盛和塾 読後感想文 第九十号

魂を磨く

現世にあったとき、名声を得た、財産をつくった、高い地位についた、こうした現世での成功はあの世には持って行けません。こうした成功して得たもの、地位もお金も名声も、死を迎える時、あの世に持ってはいけないのです。残るものは魂だけです。魂を持って行くとしたら、りっぱな魂であってほしいと誰もが願います。 

立派な魂は、生きている間にどのくらい世のため人のために貢献したか、つまり生きている時にどれくらい善きことをしたかが、万人に共通する魂の価値だと言えると思います。 

人間性を磨くこと、すなわち魂を磨くこと、それが大事なことであり、魂を磨く、素晴しい人格を身につけることこそが、人生の本当の目的なのですと、稲盛塾長は語っておられます。 

人は何のために生きるのか 

善きことを思い、良きことを行えば、人生は好転する

  1. 人生は運命という縦糸と“因果の法則”という横糸によって織りなされる

人にはそれぞれ、決められた運命というものがあります。我々は人生で辿(たど)っていくべき運命というものを背負って、この現世に生を受けました。 

人は人生の中で、いろんなことに遭遇します。その遭遇していく過程で、善いことを思い、善いことをすれば、人生にはよい結果が生まれる、悪いことを思い、悪いことをすれば、人生には悪い結果が生まれるという“因果の法則”があります。 

運命という縦糸と“因果の法則”という横糸が、我々の人生の中を走っています。 

  1. “因果の法則”によって運命を変えることができる

運命は変えられるのです。善いことを思い、善いことをすれば、その運命はよき方向へと変わっていくし、悪いことを思い、悪いことをすれば、その運命は悪い結果へと変わっていきます。善き原因は善き結果を生み、悪い原因は悪い結果を生みます。 

善き思いは、万物を生成発展される“宇宙の意志”に合致する

  1. 因果の法則が信じられない理由 = 結果がすぐに人生にはあらわれない

もともと人間には運命というものがあり、人は運命によい年回りとなったり、ラッキーなことが起きるような年回りの時は、少しぐらい悪いことをしてもすぐにそれが悪い結果となって出て来るわけではありません。運命の方の力が強いために、悪い結果がでてこないこともあります。逆に運命的にたいへん悪い年回りの時には、少しくらい善きことを思い、善いことをしても、運命的には悪い局面の方が強いために、すぐによい結果があらわれないということが起きるのです。 

  1. 宇宙には森羅万象を生成発展させていこうとする“意志”がある

もともと宇宙は無生物であり、陽光のようなものであり、目には見えないようなひと握りの素粒子のかたまりでしかなかった。しかし宇宙はその素粒子を素粒子のままに放っておきませんでした。一瞬たりとも放置することなく、それらを次から次へと成長発展、進歩発展させていったのです。 

この宇宙には森羅万象あらゆるものを生成発展させていく法則があるのではないでしょうか。よい方向へ、よい方向へとすすめていくような気が流れていると言えるのです。 

因果の法則に従うことで好転した私の人生

  1. 試練にどう対処するかでその後の人生が変わる

稲盛塾長は人生の中で、できるだけ災難に遭わないように、会社が倒産しないように、従業員を路頭に迷わせないように、しようとして来ました。その為に、少しでも善きことを思い、善いことをするようにしていこうと思って来られました。因果の法則を信じて、それに沿って生きていこうと考えたのでした。しかし、なかなか自分の人生はうまくいきませんでした。 

企業経営をしながら、出会った数多くの災難、幸運、それらは人生における試練だと考えました。自然というものは、我々にいろいろな試練を与えます。あるときは災難であったり、ある時は幸運であったりします。幸運も災難も試練なのです。幸運に恵まれることも試練の一つです。 

  1. 災難続きの青少年時代

中学受験に失敗し、12~13才の時に肺結核を患い、死ぬようなことに遭いました。大阪大学の医学部入試にも落ちてしまいました。鹿児島大学工業部応用科学科を卒業しましたが、当時は大変な就職難の時代でした。どこに面接に行っても不合格でした。その時、担任の先生が京都の焼き物の会社を見つけてくれました。入社してみますと、過去十年間ずっと赤字の会社でした。毎年労働争議に明け暮れている会社でした。給料の遅配は当り前の会社でした。一緒に入社した大卒五人の内、四人が辞任して、稲盛塾長一人が残ったのでした。会社を辞めるにしても行き先がなかったのでした。 

  1. 研究に没頭し、明るく前向きに努力したことが運命を好転させた。

行き先がない中、上司に命じられたファインセラミックスの研究に没頭せざるを得ませんでした。逃げる道はありません。研究に没頭していますと、全てを忘れて、唯研究に打ち込むことができるようになりました。連日連夜、研究に没頭し始めると、研究がうまくいくようになりました。上司からも褒められ、認められるようになりました。褒められれば、さらに元気が出てがんばります。次から次へと運命が好転しはじめたのでした。 

一生懸命に努力して研究すれば、よい結果が生まれます。よい結果が生まれますと、会社の業績があがり、また褒められます。ますます嬉しくなり、さらにがんばります。このように、運命がよいほうへ、よいほうへと好転していったのです。 

こうした経験から、つまり災難や幸運は神が与えた試練だと受け止めて、前向きにひたすらに明るく努力を続けていく生き方をしたいと、稲盛塾長は素直に思えるようになったのでした。 

  1. 成功しても謙虚な人だけが幸運を長続きさせることができる

日本ではバブル経済が崩壊して十数年が経ちました。あの華やかなバブル絶頂期の頃、すばらしい展開をしていた多くの方々がおられました。こうしたバブルによって成功した多くの人たちがテレビや新聞に登場し、傲慢とも思えるような言動をしていました。バブルが崩壊し、不動産の価値が激減し、残っているのは借金のみということに遭遇しました。 

神様は、自然は、その人に思いもよらない幸運をもたらします。この幸運を“これはオレの力で、オレの才覚で得たものだ。オレには能力があり、やり手であったから、巨万の富を得ることができた。”と鼻にかけ、傲慢になってしまった人は必ず破滅(はめつ)していきます。 

中国の諺(ことわざ)に“謙のみぞ福を受く”とあります。謙虚な人でなければ、幸せを受け止めることはできません。傲慢な人、自分ですべてのことをやったかのように思う人は、自分に与えられた幸運を決して長続きさせることはできないのです。 

災難に遭っても腐(くさ)らず世を恨(うら)まず、真面目に感謝の気持ちで私達は努力していかなければならないのだと思います。どんなラッキーな幸運に恵まれようとも、決して当たり前のものだと思ってはなりません。幸運に恵まれた時に、傲慢で邪(よこしま)な心になってはいけません。 

人生の目的は魂を磨くこと

  1. 生まれたときよりも少しでも美しいものにする

人は誰しも、若い頃、できれば自分は立派な人物になりたいと思います。ノーベル賞をもらえるような科学者になりたい、お金を沢山もうけたい、大企業の社長になりたいと思ったりします。 

人生の目的というものは、果たしてそういうものでよいのか。人は必ず死を迎えます。死んだ人は、名声や富や地位も、あの世に持って行くことはできません。肉体がほろびますと、残るのは魂のみです。人は魂を持って一人で死後の世界へ旅立つのです。死とは魂の新しい旅立ちです。 

死にゆくとき、生まれたときよりも少しでも美しい魂に、やさしい思いに満ちた心に、つまり魂に変わっていなければ、この現世に生きた価値はない。人生とは魂を磨(みが)き、心を磨く道場なのではないでしょうか。 

  1. 一生懸命働くことで魂を磨く

魂を磨いていくには、一生懸命に働くことが必要なのです。一生懸命に世のため人のために働くことが、魂を磨くために一番役立つことだと、稲盛塾長は自分の体験から学ばれました。 

“仕事に精魂を込め、一生懸命に人生を生きていくということは、お金を稼ぐためだけではなく、その人の魂を、心を美しく磨いていくことに大きく役立っているのだ”と稲盛塾長は知ったと述べています。 

こうした考えは、本から学んだことだけではなく、自分自身の歩んでこられた経験から到達した人生訓なのです。しかも、こうした考え方を述べられる言葉の中に、稲盛塾長の謙虚さが読み取れます。