盛和塾 読後感想文 第八十二号

採算の向上を支える 

企業の会計にとって自社の採算向上を支えることは、最も重要な使命である。採算を向上させていくためには、売上を増やしていくこと。それと同時に、製品やサービスの付加価値を高めていかなければならない。付加価値を向上させるということは市場において価値の高いものをより少ない資源/経費でつくり出すことである。 

市場において価値の高いものとは、市場が価値を認めてくれ、より高い価値で受け入れる。工夫してつくり出した製品やサービスのことである。こうした付加価値の高い製品やサービスは、企業がより多額の給与を支払うことができる源泉であり、またお客様に役立つ、すなわち社会の発展に貢献するための前提条件となるものである。 

一般的には “採算の向上” は経営管理をするための管理会計の役割であり、企業の業績と財務状態を正しく外部に報告する “財務会計” とは、性格は異にしている。しかし “管理会計” も “財務会計” も経営者にとっては著しく経営に必要な会計なのである。 

 稲盛和夫の実学を紐解く -会計学と経営- 

 経営における二つの要諦

1.売上を最大に経費を最小に

経営者は誰でも利益を追求するのだが、多くの経営者が売上を増加させようとすると、当然経費も増えるものと思っている、これが経営の常識なのです。

しかし “売上を最大に経費を最小に” ということを経営の原点とするならば、売上を増やしていきながら経費を増やすのではなく、経費は同じかできれば減少させるべきだとなります。その為には、知恵と創意工夫と努力が必要となる。利益とは、その結果生まれるものです。

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損益計算書は、経営がどのくらいうまくいっているかを表しています。どのくらいうまくいっているかは、どのくらいの利益を出しているかで決まります。

営業損益を見ますと :

売上高は四八二八億円、売上原価は三七四二億円です。販売費一般管理費は六六二億円、営業利益は四二四億円です。

営業外損益 :

営業外収益は受取利息・配当金が一三四億円入っています。

雑収入は六一億円がありました。合計一九五億円の営業外収益がありました。

営業外費用 :

支払利息が一千九百万円、為替差損が四六憶五千万円、雑損失が二六憶三千百万円発生しました。合計七三億円の営業外費用が発生しました。 

営業利益に営業外収益を加え、営業外費用を差し引きますと、経常利益五四六億円となりました。 

特別利益は七二憶三千万円。特別損失は百三十三憶三千九百万円が発生しました。 

経常利益五四六億円に特別利益七二億三千万円を加え、特別損失百三十三憶三千九百万円を差し引きますと、法人税前当期利益四八五憶七千六百万円となりました。 

法人税等が百三十憶円、法人税調整額七六憶円、これらを差し引きますと、当期純利益二七九億円がでます。しかし二七九億円の現金が増加し、この資金を使うことは出来ません。棚卸資産の購入や設備投資に既にお金を使っているからです。

当期純利益を多く出すためには、まず本業で得る利益、営業利益をたくさん出せなければならないのです。この損益計算書では、営業利益率は八.八%しか出ていませんが、売上を最大にして売上原価、販売費及び一般管理費を小さくする努力をすれば、営業利益率を十%にすることもできます。 

営業外損益や特別損益の部では、費用をなるべく少なく抑えることに努力します。売上を上げて、費用を最小に抑えれば、経常利益も税引き前利益も大きくなります。 

“売上を最大に経費を最小に” は単純なことではありません。一般的に売上を増やす為には製造費用、販売費・一般管理費も増やさないと売上は達成できないと考えてしまいます。そうならない為には、創意工夫が必要なのです。 

ある会社が月に百万円の売上があったとします。その時に仕入れに八十万円かかったとしますと、売上総利益が二十万円でます。営業二人で人件費が十万円だとしますと、利益は十万円です。

売上が二百万円になったとします。仕入れコストは二倍になりますから、百六十万円かかっているはずです。今までは二人の営業マンを雇っていましたが、倍の量を売るわけですから営業マンは四人となり、人件費は二十万円となります。利益は二十万円と二倍になると考えています。 

しかし、仕入れが二倍になるわけですから、仕入れ先と交渉して少し安くしてください、五%安くしてもらえませんかと交渉します。仕入れ先も二倍の量を買ってくれるというので、同意してくれました。そして、人件費も見直します。さらには、業務を効率化して営業マンを三人にします。

こうしますと、仕入れで八万円、人件費で五万円の合計十三万円利益が増え、合計三三万円となります。利益率は十六.五%になります。売上が伸びる時こそ高収益企業へと変貌を遂げていくチャンスなのです。 

2.値決めは経営である

値決めは単に売る為、注文をとる為という営業の問題ではなく、経営の死命を決する問題であり、売り手にも買い手にも満足を与える値でなければなく、最終的には経営者が判断すべき大変重要な仕事なのです。 

京セラは新規参入の多い競争の激しい業界からスタートしました。無名の京セラに対して、いつも非常に厳しい値下げの要求がありました。毎年毎年、値段を下げられました。そうしますと、営業は注文をとるために、いくらでも値段を下げてくるのです。 

しかし、商売というものは値段を安くすれば誰でも売れる。それでは経営はできない。お客様が納得し、喜んで買ってくれる最大限の値段、それよりも低かったらいくらでも注文をとれるが、それ以上高ければ注文が逃げるというギリギリの一点で注文をとるようにしなければならない。売上を最大にするには、単価と販売量の積を最大にすれば良い。利幅を多めにして少なく売って商売をするのか、利幅を抑えて大量に売って商売をするのか、値決めで経営は大きく変わってくるのです。 

値決めで失敗しますと、取り返しのつかないこともあります。あまりにも安い値段を設定してしまい、経費を削減しても採算を出せない。高い値段を付けた為、山のような在庫を抱えて資金繰りに行き詰まるケースもあります。 

従って値決めは経営と直結する重要な仕事であり、それを決定するのは経営者の仕事なのです。 

二つの要諦の重要性をシンプルな商売を通じて理解する

1.夜なきうどんの経営が経営の原点

夜なきうどんの屋台をひいて商売に乗り出しました。資本金は五万円です。

一番最初に直面するのはうどん玉の仕入れです。製麺所まで行って買う、スーパーで生麺を買う、乾麺を買う等、いくつかの仕入れ方法を考えなくてはなりません。

出汁はいい味を出す為の大切なポイントです。高い鰹節を買ってくる者もあれば、袋入りの削り節を買ってくる者、いろいろな創意工夫が必要です。

かまぼこ、揚げ、ネギにしてもスーパーマーケットで買ってくるだけではなく、工場や農家から直接仕入れることもあります。このように材料の仕入れにしても、色々なやり方があります。 

美味しいうどんを提供するためには、どういう屋台にするのか、水、出汁、うどんの食器、お箸、うどん玉の大きさ等、屋台車の場所や時間等にも創意工夫が必要です。 

肝心なのは値段です。五百円にするのか四百円にするのか。安ければ売れるだろうが、利益を得ることは出来ない。しかし、お客様が満足する値段を決めなければなりません。 

屋台から大きなフランチャイズに発展した経営者も、十何年も屋台を引いて何も財産を残せない人もいます。いい商売があるかないかではなく、それを成功に導くことができるかどうかなのです。

売上を最大にするように正しい値決めができれば、あとは経費を最小に を徹底して行っていけばよいのです。 

2.いかなる事業も才覚、工夫次第で成功する

商売自体に良い商売、悪い商売があるのではありません。どんな地味な商売でもそれを成功に結び付けていく才覚があるかないか、経営の要諦を押さえて創意工夫をするかしないかによって、成功するかしないかが決まります。 

ホテル経営では、値決めは競争の為、自由に行えません。ホテルが乱立気味のため、同業者との競争の中で値段が決まることが多いのです。そうすると、売上を最大に経費を最小にするしか方法がありません。売上を伸ばす為に客室利用率を上げるしか方法はありません。営業は旅行業者、大企業の出張旅行担当部に接触する、送迎者を用意する、リピーターのお客様を獲得する為の努力をします。経費の面では食材、タオル、シーツ、シャンプー、コンディショナー、石鹸等の購入、ホテル内の清掃道具、カートの改良、清掃要員が効率良く仕事が出来るように創意工夫をします。 

経営者の問題は “売上はこんなものだ。経費はこんなものだ” と決めてしまっていることです。そこには創意工夫が欠けているのです。 

会計が分からなければ真の経営者にはなれない

1.損益計算書の科目の明細にまでリアルタイムで目を通さなければならない

経営は飛行機の操縦に例えることができます。会計データは経営のコックピットにある計器盤に表れる数字に相当する。計器は経営者たる機長が刻々と代わる機体の高度、速度、姿勢、方向を正確に即時に示すことができなくてはならない。そのような計器盤からの情報がなければ、今どこを飛んでいるのかわからないわけだから、まともな操縦などできるはずがない。 

企業経営において飛行機の計器盤は会計システム、その操縦に必要な情報は会計情報・財務諸表です。会社の経営状況を会計情報は具体的な数字で表しています。 

会計というものは、経営の結果を後から追いかける為だけのものではありません。いかに正確な決算処理がなされたとしても、遅すぎては何の手も打てなくなります。会計データは現在の経営状態をシンプルにまた、リアルタイムで伝えるものでなければ、経営者にとっては何の意味もないのです。 

中小企業が健全に成長していく為には、経営の状態を一目瞭然に示し且つ、経営者の意志を徹底できる会計システムを構築しなければならない。その為には経営者自身が会計というものをよく理解しなければならない。計器盤に表示される数字を意味するところを手に取るように理解できるようにならなければならない。経理が準備した決算書を見て、収益状況や財務状況(自己資本、負債の状況)を理解し、対策が頭に浮かぶようにならなければなりません。決算書を読むとは、数字が何を意味するのか、どうしてこのような数字になっているのかを理解することです。 

経営者は決算資料をできるだけ早く読み、経営状態をリアルタイムで知っておく必要があります。細かい部門別の資料についても、目を通すようにします。そうすると工場へ行き、問題があった現場を見つけた時、現場の責任者に指示することができます。 

会計が分からなければ、真の経営者にはなれません。会社経営の実務を表すのが会計上の数字だからです。

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財務諸表(貸借対照表、損益計算書、資金繰り表、脚注)は外部に公開するための書類です。これだけでは、いくら見ていても経営にはなりません。売上、売上原価、製造原価報告書、販売・一般管理費といった項目の明細を見ていかなければなりません。 

経費明細表の例を見てみます。この製造部門経費明細書は各項目に細かく分かれています。

原材料費                 3項目

労務費                    3項目

労務関連費             4項目

諸経費                  36項目 

このように、これらの項目は各工場毎に毎月明細表があります。

鹿児島の工場、滋賀の工場、北海道の工場、長野の工場、三重の工場、福島の工場を合計したものが、上記の経費明細表です。一つの工場の中でも原材料、労務費、経費は部門別に把握されており、その明細表も入手可能なのです。 

普通の会社ですと、これだけの数字をまとめていくのには二~三ヶ月はかかります。数字は概算でもいい。経営に役立てる経理資料はリアルタイムに上がってくるものでなければなりません。 

普通の経営者は損益計算書を見る程度で経営しておられます。しかしそれでは、売上高、利益は分かるのですが、どのような手を打つべきかは分かりません。細かい部門、細かい経費項目までブレイクダウンした経費明細表を月次で作って、それを見ながら手を打っていくことができなければなりません。 

2.貸借対照表を見て企業の健康状態を感じ取る

貸借対照表は企業の体格、健康状態を示すものです。経営者は会社の健康状態をあたかも自分の身体の状態のように感じられなければなりません。経営者は貸借対照表を見たときに、会社の財務状況-流動資産、固定資産、流動負債、固定負債、自己資本-がどうなっているかを即座に理解し、会社の健康状態を判断できるようになっていなければならないのです。

経営者は利益を多く上げ、利益剰余金を増やしていくことで自己資本比率を高め、ますます会社を健康体にしていかなければなりません。

 

盛和塾 読後感想文 第八十一号

人生について思うこと 

今回は “人生について思うこと” として “いかに生きるべきか” について話します。人間が生きていく上では、健康管理知的管理、そして心の管理の三つの管理が必要です。 

心の管理がおろそかにされている

昨今、健康管理に留意される方がたいへん多くなっています。健康診断や人間ドックの検査により、自分の健康状態を把握するように努め、その診断結果によって自分の肉体を健全に維持することに多くの人が留意されています。更にアスレティックジムに通ったり、健康器具を購入したり、ジョギングをしたり、体力・健康の維持にとどまらず、ウエイトリフティングにより体力の増強に励んでおられる方も多くなっています。 

又、肉体の維持管理に努め、体を健康に保つだけでは意味がないと、頭/知の管理をすることにも努めておられる方が多くなっています。成人学校で受講したり、本を読んだり、講演を聴講するなど、知性のレベルを維持する方も多くおられます。 

ところが、その肉体や知性と同じように、人間に備わっている心の管理については、それほど注意を使用とされない方がいるようです。この心の管理というものが人間にとって最も大事なことであるにも関わらず、多くの人はそのことにあまり関心を払おうとはしないのです。 

現代人は心労を患うことが多く、悩み、心配事、不平不満というものを常に心の中に持っており、それに苦しんだり、そのはけ口の為に、お酒にはけ口を見出したり、ストレスからくる胃潰瘍、高血圧病、心筋梗塞などの病気になったりしています。そうした不平不満、怒り、妬(ねた)みなどが高じて、うつ病などの精神病に陥る可能性があります。こうした心の荒廃が進みますと、家庭内暴力や児童虐待が横行し、自殺する人も出て来ます。                       

本当の健康管理は、私達の肉体、頭脳の知的活動、心の動き、すべてを含んだものでなくてはならないのです。その中で最も重要なことは、心の動きの管理なのです。 

この心がもたらす影響は、肉体のみならず、私達の日常生活のみならず、我々の人生そのものにも大きな影響を与えます。心の中で何を考えているかは、外部の人には解かりません。しかし、実は思った通りのことが現象として現れてきます。ですから、心をどのように維持するのかということがたいへん大切なことなのです。 

仏教の世界では、心を維持することにたいへん意を用いています。仏様の説かれた6つの修行の中に“禅定”という教えがあります。禅定とは、一回一回心を鎮めること、とあります。座禅は平穏で静かな心の状態を維持するための修行です。 

イギリスの哲学者ジェームズ・アレンは、その著書 “原因と結果の法則” という本の中で、心の管理について述べています。 

“人間の心は庭のようなものです。それは知的に耕されることもあれば、野放しにされることもありますが、そこからはどちらの場合にも必ず何かが生えてきます。もし、あなたが自分の庭に美しい草花の種を蒔かなかったら、そこにはやがて雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い茂ることになります” 

“優れた園芸科は庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育(はぐく)みつづけます。同様に私達も、もし素晴らしい人生を生きたいのなら、自分の心の底を掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、その後に清らかな正しい思いを植え付け、それを育みつづけなければなりません” 

心を管理し、正しい思いを持つようにするのか、それとも心の手入れをせず、野放しにしておくのかによって、心という庭に自分が思ったような草花が咲くのか、それとも思わぬ雑草が生い茂るのか決まってくるのです。美しい草花とは人生の結果に他なりません。自分が思い描いた、すばらしい人生を実現していくためには、心の管理が必要だとジェームズ・アレンは説いているのです。 

ジェームズ・アレンは結んでいます。

“正しい思いを選んでめぐらしつづけることで、私達は気高い、崇高な人間へと上昇することができます。と同時に、誤った思いを選んでめぐらしつづけることで、獣のような人間へと落下することもできるのです” 

“心の中にまかれた思いという種のすべてが、それ自身と同種類のものを生み出します。良い思いは良い実を結び、悪い思いは悪い実を結びます” 

ほとんどの方が、心の管理が重要だとは思っておられません。体の健康管理には一生懸命につとめるのですが、心の管理ということに真剣に取り組もうとする人は少ないようです。 

人間の心の中では 真我 自我が葛藤している

ジェームズ・アレンは説いています。“自分の心という庭の雑草を抜き、耕し、そして自分が望む美しい草花の種を蒔き、丹念に水をやり、肥料をやって、管理をしていきなさい” 

それでは具体的にどのようにして、毎日の生活・仕事の中で、自分の心を管理していけばよいのでしょうか。 

人間の心の中には、真我というものと自我というものが同居しているのです。人間の心というものは図のように多重構造になっているようです。

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しかし中心に真我と自我が同居し、葛藤していると考えた方が、心は理解しやすいと思われています。 

真我とは、愛と誠と調和に満ちたもので、真善美という言葉で表される、すばらしい美しいものです。仏教では山も川も草も木も、森羅万象この世にあるものすべてに仏が宿っている、仏のように優しく慈悲に満ちた、他を思いやる高次元の心が、この世の生物・無生物を問わず、全てのものに備わっていると考えられています。 

自我とは、本能に基づくもので、いわば自分だけ良ければよいというものです。例えば、増悪(ぞうお)、嫉妬(しっと)、強欲(ごうよく)、虚栄(きょえい)、猜疑心(さいぎしん)、さらに自己愛などと表現されるものです。 

真我=利他の心、自我=利己の心。利他、つまり人を慈しみ、人を助けてあげようという心と、利己つまり自分だけよければいいという自分勝手な心が1人の人間の中に同居をしている、それが我々の心なのです。 

インドのタガールという詩人が書いています。 

“私がただひとり神の下にやってきました。 しかし、そこにはもうひとりの私がいました。 この暗闇にいる私は誰なのでしょうか。 その人を避けようとして私は脇道にそれるのですが、彼から逃れることはできません。 彼は大道を練り歩きながら 地面から砂塵を巻き上げ 私が慎(つつ)ましやかに囁(ささや)いたことを大声で復唱します 主よ彼は恥を知りません しかし私自身は恥じ入ります このように卑しく小さな我を伴(ともな)って あなたの扉の前にくることを” 

タガールはこの詩の中で、人間はみなエゴというみっともなく卑しい私と純粋で素晴らしい私が同居していることを詠んでいます。 

  1. 心の管理とは 自我を抑え、真我を前面に押し出すこと

我々は、自分の中に棲(す)む、このエゴという存在をコントロールできないばかりに、せっかくの人生を台無しにしてしまうのです。しかし、そのようなエゴ-低次元の自我を、単純に、雑草を根こそぎにするようにはいかないのです。 

我々は “自我” があるからこそ生きていくことができるのです。純粋で美しい “真我” だけでは人間は生きていけません。生きるために、自分がもっともっと得ようとする貪欲(どんよく)、自分を守ろうとして相手を打ち負かすのも、人間が生き長らえていくために、自然が与えた本能なのです。そのような本能がなければ、生物としての人間は、その生命を維持することはできません。名誉欲(めいよよく)、権勢欲、恨みつらみなど心に棲む低次元の自我が、人の生きるエネルギー、活力となっているのです。 

しかし、生きていく為には、自我が必要なのですが、自我が過剰になってはならないのです。卑しいエゴが我々の心の主人公になってはいけないのです。そうしますと、我々の人生は必ずつまずき、失敗してしまうのです。 

一時的に成功して、時代の寵児となり、“金さえあれば何でもできる” と傲竿不遜(ごうかんふそん)に陥り、いつのまにか表舞台から去っていく人々がおります。それは一時の成功に酔いしれ、謙虚さを忘れ、自分のエゴのままに振る舞うからです。 

人間の心というものは “真我” と “自我”、その二つが同居しています。ともすれば、自我、つまり利己がのさばろうとするのです。放っておけば、真我である利他の心は、隅っこに追いやられてしまうのです。 

キリストには右の頬(ほお)をたたかれれば、左の頬を出しなさいと説きました。仏様は恨みに対して微笑(ほほえ)みで返しなさいと諭(さと)しました。我々はキリストや仏様のようなことはできません。我々は生きていくためには、最低限の “自我”、利己が必要ですから、“自我”が多少は要るとすれば、心の大部分を “真我” が占めるようにしていかなければならないのです。 

自我を抑えていくことが大切です。自分の心の状態に注意を払い、もし自分だけが良ければいいというエゴが頭をもたげたときには、その都度その頭を押さえつけていく。自我の台頭(たいとう)を抑えていくのです。ところが、自分だけが良ければいいと思っている、又は行動している時には、“自分が良ければいい” ということに気がつかないのが人間なのです。それではどうしたらよいかということですが、ひとつは自分を批判してくれる、自分の側にいて、注意をしてくれる人、友人を持つこと、もうひとつは毎晩ベッドに入る前に謙虚に一日の出来事を反省すること、この二つが最も効果的だと思われます。 

そのようにして心の中に占める “真我” の割合を増やしていく。そのプロセスこそが人格を高めていくのです。つまり、日々、自分を戒めることによって “自我” の占める比率を減らし、“真我” の比率を増やしていく。それが “心を高める” ということなのです。 

“真我” が占める割合が大きくなってきますと、利他という美しい思いやりに満ちた心で判断できるようになります。一方、自我の占める割合が大きければ、“自分が自分が” という利己的な心、つまり自分の損得や自分のメンツだけで判断をしてしまうのです。 

人は判断する時、知性だけで判断しているのではありません。確かに知性を使い、判断をしているのですが、その時ベースになるものが心の状態であり、それが利他的であるのか利己的であるのかによって、判断の結果は全く異なってしまうのです。利他の心をベースに判断したときには、物事の確信が見え、間違うことが少ないのですが、利己をベースに考えたときには、判断が曇ったり歪(いびつ)なものになったりして、結果を誤ってしまうことが、往々にしてあります。 

我々は自分の心の中に、自我という悪い私と真我という良い私が同居していることを知り、あくまでも良い私を主人公に押し立て、悪い私を補助的な役割に留め、人生という舞台を演じていかなければなりません。 

無私の人 西郷南洲に学ぶ 

  1. 西郷南洲も真我の大切さを説いていた

西郷南洲は“無私”つまり私を無くすということを説き、自ら実践しました。無私とは“悪い私を抑える”ということです。西郷南洲が残した遺訓の中に“人間としてどうあるべきか”ということが、言葉を尽して書かれています。それは、悪い私をいかに抑えるのか、良い私をいかに育んでいくか、自己を抑えて真我を伸ばすということに尽きます。西郷南洲は実際に自分の心を管理することができたればこそ、明治維新という偉業を成し遂げることができたのです。 

遺訓第二十六条

己れを愛するは善からぬことの第一也。修行の出来ぬのも、事のならぬも、過ちを改むることの出来ぬのも、功に伐(ほこ)驕慢(きょうまん)の生ずるも。皆自ら愛するが為なれば、決して己を愛せぬもの也。 

自分を愛すること、即ち自分さえよければ人はどうでもいいというような心は最もよくないことである。修行が出来ないのも、事業に成功しないのも、過ちを改めることのできないのも、自分の功績を誇り高ぶるのも、皆自分を愛することから生ずるものであり、そういう利己的なことをしてはいけない。 

西郷南洲は“己を愛するは善からぬことの第一也”というように、その生涯を通じて “無私”ということを説き続けました。戒めるべきは自分だけを大切にする自己愛、低次元の “自我”なのですと説いている愛とは、すべてのものに慈(いつく)しみと愛の心を持って接する他者への愛。つまり真我を指示しています。広く優しい、天と同じような心を持って行きなさい、そうすれば必ず、それはあなたにも返ってくると西郷は説くのです。 

事業に成功しないのも、自己愛、利己を前面に立てて商いをする為である。江戸時代の商道徳を説いた石田梅岩が“商いは先も立ち、我も立つものなり”といっています。相手も儲かるようにするのが商売の鉄則であり、極意なのです。 

  1. 心を高め続けるため、心の管理を絶えず続けなければならない

遺訓第二十二条

己に克(か)つには、重々物々、時に臨(のぞ)みて克つ様にては克ち得られぬなり。兼(か)ねて気象(きしょう)を以って克ち居れよ也 

己にうち克つには、兼ねて精神を奮(ふる)い起こして自分に克つ修行をしていなくてはならない。 全ての事をその時その場あたりに克とうとするからなかなかうまくいかぬのである。

人は己に克つことが大切だなどと諭されると “よしわかった。今後はそう心がけるようにしよう” しかしいざその時になっても急にできるものではありません。“己に克つには兼ねて気象をもって克ちあれ” というのです。気象とは、日頃からの鍛錬により、性格になってしまうほどでなければならないということです。自分を抑えるということは頭でわかっているだけでなく、常日頃から、己の欲望や邪念を抑える訓練をして、性分にまでなっていなければ、いざその時になっても己に克つことはできないのです。 

自分の性格、いわば自らの血肉となっていなければ、気象にまでなっていなければ、いざという時に自分を抑えようと思っても、抑えられるものではありません。つまり日頃から謙虚に反省することを通じて、欲望を抑え、心を高める努力を絶えず積んでいかなければならないのです。 

経営はトップの器で決まります。“蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘る” といいます。経営者の人間性、人としての器の大きさにしか企業は大きくならないのです。 

企業を大きくしたいならば、知識や技術のみならず、経営者としての器、自分の人間性、哲学、考え方、人格というものを絶えず向上させていくよう努力をしていくことが求められています。 

経営者の人格と企業の業績がパラレルになるということを “心を高める、経営を伸ばす” と稲盛塾長は表現しています。経営を伸ばしたいと思うならば、まず経営者である自分自身の心を高めることが先決であり、そうすれば業績は必ずついてくるのです。 

心を高めることを怠った経営者は、いったん大成功を収めたとしても没落を遂げていくのです。当初は立派そうに見えた人でも、三十年もたてば衰退の道をたどり始める。当初仕事に打ち込み、一時的に人格を高めることが出来たとしても、事業成功の後、いつの間にか謙虚さを忘れ、努力を怠るようになり、その人格を高く維持していくことができなくなったからです。 

特に多くの従業員を雇用し、その人生を預かっている経営者は、大きい責任を負っています。生涯(しょうがい)をかけ、弛(たゆ)まぬ研鑽(けんさん)の日々を送り、人格を高め続けることが経営者として身を立てた者の努めなのです。 

“心を高める” とはどうするのでしょうか。

稲盛塾長は六つの精神を述べています。

  1. 誰にも負けない努力をする
  2. 謙虚にして奢(おご)らず
  3. 反省ある毎日を送る
  4. 生きていることに感謝する
  5. 善行・利他行を積む
  6. 感性的な悩みをしない 

こうした教えを学び、実践することに関して、哲学者、安岡正篤(まさひろ)さんの述べられた、知識、見識(けんしき)、胆識(たんしき)という “心を高める” 為の指針と実践についての考えがあります。人間は生きていくのに色々な知識を身につける必要があります。しかし知識を持つだけでは実際にはほとんど役に立ちません。知識をこうしなければならないという信念にまで高めることで、見識にしていかなければなりません。 

しかし見識だけでは不十分です。見識を何が何でも絶対に実行するという強い決意に裏打ちされた、何ごとにも動じない胆識にまで高めることが必要なのだと、安岡さんは述べています。万難を排し、何としてもやり抜くという勇気が必要です。多くの人が、こうした方が良いと思っても実行できないのは、勇気がないからです。勇気がないのは自分の利害で考え、自分を大事にしようとするからです。 

人から謗(そし)られはしないか、人から嫌われはしないか、自分を守ろうとするから実行できないのです。“馬鹿にされようが、軽蔑されようが、何とも思わない” となれば、どんな困難なことでも実行できるのです。 

知っているだけでは何にもなりません。それが見識となり、更に勇気を身につけ、胆識となってはじめて実行できるようになるのです。 

  1. 試練も心の管理を行うチャンス

遺訓第五条

幾たびか辛酸(しんさん)を歴(へ)て、志(こころざし)始めて堅し、大夫玉砕(たいふぎょくさい)して甎全(せんぜん)を恥(は)ず。一家の遺事(いじ)人知るや否や、児孫(じそん)の為に美田(びでん)を買わず。 

人の志というものは、幾度も幾度も辛(つら)いことや苦しい目に遭(あ)って後、初めて固く定まるものである。真の男子たる者は玉となって砕けることを本懐とし、志をまげて瓦となっていたずらに生き長らえることを恥とする。それについて我が家に残しておくべき訓としていることがあるが、世間の人は知っているであろうか。それは子孫(しそん)のために良い田を買わない。すなわち財産を残さないということだ。もしこの言葉に違うようなことがあったら、西郷は言うことと実行することが反していると言って見限りたまえと言われた。 

辛酸を舐めるような困難に耐え、努力を重ねて試練を乗り越えたとき、初めて人の志は定まるとは西郷自身の壮絶な実体験がいわしめた珠玉(しゅぎょく)の言葉です。 

西郷は明治維新に向けての政治活動の中で、京都の清水寺の僧だった月照と友人になりました。江戸幕府は尊王攘夷(そんのうじょうい)派への弾圧を強め、月照を捕えようとしていました。月照を助ける為に薩摩藩(さつまはん)に連れ帰り、島津久光の保護を得ようとしました。しかし久光は江戸幕府との摩擦を恐れ、月照を国外追放にしました。困り果てた西郷は、月照と共に身を錦江湾に投じました。しかし日照は死にましたが、西郷は助けられ、生き延びました。生き延びた西郷は、志を同じくするものを死なせ、自分ひとりが生き残ったことを後悔します。武士として死よりも辛く耐え難い恥辱(ちじょく)でした。西郷は辱(はずかし)めを忍び生きる決意をしました。 

西郷は久光公の怒りに触れ、沖永良島(おきながらべじま)へ島流しとなり過酷な虜囚(りょうしゅう)生活を送りました。四方に格子が入っただけの狭く粗末な牢に収容され、過酷な環境で、西郷は一日二回のおかゆだけしか与えられませんでした。 

島の役人の好意で座敷牢に移されてから、中国の古典を牢に持ち込み、来る日も来る日も書物を読み、瞑想(めいそう)に耽(ふけ)ったそうです。西郷は何事にも揺らぐことのない堅い信念を持つ人間に成長していきました。 

逆境とは自分自身を見つめ直し、成長させてくれるまたとないチャンスなのです。逆境や試練を否定的にとらえて悲嘆(ひたん)に暮れるのではなく、志を堅固にしてくれる格好(かっこう)の機会ととらえて敢然(かんぜん)と立ち向かうのです。試練を通してこそ志は成就(じょうじゅ)するのです。 

西郷は児孫の為に美田を買わず、子供達や孫達にも財産は残さないと言っています。これは無私の心です。肉親の情を超えた非情なまでの無私の心だったのです。 

我々は西郷のように辛酸を舐めることはできません。しかし自分はこういう生き方をしたいと、繰り返し、自分に言い聞かせ、魂にその思いを染み込ませることはできます。 

遺訓第二十五条

人を相手にせず天を相手にせよ。天を相手にして己を尽し人を咎(とが)めず、我が誠の足らざるを尋(たず)ぬべし。 

人を相手にせず、天を相手にせよ。人を相手にせず、自分の心の中にある誠を尽し、決して人の非をとがめるようなことをせず、自分の心の中にある真っ直ぐな心、すなわち正道をもって対すべきという意味です。 

バブル経済の最盛期には、不動産業者をはじめ銀行が不動産を買いなさいといろいろな会社にすすめました。日本中がバブルで、土地を買えば値上りする、株を買えば値上りする、銀行も土地や株やホテルを買う為に100パーセント融資し、できるだけ貸付金を増やし、金利でたくさん儲けようとしました。 

バブル崩壊で、不動産価格や株価がものの見事に暴落し、多くの人が損失をこうむりました。それはみんな人を相手にする、つまり道理に合っているかを判断の基準にしなかったからなのです。額に汗もせず、苦労もせず、右から左へとまわしていくだけでボロ儲けができるとしたら、そんなことをして正しいのかと、道理に照らして考えてみる。こうした道理に照らして考えるという人は少なかったと思われます。 

不動産、株式価格が暴落し、たいへんな損をしたときも、不動産や株を自分に勧めた相手が悪いのだと、人を咎めたのです。西郷が “天を相手にして己を尽し、人を咎めず。我が誠の足らざるを尋ぬべし” 自分の誠が足りなかったからこういう失敗をしたのだと考え、それを機会に心を高めようとするべきであって、人のせいにするなど、もってのほかなのです。 

  1. いま求められるリーダーは真我で動く 始末に負えぬ

遺訓第三十条

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。この始末に困る人ならでは艱難(かんなん)を共にして国家の大事は成し得られぬなり。 

命もいらぬ、名もいらぬ、官位もいらぬ、お金もいらぬというような人は処理に困るものである。このような手に負えない大人物でなければ困難を一緒に分かち合い、国家の大きな仕事を大成することはできない。 

西郷はまさに命もいらず、名もいらず、官位もお金もいらぬ人でした。官位もお金もいらない無私の人、つまり自己愛を離れた人でした。 

その人に欲があれば、お金をあげよう、地位をあげよう、名誉をあげようといえば、簡単に動かせます。しかし損得で動かない人間はいかにも扱いにくく、始末に困るものです。欲で動かない人は、何で動くかといえば、世のため、人のためという利他の心、つまり真我(愛と誠と調和)によって動くのです。 

会社の経営にあたっても、西郷のようなことはできないとは思いますが、その何分の一かでも実行に努めることができます。我々の人生も経営も必ずうまくいくと思います。実際に心を合わせ、信頼することのできる幹部、部下を育てていこうとするとき、少なくとも欲だけでは動かない、損得だけでは動かない人でなければ、幹部に登用してはなりません。 

我々経営に携わる人間は、一輪の小さな花であっても、美しく咲かせるべく、自分の心という庭を耕し続けなければならないと思います。 

経営者は率先垂範(そっせんすいはん)して、心を高め続けることが、我々ひとりひとりの人生を豊かにし、経営を伸ばし、従業員のしあわせをもたらせることとなると思います。

盛和塾 読後感想文 第八十号

物事の本質を究める 

私達は一つのことを究めることにより、そのものの心理やものごとの本質を体得することができます。究めることは、一つのことに精根込めて打ち込み、その核心をつかむことです。こうした体験をしますと、そのほかのあらゆることに通じると言われています。 

一見つまらないと思うようなことであっても、与えられた仕事を天職と考え、その仕事に全身全霊を傾けるのです。そうしますと、必ず心理が見えてくるそうです。 

一旦、ものごとの真理が分かるようになると、何に対しても、どのような境遇におかれようと、自分の力を自由自在に発揮できるようになるのだそうです。ことの本質を見抜く方法がわかっておりますから、あらゆる面で真理を手にすることが出来るようです。 

稲盛和夫の実学をひもとく原理原則に則り、物事の本質を追求する 

家族も会社も国も、会計を知らなくてはならない。

私達の生活には、お金が必要です。お金は命綱です。入ってくるお金と出て行くお金のバランスがどういう状況にあるか、よく理解している必要があります。家庭でも、会社でも、国でも地方自治体でも、お金のバランスが取れていなければなりません。 

日本の多くの経営者は、1980年代後半から始まるバブル経済の中で、過剰・投資を繰り返しました。1990年に入り、そのバブル経済は崩壊し、デフレ経済の始まりとなりました。こうした中で、経営のあり方を見直し、抜本的な対策をとろうとしたのは少数であり、多くは不良債権を隠し、業績の悪化を繕うことに努めて来ました。もし、中小企業から大企業に至るまで、経営に携わる者が、常に公明正大な、透明な経営をしようと努めていたなら、企業経営の原点である “会計の原則” を正しく理解していたなら、バブル経済もその後の不況も、これほどまでにはなりませんでした。 

戦後から1980年代初頭までの右肩上がりの経済であれば、企業経営は前例に従うだけでよかったでしょう。しかし、日本を取り巻く環境は大きく変わり、成長神話は崩れ去り、グローバル経済の中に組み込まれています。経営者は今まで経験したことのない経済環境に対して、自社の経営実体を正確に把握したうえで、正しい経営判断をしていくことをしなければなりません。その為には、会計原則、会計処理にも精通していることが前提となります。 

従来、ほとんどの日本の経営者は、会計とはお金や物の動きを集計する、後追いの仕事と考えてきました。中小、零細企業の経営者の中には、税理士や会計士に毎日の伝票を渡せば、必要な決算書は作ってもらえるのだから、会計は知らなくてもいいと思っている人もいます。経営者は “いくら利益がでたか” “税金はいくら払うのか” には関心があるだけで、会計の処理方法は専門家がわかっていればよいと思っている人が多いと思います。さらに、会計の数字は自分の都合のいいように操作できる、と考えている経営者もいると思います。 

真剣に経営に取り組もうとするなら、経営に関する数字は、すべていかなる操作も加えられない、経営の実態をあらわす唯一の真実を示すものでなければなりません。損益計算書や貸借対照表のすべての科目とその細目の数字は誰が見ても、ひとつの間違いもない完璧なもの、会社の実態を100パーセント正しく表すものでなければなりません。 

日本の大企業の経営者の中でも、その多くは会計をわかっていないまま、経営をしておられます。経営者の多くは、一流大学を卒業して、営業部門、製造部門など現場で研鑽を積んでトップに上り詰めたという方々が大半です。会計をわかっておられる方が少ないと思います。そうではなく、トップ自身が会計をわかっていなければなりません。 

貸借対照表で、健康状態を把握しなくてはならない

京セラ創業時には、塾長は経営の経験がなかった為、営業であれ、製造であれ、会計であれ、直面した一つ一つの問題について、“こうでなければならない” と心から納得できるやり方-原理原則、世間でいう筋の通る、人間として正しいことに基づいて経営していこうと決めました。 

経営の常識とされるものを知らず、一から理解し、納得してから判断しようと考え、経営とはいかにあるべきかという経営の本質を常に考えるようになりました。会計についても、自分の予想したものと実際の決算の数字が食い違う場合、すぐに経理の担当者に詳しく説明してもらうようにしたそうです。 

経理部長に対しても、疑問に思ったことはどんな小さなことでも遠慮なく質問し“経営の立場からはこうなるはずだが、なぜ会計ではそうならないか”と根掘り葉掘り “なぜ” を繰り返したそうです。経理部長は素人の無理難題と受け止めていました。

 経理部長とのこうしたやり取りが数年続きました。恐らく、経理部長は “うるさい” 社長と思い、人間関係もギクシャクしていたと思います。ところが、塾長の “なぜ” という質問に答えようと努力をしていく経理部長は “会計とは何か” が理解でき、彼の態度が一変したのです。経営はいかにあるべきかという立場(管理会計)からの社長の発言を深く受け止めだしたのでした。このことは、一つずつ、具体的に徹底的に物事の本質を引き続き追及していくことの大切さを物語っていると思います。 

貸借対照表とは、いわば身長がいくらで、体重がいくらで、その体を維持するのに、どういう栄養分をどこから持ってきたかを示すものです。 

A社の貸借対照表 2018年12月31日 

A社の2018年12月31日現在の貸借対照表は以下の通りです。

身長や体重は資産の部、それを支える栄養分は負債及び資本の部です。

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企業に限らず、大学、国、家庭、すべての団体の状態を貸借対照表で表すことができるのです。例えば、家を購入する時、住宅ローンを申請します。その時、銀行は個人の資産・負債の明細提出を要求してきます。住宅購入者がローンを支払っていけるかどうか判断します。いわば、家庭の貸借対照表を銀行は要求しているのです。 

A社の場合、2018年12月31日現在で、流動資産・現金・預金等は四億四千三百万円、固定資産は六億五千二百万円あります。資産の部合計十億九千五百万円は負債及び資本の部合計十億九千五百万円で支えられているわけです。 

原理原則に則り、物事の本質を追求せよ

物事の判断にあたっては、常に本質にさかのぼること、そして人間としての基本的なモラル、良心に基づいて何が正しいのかを基準として判断することがもっとも重要です。 

そのモラルとは、素朴な倫理観に基づいたものです。公平、公正、正義、努力、勇気、博愛、謙虚、誠実というような言葉で表現できるものです。 

何事においても物事の本質にまでさかのぼろうとせず、ただ常識とされていることにそのまま従えば、自分の責任で考えて判断する必要はなくなってしまいます。とりあえず人と同じことをする方が何かと差しさわりもないであろう、このような考え方は原理原則にさかのぼって考える経営にはなりません。どんな些細なことでも、原理原則にさかのぼって徹底して考えることが重要であり、正しい判断の基準を毎日の経営判断に適用していく必要があるのです。そうすることにより、筋の通った経営が可能となります。 

経営における重要な分野である会計の領域でも全く同じです。会計上常識とされている考え方や慣行に単純に従うのではなく、改めて何が本質なのかを問い、会計の原理原則に立ち戻って判断することが要求されるのです。経営の立場から “その会計処理が正しいのか” 意識して問いかける習慣を身につけることが肝要です。 

会計・経理を、企業経営の中枢において経営者は経営する。ただし、会計経理を軸に据えたとしても、“従来、会計はこうするものだ” という常識を鵜呑みにしてはなりません。何が正しいのかという原理原則に基づいて会計というものを理解していくことが大切です。 

  1. 原理原則に反した不良債権処理における政府の対応

日本ではバブル経済時に銀行はいろいろな企業に預金を貸し付けてきました。多くの企業はその資金で土地を買い、ビルや工場を次々と作っていきました。バブル崩壊後、地価は三分の一、工場は余剰設備を備え、借りた資金を返済することが出来なくなりました。銀行が資金の回収をすることが出来なくなり、不良債権が日本全土に広がりました。企業も銀行もたいへんな不良債権を抱えてしまったのです。 

危険な債権を持っている銀行が “うちは健全です” というのはおかしいわけです。相当の額が返ってこない可能性があるわけですから、貸倒引当金の計上をすべきです。貸倒引当金は損失として損益計算書に計上しなければなりません。 

しかし国税庁は、貸付先の企業は潰れていないので、貸倒引当金を損金として認めないのです。そして引当金の損金算入否認の結果、銀行はその半分を税金として納付させられます。ただし、この納付した税金は貸付先が実際に潰れた時に実質的に返ってきます。この部分は繰越税金として資産部に計上されます。この部分は資本の部に自己資本の増加となります。 

会計の仕訳は以下のようになります。

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繰越税金資産は会計上は費用処理されず、将来発生するであろう貸倒損失に対する税金の過払い/前払い・税金として取り扱われます。そうしますとこの部分だけ自己資本が¥300増えていることになります。 

銀行にとって自己資本比率は重要です。自己資本比率が8%を切ると国際業務ができなくなるのです。銀行の場合、この繰越税金資産の金額が大きく、自己資本の三分の一にまで達しているのです。 

金融庁は貸倒引当金を計上しなさいと言う。税務当局は、貸倒引当金の損金は認めません。税金を払いなさいと言う。財務省は、繰越税金資産の計上には上限を設けますよと言う。銀行は大変、困惑しました。国の方針が各部署で分離されて、総合的な合理性が欠けたまま国の運営がなされているのです。 

お上が決めたからと言って、鵜呑みにするのではなく、何が正しいかという本質に照らして納得のいくように理解していくことです。 

  1. 減価償却と原理原則による判断

機械設備を購入しますと、購入代金を支払った時に全額経費に落としません。機械設備は通常2-3年、続けて使用することがあるからです。そうしますと、機械設備代金を例えば3年使用するとして、毎年三分の一ずつ経費に計上します。これが減価償却です。 

減価償却費を毎年計上し、減価償却引当金として貸借対照表に計上されていきます。3年後には購入価額と同額の減価償却引当金が蓄積されていきます。毎年の減価償却費は毎年の使用料なのです。また、新しく買い替える準備金の積み立てと考えても良いと思います。 

通常、耐用年数は “法定耐用年数” に従って決められ、会計処理されています。大蔵省の決めた省令に当てはめて償却するのです。“陶磁器、粘土製品、耐火物などの製造設備” は耐用年数は12年と定められています。しかし、その製造設備は使用される仕事によって実際の耐用年数は異なるのです。セラミック粉末の成型品の場合は5~6年しか使えないのです。法定耐用年数を無理矢理当てはめるという決め方には、経営者としては納得できないことでしょう。法定耐用年数は “一律公平” に提供する為のものなのですが、個々の企業の相違を認めない償却なのです。 

経理部は “税務上の耐用年数が法令で決められているのに、みんなが従っているのに、わざわざ自社の耐用年数を使うのは得策ではない。実務的にも税務上、会計上二本立の償却になり、煩雑になる” というのです。税金を払ってでも償却する “有税償却” はすべきではないというのが通常の会計です。 

しかし、経営や会計の原理原則に従えば、有税であっても、経済に沿った耐用年数で償却し、適正な費用計上をすべきなのです。耐用年数が5~6年なのに、法定耐用年数12年で償却すれば、最初の6年間は減価償却費が過少計上され、利益が過大に計上されます。七年目にその機械設備を除却しますと、一拠に多額の除却損が発生します。こうした処理は経営や会計の原理原則に反するのです。 

設備の物理的、経済的寿命から判断して “自主耐用年数” を定めるようにすべきなのです。 

  1. 減価償却は原理原則に則って行え

先述のように、法定耐用年数は、企業が勝手に耐用年数を決めると不公平になってしまうので、財務省が定めたものです。 

しかし、法定耐用年数が15年と定められた機械が特殊な使い方をしたために3年しかもたなかったというケースがありました。税務署は3年償却は認めてくれません。そうしますと会社は向こう3年間、50万円毎年償却します。さらに有税償却の為 (自主耐用年数償却50万円-法定耐用年数償却10万円) x50% = 20万円の税金を支払うこととなります。 

有税償却をする為には、そうすることが出来るぐらいの収益力がなければなりません。 

  1. 物事の本質を追求する-本質追求の原則

経営をする上では、原理原則に則って、ものの本質を求めなければなりません。物事を鵜呑みにしないで、“なぜだ。なぜだ” と考え、本質まで立ち返っていかなければなりません。 

“会計的にはこう処理するのです” と経理部長に言われても、“何でそうなっているのだ” と考え、納得できるまでと本質を追求します。 

経営者の多くは営業や製造畑出身の方が多い様です。ほとんどの経営者は経理を軽視しているようです。しかし、会計、経理の分野は軽視するわけにはいきません。それどころか徹底して知らなければなりません。

“稲盛和夫の実学”  は京セラでの経験をもとにして書かれた、本質追求の原則の具体的・解かり易い会計実学です。 

  1. 原理原則から考えて、おかしかった歩積み

常識に支配されない判断基準を持つことが非常に重要なのです。以前に“歩積み両建て預金”というものが、銀行から要求されていました。中小企業の場合、お客様に納品しますと、お客様から90日約束手形を頂きます。これは、90日後に支払いますという約束なのです。中小企業の場合は預金に余裕がありませんから、銀行にその約束手形を持ち込み、お金を借りるのです。 

銀行は、例えば、100万円の約束手形を割り引いて3万円利息を差し引き、97万円を会社に渡します。しかし銀行は同時に約束手形の安全性確保のため、10万円預金するよう要求します(歩積み・両建て預金)。従って会社が使えるお金は87万円だけなのです。 

割り引いたら歩積みがいりますと経理部は言います。100万円の預金が銀行に担保として保証されているにも関わらず、銀行とお付き合いする為には歩積みがいると言って聞かないのです。稲盛塾長も “まあそれは仕様がないな” と認めていました。おかしいことはおかしいと原理原則、本質に立ち返って、経理部に話したのでした。 

しかししばらくして、当時の大蔵省から省令が出て “歩積みという横暴なことを銀行が中小企業に要求しているのはけしからん。今後はやめなさい” と各銀行に通達されました。 

  1. 売上に対する販売費・一般管理費の割合にも常識という迷信がある

ある業界では、販売費・一般管理費は売上高の15%かかるというのが常識になっています。売上高利益率は5~6%である。という常識があったとします。そうしますと、業界の会社の決算書は横並びになります。 

常識といわれるものが悪いのではなく、本来限定的にしか当てはまらないものを、あたかも、つねに当てはまると勘違いしているのです。常識を鵜呑みにしてしまうからなのです。常識に捕らわれず、本質を見極め、正しい判断を積み重ねていくことが、激動する経営環境に必要なのです。 

A社の損益計算2018と2017を比較して見ます。

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売上高は2018年は4億8千200万円、2017年は4億9千900万円、ほぼ横ばいでした。
売上原価も横ばいでした。売上原価率もほとんど変動はありませんでした。販売費・一般管理費は2018年、6千6百万円(13.7%)、2017年は7千5百万円(15%)と大巾に金額も、売上高、販売費・一般管理費率も下がっています。1.3%下がりました。
営利利益は2018年4千2百万円(8.8%)、2017年3千8百万円(7.7%)、大巾に増加しています。1.1%上がっています。

製造業の場合、売上総利益率、販売費・一般管理費は売上に対して30%、15%くらいだとみな思っています。販売費・一般管理費については工夫によって上記の様に変えることができるのです。

大企業の場合は、売上高経常利益が2~3%ぐらいの頃がありました。毎年給与が上がっていきますから、当然販売費・一般管理費も上昇して、売上経常利益率2~3%はないが2%は確保しているのです。3%利益が出るのが当たり前と大企業の経営者は考えているのです。3%の利益が出なくては世間体が悪いから、コストダウンの努力をしておられるのでした。

常識で利益が3%くらい出るものだと信じ込んでおられるおかげで、“赤字になると恥ずかしい。だから3%まであと一歩の2%の利益” が出るのです。例えば、販売費・一般管理費が9%増えたとしても、合理化で8%コストダウンすることができた為、利益率2%を確保できたのです。賃上げが今年は3%あったとしますと、よし来年は6%賃上げがあると考えて合理化に努力すれば、6%の利益率も夢ではないのです。

この例のように、現状維持志向、考える努力を怠る、常識というものが、人間のメンタリティーを縛るのです。

盛和塾 読後感想文 第七十九号

謙虚な姿勢を保つ 

リーダーは、常に謙虚でなければなりません。権力のある座につくと、人間は堕落し、傲慢不遜(ごうまんふそん)になってきます。このようなリーダーの下では、たとえ一時的に成功しても、周囲からの協力が得られなくなり、集団が永続的に成長・発展していくことはないのです。 

日本古来の思想、相手が存在し、自己が存在する、あるいは全体の一部として自分を認識するという考えがあります。このように相対的な立場で、ものごとを捉えることによってのみ、集団の融和と平和を保ち、協調を図ることができるのです。 

リーダーは、部下があってはじめて自分が存在します。自分は部下が支えてくれているから、リーダーとして役割を果たすことができるという謙虚な姿勢を持たなければなりません。 

謙虚な精神を持つリーダーであってこそ、融和と協調の下に、成長・発展を続ける集団を築くことが可能となります。 

稲盛和夫の実学をひもとく 一対一対応を貫く 

一対一対応の原則の理解

一対一対応の原則は、会計処理として厳しく守らなければならないだけではありません。企業のその中で働く人の行動を律し、内から見ても外から見ても不正・誤びゅうのない、透明なガラス張り経営を実現するために重要な役割を担うものです。

・会計処理

・不正・誤びゅう防止

・ガラス張り経営 

  1. モノ・お金の動きと伝票の対応

経営活動においては、必ずモノとお金の動きがあります。その時、モノと伝票が必ず一対一対応を保たなければなりません。モノ又はお金の動きにはその動いた瞬間に、取引きを追跡できる証拠書類 (Traceability)が作成され、正式な承認がなされていなければなりません(迅速主義とAccountability – audit trail)が必ず守られなければなりません。これを一対一対応の原則と呼びます。 

この当たり前のことが守られないのです。その理由は、経営者、トップが会社の定めた会計・経理規定を無視し、伝票作成をしない、又、経理も含め正式に伝票を発行する営業担当者が忙しくて時間がない等が問題です。悪意で伝票操作することもあります。売上が今日は一千万円足りないので、お客様の同意を得て、売上伝票一千万円を発行し、架空の売上計上をします。製品はお客様には出荷されません。翌月、返品処理-お客様に返品伝票を発行してもらい、売上の取り消しをします。 

このようなことが日常的に行われますと、経理の数字はいくらでも変えられるものだと、社長も従業員も考えてしまいます。 

例えばレストランのケースがあります。

ウエイターがお客様から注文を取ります。その注文をキッチンに渡します。キッチンが作ったラーメンをウエイターはお客様のテーブルに配膳します。お客様が食べ終わりますと、ウエイターは請求書をお客様に渡します。お客様は請求書を持ってレジに行き、支払いを済ませます。 

注文を取った時、ウエイターは2枚の受注伝票が必要です。一つはキッチンに渡します。もう一つはウエイターの控えです。キッチンではラーメンを作った時、キッチンの注文書にコックのイニシャルを付けます。ウエイターは控えの注文書にチェックマークを入れて配膳します。お客様がお食事を済まされた時、ウエイターはレジに行き、請求書をもらって、お客様に請求書を手配します。 

キッチンのコックは、作ったラーメンと注文書を確認することができます。ウエイターは控えの注文書と配膳したラーメンとを照合します。お客様はレジに行き、ウエイターからもらった請求書に基づいて、クレジットカードで支払います。レジはクレジットカードの領収書とウエイターへ渡した請求書を照合します。このように、モノの動き、お金の動きには必ず伝票(会計記録)がついて回るのです。 

1日の終わりにラーメン200杯売れました。レジはキッチンのコックからの報告と入金が合っているかチェックすることができます。こうすれば、ウエイターが自分の友人から食事代を受け取らない、タダでラーメンを食べさせてしまうことはできません。キッチンはラーメンを200杯作りました、ウエイターもラーメン200杯配膳しました。レジも200杯お金を受け取ったことを、毎日チェックが出来るのです。 

モノもお金も伝票と一対一対応で処理することで、会社を正しく管理できる

一般的にお客様に納品する時は次のようなステップが取られます。

お客様から受注する。受注伝票が発行され、お客様に確認する。受注が販売部に記録される。お客様への発送をする時は、出荷指図書を発行し、倉庫が荷造りの為の出荷指図書に基づき、倉庫は製品を出荷する。営業部は出荷指図書と納品書を発行します。営業部は売上伝票と請求書をお客様に送付し、経理部は入金を確認します。 

お客様に納品する時は、納品伝票と売上伝票を発行し、納品伝票を品物に必ずつけます。請求書も付けます。納品の仕方にはいろいろありますが、どのような時でも必ず納品伝票が荷物についています。納品した時には必ず、納品伝票の写し、受領書にお客様からサインを頂きます。これが一対一対応なのです。 

ところが、このように品物と納品伝票(受領書)が一緒に動かないことがあるのです。お客様に催促され、時間がないために伝票を発行する前に、営業部はお客様に届けるようなことがあります。お客様から受領書は受け取っていないのです。“伝票は後ほど届けます” と品物だけ先に持っていってしまうのです。こういうことがいくつか重なりますと、お客様の方でも仕入計上はしていません。こちら側も売上処理が遅れてしまいます。その為に、会社の売上記録が正確でなくなります。例えば、納品伝票に受領印がないまま、売上伝票が発行されますと、売掛金が計上されます。お客様の方では、納品伝票の仕入計上はしていません。売掛金の回収が遅れていますので、経理部、又は売掛金担当がお客様に売掛金支払いの催促をします。そうしますと、お客様は “うちの方では仕入計上がありません。お支払いできません” と回答してきます。渡した証拠がない為、あきらめざるを得ないのです。 

出張の仮払いについても一対一対応の原則違反がよくあります。営業部長が出張するので100,000円仮払いしてくれるよう経理部に依頼して来ます。通所は仮払い申請書を提出し、上司の承認を得るのですが、時間がないため、仮払申請書なしで100,000円現金を渡してしまいます。営業部長は出張から帰り次第、出張精算すると言って来たのです。 

こういうことが大きい企業で行われますと、経理部では処理が大変です。中には出張申請書提出や、清算することを忘れてしまう人もあります。経理部では多くの出金の為、現金出納簿につけていないことも発生します。会計監査をする時のポイントの一つに、現金出納簿が正確かどうかということがあります。入出金の際に必ず一対一対応で伝票を起こし、伝票でその日一日の入金と出金をきちんと管理していきますと、金庫残高が金銭出納簿の残高ときちんと合います。 

一対一対応の原則を徹底させれば、粉飾決算はありえない

“一対一対応の原則” とは先述のような、現金出納帳の残高が現金残高に合わない、あるいは品物の納入の際、納入受領伝票が発行されていない、品物の動きがないのに売上伝票が発行される、というような事態を防ぎ、発生したすべての事実を即時に認識し、ガラス張りの管理のもとに置くということを意味します。社内に一対一対応を徹底させると、誰も故意に数字を作ることができなくなります。伝票だけが勝手に動いたり、モノだけが動いたりすることはありえなくなります。モノが動けば必ず起票され、チェックされた伝票が動く。こうして数字は事実のみを表すようになります。 

一対一対応の原則の要諦は、原則に徹することです。事実を曖昧にしたり、隠すことができないガラス張りのシステムを構築し、トップ以下の誰もが “一対一対応の原則” を守ることが、不正を防ぎ、社内のモラルを高め、社員一人一人の会社に対する信頼を強くします。 

“一対一対応の原則” が守られていれば、モノやお金が動かなければ伝票が動かないわけですから、伝票を動かして会社の業績を変えること、粉飾ができません。“一対一対応の原則” は、透明性のある経営、ガラス張りの経営を行うためのベースとなるのです。 

大きな組織の場合には、社長が実態を全くわかっていないことが多いようです。経理部が作成した決算書を見ただけで、経営の実態が把握できたつもりでいます。会社の実体は末端がきちんと情報を上げなければわからないものです。会社が大きくなっていけばいくほど、経営トップが裸の王様になってしまって、何も知らないうちに、下が好き勝手なことをしているということにもなりかねません。 

一対一対応が正しく行われていないと実績の数字は歪む

京セラ創業から三年目の1962年、京セラはカリフォルニア州サニーベイルというところに営業所を作り、現地の仕事が始まりました。会計の全く経験のない2人の従業員がアメリカでのビジネスを開始しました。フェアチャイルド社からの注文が増加していました。半導体産業の勃興期でした。フェアチャイルド社からは京セラに注文が徐々に増えていきました。フェアチャイルド社からせかされて日本から製品を航空便で送り、サンフランシスコ空港に着くと、すぐに仲業者が荷揚げをし、サニーベイルの事務所に届ける。製品は直ちにフェアチャイルド社に届けます。 

フェアチャイルド社へは製品納入時に売上伝票、納品伝票(受領書)を発行します。しかし、仕入伝票はまだ立てていません。仕入には信用状(Letter of Credit)を銀行から発行してもらっていました。信用状は銀行が、輸出先の支払いを保証してくれるものです。信用状や輸入関係の書類が届くには、品物が輸入されてから一週間かかります。これらの船積み書類が届いた時に仕入伝票を発行していました。 

例えば3月28日に百万ドルの製品をフェアチャイルド社に売りました。3月28日付で売上伝票、納品伝票が発行され、3月に売上が計上されます。仕入関係書類は4月5日に到着しました。90万ドルの仕入伝票が発行され、4月に仕入計上されます。売上は3月、仕入は4月に計上されます。このままですと、3月には百万ドルの利益が計上されますが、4月には90万ドルの赤字となってしまいます。 

受注に大きな変動がないにも関わらず、月によって売上や利益が大きく変動するのは、管理がうまくいっていない証拠です。一対一対応が現実にできていないことによって売上と利益が月次で大巾に変動しているということがわかったのです。従って、製品が届いた時には仕入伝票が、製品がお客様に納入された時には売上伝票が発行されなければならないのです。 

京セラの管理体制と公認会計士

京セラが株式を上場する時に、銀行から公認会計士を紹介して頂きました。公認会計士は、経営者の人物を見てから監査を引き受けるかどうかを判断しますと言われ、おどろきました。“正しいことを正しくやれる経営者でなければ、私は監査の依頼をお受けしません” と言うのです。京セラも、そういう会社ですから、とお願いすることになりました。宮村久治公認会計士です。 

宮村さんは早速サニーベイルに来られ、監査されました。ところが調べてみると、すべての伝票が一対一対応で処理されている。現預金の管理をする小さな金庫を開けて現金と帳簿を照合しますと、一セントたりとも違っていない。宮村さんはびっくりされたのです。 

京セラの米国現地法人においても、一対一対応の原則を厳守してきた為、経理的な問題を起こすことはなかったのです。 

大企業相手でも頑なに拒んだ 一対一対応に反する支払処理

お客様の中には資金繰りの都合で、京セラへの支払いが約束通りに支払われないことがありました。大企業の各部門と取引をしていますと、お客様の経理部はいくつかの事業部の買掛金の支払いをまとめて本社経理部が集中管理していました。“今月は資金繰りがつかないので、とりあえず二千万円支払います。あと残りの三千万円は翌月に支払います” ということがあり、営業部は二千万円の小切手をもらって帰りました。その時、この二千万円の支払いは “どの売上伝票のものですか。この二千万円の内訳をどの請求書のものかお知らせしていただけないと、入金処理はできないのです” と頑固に入金処理に一対一対応の原則を適用したのです。 

売掛金には請求書をお客様別、年齢別(請求書日付別)に管理する売掛金年令調査表がコンピューターにあります。入金がありますと、この入金はどの請求書に当てはまるものか、一つ一つ消込みをしなければなりません。 

この事例を見ますと、この大企業の経理部は一対一対応の原則をしておらず、会計管理に問題があるということが判明したのです。 

京セラは “一対一対応の原則” を貫かなければいけないという自らの主張を曲げませんでした。必ず一対一対応の原則を守らなければ、信頼に値する会計資料は作れないのです。“一対一対応の事例” は、どのような会社、どのような組織でも適用する会計の基本中の基本です。これがなくては会計はおろか企業経営がおかしなものとなるのです。

盛和塾 読後感想文 第七十八号

稲盛和夫の実学をひもとく 

キャッシュベースで経営する 

  1. キャッシュベースが会計の基本

キャッシュベースの経営というのは “お金の動き” に焦点を当てて、物事の本質に基づいたシンプルな経営を行うことを意味しています。会計はキャッシュベースで、経営をするためのものでなくてはなりません。 

誰でも分かる収支計算があります。製品を売って代金を頂く。その為に、材料仕入代、人件費、販売費、一般管理費をその代金から支払う。利益は販売代金から、すべての支払いがすべて終わった後に残ったお金です。すなわち現金収支の計算が損益計算となっています。 

上記の例を別の観点から言いますと、銀行預金残高が決算期首から期末にどれだけ増えたか、が利益です。どれだけ減ったかが損失です。 

この収支計算が会計の根本的な考え方なのです。会計の知識がなくても誰もが解かるのです。 

  1. キャッシュをきちんと把握せよ

現代の企業会計では、企業の活動を一年毎に区切って損益計算をします。近代会計では⁺収支計算をベースとしてではなく、会社の経済価値が増えた時、例えば販売があった時、収益を計上、経済価値が減少した時、例えば製品を出荷したり、人件費等経費が発生した時、費用を計上します。収益-費用=利益として、一年間の利益を計算します。これが発生主義といわれる会計方法です。例えば販売したとしても、入金は翌月になることもあります。材料を購入しても、人を雇っても、給与の支払いは翌月になることがあります。その結果、決算書にあらわされる損益の数字の動きと、実際のお金の動きが直結しなくなり、経営者、従業員には会計というものがわかりにくいものになってきました。社会が発展し、会社を取り巻く環境が変わり、外部報告用の決算書、株主、政府報告等、会計が複雑になりました。会社の価値を報告する、損益を報告する等、外部報告を目的とした、発生主義に基づいた会計方法、財務諸表報告の為の会計(財務会計)が要求されることとなりました。 

また一方では会計の原則に戻り、会社経営の為の会計、管理会計によって経営に直接役立つ会計が必要となっているのです。そこで、プリミティブな会計方式、キャッシュベースの会計、“キャッシュ”に着目して、正しい経営判断を行うべきと考えたのです。 

約束手形:会社によっては製品を納入してもすぐに現金で支払わず、約束手形三か月で支払うことがあります。現金化するのには三か月待つ必要があります。 

売掛金:会社によっては製品納入しても月末締め、翌月月末払いということもあります。立場の弱い企業ですと、台風手形(二百十日)を受けざるを得ないこともあります。 

買掛金:仕入れの時は即金では支払わず、約束手形(三か月)で支払うこともあります。 

支払いを遅らせますと、銀行口座に残高が多くなり、儲かったように見えるのです。近代的な損益計算書を作成しないと、現金だけを見ていますと、ものすごくお金があって儲かったと勘違いします。 

近代会計学では、売った代金は売掛金、あるいは約束手形として処理されます。仕入の時は買掛金として、或いは支払い手形として記帳します。いずれ、これらは支払わなければなりません。従って、現金だけに注目するのではなく、売掛金・受取約束手形の入金予定、買掛金・支払手形の支払い予定 - キャッシュフローをきっちりと毎週、毎月見ておく必要があるのです。 

会計がわかっていないと経営はできない 

  1. 多くの経営者が会計の重要性がわかっていなかった

儲かったお金はどうなっているか。

利益はあがっているそうだが、その儲かったお金はどうなっているのか。配当金を支払うという話だが、儲かっているのにどうして配当金の支払いの為に決算資金として銀行借入をするのか。というようなことがよく問題になります。 

ほとんどの経営者は忙しく、会計学を勉強している時間がない。また、会計も複雑になってきています。こういうことでますます会計がわかりづらくなっていると思われます。 

“稲盛和夫の実学”が出版されました。多くの企業経理担当者が読まれたそうです。世の中の経営者の多くが実は会計を知らずに漠然と経営をされています。経理担当者がこの本を読んで、社長に“京セラの稲盛さんの本を読んで下さい”というそうです。会計の重要な原則、重要性について、いくら説明しても聞き入れてくれなかった社長が“それなら私も読んでみよう”と読んでくれたと聞いています。 

  1. 利益はどこにあるのか

配当するお金がなくて、わざわざ銀行から借りてくるというのでは、儲かったと言えるのだろうか。経理部長いわく“それでも儲かったと言うのです。”そこで損益の数字の動きと実際のお金の動きとをはっきりと結び付けて説明する必要があることに気がつきました。経理部長は貸借対照表の各勘定の動きを追いながら、資金の源泉と使途をあらわした資金運用表を作成しました。こうして現金収支のみからなる会計であるならば出て来ない売掛金、受取手形、棚卸資産、固定資産、買掛金、借入金等、さまざまな勘定科目が貸借対照表にあらわされていることがわかったのです。 

利益を出しても売掛金、棚卸資産が増加すれば、お金は吸い取られてしまっているし、借入金を返済すればお金が消えてしまいます。 

全ての取引が現金取引ならば、貸借対照表の中に受取手形、売掛金、貸倒引当金、棚卸資産という項目は必要なく、現金があるのみで済みます。ところが物を売ってもまだ代金をもらっていない場合があるものだから、売掛金という科目が必要ですし、受取手形がある場合は、受取手形という科目が必要です。こうしますと利益がでたからといって資金があるとは限らないのです。 

  1. キャッシュフロー偏重は危険

資金運用表は、財務諸表の一部として表示されるようになっています。資金運用表には以下の三つの資金移動に分類されています。

  • 営業活動によるキャッシュフロー 事業展開による資金の動き
  • 投資活動によるキャッシュフロー 設備投資、投資有価証券等の取引
  • 財務活動によるキャッシュフロー 借入金、資本金等の財務活動 

キャッシュフローは非常に大切な経営管理の一部ですが、最近、ウォールストリートでは、キャッシュフローをベースに企業評価することが多く見られます。しかし単純にキャッシュフローが良いから、現金残高が増えたからと言って、業績が良いとは限らないのです。営業活動以外の投資活動や財務活動によってキャッシュフローが良くなることもあるのです。 

損益計算では赤字(営業活動)がでているけれども、キャッシュフロー計算書では黒字だから、よい企業経営と考えてはいけないのです。キャッシュフローだけに注目して偏った経営をしてしまうケースが見受けられます。 

資産か費用か 

  1. 資産か費用かは経営を左右する重要な問題

収益と費用がお金の動きから切り離されて、損益計算書が作成される発生主義会計が近代会計の財務諸表の主流となっています。しかし経営の原点は現金主義会計で考えられなければなりません。キャッシュベースで考えるべきです。 

例として、バナナの叩き売りを挙げてみます。バナナの叩き売り人は村の秋祭りでバナナを売って儲けようとします。

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バナナ叩き売屋は500円儲かったと思いました。ところがそこに税務署が来て言うのには、リンゴ箱、布、棒はまだ使えるはずで、これは資産で、費用として経費にすることは認めません。ですからあなたは2000円の利益があったわけですから、税金1000円を支払うべきですと言ってきました。 

税務署はリンゴ箱、布、棒はりっぱな財産だと言います。本人は明日には他の工地に移るので、財産はすべて捨てていく予定でいました。リンゴ箱を買ったお店へ行き、買い取ってくれないかと頼みました。お店は “タダだったらもらってもいいよ” と返事して来ました。結局、リンゴ箱、布、棒は資産としての価値はないのです。 

会計上は資産として計上されるかも知れないが、本当に財産としての価値があるのかは経営者が判断すべきものです。経営者にとって捨てるものは、経費として落とすべきです。あるものを資産とするか費用とするかは会計的には大きな違いがあるのです。 

  1. 実態に即した減価償却を行う

バナナ売りのケースでは、経営者は道具すべて一千五百円は経費処理します。従って利益は五百円なのです。これから税金二百五拾円を支払い、手許には二百五拾円残るだけです。キャッシュフロー、収支計算で二百五拾円が残るのみなのです。

会計が解っていない経営者は、単純に売上三千円-仕入-千円=利益二千円と考えてしまいます。 

例として、ファインセラミックスの粉末を固め、形を作るための金型の話です。

会計上は金型は資産として計上され、減価償却されます。金型にも色々な種類がありますが、税務上は一括して耐用年数2年と定められています。 

ファインセラミックスの原料というのは酸化アルミニウムなど非常に硬度の高い粉末です。ですから金型は1年も保ちません。金型自体が摩耗してしまうのです。税務上の耐用年数2年は、京セラの金型には合っていないわけです。税務署との話し合いで、金型は経費処理することになったのです。 

  1. 使い物にならない資産は早く処分する

貸借対照表の固定資産の中には有形固定資産があります。

その中に、機械器具があります。長年工場を運営していますと、古い機械器具が固定資産台帳に載っています。これらの古い機械器具、例えば金型等は、将来使う見込みのないものもあります。しかも残存範価があり、毎年減価償却をしているものもあります。 

廃棄すべき金型や機械が資産として残っているわけです。こうした古い機械器具は、直ちに廃棄処分し、損失として処分すべきものです。その分だけ損益計算書では利益となっているのです。 

それだけではありません。古い機械器具はスペースを取ります。保険料等、管理費用もかさみます。経営上、余分な経費が発生しているのです。 

  1. 減価償却の2つの側面

減価償却というのは、お金を借りて機械を買って長期にわたり返済していくようなものです。一千万円の借入をして、一千万円の機械を買います。10年間で減価償却をしますと、毎年銀行に百万円返済するのと同じことです。10年後には銀行からの借入を返済することになるのです。 

一方、借入をしない場合は、毎年百万円ずつ預金をして10年後には一千万円の預金がたまることになります。原価償却は機械を更新するための資金となります。 

  1. 損益計算書の利益と手許の現金を一致させるような経営を目ざす

儲かったお金がどこにあるかを正確に把握しておくことは、経営の基本です。しかも経理が何日もかけて作った決算書を見て初めて、どこにあるかをつかむというのでは“キャッシュフローの経営”にはならないのです。すでに過去のものとなった事実に対して、これからアクションをとることは出来ません。経営はあくまで“リアルタイム”で眼前の事実と取り組まなくてはなりません。 

決算は経理が何日もかけて、決算整理における様々な会計上の評価、判断をして、損益を算出します。しかし手許にある現金は、その瞬間瞬間に残高を明確につかむことができます。自分で使えるお金がリアルタイムで把握できていなければ、激変する経営環境の中で会社を経営していくことはできません。 

ですから、経理が時間をかけて算出する損益ではなく、まぎれもなく存在する“キャッシュ”に基づいて経営のかじ取りを行うべきものです。しかし、決算上の損益というものも、企業活動の成果として極めて重要なものであり、株主への配当、税金等、目を離すことはできません。 

そこで、会計上の損益と手元のキャッシュフローとの間に介在するものをできるだけ少なくすることが必要となります。会計上の利益から出発してキャッシュフローを考えるのではないのです。経営そのものを“キャッシュベース”現金主義で考えることが経営の中心なのです。 

損益計算書の損益と、手元のキャッシュがイコールになるような経営が出来るようにすべきなのです。 

土俵の真ん中で相撲をとる

お金のことを常に心配していては仕事ができない。そのため、ぎりぎりの資金繰りは決してしないようにしなければならない。 

よく手形決済の為に走り回り、売掛金回収に、買掛金支払い延期、ともすれば給与の遅配等、資金繰りに時間を費やすようでは、経営はできません。金策に走り回っているのは、事業家としての仕事ではないのです。 

  1. 松下幸之助ダム式経営

松下幸之助氏の講演会がありました。“ダム式経営”についてでした。幸之助氏は会社を経営する時、ダムを作ることで、川がいつも一定の水量で流れているように、“ダムの蓄え”を持って事業を進めていかなければならないと説かれました。講演の後の質問の時に、ある経営者が幸之助氏に質問しました。

“どうやったらそのような余裕のある経営ができるのでしょうか。”

幸之助氏は“その答えは自分も知りません。しかしそのような余裕のある経営が必要だと思わな、あきまへんな”と答えた。聴衆の多くが笑いました。塾長はこの言葉に深く心を動かされたようです。 

何かを成そうとするときは、まず心の底からそうしたいと思い込まなければならない。“わかっているけれど、現実にはそんなことは不可能だ”と少しでも思ったら、どんなことも実現することはできません。 

“土俵の真ん中で相撲をとる。”土俵際ではなく、まだ余裕のある土俵の真ん中で相撲をとるようにするという意味です。“ダム式経営”と同じ考え方です。 

幸之助氏は、次のように話されました。

“雨が降ると川に鉄砲水が流れる。日照りが続くと、川に水がなくなり、乾いてしまう。そうならないように、ダムを作って、水が多い時はダムに水を貯め、日照りが続いたらダムの水門を開いて一定の水量がいつでも流れるようにすべきです。つまり、調子のいいとき、景気のいい時には貯えて、景気の悪い時には貯えたものを出しながら一定の経営ができるようにすべきです”  経営には余裕がなければなりません。 

幸之助さんは二つのことを説かれました。

1)      余裕のある経営

2)      強い想い

聴衆の1人が、質問しました。

“中小企業の我々も余裕のある経営が大事だと、あなたに言われなくてもみんな思っています。余裕のある経営をしたいと思うけれども、その日暮らしになってしまうから困っているのです。余裕のある経営をするには、具体的にどういうことをすればよいか、教えて下さい” 

幸之助さん “余裕のある経営が必要と思わなあきまへんな” それを聞いた一部の聴衆は話していました。“松下さんはたいへん儲かっているから、余裕のある経営を簡単に言ってはるけれども、余裕のない我々中小企業にはできない” “どうすれば余裕のある経営をできるのかと質問しているのに、“思わなあきまへんな” では答えになっていない” などと言っていました。 

ほとんどの人は、思ったことを実現しようとするのですが、強い持続した思いがなく、出来ない理由を考えて、あきらめます。自分を許してしまうのです。自分がこうしたいと本当に思いますと、周囲の人からの支援の手が差しのべられることがよくあります。周囲の人から助けてあげようと思われるくらい、強い持続した思いが大切です。 

  1. 土俵の真ん中で相撲をとれば、経営は安定する

資金繰りで困られる企業が多くあります。約束手形の期日が今日だ。銀行口座には充分な残高がない。ギリギリになってから金策に追われる。約束手形の期日はわかっているのですから、いつでも支払えるように準備しておかなければなりません。土俵際に追いつめられて、あわてふためいて“勇み足”になったりして負けてしまう。つまり倒産してしまうのです。 

  1. 銀行からの借り入れに頼らない

世の中の経営者の中には、銀行から借金して、それを元手にして事業拡大していこうと考えている方が多いと思います。しかし銀行は、天気の良い日には傘を貸すが、雨が降れば傘を取り上げるのです。銀行の側から見ますと、お金を貸しても返済してくれなければ銀行の経営が成り立ちません。雨が降ったら、借りた傘は取り上げられるというのが当たり前なのです。どんな時でも雨に濡れないようにしておかねばならないのです。 

経営者の中には、銀行からお金を借りられるだけの信用力があるということは、事業家として成功するための必須条件だと考える人が多いようです。ただし銀行借入をしますと、利息と元本の支払いがあります。 

銀行に支払う金利は経費ですから、5%の金利としますと税引後の金利は約2.5%となり、銀行から借りた資金を使って事業をした方が、有利と考えられます。銀行金利が高い時は、確かに大きな節税になります。事業規模を拡大し、確かな利益が見込まれる時は、銀行借入も必要です。しかし、これは天気の良い日の話です。 

ただし、雨の日もあります。事業の先行きに雲が見えてきますと、銀行は“貸した金を早く返してくれ”と言ってくるのです。

つまり銀行は、儲かって余裕があり、お金を借りなくてもいい時に、借りてくれと言います。経営が苦しくなってお金が必要になった時は、早く返せと言って来ます。 

京セラは無借金経営をしてきました。銀行借入はありません。 

  1. 自己資本の増加が経営の安定化につながる

現代は技術革新が進み、わずかな間に事業環境が一変してしまうことがあります。予想を上回る膨大な資金を研究開発、新規事業、設備に投入しなければならない事態に追い込まれることがあります。そうであっても、経営者は従業員の生活を守っていかなければなりません。 

もし資金に余裕がなければ、このような事態に対して、積極的に手を打つことができません。経営者は必要に応じて使えるお金、すなわち自己資金を十分に持てるようにしなければならないのです。そのためには、内部留保を厚くする以外に方法はないのです。 

貸借対照表の資本の部が自己資本です。自己資本=総資産-負債です。資産の部は流動資産(お金、売掛金、棚卸資産等)と固定資産(土地、建物、機械設備等)から成り立っています。負債は流動負債(1年以内に返済予定借入金、支払手形、買掛金等)と固定負債(1年以上の長期借入金等)から成っています。自己資本は資本金、資本余剰金、利益余剰金から成っています。この自己資本は、もともと資本金として受け入れた元本と利益余剰金から成っています。利益余剰金は長年会社が生み出した税引後利益を累計したものです。 

この自己資本を多くして、その資産の占める割合を大きくしていくことは、経営の安定化につながります。 

  1. キャッシュベースの経営が自己資本を増やす

借入による資金調達には次のような問題があります。

  • 市場における金利、資金需給の動向、政府や金融機関の政策や方針
  • 借入時期、承認時期が資金需要のタイミングに合わない
  • 銀行への書類提出・会議に多大の時間がかかり、銀行側の事務処理費用、弁護士費用、評価費用が請求される
  • 返済計画の提出、細かい事業予算の作成等の時間 

一方、自己資本の源泉は二つあります。

  • 営業からの税引後利益
  • 減価償却費 

安全に経営をしようと思えば、減価償却費プラス税引後利益で返せる範囲のお金で設備投資をします。

自己資本を高め、なるべく早く借入を返済するようにする。高い自己資本比率はキャッシュベース経営の結果なのです。 

キャッシュベースの経営がもたらすもの 

  1. キャッシュの動きと利益の動きを直結させる

近代会計は発生主義にもとづいて発展してきました。ところが会計そのものは非常に高度で複雑なものになってしまいました。発生主義に基づいた利益が、実際に手元にあるお金の動き、キャッシュフローとは結びつかないものになっています。 

アメリカでは貸借対照表、損益計算書と並んで“キャッシュフローステートメント”が正規の決算報告書を構成するものとして位置づけられ、決算書には必ず含まれるようになっています。 

ところで、このキャッシュフロー・ステートメントは発生主義に基づいて算出された利益に対して、減価償却費などの、非現金取引の伴なわない項目を調整したものです。間接的にキャッシュフローをとらえたものであり、実際の収支をまとめたものではありません(間接法)。キャッシュベースの経営とは、経営そのものを実際の“キャッシュ”の動きと利益とが直結するように近づけていくことなのです。 

一生懸命努力して、経理が、一千万円の利益が出ましたと報告したとします。経営者は“そうではありません。売掛金の回収も残っています。棚卸資産の仕入にお金を使いましたので、銀行口座には資金は溜まってはいないのです”こういうことができるだけ起こらないように、仕入は“当座買い”します。余計なものは買わない、必要な時しか仕入はしないという風に、できるだけ、利益とキャッシュが近づくようにするのです。 

  1. 発生主義による複雑化

商業が発達していない時は、すべて物々交換、キャッシュベースで取引を完了させていました。商業が発生した為に、現金取引以外に信用取引が発生してきました。発生主義では品物を相手に渡した時点で収益として勘定します。現金は後で受け取ります。仕入の時も、品物を受け取った時に仕入として勘定します。現金は後で支払います。これが発生主義による収益・費用の勘定処理です。現金主義とは、収益・費用の認識時点が異なるのです。 

  1. 高い自己資本比率が企業に永続性を持たせる

税引前利益から税金を納めて、残った利益が自分が自由に使えるお金になるように経営していきます。これがキャッシュベースの経営です。キャッシュベースの経営とは、利益が出たなら、その利益は現金で残っているという経営です。 

アメリカではキャッシュフローステートメントを見る時、EBITDA(Earnings before interest, tax, depreciation, and amortization)税引前利益、支払利息、減価償却費の合計で企業の業績評価をします。たとえ赤字でもキャッシュフローが良ければ、よしとすることがあります。ときには金利が安いので借入をして、自社株を買って、株価を上げようとする会社が後をたちません。自己資本比率が大幅に悪化してしまいます。 

アメリカでは自己資本が小さくて利益を出す会社は自己資本利益率が高く、優良企業と評価されます。 

しかし、自己資本を膨らませていく経営は、外部から多額の負債をかかえて経営するより安定した経営ができるようになります。自己資金比率は50%維持することが望ましいと思います。 

会社はゴーイング・コンサーン、永遠でなくてはなりません。従業員の生活を守っていくことは、企業の社会的役割だからです。 

全国世話人会での講話より

塾長は75歳になられました。若い頃に経験されたことを今、再現することは難しくなっています。機関紙 “盛和塾” を第一号から学んでいただきたいと語っています。塾長が若い頃に話したこと、若い頃に書いたことをもう一度再現することは簡単にできるはずはないのです。是非、繰り返し読んで学んでいただきたいと述べています。 

体験発表を通じて自らの経営の足らざるを知る

各塾で自主的に行っている体験発表が勉強になっているという報告があります。 

塾長は講演を引き受けたなら、塾生や聴衆の方々の前で、バカな自分をさらけだしたくない、またなんとかお役に立てるような話をしたいとも思うのです。一か月も前から心配になって、一生懸命に何を話すべきかを考え、それをまとめた上で講演に臨むということが習い性になっています。*塾長の過去に話した内容は、相当練りに練ってあるわけです。 

自分の経営をまとめて体験発表をする、その経験を積むことで自分の経営をよりしっかりとしたものにしていく。体験発表の準備をしていく中で、“経営の原点十二ヶ条”の中で、実行できていないこと、あれもこれも抜けていると気がつきます。体験発表を行えば、聞いている他の塾生から、いろいろと抜けている点の指摘を受け、それを学び、実行していく努力をします。自分自身の経営を改繕していくのに非常に役立ちます。 

人に話をしようと思って自分の経営を振り返ってみた時に、自分に足りないところがあることに気がつきます。その気づきを自分の経営に落とし込んでいくのです。 

塾長は、人に話をすることで自分の経営を反省し、その反省によって経営を完全なものへと改繕を絶え間なく繰り返していったのです。自分の経営を冷静に第三者の目で見つめ直してさらによいものへと改繕していくのです。体験発表は非常に有益なのです。

盛和塾 読後感想文 第七十七号

会社経営の原理原則を貫く 

コーポレートガバナンスのあり方について、議論が盛んに行われています。そのため法律を作り、規則を細かく作成し、その実施について監督する制度を作る等が導入されて来ました。しかし本当の問題は、経営者が会社を経営するために不可欠な座標軸を見失い、会社経営の原理原則を見失ってしまっていることにあると思われると塾長は語っています。 

会社経営はトップの経営哲学により決まり、全ての経営判断は “人間として何が正しいか” という原理原則に基づいて行うべきものです。 “それでは実際の会社経営において、具体的にどうすればよいのか” ということが求められています。稲盛和夫の実学は、具体的な経営論である会計学を論ずることを通して、会社経営のあり方、経営の具体的な考えを明らかにしようとして書かれました。 

稲盛和夫の実学をひもとく 

“採算向上の原則”と“ガラス張り経営の法則”はコーポレートガバナンスを具体的にどうすればよいかに応える会計学なのです。 

採算の向上を支える採算向上の原則 

時間当り採算表について

京セラの経営手法であるアメーバ経営の基本は部門別採算制です。製造部門と営業部門に分かれます。 

アメーバ経営 (部門別採算制) の目的は以下の通りです。

  1. 市場に直結した部門別採算制度の確立。

市場の動きを素早く、営業・製造部門に取り入れ、市場の動きに応えることができるようにする。

  1. 経営者意識を持つ人材の育成

アメーバを担当する責任者が一つの経営を任され、社長としての経験を積む。

  1. 全員参加経営の実現

パートタイマーの人も含めた全員が経営に参画し、改善提案をし、仕事の中で実践していく。こうすることにより仲間意識を育てます。 

  1. 時間当りの求め方

 “時間当り” とは1時間の労働で、いくらの付加価値を生み出したかを表すものです。その計算方法は以下のようになります。 

アメーバが社外に出荷した製品の金額 “社外出荷” と社内で売った製品の金額 “社内売” の合計を “総出荷” と呼びます。これはアメーバの売上高に相当します。この “総出荷” 額から、社内から買った製品の金額、 “社内買” を引いた金額を “総生産” (ネット生産額)と呼びます。総売上高に相当します。 

次に原材料費、外注加工費、電力水道料、交際費、旅費交通費等を控除して “控除額” を算出します。しかし、人件費はこの控除額には含まれません。というのは、人件費は “時間当り” 付加価値の一部だからです。“総生産” から“控除額” を差引き “差引売上” (付加価値) が算出されます。 

活動に要した各アメーバの “総労働時間” を求め、 “差引売上” をこの総労働時間数で割ります。これが “時間当り” (1時間当りの付加価値) です。 

時間当り = (社外出荷+社内売-社内買-控除額)÷総労働時間 

表A 製造部門アメーバ 時間当り採算表(例)

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表B 営業部門アメーバ 時間当り採算表(例) 

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製造部門アメーバ時間当り採算表(表A)では、差引売上(付加価値) は二千万円、時間当りは五千円です。 

仮に総労働時間の人件費が一千二百万円としますと、時間当り人件費は三千円(12,000,000円÷4,000時間)となります。そうすると三千円の人件費で五千円の付加価値を生み出し、生産性は五千円÷三千円=1.67となります。 

営業部門も同様に、時間当り採算表(表B) を作成します。営業部の場合は製造部門から仕入れた製品を売ります。製造部は高く売りたい、営業部は安く買いたいと両社で激しい激論が発生し、部門間に亀裂が発生し、社内の調和が図られなくなります。これではアメーバ経営の目的に外れてしまいます。こうした場合は会社的な考えのもとに経営トップも交えて製造部、営業部トップが話し合い、両者の立場をそれぞれ理解する必要があります。その一つの解決方法として、受取口銭率を過去のデータを元に決め、両者が納得する口銭率を決定します。 

表Bでは、営業部門アメーバ時間当り採算表、時間当りは七千円となっています。 

営業部は各地に営業所がありますから、営業所別に採算を見ることができた方が精微な経営を行うことができます。アメーバ経営では地域別の小さな単位のアメーバに営業部門を分け、アメーバ毎に採算を見ていきます。 

  1. 人間関係を保つために、利益ではなく時間当りを用いる

営業部門の中で、いくつかのアメーバ営業所がありますが、各営業所の利益という指標で営業所の業績を評価しますと、A営業所では五千円の利益、B営業所では一千万円の利益、C営業所では二千万円の損失となります。 

このように利益のみで業績を評価しますと、“A営業所は五千万円の利益を出しているのに、C営業所は二千万円の損を出しているではないか。東京のC営業所の職員の給与は、我々A営業所の職員の給与より2割ほど多いではないか、我々はもっと給料をもらっていいはずだ”となるのです。利益というものでドライに業績を表現すれば、このようにぎくしゃくした関係が発生します。“時間当り” はこうした問題が発生しない様に、採算制度に取り入れました。 

“時間当り”から人件費を差し引けば1時間当りの利益が算出されます。こうすれば、“時間当り”のブレークイーブンが簡単に算出されます。表Aではブレークイーブンは三千円、表Bでは人件費が一千五百万円としますと(人件費一千五百万円÷3000時間)、五千円となります。 

採算表は、末端の従業員やパートさんにも開示して、皆がこの職場でどれだけの業績を上げたのかわかるようにしなければなりません。リーダーだけではなく、末端の作業者ひとりに至るまで経営者意識を持ってもらい、皆に業績向上のための具体的な行動をとってもらうためです。 

採算の責任を管理できる範囲でアメーバに持たせる 

  1. 有価物屑、機械設備処分に伴う損益は、アメーバが負担する/帰属する

時間当り採算と会計との関連

時間当り採算では、アメーバの構成メンバー全員が自らのアメーバの経営状況をリアルタイムに、手に取るように理解できることが一番重要です。 

日々の経理処理は、正確、明解、迅速(Perfection Principle, One to One Principle, Do It Right Away Principle)でなければなりません。発生したものは、ただちにアメーバの収益、または費用として認識され、正確に記帳されなければなりません。一対一対応の原則、迅速性の原則、完全主義の原則の実践であるわけです。 

生産実績、出荷実績についてはアメーバは個々の内容と実績統計を把握しており、翌朝の売上・生産日報により確認されます。資材経費や支払経費もつねにアメーバによって把握されており、翌朝に配賦される経費日報により検証されます。 

各アメーバは経営の実態をとりまとめられた数字による全体的な姿(マクロ) と、その数字を構成するものを具体的に(ミクロ) 理解することもできます。 

アメーバで発生した貴金属の屑の売却、機械設備の売却処分損益もそれを処分したアメーバの損益となります。 

アメーバでコントロールできる収益費用は、いずれかのアメーバの責任において発生しているはずなので、発生したときにどの部門のものかが明確になるようなシステムになっているのです。 

アメーバは “アメーバ自らが責任をもって経営する” という考えのもとに経営していますから、発生した費用をどのアメーバが負担するのかで、アメーバ間に問題が起きたり、アメーバの知らない費用が突如振り替えられてくる、というようなことがあってはならないのです。 

2.  アメーバは工場総務の費用は負担するが、本社の管理部門の費用は負担しない

いくつかのアメーバがある工場等で、アメーバ経営をサポートする際に発生する間接費、アメーバに対してサービスを直接提供する工場や事業所の総務、人事、資材、経理などの間接部門の費用も “共通費用” としてアメーバが納得できる方法で負担してもらいます。 

間接部門のメンバーは、自分達がアメーバの収益によって支えられていることがよくわかり、出来るだけ経費を切り詰め、より効果的でかつ効率的にアメーバに対するサービスを提供しようと努めます。 

本社管理部門は、直接アメーバに日常的に接触することはありません。このようにアメーバが直接に影響を及ぼすことのできない本社経費をアメーバに負担させないようにします。本社経費は各事業部門に “一般管理費” として負担させるようにします。本社管理費用の中には、研究部門の費用も含まれます。本社管理部門の経費は営業外収益-受取利息配当金-資金運用収益で負担する方法も考えられます。 

工場管理部門の費用は、各アメーバの従業員数によって配賦します。しかし、アメーバから、工場管理の費用が大きすぎる、節約するようにクレームが発生することもあります。人数割りでの共通費配賦をするのには、当然アメーバに納得してもらわなければなりません。 

中小企業の場合は、本社管理費用は各事業部門に負担してもらい、間接的にアメーバへの配賦がなされる場合が一般的です。社長をはじめ本社の役員は節約に努めなければなりません。 

西郷南洲の遺訓集の中で “万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下民その勤労を気の毒に思う様ならでは政令は行われ難し” と述べています。 

上の人が節約して頑張るさまを見た下の人が、あそこまでの頑張りは可哀想だと同情してくれるようでなければ、人を治めていくことはできないのです。 

3.  経費を負担すべき部門が負担すべき 経費移動

アメーバ経営における費用負担は、厳密に取り扱われています。各事業部門に毎日経費がチェックされ、共通費の配賦が各工場に、各工場から工場内のアメーバへと配賦されます。発生した費用を実際に負担、または分担すべき部門に対して“経費移動”という経費の付け替えが発生します。経費移動は同一工場内のみならず、会社をまたがって行われるので、事務処理は増えるが、あらゆる会計処理が公正、公平に行うことによってのみ、アメーバのモラルや活力が維持されるのです。 

アメーバ経営は管理会計システムの上に成り立っています。社内への会計と対外的な決算である財務会計の報告とは、異なった目的・性格を持っています。しかし双方とも経営の実態を正確に認識するためのものであり、整合性があるべきものです。決算ベースの会社全体の業績目標が各々の事業部の “時間当り採算ベース” の業績目標と密接に結びつけられていなければなりません。 

時間当り採算を用いて全員参加経営を実現する 

時間当り採算と月次決算

1.   時間当り採算制度では、モノやお金の動きが必ず会計伝票と共に“一対一対応”によって処理され、その積み上げられた数字をそのままとりまとめるという単純な様式を採用しています。アメーバ毎の“時間当り採算”は、自分たちの仕事の結果がそのまま数字となったものです。

時間当り採算制度と会社決算とを結びつける役割を果しているのは、月次決算です。月次決算では、時間当り採算の一時間当り付加価値と会社決算上の数字を結びつけ、各事業部が決算上の利益において会社全体にどの程度貢献しているかを具体的に示しています。 

月次決算報告とは、各事業部ごとの時間当り採算制度を決算書のフォームで表現したものであり、毎月各事業部で検討されます。時間当り採算は経営管理部門が、月次決算報告は経理部門が作成し、時間当り採算にあらわれない人件費を費用として利益を計算しています。時間当り採算は、経理部門ではなく事業所・工場など各現場にある経営管理部門が作成します。 

例えば、時間当り採算制度と営業部・製造部で採用しています。営業部は製品の製造部から仕入(社内買)をして社外に売り(社外売)が発生します。営業部門の経費を差し引き(社外売-社内買-経費=付加価値)、付加価値が計算されます。 

付加価値から営業部の人件費を差し引きますと、営業部の月次決算書が作成されます。

製造部門では、在庫を一定と仮定して、同様に時間当り採算を計算し、付加価値が算出されます。付加価値から製造部の人件費を差し引きますと、製造部の月次決算書が作成されます。 

営業部の社内買と製造部の社内売を相殺しますと、工場全体の月次決算書が作成されます。こうして営業部・製造部が工場全体の利益にどれだけ貢献したのかが、わかります。 

  1. あらゆるモノとカネの動きは伝票と一対一で対応させる

時間当り採算は、モノとカネの一対一対応によって集約されたデータベースによって作成されます。月次決算を作成するのにも、同じデータベースに基づいて作成されるのです。月次決算の累計には期末実施棚卸による各棚卸資産の期末評価を中心とする決算修正が加わり、会社の年度決算書となります。 

アメーバ経営では、アメーバが自らの責任で作成する日次予定及び年次マスタープランが重要な役割を果たします。アメーバ経営の本質は、アメーバのメンバー全員が現在の自らの姿を文字通りリアルタイムで正確に把握し、目標を達成するために必要な行動を次々ととっていけるということです。 

時間当り採算表では、予定と実績が対比された様式になっています。 

予定は、目標は、経営者の意思の表現であり、自らの手で新たにつくり出そうとしていくものを描いたものです。予定は決して変更されるようなものではなく、アメーバのメンバーと一緒に何としても達成するもので、どんな環境の変化に対しても、変更してはなりません。 

時間当り採算表や月次決算書の中の数字は、売上も経費もすべて一対一対応の原則に基づいて処理されなければなりません。カネが動いても、モノが動いても、必ず伝票がついて回ります。管理会計部門は伝票を集計すれば全てのモノ、カネの動きが見えるわけです。 

一対一対応の原則は、時間を要します。しかしこの原則を守らない場合、不正が起きた時、事の経緯を追うことが出来ず、手の打ちようがないのです。或るいは後ほど、誤りが発生した時、訂正する為に時間の浪費につながります。



 

盛和塾 読後感想文 第七十六号

売上を最大にし、経費を最小にする 

経営の経験や知識がなくても、利益を確保するには単純に売上から経費を引いた残りが利益と考え、売上を最大に、経費を最小にする。その結果として利益が増える。この原則を実践してきたことが京セラを高収益の会社へ導いたと塾長は語っています。

通常、売上が増えれば経費がそれに応じて増えていくと考えがちです。しかし、高収益をあげるには、とにかく売上を最大に、経費を最小にするための創意工夫を徹底的に行うことが肝心です。

物事の本質が何かと単純化して考えることが大切です。複雑なものの本質が何かと考え、基本的なポイントを捉えることが経営にとって大切なことだと思います。

“稲盛和夫の哲学”をひもとく 採算の向上を支える 

企業の会計にとって、自社の採算向上を支えることは、最も重要な使命です。採算を向上させていくためには、売上を増やしていくことはもちろんですが、それと同時に製品やサービスの付加価値を高める努力が不可欠です。付加価値を向上させるということは、市場にとって価値の高いものをより少ない資源で作り出すということです。

採算の向上は経営を管理する“管理会計”の役割であり、企業の業績と財務状態を正しく外部に報告する“財務会計”とは目的が異なります。しかし“管理会計”も“財務会計”も経営にとって等しく必要な会計です。経営者は管理会計が財務会計の決算にどう関連していくのかを正確に把握していなければなりません。

京セラでは、管理会計と“アメーバ経営”と呼ばれている小集団独立採算制度による経営管理システムが両輪として、経営管理の根幹をなしています。経営哲学という基盤の上に、会計学とアメーバ経営という二本の柱によって支えられているのです。

時間当り採算表の用い方

経済的発展をもたらすものは、仕事を通じて創造する新しい経済価値です。経済価値をより多く生み出すには、できるだけ少ない経費でより多くの経済価値を生み出す必要があります。すなわち最小の経費で最大の売上を得ることです。

消費する資源を少なくする、倹約精神に徹することです。お客様が必要とする製品やサービスを提供するために費やすあらゆる支出に一切無駄があってはなりません。製品をつくる為に使う材料、原料、消耗品、燃料、電力、また設備投資、管理費用、全ての項目で可能な限り節減をしなければなりません。

売上を増やそうとすると、通常それに比例して経費も増えると考えられます。しかし、あらゆる知恵と工夫をこらして、経費はつねに徹底して切り詰めるようにすることが大切です。

時間当り採算表とは“売上を最大に、経費を最小に”という経営原則を実現していく為に、売上から経費を差し引いた価値-付加価値を創り出す為のシステムなのです。企業が存続していく為には、付加価値を生み出し、高めていくことが必要なのです。

この付加価値を、誰でもわかるように、単位時間当りの付加価値を計算して“時間当り”と呼び、付加価値生産性を高めていくための指標としました。経営管理部門に毎月、時間当り採算表を作成してもらい、現場の従業員にも採算が簡単に理解出来るようにします。添付参照。

  1. 時間当り採算表の項目について

製造部門のあるアメーバのネット生産高・総生産 (E) は社外に売った社外出荷(B)、社内に売った社内売  (C)、社内から買った社内買 (D) から計算されます。

 総生産 (E) = 社外出荷 (B) + 社内売 (C) - 社内買 (D) 

工場がいくつかの工程に分かれている場合、各工程は、それぞれが一つの事業として成り立つ単位で分割され、独立採算のアメーバとなります。

社内買 (C) は、社外から買うよりも、安くなっている時に発生します。社内買 (C) が社外からの仕入よりも高くなっている場合は、社内買 (C) は発生しません。社外から購入するからです。

控除額 (F)

控除額 (F) の中には原材料費、消耗品、燃料費、電力料、外注加工費、修理維持費、減価償却費、出荷費用等が含まれます。この中にはアメーバの従業員の人件費は入りません。

製造部門アメーバ 時間当り採算表(例)

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  1. グロスマージンに注目する

社内へ売った“社内売”、社外へ売った“社外出荷”の二つを足して、“総出荷”となります。“総出荷”から、社内から買った“社内買”を引いて“総生産”となります。“総生産”から原材料費、外注加工費といった人件費以外の“控除額”を差し引いたものが差引売上 = 付加価値となります。時間当り採算表では、そのアメーバ(部門)がいくらの付加価値を生産したかがわかるようになっています。ですから付加価値は基本的には会社の製品市場価値とアメーバ(部門)でのコスト削減努力の二つの要因で決まるのです。付加価値の高い製品、独自性のある製品、市場価値の高いものを、営業部、研究開発部、製造部の強い協力体制で創意工夫して開発していきます。一方、製造部では何とかして製造コストを削減しようとします。

流通業の場合は、商社のように、売上高の拡大を目指すことが多いと思われます。時間当り採算表を作成しますと、売上高、仕入高、電気代、交通費等、人件費を除く諸々の経費を引き、付加価値が算出されます。この時間当り採算表の中では、とくに売上高、仕入高に注目する必要があります。グロスマージン(売上総利益)が非常に大切です。

売上高が10億円ある。仕入高は9億円で、売上総利益は1億円しかなかった。そこから経費を使えばほとんど利益はありません。売上総利益率が10%では、いくら経費を削減しても採算は合いません。経営者はもっと売上総利益率の取れる商品を扱わなければなりません。仕入を採算表で控除額、原材料、外注加工費などと同じ扱いにしてしまうと、どれほどの売上総利益率が出ているのか見えにくくなります。

経営者はどのようにして付加価値を増大させるか、考えなければなりません。上述のように、売上総利益(グロスマージン)をどう確保していくのか、経費削減と同様に、考慮していくことが肝要です。

  1. 時間当り採算表は設計が肝心

流通部門アメーバの場合、採算表を有効活用するためには、製造部門アメーバとは多少異なった工夫が必要です。仕入高を控除額の中に入れてしまうと、経営状態がはっきりと見えて来ません。

添付のように、仕入高を控除額に入れず、売上高と対比させて売上総利益 (グロスマージン)を見ていくようにします。

流通部門アメーバの時間当り採算表(例)の中では、  社外出荷の売上総利益率は 20,000 / 130,000 = 15.38%  社内出荷の売上総利益率は 10,000 / 50,000 = 20%

となっています。この売上総利益(グロスマージン)の下の控除額を差し引き、差引売上(付加価値)が算出されます。

このように流通部門アメーバでは、売上総利益(グロスマージン)と控除額を分けて検討することが大事です。

経営の要諦は、売上を最大に経費を最小にすることなのですが、流通の場合は、売上総利益(グロスマージン)が最大にならなければなりません。そして採算表にある控除額を最小にするのです。

売上総利益(グロスマージン)を最大にするのは経営者の役割です。控除額に対しては、採算表を従業員に充分理解してもらい、協力して経費最小を目指すことが肝要です。全員の協力があって、はじめて“売上を最大に、経費を最小に”の経営原則を実施していくことが可能なのです。

流通部門アメーバ 時間当り採算表(例)

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  1. 業績は付加価値を総時間で割った“時間当り”で評価する

業績の評価は、いくら利益を生み出したのかではなく、いくらの付加価値を生み出したかによって評価します。利益をもって評価しますと、利益のあったアメーバは、利益が上がったのだから、我々のアメーバは他のアメーバとは違うのだという風に増長します。利益を出せなかったアメーバは赤字を出して落ち込んでしまいます。そこで各アメーバの付加価値を、労働時間数で割るようにして、各アメーバの成績を時間当り付加価値がいくらだったかをベースにして評価するようにするのです。

時間当りの数値が小さい場合は、採算を高めるように、従業員が努力してくれることを期待するのです。

京セラにおける原価の考え方 

大企業の製造部門では、一般的に過去のデータなどを元にして標準原価を設定しています。実際の原価と比較することで原価管理を行う、標準原価計算が管理会計の常識となっています。製造部門は設定された目標である標準原価を達成するために、最大の努力をします。標準原価の目標は、各部門がより高い目標に挑戦するために自ら設定するのではなく、原価管理部やマネジメントの過去の実績に基づいて作られた標準原価を達成することが目標となります。

アメーバ経営では、独立した経営組織であるアメーバが自ら設定する目標は、そのアメーバの生産高と付加価値であって、原価ではないのです。まず受注をできるだけ多く獲得し、その受注に基づく生産を最小の経費で実現できるように計画し、実行するのです。結果として付加価値を最大にするのです。

アメーバ経営では、主役は最小の経費で最大の売上をもたらすように智慧を生み出す人の集団であり、焦点があてられるのは、そのアメーバが全体として生み出す付加価値なのです。一方、標準原価計算における原価管理システムの主役は製品という“モノ”であり、焦点があてられるのは個々の製品の工程別の原価なのです。

  1. 製造部門こそプロフィットセンター

現在の会計学では、標準原価を算出することが一般的です。しかし、標準原価方式には大きな問題があります。

テレビを製造しているケースがあります。数ヶ月前に作った実績を元に原価を計算します。しかしテレビのマーケットプライスはどんどん下がっています。この値段まで下がるだろうと標準原価を決めます。製造部門では、標準原価を達成すべく、購入部品の値段交渉をしたり、色々な努力をして目標の原価で作ります。営業部門は標準原価で製品を買い取り、いくらで売るかを決定し、売ります。その売上と原価の差額が売上総利益(グロスマージン)であり、このグロスマージンから販売管理費を引けば、営業利益がでます。

この場合、製造部門は指示された原価に合わせて作ることを仕事としているだけで、利益に貢献しているという意識は持っていません。指示された原価を守りさえすれば、製造部門の目標は達成されたことになります。標準原価よりさらに低い原価で作るという努力をすることにはなりません。このように、標準原価方式を採る会社では、何千人もいる製造部門の従業員たちに会社の利益に貢献するという実感はわからないのです。利益を出すのは営業部門が生み出すグロスマージンから販売費を引いて、利益だとされており、利益を生み出したのは、あくまで製品を売った営業部なのです。

テレビにせよ電化製品は急激に値段が下がっていきます。決められた原価で作っても、売る時にはすでにマーケットプライスがそれを下回っているケースも数多くあります。売れば売るほど赤字が増えていきます。“マーケットプライスがあまりにも急激に下がったために原価割れで売るしかなかった。それは私の責任ではない”と営業部はいいます。一方、製造部門は言われた原価で作ったのだから、自分達の責任ではないといいます。誰にも責任がないまま大巾な赤字になってしまいます。これが標準原価方式の実体なのです。

製造部門こそプロフィットセンター(企業内において、利益に責任のある部門)であるべきなのです。マーケットプライスは刻々と変化していきます。製造部門はマーケットの動きに合わせて利益が出るように考えて、生産していかなければならないのです。京セラでは“営業が利益を生み出すのではない。製造が生み出すのだ。営業には製造部が作ったものを売る手数料を払えばよい。”と定めているそうです。例えば営業部に10%の手数料を支払います。営業はその手数料の中から、電話代、交通費、人件費、レント代等、経費を払って利益を出します。製造部門は利益を出せるように時々、刻々と動いているマーケットプライスから10%引いた価格内でモノを作り、さらにコストダウンを続けていかなければなりません。

  1. 在庫評価は売価還元方式

標準原価方式の場合では、この製品は標準原価でいくらと決まっていますから、そのまま在庫評価のベースとして決算をします。しかし、マーケットプライスが標準原価よりも下がってしまっている場合は、経営の実態が見えにくくなります。標準原価で在庫評価しますと、一見会社は利益が出ているように見えます。しかし実際は、在庫は原価割れを起こしていますので、在庫を売る時には損が発生するのです。

会社として資産として計上されるものは、会社の将来の利益に貢献するものだけなのです。余分なものは経費であり、損失なのです。在庫評価も、利益に貢献することをベースとして評価すべきものなのです。これが売価還元法式なのです。製品の原価率が70%とします。マーケットプライスが下りますと、原価はマーケットプライスの70%となるわけです。それが在庫評価額となるのです。

月次の利益変動幅を小さくする

標準原価方式に基づいた在庫評価をしない理由の一つは、製品が完璧(かんぺき)でなければ市場価値はないと考えるのです。仕掛品は完璧な製品ではないのです。従って、仕掛品は年度末以外は評価の対象としていないのです。通常の会計上は製造途中の仕掛品も製品と同じようにその原価で評価されます。仕掛品は、コストの集合体というだけで、購入して頂くお客様にとっては何の価値もないものなのです。

アメーバ経営での時間当り採算制度においては、支出した製品費用から原価計算によって評価される仕掛品価値と差し引いて製造原価を計算するということはせず、製造費用は、その月に発生したすべてのものとしており、複雑な製造原価計算制度は採用していないのです。何故ならば、ユーザーである顧客から見れば、未完成な製品など何の価値もないものだからです。

  1. その月に買ったものは、その月に経費として落とす

通常の財務会計では、毎月、原材料、仕掛品、製品と、原価を算出して製造原価計算書、損益計算書、貸借対照表を作成しています。しかし中小企業の場合は、月次決算では実施棚卸はしませんから、正確な損益は算出されていないのが普通です。多くの会社では、原材料や仕入商品を月末に正確に把握せず、増減を考慮せずに月次決算をしています。そうしますと、月によっては利益が出たり、出なかったりして、月次決算をしている意味がありません。

こうしますと、経費を削減しようと従業員と会議をしても、決算に大きなバラツキがありますから、どのような手を打ったらよいのかわからなくなってしまいます。

こうしたバラツキは、原材料、仕掛品、製品在庫があり、毎月末増減することにより発生します。大量に原材料を仕入れ、在庫が増えますと、在庫管理ができていない場合、仕入だけが経費として計上されますから、当月は大巾なロスが発生します。翌月は原材料仕入がゼロだったとしますと、経費はゼロとなり、大巾な黒字となってしまうのです。原材料、仕掛品、製品の管理が行き届いており、原価計算が正しくされておりますと、こうしたバラツキは発生しません。しかし手間ひまがかかるため、実際には難しいのです。

アメーバ経営では、その月にアメーバが買った原材料、部品は、その月に経費として落とします。原材料が手許に残っているのに経費に落としてしまうのは、たしかに、おかしいのです。しかし、そもそも、使い切れないほど買ってはいけないのです。“当座買いの原則”-要るものは要るときに要る量だけ買うべき。安いからといって大量に買ってはいけないのです。

そうしますと、今使わなくても、買ったものは経費になってしまいますから、すなわち赤字になりますから、要る分しか買わないことになります。仕入れた原材料がすべて製品となり、売却されるようになりますと、売上-仕入=売上総利益(グロスマージン)となり、月次決算も非常に単純になってきます。生産規模が変わらない場合、原材料在庫、仕掛品在庫、製品在庫の計算は一定となります。

会社経営がうまくいっていない会社は、毎月の決算の利益幅が大きく変動してしまっています。管理がよくされている会社の月次決算は、利益幅がフラットとなり、安定しています。