盛和塾 読後感想文 第五十六号

動機善なりや、私心なかりしか 

大きな夢を描き、自分の目標を持ち、計画する時、 “ 動機善なりや” ということを問わなければなりません。動機が周りの人、お客様、社会にとって善きことかどうか、自問自答してみるのです。善とは誰から見ても善きことであり、世のため、人のためになることです。自分の利益や都合(私心)というものではなく、自他共にその動機や目的が受け入れられるようなものでなくてはなりません。 

仕事を具体的に進めるに当っては私心なかりしか、自分の心、自己中心的な発想で進めていないか、点検するのです。 

動機が善であり私心がなければ、必ず良い結果が生まれる、必ず成功するといわれています。 

経営者は大義名分を持て 

経営にとって最も大切なことは、 “次元の高い崇高な企業目的を掲げる” ことです。企業の目的とは、大義名分のある、誰もが心から共鳴できるもので、普遍的に正しいものでなければなりません。 

大義名分とは、行動の理由づけとなるはっきりした根拠、人のふみ行うべき重大な道義をいいます。 

周りの人の力を得て京セラを創業

ファインセラミックを開発した塾長を支援しようと、7人の同僚と共に京セラを立ち上げました。元の上司が彼の友人を説得し、資本金を集めてくれ、しかもその内の1人は自分の家屋敷を担保にしてまで、運転資金を用意してくださったそうです。 

京セラは、創業1年目から黒字計上することが出来ました。しかし、黒字にはなったものの、唯一の製品であるブラウン管に使う絶縁材料の注文がいつ何時途絶えてしまうかもしれませんでした。松下からの毎月の注文はまさに命綱だったのです。他の競争会社が出来ないものを “出来ます” と言って、出来ないかもしれない注文を受けて、必死に開発し、納品していったそうです。 

借金を返済することに一生懸命努めた結果、京セラは10年経たないうちに無借金で高収益の優良会社と言われるようになったそうです。 

企業の本当の目的に気づく

京セラ設立時に塾長は、新しい会社を作っていただいたのだから、今度は “堂々と稲盛和夫の技術を世に問う会社にしよう “と考えました。そしてその目的を清書して、他の従業員7人と共に血判を押したそうです。 “もし京セラが経営に行き詰まるようになったら、みんながアルバイトしてでも稲盛さんの研究だけは続けさせてあげよう” と、それを合言葉にして仕事に励んだそうです。 

京セラ創業3年目の時、高卒の従業員11人が反乱を起こしたのです。昇給の保証、ボーナスの保証等を要求してきたのでした。11人が血判状を提出してきたのです。 “約束はしてあげたいけど、私にはできない。私自身が先頭に立って、本当に毎日毎日頑張ってやっと会社が回っている状態なので、約束できるはずがないだろう” と説得しようとしました。11人は、 “今ここに書いてきた条件を保証してくれなかったら、今すぐにでも辞める” と言ったそうです。そして、彼らに二間の市営住宅まで来てもらい、3日3晩話し合ったそうです。 

 “保証してあげたいのは山々だけど、それはできない。きっと将来みなさんのためになるようにしてあげるつもりだから、私を信用してついてきてほしい。もし私がみなさんを騙すようなことがあったら、私を殺しても構わない” 、やっと彼等は要求を撤回してくれたそうです。 

京セラを “稲盛和夫の技術を世に問うための場” と位置付けて作ったのに京セラの全従業員の生活を保証することを約束されたのでした。 

塾長の実家も貧しく、毎日送金をしていました。自分の家族だけでなく、従業員の家族の面倒も見なくてはいけなくなったのです。従業員の将来の生活まで保証しなければならないということが企業経営なのだと知り、この時 “技術を世に問う” だけの甘い物ではないのだと悟ったのでした。企業経営の真の目的は、私の夢を実現するというものではなく、ましてやその経営者一族の私腹を肥やすことでもない、従業員の生活を守ってやることが会社の目的とならざるを得ないということに気づいた事件でした。 

世襲制はとらない。京セラは私の家族や一族を富ませるためのものではない。だから血縁者を後継者に選ぶことはしないということになったのです。 

こうして会社経営の目的 “全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類社会の進歩発展に貢献する” これを京セラの経営理念としたと塾長は述べています。 

これは塾長自身のためにという利己的な経営から、人様のためという利他的な経営への転換でした。 

こうした崇高な、高邁(こうまい)な目的を持っていますと、従業員に対して何の気兼ねもせず、堂々とリーダーシップを発揮し、共に努力が出来るようになりました。私心を離れた高い次元の目的を明確にした為、従業員に強く要求できるようになり、従業員も心から経営者を信頼し、安心して業務に邁進(まいしん)することができたのでした。それは、経営の目的が大義名分を備えているからです。誰もが心からその実現を望み、その実現のためには如何なる苦労もいとわず、努力をしようと思えるような理由が、大義名分の中にあるからこそ、全従業員の力を一つに合わせることが可能なのです。 

当初京セラには、資金も技術も経験もありませんでした。一つにまとまった従業員の心が唯一の財産でした。大義名分は全従業員の心を一点に集結させるために大いに役立ったのです。

企業には “高邁な目的・意義、つまり大義名分が必要なのだ” ということが京セラの経営の中で苦しみぬいて到達した結論でした。 

それと同時に、大義名分 - 企業の目的 - が公明正大であればあるほど、追及する方法も公明正大でなければならないのです。公明正大に企業は利益を追求しなければなりません。大義名分は言葉だけではなく、公明正大に実行して利益を計上して初めて意味があるのです。利益がなければ企業の目的 “全従業員の物心両面の幸福” を達成することはできないからです。 

第二電電を創業

1984年、日本は電気通信事業の自由化という大きな転換期を迎えていました。電電公社がNTTへと名前を変え民間会社になるのと同時に、電気通信業界への新規参入が認められることになりました。日本の通信料金の水準が世界的に見てあまりにも高かったのです。そしてそれが、国民にとって大きな負担となっていたのです。 

これは電電公社が電気通信業を独占している為に起こっているわけですから、どこかの大企業がNTTに対抗して日本の通信料金を引き下げるチャンスなのでした。そうすることで競争が生まれ、国際的にも合理的な通信料金にすることが国民から望まれていたのです。しかし、膨大な設備技術が必要であまりにもリスクが大きい為、一向に誰も参入しようとしないのでした。その時、京セラが手を挙げたのです。 

NTTは33万人の従業員、京セラは1万2千人の従業員です。京セラはあまりにも脆弱(ぜいじゃく)でした。しかしそれと同時に、京セラのようにベンチャー企業として起業し、チャレンジするチャンスでもありました。 

しかし、実際に着工するまでには6カ月の時間を要しました。電気通信業参入は大衆の為に通信料金を安くしたいという純粋な動機からだけなのか、 “動機善なりや、私心なかりしか” と塾長は自分自身に問い詰めたのでした。日本の通信料金を安くして、国民の負担を軽減するというのは、本当の目的なのか。そこに私心はないか。自分を世間によく見せたいという私心はないか。自問し続けました。 

京セラ以外にも2社が手を挙げました。京セラが作った第二電電は不利な立場でした。経営者に通信業界での経験がない事。他の2社と比べて、通信のインフラや、通信技術の蓄積がない事という理由でした。 

旧国鉄を中心とした日本テレコムは、新幹線、鉄道路線沿いに光ファイバーを引けば、東京、名古屋、大阪に高速通信ネットワークが出来ました。日本高速通信は、道路公団、建設省を中心に、東名、名神の高速道路の側溝沿いに光ファイバーを設置することが出来たのでした。 

しかし、第二電電は、大阪、京都、名古屋、東京間の山頂にパラボラアンテナを据えて、マイクロウェーブという無線を使って通信ネットワークを整備することにしました。 

ところが、マイクロウェーブの電波は政府機関 - 自衛隊や米軍 - が使っており、勝手にパラボラアンテナから電波を飛ばすと混線して大混乱が起こってしまうのです。さらに、どの無線が何メガの周波数でどのルートで飛んでいるのかは、国家機密として公開されていないのです。こうした中で、マイクロウェーブのルートを見つけていかなければならないのでした。 

そんな時、友人である当時電電公社の総裁、真藤さんが助け舟を出してくれたのです。NTTは光ファイバーを新しく敷こうと思っているので、マイクロウェーブのルートは要らなくなって、ルート情報を第二電電に教えてくれたのでした。 

こうして山の頂にパラボラアンテナの鉄塔を建てていったのでした。これにより、同業他社が光ファイバーを引き、簡単に作るのと同じスピードで、マイクロウェーブの通信ルートを完成させたのでした。 

大義名分が多くの人の力を呼ぶ

新電電三社の中で、第二電電は最も優れた業績を上げて、先頭を走り続けています。ではどうして第二電電は最も不利な条件を覆(くつがえ)して、業界トップに立つことが出来たのでしょうか。 

それは、 “全従業員が自分たちの利益の為ではなく、国民のために役立つ仕事をしたいという企業目的、つまり大義名分を共有し、懸命に努力を続けてくれたからだと思っています” と返答したそうです。第二電電創業の時から “国民のために長距離電話料金を少しでも安くしよう。たった1回しかない人生を意義あるものにしようではないか” と従業員に事あるごとに語りかけました。 “百年に一度あるかないかという大きな歴史の転換期に、大きなチャンスを与えられている。このチャンスを活かそう” 

創業から9年、1993年に第二電電は上場を果たしました。その時、第三者割当増資を行い、創業来、身を粉にして働いてくれた一般事務職員、社有車の運転手さん、全従業員に第二電電の株を額面で購入する機会を与えました。 

しかし、創業者である塾長は第二電電の株を1株も購入することはありませんでした。創業の理念が “国民のために通信料金を安くする” “動機善なりや私心なかりしか” だったからです。経営者である本人が上場によってキャピタルゲインを手にしてしまえば、やはり金儲けをしたいから第二電電をつくったのだと思われてしまいます。 

その後、第二電電は、国際通信会社KDDと携帯通信会社IDOと合併し、KDDIという新しい会社を作ることになったのです。合併に当っては “小異を捨てて、大同につく” ということに賛同してもらい、NTTに対抗する勢力をつくり、日本の通信業界の健全な発展のために尽くそうという大義名分に基づき、大同団結を図ったのです。 “平成の大合併” という三社の合併が実現したのでした。 

 “企業経営には純粋な思いに端を発した高邁(こうまい)な目的、すなわち大義名分が必要である” ということが第二電電の成功で証明されたと思います。経営者が大義名分を持ち、それを社員と共有するということは、企業にエネルギーを与え、発展をもたらすだけでなく、企業倫理の崩壊をも防ぐのです。