盛和塾 読後感想文 第九十六号
人生は運命的な人との出会いによって決定づけられる
人生の途上で出会った人々の好意、善意を喜んで受け取り、その好意、善意が指し示す方向へと一生懸命に努力することによって運命が好転し、人生が開けていったと稲盛塾長は語っています。
人生の師との運命的な出会い
- 自らの善き思いが人の好意と善意を招く
運命的な人との出会いによって人生が決定するのですが、まずは人生で巡り合う様々な人々のなかで、その人が運命的な人かどうかを識別しなければなりません。利己的な思いやたくらみから助言を申し出てくれる人ではなく、自分に対して、好意と善意を持って手を差し伸べてくれる人であるかどうかの見極めが必要です。
運命的な人との出会いとは、思いやりに満ちた純粋な思いから自分に接してくれ、助言や支援を下さる人のことを言うのです。すばらしい人間性を備えた方であるかどうか、さらに相手の為に“善かれかし”と願う心から指し示してくれる助言であるかどうか、まずその識別を行い、それが純粋なものであれば、心から感謝して受け取り、何のためらいもなく、その方向へ全身全霊をあげて努力していくことが運命を好転させることにつながるのです。
しかし自分に好意と善意をもって接してくださる人々の運命的な出会いも、自分の方が善き思いを持ち、善き行いに努めているからこそ適(かな)うことなのです。こちらが利己的に、常に自分の損得だけを考えているようでは、出会う相手も必ず自分勝手で利己的な人となり、自分の都合と損得勘定だけで助言してくることになります。
自分自身が純粋で、好意と善意の持ち主であれば、必ずそういう人が寄って来て、自分にも好意と善意で接してくれるはずです。自分の心の有り様に注意して好意と善意の人に出会うことができるように心を磨き、高めていくことが人生をすばらしいものにするうえで、たいへん大事なことになってくるのです。
稲盛塾長の人生には多くの善意、好意を持ってよき助言をして下さった方々が登場しました。中学校に行かせてくれた土井先生、大学に行かせてくれた辛島(からしま)先生、就職先を世話してくださった指導教授竹下先生、目をかけて下さった内野先生、パキスタン行きを中止するようアドバイスして頂いた等、多くの先生方の好意、善意に稲盛塾長は助けられました。
- 死の直前まで気づかってくれた内野先生
内野先生が危篤との急報を受けて、急遽、稲盛塾長は米国の出張先から帰国、羽田に着いてからすぐに入院先の都内の病院へ駆けつけられました。
病院に着きました処、お嬢さんが病室ではなく病院の廊下に待機しておられたそうです。なぜ廊下におられるかとお尋ねしますと、ベッドの横にいると“気が散るから外に出ろ”と父から命じられ、二~三日前から廊下にいると言われたそうです。驚いたことに、内野先生が死に直面して、“自分の哲学をまとめなくてはならない”と考えられ、そのため人を遠ざけておられたそうです。人生の最後の期を“死を迎える準備期間”として捉えておられたようでした。
“病室に入っていいでしょうか”とお嬢さんに尋ねますと、“父はいつも“稲盛君はどうしているだろう”と話していましたので、たいへん喜ぶと思います”と、入室を許されました。
病室に入り、“内野先生”とお声をかけますと、もう骸骨みたいに痩せておられた先生が振り向き、破鐘(われがね)のような声で“おお!稲盛君、大したものだ!大したものだ!”しきりに稲盛塾長に話しかけられるのでした。お見舞いを申し上げ、近況を報告し、早々に失礼されたそうです。死の直前まで稲盛塾長のことを気にかけていただくなど、終止、あふれるような好意と善意で稲盛塾長に対してくださったそうです。
- 京セラ創業の恩師・西枝さん
松風工業の上司であった青山政治さんが、京大時代の同級生の西枝一枝さんに、稲盛塾長を紹介されました。宮木電機の専務をされていた西枝さんでしたが、最初は“こんな若者が会社を経営するなどできるもんか”と考えられました。何度も通いづめ、ファインセラミックスの可能性を繰り返し説いていくうちに“やってみるか”と西枝さんは新会社への出資を宮木電機の役員の方々にも促してくださいました。
この西枝さんは、ご自身の家屋敷を担保に入れて、一千万円もの開業資金を用意してくださいました。
西枝さんにはお酒の飲み方から、実に多くのことを教わりました。心は広く豊かで快淡として欲がなく、会社の状況をご報告するたびに京セラの成長を我がことのように喜んでくださいました。
西枝さんは新潟のお寺で生まれ育った方でした。その御縁で前の臨済宗妙心寺派管長の西片擔雪(にしかたたんせつ)ご老師を紹介いただきました。
- 運命的な出会いがなければ、現在の私は存在しない
稲盛塾長は“これらの方々に出会っていなければ、今の私はなかったと強く思います”と語っています。“また、それらの方々の貴重なアドバイスに耳を傾けていなければやはり、現在の自分は存在しない”と振り返っておられます。
自分を高める友人との運命的な出会い
- 自分よりも立派な人を友人にする
“類は友を呼ぶ”“似たもの同士”とも言います。自分よりも立派な人、自分よりも人間的に成長した人、また自分の損得や利害得失で考えず、ことの善意で判断ができる人、つまり無私の考え方を持った人、さらに言えば他人の為に善意で考えてくれるような人とお付き合いをしていくということが大切です。
われわれ経営者には、たとえ友達とはいえ、自分よりも立派な方とお付き合いをして、自分を高めていくということがどうしても必要なのです。
- 心の友 宮村久治公認会計士
四十年ほど前に、京セラが大阪証券取引所第二部に上場すると考えて、会計監査法人を探しておられたそうです。都銀の支店長から宮村先生をご紹介いただいたそうです。
“監査をお願いします”と頼むと“あなたは簡単に監査をお願いすると言われますが、そう簡単に引き受けるわけにはまいりません。”と言われたそうです。“決算にあたって私はあなたにいろいろと意見を言い、注文をつけると思いますが、あなたはそれを素直に聞いて従ってもらえますか”と稲盛塾長に問うのでした。
“もちろん私は人間として正しいことを正しいままに貫いていくということをかねてから信条にしていますから、不正なことをするつもりは毛頭ありません。”と答えられたそうです。
宮村先生いわく“いや皆さんそういうんです。経営が順調な時は正しい決算をしても大丈夫なものですからそう言う。ところがひとたび不況になって経営が苦しくなってきて、思うような決算にならなくなると、公認会計士に“そんな堅苦しいことを言いなさんな。ここのところあんたちょっとこう変えてくれてもいいではないか”という粉飾まがいなことを、かねて立派なことを言っていたはずの人が言い出すのです。”
稲盛塾長は“そんなことはありません。私はどんなときでも考え方を変えることはありません”
宮村先生は“それじゃ、男に二言はありませんな”とやっと監査を引き受けてくださったそうです。
稲盛塾長は宮村先生が公明正大に企業監査をしようとしていく姿勢に強く惹かれたそうです。
宮村先生はたいへん気難しくて、また理屈っぽい人で、塾長と意見が合わず、ことあるごとに激突していたそうですが、会計を語り、経営を語り、時局を語り、そして人生を語るうちに、本当に親友と言えるほどの間になり、一緒に酒を飲みに行ったり、ゴルフに行ったりするようになったそうです。
そういう遊びの時でも、人生論や政治論になってしまい、意見が違うものですから、すぐに喧嘩みたいになったそうです。
それでいて、宮村先生が病気になると稲盛塾長は心配して見舞いにいく。塾長が体をこわすと逆に宮村先生が塾長のことを気遣い、いろいろとアドバイスをしてくれたりするそうです。
M&Aの案件などは真っ先に宮村先生に相談しておられたのですが、宮村先生は緻密にかつ綿密に、また公正に、相手である塾長のことを考え、“あなたが考えていることはそれでいいんですよ。そうすべきなんです”と心強い助言をされたそうです。宮村先生のアドバイスはいつも正しく、塾長にとって本当にすばらしいアドバイスだったそうです。
宮村先生は塾長の自宅の購入や財産の管理も手助けされたようです。そうして塾長は、経営に全力投球できるよう環境を整えてくださったそうです。
宮村先生は“稲盛さんと親しくなったおかげで、私は公認会計士としてもたいへん立派になれたと思う”と言われたそうです。徳に京セラ会計学、アメーバ経営について、“あんなにすばらしい会計学をあなたは独学でつくったのですか”と褒めていただいたそうです。
共に学ぶ“磁場”を形成する
- 出会いへの感謝の念が他を思いやる気持ちにつながる
若い頃、二十五、二十六歳くらいの間には悲惨な人生が続いていましたが、松風工業に入り、研究に打ち込み、その成果をもって京セラという会社をつくっていただいた頃から、今あるのは様々な人との出会い、特に京セラをつくっていただいた頃には、もう不平不満を漏らしているような自分ではなくなり、感謝の思いを強く抱くようになりました。そのころには、自分が幸せだと思うようになりました。出会えた人に対して、また社会に対して、感謝すると同時に“自分は何と幸せ者だろう”と思えるようになる。するとさらに自分以外の人たちも幸せになってほしいと願うという。他人を思いやる気持ちが自然に湧き出てくるようになったと、稲盛塾長は述べています。
- フィロソフィーを共有するために虚飾をむしりとる
京セラがスタートすると、会社をどのように運営していけばよいのか、たいへん悩みました。二十八名で会社を創業したのですが、会社を潰(つぶ)せばたいへんなことになります。せっかく集まってくれた従業員の方々を絶対に路頭に迷わせてはならない。その為には、“誰にも負けない努力”を払うことを心に誓って、必死に働いて来ました。
一生懸命に仕事を進めていく中で、運命的な出会いから学んだこと以外に、自分自身でも経営についてどういう考え方でなければならないか、またたった一度の人生をすばらしいものにするにはどういう考え方をすべきなのかということについて、折々に気づいたことを毎日、実験ノートの端に書き留めていったのであります。
その書き留めたものをベースにして“こういう生き方、こういう考え方をすべきだ”と説いていきました。京セラは急成長していましたから、常時中途採用を行い、会社には年輩の方々もおられました。
全ての従業員の考え方のベクトルを合わせなければならないと考え、少し“考え方が違うな”と思う人をつかまえては、よく話し込んでいきました。中途で入社してこられる多くの人はそれぞれ前職や人生での経験を通じて身につけた独自の考え方を持っておられます。人間、四十、五十になりますと、もう固定概念を持つようになりますので、稲盛塾長が多少言ったぐらいでは、なかなか聞いてくれず、素直に受け入れてくれません。
中途入社の中には、いわゆる一流大学を卒業した人、また中央官庁や一流企業に勤めていた人もいました。そういう人ほど、たくさんの不要な固定概念をまとっているのです。それをむしりとっていくのです。あたかも、寒い冬に着こんでいる外套から上着、ついには下着まですべて脱がしていくようなものです。相手は必死に抵抗し、自分の衣服、つまり固定概念を離そうとしません。それでもパンツまで無理矢理にむしりとっていくのです。
そうして虚飾をむしりとられて裸になった自分が、いかに貧相な自分であったかと皆、気づくのです。学歴や職歴など人間はいろいろな虚飾をまとっていますが、そんなものを全て引きはがしてしまうと、本当にみすぼらしい自分がいることに気づくのです。
そうした後、京セラでは“考え方”“生き方”を、つまりフィロソフィーを改めて身につけてもらわなければならないのです。会社のフィロソフィーを、企業哲学を社員に理解してもらいたいと思いますが、会社でチョロチョロとフィロソフィーを説くだけでは、実際には社員はわかってくれません。本当にフィロソフィーを浸透させていくには、“むしり”とる壮絶なプロセスが必要だったのです。
心底からフィロソフィーを理解し、共有し、そういう考え方、生き方を実践しようという社員が、会社のなかで次第にマジョリティーになっていくに従い、会社のベクトルがそろってきて、会社はぐんぐんと成長発展していくのです。
- フィロソフィーによる“磁場”にいることで偉大な力を発揮できる
ところが、往々にして、会社が発展していくにつれて、社員が妙な自信を付けて、変質してしまうことがあります。京セラの場合、有能な幹部社員の中には有頂天になり、傲慢になり、会社を去っていった人もあります。京セラが上場した時、“俺は仕事が出来る。自分が会社を引っ張っているのだ”と自負心が高じて、転職していった人もいました。最初のうちは活躍されていたようですが、いつの間にか噂も聞こえなくなり、しまいには消息が分からなくなってしまいました。
りっぱなフィロソフィーは職場の“磁場”のようなものです。フィロソフィーという企業哲学を共有し、みんながそれにベクトルを合わせ、同じ思いで仕事をしている。そこには、あたかも強力な磁場ができあがっているのです。
その“磁場”の中におれば、つまりフィロソフィーを共有し、フィロソフィーに基づき仕事をしている時にはたいへんな力を出せるのですが、その磁場から離れてしまえば力を失い、ただの人になってしまうのです。たとえ自分がフィロソフィーを身につけていると思っても、フィロソフィーの実践は従業員同士の相互作用でなされるものですから、フィロソフィーを自分自身で持続していくこと、ましてやそれを他に移植していく、他の会社に、身につけたフィロソフィーを移植していくことは、大変な仕事なのです。
京セラという“磁場”の中、つまり京セラフィロソフィーの中におり、それを信じ、お互いに影響し合っている時には偉大な力を発揮しますが、フィロソフィーという“磁場”から離れてしまうと、ただの人になってしまう。
人生で運命的な人々に出会い、そのすばらしい善意、好意のアドバイスが指す方向へ、一生懸命に努力をしていく中で教わった“考え方”“生き方”があります。この両者でできあがったものがフィロソフィーなのですと、塾長は結んでおられます。
盛和塾 読後感想文 第九十五号
現代の経営者はいかにあるべきか
人類を発展させた欲望という原動力
- “生物圏”を離れ“人間圏”を形成した人類
宇宙の誕生は今から約百三十七億年前、一握りの素粒子の固まりが大爆発を引き起こしたことに始まるそうです。いわゆるビックバンと呼ばれる大爆発により誕生した宇宙は、以来膨張を続け、現在も拡大し続けていると言われています。
この宇宙誕生から四十六億年前にガス状であった太陽系星雲のなかで、小さな惑星がたくさん生まれました。それらの小さな惑星が合体したものがこの地球だと言われています。
海が形成され、その中で原始的な生命が誕生しました。その海で誕生した生命が進化して、陸地に上陸してきたのが今から四億年くらい前であると言われています。陸に上がった生物は進化を遂げていき、今から七百万年くらい前に、アフリカに人類が誕生したと言われています。
人類は地球上でほかの生物と共に進化発展を遂げてきた生物種の一つであり、同時にこの頃の人類は生物圏、つまり生物で構成される世界のなかに含まれた、一つの生物種に過ぎませんでした。自然環境の制約条件の中で、受動的に生きる存在であったのです。
人類は狩猟採集の生活を送っていました。当初人類は狩猟採集の生き方を通じて、生物圏の中で物質やエネルギーの循環を受動的に生きる存在であったのです。ところが、人類が一万年くらい前に農耕牧畜を始めた時から新たな局面を迎えることになりました。森を焼いて畑に変え、食料となる植物を栽培する、牧草地をつくり、家畜を放牧する。これらの農耕牧畜の営みは、地球の物質やエネルギーの流れを変えることになったのです。
それは、自然に支配されて生きるという生き方から決別し、自らの意志、また理性を駆使することによって地球上の自然を自らのために利用し、変えてしまおうというものでした。人類のために自然は征服されるべきものという認識を人類が持ち始めたのです。また同時に、そのとき人類は、自然や、自然のもたらす資源は無尽蔵であるとも思い込んでいました。
そのような考えをもった人類は、地球上の森林の多くを切り開き、農場を、また家畜を飼育する牧場へと変貌(へんぼう)させていきました。そのことで、生物種の激減をもたらすなど、生物圏を変化させて、ダメージを与え続けてきたのです。しかしこの頃の人類は人力やせいぜい牛馬の力しか持たず、自然への関与は限定的なものに留まっていました。
- 産業革命により獲得した“駆動力”が今日の物質文明を作った
農耕牧畜へと移行した人類は、社会のあり方をも変質させてしまいました。食料の生産を開始した人類は、生活の安定と豊かさを求めて余剰食糧を備蓄するようになりました。その結果、貯蔵した食料、富をめぐって人間同士が奪い合いをはじめました。
自らの豊かさを得たいという欲望を募らせ、争いがエスカレートしたことから、外敵から身を守る為に都市の周辺に城壁や環濠(かんごう)(堀)をめぐらしていきました。この間人類は、富をめぐる興亡を数千年にわたり、続けながら、富を求めて大いなる好奇心と探求心をもって自然現象の原理を追求し、またものづくりにたゆまぬ創意工夫を重ねていったのです。
今から二百五十年前にイギリスで産業革命が起こりました。蒸気機関が発明され、人類は駆動力を手に入れました。この駆動力を手に入れたことによって、人類は地球上の物質内エネルギーの循環に深く関与し始めました。
その駆動力の中心となっているのが化石燃料です。内燃機関がもつ強大な駆動力、その燃料である化石燃料の大量使用によって、現代の地球環境問題が示すように、人類は地球の物質、エネルギーの循環に大きな負担をかけるようになってきたのです。生物圏のくびきを逃れた人類は、その駆動力によって、人間圏を異常なまでに発展拡大させてきました。
駆動力を手に入れた人類は、“もっと豊かな生活をしたい”、“もっと便利な社会をつくりたい”という欲望を原動力として、さらに好奇心と探求心を募らせ、次から次へと科学技術を発展させ、わずか二百数十年の間に、現代の豊かで便利な物質文明をつくりあげてきました。
- 現代の物質文明をいつまで続けることができるか
現代の物質文明は“大量生産”、“大量消費”、“大量廃棄”の経済システムのもとに成立しています。たくさんのモノを作り、たくさんのモノを使い、たくさんのモノを棄てることで、絶えず経済発展/成長を目ざす。人類はそうすることによって社会全体の発展と幸福を導くことがよいのだと考えて来たのです。
そのような欲望に基づき、自然をないがしろにする文明が長く続くはずがないのです。稲盛塾長は、一昨年前に考古学者の吉村作治先生と哲学者の梅原猛先生と、エジプトに行かれました。
エジプト文明は今から五千年前に発展を始めたそうですが、二千年ほど前に滅亡し、ピラミッドや神殿などの遺跡だけが残ってしまっているようです。現在のチグリス・ユーフラテス文明も同様に、古代に栄えた文明が多くの遺跡を残し、今や文明の痕跡(こんせき)さえ見出すことは難しくなっています。かつてチグリス・ユーフラテス川流域は森林に覆(おお)われた豊かな牧草地帯であったと言われています。しかし今は見る影もない砂漠と化しています。
自然を征服しようとして、自然を利用するだけ利用してしまった結果、栄華を極めた文明が滅びてしまったわけです。人類の文明で千年以上も続いているようなものは、ほとんどないそうです。
わずか二百数十年前に始まった産業革命を契機に始まった近代の物質文明も、いつまで続けることができるでしょうか。本来、生物種の一つでしかなかった人間が、自らの欲望のおもむくままに、他の動植物を利用し、自然環境を破壊し、すばらしい生活を享受している現代文明。このような文明は結果として地球環境を破壊することで自らの生存さえ危うくしてしまうに違いありません。
江戸時代中期、千八百年頃には地球の人口は十億人ほどであったと言われています。それから二百年の間に人類はおよそ七十億人に膨れ上がっています。今世紀末には百億人に達するだろうといわれています。
しかし、エネルギーや食糧、水を百億人分も確保できるのでしょうか。多くの有識者がすでに不可能だと言っています。おそらく現代の物質文明は2050年、今から四十年後に崩壊するという悲観的な予測もあり、多くの賢人達が警鐘を鳴らし始めています。
人類が今までのように欲望を原動力として、もっと便利で豊かな生活を望み続けても、地球の許容能力の範囲までしか発展しないのは当然ですと稲盛塾長は述べています。その限界がくるのは、そんなに遠い将来ではなく、せいぜい三十年、四十年という短い時間軸なのであり、このままでは現代文明は崩壊し、人類は破滅するしかないというのです。
今求められているのは新しい倫理観の確立
- 経済危機の背景には際限のない欲望がある
米国を中心とする資本主義、それは人間の欲望を原動力としてさらにもっと便利で豊かな生活を、それも楽しんで得たいと望むものでした。人類はその持てる意志と理性を駆使して、その限りない発展に尽力して来ました。
その最たるものが、金が金を生む金融界における技術進歩でありました。米国を中心とする金融機関は、高度な数学、統計学の知恵、最先端のIT技術を駆使して、レバレッジを活かした金融派生商品を開発し、それを全世界に販売し、巨額の利益を上げてきました。できるだけ楽をして、巨額の利益を得たい、自分だけが限りなく儲けたいという利己的な欲望がエンジンとなっていたのです。
サブプライムローンという極めてリスクの高い債券を証券化し、これらの金融派生商品の中に組み込んだのです。その後、世界各国の巨大金融機関が破綻し、それを救済するために、各国政府はやっきになって、資金注入をしました。
現在人類は資本主義をほとんど唯一の経済システムとして、その資本主義が主導する“市場原理主義”“自由経済主義”“成果主義”を正しい社会原理としています。市場原理主義、自由経済主義は、放任的な経済自由競争のなかで、強者と弱者を明確にし、“格差社会”をつくりあげてしまいました。成果主義は能力のある者とそうでない者との報酬に圧倒的な差を生じさせ、社会に矛盾と不安を惹起(じゃっき)させました。
リーマンブラザーズの経営破綻、メリルリンチの経営破綻の中で、経営責任者が引責辞任時に三百二十億円、百五十億円の退職金を受け取ったと言われています。このあまりにも利己的なありかたが、社会から“グリード”“強欲”として大きな批判を浴びたのでした。
企業の利益というのは、全ての経営幹部と社員の献身的な努力と協力によってつくられたものです。それを経営トップ一人だけが成し遂げたかのように考え、高額の報酬をひとりで得ることなど、あってはならないことです。
現在の資本主義の根本的な問題は、法律規制、制度の確立、方法論の改善という問題ではなく、つまるところ人間の資質の問題である。今こそ資本主義をより節度のあるものに変えていかなければならない。
規制や監視の強化が叫ばれていますが、資本主義社会を生きる者が正しい倫理観、強い道徳感を備えることが最も大切なことです。資本主義とは己のためだけではなく、社会のためにも利益を追求する経済システムであるべきです、と稲盛塾長は語っています。
- 欲望に基づく経営から利他をベースとする経営へ
人類が持つ欲望、これは人類に限りない成長・発展をもたらした原動力です。この欲望がさらに続いていくならば、人類は地球を破壊し、自ら人類の破滅を招くことは必定です。その人類の欲望を節度あるものに変えていくにあたり、必要となる考え方がまさに“足るを知る”ということなのです。“知足”。
人類が地球に与える負荷を許容できる範囲に留めていかなければ、現代文明は崩壊し、人類が破滅するのです。
地球上に住む人類七十億人の人口の大変は発展途上国の人々です。これらの人々は生活の向上を願い、今後も高い経済成長を目標に掲(かか)げ、資源エネルギーの消費を飛躍的に増大させていくはずです。先進諸国、発展途上国の人々の消費するエネルギーは地球資源の有限性という点から、とうていまかないきれないのです。
大量生産、大量消費、大量廃棄という現代社会のあり方を根本から見直し、技術革新を通じて資源エネルギーの使用をできるだけ少量に留めながら、付加価値の高いものを生み出していくという方向へと、産業や社会のあり方を大転換していくことが必要です。
どのような経済環境の下でも、動植物が厳しい自然界の中で必死に生き延びようと努力をしているように、経営者も誰にも負けない努力を必死に払うべきです。ただし、必死に経営にあたる中で、自分だけよければよいというエゴ、つまり自分の欲望だけで動くのではなく、従業員、お客様、取引先、そして地域社会、企業をとりまくすべての人と社会と調和するような思いやりのある心、利他の心で経営していくことが大切です。
今こそ、資本主義の中にすべてのものと調和して生きていこうとする“共生”の考え方、全てのものに善かれかしと願う“利他”の考え方を倫理規範としていかなければなりません。
企業経営者こそが世の規範とならなければならない
- “他に善かれかし”という願いが繁栄を持続させる
経営者の努力と才覚により、小さな中小企業が成長発展を遂げ、上場企業になった時、その経営者が“もっともっと”と自らの利益だけを際限なく求めるようになり、贅沢(ぜいたく)に走り、傲慢になるようであれば、やがて滅亡していきます。
その経営者は最初は“自分だけはその轍(てつ)を踏むまい”と思っているのです。辛酸をなめ、苦労を重ねている時は、“巨額の報酬を受け取るなど経営者の風上にも置けない”と憤慨しているのですが、いざ自分が功成り名を遂げたら、報酬も名誉も限りなく欲しくなり、驕り高ぶるようになり、やがて没落していくことになってしまうのです。自分では自分の変化がわからないのです。
自分のなかに確固たる哲学を持っていない、また、日頃から反省する、哲学書にしたしむ習慣がないものですから、環境の変化に合わせて、自分が変質してしまうのです。
ともすれば頭をもたげてくる“おれがおれが”という自己愛に満ちた欲望をできるだけ排し、従業員のため、お客様のため、さらには社会のため“他に善かれかし”と願う利他の心が、自分の心の中を占めるようにしていかなければなりません。
- 善なる動機から創業した沖縄セルラー電話
沖縄は過去辛酸をなめ尽すかのような歴史をたどっています。長く大国中国の支配下におかれ、江戸時代には薩摩藩に搾取され、さらに第二次世界大戦では本土防衛の先駆けとして大変な犠牲を強いられました。そういう悲惨な歴史の中にありながらその踊りや歌などに見られるように、他の地域にはない独特のすばらしい文化を育んでおられる。沖縄はもう立派な独立国になってもおかしくない、独立心のある、独特の人たちの集まりと考えられるのです。
1990年に沖縄の技術発展を促進しようということから“沖縄懇話会”が設立されました。稲盛塾長もその会員に推挙され、以来、沖縄発展の為に何をしてあげられるかと考えられました。沖縄返還以来、日本の経済界は様々な支援を行ってきたようですが、実際は本土資本の為に働くだけで、本当の意味では沖縄の経済支援にはなっておらず、沖縄の人たちを豊かにすることにつながった例は少ないというのです。
京セラグループは1996年以来、移動体通信の自由化に伴い、首都圏と中部圏を除く北海道から沖縄までセルラー電話会社を設立してきました。その時沖縄は単独の経済圏として成立せず、あくまでも九州経済圏の一部であり、行政的にも九州の管轄下に入ることが多いものですから、もともと九州地域を受け持つ九州セルラー(株)の管轄下に入れる予定でした。
沖縄の人たちの為に何かしてあげることができないかと考え、“沖縄には単独の会社をつくってあげるべきではなかろうか”と考えつかれました。沖縄は独立国家みたいなものですから、九州の会社の一営業地域というのではなく、独立した沖縄セルラー電話という会社を作ろうと思いますと、沖縄の経済界のみなさんは出資して下さいませんか、と問われました。
大株主としてKDDIは60%、残りの40%は地元沖縄の人々で持っていただきました。役員人事にあたっては、会長と役員一名はKDDIから、社長以下すべて役員は沖縄の人にお願いしました。沖縄の人はこれは沖縄の会社、我々の会社と考えられ、沖縄セルラーは創業以来快進撃を続け、全国で唯一NTTドコモを上回る、ナンバーワンのシェアを誇り、業績も順調に維持しています。1997年には上場も果たしました。全国にセルラー会社は合計八社展開しましたが、上場したのは沖縄セルラーだけなのです。
稲盛塾長は名誉会長ですが、給与はなしです。打算一つもなく地元のためという思いから創業し、ここまで来た会社の経営を通じて多くの皆さんに喜んでいただいていることが本当に嬉しいのです。沖縄の方々のために何かしてあげたいという純粋な善なる動機、優しい思いやりの心で始まり、それが相手の方々にも伝わり、すばらしい経営につながったと稲盛塾長は喜ばれたのでした。
- 利他に努めることが“ひらめき”を生む
盛和塾の会員の中には“私利私欲だけで経営していたら、おそらく私の会社は倒産していたでしょう。利他の心で経営を始めたら、とんとん拍子に会社がうまくいきました”と言われる方も多くおられます。相手に喜んでもらおうと善意でやったこと、それが結局成功するということは厳然たる世の原理なのです。
利他に努め、必死に打ち込むことで、創造力さえ身につけることができるのです。利他に努めることで、インスピレーション、“ひらめき”が得られ、まだ誰も取り組んでいない新しいことでも見事に成就させることができるのです。
宇宙には“知恵の蔵”があります。その中には汲めども尽きない知恵が蓄えられ、それを引き出すことができるなら、すばらしい発想や斬新な“ひらめき”が得られるのです。その“知恵の蔵”のドアを開けるのは、必死に打ち込んだ利他の心-何としても成功して人の役に立ちたい-という鍵なのです。
- 企業経営者が国家、国民を支えている
企業経営者は自分だけがよければいいという利己的な考え方を極力排し、思いやりの心、慈悲の心、利他の心をベースに必死に生き抜き、従業員、お客様、取引先、地域の方々、企業の周囲に存在する多くの人達を幸せにしてあげる、豊かにしてあげるという信念を持って企業経営に邁進していくことが大切です。
国に納める法人税、消費税、雇用する従業員が支払う所得税/消費税、国家財政の大半は企業が鍵を握っているのです。これら企業が生み出した富を国や地方自治体が集め、再配分することで、現代の経済社会は成り立っています。企業が存在し、経営者が営々とその活動に努めているからこそ、この経済社会が機能しているのです。
日本の中小企業は日本の企業の中で99.7%を占めています。つまり中小企業が国家・国民を支えているといっても過言ではありません。
自分のためだけではなく、社会のために有意義なことを行っているという矜持(きょうじ)と誇りが、経営者が難局に立ち向かう大いなる勇気、はげみになっているのです。
盛和塾 読後感想文 第九十四号
人類が目覚めたとき“利他”の文明が開く
私達が地球という船もろともに沈んでおぼれないためには、もう一度、必要以上に求めないという自然の節度を取り戻すほかはありません。私達は、自らの欲望をコントロールする術を身につけなくてはならないのです。
すなわち“足るを知る”心、その生き方の実践が必要になっています。これ以上、経済的な富のみを追い求めるのはやめるべきです。国や個人の目標を物質的な豊かさだけに求めるのではなく、今後はどうすればみんなが心豊かに暮らしていけるかという方向を模索すべきです、と稲盛塾長は語っています。
老子が言う“足るを知る者は富あり”という“知足”の生き方にみんなが賛同し、いろいろな場面で広めていくことが大切です。国も、会社も、学校も、家庭でも、小さい時から“知足”を実践していくように指導すべきだと思います。“満足こそ賢者の石”。知足にこそ人間の安定があるという考え方や生き方を、私たちは実践していく必要があるのです。
私欲はほどほどに、少し不足くらいのところで満ち足りて、残りは他と共有するやさしい気持ち。他とは人間に対してだけではなく、この地球の自然をも含めています。他と共に人間は、生きていかなければ、自分の生命を維持することはできないことを知るべきです。他人が生きていてくれるからこそ、自分が生かされていることをみんなが知る必要があります。
地球にやさしくするのは、人間が生きていく為には、欠かせないことと知るべきだと思います。
共生の思想と経営
稲盛塾長は“共生”の概念について、国際日本文化研究センターの梅原猛さんとVOICE(1992年9月号“利他を忘れた資本主義”)で対談されました。ここでは“共生の思想”と“経営”の関係について述べておられます。
判断基準としての“利己”と“利他”
企業経営者は毎日のように大小様々な物事を決めていかなければなりません。その決めたこと、デシジョン(決断)の集積が会社の業績として反映されます。今まで順調に経営してきたにも関わらず、一朝にして会社が潰(つい)え去るような愚かな決定をする場合もありますから、決断というのは大変重要なことです。経営者の場合、また組織のリーダーの場合でも、上に立つ人間は正しい判断、決断をしなければなりません。
決断は頭を含む心でしているわけです。頭を含めた心による判断の一番最初に来るのは、利己的な、エゴイスティックな、つまり自分に都合のよい、損得勘定を判断基準として物事を決めていきます。“本能的なデシジョン”。我々は視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚という五感で判断しているケースもあります。
人にとってはこのように言う人もおります。“俺は頭もいいし、理性的な男なので、常に理知的に理性で物事を判断しようとしている”。この理性による判断とは、物事をロジカルに推理推論することです。頭のいいスタッフは問題の解決にはAのコース、Bのコース、Cのコースをとる方法があり、 Aのコースの場合はこうなります、Bのコースではこうなります、Cのコースではこうなります、と見事に推理推論してくれます。しかし、“どうすればよいのか”と聞きますと、“いや、それは私ではできません。社長に決断をお願いします”と返事が返ってくるのです。理性というのは推理推論はできても、物事を判断することはできないのです、と稲盛塾長は語っています。
物事を決めていくには、本能のエゴか五感で、損得勘定を判断基準としてなされていることが多いのです。
しかし人間には、人間の理性を超えた“霊性心(れいせいしん)”というものがあると言われています。
普通、私達は、自分の家族にとって、会社にとっていいか悪いか、儲かるか儲からないかという利害損得で物事を決めて、言わば“利己”という判断基準を使います。五感を使うこともあります。しかし、それ以外に“霊性心”というものがあります。
“霊性心”というのは人間の魂から直に出てくる、“利他の心”です。それは自分ではなく、他の人によかれかし、という心です。人の喜びを自分の喜びに感じられる、人の悲しみを自分の悲しみに感じられる、思いやりの心なのです。キリスト教の“愛”、仏教でいう“慈悲”のことです。
この利他の心と利己の心が人間の心なのです。
すべてのことを利己で決めてしまうと、人生でも経営でも、はじめのうちは成功を遂げることができても、それを維持させることはできないのです。
損得勘定で、自分が儲けよう、儲けようと思い、次から次へとうまい話に乗っていくと、足元をすくわれて、つまずくことになります。自分だけよければよい、というものの考え方ではなく、自分の周囲の人たちがみんな、共に生きていけるようにしてあげたいという気持ちがあったならば、バブル崩壊に遭遇していなかったと思われます。財界の実力者で、人間的にもすばらしかった方が、バブル景気の中で不祥事を起こし、没落していかれました。それは利己的な視野で物事を見ていきますと、周りが見えなくなり、視野が狭くなります。そして判断を大きく間違ってしまったのです。
経営者として、事業家として大成する人、大きく伸びていく人は、自分だけが儲かればよいという利己的な考えで生きている人ではありません。競争に負けていくわけにはいきませんが、それ以上に他者との関係というものも大変大事なのです。判断基準として利己と利他を考えていきますと、“共生”というものが見えてくるのです。他の者が生きなければ、彼等に依存している自分も生きられない、ということが見えてきます。
アフリカ原住民に見る共生と循環の知恵
- 自分が生きるためには、相手を生かさなければならない
稲盛財団では京都大学の総長、岡本道雄氏を中心に、多くの方々に、また京大の教授陣に評議員をお願いしています。日本の霊長類研究の創始者としてたいへん有名な今西錦治先生の愛弟子でもある、伊谷純一郎先生のお話を聞く機会がありました。
1990年の京都賞受賞者に、イギリス人の女性研究者、ジェーン・クドール博士がおられます。彼女は26才の時からアフリカのコンゴの山中でチンパンジーと生活を共にしながら研究を始め、その生態を30年間にわたって調査し、その詳細な研究報告を世に発表してこられた方です。このジェーン・クドール博士を京都賞に推奨したのが伊谷純一郎先生でした。
伊谷先生もコンゴの山中に棲(す)む野生のチンパンジー社会の研究をしてこられ、よくアフリカに調査に行っておられます。伊谷先生等がチンパンジーの生息する場所に行くには、何ヶ月もキャラバンを組んで、ジャングルの中を移動しなければなりません。そのチンパンジーの棲む山中へ行く途中に、農耕をせずに狩猟で生活をしている原住民の部落を通って行かれるそうです。そこで見、聞きしたことを伊谷先生がお話になりました。
その部落では、男たちがそれぞれ弓矢を持って総出で狩りに行きます。そのうちの誰かが1人、シカでもシマウマでも一頭倒すと、その日の狩りは終わりで、みんな狩りをやめて部落へ引き上げていきます。獲物を仕留めた勇者は、荷物を担(かつ)ぎ、部落へ帰ってきて、それを解体してみんなにお裾分(すそわ)けする。
獲物の一番おいしいところは、自分の家族に分ける。後は自分と血縁が濃い順番に、兄弟、親戚へと決まった量をお裾分けしていく。その部落は共同生活をしていますから、食べ物が入ると、必ずもらったものを自分だけで独り占めするのではなく、必ずもらったものを自分の親戚へと余すことなく配ります。
つまり、ある男が獲物を捕ったとすると、まず親兄弟に大きい切身を分ける。それをもらった親兄弟も、自分の妻の里もありますから、そこにも少し分けなければならないというので分ける。だから末端に行くほど肉は小さくなるのですが、あっちからもこっちからも貰(もら)えますから、結局は部落全体が平均したように分配に与(あず)かる。どの家でも小さな肉切れと野菜やら芋やらを鍋に入れて煮込んで、その日の食事をする。
それを見た伊谷先生が“量が少ないではないですか。もう少し食べたいのではないですか。なにも誰か一人が獲物を仕留めたからといって、狩りを止めてその獲物を分けてもらわなくても、あなたも勇敢な狩人なのだから、自分でもう一頭倒して食べたらどうなんですか。”と聞きました。
“いや、そういうことはしないんだ。誰かが一頭倒せば、その日の狩りはおしまいということになっている。確かにおまえが言うように、欲しいことは欲しいのだけれども、そういうことはしてはならないということになっているのだ。”と言う。村の掟としてそういうことはしてはならないと諦(あきら)めているというのです。
伊谷先生は次のような説明をされました。
“その部落の周辺には野生のシカやウマが生存しています。そのシカやウマは赤ちゃんを産み育て、やがて死んでいき、生まれた子供はまた次の世代を生むというように、再生産と循環を繰り返しています。それを間引きして食べる分には絶えませんけれども、次から次へと俺も俺もと言って食べてしまったら、シカやウマは根絶(ねだ)やしになり、今度は自分たち人間が食糧難に陥(おちい)らなければなりません。だれかが一日一頭倒せば、その日の狩りはおしまいということが村の掟になっているけれども、それは自然の摂理を知っているからではないか。”
自分達が生きていくためには必要な分として、一日一頭しか捕らない。それはシカやウマが再生可能な範囲、循環できる範囲でしか捕らないということなのです。人間も生きていかなければならないけれども、自分たちが生きていくためには、獲物であるシカもウマも生きなければならない。これが共生なのです。
伊谷先生は次のようなチンパンジー社会のルールを何回も見られたそうです。チンパンジーの社会でも共生の原理が働いているのです。チンパンジーは雑食で、普段は木の上に登って生活しています。木の実を食べて生活しています。しかしたまには狩猟をして獲物を捕ります。チンパンジーは腕力もありますし、棒きれも使います。シカなどを倒しますと、他のチンパンジーが寄ってきて、みんなで分配します。ここにも共生の原理が働いているのです。
事業経営に共生の働きを考えて見ます。商売をする場合、製造業であれば、最初に相手にするのは、競争相手ではなく、自社製品を売ってくれる代理店、卸屋さんの場合は小売店です。そういう代理店、小売店へのマージン支払いは、なるべく低くしてほしいと思うのは当然です。しかし彼らは彼らで生きていかなければなりません。彼らもしっかり利益を上げ、元気に生きてくれてこそ我々自身の商売も成り立ちます。ですから、リーズナブルな、正当なマージンを与えて自分が生きていくためには、あなたも生きてもらわなければ困る、というように考えなければなりません。これが共生です。
- 将来世代のために自らの欲望を抑える
伊谷先生から、次のようなお話もありました。
アフリカの中で焼畑農業をしている原始的な農耕民族がいるそうです。人懐(ひとなつ)っこい人達で、いつもそこに立ち寄ってからチンパンジーの山に行かれるそうです。
そこの酋長が言うには、去年伊谷先生らが立ち寄った後、フランスの調査団も何日間か逗留したので、その後大変な食糧難に陥ったということでした。
“あなたは人がよくて、我々が来てもよくごちそうしてくれるのだけれども、その食料をどれくらい作っているのですか”。酋長は“百人くらいの部落の人が一年間食べる分だけしかつくりません。”と言うのです。“それでは人に食わせれば足りなくなってしまうではないか。他の人たちが来て食べるのですから、その分だけ余計につくらなければいけないのではないか”。酋長は、“それはできないのだ”と言います。“部落の四隅に神様が祀(まつ)ってありますが、その神様が許してくれないのだ。”と答えたそうです。
焼畑農業の場合、原生林に火を放って焼くわけですから、葉が落ちて地面に堆肥(たいひ)がいっぱい出来上がっている腐葉土(ふようど)のところに、さらに火を放って、灰になるまで森を焼く、それを耕(たがや)して芋や穀類(こくるい)などを栽培するわけです。農業技術が発達していませんから、毎年、同じものを栽培します。連作しますと、畑はたちまち収穫量が減ってしまいます。十年も同じ畑で栽培を続けますと、ついには収穫ができなくなってしまいます。彼らは連作しか知りませんから、今の畑が収穫できなくなれば、今度は隣の森に火を放って焼くわけです。そしてまた新たに畑をつくるという繰り返しです。
そうしますと、百人いる部落を中心に、周囲を10等分して10年ずつ焼畑をしていきますと、元へ戻って来た時は100年前と同じように堆肥ができ、腐葉土がいっぱいできている。森を焼けばさらに地味の肥えたいい畑になってまた作物が収穫できる。
去年は外国からキャラバン隊がたくさん来て、食べ物が減って、子供が餓死寸前になったというので、畑を五割広げたら、100年という長い周期で回っていた焼畑農業のサイクルはもっと短くなってしまい、畑は回復することなく、次第に地味が衰え、さらに次々と森を焼いていかなくてはならないことになります。
百年周期というのは三世代、四世代先の話になります。つまり彼らは三世代、四世代後の中でも子孫が今と変わらず生活していけるようにしているわけです。“神様が許してくれないのだ”という欲望を抑えるルールを確立し、自然と共生しているのです。
理屈は何もわかってはいません。しかし“畑を広げてはならない”ということが遺伝子レベルで彼らの中にインプットされているのです。一見素朴な考えですが、実は三世代、四世代先の時代まで見据(みす)えているのです。
自分だけがよければよいというのではなく、森と共生しなければならないことを彼らは知っています。我々に置き換えれば、社会と共生しなければならないということを知っているが故に、自分だけがよければよいという行動はとれなくなるのです。
足るを知ることが共生の原点
先ほどの狩猟民族を考えた場合、もっと食べたいというので、さらに一頭倒し、それを見た別の者が“俺も欲しい”といって獲物を捕ることになります。焼畑農業を営む農耕民族の場合ですと、“穀物がもっと欲しい”からといって、森を切り開き、畑を際限なく広げる。そうすれば周囲にある動植物も全部根絶やしになってしまい、結局自分の何世代か後にはみんなが飢え死にをし、滅びることになってしまう。つまり自分だけがよければいいという利己だけでいくと、結局は周囲の環境全体を破壊してしまい、自分も滅亡しなければならなくなるのです。稲盛塾長は警告を発しておられます。
森と共に生きよう、共生しようという考えをもてば、森も存続しますし、自分も生きられる。わずかな肉切れしかもらえなくても、それで満足し、あとは芋や穀類を食べて空腹を満たしている。伊谷先生が“そんな量では腹が空くでしょう。もっとあなたも獲物を倒したらどうですか”と言いますが、“いや捕ってはいけないことになっている”と原住民は答えるのです。原住民は“足るを知る”ということを知っているのです。
経済人でも成功して有名になり、驕り高ぶって失敗し、没落していく人は、足るを知らない人です。成功するとお金もどんどん増えるので、着る物から何から贅沢(ぜいたく)をし、いろいろなことをやりだす。もっと堅実で質素な人だったのに、成功すればするほど、理性が利かなくなり没落していく。
どれほどお金持ちになったとしても、どれだけ贅沢ができるといっても、人が一杯しか食べない飯を何杯も食べられるものではない。人が一枚しか食べられないステーキを何枚も食べられるものではない。食べすぎて身体を壊したら元も子もなくなります。逆に人が一杯しか食べないのであれば、自分は八割しか食べない方がよいのです。
アフリカの原住民と同じように、自分が住んでいる社会という森と共に生きていかなければならないのです。それしか自分が生きていることができないことを知るべきなのです。自分を取り巻く森羅万象あらゆるもの、生きとし生けるものすべてが生きている必要があるのです。そのためには利己を抑える、つまり足るを知るということが必要なのです。
心を高めることで利己を抑える
利己的な経営者は自分の事だけしか考えていませんから、社会という森は見ていません。自分の家族を食べさせていくこと、お金を儲けること、自分の欲望を優先して考えます。利他の心がありませんから、周囲の人々からうとんじられ、疎外されていきます。すなわち社会という枠からはずれてしまうのです。そうならないように、利己を抑えなければなりません。利己を無くすのではなく、その程度が問題なのです。
人間というものは、心を高める修行、修養をしないで放っておくと、心の中は利己だらけになってしまうのです。足るを知り、利己を抑えれば、人間というのは利他の心、思いやりの心が出るのです。
利己だけであった場合は、社会全体という森を見ていないわけですから、視野が狭いのです。そこに利他の心が少しでも入って来ますと、自分だけでなく、周囲も見えるようになります。森に住んでいるみんなと共に生きなければならないのだと考えれば、視点、次元が高くなるのです。
心を高め、人間のレベル、人格が上がってきますと、ちょうど山へ登るのと一緒で、高いところから物事が見えるわけです。心を高めるとは毎日、自己反省をして、自分を正しく直していく作業なのです。誰でも利他の心があるのです。それに気づくには毎日の反省が必要なのです。この反省は山登りに例えれば、坂道を一歩一歩頂上に上るようなものだと思います。頂上にはすばらしい景色=利他の心が待っているのだと思います。心のレベルが上がっていくと、高いところから見えるようになる。だから先見性、予見力というものが出て来るのです。
会社の目的は、中に住む従業員の物心両面の幸福を追求すること
自分だけが儲かればいいと思っている間は、なかなか従業員との関係はよくなりません。経営者が利己的ですと、必ず従業員が反発します。
親から譲ってもらった自分の会社を立派にし、守っていこうとするのは立派なことですが、しかし、そればかりに気を取られていると、視野が狭くなります。そうしますと、会社という森に住む従業員を生かすことができません。
自分の会社を立派にするためには、会社に住んでいる従業員がまず栄えなくてはなりません。自分が栄えたい、儲かりたいのなら、まず従業員が喜んで働いてくれなければなりません。そのためには自分よりも従業員によくしてあげなくてはいけないのです。会社を立派にしていくためには、従業員を含めた周囲の人たちを幸せにしていくこと、会社という小さな森全体を立派にしていくことを目指さなければなりません。
京セラでは、稲盛塾長の当初の経営目的、稲盛個人の技術を問う場から、従業員の生活を保証する場へと変わっていきました。それは当時、会社創立3年目頃に、10名の若い社員からの要求でした。毎年の昇給・ボーナスの保証書でした。とうてい受け入れられないことでしたが、稲盛塾長は三日三晩、市営住宅で若い従業員と話したのでした。多分すさまじいやり取りがあったはずです。稲盛塾長は経営者として、一生懸命みんなの期待に応えることができるように頑張る。もし経営者として不合理なこと、不正があったら殺してくれていいとまで言ったそうです。
この団交は京セラの企業目的を“従業員の物心両面の幸せ”に変える出来事でした。
企業という小さな森が繁栄するためには、経営者はお金持ちになりたいという自分の願望・欲望を少しでも抑えて、会社の中に住む従業員を大切にすることが大切です。それが会社をさらに立派にしていく元です。
ここで忘れてはならないことがあります。それは誰もが利他の心を備えているということです。経営者の方々はやはり従業員を大事にしてあげなければならないと思っているはずです。従業員を大事に思っている人には、他によかれかし、と思い利他の心、優しく美しい心が備わっているのです。
盛和塾 読後感想文 第九十三号
純粋な心からの情熱
強い思い、情熱は成功をもたらします。しかし、それが私利私欲から生じたものであれば、成功は長続きしません。自分だけがよければ良いという方向へ突き進むようになると、はじめは成功をもたらしてくれた情熱が、やがて失敗の原因になるのです。
利己的な欲望の肥大化を抑制するために努力をすることが必要になってくるのです。働く目的を“自分の為に”から“集団のために”へと考えるべきです。利己から利他へと目的を移すことにより、願望の純粋さが増すことになるのです。利己の心が左端にあり、右端に“利他の心”があると考え、そのシーソーができるだけ右に傾け続けるように努力するという感じではないでしょうか。
純粋な願望を達成する為の努力をし、苦しみ、悩み抜いている時、天からヒントのようなものが与えられることがあります。成功するというのは潜在意識に到達する願望の純粋さにかかっているのです、と稲盛塾長は語っています。
強く清らかな心で不況を乗り切る
2008年、2009年と大変な不況になっています。今回の経済危機は“百年に一度”の不況だと言われています。特に輸出比重の高い自動車関連や電子工業関連の業界では市況が激変し、苦慮された企業が多いと思われます。
中村天風に学ぶ“強い心”
- 尊く、強く、正しく、清い心
我々人間の行動というものは、すべてはその人の心によって決まっていきます。心がどういう状態であるかによって、その人生、その人の周辺に起こすすべての現象がすべて決まってくると思います。
天風さん、ヨガの達人、人間の心というものは、もともとは尊く、強く、正しく、清いものだと言っています。誰もが持っている心というのは尊いもので、強いものであり、正しいものであり、そして清いものである。
- 苦しくても、決して悲観的な思いを抱いてはならない
不況になりますと、受注が減り、作るものがなくなり、人が余ってきます。派遣社員の方に辞めてもらったり、正社員の方にも希望退職を募ったりしなければ、経営維持できなくなります。
そうしますと、経営者はどうしても愚痴が出ます。“こんな状態ではダメだ。どうしよう”と弱音を吐きます。天風さんはそういう悲観的な思いがその人の人生を暗くし、うまくいかなくさせると述べています。厳しい経済環境であればあるほど、積極的な、明るく強い心を自分で打ち出すようにしなければなりません。
経営者は悲観的な、愚痴っぽいことは、つゆほども口に出してはなりません。口に出せば出すほど、自分の運命というものは暗くなっていくということを、天風さんは語っています。
- インドの聖人に出会い、悟りを開く
日露戦争後、日本に帰国した天風さんは、結核で喀血します。その結核病を治すために、アメリカ、ヨーロッパに渡りました。体が弱り切った天風さんは、自分の病気を治したい一念でアメリカ、ヨーロッパ各地を訪ね歩くのですが、どうしても治らないのでした。あきらめてフランスのマルセイユから日本行の貨物船に乗り込みました。
途中、スエズ運河で座礁事故があり、数日カイロで停泊することになったのでした。カイロのホテルでスープを飲んでいる時、ターバンを巻いた人が、指をぐっと指すだけで、ハエが動けなくなるのを見て驚いたのでした。5,6メートル先のそのターバンの人の様子を見ていました。するとターバンの人が天風さんに、こちらへ来いと言うのです。するとその人は天風さんに向って“ああ、お前さん、肺に穴が空いているね。血を吐いているだろう。それでどうせ死ぬのだったら、日本へ帰って死のうと思っている”と言い当てます。
この方はインドのヨガの聖人カリアッパ師で、英国の王室に呼ばれて講義をした帰り道であったというのです。
カリアッパ師は続けて“おまえさんはまだ死ななくてもいいんだよ。もしまだ生きていたいと思うなら、私についておいで”と言います。天風さんは反対も何もなく、ただびっくり仰天してついていきます。その修行の中で、悟りを開き、それまで大量の喀血を繰り返して死に至るはずだった結核もすっかり治ってしまいました。
- 不況の時こそ積極的な心を持て
天風さんは、自分が結核で血を吐いてのたうちまわっている苦しい時でも、痛いとか苦しいとか口に出してはいけない、愚痴をこぼしたくなるような時でも感謝をしなければならない、と言います。
“今弱気になっているのは、君の心が強くないからだ。もっと積極的に人生を生きていこうという強い思いがあれば、そういうことにはならない”
積極的に人生を生きる、感謝の念を忘れないと言われても簡単にはできるものではありません。自分の心というものをかねてからトレーニングしておかなければいけません。かねてから心のトレーニングができていれば、愚痴をこぼしたくなるような苦しい時でも、感謝することができると天風さんは言っているのです。
天風さんが一番力を入れているのは、積極的な心を強く持つべきであるということです。
同時にその思いというものは、自分が金儲けをしたいという利己的な心ではなく、利他的な、美しく清らかなものでなければいけません。
- 経営者の心構えが企業の運命を決める
この不況の中で、我々経営者たちがどういう心構えでいるのか、どういう思いを抱くかによって、その企業の運命がすべて決まってしまいます。
厳しい状況の中でも、必死に努力して黒字を確保していく、それにはやはり、積極的な強い心、そして正しく、清らかな心が必要です。
- 善き思いを“強く一筋に”抱けば道は必ず開ける
心に描く思いは何でもないように見えるけれども、実は大きな力を持っているのです。どういう思いを心に描くかによって、その人の人生も決まってしまうぐらい、大きな力を持っているのです。心の中に浮かぶ思いというものを自分で制御して、善き思いというものを抱くようにしていかなければなりません。
善き思いとは、人様に対してよかれと思うことであり、つまり、人様のために何かをしてあげたいという、親切で愛情に満ちた思いです。
美しい思いやりに満ちた心の土壌に芽生える思いというのは、自分の人生をもっと豊かにするだけではなく、周辺の人たちももっと幸せにしてあげたいという、美しい、清らかな思いです。
因果応報の法則が人生にはあり、優しい思いやりに満ちた心をベースに善きことを思い、善きことを実行すれば、その人の人生にはきっといいことが起きるのです。
天風さんは言いました。“新しき計画の成就は只不屈不撓(ふくつふとう)の一心にあり、さらばひたむきに只思え、気高く強く一筋に”。この不況を乗り越えていこうとする時、その成就は不屈不撓(ふくつふとう)の一心、つまり、どんなことがあろうともくじけない強い心にかかっている。その計画を何としてでも成功させよう、どんなことがあっても負けないという強い思いを一筋に、そして気高く抱かなければならないと、天風さんは言っているのです。
資本主義の運用には“清い心”が不可欠
- 中小企業の経営者が日本を支えている
この不況の中で、消え去っていく会社もたくさんあります。そうした企業の中では、この不況を境にさらに強くなっていく企業もあります。それはまさに経営者の心のありようによってその会社の岐路が決まってくるのではないでしょうか。
この不況の中、派遣労働者の方々が解雇になるということで、一時大変な騒ぎになりました。京セラでは製造現場では正社員しかいません。同じ仕事をしながら、待遇が異なるのでは、人心の乱れにつながりかねないため、派遣労働者は製造現場では使ってはならないと考えているそうです。
正社員の他に工場ではパートの方々がいます。パートの方々は、子供を学校に出してから子供が学校から帰ってくるころまでしか勤められないという事情で、パートタイマーとなっています。こうした特殊な勤務形態もあります。京セラの場合は、もともと社員を守っていくということが会社の経営の中心にあります。
中小零細企業であっても、五人でも十人でも従業員を雇って仕事をしているとすれば、その人には家族がいるはずです。家族全員で三十から四十人の家族を養っているわけです。経営者は自分の家族を守ると同時に、五人十人と少ない従業員ですが、その家族も守って、給料を払い続けていくという大変な社会事業をしているのです。
決して大企業だけが日本の経済を支えているのではなく、日本の経済を支えているのは中小企業なのです。
- ROE重視の経営では従業員がないがしろにされる
今回の経済危機の元凶の一つとして、ROE重視(Return on Equity)のアメリカ型の資本主義があります。アメリカの投資家グループが、資金が豊富な日本企業の株を取得し、株主の権利として配当をもっとよこすように主張します。株主の目先を重視して、配当を要求し、株主資本(自己資本)利益率(ROE)を高め、株価上昇を狙っているわけです。
内部留保を厚くして、安定経営をしていくという日本企業とは異なった考え方がROE重視のアメリカ資本主義なのです。“こんなにお金を貯め込んでどうするのだ、配当しなさい”というわけです。
株価の評価は一株当たりの利益が何倍か。PER(Price Earning Ratio)でするのが企業評価の指標にしていました。最近ではROEの数値が重視され、ROEが高い企業が優秀な企業だと評価されるようになっています。
少ない資本で多くの利益を稼ぐ企業の方が効率がいい。だからROEを基準にして企業評価をしていこうとなっているのです。自己資本が少なければ少ないほど、一年間の利益が多ければ多いほど、ROEの値が高くなりますから、なるべく内部留保を抑えて自己資本を少なくし、短期的に利益を確保していこうとします。
株主利益優先が企業の目的となり、企業に住む従業員はないがしろにされ、場合によってはモノ扱いになってしまうということが往々にして行われてきました。企業の所有者とされる株主が喜ぶような経営をすることが、経営者の役割だと誤解されてきたのです。
- 極端な成果主義は社会に格差を生む
アメリカでは経営者を選ぶ時には、優秀なビジネススクールを出た経験のある人を高い給与で登用します。
雇われた経営者は、株主の為に、株主の要求に応えるべく、精いっぱい頑張って働きます。その見返りが莫大な報酬です。株主は経営者に例えば利益の1パーセントを報酬として払います。それから株価が上がればストック・オプションもありますと、お金で経営者を使うのです。資本家と経営者の2人の欲に基づいた経営となります。株主は莫大な利益を、経営者はこれまた莫大な報酬を得ようとします。
それだけの成果をあげれば、それだけの報酬を出してあげましょうというのが成果主義、成果配分の考え方です。
ROE重視、成果主義重視の姿勢、さらには欲望をエンジンとする資本主義が行きつくところまで行ってしまって、今回の不況の原因の一つとなっているのです。
アメリカでは低所得者の人たちが多くいる一方では、何百万ドル、何千万ドルの報酬をもらっている大富豪がいるのです。
- 報酬だけをもらい、失敗の責任はとらない
こうしたアメリカのエリート経営者が事業経営に失敗しても、責任を執らないのが当たり前なのです。つまり、もうかった時は一割の報酬をもらうという契約はあるが、損をしたらその弁済をするという契約はないのです。そして失敗しますと、辞めればよいと考えるのです。
- 清らかな心があって、はじめて資本主義は正常に機能する
欲望をベースとしてきたからこそ、資本主義はどんどん発展して来ました。また、その欲望がとんでもない金融派生商品を作り上げて、世の中に売りさばいた結果が今日の金融危機、経済危機をもたらしたのです。
中村天風さんの話のように、資本主義というものは、思いやりに満ちた、尊く強く正しく清い心で運用していくように考えるべきだと稲盛塾長は語っています。
人間の欲望の赴(おもむ)くままに利益を追求しても、正しい競争が行われるかぎり、そこに見えざる神の力が働いて正常に機能するという資本主義の原理があります。つまり、みんなが自由放任の状態で競争しても、資本主義は正常な運用がなされるという考え方です。
ところが、それが正しく清い心で運用されていなかったら、とんでもないことになってしまうのです。今回の不況の中で、様々な反省がされると思いますが、どこまで行き過ぎた資本主義が修正されるのかが問題です。
最も大切なことは、この不況の時、人間の心というものは、尊く、強く、正しく、清いものに変わっていかなければ、つまり、みんなのためにという思いをベースにしたものに変わっていかなければならないということです。欲の皮の突っ張ったようなことではだめだということがわからなければ、何度でも今回のような不況、苦しい状況を作り出していくのです。
盛和塾 読後感想文 第九十二号
心は心を呼ぶ
稲盛塾長は人の心をベースにした経営を行うよう、努めて来たと述べています。強固で信頼できる心の結びつきを社員とつくり、それを保ち続けることに焦点を絞り、経営をしてきました。
愛されるためには、愛さなければならない。心をベースにした強い人間関係を築くためには、経営者自らが純粋な心を持ち、純粋な心の持ち主に集まってもらわなければなりません。純粋な心とは、素直な心、人の意見に耳を傾ける人、他人のことを思いやる人のことだと思います。
企業のトップとして利己的な本能を極力抑える、社員が心を寄せてくれるこの会社のために命をかけても厭(いと)わないくらい、強い意志を持って、私利私欲を捨てるよう努めているのです。
ウガンダというアフリカの国があります。家族は10から15人くらいの子供を産みます。私の知り合いの女性は、11番目の子供です。彼女が言うには、一旦家族の一員に困ったことが発生しますと、例えば、一人が脳梗塞になったとします。すると親戚一同が協力して、お金を用意、食事を用意、マッサージをする、患者の世話をすると一丸となって協力するらしいです。家族は100名を越えると言います。大家族主義を実に大切にしています。
人の心ほどはかなく、うつろいやすいものはないかもしれません。しかし一方では、一旦、家族のような大家族主義が理解されていますと、人の心の絆ほど強固で信頼できるものもないことも事実なのです。
第二次世界大戦の時、中国大陸に渡った軍人の中の一人が、雑誌に書いていました。戦友が、下痢がひどく、寝たきりになっていました。下着を汚すのですが、その戦友の汚れた下着を洗い続けたという話が載っていました。この話は戦争という異常事態の時ですが、人の心はここまで、他人の為に、無心の奉仕をすることを可能にするものだと思いました。
歴史をひもといてみますと、思いやりに満ちた利他的な心がもたらした偉大な業績は枚挙にいとまがありません。また人心の荒廃が集団の荒廃をもたらし、たくさんの人たちを不幸に陥れた例も数多くありますと、稲盛塾長は語っています。
心は心を呼ぶということを忘れてはなりません。こちらの心が相手の心に反映されるということを忘れてはならないのです。
従業員を大切にするパートナーシップ経営
今、米国式経営のあり方が問われている
現在、米国のサブプライム・ローン問題に端を発した金融危機の嵐が全世界を吹き荒れております。全世界の金融システムは大混乱に陥り、今やその影響は実体経済にまで及び、全世界の経済を混乱させております。
自分の欲望を満たすためには、あらゆる手段を講じ、利益の極大化に走る、現在の資本主義のあり方に、大きな問題があります。
このたびの金融危機は、世界標準となりつつある米国式経営-過度の株主重視、ROE(株式資本利益率)に偏重した経営、さらには成果主義に基づき、短期的な成果を重視する経営-に経営の課題をつきつけていると考えられます。
パートナーシップ経営
- 人の心をベースとして経営する
京セラは50年の歳月の流れの中では米国式経営とは異なる“従業員を大切にするパートナーシップ経営”を心がけてきました。京セラは現在、太陽電池、携帯電話、複写機まで生産する総合エレクトロニクスの会社に成長しました。日本の通信自由化に際して設立した第二電電(KDDI)は日本第二位の通信事業者に成長しました。これらはすべて“心をベースとした経営”の成果なのです。
大学卒業後3年目に上司と意見が合わず退社することになりました。退社する時、7名の同志も退社し、新しく作っていただいた京セラがスタートしました。その時、自宅を担保にして銀行借入をしていただき、京セラの設立を応援していただいた方もおられます。7人の同士や支援を惜しまなかった人々の心が京セラを設立したのでした。
日本の近代化をもたらした明治維新という革命、米国の建国にしても、人々の志と団結心がベースとなっております。逆に人心の荒廃が組織や集団の崩壊を招く原因となった事例も数多くあります。
ヒト、モノ、カネといった資産のない、会社の知名度も信用もない、ないないづくしの状況の中で生きていく為には、信じ合える仲間をつくり、その心と心の絆に頼るしかなかったのが京セラでした。
- 全従業員の物心両面の幸福を追求する経営理念の確立
京セラ設立後二年目のことでした。高卒の従業員11名が、“少し仕事を憶えたかな”と思い始めたとき、団交を申し入れてきました。その書状には、“将来にわたって昇給は最低いくらにすること、ボーナスはいくら出すこと”という待遇保証の要求でした。“将来を保証してくれなければ全員会社を辞める”と言ってきたのでした。
できないことを保証することは、嘘をついたことになります。稲盛塾長は“その要求は受け入れない。”彼等を引きとめるために、将来にわたる労働条件を保証すれば嘘になってしまうのです。
稲盛塾長はその後、三日三晩市営住宅で彼等と話しました。彼等は“資本家はうまいことを言って労働者をだます”といいます。
稲盛塾長は説得します。“私は自分だけが経営者としてうまくいけばいいという考えは毛頭ない。入社した皆さんが心から良かったと思う企業にしたいと思っている。それが嘘か真か、だまされたつもりでついて来てみたらどうだ。私は命を賭してもこの会社を守っていく。もし私がいいかげんな経営をし、私利私欲のために働くようなことがあったら、私を殺してもいい。”
最後には、彼等は要求を撤回し、会社に残り、以前にも増して骨身を惜しまず働いてくれるようになったのでした。
当初は技術出身の経営者として“自分の技術を世に問いたい”ということを会社設立の直接の動機としておりました。この11人の若者と三日三晩の話し合いを通じて、経営に対する考え方が変わってしまいました。“経営者が自分の夢を実現するのではなく、現在はもちろんに将来にわたり、従業員やその家族の生活を守っていく。”ということに、稲盛塾長は気がついたのでした。
三日三晩は正しい経営哲学を学ぶ貴重な体験となったのです。相手の要求はすぐに受け入れることはできなかったけれど、彼等の意見を拒絶するだけではなく、彼等が言っていることの会社経営上の意義を稲盛塾長は理解し、素直な、大きな心で受け止めて京セラの大義名分としたのでした。
“全従業員の物心両面の幸福を追求し、人類・社会の進歩発展に貢献すること”として京セラの経営理念としました。
京セラは“人の心”をベースに経営を進めて来たことが、現在にいたる京セラの発展をもたらしました。心の通じ合える仲間との固い絆をよりどころにして創業し、その後も同志的結合を企業経営の基盤に据えてきたことで、私心を離れ、従業員が幸福になれるよう全力を尽くすことができ、従業員も会社に全幅の信頼を置き、その持てる力をいかんなく発揮してくれたのです。
- 従業員を大切にするために高収益経営をめざす
全従業員の物心両面の幸福を実現するため、京セラは高収益経営を目ざしてきました。二桁以上の税引前利益率を当り前とする高収益経営を目ざして、京セラは発展・拡大して来ました。
売上を最大にし、経費を最小にする努力をすれば、利益は後からついてくる。こうした高収益経営を通じて、内部留保の充実に努めました。その結果、2008年三月期では京セラには6千億円の現預金、株式等約4千億円、合計一兆円ほどの内部留保を有するまでになったのです。
この内部留保充実の経営はアメリカのROE(Return on Equity)の高さを目指す経営-株主還元優先・企業買収、設備投資などに努め、自己資本を小さくする-ものとは相入れないものです。京セラは強い財務体質を実現することが何よりも大切と考えて来ました。ROEは株主優先する短期的な経営ですが、京セラの経営は従業員を大切にする、長期的な視点に立った経営なのです。
- 従業員のベクトルを合わせる
“パートナーシップの経営”とは心と心で結ばれた経営者と従業員との信頼関係を企業内に実現するものですが、それは決して従業員と馴れ合ったり、また労働組合に迎合したりするものではありません。常に高い目標を掲げ、その実現に向け、経営者と従業員がともに手を携え、全力を尽くす経営なのです。これは“ベクトルを合わせる経営”と呼ばれています。
会社がどの方向に向うのか、経営者が経営目標を指し示すことによって、従業員の持てる力を目指す方向にそろえ、最大限に発揮できるように努めていかなければならないのです。
一番大事なことは、考え方を合わせることです。従業員は他人の集まりです。生まれも育ちも異なる人たちが集まって組織を構成していくわけですから“京セラはこういう考え方で経営していきます”と従業員に説き、賛同してもらわなければなりません。これは簡単ではありません。“考え方”を説いている時、イキイキとして耳を傾ける人もいれば、わかっているかどうかという顔の人もいる。従業員が共鳴してくれるまで、説き続けなくてはなりません。ベクトルが合わない人もおります。そういう人には他社に行くよう、お互いに不幸になってはいけないと辞めていただきます。
ベクトルを合わせ、強固な信頼関係があればこそ、従業員は誰にも負けない努力で仕事に励み、どんな苦労も厭わず、次々と新しい分野に挑戦し、それを成功させることで、年々会社を成長発展させることができました。苦楽をともにできる、心が通じ合える従業員を育んでいくことが経営にとって大切なのです。
- 労資の信頼関係が確認されたオイルショック
京セラは1973年にはオイルショックに直面しました。受注金額が1974年1月に27億5千万円あったのですが、その半年後の7月には2億7千万円と、およそ十分の一に受注が激減しました。すなわち製造現場では9割もの従業員が余剰となってしまいました。そこで9割の余剰人員を生産現場から外し、生産は十分の一の人手で行うことを決めました。余った人たちには、交替で工場内の清掃、花壇の整備、運動場の整備、さらには教育研修に従事してもらいました。
社長以下係長までの賃金カットを実施しました。更に翌年のベースアップについては、労働組合に賃上げの凍結の要請をしました。すると組合は、労資一体であることをよく理解し、1975年、賃金凍結の申し入れを了承してくれました。日本の多くの企業では、労使間で不協和音が生じ、労働争議が頻発していました。京セラではいち早く労資が協調して賃上げ凍結を打ち出したわけです。
京セラ労働組合の上部団体のゼンセン同盟からは、京セラ労組の決定を批判してきました。京セラ労組はこれに屈せず、“我々は労資協調で企業を守っていく。現在、会社を取り巻く状況を見れば、賃金凍結も無理はない。そのことが受け入れられないなら、袂(たもと)を分かつ他はない。”と上部団体からの脱退を決定しました。
その後、景気が回復しました。会社の業績も改善しました。定期賞与を大幅に増額するだけではなく、臨時賞与の支給にも踏み切りました。更に1976年には前年の賃金凍結分を加算し、二年分22%の昇給を発表し、従業員、労組の信頼に応えました。
オイルショックの不況を通じ、労資間のゆるぎない信頼関係を確認することができることとなりました。京セラの株価は当時トップを走り続けていたソニーの株価を抜き、日本一の高値を記録しました。従業員と心を一つにしてベクトルを合わせる経営を行ってきたことが成し遂げたものと考えます。
- 全員参加の経営を実現する
稲盛塾長は当時、開発、製造、営業、管理などすべての部門を直接指揮しておりました。しかし、1人何役もこなすには限界があります。その為、組織が拡大していく中で、大きな組織を細分化して、それぞれのリーダーに経営を任せる体制が必要と考えるようになりました。
中小企業の経営と同じような根強い組織体を企業内に作り、中小企業の経営者と同じような経営感覚を持ったリーダーを社内に育成していくことを考えたのでした。小さな組織にすることにより、末端の社員が1人1人までが自分の組織の経営を把握し、それぞれの立場で業績向上に全力を傾けるという“全員参加の経営”を実現することが出来ると考えたのでした。
この小集団組織を“アメーバ経営”と呼び、小集団部門別採算制度を考案し、経営にあたってくることとなりました。各アメーバは一つの企業として活動します。組織構成には、製品グループ別のこともありますし、あるいは一品種製品部門の中でも、いくつかの製造工程がありますと、工程ごとのアメーバ組織が編成されることもあります。
各アメーバの経営計画、実績管理、物品購入から労務管理までアメーバリーダーはそのアメーバの経営全般を任されています。
アメーバグループはたとえ三十代という若さであっても、すばらしい経営感覚を身につけるようになってきます。アメーバの収支はそれぞれのアメーバが1時間当りいくらの付加価値を生んだかという計算方式で表しています。各アメーバはこの“時間当り”という指標をもとに毎月競い合うようにして業務向上に努め、切磋琢磨しあうことになります。
時間当り付加価値の算出方式:
営業部門:(売上総利益-経費+人件費)÷総労働時間
=時間当りの付加価値
製造部門:(総生産-経費+労務費)÷総労働時間
=時間当りの付加価値
- 仲間からの称賛が最高の報酬
アメーバ経営は成果主義をベースとして、従業員の功労に報奨金で報いるような制度ではないのです。アメーバ経営にとって重要なことは、自分の組織がいくら利益を生み出したということではなく、自分の組織は一時間当りこれだけの付加価値を生み、運命協同体である会社に対して、これだけの貢献をしたと考えることであります。ですから、ボーナスや報奨金を与えるということは一切ないのです。
アメーバ経営においてはすばらしい実績を上げ、信じ合う仲間から称賛と感謝が得られるという精神的な栄誉こそが最高の報酬なのであります。アメーバ経営の理念は企業の目的が経営者や株主の利益のためだけにあるのではなく、全従業員の幸福を願うものであり、全従業員が運命協同体である会社の全従業員の為に働く、一生懸命努力し、その成果を継続的に共有していく為に、アメーバ経営があるのです。
- ガラス張りの経営
アメーバ経営の中では、経営の透明性が大切です。受注がどれくらいあるのか、計画が予定通りか、利益、付加価値がいくらでているのか、会社や職場のアメーバが置かれている状況について、幹部だけではなく、末端の社員にもよく見えるような“ガラス張りの経営”が必要なのです。
ガラス張りの経営は、企業内のモラルを高く維持することに大きく貢献します。アメーバの売上や経費についてガラス張りにしますと、目標達成の進捗(しんちょく)状況の把握、経費の不正使用防止、無駄の削減等に役立ちます。
原理原則を貫く経営
- “人間として何が正しいか”を判断基準にする
経営者は毎日あらゆるケースで判断を迫られてまいります。その決断に間違いがありますと、たちまち会社は傾いてしまいます。そのためには、明確な判断基準が求められます。
経営における判断基準には、我々が持っている倫理観、モラルに反するようなものでは経営は決してうまくいきません。言い換えれば“人間として正しいことなのか、悪しきことなのか”ということを基準にして判断し、“人間として正しいことを正しいままに貫いていこう”と考えたと、稲盛塾長は考えたのでした。
“人間として何が正しいのか”、つまり京セラにとって正しいのかではありません。ましてや個人にとって正しいのかでもありません。企業や個人を越えた公明正大で天に恥じることがない、人間として正しい行いを貫いていくことが、すなわち“原理原則に従う”ということだと考えたのでした。
- 清らかで純粋な思いにはすばらしいパワーが秘められている
KDDIの経営が成功したウラには、稲盛塾長の厳しい、自分自身に問い続けた動機がありました。KDDIをスタートする本当の動機は一体何なんだ。“自分を世間によく見せたい”という私心がありはしないか。“単なるスタンドプレーではないのか”ということを“動機善なりしか、私心なかりしか”と夜ごともう一人の自分が稲盛塾長に問い詰めたそうです。私心がないことを確認したうえで、新電電(電信電話)事業に乗り出しました。
電信電話事業の経験がない、技術者がいない、営業面での強力なバックがない、ないないづくしのスタートでした。
しかしながら、有利な立場の競合他社の競争にも負けず、今は日本で第二位の電信電話事業として、KDDIは発展しております。競合二社は、現在は存続しておりません。圧倒的な不利な状況の中で、頑張ってこれたのは“心のあり方の善です。我々が成功したのは、純粋な気持ちでこの事業に取り組んできたからなのです”と稲盛塾長は語っておられます。
イギリスの哲学者、ジェームズ・アレンが次のように述べています。
“汚れた人間が敗北を恐れて踏み込もうとしない場所にも、清らかな人間は平気で足を踏み入れ、いとも簡単に勝利を手にしてしまうことが少なくありません。なぜなら清らかな人間は、いつも自分のエネルギーをより穏やかな心とより明確で、強力な目的意識によって導いているからです”
ヒト・モノ・カネというすべての経営資源に恵まれて成功間違いないと思われていた競合二社が消え去る中で、ただ“世のため人のため”という正しく純粋な思いを最大の経営資源としたKDDIだけが生き残り、さらに成長発展を続けています。
盛和塾 読後感想文 第九十一号
きれいな心で描く
強い情熱は成功をもたらしますが、それが私利私欲に傾いているのでは、永続性はありません。世の道理に無感覚になり、成功の要因である情熱をもって強引に無軌道に進み始めるからです。成功が持続するためには、描く願望が、情熱が世の人々に喜んで受け入れられるものでなければならない、また、きれいなものでなければならないのです。
潜在意識に浸透させていく願望というものの質が大切です。人間は私利私欲を完全に払拭することは難しいですが、せめて自分だけの為だけではなく、周りの人々、集団のためにということに目的を置き換えることができるはずです。つまり目的が世の為、人の為という目的に近づけることによって、願望の質が高まり、願望の純粋さが高まるのです。
そうした世のため人のためという願望は多くの人に受け入れられますし、また、支援を申し出てくる人も出て来ますし、社会が、政府が、その願望を受け入れてくれるようになると思います。そういうきれいな心で描く、強烈な願望でなければ、天がかなえてくれないような気がするのですと、稲盛塾長は語っています。
純粋な願望を持って苦しみ抜き、悩み果てているときに、ひらめき、道が開けることがあります。“何としても”という切羽詰まった純粋な願望が天に通じ、潜在的な力まで引き出して成功へと導いてくれるのです。
未曾有の経済危機とその対応
従業員を大事にする京セラの実践例
際限ない人間の欲望が金融危機を招いた
- プライムローン問題
アメリカでは、信用度の低い人たちに対して、住宅の購入資金を貸し出していました。債務者の返済負担を軽減する為、最初は低い金利で貸し出し、数年後、金利が急激に上昇していくという、サブプライムローンと呼ばれる住宅貸付でした。住宅購入した人たちは、近年高騰しているアメリカの不動産市場があったものですから、自分の購入した住宅は将来値上りすると信じていたのです。ところが、アメリカ不動産のバブルが弾け、住宅の価格が下落していきました。
金利は年毎に上昇、住宅価値は下落、住宅購入者は、たちまちローンの返済が出来なくなりました。
アメリカでは住宅貸付は債権として証券化するのが通常です。貸付けした金融機関は、証券化した債権を半官半民の連邦住宅抵当公庫(ファニーメイ)に、連邦住宅金融抵当金庫(フレディマック)に売却したのです。ファニーメイも、フレディマックも、今度はそれを民間の投資家に売却したのです。貸付けたけれども、返済できないかもしれない債権を大量に、世界中に売り出したのです。
リスクの高い商品は、金利が高くなります。世界中の金融機関がこれに飛びついたのです。金融機関は一般大衆から集めた預金をなるべく高い利回りで運用して利益をあげたいと考えたのです。
巨額の不良債権を抱えたアメリカの金融機関は、自己資本をほとんど失いました。自己資本が薄くなれば、銀行業務はできません。リーマン・ブラザーズが倒産し、その他の大手金融機関も倒産寸前に陥りました。
- 飽くなき欲望が生んだ“デリバティブ”
金融界は、近年技術的進歩をしたと言われています。金融商品を近代的な商品にしていこうと努めてきました。金融界は高等数学を使って証券化するという手法を編み出し、金融派生商品(デリバティブ)という商品をつくりあげてきました。こうしたデリバティブを利用して、銀行からの融資を受けたり、金融市場から融資を受けることにより、実体経済の何十倍もの金額の取引をし、生まれてくる利益も大きくなります。
金融機関のトップに“デリバティブ”について尋ねますと、“私もよくわからないのです”と答えが返ってきます。
実体経済の中では、原材料を購入し、人材を集め、朝から晩まで仕事に打ち込み、大変な苦労をします。しかしデリバティブの世界では、コンピューターの操作だけで、巨万の利益を得ることが可能なのです。そうしますと、金融工学を使うことによって、経済が活性化する、進歩すると考えるようになりました。産業界の中でも、金融も手掛けるべきだとして、金融に進出した企業がたくさんありました。
アメリカを代表する企業の一つ、ゼネラルエレクトリック社(GE)は本来、エレクトロニクスの会社ですが、現在GEの利益の多くは自社の持つ金融部門からのものだと言われています。ゼネラルモータース社(GM)も金融部門からの利益が大きかったようです。
楽をして儲けるには金融だ。と思い始めて、肥大化していきました。“楽をして儲ける”とどまることを知らない欲望が、新しい金融商品を生み出し、これを次から次へと世界中に拡大させていったのです。元をただせば、人間がもつ際限のない欲望そのものが金融危機を招いたのです。
人類の発展過程は欲望肥大化の歴史
- 人間は、生物圏に属する一員だった
人類の歴史を俯瞰的(ふかんてき)に見てみます。この宇宙は約百三十億年前ビッグバンをきっかけとして誕生したと言われています。この地球は約四十六億年前に誕生したそうです。四十六億年の歴史の中で、人類がアフリカに誕生したのは約七百万年前です。人類は進化してホモサピエンスになってから、そう時間が経っていないそうです。
初期の人類は狩猟採集の生活をしていました。地球上の生物圏の中で循環、共生をする生き方をしていたのです。自分達だけがたくさん食べてしまえば、周囲に食べるものがなくなり、死んでしまいますから、生物圏の中で調和をとりながら生きていかざるを得なかったのです。時には飢え死にしてしまうこともあるような厳しい環境下です。
- 農耕牧畜によって獲得した“人間圏”
今から一万年前、人類は狩猟採集の生き方から農耕牧畜の生活を営むようになりました。野生の動植物を食料とすると同時に、家畜を飼うことを思いつきました。同時に農耕も始めました。
自分で生産手段を持ち、穀物を作り、家畜を飼って食べていく。そうした農耕牧畜の時代に入った人類は、安定した生活が営まれるようになりました。それまでは自然から得られたものだけをもらい、他の生物たちと共生しながら、食物連鎖の中で生きてきた人類が、その“生物圏”から独立して、自分で生産し、食べていくというスタイルをつくりあげていきました。つまり人間圏というものをつくり、その中で、独自に生きていくスタイルを確立しました。狩猟採集の時代は、人間は自分の意思だけでは生きることができませんでした。自然の掟、自然の意思に従って生きるしか術がありませんでした。ところが、人間圏というものを作ってからは、人間は、自然の掟、自然の意志に従って生きるのではなく、人間の意志で勝手に生きていくことができるようになりました。
- 駆動力の獲得で加速する欲望の肥大化
今から二百数十年前、イギリスで産業革命が起こりました。蒸気機関が発明され、人類は駆動力を手に入れました。人間圏の中で、駆動力を手に入れた人間は、以降、地球の物質循環に能動的に関わるようになりました。
駆動力の獲得により、人間は自分の意思、思い、望みの赴(おもむ)くままに自然を征服し、利用しました。さらにもっと豊かで便利な社会を作りたいという欲望をベースにして科学技術を発展させてきました。この科学技術の進展に伴い、さらにすばらしい近代文明社会を作り上げてきました。その文明社会が危機に瀕しています。
大量生産、大量消費こそ善であり、経済を発展させ、人類の生活を豊かにしていく根本であると信じて、この道を突き進んでいます。経済のパイを大きくすることが善だと信じ込み、大量生産、使い捨てを続けています。このことが地球環境問題に暗雲をもたらしています。
もっと豊かになろう、もっと便利な社会を作っていこうとしてきたことが、実は今回の金融危機につながっていったのです。
- 人間の英知ですばらしい社会を構築できる“という幻想
一万年ほど前、人類はこの地球システムの中に“人間圏”をつくり、それまで生きていた“生物圏”から踏み出しました。人間の知恵と意志で、地球上のあらゆる資源を利用し、自然を征服し、すばらしい文明を作ってきました。しかし、それは地球を破壊することとは当初誰も知らなかったのです。
欲望の命ずるままに発展していくことが進歩であると思ってきたために、我々人間は環境問題で地球に暗い影を落とすこととなり、今回は金融問題を突きつけられることになったのです。
人類のすばらしい知恵と意志を使えば、もっと豊かな社会、すばらしい社会が構築できるのだと信じてきたこと、そのこと自体、人類が抱いてきた幻想ではなかったのかと思われると、稲盛塾長は語っておられます。
今から三十年後の2050年、世界人口は百億人を突破するかもしれないと言われています。百億人の人口を養う食料、水は、その時果たして地球上にあるのでしょうか。このことについて多くの人々が警鐘を鳴らしています。“何とかなるだろう”と思っている人が大半ではないでしょうか。“人間は今まで英知を使いながら一生懸命に努力してた。色んな科学技術を使えば何とかなるだろう”と。
エジプト文明、メソポタミア文明にしても、古代文明はすべて廃墟となって現代のわれわれの前に存在しています。あの廃墟の姿は、現在の我々の文明に対する警鐘ではないかと、稲盛塾長は考えます。
従業員とその家族を守るためにこそ経営者がいる
- 利他の心が文明の危機を救う
我々中小企業の経営者は、五人であれ十人であれ、従業員を抱えています。従業員にはそれぞれ家族があります。その家族を含めた従業員たちを守っていく責任があります。五人でも十人でも従業員がいれば、その従業員、家族たちを路頭に迷わせてはならないと必死に経営をしているはずです。“すばらしい経営”をしていくためには、すばらしい経営者になるよう努力する、自分自身の心を高めていくことがどうしても必要なのです。
経営とは利益を追求しなければならないのだから、えげつない心、貪欲な心がなければ経営はできないと、つい思いがちです。その反対に、やさしい思いやりの心、つまり美しい心にならなければ、経営というものはうまくいかないのです。
利他の心、相手を思いやる心が大事なのです。その心を抜きにしては経営はできないのです。利益をあげることもできないのです。
“利他の心”を世界中の人類が受け入れ、今までの生き方を根本から変えて行く大転換の時がきているのです。
変えるべきは経営者が持つ“心”
規則強化をしても過ちは繰り返される
アメリカ政府も、金融界も、世界中の経済界も、“制度、ルールに不備があったから金融破綻が起きたのだ。だからルールをもっと厳しくして、規制し、法律を整備して、今回のことが二度と起こらないよう制度を変えていくべきだ”と主張しています。
エンロン、ワールドコムをはじめとして、アメリカの大企業が不祥事で倒産して行った後、アメリカ政府、経済界は、企業トップによる不誠実な行為によって企業を倒産に追い込むことが二度とあってはならないとして、ルールを改めたはずです。インチキな経営者が大企業を経営したのでは、社会はたいへんな迷惑をこうむってしまう。アメリカはSOX法というものを制定しました。二重、三重のチェックシステムを構築したのです。しかし、いくらルールを厳しくしても、規制を強化しても、悪いことをしようとする経営者は後を絶たないのです。問題は経営陣の心なのです。心そのものが変わらなければならないのです。
“動機善なりや、私心なかりしか”を座標軸にすえ判断する
人間として何が正しいのかを常に考え、物事を決めるときには“動機善なりや、私心なかりしか”ということを自らに問う。私心にまみれた考えで物事を決めていったのでは、社会にに対しても害毒を流しますし、働く従業員たちにもたいへんな迷惑をかけてしまいます。
江戸時代の近江商人は、売り手よし、買い手よし、世間よしという“三方よし”を商いの極意だとしてきました。ものを売っている自分だけがよければよいというのではなく、売っている私にもよいけれども、それを買ってくれる人にもよいし、社会にとってもよい商いを追求する。
全従業員が一致団結してオイルショックを乗り切った京セラ
金融危機に面している全世界の経営者は、どうこの危機を乗り越えようかと苦慮されています。個人、企業、社会、国も厳しい経済環境におかれているわけです。金融機関からの貸し出しも、簡単ではなくなりました。苦しい中で、みんなが協力して耐えていくのだという生き方が大切です。
- 雇用を死守するのが正道
派遣社員に辞めてもらう、寮から出ていってくれ。人件費/人間も物として考えてしまうのが資本主義の社会です。経費削減の為に、雇用にも手をつけることが当たり前のようになっています。経営陣はそのまま居残っています。
もし利他の心、思いやりや慈しみの心というものを経営者が経営の中枢に据えているならば、不景気でつくるものがなくなり、派遣社員達が要らなくなったとしても、正社員も含めて、社長から一般社員までみんなの毎月の給与をカットしてでも社員として残ってもらう、不景気が戻った時、カットした分を追加して支払うということも考えられます。何とかこの不景気をみんなで乗り切ろうと言ってくれる社員もいると思います。
- わずか六ヶ月で受注が十分の一に
1973年オイルショックの機、京セラの受注数が二十七億五千万円あったものが、その六ヶ月後には二億七千万円にまで落ちてしまいました。つくるものが十分の一にまでなったのです。製造現場の従業員が九割遊ぶことになります。その時京セラでは、“つくるものが十分の一になった。後の従業員は工場の中を清掃してもらう”となったのでした。
- 賃上げ凍結の決断と京セラ労組の勇断
稲盛塾長は係長以上のものを集め、全員の賃金カットを申し入れました。賃金カットをして、雇用を守っていこうと言いました。翌年四月には春闘があります。京セラ労組には、“翌年四月の賃上げは勘弁してくれないか”と申し入れました。当時の組合はこの申し入れを受け入れてくれました。
京セラ労組の上部団体ゼンセン同盟は、京セラ労組の判断を認めませんでした。京セラ労組は“我々は労使一体で企業を守っていこうと思っている。現在の状況を見れば、社長が凍結してくれと言うのも無理はない。そのことがけしからんというならば、我々はゼンセン同盟を脱退する”と応えたのでした。
一年半ほど経って、景気が回復し、同時に会社の業績も向上していきました。ボーナスは組合の要求に一ヶ月分の給与を上乗せし、合計三・ 一ヶ月分のボーナスを支給しました。翌年には随時賞与を一ヶ月分支給しました。昇給時には二年分、22パーセントの昇給をしたのでした。
この時、京セラの株価はソニーを抜き、日本一となったのでした。
不況を乗り切る五つの対策
盛和塾機関紙第86号にも詳しく不況を乗り切る対策が述べられております。最大の方策は高収益企業を目指すということです。不況になってもビクともしない高収益を維持することが、最高の不況対策であると、稲盛塾長は述べられています。
- 従業員との絆を強くする
- あらゆる経費を削減する
- トップ自らが営業の最前線に出て行く
- 新製品、新商品の開発に努める
- ありとあらゆる創意工夫をする
経営の原点十二ヶ条
経営の原点十二ヶ条は、毎日唱和していますが、日々の仕事の中で実践をしていくことが大切です。唯、知っているだけではなく、実践していくことが肝要です。実践していく為には、週一回、幹部社員と一時間、実行できているか検討して、確認していくことが必要と思います。
経営の原点十二ヶ条
- 事業の目的、意義を明確にする
公明正大で大義名分の高い目的を立てる
- 具体的な目標を立てる
立てた目標は常に社員と共有する
- 強烈な願望を心に抱く
目標達成のためには潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を持つこと
- 誰にも負けない努力をする
地道な仕事を一歩一歩、堅実に弛まぬ努力を
- 売上を最大限に、経費は最小限に
- 値決めは経営
値決めはトップの仕事、お客も喜び自分も儲かるポイントは一点である
- 経営は強い意思で決まる
経営には岩をも穿つ強い意志が必要
- 燃える闘魂
経営にはいかなる格闘技にも勝る激しい闘争心が必要
- 勇気を持って事に当たる
卑屈な振る舞いがあってはならない
- 常に創造的な仕事を行う
今日より明日、明日より明後日と、常に改良改善を絶え間なく続ける。創意工夫を重ねる
- 思いやりの心で誠実に
- 常に明るく前向きで、夢と希望を抱いて素直な心で経営する
六つの精進
- 誰にも負けない努力をする
- 謙虚にして奢らず
- 反省ある日々を送る
- 生きていることに感謝する
- 善行、利他行を積む
- 感性的な悩みをしない
盛和塾 読後感想文 第九十号
魂を磨く
現世にあったとき、名声を得た、財産をつくった、高い地位についた、こうした現世での成功はあの世には持って行けません。こうした成功して得たもの、地位もお金も名声も、死を迎える時、あの世に持ってはいけないのです。残るものは魂だけです。魂を持って行くとしたら、りっぱな魂であってほしいと誰もが願います。
立派な魂は、生きている間にどのくらい世のため人のために貢献したか、つまり生きている時にどれくらい善きことをしたかが、万人に共通する魂の価値だと言えると思います。
人間性を磨くこと、すなわち魂を磨くこと、それが大事なことであり、魂を磨く、素晴しい人格を身につけることこそが、人生の本当の目的なのですと、稲盛塾長は語っておられます。
人は何のために生きるのか
善きことを思い、良きことを行えば、人生は好転する
- 人生は運命という縦糸と“因果の法則”という横糸によって織りなされる
人にはそれぞれ、決められた運命というものがあります。我々は人生で辿(たど)っていくべき運命というものを背負って、この現世に生を受けました。
人は人生の中で、いろんなことに遭遇します。その遭遇していく過程で、善いことを思い、善いことをすれば、人生にはよい結果が生まれる、悪いことを思い、悪いことをすれば、人生には悪い結果が生まれるという“因果の法則”があります。
運命という縦糸と“因果の法則”という横糸が、我々の人生の中を走っています。
- “因果の法則”によって運命を変えることができる
運命は変えられるのです。善いことを思い、善いことをすれば、その運命はよき方向へと変わっていくし、悪いことを思い、悪いことをすれば、その運命は悪い結果へと変わっていきます。善き原因は善き結果を生み、悪い原因は悪い結果を生みます。
善き思いは、万物を生成発展される“宇宙の意志”に合致する
- 因果の法則が信じられない理由 = 結果がすぐに人生にはあらわれない
もともと人間には運命というものがあり、人は運命によい年回りとなったり、ラッキーなことが起きるような年回りの時は、少しぐらい悪いことをしてもすぐにそれが悪い結果となって出て来るわけではありません。運命の方の力が強いために、悪い結果がでてこないこともあります。逆に運命的にたいへん悪い年回りの時には、少しくらい善きことを思い、善いことをしても、運命的には悪い局面の方が強いために、すぐによい結果があらわれないということが起きるのです。
- 宇宙には森羅万象を生成発展させていこうとする“意志”がある
もともと宇宙は無生物であり、陽光のようなものであり、目には見えないようなひと握りの素粒子のかたまりでしかなかった。しかし宇宙はその素粒子を素粒子のままに放っておきませんでした。一瞬たりとも放置することなく、それらを次から次へと成長発展、進歩発展させていったのです。
この宇宙には森羅万象あらゆるものを生成発展させていく法則があるのではないでしょうか。よい方向へ、よい方向へとすすめていくような気が流れていると言えるのです。
因果の法則に従うことで好転した私の人生
- 試練にどう対処するかでその後の人生が変わる
稲盛塾長は人生の中で、できるだけ災難に遭わないように、会社が倒産しないように、従業員を路頭に迷わせないように、しようとして来ました。その為に、少しでも善きことを思い、善いことをするようにしていこうと思って来られました。因果の法則を信じて、それに沿って生きていこうと考えたのでした。しかし、なかなか自分の人生はうまくいきませんでした。
企業経営をしながら、出会った数多くの災難、幸運、それらは人生における試練だと考えました。自然というものは、我々にいろいろな試練を与えます。あるときは災難であったり、ある時は幸運であったりします。幸運も災難も試練なのです。幸運に恵まれることも試練の一つです。
- 災難続きの青少年時代
中学受験に失敗し、12~13才の時に肺結核を患い、死ぬようなことに遭いました。大阪大学の医学部入試にも落ちてしまいました。鹿児島大学工業部応用科学科を卒業しましたが、当時は大変な就職難の時代でした。どこに面接に行っても不合格でした。その時、担任の先生が京都の焼き物の会社を見つけてくれました。入社してみますと、過去十年間ずっと赤字の会社でした。毎年労働争議に明け暮れている会社でした。給料の遅配は当り前の会社でした。一緒に入社した大卒五人の内、四人が辞任して、稲盛塾長一人が残ったのでした。会社を辞めるにしても行き先がなかったのでした。
- 研究に没頭し、明るく前向きに努力したことが運命を好転させた。
行き先がない中、上司に命じられたファインセラミックスの研究に没頭せざるを得ませんでした。逃げる道はありません。研究に没頭していますと、全てを忘れて、唯研究に打ち込むことができるようになりました。連日連夜、研究に没頭し始めると、研究がうまくいくようになりました。上司からも褒められ、認められるようになりました。褒められれば、さらに元気が出てがんばります。次から次へと運命が好転しはじめたのでした。
一生懸命に努力して研究すれば、よい結果が生まれます。よい結果が生まれますと、会社の業績があがり、また褒められます。ますます嬉しくなり、さらにがんばります。このように、運命がよいほうへ、よいほうへと好転していったのです。
こうした経験から、つまり災難や幸運は神が与えた試練だと受け止めて、前向きにひたすらに明るく努力を続けていく生き方をしたいと、稲盛塾長は素直に思えるようになったのでした。
- 成功しても謙虚な人だけが幸運を長続きさせることができる
日本ではバブル経済が崩壊して十数年が経ちました。あの華やかなバブル絶頂期の頃、すばらしい展開をしていた多くの方々がおられました。こうしたバブルによって成功した多くの人たちがテレビや新聞に登場し、傲慢とも思えるような言動をしていました。バブルが崩壊し、不動産の価値が激減し、残っているのは借金のみということに遭遇しました。
神様は、自然は、その人に思いもよらない幸運をもたらします。この幸運を“これはオレの力で、オレの才覚で得たものだ。オレには能力があり、やり手であったから、巨万の富を得ることができた。”と鼻にかけ、傲慢になってしまった人は必ず破滅(はめつ)していきます。
中国の諺(ことわざ)に“謙のみぞ福を受く”とあります。謙虚な人でなければ、幸せを受け止めることはできません。傲慢な人、自分ですべてのことをやったかのように思う人は、自分に与えられた幸運を決して長続きさせることはできないのです。
災難に遭っても腐(くさ)らず世を恨(うら)まず、真面目に感謝の気持ちで私達は努力していかなければならないのだと思います。どんなラッキーな幸運に恵まれようとも、決して当たり前のものだと思ってはなりません。幸運に恵まれた時に、傲慢で邪(よこしま)な心になってはいけません。
人生の目的は魂を磨くこと
- 生まれたときよりも少しでも美しいものにする
人は誰しも、若い頃、できれば自分は立派な人物になりたいと思います。ノーベル賞をもらえるような科学者になりたい、お金を沢山もうけたい、大企業の社長になりたいと思ったりします。
人生の目的というものは、果たしてそういうものでよいのか。人は必ず死を迎えます。死んだ人は、名声や富や地位も、あの世に持って行くことはできません。肉体がほろびますと、残るのは魂のみです。人は魂を持って一人で死後の世界へ旅立つのです。死とは魂の新しい旅立ちです。
死にゆくとき、生まれたときよりも少しでも美しい魂に、やさしい思いに満ちた心に、つまり魂に変わっていなければ、この現世に生きた価値はない。人生とは魂を磨(みが)き、心を磨く道場なのではないでしょうか。
- 一生懸命働くことで魂を磨く
魂を磨いていくには、一生懸命に働くことが必要なのです。一生懸命に世のため人のために働くことが、魂を磨くために一番役立つことだと、稲盛塾長は自分の体験から学ばれました。
“仕事に精魂を込め、一生懸命に人生を生きていくということは、お金を稼ぐためだけではなく、その人の魂を、心を美しく磨いていくことに大きく役立っているのだ”と稲盛塾長は知ったと述べています。
こうした考えは、本から学んだことだけではなく、自分自身の歩んでこられた経験から到達した人生訓なのです。しかも、こうした考え方を述べられる言葉の中に、稲盛塾長の謙虚さが読み取れます。