盛和塾 読後感想文 第七十二号

善に見る習慣をつける 

正しい判断を行うためには、状況に対する正しい認識ができなければなりません 事実は一つしかあり ませんが、認識は観察者の視点によって左右されてしまいます。観察者の心のフィルターによて現象 は見られますから、同じ事実が善(よきこと)にも悪(あしきこと)にも解釈されます。事実というものは観察者の心のフィルターによって “漉(こ)しとられるもの” なのです。 

このフィルターは観察者の心ですから、観察者に都合のよいものは善(よきこと)、都合の悪いこと(あしきこと)となるのが通常です。正しいフィルターを持つ身には、“人間として何が正しいのか” という判断基準を絶えず保持する為、毎日の努力が必要なのです。 

例えば毎日朝から晩まで、休みなく仕事に打ち込んでいる人がいるとします。一生懸命に生きようと しているまじめな人なのです。その働きぶりは善(よきこと)と言えます。しかし、家族や奥さんの目から見ると、家族のことを少しも考えない夫と見られるかも知れません。 

この家族の場合、働きづくめの夫、と妻は、この機会に家族全員で話し合うという機会を持つことが 出来、家族会議を通じて、家族のきずなが強くなると思います。働きづくめの夫のことを肯定的に捉 えることによって、良き結果が生まれるのです。 

どちらも正しいと思うのですが、世の中には簡単に、これは善(よきこと)、これは悪(あしきこと)と判断できることばかりではないのです。しかし、そうであるならば、その人の持っている善意を信じ、ものごとを善に見ていく習慣をつけるべきだと、塾長は述べています。 

否定的なものの見方は、人を成長させることもなく、問題の解決ももたらしません。しかし肯定的な 見方に基づく認識や判断は、良き結果をもたらすのです。 

天を相手にせよ 自分の心の中の誠、真心を尽す 

“西郷南洲翁遺訓”

強いリーダーシップと謙虚さを矛盾なく発揮せよ

 遺訓十九 昔から主君と臣下が自分は完全だと思って政治を行うような世は、うまく治まった時代はない 自分は完全でないと考えるところから、はじめて下々の言うことも聞き入れるも のである。自分が完全だと思っているとき、人が自分の欠点を言い当てると、すぐに怒るから 、賢人や君子というようなりっぱな人は、おごりたかぶっている者に対しては決してこれを補 佐しないのである。

1.自信過剰剰を排し、謙虚であれ

いろいろな人から意見を聞き、自分の考えをまとめていく謙虚さが必要です。中小企業で従業員を抱える企業のトップであれば、強いリーダーシップを発揮する必要があります。 

その際、自信過剰に陥ってはならないのです。先代から働いてこられた番頭さん、ベテラン営業職員、工場長、先輩の方々の意見を十分に聞き入れて、間違いのない経営をしていかなければなりません。 

しかし、りっぱな経営ができればできるほど、それが長く続けば続くほど、経営者は自信を強め、やがて自信過剰になり、暴走することが往々にしてあります。 

経営で苦労しているとき、つまり逆境のときには、こうしたことは起きないのですが、経営が順調で発展し続けているときに、企業の大小に関係なく経営者の暴走が起こってしまうのです。 

歴史ある大企業の場合ですが、サラリーマン社長が長期にわたって権力を握り続ける場合には、ときには自信過剰に陥り、暴走することがあります。特に中興の祖と言われるよう な人ほど、そういう傾向があります。中興の祖が自信過剰になって暴走し、独裁者とまで 言われるようになり、晩節を汚すケースが多くあります。 

創業者の場合、徒手空拳(としゅくうけん)で会社をつくり、会社経営に成功しますとどうしても自信過剰に陥る可能性があるのです。

2.両極端の性格を併せ持て

“謙虚にして驕らず” という考え方を守り、周囲の人たちの意見を聞いて経営をしていけばよいのかというと、それだけでは不充分です。 

経営の原点十二ヶ条、3. 強烈な願望を抱く. 4. 誰にも負けない努力をする. 7. 経営は強い意 志で決まる. 8. 燃える闘魂、とあるように、トップには、一度決めたことを成し遂げるため、強引なまでに部下を引っ張っていく、岩をもうがつ強い意志力が必要です。 

経営者には、強烈なリーダーシップを持つと同時に、謙虚さを兼ね備えていなければならないのです。“独裁と協調” “強さと弱さ” “非常と温情” という相矛盾する両面を持っていなければならないのです。強いリーダーシップだけでは、独裁者に陥ってしまい、暴走してしまいます。一方では謙虚にみんなの意見、助言を得ながら、自分のやり方を変えていくことも必要なのです。 

しかし、企業集団をダイナミックに引っ張っていくためには、謙虚さだけで、迫力が足りないのです。強いリーダーシップと謙虚さ、この両方が経営には必要なのです。 

この両極端のジレンマは、経営だけに限ったことではないのです。“欲張って自分だけよくなろうという利己主義ではいけません。人生にも利他の心が要ります” 

しかし、家族を養うためにも、従業員を守るためにも、お金が要ります。博愛主義で周囲 の人たちみんなを幸せにしてあげようと、自分の会社の利益をないがしろにしていては、 自分の家族や会社の従業員を守っていくことはできないのです。 

自分の家族や従業員の生活を守っていく為には、利己が必要なのです。しかし、利己が過剰になってはいけないのです。“足るを知る” ということが大切なのです。 

互いに矛盾する利己と利他を自らの心の中で調和させていき、どう実行していくのか。経営でも人生でも、自らに課された課題なのです。 

リーダーはある局面で、どんな困難に直面してもひるまず、“我に続け” と自信を持って集団を引っ張っていく強いリーダーシップを発揮し、別の局面では、暴走しかねない性格を抑え、慎重にみんなの意見を聞き、撤退することも辞さない勇気もいるのです。こうした矛盾する二つの性格を使い分けることのできる人が、りっぱなリーダーなのです。 

商売をするにも慈愛が必要

遺訓二十四 道というのはこの天地のおのずからなるものであり、人はこれにのっとって行う べきものであるから、何よりもまず天を敬うことを目的とすべきである。天は他人も自分も平 等に愛したもうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である。 

道とは天道(てんとう)ともいい、道理に従ったもの 原理原則に従った道ということだと思 います。子供の頃よく聞かされた “誰にもばれないだろうと思って悪さをしたつもりでは。だけど、お天道さまが見ておられるのよ” 

西郷南洲は“畏(おそ)れ敬(うやま)うべき天は、公平無私(こうへいむし)なもので、全てを愛し給(たま)うはずだ。だから自分を愛する心を持って他人を愛さねばならない” と言っ ています。 

江戸時代の学者、石田梅岩(ばいがん)は“商(あきな)いは自分だけがうまくいけばよいとい うものではなく、天も立ち我も立つことを思うものだ”と言っています。自分が儲(もう)けよ うと思って行うのが商売だが、相手も儲かるようにするのが鉄則だと言っているのです。 

自分の心の中の誠を相手にせよ

遺訓二十五  人を相手にしないで、常に天を相手にするよう心がけよ。天を相手にして自分の 誠をつくし、決して人の非をとがめるようなことはせず、自分の真心の足らないことを反省せ よ。

1.天を相手にせず、人を相手にして起こったバブル

天を相手にせよ、とは(天=誠、真心のこと)、誠、自分の心の中にある真心を相手にし て商談にのぞむようにすることです。人を相手にするのではなく自分の誠、真心を基礎と して何事もなすべきだということです。 

バブル経済の時代には、不動産業者、銀行は、日本中の企業に不動産投資・投機を薦めました。日本中のみなが浮ついた儲け話にのり、投機に走ったのです。その結果、1億円もするゴルフ会員権を買ったのですが、バブル崩壊後には50万円になっていたのです。 

儲け話があった時、天の道、道理を踏まえているかどうかを考えなかったのです。みなが 天ではなく、人の話を相手に投機に走ったのです。額に汗もせず、右から左へとお金をまわしていくだけでボロ儲けができるとみな信じたのです。 

バブルがはじけましたら、投機をした人々は “銀行、不動産業者が金も用意するからと薦め たので、買いたくもなかった不動産を買ってしまった” と他人を咎めだしたのです。西郷 南洲は“点を相手にして己れを尽し、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし” と言っています。自分の誠が足らなかったから失敗したのだと考えるべきなのです。

2.人を相手にしては、真実は見抜けない

バブル以外にも、M資金という信じられないような話がありました。“第二次大戦後、米軍 が日本に莫大な資金を残した” “戦時中、日本政府軍部は、国民から集めた金、ダイヤモン ドを日銀の地下に保管した。それを換金した莫大な資金が国民に知らされず保管されてい る” M資金と呼ばれていました。このM資金は日本復興の為の資金で、りっぱな企業経営者 に使っていただくことになっている、とまことしやかに語られていました。 

“あなたのようなりっぱな経営者には無利子です。手続きをしますので振込手数料がいります。振込手数料は貸付金の数%です。この分だけ先に払って下さい” 

信じられない話なのですが、一部大手の企業がこの手口にひっかかったのです。 

人を相手にせず、天を相手にしていれば、だまされなかったはずです。“それは本当だろうか。ありえないのではないか” と自分の誠に照らしていく。人を相手にせず自分の中の判断基準である道理、原理原則に沿って判断していくようにすべきです。    

感性的な悩みをしない

遺訓二十七 過ちを改めるにあたっては、自分からあやまったと思いついたら、それでよし。 そのことをさっぱり思いすてて、すぐ一歩前進することだ。過去のあやまちを悔しく思い、あ れこれと取りつくろうと心配するのは、例えば茶碗を割ってそのかけらを集めてみるのも同様 で、何の役にも立たぬことである。 

ほとんどの人は、自らの過ちを認めることを嫌い、取り繕おうとします。そもそも過ちを認め ようとしないのです。 

自分が過ちを犯したと気づいたのなら、クヨクヨ思い悩む必要はない。今度は失敗しなように 、次の一歩を踏み出していけばよい。クヨクヨといつまでも悔やみ続けると身体を壊してしまいます。 

道を行うことで困難に直面しても 業が消えると思えばよい  

遺訓二十九 道を行うものはどうしても困難な苦しいことにあいますが どんな難しい場面に立っても、そのことが成功するか失敗するかということや、自分が生きるか死ぬかということに少しもこだわってはならない。事をなすには上手下手があり、物によってはよくできる人やよくできない人もあるので、自然と道を行うことに疑いをもって動揺する人もあろうが、人は道を行わねばならぬものだから、道を踏むという点では上手下手もなく、できない人もいない 。だから一生懸命、道を行い、道を楽しみ、もし困難なことにあってこれを乗り切ろうと思うならば、いよいよ道を楽しむような境地にならなければならぬ。自分は若い時代から困難という困難にあって来たので、今はどんな事に出会っても、心が動揺するようなことはないだろう 。それだけは実にしあわせだ。

1.艱難辛苦(かんなんしんく)がつくりあげた西郷の動かざる心

道理を行うということは、誠を尽し、道理にしたがってことを進めていくことです。原理 原則を守って行動する。筋を通して行動することです。そうしますと、必ず困難に遭遇するものと西郷南洲は言っています。 

西郷は薩摩の下級武士の生まれで、たいへん貧しい中で育ちました。その後、三度の島流 しにあい、茅葺屋根(かやぶきやね)の吹きさらしの牢に入れられ、辛酸(しんさん)を なめてきました。この逆境の中で、立派な志をさらに固いものとして人間性を高め続けた のです。 

 西郷は筆舌(ひつぜつ)に尽くし難い経験をして来ただけに “また大変な困難に遭って来た から、たとえどんなことがあろうとも心が動揺することはない。これはたいへん幸せなことだ” と言っています。 

2.道を踏み行えば困難に遭う

商売をしていく中で、先輩や友人に “おまえのような四角四面で原理原則だの道理だのと言っていては、堅苦しくて近所付き合いもできないだろう。ビジネスをするには、もっとく だけた、もっと世慣れた考え方で妥協しなければならない。商売をする場合には、もう少 し融通を利かせなさい” と言われます。 

盛和塾で言われている “人間として正しいことをしなければならない。それでは商売ができるわけがない。そこはもうちょっと融通を利かせてほしい” と考える人もいます。 

四角四面で筋を通せば通すほど、世の中は窮屈(きゅうくつ)になり、人から疎(うと) んじられ、いろいろな困難に遭遇していく。過ちを犯して招いた困難ではなく、筋を通したために招いた困難です。 

例えば、業界の中で筋を通した為に、村八分にされて、必ず談合を迫られます。業界の中 ではリーダーがいて、そのリーダーを中心に話し合いですべて決まってしまうのです。“談 合は不正だ。談合はしません” といえば、業界からアウトローとして排斥され、たちまち注 文もなくなって干上がってしまいます。

3.困難に遭えば過去の業が消える

京セラが遭遇した困難がありました。京セラは人口股関節を研究開発しました。厚生省の認可も受けて売り出しました。たいへん性能が良く、有名な大学病院等で使われ始めまし た。 

その病院の一つから人工膝関節(ひざかんせつ)の依頼がありました。厚生省の認可が必要でした。しかし病院側からの強い依頼に負けて、厚生省の認可を受けずに人口ひざ関節 の販売をしてしまいました。このことが後日、国会で問題になりました。 

悪徳商売をする京セラと新聞、雑誌に書かれ、世間に顔向けできないことになってしまっ たのです。その時に西村擔雪(たんせつ)老師(臨済宗妙心寺派管長)を訪ねました。“新聞等で御存知かと思いますが、大変なことに遭遇してしまい、困惑しております。やまし いことはしていないつもりです” と話しました。 

 “生きているからそういう困難に遭遇するのです。死んだらそんな困難に遭遇しません。生きている証拠ですよ。前世か現世か知らないが、それは過去にあなたが積んできた業(カ ルマ)が縁に触れて今結果となって出て来たものです” と擔雪老師が言われました。 

“たしかに今は災難に遭われ、たいへんかもしれません。しかしあなたが作った業が結果となってきたということは、その業が消えたことになります。考えようによっては、嬉しいことではありませんか” 

どれほど悪く書かれても、やましいことはしていないのだから、業が消えたと喜ばしいと考えなければならない、と塾長は語っています。 

“困難は過去の業が消える時なのだ” と思うようにする。   

自然界に存在する普遍の法則と人生

1.考え方のベースには善意が求められる

人生は心に何を思うかによってすべてが決まる。心に抱く思いがその人の人生を決めてい きます と塾長は述べています。 

思いが人生を決めるのですが、その思いはすべて善意に基づいたものでなければならない 。“優しい思いやり” がベースにならなければならない。 

一般的に企業経営の場合、同業他社を出し抜いたり、騙したり、裏切ることは戦略・戦術 のひとつと思われています。しかし、人生と同じく、企業経営の場合も、戦略・戦術を立 てる場合、あくまで善意で考えていかなければなりません。そうすることにより、その企 業は長期的に成長・発展していくのです。

2.勇気を持ち、誰にも負けない努力をする

自然界を見ればわかりますように、強くなければ生きられないようになっています。人間 も、生きていく為には強くなくてはなりません。この強さとは、相手を倒す為の強さでは なく、自分が生きていくために必要な強さです。自分自身に対して“何くそ”と努力するので す。逆境から立ち直っていく際には、勇気がいるのです。 

勇気を持つことで、我々は生き抜いていくことができるのですが、努力も必要なのです。“ それも、誰にも負けない努力” をしなければならないのです。 

自然界の中でも、必死に努力をしなければ、生きることはできません。地球上に生きてい る動植物すべてが、必死に生きる努力を払うことで、生きていくことが出来るのです。 

経営戦略・戦術を組むときに、不正なこと、人間としてやってはいけないことをベースに した場合には、一時的にうまくいったように見えても、長い目で見た時は決してうまくいきません。素晴しい優しい思いやりをベースに戦略・戦術を組めば、成功を長く持続する ことができるのです。

3.才覚と知恵だけでは真の成功につながらない

戦後の日本では宗教が軽んじられてしまい、逆に無宗教であることがインテリの象徴のようになってしまいました。学校の成績、一流大学卒といった形に見えるものさしで、リーダーを決めるようになってしまったのです。その結果、人間として正しいことを貫いていこうという考えが希薄化してしまいました。才覚や知恵をもって策略を巡らし、うまく世の中を渡っていく人の方があたかも知恵者のようにいわれてきました。こうした才覚や知恵をベースとした成功は一時的なもので、決して長続きはしません。素晴しい評価を受けていた会社が、策略を巡らして、手練手管に走り、結果として倒産していくことがよく見られます、と塾長は語っています。

4.善意で物事を解決していけば素晴らしい人生がひらける

善い思いは人間の健康にも良い影響を与えます。優しい思いやりは顔に表われます。優し い思いやりの心を持っていますと、暗い顔にはなりません。優しい思いやりの心でいます と、例え病魔に襲われても、体によいといわれています。善なるもの、優しい思いやりの ベースにした思いを自分の心の中に描き、生きていけば、人生は必ずうまくいくはずです 。財産よりも名誉よりも、何よりも常に善き思いを心に抱くことが一番大事なことなのです。 

Ralph Waldo Trine (ラルフ ウォルド トライン) の著 “人生の扉を開く “万能の鍵 ” の書いた 本の中に以下の文があります。 

“あなたが抱くどの考えも力となって出ていき、どの考えも同じ考えを引き連れて戻って来 ます。これは不変の原則です。あなたが抱くどの考えも、身体に直接に影響を及ぼす。愛 や優しい感情は自然で正常であり、宇宙の永遠の秩序に則っている。神とは愛なのだから、愛や美しい感情は生命を分かち与え、身体を健やかにするうえに、あなたのたたずまい を美しくし、声を豊かにし、あらゆる意味であなたをますます魅力的にする。さらにまた、すべてに対して愛を抱く度合いに応じて愛が戻ってくるから、それがあなたの心に直接 に影響を及ぼすから、あなたには外からも大生命力が与えられる。そうなれば、精神的な 生活も物質的な生活もつねに生き生きとして人生が豊かになる” 

愛は人に与えるものですが、同時にその愛は与えた度合いに応じて、自分に返ってきて、 自分を幸せにしてくれるのです。それは不変の原則と Ralph Waldo Trine (ラルフ ウォルド トライン) は述べています。

5.三つの煩悩を抑えていく

人は優しい思いやりのある心を常に抱くようにすべきなのですが、人間は誰でもそのようには出来ないのです。では、どうしてですか、どうしていつも優しい思いやりのある心を持ち続けることができないのでしょうか。何故なら人間にはみな本能があるからです。優しい思いやりのある心とは異なり、邪悪な心に類するものが本能なのです。お釈迦様は “煩悩”といっておられます。我々が生きていくためには、どうしても自分の肉体を維持してい かなければなりません。肉体を維持していこうとすると、自分が物を独占しようという利 己的な思い、行為が、つまり “欲” が必要なのです。また自分に危害を及ぼすものに対して抵抗しようとする “怒り” が、又、自分の欲望が満たされない為に “愚痴(ぐち)”つまり “怨(うら)み” “恨(つら)み”  というネガティブな思いを心の中に抱いてしまうのです。“貪欲” “怒 り” “愚痴” の三毒が煩悩となって心の中に巣(す)くうのです。 

これらの三毒が過剰になった場合、身を滅ぼしていくことになるとお釈迦様はおっしゃっ ています。煩悩を抑えていかなければ、美しい思いやりの心は出て来ません。欲、怒り、愚痴は人間が生きていく為に神様が与えてくれたものですが、重要なことは、過剰になら ないように抑えることです。 

世のため、人のため、優しい思いやりの心をもたなければならないと、自分の理性に訴え、自 分自身を正していかなければなりません。毎日毎日繰り返し、自分を正していかなければ それが心に定着することはないのです。放っておくと、悪しき煩悩が心の中に渦巻くので す。人間の心の中には常に煩悩が出て来ますから、それを繰り返し抑えていくことが大事 ですと、塾長は述べています。 

6.優しい思いやりの心が周囲も幸せにする

自分の貪欲、怒り、愚痴を少しでも抑える、世のため人のために何かしてあげようという 優しい思いやりの心を育てるように、自分に繰り返し言い聞かせることが大切です。優し い思いやりのある心が少しでも定着していきますと、それが心の中に占める比率がだんだ んと大きくなっていき、その人の日常の行動として現われて来ます。非情も優しい思いや りのある心になってくるのです。煩悩がまさっている人が周りにおられても、思いやりの ある人の心、気持ちに惹かれて、すべての人がなごやかな気持ちに変わっていくと思いま す。 

いつもブツブツ文句を言っている人、正義感から出た抗議かも知れません。しかし常に愚 痴、不平不満をもらし、不愉快な思いで生きている、勝ち負けにこだわったり、損得にこ だわったり等、否定的な思いを心の中に抱いていますと、その人を幸せにはしません。周 囲の人にも悪影響を及ぼします。 

優しい思いやりに満ちた戦略・戦術を立て、自分自身が苦労し一生懸命努力する。たとえ 逆境にあっても、どんな不幸に見舞われようとも、愚痴をこぼさず、それにめげずに明る い未来を想像し、勇気をもって努力を重ねる。そういう生き方をしておれば、人生は必ず 素晴らしい方向へ変わっていくのだと思うと、塾長は述べています。 

7.逆境が成長を促す自然界の法則

剪定(せんてい)した庭木がものすごい勢いで伸びます。自然に生えている木に比べて、 剪定した庭木のほうが早く伸びていきます。剪定しなかった木はそんなに大きく伸びることはありません。剪定するというのは木を傷めつけるわけです。傷めつけられた木はその傷みをバネにしてすごい勢いで成長します。 

経営でも、苦しんだり、健康を害して病気で苦しんだりします。しかしそのような逆境は 我々を強くし、立派にしていくために自然が与えてくれた試練と考えることができます。 

その他にも例があります。麦は 冬の間に麦踏をしてか弱い芽を踏みつけて折ってしまいま す。ところが春になれば、麦は大きく育ってくるのです。 

自然界の法則と同じく、我々人間も苦しい逆境や病気は自分をもっと強くする為に天がく れた試練と考えられると思います。 

8.心の底を耕し、雑草の種を除く

ジェームズ・アレン著の “原因と結果の法則” (A MAN THINKS)の本に出てくる一節です。 

 “人間の心は庭のようなものです。それは知的に耕されることもあれば野放しにされること もありますが、どちらの場合も何かが生えてきます。もしあなたが自分の庭に美しい草花 の種を蒔かなかったら、そこには雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い茂ることに なります。 

優れた園芸家は庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育(はぐく)みつづけます。同様に私達も、もし素晴らしい人生を生きたいのならば、自分の心の庭を掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、そのあとに清らかな正しい思いを植え付け、それを育みつづけなくてはなりません“ 

心というものは庭のように手入れをしなければなりません。手入れをしないと雑草が生い 茂ることになります。煩悩の中でも、貪欲、怒り、愚痴、このような思いが出ないように 手入れをしないと、すぐに悪しき心が雑草のように茫々と生えてきます。そのような雑草 をひっこ抜き、あなたの心の庭を耕し、優しい思いやりに満ちた草花の種を植えなさい。 そうすればあなたの人生を素晴しいものにする美しい花が咲きます。咲いた花は必ず実を つけ、あなたに潤いのある人生を与えてくれるでしょう。 

常に自分の心の手入れをして善き思いを心に抱くような生き方をするということが、大変 大切なのです。この宇宙は愛によってできています。愛とは美しい思いやりの心です。し たがって、あなたの美しい思いやりのある心、気高く純粋な心というのは宇宙の流れに合 致する非常に力強い力を持っているのです。

9.気高く純粋な心が第二電電(KDDI)を成功に導いた

気高く、純粋な心に臨んだビジネスは必ず成功を収めるのです。第二電電(KDDI) は一般 大衆のために通信料金を安くしてあげたいという純粋な思いのみでスタートしました。気 高く純粋な気持ちだけで頑張っていくうちに、第二電電はいつの間にか 新規参入した会社 の中で先頭を走りだしたのです。 

世のため人のために何か本当に善いことをしてあげたいといった気高い、純粋な思いを抱 き、誰にも負けない努力を重ねていくことが、人生においても経営においても素晴らしい 結果をもたらしてくれるのです。