盛和塾 読後感想文 第142号

不況はチャンス

不況になると、たいがいの会社は“耐えるしかない”とあきらめムードに支配されてしまいます。経営者も従業員もみんなただ頭を下げて、嵐が通り過ぎるのを待つというようになります。 

ところが不況は、新しい経済の局面です。周囲が変われば、カメレオンのごとく、自分自身も経営者も従業員も不況に合わせて変わり、新しいことに挑戦して、周囲が諦めている中で、誰にも負けない努力を重ねるのです。そして企業/事業を新しくしていくのです。それが後に大きな差となって現れるのです。 

好況時には、どんな会社にも注文が舞い込んで、あまり企業間で差が出ません。また日本の経済社会には、頑強な秩序があり、中小企業が自由に発展していくことが困難なことがあるのです。努力をしなくても注文が入ってくることによって、経営者の従業員もそれを当たり前と思ってしまい、新しいことに挑戦することを忘れてしまいがちです。 

しかし不況になりますと、そうした秩序が乱れ、中小企業の活躍する場が広がるのです。不況に耐えながら、営業は今まで以上に市場の需要発掘に努める。技術は新たな需要創造を図る気概を持って研究開発に努める。そして全社を挙げて徹底的な経費削減に努め、筋肉質の企業体質にする。 

不況時には、こうした企業の体質強化の機会を与えてくれるのです。 

不況は成長のチャンス-五つの方策は次の飛躍への足がかり

稲盛塾長は中国、瀋陽にて、不況に対する五つの方策を伝えておられます。

“不況は成長のチャンス”というテーマでした。 

中国経済は依然として七%に迫る経済成長を維持していますが、毎年二桁成長遂げていたかつての高度成長期と比べますと、大きく減速しております。 

中国東北部-瀋陽はこれまで鉄鋼業、石油・石炭など重厚長大産業の集積地として中国経済成長の担い手となってきました。ところが現在は、産業構造の転換期に伴う経済減速の影響を真正面から受けていると聞いています。この経済減速を不況と捉え、いかに対処していくかが今後の飛躍にとってとても大切です。 

海外に目を向けますと、英国のEU離脱決定に伴う世界金融市場の混乱、ヨーロッパ政治の不安定化が懸念されるなど、世界経済の下振れリスクが高まっています。 

つまり現在の不況に対処するとともに、きたるべき更なる不況に備え、正しい経営の舵取りを行っていくことが、われわれ企業経営者に求められています。 

不況を乗り越えて成長してきた京セラ

明るくポジティブな態度で難局を乗り越えていくということが大切です。不況が厳しければ厳しいほど、耐えて耐えてなんとしても難関を乗り越えていかなければなりませんが、その中でも悲観的にならず、明るくポジティブに、必ず乗り切れると、難局に立ち向かうことが必要です。その時“不況は成長のチャンス”であると考えることです。企業は不況という逆境を通じて、さらに大きく成長発展を遂げていくものなのです。 

京セラは五十七年の歴史の中で、ただ一度も赤字を出したことがないのです。順調に成長発展をしてきましたが、半世紀に及ぶ歴史の中では、幾度も厳しい状況に遭遇してきました。オイルショックによる不況、円高不況、バブル経済崩壊後の不況、リーマンショックによる不況と、様々な不況を経験しました。 

京セラはこうした不況を乗り越えるたびに、一回りも二回りも大きく成長していきました。こうした経験から、不況というものを“成長するチャンス”と捉えるべきだと信じています。 

企業の成長は一本の“竹”の成長になぞらえてみますと、不況を克服するたびに一つの節が作られるように思います。好況の中、景気の追い風に乗り、単純に成長していけば、“節”のない単調で脆弱な“竹”となっていきます。数々の不況を克服することで、たくさんの“節”ができ、次の成長への足がかりになり、堅固で強靭な企業が生まれます。 

不況に対する予防策ー高収益であれ

  1. なぜ高収益でなければならないか

不況を成長のチャンスにするための最も大切な事は、日ごろから高収益の経営体質を作り上げておくことです。高収益こそが、不況への最大の予防策なのです。 

高収益であれば、今日になって売上が減少しても、赤字に転落しないで踏みとどまれる“抵抗力”があるのです。高収益企業では、内部留保が増加しています。不況が長引き利益が出ない状態が続いても、耐え抜くことができます。余裕資金を使って不況で普段より安くなっている設備を購入するなど、不況でも思い切った投資も可能となるからです。 

兼ねてから、不況になる前から、高収益になるように全力を尽くして経営にあたるべきなのです。不況になってから高収益を目指すことは困難なのです。本来ならば、経営者は不況になる前に準備をすることが求められているのです。不況に対する予防策として、高収益経営を実現できているかが、まず問われてくるのです。 

稲盛塾長は“十%を超える利益率が出せないようでは、経営をやっているとは言えない”と社内外で述べておられます。 

製造業では注文が減り、作るものがなくなり、売上も減っていきます。当然利益も減少していきます。この時高収益企業で、利益率十%以上の会社であれば、売上が二十%ダウンしたとしても、利益を確保することができます。 

利益率が高いということは、固定費も少ないわけですから、売上が多少減ったとしても、利益が減少するだけで済みます。かねてから高収益の形ができているという事は、不況で売上が大幅にダウンしても、何とか利益を出していけるという底堅い企業であるということです。 

  1. オイルショックの不況下でも、雇用と利益を守り抜く

京セラは半世紀以上に及ぶ歴史の中で、不況による大幅な売上の減少を経験しましたが、一度も赤字に転落したことありませんでした。 

第一次オイルショックの嵐が世界を襲ったのは一九七三年十月のことでした。その影響を受け、世界的な不況の波が、京セラにも押し寄せてきました。一九七四年一月に、一月月額二十七億円の受注金額は、その年の七月には三億円弱にまで激減してしまったのです。半年で月次の受注が十分の一に減ってしまうほどの急激な景気変動に遭遇したのですが、年間を通じても赤字を出していないのです。 

それは独創的な技術で、他社にできないファインセラミック製品を量産するとともに、常日頃から経営の原則十二ヶ条、第五条、売上を最大限に、経費を最小限に努めて、三十%を超える高い利益率を誇っていたからでした。 

このような高収益の企業体質を作り上げた事は、雇用守ることにも大いに貢献したのです。オイルショックの大不況の時は、日本の大手企業でさえ次々と操業停止に追い込まれ、従業員を解雇するか、自宅待機をさせていました。こうした中でも京セラは雇用を守り通した上で、利益を確保していたのです。 

高収益を通じて得た利益を営々と内部留保として蓄えてきましたので、仮に赤字転落しても、しばらくは銀行からの融資を受けなくても、まだ雇用に手をつけなくても持ちこたえることができたのです。 

不況ともなれば、従業員たちは動揺します。“心配しなくても良い。大会社が次々と倒産していくような大不況になろうとも、京セラだけは生きていくことができる。例えば売上が二年三年ゼロになっても、君たち従業員に飯を食わせていけるだけの蓄えがある。だから一切の心配はいらない。みんな落ち着いて、さらに仕事に励もう。”と稲盛塾長は伝えました。これは経営の原則十二ヶ条の第一条、事業の目的意義を明確にする-従業員の物心両面の幸せを追求する、の実践なのです。 

  1. 大切なのは不況に耐えうる内部留保

内部留保が高いことについて、企業の株主資本利益率を重視する、いわゆるROE(Return of Equity)を重視するアメリカを中心とする投資家たちから“そのような内部留保を蓄える経営はおかしい”という意見もありました。 

自己資本に対し、いくらの利益が出たのかというROEを重視する投資家から見れば、いくら高い売上利益率(損益計算)を誇ろうが、内部留保を蓄え、自己資本が大きければ大きいほど“それだけの資本を使ってこれだけの利益しか出なかったのか”という、投資効率が悪いという判断をする人がいます。 

そのため、多くの経営者が“ROEを上げなければならない”と考え、せっかく蓄えた内部留保を使って、企業買収をしたり、設備投資をしたり、また自社株を購入し、償却したりして、自己資本を小さくし、短期的に利益の極大化を図る形に努めてきました。そうすればROEは高い値になっていき、アメリカ型の資本主義では、優秀な経営という評価を受けるのです。 

“京セラは自己資本があまりに大きく、ROEが低い。こんな利益をため込んでどうするのか。投資をしたり、株主還元をしたりすべきだ。”と考える投資家もおります。しかしこれは、ROE重視の考え方は、短期的な視点から企業を見たときの尺度だと言えます。 

今株を買い、値段が上がったらすぐに売れば良いと考えている人たちからすれば、確かにROEは高い方が良い。しかし長期にわたる企業の成長発展を目指す京セラでは、経営の安定が何よりも大切です。いかなる不況が押し寄せてきても十分に耐えていけるだけの備えが、どうしても必要なのです。 

高収益の形を目指し、内部留保を蓄積していくことが最も効果的な不況対策なのです。 

不況対策全員で営業する

不況時には全員がセールスマンでなければなりません。従業員はそれぞれの持ち場、立場でいろいろなアイデアを持っています。不況の時こそ、そのアイデアをそのままにせず、お客のところに持っていき、そのニーズを喚起することを全員で行うのです。営業や製造、開発はもちろん、間接部門に至るまで、全員が一丸となって持っているアイデアをお客様へ提案し、受注へと結びつけ、納入まで行う。こういうことを通じて、お客様から喜ばれるだけでなく、その当人自身もビジネスの全体が把握できるようになってきます。 

つまり営業の手伝いとして走り回るだけではなく、自分たちのアイディアを商品にして売るということを、全従業員が主体的に考えるべき時なのです。 

稲盛塾長は“全員で営業しよう”と提案しました。営業の全く経験のない製造現場の従業員たちにも“製品を売りに行こう”と呼びかけました。それまで人前で挨拶さえ十分にできなかった製造現場に張り付いていた人たちが、客先を訪ね、冷や汗をかきつつ、一生懸命に提案し“何か仕事ありませんか。何かやらせてくださいませんか。何でもやります”と必死に受注活動に努めたのです。 

これは思わぬ成果をもたらしました。ともすれば、製造と営業は対立関係に陥りがちです。受注が芳しくないと、製造は“営業が売らないからだ”と文句を言い、営業は“製造が売れる製品を作らないから売れないんだ”と文句を言い、互いに喧嘩します。 

ところが、自分が売る経験をしますと、製造は営業の苦労が分かり、営業は製造に感謝し、製造と営業の融和が図られ、より製販が協調したビジネス展開ができるようになっていったのです。 

えてして、有名なビジネススクール出身で、役員に就任した人の中には、お客様のところに行って頭を下げることを知らない人がいます。“商店の小僧”みたいに揉み手をしながら“注文をいただけませんか”と頭を下げていかなければならない。それがビジネスの基本なのです。 

営業の基本として“お客様のサーバントになる”“お客様のためなら何でもいたします”と、召使いのようにして、身を粉にしてお客様に尽くしていかなければ、不況時に注文をいただける事は絶対にありません。 

そういう経験をしたことがない人が、会社幹部であったのでは決して経営は成り立ちません。製造にいようが、経理にいようが、どの部門にいようが、他人様に頭を下げて注文を取る苦労をさせることが大切です。 

不況対策2 新製品開発に全力を注ぐ

  1. 斬新なアイデアを実現する好機

不況の時こそ新製品開発に全力を尽くすのです。普段は忙しさに紛れ、着手できなかった製品や、お客様のニーズを十分に聞くことができていなかった製品の開発を、積極的に推進していくのです。それも技術、開発部門だけではなく、営業、製造、マーケティングと、すべての部門が協力して、全社一丸となって、新製品開発を進めていくべきです。 

不況時には、お客様にも時間の余裕があります。何か新しいものを求めておられるはずです。その時積極的にお客様を回り、新製品のアイデアやヒント、あるいは今までの製品に対する要望や、クレームなどをよく聞いて、それを会社に持ち帰り、新製品開発や新市場の創造に役立てていくのです。 

現場の開発技術陣の中にも“ああいう製品を開発してみたい。こういう技術に挑戦してみたい”と日ごろから思っている人はたくさんおられます。しかし忙しいときには、なかなかそうしたものに手をつけることができないのです。しかし不況の時は、その時間があるのです。 

また不況時に斬新なアイデアを持ってお客様のところをまわれば、お客様のほうも手持ちぶたさにしておられますから、話を丹念に聞いていただいた上に、アイディアも出していただき、思わぬ受注につながり、ビジネスを大きく拡大することもできるはずです。 

  1. 新市場を開拓したセラミックガイドリング

京セラでは繊維機械用の部品を作っていました。ファインセラミックは固くて摩耗しにくい特性を持っていますので、高速で糸を走らせる紡績機械の部品として提供されていました。 

ところがオイルショックの時に、繊維機械が全く売れなくなり、京セラへの注文も途絶えてしまいました。そこで先述のように“全員で営業する”ことを始めました。また“新製品開発に全力を尽くす”ことに努めました。 

ある営業マンがある釣具メーカーを訪問しました。投げ釣りをするリール付きの竿がありますが、従来は竿のテグス、つまり糸が走るところに金属のガイドリングが使われていました。営業マンはそこに目をつけたのです。 

“当社にはファインセラミックスの技術があります。現在その技術を使って糸が高速で走る繊維機械に当社のセラミック部品を使っていただいております。お宅の釣竿のテグスが走るガイドリングを金属からセラミックに変えてみられたらいかがでしょうか。非常に適しているはずです。” 

釣具のガイドリングは、繊維機械のように四六時中糸が走り、すぐに摩耗するというものではありません。たまに釣竿を投げた時に糸が滑っていく程度です。お客様は“セラミックスにすれば高くなるし、そこまでの必要は無い”といいます。“いえ、セラミックスにすれば摩耗しないだけでなく、テグスとの摩耗係数が減ります”と訴えました。何度も通いつめて忍耐強く話を続けたようです。 

実際に投げ釣りでは、ガイドリングの摩擦係数が大きければ、テグスの滑り具合が悪くなり、あまり遠くまで飛んで行きません。また従来の金属リングでは、大物がかかった時、摩擦係数が大きいため、テグスがぽつんと切れてしまうことがあるのです。大物がかかった時、ものすごい力でテグスが引っ張られ、ガイドラインに大きなテンションがかかり、摩擦熱が起きるためテグスが溶けて切れてしまうことになるのです。 

釣具メーカーの役員の方が、営業マンの話を聞き、従来の金属のガイドリングにテグスを通し、負荷をかけて引っ張ったところ、すぐに切れてしまいました。セラミックスのガイドで同じテストをしたところ、テグスが切れませんでした。 

この役員の方は、セラミックスのガイドラインをつけた釣竿で、投げ釣りコンテストに出場し、優勝とげ、確信します。その後、釣具メーカーはセラミック製のガイドリングの採用を決定しました。 

この新製品は不況期の京セラの受注売上拡大に大きく貢献してくれるとともに、その後も継続し、今日は高級釣竿には全てセラミック製のガイドラインがつけられるようになり、全世界に普及しています。 

不況の時に新製品開発を進めるということは、慌てふためいて全く新しいことを始めるということではありません。自分たちが従来作っていたものを応用することで、新しい需要喚起していくことが充分できるのです。自社の技術、製品の延長線上にある新製品開発こそが、不況の時に取り組むべきことなのです。 

不況対策原価を徹底的に引き下げる

不況の時は原価を徹底的に引き下げることです。不況になると競争が激化し、受注単価を受注数量もみるみるうちに下がっていきます。その中で採算を改善するためには、受注単価下落以上に単価を徹底的に下げていかなければなりません。しかし日ごろからコストダウンに努めていますから“もうこれ以上は無理だ”と考えがちです。しかしそうではありません。“もうダメだと思った時が仕事の始まり”と考え、徹底的に原価低減、減らしていかなければなりません。 

人件費は簡単に下げることができませんから、一人当たりの生産性を上げていく工夫をする、あらゆる経費を徹底的に減らしていかなければなりません。 

“現在の製造方法が本当にベストなのか”“もっと安い部材はないか”従来のやり方を根本から見直し、思い切って全てを変革していくことが大切です。製造設備などハードの見直し、組織の統廃合など、ソフト面にもメスを入れて、徹底的な合理化、原価低減を断行していくのです。 

不況となって競争が激しくなり、売値がどんどん下がる中で、その下がった値段でも、利益が出るように原価を下げていく。ギリギリに売値が下がった状態でも利益が出る体質を作ることができれば、景気が回復してくれば、利益率は急激に良くなっていきます。 

製品のコストダウンを通じ、固定費変動費を下げて、事業全体の損益分岐点の軽減に努めるのです。そうすれば売上が半減しても何とか利益が出るという事業体質を作ることができます。再び売り上げが元に戻った時、従来にも増して高い利益率を実現することができるのです。 

不況の時こそ企業体質の強化を図る格好の機会です。好況時、注文がたくさんあるときは、その注文に応えることで精一杯で、原価を下げようと思っても、従業員も真剣に取り組めるものではありません。不況の時にこそ全従業員が本当に真剣になって原価低減の努力をするという機会が作られた、唯一のチャンスなのです。 

このように不況になり、原価低減に努めていく事は、苦し紛れの対策ではなく、後ろ向きの対策ではなく、さらなる飛躍を目指した積極的な経営改善策なのです。 

不況対策高い生産性を維持する

不況で注文が減り、作るものが減ってきたときに、従来のままの人員で少ない生産に当たれば、製造現場の生産性は下がり、職場の緊張した空気が弛緩してしまいます。こうした場合には、余剰人員を生産ラインから切り離すことが必要です。そうすることで、製造現場の緊張感を維持するのです。 

オイルショックの不況の時、多くの企業が雇用調整に走る中で、京セラは何とかして雇用維持していくことを決めました。しかし注文は、瞬く間に減り、従来通りの生産体制では生産性を高く維持することができません。また一旦効率が落ちた工程を元の状態に戻していく事は容易ではありません。 

京セラでは生産が三分の一に落ちたときに、製造現場の人員も三分の一に減らしました。そして残りの三分の二の人たちには、生産ラインから外れてもらい、製造設備メンテナンス、壁のペンキ塗りや花壇の整備など、工場の環境整備に当たってもらいました。また経営哲学を改めて根本から学んでもらう“フィロソフィー勉強会”を始めました。 

不況時の減産体制の中でも、決して生産性を落とさず、高い生産性を維持し続けたのみならず、日ごろからなかなか取り組めなかった環境整備や組織のベクトル合わせに取り組むことができ、次の飛躍への推進力となりました。 

三分の二の人員を製造現場から外して、工場を維持していくのは、会社に余裕がなければできません。高収益体質を通じて、十分な内部留保が確保されていたからこそ可能であったのです。 

不況対策5 良好な人間関係を築く

  1. 信頼関係の構築に意を注ぐ

不況は企業内に良好な人間関係を構築する絶好のチャンスです。不況になりますと往々にして労使関係に不協和音が生じることがあります。景気が良いときには綺麗事を言って済ませられたものが、不況という厳しい状況に直面し、経営者が厳しいことを要求するようになると、労使関係にヒビが入ってしまいます。 

例えば給与の一部カットなどを申し入れた途端に、従来は円満と思われていた労資関係が、一気に対立的なものに変化することがあります。そういう意味では不況は労使関係を図る“リトマス試験紙”のようなものです。 

苦しい局面を迎えた時こそ、職場や企業内の人間関係が問われてきます。本当に苦楽を共にできる人間関係ができているのか、職場の風土、会社の社風が真正面から問われてきます。 

そうすれば不況は職場の人間関係を見直し、それを再構築する絶好の機会と捉え、不況期にこそ、さらに素晴らしい職場風土を作るために努力を重ねることが大切です。 

経営をしていく上で、一番大切な事は、経営者と従業員の人間関係です。経営者は従業員のことを思いやり、従業員を経営者の苦労を慮(おもんばか)り、共に助け合っていけるような素晴らしい関係を作っていく、資本家と労働者という対立構造ではなく、労使が同じ視点から、ともに企業の成長、発展を目指していくような企業風土ができないかと努力を重ねていくのです。 

稲盛塾長はこうした企業風土を作り出すために、多大な努力を積み重ねてこられました。コンパと称して互いに気心が分かり合えるよう、膝を交えて酒を酌み交わす機会も出来る限り持つように努めてきました。 

このように日ごろから経営者は従業員とのコミニケーションをいろいろな機会を通じて図り、良好な関係を作るよう努力をします。しかしいざ不況となると、いいことばかりも言えないのです。 

“もっと働いてくれ、もっと経費を減らしてくれ。しかし給料は増やせない。またボーナスは出せなくなったから辛抱してくれ”と厳しいことを言わざるをえません。 

経営者は従業員との一体感があり、従業員も会社の経営を理解してくれていると思っています。不況の時こそなおいっそうの協力が期待できると考え、上記のように無理なことを従業員にお願いをしてみる。ところが従業員からの反発にあって社内の人間関係が全くできていなかったという事実を突きつけられ、唖然となります。 

不況という災難が押し寄せてきた時にこそ、みんなで力を合わせて不況を乗り切っていかなければならないのに、そういう時に従業員の心が離反し、会社が分裂し、ついには崩壊してしまうことにもなりかねません。 

会社の中に、そのような人心の乱れの兆候が少しでもあれば、素直に反省し、労使関係を再構築するために、どうあらねばならないかを従業員ともよく話しながら、自らも懸命に考えていくことが大切です。 

  1. 心と心で結ばれた京セラの労資関係

オイルショックの不況は京セラにも及びました。

稲盛塾長は労働組合に賃金カットを申し入れました。社長は三十%、係長で七%の賃金カットです。ベースアップの凍結の要請もありました。組合は労使が一心同体であることをよく理解し、賃上げ凍結の申し入れを了承してくれました。当時の日本企業では、賃上げ問題などで労使間に不協和音が生じ、労働争議が頻発していました。しかし京セラはいち早く労使が強調して賃上げ凍結を打ち出したのです。 

京セラ労組の上部団体は、京セラ労組の決定を批判し、圧力をかけてきました。京セラ労組は断固として屈せず、上部団体を脱会しました。 

その後景気が回復し、会社業績の向上すると、定期賞与を大幅に上積みし、また臨時賞与の支給にも踏み切りました。さらに一九七六年には、前年の賃上げ凍結分を加算し、二年分二十二%の昇給をし、従業員、労組の期待に応えました。 

このように不況を克服し、不況を通じて労資関係のゆるぎない信頼を確認することができたのでした。そして一九七五年九月、京セラの株価はソニーを抜いて日本一の高値となりました。 

京セラは、一つの予防策と五つの不況対策を着実に実践することで、数々の不況を克服することができたのみならず、その不況乗り切るために、経営基盤をより強固なものとして、成長発展を続けています。

盛和塾 読後感想文 第141号

人を育てる

人材育成は中小企業経営者にとって最も難しい問題です。東京商工会議所が実施したアンケート調査によれば、“売り上げ拡大に取り組む上での課題”という質問に対して最も多かった回答が“人材不足”であり、中小企業のおよそ七割の経営者が人材育成を課題に挙げているそうです。 

盛和塾で行われた経営問答においても、事業展開や多角化、採算向上などのテーマを抑えて、最も多くの割合を占めているのが人材育成や後継者の選定、育て方に関する質問でした。 

幹部社員を育成するには

  1. アメーバ経営による人材の育成

会社が小さい時は、経営者が全てを自分で見ることができますが、会社が成長し大きくなるにつれ、全体を一人で見ることが難しくなってきます。京セラの規模が大きくなっていくにつれ、稲盛塾長の考えを理解し、稲盛塾長と同じくらいの能力もあり、会社のために夜に日を継いで頑張ってくれるパートナーが欲しいと思ったそうです。

しかし、そういう人材は実際にはなかなかいません。特に中小零細企業ではそうした人間を社内で見つける事は容易ではありません。そこで自分の分身を増やしていこうと考えついたのが、現在のアメーバ経営の仕組みでした。 

大きな組織を見ていくことができないにしても、二十人〜三十人ぐらいの小集団に分けて、リーダーを任命し、運営を任せれば、十分に役割を果たすことができるのではないかと考えました。独立採算にすることで、経営者意識を持たせることができると考え、アメーバ経営という管理会計システムを構築してきました。 

  1. 平凡な人材を鍛える

アメーバ経営の導入によってリーダー育成が始まったわけですが、組織を任せられるようなリーダーが不足するという問題はすぐに解消されたわけではありません。また、人材を外部から確保しようとしても、中小企業には優秀な人材はなかなか来てくれません。 

ですから“あの会社に比べ、京セラに入ってくる人は鈍な人ばかり。これでは会社が大きくなるはずがない”と嘆いていました。“鈍な人”というのは、利発ではない、真面目だけが取り柄のような人物のことです。 

たまに才気煥発(さいきかんぱつ)で能力のある人が入社してくると“将来は会社を背負って立つ人間になってくれるだろう”と大きな期待を寄せました。経営者としては当然“鈍な人”よりは、こちらの利発で優秀な人材を立派な幹部として育てていきたいと考えました。 

ところが目先が利くため、辞めてほしくない優秀な人材に限って、すぐに仕事に見切りをつけて、会社を見限り、辞めてしまうものです。そして会社に残るのは最初から期待していない“鈍な人”たちばかりです。 

優秀な人材を確保することが難しいという会社の状況においては、会社に残ってくれた、いわば平凡な人材を鍛えることを通じて、自分の片腕、パートナーとなるような幹部社員に育てていくことが、経営者に求められてきます。 

  1. トップの率先垂範(そっせんすいはん)が人材を育てる

一般には、経営コンサルタント、外部の人から“社長、ワンマン経営では人は育ちません。人を育てるためには、もっと部下に仕事を任せるべきです”といったアドバイスをされます。そのことを聞いて、実際に部下に仕事を任せてみたものの、結局うまくいかず、悩んでいるケースが多いようです。こうしたアドバイスは、企業の経営されていない人が言うことです。実際に経営をしたことのある人は、決してそんな悠長なことは言っておられません。 

社長が怠け者で“あまり働きたくない。なるべく部下に任せて、自分は遊んでいたい”という人であれば別ですが、“会社を立派にしたい”“業績を伸ばしたい”と本気で思っているのならば、まず経営者が先頭に立って一緒に働き、部下と苦楽を共にする行動力が必要なのです。 

バリバリ働く社長の姿を見て、見よう見まねでその社長と同じくらいに仕事が出来るような人間が、社内から次々と育っていくようにしなければならないのです。 

とりわけ経営の原点十二ヶ条、第一、事業の目的・意義を明確にする-公明正大で、大義名分の高い目標を立てる、ことを実行しようとする経営者であれば、また業界ナンバーワン、日本一、世界一という高い目標掲げ、新しい事業分野に進出していこうという局面のときには、営業でも製造でも、開発でも、一騎当千(いっきとうせん)の猛者(もさ)を育てていくことが必要なのです。 

そのためには社長が戦線の第一線で陣頭指揮をとって後ろ姿で教育することが大切であり、我に続けと率先垂範するトップのもとでこそ、真の人材は育つのだと思います。 

  1. 京セラの海外進出における人材育成

通常、海外進出や新規事業の展開など、売り上げ拡大を図るにあたって失敗するのは、会社の要となるような幹部が出ていかず、“若い人”に“お前、行ってこい”と言って任せてしまうケースです。企業は人なりというように、新しい事業展開を図っていくときには、誰を指揮官として派遣するかで、成否が決まるのです。 

トップ自らが出ていくのが難しければ、せめて社長に次ぐくらいの猛者、あるいは最も信頼のおける幹部に新しい拠点に行ってもらうことが必要です。しかし一方で、トップクラスの人材が出て行ったために、本丸(本社)の事業が手薄になってはいけません。中小企業の場合、社長が信頼できる幹部というのは限られています。おそらく一人か二人でしょう。その片腕を失うことになれば、本丸は大打撃を受けてしまいます。不況などの経済変動が襲ってきたときに、手薄になって本陣が崩れてしまい、海外を支援することができなくなってしまうのです。 

  1. 半端者を立派な人材に育てる

稲盛塾長は、No.2 とNo.3を親会社に残し、海外などの新しい拠点には社長自身が先頭を切って進出していくことを考えたのでした。社長が外に打って出て行く際に、No.2 、No.3も連れて行ったのでは本丸(本社)が空っぽになり、その間隙をつかれると総崩れとなってしまう可能性があるため、本丸(本社)は、No.2 とNo.3に任せるようにしました。 

トップが出ていく時に連れて行く手勢(部下)は、本社では活躍できていない、“半端者”たちを集めて新しい市場に攻めてきました。“半端者戦法”と名付けられました。社長は最前線に行ったきりではなく、行っては帰ってきて、本丸の仕事を見ながら、また最前線に乗り込んでいって新しい市場開拓に挑むようにしました。そうする中で、本社にいるときは、あまりパッとしなかった人たちを最前線に連れて行き、一緒に戦い、苦楽を共にしながらトレーニングをしていくのです。 

社長としては大変な苦労ですが、しかし人の育成という大きなメリットがあります。今まで社内であまり活躍してこなかった人たちが、にわかに張り切りだし、成果を上げていくということがあります。米国、中国で新しい会社を作って事業展開し、激しい市場競争の中で生き残ることができれば、かつての“半端者”は一軍を率いる立派な大将に成長し、国内の本丸とは別に海外に新たな城を築きあげることになります。その過程そのものがまさに人材育成なのです。 

“半端者”を一流の人物に育てあげる事は、容易なことではありません。“半端者”たちを率いていくトップ自身が悪戦苦闘する中で育てていくのです。経営トップが刀を振りかざして、戦闘の最前線に立ち、敵を次々になぎ倒していくのを見て、“半端者”たちは竹やりなどの粗末な武器を持って、後から息を切らしながら走ってついてきます。そのように体力を装備も不十分な中で、実践を通じて戦い方を覚えると同時に、人間的にも成長していきます。“半端者”は経営トップの行動と後ろ姿を見て学んでいきます。 

このように経営トップと苦楽を共にした“半端者”は市場を開拓し、事業を拡大し、一つの城を築き、城主となって、本社にいたときの使い物にならなかった“半端者”ではなくなって、立派な人物に成長しているわけです。 

しかしこうして苦労しながら海外進出、新規事業を成功させ、人を育てることができたのは、本丸(本社)が高収益を維持し続けていたからです。ですから、新しい拠点を設けて攻めていっても、十分な補給を受けることができましたし、未熟な社員を前線に送っても、粘って頑張ってくれたのです。つまり本丸(本社)が十分な収益を確保していたからこそ、多くの社員に活躍の場を与えて、修羅場を経験させることを通じて、一人前の幹部社員に鍛えていくことができたのです。このように本丸(本社)の高収益があったために、稲盛塾長自身、経営トップとして事業が成功するまであきらめることなく、社員とともに徹底的に修羅場を戦い抜く覚悟を持つことができたのです。 

  1. 修羅場を経験させる

京セラでは、海外進出や新規事業への展開のみならず、日ごろの業務遂行においても同様であり、毎日の真剣勝負の中で、京セラの社員はたくましく育っていきました。 

稲盛塾長の出席する月次報告会では、凄まじいほどの質問を投げかけます。赤字だとすれば、その事業部長、子会社の社長を激しく叱責します。また注意します。その場にいる出席者でも怖がるほどです。新規事業にしても、子会社にしても、うまくいかないのは、本来ありえないと考えていました。うまくいかないのは、うまくいかないようにそのリーダーに問題があると思っていました。特にひ弱で、逃げ腰のリーダーに対しては“お前は敵が打ってくる弾が怖いために、こっちに逃げて来ようとしている。逃げてきてみろ。後から撃ってやるぞ。死ぬつもりで頑張らんか”と言ったそうです。 

このように厳しい言葉で叱責したのです。それぐらい自分を追い込まないと、困難な局面を打開できませんし、自分の殻を破ることができないのです。人は絶壁に立たされた時に初めて真価を発揮します。 

努力に努力をしても、どうしてもうまくいかない。本人の手に負えない場合もあります。その時は経営トップが勇気を持って撤退する決断をすることも必要です。窮地に追い詰めて、結局部下が玉砕してしまうことがあってはなりません。 

攻めて行く号令は誰にでもできます。しかし失敗して撤退するとなれば、トップにしかできません。最後の最後はトップ自身がすべての泥を被る。責任を取る覚悟があればこそ、未熟な人にも修羅場を経験させて育てていくことができるのです。 

京セラでは部下に場を与え、修羅場を経験させて鍛え上げていくことで、どんな困難にも真正面から立ち向かっていく、真の勇気を身に付けた立派な経営幹部へと育っていきました。 

盛和塾 読後感想文 第140号

ささいなことにも気を込める 

仕事ができる人は正しい判断ができるのです。正しい判断するには、どういう状況にあるのかということを鋭く観察する必要があります。物事の核心に触れるまでの、鋭い観察力がなければならないのです。 

この鋭い観察力を生むのは、精神の集中です。しかし急に精神を集中しようと思っても、なかなかできるものではありません。実は集中するということには、習慣性があるのです。ささいなことでも、注意を払って行う習慣のある人は、どんな局面でも集中できるのですが、そういう習慣のない人にはなかなか精神を集中することができません。精神を核心に絞れないのです。 

忙しい時にこそ、ささいなことにも気を込めて行うという習慣をつけるべきです。これを“有意注意”といいます。この日常の良い注意が、“いざ”というときの判断力を左右します。そして毎日トレーニングされた注意力と洞察力を身に付け、研ぎ澄まされた神経を持って、正しい判断ができる人“切れ者”といいます。 

努力を極める 

不況の時こそ気概を持つ

今はバブル崩壊後の大変な状況です。しかし不況に面しても、真面目に一生懸命取り組んでいれば、不況の方が経営しやすいと考える人もおります。事実、京セラの頃を振り返ると、不況が来るたびに、苦労を重ねながら発展していきました。 

ですから“不況でうまくいかない”と嘆くのではなく、“この不況の時にこそ”という気概で仕事をするべきなのです。 

一生懸命に働く     

  1. 凄まじい集中力で努力する

企業経営とは、実はそんなに難しいものではなく“一生懸命に働くことだけだ”と言えると思います。 

稲盛塾長のスケジュールはとても普通の人ではこなせないものです。午前中は社内の仕事、午後はお客様との会議、その後も会社の仕事で、夜八時、九時まで仕事をします。毎日分刻みのスケジュールで仕事をしております。眼精疲労なのか、字が霞んで読めなくなることもあるそうです。 

経営の原点十二ヶ条の中、四、誰にも負けない努力をするという一条があります。“私も努力をしています”という程度の努力ではありません。本当の意味で誰にも負けない努力をするという意味です。その努力には際限がありません。どれだけ努力したつもりでいても、その上を行く人は必ずいるはずです。極端に言えば、寝る間もないほど努力することになります。経営に限らず、研究、学問の世界でもどれだけ集中して取り組んでいるのかが全てなのです。 

誰にも負けない努力ができるのは、熱心さです。そして仕事が好きであるということです。ですから、恐ろしいほどの集中力で、仕事ができるのです。 

例え疲労困憊して倒れそうと言われていても、本人の顔色が必ずしも悪くなく、生き生きとしていることがあるのです。座禅を組む方もおられます。それは心を安らかに保ち、思い患うことを少なくすると、健康を維持することにつながるからです。誰にも負けない努力して、体が大変消耗していても、平然と仕事をできるようになります。 

比叡山の天台宗に“千日回峰(せんにちかいほう)”という荒行があります。千日間比叡山の山々を峰から峰へと回峰する修行です。もし途中で挫折すれば、それは死を意味し、自殺しなければなりません。千日回峰するお坊さんは必ず、白い装束をまとい、短刀を身に付けておられます。やり遂げた人は“阿闍梨(あじゃり)”と呼ばれます。 

午前二時起床、三時から回峰に出ます。食事は素うどん一杯、夜にはおかゆとお漬物と梅干しだけです。凄まじい粗食でありながら、峰から峰を、まるで猿のように軽い身のこなしで一日に何十キロも歩かれます。修行の最後には、比叡山を朝二時起床、京都の町まで降りて寺をめぐってから、また比叡山に戻ります。家に戻るのは夜の十一時ごろです。寝られるのは二時間位です。そのような生活をずっと続けるそうです。 

“千日回峰”は我々の想像を超えるものです。栄養学的には説明がつかないのです。それなのに素晴らしい顔色で続けられるのは、その心の心が安らかだからです。心が安らいでいると、想像絶する厳しい環境でも健康を保つことができるそうです。 

  1. 集中すると創意工夫が生まれる

経営の原点十二ヶ条の十、常に創造的な仕事を行う、とあります。誰にも負けないほど一生懸命仕事をすると同時に、創意工夫もしなければなりません。今のやり方で良いのだろうかと常に疑問を抱き、“今日よりは明日、明日よりは明後日”というように次々と創意工夫をしていくのです。 

体を使って働くことも一生懸命なら、考えることも一生懸命にするのです。間断なく知恵を働かせます。 

インドでヨガを執行された中村天風さんは、“有意注意”という言葉を説明しています。“人が生きている間いろいろなことに遭遇するが、意識を注ぎ、集中することが少ない。一瞬一瞬をど真剣に過ごし、何事にも注意を払いなさい” 

常に意識ある一点に向け、集中し続けると、意識が非常に敏感になります。人によっては、工場の機械音の中から故障を示す異常音だけを感じ取れるようになります。意識を集中することで、一定の音だけを聞き取り、機械の異常音がわかるようになるそうです。 

一生懸命に働き、一生懸命に考える。常に意識を集中させる。すると技術も、人材もいない零細企業であっても、次から次へと創意工夫が生まれます。自分には知恵がなければ、知恵のある研究者などに話を聞く、あるいはその人を左右するなりして知恵を外部に求めるという動きも、自然と出来るようになります。 

大企業で“優秀”と言われる管理職や、特定の分野での技術者で“切れ者”と言われる人は、ささいな仕事にも気を抜かず、と真剣に取り組んでいます。 

相談を持ちかけた時“ああ、わかった。それで良い”と軽くあしらう人がいます。しかし、どんな簡単なことでも軽く扱ってはいけません。“ちょっと待て”と立ち止まり、意を注いで、話をよく聞き、ど真剣に取り組まなければなりません。廊下ですれ違った時に、相談を始める人がいます。その時は、“集中して考えるから、後で来て。話をしよう”と伝えます。それは相手の意見を真剣に聞こうとするからです。 

  1. 有意注意を習慣化する

一生懸命に物事を考えるには、まず習慣づけることが必要です。問題が発生してから、突然深く考えようとしてもできるものではありません。意識を集中するにも、ある種の鍛錬と修行が入るのです。 

例えば、不況や突然的な事故が起きた時“会社をどうするか”とのべつまくなく考えなければなりません。二十四時間毎日考えなくてはなりません。しかし習慣化されていなければ、赤字になりそうだと思っても二時間と考えていられないはずです。会社では次から次へと問題が発生しますから、赤字のことを二十四時間考える余裕などありません。 

ところが集中することが習慣になっていると、様々な問題が起こる中で、一方ではそれらを処理しながら、もう一方の潜在意識で、二十四時間考え続けることができます。一週間でも一ヶ月でも考え続けることができます。そして解を見つけることができます。 

肉体的に一生懸命であるだけではなく、頭でも一生懸命に考え続ける。常に創意工夫をし、どんな些細なことも“有意注意”で向き合う。そのように習慣づけていくのです。 

  1. 従業員にも一生懸命になってもらう

従業員は“社長が自分の会社だから社長が働くのは当たり前。私はサラリーマンだから給料分だけ働こう”と一歩引いて考える従業員が多いと思います。 

従業員の社長と同じ気持ちになって、誰にも負けない努力をする。従業員の働く理由が“給料もらうため”という程度では、会社が立派にはなりません。一人でも二人でも社長と同じ気持ちで、ベクトル合わせ、誰にも負けない努力をする従業員がいるかどうかが重要です。 

そのためには、事業自体の目的は、従業員の物心両面の幸せを追求するという大義名分をはっきりさせ、“社長と一緒に仕事をすれば、自分のためになる。仕事が楽しい”と思わせることができればいいのです。 

“皆さんと家族を幸せにしていこうと考えています。社長である私と同じ気持ちで一生懸命働いてくれませんか”と経営の目的もわかりやすく伝えるのです。同時に、その仕事が社会貢献にもなっている、企業の存在は、社会のため、また世のため人のために役立っていると知らしめるのです。従業員の仕事の社会的意義を理解し、“こういう会社なら働きがいがある”と共鳴してくれるようにするのです。 

大義名分は従業員を引っ張るための道具と考えてはなりません。社長自身が一点の疑いもなく信じ、自分の信念にまで高め、また実践していくことが必要なのです。そうでなければ部下に見抜かれてしまいます。 

社長室には立派な社是(しゃぜ)や社訓が額に入れて掲げられているのに、社長がそれとは全く違うことを平気でやっている。“言っていることとやっていることがまるで違う。”朝礼で“一生懸命に頑張る。私も皆さんのために頑張る”と言いながら、“昼からゴルフに行って話にならない。これだからうちの会社はダメなのだ。”と言われている社長がたくさんあるようです。 

社訓、社是は社長である自分自身が本当に信じ、信念にまで高めなければなりません。自分が率先垂範することが大切です。 

  1. 一途な努力で将来が見える

ある時、二〜三人の経営者と一人の政治家との話し合いがありました。その時その政治家が“この前ある経営者と話をしていましたら、稲盛さんの話になりました。稲盛さんは遠視鏡を持っている、と言っていました。”と言いました。“遠視鏡とはなんですか”と聞いたところ“遠くが見える鏡、望遠鏡のことです” 

稲盛さんの打つ手は想像を絶します。例えば第二電電の打ち手は、郵政省、通産省の役人が考えることのはるかに先を行っています。役人の考えは全て現実の後追いですが、稲盛さんの考えは何十年も先を行っています。恐ろしく先の見える人だと話していました。” 

稲盛塾長は、そんなに先は見えていません。“私は真面目に、誰にも負けないほど、本当に骨身を惜しまず、肉体的に努力しています。そして凄まじいまでに頭も使い、考えています。たったそれだけのことです。” 

それからエゴ、利己を離れることで、先がある程度見えるのも事実です。利己を離れ、従業員、家族を幸せにしたいという点から、純粋な気持ちで、骨身を惜しまず努力をする。こうして澄んだ心で物事を見ていますと、先が見えるようになるのです。 

京セラではこの不況の中で過去最高の売上と利益を出しています。第二電電は十一年目ですが、売上高五千億円、税引前利益九百億円ほどです。 

盛和塾が目指すもの 

  1. 不況では売上より利益を追う

この不況の中、売上をなんとしても伸ばそうと、多くの企業がもがいています。このような逆境の中では、もがき苦しんでまで規模を大きくするのではなく、売上が減少する中で、いかにして利益を維持するかということに視点を切り替えるのです。 

確かに売上を増やすことで利益を増やすのが常道です。しかし売上を無理に増やそうとすれば、かえって問題を起こす場合があります。売上を伸ばすことに血眼になって足元を危うくするのではなく、どう利益を確保するのかに目を転じるべきなのです。売上が減った中で、どう生き延びるかに焦点を変えるのです。 

京セラではたくさんの事業部がありますが、すべて黒字です。売上が減少している事業部もありますが、赤字部門はありません。 

  1. 人材は群生する

“類は友を呼ぶ”“朱に交われば赤くなる”それは本当です。盛和塾入塾のきっかけは人に勧められてという人もあれば、稲盛塾長の本を読んで心惹かれたと、人によっていろいろです。それは縁というもので、摩訶不思議なものです。縁で集まった者同士が意識を触れさせ合う。そしてお互いに浄化されていくのです。 

人材が群生するのは、喧々諤々(けんけんがくがく)と議論し切磋琢磨するからではなく、その場に浸ることによって、人間ができていくからです。“相集(あいつど)う”ことが大変大事だと思っています。 

  1. ビジネスの大義名分を解いた石田梅岩

江戸時代、京都の亀岡に生まれ、若い頃は京都の呉服屋で丁稚奉公していました。京都に出て呉服屋で手代として努力を続けてきました。 

四十歳の頃、京都の黄檗山(おうばくさん)の禅僧の教えを受けて、修行を重ねて、悟りを開いたと言われています。呉服屋で一生懸命商売の道を勉強しながら、禅僧のお坊さんに師事し、悟りを開いたわけです。 

梅岩はその後、自宅を開放し、私塾を作ります。そこで説いたのが“石門心学”と言われる“商人道”でした。これが関西の中小企業の経営の座標軸になっていきます。 

江戸時代は士農工商という階級差別があり、商人は最下層とされていました。今でも銭(ぜに)を追うのは汚いという意識はいくらか残っています。江戸時代、商人に対する差別はさらに強かったようです。 

石田梅岩は“商いで利を求めるのは、武士が禄高を求めるのと同じで、卑劣なことではない。利潤を求めるのが商人道だ”と商人たちに解いたのです。 

江戸時代の商人は米を輸送する問屋業などで、利潤を得ていました。例えば百の価格で仕入れた米を別の場所で百二十の価格で売るというように、物を輸送するだけで利益を得るのは大変卑しいことだと思われていたそうです。梅岩は武士が禄をもらうのと同じことだと大義を説き、商人に自信を持たせようとしました。 

梅岩は商いに求められる“道徳”についても述べており、宇宙の心理や人間の本質にもとることをしてはならず、卑劣なことや、不正をしてはならないと言っています。古くから言われている“五倫”心、義、別、序、信、“五常”、仁、義、礼、智、信、を紹介しながら、商いには正しい方法があると教えたのです。 

さらに正直こそ最も重要だとも言っています。“商人と屏風はまっすぐでは立たない”と言われていたそうです。それは商人は少しインチキをしないと商売にはならないと思われていたのです。梅岩は“それは間違いだ。正直こそ飽きないで最も大切だ”と説きました。 

石門心学は、こうして京都の中流の商人を中心として広く大阪、関西一円の商人にまで伝わっていきます。商人ではなく、武士、農民、職人にまで広がってきました。 

  1. 日々の仕事で精進し、悟りを開く

石田梅岩は“悟りの境地”について触れています。“真の智を得るには、悟りを開かなければならない。それには執行を重ねることだ。そうすれば忽然と悟りが開ける”というようなことを言っています。おそらくここでいう修行とは、呉服屋の手代として苦労したことからして、精魂込めて仕事に取り組むことを言っているはずです。事業家、商人として生きる者にとっては、それが修行です。このように日々働きながら修行を重ねることで、悟りが訪れるのです。 

梅岩は“徒然草に書かれているように、聞くだけでは真の智は得られない。宇宙の真理は修行を重ねた結果、忽然と悟るものである。その喜びは親がよみがえった時以上のものである”とも言っています。 

毎日肉体的精神的にくたくたになるほど集中し、寸暇(すんか)を惜しんで仕事をする。その結果忽然として悟りが開ける。このように悟りを開いた時が、“将来が見える”という状態なのです。 

商人道に徹する中でも、最後は悟りの境地にまで至る必要があると梅岩は言っているのです。 

  1. 必要なのは経営者が心を高めること

京都には百年も二百年も続いている商家があります。その理由は戦災に遭わなかったこともありますが、それだけではないのです。 

長く続く商家には、家訓があるのです。その家訓は全てと言っているくらい、梅岩の哲学を家訓として固く守ってきたために、何百年も家業が続いているのです。 

江戸時代、華美な元禄文化の日本に、石田梅岩という素晴らしい人物が現れ、商人に倫理観と強い精神的支柱を与えました。浪花(なにわ)の商人を始め、関西で商人が繁栄していったのです。 

さらに石田梅岩の石門心学は、近代日本の資本主義社会の成立にも大きな影響を及ぼしました。 

ヨーロッパで資本主義の勃興を支えたのは、プロテスタントの禁欲的な倫理観でした。“働く事は周囲の人たちを幸せにする”と教えています。これは従業員を大事にすることにもつながっています。石門心学はこのプロテスタントの教えとよく似た影響を日本社会に与えたのです。 

今の日本に一番必要なのは、経営者が立派になることです。経営者は従業員とその家族を養っています。考え方が立派な経営者が多ければ、社会の安定と繁栄の礎になります。盛和塾は立派な経営者を育て、日本の社会に貢献するためにあります。

盛和塾 読後感想文 第139号

経営に打ち込む

真の経営者とは、自分の全知全能、全身全霊をかけて経営を行っている人のことです。どんなに素晴らしい経営手法や経営理論、経営哲学を頭で理解しても、真の経営者になれるわけではありません。命をかけるくらいの責任感で毎日を生き、その姿勢をどのぐらいの期間続けてきたかということで、経営者の真価が決まると思います。 

経営に対して、自分の全身全霊をかけて打ち込むという事は、大変過酷なことです。もし、そういう打ち込み方をするならば、自分の時間も持てないでしょう。体力的にも精神的にも耐えられないような重責が続くでしょう。しかし、そういう状態を経験し、乗り越えて来なければ、真の経営者としての資質は磨かれないのではなかろうかと思います。 

ですから、トップとナンバーズとの間には天と地ほどの差があると言われています。それは責任を感じて命をかけて仕事をしてきたか、それともサラリーマン的な存在として仕事をしてきたか、判断をトップにゆだねてきたかの違いだろうと思います。     

これから伸ばすべき力を見極める

盛和塾の目的 

  • 国や社会を支えているのは経営者

経営者は従業員とともに一生懸命仕事をし、利益を出して税金を納めます。その税金から公立の学校の先生や役人は給料をもらいます。それだけではなく、従業員の給料から所得税を払います。このように考えますと、その地域社会では、何百万円もの経済効果があるのです。 

  • 学ぶ事は優しいが実践は難しい

知っていることを実践するのは難しいことです。話を聞いたり、テープを聞いたり本を読んだりして知ることができますが、実践するのは容易ではありません。 

“学ぶ事は優しいが、実践が難しい。真剣さが足りないためだろうか”これは何故でしょうか。実践するためには、経営者の考え方が変わることが要求されるのです。それは自分の人格を変える、修正することが必要だからです。ですが人格を修正する、変える事は容易ではありません。 

例えば“人の話をよく聞きなさい”とよく言われ、自分も同意します。毎日の生活、仕事の中で、いろんな人とお会いし、話をするわけですが、その同意したことを忘れて“人の意見を聞かず、自分の意見をしゃべってしまう”こういうことがよくあると思います。一人になった時、“あっいかん俺はしゃべりすぎた。相手の意見を十分に聞かなかった”と気がつきます。こういうことが何回かあり、人は少しずつ学んで、実践することができるようになると思います。 

人格は簡単には変わりません。三つ子の魂百までというように、子供の頃からの性格、人格は百歳になっても変わらないと言われています。 

人格を変えるためには、繰り返し繰り返し反復する、盛和塾のテープを聴く、本を何度も読み、自分のものにする努力が必要です。 

  • 知識を見識、胆識へ高める

安岡正篤(まさひろ)先生は“知識は本を読んで学ぶことができます。大切なのは知識を見識にまで高めることです”と言っています。 

見識とは、知識が自分の理念信念にまで高まったもののことです。“自分はかくあるべき”という確固とした世界観にまで高まったものです。そうするためには、盛和塾のテープ本を繰り返し聴く、読み、熟考します。そうすることによって、自分の世界観ができてくるのです。 

ところが安岡先生は、それでも学んだことを実行するには至りません。胆識にまで高めていかなければならないとおっしゃっておられます。知識を胆識にまで高め、実行が伴うようにすることが大変大事なのです。 

第一ステップ:会社を立ち上げる

  1. 三種類の事業形態

最初のステップは創業なのですが、それには三つの事業形態があります。 

  • 技術力をベースにした創業

技術屋が自らの持つ技術をベースにして会社を始める 

  • 製造力をベースにした創業

ものを作る力をベースにして会社を始める。製造工程を知っており、そのノウハウで会社を創造する 

  • 営業力をベースにした創業

商品の流通のノウハウを覚え、事業を始める 

  1. 創業者に共通して求められる資質
  • 人一倍熱心であること

創業時は大変な苦労します。この時一番大切なのは、人一倍熱心であることです。中小企業、零細企業の社長は、何もして人一倍熱心に仕事をしなければなりません。青年会議所や地元の企業の会合に顔を出していたりする余裕はありません。

  • 人一倍の努力

人一倍の努力は二番目の資質です。

  • 豊かな発想力

溢れるような、豊かな発想ができることです。一つのことを発送すると、そこから次々と俺演奏できる、気が聞き、抜け目がないということです。

  • 仕事への集中力

仕事をするときは凄まじい集中力が要ります。ですから、仕事に関係のない余計な行動に手を広げてはなりません。

  • 物事を着実に進める根気

物事を一つずつ完成させていく姿勢が必要です。

  • 誰にも負けない闘争心

弱肉強食の資本主義社会で生き延びるには、誰にも負けない闘争心がいるのです。

  • 集団を守ろうとする勇気

経営は勝負の世界です。勇気のないのリーダーは、集団を不幸にしてしまいます。 

第二ステップ:人心をつかむ。①従業員と信頼関係を築く 

  • 会社員一丸となれば会社はすぐ立派になる

人の心をつかみ、まとめる力が要ります。技術力、製造力、営業力のいずれでスタートを切ろうと、必ず従業員がいます。会社を良くしていくためには、その心をまとめることが必要になります。 

“バブル崩壊後の危機感を訴えてもなかなか社員がわかってくれない。”“会社経営はこうしたいと従業員に行っても、どこまで伝わったかわからない”と不安の経営者の方々もおられます。 

いくら会社を良くしたいと思っても、社長一人の力は知れています。ところが、従業員が五人しかいなくても、一丸となって会社を立派にしたいと思えば、たちまち立派になります。 

  • 従業員に付き合い、苦楽を共にする

稲盛塾長の最初の就職した会社、松風工業では、会社と労働組合が対立しており、ストライキがよくありました。また給与の遅配がしょっちゅうありました。そうした中で松下電子工業からテレビのブラウン管の物件を受注しました。その時、研究開発にしろ、製造にしろ、人の心は一緒になっていなければ、良いものができないと思ったそうです。 

会社の経営状態も悪く、一介のサラリーマンでは、お金の力で心をつかむなど、できようはずはありません。 

そうした状況の中で取った方法が、部下と一緒に遊ぶ事でした。会社では共産党がアジテーションし、従業員の不平不満を煽り立てています。それを聞いた部下の心が荒廃していくのが耐えられなくなりました。そこで、部下をグランドに連れ出して野球をしていました。昼休み、稲盛部塾長は、ピッチャー、キャッチャーになりました。野球という遊びを通じて、部下の心を荒廃から守り、理解していたのでした。まず一緒に付き合うことです。一緒に遊ぶことから従業員に合わせていくのが大切なのです。 

不平不満が注文した部下を連れ、よくハイキングにも行きました。みんなで握り飯を作り、ハイキングに行きました。松風工業時代の大学を出てニ年目くらいの頃でした。 

  • 部下と連携してスト破り

労働組合は当時一番伸び盛りの製造部門に矛先を向けてきました。松下のテレビ販売が流星のごとく伸びていった時期でした。稲盛塾長は部下四〜五十人に向け“ストライキ破りをやる”と宣言しました。 

労働者の権利も守られず、給料もボーナスもまともにもらえない、劣悪な労働条件に対し、従業員は不満ですし、稲盛塾長も義憤を感じていました。しかし常に会社に不平不満ばかり言って努力もせずサボタージュしていては、会社が潰れると思ったのです。 

稲盛塾長の研究成果であるこの製品で会社を救いたいと思ったそうです。この製品は松下が既に認めており、将来も大変期待できます。これで会社を救い、従業員を幸せにすることができると考えました。 

“もしストライキをやるのであれば前もって言ってくれ。航空便でオランダのフィリップ社から材料を取り寄せる。その代わりに二度と君の所から買わない”と松下から言われていたのです。 

そのため、“スト破り宣言”をしたのでした。自分たちのお金を出し合い、缶詰、米を買い、部下と家に帰らず、工場に籠城し、そこでご飯を食べながら生産を続けました。 

会社の正門は赤旗が林立し、出入りすることができません。これでは納品ができません。そこで稲盛塾長の研究室の横の塀によじ登り、外に製品を投げ渡すことにしました。松下の人が塀の外で製品を受け取って帰って行きます。 

一介のサラリーマンの稲盛塾長は、何の報奨も出せない立場であり、部下の心を野球とハイキングでしかつかむしかなかったのでした。それだけで、あれほど強い団結を実現できたのです。これが従業員の心をつかむ、最も原始的な方法です。リーダーが自分から裸になり、一緒に遊んであげるのです。 

  • 必死に部下の心をつかもうとした創業期

“スト破り宣言”事件の後、京セラ創業となりました。松風工業のサラリーマン時代の頃から従業員と心が通い合う関係でありたいと思いました。“仲間の心を信ずる”“心をベースに経営する”。幾たびも辛酸をなめる中で、心が通じ合った仲間がいかに大切か、よくわかったのです。 

入社時の歓迎コンパ、忘年会、あらゆる機会を通して、皆と食事をし、お酒を飲み、ビールを酌み交わし、質素な弁当をつつきながらお互いを知ってもらおうと考えたのです。 

五人、十人しかいない会社でも、ハイキング、慰安旅行、忘年会や歓迎会をしようと言うと、何かと理由をつけて欠席する人がいます。しかし、本当ならこういう人こそ来てもらいたい。よく話をしなければなりません。“私は歳ですから、結構です。欠席させていただきます”という古手の従業員がよくあります。理由を聞いてみると“若い者達と観光バスに揺られて行っても面白くありません。それよりも友達とゴルフでもしていたほうが楽しいのです”と答えます。京セラでは、こうした事は許しませんでした。一人の欠席も許さず、何をするのも皆一緒にいるのは非常に大事なのです。 

第二ステップ:人心をつかむ。②従業員に大義を説く 

  1. 企業の使命を従業員に伝える

企業を立派にしていくには、経営者に従業員がついてこなければなりません。そこで遊びに付き合い、共に酒を飲み、一緒に弁当食べようと言うように、遊ぶのも働くのも一緒であることが大切なのです。 

実に、一緒に付き合ながら、自社の経営の目的を従業員に伝えていくのです。京セラでは経営の目的は“全従業員の物心両面の幸福を追求する”と決め、従業員に言い始めました。 

“私が従業員の皆さんと一緒に苦労し、会社を経営しているのは、皆さんとご家族を絶対に幸せにしてあげたいからです。私だけが成功して金持ちになりたいからではありません。今は小さな頼りない会社ですが、この会社は従業員みんなが物的な面でも心の面でも幸福になることを願ってつくりました。” 

このようにして企業の目的、使命を伝えていき、その実現のために必要な考え方、哲学を明確にし始めました。“こういう理念、哲学をベースにして会社を経営していく”と伝えてきました。 

従業員と苦楽を共にし、気持ちがわかるだけでは、集団として力を発揮できないのです。経営者が共に苦労し、一緒に喜んでくれる人だという信頼があれば、従業員はついてきてくれます。しかし“社長は尊敬に値する人だ”という気持ちが従業員の間で芽生えてくるレベルにまでならなければ、本当に強い集団にはなりません。尊敬してもらうには、会社を貫く目的、使命、哲学が立派なものでなければならないのです。 

会社を経営していくには大義名分が必要であり、リーダーが従業員から尊敬されることが不可欠なのです。従業員の気持ちを理解し、一緒に遊び、苦楽を共にするのが、人心を掌握する最初の段階です。その次は目的、使命、哲学を解き、“この人になら私は一生ついていっても惜しくない”という尊敬を集めるようになることなのです。 

  1. 自分自身から変わる

尊敬は、人から教わるのではなく、自分から作るものです。繰り返し繰り返し盛和塾のテープ、雑誌を通して、その考え方を自分のものにしていきます。 

学んだことを自分の行動にまで落とし込むようにならなければ、従業員からの尊敬は得られません。そうでなければ口先だと思われてしまうのです。素晴らしい会社の目的・使命を作り上げ、従業員に伝えるにしても、まず自分から実践できるように変わらなければならないのです。 

人が変わるのは命を落とすほどの衝撃的な経験をするか、繰り返し経験し続けるかどちらかです。 

従業員と徹底して話し込む、“最近のうちの社長は違うぞ。一生懸命勉強して変わりつつあるぞ”という目で見てもらうまで頑張ることです。 

運動会やコンパに必ず出席する。忘年会では“本当に1年間頑張ってくれた。ありがとう”と言葉をかけ、一緒に酒を酌み交わしてきました。熱があっても直接顔を合わせてお礼を伝えたいために、必ず忘年会には出席し、従業員と話し込んできました。 

しかし“社長はあんなことを言っているけど、我々を騙して信用させ、利用しようとしているだけだ”という従業員が必ずおります。良いことをいうほど、裏ではそう言われているものなのです。しかしこうしたニヒル、クールな従業員の心を揺さぶることが必要なのです。そのためにも、自分から捨て身になって話し込んでいくのです。 

  1. 商人の大義を解いた石田梅岩(ばいがん)

江戸時代は日本は士農工商の階級制がありました。そのような時代に京都に石田梅岩という人が、商人にも武士道と同じように“道”があると説いたのです。 

商売で利益を得る事は、何か悪いことであるように言われていました。“商人が利潤を得る事は、決して卑しいことではない。武士が幕府から禄高をもらうのと同じである”と説くわけです。自分の生き方に自信がなければ、卑屈な思いをして生きなければなりません。しかしこうした大義名分を得て、自信が生まれれば、確たる信念を持って仕事ができます。 

同時に、倹約、節約についても、コストダウンをしなさいと解いております。そして不正な儲け方をしてはならないと厳しく戒め、正直こそ商いの道であると説いています。 

企業の場合でも、自分自身が企業仕事に誇りを持つと同時に、従業員にも仕事に誇りを持ってもらうように仕向けるのが大事です。 

3ステップ:自社に足りない力を認識する 

  1. 次に必要な要素を身に付ける

技術力、製造力、営業力でスタートしたいずれの企業も、自社が次に身に付ける事は、自社が持っていない必要な要素を取り入れなければなりません。 

技術でスタートした会社は製造力を身に付ける必要があります。

製造力でスタートした会社は、技術力を身に付けることです。大企業の下請けをしてきた場合、そこから応用的な技術までマスターしていくのです。

営業でスタートした会社は製造力を身に付けることです。良い商品を得るには、仕入れするだけではなく、自社生産も選択肢に入れます。しかし自社で製造せず、下請けを使っても良いのです。その時、仕入れに力を入れ、有利な条件で仕入れる技術を磨くのです。 

技術でスタートした会社は製造力を加え、営業力を次第につけていきます。

製造力でスタートした会社は、技術力を加え、営業力を身に付けます。

営業力でスタートした会社は、仕入れ技術、製造力/自社生産を身に付け、技術力も身に付けます。 

4ステップ:管理力を身に付ける

最後のステップは、管理力を身に付けることです。採算管理や、在庫管理、売掛金管理、損益管理等です。経営者は管理能力を高めることで、パイロットがコックピットのインジケーターを見るように、自社はどこを飛んでいるのか、すぐわからなくてはなりません。 

以上のステップを考えた場合、一体自社がどの段階に来ているかを見極めることが大切です。例えば自社は管理力が不足している、技術力、製造力、営業力はそれぞれどういう段階にあるのか、検討し続けていく必要があるのです。 

盛和塾 読後感想文 第138号

エネルギーを部下に注入する

リーダーが情熱を込めて事業の目標やプロジェクトの意義を部下に話し、彼らの士気を、自分と同じレベルにまで高めることができれば、事業を成功させることは可能になります。自分のエネルギーを部下に注ぎ込むのです。これにより、チームのエネルギーレベルはリーダー自身のエネルギーよりもさらに高くなるそうです。 

部下がそのプロジェクトに協力することを簡単に承諾しただけの場合は、成功への可能性は低いでしょう。もし部下が“全力を尽くします”と言ってくれたら、おそらく半分は成功するでしょう。しかし、もしリーダーが自分のエネルギーを注入し、彼らが、そのプロジェクトは自分たちのものと考えるようになれば、プロジェクト90%成功するでしょう。 

部下がどのぐらいプロジェクトに対し、情熱を持っているかを知り、部下が情熱で燃え上がるまで、自分のエネルギーを注ぎ込むこと。これがリーダーとして最も重要な任務です。 

リーダーとして目標をいかに実現するか

立てた目標をリーダーとしていかに実現するか、そのためにリーダーの持つべき考え、取るべき具体的な方法についての講話です。 

  1. 明確な目標を立て、その目標が達成できると心から信ずる
  2. 目標達成の具体的方法を検討し、考え続ける
  3. 目標を達成する方法を部下に対して丁寧かつ具体的また明確に指し示し、できるという自信を持たせる
  4. 部下の意見を聞き、採用することを通じて、経営の参画意識を持たせる
  5. 日々採算を作る、損益を見るのです 

一.明確な目標を立て、達成できると信じる

リーダーは明確な経営目標を作ると同時に、目標達成できると自ら信じていなければなりません。自分自身が信じていないような経営目標を、いくら話しても効果はなく、まずは自分が目標達成を心から信じなければならない。 

“自分の会社をこうしたい”“こういう形を目指したい”というその人の強い願望こそが、会社そのものを作っていくのです。経営目標には、その経営者の願望が反映されていなければならないのです。 

さらにその願望が“従業員のため”“世のため人のため”という気高い純粋な思いに裏付けられたものであれば、その企業は限りなく成功へと近づいていくことができます。 

素晴らしいリーダーとは、強く気高い思いに裏付けられた、その集団の“あるべき姿”“理想的な目標”を描ける人です。社長はその会社全体の“あるべき姿“ を描ける人です。 

“あるべき姿”とは“理想像”であると同時に、具体的な目標です。単一の目標ではなく、受注、生産、売上、利益といった一つ一つの数字を目標として掲げることもしなければなりません。と同時に、従業員のモラル、つまり士気や会社全体の風土といった側面もあるのです。 

同時に、リーダーは、その目標達成できると心の底から信じなければなりません。高い目標を掲げても、リーダー自身が“達成できないかもしれない”と思っていたのでは、いくら理想的な素晴らしい目標であったとしても、達成することができません。 

イギリスの哲学者ジェームス・アレンは、その著書“原因と結果の法則”において次のように述べています。 

“人間を目標に向かわせるパワーは、自分がそれを達成できるという信念から生まれます。疑いや恐れは、その信念にとって最大の敵です”。これが経営の舵取りを行うリーダーこそが拳々服膺(けんけんふくよう、心にしっかりと止め、忘れないようにすること)して肝に命じなければならないということだと思います。なぜならば、自分で目標を立てておきながら、往々にしてすぐに“このような難しい条件がある”と後ろ向きに考え始める人が多いからです。 

少しでも“これは難しい”と思ったら、絶対に物事は成就しません。“絶対に実現できる”と自ら信じ込ませることが必要なのです。“自分がそれを達成できる”という信念こそが人間を目標に向かわせる最大のパワーになるのです。 

意欲的な事業計画として、売上を倍増する計画を社長が掲げたとします。その時、社長自身が“倍増は間違いなくできそうだ”と思っているのか、それとも“倍増とはいっても、実際はなかなか難しい”と思っているかで結果は全く異なったものになっていきます。 

このリーダーのメンタリティーは、そのまま幹部社員、一般社員にも伝わり、会社の中に広がっていくということです。目標に対してリーダーである経営者が“絶対達成できる”と本当に信じていれば、その思いが部下にも伝わっていきます。 

売り上げ五倍、一兆円企業を目標に掲げた京セラ

稲盛塾長は京セラを経営してくる中で、次々に新しい目標を掲げ、実現してこられました。当時、京セラにとっては不可能とも思えるような目標も数多くありました。1984年1月、経営スローガンでは“一兆円企業を目指して”という目標を掲げました。当時、京セラのグループの売上は、二千五百億円ほどでした。次年度の目標は三千億円でした。その時“一兆円企業”という目標を掲げたのです。 

幹部社員の多くは‘そんな壮大な夢が実現するのだろうか”という疑念を持っていたと思います。“何を驚いているのだ。今の事業規模である二千億円のたった五倍じゃないか”と幹部社員に稲盛塾長は話したそうです。“たかが五倍”というメンタリティーが、目標を掲げるリーダーに求められるのです。そう信ずることで、不可能と思えるような一兆円という目標が、達成できるような気がしてくるのです。 

そして京セラは2015年、売上一兆六千億円に迫る会社になっているのです。 

  1. . 具体的、論理的な方法を検討しつづける

リーダーが自ら立てた目標を達成するために、具体的な、理論的な方法を検討し続けます。目標数字、あるいは言葉にして掲げるだけで良いというものではありません。どうすればその目標を達成できるのか、その達成に至るプロセスを事細かに考えていきます。そのプロセスは、誰の目から見ても合理性のある、論理的なものでなければなりません。 

強く思えば思うほど、物事を実現し、成就するというのは真理ですが、“思う”ということだけにとどまっていては実現しません。 

“どうしてもこの事業を成功させたい”“この高い目標を実現させたい”という強烈な願望を心に抱いたなら、当然のこととして、その願望を達成するための戦略、戦術を理知的に考え尽くします。どういう手法を使い、どういう順序で進めていけばいいのか、目標を掲げるリーダー自身がよく練っていかなければなりません。 

目標を本当に達成したい、計画を成就させたいと思っているならば、次から次へと湯水のごとく方法論が思い浮かんでくるはずです。もし方法論が浮かんでこないならば、おそらくまだまだ思いが足りず、それほど強い願望ではないということです。 

次々に湧いてくる方法論は、一回検討するだけでは不十分です。綿密なシュミレーションを繰り返し行うことが大切です。特に新しい事業展開する場合には、頭の中で、実際に進出した時と同じような状況を想定しながら、それに対する具体的な方法を組んでいきます。そして成功して、目標を達成した喜びにあふれた場面を想像することができるほどまで、シュミレーションを繰り返し繰り返しやっていきます。 

シュミレーションの結果、達成した目標が空でくっきりと鮮明に見えるようでなければ、目標実現しません。 

シュミレーションを繰り返し、見えてくるまで考える

1984年に創業した第二電電(現KDDI)の場合も、シュミレーションの繰り返しの結果、目標達成することができたのです。 

巨大な国営企業、電電公社(NTT)が相手という、リスクの高い壮大なビジネスに挑戦するわけですから、本当であれば、不安で、逡巡しながら進めなければならなかったのです。しかし稲盛塾長は、国民のために安価な通信料金を実現しようと強く思い、第二電電を創業してから上場を果たし、KDDIの原型を作るまで、シュミレーションを続け、考え尽くしてきたのです。 

稲盛塾長には、一抹の不安もありませんでした。第二電電が成功していく様が、何年も前から全部見えていました。つまり二年先、三年先に起こってくることを“これは必ずこういう経過をたどって、こういう結果になるから、我々としてはそれにこういう風に対応していこう”と言い切って、経営の道筋をずっと説明していきました。 

NTT、日本テレコム、日本高速通信という競合相手があり、相手の出方によっては第二電電の方法、打つ手も変えざるを得ないと思っていたのですが、実際には第二電電の方法を変更する必要がなかったのです。実際にはシュミレーションした通りを実行することとなったのでした。 

新電電による市外電話サービス開始にあたっての料金体系がそうでした。一九八七年九月のサービス開始の時、NTTは、東京-大阪間で三分四百円、第二電電は三分三百円で設定しました。名古屋-神戸間では、NTTは三分二百六十円、第二電電は三分百三十円と半額に近い料金設定をしました。 

全体で20%割安という料金設定は、一年も前に稲盛塾長が第二電電の幹部社員に明確に言っていた数値と全く同じだったのです。それは“NTTの現在の料金に対して、第二電電がどれぐらいの料金設定をすれば、ユーザーの満足を得られるだろうか”“採算上をクリアしたうえで、最低でもこれくらい割安に設定しなければならないのではないか”と繰り返しシュミレーションをした結果が全体で20%割安という数字でした。 

第二電電の経営では、夜も寝られない位に考え抜き、必死に努力をしました。不安は一切なかったのです。事前にシュミレーションを繰り返して、事業が成功する姿、一生が実現する姿がカラーで見えていたのでした。 

一旦経営の目標を設定し、自らその実現を信じると同時に、具体的に、どうやって達成するのかという戦略・戦術的な方法、手段について、繰り返しシュミレーションを行い、見えてくるまで考え抜いていくのです。 

三.達成する方法を示し、自信を持たせる

リーダーは目標を達成する方法を部下に明確に示すと同時に、そのことを通じて部下にできるという自信を持たせるようにしなければなりません。 

リーダー一人では会社の目標を達成することは困難です。リーダーは自分のみならず、幹部社員、全従業員と目標を共有し、シミュレーションした目標達成に至るプロセスを説明した上で、それが必ず成功するのだということを全員に信じ込ませなければなりません。 

リーダーが強烈な願望を持ち、高い目標を掲げても、その集団のメンバーがその目標の実現を自分のこととして捉え、懸命に努力してくれなければ、決して目標は達成できません。 

リーダーは集団の心をとらえることができなければなりません。集団の全員が“何としても達成しよう”と思わせることが大切です。リーダーは集団に生命(いのち)を吹き込み、全員のベクトルを合わせ、目標に邁進(まいしん)させるよう、導いていくことがリーダーとしての役割なのです。 

目標を共有する具体的な仕組みとしては、会社全体の経営目標を組織ごとにブレイクダウンし、組織の最小単位に至るまで、明確な指針となるように細分化することが必要です。目標社員一人一人が具体的に理解できるように、細分化して、わかりやすくしていくことが求められます。 

また年間の目標のみならず、月次の目標も設定し、各人が月々の、また日々の目標を正確に認識し、着実にその目標を果たすことができるようにします。そうすることで、一人ひとりのメンバーが“自分の目標はこうであり、自分は今その目標に対してどの程度進歩している”ということが明確にわかるようになり自主的に、また自信を持って目標達成に邁進することができるようになっていきます。 

同時に、部下と目標を共有し、目標達成の熱意を経営者と同じレベルにまで引き上げ、部下に心底から目標の実現を信じてもらうようにすることが大切です。リーダーが持つ情熱やエネルギーを部下に注入するのですが、“エネルギーを注入する”とは、相手の心、気持ちを励起(れいき)させることです。励まし、ヤル気を起こすことです。自分の部下、自分の周囲の人たちの気持ちを高揚させて、“分りました。一緒にやりましょう。どんな困難があろうとも、なんとしてもこの目標達成しましょう”と言ってくれるようにするのです。 

仕事の意義と方法を示してきた京セラ

新しい仕事・注文をとってくるために、客回りをしてきたのですが、その時“他社ができないような難しいものはありませんか”と言って稲盛塾長はあえて難しい注文をもらって帰りました。しかし、“この注文をとってきた。頑張ってくれ”と安易に従業員には渡しませんでした。大変忙しい毎日を従業員は過ごしていました。稲盛塾長は出張から帰って、部下に集まってもらい、“今日はA社に行ったら、真空管の技術者からこういう話があった。こういうものはできませんかと言われた”というふうに、商談の様子を事細かに手に取るように説明しました。 

“この絶縁体はA社が作る放送局用送信管のこの部分に使われる。形状が複雑で、今もっている技術で作るのは難しいので、新しい加工方法が必要だと思う。この送信管は放送局が完成を一日千秋の思いで待っており、この技術を応用することで、もっと幅広い事業展開も可能になる” 

注文を取ったときは、その部品が組み込まれる製品はどういう用途に使われ、さらには社会でどういう役割を果たし、社会がどう変わっていくのかということにまで部下に話しました。社会的にも会社にとっても、大変意義のある仕事であり、その重要な製品をこういう方法で作ろうと具体的な話をするようにしていました。 

それでも顔を見れば“難しい”という顔をしています。“こうすればできる。こうすればいけると思う”と方法まで示し、部下がその気になるまで一生懸命に話しました。 

“やれ”“がんばれ”というのではありません。なぜがんばらなければならないのか。なぜがんばるに値するのか、社会的意義、会社にとっての意義、お客さんの立場までよく話した上で、こと細かく具体的な方法を説明していきました。 

“どうしてもやり抜くのだ”という顔つきになるまで、二回も三回も繰り返し繰り返し話をしました。顔を合わせれば、その都度呼び止めて再度話をしました。 

四.部下の意見を聞き、正しければ採用する

目標を達成するための方法について部下の意見を聞き、それが正しければ採用するということも大切なことです。これは良いアイディアを採用すると同時に、部下に経営への参加意識を持ってもらうという意味があります。 

トップダウンで決めてしまうのではなく、目標達成のための計画策定段階から、部下を巻き込み、“自分たちが立てたものである”という意識を全員に持ってもらうようにします。 

“上から指示されたから、仕方なく”と思いがちです。つまり自ら設定した目標に従って任務を遂行しているわけではありません。そうしますと、消極的な姿勢をとるようになってしまいます。 

京セラではそれとは逆に、社員に向かって“皆さんもぜひ知恵を出して私と一緒になってこの会社の経営を考えてください。”と言って参加を求めていったことで、“社長が私にこんなに期待してくれているのか。それならば、私も、この会社はどうすればうまくいくのかを考えて、期待に応えていこう”と自分から経営に参加し、会社を少しでも良くしていこうと活発に意見を出してくれるようになったのです。 

しかし一方では部下を集め、意見を聞いた上で立てた計画が、目指すべき目標とあまりにも乖離していた場合には、トップの意思として、高い目標を設定し直すということもしなければなりません。その場合でもなぜそのような目標を目指すのか、懇々と部下に説明し、部下が当事者意識を持って納得してその目標を受け入れるまで、徹底的に話し込んでいくことが必要です。 

一部の幹部がいくら采配をふるって経営に全力を尽くしても、たかが知れています。会社に住む従業員一人一人が、自主的に創意工夫に努めることが何よりも大切です。 

五.ど真剣に気を込めて日々採算を作る

リーダーは集団を目標に着実に導いていくために、日々採算を作ること、つまり気を込めてど真剣に一日いちにち採算を考えて、損益計算する必要があります。 

経営リーダーの目標とは、年間の売上目標、利益目標と、経営計画です。年間売上、年間利益は日々の業績の積み上げです。毎月の積み上げなくしては、年間の大きな経営目標を実現することができません。 

リーダーは月末になってから経理から出される損益計算書を見て経営するのではなく、毎日の売上や経費を見て、採算を作っているのだという意識を持って、日々損益を考えながら、経営に当たらなければなりません。 

事業とは毎日数字の動きを追っていかなければならないものです。しかし、そうすると“ただひたすら頑張って一日を過ごせば良いのであって、採算はその成り行きで出てくるのだから、二の次でいいのだ”と思う人がいるかもしれません。 

しかし、事業というのはリーダーの意思で行うものです。リアルタイムで経営数字を見ながら、予定した目標に対して進捗が遅れている場合は“この製品を売り込む新しい市場は無いだろうか。A社に営業に行き、こういう提案をすれば、きっと使ってくださるはずだ”と新しいアクションを考え、実行に移していくはずです。 

あるいは徹底的にコストダウンを図る場合、もっと安い購入先はないか、製品の品質はそのまま保ちながら、大体材料使用できないかと、また無駄な経費がないか、徹底的な経費最小の取り組みをします。 

このようにして、リーダーは損益を作っていくのです。そういう意味で採算を作ることができるのです。リーダーの意志と努力で、売上を増やすことも経費を抑えることも可能になるのです。採算というのは良くも悪くも全てリーダーの意思と行動のあらわれなのです。 

例えば年度初めに年間の経営目標は掲げたにもかかわらず、二ヶ月もたたないうちに計画を大幅に修正するような経営者、また経営幹部は、決して経営集団を率いるリーダーにはなれません。仮に、市場の変化や部下からの報告を客観的に見たときに、当初立てた目標が達成できそうにないということがわかったのなら、他に手立ては無いのか、挽回策はないのかを必死で考えるのがリーダーの役割なのです。 

経営状況は刻々と変わっていきます。変わっていく中でも少しでも掲げた目標に近づくよう、最後まで諦めずに舵取りをしていくというのが、経営者の仕事です。

将来の危機の芽を未然に摘み取る

経営者としての役割を果たすためにも、経営数字をリアルタイムに把握できるような、精緻な管理会計の仕組みを構築していく必要があります。 

大きく肥大化した組織になればなるほど、経営実態や無駄がわかりにくくなり、必要な経営改善を手が打てず、また誤った舵取りをしてしまうことで、せっかく成長させた企業を衰退させてしまう例が後を絶たないのです。 

表面上は成長発展を続け、繁栄を続けているように見えていても、実はその影に衰退の原因が隠れている場合が少なくありません。 

年間の経営目標の数字が日々の細かい数字の積み上げであると同じように、企業グループ全体はグループを構成する大小様々な関連会社、事業部門の実績数字の積み上げです。現在は小さな欠陥で短期的には会社全体の業績に影響を及ぼさないような問題でも、そのまま放置すれば、将来的には会社全体を蝕み、取り返しのつかない状況を招きかねません。 

連結ベースの決算では健康そうに見えていても、非常に素晴らしい利益を出しているように見えても、世界各地にある関連会社を個別に細かく見ていけば、どこかにがん細胞が発生しているのではないか。そうした小さな結果を見逃してしまうと、やがて大火の元となり、本体そのものもおかしくなってしまうかもしれません。 

どんな小さな部分であろうとも、健全でなければなりません。あらゆる部門が素晴らしく健康でなければなりません。 

リーダーは組織に生命を吹き込む

組織とは本来、意識や生命を持っておりません。その無生物の企業体に対して、経営者の意識、または生命を吹き込むことによって、あたかも生物のように生き生きと動き出します。 

社長が仕事が終わり、会社の組織の頭脳である社長が、個人に戻りますと、会社組織も無生物となります。ですから、自分自身のことを犠牲にしてでも、会社のことに常に意識を働かすことがトップの義務なのです。 

私的な生活、家族との生活、子供の学校行事等も犠牲にしなければならないことが多々あります。 

経営者とは大きな愛に身を捧げる人

リーダーの無私の姿勢こそが、従業員をして“この人についていこう”“この人の為なら一生懸命働こう”と思わせるのです。筆舌に尽くしがたいほどの苦労しながらも、必死の努力を払って従業員を守り、会社を守り、ひいては社会の発展にさえ貢献できることこそ、他の何にも代えがたい経営者の勲章です。 

自分個人だけを守る、あるいは自分の家族だけを守るという“小さな愛”ではなく、多くの仲間を守り、幸福にする、ひいては社会に貢献するという“大きな愛”、その大きな愛に身を捧げる人生とは、やりがいのある幸福な人生だと思います。

盛和塾 読後感想文 第137号

利他行としての経営 

経営者の生き様を見せる場に

第一回全国大会での稲盛塾長の講話をまとめたものです。利他の心が人生や会社(社風)にどうして良い影響を与えるのかということを説いておられます。“利他の心とは、それを持つことにより周囲の尊敬を得て会社を発展に導く、国や業種を問わない普遍的な真理である”と述べられています。“経営とは利他行である“=盛和塾の原点です。 

今回の大会には、奥さん同伴の方もいますが、来年もぜひ奥さんと一緒に来ていただきたいと稲盛塾長は述べておられました。奥さんを教育するのが一番難しいのです。奥さんを盛和塾大会にお連れして、男の生き様というものを見ていただき、理解を深めていただく、良い機会なのです。 

日本の経営が大切にしてきた利他の心

トップマネジメントに必要なのは強烈なリーダーシップと優れた人間性と言われています。その人間性の中身を決めるのは、心の中にある“利己”と“利他”です。 

我々は日常、“利己”をベースにして生きています。損得勘定で生きています。多くの人が、その対極にある“利他”という心に気づきません。心がエゴで満たされて、欲望のままに生きているために、何らかの努力をしない限りは、利他の心の存在すら意識できないのです。 

利己、つまりエゴは、肉体を維持するために神様から与えられたものです。“自分だけが良ければいい”というエゴは、我々が肉体を維持するために必要なのです。しかし“自分だけが良ければいい”というエゴが過剰になり、相手の人、周囲の人の犠牲を伴うようになりますと、必ず他人と摩擦を起こしてしまいます。 

利他を見つけるには心の奥底にある本当の自分というものを追求しなければなりません。利他の心は、世のため、人のために尽くす心です。周囲から感謝され、我々を生き生きとさせてくれるものです。本当の自分とは何か。仏教の世界では、どのような人にも“仏の心”仏性が備わっていると言われています。天然自然あらゆるものに仏が宿ると言われています。 

仏の心、利他の心は、利己を抑えることによって、我々の心に湧き出てきます。この利他が企業経営に最も大事です。企業経営は、自分の企業が儲からなくてはいけませんから、利己的な人でなければできないように見えます。ですが本当は、利他が必要なのです。自分の企業が儲かるためには、仕入れ先も、得意先も、従業員も、皆が、自分の企業の製品、サービスによって助けられ、彼等も生き延びていくことが必要です。彼らからの協力がなければ、自分の企業も生き延び続けることができないのです。 

哲学者梅原猛先生は“儲けたいと言う人で企業人は頑張っている、と思われがちです。しかし日本の企業人は社員の雇用など会社全体のことを考え“利他行”をしています。” 

と言っています。日本の企業経営者は社員の為を思い経営しています。例えば業績を伸ばし、利益を上げようとするとき、その目的は経営者である自分の金儲けよりも、社員の幸福のためであると企業経営者は言います。不況の時でも、各社社内に潜在的な失業者がいるにもかかわらず、首を切ることもせず、雇用を守っています。これが経営において利他行していることなのです。 

経営においては“ヒト・モノ・カネが大事だ”と言われます。不景気になれば、レイオフ、逆に好況で忙しくなれば人を採用すると、人をモノのように扱うことがあります。 

日本では社員をモノのように扱う事は少ないと思います。これも“他人のために良かれかし”という利他的な考え方が、いくらか含まれています。 

たとえ一人でも二人でも、社員を養うのは大変立派なことであり、立派な利他行です。企業経営者は我利我利亡者だと思っている人がいますが、経営者は口舌の徒である学者よりはるかに尊いことをしているのです。企業経営者は社員を養っており、その社員には必ず家族がいます。そのように多くの人たちを養うのは、大変立派なことです。 

社員の考え方次第で社風が大きく変わる

人生・仕事の結果=考え方x熱意x能力ということを述べてこられました。利他の心は+100まで、利己の心は−100まであります。考え方が人生を決めていくものなのです。 

一個人の場合は考え方が人生を決めるわけです。会社の場合は、社員の考え方が社風を、会社の成長発展を決めます。良い考え方をする社員がいる場合には、素晴らしい社風になっていき、逆に悪い考え方をする社員がいる場合は、すさんだ社風になっています。 

経営者は、待遇や福利厚生施設が充実しているかといった条件で、社風が決まると考えがちです。そういう物理的条件によって確かに社員の気持ちや生活の安定は左右されるでしょうから、それで社風が決まるようにも考えられます。しかし大半は、社員の“心の持ち方”によって決まるのです。もちろん社員の待遇が極端に悪く、生活ができないような状況では“心の持ち方”に大きな悪い影響及ぼします。 

しかし給料が高くないにもかかわらず、素晴らしい社風を誇る企業もあります。給料以外にも決して条件が良くないのに、素晴らしい社風を保っている企業もあります。常識外れに条件が悪いのでは、そういう社風は作れません。高給を出しているから立派な社風ができるというわけではありません。 

つまり社風は、社員の考え方で決まるのです。社員が持っている思い、考え方によって企業の状態が決まります。“なんと素晴らしい社風なのだろう”と感銘を受ける企業があり、また一方では“なんとも凄まじい荒れた社風”と驚嘆させられる企業があると言うように、大きな違いが出てきます。 

禅宗が教える考え方の大切さ

禅宗では地獄と極楽は物理的に全く違いがなく、中に住む人の心、考え方が違うだけだと説いています。 

禅宗では、食べ物が粗食なので、うどんがご馳走だそうです。囲炉裏に大きな釜を置いてゆがき、つけ汁で食べる釜揚げうどんは、大変なご馳走です。地獄でも極楽でも釜揚げうどんを、1メートル以上もあるような長い箸で食べます。地獄では釜が湯気を立て、うどんが茹で上がっています。餓鬼道に落ちた地獄の住人たちは、その箸で、我先にとうどんを食べようとします。うどんを挟んでも口までもっていくことができません。お腹が空いているので、気持ちは焦ります。しかし口に持っていこうとしても、うどんはつるつると滑り落ち、釜の周囲に飛び散るばかりです。そこでふと向かい側を見ますと、人の箸先にはまだうどんがある。その人も食べようとしてもがいているのです。それを横取りしようと住人同士で取り合いになっています。その結果、結局誰もうどんを食べられなくなってしまいます。これが地獄なのです。 

一方極楽でも、釜茹でうどんを茹でています。うどんが茹で上がりますと“ありがたいことです。今からいただきましょう”と言って向かい側にあるつけ汁につけ、向かい側の人の口に入れてあげます。向かい側の人も“美味しゅうございました。先にいただいて申し訳ありません”と言ってやはり長箸で人に食べさせています。こうして皆満足し、互いに感謝しあうことになります。 

極楽の住人たちは、互いに利他行をしており、それが利己に通じています。相手を先に立てることで、自分も潤うことができるのです。 

地獄では互いに競い合う、凄まじい阿鼻叫喚で、誰もうどんを食べられず満たされる事はありません。ところが極楽では、みんなでおいしいうどんを食べることができ、感謝の念に満たされています。物理的には全く同じであっても、中に住む人の心によって、状態が変わるのは、このようなことなのです。 

人の心を大事にすることが経営の始まり

中小零細企業の時、潤沢な資金があるわけではなく、技術力もありません。優秀な人材もいません。中小企業では、望むような人材が来ません。来てくれた人が宝です。経営者自身に見合う人しか来ません。ですから、会社に今いる人、また来てくれた人を大事にするしかないのです。 

決して最初から資金力、技術力、人材が揃っている事はありません。あるのは“人の心”だけです。経営とは、人の心を素晴らしい状態に導くことから始まります。 

すでに百億円、五百億円というように、会社が大変で立派になっている企業もあります。ぜひ素晴らしい心の持ち主が集まるような会社にしていて下さい。立派な心の人たちが集まりさえすれば、必ず会社は伸びていきます。 

資金もなければ技術もなく、人材も決して豊富でもなくとも、素晴らしい心の持ち主が集まる会社にするのが、リーダーの大事な役割です。 

小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり

“利他”は単に人に優しくするということではありません。人に対して思いやりの心がある社風でなければなりません。ですが、厳しさも伴っての“思いやりの心”が大切です。 

子供を大事にするあまり溺愛し、甘やかす事は決して本人のためになりません。それは“小善”でしかありません。子供を立派に育てようと思えば、より大きな本当の意味での愛がなければなりません。“可愛い子には旅をさせよ”という言葉があるように、一見厳しいものに見えるかもしれません。厳しく、非情に見える本当の愛、それが“大善”なのです。 

例えば仕入れ先があったとします。仕入れ価格は一個千円ですが、市場の価格は九百円だったとします。

経営者としては仕入先に一個千円を支払うことができません。その時、仕入業者の方々にも厳しくコスト削減の努力を求めることが必要です。そうすることによって仕入れ業者は一層の努力をする、経営改善に努力をする機会を与えられたことになり、その経験は仕入業者の成長発展のために役立つはずです。可能であれば自社の技術者を仕入業者に派遣し、指導することも考えるべきです。こうした両者の協力は両社にとってもメリットのあることです。これが“大善”であり“利他の心”なのです。 

盛和塾 読後感想文 第136号

盛和塾でいかに学ぶか-フィロソフィーを血肉化する- 

盛和塾で学ぶ目的とは 

  1. 学びを経営に生かせているか

稲盛塾長が盛和塾を始めたのは、徒手空拳で創業した京セラを成長発展させていく中で、京セラの経営の要諦をぜひ教えて欲しいという京都の若手経営者からの声に少しでも応えようとされたことが始まりでした。 

盛和塾生の中には、

“もし盛和塾に入塾していなかったならば私の会社は潰れていたかもしれません。盛和塾で学んで目から鱗が落ちました。学んだ経営の要諦を実践することで、経営がうまくいくようになり、会社を作ることができ、従業員を路頭に迷わせることがありませんでした。”

とフィロソフィーを血肉化してこられた経営者がおられます。 

ところが、中には何のために盛和塾に入ったのかわからない方もいます。せっかく盛和塾に入り、5年も在籍しながら、経営の要諦も何も掴むことができないまま、また盛和塾で学んだことを自分自身の経営に役立たせることができないまま、入塾した意味がないと思って去っていかれた方もいます。 

様々な経営者仲間とお付き合いができるからという漠然とした目的で入っている方もおられます。心が通い合う盛和塾の会合に出るのが楽しいから入ったのだという人もいます。 

  1. 会社の業績が伸びなければ、学ぶ意味がない

盛和塾は唯単に和気あいあいと意気投合した人たちが仲良く集まることが盛和塾の目的であってはなりません。あくまでも盛和塾に入った塾生企業が成長発展し、“盛和塾に入って本当に良かった”と思えるようになるべきなのです。実際に業績を伸ばすという実績が伴わなければ、盛和塾で学ぶ意味がないのです。 

  1. 公明正大で大義名分のある経営

何のために業績を伸ばし、会社を立派にしなければならないのか。それは決して経営者個人の為であってはなりません。“従業員を幸せにしてあげたい” “従業員が生活の不安を抱くことなく、安心して会社に勤められると同時に、仕事に誇りと喜びを感じられるようにしたい。” “さらに利益を上げ、税金を納めることを通じて、社会に貢献していきたい”というような公の目的のためでなければなりません。 

盛和塾では、自分の財産を増やしたい、だから会社を良くしたいということを経営の目的にはしていません。“会社を立派にしたい”という願望を抱いていたとしても、われわれは、自分が儲けたいがために、あるいは自分だけが良ければいいという利己的な目的ではなく、あくまで世のため人のためという利他的な目的のために盛和塾があるのです。 

しかしたとえ全従業員の物心両面の幸福を追求していきたい、人類、社会の進歩発展に貢献していきたいと思っても、業績が伴っておらず、利益を十分に確保することができなければ、とても高邁な経営の目的を達成することは出来ません。 

盛和塾に入塾して業績をぐんぐん伸ばしたという実績がなければ、入塾した意味がないのです。 

フィロソフィーを血肉化する 

  1. 会社を成長させる経営の要諦

業績を伸ばすのに必要な経営の要諦はただ1つ、経営者自身がフィロソフィーを繰り返し学び、血肉化し、実践すると同時に社員と共有するという事以外はありません。社員とともにフィロソフィーを血肉化すれば、経営は画期的に改善し、業績は必ず伸びます。 

企業を経営していくには戦略、戦術の立案、営業や物流の体制、管理会計や経理システム、具体的な経営の手法、手段の整備ということも当然必要なことです。 

しかしフィロソフィーが血肉化していないと、いかにそうした手法、手段を整備したところで、砂上の楼閣となります。経営の要諦とそのフィロソフィーには、そうした手法、手段を正しく運用するための哲学が含まれていますから、フィロソフィーを真に実践しさえすれば、経営にまつわる全てをカバーすることができるのです。 

日本航空の再生が、そのことを示しています。日本航空の再建にあたり、稲盛塾長が導入したのは、1.フィロソフィー、2.アメーバ経営の2つでした。 

初年度には、千八百億円の利益が出ました。その利益の大半は、フィロソフィーによる意識改革によって心が一変した日本航空社員たちが、地道な経費削減に努め、またサービス向上に向けた献身的な努力の賜物です。機長、副操縦士、キャビンアテンダント、整備の技術者、手荷物等を飛行機に積み下ろしするグラウンドハンドリングの人々、彼らが持ち場持ち場で“もっと経費を削減する方法はないか”“どうすれば、お客様により良いサービスが提供できるのか”と自主的に創意工夫を重ねてくれた結果が、素晴らしい業績回復につながったのです。フィロソフィーが社員一人ひとりの意識を変え、企業の体制をガラッと変えたのです。 

  1. 自分の肉体に染み込ませ、経営に生かす

フィロソフィーを血肉化するとは、どういうことなのか。それはフィロソフィーをただ単に知識として知っているのではなく、自分の肉体に染み込ませ、いついかなる場面でもフィロソフィーに沿った行動が取れるということです。 

日々の経営に悩み、必死になってフィロソフィーを学べば、何回同じような話を聞いても、そのたびに新しい気づき、発見があるはずです。そうではなく“ああ、その話は前に聞きした。もうわかっています”という程度の聞き方をしている方は、フィロソフィーを本当の意味でわかっていないし、血肉化もできていません。いくら言葉だけ学んでも、実践できなければ意味はありません。 

鹿児島の戦国時代の武将島津忠良が師弟のために作った“日新公いろは歌”その一節“いにしえの、道を聞いても唱えても、我が行いにせずば甲斐なし”があります。いくら先人の立派な教えを読んでも聞いても、また口に出して唱えても、自分が実行しなければ意味はないということです。 

  1. 素直に認める

実際フィロソフィーを血肉化し、実践しようとしても、なかなかできるものではありません。しかし“人間としてこういう生き方をすべきだ”“経営者としてこういうリーダーになるべきだ”ということを理解し、少しでもそれに近づこうと、生きている人と、そう思わずにただ漫然と生きている人とでは、人生や経営の結果は全く違ってくるのです。体得しているかどうかではなく、折に触れて反省し、体得しようと努力を続けることが大切なのです。 

フィロソフィーを完全実行できる人はいないのです。ですから、経営者としては、社員にも素直に、自分自身もフィロソフィーを完全には実行できていないと認めることが大切です。 

“社員のみなさんに私がフィロソフィーを学べと偉そうに言っていますが、社長である私も実行できているわけでは無いのです。いまだかつてフィロソフィーのすべてを実行できたためしがありません。これから一生涯かけて、実行できるように努力をしていくつもりです” 

“しかし、自分ができていないからといって、フィロソフィーのことを教えなくても良いというものでは無いのです。“こうあるべき”という事だけは言わなければなりません。そうすることで社員のみなさんが成長し、会社をさらに発展に導くだけでなく、社員皆さんの人生にも役立つと思います。” 

フィロソフィーを全て完璧に実行できる人はいません。自分はできていないけれど、何とか自分のものにしようと努力を続ける、その行為そのものが尊いのです。 

  1. 会社経営の実態に合わせて実践する

経営十二ヶ条として、フィロソフィーが凝縮した形で表現されています。この経営の要諦はあらゆる企業の経営に応用できる普遍的な経営哲学です。 

しかしこれらの項目を実践するにあたっては、個々の経営状況、経営のステップに応じて、その活用の方法が異なってくるはずです。ただフィロソフィーの項目を念仏のように唱えているだけでは、経営に生かすことができないのです。 

経営の状況に応じて/経営のステージに応じて、経営十二ヶ条の実践は異なるのです。 

第一のステップ 必死に一生懸命働く 

  1. 誰にも負けない努力をする

余計な事は考えず、ただ“必死に一生懸命働く”ということ。“誰にも負けない努力をする”。

例えば大学卒業後、父親の会社に入って経営者になるケースがあります。会社を継いでみると、父親が一生懸命に経営していたおかげで、しっかりした従業員もおり、売り上げも順調、得意先もあり、利益も出ています。今日から専務です、社長ですと言って経営者になります。訳もわからないまま、一生懸命働くしかありません。 

経営がうまくいっていますと、“商工会議所、青年会議所に入ってください”と周囲からおだてられる。しかし実際には、会社の舵取りをどうするか、経験もないわけです。このような段階では、盛和塾で学んだ“アメーバ経営”を導入することができません。従業員がついてくるはずがありません。 

この段階では、トップが率先垂範、従業員の誰よりも必死で働き、後ろ姿でその経営の姿勢を示さなければならないのです。 

  1. 本田宗一郎の教え

稲盛塾長は、京セラ創業時、本当に夜も寝ない位に必死で仕事をしました。経営者になった恐怖感から逃れようと、夜を日に継いで必死で働きました。 

この時、経営セミナーの案内があり、高額な受講料八万円を払い、本田宗一郎の講演を聞きに有馬温泉に行きました。本田技研工業の創業者です。 

その時に講師として現れた本田宗一郎さんは、作業服を着たままで出てきました。そして第一声、“大体高いお金を払って、温泉に入って、浴衣を着て、あぐらをかいて話を聞こうと言う根性がなっとらん。こんなところで話を聞いて何になる。とっとと帰ってすぐに仕事をしろ。仕事が一番だ。” 

本田宗一郎が言うのには、“とにかく脇目もふらずに必死に頑張るとう事なんだな”と稲盛塾長は帰ってからまたひたむきに懸命に働いたそうです。 

“余計なことは考えるな。必死で働くんだ。誰にも負けない努力をするんだ”と経営のわからない人には教えればよいのです。 

第二のステップ社員を説得し惚れさせる 

  1. 一人ひとりを社長のファンにする

経営者自身が率先垂範必死で働くことを学び、実践できたら、社員を説得し、惚れさせる言葉を学ぶことです。 

社員一人ひとりを説得し、社長のファン、社長の信者に仕立てていかなければ、集団の力を結集した頃はできません。“給料を払うから働け”と言えば、社員は働きます。しかし本当の意味で全力では働いてはくれません。社長に惚れ込み、社長を尊敬してくれるようにならなければ、社員の力が分散し、会社もベクトルを合わせることができません。 

中小企業の場合、従業員十数名、社員一人一人との心の絆でしか頼れるものはありません。10数名が社長と一体となり、気持ちを合わせてくれるかどうかで、会社の命運が決まるのです。社員一人ひとりに“うちの社長は素晴らしい人だ。あの社長のために頑張ろう”とするのが目標です。 

  1. 相手になるほどと思わせる

京セラ創業時には、稲盛塾長27歳、自分よりも一回り上の人や父親ほど年齢の離れた人を説得したり、ときには厳しく叱ったりしなければなりませんでした。 

相手に“なるほど”と思わせることが重要です。その当時は、みんなが感心するような表現をする教養もありませんでした。 

稲盛塾長は経営者として、社員を説得する術を学ばなければなりませんでした。格言や中国古典を引用しながら、その局面局面に合った言葉を選んで、叱ったり、諭したりしていきました。 

  1. 先人の教えを繰り返し学ぶ

説得するために学んだ格言や中国古典だけでは社員を説得できません。人間として尊敬されるよう自分を磨くために、懸命に哲学書や宗教書を読むようになりました。そして自らの心を高めると同時に、哲学書や宗教書から得た先人の言葉を使って、精魂込めて社員に語りかけるようにしました。 

稲盛塾長は枕元に常に10冊ほどの本を置き、毎晩読みました。常に繰り返し繰り返し学び続けなければ、自分の言葉にして語ることはできないのです。 

読みやすい本だからと、サラサラと読んでも決して身に付きません。何回も読み返し、熟読、精読し、感動し、先に進められなくなるほどの読み方をしなければ、書かれている言葉を常日頃から使えるようにはならないのです。 

  1. 最初は受け売りでも精魂込めて語る

会社発展に全面的に協力してほしいと従業員を説得しようとしても、どういう風に説いたら良いかわからないかもしれません。社員に離反されることを恐れて厳しく叱ることができない時もあります。その時“小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり”という言葉を思い出し、自信を持って社員を叱る。 

書籍を読んだり、CDを聴いたり、盛和塾で学んだことを自分のものにしていきます。そしてそれに従って、経営者本人の心の高まり、従業員から褒められるような素晴らしい人格を備えるようになっていくはずです。 

3ステップ フィロソフィーを数字に落とし込む 

  1. 損益計算書を使いこなす

フィロソフィーと損益計算書は別のものと考えている経営者がいます。そうでは無いのです。フィロソフィー、経営十二ヶ条を実践すると、その結果として損益計算書が作成されます。また逆に損益計算の数字を見て、こういう考え方で経営をしていこうと、損益計算書を経営管理に役立てることができます。フィロソフィーを本気で実践しようと思えば、損益計算書に落とし込んで、数字に置き換えなければなりません。 

企業経営は飛行機の操縦と同じです。経営者=パイロット、コックピットの計器盤は損益計算書です。パイロットはコックピットの計器盤を見ながら、今この飛行機はどういう高度で、どのぐらいの速度で、どちらの方向に飛んでいるのか把握しながら、飛行機を操縦します。損益計算書を使いこなせないと、会社の舵取りはできないのです。 

  1. 損益計算書をにらみ、現場へ向かう

例えば売上が十億円であったのが七億円に落ち込んだとします。そうしますと、七億円の売上に見合った経費を減らしていく努力をしなければなりません。損益計算書の細かい勘定科目を1つずつ見ていきながら、減らせるものがないか徹底的に探していくのです。 

売上が七億円に下がったら、七億円に見合った経費を使う経営に転換するのです。 

一方では売上を伸ばすために、営業はどうするのか、今までの製品では売上が伸びないのであれば、新しい製品はどうか、新しい製品の販売ルートはどこか。そして創意工夫をしながら売上を伸ばす努力が必要です。また十五億円にするにはどうしたら良いか考えていきます。 

損益計算書の勘定科目と朝から晩までにらめっこして、現場へ飛び、経費削減の指示を与えては、またその結果を損益計算書でチェックし、さらに現場に行き、売上拡大のための新しい指示を与えていきます。“売上最大、経費最小”の実践であり“日々採算を作る”ということなのです。 

  1. 数字が語るドラマが見えるまで読み込む

1ヵ月間、売上最大、経費最小に努めた結果がどうであったか、月末に締めてすぐに損益計算書が出来上がらなければ、次の対策を打つことができません。2ヶ月も3ヶ月も前の数字を見て、売上増減、経費増減、黒字だった赤字だったということがわかっても、何の意味もありません。月次決算は翌月、1週間以内に入手できるようにすべきです。そうでなければ損益計算書を生かすことができないのです。 

多くの経営者は、現場の実態が反映された数字を真剣に見ていません。経営数字に対して、ちょっと見ただけで、経営数字に対して何の反省もなければ、改善の手も打たれないことになります。