盛和塾 読後感想文 第138号

エネルギーを部下に注入する

リーダーが情熱を込めて事業の目標やプロジェクトの意義を部下に話し、彼らの士気を、自分と同じレベルにまで高めることができれば、事業を成功させることは可能になります。自分のエネルギーを部下に注ぎ込むのです。これにより、チームのエネルギーレベルはリーダー自身のエネルギーよりもさらに高くなるそうです。 

部下がそのプロジェクトに協力することを簡単に承諾しただけの場合は、成功への可能性は低いでしょう。もし部下が“全力を尽くします”と言ってくれたら、おそらく半分は成功するでしょう。しかし、もしリーダーが自分のエネルギーを注入し、彼らが、そのプロジェクトは自分たちのものと考えるようになれば、プロジェクト90%成功するでしょう。 

部下がどのぐらいプロジェクトに対し、情熱を持っているかを知り、部下が情熱で燃え上がるまで、自分のエネルギーを注ぎ込むこと。これがリーダーとして最も重要な任務です。 

リーダーとして目標をいかに実現するか

立てた目標をリーダーとしていかに実現するか、そのためにリーダーの持つべき考え、取るべき具体的な方法についての講話です。 

  1. 明確な目標を立て、その目標が達成できると心から信ずる
  2. 目標達成の具体的方法を検討し、考え続ける
  3. 目標を達成する方法を部下に対して丁寧かつ具体的また明確に指し示し、できるという自信を持たせる
  4. 部下の意見を聞き、採用することを通じて、経営の参画意識を持たせる
  5. 日々採算を作る、損益を見るのです 

一.明確な目標を立て、達成できると信じる

リーダーは明確な経営目標を作ると同時に、目標達成できると自ら信じていなければなりません。自分自身が信じていないような経営目標を、いくら話しても効果はなく、まずは自分が目標達成を心から信じなければならない。 

“自分の会社をこうしたい”“こういう形を目指したい”というその人の強い願望こそが、会社そのものを作っていくのです。経営目標には、その経営者の願望が反映されていなければならないのです。 

さらにその願望が“従業員のため”“世のため人のため”という気高い純粋な思いに裏付けられたものであれば、その企業は限りなく成功へと近づいていくことができます。 

素晴らしいリーダーとは、強く気高い思いに裏付けられた、その集団の“あるべき姿”“理想的な目標”を描ける人です。社長はその会社全体の“あるべき姿“ を描ける人です。 

“あるべき姿”とは“理想像”であると同時に、具体的な目標です。単一の目標ではなく、受注、生産、売上、利益といった一つ一つの数字を目標として掲げることもしなければなりません。と同時に、従業員のモラル、つまり士気や会社全体の風土といった側面もあるのです。 

同時に、リーダーは、その目標達成できると心の底から信じなければなりません。高い目標を掲げても、リーダー自身が“達成できないかもしれない”と思っていたのでは、いくら理想的な素晴らしい目標であったとしても、達成することができません。 

イギリスの哲学者ジェームス・アレンは、その著書“原因と結果の法則”において次のように述べています。 

“人間を目標に向かわせるパワーは、自分がそれを達成できるという信念から生まれます。疑いや恐れは、その信念にとって最大の敵です”。これが経営の舵取りを行うリーダーこそが拳々服膺(けんけんふくよう、心にしっかりと止め、忘れないようにすること)して肝に命じなければならないということだと思います。なぜならば、自分で目標を立てておきながら、往々にしてすぐに“このような難しい条件がある”と後ろ向きに考え始める人が多いからです。 

少しでも“これは難しい”と思ったら、絶対に物事は成就しません。“絶対に実現できる”と自ら信じ込ませることが必要なのです。“自分がそれを達成できる”という信念こそが人間を目標に向かわせる最大のパワーになるのです。 

意欲的な事業計画として、売上を倍増する計画を社長が掲げたとします。その時、社長自身が“倍増は間違いなくできそうだ”と思っているのか、それとも“倍増とはいっても、実際はなかなか難しい”と思っているかで結果は全く異なったものになっていきます。 

このリーダーのメンタリティーは、そのまま幹部社員、一般社員にも伝わり、会社の中に広がっていくということです。目標に対してリーダーである経営者が“絶対達成できる”と本当に信じていれば、その思いが部下にも伝わっていきます。 

売り上げ五倍、一兆円企業を目標に掲げた京セラ

稲盛塾長は京セラを経営してくる中で、次々に新しい目標を掲げ、実現してこられました。当時、京セラにとっては不可能とも思えるような目標も数多くありました。1984年1月、経営スローガンでは“一兆円企業を目指して”という目標を掲げました。当時、京セラのグループの売上は、二千五百億円ほどでした。次年度の目標は三千億円でした。その時“一兆円企業”という目標を掲げたのです。 

幹部社員の多くは‘そんな壮大な夢が実現するのだろうか”という疑念を持っていたと思います。“何を驚いているのだ。今の事業規模である二千億円のたった五倍じゃないか”と幹部社員に稲盛塾長は話したそうです。“たかが五倍”というメンタリティーが、目標を掲げるリーダーに求められるのです。そう信ずることで、不可能と思えるような一兆円という目標が、達成できるような気がしてくるのです。 

そして京セラは2015年、売上一兆六千億円に迫る会社になっているのです。 

  1. . 具体的、論理的な方法を検討しつづける

リーダーが自ら立てた目標を達成するために、具体的な、理論的な方法を検討し続けます。目標数字、あるいは言葉にして掲げるだけで良いというものではありません。どうすればその目標を達成できるのか、その達成に至るプロセスを事細かに考えていきます。そのプロセスは、誰の目から見ても合理性のある、論理的なものでなければなりません。 

強く思えば思うほど、物事を実現し、成就するというのは真理ですが、“思う”ということだけにとどまっていては実現しません。 

“どうしてもこの事業を成功させたい”“この高い目標を実現させたい”という強烈な願望を心に抱いたなら、当然のこととして、その願望を達成するための戦略、戦術を理知的に考え尽くします。どういう手法を使い、どういう順序で進めていけばいいのか、目標を掲げるリーダー自身がよく練っていかなければなりません。 

目標を本当に達成したい、計画を成就させたいと思っているならば、次から次へと湯水のごとく方法論が思い浮かんでくるはずです。もし方法論が浮かんでこないならば、おそらくまだまだ思いが足りず、それほど強い願望ではないということです。 

次々に湧いてくる方法論は、一回検討するだけでは不十分です。綿密なシュミレーションを繰り返し行うことが大切です。特に新しい事業展開する場合には、頭の中で、実際に進出した時と同じような状況を想定しながら、それに対する具体的な方法を組んでいきます。そして成功して、目標を達成した喜びにあふれた場面を想像することができるほどまで、シュミレーションを繰り返し繰り返しやっていきます。 

シュミレーションの結果、達成した目標が空でくっきりと鮮明に見えるようでなければ、目標実現しません。 

シュミレーションを繰り返し、見えてくるまで考える

1984年に創業した第二電電(現KDDI)の場合も、シュミレーションの繰り返しの結果、目標達成することができたのです。 

巨大な国営企業、電電公社(NTT)が相手という、リスクの高い壮大なビジネスに挑戦するわけですから、本当であれば、不安で、逡巡しながら進めなければならなかったのです。しかし稲盛塾長は、国民のために安価な通信料金を実現しようと強く思い、第二電電を創業してから上場を果たし、KDDIの原型を作るまで、シュミレーションを続け、考え尽くしてきたのです。 

稲盛塾長には、一抹の不安もありませんでした。第二電電が成功していく様が、何年も前から全部見えていました。つまり二年先、三年先に起こってくることを“これは必ずこういう経過をたどって、こういう結果になるから、我々としてはそれにこういう風に対応していこう”と言い切って、経営の道筋をずっと説明していきました。 

NTT、日本テレコム、日本高速通信という競合相手があり、相手の出方によっては第二電電の方法、打つ手も変えざるを得ないと思っていたのですが、実際には第二電電の方法を変更する必要がなかったのです。実際にはシュミレーションした通りを実行することとなったのでした。 

新電電による市外電話サービス開始にあたっての料金体系がそうでした。一九八七年九月のサービス開始の時、NTTは、東京-大阪間で三分四百円、第二電電は三分三百円で設定しました。名古屋-神戸間では、NTTは三分二百六十円、第二電電は三分百三十円と半額に近い料金設定をしました。 

全体で20%割安という料金設定は、一年も前に稲盛塾長が第二電電の幹部社員に明確に言っていた数値と全く同じだったのです。それは“NTTの現在の料金に対して、第二電電がどれぐらいの料金設定をすれば、ユーザーの満足を得られるだろうか”“採算上をクリアしたうえで、最低でもこれくらい割安に設定しなければならないのではないか”と繰り返しシュミレーションをした結果が全体で20%割安という数字でした。 

第二電電の経営では、夜も寝られない位に考え抜き、必死に努力をしました。不安は一切なかったのです。事前にシュミレーションを繰り返して、事業が成功する姿、一生が実現する姿がカラーで見えていたのでした。 

一旦経営の目標を設定し、自らその実現を信じると同時に、具体的に、どうやって達成するのかという戦略・戦術的な方法、手段について、繰り返しシュミレーションを行い、見えてくるまで考え抜いていくのです。 

三.達成する方法を示し、自信を持たせる

リーダーは目標を達成する方法を部下に明確に示すと同時に、そのことを通じて部下にできるという自信を持たせるようにしなければなりません。 

リーダー一人では会社の目標を達成することは困難です。リーダーは自分のみならず、幹部社員、全従業員と目標を共有し、シミュレーションした目標達成に至るプロセスを説明した上で、それが必ず成功するのだということを全員に信じ込ませなければなりません。 

リーダーが強烈な願望を持ち、高い目標を掲げても、その集団のメンバーがその目標の実現を自分のこととして捉え、懸命に努力してくれなければ、決して目標は達成できません。 

リーダーは集団の心をとらえることができなければなりません。集団の全員が“何としても達成しよう”と思わせることが大切です。リーダーは集団に生命(いのち)を吹き込み、全員のベクトルを合わせ、目標に邁進(まいしん)させるよう、導いていくことがリーダーとしての役割なのです。 

目標を共有する具体的な仕組みとしては、会社全体の経営目標を組織ごとにブレイクダウンし、組織の最小単位に至るまで、明確な指針となるように細分化することが必要です。目標社員一人一人が具体的に理解できるように、細分化して、わかりやすくしていくことが求められます。 

また年間の目標のみならず、月次の目標も設定し、各人が月々の、また日々の目標を正確に認識し、着実にその目標を果たすことができるようにします。そうすることで、一人ひとりのメンバーが“自分の目標はこうであり、自分は今その目標に対してどの程度進歩している”ということが明確にわかるようになり自主的に、また自信を持って目標達成に邁進することができるようになっていきます。 

同時に、部下と目標を共有し、目標達成の熱意を経営者と同じレベルにまで引き上げ、部下に心底から目標の実現を信じてもらうようにすることが大切です。リーダーが持つ情熱やエネルギーを部下に注入するのですが、“エネルギーを注入する”とは、相手の心、気持ちを励起(れいき)させることです。励まし、ヤル気を起こすことです。自分の部下、自分の周囲の人たちの気持ちを高揚させて、“分りました。一緒にやりましょう。どんな困難があろうとも、なんとしてもこの目標達成しましょう”と言ってくれるようにするのです。 

仕事の意義と方法を示してきた京セラ

新しい仕事・注文をとってくるために、客回りをしてきたのですが、その時“他社ができないような難しいものはありませんか”と言って稲盛塾長はあえて難しい注文をもらって帰りました。しかし、“この注文をとってきた。頑張ってくれ”と安易に従業員には渡しませんでした。大変忙しい毎日を従業員は過ごしていました。稲盛塾長は出張から帰って、部下に集まってもらい、“今日はA社に行ったら、真空管の技術者からこういう話があった。こういうものはできませんかと言われた”というふうに、商談の様子を事細かに手に取るように説明しました。 

“この絶縁体はA社が作る放送局用送信管のこの部分に使われる。形状が複雑で、今もっている技術で作るのは難しいので、新しい加工方法が必要だと思う。この送信管は放送局が完成を一日千秋の思いで待っており、この技術を応用することで、もっと幅広い事業展開も可能になる” 

注文を取ったときは、その部品が組み込まれる製品はどういう用途に使われ、さらには社会でどういう役割を果たし、社会がどう変わっていくのかということにまで部下に話しました。社会的にも会社にとっても、大変意義のある仕事であり、その重要な製品をこういう方法で作ろうと具体的な話をするようにしていました。 

それでも顔を見れば“難しい”という顔をしています。“こうすればできる。こうすればいけると思う”と方法まで示し、部下がその気になるまで一生懸命に話しました。 

“やれ”“がんばれ”というのではありません。なぜがんばらなければならないのか。なぜがんばるに値するのか、社会的意義、会社にとっての意義、お客さんの立場までよく話した上で、こと細かく具体的な方法を説明していきました。 

“どうしてもやり抜くのだ”という顔つきになるまで、二回も三回も繰り返し繰り返し話をしました。顔を合わせれば、その都度呼び止めて再度話をしました。 

四.部下の意見を聞き、正しければ採用する

目標を達成するための方法について部下の意見を聞き、それが正しければ採用するということも大切なことです。これは良いアイディアを採用すると同時に、部下に経営への参加意識を持ってもらうという意味があります。 

トップダウンで決めてしまうのではなく、目標達成のための計画策定段階から、部下を巻き込み、“自分たちが立てたものである”という意識を全員に持ってもらうようにします。 

“上から指示されたから、仕方なく”と思いがちです。つまり自ら設定した目標に従って任務を遂行しているわけではありません。そうしますと、消極的な姿勢をとるようになってしまいます。 

京セラではそれとは逆に、社員に向かって“皆さんもぜひ知恵を出して私と一緒になってこの会社の経営を考えてください。”と言って参加を求めていったことで、“社長が私にこんなに期待してくれているのか。それならば、私も、この会社はどうすればうまくいくのかを考えて、期待に応えていこう”と自分から経営に参加し、会社を少しでも良くしていこうと活発に意見を出してくれるようになったのです。 

しかし一方では部下を集め、意見を聞いた上で立てた計画が、目指すべき目標とあまりにも乖離していた場合には、トップの意思として、高い目標を設定し直すということもしなければなりません。その場合でもなぜそのような目標を目指すのか、懇々と部下に説明し、部下が当事者意識を持って納得してその目標を受け入れるまで、徹底的に話し込んでいくことが必要です。 

一部の幹部がいくら采配をふるって経営に全力を尽くしても、たかが知れています。会社に住む従業員一人一人が、自主的に創意工夫に努めることが何よりも大切です。 

五.ど真剣に気を込めて日々採算を作る

リーダーは集団を目標に着実に導いていくために、日々採算を作ること、つまり気を込めてど真剣に一日いちにち採算を考えて、損益計算する必要があります。 

経営リーダーの目標とは、年間の売上目標、利益目標と、経営計画です。年間売上、年間利益は日々の業績の積み上げです。毎月の積み上げなくしては、年間の大きな経営目標を実現することができません。 

リーダーは月末になってから経理から出される損益計算書を見て経営するのではなく、毎日の売上や経費を見て、採算を作っているのだという意識を持って、日々損益を考えながら、経営に当たらなければなりません。 

事業とは毎日数字の動きを追っていかなければならないものです。しかし、そうすると“ただひたすら頑張って一日を過ごせば良いのであって、採算はその成り行きで出てくるのだから、二の次でいいのだ”と思う人がいるかもしれません。 

しかし、事業というのはリーダーの意思で行うものです。リアルタイムで経営数字を見ながら、予定した目標に対して進捗が遅れている場合は“この製品を売り込む新しい市場は無いだろうか。A社に営業に行き、こういう提案をすれば、きっと使ってくださるはずだ”と新しいアクションを考え、実行に移していくはずです。 

あるいは徹底的にコストダウンを図る場合、もっと安い購入先はないか、製品の品質はそのまま保ちながら、大体材料使用できないかと、また無駄な経費がないか、徹底的な経費最小の取り組みをします。 

このようにして、リーダーは損益を作っていくのです。そういう意味で採算を作ることができるのです。リーダーの意志と努力で、売上を増やすことも経費を抑えることも可能になるのです。採算というのは良くも悪くも全てリーダーの意思と行動のあらわれなのです。 

例えば年度初めに年間の経営目標は掲げたにもかかわらず、二ヶ月もたたないうちに計画を大幅に修正するような経営者、また経営幹部は、決して経営集団を率いるリーダーにはなれません。仮に、市場の変化や部下からの報告を客観的に見たときに、当初立てた目標が達成できそうにないということがわかったのなら、他に手立ては無いのか、挽回策はないのかを必死で考えるのがリーダーの役割なのです。 

経営状況は刻々と変わっていきます。変わっていく中でも少しでも掲げた目標に近づくよう、最後まで諦めずに舵取りをしていくというのが、経営者の仕事です。

将来の危機の芽を未然に摘み取る

経営者としての役割を果たすためにも、経営数字をリアルタイムに把握できるような、精緻な管理会計の仕組みを構築していく必要があります。 

大きく肥大化した組織になればなるほど、経営実態や無駄がわかりにくくなり、必要な経営改善を手が打てず、また誤った舵取りをしてしまうことで、せっかく成長させた企業を衰退させてしまう例が後を絶たないのです。 

表面上は成長発展を続け、繁栄を続けているように見えていても、実はその影に衰退の原因が隠れている場合が少なくありません。 

年間の経営目標の数字が日々の細かい数字の積み上げであると同じように、企業グループ全体はグループを構成する大小様々な関連会社、事業部門の実績数字の積み上げです。現在は小さな欠陥で短期的には会社全体の業績に影響を及ぼさないような問題でも、そのまま放置すれば、将来的には会社全体を蝕み、取り返しのつかない状況を招きかねません。 

連結ベースの決算では健康そうに見えていても、非常に素晴らしい利益を出しているように見えても、世界各地にある関連会社を個別に細かく見ていけば、どこかにがん細胞が発生しているのではないか。そうした小さな結果を見逃してしまうと、やがて大火の元となり、本体そのものもおかしくなってしまうかもしれません。 

どんな小さな部分であろうとも、健全でなければなりません。あらゆる部門が素晴らしく健康でなければなりません。 

リーダーは組織に生命を吹き込む

組織とは本来、意識や生命を持っておりません。その無生物の企業体に対して、経営者の意識、または生命を吹き込むことによって、あたかも生物のように生き生きと動き出します。 

社長が仕事が終わり、会社の組織の頭脳である社長が、個人に戻りますと、会社組織も無生物となります。ですから、自分自身のことを犠牲にしてでも、会社のことに常に意識を働かすことがトップの義務なのです。 

私的な生活、家族との生活、子供の学校行事等も犠牲にしなければならないことが多々あります。 

経営者とは大きな愛に身を捧げる人

リーダーの無私の姿勢こそが、従業員をして“この人についていこう”“この人の為なら一生懸命働こう”と思わせるのです。筆舌に尽くしがたいほどの苦労しながらも、必死の努力を払って従業員を守り、会社を守り、ひいては社会の発展にさえ貢献できることこそ、他の何にも代えがたい経営者の勲章です。 

自分個人だけを守る、あるいは自分の家族だけを守るという“小さな愛”ではなく、多くの仲間を守り、幸福にする、ひいては社会に貢献するという“大きな愛”、その大きな愛に身を捧げる人生とは、やりがいのある幸福な人生だと思います。

盛和塾 読後感想文 第137号

利他行としての経営 

経営者の生き様を見せる場に

第一回全国大会での稲盛塾長の講話をまとめたものです。利他の心が人生や会社(社風)にどうして良い影響を与えるのかということを説いておられます。“利他の心とは、それを持つことにより周囲の尊敬を得て会社を発展に導く、国や業種を問わない普遍的な真理である”と述べられています。“経営とは利他行である“=盛和塾の原点です。 

今回の大会には、奥さん同伴の方もいますが、来年もぜひ奥さんと一緒に来ていただきたいと稲盛塾長は述べておられました。奥さんを教育するのが一番難しいのです。奥さんを盛和塾大会にお連れして、男の生き様というものを見ていただき、理解を深めていただく、良い機会なのです。 

日本の経営が大切にしてきた利他の心

トップマネジメントに必要なのは強烈なリーダーシップと優れた人間性と言われています。その人間性の中身を決めるのは、心の中にある“利己”と“利他”です。 

我々は日常、“利己”をベースにして生きています。損得勘定で生きています。多くの人が、その対極にある“利他”という心に気づきません。心がエゴで満たされて、欲望のままに生きているために、何らかの努力をしない限りは、利他の心の存在すら意識できないのです。 

利己、つまりエゴは、肉体を維持するために神様から与えられたものです。“自分だけが良ければいい”というエゴは、我々が肉体を維持するために必要なのです。しかし“自分だけが良ければいい”というエゴが過剰になり、相手の人、周囲の人の犠牲を伴うようになりますと、必ず他人と摩擦を起こしてしまいます。 

利他を見つけるには心の奥底にある本当の自分というものを追求しなければなりません。利他の心は、世のため、人のために尽くす心です。周囲から感謝され、我々を生き生きとさせてくれるものです。本当の自分とは何か。仏教の世界では、どのような人にも“仏の心”仏性が備わっていると言われています。天然自然あらゆるものに仏が宿ると言われています。 

仏の心、利他の心は、利己を抑えることによって、我々の心に湧き出てきます。この利他が企業経営に最も大事です。企業経営は、自分の企業が儲からなくてはいけませんから、利己的な人でなければできないように見えます。ですが本当は、利他が必要なのです。自分の企業が儲かるためには、仕入れ先も、得意先も、従業員も、皆が、自分の企業の製品、サービスによって助けられ、彼等も生き延びていくことが必要です。彼らからの協力がなければ、自分の企業も生き延び続けることができないのです。 

哲学者梅原猛先生は“儲けたいと言う人で企業人は頑張っている、と思われがちです。しかし日本の企業人は社員の雇用など会社全体のことを考え“利他行”をしています。” 

と言っています。日本の企業経営者は社員の為を思い経営しています。例えば業績を伸ばし、利益を上げようとするとき、その目的は経営者である自分の金儲けよりも、社員の幸福のためであると企業経営者は言います。不況の時でも、各社社内に潜在的な失業者がいるにもかかわらず、首を切ることもせず、雇用を守っています。これが経営において利他行していることなのです。 

経営においては“ヒト・モノ・カネが大事だ”と言われます。不景気になれば、レイオフ、逆に好況で忙しくなれば人を採用すると、人をモノのように扱うことがあります。 

日本では社員をモノのように扱う事は少ないと思います。これも“他人のために良かれかし”という利他的な考え方が、いくらか含まれています。 

たとえ一人でも二人でも、社員を養うのは大変立派なことであり、立派な利他行です。企業経営者は我利我利亡者だと思っている人がいますが、経営者は口舌の徒である学者よりはるかに尊いことをしているのです。企業経営者は社員を養っており、その社員には必ず家族がいます。そのように多くの人たちを養うのは、大変立派なことです。 

社員の考え方次第で社風が大きく変わる

人生・仕事の結果=考え方x熱意x能力ということを述べてこられました。利他の心は+100まで、利己の心は−100まであります。考え方が人生を決めていくものなのです。 

一個人の場合は考え方が人生を決めるわけです。会社の場合は、社員の考え方が社風を、会社の成長発展を決めます。良い考え方をする社員がいる場合には、素晴らしい社風になっていき、逆に悪い考え方をする社員がいる場合は、すさんだ社風になっています。 

経営者は、待遇や福利厚生施設が充実しているかといった条件で、社風が決まると考えがちです。そういう物理的条件によって確かに社員の気持ちや生活の安定は左右されるでしょうから、それで社風が決まるようにも考えられます。しかし大半は、社員の“心の持ち方”によって決まるのです。もちろん社員の待遇が極端に悪く、生活ができないような状況では“心の持ち方”に大きな悪い影響及ぼします。 

しかし給料が高くないにもかかわらず、素晴らしい社風を誇る企業もあります。給料以外にも決して条件が良くないのに、素晴らしい社風を保っている企業もあります。常識外れに条件が悪いのでは、そういう社風は作れません。高給を出しているから立派な社風ができるというわけではありません。 

つまり社風は、社員の考え方で決まるのです。社員が持っている思い、考え方によって企業の状態が決まります。“なんと素晴らしい社風なのだろう”と感銘を受ける企業があり、また一方では“なんとも凄まじい荒れた社風”と驚嘆させられる企業があると言うように、大きな違いが出てきます。 

禅宗が教える考え方の大切さ

禅宗では地獄と極楽は物理的に全く違いがなく、中に住む人の心、考え方が違うだけだと説いています。 

禅宗では、食べ物が粗食なので、うどんがご馳走だそうです。囲炉裏に大きな釜を置いてゆがき、つけ汁で食べる釜揚げうどんは、大変なご馳走です。地獄でも極楽でも釜揚げうどんを、1メートル以上もあるような長い箸で食べます。地獄では釜が湯気を立て、うどんが茹で上がっています。餓鬼道に落ちた地獄の住人たちは、その箸で、我先にとうどんを食べようとします。うどんを挟んでも口までもっていくことができません。お腹が空いているので、気持ちは焦ります。しかし口に持っていこうとしても、うどんはつるつると滑り落ち、釜の周囲に飛び散るばかりです。そこでふと向かい側を見ますと、人の箸先にはまだうどんがある。その人も食べようとしてもがいているのです。それを横取りしようと住人同士で取り合いになっています。その結果、結局誰もうどんを食べられなくなってしまいます。これが地獄なのです。 

一方極楽でも、釜茹でうどんを茹でています。うどんが茹で上がりますと“ありがたいことです。今からいただきましょう”と言って向かい側にあるつけ汁につけ、向かい側の人の口に入れてあげます。向かい側の人も“美味しゅうございました。先にいただいて申し訳ありません”と言ってやはり長箸で人に食べさせています。こうして皆満足し、互いに感謝しあうことになります。 

極楽の住人たちは、互いに利他行をしており、それが利己に通じています。相手を先に立てることで、自分も潤うことができるのです。 

地獄では互いに競い合う、凄まじい阿鼻叫喚で、誰もうどんを食べられず満たされる事はありません。ところが極楽では、みんなでおいしいうどんを食べることができ、感謝の念に満たされています。物理的には全く同じであっても、中に住む人の心によって、状態が変わるのは、このようなことなのです。 

人の心を大事にすることが経営の始まり

中小零細企業の時、潤沢な資金があるわけではなく、技術力もありません。優秀な人材もいません。中小企業では、望むような人材が来ません。来てくれた人が宝です。経営者自身に見合う人しか来ません。ですから、会社に今いる人、また来てくれた人を大事にするしかないのです。 

決して最初から資金力、技術力、人材が揃っている事はありません。あるのは“人の心”だけです。経営とは、人の心を素晴らしい状態に導くことから始まります。 

すでに百億円、五百億円というように、会社が大変で立派になっている企業もあります。ぜひ素晴らしい心の持ち主が集まるような会社にしていて下さい。立派な心の人たちが集まりさえすれば、必ず会社は伸びていきます。 

資金もなければ技術もなく、人材も決して豊富でもなくとも、素晴らしい心の持ち主が集まる会社にするのが、リーダーの大事な役割です。 

小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり

“利他”は単に人に優しくするということではありません。人に対して思いやりの心がある社風でなければなりません。ですが、厳しさも伴っての“思いやりの心”が大切です。 

子供を大事にするあまり溺愛し、甘やかす事は決して本人のためになりません。それは“小善”でしかありません。子供を立派に育てようと思えば、より大きな本当の意味での愛がなければなりません。“可愛い子には旅をさせよ”という言葉があるように、一見厳しいものに見えるかもしれません。厳しく、非情に見える本当の愛、それが“大善”なのです。 

例えば仕入れ先があったとします。仕入れ価格は一個千円ですが、市場の価格は九百円だったとします。

経営者としては仕入先に一個千円を支払うことができません。その時、仕入業者の方々にも厳しくコスト削減の努力を求めることが必要です。そうすることによって仕入れ業者は一層の努力をする、経営改善に努力をする機会を与えられたことになり、その経験は仕入業者の成長発展のために役立つはずです。可能であれば自社の技術者を仕入業者に派遣し、指導することも考えるべきです。こうした両者の協力は両社にとってもメリットのあることです。これが“大善”であり“利他の心”なのです。 

盛和塾 読後感想文 第136号

盛和塾でいかに学ぶか-フィロソフィーを血肉化する- 

盛和塾で学ぶ目的とは 

  1. 学びを経営に生かせているか

稲盛塾長が盛和塾を始めたのは、徒手空拳で創業した京セラを成長発展させていく中で、京セラの経営の要諦をぜひ教えて欲しいという京都の若手経営者からの声に少しでも応えようとされたことが始まりでした。 

盛和塾生の中には、

“もし盛和塾に入塾していなかったならば私の会社は潰れていたかもしれません。盛和塾で学んで目から鱗が落ちました。学んだ経営の要諦を実践することで、経営がうまくいくようになり、会社を作ることができ、従業員を路頭に迷わせることがありませんでした。”

とフィロソフィーを血肉化してこられた経営者がおられます。 

ところが、中には何のために盛和塾に入ったのかわからない方もいます。せっかく盛和塾に入り、5年も在籍しながら、経営の要諦も何も掴むことができないまま、また盛和塾で学んだことを自分自身の経営に役立たせることができないまま、入塾した意味がないと思って去っていかれた方もいます。 

様々な経営者仲間とお付き合いができるからという漠然とした目的で入っている方もおられます。心が通い合う盛和塾の会合に出るのが楽しいから入ったのだという人もいます。 

  1. 会社の業績が伸びなければ、学ぶ意味がない

盛和塾は唯単に和気あいあいと意気投合した人たちが仲良く集まることが盛和塾の目的であってはなりません。あくまでも盛和塾に入った塾生企業が成長発展し、“盛和塾に入って本当に良かった”と思えるようになるべきなのです。実際に業績を伸ばすという実績が伴わなければ、盛和塾で学ぶ意味がないのです。 

  1. 公明正大で大義名分のある経営

何のために業績を伸ばし、会社を立派にしなければならないのか。それは決して経営者個人の為であってはなりません。“従業員を幸せにしてあげたい” “従業員が生活の不安を抱くことなく、安心して会社に勤められると同時に、仕事に誇りと喜びを感じられるようにしたい。” “さらに利益を上げ、税金を納めることを通じて、社会に貢献していきたい”というような公の目的のためでなければなりません。 

盛和塾では、自分の財産を増やしたい、だから会社を良くしたいということを経営の目的にはしていません。“会社を立派にしたい”という願望を抱いていたとしても、われわれは、自分が儲けたいがために、あるいは自分だけが良ければいいという利己的な目的ではなく、あくまで世のため人のためという利他的な目的のために盛和塾があるのです。 

しかしたとえ全従業員の物心両面の幸福を追求していきたい、人類、社会の進歩発展に貢献していきたいと思っても、業績が伴っておらず、利益を十分に確保することができなければ、とても高邁な経営の目的を達成することは出来ません。 

盛和塾に入塾して業績をぐんぐん伸ばしたという実績がなければ、入塾した意味がないのです。 

フィロソフィーを血肉化する 

  1. 会社を成長させる経営の要諦

業績を伸ばすのに必要な経営の要諦はただ1つ、経営者自身がフィロソフィーを繰り返し学び、血肉化し、実践すると同時に社員と共有するという事以外はありません。社員とともにフィロソフィーを血肉化すれば、経営は画期的に改善し、業績は必ず伸びます。 

企業を経営していくには戦略、戦術の立案、営業や物流の体制、管理会計や経理システム、具体的な経営の手法、手段の整備ということも当然必要なことです。 

しかしフィロソフィーが血肉化していないと、いかにそうした手法、手段を整備したところで、砂上の楼閣となります。経営の要諦とそのフィロソフィーには、そうした手法、手段を正しく運用するための哲学が含まれていますから、フィロソフィーを真に実践しさえすれば、経営にまつわる全てをカバーすることができるのです。 

日本航空の再生が、そのことを示しています。日本航空の再建にあたり、稲盛塾長が導入したのは、1.フィロソフィー、2.アメーバ経営の2つでした。 

初年度には、千八百億円の利益が出ました。その利益の大半は、フィロソフィーによる意識改革によって心が一変した日本航空社員たちが、地道な経費削減に努め、またサービス向上に向けた献身的な努力の賜物です。機長、副操縦士、キャビンアテンダント、整備の技術者、手荷物等を飛行機に積み下ろしするグラウンドハンドリングの人々、彼らが持ち場持ち場で“もっと経費を削減する方法はないか”“どうすれば、お客様により良いサービスが提供できるのか”と自主的に創意工夫を重ねてくれた結果が、素晴らしい業績回復につながったのです。フィロソフィーが社員一人ひとりの意識を変え、企業の体制をガラッと変えたのです。 

  1. 自分の肉体に染み込ませ、経営に生かす

フィロソフィーを血肉化するとは、どういうことなのか。それはフィロソフィーをただ単に知識として知っているのではなく、自分の肉体に染み込ませ、いついかなる場面でもフィロソフィーに沿った行動が取れるということです。 

日々の経営に悩み、必死になってフィロソフィーを学べば、何回同じような話を聞いても、そのたびに新しい気づき、発見があるはずです。そうではなく“ああ、その話は前に聞きした。もうわかっています”という程度の聞き方をしている方は、フィロソフィーを本当の意味でわかっていないし、血肉化もできていません。いくら言葉だけ学んでも、実践できなければ意味はありません。 

鹿児島の戦国時代の武将島津忠良が師弟のために作った“日新公いろは歌”その一節“いにしえの、道を聞いても唱えても、我が行いにせずば甲斐なし”があります。いくら先人の立派な教えを読んでも聞いても、また口に出して唱えても、自分が実行しなければ意味はないということです。 

  1. 素直に認める

実際フィロソフィーを血肉化し、実践しようとしても、なかなかできるものではありません。しかし“人間としてこういう生き方をすべきだ”“経営者としてこういうリーダーになるべきだ”ということを理解し、少しでもそれに近づこうと、生きている人と、そう思わずにただ漫然と生きている人とでは、人生や経営の結果は全く違ってくるのです。体得しているかどうかではなく、折に触れて反省し、体得しようと努力を続けることが大切なのです。 

フィロソフィーを完全実行できる人はいないのです。ですから、経営者としては、社員にも素直に、自分自身もフィロソフィーを完全には実行できていないと認めることが大切です。 

“社員のみなさんに私がフィロソフィーを学べと偉そうに言っていますが、社長である私も実行できているわけでは無いのです。いまだかつてフィロソフィーのすべてを実行できたためしがありません。これから一生涯かけて、実行できるように努力をしていくつもりです” 

“しかし、自分ができていないからといって、フィロソフィーのことを教えなくても良いというものでは無いのです。“こうあるべき”という事だけは言わなければなりません。そうすることで社員のみなさんが成長し、会社をさらに発展に導くだけでなく、社員皆さんの人生にも役立つと思います。” 

フィロソフィーを全て完璧に実行できる人はいません。自分はできていないけれど、何とか自分のものにしようと努力を続ける、その行為そのものが尊いのです。 

  1. 会社経営の実態に合わせて実践する

経営十二ヶ条として、フィロソフィーが凝縮した形で表現されています。この経営の要諦はあらゆる企業の経営に応用できる普遍的な経営哲学です。 

しかしこれらの項目を実践するにあたっては、個々の経営状況、経営のステップに応じて、その活用の方法が異なってくるはずです。ただフィロソフィーの項目を念仏のように唱えているだけでは、経営に生かすことができないのです。 

経営の状況に応じて/経営のステージに応じて、経営十二ヶ条の実践は異なるのです。 

第一のステップ 必死に一生懸命働く 

  1. 誰にも負けない努力をする

余計な事は考えず、ただ“必死に一生懸命働く”ということ。“誰にも負けない努力をする”。

例えば大学卒業後、父親の会社に入って経営者になるケースがあります。会社を継いでみると、父親が一生懸命に経営していたおかげで、しっかりした従業員もおり、売り上げも順調、得意先もあり、利益も出ています。今日から専務です、社長ですと言って経営者になります。訳もわからないまま、一生懸命働くしかありません。 

経営がうまくいっていますと、“商工会議所、青年会議所に入ってください”と周囲からおだてられる。しかし実際には、会社の舵取りをどうするか、経験もないわけです。このような段階では、盛和塾で学んだ“アメーバ経営”を導入することができません。従業員がついてくるはずがありません。 

この段階では、トップが率先垂範、従業員の誰よりも必死で働き、後ろ姿でその経営の姿勢を示さなければならないのです。 

  1. 本田宗一郎の教え

稲盛塾長は、京セラ創業時、本当に夜も寝ない位に必死で仕事をしました。経営者になった恐怖感から逃れようと、夜を日に継いで必死で働きました。 

この時、経営セミナーの案内があり、高額な受講料八万円を払い、本田宗一郎の講演を聞きに有馬温泉に行きました。本田技研工業の創業者です。 

その時に講師として現れた本田宗一郎さんは、作業服を着たままで出てきました。そして第一声、“大体高いお金を払って、温泉に入って、浴衣を着て、あぐらをかいて話を聞こうと言う根性がなっとらん。こんなところで話を聞いて何になる。とっとと帰ってすぐに仕事をしろ。仕事が一番だ。” 

本田宗一郎が言うのには、“とにかく脇目もふらずに必死に頑張るとう事なんだな”と稲盛塾長は帰ってからまたひたむきに懸命に働いたそうです。 

“余計なことは考えるな。必死で働くんだ。誰にも負けない努力をするんだ”と経営のわからない人には教えればよいのです。 

第二のステップ社員を説得し惚れさせる 

  1. 一人ひとりを社長のファンにする

経営者自身が率先垂範必死で働くことを学び、実践できたら、社員を説得し、惚れさせる言葉を学ぶことです。 

社員一人ひとりを説得し、社長のファン、社長の信者に仕立てていかなければ、集団の力を結集した頃はできません。“給料を払うから働け”と言えば、社員は働きます。しかし本当の意味で全力では働いてはくれません。社長に惚れ込み、社長を尊敬してくれるようにならなければ、社員の力が分散し、会社もベクトルを合わせることができません。 

中小企業の場合、従業員十数名、社員一人一人との心の絆でしか頼れるものはありません。10数名が社長と一体となり、気持ちを合わせてくれるかどうかで、会社の命運が決まるのです。社員一人ひとりに“うちの社長は素晴らしい人だ。あの社長のために頑張ろう”とするのが目標です。 

  1. 相手になるほどと思わせる

京セラ創業時には、稲盛塾長27歳、自分よりも一回り上の人や父親ほど年齢の離れた人を説得したり、ときには厳しく叱ったりしなければなりませんでした。 

相手に“なるほど”と思わせることが重要です。その当時は、みんなが感心するような表現をする教養もありませんでした。 

稲盛塾長は経営者として、社員を説得する術を学ばなければなりませんでした。格言や中国古典を引用しながら、その局面局面に合った言葉を選んで、叱ったり、諭したりしていきました。 

  1. 先人の教えを繰り返し学ぶ

説得するために学んだ格言や中国古典だけでは社員を説得できません。人間として尊敬されるよう自分を磨くために、懸命に哲学書や宗教書を読むようになりました。そして自らの心を高めると同時に、哲学書や宗教書から得た先人の言葉を使って、精魂込めて社員に語りかけるようにしました。 

稲盛塾長は枕元に常に10冊ほどの本を置き、毎晩読みました。常に繰り返し繰り返し学び続けなければ、自分の言葉にして語ることはできないのです。 

読みやすい本だからと、サラサラと読んでも決して身に付きません。何回も読み返し、熟読、精読し、感動し、先に進められなくなるほどの読み方をしなければ、書かれている言葉を常日頃から使えるようにはならないのです。 

  1. 最初は受け売りでも精魂込めて語る

会社発展に全面的に協力してほしいと従業員を説得しようとしても、どういう風に説いたら良いかわからないかもしれません。社員に離反されることを恐れて厳しく叱ることができない時もあります。その時“小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり”という言葉を思い出し、自信を持って社員を叱る。 

書籍を読んだり、CDを聴いたり、盛和塾で学んだことを自分のものにしていきます。そしてそれに従って、経営者本人の心の高まり、従業員から褒められるような素晴らしい人格を備えるようになっていくはずです。 

3ステップ フィロソフィーを数字に落とし込む 

  1. 損益計算書を使いこなす

フィロソフィーと損益計算書は別のものと考えている経営者がいます。そうでは無いのです。フィロソフィー、経営十二ヶ条を実践すると、その結果として損益計算書が作成されます。また逆に損益計算の数字を見て、こういう考え方で経営をしていこうと、損益計算書を経営管理に役立てることができます。フィロソフィーを本気で実践しようと思えば、損益計算書に落とし込んで、数字に置き換えなければなりません。 

企業経営は飛行機の操縦と同じです。経営者=パイロット、コックピットの計器盤は損益計算書です。パイロットはコックピットの計器盤を見ながら、今この飛行機はどういう高度で、どのぐらいの速度で、どちらの方向に飛んでいるのか把握しながら、飛行機を操縦します。損益計算書を使いこなせないと、会社の舵取りはできないのです。 

  1. 損益計算書をにらみ、現場へ向かう

例えば売上が十億円であったのが七億円に落ち込んだとします。そうしますと、七億円の売上に見合った経費を減らしていく努力をしなければなりません。損益計算書の細かい勘定科目を1つずつ見ていきながら、減らせるものがないか徹底的に探していくのです。 

売上が七億円に下がったら、七億円に見合った経費を使う経営に転換するのです。 

一方では売上を伸ばすために、営業はどうするのか、今までの製品では売上が伸びないのであれば、新しい製品はどうか、新しい製品の販売ルートはどこか。そして創意工夫をしながら売上を伸ばす努力が必要です。また十五億円にするにはどうしたら良いか考えていきます。 

損益計算書の勘定科目と朝から晩までにらめっこして、現場へ飛び、経費削減の指示を与えては、またその結果を損益計算書でチェックし、さらに現場に行き、売上拡大のための新しい指示を与えていきます。“売上最大、経費最小”の実践であり“日々採算を作る”ということなのです。 

  1. 数字が語るドラマが見えるまで読み込む

1ヵ月間、売上最大、経費最小に努めた結果がどうであったか、月末に締めてすぐに損益計算書が出来上がらなければ、次の対策を打つことができません。2ヶ月も3ヶ月も前の数字を見て、売上増減、経費増減、黒字だった赤字だったということがわかっても、何の意味もありません。月次決算は翌月、1週間以内に入手できるようにすべきです。そうでなければ損益計算書を生かすことができないのです。 

多くの経営者は、現場の実態が反映された数字を真剣に見ていません。経営数字に対して、ちょっと見ただけで、経営数字に対して何の反省もなければ、改善の手も打たれないことになります。

盛和塾 読後感想文 第135号

自利と利他

事業は“自利利他”の両方を満足させるようにしなければなりません。“自利”とは、自分の利益、“利他”とは他人の利益です。自利利他とは自分が利益を得たいと思ってとる行動や行為は、同時に相手側の利益につながっていなければならないということです。 

自利、利他の精神がないと、たとえ短期的には成功することがあっても、長続きはしないのです。必ず軋轢が起こってうまくいかなくなるのです。 

お客様も取引先も自分も喜ぶ事業が必要なのです。しかし現実には、そうはいかないことが多くあります。この前提には、三者が鋭意努力して、工夫してコストを下げるという強い意志が必要だと思います。お互いに仲良しで仲間だからという関係の上では、かえって三者にとってためにはならないと思うのです。 

常に相手にも利益が得られるように考えること、コスト削減する、新しい製品開発をする等、一生懸命努力をする。その上で利他の心、思いやりの心を持って事業を行うことが必要だと思います。 

利己のためではなく、社会のために利潤を追求するという姿勢が必要

利己的な利潤の追求は社会を荒廃させる

敗戦で廃墟と化した日本は、戦後の企業努力で世界有数の工業国に変身しました。しかし、利潤のみを追求するという日本企業の姿勢をエスカレートし、何の努力もせずに自分の資産を膨らませたいと言う貧相な精神がバブル景気を生み出しました。そのような風潮が蔓延する中で、多くのスキャンダルや汚職が起こり、名経営者と呼ばれた人々や政治家が失脚していきました。バブル景気は当然のごとく崩壊し、日本経済は未曾有の不況に襲われ、立ち直りの手立てを見つけることができず、社会全体が荒廃しています。 

それは日本だけではなく、先進国全体の問題なのです。初期資本主義の担い手は敬虔なプロテスタントであり、労働で得た利潤は社会の発展のために役立てるという社会的規範がありました。ところが現在は、利益を社会のために役立てるという考え方が希薄となり、利己的な利潤の追求が中心となった結果、先進資本主義の社会は荒廃しつつあるのです。 

確固とした経営哲学が京セラの今日の発展をもたらした

京セラが創業以来素晴らしい発展を続けているのを見て、多くの経営者が“どうして京セラは成長し続けるのか”と尋ねます。私はいつも“しっかりした経営哲学があり、それを社員と共有しているからです”と答えています。 

京セラには技術があるから、時流に乗ったからだとかと言う人がおられますが、そうでは無いのです。正しい経営哲学を持ち、社員がそれを自分のものにして理解し、全従業員が誰にも負けない努力をし、成功しても謙虚さを失わないでいるからです。 

京セラフィロソフィーの原点

稲盛塾長は27歳で京セラを27名の従業員とともに創業しました。それまで事業経営には何の経験もありませんでした。しかし、すぐに決裁をしなければいけないことが次々と出てきました。経営について何の知識も経験もない稲盛塾長は、経営者としての判断を下さないといけません。もし判断を間違えれば、たちまち会社は傾いてしまうのではないかと心配で、眠れない日々が続いたのでした。 

そこで、何を基準にして経営していけば良いのか、悩んだそうです。自分は経営を知らないのだから、原点に戻って“人間として何が正しいのか”という根本的な判断基準に従おうと思ったそうです。子供の頃に、両親や学校の先生に教わった基本的な倫理観をベースにしたことが、現在の成功をもたらしたと考えられました。 

フィロソフィーを社内で共有する

“われわれは物事に対処するに、誠意、正義、勇気、愛情、謙虚な心を持たなければならない”。“努力には際限がない。限度のない努力は本人が驚くような偉大なことを達成させるものである”というフィロソフィーがあります。 

京セラが成功できたのは、このような経営哲学を明確にし、経営陣、従業員が実践し続けたからだと思われます。経営者に明確な経営哲学はなく、ただ単に利益の増大を目指す合理性や効率性を追求する経営をしていくとすると、何をしてでも儲かれば良いという風潮が生まれてしまいます。結果として少しくらい不正なことをしても儲けようとする社員も出てくるでしょう。 

会社に明確な経営哲学がなく、社員と共有できる判断基準がなければ、企業は一時的に成功したとしても、決して長続きはしません。 

人生方程式

稲盛塾長は、多くの人を雇用する経営者は高い倫理観に裏打ちされた経営哲学を持って自らを戒めると同時に、社員と共有できるようにすべきだと考えました。そのために考えたのが“人生方程式”です。 

人生・仕事の結果=考え方x熱意x能力という方程式を考え、従業員に説明しました。 

能力とは商才や才能のことです。これは先天的なものですから、変えようがありません。0点から100点まであります。

熱意はこうありたいという思いです。自分の心の持ちようで変えることができます。一生懸命努力をすることができるわけです。ですから自分の能力を過信する人よりも、大した能力もないと思って情熱を燃やしながら努力した人の方が、はるかに素晴らしい結果を残すことができます。これは0点から100点まであります。 

考え方には、怒り、嫉妬、恨み、不平不満といった否定的な思いがあります。これは0点からマイナス100点まであります。一方、明るく前向きな思い、相手を思いやる優しい想いを持つ心は、0点からプラス100点まであります。 

つまり、いくら能力に優れ、熱意があっても、少しでもマイナスの考え方があると、その人の人生、仕事の結果はマイナスになってしまうのです。 

経営の原点十二ヶ条を実践する

実際のビジネスの世界では、権謀術策(けんぼうじゅっさく)に長けた者が成功するのであり“経営の原点十二ヶ条”“六つの精進”このような単純な原理原則だけでは、うまくいくはずがないと思われるかもしれません。 

しかし第二電電創業時に“動機善なりや、私心なかりしか”と自らに問い続け、純粋な“世のため人のために尽くそう”という気持ちが会社にあり、社員が共鳴し、誰にも負けない努力をし続けたために、第二電電は成功したのです。 

経営の原点十二ヶ条

  1. 事業の目的、意義を明確にする

 公明正大で大義名分の高い目的を立てる

  1. 具体的な目標を立てる

 立てた目標は常に社員と共有する

  1. 強烈な願望を心に抱く

 目標達成のためには潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を持つこと

  1. 誰にも負けない努力をする

 地道な仕事を一歩一歩、堅実に弛まぬ努力を

  1. 売上を最大限に、経費は最小限に
  2. 値決めは経営

 値決めはトップの仕事、お客も喜び自分も儲かるポイントは一点である

  1. 経営は強い意思で決まる

 経営には岩をも穿つ強い意志が必要

  1. 燃える闘魂

 経営にはいかなる格闘技にも勝る激しい闘争心が必要

  1. 勇気を持って事に当たる

 卑屈な振る舞いがあってはならない

  1. 常に創造的な仕事を行う

 今日より明日、明日より明後日と、
 常に改良改善を絶え間なく続ける。創意工夫を重ねる

  1. 思いやりの心で誠実に
  2. 常に明るく前向きで、夢と希望を抱いて素直な心で経営する 

六つの精進

  1. 誰にも負けない努力をする
  2. 謙虚にして奢らず
  3. 反省ある日々を送る
  4. 生きていることに感謝する
  5. 善行、利他行を積む
  6. 感性的な悩みをしない

 人生とは何かという観点で会社経営に取り組んでいただきたい 

事業を成功に導くひたむきな努力

会社が立派になるという事は、それだけ多くの人を雇用し、税金を納められるという事ですから、社会的に大変意義のあることです。会社を経営する才能を持っているというのは、神様がそのような任を与えたということで、せっかくの才能を無駄にせず、社会のために尽くすことが大切です。 

農民であった二宮尊徳は、なんとしても立派な人物になりたいと思い、仕事をする時にも歩きながら勉強して、陽明学を極めた人です。その尊徳が大事にしていたこと“至誠の感ずるところ天地もこれがために動く。”“至誠の感ずるところ、鬼神もこれを避く”ということでした。一生懸命なひたむきさがあれば、天地も神様も助けてくれるという意味です。 

事業を成功させるために最も大切な事は、たとえどんなに地味な仕事であっても、ひたむきに働くということに尽きます。ひたむきな努力、それも“経営の原点十二ヶ条”にあるように“誰にも負けない努力”をする、さらに動機が“善”であれば事業は成長発展し、成功するはずです。 

ひたむきな努力が作り上げた京都の先端企業

京都企業の利益率の高さは、評判になっています。稲盛塾長は面白いことに気がつきました。京都企業の経営者は、皆その事業分野の素人なのです。もともと、幅広い技術や豊富な商品知識など持っておらず、単品生産からの創業でした。 

そのような京都企業が世界的な企業に成長したのは、1つの製品を必死に育てあげたからなのです。優れた技術やノウハウは決して持っていない。しかし素人であるから古い慣習を知らず、既成概念にとらわれない、自由な発想をすることができたのです。そうした素人の経営者が“動機の善なること”を信じ、ひたむきにがんばり、成功したのです。 

ところが彼らは、単品生産だけではいつか会社が立ち行かなくなるという危機感と、従業員を食べさせていくにはこのくらいの売り上げではどうしようもないという危機感から、技術導入と創意工夫という努力を連綿と続ける中で、中小企業から中堅企業へと成長していきました。 

京セラの場合は、創業時の製品はテレビのブラウン管に用いるセラミック製品の絶縁材料だけでした。その注文がいつなくなってしまうかもしれないという危機感がありました。実際に、2〜3年後には、その製品はなくなりました。競合会社がガラス製のより性能の良い製品を開発したためでした。そのガラスは特殊なガラスでしたが、京セラでも何とか製造することができるようになりました。 

ブラウン管だけでは将来性は知れているので、もっとセラミックスの用途市場を広げたいと懸命に走り回り、真空管の絶縁材料という用途を開発しました。耐摩耗性というセラミックスの特性を生かし、産業機械の部品、紡績機械、自動車部品、人工骨、人工宝石など用途は広範に広がっています。 

このように京セラでは、市場の創造、需要の創造、商品の創造、技術の創造の4つの創造を繰り返しながら今日に至っています。 

人生とは何かという観点から目標設定する

零細企業が危機感と飢餓感から必死に技術開発や商品開発をして事業を拡大する。そして中堅企業に成長します。中堅企業では、会社の事業目的は何するかということが重要になります。事業の目的を、経営者の欲望を満たすことにしたり、金銭的な目標にすると、その企業は中小企業のまま成長が止まります。目標に達すると、危機感や飢餓感が消え、満足してしまう為です。 

大企業を目指したいと思った時点から、利益追求、数字だけを目標とするだけでなく、この自然、社会における使命感、生きがいを目標にすべきです。 

経営者にとって大切な事は、経営の目的を経営数字だけではなく、まさに“人生とは何か”ということにおくのです。経営者として頑張るのは、自分に経営者としての才能があるならば、それを生かして、世のため人のために尽くすことに生きがいを感じるからです。一生懸命に働いて、会社を発展させ、皆が喜んでくれる。そこに楽しみ、生きがいを感じる人生は素晴らしいことです。 

経営者の考え方が変われば、零細企業でも、中京企業、さらには大企業へと発展を続けることができます。

盛和塾 読後感想文 第134号

エネルギーをほとばしらせる 

大事を成すにあたっては“狂であれ”と、すべての情熱を燃やし尽くすことが必要です。 

情熱というのは、克服困難と見えるような障害を乗り越えようとする、果敢にチャレンジするために必要なエネルギーとなるのです。燃えるような熱意、強烈な意志力、強い決意や執念などが、バリアを打ち破るエネルギーの源となるのです。困難を克服するには、このエネルギーが必要であり、“狂である“という事は、凄まじいほどのエネルギーに満ちた状態です。 

困難に打ち克つには、エネルギーを集中させ、人間の潜在能力を引き出さなくてはなりません。それが人々を成功へと推し進めていくのです。 

情熱を燃やし、強力な意志力、強い意志力を集中させるのには、多くのことを一瞬に成し遂げようとする事はできないのです。一点集中することにより、エネルギーのレベルが高くなり、成功の道を切り開いていくのです。 

友人の1人にハンディマンがいます。彼はハンディマンの仕事一筋に30年を費やし、周囲に多くの友人を作り、使用目的に応じたトラック3台、そのトラックには完全な道具を備えて、仕事に向かうそうです。人の為、お客様の為、世のために“自分は尽くす“と、それが“楽しい”と言うのです。30年間情熱を燃やし続けるのは、並大抵のことではないと思います。 

人の上に立つ人の心 

人材は群生する

江戸時代末期、明治維新という一大革命を起こした原動力は、鹿児島県の西郷隆盛以下、加治集団一角で生まれた人々でした。水戸、土佐、長州、今の山口県の人々も大きな貢献をしました。 

つまり、人材は共生し合って群生する。人材というのは、お互いに切磋琢磨しながら、育っていくのです。 

鹿児島の経営者皆に可能性があります。貧しい鹿児島県の稲盛和夫を京都の方々は信用してくれて、一千三百万円というお金を出資してくださり、それをもとに京都セラミックという会社が創業したのです。 

その京セラが会社設立後23年目になりました。自己資本は千四百億円になっています。千三百万円が、千四百億円になったのです。一万倍になったのです。 

北は北海道から南は鹿児島まで、工場が11カ所、約九千名近い従業員がいます。アメリカには6つの工場があり、約千名のアメリカ人が就業しています。

またヨーロッパ、東南アジアにも工場をたくさん持っています。 

塾長は決して頭が良くて、秀才であったわけでは無いのです。高校受験にも、大学受験にも失敗したという経験があります。しかし、鹿児島大学に入学してからは、勉強もよくし、成績も優秀な方になったそうです。 

上記のように、稲盛塾長が京セラを成功に導いたことを見ますと、“自分もやればできる”と思えるようになります。 

成功する人の考え方 

  1. 未来を明るく、楽観的に捉える

稲盛家には7人兄弟、貧乏人の子沢山でした。普通、貧乏になると人間は歪みやすいものです。しかし稲盛塾長は音が明るく、いくら貧乏していても世の中の矛盾を感じたりせず、未来に対して素晴らしい夢を持っていたそうです。 

稲盛塾長には、2歳年下の妹がいました。家が貧しいため、高校中退して“兄ちゃんは頭がいいから、勉強して、私は頭が悪いから、働きに出て、家計を助けるから”と言って働いてくれたそうです。 

“今に兄ちゃんが大学を出て偉くなって、10倍にして返すから、500円貸してくれ”と稲盛塾長が言うと、妹さんは“いつもホラばかり。でも500円あげよう”と500円くれました。 

成功している人のパターンを見ても、自分の未来に対して大変明るく楽天的な人であるというのが第一条件です。陰気で深刻に考える性格ではいけません。 

新しい困難な研究に取り組む時は“今後はこういう研究を始めたいと思う”と議論する会議を開きます。この際、一流大学を出た技術者がいますが、常日頃から青白い、難しそうな顔した技術者は最初集めません。彼らはよく勉強していますから、すぐに問題点を指摘します。こういう人たちが研究プロジェクトは不可能ですと結論する傾向があるのです。 

したがって、販売部の付和雷同するような人を集めて話をします。“社長それはできますよ“といいます。最初は楽観的な、前向きの人を集めて取り組ませるのです。“困難を乗り越えて、それでもやれる”という楽天的な人の意見を取り入れます。 

  1. 悲観的に計画する

事業をするには賢い人が要ります。頭の良い人は“社長は何もわかっていない。どうしてこうした人が社長なのだ”と思うのです。これではいけません。“この社長の為ならば”と一生懸命努力、仕事をしてくれるタイプに変わってもらわなければなりません。 

頭が良い人間は早い段階から溝が見えているため、“そちらに行ってはダメ”“そこは川があるからダメ”“向こうには山があるからダメ”というように、結局はこのプロジェクトはダメとなるのです。何もしない方が良いという結論に達するのです。ですからこういうタイプの人集めてはいけないのです。 

楽天的な人は、多少川があろうが、山があろうが、行こうとします。先に障害があると注意してやる必要があります。しかし、楽天的に、自分の人生を考えて、何が何でもやり抜こうとすることが大切です。 

もちろん計画の段階では、悲観的に物事を見つめる。どうして難しいのか、それでも“工夫さえすれば達成できるはずだ”と自分で思い込むのです。 

  1. 大事な事は思い込むこと

最初は難しい事は考えないほうがいいのです。“全て簡単に実現できそうだ”と自分自身が思い込む。自分の部下にもそう思い込ませる。1番重要な事は、自分自身の可能性を信じることです。“あいつが成功したのだから、それを一生懸命取り組めばできるはずだ。” 

できると自分に信じ込ませるのです。同時に、自分だけではなく部下にも“君も能力があり、やり方によってはできる”と同じように信じ込ませるのです。繰り返し自分に言い聞かせ、奮い立たせるのです。 

人間は、自分自身を信じられないと行動できません。セルフモチベーション“自らを励まし、奮い立たせる”。リーダーは色々な圧迫や悪条件に向き合うので、自分を自分で励ます必要があるのです。 

同業者がいるとか、ネガティブな条件があります。こうしたネガティブな問題点を克服して、一つ一つ解決する方法を考えていきます。目標決めたならば、それを曲げず、どういう行動とればいいかという具体的な作戦を必死に練る必要があります。 

たかだか一日考えるだけでは良い策は出てきません。“これは売れるはずだ、何とか工夫して売らなければならない”と来る日も来る日も考えるのです。 

  1. 京セラの経営における実践

京セラの役員会で新しい経営計画を発表しました。京セラが一千四百億円から、売上二千億円に成長発展していくために、どういう手を打つべきか、という次の手です。1ヵ月半ほどかけて考えたものです。 

考え続けていくうちに、役員に“こういう展開をしていきたい”と吹きこぼれそうな考えを話したのです。自分が思い込んだら次に部下にも思い込ませる。 

次に実行を念頭に置いて、さらに考えを深めると、悪条件がたくさん出てくるため、全部書き出し、どのように解決していくかを考えます。毎日考えていれば、ある瞬間にパッとひらめきます。一生懸命に考えると、そのうち良い方法が思いつくのですが、まだ実行はしません。次に頭の中でシュミレーションします。 

考えがまとまり、この計画でこうすれば利益が出るとはっきりした絵が浮かびます。その時、初めて実行に移すのです。 

しかし、頭で考えただけの事は、実際はうまくいかないのです。最初はやれると信じ、五ヶ月ほどの損失は覚悟し、お金も準備して始めた。ところがたちまちのうちに資金は底をつく、という苦労が始まります。“このままでは借金を背負いこむ。手を打ったがうまくいかない。”皆やめます。 

うまくいくと信じて始めても、“にっちもさっちもいかない”と思ったところで、普通の人はやめてしまいます。実はその時が始まりです。“もうダメだけだからやめよう。これ以上継続すれば借金が大変なことになる。”という時に止めるから、不成功者、失敗者になるのです。そこまでの準備期間です。“もうダメだという時が仕事の始まり”なのです。それを知らないから準備期間につぎ込んだ資金が全て無駄になってしまうのです。

ただしそれは、綿密に計画を立て、考えに考え抜いて“やれる”と信じ込み、始めた人の話です。思いつきで借金を作り、“もうダメだ”と後悔しても大失敗に終わるだけです。 

考えに考え、綿密に計画を立てる。それさえすれば、物事は100%成功します。 

  1. 心に描く観念が宇宙を創る

京セラでは、過去二十三年六ヶ月間、京セラ研究開発プロジェクトで、失敗はたった1つです。京セラでは、十のテーマに取り組めば、十のテーマを全て成功させます。成功しないのは、途中で諦めてしまうからです。“成功しないだろう”と思う心が成功させないのです。京セラでは5年でも10年でも研究を続けます。宗教家もよく“この世が地獄になるのも極楽になるのも、あなたの心に描くままです”といいます。“ものが存在するのは、そう思うあなたの心の反映です。“ある”ように見えるのは、存在すると思うからです。“無い”と思えば存在しないのです。”とも言います。これが、“心に描く観念が宇宙を作る”ということなのです。 

成功するための条件とは、心の動きです。成功すると思うと成功するし、失敗すると思うと失敗する。まさに心に描く通りに現象が起き、成就していきます。 

今日の京セラの会社を作ったのも、この心の動きなのです。京セラ創業時一千三百万円の資本金が二十三年六ヶ月後には一千四百億の自己資本の会社になっています。 

“さぞかし、凄まじい努力、苦労をされ、京セラを成長発展させて来られたでしょう”と新聞記者が京セラに取材に来ました。しかし“いや何も苦労はしていません”と答えますと、“いや,何かあるでしょう”と一生懸命聞き出そうとします。 

外国の新聞記者が“あなたは科学者、技術屋としても世界有数の人物で、素晴らしい頭脳を持っている。なぜ、そのような素晴らしい展開ができるのですか”と言って賞賛してくれました。しかしこれは自分の頭脳でできたのでは無いのです。一番の原動力は、やはり“心”なのです。まず、心の中で思い込む。これが物事をなすのに一番大事なことです。このことを信じなければならないのです。 

盛和塾 読後感想文 第133号

あきらめずやり通せば成功しかありえない 

新しいことを成し遂げられる人は、自分の可能性をまっすぐに信じることができる人です。

可能性とは、“未来の能力”。現在の能力でできるできないを判断してしまっては、新しいことや困難な事はいつまでたってもやり遂げられません。 

自分の可能性を信じて、現在の能力水準よりも高いハードルを自分に課し、その目標を未来の一点で達成すべく全力を傾ける。その時に必要なのは、常に“思い”の火を絶やさずに燃やし続けるということ。それが成功や成就につながり、また私たちの能力というのは伸びていくものなのです。 

新しいことに挑戦する時、私たちは、自分たちが持っているもの、お金、能力、経験、人材等をすぐに頭に描き、それを判断に進むべきかどうかを決めていくことが多いと思います。その時、自分の“思い”がどれほど強固なものか、まだ一時も忘れずに思い続けることなのかが、進むべきかどうかを決めるのです。強い“思い”が成功への道なのです。 

一旦“思い”の強さに自分を納得させた後は、一つ一つ課題をクリアしていきます。その目的のためには、自分を支えてくれる人を説得して、協力を得ることがキーポイントになります。そしてそれを素早く行動に移していきます。目標に向けてあきらめず、ただひたすら進むことが、成功への近道なのです。 

我々が本来持っている利他の心で経営というものを考えよう 

四十年サイクルで訪れる日本の危機 

日本で、最近社会的不祥事が多発しています。ここ十年位の間に次から次へと起きた社会的スキャンダルを見ても、リクルート事件、金融証券の不祥事、闇献金事件、脱税、ゼネコン汚職事件、政財官を巻き込んでいます。これは日本の社会が病んでいるからです。日本の社会に住んでいる我々の心が病んでいるからです。 

日本は明治維新で近代国家になって以来、その四十年後には日露戦争でロシアを破りました。それまで欧米に追いつき追い越せと頑張ってきた日本は有頂天となり、その四十年後には太平洋戦争の敗戦という奈落の底を経験しました。しかしその廃墟から必死に努力して経済復興を果たし、終戦から四十年後の1985年にはプラザ合意による円高を経験し、以来、様々なジャパンパッシングを受けています。 

豊かさの中で日本人が失った利他の心 

日本は戦後の廃墟から復興を遂げ、経済的に豊かな国を築き上げてきました。国民を豊かにしたいという願望、努力の成果は十二分に出ています。にもかかわらず、もっと豊かになりたい、さらなる“生活者大国を目指す”と欲望の肥大化が際限なく続いています。それは利己的欲望の肥大化に過ぎません。以前、日本は軍備の拡張で滅びましたが、このままでは“欲望の肥大化“で滅ぶことになってしまいます。 

豊かな国を築く過程で、我々日本人が“利他の心”を失い、“我が我が”と利己の心で暴走してきているのです。 

人は心の奥底に愛と調和に満ちた素晴らしい心を持っています。キリストの“愛”という言葉、仏教の“利他の心”という言葉、他を思いやる、他を利する心です。

戦後の廃墟から今日に至るまでの四十年間に、本来持っている“利他の心”をどこかに置き忘れて、まず欲望を満たそうということで頑張ってきました。社会のあらゆる不正な現象は、自分さえよければ良いという、利己的な欲望のままに動くしか判断基準を持たない人たちが起こしている現象なのです。 

私たちの心の奥底に持っている“利他の心”、真我、優しい思いやりの心を取り戻さなければ、現在のような不祥事はずっと続くでしょう。選挙制度がどう変わろうと、政治改革が行われようと、不祥事はなくなりません。すると世の中がますます乱れ、人々は強力な政治家を求め、独裁につながり、いつか来た破壊の道を歩むことになるのです。そうなる前に、国民が心を自浄する必要性を認識すべきなのです。 

純粋な心が成功もたらす 

今こそ日本のリーダーたちは、失った本当の自分の良心、心の奥底の良心を取り戻す時なのです。日本の国民が愛と誠と調和に満ちた、優しい思いやりに満ちた自分を見つけ出さないといけないのです。 

サンスクリットのことわざ“偉大な人物の行動の成功は、行動の手段によるよりも、その心の純粋さによる”とあります。いかに純粋な心を持っているかによって成功が決まることを教えています。成功もたらすものは外見ではなく、その人自身の心なのです。 

自分の良心を常に取り戻し、純粋性を維持するのは、なかなか難しいことです。私たちは勝った負けた、得だ損だの世界で生きていますから、美しい優しい思いやり、純粋性を維持するというわけにはいかないと思います。しかし、利己的であったときには見えなかったものが、純粋性を持とうと努力しますと、見えてくるのです。 

現場に出て語ろう!人間として、経営者としての思いを-経営者にとってなぜ哲学が必要か 

潜在意識に透徹するほど一生懸命に学ぶ 

経営についての知識は、あくまで知識であり、それ以外の何者でもありません。知性で理解しているだけでは、何の役にも立ちません。困難に遭遇し、のっぴきならない状況に追い込まれたときに、初めて自分のものとして体得することができます。 

本を読む時にでも有意注意、意識して意を注ぐ、意識をそれに向ける、一生懸命に考えることが必要なのです。従業員に教育をする場合でも、一度話したくらいではいけません。何度も繰り返し繰り返し、従業員に話しかけることが必要なのです。 

何をするにしても、有意注意、考える、意識して物事を見たり考えたりすれば、必ず潜在意識に入っていくのです。 

人間として何が正しいのかを判断基準とする 

人間として何が正しいかという判断基準がないと、経営は技術や知性を使って次々と戦略を組み、展開していくだけのものになってしまいます。合理性や効率性が中心的な考え方の会社は、不正行為などのトラブルが起きがちです。 

リーダーや従業員が明確な判断基準を持たないために、モラルが欠落し、公平な人事や公正な企業経営が行われにくくなってしまいます。 

効率性や合理性を追求すると、人間の能力は、金銭的な報酬として報われて当然という考えになります。こうして報酬以外に価値を見出せなくなりますと、お金が全てと考えるようになり、自分の報酬に対して不満が講じるようになります。そこには人間性を支える哲学がありませんから、悪い考えを持つようになります。経営者がそうなってしまうと、幹部社員も見習うようになり、会社のモラルは急速に低下していくのです。 

人間として何が正しいのかという判断基準が赤字会社を変えた 

京セラはヤシカというカメラメーカーを合併した時、東京にある光学レンズの研磨会社が傘下に入りました。戦後ずっと経営が苦しく、合併時も赤字という会社で、強い労働組合があり、活発に労働運動をしていました。 

この会社の再建には、京セラの叩き上げのセラミックの研磨部門の責任者になった人を派遣しました。期待はしていなかったのですが、3年経った時に、月次決算で黒字が出たと報告に来たのです。 

この時はバブルが崩壊し、景気は下り坂でした。赤字に再度転落すると思いました。ところが、景気が悪く、受注が減っているのに、月次の黒字が定着して赤字にならないのです。 

最近この会社で新工場の竣工式がありました。合併した十数年前は、敵愾心(てきがいしん)の塊のような目で見ていた従業員の人たちが、にこっと笑って会釈をしてくれたのです。古い工場もゴミ1つ落ちておらず、きれいに整理整頓されていました。 

この会社に古くからいる幹部社員に話を聞きますと、この派遣された責任者が、稲盛塾長が書かれた著書“心を高める、経営を伸ばす”を引っ提げ、現場で誰彼となく捉えては“人間として何が正しいか”ということを話し合って回ったそうです。周りの人は、この責任者はいつか音を上げて、あきらめると思ったそうです。彼は意に介さず、訥々(とつとつ)と議論して回ったそうです。いつしか周りの従業員も少しずつ変わっていったようなのです。 

ある日、この責任者に1通の手紙が届きました。

“主人は家ではぐうたらで、子供にも馬鹿にされていました。ところが、あなたが来てから主人の眼の色が変わりました。朝早くから夜遅くまで仕事をするようになったし、言うことも変わった。それを見た子供が主人を尊敬するようになり、家庭が生き生きとしてきた。なんとお礼を言ったらいいかわかりません。” 

この責任者は、自分の方向は間違っていないと確信を深め、突き進みました。その結果が黒字化と素晴らしい雰囲気の工場と、従業員だったのです。 

経営という仕事を好きになる 

“会長、こんな素晴らしい仕事をさせていただいて、なんとお礼を申し上げたら良いのかわかりません。経営が、こんなに面白いものかと初めて知りました。人生には仕事以外に面白いことがたくさんあると思いますが、今は経営を考えていることが楽しいのです。楽しくて仕方がありません”とその責任者は稲盛塾長に言ったそうです。 

経営というものは本来、楽しくなくてはいけないのです。名経営者になる条件は、経営という仕事を好きになることが全てなのです。

盛和塾 読後感想文 第132号

住む世界を変える

同じ業界の中で、黒字と赤字会社、対照的な会社があります。両社に経営努力や従業員の働きの点で、大きな違いがあるわけではありません。いずれの企業でも、懸命に努力はしています。しかし赤字会社が黒字会社と同じ努力を続けていては、いつまでも現状打破することはできません。 

赤字企業は一気呵成(いっきかせい)に大変な努力を払う必要があるのです。例えば黒字会社の何倍ものコストダウンに集中的に取り組むことで、黒字化を果たし、一気に現状打破を図ることを“住む世界を変える”というのです。 

例えば、いくつかの事業部がある場合、少ない資金、人材を集中的に将来性のある事業に投入し、一気に赤字を解消する。その際、たとえ長年やってきた事業でも、将来性がないと思ったら、大胆に閉鎖することが必要なのです。 

なぜ企業は高収益でなければならないのか

企業経営の目的である従業員の物心両面の幸福を追求するにあたり、収益を確保するという事は必須条件であり、そのことに改めて思いを馳せるという事は、経営者としての使命を再確認することにつながります。 

京セラの高収益経営の原点

京セラ創業時には、宮木電気の役員の方々の支援を受けて、船出しました。特に専務の西枝一江さんを中心に支援をしてくださる方々に相談しながら、稲盛塾長が設立に向けて準備を進めていきました。           

宮木電気の方々がそれぞれ個人出資をして頂き、合計三百万円の資本金を集めることができました。しかし若い稲盛塾長には資金はほとんどなかったのです。ところが支援してくださる方々が“技術出資”という形にして稲盛塾長に株を分けてくれたのでした。 

しかし、セラミックスを加工するには、相当の設備投資がかかることがわかったのです。ところが宮木電気の西枝さんが、ご自身の家屋敷を担保にして、京都銀行から一千万円を借りてくださいました。 

西枝さんは以下のように言われました。“もともと事業というのは万に一つの可能性というくらい、成功するのは難しいもんや。特にあんたがやろうとしていることは、新しい焼き物を作るというような、今までにない独創的なもので、高度な技術を必要として、それでいて限られたマーケットしかないような製造業の事業を成功させるのは至難の業や。” 

“もし稲盛君がそんなに難しい会社経営に失敗すれば、私は家屋敷を京都銀行に担保に入れているから、取り上げられてしまうんや” 

当時27歳の稲盛塾長は、本当に背筋が寒くなるような思いをしたのでした。 

稲盛塾長の父は、印刷会社を経営しておりました。父親はもともと資本力がなく、印刷機械はすべて問屋さんから貸していただいたものでした。父親は貧乏に育ったせいか、お金を借りることに極端な恐怖心を持っていました。その血を受け継いだせいか、稲盛塾長は借金をするという事が不安でなりませんでした。 

西枝さんが銀行からお金を借りてくださり、それを京セラに提供していただいた。“もし私が失敗し、西枝さんの家屋敷が銀行にとられてしまうことになれば、大変なことになる。なんとしても早く借金を返さなければならない。”と強く思いました。 

一生懸命に働いたこともあり、京セラは初年度決算では売り上げ二千六百万円、税引き前利益三百万円、税引き前利益率11.5%という好業績を上げることができました。三百万円の利益で儲かったのだから、3年もすれば一千万円の借入金は返済することができると思ったのでした。西枝さんに報告に行きました。 

西枝さんは“お前さん、何を言うとる。何もわかってないんやな。利益が三百万円出れば、半分は税金に取られるんや。残るのは百五十万円で、その中の五十万円位は、資本金を出してくださった人々への礼金、また役員賞与などに使ってなくなってしまう。返済に使えるお金は百万円位だろう。”とおっしゃられました。 

それでは一千万円の借入金を返しを得るのには10年もかかってしまう。10年も経営が安定して、毎年一千万円の返済ができる保証はありません。利益を全て借金返済に注ぎ込んでいってしまうと会社は発展するための投資すらできません。 

西枝さんは“何を心配しとる。売り上げの10%の利益が出るような事業は非常に期待ができる、将来性のある事業やないか。お金は返さんでええんや。利益が出て、そして将来も発展していくという目途があれば、金利だけを払い、元金は慌てて返す必要はないんや。” 

“発展性のある素晴らしい高収益の事業であれば、担保がなくてもその事業を種に融資してもらえる。そういう資金を活かしてどんどん事業を拡大していくのが事業家なんや”と言われるのでした。 

“しかし借金を早く返さなければならない”と強く思っていました。とにかく借金をすることだけはどうしても避けたいと思いました。 

そこではっと気がつきました。“税引き前利益三百万円と聞いたから三年で返せると思ったが、それは税引き前の利益であり、半分以上が税金や配当等で取られてしまうから、借金をいつ返せるかわからないと嘆いていた。しかし、税引後で三百万円を残せばやはり3年で借入金は返せるのではないか。という事は初年度の売り上げ高利益率が10%だったけれどそれを20%にすれば何の問題もないはずだ” 

こうして京セラを高収益の会社にしなければならないと思った原点になったのです。利益率が20%が可能だとか不可能だとかという問題ではありません。借金返済のためには、高収益がどうしても必要だからそう強く思ったのです。 

“国というのは時代劇に出てくる悪代官みたいなもので、我々庶民を痛めつけて、税金をむしり取る”と憤(おこ)っていました。世の経営者の中には、税金を取られるのはもったいないから脱税しようと考える人もいるでしょう。あるいは税金を払いたくないばかりに利益を減らそうと考える人もいます。 

“汗水たらして頑張ったのに、何の手伝いもしてくれなかった国に税金を取られるくらいなら、自分たちで使ってしまった方が良い。設備をもっと買おう、交際費をもっと使おう、従業員に臨時ボーナスを出そう。” と利益を減らすことを考える人もいます。しかし期せずして、利益を減らすことになり、結果的に経営者自身が低収益を望むことになってしまうのです。その経営者のメンタリティーが低収益をもたらすことになってしまうのです。 

創意工夫に努めることで高収益体質を作る

京セラの場合、他人があまり作っていない新しい絶縁材料、セラミック材料を開発し、それをあまり競争のない、新しいエレクトロニクスの分野で販売してきました。日本の大手のエレクトロニクスメーカーの研究部門が主なお客様でした。“新製品を作るから、こういう絶縁材料で、こういう性能のものが欲しい”と言われ、“それなら京セラで作れます”と、それを供給していたのです。 

お客様の指値で値段は決まりますが、セラミックスはいろいろな金属酸化物を使い加工して作っていくので、いろいろな方法で原価を安くして作ることができるのです。材料費を安くする、製造プロセスそのもので安くする方法もあります。働く従業員たちの労働力、人手を少なくして人件費を抑えることもできます。 

製造業としての創意工夫をすることができます。創意工夫で、材料費を少しでも安くして、工程もなるべく短くし、従業員の数も少なくして作っていく。高収益にしていこうと思えばそのように原価を安くしていけば良いので、そのための方法はいくらでもあります。 

このような京セラの経営を通じ、企業系は高収益でなければならないと確信するようになったのです。 

高収益でなければならない6つの理由 

  1. 財務体質を強化する

創業時の京セラには、まだ十分な内部留保がありませんでした。受注が急速に拡大し、新たな設備投資が必要となり、別の銀行融資を受けることがありました。 

その時、各借入毎に、返済計画を立てていきました。新しい設備投資として受けた融資は、別途こういうように返済していく。さらに後に発生した設備投資の融資は、このような計画で返済していく、というように、一案件ごとに借金の返済という一連の動きを結びつけて、借入金返済計画を立てました。 

京セラは高収益を続けていくうちに、10年後には無借金経営を実現することができました。京セラの成長は、売り上げとともに借金も膨れ上がっていくような不健全なものではなく、無借金のまま、内部留保を年々蓄え、豊かな財務体質をさらに豊かにしながら成長を遂げていきました。 

高収益が借入金返済を可能にし、無借金経営を実現していく。また高収益により、内部留保を増やし、自己資本率を高めていく。さらには高収益により、キャッシュフローが高まり、設備等への投資資金を豊かなものにしていく。つまり高収益が企業の財務体質を強化し、企業の安定した成長発展を可能とするのです。 

  1. 近未来の経営を安定させる

日本経済が高度成長の時の話です。人件費は一年で10%くらい上昇するのが当たり前でした。日本の大企業の平均的な税引き前利益率は、3%ないし4%位です。当時製造業の場合、人件費は売り上げのおよそ30%位でした。例えば、そのような会社が人件費を10%上げたとしますと、人件費率も売上高に対して30%から33%に上昇します。通常ですと、税引前利益率は0ないし1%に下がるはずです。ところが、赤字転落かと思って見てみますと、税引き前利益率3%から4%を維持しているのです。翌年、今年も10%賃上げをしたあの会社は、さすがに赤字だろうと思って見ていますと、やはり税引き前利益率3%から4%を維持しているのです。不思議です。人間はお尻に火がつくと、必死に頑張るのです。これらの企業は必死に努力をし、目標の税引き前利益率を確保するのです。火事場の馬鹿力です。 

これらの企業経営者の潜在意識には“どんなことがあっても3%の利益を出さなければならない”というものがありますから、それ以下になってもそれ以上になっても、居心地が悪くなるのです。 

高収益というのは、将来上昇してくる人件費、つまり近未来のコスト上昇に対して保証ができるということです。例えば、15%の税引き前利益率の会社ですと、毎年人件費が3%ずつ上がっていきますと、向こう5年間は賃金上昇に耐えられるのです。利益率は近未来の経費負担増に耐えられる度合いを示すものです。 

企業経営において、近未来に起こってくるコスト負担に耐えていけるだけの余力、つまり耐久力を示すバロメーター、それが利益率です。高収益とは、まさに近未来の負担に対する余力の大きさを示しているのです。 

景気変動によって売り上げが減少した場合、当然減益になってきます。高収益であった場合はそのような景気変動に対する耐久力を備えることにもなります。若干の景気変動があっても、簡単に赤字転落をしない。そのためにも高収益が必要なのです。 

  1. 高配当で株主に報いる

高収益の企業では設備投資や借入金の返済がありますが、自己資本比率が高まっておりますから、その余剰資金を株主配当に振り分けることができます。高収益の企業の株式を買えば、良い配当利回りを得ることができます。 

  1. 株価を上げて株主に報いる

毎期高収益を上げるなど好業績を続けていけば、株価の上昇を通じても株主に報いることができます。好業績が続くことで、その企業のパフォーマンス、安定性、そして将来性が株式市場で高く評価されれば、その評価は必ず企業のバロメーターとして株価に現れてきます。 

株価が上昇すれば、株式を売却しようとする株主にとってもメリットがありますし、また株式を保有し続ける株主にとっても含み益となり、プラスになります。 

  1. 事業展開の選択肢を広げる

高収益を実現すれば、税金を払っても十分な利益が残ります。そうして生じた余剰資金を生かし、多角化が展開しやすくなるのです。 

京セラはファインセラミックスの事業だけでは、会社の将来に限界があると考えて、1970年代初頭から、切削工具、再結晶宝石、人工歯根、太陽電池といった異分野、異業種への進出を続々と展開してきました。このような多角化を可能にしたのは、高収益の賜物です。 

太陽電池のように30年も長きにわたり赤字が続いていたとしても、赤字に耐え、投資を続けられたのは、ひとえに京セラに高収益を通じて得た潤沢な資金、豊かな財務体質があったからです。 

企業を長期的に成長発展させていくためには、どうしても新規事業に乗り出していかなければならないのです。しかし本業が高収益であればこそ、新規事業という茨の道に踏み出すことができ、またその茨の道を歩み続けることができるのです。 

  1. 企業買収によって事業の多角化を図る

高収益を長年に渡り続けていきますと、内部留保も蓄え、京セラでは現預金が六千億円以上もあるほどに手許流動性が高まってきます。その潤沢な余裕資金を使うことによって、企業買収や事業買収を行いやすくなります。

ある会社、ある事業を買収したいと思った時、蓄えた自己資金があれば、銀行から借金することもないわけですから、手を打ちやすくなります。また買収の成果が上がるのに多大な時間を要します。そのような場合、借金をし、買収を図ったのでは、金利を含め大きなリスクを負うことになります。 

そのような実例が第二電電への進出、KDDIの創業です。“高度情報化社会が迫っている。その時に高止まりをしている通信料金を競争原理を導入することで、出来る限り安価なものにし、国民の負担を減らさなければならない。” 

実際に参入の手を上げる前には、“動機善なりや、私心なかりしか”と自問を六カ月間にわたりしたのです。一般の国民のためになることだと確信して、電気通信事業に乗り出すことを決意したのでした。 

役員会議で“一千億円くらいの負担までは認めて欲しい。もし仮に限界の一千億円まで使っても軌道に乗らなかったら、その時には潔く事業を放棄し撤退する。”と稲盛塾長は話しました。 

第二電電が事業に失敗すれば、一千億円の赤字が京セラに発生します。たとえ本業で二百億円の利益が出たとしても、差し引いて、八百億円の膨大な赤字を計上してしまいます。 

京セラには当時、一千五百億円の内部留保がありました。そのような過去に貯めたお金から、一千億円がなくなるだけです。京セラが潰れるようなことにはなりません。 

京セラが低収益で、過去何十年間もかけて一千五百億円を貯めたのではありません。もしそういった場合、一千億円が消えてしまえば、それは一時的な損失の問題にとどまりません。後々までをひいて、本体そのものまで危うくしてしまうことになりかねません。そういう低収益企業であったならば、京セラは第二電電の通信事業に参入する事はなかったのです。 

稲盛塾長は“土俵の真ん中で相撲を取る”と述べています。“土俵際に追い込まれてからうっちゃりをするような危なっかしい形ではなく、いかなる時も土俵の真ん中に身を置くような安全を期して、確実に勝利を収めることを目指すべき”と至るところで述べておられます。 

京セラ本体は20%くらいの税引き前利益を上げていますから、持っている現預金から一千億円を新規事業に使うだけの事ですから、京セラ本体に致命的な損傷を与える事は絶対にありません。 

当時京セラの投資したお金が、現在はKDDIの株式として時価評価で六千八百億円になっており、半期毎に、百三十億円の配当を京セラは受け取っています。 

高収益であればこそ、M&Aや第二電電への進出といった大胆な事業ができるのです。 

高収益の世界へ“住む世界”を変える

盛和塾では“業種に関係なく、事業を営む以上は最低でも10%以上の利益率を上げられないようでは、企業経営のうちには入りません”というのが常識になっています。深層心理で“、パーセントの利益を上げなければならない”常に思っていると、利益率が10%を下回ると無意識のうちに10%に近づけようと努力するようになります。それほど、人間の心理というのは経営に大きな影響を与えているのです。 

自分で“10%の利益率は無理だ。できるわけがない。”と思っていたら、それはできないのです。10%の利益は当たり前に出せるはずだと思い始めたら、毎年状況が変わっていくのです。 

心に何かを描くかで、利益率に影響などするわけがないと思われるかもしれません。そうではないのです。“3%、4%の利益があれば充分だ”と思っている経営者と“10%の利益を上げなければならない”と思っている経営者とでは“住む世界”が違うのです。 

一度“10%の利益を上げなければならない”と深層心理で思うようになると、10%を下回る世界では“居心地”が悪くなるのです。それまでは3%、4%の利益の世界にいても“居心地”が良かったのですが、ひとたびそうした世界から抜け出て“10%の利益を上げなければならない“と意識するようになると、もはや3%、4%の利益の世界は居心地が悪くなり、戻りたくなくなるのです。 

繰り返し繰り返し、心に“10%以上の利益を出さなければならない”と思っただけでも、その経営者が“住む世界”が知らず知らずのうちに変わっていくのです。 

ましてや、“強烈な思い”を抱き、岩をも穿つような強い意志で一気呵成(いっきかせい)に高収益を目指そうと努力するならば、より劇的に“住む世界”を変えることができます。一旦“住む世界”が変われば、後は通常の努力で、その世界に居続けることができるようになります。