしたい”とも“もっと経営を安定させたい”とも会社は言いません。それに代わって、社長が会社に代わって言わなければなりません。したがって社長が個人に返ってしまっては、会社は動かないのです。社長はもう個人に返る事は許されないのです。
また京セラでは世襲制は取りません。社長の親戚、親族が会社に入って重役になる事はありません。“私心”を入れてはならないのです。社長は苦楽を共にしてくれた従業員を将来の社長、会長に据えていくことになっているのです。京セラの場合は、会社規模が大きく、“私”の範囲をはるかに超えています。まさに社会の公器であって私が入り込む余地はありません。
このような無私の心の姿勢が従業員をして“この人について行こう” “この人のためなら一生懸命に働く”となるのです。経営者自身もやましい事はありませんから、従業員に厳しいことも要求できるのです。もし仮にいい加減な仕事をする従業員がいたならば、“社長の私は、あなたを含めた全従業員を幸せにするために、率先垂範、朝から晩まで必死で頑張っている。それなのに君はそんないい加減な仕事をするのか。自分のためにも、家族の為にも、そして仲間のためにも、一生懸命働いてもらわなくては困る”と言えるのです。
- “世のため人のため”に働く
さらには、従業員の幸福という一集団のためを越えて“世のため人のため”という利他の心をベースとすることで、誰もが恐れをなして踏み込まない分野に進出してもベクトルを1つに合わせ、努力を結集して事業を成功に導くことができるのです。
KDDI設立の時、稲盛塾長は、半年にわたって自問自答したそうです。“お前が電気通信事業に繰り出そうとするのは、本当に国民の為を思ってのことか。
京セラや自分の利益を図ろうとする私心が混じっていないか。あるいは、世間からよく見られたいと言うスタンドプレーではないか。その動機に一点の曇りもない純粋なものか。すなわち“動機善なりや、私心なかりしか”ということを何度も自分に聞き正して、KDDIの設立をしたのでした。
京セラが創業したKDDIは、他の新規参入者と比べて、経験や技術もなく、一番不利と言われておりましたが、営業開始直後から、新規参入組の中で常にトップの業績を上げています。
その理由はただ一つ、世のため人のために役立ちたいという、私心なき動機がもたらしたものなのです。
従業員に向かっては、KDDIの事業の意義を絶えず伝えてきました。“国民のために長距離電話料金を安くしよう”“たった一回しかない人生を意義あるものにしよう”“今われわれは100年に1度あるかないかという大きなチャンスを与えられている。その機会に恵まれたことに感謝し、このチャンスを活かそう”
このためKDDIでは、従業員全員が自分たちの利益だけではなく、世のため人のために役立つ仕事をするようになり、心からこの事業の成功を願い、懸命に仕事に打ち込んでくれました。それによって関係者からの応援も得られ、広範なお客様の支持を獲得することができました。
KDDI創業後、しばらくして一般の従業員にも額面で株式を購入できる機会を与えました。いずれ上場したときに、キャピタルゲインをもって、従業員の懸命の努力に報い、会社としての感謝の気持ちを表しました。ところが稲盛塾長は、多くの株式を持つことも可能でしたが、実際には一株も持つ事はありませんでした。それはKDDI創業時に、一切の私心も挟んではならない、と考えていたからです。
日本航空の再建の時も同様でした。日本航空はフィロソフィーによる意識改革、また、アメーバ経営による組織改革と管理会計の導入によって、それまでの官僚的な企業文化が一変し、一人ひとりの社員が自主的に自分の会社を少しでも良くしようと、懸命の努力を重ねてくれるようになったことが、再建を果たすことができた最大の要因でした。
再建にあたっては、稲盛塾長の姿勢が社員の心を揺り動かしたようです。つまり無給で会長職を引き受け、高齢でありながら全身全霊を傾けて再建に取り組む姿が、有形無形の影響を社員に与えたようでした。
日本航空再建には、三つの大義名分がありました。日本経済再生のため、残された日本航空の社員の雇用のため、飛行機を利用する国民の利便性のため、の三つの大義を果たそうとしました。
無私の姿勢で懸命に再建に取り組む稲盛塾長の姿を見て、多くの従業員が“何の対価を求めずに何の関係もない日本国の再建のために必死になってくれている。ならば、自分たちはそれ以上に全力を尽くさなければならない”と考えてくれたようでした。
- “善きこと”をなすことで魂を磨くことが人生の目的
無私の心で再建に取り組むことができたのは、“世のため人のため”に役立つことを成すことが、人間として最高の行為であると考えているからなのです。
神様は“世のため人のため”に尽くすようにという目的で、すべての人間をこの現世に送り出しているのではないか。そのように自分の人生を位置づけることが大切だと思います。自分のことは顧みず、人のために善かれかしと願うことであり、自己犠牲を払うということです。
我々は、死ぬ時は一人静かに死んでいかなければなりません。この世に生を受け、今日まで命を長らえて、まさに死なんとする時に自分の心、魂が安らかにあの世に旅立っているかどうかが問題です。人生の荒波の中で、魂が磨かれ、少しでも美しい魂になって死ぬことができるかが問題なのです。“世のため人のため”に尽くさなければならないのですが、それは特別なことをしなければならないというものではありません。我々経営者の場合は、企業を立派にし、従業員とその家族を含めた関係する全ての人々が安心して人生を託せるようにする。そのこと自体が立派な善行であり、“世のため人のため”に尽くしたことになるのです。
無私の姿勢で“世のため人のため”に経営にあたることが、決して苦ではなくなるのです。むしろ周りの方々から感謝され、働く意義をそこに見い出すことができるはずです。
経営者にとっての幸福とは何でしょうか。自分のためにではなく、“世のため人のため”に有意義なことを行っているということ、そのことに対する表示と誇りが、経営の難局に立ち向かう大いなる勇気を与えてくれます。そして“世のためひとのため”を成すことに対して喜びを感じる。それが我々経営者にとっての最高の幸福だと思います。つまり筆舌に尽くしがたいほどの苦労はしますが、一生懸命に頑張って、必死に努力をして会社を守り、従業員を守り、社会を守る。そういう良きことを成していると感じるときに、我々経営者は喜びを覚えるはずです。喜びを感じることこそが、経営者にとって最高の幸福だと思います。